欲望と幸福はただならぬ関係にあるが、欲望の充実が幸福ではないと定義した。後は劣等感をどう克服するかという問題だ。器量が悪い、チビだ、デブだ、才能がない、学歴がないなど多くの劣等感の種が幸福の障害になる。自分は自分の嫌な面を除いていくのを楽しみとしたが、劣等感を除いて行くのは楽しみとできるだろう。顔を整形するだけで気持ちが変わるという。
昔は整形といえば大変なことだったが、最近は技術も進み不安もなくなったことで、頻繁に活用されているというが、基本的なことは、「劣等感はなぜ起こるのか」である。さまざまな劣等感にはそれ相応の解消の仕方があると思われるが、人間の真価について思考するのも大事なこと。真価とは値打ちともいうが、「人間の値打ちとは何であるか?」を考えてみる。
才能、容姿、学歴、貧富などについて徹底的に考えることで、それらが人間の値打ちとは何の関係もないことが分かってくる。先ずは容姿・容貌だが、これは親から譲り受けた先天的なもので抗うことはできない。才能はある程度自分の努力で磨けるが、生まれながらの鈍才を秀才にはできない。学歴も家庭の事情もあれば、教育制度の欠陥などから批判は可能である。
本人のせいとならない制度の欠陥や問題点を恥とする理由はないが、もっと大事なことはありのままの自分を愛すること。そのためには親がありのままの自分を愛してくれたかの問題も大きい。つまり、劣等感というのはもっとも身近で信頼できる親が作っている部分も大きい。さらに人間として考えるべきは、「人間の値打ちは何で決まるのか!」という独自の視点をもつことだ。
恋愛ついて性について語るのは、人間について語ること。どちらも男女がするものだからそれらは否定はできぬものの、あまりに直接性も持った楽しみは真の楽しみではない。むしろそれ以前の、その周囲、周辺をめぐっての様々な楽しみに浸るところに真の快楽がある。若さというのは率直さでもあり、年代にもよる感じ方の相違もあろうから、若い人には爺の戯言に聞こえよう。
ユニークな思考で読む者を楽しませてくれるモンテーニュ。彼の随想にはこんな記述がある。「われらは丁度いろいろな御門や通路を経て、長き趣きのある廊下を通って、幾度も幾度も折り曲がって、やがて壮麗な宮殿の中に導き入れられるように、恋愛に連れていかれるのを喜ぶべきである」。拙速を戒めているのだろうが、こんな文章が書ければ書く楽しみも増すだろう。
彼は時間をかけ、趣向をこらし、回り道をして恋の殿堂に導かれるを善しといっている。いかに愚劣で不潔な恋愛をしようと自分の恋だけは素晴らしいと思っている。愚劣で不潔な恋の定義も難しく、そんな恋愛があるのかないのかわからぬままにだが、純潔教育を受けた世代だから、女性は結婚まで処女は守るとか、若い娘が遅くまで外でウロウロすべきでない時代であった。
結婚すると人は、「おめでとう」というが、離婚した人に、「おめでとう」はなかろう。そうはいっても、「おめでとう」をいって欲しい人はいるんだろうし実際にいた。自分は躊躇わず、「おめでとう」といってみたら笑顔が返ってきた。良い触れ合いだなと実感した。自分の幸せを求めるという意味では結婚も離婚も同じはずなのだし、そもそも結婚というのは制度でしかない。
同棲が色メガネで見られなくなったころ、同棲に踏み切った女友達がいた。彼女は流通関係の仕事で土日は休みではなく、彼は土日やすみだからなかなか会えない。それで同棲を始めた。相談がきたとき、自分は結婚よりとりあえず同棲を奨めた。理由は、結婚は制度に過ぎず紙きれ一枚と印鑑があればいつでもできる。が、彼女の周辺は大反対したらしい。
「なんで?」と聞くと、「一緒に住むだけだったらそのうち飽きられてポイされるよ」てなことらしい。彼女は33歳だったし、田舎の親のことも頭を過り、結婚に突入すべきか迷っていたが、「あわてることはない。いつでもできる」との自分の言葉に理解を示した。彼女の友人・知人も世間であり、もちろん自分も世間の一人だが、彼女の友人と自分は違う世間である。
何がいいたいかといえば、結婚なら誰もが公に祝福できようが、同棲を祝福することはない。だから…?彼女がそんなようなことをいった時、世間の祝福なんかどうだっていいんじゃないか?「飽きられる」だの「捨てられる」だのと、心配のように聞こえはするが世間とはそういうもの。彼女の友人は、いかにも恋愛で損をするのは女性と決めつけていた。
同棲して男からポイされた女性は被害者なのだろうか?であるならどういう被害を被ったんだ?自分は男目線でいってるのではなく、「世間の目」とやらはいつまでたっても女性を受け身にさせてしまっていることへの腹立ちだった。恋愛は対等に行うものだから、「捨てる」という言葉は馴染まない。「女に捨てられた」とうなだれ、悲愴感丸出し男にいったことがある。
「アホかお前は…。何で女に捨てられたと思ってるんだ?段ボールに入れて広場に捨てる子猫じゃあるまいし、お前はそんなんじゃないだろう。女はやられ逃げしたと思え、そんでさっさと別の女を見つけろ!」。全然キツイ言葉とは思わないし、「女に捨てられた」は男として情けない。一番いいのは、「飽きた」と思うこと。「飽きた」で別れて正解。もし結婚してたら離婚だろう。
「飽きても、終わっても」だから同棲が正解である。「婚姻届けを出したいと思えば出せばいい。それを出す前に互いが別々に住むことになるかもしれない。だから流動的でいいんじゃないか?」自分は率直な言葉を沢山投げかけた。男女関係なんか不確実の極みである。愛情は生ものだから腐ることもあろうし、日々変化していくのは当然であって怖れることはない。