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棚に戻すのは「店員の仕事」

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久々に面白い記事を見た。というか、これは問題提起なのだろう。スーパーの買い物客が、買うのをやめた商品を元にあった場所に戻さないマナー問題について、「(別棚にある物を)整理するのは店員の仕事」と持論を述べたのは木村太郎氏。木村氏の持論に批判はないが、「なぜ?」との疑問は残る。彼はこの問題を取り上げたフジテレビ系「直撃LIVE グッディ!」のコメンテーターである。

これまでの彼の発言において、「?」と感じたことはなかったが、今回は初めて「?」に感じた。番組はスーパーの買い物客のマナーについて特集。途中で購入をやめた品物を、本来あった棚ではなく、別の棚に置いてしまう客がいることがネットなどで話題となり、フジテレビでは100人に調査、「買わなくなった品物をどこに戻すか」と質問。約8割は「元あった棚に戻す」と答えている。

が、一部では「戻すのは店員の仕事」などの理由で元の場所に戻さない人もいた。戻さない理由が、「店員の仕事だから」という考えの人がいて、それで戻さないというのはとりあえず正論に見受けるが、「店員の仕事」というのは誰が決めるのか?スーパーなのか、顧客なのか、自分には判別がつかない。そんな張り紙を見たこともない。だから、8:2に分かれているのだろう。

たとえ別棚に置かれた商品を元に戻すのが店員の仕事であれ、商品購入の気持ちが変わったのは顧客のミスではないか?幼稚園や小学校で、「使った備品は元の場所に戻しましょう」と教えるのと同じことに思えてならないが、どう考えてもあった本来の場所にあったものを、別の棚に置く理由は、いかなる理屈をつけたところで、元の場所に置くのが面倒くさいからとしか思えない。

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「店員の仕事」以前の問題であり、だから自分はキチンと戻す。自分の(ミス)の尻ぬぐいを店員にさせることには違和感があるし、顧客の甘えだろう。決まりであってもミスをしたのは自分なのだから、それを適当に別の場所に置こうという神経は理解できない。まあ、それが店員の仕事だからと決めつけた人ばかりではなかろうし、横着な人間の類というのが正直な感想だ。

だからと他人は責めない。世の中に横着な人間はいるし、そういう人間は相応の生き方をするのだろうから、自分に害はないし関係もない。スーパーを歩いていると、なぜこの商品がこんなところにポツンと置かれていたりすると、思わず笑ってしまう。理由も事情も分かっているし、そんなときに、「これは店員の仕事」などと思ったこともない。今回木村氏の持論から初めて知った。

あくまで持論だから正誤は分からぬが、そんな風に考える人もいるんだろう。自分はそんな風には考えないが、他人思うのはいいし批判もない。ただし、今後その種の顧客がどんどん増えたらどうなることか。別棚に別商品があふれるような光景に自分が困ることはないがいいものではないしそうならないことを願う。塩鮭の切り身がお菓子のところに置かれていたり、どういう了見だろう。

ヒドイとは思うが平気でやる人間に笑うしかない。自分は道徳家ではないし、そういう人はコソコソとやるんだろうが、もし、子どもがやってていたら注意はする。いいオトナならほっとく。注意をしたところで直ることもない。以前から別棚に置かれた商品を見たら笑うしかないし、誰かと一緒にいれば、「なんでこれがこんなところにあるんだい?」と、共に笑いの種にしたり…。

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横着人間の仕業と思っていたから、「店員の仕事」と聞いて。「へ~!」である。木村氏は持論を以下のように補足をする。「スーパーって人件費を倹約して客にやらせてる。持ってきて、運んで、袋にまで入れる」と、客の労力に頼っているところが大きいと指摘する。こういう持論展開は経営学の様相である。木村氏の持論に対抗するにはそういう観点からの論理が必要だ。

「(棚を)整理するのは本来は店員の仕事。だからお客さんがやめたと、どこかに置いておく物を後に整理するのは店員の仕事」。この考えは消費者優先思考なのは分かるが、論点を同じにせずにモラル論を述べてもどうだろう。ただ、消費者優先の考えであっても消費者として自分が木村氏の持論に賛同することはない。先に述べたようなあくまで自己責任の範疇としか考えられない。

「マーケット」という言葉から何を連想するか?スーパーマーケットを略してスーパーというが、スーパーも八百屋さんも肉屋さんもマーケットの一部である。スーパーマーケットは肉から野菜からなんでも御座りだからスーパーなわけだ。マーケットというのは、人類の最大の発明であるらしい。ひとりひとりが欲する商品を素早く届けるという仕事はとてもじゃないが難しい。

個人でできることじゃないし、流通や人材や産地からの安定供給など、いくつもの要素でマーケットが成立している。我々はマーケットの恩恵に預かって、何不足なく生活できることを思えば幸せである。経済学の基本からいえば、マーケットで、「需要」と「供給」が調整されているが、我々は生産者ではなく消費者である。が、消費者だから偉いのだという意識は持たないでいたい。

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タクシーに乗って金を払っても、「(ここまで運んでくださって)ありがとうございました」という人間もいれば、「乗ってやってるのにお礼なんかいう必要ない」という人もいる。様々な人間が織りなす社会なら、自分はどうありたいかを目指して生きればよい。と、ここまで書けば勘のいい人は、言いたいことを理解するだろう。あえていうなら、顧客だからと偉いわけでも威張る必要もない。

マーケットは生産者・販売者・消費者がもたれ合って機能している。「〇〇は店員の仕事」という合理思考もいいが、もたれ合っている以上、可能なことは自分でする。「スーパーって人件費を倹約して客にやらせてる。持ってきて、運んで、袋にまで入れる」という木村氏と同じ考えの人はそうすればいい。己のミスで商品を元に戻すことに何の負担も面倒も感じない自分である。

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