「武蔵」はあの「大和」の姉妹艦にして、旧帝国海軍が建造した最後の戦艦。両艦に搭載された46cm砲は世界最大を誇り、40km先の標的を攻撃できたという。武蔵は竣工から2年足らずのレイテ沖海戦で撃沈されたが、「魚雷20本、爆弾17発、無数の至近弾という、他に類を見ない集中攻撃を受けても10時間近く沈まなかった」と、その最後の勇士は今でも語り草となっている。
それにしても、ポール・アレン氏はなぜ、当時の敵国の、それもマイクロソフト共同創業者というまったく畑違いの人物が、それほど戦艦武蔵に拘ったのか?日本人の中年金融マンことぐっちー氏は言う。「日本人は彼のことを“アレン”って呼びますけど、本当は『アラン』です。彼はアレンと呼ばれるのを嫌がる」と前置きしつつ、アラン氏との出会いを振り返る。
「僕がモルガン・スタンレーに勤めていたときから、アランとは友人です。当時のマイクロソフトはお金がなく困窮していた。それで、日本からも出資を募ろうと来日したときに、僕が50億円集めたんです。そのことを、アランは今でも恩義に感じてくれている。それ以降、何度もアランの自宅には遊びに行きました。もう、サンダーバードの基地のような自宅です(笑)
2010年のバンクーバー五輪のときなんかは、その自宅の前の湖から、自家用水上ジェットを飛ばして、五輪会場に連れて行ってもらいました。今回、武蔵を発見するのに使った『オクトパス』という名のクルーザーにも何度も乗りました。僕も昔、お金を貯めて3億円のクルーザーを買ったんですけど、アランにオクトパスを見せられたときは唖然としましたね。
僕の船の何倍もの大きさですから。4階建てだから、もう客船クラス。当然のようにプールが備付で、ヘリも積んでいて、無人潜水艇も搭載しています。それと、シャンパンを山ほど(笑)。沖に出ては、何日もシャンパンを飲んだくれて過ごすわけです」。米経済紙『Forbs』の2015年版長者番付によれば、アラン氏の資産額は175億ドル。日本円にして2兆1000億円!
今回、ぐっちー氏はアラン氏の快挙に祝福のメッセージを送ったという。「『おめでとう』メールを送ったら、アランから『日本に寄贈したいと思っているんだけど、フィリピン政府が介入してきて困っている』という返信がありました。どうやら、自腹で引き上げて、無償で日本政府に寄付するつもりだったみたいです(笑)。どんだけ太っ腹なんだ!って話です。
まあ、彼にとっては数百億円の引き上げコストなんて屁でもないのでしょう。『フィリピン政府から買い取ってでも寄付する』とメールをくれました。本当にスケールの大きすぎる男です!」武蔵が沈没するまでの2年半に渡り乗船していた元乗組員の中島茂氏(94)は、「本当に驚きです。船と一緒にもろとも海底に沈んだ戦友のことを思うと感無量ですし、懐かしいですよ」
武蔵は71年前の秋、敗戦濃厚の日本海軍による「捷一号作戦」でレイテ沖に出撃し、敵空母機動部隊の艦載機の猛攻によりシブヤン海に沈んだ。これまで発見されることはなく、様々な説もあったが日本人によって発見された大和と異なり、敵国の慈善家によって発見されたことも武蔵の数奇な運命であろう。これまで慈善家としての彼の巨額な寄付には驚くしかない。
アフリカで感染が広がるエボラ出血熱の拡大阻止のため1億ドル(108億円)以上の援助金を発表したほか、人間の脳の研究のために300億円を研究所に寄付した事も知られている。彼にとっての慈善は壮大な趣味なのかどうかはともかく、お金持ちのすごい金の遣い方を見た気がする。武蔵を見つける事が何の役に立つのかと、疑問・いちゃもんの外野はどこにでもいる。
アレン氏は自身の夢を実現してくれる会社に投資をし続けているのである。1953年生まれで62歳の彼の夢は留まるところを知らない。誰もやらない(やれない)事をなし得た人間は、人類の歴史に永遠に名を刻むこととなろう。日本政府としても、武蔵と運命を共にした1000人以上の乗組員の遺骨も場合によっては発見されることもあるし、政府としての調査義務はある。
アレン氏はワシントン州立大を2年で中退、ハーバードに在籍していたビル・ゲイツを口説いてマイクロソフト社設立を主導したのはアレン氏である。アレンもゲイツもジョブズもそうだが、大学を辞めてまでやる事を見出した人間の発想力というのか、強さというのか…。常々思うことだが、自分のやるべき何かを見つけた人間が、「意思」という力を併せもったら強大であろう。
今風に「パワー」と言った方が情感もあろう。やりたい事が小さな果実店でも農業でも役者でもミュージシャンでもスポーツ選手でも…、嫌々する学問よりはずっと価値がある。すべて一切を捨てて、自分のやりたい何かに賭ける、そんな人間が出現するような社会基盤は今の日本にはない。それでも、異端・異質とまでは言わずとも、自分の何かに賭ける人間はいる。
子どもの頃に伝記を読んで感銘を受けた人間を覚えるままにあげると、江戸時代の力士雷電為右衛門、野口英世、松下幸之助である。雷電は就学前に父が買ってきたものだから、幼稚園児が「雷電はすごい」と人に話していたのであろう。今の幼稚園児はどういう伝記を読んでいるのだろうか?まさか雷電は知るまいし、早くからゲーム三昧で、ゲームのキャラがヒーローか?なぜ雷電…、今に思うと父の願いが読みとれる。世に「怪物」と称される人間はあまたいるが、本当の怪物はそうそういない。その中で雷電の怪物ぶりを疑うものはいない。彼の生涯成績はなんと254勝10敗である。勝率にすると9割6分2厘となる。近頃は勝率の意味さえ知らぬ大学生もいたりで、分りやすくいうと、バッターが10回打席に立ったら9本ヒットを打つ事。
これで分らなければ、誰かとじゃんけんをし、10回やって9回勝つ、100回やれば96回勝つという事。これがどれくらいすごいか、実際にじゃんけんしてみるといい。二人で1回じゃんけんをして勝つ確率は5分かと思いきやそうではない。勝つ・負け・あいこの3パターンがあるから、勝つ確率は1/3。勝率3割3分3厘で、野球のバッターの好打者(打率3割)に該当する。
数学的な確率だけではない「読み」がじゃんけんにはある。つまり、人によって勝率が変わる。そこがじゃんけんの面白さでもある。子どものときに、「あいつはパーしか出さない」、「グーしか出さない」と秘かに思う奴がいた。口には出さないがあまりのワンパターンに、こいつは「くるくるパー」かと思っていた。中学。高校になればズルくなるので、そんなパーはいなくなる。
かと、思いきやそうでもない。確率的にパー、グーを出す奴は多かった。なぜなのか?クセというよりも、じゃんけんの傾向として初心者ないし、無知者は最初にグーを出す確率が高い。理由はグーがもっとも作りやすい手であるからだろう。さらに知恵者は相手にじゃんけんを仕掛けるときに不意を装う。いきなり、じゃんけんしようぜ、「じゃんけんポン!」みたいな…
と誘った場合、かなりの確率で「グー」を出す。勝負であるなら、相手の頭が働いてない状態に誘うのも、勝つ確率を高める手段である。確率だから絶対に「グー」を出すとは限らないし、「パー」も自然な手である。「チョキ」は意識的な動作を必要とするから、不意なじゃんけんでは出しにくい。したがって、じゃんけんで出す手は最初は「パー」がよい。相手が「パー」を出してもあいことなる。
これはあくまで不意のじゃんけん、もしくは相手がじゃんけん慣れをしていない場合である。他にもいろいろ勝ちを高める要素はあるが、自分がよくやるのがじゃんけんをする前に、「お前はパーを出そうとしているだろう?顔に書いてある」などという。その言葉に何らかのプレッシャーを感じる人間、あるいは素直な人間は、言われた「パー」を出しずらい。
そういわれて「パー」を出せる人間は裏の裏を読む手ごわい相手とみる。じゃんけんは性格が出るとまでは言わないが、頭脳のゲームである。腹を読み、腹の裏を読み、裏の裏を読む高尚なる知能ゲームである。相手のちょっとした仕草や、自分のひらめきで、相手の出す手が読める事がある。うまく説明できないが、じゃんけんの準達人を自負する自分の分析だ。
まず何よりじゃんけんの強い人間は、じゃんけんが好きである。じゃんけんを嫌がる人間はたまに勝つ事はあっても、トータル的にいえばやる前から負けている。そういうネガティブさが、じゃんけんを弱くしているのだ。「じゃんけん必勝法」というまがい本もあり、書かれていることは分からなくもないが、何より大事なのはその場の雰囲気、心の洞察であろう。
そういうモノは説明できない。友人4~5人とよくじゃんけんのリーグ戦をやった。もちろん相手もポジティブな奴だから、勝つのは大変だ。が、勝てる何かはあるということ。そこでかなりの修行をしたことは、人の腹を読むのに役に立った。たかがじゃんけんであるが、複雑な人間の心理を矮小化するじゃんけんほど、人の心を読むよいテキストはない。
「お前はパーを出すだろう?」と、この問いに対しても、「当ったりー!」という場合、「さあ?」という場合、「残念!ちがうよ」と言う場合、「いいや~」と言う場合、無言の場合、そこにちょっとした何かが現れる。そこに賭けるのだが、じゃんけんは面白い。こんな面白い人間心理ゲームは他にないだろう。勝っても負けても何かのヒントがあるからだ。
トランプだってしこたまやり続けると、相手が何のカードを持っているかが分ってくる。そうなる事が展開に有利に働き、勝つことに寄与する。世の中の偶然は、偶然で終らせるか人知を傾けて「利」につなげるか、頭の鍛え方というのは、書物を読んで得るだけの知識とは雲泥の差がある。実践でしか得れないものは、実践で得るしかないと言うのが人間学。
専修大学人間科学部心理学科の下斗米敦教授によると、勝負事の時に手の内を見せる同じ手を続けたくないという気持ちが働く。したがって、「最初はグー」という掛け声をかけてからじゃんけんで何を出すか100人で実験したとき、グーが18人、パーは41人、チョキは41人という結果がでた。これが「最初はぐー」と言い合って始めたじゃんけんの結果である。
自分は何気に「最初はパーで行こう」、「こんどはチョキで行こう」などと、何気に言ったりして、実は相手を誘導している。見方によったらズル~イと言いたいかもしれぬが、これくらいでズルイなどいうようでは、社会のダニに対抗はできない。社会や企業には組織化されたズルさ(それは戦略・策略というものだが)もあり、お人好しでは嵌められてしまう。
「絶対にグーを出すから、お前はパーを出したら勝てるよ。嘘言わないからやってみな?」のような言い方で錯乱させることもあるが、ゲームを勝つためには番外作戦も大事なこと。まさか、「お前はさっきグーを出すといったじゃないか~、騙したな!」というのは幼児脳である。そんなジョークに惑わされる方が、社会人としておかしい。と、そういわざるを得ない。
ブラックジャックの札を全部開いてゲームをやっているようなもので、それをゲームとは言わない。「グーを出すからな」と自分が言ったとする。相手がそれを信じた場合、相手は「パー」を出し、信じない場合は「グー」を出す。「チョキ」は負けるから出すはずがない。だからその場合にこちらは、「パー」か「グー」を出し、「パー」ならあいこ、または勝ちとなる。
じゃんけん慣れをした奴だと裏を読んで「チョキ」を出したりする。。こういうちょっとした機微から学ぶ人間の心理が、じゃんけんから得るものだ。じゃんけんの基本は、最初に「グー」の形をつくり、それから、「グー」、「チョキ」、「パー」を出すが、しっかりグーを握り締めていると「グー」。グーが少しでも開いていると、「チョキ」か「パー」を出す。それをじゃんけん「ポン!」の瞬間に見る。
相手の「グー」の手が少しでも開いているのを感知出来れば、こちらは「チョキ」をだせば勝てる。たかがじゃんけん、されどじゃんけん、単純なものの中に人間の心が詰まっている。絶対にやってはいけないのは、「後出し」で、子どもの頃に必ずいた。今に思うと、故意なのか優柔不断なのかは分らないが、間違いなく嫌われていた。こんにち「後出し」はさまざま応用されている。
「明日空いてる?」と聞いてきて、「空いてるよ」と言ったはいいが、面倒な要求や誘いをしてくる人がいる。これも「後出しじゃんけん」の範疇だ。こういう言い方を多様する奴は間違いなく嫌われる。もっとも、性格の悪い人間の常套手段だから、相手も用心して、「明日はちょっと…」と用事もないのに防御に入る。それでも気づかない無神経な人間である。
「私のお願い聞いてくれない?」というのも同じこと。こういう言い方はフェアじゃない。もし、「いいよ聞いて上げる」といったのはいいが、「5万円貸して」と言われて唖然。そこで、「無理だな、お金ないよ!」と言おうものなら、「さっき聞いてあげるっていったでしょ!」と責め立てる。こういう女はバカ。男もバカ。お願いを聞く、聞かないは内容を聞いてからにしろよ。