人の歩みを人生というが、どんな人にも必ずやターニングポイントがある。日本語化した英語だが、「変わり目」、「分岐点」、「転換期」のこと。この転換期を生かすか放置するかで人は大きく変わる。「運命の分かれ道」などと大袈裟にいうが、確かにそういう実感はある。「もし、あの時あれがなかったら」と回想できる人は、そのことを生かせた人たちであろう。
そうしたものがない人は転換期を生かさなかった可能性がある。Mがいった言葉を、「何をいってやがる知恵遅れのバカが、偉そうにいうんじゃないよ」と、そんな風に見下すことはできた。つまらぬ自尊心が如何に人間をダメにするかと今にして思うが、当時はそんな分析ができる知能もない。Mの言葉は、「人はそんな風に自分を見ているのか」と素直に受け入れた。
代表委員に選ばれなかったショック以上に、Mの言葉は羞恥に感じた。感受性の高い時期でもあり、顔から血が噴き出るほど、穴があったら入りたいほどの気持ちを今も忘れない。何気ないMの自分への率直な批判であるが、もしそれを耳にしなかったらどんな人間で在ったのか、考えただけでゾッとする。あの日を境に自分を変えよう、その決意を長々と日記に書いた。
自己変革は生きた時間だけかかるという。12年かかったものは12年かかる。あれからもう半世紀、直ったとの意識はない。自己変革というものは実感できないし、今でも心のどこかから慢心が覗いたりする。そうしたときには制止意識が動くのが分かる。人間は短所や欠点を完全に排除するのではなく、自分が嫌だと思うことの制止意識を高めることではないだろうか。
それはそうだろう。人間には誰にも欲はある。自己顕示欲もある。高邁な自尊心もある。そんなものを無くするなどは不可能に近い。修行僧のように苦行をするならともかく、人間はそうした煩悩をいかに抑えるか、自らとの戦いであろう。思うに中一のあの日のことは、まさしく自分の性格を見つめ直す自分にとっての大きなターニングポイントであったのは間違いない。
人は人から学ぶもの。他人の言葉は耳に痛いが苦い良薬とするかしない。しかし、それができるのは10代、20代、遅くても30代の柔軟思考ができる時期ではないか。孔子はこのようにいう。「40にして惑わず、50にして天命を知る」。人間は50歳までに吸収しなければそれで終わりなのは周囲を見れば分かる。60歳、70歳になっても、まるで子どものママの高齢者の多きこと。
自分ですら周囲から見れば一層つまらん人間と映っているだろう。つまらん人間にとっての基準は自分であって、こちらがその類に当てはまらねば、当然ながら彼らにとってつまらん人間である。これは仕方がない。だから50歳過ぎたら、人は人を選んで付き合うべきである。「類は友を呼ぶ」というが、これが如何に正しいことかを人間関係の中で知ることになる。
基準や根本が違っている以上、互いが非難し合っても仕方がない。何もいわず、自らの判断で人を選んで付き合うのが正しい。もっとも50歳を超えても他人から影響を受けて自己向上を目指す人間がいないわけではない。自分とて、まだまだ至らぬ自分を変えたい意識で生きている。だから本を読む。自分の決めた五賢人の著書が多いが、まだまだ人から教わりたいことばかり。
人間というのは究極的には、自分を如何に知るか、知り尽くすかであろう。至らぬ自分をいかにして知るか、そしてそのほとんどは他者からの指摘であるが、若いころに比べて人は人に口を閉ざすものゆえに、周囲から得るのは難しい。残り少ない時間の中で至らぬ自分、嫌悪する自分をどれだけ直していけるか。それこそが死の目標ではないか。死の目標即ち生の目標である。
人には個々の生の目標があり、そこに立ち入るべきでない。人の一生はその人のもの。その過程の中で人は自分の「真実」とどう向き合っていくか、「真実」をどう処理していくかが課題である。「処理」とは、真実ばかりを受け取りそのまま利用するではない。「真実」は隠しておいてこそ浮かばれ、価値あるものもある。真実とは表す側も受ける側も傷つくものだから。
ゆえに真実は思慮をもって丁重に扱うべきものだ。親が体験した真実一切を子どもに伝える必要などない。ましてや真実を偽って子どもに自慢する親は、何をかいわんやである。ありもしないことで子どもすかしたり傷つける親もいる。自分が子ども時代に母から、「お前はもらい子だ」と脅された。それがどれだけ傷ついた言葉だったか、それも分からぬ無思慮な母だった。
坂口安吾の自伝を読んで笑ったことがある。彼は実母にそういわれたとき、「こんな母親の子どもでなくてよかった」と安堵したと書いている。そこは自分よりも上手だった。自分は「もらい子」といわれた心のどよめきを今でも忘れない。これは親の子どもいじめである。作り話で脅したりすかしたりの思慮ない女の末路は、自ら吐いた言葉で身を滅ぼすことになる。