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いじめはなくせない。立ち向かうのみ… ①

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滋賀県大津市で2011年、市立中学2年の男子生徒(当時13歳)が自殺したのはいじめが原因だとして、遺族が当時の同級生3人と保護者に計約3850万円の損害賠償を求めた訴訟で、大津地裁は19日、いじめ行為と自殺との因果関係を認め、元同級生2人に、請求のほぼ全額となる計約3750万円の支払いを命じた。市が設置した第三者調査委員会も2人の行為をいじめと認定していた。

判決は、自殺の約1カ月前から2人の暴力などの行為がエスカレートし、生徒との間に「いじる」側と、「いじられる」側という役割の固定化を生じさせたと指摘。連日のように少年の顔を殴ったり、蜂の死骸を食べさせようとしたりした行為の積み重ねが、生徒に孤立感や無価値感を形成させたと認定した。その一方で2人の保護者については監督義務違反がなかったと判断を示した。

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残りの元同級生1人については関与の度合いが低いとして賠償責任を否定した。訴訟で元同級生側は、「家庭環境などが原因だった」と主張したが、判決は原因を家庭に求めることはできないとした。生徒の自殺から7年4カ月経った現在においても、全国ではいじめが原因とみられる少年・少女の自殺が後を絶たないが、今回の大津地裁判決は、他のいじめ訴訟にも影響を与えそうだ。

"いじめ訴訟にも影響を与えそうだ"と記事は結ぶが、今回の判例がいじめ減少につながるのか?思うに人をいじめるような心ない人間が判決を知ったところでどこゆく風…、何の足しにもならない気がする。国の裁きがいじめの解消に寄与するとは思えない。なぜにいじめが起こるかを考えてみればいい。いじめはストレスの発散であり、しかもいじめる側にとっては快感である。

大人社会にストレスはつきものだが、子ども社会にも以下のストレスは存在する。①家族関係の悩み、②友人関係、③勉強の悩み、④進学・進級の悩み、⑤転校や友人との別れなどが挙げられる。いじめを行為する側のストレスが、いじめを受ける側にもストレスを引き起こさせる。ストレスがいじめを生むなら、子どもにストレスを与えない配慮を親に望むしかない。

いじめは、「弱いもの」に向けられるが、心理学的に分析すれば、人間の弱さとなる。つまり、弱いものが弱いものいじめることで、自分が強くなった気分になれる。「強い人間は弱いものいじめなんかしない」ように、人をいじめる人間の心の弱さである。「本当に頭の良い人間は、低学歴をバカにしたりしないし、中途半端に賢い人が他人をバカにする」。これも同じ論理。

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バカがバカを見下すことで、自分はバカでなくなると錯覚する。さらには自慢話が大好きな人間にもいえている。「自分に自信のある人間は自慢などしない」ばかりか、する必要がない。なぜなら、「強さ」、「賢さ」、「自信」というのは、自らに必要なものである。国士無双といわれた韓信が、チンピラに言いがかりをつけられ、股をくぐったとされる話は有名だ。

当初は、「股くぐりの韓信」という汚名に過ぎなかったが、韓信にとってつまらぬことで命を危険にさらすことはないとの大事の小事である。「ならぬ堪忍、するが堪忍」という言葉もあるように、人間が怒りを抑えるのは難しいことだ。強さや賢さが自分のためのものなら他人に誇示する必要はないが、披露したくなるのは他者より優れていることを示したい自己顕示欲である。

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逆説的にいえば、強さを誇示する脆弱、賢さを誇示する低脳、自信なき自慢である。こういう哀れなる表層人間への根治的解決というのは、強さを持ち、賢くなり、自信をつけるだが、それが簡単ではない。 意識と努力と時間を要する遠き道であり行動を必要とするが、実は意識を持つだけでも人間は変わっていく。自己を変えたいと願う人には自らの体験からこの事を推奨する。

意識を強く持つことで、少なからずそれに殉じた行動をとるようになる。また、あることへの意識を持つことによって、それに反することへの批判も持つことになる。噛み砕いていうなら、強くなりたい意識を持つことで、弱いものいじめをしなくなる。人をバカにすることで賢くなれる筈はない。自信をつけるためには不満や愚痴は大敵。こういうことが必然となってくる。

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こうした逆説的論理が相乗効果となり人間を変えていく。取り組みやすい逆転の発想が少しづつ意志を実現していく。一朝一夕に自己変革はできないが、数十年単位のスパンで見れば人間の人生は長い。意志と目的を強く持てば、地道であってもたくさんの良いことを吸収し、よくないことを排除する。自己を変えるのは、王国を転覆させるより難しいといわれるゆえんである。

忘れられないのは、自分の指定席がなくなったあの日のこと。中学になりたての自分はクラス一の低能から啓示を受けた。クラスの代表委員選挙の際、自分に票が入らず落選のショックを受けていたとき。「お前を代表にしたら自慢するからな」と言葉を投げつけてきたのが知能の低いMだった。「神から啓示を受けた」というのは耳目にするが、「バカから啓示を受けた」自分である。

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