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「親」と言う不思議

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爬虫類などのような脳の小さな動物も本能はあるから、卵からかえる鳥類や高等哺乳類と同様、生まれて傍にいる何者かを親と認識するようプログラミングされている。いかに生まれてすぐに立ち上がる動物といえども、授乳等の食糧供給は必要で、依存しないと生きてはいけない。親にも「保護」という本能が備わっているから、子どもを愛し、慈しむ。

魚類やカエルのような、卵を産みっぱなしにして親は行方不明になるような下等動物は、保護を必要としない分、一度にたくさん卵を産む。その中の数%がかえればいいし、残りは他の生き物の餌になればいいと、これも自然界の法則だ。だから我々は、シシャモやタラコやイクラを食する恩恵に預かる。巣に産んだ卵を外敵が食べる映像を見ると、いたたまれない。

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が、人間は同じ事をしている。「イクラやシシャモは何千、何万の卵を産むからいいんだ」という論理で…。ある意味正しく、ある意味間違っている。そういった動物愛護精神がベジタリアンには存在するが、植物だって生きているんだろうし、そんなことを言えば、壁の土を食わねばならない。人間の体は有機物を取り入れてこそ機能するようになっている。それが生命。

戦国時代に兵糧攻めという戦法があった。時間はかかるが攻め手の兵力を減らすことなく確実に勝利できる。城に篭城し、攻め手に耐えた守備側が、食も水も尽きると壁の土まで食べたという。熊本城内にある銀杏の巨木が有名だが、これは城主の加藤清正が、篭城戦になった時の食料確保のため、築城時に加藤清正がこの銀杏を植えたというが、これは間違い。

あの銀杏は雄木で実はならず、城内を知らない者が後世創った俗説とされる。また、清正は「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時にこの城で兵乱が起こるだろう。」とつぶやいたと言われる。明治時代、この銀杏は天守とほぼ同じ高さになったときに西南戦争が起こり、熊本城下が戦場となる。銀杏はともかく、清正は篭城時の食料の確保に余念がなかった。

城内の建物の土壁に干瓢(かんぴょう)を塗篭め、畳床には食用になる里芋茎を用いて備えていた。これらは秀吉配下時代、清正が朝鮮出兵での蔚山城籠城戦で、食料不足に苦しんだ経験を生かしたといわれている。その際彼は、水で苦労したこともあってか、城内120箇所に井戸を掘って篭城に備えた。どの井戸も規模が大きくて深く、しかも水量が豊かであった。

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西南戦争で官軍に敗れた西郷隆盛の言葉が過ぎる。「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」。熊本城に篭城した官軍であったが、井戸と豊富な水のおかげで西郷は熊本城を落せなかった。熊本城は別名「食べられる城」と呼ばれ、多くの観光客で賑わっている。名古屋からクルマで北に40分、愛知県犬山市には「お菓子の城」がある。

鳥取県西部の玄関口、米子自動車道米子ICを降りるとすぐ前方に見える大きなお城は「お菓子の壽城」である。これは米子城をモデルに築城されたもので、お菓子でできているわけではない。栃木県日光市の鬼怒川温泉にも「お菓子の城」がある。これは亀屋菓子本舗の工場兼販売店舗で、愛媛県今治市にある日本食研の宮殿工場と同じオシャレの工場である。

「人は城、人は石垣、人は堀」とし、城を造らなかった武田信玄は、いかに強固な城を造れど人心が離れては何の意味もない事を悟った。そんな信玄は父親を追放して家督を継ぎ、実の息子を謀反の疑いで教育係共々切腹させた。かくの暴虐非道な人間、普通なら色々恨みをかってそうだが、それも戦国大名としての非情な部分。信玄は領民からも家来からも慕われた。

一般的には「人は城、人は石垣」までは知られているが、堀のあとには、「情けは味方、仇は敵なり」と続く。意味は、"情をもって接すれば慕われるが、恨みを抱かせれば心は離れる"。そりゃそうだ、これが人と人の関係である。親子関係であれ、師弟関係であれ、友人関係であれ、恋愛関係であれ、友情・愛情と言われるように、「情」という文字がある。

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親は他人である。兄弟も他人である。「親が何で他人なんだ?」という奴は結構いたが、読んで字の如しで自分以外を他人と言う。親・兄弟が他人という意味を分かりやすくいうと、言葉はともかくとして、自分の痛みが分らない、心が分らない、そういう意味。自分のどこかをつねっても、他人が痛いわけはない。ただし、親・兄弟などの家族は最も近い他人である。

痛みは肉体だけではない。心の痛みも親・兄弟には分らない。分かるという親は思い込みだろう。「自分の気持ちなんか親にわかるはずがない」、そう思った人は多いだろうし、「親も子どもの気持ちが分らない」とこぼす。なのに、「お母さんはあなたの気持ちをよ~く分かっているんだから」などと言う。これはまあ、人間関係の一種の方便だから、誰でも友達に言う。

辛くて嘆いている傍らで、「お前の気持ちはよ~くわかる!」って言ったりする。言ったことも、言われたこともあるだろう。どこが、「よ~く分かる」んだろうね。「お前の気持ちは、目くそくらいは分かる!」といえば本当だろうが、そんな時に、「目くそ、鼻くそ」なんて美しくない。美しい友情関係が醸せないだろう。「よ~くわかる」はシチュエーションと思えばいい。

自分は正直だから、分らないことを綺麗ごとでそんな風には言わない。いや、恥ずかしくて言えない。あるシチュで、今この女にこういう言葉をかけてやれば喜ぶだろうな、何てことが頭を過ぎるが、浮ついたことは言わない。作為的な言動より、ありのまま、あるがままに対処するクセがついている。それが嵩じると、人前で繕った挨拶などができなくなる懸念もある。

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さらにいえば、形式的なことが大嫌いになる。型式というが、そういう事をしなくちゃいけない自分が嫌になる。しかし、社会に生きているとそういうことも必要であるが、本音をいうと結婚式も葬式も法事もなくていいと思っている。最愛の父であり、死後42年になるが、法事には一度たりとも出た事がない。決まりというが、根拠のない決まりなどはどうでもいい。

人と同じ事をしない、同じ考えに添わないと、変わっているなどというが、自分から見れば、人と同じ事を無根拠・無批判にするのは無思考である。人から後ろ指を指されたくないためにする。そのように見ている。まあ、同じ事をしないと文句をいう相手に向けた言葉で、別に尊重してくれずとも、放っておいてくれる人間には、彼らが形式事に参じるのを否定しない。

特段重要でない人物には適当に対処するが、重要人物なら自身の思考を重視する。友人・知人の親の葬儀に声がかかれば問答無用に出席する。生まれていつしか自分の傍にいる女性を母、男を父と認識するようになる。彼らは自分の世話をし、食事を与えてくれたり、自分を守ってくれたり、欲しい物を買ってくれたり、などといろいろ保護してくれているのが分かる。

それが親の正体である。そうして彼らが自分を作ったことも分かる。分かるというのは正確ではなく、想像だ。親子という認識にあっての想像である。作るところも、生まれるところも見てはいないし、だから想像であるが、想像はだんだんと確信に変わって行く。それまでは、「この人たちはいったい誰なんだろう?親とは言うけれど…」の思いは誰にもあったろう。

イメージ 5親が自分を作ろうとも、母親から生まれようとも、他人であることには変わりない。もちろん、親も子もそこが大事なところだが、そのように思わない親も子もいる。親は自分を作ることで親になったのであって、最初から親であったわけではない。さらにいうなら、ある日、突然親になった。これは母親と父親の実感としては、かなり違うものであるらしい。
母親は身ごもっているあいだ中、親の意識に染まっている。受精から出産までを総じて10月10日というが、実際は妊娠が判明した以降に、体内に自分の分身がいると判明した以降、親という気持ちになるのだろうか?経験がないから想像でいうしかない。ところが、父親なんてのは、子種を提供した後は何ら変わらぬ今までと同じ日々でしかない。そして「生まれた!」

と、同時に強制的に父親にさせられてしまうのだ。しかし、父親の実感と言うのは人によって芽生え時期が違うだろうよ。実際に我が子を見た瞬間という人も、抱き上げた時という人も、パパ(お父さん)と呼ばれた時という人など、さまざまだ。自分の場合、なにやら得体の知れない小さな体型の子どもが、どうして自分の子どもなのか、そこが不思議だった。

自分は教えないし、言わせようとした事もないのに、周囲が自分のことを「お父さんよ」、「お父さんと呼びなさい」と教えるものだから、子どもは学習の成果で「お父さん」と呼ぶ。なにやら仕方ナシに呼んでる感じで、だから仕方ナシにこちらも呼応してやる。最初の父子関係なんてそんな義理の応酬である。子どもも「お父さん」をイメージし、頻繁に呼ぶようになる。

それどもときたま、「なんで自分はこの子のお父さんなんだろう?」と考えた。そこで得られた答は、「お父さんと呼ばれるからにはお父さんなのだろう。だったらお父さんらしくする必要はあるな」と、そういう事から父親学を始めた。自分にもお父さんがどうすべきか分らない。子どもにどうする役目をお父さんは負うのか?そんなことを考えるしかなかった。

「親という不思議」という題目は、自分が親になったときの不思議加減も含めて書いている。だからか、生まれたばかりの子どもを、さも大手柄を立てたような喜びに包まれて子どもを抱いたり、撫でたりする親は自分には理解できなかった。物事を確実に認識するまでは、そんな風に手放しに喜ぶこともできない自分は何なのか?ハッキリいえることは親子といえども…

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自分は自分である。親は肩書き、自分は以前のままの自分と何ら変わりない。子どもは生殖の結果この世に生まれた生き物である。それが当初の考えであり、父親の役目といわれる乳児の入浴も、オムツ替えもした事がない。抱くこともない、触ることもなかった。正直抱くのが嫌だった。実際に抱いてみて「よくこんな思い物体を妻は抱いていられるな」、それが不思議だった。

おそらく(と前置きするしかないが)、同じ思いを抱いた父親はいるかも知れない。乳児期に子どもを抱いた回数は、アバウトで5回くらいか?何も自慢をしているわけでも、非情を披露しているわけでもない、事実を述べている。まあ、この事実を最もしるのは妻であろう。彼女には夫はそういう種族に見えたはずだ。男は子どもを抱かない、あやさないという種族。

いつか、回想した事がある。「子どもが人間に見えてきたのは3歳くらいか、4歳くらいか、ある程度の知能がついて以降だったかな。それまで猿同然、猿以下に見えた」。人間といして意識できるようになれたら、父親の出番到来という考え方の是非はともかく、母親の乳児期の対処はそれはそれで母親ならでは可能なものではないか?そう思えてならない。

イメージ 7長期に及ぶ妊娠期間で母子との一体感、連帯感がなせる技かもしれない。子育ても子どもの躾も教育も本当に難しいものだ。「褒めて育てればいい」というのを妄信するのも実はよくない。なぜなら、親が褒めてばかりだと、子どもは期待に応えようとウソをつくこともある。褒められて悪い気のする子どもはいないが、褒めるはある種の親の価値基準の押し付けでもある。テストで100点取ったのを褒めるのはいいが、結果を褒めても過程は褒めない。たまたま100点なのか、頑張った結果100点だったのかをむしろ親は問わない。そうであると、結果だけ帳尻あわせればいいや、それでいいんだという短絡さが助長される。それで子どもが「100点取った」とウソをつくようになる。ウソだろうが本当だろうが、「100点」が親に喜ばれることが、子どもにとって大事となる。

褒めるよりも、一緒に喜ぶのが対等な関係となろう。「褒める」というのは、どうしても上⇒下の様相であり、共に喜ぶならば対等である。「上手な褒め方」という作為に満ちた教育書もあるが、親に作為を教えるよりも、自然な、心からの発露が素敵である。「好かれる彼女の褒め方」なんてのも同様に、そんな才能もない男がぎこちなくやっても、むしろ嫌われるだけ。

何事も「自然」に勝るものはない。自然にし、自然に振舞う姿の、素直さ、正直さに共感を持たれることもある。作為に満ちた言動を、何処から仕入れてみても所詮は付け焼刃なら、恋は上手く行かない。男と女は互いが自然に歩み寄れる関係が長続きする。親も同様、子どもに自然に振舞っているか、虚言か、欺瞞か、子どもは見抜くと思うのだが…


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