歯科医としての技術や腕は確かでも、歯科医院経営者として疑問符がつく先生はいるはずだ。経営とは何?経営理念とは何か?という事だが、経営とは、人、金、物、情報といった経営資源をどう配分するかを選択し、目標達成のためにもっとも適した方法を策定・選択すること。簡単にいうと、"利益を上げるにはどうするか"を、自己に問いかけることである。
経営といっても業種によって異なるが、顧客(患者)数を増やすことが繁栄となる。そのためには、①新規顧客(新患)を取る。②リピーター率を上げる。これが基本である。客単価が高いのも経営者にはありがたいが、「1万円の客より、千円の客を大事に…」というのは、昔からの商人(あきんど)の鉄則である。かつて、「患者は医師の思い通りになる」という権威主義が横暴をふるった。
「人は生まれながらにして悪人であるから、環境や教育などで善行を推し進める」これを性悪説といい、「人は生まれながらにして善人であるが、環境や欲によって悪に染まって行く」。これを性善説といった。いずれが「真理」と定義することはできない。ただ、どちらの見解でも、「人は善行も悪行も行いうる」ことは事実。決定的に間違っているのは以下の考え。
性善説…(人の本性は善であり)人を信じるべきだという考え方
性悪説…(人の本性は悪であり)人は疑ってかかるべきだという考え方
性善説を唱えた孟子はこんな能天気なことは言わないし、 性悪説の荀子が人間不信だったわけではない。人間関係でよくある事例として、「見損なった」と言う言葉がある。勝手に人を自分がいいと判断し、見込みが外れると、「こんな人とは思わなかった、見損なった」などの言い方はしばしば耳にするが、自身の見込み違いを相手に転嫁した都合のいい言葉。
別段、相手が変わったわけではない。自分も10代、20代、30代~40代ころは、しきりにこの言葉を使った記憶がある。今に思えばその言葉を使うことで、自己の責任一切を相手になすりつけていたのだろう。今回、久々に同様の体験した。正直落胆もしたが、「見損なった」などは言わない。良いと思ったもの、信頼していたものが何かの理由で崩れ去るのは心苦しい
今回の体験は歯科医院での事。現在の歯科医院に通院を始めたのが2014年1月16日だから、2015年8月17日の最後の通院まで丁度1年7カ月余りであった。患者としての治療は3月3日にて終了し、以後は月に一度、予防とケアを主体に通院することに決めた。歯周病の予防ケアは、3カ月もしくは半年に一度というのが通例だが、通例は通例であって、自分は月1にした。
理由はこの歯科医院のもつ雰囲気ならびにスタッフとの和やかな交流が、日々の生活に潤い感を与えてくれるからだ。そういった生活のメリハリというのは、人間に精神的プラス効果を与えるし、「笑いの効用」と同様に大事な心のケアといえる。歯科医院の数は多けれども、"終の棲家"を見つけた気分もあってか、6月4日、5日の両日にわたって賛辞の記事を書いた。
今回あったことは単純ミスかも知れない。人間が不注意から起こすミスを許すキャパは持ち合わせているつもりだし、ミスは謝罪で許されることが多い。が、問題が膨らむのは、ミス後の言葉を含めた一連の対応である。言葉一つが怒りを増幅させることもある。謝罪の意味、謝罪の本質とは、適切な言葉を使ってミスを相手に詫びることではない。
頭を下げることで、顧客を優位に押し上げること。それによって、顧客の気持ちを緩和させ、できることなら以前同様、来店して下さいと言うお願いである。「それなら再た行ってあげよう」という気持ちにさせるのが謝罪の真意である。だから謝罪は絶対である。謝罪がない場合、ミスした側が優位に立ったままで、これでは顧客もバカバカしくてそこに行く気は失せる。
前置き・前触れはこのくらいにして、6月の記事に書いた高評価の歯科医院での出来事を書く。3月で1年2カ月に及ぶ治療が終り、4月から月1で、「歯周病予防ケア」に通う。あるスタッフから、「月1ケアの優良患者さん」と言われたが、選択は自分に委ねられ、3カ月でも半年でもいい。自分は医院のスタッフとの気さくな対応が楽しく、だから月1を選択した。
ケア業務に対する熱心さや真剣さも伝わり、3カ月毎に実施される「歯周ポケット診断」のチャート紙をコピーして在宅チェックを促すなど、顧客のケア意識の向上に力を注いでいるのが伝わってくる。こういった熱心さにもかかわらず、当初自分は、歯周病のケア意識はまるでなかったが、渡されたチャートを自宅で注意深く眺めるようになるなど、徐々に変わって行った。
これら衛生士スタッフの熱心さのたまものである。チャートを判断基準にし、歯垢のたまりやすい部位に注意して歯磨きをするようになった。チャート表は見えない自分の口腔内が手に取るようであり、歯のメンテナンス、歯周病予防に大切なものであるのが判った。治療中にあっても、3カ月毎の歯周ポケットチェックは行い、その際、チャート紙は随時いただいた。
治療が終了し、4月からのケアが始まって4カ月後の7月のある日、チェックを終えて料金を支払って自宅に帰り、チェックチャートを眺めようとしたとき、渡されてないことに気づいた。渡すものを渡さない医院側のミスであるが、人間はミスもあろうと特段気に留めていなかった。高評価で信頼をおいている医院でもあり、この程度のケアレスミスは問題にしなかった。
それで2日後に、あらためて医院に取りに伺った。先方のミスゆえに謝罪くらいはあろうと、そういう意識もあった。「お渡しするのを忘れて申し訳ありませんでした」くらいの言葉は出ると思いきや、不思議なことに謝罪の言葉は、一言もなかった。あげく受付嬢はこのように自分に向けていう。「わざわざ取りにこられたんですか?」と、いくらなんでもこの言葉には驚く。
驚いたのは好感度の受付嬢だからで、もし、これがそうではなかったら、そういう失言は容赦はしなかったであろう。「渡すのを忘れて取りに来た顧客に対し、その言い方はないんじゃないか?もうここへは来ないから」と言うかもしれない。ぶしつけな応対に、黙っているような柔な自分ではない。が、瞬間、彼女を許したのは、友好的な人間関係があったからだと思う。
「思う」というのは、自分で自分を分析して感じたこと。是は是、非は非を、標榜する自分にあって、これだけの失言を笑って許したのは、自分でも意外であった。どう考えても、「わざわざ取りに来て頂いてすみません」というのが常識であろうし、謝罪より常識の無さに驚いた。民間の有料健康診断施設に健康チェックに行き、診断表を渡されないことなどあり得ない。
その時に思ったのは、2013年4月18日に開院して2年も経てば緊張感も失せ、サービスの質低下も不注意からのミスも発生する。それではいけないし、そのために目を光らせる管理者が必要となる。後で述べるが、管理者ならずとも唯一管理者の任を発揮できる体制は作れる。ある時自分は院長に尋ねた。「先生は医療をサービス業とお思いか?」、答えは「No!」であった。
「医療はサービス業」と言い切る医師も少なくなく、その辺りは個々の思いによっても違ってくる。がしかし、患者といえども接客業である以上、顧客を良い気分にさせる点においては、サービス業的な部分はたくさんある。嫌な思いをすれば客足は遠のくであろうし、顧客はそれほどにシビアである。特にケアだけに訪れる人は、患者というより顧客という意識が強い。
病気予防という点で歯周病ケアとエステサロンは違う。が、治療でないなら顧客に患者意識はなく、よってサービス意識にはシビアである。忘れることなく手渡されていた歯周ポケットチャート紙が、なぜ顧客に渡されないミスが発生したのかについては、気の緩みとしかいいようがない。開店して1、2年程度は緊張感も持続し、仕事意識に対する喪失感はそれほど損なわれない。
だんだんとダレ、ミスが当たり前に発生すると、顧客は自分がないがしろにされた意識を抱く。したがって、そういった人為ミスを防ぐ体制が必要となる。が、当院に高い信頼感を抱いていた自分は、今回のケアレスミスをとりあえず許し、受付嬢の失言も我慢をした。関係の深さは思いの深さ、思いの深さは相手を許容する深さでもある。それを人間関係という。
だからと言ってミスを起こしていいものでもないし、顧客に甘えていいと言うことにはならない。ところが…、7月25日にまたもチャート用紙を渡さないミスが発生した。その患者とは、なんと自分が当医院に紹介した女性である。彼女も通院は一年を超えているが、「チャート紙を渡さないなど、どうも緩みが出てきたようだ」と、彼女に自分の体験話をした矢先の同様のミスである。
自分のミス発生は7月13日、彼女は7月25日である。彼女も自宅に帰り、落ち着いてチェックチャートを眺めようとし、その時に手渡されていないことに気づいた。その事を知った自分は、すぐに電話を入れた。自分の紹介した患者でもあり、同じミスが続いたことでさすがに立腹した。「何をやってるんだ!気が緩んでる証拠だろ?」と、受付嬢にはきつく言葉を発した。
ところが受付嬢、注意され苦情を受けているにも関わらず、ヘラヘラ感ばかりがこちらに伝わる。こちらのクレームを察知してる感じがまるで見られない。「怒られている間中笑っている奴は注意し甲斐がない」というのはよく耳にする。そんな態度に腹を立てる注意者もいて、まさにそんな感じである。この女性は怒られ慣れしてないのか、クレーム処理には不向きと感じた。
なぜか謝罪の言葉は一言もなかった。彼女は同僚から、「接客の鏡」と言われているくらい接客評価は高い。それは自分も認めているところであり、紹介した女性も、"いい受付さんですね"と感じていた。問題のない顧客応対は100点でも、問題発生時の対応は0点である。店側に全面非のあるクレームに謝罪の言葉を発しないのは、店を代表する受付として失格である。
さらには暴言ともいえる失言には一般社会常識からしても驚きであった。歯周病ケアの大切さを説き、それに対する言葉を100万回吐いてみても、チャート紙を渡さず、取りに行けば、「わざわざ取りにこられたんです?」という応対は、どう考えても顧客をないがしろにしている。折角高まった歯周ケアへの意識は一気に失せ、「ただのビジネスか…」、そんな気持ちが頭をよぎる。
ビジネスが悪いとは思わないし、ビジネスであっても、顧客にとってケアの処置は間違いなくプラスになっているわけだ…。ところが、サービス業という観点から見た場合、顧客を嫌な気分にさせるなどはあってはならないこと。100%の満足を与えなくとも、顧客を見下した発言は絶対に慎むべき。これまでスタッフへの感謝の気持ちを、差し入れするなどで表した。
ケアは大事と言うスタッフに、実はケア意識が欠落しているとは笑止に価する。「家に帰ってチャートをしっかり見ながら、歯磨きなどのケアに役立ててください」。そういう意識、そういう言葉がまるで嘘に聞こえてしまう。「何でチャート紙を渡さないんだ?」という電話を受けたなら、謝罪をし、「すぐに封書で郵送させていただきます」などの俊敏な対応が当然である。
健康診断に行ってチェック用紙を手渡されず、苦情の電話を入れたらマチガイなくそういう対応をするだろう。それがないというのは、チャート紙など重要でないとの意識と感じた。大事なものなら機敏に対処するはずで、だからダメなんだな、この医院は…。社会常識すら持ち合わせていない。接客業務の真価は、問題(ミスに対するクレーム)発生時に分かる。
その時に、店舗や企業や経営者の質も判明する。歯科医師がサービス業の本質を理解していずとも、気のゆるみ、たるみから生じる人為的ミスの発生を未然に防ぐ体制がなされていない。サービス業とは、その時、その場の顧客の心情に同化する、まさしく人と人の心の触れ合いである。問題発生前のスタッフの仕事ぶりは、新規開店後の緊張感によるものだったようだ。
「終の棲家」と即断した自分の見誤まりである。残念だが明日で最後…、足が向かぬなら仕方がない。意識の無さがもたらす不注意ミスは、二重チェック体制で簡単に防止できる。現場スタッフの多忙さや気の緩みから発生するミスを受付が食い止める。受付とは、笑顔で客を迎え、笑顔で帰すだけでない重要な役割を担う。それは抜かりなく顧客を帰すということ。
ケア担当スタッフのチャート紙の準備・用意を受付が把握すること。スタッフからチャート紙が上がらない場合でも、顧客に不用と即断しないこと。それこそがダブルチェック機能である。つまり、受付は同僚スタッフを疑い、唯一内部に目を光らせる管理職のような任を授かる。この抜かりのなさが顧客へのミス防止となり、受付はスタッフのケアレスミスを最後に食い止める砦となる。
ダブルチェック体制もなく、従業員の自意識に頼ってミスは無くせない。斯くの放漫なミスは、早急防止の管理体制を整える必要がある。それを院長に言おうか迷ったが止めた。善意であれ黙っておくのが正解かなと。カーライルはこう述べている。「レストランに行ったが、料理は不味い。サービスも悪い。そういう時は料理を残し、黙って去り、二度と行かなければいい。」