囲碁、将棋、チェス。いずれも似たような思考ゲームだが、将棋しかできない自分は3者の比較ができない。将棋の面白さは説明できるが、囲碁やチェスには閉口する。一般的には以下のように言われる。将棋やチェスは一手一手のエネルギーが大きく、その激しさがたまらない魅力となる。囲碁は戦場が広く手が広い。将棋やチェスの惨めさからは解放される。
ゲームの刺激性ならチェスや将棋で、それぞれの特徴ある駒を使って狭い戦場で王様を攻めることで戦術の高さが求められ、ハラハラ・ドキドキ感がたまらない。おだやかな頭脳ゲームなら囲碁。将棋が、「戦術」なら囲碁は、「戦略」が重視される。広い盤面をどう使うか、どこをどう譲っていいか、どこは譲れないのか、どこの戦いは放置できてどこが急がれるか。
これらはまさに盤上の「世界戦略」である。チェスと将棋は確かに激しい。特にチェスは世界戦のような大きな大会の競技中に、血圧が上昇し発作を起こして病院に運ばれることもあった。狭い盤上で性格の異なる駒を使うチェスと将棋の大きな違いは、取った駒を戦力として使うこと。将棋はその点がチェスより複雑になるが、このことで面白い逸話がある。
戦後、占領軍として日本に入ったGHQは、日本の軍国主義復活の芽を摘むために、廃止も含めてさまざまな改革を行った。そのやり玉に上がったのが将棋である。現在の本将棋の原型が出来たのは16世紀後半の戦国時代で、信長も秀吉も将棋の戦術性を好み擁護した。江戸期は幕府によって家元制度として保護され、明治期には新聞に将棋欄が出来るなど隆盛を極めた。
その将棋にGHQがクレームをつけた。彼らの言い分は、「将棋は敵から奪った駒を捕虜として自軍の兵として使う。これは捕虜虐待である」。将棋連盟から事情を聴くために呼ばれたのが升田幸三である。彼はGHQの捕虜虐待説に真っ向反論した。「馬鹿なことを抜かすでない。チェスは捕虜を殺害しているではないか。これこそが捕虜虐待である。
将棋は奪った捕虜に、その位のままで適材適所の働き場所を与えている。よって常に駒が生き、それぞれの能力を尊重しようとする民主主義の正しい思想である」と怯むことなく進言した。GHQ局員は、「面白い日本人だ。まあ、一杯飲もう」と、それぞれがビール片手に談笑したという。敗戦直後ということもあり、日本政府の関係者にはGHQに従順な人間多かった。
天皇でさえそうであった占領下、いかにも升田らしいエピソードである。先人の叡智から発展を遂げ、守られ、そして今も多くの人に愛されている将棋は、こうして占領軍n禁止処分を逃れた。そのように見ると、駒を取るだけのチェスは残酷である。碁はただの白黒の石であり、チェスや将棋の駒のような人格性もなく、石を取るよりも地を広げるのが戦いの基本となる。
チェスを見ていると、「何というガサツであろう」と所作に思うが、将棋には日本的な作法というものがある。最近は昔ほどに対局姿勢などをうるさくいわないが、チェスのように左手で素早く相手の駒を取り、右手で自陣の駒をそこに進めるなどは絶対にない。将棋の作法と決められてはないが、暗黙の御法度というべき所作である。チェスにはそういうものが一切ない。
駒をキチンとマス目の中に正しく置くのも、「礼」とされるが、竜王戦挑戦者の糸谷が、自分の指が森内竜王の駒に当たり、駒が斜めになっているのに直さず、そのままで数手進んだ時、たまらず森内竜王が糸谷離席中に駒を直した。解説をしていた高橋道雄九段も苦言。糸谷のマナーに批判があがったが我関せずの彼。問題なのは森内の精神状態である。
もしこれが糸谷が指した彼の駒であったなら、「ゆがんだ駒くらい直せよ」と、言ったかもしれないが、相手の手が触れて歪んだのは自分の駒ゆえに、言いにくい状況である。それでも後輩を諭すくらいの気持ちで、「ダメじゃないか、歪んでるのは直しなさい」というべきだが、こういう場合、相手の無神経さに押し黙る人間はいる。無神経な奴は分からせるべきだが遠慮する。
温厚な森内もそれが言えない人である。このシリーズは糸谷の離席も多く、それで精神を乱されるのは良くないと知りつつ、糸谷の無神経さ、行儀の悪さに圧倒されたのか、森内はタイトルを失った。ただ勝てばいいだけのチェスと違い、礼儀とかマナーとか、日本的メンタル部分が大きく左右するのもチェスとの大きな差であろう。良くも悪くも日本人である。
勝負に対局姿勢やらマナーやら、そんなもん関係ないというのが、欧米人であるが、日本の若い世代もだんだんとそのようになって行っている。日本人が日本人らしさを失うところは、むしろ世界人の仲間入りをしていることになるのだろう。日本人は日本人のまま、「おもねらず」、「なびかず」であるべきとの考えもある。日本人の肖像を忘れてはならない。
囲碁も将棋も日本が発祥ではないが、チェスとはまるで異なる日本的なるものを兼ね備えている。日本人が日本的なものを守ることこそ、日本人のアイデンティティといえるが、世界から称賛されるそうした日本人の律義さ、勤勉さ、あるいは由緒正しさは、交渉などの戦略的場面においてはプラスに機能しない。下に見られ、舐められてしまう要素である。
日本人の善意は日本人には理解されるが、日本以外の国では通じない。それでも日本人は西側や野卑なアジアの国に向け、「日本人である」と胸を張るべきなのか。胸を張るのはいいが、相手に舐められ、子ども扱いされては話にならない。日本的なものは日本でしか理解されないなら、グローバルな戦略論を備え、行使せねばならないだろう。日本は世界の中にある。
「大和魂」は死語になったが日本人の、「魂」を欧米列強に売り渡してはならないといったのはハーンであった。ハーンとはラフカディオ・ハーン、日本名は小泉八雲という。英国国教徒のアイルランド人を父とし、正教徒のギリシャ女性を母とし、英米アングロ・サクソン社会を遍歴してきたハーンは、不惑を過ぎて日本に辿り着き、46歳で小泉八雲となった。
八雲は『怪談』で世に知られているが、こんにちではなかなか文献などを開く人は少なくなった。八雲に限らず、漱石、川端、志賀、鴎外ら文豪の全集がさっぱり売れない時代である。日本人が日本人の心から離れていくのはそうした事情もあろう。それでも八雲は日本人の心に今なお生きているが、若い人は八雲が何をし、何を残したくらいは知るといい。
八雲の文学を深く探求しなくても構わない。八雲は晩年、心臓発作に苦しめられたが、そんな最中に心血を注いだ完成させた大著が、『日本 一つの試論』である。自身の病状から遺作となろうことを知った八雲は、以下の言葉を末尾に記している。「日本が外国産業に土地の購入権を与えたら、その時は希望を捨て滅亡する時。この信念を、私は退ける事ができない」。
「信念」という言葉を使ってまで、八雲は自らの憂慮を書いている。「土地」というのは、今日風に言えば、株式も含めた、「資産」を意味する。それらを外資、とりわけアングロ・サクソン資本には、絶対に売り渡してはならないと警鐘を鳴らしている。このことが、小泉八雲の日本人への遺言であり、八雲の懸念が正しかったことは後の歴史が証明している。
2005年8月、小泉純一郎は郵政民営化法案が否決されたことで、解散に打って出た。それを軸に郵政民営化法、会社法、改正独占禁止法の3つの重大法案を成立させた。郵政民営化以外の2つは知らない人も多いが、会社法の中に仕込まれた、「外国株を使った株式交換の解禁」は、日本の名だたる一流企業を、外資が完全子会社とする道を開いた。すべてはアメリカの押し付けである。
独禁法改正で強大な捜査権限を得た公正取引委員会は、猛威を振るって日本企業に襲い掛かる。攻撃を受け、弱体した日本企業は、ますます外資の買収攻勢にされされる。郵政民営化に至っては、簡易保険の1兆ドルにのぼる資産を、アメリカ系保険会社に、「市場」開放する工程に過ぎなかった。これらは長年アメリカが日本に圧力として加えてきた要求条項である。
分かりやすくいうなら、アメリカが日本の資産を収奪し尽くすことを可能にするための手立てであり、小泉総理はその手先であったということだ。小泉八雲が懸念し、書き置いたことを、奇しくも同じ姓の小泉純一郎が行ってしまった。外国資本による日本資産の購入権を当たる法案を、「構造改革」と推し進めていることを、マスメディアは国民に伝えようともしなかった。
これに反対する一部の与党議員の先駆者が断固阻止に立ち向かった。小泉の盟友であった亀井静香は孤軍奮闘するも矢尽き刀も折れて存在感すらなくなってしまう。小泉が絶対にやってはいけないことを別の小泉が、「外資に買収されてどこが悪い」、「アメリカに迎合してなにが悪い」と開き直っているうちに、はかりしれない大きな代償を日本人は失った。
「将棋は取った駒を役のまま生かす。これはチェスと違って捕虜虐待ではない!」
と、敢然とGHQに向かった升田幸三であったが、チェスの国アメリカは、日本人への捕虜意識が消えることがない。有史以来、外国に占領されることのなかった日本が、帝都を焼き払われ、原爆を落とされ、憲法まで押し付けられ、お使いばかりさせられる。槍・刀をもがれた日本がアメリカに善意を期待するのは、捕虜を虐待するチェスの国であるのを忘れた笑止であろう。
お調子者で変人の小泉はブッシュ家でおどけまくり、日本の恥をさらしたが、これは升田幸三とは雲泥の差。GHQは升田に、「面白い日本人」と親しみを抱いたが、ブッシュはおそらく、「アホな日本人」とせせら笑ったことだろう。その様子がモロに顔に表れている。おだてればドジョウすくいでもやるような総理を持ったことで、日本は取り返しのつかない国となってしまった。