「悪妻は百年の不作」という。離婚後も拘わろうとする女は男にとって煩わしい。一切拘わりたくないから離婚したのだろうし、「お誉め言葉もお世辞も何もいらんから、とにかく黙って自分のことをやってくれんか?」というのが親方の正直な気持ちと推察する。終わったことを振り返ったりはない男気質からすれば、本まで出すなど思ってもないことであり遺憾ともしがたい。
離婚に際して財産分与も含め、裁判だの調停だのもめるケースもあるが、そうではなかったなら一切拘わらないでいたい自分だが、親方もそんな気持ちだろう。人間の品格というのはそのまま離婚の品格に反映する。離婚や息子の問題をしつこく追い回すメディアに対し、「家族のことですので」とコメントを避ける親方。これは外国でいう、「プライベートな問題」という拒否である。
話す必要はないということだ。情報によれば手記執筆に大層な契約があったというが、そんなのは聞かずとも分かる。だから書いたのだろう。しょぼい金額でも書いたかも知れぬが、それでは理性が働こうし、河野景子もそこまでバカとも思わない。やはり、執筆を促されるほどの金額とみるのが自然である。財産分与に加えて本の執筆と、有名人の離婚は商売になる。
書く気は毛頭なかったがついお金に…というのはいやらしく聞こえるが、女が金に太刀打ちできないなら仕方あるまい。反対に出版社が貴乃花親方の手記依頼を金で口説けるか?おそらく無理だろう。我々の知る貴乃花親方という人物の見方としていうなら、金で離婚手記を書くなどあり得ない。それは市井人の多くの貴乃花親方観であり、彼の男気であると断じたい。
離婚の手記に公益性などあるはずもないが、人間というのは、「私情のため」、「銭のため」に非理性的な行動をとりがちだ。離婚した夫の悪口を吹聴しまくる元妻は自分の周辺にもいるが、会うごとにくどくどそんなことをいうなら、周囲は徐々に離れていくだろう。自分の愚痴をいうために他人を利用していると見透かされてしまうからだ。離婚問題の渦中にある女性は悩み苦しんでいるのは分かる。
浮気しまくり、金使い荒く、おまけに暴力、こんな夫に心身をボロボロにされた妻なら、愚痴の10や20は言いたくもなろうし同情すべき一面はある。聞けば同情すれども、黙っている女性の方が素敵である。なぜなら、恋人や配偶者への文句は、そのまま選んだ自分自身への文句ということにもなる。だから相手の悪口をいうより、「なぜこんな人を選んだのか」と、自身に文句をいうのがよかろう。
それを反省というし、後悔ともいう。他人のせいにすれば楽かも知れぬが気休めでしかない。問題が解決するでもない。分かっていても女は愚痴で生きている。離婚はエネルギーがいると経験者はいう。人生の転換ということだから勇気もいるが、離婚を決意したら背筋を伸ばすことだ。そうすれば少しづつ問題は解決することになる。背を曲げ腰を曲げていては、なかなか解決をみない。
周囲が可哀そうに思ってくれる期間はそうそう長くはないし、「覆水盆に戻らず」のことわざ通りに前向きに決断すべきである。いつまでたってもグズグズする女性もいれば、決断できない男もいる。決断することがどれだけ怖いかは、決断しようとする人を見れば分かる。だからか、人はあれこれ理由をつけて決断を延ばそうとする。たちまち決断しなくていいことを人は決断しない。
だからこそ決断すべきと自らに言い聞かせていた。支えになったのは、「今日決断できないことは明日決断できない」という考えである。決断を促すためにこの言葉を糧に自らを追い込んだりもした。ウジウジする人間が嫌いなら、そういう人間も嫌いである。人は年齢とともに人間は保守的になるものだが、若いころの決断は速かった。堀秀彦の書籍にあった以下の言葉も自分を促すものだった。
「若いころに失敗の言葉はない」。言い換えれば、「怖れるなかれ、何でもやれ!」ってことだ。ゲーテもこんなことを述べている。「長いこと考えているものが、いつも最善を選ぶわけではない」。賢者のいろいろな名言が自分を動かす原動力になる。男運が悪く不憫な日々を過ごす女性にこんな風にいった。「自分を縛っているのは自分だよ。自分を超える勇気をあげようか?」
「よかったら授けてください」。「いいよ、勇気の棒を入れてあげよう、パンツを脱ぎなさい」。「えっ!」。もちろん冗談だが、この手の会話は深刻でないのがいい。離婚決断後には細々した問題や面倒な手続きは必須だが、決断までは鈍くとも、いざ決断をした女は前を向くものだ。貴乃花親方はまだ46歳。兄とともに平成の大横綱といわれ、大相撲を女性ファンにまで拡大した。
宮沢りえとのロマンスも懐かしく、お相撲さんも芸能人を伴侶に選ぶ時代の魁だった。河野景子は8歳年上で妊娠6か月の出来婚にも世間は驚いた。関取が芸能人と逢引きする時代にはなったものの、角界の古い体質は変えられなかった。貴乃花に角界の変革を期待したファンも多かったが、根回しのない正攻法な改革手法は、力士時代の取り組みそのままで、力及ばずだった。