Quantcast
Channel: 死ぬまで生きよう!
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1448

イーグルス解散

$
0
0

イメージ 2

♪十年はひと昔~、で始まる井上陽水の『夏まつり』のフレーズ最後の、Am6とEm9のコードがシャレている。夏まつりだから扇子?、そんなセンスを感じた。十年先はとても長いが、過ぎてみると十年はあっという間である。同じ十年でありながら、この違いは単に感覚の差なのだろう。カップヌードルの3分は異様に長いが、食ってしまうとそれすら忘れる。

先の苦労は長いと思えど、終った苦労は忘れてしまう。「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」と、ラジオドラマの有名なフレーズがある。いい言葉だが意味を知る者は少なくなった。愛し合う二人でありながら、運命のいたずらか、すれ違ってばかりでなかなか会えない。携帯で呼び出せば、「やっほー!」と現れる時代ではない。

逢いたくても逢えない気持ちの辛さ、切なさ、いっそのこと忘れてしまったらどんなに心が軽く楽になるだろう。それもできない、忘れられない…。という二人の心境を詠んだものだ。「忘れることなどできないのに、忘れようと思うことが悲しい」確かにそうだ。人はみな忘れたい事を心に持っている。持っているけど忘れられない。自分の人生にのしかかる。

が、これも若さゆえの特権であろう。年をとれば分る。忘れることは年寄りの特権である。自分を年寄りなどとは寸分思ってはないが、客観的な言葉を用いることもある。自分は昔から童顔で、若い頃には舐められる感じがイヤだった。同級生と集まってもみんなクソジジ~に見え、「お前は相変わらず年齢不詳だな」となる。そういえば吉田拓郎も同じことを言っていた。

イメージ 1

最近、愕然とした事がある。「もち吉」という店で違う種類の袋詰めを二つ買って帰ったのだが、帰ってビニール袋を開けてビックリ。何と、同じもの二つではないか。店の責任ではない。自分がそれを持ってレジに行った。その時の状況を思い出してみた。お目当ての二種類の商品が脳裏に浮かぶ。それを目にしながら、なぜ手にしなかったのか?いや、したつもりであった。

選んだつもり、カゴに入れたつもり…、なのに同じ商品をレジに持っていったのだ。もはや意識というのは充てにならない。ナニはともあれ、今後は確認チェックが必要だ。これをボケとはいいたくないし、主観的には老人ではないんだし…。大事なことは忘れてはいけないし、忘れないものかも知れないが、さほどのことは忘れる方がいいのだろう。

それが老人に与えられた特権である。プラス思考の持ち主はイヤなことを忘れる名人である。自分は自他共に認めるプラス思考であるが、昨日・今日のことを忘れるようではダメだ。経年で忘れるのは、「神の思し召し」かもしれない。いつまでも嫌なことを覚えていたのでは、人間は誰も欝になり兼ねない。「昨日の敵は今日の友」というが、言葉の「昨日」は昨日ではない。

一週間前か、1年前か、5年か10年か、人によっても違うし、軋轢の度合いによっても忘却のスパンは変わってくる。巷聞くのはミュージシャンのバンド解散はほとんど喧嘩、もしくは仲たがいであろう。個性的で枠に嵌まらない代表のミュージシャンが、他のミュージシャンと反りがあうことが不思議。カネのために一緒にやるが、だんだんゼニカネではなくなる。

イメージ 3

面を見るのもイヤになったりする。多くのバンドがそれでグループを離れていった。CCRなどは真っ先に兄が「弟とはやってられん」と脱退した。エバリー・ブラザーズも兄弟だが、ステージ上で喧嘩を始めて、コンサートが中止になった事もある。「おまえいら、客のこと考えないんか?」と思うが、主役は彼らで客どころではないんだろう。そんな話は山ほどある。

ビージーズ三兄弟の兄弟喧嘩も有名だが、彼らはやるだけやった以降、仲良し兄弟に戻った。ビーチボーイズも三兄弟で、カールもデニスも長男ブライアンに一目おいていたのか、ブライアンと従兄弟のマイクの間に反目があった。ビートルズにも、ローリング・ストーンズにも、いやいやほとんどのバンドに軋みの問題はあるが、内輪のことゆえ率先して語らない。

自分たちのバンドの内紛を記録し、売り出したのがイーグルスである。グループの緊張感は外から見れば明らかだが、確執の度合いなど具体的なことまでは分らない。ところが、グレン・フライをメインにした語り形式でバンドの凄まじい内紛が語られ、フライと反目しあったドン・フェルダーも臆面なく反論する。ドン・ヘンリー、ジョーやティモシーも追従する。

喧嘩してバンドを去った創世期メンバーのバーニー・レドン、嫌気がさしてグループを去ったランディ・マイズナーも登場し、当時の確執を克明に語るところなど、前代未聞の映像である。『駆け足の人生~ヒストリー・オブ・イーグルス』というタイトルだが、彼らの歴史はまさに喧嘩の歴史である。これだけ正直に、隠さず、あからさまに語るのは、見ていて気持ちがいい。

イメージ 4

人間は互いのことをここまで公言できるのかという驚きを超えて、正直であるところが素晴らしい。黙っているというのも大人の対応だが、絵にし、言葉にして見せるならこれはもうドキュメント。中途半端より、徹底的にやった方がいい。事実を知ってショックのイーグルスファンもいるだろうが、彼らの内紛をショックというなら、おこちゃまイーグルスファンでしかない。

喧嘩の歴史がイーグルスの歴史であるなら、しっかりと受け止めるべきである。芸術家の生み出す作品だけにしか興味がない人はいてもいいが、夏目漱石や、ゴッホや、ベートーベンやジョン・レノンや手塚治虫の、人となりに興味を持つのも自然である。見たくない、知りたくないと、見たい、知りたいは同等であるし、どちらが上位・下位の問題ではあるまい。

イーグルスがネイティブアメリカンのカントリーロックから、本格的なロックバンドを志向し始めたときに、ロック・ギタリストのドン・フェルダーをバンドに迎えることになった。これがオリジナルメンバーでギタリストのバーニーの居場所をなくしたようだ。「サードアルバムの頃から、バンドの中で孤立した感じになった」、とバーニーは回想する。

イーグルスは大物ロックバンドを志向したが、バーニーはカントリー系のギタリストである。グレンは自分たちの目標に敵うギタリストが必要と、バーニーの知人ドン・フェルダーに会う。グレンの第一印象は「物凄いテクニックに驚いた」であった。セッションして家に帰った翌日、グレンからバンドに入らないかと誘いの電話があり、フェルダーは承諾した。

イメージ 5

フェルダーの加入後、イーグルスはロック色を強め、バーニーはメンバーとの会話や方針に加わらなくなって行く。そうして、遂にグレンとバーニーは衝突する。「ライブの後で楽屋にみんな集まって今後の方針など語り合っていた。僕には今後についての明確なプランもあった。そうしたらバーニーがいきなりビールを頭からかけて言った。グレン頭を冷やせよ。」

その事をバーニーは、「なぜか、やってしまった。あのことは今でも深刻に受け止めている。絶対にやってはいけないとだからね。グレンを侮辱したかったのだろうが、当時の自分を恥じている。ただ、限界だったんだろうね…」。バーニーはイーグルスに不要となり、グレンはジョー・ウォルシュに声をかけてバンドに誘う。バーニーはバンドを追いだされた。

ドン・ヘンリーとグレン・フライのイーグルス感が強い中、フェルダーは積極的に発言した。自分も歌わせろ、曲も作りたい…。ところがヘンリー、グレンは彼の歌は認めなかった。フェルダーの曲『暗黙の日々』もフェルダーのボーカルでレコーディングも済んでいた。そこでマネージャーがフェルダーを食事に連れ出し、ボーカルをヘンリーに差し替えてアルバムに入れた。

フェルダーはマネージャーに苦情を申し入れるものの、「ヘンリーのボーカルがいい」となだめらるが、「自分の曲を取られた気がした。これは僕のボーカルという話だったから…」。この辺りからフェルダーとグレンは対立していく。ヘンリーはこのように言う。「フェルダーがあの曲を歌うのは、僕が『ホテル・カルフォルニア』でギターを弾くようなものさ。」


ビートルズはジョンとポールのビートルズと言わんばかりだが、フェルダーもジョージのような扱いである。ビートルズのプロデューサージョージ・マーティンは後に、「ジョージには悪いと思っている」と回想しているが、気の強いフェルダーは『ホテル・カルフォリニア』も自作と言い張り、ヘンリーとグレンがクレジットされているのを納得していない。

イーグルスの内紛が取り沙汰されている当時、ジョー・ウォルシュは仲裁役にあった。「僕らはいつも争っているとメディアは伝えるが、それは正しくない。僕らは互いに刺激しあっている。その緊張感が、いい風や、創作意欲を与えてくれたりする。音楽を作る上では大事なことだ。」とジョーはいうが、今度はランディ・マイズナーとグレンの間で悶着があった。

ランディは美しいハイトーンの持ち主で、『テイク・イット・トゥ・ザ・リミット』が彼の持ち歌で、ライブで披露していたが、声が辛いから歌いたくないと申し出た。グレンは何度も説得したらしいが、いい加減頭にきたようだ。「わかった、もう歌わなくていいよ。嫌だったらバンドも辞めていい」。この言葉が引き金になったのか、ランディは頑としてこの曲を歌わなくなった。

イメージ 8

あるコンサートでこの曲へのアンコールが来た。メンバーはランディに歌うよう何度もせかしたが、ランディは拒否。「だったら勝手にしろ!」、グレンがキレて吐き捨てた。この一件でランディはイーグルスを去る。「ランディの代わりを勤められるのはティモシー・B・シュミットしかいなかった」(グレン)。彼は11年間pocoというバンドにいて、週給250ドルの男である。

「一緒にプレイしたこともないのにバンドに入ってくれといわれた。自分はすぐにO.Kした。新メンバーとしてツアーに出たのは1978年。会場からは、"ランディーーー"の声も聞こえたが、あの変化はメンバーにとっても良かったと思う。」イーグルスのことはヘンリー、グレン、アーヴィングで仕切っていたのをジョーは仕方ないと思い、フェルダーは不満であった。

ティモシーもそういう雰囲気は感じ取っていた。「確かに緊張感に満ちていたが、それほど深刻なものとは思わなかった。ロックバンドはいつだって解散に危機を負っているしね」。バンドは完全に二分されていた。ジョーとフェルダー、ヘンリーとグレン、ティモシーは入ったばかりで風見鶏。ところが、イーグルスを成功に導いたヘンリーとグレンに亀裂が見え始めた。

イメージ 7

ヘンリーは当時のことについて、「もう、すべてが嫌になった。ツアーも曲作りもバカ騒ぎ、あらゆる事が嫌になっていた」。そんな状態の折に、遂にグレンがフェルダーにブチキレた。それはヘンリーとグレンが支持する政治家へのフェルダーの態度が横柄だという怒りである。「政治にも政治家にも無知で興味はなかった」(フェルダー)だが、グレンの怒りは収まらない。

グレンはジョーとフェルダーのいる楽屋に行き、持っていたビール瓶を壁に投げつけた。そして部屋を飛び出したが、怒りは増すばかり、ついにはステージ上で罵りあう。ジョーはその時のことについて、「二人に火種が沢山あり、あの日に爆発した」。ティモシーは、「二人はステージ上で喧嘩し、見ていられなかった」。二人のやり取りは録音されていた。

グレン…「お前はさすがにプロだな。」

フェルダー…「お前もな。人の扱いが上手い。カネもちゃんと払わない。」

グレン…「こんな奴に7年間も給料払ってきたのか。待ってろ、ステージが終るまで。」

「僕はフェルダーを睨みつけてそう言った。あと3曲、3曲でステージが終る。待ちきれない気持ちだった」とグレンがいい、フェルダーも、「ステージから降りたら、ぶっ飛ばすとグレンは言ってた」と言う。グレンは真っ先にステージを降りると、ギターを手にとって粉々に壊してリムジンに乗った。「それでイーグルスは終わり。もう我慢の限界だった」と回想する。

イメージ 6

ティモシーはグレンに電話をかけて問うた。「もう解散するってことか?彼の答えは、『ああ、もう終ったよ』だった」。

ドン・フェルダー:「バンド成功に導いた最大の要因は、フライとグレンの親密な関係だ。が、何年もやるといつの間にか摩擦も生じ、クサビを打ち込むことになる。」

ジョー・ウォルシュ:「僕らは疲れきっていた。バンドを結成したときの気持ちを失おうとしていたしね。壁に突き当たったんだ。」

ドン・ヘンリー:「ずっと前から思っていた…。海岸で砕ける前に波から降りよう。そのようにしたのさ。」

バーニー・レドン:「ビートルズはみんな思っていた。マッカートニーも思っていた。ポップ・バンドは長く続かない。2年が限界だろう。」

ジャクソン・ブラウン:「素晴らしいよ。長く愛され、聴き継がれていく曲、永遠の名曲を彼らはたくさん残した。」

ビル・シムジク(プロデューサー):「働いて、働いて、頂点に立った。でも、気がつくといろいろな奴が口を出してきた。誰のバンドだ、俺にも権利がある。そんな感じさ。」

グレン・フライ:「僕らはあの時代のバンドになった。もっといい仕事をしていれば、永遠のバンドになることもできた。」

イメージ 9



Viewing all articles
Browse latest Browse all 1448

Trending Articles