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Channel: 死ぬまで生きよう!
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「希望」と「出口」

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「希望という名の あなたをたずねて」という歌詞がある。岸洋子によって歌われる③番までの歌詞だが、①遠い国へと また汽車にのる。②今日もあてなく また汽車にのる。③寒い夜更けに また汽車にのる。となっているが、セインツ・フォーとザ・シャデラックスの歌う3番の歌詞は実は4番で、岸が歌った3番は3番と4番を合体させて改めたものだということがわかる。

作曲者いずみたくの本のなかには、④涙ぐみつつ また汽車にのるというのがあって、4番の後にさらに1番を繰り返す指示されているから、全体で5番の楽曲ということになる。テンポにもよるが全部歌うと7分の長さになるので割愛されたのだろう。どちらにしても主人公である話者は汽車にばかりのっているわけだが、要は忘れられない相手を探す旅に出るストーリーとなっている。

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探し求める相手を「希望」に置き換える。相手がどこにいるか、どういう暮らしをしているかも分からず、ただ探したいという願望である。もっとも、探しあてたとしてもこちらの想いに合致するかどうかもわからない。相手にとっては迷惑かも知れない。それでも希望という名の相手を探しつづける。本来希望などは、そもそも他人が与えられる性質のものではないもの。

ましてや夢とか希望などは、努力や苦しみなくして得れるものではない。それを前提にこの歌詞を読む。少女時代にそばにいた人が、いつしかわたしが大人になるのを待っていたかのようにどこか立ち去ってしまう。少女が恋に目覚めたとき、心にとどまった彼は、なぜに消えてしまったのか?そんな切ない気持ちから叶うあてのない希望を求め、旅をする主人公に想い寄せる。

詩は創作であるが、希望というのは努力や苦労を強いられる。それさえ厭わないものだと、そんな感じを詩から受ける。「自分の人生には夢も希望もない」などの言葉を吐く人はたまにいる。なんという甘えであろう。ただ遊んでいても、夢や希望の方からこちらにやってくるとでも思っているのか。夢や希望を安っぽく考えるまえに、この詩を味わってみるといい。

「傷ついた。人から傷つけられた」という人も多くいた。いろいろ聞いてみると、確かに相手のことばは穏やかではないが、受け入れがたいというものでもない。が、なのにこの女性は世界で一番悲劇の自分であるかのごとく振舞っている。おそらくこれもナルシズムであろう。他人に傷つけられるというではなく、他人のことばを借りて、自分で自分を傷つけているようだった。

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彼女は周囲や友人から、「勝手に傷つかないでよ」といわれたというが、それらは暴言の類ではなかろう。悲劇のヒロインとなって傷つく自分に恋する女。少女漫画的という言葉がふさわしいかは分からぬが、そんな女性は少なくない。彼女が彼女のことでいっぱいなように、友人や他人も同じようにいっぱいなのだ。だから、「自分一人で傷つかないでよね」といわれてしまう。

男がヒーローになりたがるように、女は悲劇のヒロインになりたがる。被害者意識が強いというのか、明らかにナルシズム的自己愛の発露である。人の言葉というのは無責任に発せられるもの。だから自分がしっかりした考え方や、ある程度の強い気持ちをもっていないと、こうした他人の無責任な言葉にあやつられてしまう。まして、悲劇のヒロイン志向ならいうに及ばずだ。

女性は被害者を演じたがる点において男より性悪である。やまだ紫という漫画家がいる。1948年生まれの彼女は、1969年「COM」5月号でデビューした。決してメジャー漫画家ではないが、若いころは猫のような顔をしていた。女性漫画家にはなぜかネコ好きが多いらしい。大島弓子を筆頭に、西原理恵子、寺島令子、竹本泉、こざき亜衣、そしてやまだ紫も…。

やまだ紫に『性悪猫』という作品がある。犬の純な性格に比して猫の性悪さが嫌いな自分だが、やまだは、「猫の性悪的なところがたまらなく好き」という。多くのネコ好き女性から同じことを聞いた。類は友を呼ぶ?などと思ったりするが、男のネコ好きは、「きまぐれで自分勝手がいい」という。『性悪猫』を読もうと探したが行方不明。持ち主に忠実でないから出て行ったのだろう。

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ネコ好きということもあって、やまだ紫の作品にはネコが頻繁に出てくる。『はなびらながれ』の作品のなかで、主人公がネコに語りかける。「もう子供じゃないんだから、眠ったふりやめなさい。あなたが眠っていようといまいとわたしは知らない。眠っているあなたも、眠っていないあなたも、眠ったふりのあなたも、ぜんぶすきだけど、誰かの何処かが、自分と似ている。

まるでわたしだと、時々あなたいうね。そんなの子どもの夢だ。心まで眠っているあなた好きじゃない。眠ったふりのあなたも好きだったけど、時々わたしをみてよ。するりとぬけおちないようきっちり抱いてよ。いつだってぬけおちたはずみにドアの向こうへとび出したくなるんだ。そうしたらもう帰ってこないよ。そうしたらあなた泣くよ。きっと胸がズキズキ痛むよ。

だいじょうぶ。わたし、あなたを困らせやしない。ほら、出口はあそこ。いつだって、出口はあそこ」。『出口』という表題の作品だが、主人公の十代らしい女性がネコに語りかけているコマの流れのなか、最後は男に向かって言っていたのがわかる。不思議な描写であるが、男的に見れば、こういうネコ気質の女の子は、ネコから生き方を学ぶんだなと、考えさせられた。

やまだ紫の作品はエッセイ風の流れを基調とし、最後のコマのどんでん返しが特徴だ。最後を念頭において書きはじめているような、そんな構成力を感じさせる。とりたて構成力もなく、作為を好まぬ自分は最後はどうなるのか書き手にも分からぬままに書く。そんな未決気分で書き始めるが、それでも最後を収束させようとする。終わりよければすべてよし。文は最後が大事かと。

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