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Channel: 死ぬまで生きよう!
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結婚する悔い、しない悔い ①

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表題について思い当たる人は少なからずいるだろう。本日は結論から書き始める。表題の真意は、人間とは「悔恨」ナシでは生きていられないということ。だから、そういう前提で人生に向き合えば悔い悩むことはない。といいたいが簡単ではない。「後悔先に立たず」というユニークな慣用句がある。なぜかといえば、物事を始める前から後悔なんかするわけがない。

へそ曲がりな自分はずっとそんな風に受け取っていた。「すでに終わったことをいかに悔めど取り返しがつかない」という意味らしい。「終わったことは後悔するな」ということ。結婚をしたことの後悔、しなかったことの後悔、どちらにも後悔があるならどうすべきか?確かな答えは、「選択」である。それなら後悔したところで、「選択したのは自分」と受け入れるしかない。

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物事が上手く行かなかったとき、失敗したときにどうするかは人様々であるが、若いころからポジティブ思考の自分は、こんな風に考えていた。「生きることは冒険よ、だから冒険を楽しめ楽しもう」。冒険だから時には崖から落っこちることもあろう、だから失敗しても死なない程度に冒険を楽しむ。成せば悔い、成さねば悔いなどと考える前に人生は冒険だと。

男の子、特にやんちゃ坊主は冒険を好む。結婚も冒険として考えられるはずだ。結婚の名言というのはいくつかあるが有名な、「結婚は人生の墓場」は誤訳のようで、結婚について偉人もいろいろ述べている。「結婚とは、真っ暗闇の中で、男と女が、おでことおでこを鉢合わせするようなもの」といったのは夏目漱石。彼は偉人の部類だが、凡人のhanshirouはこう思う。


「結婚とは、真っ暗闇の中で、男と女が凸と凹を嵌め合わせをするようなもの」。これには異論もある?「いまどき、真っ暗闇でそんなことしませんよ」などと。昔はそうでも今の時代にはそぐわない。我々の時代の初々しき大和なでしこたちは、「電気を消さなきゃいや」がお決まりだったが時代は変わった。「常識」も、「当たり前」も時代によって変わる。

昔人間が、「昔は〇〇が当たり前だったのに」といえば、「このおっさん、何をいっとん?」と現代人にバカにされよう。江戸時代の人間が現代にタイムスリップし、「昔は薩摩から江戸まで歩いたものだが、今の人たちはあのような鉄の塊に運ばれ、よくも平気でいれるなど、これはまさにふしだらの極致ではないか」などと、納得する以前に状況を理解できないだろう。

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スーパーボランティアの尾畠さんが、東京~大分までの1100kmを歩くといって驚いた人もいたが驚くことはなかった。そんなのはタダの挑戦であって、本人がしたいかしたくないかであって、できないと決めつける人が驚く。その尾畠さんが、静岡辺りで徒歩帰路を断念したときこう述べた。「人の命にはかえられんから」。一瞬、言葉の意味が分からなかった。人の命って自分の命?

言葉の真意は、彼を見つけて集まってくる群衆が道路をふさぎ、交通事故を起こす可能性をいっている。尾畠さんを批判する気は毛頭ないが、自分が始めたことであり、人だかりには口頭で強く注意を促すなども彼に課された責任である。群衆が旅の障害というのが事実であれ、自分の責任もないわけではないなら、控えたい言葉。「人の命にかえられない」は、唐突すぎる。

そこが尾畠さんと自分の違いと感じた。1100kmを歩こうと思ってみても、自分の心身の状況から途中で止めることもあるという前提でやるだろうし、途中群衆が障害になったと感じても、「人の命にかえられない」などの言葉は、いささか英雄気取りに感じる。尾畠さんにすれば配慮であり、人の考えを批判はせぬが、自分なら、「これも中止にせよとの天の声」と善意に捉える。

スーパーボランティアの尾畠さんを美しく報道するメディアが悪いとは思わぬが、それによってメディア自体がポイントをあげているのも感じられる?社会奉仕というのは、時に厳しさ求められる一面を覚悟すべきものであり、一切が自己責任の世界である。ボランティアではないにしろ、徒歩旅を止めた尾畠さんがその理由を他人のせいと口にしたのには正直驚いた。

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英雄には英雄の、正義には正義の論理があるように、昔人間は昔を基準に物事を考える。昔人間も現代を共に生きるのだから、昔基準を収めて、「昔はよかった」より、「昔はこうだった」と提示するのがよかろう。昔がよいといっても、昔を知らぬ今の若者には違和感もあろうし、必然的に無知を責められているような気にもなる。現代の若い人たちへの配慮を我々は忘れぬことだ。

昔人間にノスタルジアがあるのは当たり前。現代女性の貞操観念が昔にくらべて落ちたからといっても時代の流れであり、今の時代を基準に見れば昔が変ということになる。見合い結婚が廃れ、恋愛結婚が90%を超える時代であれ、お見合い形態は残っている。伊藤野枝らが、「自由恋愛」を求めたが、結婚の形態がどう変わろうと男女がともに生活するのが婚姻だ。

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