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「責任」という言葉で逃げを打つ内田監督

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これだけ問題が大きくなれば逃げ隠れは不可能とばかりに、しぶしぶと重い腰を上げた日大アメリカンフットボールの内田監督。この場に及んで彼が何を言おうと尻に火が付いた上での謝罪は、自己保身のためのものである。謝罪には二種類あって、相手のためにする謝罪と自分のためにやっておこうという謝罪である。今更謝罪なんか…ではなく、今こそ自身のために彼は謝罪をするのだ。

正確にいえば自身の利益のためにする謝罪は謝罪ではない。誰が見ても彼は高慢な人間であろうし、残念ながら高慢な人間を治す薬はない。愚かなる人間の「矜」(自負心)も高慢として否定される。内田監督は謝罪会見を見たが、自分は彼の会見内容について語ることはないし、彼という人間の本性・本質についてありったけの思索をしながら、あのようなつまらぬ人間の批判をする。

『仁義なき戦い』の著者(というか、獄中手記をのちに作家の飯干晃一がまとめたもの)である美能幸三は、「つまらん連中が上に立ったから、下の者が苦労し、流血を重ねたのである。」という文言で手記を終えている。広島やくざ抗争において彼が最も伝えたかったのは、このわずか31文字の言葉で表されているように、つまらん人間が上に立つことは珍しいことではない。

なぜこういうことが起こるのかには様々な要素や条件があるが、「多くの人間が自分を過信したがために起こる」ケースが多いと想像する。自惚れというのは誰にでもあるが、組織のトップやリーダーに相応しくない人間がその場に収まると間違いなく問題が起こる。つまらぬ人間とは抽象的な言い方だが、つまらぬ人間の最大の特質は、つまらぬ言葉を持った人が多い。

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偉人や賢人は素晴らしい言葉や名言の類をもっているように、つまらぬ人間はその真逆であるといえばわかろう。つまらぬ親分は多くの子分たちを、「言葉」で壊滅させてしまった。『仁義なき戦い』はそういう手記であり、映画も同様である。多くの組員や幹部が銃弾やドスで刺されて斃れたが、つまらぬ親分の舌で亡びた人間の方がはるかに多い。美能もその一人であろう。

部下や子分に恨みや憎しみを生じさせる親分やリーダーは、「愚かなる者」である。優れた資質をもつリーダーは、何より自分の心を治められる者であろう。話を日大アメフット部関連に戻すが、日大アメフット部にはかつて篠竹幹夫という名監督がいた。1932年生まれの彼は、日本大学高等学校時代はラグビー選手として活躍したが、日本大学アメリカンフットボール部に入部。

卒業後、コーチを経て、1959年に日本大学アメリカンフットボール部監督に就任。独特の指導法で知られ、特徴的なパス攻撃を繰り出す、「ショットガン隊形」を導入。2003年3月、定年により退職するまでの44年間の監督在任期間中、チームを17度の学生王座に導くなど、日大アメリカンフットボール部の黄金時代を築いたといわれている知将である。(Wikipediaより)

内田監督は、故・篠竹幹夫元監督(2006年他界)の後を継いで、2003年にフェニックスの監督に就任したが、当時の関東リーグは法政大学の一人勝ちで、日大は1990年を最後に、大学日本一決定戦である甲子園ボウルから遠ざかっていた。それでも内田体制が根づくと、2007、11、13-14年に関東リーグを制して甲子園ボウルに出場するがいずれも関学に敗退する。

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内田監督は2015年に一度勇退することになるが、チームがリーグ4位と不振を極めたため、2017年に監督に復職。復帰1年目で27年ぶりとなる悲願の日本王座を手に入れた。そのとき、戦前の不利の予想を覆して破った相手が関学だった。内田監督は大学内では常務理事という重職を務めており、日大では実質的、゛ナンバー2゛とも言われる立場の人物である。

かつて内田監督の指導を受けたことのあるOBは、「篠竹監督のもとでコーチをしていた頃はサポート役で、私たちにとっては優しい兄貴分だった。食事にもよく連れて行ってもらった」と語る。ただ、90年代後半以降、日大がなかなか優勝できなくなった頃から変化を感じたとも言う。(「カリスマ的な存在である)篠竹監督には直接は言えないからか、皆は非難を内田さんに向けた。

『内田はなにをやっているんだ』などと批判されて、その頃から内田氏は人を避けるようになった。「篠竹さんに代わって監督になってからも、少しずつ孤立していったようだ」と語る。別のあるOBは、「内田氏は気が小さく、監督の器ではない。コーチ時代は篠竹監督がいたのでおとなしくしていたが、学内での地位が上がるにつれて独裁的な組織運営をするにようになった。

人の上に立ってはいけない典型的な人物」と指摘をする。「人の上に立てる人」と、「人の上に立ってはいけない人」の資質差というのは様々に分類されるが、一言でいえば、「人間的な魅力」があるかないかとなる。人は誰もが、「魅力的な人間でありたい」と願うも、願うだけでそうはならない。人間それぞれ個々に自分なりの魅力づくりに励むが、魅力づくりというのはなかなか難しい。

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魅力的な人間には何が備わっているかを魅力的な人間を傍で観察したりし、どうしたらその様になれるかの自己判断がこれまた難しい。自分がとった方法は、どういう人間が魅力のない人間かをいろいろとあげてみた。そのうえで魅力のない人間、つまらない人間の反対をやれば魅力ある人間になりはしないか、そういう方法が手っ取り早いと考えた。つまり、反面教師である。

善い人間を眺め、あのようになろうと真似るのは難しいが、悪い人間、つまらない人間を見つけて、こういう人間には絶対になりたくないというのは即効性がある。自分には最も身近にそういうサンプルがいた。それが実母であり、彼女を徹底的に批判すればよい人間、よい親になれるように感じられた。批判だけでは足りないからと、徹底的に嫌悪する必要もあった。

嫌悪するような人間にはなりたくないのは当然で、難しいことではなかった。果たして自分は子どもにとって良い親であるかどうかは聞きもせず、分からないが、自らが信ずるところの良い親を目指すことはできた。善悪の判断はとりあえずは自分でするしかない。「自分の善=他者にとっての善」か否かは分からずとも、それを信じてやる以外に何をやればいい?の答えはない。

悪いものを見つけてそれを避ければ悪くはならない。そのことを前提に内田監督にかぶせてみる。自分がこういう人間を甚だしく嫌う理由として、①逃げる、②言ったことを言わないという、③自身の罪を他人になすりつける、④何の説明もせず、「自分が悪かった」で済ませる。加害者と非難を浴びた当該学生に対し、彼はどう責任をとる?関学の被害学生にどう責任をとる?

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責任とは辞意?これでは屁をこいて逃げるイタチであろう。彼は多方面から辞めなければならないよう追い込まれた。自ら辞めるのではなく、監督続行不可能状態となった。それが責任だと?「お前はとっとと失せろ!」と多くの国民から罵倒されているだけでは?関学の選手に直接危害を加えた学生は傷害罪で立件できても、指示をした監督に傷害教唆が及ぶかは難しい。

内田監督が本当に責任を取るというなら、キチンと自らの言葉で、「学生に関学のQBを壊してこい、そうしたら試合に出してやると唆したのは事実で、学生には何の罪もありません。指示をした彼にも、怪我を負った学生にも、本当に済まないことをした。すべては自身の人間としての至らなさであります」と、自らへの処罰として自尊心を剥ぎ取り、真実を白日の下に晒してこそ謝罪である。

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