Quantcast
Channel: 死ぬまで生きよう!
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1448

「他山の石」と「くだらない」

$
0
0

イメージ 1

人間がいかに自由を獲得してきたかについての歴史を考えてみる。人間は未開社会から始まっているが、未開の民族においては個々が自己をその部族と同一視していた。アフリカやアマゾンやニューギニアの未開人には様々な族がいるが、アフリカのマサイ族は有名である。未開人と近代人との違いはといえば、すべてのものが一つに融合し、共に一体をなして生きるのが未開人である。

それに比べて近現代人は、自己と一体をなしていた土地や共同体から離れてしまった。それが自由を得たともいえる。別の言い方をすれば、集団から個人への目覚め、個人への出現が起こったことになる。それはまた、人間にとって狂気ともいえる歓びであるとともに、苦悩の始まりでもあったのは、未開社会には到底考えられなかった問題が発生することになったからだ。

幾多の自然現象の中において人間が神を創造したのは明らかで、それを無神論と定義されるが、神を拠り所とする思想が中世の精神であり、人間性を貫く精神がルネッサンス期の精神と分類され、さらには、「自由の主体は人間にある」としたのが近代哲学の精神。人間の自由の主体性は、ベイコンやデカルトに始まりカント、ヘーゲルから実存哲学に至る思想の流れの中で確立する。

人間の苦しみは抑圧にあるのか、それとも自由の中でもがき苦しむのか。苦しみはないのがいいが、生きるために苦しみの排除はできない。ファイティング原田というボクサーがいた。彼は、「苦しむためにボクシングをやっている」といった。そしてその後に、「この苦しさがなければ僕はボクシングを続けられなかっただろう」といった。彼は苦しむ事こそが生き甲斐だったのだ。

イメージ 2


イメージ 5

それを思うと生き甲斐とは決して楽をすることだけでないのが判る。生活の中にもっと厳しさを求めるのも生き甲斐である。「毎日がつまらない」という人がいる。「生きることがつまらない」という人もいる。だから愚痴ばかりこぼし、あげく自殺をするのか?「つまらない」理由は定かでないが、「毎日がつまらない」、「生きることがつまらない」に、理解も同情もできない。

「なぜそんなことしかいわないのか?」。「いってどうなるというのか?」。大体において愚痴をいう人間に、「対策」、「改善」の言葉はない。「つまらない」なら、「つまらなくなくすればいい」だけだろうに、それをせずに愚痴ばかりこぼす人。さらにそういう人間は、誰かが何かを提案を与えてくれても、「くだらない」という。「くだらない」は世捨て人の戯言のようである。

ところがそれとは別の、「くだらない」がある。一切をバカにしたようなニヒリストが好んで使う、「くだらない」。何事にも興味を抱く自分にとって、世の中にくだらないことはないのだが、二ヒリストたちは、「くだらない」の山を持っている。苦労して山に登る人がいる。彼らは決まって、「なんでそんなくだらないことを…」となる。他人のやることをくだらないといって自身を満たす。

「くだらない」の理由を分析するに、他人をバカに見据えることで自身の賢さをを示したい。優位であることを示したい。これこそ、「くだらない」といっておこう。くだらないことをやる人間がいるにはいる。タレントがテレビ番組でくだらないことをやったりする。実はそこに制作意図があるのを知らないで、「くだらない」という人間は、番組制作者の罠に嵌っていることになる。

イメージ 3

「くだらない番組」を作る理由。「くだらない芸人」を出演させる理由。そういうことで視聴者の自尊心をくすぐっているのである。単純にバカを面白がる視聴者もいれば、「よくもまあ、あんなくだらないことをやるよ」と、見下げることを自尊心を満足させる人もいる。クイズ番組も似た意味がある。特に、やさしい問題を答えられない芸能人を見て、視聴者は自己満足に浸る。

「彼らはあんなにバカなのか」と、思わせるように嵌められている。それに気づくことも大事だが、もっと大事なことがある。「他山の石」という言葉を聞いた人はいるだろう。中国で生まれた故事成語だが、この言葉は現在でも人生全般における「教え」として使われている。「他山の石」で使われる石は、「粗悪で質の悪い石」、「くだらない、つまらない石」のことだ。

それだけの意味だけではない。「他山の石」は、「悪質な石でも磨くのには役に立つ」という含みがある。つまり、「他人の誤った行動や言葉を無視してしまうだけではなく、学びとして自分の中に取り入れ参考にしたり、生かすこと」といえば分かりやすい。周囲や、第三者のミスや、間違った行いでも、自分の知恵や道徳心を磨く材料として取り入れることはできる。

どんな人にも必ず職場や日常生活で他人の失敗やミスを目にすることがある。それを自分の行いに取り入れて参考にするか?自分には関係がないと流してしまうのか?さらには、「バカだな~あいつは…」と、笑って自己満足に浸るのか?確かに、「他人の不幸は蜜の味」というが、これらの中で自分がどれに合致するかで人の性格は分かるし、その人の過去も未来も見えている?

イメージ 4

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1448

Trending Articles