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再び「十年はひと昔」 ①

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・2004年  6月 1日 長崎県佐世保市で小6女子が同級生女子を殺害
・2004年10月19日 東大阪で36歳の男性が両親を殺害
・2004年11月24日 茨城県水戸市で19歳の少年が両親殺害
・2004年11月25日 茨城県土浦市で28歳の青年が両親と姉を殺害

こうして羅列してみると記憶のある事件、記憶が途絶えた事件もあり、改めて詳細をみるといずれも印象的な事件である。中でも長崎の小6女子(11歳)による同級生殺害は年齢が年齢だけに驚くしかない。経緯はネットに記されているので、自分の所感を述べるところだが、正直この事件についてはお手上げである。年齢的な隔たりのせいか想像力が発揮できないのだ。

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自分にも小6時代はあったが、人を殺す年齢ではない。殺意すら抱いたこともない。だから、何かの間違いでは?くらいにしかどうしても思えないのだ。子どもが子どもを殺す事件で印象深いのは、何といっても酒鬼薔薇聖斗事件であるが、彼は中三である。中三と小6は年齢差は4歳でしかないが、この時期の4歳差は例えると、20歳と30歳くらいに匹敵するかも。

読んで面白かったのは『少女の殺意は親に向けられていた-佐世保同級生殺害事件の真実-』と題されたサイトである。書き手は様々な資料や情報を元に持論を述べているが、面白かったというのは、「参考になった」、「納得した」とは違い、書き手の考察が面白かったである。そう表現する以外に、自分はこの事件について思考が及ばないのだ。

よって、自分の考察と比較もできない。それほどにお手上げ状態の事件である。10歳や12歳の小学生については正直分らない、分らなすぎるといっておこう。思考する気も起きないのは、考えても分る気がしないのか、分かりたいという気が薄いのか、どちらでもあるような気がする。何でもカンでも分ろう、分りたいというのもない。分らないことも、分かりたくない事もある。

11歳の事が分らないのはそういうものかも知れないが、昨日起こった事件ほど驚いたことはない。なんと65歳の祖母が1歳の孫の腹を包丁で刺し殺したというのだ。何と言うこと、いったい何で?祖母は同世代であり、同世代であるけれどもさっぱり分らない。60歳、70歳で他人を刺し殺す、あるいは30、40歳の息子を刺し殺す事件がなくはないが、1歳の孫ではないか?

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大泣きしてカンに触ったか、物を割ったか。スープをこぼしたか、何かしらんが、よちよち歩きの何をしてもかわいい時期、何をしても許される特権階級といわれる年齢である。おそらく何事かにマジぎれしたのだろうが、目の中に入れてもかわいいという乳児期の孫を刺し殺すなど、前代未聞ではなかろうか?同種の事件は、聞いた事がないし、記憶にない。

「『あのおばあちゃまが』という感じで、本当に優しくて、温厚な感じ。いつもきれいにされていますよ、おしゃれして…」と、近所の人は首をかしげる。くらいだから遠くの我々は首が回りそうだ。情緒は経年で落ち着くから孫の乳幼児の腹を刺す余程の理由があるのか捜査を進展を待つしかない。どのような理由であれ納得できるものではないが、動機はあろう。

2004年10月19日、東大阪市石切町交番に男が「父と母を殺した」と駆け込んできた。警察官が交番近くの男の自宅に行くと、1階の6畳間に敷かれた布団の上に、パジャマ姿の61歳の母親と、下着姿の66歳の父親が仰向けに倒れていた。殺人容疑で緊急逮捕された男は36歳、「自分の不甲斐なさと、家族の将来を悲観して」両親の首を締めたという。

一家は男と両親の3人暮らし、母親は7〜8年前に脳梗塞で倒れ、ほとんど寝たきり状態。父親は、運送会社に勤めている時に腰を痛め、それが原因で足を引きずるようになったというが、寝たきりの妻の面倒をみながら、家事のほとんどをこの父親がこなしていた。「あんな親を殺すなんて…」この父親と一番親しかった理髪店の主人は涙を流し絶句する。

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父親は朝、妻に食事を食べさせ薬を飲ませた後、歩いて50メートルほどの理髪店に来て、主人の出すコーヒーを飲みながら世間話をするのが、日課であった。36歳の息子は小さい頃は明るいかわいい子で、中学生の頃にいじめにあっていたという。高校に入ったが間もなく中退し、運送会社のアルバイトを始めるのだが、交通事故にあい、右足を骨折した。

かなり重傷だったようで1年後には、患部を固定した金属を取り除く手術をすることになっていたが、本人曰く、「水疱瘡の跡が顔にできて、外に出るのがいやになった」。このことから、「引きこもり」が始まった。16歳の時である。両親を殺害して自首するまでに18時間もあったのは、睡眠薬自殺を計ったが、睡眠薬の量が少なく、翌朝目を覚まし自首に至る。

結果的に事件ということになって入るが、将来を悲観した36歳ひきこもり息子による一家無理心中、というのがこの事件の相貌である。ひきこもりという社会化されていない存在が家庭にいるなら、「家族」がその解決者にならなければならない。しかし、何のノウハウもない家族にひきこもりを解決する能力はない。だから「抱え込む」ことになるのだ。

36歳の息子は父親に働く意志を見せていたというが、近所の周知の人ですらまともに顔を合わすことができなかった彼が、いきなり見ず知らずの人の中に入って行くことがどれだけ大変なことか。甘やかさずに外に放り出せばの考えは、引きこもりという状況は消えても、本人が社会に溶け込んで生きて行けるのか?引きこもりの根を解決するのは至難であろう。

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2004年11月24日、25日と続けて茨城県で親殺し事件があった。同種の事件が同じ県内で、しかも2日続けて発生した。24日、水戸市で19歳の少年が就寝中の両親を鉄アレイで殴り殺した。その後少年はコンビニでタバコとジュースを買い、深夜の公園でたたずんでいた。両親は教諭と元教諭で、教育熱心な家庭だった。昨春に高校卒業。合格した専門学校には通わなかった。

姉二人は県外の大学に進学し、長男である少年には無言のプレッシャーとなったことだろう。少年はニートになり、家に引きこもるようになった。母親はそんな息子を立ち直らせようと教師を退職し、ニュージーランドに別荘を買い、息子・妹の三人で一緒に住み、立ち直らせたいと最大限頑張ったようだが、母親の気持ちとは裏腹に息子の心は離れていく。

《水戸・両親殺害事件 少年の行動》
 23日午後8時ごろ~
       ・1人で夕食を食べたあと、部屋で約4時間パソコンをする

24日午前0時ごろ~
       ・2階で寝ていた父親を鉄アレイで殺害、続いて別の部屋で寝ていた母親を同様に殺害 

              ・
近くのコンビニエンスストアでジュース・たばこを買う
      
・1階でテレビを見ていた妹に対し「上には行くな」と言い、居間で一緒に
テレビなどを見る
       ・再び外出し、近くの公園でぼんやりとすごす

午前3時15分ごろ~
       ・「両親を殺した」と110番通報
       ・署員が来るのを家の前で待つ

「しっかりしろと、うるさく言う祖父が憎かった」。「そんな祖父を殺すのに邪魔をする両親を最初に殺した」。だが、それで「やる気がうせた」と供述。約3時間後、自ら警察へ通報した。少年も妹も、中学で力尽きたのだろう。エリート高校に進学するも欠席が増え、やがて不登校となり、ついにニート状態になった。 そんな息子に父親は習い事をしろと言う。

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子どもは思春期になると親離れという「脱愛行動」をし始めるが、親が子離れできない場合、家出をしたり不良とつき合ったり、故意に親との間を断つ「情緒的離脱」を始める。少年の家庭では厳しく監視する祖父の下で、両親は家庭でも完璧な教師でいなければならなかったのだろう。少年が最も亡きものにしたかったのは、両親の上に君臨する祖父であった。

水戸の事件の翌日、土浦で28歳の青年が両親と姉を殺害した。大事に育てた子どもから殺されるなど、あまりにむごい。親殺しというのは子育ての失敗だが、ほとんどは親の側に問題がある。青年の家庭は代々地主で、祖父は市議会議長。父も市役所の幹部。いわゆる地方の名士でした。父親は、外面は「穏やかないい人」でしたが、内面はDV夫、虐待親だった。

父親から殴られ続けた息子は、小学校の頃から母親に暴力を振るうようになる。自分が身に受けたことへの吐き出しが、小学生の時点から始まった。高校3年から友達と会話した事はなく、徘徊や暴力などくりかえしていたようだが、「家で体に悪いものを浴びているから、外でマイナスイオンを浴びている」などというようなことを口にしていたようだ。

専門学校を中退し、19歳から引きこもった息子の部屋は、『父親がいつもいる茶の間と廊下を挟んだだけの位置にあり、廊下に面した引き戸をいつも開けておくように言われていた。(閉めると虐待)』『部屋は机と布団くらいで本や雑誌も皆無だった。父親がいる間はトイレも我慢し、家族の団らんを感じながらも、部屋に引きこもってたという。

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息子が28歳になった4月から博物館勤務になった父が家で過ごすようになり、息子のストレスは増大する。息子を懸念した母親が保健所に相談に行くが、それを知った父親が激怒する。と、この状況を想像しても、こんな家庭で子どもがおかしくならないほうがどうかしている。それくらいの異常さだ。2004年6月、台所で鉢合わせた息子に父は吐き捨てるように言った。

「いい若者が昼間から働きもしないで、いい気なもんだな。とっとと働けよ」。この言葉に息子は始めて父に殺意抱く。(暴力ですべてを思い通りにするような汚いヤツが何を言う。次は殺してやる=供述)。今までは父が死ぬまで待とうと思っていた=供述。そして事件の前日の11月24日。帰省中の姉と、ストーブをつけるつけないで口論となる。

自分との口論の内容を姉が書き留めていたメモを発見。父親に告げ口しようとしていると思い込み、「ふざけんな。こんな事したら殺人事件を起こすのが分からないのか!」と姉を殴打。後に姉が電話しているのを「病院に電話しているんだ」と思い込み、母と姉の殺害を決意する。キッチンで家事中の母親の左手をひっぱり、包丁を見せたあと頸部と頭部を刺して殺害。

茶の間で鉢合わせした姉の顔面や頭部を何度も突き刺し、倒れた後に身体を(百ヶ所以上)突き刺し殺害し、頭部を金槌で殴打する。まれにみる凄まじい憎悪心である。ここで疲れ派果て、一旦自首を考えたという。が、父親こそ自分を苦しめている元凶、ここまま終らせるわけにはいかないと考え直し、自室で父の帰宅を待ち、頭部や顔面を滅茶苦茶に殴打。

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父親殺害後、父が行く予定であった尺八教室に「父は急な出張で休みます」と断りを入れ、茶の間に座ったり、テレビを観たりして過ごしている。翌朝8時「母と姉と父を殺しました。以前から仲が悪かったんです。」と警察に電話をかけ、署員に逮捕される。

《土浦・両親・姉3人殺害事件》
 24日朝~
       ・姉と口論になり素手で数回殴る
       ・「病院へ行く」と言う姉に、発覚すれば警察に捕まることを恐れ、「みんなを殺してしまおう」と考える

正午ごろ~    
       ・母親(54)を包丁で殺害

 午後0時半ごろ~ 
       ・姉(31)を包丁と金づちで殺害
       ・おい(11カ月)はそのまま放置

 午後5時半ごろ~ 
       ・帰宅した父親(57)を金づちで殺害

 午後7時すぎ~  
       ・尺八講座がある公民館に「飯嶋は東京に出張に行っていけない」と電話で父親の欠席を伝える

25日午前8時半~
       ・「両親と姉を殺した」と110番通報
       ・署員が駆けつけると庭先でぼんやりとした様子で立つ

検察側は約4ヶ月の鑑定留置の結果、「刑事責任能力は問える」と判断して起訴。弁護側が請求した精神鑑定では、青年は24歳ごろから統合失調症に罹患、事件当時は心神耗弱状態で、心神喪失の可能性も否定できないと指摘。検察側は求刑死刑。一審では心神喪失として無罪を言い渡すも、二審では責任能力を部分的に認定し、無期懲役判決。最高裁で確定した。

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