「多くの高学歴信者たちが英雄として待ちわびたのが麻原彰晃だった」。誰の発言か、この「英雄待望論」分析には納得した。また、早大理学部教授の大槻義彦は、偏差値至上主義によるマークシート方式を以下のように批判した。「とにかく手っ取り早く解答を出してしまう。自分で考えない、批判的に物を見ないという態度からは、真の学問は一切生まれてこない」。
共通テスト構想は、1960年代以降文部省やその周辺から発案されていたが、70年代に入り政府及び与党の推進により実現する運びとなる。奇問・難問・珍問の入試問題をなくし、「入試地獄」を緩和するという目的で導入が決定された。ところが学生の大学二次試験選択の必要性から、受験産業による各大学の情報収集及び、情報分析が受験生にとって重宝されるようになった。
その結果、大学・学部・学科の序列化・固定化が進むこととなった。見切り発車的な要素もあった共通一次試験は、実施前から小室直樹らには失敗を予想されていたが、詰め込み教育とされた知識量偏重型教育の弊害を是正するためには行うしかなかった。受験産業は数兆円産業にまで成長し、生徒の塾通いは当たり前の様相を呈し、受験戦争は益々過熱していくこととなる。
当時の学校教育の状況は次のように総括されている。①知識の詰め込み教育、②加熱する受験競争、③学校への疎外感・校内暴力、④いそがしすぎる子どもたち。こうした包括的な問題を解決するために提起されたのが、「ゆとり教育」。まずは手始めとして業者テストの廃止で、これは業者テストの偏差値で進路を輪切りにする高校入試のあり方を改めようとの趣旨だった。
偏差値という数値は具体的で、これに抗うことはできず、高校の序列化は益々進むばかり。学校は学校で、「中学浪人」を出さないことに躍起になり、偏差値に頼らざるを得ない現実に、教師も親も押し流されてしまっていた。「子どもにもっとゆとりを」というのは、論理としては正しくとも、世の中の要望から乖離した考えであったのは、学歴社会信仰の根深さである。
中学校から業者テストを追放し、学校でゆとり教育を実践しても、塾や予備校が学校に代わってテストを行い、偏差値を算出しなければ客観的な学力評価は得られない。結局教師は進路指導に困り、親の不安は増大する。「業者テスト排除、脱偏差値」を迫る以上、これらの課題も克服していかねばならなかったが、現実軽視・理念先行の、「ゆとり教育」となってしまった。
「受験競争」と、「塾通い」を追放し、「新しい学力観」のもとで実施された、「ゆとり教育」は、結果的に学力低下や学習意欲減退をまねいて塾通いをいっそう過熱させ、私学志向に拍車をかける結果となる。高学歴エリートの巣窟、駆け込み寺的要素のオウム真理教と受験戦争の因果関係が皆無と言えないのは、彼ら信徒たちのあまりの社会性欠如という問題もある。
受験エリートといえど社会に出れば右も左も分からぬ新一年生、好待遇もなければ彼らの自尊心を満たすものなどなにもない。「賢いね」、「頭いいね」と周囲からチヤホヤと持ち上げられた優等生たちが、プライドを堅持したまま社会に足を踏み入れ、「ここには自分たちの居場所はない」と嘆くこと自体あさましい。いかなる秀才とて社会に生活の場を求めるという現実。
であるなら、社会の厳しさへの耐性を身に着けることが大事である。「学力の評価は単なる知識の量の多少ではなく、"生きる力″を身につけているかどうかによっても捉えるべき」という考えがおなざりにされた。他人との学力差異化に力点をおく保護者の要望、これに受験産業は答えることで潤っていく。確かに、「生きる力」的議論は美しいが、抽象的すぎて実感に乏しい。
具体的な教育方法の困難さも相俟って、知育偏重教育に徳育教育は追いやられた。持論をいうなら、我が子がどんな人間になって欲しいと願う心の教育は、親が受け持つべきである。学級崩壊・いじめ・校内暴力・学習意欲の減衰・授業ボイコット・子どもの自殺や殺人。これらすべては親の子どもへの手抜きと個人的には考えている。教師1人にに30人は大変であろう。
1人の子に1人の親で不足はなかろう。これが当たり前の思考なら、子どもの人格に合わせた徳育教育は家庭が担うべき。利発な少年だった中川智正の母はオウムについて、「あれだけ止めてもどうにもならなかったことが、慰めになっているのか…」と述べている。これは、「矢尽き、刀折れ」の心境であろう。「(麻原の)教えを信じたままで死んでいくのなら(私自身)辛かった。
でも昔に戻ってくれました」と、母は安堵していた。「息子を悪魔に盗られたままではあまりに情けない」という親の情である。親から遠く離れたところに行った子であれ、生の終焉においてはせめて無垢であるを望む。「昔に戻ってくれた」と安心していた母だったが、昨日、信者の遺体の引き取り先を、オウムの後継教団アレフとする遺言状があるとの報道があった。
報道は本当なのか?遺言状には、「わたしの遺体はアレフが引き取り、それ以外の引き取りは親族を含めて一切拒否します」との文言が書かれているという。本人の自筆か?それとも代筆か?いつ頃のものか?詳細は明らかにされていないが、FNNが、アレフに関連する裁判の記録から確認したものとして報道した。遺体のほとんどという表現で、全員とはいってないが…
「オウム真理教」の問題はいろいろ捉えどころがあろうが、最後に、「親と子」の問題として考える。どんな子どもにも親がいる。子を持たぬ夫婦もあるが、子を持てば親である。オウムは宗教が親子の絆を引き裂き、犯罪集団として信者を利用した。犯罪規模は甚大で、テクノロジーと軍事力を駆使し、「国家内国家」を企て、麻原を独裁者とする、「国民国家」を目指していた。
このような未曽有の犯罪に加担した息子を持つ親は、世間に顔向けできないどころではない。事実、中川智正の母のように、息子の死を償いと考える親もいる。「死んで詫びる」という日本人的謝罪精神は、日本人なら理解できよう。「まだ牢獄で生きてるのか?」というのが世間の視線である。ならば、世間に命を差し出し、世間に謝罪する心情を自分は間違い思わない。
「(息子は)死んでも償えぬ」という言葉は自分と共通する。死んでも償えぬが、それでも死ぬべきである。智正の母は嘘・偽りなく息子の死を望む。自分はそう思いたい。自分がもし同じ境遇なら息子に死んで償わせたい。親が子どもに言い聞かせられる正しい物の見方である。「お前は死んで世間さまにお詫びをするべきです」。という母の手紙を見たことがある。
何の事件であったか忘れてしまったが、息子に死を命じる母の気丈な思いがにいたく感動した。「自分も大切なものを失う。お前も大切なものを差し出しなさい」ということだろう。情を排し、理に殉じた思考は時に残酷である。が、子どもを愛するがゆえに正しい行いという道理を我が子に切り開き、残してやりたい親の心情とは、死んで欲しくないゆえに死を望む。
死刑廃止の潮流は自死を認めないヨーロッパ的・宗教的思想である。刑死であれ、自決であれ、世間に泥を塗った者の選択を否定はしない。「死ぬことで何も生まない」というが、「死ぬことで変わるものはある」。「お前は死んで世間に詫びろ」と言える親で自分はありたい。それほどに親は子どもに対し、強くあるべきである。今生の至言を子どもに伝える責任が親にある。