子どもの逃げ場は保健室。政治家は病院というのがお決まりだ。仮病入院といわれつつも病院に直行する政治家の愚行に腹を立てる者あり、笑う者あり…。問題は斯くの露骨な責任逃れをする政治家に報酬と言う税金が支払われていること。いうまでもない、中川郁子農林水産政務官のことだ。郁子氏の夫はアル中へべれけ大臣と揶揄された中川昭一である。
中川昭一の父中川一郎衆議院議員は、「北海のヒグマ」と呼ばれたタカ派議員であったが、1982年(昭和57年)10月に行われた自民党総裁選挙・予備選に中曽根康弘、河本敏夫、安倍晋太郎、とともに立候補した。当時は立候補に国会議員50名の推薦が必要であったが、中川派には推薦人が足りず、福田派から安倍に投票する予定の議員の名前を借りての出馬だった。
結果は予想通りの最下位。中川は翌1983年1月9日未明、札幌パークホテルのバスルームで自殺体で発見される。これが「北海のヒグマ」の最後かと世間は驚嘆した。中川議員秘書であった鈴木宗男は、自殺の原因を新聞に述べたが、中川の妻貞子はこの内容を否定した。中川の恐妻家は有名で、貞子という名は確かに怖い名だが、兄貴分と慕った金丸信はいう。
「一度忠告してやったことがあるんだ。女房が怖いとか、俺の言うことに従わないって、愚痴をこぼすので、『そんな女房は思いきり殴りつけてやれ。そしたら亭主の言うことに従うようになる。心配するな!』と教えたんだ。私の忠告どおり女房を殴りつけていればこんなことにはならなかったかも知れない」。"こんなこと"とは中川の自殺を指すが、意味深な言葉である。
鈴木宗男元議員は手記でいろいろ述べているが、その中で当時秘書だった鈴木氏が政界に進出したいと中川に相談した際、「鈴木前議員を解雇しなければ離婚する」貞子夫人が中川に迫ったことが大きいと指摘している。鈴木氏は手記を公表した理由をこう述べている。中川氏の長男昭一氏(故人)の妻郁子さんの名前で「文藝春秋」10月号に掲載された記事をあげている。
83年元日に中川一郎氏が、「鈴木、よくもこのおれを刺したな。お前におれは殺された。おれは死ぬしかない」と激高し鈴木氏を殴った場面の描写がある。鈴木氏は「郁子さんは現場におらず、事実でないことが書いてある。総理を目指した中川先生の名誉のために、事実を残さないといけない」と反論した。これに対して郁子は以下の主張をした。「中川一郎が特捜部の事情聴取を受けていたと公表した鈴木議員の手記について、主人(昭一)からそういう話を聞いたことはない。義母(貞子氏)も知らないと言っていた」。
また、「文藝春秋」誌の記事については、「私の本意ではない形で掲載され、びっくりした」と抗議をしたと言う。昭一氏から何も聞いていないというなら、聞かないことを書いたというのが鈴木氏の主張である。人の自殺の真実・真相は分らないものだが、恐妻家の妻との会話と、分身とも言える秘書との会話と、どちらに真実味があるだろうか?
何にしても、「言った・言わない」の話を水掛論という。が、中川家にも女の問題がくすぶっているのは否めない。中川昭一の急死についても疑問は残されている。かつて、国際会議の記者会見で醜態を晒した夫の帰国の際には、テレビカメラに囲まれた夫に向って、「日本一、頑張れ、大丈夫!」とエールを送る郁子であるが、こういう女は自分的には演技性人格という。
今回の中川郁子議員の不倫疑惑で、堰を切ったように報じられる彼女の悪評は目を覆うばかりである。しかし、なんでまた路上でそう言う事をするのだろう。人前チュー、路上チューは文化であり、日常的慣習の欧米であっても、こと政治家が他人の配偶者と抱き合ってのベロチューなら大スキャンダル。政治家というのは、名誉と信頼を重んじる職業である。
「30させごろ・40しざかり・50ゴザ破り…」と、これは女性のセックスを年代にたとえた言葉だが、50半ばの未亡人は"ゴザ破り"の激しい世代である。が、あくまで女としての郁子が、政治家という職業モラルに準じて人目を避けて乳繰り合うなら、誰にも分らないこと。気性の激しさか感情の抑制ができずこのような失態を衆目に晒しては、選挙民を裏切ったことになろう。
こういう意見もないではない。「夜中に路上でキス 国会議員は、路上でキスしたからアカンのでしょうかね? 国会で追及する審議なのでしょうか? 民主党もしょうもない質問するより、もっと大事な案件があるでしょうに…税金の無駄!」。追求すべきではないというが、そう思うのは個人の自由。問題は、政権が緊張感を欠いていると思われても仕方がないということ。
中川氏に法的問題ないという人もいるが、無知も甚だしい。もし、浮気相手の議員の妻が郁子氏に慰謝料を請求し、裁判所がそれを認めれば中川氏は「不法行為」認定で慰謝料支払い義務が生じる。政治家は人気商売であるから、相手の門議員の妻が個人的感情を露骨に表すことはしないだろうが、中川氏はそれで助かっている部分もある。たかがキスだけ、と妻が思うはずがない。
自分も思わないし、多くの人間も思わないだろう。事実が闇である以上、「思う・思わない」の範疇である。この画像を見れば、思ってもいいし、思わなくてもいいし、感じ方は人による。夫の不倫は、女としては許せないが、妻の立場としては、荒立てない方が得策と考えるだろう。相手側の門博文議員は、ひたすら沈黙を守り続けているが、入院はしていない模様。
大変なのは門議員の選挙区を取り仕切る秘書であろう。門氏は和歌山一区で当選しているが、過去二回の当選は選挙区落選、比例復活当選である。こういうスキャンダルでは、今後の党のポイントも下がるはずだ。また、家族内の問題として、門氏の妻は「忍」の一字で済もうが、彼の三人の子どもはすべて女の子、周囲の冷ややかな視線を浴びるであろうし、気の毒である。
子どもの逃げ場は「保健室」と言ったが、そうばかりも言ってられない。門氏の49歳と言う年齢から察するに、子どもは思春期に差し掛かっていると思われる。公人としての父と、それを支える一心同体としての母と、子どもに対するごまかしのない率直なフォローが必要だ。今回の不倫報道で中川郁子議員と門博文議員と、よりリスクが高いのは間違いなく門議員であろう。
巷で有名なのは故中川昭一財務相の妻である郁子議員だが、彼女は独身扱いで不倫にはならない。が、門議員は国会議員の寿命の問題もあるし、家庭崩壊の危機もある。そこは妻のさじ加減といえる。政治家の妻として穏便に済ませようと、そういう我慢を強いられるだけに、夫への愛は当然にして失われる。我慢が大きければ失うものが大きいという図式である。
妻の逃げ場は子どもであろう。子どもさえいればヘタレ夫の愛などいらないという女は多い。さて、門議員はどれだけ妻に問い詰められただろう?あえていうなら、夫の逃げ場は「中川さんの誘惑に負けてしまった」と言うしかない。それで多少は罪は逃れられるが、路上チューだけと言うのは携帯でしかと申し合わせをしているはずだ。妻の疑念は消えないが、調べようがない。
写真という動かぬ証拠を突きつけられて、二人はキスは認めた?「舌をいれたのか?」などの下世話な質問はないが、やっている事はみんな同じだ。問題はそれだけではない。注目すべきは、2人が互いの地元を行き来していたこと。政治活動ならぬ公費を使っての逢瀬なら見過ごせない。2人は先月7日、北海道陸別町で行われた「しばれフェスティバル」に揃って参加している。
門氏はフェイスブックで「日本一寒い町で行われた熱い夜でした」と興奮気味につづっていた。「政治家で参加されたのは、陸別町長や地元の議員の方ばかり。道外の国会議員が来たのは初めてだと思います。司会の方から説明があって、初めて和歌山の人だと知りました。みんなで<なんで、和歌山の人がいるんだろうね>と話していましたし、違和感たっぷりでした」(地元関係者)
陸別町は中川氏の地元・帯広から車で約2時間のところにある。地元関係者によれば、門氏は2月7~9日まで、北海道に滞在していたことが確認されている。7日には、なぜか和歌山の業者とともに地元紙・十勝毎日新聞社を訪れ、自らをアピールした。果たして、これが政治活動の一環といえるのかどうか。門氏の事務所に質問状を送ったが、回答はなかったという。
門議員はまったく表舞台に出てこないダンマリ戦術に転換したのは、週刊新潮の取材で路上キスについて問われると、初めのうち否定した上でソープ通いしていたことやクラブのホステスにセクハラしていたことを自分から告白した経緯がある。「もっとも、今まで妻一筋かというと、そうとは言えんな。男やからな。風俗はソープランドだけや。十数回行ったかな。」
「クラブのホステスにキスしたことはあるけど、チュッって感じで、ベロベロってやってない。」と、これがいわゆるブーメラン発言である。門議員のある選挙演説会場では、「父をよろしくお願いします」と涙を流しながら訴えた娘が反響を呼んだという。投開票日には家族総出で状況を見守り、当選すると娘が泣き崩れていたと、週刊新潮は記している。
「なぜ政治家の恋愛に目くじらたてるの?」という疑問もあるが、ひとえに恋愛の問題では無く、公職に就く者は国民からの疑問には説明責任があるということ。それが選んでくれた人に対する選ばれた人の義務である。公職者たる者の行動や発言には責任が有る。説明もせずに病院に直行するような議員は、その行動ひとつとっても議員として失格である。
中川議員の政務官辞任は確実な情勢だが、なんと二人は政務官室で“密会”を繰り返していた疑いも浮上した。民主党も、門代議士が政務官室を訪ねたことがあるかどうか、農水省に記録の提出を要求している。どこかの大統領の例もあるから、想像はやぶさかでないが、結局政治家なんて表向きの顔と思えば、人間などこんなものだが、遊ぶなら自費で遊べ。
"号泣県議"でお馴染み野々村竜太郎元兵庫県議も、政務費の私的利用が問題になった。自分の人間観は、分らないところでナニをやっているか分ったものではない。が、バレたら正直に、誠実に自分のバカさをみせるしかないだろう。そこでは、もうゴマカシが利かないのに、ごまかそうとするからバカの二乗になる。人間は誰もバカで、それを普段は隠しているだけ。
「ワシはそんなんじゃい」、「そんなことないぞ」と言ったところで、ガラス張りの中で生活できるはずがない。もし、人間の公私に秘匿性が認められなければ、発狂するのではないか?たびたび紙面を賑わす「不倫」という言葉だが、「不倫」は法律用語ではない。であるから、「既婚者がキスをしたら不倫になってしまうのか?」という問いは誰に問うのかである?
法律用語では不貞行為といい、キスがそれに当たるかどうか、損害賠償や離婚の根拠になり得るのかどうか。「既婚者が『不貞な行為』(民法770条1項1号)をおこなったり、夫婦間に『婚姻を継続し難い重大な事由』(同法770条1項5号)が生じれば、離婚や慰謝料の支払いといった法律的なリスクにつながる」と、なろう。断定は裁判所の範疇だから、リスクと言っておこう。
「判例によれば、不貞行為とは、配偶者のある者が自由な意思に基づいて、配偶者以外の者と『性的関係』を結ぶことをいう。注意すべきは、『性的関係』という表現がされていることで、つまり、「セックス」に限定していない。では、判例がいう「性的関係」とは、具体的にどんな関係なのか。『性的関係』をめぐっては、広めに捉える見解が有力とされる。
この見解によると、男女のキスはもちろん、同性同士のキスも「性的関係」にあたり、「不貞な行為」となる可能性がある。このような観点からは、キス以外の性行為のない関係も、一度や二度ならともかく、継続されているなら不貞行為にあたり、損害賠償や離婚の根拠になり得ると考えられる。仮に不貞行為と認められなくとも、損害賠償や離婚の根拠になり得る。
継続的なキスという行為は、配偶者以外の者との親密な交際で、夫婦関係が破綻する原因となるし、『婚姻を継続し難い重大な事由』にあたる。配偶者の交際相手だったアメリカ人に損害賠償請求した事案がある。その訴訟で、裁判所は『被告がアメリカ人であることからすれば、抱擁やキスをもって不貞行為と評価することもできない』と原告の請求を退けた。
被告が日本人であれば不貞行為と認定された可能性もあった。つまり、キスだけの関係であったとしても、離婚を突きつけられる原因になる可能性がある。もっとも、二人にキス以外の関係は「ない」、「なかった」というのを証明する方法はない。「どこから浮気?」というネタは男女問わず盛り上がるものだが、そういった話題はつまるところ“カラダの関係があるか否か”に収斂される。
疑いを持たれても実際は本当に、"清い交際"であるケースも世の中にはある。が、既婚者は独身者と清い交際であったとしても不法行為とみなされるのか?肉体関係がなくても不倫として、男性の妻が交際相手女性に求めた賠償金請求に、慰謝料44万円を認めた大阪地裁判決がある。この判決は、妻が離婚を求めたものではなく、慰謝料請求であったことで認定された。
肉体関係のない、いわゆるプラトニックラブであっても、程度を超せば婚姻共同生活の平和の維持という法的保護に値する利益の侵害として、不法行為の可能性は大いにある。中川郁子議員は、「酒席後の軽率な行動」と弁護士に相談の上、適宜にかわしたのだろうが、言葉というもっとも大きな武器は、もっとも大きな悪をなす。知者は武器を頼らない。