2005年 6月20日 東京都板橋区で15歳高一が両親を殺害
2005年10月19日 大阪府枚方市で中学一年が母親を殺害
2006年 6月20日 奈良県田原本町で高一が放火。母、弟、妹焼死
2006年 7月 5日 大阪府豊中市で阪大生が母親を殺害
2006年 8月28日 北海道稚内市で高一が同級生に母親殺害を依頼
2005年10月19日 大阪府枚方市で中学一年が母親を殺害
2006年 6月20日 奈良県田原本町で高一が放火。母、弟、妹焼死
2006年 7月 5日 大阪府豊中市で阪大生が母親を殺害
2006年 8月28日 北海道稚内市で高一が同級生に母親殺害を依頼
2005年6月20日、東京都板橋区の建設会社社員寮の管理人室でガス爆発が起き、室内で管理人の夫(44)と妻(42)が殺害されていた。警視庁捜査1課は22日朝、事件当日から行方不明の長男(15・都立高校1年)を、群馬県草津町の温泉旅館で発見し、身柄を高島平署に移送した。同課では少年が両親を殺害し、管理人室でガス爆発を起こしたとして、殺人容疑で逮捕した。
少年は20日昼ごろ、管理人室の両親を鉄アレイで殴り、包丁で胸を刺したりで殺害した後、ガスホースを切断して室内を都市ガスで充満させ、タイマーで電熱器を作動させてガス爆発を起こした。少年は、「父がバカにしたので殺してやろうと思った」、「母はハードな仕事をし、いつ見てもかわいそうで、『死にたい』と言っていたので一緒に殺した」と供述。
少年は21日昼、1人で草津町の温泉旅館を訪れ、チェックインの際、宿泊台帳に偽名で年齢も「16歳」と記載したが、住所は「板橋区」と書いた。1人で宿泊する少年を不審に思った旅館従業員が同日夜、地元警察に連絡していた。この従業員は、新聞やテレビで、管理人夫妻殺害事件のことや、夫妻の長男が行方不明になっていることを知っていたという。
群馬県警から連絡を受けた警視庁の捜査員が同旅館に駆け付け、22日午前7時半ごろ、朝食のために部屋を出てきた少年を確認、保護した。捜査員が本名を挙げて名前を確認したところ、少年は「ぼくです」と答え、素直に同行に応じたという。「きまじめ過ぎるくらいの生徒」、「家族間でのトラブルは聞いていない」。学校関係者はそう口をそろえる。
夫妻が在籍していた東京都港区の事業所給食会社社長(47)は「寮の利用者や家族間でのトラブルは一切聞いていない」と話した。少年は夫妻の仕事をよく手伝い、社長が昨年訪れた際にも寮の掃除をしていた。「偉いね」と小遣いを渡すと「ありがとう」と言って喜んでいたという。事件の残忍さは捜査員も驚くほどであり、また計画性を合わせもっていた。
夫妻が在籍していた東京都港区の事業所給食会社社長(47)は「寮の利用者や家族間でのトラブルは一切聞いていない」と話した。少年は夫妻の仕事をよく手伝い、社長が昨年訪れた際にも寮の掃除をしていた。「偉いね」と小遣いを渡すと「ありがとう」と言って喜んでいたという。事件の残忍さは捜査員も驚くほどであり、また計画性を合わせもっていた。
「『俺はおまえとは、頭の出来が違うんだよ。俺は小さい時から家の仕事も手伝い、真面目に勉強をやってたんだよ』お父さんはこう言って僕の頭を揺すった。もう我慢できない、殺すしかない。お母さんもいつも『死にたい』って言っていたから…。」少年の供述が明らかになる前、世間は親殺しのあげく部屋にガソリンをまいて放火する事件の残虐性に驚いた。
少年は普段はおとなしく、マンションの管理人である両親を手伝う働き者という評判だった。上に記した父の言葉が報道されたことで、「そんな程度のことでキレてあんなことをするのか、とんでもない息子だ」と世間は騒然となったろうが、短絡的なのは世間の側である。この親子の間には事件の要因の言葉だけでない、長期に及ぶ確執や問題があったということ。
親が子どもに用事を命じて、その親が遊びまくっていたらどう思うだろうか?子どもは自分の遊びたい時間を親の命で閉ざされている。どんな子どもで腹が立つだろう。少年の父親は自営業に失敗して、マンションの管理人に応募、妻とその仕事に従事することになる。この時点で子どもも被害者であろう。事業に失敗した父は自分の趣味であるバイクに熱中する。
「父さんはバイクを走らせ楽しんでいるのに、自分は土、日も働かされっぱなし…」と不満を持っていた。この子があまりにいい子だからその不満を親も気づかず、いい気なものである。「オヤジ~、なにやってんだよ。オレばっか働かせやがって、てめ~はバイクでいい気なもんだぜ、まったく…。やってられんわ!」くらいに言える子なら、親も多少は反省もしたろう。
権威者は家来をこき使うが、家来は権威者に従うしかない。時に、逆らって意見を具申する家来もいるが、造反として刑罰を受ける。少年は重労働の母親に同情を寄せ、ねぎらう言葉をかけたりもしたが、母親はその言葉に癒されることもなく、素直に受け取ることもなく、不機嫌で愚痴ばかりこぼしていた。少年は父を殺した後、不憫に思って母を殺したという。
しかし、後日警察から母親が自分のためになけなしの金を預金していたという通帳を見せられ、涙を流したという。あんな父であり、せめて母親に愛されたいという少年の思いを母に拒絶されていたと感じていた。それが母の愛情表現である通帳を見て、自分の間違った思い込みに涙したのである。この親子、家庭にはコミュニケーション不全があったというしかない。
コミュニケーション不全は友人にも恋人にも夫婦にも、当たり前に存在し、世界中でどれだけ多くの恋人が、友人が、夫婦が、誤解から袂を分ったことか。切っても切れないのが親子の縁というが、縁は殺人と言う形で寸断される。単に別れるというのはありがちだが、「殺人」というこれ以上の悲劇はない。「うちは大丈夫、親子でよくいろいろ話し合ってる」
この手の発言は親が勝手にそう思い込んでいる場合が多い。家来も、部下も、生徒も、弟子も、師や上に媚びるものだ。子どもが親に媚びて何ら不思議でない。その媚び方が上手い子どももいるということを知らない親もいる。「親なんか適当にあしらっていれば、それを間に受けて子どもに慕われていると思っているバカ」。子どものホンネは怖いものよ。
対立は分りやすいが、対立のない穏やかな状態は、一見して波風たたない無風にみえるが、実はこちらの方が危険かもしれない。本当によい状態もあるが、問題ないと安心しきるよりも、疑って見る方がいい。危機管理能力とはそういうものでもある。現に犯罪後には周囲は一様に、いい家庭だ、いい子だ、いい親だ、「それが何で?」を聴き飽きたほどに聞いた。
人の心は言葉と言う形にしないと分らない。言葉という形にしても、ホンネでなければ嘘の心を表したことになる。親子に対立がないというのは、実はいずれかが死んでいる、もしくは死んだフリをしている場合が多い。それを確かめる術はないが、もし、あるとしたら「疑い」を持って探ることであろう。見えないものは見えないが、見ようとすれば見えてくる。
板橋の親殺し事件では、支配的な父親と、回避的な母親家庭が象徴的に現れている。支配的、回避的、どちらの親の元であれ子どもは自分の感情をありのままに表現できない。感情を抑制したり、意見を言わずに我慢する事が多い。それで表向きには「いい子」のフリをする。子どもにとって「いい子」の仮面をつけることは、波風防止の姑息な手段である。
「何事も自分一人が引き受けていれば(我慢をしていれば)よいのだという自己犠牲である。坂口安吾は、「親は子どものために自己犠牲を払っているなどというが、どれだけ子どもの方が親に自己犠牲を払っていることか」で、子どもが親の横暴に我慢を強いられていること多し。親が働いて子どもを食わせるのを自己犠牲という親は思いあがったバカであろう。
どんな苦労も子どもの成長という、むしろ楽しみであるはずである。こういう素直な気持ちと子どもへの感謝を秘めている親に、「誰のために飯が食えているんだ?」、「誰に大きくしてもらっているんだ?」などの卑怯な言葉は出ないはずだ。こういう当たり前のことを恩着せがましく言って、子どもに感謝や尊敬を得ようとする親はバカである。子どもは無視していい。
無視することが、子どもがバカにならない方法である。親が禁句をいうなら、「誰が育ててくれと頼んだ?」と言えばいい。どちらの言い分が真っ当で正論かは一目である。なぜなら作った子どもを放置しておくのは犯罪であるからだ。それを恩着せがましくいう方がイカレテる。「だったら放置して置けばいいじゃないか」も、「誰が産んでくれと頼んだ?」も正論である。
親が子どもに何をいうのもいいが、返す言葉につまった時点で、もはや親は子ども以下になっている。あまり子どもを見くびって子どもにバカにされないことだ。子どもが自分以下と思えるようなくだらないことをいう親に尊敬されるはずがない。大体において口が立つ利口な子は、「うちの親は言ってる事が支離滅裂だし、どうしようもないバカ」と思うものだ。
子どもにそう思われるのは、言ってる事に無理がある。自分は母親を、小4にして見切っていた。あの頃に比べて情報化社会は進んでいる。親も子どもの言い分に対抗できる様しっかりと論理を磨いておくことだ。特に子どもが男の子の場合は、権威で押さえ込もうとすると、返って反発するので注意が要る。男の子の対応に困っている母は知識なきを示している。
自分は妻がやり込められそうになると、すぐさまバトンを受け取る。そうなると妻は最初から、「お父さんにいいなさい」、「お父さんと話して!」となる。これは逃げではなく、家のことは一家の長が決めること。逆に妻でなければのことも多く、男と女はダテに性が違っているのではなく、資質の違いでもある。家庭でも会社でも適材適所で成り立っている。
まあ、母子家庭や父子家庭は父が母の役割を、母が父の役をこなす必要もあろうし、大変であろうが、二人分がんばっているとなると頭が下がる。育ち盛り、食い盛りの子がいて、自分に母の役も担えと言われたら大変だろうし、正直お手上げである。板橋の少年は、傲慢な父に不満をいだいていたが、それは「土、日に仕事を与えられていたこと」ではない。
「土、日に子どもに仕事をさせ、自分はバイクで遊んでいた」ことである。「土、日に仕事をさせられる」こと自体も不満であるのに、上記のような身勝手な父への激しい憎悪である。支配的なパターンを取ると相手に無力感を引き起こすのは心理学でわかっている。この少年の「いい子」は、実は無力感であって、父親の身勝手さが無力感の要因である。
少年は自身の無力感に抗うために正義の刃を取った。親を殺して正義の刃という言い方はは誤解もあろうが、この少年の深層を代弁した。「死刑になってもいい」という確信に満ちた行為は、少年の心に潜む正義感の現れであろう。悪に反駁するためには「死」をも厭わぬ覚悟が必要である。15歳が44歳に対抗する決意、そこに至るまでの葛藤を自分は感じるのだ。
自我を守るために、罪の意識を超えて刃を取る。それが親殺しの原型であろう。40男、50男の犯罪ではない。15歳の情緒の未熟な少年の犯罪を断罪する前に差し伸べる手も必要だ。「子が親を殺すなんて…」儒教道徳では大罪である。よって尊属殺人は一般殺人より思い量刑が課せられていた。が、よくよく考えてみるに、親を殺すというのっぴきならぬ理由がある。
真っ当な理由と言えば御幣もあろうが、親の子殺し、子の親殺しはよほどの理由が介在するのだろう。確かに、そうばかりではない世の中でもある。人の命が軽んじられている時代である。人間関係や親子関係が複雑になる事でコミュニケーションがうまく取れないといったコミュニケーション不全が要因でもあろう。放っておけば子どもは大きくなる時代ではない。
親が子どもにアレコレ口出しし過ぎることも要因だ。それに耐える子どももいるが、耐えられない子もいる。親子断絶はなぜ起こるのか?小学生のときは、学校のこと、友だちのことを何でも母親に話していた子が、中学になると突然黙りこく。家に帰ってもすぐに部屋に閉じこもる。いろいろ聞いても生返事ばかり。こどものこんな変化に不安を抱く母親は多い。
が、こんなのは当たり前というほどに自然なこと。子どもにとって大切なランキングの第一位であった親子関係が、中学にもなるとどんどん下がってくる。変わって一位にあがるのが友達関係だ。やがてその座は異性に発展する。こういう変化に気づかず、自分から離れていくことの焦りや淋しさを感じる親が、子どもに要らぬちょっかいを出したり、まとわりついたりでて、どんどん嫌われていく。
親の使命は、親を子どもに必要なくさせることである。なのに、親だけが子どもを必要とし、その感情丸出しにするのはバカ親であろう。理性で理解すべきことを感情が阻む。それが母親の問題点である。それをたっぷりと味わった自分だから、母子が果てしない憎悪の淵にまで落ちてしまった。親を嫌うようになった子どもの親には、それなりの理由があるのよ。
「親は子どものことを全部知っていなければいけない、だから子どもとアレコレ話すべき」という母親がいた。一見、まともで正論に聞こえるが、こんなのは自分の気持ちを正当化するために歪曲された論理である。親子といえど、違った個体、違った心を持っている。何ですべてを知る事ができるのか?聞けば事実が返ってくるのか?淋しさを紛らわす言い草よ。
本当に、真剣に子どものことを知ろうとするなら、洞察力を鍛えることだ。子どもは思春期にもなると、親に秘密を持つようになる。が、その秘密をアレコレ詮索しないこと。知ろうとしないこと。どうしても知りたいなら、己の能力を高めること。口からでる言葉なんか信用しない事。こんなことは親もかつて思春期だったから分かろうというものだ。
対等でいうなら、親だって子どもに秘密を持っているだろう、隠しているだろう。なのに、親の権威を振りかざして子どもの秘密を知ろうとする。私信や携帯の覗き見は止めた方がいい。それで非行が防止できたとしても、そのやり方で子どもは親を非難するだろう。自立は親離れと同義であり、子どもが親に話さなくなったら、子どもが一人前になったと喜ぶこと。
「うちは、親子が秘密を持たない主義なんです。何でも話し合って仲良くなってます」と、こういう親に何人か出くわしたが、母親の一方的な願いが満たされたことを喜んでいるだけの、メデタくも幼稚でマヌケな親にしか見えなかった。