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不平と不満と不倫のこと

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人と交流すれば様々な不平を知る。自分に不平は特にないが、他人の不平や底なしかと思える不満を聴いて驚いたりもする。「不平・不満もここまでくると地獄だな」と思うが、本人には正当な不平のようだ。どうやら人間というのは死ぬまで不平をいいつづけるものなのだろうか。他人の不平の凄さは面白がるしかないが、不平の種とはどうやら二種類に分けられるようだ。

自分を省みて仕事や行いや性質や容姿などへの不平と、自分のことは棚にあげて、夫(妻)や友人や他人、環境や社会に対する不平だ。どうにも始末が悪いのは後者の方で、こういう習慣がつくと、ありとあらゆるものに対して、ああでもない、こうでもないと不平や不満をもらすことになる。正当な不平(批判)ならともかく、他者への羨望と思える不平というのは不幸に見えてしまう。

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そうしたものを戒めるためには自分のことを棚にあげない意識(思考)を働かせるしかないが、なかなかそうはならないようで、そういう人は年がら年中、「隣の芝生は青い」的な不満が宿る。芝は冬には枯れるが、年中枯れない芝なら救いようがない。ブログを憂さ晴らしとして利用する人に結婚生活や仕事についての不平が多い。憂さ晴らしはストレスを溜めぬ意味でも必要であるが…

そうはいっても毎日の度を越えた憂さ晴らしはどうであろう。それでも共感を抱く人もいるが、「みっともないからおやめなさい」などの無用な忠告を書き込む人もいる。無用である理由は、見知らぬ他人だからである。見ず知らずの他人に忠告する自分は何なのか?を考えていない。批判や非難するより、同情や共感から人間関係は生まれるが、同情を基盤にした関係は他愛ないものだ。

ネット内の人間関係は他愛なきものでいいが、真の「共感力」をネットで構築しようとするのは難しい。他人にちょっかい出しやすい性向の人間は、行為の前に少し考えてみるだけで、いかに自分が無用で余計なことをしているかを知ることになる。そう考えて他人への書き込みを無用と感じたが、嫌味を書いて相手をイラつかせるような底の浅い人間もいる。

それはもうつまらん人間まっしぐらである。結局いじめの論理と同じこと。「そんなくだらんことするな!」と誰から咎められないからやるし自制もない。心ある人間から指摘されれば、「うるさい。お前には関係ないだろ?黙ってろ!」と反抗する。あおり運転行為者も行為中は悪い事など思ってないし楽しくて仕方がない。警察に逮捕され無様な醜態をさらせば多少は判るのだろう。

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「自制心」がいかに大事か。それが社会に生きる者の義務であろう。しかし、自制心ほど難儀なものはない。政治家や官僚が賄賂にまみれるのは決して自制心がないのではなく、彼らはお金が好きで大好きなのだから、道徳がどうの倫理がどうのと指摘するのではなく、「お金を嫌いになりなさい」というべきで、そういう政治家には、「あんたはお金が好きなんですね~」と笑ってやれ。

昨今は不倫が「文化」といえるほど大流行りだが、これも自制心は難しい。他人の前では壊せられない自制心は陰で行うもの。賄賂というのは公務の廉潔を保つために抑止すべき刑事罰を科すが、不倫に違法性はない。こちらも「SEXを嫌いになりなさい」がもっとも抑止に適切な言葉だが、倫理にあらずということで不倫という。政治家の収賄も同じ意味で不倫だがそうはいわない。

列記とした犯罪だから「不倫」などと悠長なことをいってる場合じゃないのだ。したがって、違法でも犯罪でもない男女間の浮気は、「不倫」といって嘲笑すればいいが、本当に嘲笑できるかは疑問だ。誰もSEXが嫌いなものはいない。だから、せいぜい自分のことは棚にあげて他人の不倫をあげつらう。これほど欺瞞に満ちた羞恥はなかろう。賢い人間は他人の不倫を黙すことになる。

誰にも下半身がありながら、他人の下半身をあげつらうのは羞恥の極みといっておく。そういう暇があるなら政治家や官僚の収賄に目を向けるべきだが、下半身を問題にする人はいかにも下半身が大好きと自ら公言している。そういう人たちは自身の空腹を満たすために、他人を餌にしているに過ぎない。我々はじっとしていても腹がへるのに、動かねば食えない。だから働くのだ。

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「沈黙は金」とし、無駄口など叩かずとも誠実に生きていけるのに、他人を嘲て生きる糧を掴もうとするのはなんと浅ましいことか。つまらぬ生き方の代表であるが、ネット時代に入って多くの人間がそれに参加を始めている。不倫と一緒で顔を袋ですっぽり隠せるからであろうが、著名人が顔出しでそれをやるのは著名人という驕りと商売としての売名行為で、どちらも浅はかである。

名まえが消えること、とり上げられないことが著名人には苦痛の極み、だからせっせと他人の悪口をいい合っている。すべてはネット社会が生み出した負の遺産。こうした混沌とした社会、殺伐とした人間関係のなかで、どう自分を貫くのか?が問われている。「人は誰も他人を犠牲にしてまで自分の楽しみや利益を追求する。共に生活をする相手にさえ、常に自分を優先する。

それが不平や不満の大きな原因となりやすい。人間が考えておくべきは、相手は論理(理性)の動物ではなく、感情の動物であること。さらにその動物は無知で偏見に満ち、誇りと虚栄心を腹に隠しもっていること。自身も含めた人間の観察とはそういうものであるということ。若い日の不安と疑問は、未熟な青春のたゆまぬ意志であり、ゆえに苦悩と思索は真実を求めて止まぬものであった。

経年で多くのことに理解を得、無知が叡智となれば相応の生き方も生まれてこよう。未だ努力の過程であるから、実行はおぼつかぬとはいえ、多くの問題意識を持つか持たぬかだけでも人間は違いが出る。「違いの分かる男。男は黙ってサッポロビール」ではないが、キリンであれアサヒであれ、違いの分かる男を生きればよかろう。ちなみに自分は下戸だから清涼飲料水にする。



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