「家電の昭和史 冷蔵庫」によると、家庭用冷蔵庫に独立した野菜保存室が登場したのは昭和48年(1973年)となっている。フリーザー付き冷凍冷蔵庫の発売が昭和36年(1961年)だから、12年遅れということになるが、これで冷蔵庫は冷蔵室・冷凍室・野菜室のスリードアとなる。さらには自動製氷機に独立した製氷室や解凍後に0度を保ち続ける解凍室の5ドア時代となる。
野菜専用室の登場となっても、さらに野菜の鮮度をキープしたり、長持ちさせる方法として、ラップでくるんだり根元をキッチンペーパーで巻いたり、タップに入れたりの工夫は今や主婦の常識となっている。これらは野菜や果物を酸素に触れさせないとの理由だが、科学的にいうなら野菜を呼吸させないためで、リンゴのCA貯蔵で述べたが冷蔵庫で似たようなことをやっている。
地球上の空気の主な成分と割合は、窒素約79%、酸素20.8%、アルゴン0.9%、炭酸ガス0.03%となっている。我々は酸素を吸って生きているというが、実際はもっとも窒素を吸っていることになる。なぜ大気中に窒素が80%近くもあるのか、窒素とは一体何で、どういう役割をするのか?別に知らなくてもいいことだが、これも教養といえるなら知って損をすることはない。
上記したように地球上の大気の99%が、窒素と酸素というガスで占められているのは驚きだ。原子番号「7」の窒素はフランスなどでは、「生命が存在できない危険な物質」を意味する、「azote(アゾート)」と呼ばれ、その日本語訳が、「窒息させる物質の意味で窒素」とされた。なんでこんな穏やかならぬ名称を付けられたかは、窒素の発見の経緯が関わっているようだ。
誰が最初に窒素を見つけたかについては種々の説があり、有力なのは1772年にイギリスのラザフォードが発見したとされるもの。ラザフォードは、密閉した容器の中でローソクを燃やして酸素を二酸化炭素に変え、この気体をアルカリ液で処理して二酸化炭素を除くと後に気体が残った。ラザフォードは地球大気が一種類の気体でできてないことを知る。これが窒素だった。
我々に必要なのはあくまで酸素であって、酸素がなければ生物は生きられないし、ローソクを燃やすこともできない。そのためこの気体は、"ダメな空気"、"生命が存在できない物質"など散々な言われ方をされた。そんな物質なくてもよさそうで酸素だけでいいのでは?となるが、酸素が多すぎるとちょっとした刺激で自然発火する。二酸化炭素の比率が多いと動物には毒。
また窒素が多すぎると生物は窒息死する。窒素は重要な役割というより、控えめに役立っていることになる。そうばかりではなく、実は生命にとって不可欠な物質といえる。空気から酸素を取り除いけば酸化を防止しできる。ラップにくるむと「腐りにくい」のはそのため。つまり物を腐らせるの微生物などのは細菌で、細菌も酸素を使って生きており、酸素がないと腐らせられない。
したがって、窒素でなくてもいいのだが、一番身近に大量にあるので窒素を使うというわけ。クルマのタイヤに窒素の充填を勧められるのも、タイヤを長持ちさせる他に、いろいろメリットがある。つまり、大気が酸素や二酸化炭素だけならデメリットがありすぎ、窒素はそれを薄める役割をするだけでなく、生き物がちゃんと使う窒素は生命に不可欠な物質である。
空気中の窒素をある種の細菌が取り込み硝酸塩に変え、これを植物が取り込み、タンパク質などに変える。したがって、植物の「肥料」配合物として、「窒素、リン酸、カリウム」などが含まれている。ところが、大気中に8割もある窒素なのに、人間を含む動物は、窒素を呼吸ではなく食べ物でしか摂取できないというから、地球はそれほど生物には都合よくできてはいない。
植物は根から水と栄養分を吸収し、光合成によって成長するが、この栄養分が窒素、リン酸、カリウムで、土壌に豊富にあるわけではなく、植物を育て続けると足りなくなり、成長が悪くなる。だから肥料を与えるわけだが、大気中に80%近くあり窒素も、動植物にとって呼吸で取り込めないからこそ、重要な元素となる。かつて肥料は家畜の糞や落ち葉を腐らせた堆肥であった。
これらが生物由来の窒素を含んでいたからだ。それをドイツのハーバーとボッシュが、大気中の窒素分子をアンモニアに変える方法を発明し、1913年に実用化に成功した。つまり、彼らは大気中の窒素を使えるようにしたことになる。しかし、動植物が呼吸で窒素を取り込めなのなら、人間が吸い込んだ大量の窒素は肺から血中に溶け込まないことになる。一体どこにいくのか?
空気中の8割もの窒素を吸っても吸収はされず、基本的にはそのまま出て行くことになる。赤血球は4分子の酸素をくっつけることが出来るが、例えば一酸化炭素はその数百倍の力でくっつく。一酸化炭素中毒は怖いし、二酸化窒素は体内に取り込まれると、呼吸器疾患の原因となる。二酸化窒素は水に溶け易く、亜硝酸水として人体に溶け込に、酸性雨などの原因となる。
同じことが窒素にも言え、窒素はCOとは反対にくっつく力が弱い。しかし、水の中に窒素が存在するなら、窒素は呼吸で水分を仲介して吸収される?これは間違い。ただ、高水圧の潜水夫の酸素タンクには窒素、酸素が8対2で配合されているが、窒素は高圧化の場合に人体組織に溶けこむが、常温で窒素が人体に吸収されないように、上手くできてるということになる。
仮にもし、窒素が人体に吸収し易いことになれば、体内は亜硝酸で侵されてしまう。水質検査測定の際、水槽内からアンモニアが検出されなくなると次に検出されるものが亜硝酸。亜硝酸はアンモニアほど毒性は高くないが、水槽内で亜硝酸が検出されはじめる頃から珪藻と呼ばれる茶色い苔が発生し始める。珪藻は亜硝酸態の窒素分を好んで増殖するからだ。
いかにこの時期に窒素分を除去できるかが珪藻を減らせる、または水質を安定させる鍵となる。こうした自然界の減少には様々な元素や物質が絡み合って様態を起こしている。この素因を化学変化であり、科学の不思議さ、面白さはとりこになると止められない。窒素にまつわる以下の実験なども、不思議を超えているがちゃんと理由を知ると納得させられる。それが科学である。
「人間をある密封容器の中に入れて、容器の中から窒素をいくらか抜き取り、周りの空気が通常時の空気よりも窒素量が低い状態にすると、容器中の窒素は外側から補われることがないにもかかわらず、容器中の窒素量の割合は通常と同じく元通りになる。ということは、人間内部から窒素が補充されたことになる。マジシャンが何もないところからハトやカードを出すようなもの。
あれにはタネがあるが、こちらにもタネがある。つまり、人間はこれまで慣れ親しんできた通りの量の窒素が周りにできるように、自分の持っていた窒素を空気中に放出するということだ。人間は身体の内部と、人間を取り囲む窒素との間に正しい平衡関係を作り出さなければならない事情がある。外部の窒素量が不均衡に少ないことは人間にとって許されないことなのだ。
窒素を呼吸するという必要は無いのかも知れないが、窒素は人にとって大切なもので、空気中に存在するだけの量、つまり80%の窒素がどうしても必要ということになる。これだけのメカニズムを、いやこれ以外の自然界における自然の営みを、神が設計図に描き上げたというのは信じられないが、創造主を信じる側は、「だからこそ神の仕業といえるのだ」と、譲らない。