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夏のリンゴが美味しい理由

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子どものころ、リンゴは大嫌いな果物だった。理由の一つに祖母が買ってくるリンゴは、いつもキズや傷んで人間でいうアオジがあるようなリンゴばかりだった。おそらくそういうリンゴを半値以下で買ってくるのだろう。近年はそのようなリンゴをスーパーで売るハズはないが、昔の八百屋さんでは当たり前に売っていた。傷んでいる部分を切り取って捨てればいいのだが…

国民のみんなが貧乏だった時代、副食としての果物は贅沢品だった。それでも手頃な値段で手に入れられるのは、貧乏人にとって有難いことだった。傷んだミカンは売れないが、リンゴのどころどころの傷みは包丁で切り取れば支障はない。それでもこどもにとって腐ったリンゴにみえた。「ばあちゃんはいつも腐ったリンゴを買ってくる」という作文を書いたこともある。

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リンゴは国産だったが、輸入のバナナは一層超贅沢品で、少々色が変わったバナナでも飛びついて食べていた。食べ物に飢えていた昔の子どもは、学校から帰って山に入るのは、果物の宝庫だったからである。そうした懐かしさもあって、ウォーキング途中にいろいろ果物を取って食べている。木から直接もぎ取る柿や木の実は、お金を出して買うより、なぜか美味しい。

昔は全盛だったが最近はほとんど見ない品種のインドリンゴは、子どものころにもっとも嫌いなリンゴだった。理由はもっとも傷みやすく、だからか祖母は傷んだインドリンゴをよく買ってきた。酸味の少ない変に甘いインドリンゴは、酸味の好きな自分には耐えられないリンゴだった。なぜ今はないのだろうか?おそらくリンゴの美味しさは、あの酸味だからだろう。

それに加えてインドリンゴの触感の無さはどうだ。無さというのは、あの「カリっ」という感覚の無さである。今でも触感のないリンゴは好きではないし、常食は決まってフジリンゴ。もしくはサンフジに決めている。米を食べない日はあっても、リンゴを食べない日はない。というほどに、リンゴとキウィは欠かさない。しかし、昔に比べてリンゴの美味しさは格段に向上したようだ。

以前、もっとも好きなリンゴは紅玉だった。これはあの酸味の強さによるが、傷みやすいのが欠点で、切ったら中が茶色ということもある。腹が立つので今は買わなくなった。フジリンゴがこれほど美味しければ十分満足感はある。ましてや、春でも夏でも美味しいリンゴが食べられるご時世に驚くばかりだが、値段の高さもそれはそれで仕方のないことであろう。

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この時期なら一個が250円はする。リンゴは美味しくなったばかりか、無農薬・無肥料栽培できるほどまで進化した。古来リンゴは、「農薬で作るといわれるほどに病虫害の多い果物だった。リンゴ農家はその戦いに明け暮れていたといっていいだろう。したがって、生産者以上に、肥料・農薬製造会社の研究開発が、こんにちのリンゴ産業を支え、押し上げてきたのである。

リンゴといえばこの人、この人といえばリンゴといっていい日本のリンゴ革命を成し遂げた人が木村秋則さんである。青森県岩木町(現弘前市)の三上家の次男として生まれた木村さんは、青森県立弘前実業高等学校商業科を卒業後に上京、トキコ(現日立オートモティブシステムズ)に入社した。1971年に22歳で帰郷、リンゴ農家の木村家に養子として迎えられ妻美千子と結婚する。

リンゴ農家に養子に入ったことで、無農薬リンゴ作りを目指したのではなく、当の木村農園も一般のリンゴ栽培農家と同じように農薬散布で徹底した病虫害駆除をおこなっていた。ところが、その農薬で家族の体が痛めつけられ、秋則さん自身も農薬の害に遭遇したことが無農薬生産のきっかけとなった。農産物に農薬は欠かせないもので、沢山使えば農協からも称賛された時代。

当時は劇薬のパラチオンなども使われ、散布後のリンゴ畑の周辺にはドクロマークの三角旗を立てていたという。ダイホルタンや石灰ボルドー液(硫酸銅と生石灰の混合液)なども、雨合羽ナシの普通のジャンパーや古着を着て手散布作業をするものだから、顔や首筋、腕や長靴の上に農薬がかかる。それが超アルカリ性やけどを起こして、白いポツポツとなって現れる。

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普通のやけどの場合、白くポツポツが出た後に水ぶくれができるが、農薬の場合は白くポツポツが出た後にいきなり皮がベロリと剥がれ、痕が真っ赤になるという。ダイホルタンは低農薬栽培時の農薬だが、発がん性が強いことで発売が禁止されている。昭和39年に許可され、平成元年まで使われていたわけだから、お上の指導でなんと25年も使い続けていたことになる。

農家の人たちもダイホルタンに悩まされていたといい、秋則さんも目元の柔らかいところが腫れて目が見えにくくなる。「女房の美千子はかわいそうだった。漆の強いやつにかぶれるようなもので、散布後一週間は畑にでられず、最盛期には1か月も出られません」。青森のリンゴ農家はどこもみな同じ思いで、青森県のリンゴ生産は体を張った農家の汗と努力だったという。

以上は木村秋則さんの著書『リンゴが教えてくれたこと』の記述である。こうしたことが有機農法の絶え間ぬ努力と結実になったという。が、言葉では簡単に言えるが、どれだけの苦労があったかが著書に書かれている。有機農法に転換したことで、リンゴの無収入、無収穫時代は9年間にも及んだという。収入は月に3千円しかなく、一家は畑の草を食べていたという。

妻は市内のパチンコ店で働き、さらにはキャバレーで働いた。家族には「観光関係」と嘘をいっていたという。それでもリンゴの木はいつしか実のろうと自ら努力をしていたのだという。近所の人たちは、「あんたがリンゴの木を捨てるから、リンゴの木はかわいそう」などと皮肉も言われたりもした。草ぼうぼうのリンゴ畑が、やっと実るメドがついたとき…

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「肥料もいらないわたしのリンゴの木は、まるで自然の山の木のように喜んでいるように見える」という。根の養分こそは少ないが土は柔らかくなり、自由に根毛を張り巡らしていけると感じた。「肥料や農薬を使って作るのが一番」と周囲はいうが、その方がリンゴがかわいそうに見えた。「ほったらかすために、やらなければならないことをやった」と秋則さんはいう。

リンゴは美味しく安全になった。さらには春から夏でも鮮度のあるリンゴを食べられるようになった。これは「CA貯蔵」の恩恵である。リンゴ生産量日本一の青森県では、毎年8月から12月にかけてリンゴを収穫する。11月、12月に流通量がピークを迎えるが、翌年8月まで全国の店頭で販売される。秋に収穫されたりんごを一年中食べるられるのが「CA貯蔵」技術である。

CAとは、Controlled Atmosphere Storage (空気調整) の頭文字。空気中の酸素、窒素、二酸化炭素濃度を調整することにより、貯蔵される青果物の呼吸を最小限に抑制し、鮮度の低下を抑える貯蔵法。従来の温度・湿度の調整に、空気成分の調整を加え、さまざまな青果物を長期にかつ新鮮に保存できる。また、発芽抑制・緑色保持においても大きな効果を期待することができる。

大気中には、窒素約79%、酸素20.8%、炭酸ガス0.03%が存在するが、CA冷蔵は庫内の温度を0度に下げ、酸素を1.8%~2.5%、炭酸ガスを1.5%~2.5%に調整されることで、庫内の酸素濃度を大気中の10分の1にし、かつ低温にすることで、リンゴの呼吸を抑えることが可能となる。このように、リンゴを深い休眠状態にすることで、鮮度を保つことができるようになった。

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