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「幸福について」究極論 ②

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人間は誰もが夢を抱き夢を見る。大切なことだが、夢のとおりにならないもののもっとも顕著なのが結婚であろう。「どうにも思いのままにならない」と捨て鉢にいう人間の多くは諦め加減である。が、思うようにならぬのが人生で、そのときどうするか?ささやかな幸福を見つけるよう努めることだ。うまく事が運ばないときこそ、人間は幸福を見つけやすいといっておく。

反対に何もかもが上手く運んでいるときの人間は幸せの絶頂にいるように見えるが、いつ襲ってくるか分からぬ反動への準備ができていない。人は一気に奈落の底に落ちる原因は対応力の誤りではないか。苦労を重ねてきた人間の強さはこういう時にあらわれる。親の事業を三代目が潰すという事例は結構ある。先代の苦労を多少なり知るのはせいぜい二代目がいいとこ。

すべてのお膳立てが揃い、後は箸を持てばいいようになっている三代目に危機が及ぶのはいかにも分かりやすい。「苦労を知らないから」といわれる。言い換えれば、「苦労を知らないで幸福にはなれない」と聞こえる。ならば、「幸福は苦労がもたらす」という風にも聞こえる。正しいとは言わぬまでも間違いではなかろう。苦労をすること?幸福を求めること。

鎖で繋がれてない自由な状態も幸福の要素である。最近、将棋をする機会が一時期にまして増えたのは、したいことを減らしていった結果で残ったもの。ふと目にした超巨大豪華客船の旅に興味が行く。そこで頭に浮かんだのが、公民館でやるよりも気分が変わっていいのではないかと将棋仲間に声をかけた。「豪華客船で将棋三昧の旅をしませんか?」これも生涯の思い出の一つ。

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「50万あれば十分」といってみたが、「無理無理、そんな金を嫁がくれるはずない」。都合3人に声掛けしたがいずれも、「嫁が」、「妻が」、「家内が」であった。みんな自由がないと感じた。それほど大金か?「行って楽しんでらっしゃい」という妻がなぜいない。誰もが女房の尻に敷かれ、自由もなくてどこが幸せか?高度経済成長を支えた男たちの末路がこれか?

そんなことを感じた。自分が同じ立場ならとてもじゃないが幸福感に浸れないが、彼らが幸福感を求めて脱却・奮起しないのは、現状即ち幸福感と察するしかない。諦めも含めて現状を変革する行動をおこさぬのは、満たされぬ現状を満足する幸福感だろうと感じた。人間は、これがいいとは思っていなくても、これまで生きた生き方を容易く変えられないものだ。

自分が自分を作ったのではなく、女房に作られてきた。そうして気づいた時には自分の内に社会が存在していることに自身が気づく。もはや自分の内なる社会を壊すことができなくなっている。こんな社会は認められないと思わぬ限り、社会と対峙はできない。身につけてしまったものの恐ろしさを感じさせられたし、そんな妻を伴侶として生きる男はカスに思えてしまった。

数日たっておもむろに、「Nさん、人生幸せでしたか?」と聞いてみた。「幸せだった。いい時代を過ごさせてもらった」と彼はいう。つまり、「あなたは幸せですか?」と問われて、「私は幸せです」と答える。おそらくこれは、教え込まれた幸福感を述べていると思われた。自分が問われたならどう答えるだろうか。「幸福がなにかよくわかりませんね」というのだろうか。

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平凡に生きることを幸せというならそれとて幸せだろうが、少なくとも「幸せです」と答えるならばそこには決然たるものがあるべきだろう。もしくは、幸せになってやろう、自由を獲得しようという闘志があっていい。自分のお金は妻のものではなくて妻のお金は妻のもの。こんなことは考えられない。なぜ、自分で自由にできるお金をこの人たちはもたないのだろう。

豪華客船の客室で将棋を指さなくとも、無料の公民館でやれるし、「妻はそれなら許してくれる」というのは世界がまるで違っている。我が家は独立採算制である。かれこれ30年くらいになろう。互いがいくら所有しているかを知らない。知りたいとも思わないので詮索もしない。互いがお金を自由に采配し、それで何の問題もないが、どちらかが一方的に握るのは不自由では?

そう思うのが自然でないのか?拘束され、束縛された人生が幸せとうっても、客観的にどちらがいいかを吟味・検討すれば、自由采配がいいに決まっている。それぞれが築きあげた夫婦のことは他人には分からない。分からないならクビを突っ込まない方がよい。他人夫婦に善悪の価値観を抱くのもよくない。今回、自分に当て嵌めて考えてみたが、そんなことの必要もなかった。

自分が作った夫婦関係は、自分にマッチしたものを作ったということになる。亀井勝一郎は幸福な家庭を作る4つの条件を述べている。①職業への情熱。②両親がともに奉仕の対象を持つ。③ささやかな幸福を最大限に喜ぶ。④親子の間が友人のようである。などだが、自分の家庭はお互いが生き易いようにどちらかの主導のもとに作ればよく、普遍的なものは論理でしかない。

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ただし、妻主導で作った家庭に納得できないものが多い。夫や子どもがんじがらめに不自由にして満足を得る妻を男は許すべきではなかろう。逆に夫が無茶苦茶な家庭を作るのもよくない。明晰なリーダーとは、互いが無理なく遜色なく生きて行けるように配慮すべき。「喧嘩の原因はお金のことばかり」という妻がいた。「理解できない」といったら不思議そうなな顔をした。

彼女はそれくらいに不思議だったのだろうが、喧嘩の原因がお金というのはこちらも不思議であった。統制とは「好き勝手」であってはならぬが、無理な締め付けもあってはならない。統制を道徳とすればなし得たように思うが、それは無能者の道徳依存に過ぎない。道徳に偏らず、締め付けもない現状を造るのが有能者の証なら、ひょっとすると自分はそうだったかも。

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