商売の基本中の基本、正に根幹といえる当たり前の言葉であろう。目先の利益にとらわれず、長期的な視野で物事を見、判断することが重要である。損をしないようにするのも重要だが、それがつい目先のことばかりにむけられると、経営者として器が小さいと言われても仕方がない。医療の記事でもいったが、One of them と Only one という傲慢さもある。
土下座強要はいけないが、店の高慢な態度に、「お店はここだけじゃないんだ!」と啖呵を切る顧客もいる。顧客の心理としては気持ちよい買い物をしたいわけで、従業員の応対ひとつでお店から気持ちが離れるばかりか、そこで購入した商品さえも嫌になったりする。先日の「セビロ屋」の一件も、長女とお店で一緒に買って貰ったトレーナーも着る気が起きない。
折角のプレゼントにケチがついた恰好だ。「通販で買うより、是非うちで買ってくださいよ」と腰の低いところを見せていたが、顧客を騙し、あげく「来なくていい」では笑止千万だ。客商売に従事するものなら、どれだけこういう言葉を投げかけたい客がいるだろう。それでも絶対に禁句である。が、自営業だとお咎めないとはいえ、明らかに商道から外れている。
無理難題を言う客なら、お店の責任で言うのは自由。江戸っ子堅気のオヤジが、なにやら気に入らぬ客に、「言っておくが、二度とうちの暖簾をくぐらんでくれ!」というのは、落語の世界だけでないが、それも昔のこと。江戸っ子気質といっても、こんにちではあり得ない。行ったことはないが、広島に"食べ残したら怒られる"というお好み屋があったらしい。
数人から聞いたので事実だろうし、興味はあったがわざわざそれを確かめるだけに行く気はなかった。ただ、そういうことをいう人の面がどんなだか、興味はあった。何でも太っちょ、電柱体型のオバサンらしく、「無理やり食べさせてお腹壊したりだと治療費でるんかい?」とか、「店内でゲロ吐かれても文句はいえんだろうな」と、これは自分の率直な感想だ。
「ラーメンの鬼」と言れ、昨年4月に他界した佐野実。彼は客がスープを残したら怒るというが、提供側が食べる側にそんな強制していいのか?「強制はしていない、残したら怒るだけ」というのは言葉のあやで、それを強制という。こんにちの情報化社会で、味だけで繁盛する店があるのか?顧客は大切にされてると思いたいわけで、気を使いながら食えたものではない。
実体験のある広島のワガママ店は、二重焼き一個を売らない店。当ブログにも書いているが、お店の決め事は自由だから、気に入らないなら行かなければイイこと。1個はダメ、最低2個というのは、顧客重視とは言えない。八百屋で人参3本束ねて売ってるのと一緒だが、その場で焼いている「御座候」と同じで、あの店が「2個でなきゃダメ」など言うはずがない。
一理も二理もない店の論理だが、理性的に考えれば顧客の都合に合わせて何の損があるとも思えない。「文句があるなら来なきゃいいだろ?」とは言わないだろうが、言われるまでもなく店の都合に文句をいうのもバカげている。人のブログにアレコレ文句をつけるのも同じことだ。「見なきゃいいだろ?気に入らぬなら」は、書き手の当然の言い分であり、また論理である。
かつては自分も他人のブログに文句を言ったが今はしない。理由は、文句をいう方がオカシイと思ったからだ。が、その論法は自分のブログに当て嵌めない。自分の書きこみに文句をいう人に対し、その論法では返さない。なぜかといえば、当たり前だけにあちこちで用されており、人真似になるから面白くないという理由。別の言い方で対処するようにしている。
正論でも人まねは好きでない。既存に安住し、あぐらをかくのもつまらない。囲碁や将棋のトップ棋士は、常々そういう創造性を求めているし、勝敗以前に「棋理」という好奇に邁進する。食い扶持棋士は勝利しか頭にない。新しいものは古いものを壊すところから始まる。既存のものはつまらん、新しい何かないかと、そういう人はそれだけで楽しく生きている。
同じ事件の感想も、誰もが書いてることを書く気が起きない。自分なりの視点でみつめ、感じ、思考する。確か、中三か高校だったか、勉強の無意味さを追及し、思考した。教師が知ってる知識を何十人の生徒に伝達する事がどうして重要なのか?そんなものは教師が一人知っていればいいではないか?教師が知ってることを伝えることの何が勉強であるのか?
単調な発想だが、一つの知識が軸となって興味や好奇心に注がれ、より深く知ろう、追求しようとなること。その初期段階を教師が請け負っている、という結論に到った。一見、知識の伝達など何の意味もないようだが、すべてはそこから始まる。教師でなくとも書物でもいい、教科書であってもいい。ただし、よい教師とは教科書の受け売り人ではない気はした。
教科の知識を大きく膨らませ、子どもに興味と好奇を抱かせられる人であるべき。そういう観点から教師をみると、多くは合致しない。教師とは名ばかり、子どもの頃からいい子に偏っていだけで、味わいのある教師というのはごくまれだ。教師が教育者であるはずがない。話して感じるのは視野も狭く、知識も断片的・表層的で、人間的魅力の欠片もないのが多かった。
教師の悪口ではなく、己を知る教師なら「図星」と納得しているはずだ。つまり、教師とはそんな程度でやれる職業なのである。かつての文部省も、現在の文科省も、教師と言う職業人は作るが、教育者を作ろう、育てようなどのポリシーがない。教育の公平性、学問を平等に受ける水準は、世界に名だたる日本だが、公平と平等が向学心ある人間を阻んでいる。
向学心の高い人間は、別の何かで己を満たしているからいい。日本の教育レベルの高さは、例えば釣り銭の渡し方にもある。近年は機械がやるからミスは減少したが、その分人間の脳は劣化した。たとえば520円の物を買い、1000円札を出すと、日本では100円玉も10円玉もまとめて、瞬時に480円のお釣を渡される。とりあえず消費税抜きの考え方を説明する。
お店の人が暗算で釣り銭くれるなど少なくなったが、それでも商店街の八百屋、魚屋には天井から吊るしたザルに釣り銭を入れ、暗算でやりとりする店もあろう。そういうところはみな内税。同じ釣り銭でも外国の釣り銭事情は違う。例えばインド。520円の買い物をしたら、まず「520円」と言ってこちらの顔を見る。次にこちらの手の平に80円を置き、「これで600円」という。
520円+80円で600円を納得したかどうか、こちらの顔を見て確認する(便宜上、円にしている)。次に手の平に400円を置き、「これで1000円」と店員はいい、600円+400円で大丈夫かを、こちらの顔で確認し、「O.K?」と聞くのだ。店側は80円と400円の480円の釣り銭を渡したことになる。"所変われば品変わる"というように、"お国変われば釣り変わる"である。
さすがはインド、「0」を発明した国。慣れない日本人はちょっと躊躇うが、なんという合理的な計算方法であろうか。何もインドに限らずこの方法を用いる国は多く、日本が特殊なのである。日本以外の国では2桁の暗算はできて当たり前、との社会合意はないし、2桁と1桁の足し算に分解し、2回に分けてお釣を渡す。日本では小卒なら2桁暗算はできて当然。
なんというレベルの高さ。ドイツで公文式の塾をているフックス真理子さんは、「日本の教育は自分の意見を言う訓練が必要」、「ドイツの教育にはもう少し計算練習のような、単純とレーニングが必要」と指摘している。日本の恥部といえば、「学歴を金で買う」のが半ば常識的で、これが教育格差を生む元凶である。大学時代の奨学金を返せない利用者が増加、社会問題となっている。専門知識を身につけても職がないなら奨学金も返せない。かつて"教師になれば奨学金は返さなくてもいい"制度があった。これを狙ってバカが多く教師になった。しかし、この制度(第1種奨学金特別免除制度)は、平成10年に廃止された。自分は教師は向いていないし、好きではないという奴が、奨学金免除のために教師になったのは、「得して損取れ」の状況だ。
奨学金免除は得だが、向いてない職業に従事する実損である。今もって辞めずにいることも驚きである。自分が中一のときの英語教師はひどかった。ビートルズの歌詞を訳してと持っていくと、完全無視。当初はその理由が分らなかった。「できない」とか「忙しい」とか言わず、無視する不気味さは子ども心に悪いことのような気がして、以後やらなくなった。
何の事はない。英語教師は英語がペラペラと思った事が間違いだった。その教師は数年で退職、家業のお寺を継いで経を読む。過日VANでもめた「セビロ屋」だが、後に東京本部で通販購入したジャケットのステッチの糸が2cmくらい切れていた。検品しなかったのだろうか?と疑問に思いながら電話すると、丁重に詫びられ、着払いで返送を依頼された。
VAN側は、こちらからの商品を受領前にすぐに送るという誠実な応対をみせた。普通は返送後にであろうが、あまりの手際のよさに、「セビロ屋」の一件もあったのかな、などと懐疑的になったが、発送後の電話連絡もあり、その際も丁重に謝罪をされ、受け取った商品の中にも詫び状があった。悪意、善意についていえば、店もいろいろ、顧客もいろいろだろう。
ネットには返品トラブルの書き込みが多い。4ヶ月経って返品する客もいて、断ると弁護士をちらつかせたりと、なんとも悪辣な顧客だ。従業員管理でブラック企業との誉れ高いユニクロは凄い。3ヶ月以内なら洗濯しようが着てようが返品、交換を無償で受け付けている。これは全国どこのユニクロでも徹底され、レシート、タグがなくても大丈夫という。
上のCMは嘘ではないようだ。タグがなくてもだいたいいつ買ったものか分かるようになっているという。VANならトレーナーでも2万円、ユニクロは1980円、この差ならVANもユニクロ並みのサービス体制をと思いがちだが、着後とか、洗濯後とか、それで交換望むほうが常識的におかしい。まったく着てないでもせいぜい1~2週間以内の返品が妥当だ。
三女の結婚式当日に記念品として戴くの洋服を指定したとき、女性物と間違って品番を送ってしまい、試着時に判明した。三女は早めの注文をしていたので、女性物と分った時は概に購入から一ヶ月と一週間経過していた。購入先はネット通販大手のアマゾン。返品時に少しアレコレあったらしく、その時の状況と流れを三女にメールで送らせてみた。
三女)結婚式の記念品贈呈で購入したが、メンズと思ったものが、レディースだったので返品したい。
アマ)ご注文から1か月以上たってますので、返金できない。
三女)商品は開封したが一度も着ていない、タグもとっていない。結婚式当日に渡す予定で1か月以上前の注文だが、サイズ違いは当日までわからなかった。こちらの不注意だが、性別表示もイマイチ分りにくいしね~。着れないのでとりあえず返品したい。
アマ)わかりました。そういうことなら全額返金いたします。
三女)返送料金はどうなります?
アマ)着払いで結構です。
……………数日後、全額返金(22,000円)のはずが、17,000円しか入金されていない。幸い家計簿をつけていたためすぐに気づき、アマゾンへ電話を入れる。
三女)先日、商品をキャンセルの件でお話しをし、全額返金ということでしたが、なぜか5000円差し引かれて入金されている。話が違ってません?
アマ)商品が開封されてたので、4500円と、送料500円引いております。
三女)ちょ、ちょ、ちょ、ちょいまてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!!!!(原文まま) 先日お電話したさい、全額返金、おまけに着払いとのことでしたよ?
アマ)ですから、今から返金いたします。
三女)はぁ? 今から返金です!??
アマゾン)はい、今から返金いたします。(パソコンカチャカチャの音聞こえる)返金の手続き完了いたしました。
三女) ………(早っ)わかりました、ありがとうございます。(最初っからちゃんとせんかいっ!!)
何という言い方(じゃない、腹の中…!) 表面上はおしとやか、腹の中はまっくろ…、こういう子の親の顔が見てみたいわ…。といいつつ、今も昔も女はこうよ。アマゾンも二段構え、三段構えで対応してる。つまり、相手を見て対応変えるみたいな…。何も言わない人には強くいい、うるせいー奴らには低姿勢。そう教育をされているような対応に思えた。
言い得、言ったもの勝ち…、コレが社会の現実か?アマゾンごとき大企業なら、多少の損失はあれど、無益な喧騒を避ける。利用客は数百万超えだろうが、一時の商品トラブルで顧客の心象を害するよりも、その顧客が生涯わたってアマゾンに落とす金額を考えれば、喧嘩の得はない。良識ある思考というより、コレこそが商売の原点であろう。
「セビロ屋」の一件は貴重な初体験。顧客に「来なくていい!」と言った店だ。吐き捨てるような口調で…。市井の洋品店が口にする言葉だろうか?何の商売にしろ、こんな言葉を吐くなど考えたこともない。顧客の不始末や不備が原因の怒りでないから口に出たと推察する。店の思惑が外れたことの鬱憤と怒りを顧客に向けた、そこがバカを通り越している。
この件を数人に話したが、誰も一様に驚く。プレゼントを買ってくれた長女も、「いい店員さんと思ったのに…」と、落胆する。「客を舐めるんじゃないよ!」と差し出したメールに返答もできず、本部の謝罪勧告にさえ応じれない有様。威勢はよかったが、今となっては無様な醜態を晒している。創業大正15年の老舗看板も、代が変われば何ら意味をもたない。