男に分らない女性の楽しみはいくつかあるが、あの下着の飾りは一体何なのだというのがある。レースしかりで、何で下着にレースが必要なのかと思ったこともある。テーブルクロスにもレースはあるが、それすらなくてもいいという男は(というか、自分は)、用途だけしか見ないのだろう。それをデリカシーの無さといわれると、無骨であるのを自認する。
女性が男に対する感性批判をすることがある。が、それらは批判ではなく性差と思った方がいい。でなければ、互いが理解には向かわないだろう。例えば男が、「何で女の下着はあんなにデコらなければならないんだ?そんなもん身に付けて、あったまおかしいんじゃないか?」というのが実感だが、女性はそういうものであって、だからメーカーもそういう商品を作る。
そのように思えば批判は許容に変わる。男女の性差的なものをいくら批判したところで、それが変わる(直る)はずがないし、なのにする批判は侮辱ともなりかねない。「なんで女は…」、「なんで男は…」は普遍的なテーマであろう。いつになっても、「女(男)のここがわからない」系番組は後をたたないが、バラエティー形式でオモシロ・オカシクやればいい。
男女の性差的な違いが分らないのは、逆にいえば異性を求める原動力でもあるのだ。ところが……。男と女、雄と雌という純然たる自然界に突如現われたるが丸山明宏なる人物。名前は男名で、性別も男。なのに、彼は化粧を塗りたくっていた。言葉遣いは男であるが、特に注視していたわけではないにしろ、彼はどんどんと女に近づいていく。美輪明宏と改名もした。
1935年生まれの彼は現在80歳になる。年齢は生年月日が決めるものだから、人は誰でも50歳にも80歳にもなるが、1971年までは丸山明宏(本名)だった。改名も芸能人にはよくあることで、別段それはいいけれども、彼が丸山明宏で歌手デビューしたときは、なんと国籍・年齢・性別不詳として売り出していた。妙なことをすると思ったが、ミステリアス性も宣伝効果になる。
シャンソンである、「メケメケ」を日本語で歌う彼は、その艶麗な容貌、元禄時代の小姓衣装を洋装に取り入れ、レース地のワイシャツ等を身に纏ったユニセックスファッションであった。三島由紀夫がその美貌を、「天上界の美」と絶賛し、マスコミからは、「神武以来の美少年」、「シスターボーイ」などと評された丸山は、一世を風靡する(自伝『紫の履歴書』)。
「メケメケ」で売り出した丸山ブームだが、新陳代謝の激しい芸能界にあって、わずか一年足らずで沈静化した。その間、丸山は自身が同性愛者であることを公表する。他人はともかく、自分はこの男が大嫌いであった。キモチ悪いという理由だ。「同性愛」というのも当時は異端・異質として、社会に受け入れられなかったこともあって、丸山人気は急落する。
自作曲をレコード化もできない不遇の時代が続いたが、1964年に、「ヨイトマケの唄」で再び人気を得る。そういった紆余曲折を経て1971年、読経中に『美輪』の字が浮かび、神様が与えて下さった名前ということで丸山明宏から美輪明宏に改名する。と、美輪の履歴はこれくらいにし、彼の後からはピーター(池畑慎之介)ら、男と女の中間人間が世の中に出始めた。
カルーセル麻紀も同列としたいが、彼は美輪やピーターと違って性転換手術を受け、完全に男を放棄している。以後、「おすぎとピーコ」らが騒々しいオカマ言葉でテレビを賑わす。デビュー当時に石原慎太郎が、「君らは歌手か?」と聞き、「私はオカマです」と答えた所、「俺はナマコとオカマは大嫌いだ」と暴言を吐かれておすぎが激怒する一幕もあった。
美輪明宏も以下辛辣に批判した。「自分は同性愛に対する偏見と闘ってきたのに、あの二人はテレビで、偏見に満ちた蔑称である“オカマ”という言葉を自分たちから連呼し、あえて笑われ者になる事で、同性愛者への偏見を助長している。せっかく同性愛が市民権を得てきたのに、歴史が逆戻りすることになる。その根性が実に卑しい。消えてしまえ。この、馬鹿者ども!」
昨今、オカマやレズ、ホモやゲイは市民権を得ているようだ。でなくばあれほどテレビ露出はない。「市民権」とは、一部にしか行われなかったものが、広く認められて一般化する、という意味もあるからで、そうはいっても、公共施設やサービス業従事者としてオカマが、「おねぇ言葉」でネチネチ仕事は許されない。その点ではまだ適材適所という感じであろう。
適正サービスを提供する施設・場所では、当然にして適切な言葉使いがあり、男か女か分らないくねくねした人間を求める客はいない。最近、LGBT(GLBT)という言葉が言われる。女性同性愛者(レズビアン、Lesbian)、男性同性愛者(ゲイ、Gay)、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)、そして性同一性障害含む性別越境者など(トランスジェンダー、Transgender)の人々を意味する頭字語。
これらの扱いは国によって違うが、日本で同性愛は違法ではないし、日本文化や日本国内で広く信仰されている宗教においても、LGBTの人々に対する強い反発は、諸外国と比べてほとんどない。が、一部のコメディアンやテレビのバラエティ番組において、同性愛者らを特異な存在として扱う傾向は存在する。就職活動でもまだLGBTに対する差別や偏見が存在する。
LGBTの対応が今後どういう風に進展するのか、変化して行くのかは分らないが、就職差別というよりも、LGBTは区別されてしかりの存在であり、キッパリ「No!」は問題ない。「オカシイ」と思う人はまだまだ相当数いる。観覧して、「面白い」のと、適切で無難なサービスを提供されるビジネスにあっては、スタンダードが求められ、「イロモノ」は無用。もちろん、医師・政治家も…
男と女の中間種族のことはこれくらいに、女性の楽しみである下着も古今東西、多様に変化している。現在の日本の下着は洋装にあったものだから、日本古来のものではないし、和服文化の日本にあってはパンツを履くという時代はかつてなかった。卑弥呼も清少納言も静御前もお市の方もみんなノーパンであった。十二単を着て手水(ちょうず)に行けるはずもない。
お姫さまは十二単を着たまま、中におまるを入れて、そこに用を足し、それを下の者が 川などに捨てに行っていた。で、用足しの後で拭いたのか?小は拭かないが、お尻は拭いたようだ。和紙は当時は貴重だから、紙で拭くなどとんでもない。「籌(ちゅう)木」と呼ばれるヘラのような木で拭いた。「籌木」は奈良・平安時代の遺跡などから、沢山発掘されている。
近代用語では「籌木」のことを「クソベラ」と言う。臀部についちゃったウンチを掻き落とす役目も果たした。不便ではあったろうが、これしかない、これが当たり前の時代には、さほど不便なく用便していたはずだ。オカマとウンチの話はこれくらいにして、男に分らない女性の下着への思いを考察してみる。しても分らぬものは分らないが、少しは近づくかも知れん。
これまで女性用のパンティーといえば、過激なTバックだろうが、紐パンだろうが、基本は「履く」である。ところがついに、「履かないパンティー」がイタリアより上陸した。その名は、『ストング』。履かないとなるとどうする?「貼る」のだ。パンティー前後の両端にシリコン素材が装着しているため、軽く当てるだけでピタッと付く。そして、装着後の姿は……。
前面にはコケティッシュなレースの三角形の布地のみが、そして後ろ面はお尻の間からワンポイントのハート形レースがお目見え。何ともセクシー、もしくは淫靡なすぎるパンティーだ。同商品を販売するウィズ・アスの小島さやかさんによると、女性陣はむしろ「勝負用」ではなく「実用」として買うらしい。 素材は通気性のいいレース素材で、装着面は素肌にやさしいシリコンジェル素材。
「ローライズのデニムやタイトスカートをはく時、下着のラインが出ないので便利。腰回りを締め付けず着用のストレスがないため、脱毛処理後のデリケートゾーンがチクチクしないという利点もあります」(販売担当員)。あっそう…。そういうメリットがあるなら一人で家にいるときに履けば?ノーパンにパジャマ女は結構いる。自分的にはコケティッシュというよりコッケイだ。
ちなみにこのパンティー、洗って繰り返し使用できるという。いちいち捨ててたらビンボーになる。2013年5月、美容展示会で限定発売したところ400枚が即完売。この人気を受けて、webshopがオープンした。近年、テレビは「流行ってる」とか、「人気上昇中」とか大げさに言って、ネタのものしか紹介していないので、あんまり信用しない方がいいと思うのだが…。
下着は機能性や肌への優しさを突き詰めていくべきで、それが本来の用途であろう。何でもかんでもオシャレ優先、インパクトとばかりに拘る業界のホンネは、用途・機能性以外に目を向ける女性はいるとのこと、もしくは奇抜な発想で大衆をリードして行こうという腹づもりもなきにしもあらず、と見受ける。400枚が即日完売というのは、とりあえず物珍しさであろう。
誰が履いたら似合うのだろうか?と、巡らしたら叶姉妹くらいしか思い当たらない。このパンティは一種のゲテモノだから叶姉妹?というのは否定はしないでござるよ。女性の下着を脱がすのは、男にとっての至福の瞬間(とき)であるが、脱がすから剥がす時代が到来するなどあり得ん。こんなの履いて(付けて)きた折にゃ、「バカかお前は?」とコキ降ろしてやれ。
このようなゲテモノ下着は、果たして下着なのかと言っておきたい。目の前の女が付けていたなら、やる気も失せ、げらげら笑ってオシマイさ。「おまえはパンティーのつもりなんだろうが、こちとらまるでおむすびのノリだわい。いくらしたのかそんなもん、二度と見たくはねーぞい」と口にでそうだ。そういえば、おっぱいに貼るブラがあったが、あれは需要あるんか?
下着販売関係でないからワカラん。女性の下着の歴史を問うとき、下着メーカーのワコールが1961年4月から連載を始めた、『下着の変遷史』にこう記されている。「人間の肉体が全身毛で覆われていたとしたら上着も下着も要らない」。これは、人間が今日のような姿になったことで、何かしらを身につける習性が生まれ、下着を含む様々な衣服形態がつくられていった。
下着の歴史は、正に人類の歴史と共にある。パンツを履かない日本の和服にも腰巻という下着はあった。『下着の変遷史』創刊翌月号には、「下着発達の歴史的な起伏の中で、ルネッサンスほど急激な変転をきたした時期は、他に見出すことは出来ない」とある。ルネッサンス時代に、下着は肌を保護するものから、人体美形成のためのものへと急激に変化した。
こうして女性の体型のシルエットをつくる新しい下着が次々に生まれた。女性が下着によって体型を整えることは今は当たり前だが、ルネッサンス時代に始まっていた。当時、上流階級の女性達のドレス・スタイルに「コルセット」は、貴族社会への憧れのアイテムでもあった。そうしたなか、コルセットのないスタイルのデザインが、ポール・ポワレによって生み出す。
そんなコルセットを、「女性の身体を締めつけ、動きを不自由にするだけのもの」とし、ファッション業界から追放したのがココ・シャネルであった。「私の生き方そのものがモードだった」という名言を残しているシャネルは、ファッションデザイナーとしてだけではなく、生き方そのものが女性にとってカリスマ的な魅力を持ち、多くの人に愛されている。
女性からコルセットを永遠に追放したシャネルは、「女性達の身体だけではなく精神も解放したデザイナー」と呼ばれている。シャネルは第一次大戦中、戦争で男性がいなくなり、今まで男性が働いていた職場で女性が働かざるを得なくなっても、相変わらず長い裾のドレスで不自由そうに裾や袖を手繰っているのを見て「着飾るためではなく生きていくための服」を提案。
足さばきが良いようにと裾は引きずらず、ふくらはぎの手前までにカット、袖口にも余計な装飾は施さず細めの袖で働く時に邪魔にならないようにデザインをした洋服を発表した。さらに、当時は男性用の下着にしか使用されていなかった伸縮性のあるジャージー素材を用いた大胆な洋服を発表し、今までのファッション業界の常識を完全に打ち破った。
コルセットは実用下着というより、ボディラインを整え、衣類の美しいシルエットを造り出す。ファンデーション(補正が主の下着)である。現在でも世界的なメーカーとして、MARUKO、コレール、ブラデリス、トリンプ、ワコール、アツギ、木屋等が製造している。ブラジャー、ウェストニッパー、ガードルなどは、現代の代表的ファンデーションといえよう。