「男は理性的」、「女は感情的」。巷いわれることだが、話してみるとよく分る。男は"何が正しいか"を徹底的に突きつめ、論じ合うが、女は"自分の感性にあったものが重要"であって、正しいものなど求めちゃいない。だからか男は男同士で話すのが楽しく、女は女同士でぺちゃくちゃいう方が楽しいだろう。男と女が楽しい会話もありますけれども…。
男同士で話すエロ話は情報交換の場合が多い。梅宮辰夫が"トルコの帝王"と言われた時代があった。トルコとはトルコ風呂で、今のソープランドのこと。同じ時期にトルコ通いを自負する奴がいて、「ビーナスのななが最高にべっぴんじゃ」と教えてくれた。聞きもしないのに、(トルコ)なんか行く気もないのに、ビーナスというトルコのななちゃんがお勧めであると言う。
何十年も前のことなのに、なぜか"ビーナスのなな"を覚えている自分は、頭がいいのだろうか?男のそういう話は罪はなく、まったく興味を持たないというものでもない。熱心に語る彼の少年ぼさもついでに思い出す。ああいう時の男はまさにひたむきな童(少年)である。彼の特技は「泡舐め」と豪語する。泡舐めとは、シャボンのついたナニを平気で舐めるという。
「大丈夫か?石鹸だろ?」というと、「ぜーんぜん、石鹸舐めて腹を壊したことない」、「だって石鹸の味しかしないだろう?」、「まあそうだが、向こうの業務遂行上、どうしてもシャボンを舐めることになるんじゃよ」、「まあ、言ってる意味はわかるが、ようやるわ」みたいな会話だが、会話自体が子どもである。"童心に帰る"といえば聞こえはいいが…
そういえば自分的にはまったく興味のないSM男もいた。SM男がいるという以上SM女もいるわけで、それでなければ成り立たない。阿部定事件ではないが、頚動脈の圧迫は、脳に血流がいかなくなり、いわゆる"落ちる"と言う状態になる。柔道などの絞めワザとしては立派な技だが、SM用語では窒息プレーという。福井大准教授は窒息プレーなのか?まさか…。
「Killing Me」は「私を殺して」という直訳だが、そのようなシチュエーションなどそうそうあるものではないし、実際「Killing Me」をそのように訳すことはまれであろう。ナニの最中に「Killing Me」と叫ぶようなことはあるような気がするが、XXXモノの映画で発する声を聞いたことはある。が、「Killing Me」の使われ方は、一般的に以下のようなものだという。
・My legs are killing me.(足がすごく痛い=長距離徒歩やマラソン完走後…)
・My finals are killing me.(期末試験ですごく大変)
・You smile is killing me.(笑顔が素敵で私メロメロ)
ロバータ・フラックの名曲に『やさしく歌って』というのがあるが、この邦題の原題は、「Killing me softly with his song」である。これを『(彼の歌で)優しく殺して」と訳すのは情緒がない。「Killing Me」という語句であっても、やはりメロメロにして、とろけさせてであろう。「やさしく殺して」という訳もあるが、間違いではなく情緒の問題。
Strumming my pain with his fingers,
Singing my life with his words,
Killing me softly with his song,
Killing me softly with his song,
Telling my whole life with his words,
Killing me softly with his song ...
Singing my life with his words,
Killing me softly with his song,
Killing me softly with his song,
Telling my whole life with his words,
Killing me softly with his song ...
ギターの音が私の痛みをかき鳴らす
彼の言葉は私の人生を歌ってる
私はしばし自分を忘れてしまったの
彼の歌にうっとりしてしまったの
私の人生のすべてを歌ってほしい
やさしい歌で忘れさせてほしい
彼の言葉は私の人生を歌ってる
私はしばし自分を忘れてしまったの
彼の歌にうっとりしてしまったの
私の人生のすべてを歌ってほしい
やさしい歌で忘れさせてほしい
「私を殺して…」は、例の福井大准教授の教え子殺人事件である。最近、情報が出てこないが、ちょっとオカシくないか?「菅原さんに抵抗した跡がまったくない」という最終情報が出されて以後、トンと途絶えたまま…。もし、窒息プレーが事実であるなら、被害者の友人・知人関係や両親・肉親がそれをどう思おうと、事実として出さねばならないだろう。
「私を殺して」というのは、窒息プレイの戯れ言葉、隠語ではないかと。実際、窒息プレーにあっては「クビを絞めて~、早く~」というより、「殺して~!」と叫ぶ方が男女にあっては刺激的であろう。SMプレー自体が刺激を求めるたになされるもので、となると言葉はより刺激的言葉である方がいい。絶頂期に、「死ぬ、死ぬ~」という言葉も一般的で何らオカシクない。
想像すれば何でもできてしまうが、可能性のあることは考えてみるべきで、それが問題を解くコツである。菅原さんが、体調理由に大学院を休学していながら、前園容疑者の居住する福井県勝山市に行って、研究のお手伝いするということは、どう見ても純粋に研究がしたいという理由というよりは、前園准教授との関係を続けるのが目的と見るのは、邪推というより般認識であろう。
これら既成の事実はあえて述べることもないが、前園の新たな学生漁りがでてきており、学生に手を出す手クセの悪い教師は困ったものだ。2010年ごろ、非常勤講師として勤務していた東邦大学(千葉県)にて、ある女子学生をやたら研究に同行させたがっていたという。『2人は付き合っている』とウワサしていたらしく、大学の調査も受けているとの報道である。
今回と話が似ているが、学り漁りは自身のかばん持ちが隠れ蓑になる。菅原さんにとっても赤トンボはダミーでしかなく、周囲はそれが本望と思えばいいわけだ。聞き込みは東邦大学にも行っているだろうが、これと死因の関係はなく、事件は事件について調べるしかない。「自分が殺った」と認めてるのだから、問題は動機である。「菅原さんに抵抗の跡がない」との報道は窒息プレーの可能性を示す。人はじっとして殺されるものか?死にたい人間は、首を絞められ、じっと死を待つのか?如何に死ぬ気であったとはいえ、「殺して」と懇願したとはいえ、苦しい窒息状態にありながら、無抵抗で死を夢見るものなのか?
痛ければ「イタイ!」、熱ければ「アツイ!」、冷たいなら「ヒヤイ」。これが人間の反射行動ではないのか?クビを絞められて苦しくなっても、じっと死を待っていたという状況である。そんな芸当が人間にできるのか?可能性は、「窒息プレイ」という許諾である。捜査関係者は「ハードルがいくつもあって、大変厳しい状況」と、捜査の難しさを指摘するように、情報がパタと途絶えた。
朝からサンダル履きで、早朝セックスやってたんか、こいつら?「そんなことない」と言ってはダメだ。早朝にやるのはアリだろう。何でもアリなら、何らおかしいことでもない。したいときがするときだ。あるいは、セックスをしないままに、窒息寸前の相手を眺めながら快感を覚える性癖所有者もいる。実際にそれで3人の命が奪われる事件があった。
十年前の2005年8月、大阪府堺市の人材派遣会社社員、前上博容疑者(36)が殺害を供述したのは、行方不明になっていた、神戸市北区の中学三年の男子生徒(14)である。男子生徒は同年5月21日未明から行方不明になり、直後に男の声で複数回電話があった。男子生徒は失跡前、友人に「自殺サイトで知り合った大阪の男性に会いに行く」とメールしていたという。
また、大阪府警は前上容疑者の供述に基づき、河内長野市の山中で5月から行方不明になっている同府東大阪市の近畿大3年の男子学生(21)とみられる三人目の遺体を発見。同容疑者がカメラ付き携帯端末を持参し、遺棄現場で遺体の画像を撮影していた疑いも浮上、「人が苦しむ姿が見たかった」という同容疑者の犯行後の異常な行動が改めて浮き彫りになっている。
見つかった遺体は白骨化し、衣服や所持品はない。前上容疑者は「3人とも自殺サイトを通じて誘った。手足をひもで縛った後、口をふさいで窒息死させた」と供述した。前上容疑者は「人が窒息状態になって苦しむ姿に快感を覚える」と動機を説明。自宅で押収されたパソコンなどから、口を押さえられるなどして苦悶する男女の画像が大量にみつかった。
前上容疑者は2月に殺害した大阪府豊中市の長元美智子さん(25)の遺体をカメラ付き携帯端末で撮影したが、事件発覚後に消去した痕跡も見つかった。「すべての現場にカメラを持っていった。殺害した女性の遺体を撮影し、見ていた」とも供述。神戸市の中学三年男子生徒と近畿大の男子学生とみられる二人が、口を押さえられて苦しむ様子の画像も含まれていた。
これは「窒息プレー」と呼ばれ、中国・香港では交際相手を誤って殺害する事件も起きているほか、インターネット上でも愛好者の書き込みが氾濫。前上容疑者のものと酷似したアドレスで、「窒息プレーをしませんか」と呼びかける書き込みも複数サイトもある。危険な「窒息プレー」は、先の「阿部定事件」にも書いたが、人間と言うのは刺激を求めて危ないことをするものよ。
インターネット上でも愛好者の書き込みが氾濫。前上容疑者のものと酷似したアドレスで、「窒息プレーをしませんか」と呼びかける書き込みも、複数サイトで見つかっている。しかし、なぜこのような性癖を?前上容疑者は、口をふさがれ窒息する姿に興奮する性癖が異常だと自覚しているが、「なぜこうした性的衝動が自分に起きるのかわからない」と話している。
前上は1968年生まれ。4人家族の長男で、父親は元警察官。大阪府堺市の高校から石川県の金沢工業大学に進んだが1年で中退。性格はおとなしく、近所の人は「目立たなかった」という。大学生のころ「眠れない」と通院歴がある。地元に戻った前上はタクシー運転手などの職を転々とし、人材派遣会社に就職。04年5月からはカメラ製造会社に派遣されていた。
ここでの評価も「おとなしい」、「真面目」といったものだった。前上が異常な性癖に目覚めたのは幼稚園の頃である。郵便局員のかぶった白いヘルメットに性的興奮を覚えた。(このことは法廷では話さず、面会した東海女子大教授・長谷川博一氏に語った)前上は中学生の頃、推理小説の挿絵に子供が口を押さえられる様子が描かれているのを見て興奮した。
やがてそうした絵を見て自慰するようになった。以後、高校を卒業するまでに、薬品を染み込ませたガーゼで近所の児童らの口を押さえ、窒息させるという犯行を何度も繰り返した。さらに2001年3月から6月にかけて、堺市の路上で通りがかりの女性ら2人にベンジンを染み込ませたタオルを押し当てるという事件を起こし、懲役1年執行猶予3年の有罪判決を受ける。
翌年の4月にも男子中学生の口をふさぐなどして、傷害・暴行罪で懲役10か月の実刑判決を受けた。警察官だった父親は退職金を慰謝料に充てた。前上は白いソックスにも異常な執着を示す。中学生の時、教育実習生が履く白のスクールソックスに興奮したのが目覚めだという。郵便局勤務の頃、白ソックスを履いていた同僚男性に劣情を催し、スタンガンで襲って逮捕された。
この事件では起訴猶予となる。元警官の父親が一千万円近い示談金を払っていた。特筆すべくは、前上のIQは128もあった事が明かされた。IQ128というのは、「非常に頭が良い」部類に入る。前上は2001年頃から自身のホームページを開設。主人公が人を窒息死させるという内容の自作の小説を掲載する。「自殺サイト殺人事件」と称され、被害者は自殺志願者であった。
このような人間を見るに、およそ理性の欠片もない、自己の欲望一辺倒の野獣である。性癖と言えば性癖であろうが、性癖にしてはあまりに異常であり、正気の人間とは思えない。前上の精神鑑定は1年以上にわたって行われた。そこで判明した彼の性癖の要因は、警察官である父親からは独自の逮捕武術から派生した窒息によるリンチ・虐待を受けていたのが判明。
これが被告の言う「4つの性癖(白色スクールソックス、窒息、唯一効力のある「精神安定剤」が他人をいたぶることであること、そのことを苦にしたことで生じた自殺願望)」の根本となっていた。何が災いするか分ったものではない。前上は死刑判決を受け、弁護側は即日控訴したが、前上が2007年7月5日付けで弁護人の控訴を取り下げたため、死刑が確定した。
前上は「死をもって償うしかない。半年以内に手続きを終えて欲しい」と、すみやかな死刑執行を訴えた。4年後の平成21年7月28日、大阪拘置所で刑は執行された。犯罪者に親の影響が被さる事が多い。少しのことでも、どんどん自己増殖することもある。無菌室で純粋培養するのが決していいとは思わぬが、いかなる子も生を受けたときに将来は決まっていない。
「子どもに純真な心をも持ち続けさせるよい方法は一つしかないと思われる。それは、子どものまわりにいるすべての人が純真なものを尊重し、愛することだ」。これはルソーの『エミール』の中の言葉だが、親が純真であれというなら難しいが、"純真なものを尊重し、愛すること"なら可能であろう。これに反駁するのか太宰治に「純真」という短編がある。以下全文。
「純真」なんて概念は、ひょっとしたら、アメリカ生活あたりにそのお手本があったのかも知れない。たとえば、何々学院の何々女史とでもいったような者が「子供の純真性は尊い」などと甚だあいまい模糊たる事を憂い顔で言って歎息して、それを女史のお弟子の婦人がそのまま信奉して自分の亭主に訴える。亭主はあまく、いいとしをして口髭なんかを生やしていながら「うむ、子供の純真性は大事だ」などと騒ぐ。
親馬鹿というものに酷似している。いい図ではない。日本には「誠」という倫理はあっても、「純真」なんて概念は無かった。人が「純真」と銘打っているものの姿を見ると、たいてい演技だ。演技でなければ、阿呆である。家の娘は四歳であるが、ことしの八月に生れた赤子の頭をコツンと殴ったりしている。こんな「純真」のどこが尊いのか。
感覚だけの人間は、悪鬼に似ている。どうしても倫理の訓練は必要である。子供から冷い母だと言われているその母を見ると、たいていそれはいいお母さんだ。子供の頃に苦労して、それがその人のために悪い結果になったという例は聞かない。人間は、子供の時から、どうしたって悲しい思いをしなければならぬものだ。
ルソーの思考は素直だし、自然だし、納得もし得るが、太宰には太宰の「脳」があるのだろう。太宰を徹底好きな読者がいる。徹底嫌う者もいる。上の短編は、彼の卑屈さ、ひねくれ加減がよく現れている。太宰は好きか嫌いか?と、問われるなら、好きなところもある。嫌いなところもある。同じ無頼派の坂口安吾に嫌いなところは見当たらない。