眺めて感じることは独身者には二通りある。結婚を望まぬ人。結婚したくてもできぬ人。前者は意志や覚悟、後者は性格的なものが起因する。「今のままでよい」と思っている現状維持派は前者に入るが、いつ頃じゃらいからそうなったかということもあり、結婚を望むもできなかった時期があったのでは?しかし、そのまま歳を重ねれば、「もうこのままでいい」と諦めムードのケース。
人間は孤独を避けるものだろうから、孤独が犯罪をもたらすといったのは、E・H・フロムで、彼は独自の観点からナチズムの社会心理を分析してみせた。孤独という言葉を意識したのはいつごろだろうか。一人でいることを苦にした事はなかったが、他人といたり集団でいたりすると、おちゃらけたり、違う自分を発露させていた。そうした違和感がさらに孤独を要求した。
孤独に苛む者の多くは、ただ手をこまねいて誰かがやってきて自分を労わってくれるのを待っているようでもある。にも拘わらず、誰も来ないことで自分は孤独なのかと思ってしまうが、これはいかがなものだろう。自分を慰めてくれる人、追従する人のなかに身を置くことによって、孤独から逃れようなどはいかにも虫が良く、真に孤独を望まぬなら自ら討ってでるしかなかろう。
徒党を組み求めるのも同様の種族で、徒党というのはその一面からいっても、孤独に絶えざる精神の休息場。徒党を組んだり自由に身動きできない集団行動が好きでない自分は、孤独はむしろ安心の場、休息の場所である。他人といるときは外向的な部分で接するが、本来は内向型である。お見合い体験をしてみたいと思っていたが、「冷やかし半分でするものではい」と制止したのは父だった。
確かに冷やかしの部分はあったし、父はそこを見抜いていたのだろう。自らが口説いた女性より、見知らぬ相手によそよそしい刺激を感じた。一緒に映画に行く、散歩にでかける、ドライブする、訪問し合うなどのぎこちのなさに加えて興味深いのはナニをするとき。ナニとは何?ナニで分かろう、だからナニだがそれを致して別れたら、「やり逃げ」と責められることになるのか?
友人から「どう思う?」と聞かれたことでもある。こんな風に答えたと記憶する。「拒否する女を無理やり押さえつける行為をしておきながら別れるなら別だが、相手も了承したならやり逃げとは違うだろう」。男が「やる」、女が「やられる」の語源は双方の性器の形状からも伺えるし、確かに男は力もあるが、女の又の力と書いて「努力」という。抵抗は可能であろうし法の味方もある。
結婚式の男女を見ればまさに幸せの絶頂、これ以上はないかも知れない人生最大の演出が執り行われる。そのままで行けばいいが行かないことが問題だ。「東大卒と中卒同士の結婚はありえるか?」てなことを提示する奴がいた。面白いので話に乗るが、自分の意見は他の誰とも違うとよくいわれた。自分はこういった。「ブスとイケメン、美女と野獣と同じ。双方がいいなら問題なかろう」。
結婚生活を左右するのは感情である。二人の感情がうまく溶け合うかどうかが成否を決める協同生活といって間違いはなかろう。東大出の夫だからと、一から十まですべて正しいと納得する女性などいないし、ノーベル賞受賞の夫でさえ、風呂掃除やゴミ出しをさせられていることもあり得る。夫婦とはそういうもので、二人の知能や知識がどういう水準にあるかということではなかろう。
そんなことより二人の感情の質はどうなのか、どんな感情の動かし方がされるのかが重要である。一般的な夫婦喧嘩の100中99までが感情的なもの。夫婦間に問題はつきものでもその都度解決するしかない。独身覚悟で生きれば夫婦のいざこざは無縁であるが、それとなく引け目を感じるのは事実のようで、無言の社会制裁を感じることはあろう。特に男が50歳で一人者では社会の目は冷ややかとなる。
妻帯者に比べて身軽な独身者で生活苦はなくとも、離婚して生活苦にいたる母子家庭は大変だろう。社会整備は整っているが困窮をものともせずに精一杯に生きるシングルマザーを知るが、すべては自分が起こしたことと責任転嫁をせず、身を引き締めているところがクレバーで、「どんな苦労も子どもを育てる喜びに比べれば…」の典型である。プラス思考は窮地にあってこそ生かされる。
独身女性なら味わえない労苦であり、幸福感でもある。40歳前の独身女性に青春の悔いを聞いて身につまされたことがある。話の内容を一言でいえば、「初恋に破れて」ということ。花から花へと飛び交う蝶とちがって、思いつめた相手と別れた後に一切を引きずる女性もいるようだ。誰もが感じ、誰もがいうのは、「男なんて腐るほどいるじゃないか」だが、この言葉が耳に入らない。
別れた男が原因で独身を貫くなどは何とも勿体ないが、勿体ないは他人の見方ともいうが、異性に対する愛情なんて一度燃え上がってそれが消えてもすべてが喪失するものではない。幸か不幸か我々は何度も恋ができるようになっている。にもかかわらず朝に夕にくよくよ過ぎ去った恋人を思いつめて得はなかろう。というようなことを山ほどいったが届かなかった。