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第17期村山聖杯将棋怪童戦

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前回、5月21日以来の久々の将棋記事。8月4日に開催予定だった「全国小学生倉敷王将戦」が西日本豪雨災害のために来年1月5日に延期になった。堤防が決壊した倉敷市真備地区の一日も早い復興を願ってやまないが、広島県呉地区周辺の豪雨災害も復旧中である。呉市では20日、小中学校19校で繰り上げ始業式が行われた。豪雨で休校が続き、授業時間を確保する狙い。

そんななか、村山聖杯将棋怪童戦は今期で17回目を迎え、19日に行われた。A級棋士のまま世を去った村山聖九段の功績をたたえ、彼の生まれ故郷広島県府中町にて開催されている。試合会場の、「生涯学習センターくすのきプラザ」には同じ森信雄門下で広島出身棋士の山崎隆之八段、糸谷哲郎八段、片上大輔七段、竹内雄悟四段らが多面指し指導対局を行った。

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今期は1都11県から245人が参加し、大分市の大分大付小6年生の市岡真吾くん(12)が初出場で初優勝を飾った。「憧れの怪童杯を取れました」と声を弾ませていた市岡くんは、実は元奨励会員でもあった。2016年の第41回小学生将棋名人戦で、4年生ながら優勝し、全国の小学生の頂点に立った。同年奨励会を受験、7級(本来は6級までで7級は特例)に合格した。

小学4年生の優勝は41回の大会の中、渡辺明(第19回:1994年)、佐々木勇気(第29回:2004年)、佐伯俊介(第32回:2007年)の3名のみで、うち渡辺、佐々木はプロ棋士に、佐伯は小学生名人・倉敷王将の2冠を制したが、2010年6級で奨励会を去る。売り出し中の藤井聡太七段は、4年生時に倉敷王将戦で優勝したが、同年の小学生名人戦において県予選で敗退した。

小学生で強ければ中学~高校も強いというわけではないし、伸びる人・伸び悩む人の差が何なのだろうか。どちらの棋戦も小学生におけるプロ登竜門であるが、地区予選敗退者には、羽生竜王、村山九段、広瀬八段、糸谷八段、佐藤名人、稲葉八段、高見叡王、斎藤慎太郎七段、永瀬七段、石井健五段、佐々木大四段など、そうそうたるプロ棋士がいる。

佐伯俊介くんは小学校卒業時に自らの意思で退会したが、市岡真吾くんは七級のBに落ち、強制退会となる。佐伯くんはプロ棋士の加瀬純一教室で研鑽を積み、市岡くんは地元大分のアマ強豪早咲誠和八段に早くから手ほどきを受けていた。早咲氏といえば知る人ぞ知るアマ将棋界の怪物といわれ、彼の出現でアマ将棋界は頭一つ高くなったといわれている。

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全日本アマ名人を4度、全国アマ竜王戦・全国アマ王将戦・全国支部名人戦・全国レーティング選手権・阪田三吉全国大会・全国赤旗名人戦というビッグタイトルを10度以上取り、地方の大会を加えれば300回以上も優勝している。そんな早咲氏に大分県は、「県民栄誉賞」を贈っている。将棋連盟はそれまで規定のなかった、「アマチュア八段昇段規定」を新設、氏に贈っている。

市岡くんは早咲氏の指導を受けていただけに、奨励会退会は残念であった。日本一のアマに指導を仰いだからといって、最後は本人自身の問題ということになる。将棋のプロ養成機関である奨励会の厳しさは言うに及ばず、ここでメンタルを強くすることと、負けた時の気持ちの切り替えや気分の転換などが、勝負師になるための大切な素養であり、要素でもある。

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月二回の奨励会例会は朝八時に集合、九時の対局開始まで倉庫から盤を取り出して並べ、それぞれが黙々と駒を磨くわけだが、その間誰一人として目も合わせず一言も口を利く者はいない。挨拶すらない。隣のコイツを倒さなければ自分が上にいけないと、小学生同士が敵意をむき出しにしている。したがって、奨励会員同士での友達はできにくい。そういう孤独の世界である。

奨励会は六級までだが、実は最底辺ではなく受け皿として七級がある。北海道・名寄市出身の石田直裕五段は、奨励会入会間もなく、2勝8敗を二度繰り返して規定によって七級に降級した。母親の寿子さんがそのときのことを語っている。「七級に落ちた時は今も鮮明に覚えています。主人と新千歳空港まで迎えに行きましたが、後部座席から泣き声がずっと聞こえていました。

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あのときは声をかけられませんでした」。本人も辛いが何もしてやれない親の辛さもわかろう。石田はその時のことをこう語っている。「将棋で負けて初めて泣いたのは、六級から七級に落ちたときです。これだけ親に金銭的な負担もかけて好きな将棋をさせてもらっているのに、あまりにも不甲斐なくて両親に申し訳なく、この時ばかりは泣くしかありませんでした。」

石田は高校入学と同時に上京し、同じ所司八段門下の渡辺棋王と同じ高校に入学、アパートで一人暮らしを始める。2008年の第44回三段リーグに上がり、2012年の第51回リーグで13勝5敗の成績で四段に昇段、23歳でプロ棋士となった。四段昇段後の全成績は120勝91敗で勝率0.5687である。彼は中央大理工学部を卒業しており、大学は万が一のときの石田家の既定路線であった。

好きな将棋なら仕事にするのも一興だが、仕事として勝ち負けが生活に直結する世界の厳しさは、その世界に生きてみて知ることだろう。第17期怪童戦に優勝した市岡真吾くんの笑顔が印象的だ。最強アマ仕込みの彼の将棋は決して貧弱ではなく、一度はプロの道を目指したものの、さまざまな要素が彼をプロから遠ざけた。今後は、高校~大学~社会人で将棋を楽しんで欲しい。

先日、ウォーキング途中にふらりと公民館に入ると、四名が将棋を指していた。一面が間もなく終わったが、相手が中学生ということもあってか長い感想戦を一緒に聞いていた。核心を突いた良い指導と思いながら、強そうな相手でもあったので、「一局よろしいですか?」と声をかけた。初対面、初手合いだが、年長と分かるとマナーとして先手で指すよう心掛けている。

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6手目に中飛車に振った相手は5筋を突かず、左銀を4三~5四と繰り出してこちらの7六の歩をかすめ取る作戦。自分は飛先の歩を2六のまま保留し、2二角を3三に上がらせないで、3七桂から4五歩と突っかける。相手は4二飛と回って受け、▲4四歩の取り込みから角交換。▲7三、△6四に角を打ち合った後、桂交換~銀交換から、▲3三角成から飛車角交換の激しい序盤。

上の図は後手の7六桂にあてて▲8五角と打ち、△8八桂成で取った銀を△7四に打ち返した局面。銀桂交換の駒損に加えて相手の陣形はしっかりし、こちらは薄く浮き駒もあってやや不利。桂をつなぎ、▲4一飛成の詰めろに対し、魅力的に思えたのか△8五桂と跳んだ手が敗着で、簡単な19手詰めが発生。四枚美濃の強固な竪陣が無残というか、何の役にも立たず残った。

△7四銀以下、▲8六桂、△8五銀、▲同桂、△6三銀打、▲9四歩、△9二歩、▲7四歩、△同歩、▲7三歩、△同桂、▲9三歩成、△同歩、▲同桂成、△同香、▲同香成、△7一玉、▲9一飛、△6二玉、▲4一飛成、△8五桂、▲7一銀、△7三玉、▲8二銀不成、△8四玉、▲9四と、△7五玉、▲4五竜、△6五歩、▲7六歩まで、先手勝ち。「三桂あって…」の一局。

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