定期ではなく読みたい記事があるときに買う「文藝春秋」誌。1923年大正12年1月、文藝春秋社として菊池寛が創業したが、1946年昭和21年3月、戦争協力のため解散を余儀なくされるも、佐佐木茂索をはじめとする社員有志により同年6月、株式会社文藝春秋新社が設立され、1966年昭和41年3月、現在の社名に改められる。芥川賞や直木賞など多くの文芸賞を手がけている。
「文藝春秋」の記事には驚かされるものが多かったが、1980年8月、三億円事件のあの有名なモンタージュ写真が、三億円事件前に事故で死去したある工員男性の顔写真を、ほとんどそのまま使用したものであり、作家・小林久三氏とジャーナリストの近藤昭二氏が「文藝春秋」に発表した「『顔』の疑惑」というレポートとともに工員の写真が掲載されたのは驚いた。
なぜそのようなことになったのか?現金を強奪された4人の銀行員は犯人の顔をほとんど見ていない。しかし、警視庁鑑識は素早くモンタージュを作る必要があった。銀行員らは事件直後に容疑者として浮上した少年Sが犯人に似ていると証言していたが、少年は現職警官の息子であったため顔写真を使うわけにいかない。そこで少年に似た人物の顔写真をそのまま無断使用したという。
モンタージュ写真はインパクトがあったが、捜査本部は1971年に「犯人はモンタージュ写真に似ていなくてよい」と方針を転換、問題のモンタージュ写真も1974年に正式に破棄された。警視庁はこのことを公式には認めていない。が、このモンタージュ写真のインパクトに引っ張られ、それが捜査に影響を与え、犯人像に対する誤解を生んでしまったのは事実である。
白バイ警官姿でない普段着のモンタージュ写真に使われた工員の写真を見せたある友人は、「これは凄い!この雑誌は価値があがるぞ」と言ったのが印象的だった。「そんなに言うならお前にやるよ」といったが、かなりの数が発刊された「文藝春秋」にプレミアムなどつくはずもないと自分は踏んでいた。それより、警察ってこんなインチキやるんだという驚きだった。
「三億円事件」の犯人はその後、例の白バイ警官の自殺した息子の少年Sであることがほとんど確定したようだが、まあ殺人でもない傷害でもない、3億円は保険に入ってたから「実害」はない。あれだけ「遺留品」があるのに犯人まで辿れないのが不思議。モンタージュが「別人」とはお笑い。警察が「本気」で捜査していたのか?という疑問だけが残っている。
「文藝春秋」誌の記事でもう一つ驚いたのは、1998年3月特別号の「少年A 犯罪の全貌」と題した「神戸児童連続殺傷事件」の犯人とされる少年の供述調書の掲載であった。門外不出のはずの検事調書7通が公表されたことに世間も自分も驚いた。この検事調書を掲載するにつけ、当時の平尾隆弘編集長はジャーナリストの立花隆氏に相談した事になっている。
検事調書掲載の前文「正常と異常の間」を書いた立花氏は経緯をこう記している。「数日前の深夜、「重大なことで、どうしても相談したいことがあるから、今から行ってもいいですか」と、(平尾編集長から)電話がかかってきた。声の調子が異様だった。長年のつきあいだから、声の調子で彼がどういう心の状態にあるかすぐわかる。(中略)「何なの?」と聞いたが、「会うまでいえません」
と、さらに真剣みをました声でいったので、それ以上は何も聞かなかった。それから三十分もしないうちに彼は仕事場にやってきた。そして、神戸の小学生連続殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗こと少年Aが犯行を自ら全供述している文書が手に入ったのだが、これを雑誌に載せるべきかどうかをめぐって、いま社内で大激論がまき起こっているという情況を話してくれた。(中略)
立花氏はこの検事調書を提供した何者かについてもこう弁護している。「提供者の意図は事件の内容を広く世の人に知ってもらい、あの事件のことをもう一度考えてもらいたいと思ったのだと思う。もしその人が公務員なら、公務員法の"職務上知り得た秘密を守る義務"に反することになるだろうし、弁護士などであれば、秘密漏洩罪に触れることになるだろう。
しかし、その人は、こういう危険が自身の身にふりかかる可能性があることを知った上で、それよりこれを世に伝えるほうに大きな価値があると思って文春側に資料を提供した確信犯なのだろうと思う。(中略) 文春社員が自分でどこかに行って盗んできたというならともかく、第三者から資料提供を受けて、それを発表するという行為には、何一つ違法性はない。
それは憲法二十一条によって強く守られている出版の自由権そのものの行使だから、この行為に誇りを持ちこそすれ、恥ずべき点は何一つない」。立花氏に限らず、頼まれれば誰でもこのように書くだろう。まさか、「資料提供者はおそらく金銭目当てであり、数百万、いや一千万それ以上の報酬を手にしたのではないか?文春側もこれはかなりの部数発行を期待したはずだ。」
などと書くはずがない。が、おそらく本音はこちらであろう。そして最後にこう結んでいる。「私は長いジャーナリスト生活において、何かあることを報ずべきかどうか迷ったときのチェックポイントはただ二つだけあると、先輩たちから叩き込まれてきた。その二点とは、「それは内容において真実か」、「それは社会的に報ずる価値があるか」である。
この文春の報道がその二点をクリアーしていることは明らかである」。と立花氏の取ってつけたような記述だが、文春側の意図は、少年法の改悪にむけて一気にはずみをつけようとの面と、A少年の「異常さ」と「残虐さ」を世間に強く印象づけることを狙ってなされたのは明白である。また、後で巻き起こる漏洩問題から立花氏の権威を利用したのだろろう。
立花氏は前文で少年Aを次のように書いている。「少年Aは、正常と異常の微妙な境界状態のところにいる。いわうるサイコパスといってもいいかも知れない。調書を読むと、自分の犯行を語っていくところなど、冷血そのもので、人間性のかけらもないように見える。(中略)「懲役13年」の中で、彼自身がつかっている「絶対零度の狂気」とはまさにこのようなものを表現する言葉かも知れない。
(中略) 私のようにこの少年をモンスターと考えていた人の中から、やっぱりモンスターだけど、人の心の片鱗くらいはあるようだけど、ほんの少し好意をもってくれる人が出現することが期待できるくらいだろう。一般の人の少年に対する心証はすでに最悪なのだから、それがこれ(検事調書公表)によって、さらに最悪化するということもないだろう。」
立花氏は、調書公表によって少年が何の不利益を被ることがないばかりか、少年に対する著しい偏見に対し、神戸事件の真相を究明する会や人権弁護士からは非難が殺到した。「調書の公表をきっかけとして、"神戸事件はサイコパスによる猟奇的快楽殺人事件だ"といった大宣伝がくりひろげられつつあることを、私たちは黙って見すごすことはできません。
透徹した理性をもってこの一連の調書とあい対するならば、じつにこの「供述調書」は、一これを流布するものの意図とは全く逆に、--検事のでっちあげた虚構でしかないことが、鮮やかに浮かびあがってくるのです。およそ非現実的なことを書き殴ったバーチャル・リアリティの世界。色もなく音もなく匂いもない、モノクロームの世界…」などに批判を起こしている。
確かに、検事調書にみられるような取り調べは、外界から遮断された密室の中で行われることから、容疑者は特異な精神状況に追いこまれがちであること、とくに少年の場合はそういう状態が強いであろうことは間違いない。実際、様々な調書を書き上げた元最高検検事である永野義一氏でさえ、そういう指摘がなされている。
「文藝春秋」は4月10日発売の5月号において、「少年A神戸連続児童殺傷 家裁審判決定(判決)」を全文掲載しているが、「文藝春秋」によると、共同通信神戸支局のデスクとして取材に関わった佐々木央氏が、審判決定の全文にあった成育歴の大半と精神鑑定主文の重要な部分が「要旨」から抜け落ちていた、という事実を知ったのは10年ほど前だったという。
佐々木氏は事件を担当した井垣康弘元判事に「ぜひ全文を開示してほしい」と依頼、今回の掲載に至った。神戸家裁は10日、佐々木央氏、井垣康弘弁護士に抗議文を送った。神戸家裁の岡原剛所長は、「裁判官が退職後も負う守秘義務に反する行為」とした上で、「非公開とされる少年審判に対する信頼を著しく損なうもの。事件関係者に多大な苦痛を与えかねず、誠に遺憾」と厳しく批判した。
これに対し、井垣弁護士は「事件を理解する上では、決定要旨で省かれた加害男性の生育歴について、正しい情報を共有することが必要。少年法と照らしても、公開は特に問題はないと考えている」と話した。「神戸連続児童殺傷事件は、18年が過ぎた今も社会に影響を与え続けている。今回、初めて明らかにされる事件の全貌は、少年犯罪を考えるための多くの教訓を与えてくれると言えそうだ。
今年1月に殺人容疑で逮捕された名古屋の19歳の女子大生は、犯行前にツイッターで「酒鬼薔薇君を尊敬しています」とつぶやいていた。「文藝春秋」2013年8月号に、「死ぬまでSEXに発情する団塊世代」と題する記事がある。"熟年セックスブーム!"とやらが週刊誌を席巻し、「中央公論」誌もが、「人生後半戦・男の欲望は枯れない」と題する記事を掲載。
「婦人公論」は昔からセックス記事で売っているが、先日、フィリピンで少女とのみだらな行為を撮影したとして児童買春・ポルノ禁止法違反(製造)の疑いで逮捕された横浜市立中の元校長高島雄平容疑者(64)のお元気なこと甚だしくだが、結局こういう人たちは若い頃にお盛んでなかったという事だろう。だから、本来は枯れた年齢に花を咲かせていると思う。
人間どこかで帳尻を合わすという事だ。「文藝春秋」2013年8月号はその記事がお目当てで買ったわけではなく、「激変する医療 がん治療のビッグバン」と、「記念対談『風たちぬ』戦争と日本人・宮崎駿 /半藤一利」であった。他にも読み残す記事もあり、数日前にふと目についたのが児童文学作家中川李枝子の、「大きな大きなカステラを」というエッセイである。
中川李枝子といえば、あの『ぐりとぐら』の作者であり、2013年はこの作品の記念すべき出版50年目に当たるという。「日本一の保母さんになる。」の決意で東京都立高等保母学院を卒業、みどり保育園に就職した中川は自信に満ち溢れていたという。彼女は保育園に就職して2年目に、『ぐりとぐら』書き上げた。処女作は、『いやいやえん』である。
入園の際にいきなり主任保母と言われて責任を持たされた中川に園長は、「一人も欠席する子がいない保育をする」という要望をだされていた。当時の保育園は、のんびり、ぶらぶら園児が多く、保育園に行く途中に道草したり、原っぱで遊びほうける園児が多かった。自分も記事に書いたが、毎日道草ばかりで、まともに保育園に行ったことがなかった。
中川はどうすれば保育園に来てくれるかを悩み、じっくり子どもたちを観察した。そこで気づいたのは、一つの遊びを自分のアイデアで膨らませて面白くできる子は、みな想像力が豊かな子どもであった。そこで中川は、子どもの想像力を育て、高めるのが自分と仕事と悟ったという。道草や原っぱの遊び以上に園に来るのが楽しくさせるために『いやいやえん』を書いた。
『ぐりとぐら』は次作にあたる。ヒントになったのは『ちびくろさんぼ』で、最後のホットケーキを食べる場面は、当時ホットケーキを食べた子どもはほとんどなく、トラがバターになって169枚のホットケーキができて子どもは大喜び。もっともっと子どもたちにホットケーキを食べさせてあげたい、食料事情がままならぬ時代の李枝子の切なる願いがそこにあった。
それが「大きなカステラを」のアイデアとなり、大きな卵でビックリさせ、卵をさらに大きく見せるために、小さな野ねずみを主人公にした。「ヘンゼルとグレーテル」のお菓子の家は、多くのこどもに夢を与えたようにである。2014年2月1日、スタジオジブリの宮崎駿が東京都内で中川李枝子さんと対談をした。宮崎が公の場に姿を見せたのは昨年9月の引退会見以来だ。
中川さんは『となりのトトロ』の主題歌「さんぽ」の作詞を手がけるなど、宮崎氏と親交が深かった。対談で宮崎氏は「中川さんの『いやいやえん』を読んで衝撃を受けた。主人公が冒険に出かけると、普通は賢くなって戻って来るものだが、中川さんの本では全然賢くならない。何も意味を持たせないところがすごい」などと、なごやかなムードで語り合っていた。
『いやいやえん』は、主人公しげるが通う保育園のお話が5話収められている。短いお話も長いお話もあり、好きなものから読める。また、中川の実妹である大村百合子による絵も多く、簡単に読み進めることができる。 第1回(1963年)野間児童文芸新人賞受賞作品となった。妊娠したと友人に報告したとき、「産まれた子には、『いやいやえん』を買って上げてね!」といわれた。
なにか、子ども心に強烈な印象を残す本のようで、我が娘もすぐはまりました。」というレビューが印象的だ。自分は名前を知るくらいでどちらも読んではない。もはやこの年になっては、読む機会もなくなったのかも知れない。