書けど書けども書き尽くせない人間関係だが、「依存心」というのは重要なキーワード。人間は孤独ゆえに依存を求めるが、依存が自立を阻む。水と空気への依存はさておき、人間の生は楽しみ宝庫だからか様々な欲が助長される。動物は生殖のための交尾でしかないし、生きるためだけに必要な量を食べるが人間は食べ過ぎるし、やり過ぎるし、節制は難しい。
食欲・性欲は人間ゆえの欲望か。ペットの肥満を自慢する飼い主がいる。笑いの種にはいいが、動物の本能習性に人間が手を加えて喜んでいるのはいかがなものか。飼い主が愚かであれば動物にも伝染するだろう。幼くして今川氏の人質として預けられた竹千代(後の家康)は、寒いといえば着せられ、腹がすけば御馳走たらふくの腑抜け教育に甘んじなかったという。
なんと利発な子どもであったろうか。飼い主がご馳走たんまり餌を与えようと、「その手は桑名の焼き蛤」と遮断した竹千代の理知に驚く。いろいろな視点から動物を眺めていると、なんとも人間は動物より愚かであると感じることがある。動物は人間より偉ぶったりはしないが、心の中で「ホント、バカな飼い主だにゃ」と思うペットがいたら面白かろうに。
「私が人生を知ったのは、人と接したからではなく本と接したからである」という言葉がある。有名かどうかは別にして。司馬遼太郎も、「学校には一切価値がなかった。図書館と古本屋だけで十分だった」と言い残す。教わることも大事だが思索が大事と司馬はいうが、人と肌触れ合わぬ世界に生きたいとは思わない。上の言葉はどちらも後の作家の言葉である。
実体験なくともイマジネーション豊かなら作家になれようが、原体験は人に多くをもたらす。『書を捨てよ、町へ出よう』を著したのは寺山修司、「それを実践すればこの本は読むことが出来ないだろう?」という友人に、「そんなことはない。町へ持ってでればいい」といい返す。書かれた時代は古い(1967年)が、平均からの脱出、既成概念打破への思いは伝わる。
“ああいえば交友録”の懐かしい思い出。本のない世界も実体験のない世界も考えられない。どちらも閉ざされた世界である。時に人は極端なことをいいもするが、極端をそのまま受け入れる必要はない。情報社会である以上、SNSの普及で小さなことにも、ああでもないこうでもないといちいち口出す外野が多く目障りである。が、気づけば自分もその一員だった。
自立の必要性からいえば依存心が問題となるが、それに気づいたとしても実践できるのか。動物の生態を眺めていると、親が子の自立を非情(人間から見て)なまでに促すさまに感動すら覚え、子育てに活用した。今の時代に教育といえば、勉強以外は見向きもされぬ傾向にある。「教育の目的は子どもを自立させるため」といわれた時代はつい数十年前であった。
志と心掛けさえあれば人間は永久に成長するが、年齢の応じて、それぞれの時期に応じて、自分の成長度合いを知るのは困難だろう。人間が一個の人間として形成されるためには、自分自身の力では及ばない。必ずや外部の誰かの力を必要とし、それが先生であったり、先輩であったり、友人とか仲間という身近な人間関係だったり、さえあには書物だったりする。
人はその生涯において影響を受けた人物や、書物に触れて目が開かれる場合がある。論語にいう、「朝に道を聞けば夕べに死すとも可なり」というのは、なんと飛躍した言葉と思っていた。これを「死すとも可なり」にのみ重点を置くとそんな風に感じるが、「道を聞けば」に重点があると考えれば、「可なり」は喜びの端的な表現となる。これは孔子の幸福論だろう。
人間関係には一方的な関係もあるが、友人・知人とのもたれ合った関係に深みを感じるのは互いが対等だからだろうか。互いが啓発し合い、支え合い、慰め合うのが良い関係とされるが、ふと疑問に思うのは、人は人を本当に慰めることができるのか?自分は人から慰められた経験がないこともあって、人に慰められるのは、慰めを望み期待するからなのか。
そういう気持ちになったことがないし、それもあってか、他人の不幸や失意の人に慰めの言葉をかけるのを好まない。ニーチェの言葉に影響されていたのかも知れない。彼は世俗的な善悪の世界を超えた彼方にある世界を求めたが、真に心やさしい人間が時に冷酷と誤解される。ニーチェが本当は心やさしい人間だと知った時、はじめて彼の苦悩の一端が理解できた。
「友人の堅い寝床となれ」には驚くしかなかった。初めて目にし、「そういうものか?」であった。が、成長するにつれ理解を得る。口に出していう慰め言葉の多くには、どこか空虚さが感じられる。たとえば人の死を弔うような場合、どうしたらいいものだろうか。「ご愁傷さまです」、「お悔み申し上げます」などの便利な言葉があるからそれで済ませるが、なければ大変か…