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全国小学生倉敷王将戦 広島代表大会

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昨日20日は「倉敷王将戦」の広島代表予選会があった。同大会は大山名人杯争奪として、倉敷市、倉敷市文化振興財団と日本将棋連盟が主催する全国の小学生を対象とした将棋大会で今年で第17回めを迎え、例年、8月に全国大会が大山康晴名人の生誕地である岡山県倉敷市で開催されるが、都道府県予選・選考会は各県支部等の主催により、4月から6月にかけて行われる。

倉敷市は白壁の商家が建ち並ぶ古き美しい街並みで知られ、大原美術館や工芸品といった芸術の町としてのイメージが強いが、将棋ともとても深い繋がりを持った街でもある。それは前記した故・大山康晴15世名人の出身地であることが理由で、5歳頃に将棋を覚えはじめ、小学校を卒業すると大阪に出て、木見金治九段(当時)に入門する。木見門下には升田幸三がいた。

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1970年には倉敷市より大山永世名人に名誉市民の称号が与えられ、「倉敷市大山名人記念館」が建設された。没後の1993年には女流プロ棋戦「大山名人杯倉敷藤花」が開設され、対局は当地で行われることもあって、毎年女流棋士たちが倉敷の街に華を添えている。小学生の子どもたちだけに出場資格のある「倉敷王将戦」は、2002年に創設され多くのプロ棋士が出場した。

優勝者には第一回の杉本和陽四段、菅井竜也王位(第二回高学年の部)、佐々木勇気六段(第二回低学年)、佐々木大地(第三回低学年)、阿部光瑠六段(第五回高学年)、増田康宏(第六回高学年)らの顔が並ぶ他、現在プロ棋士養成機関の奨励会で研鑽中の棋士も多い。話題の藤井聡太七段は第十回大会低学年の部の優勝者で、同年高学年の優勝者古賀悠聖君は現在奨励会三段。

同年度の優勝者でありながら大変な差がついてしまったが、これはもう藤井聡太七段と比べること自体が酷である。藤井七段は上記の同大会優勝者をも追い抜いてしまっている。2015年の第十四回大会では、地元広島市の鷹取尚弥くんが9歳で優勝し、そのまま菅井王位を師匠として奨励会に入会した。入会時の9歳4か月は、史上二番目の早さであり、現在は四級で奮闘中だ。

奨励会を突破してプロ棋士になってタイトルを取るのか、誰にも彼の将来は分からないが、彼の将来は彼自身の努力によって決まるのかというとそうもいかず、運と努力と天分も必須である。将来を嘱望されながら天才集団奨励会から消えていった多くの棋士を知るに、努力だけでは遺憾ともし難い何かがある。奨励会の厳しさは想像を絶するものがあると棋士はいう。

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現在四段~六段クラスの若手棋士が、「自分が今奨励会に在籍していたら、抜ける自信はない」というようなことを聞いてもわかる。話題の藤井聡太七段もプロ棋士になって以降88戦して12敗を喫しているが、彼の奨励会時の成績は13勝5敗であり、ギリギリの成績で突破した。ちなみに、過去に奨励会で全勝した例は1度もないし、10年近く在籍した者もいる。

さて、昨日の「倉敷王将戦」の広島代表予選会高学年の部には将棋仲間の重弘祐也くんが出場した。彼は現在5年生で、初めて公民館で会ったときは3年生だった。あれから二年、子どもの上達が早いのは脳の柔らかさと大人のような社会でのしがらみがないからだろう。それを吸収力といっても間違いない。今回は何としても代表になりたいという父親の意気込みが伝わってくる。

予選大会前日の19日の午後1時からと、20日の朝の9時からの対局を頼まれたが、自分などは3番も指すと脳がへとへとになるが、そうも言っておられない。対局時計を使って指し継ぐものの、子どもの閃きというのはしれはもうすごいの一言。糸谷哲郎八段の早指しはプロ間でも有名だが、小学生時の早ワザは信じられなかった。彼は早いだけではなく、指した後にこちらの顔を覗き見る。

盤の下の方からこちらの顔を覗くというのか、睨むとでもいうのか、腕組みをしてそれをやるのだが、彼のそういう物怖じしない小癪な性格は今に思えば勝負師向きなのだろう。子どもゆえに背も低く小さいので、こちらを見上げる彼の顔がどうしても視界に入って気になる。彼がそのことをまさかの盤外戦術との意識はないだろうが、ないだけにそのことも才能といえる。


森内竜王から竜王位を奪取した際、彼は頻繁に席を外し、几帳面で端正な森内竜王の精神や思考を乱したといわれている。さらには自分の指し手が、竜王の駒に当たって斜めになったのを治さないという非礼な態度も批判された。そのまま数手進んで森内竜王は歪んだ駒を治したが、糸谷の言い分は、「相手の駒に触るのは失礼なので放置した」というが、それはどうだろう。

「失礼します」といって、歪んだ駒を直せば咎めを受けることはなかったろう。糸谷八段の性格は実直でありユニークというが、この辺りは20歳もの年齢差による世代間差というしかない。さて、「倉敷王将戦」の代表予選会は終了後に父親からの電話連絡を待つ手はずになっていたが、やはりソワソワ気分でいた。電話があったのは18:55分で第一声は、「代表に選ばれました」である。

2名の本選出場枠に、準優勝ながらも選ばれたのは力もさることながら幸便である。優勝者でもある中川雄太くんは、今年度の第43回小学生名人戦西日本決勝リーグ代表に選ばれ、惜しくも2回戦で敗退したが、あと2つ勝っていたら西日本代表としてNHKで放映されたのに残念だ。歴史のあるこの大会からは、羽生、田村、渡辺、都成ら多くのプロ棋士が生まれている。

「祐也くんは奨励会に入るんか?」、「入りたいけど、ダメだったらロボットとかを扱う仕事をしたい」。ロボットを扱うとは産業用ロボットのオペレータのことだろうが、機械を分解したりなどが好きだという。大人に夢がないわけではないが、子どもの夢は果てしのない夢である。老人の夢はどうすれば病気にならず、長生きできるかといった、それも夢といえば夢であろうか。

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子どもの未来に携わる親に気持ちを寄せてみる。親の身勝手な夢を子どもに託す親もいるが、それが子どものためと思い込んでいる。子どもの夢とは、子どもの中から生まれたものであるべきだ。ないならないなりに、いつか生まれるかもしれないのだから、親が加勢しない方がいい。親は伴走者として、子どもの主体的な夢を積極的に理解をし援助すべきであろう。

「奨励会に入りたいなら頑張ろうよ」。「もう100回やっても勝てません」と父親はいうが、自分とてそのうち手も足も出ないようになるだろうが、どういう位置にあっても、子どもを取り囲む者にそれぞれに役目はある。学校と家庭と地域社会という連携はどうしても必要だが、最近はそれらが薄くなっているのだろうか。地域の連携が薄いなら、取り戻せばいいことだ。

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