すべての大人にとって確実なのは誰もがこどもであったこと。記憶の大小に関わらずこども体験はしてきた。ただし、こども時代体験の善悪良否についての問題点はあろう。ルソーは人間は自然な存在とし、彼のいう自然の意味とは人間が生来的に幸福を求める存在であるところの自然である。したがって、我々においては、幸福であるということは自然であることになる。
人間が幸福であるためには、自らのうちにその存在を閉じ込めておかねばならない。我々の自由や力は、我々の自然の範囲にしか広がりをもたない以上、我々は自分でできることだけを望むのでなければならないとルソーは考える。そして、このような人が真に自由な人であり、そこには能力と欲望の均衡がある。したがって、自由な人は幸福な人、自然な人である。
なるほど、ルソーのいう幸福に至る道が、「能力と意志とを完全な平等におく」ということの理解ができる。「すべては、創造主の手を離れるときは善であり、すべては人間の手の中で悪くなる」とエミールの冒頭にあるように、ルソーは人間を本来善なるものと考えているようで、それを悪くするものは人為であるという。教育に対する象徴的なルソーの考えが伺える。
それならこどもには何もしないのがいいのかとなるが、ルソーは教育は不必要で有害なものだとは言っていない。あらゆる教育の中でもっとも偉大で、最も重要で、さらにはもっとも有用な規則としてあげているのは、「こどもには時間を稼がないで、時間を失うこと」であるとしている。この言葉の意味はどういうことをいっているのか?一言でいうと早期教育の否定である。
何をおっしゃいますかルソーさん、今の時代は早期教育大全盛ですぞ。早期教育なくして過当競争の今の時代をカメのようにのろのろ進ませたい親がどこにいよう。「這えば立て、立てば歩めの親心」というではありませぬか。なんとおっしゃるウサギさん、それはあくまで親心であり親の欲目であって、どんなにカメを早くから仕込んでもウサギにはなれないのですぞ。
と、こんにちのご時世にあってっも、実は早期教育は医学的に否定されているのだった。といっても慶応大学医学部教授で小児科医の高橋孝雄先生の意見であるから、正しいのか嘘っぱちなのか、「さあ、どっち!」でござろう。ちなみにこの先生、多くの人に信じられているお腹の赤ちゃんにモーツァルトを聴かせるなど、何の意味も御座らん、止めた方がいいとおっしゃっている。
つまり、胎教を否定されている。このような言葉で…。「残念ながらほとんど聞こえていません。お母さんの心拍は聞こえていますが。モーツァルトを聞こうが工事現場にいようが、変わらないということです」。「…ショック」といいたいが、4人の子どものうちの最初(長女)だけで、あとは面倒なのかやっていない。親って最初の子だけは気負って育てるものなのだ。
長女にはたくさんの音楽を聴かせたし、それを今更まちがいだったといわれても済んだことはどうにもならない。まあ、悪かったってことはないだろうし、良かったこともあったのではないかと…。こどもは全員30歳を超えているので、関係ないといえばないが、胎教是か非かに興味のある方は下のURLから高橋先生のご高説をとくと読んで方針を決めるとよいかも…。
ここで言いたいことは、300年前のルソーさんの時代のことではなく、今の時代においても、「早期教育」の是非が論じられていることに人間の奥深さを感じてしまう。早期教育などの言葉を使わずに、巷で耳にするところの、「早生まれは損」ということでいえば、これは間違いなく早期教育である。つまり、早期教育は良くないというように聞こえるのだが実態はどうなのか?
◎ 「早生まれ」とは、【1月1日~4月1日】に生まれた子のこと。
◎ 「遅生まれ」とは、【4月2日~12月31日】に生まれた子のこと。
調べてみてちょいとビックリ。【1月1日~3月31日】と思っていたら、4月1日だったとは…。その理由がオモシロい(自分的にはくだらないと思ったが)。つまり、人の年齢の数え方を法律(民法143条:「年齢計算ニ関スル法律」)的にいうと、人間が歳を取るのは、「誕生日前日の深夜0時」だと定められている。我々は誕生日当日に1つ歳を取るわけではないということ。
なぜ、誕生日前日の0時なのかというのは、2月29日生まれの人のためではないかと言われている。つまり、2月29日の午前1時に生まれた子は、2月28日の0時(時間は関係ない)生まれということになる。この法律と学校教育法の第17条第1項から、「子どもが満年齢で6歳になった翌日以降に迎える学年の初めから小学校へ通うことができる」ということが読み取れる。
さらには学教法施行規則第59条には、「小学校は4月1日から始まり、翌年の3月31日で終了する」と記されている。このことから上記の、「学年の初め」を4月1日と置き換えることができる。以上のことから、なぜ4月1日が早生まれになるのか、4月1日生まれの人について考えてみる。4月1日生まれは年齢に関する法律から、誕生日前日の深夜0時、つまり3月31日に6歳を迎える。
小学校入学は子どもが6歳になった翌日の4月1日以降となり、3月31日に6歳になった4月1日生まれの子は入学できる。これが4月2日生まれの人になると、前日4月1日(午前0時)に6歳となるが小学校へ入れるのは6歳になった翌日以降の年度初めと決められているので、4月2日から小学校入学の資格を得るが、新年度の4月1日は過ぎてしまっているので翌年まで持ち越される。
小学校への入学区切りが、4月1日と2日であることから、早生まれの区切りが4月1日までになっている。4月1日生まれは早生まれの中でももっとも若い存在となり、入学直後に7歳になる4月2日生まれとは1年の差がある。これを早期教育とみるか、1年差で同学年は酷とみるかだが、早生まれの子のメリットは遅生まれと同学年でも同列に扱われたいので努力する傾向にある。
遅生まれの子は早生まれの子に比べてなんでもできることが多く、自信につながる。この年齢での1年差は大きいが、学年が上がればどうということもなくなる。早生まれの子を案ずるより、早期教育を受けて得した思えばよかろう。ものは考えようだ。ルソーは早期教育を否定するが、上記の場合はシステムなのでメリットと思うことだ。彼の早期教育否定の考えはこういうこと。
子ども時代はのびのびとその時代を楽しませることだ。こどもには難しいことをあえて教えないことで、子どもとしての本来的で重要な真の教育が行われている。こどもの精神を解放させる(遊ばせる)ことを、自由で放任された無駄な時間と考えてはならない。この時期こそが何よりも、「無駄」が大切なのだとし、それが、「時間を稼がない、時間を失うこと」と述べている。