ファッション界では空前のスニーカーブーム。それにのってコンバース人気が止まらない。コンバースのオールスターはカジュアルながらもシンプルで飽きのこないデザイン。キャンバススニーカーにあってはコンバースのオールスター抜きに語れない。それにしても人はなぜスニーカーを履くのか?あれこれ理屈をいわずとも、「そこにスニーカーがあるからだ!」という名言になぞらえておく。
が、あえて言うなら、「simple is beauty」か?シンプルな着こなしに、ハイカットコンバースというスタイルが際立つのも無理からぬ事。足首まで隠れるハイカットスニーカーにはスキニーパンツが合うが、これには理由があって、ハイカットはローカットよりも足元にボリュームが出る。パンツはスキニータイプを選ぶことで、全体のラインがきれいに見えることになる。
ハイカットはまた、ショートパンツにも合う。足元にハイカットスニーカーを履くことでコーデにメリハリをつけることになる。もちろん、ミニスカ×ハイカットも相性はいいし、シックな恰好に派手な色のスニーカーはアクセントになる。普通はパンプスを合わせるコーデでさえ、スニーカーでオシャレに決められる。カラースニーカーもいいが、白のコンバースの清潔感、清涼感は爽やかな印象を与えてくれる。
もちろん、ワイドパンツにも合い、下のようなシックでモノトーンコーデに、スニーカーなど考えられない時代もあったが、流行というのは不可能を可能に、変を変でなくする魔術といえる。ジーンズなどをロールアップし、ハイカットスニーカーの上に少し肌をみせれば、印象が軽くなるし、ヌケ感も出てお洒落感もアップする。また足首も細く見えることで、この着こなしは女性に定番の人気となっている。
こうして女性のスニーカースタイルをいろいろ見て感じるのは、普段着感覚で着る木綿の風合いであろうか?かつて、金鉱山鉱夫のワーキングウェア(作業着)であったジーンズが、いつの間にか先端のオシャレ着になったように、時代は物を変え、物もまた時代によって変えられる。かつてジーンズ、ジージャンにワークブーツというトレンドが流行ったが、今ではスニーカーで十分オシャレ度アップする。
HAWKINSやREGALやREDWINGやTimberlandのブーツでなくてはならぬものが、今ではコンバースのスニーカーで決められる。よき時代というのか、不思議な時代感覚である。値段も高い皮を使った質の高いオシャレというより、やはり木綿の時代であろうか。確かにブーツは誰が履いても似合うものではなく、経験とセンスがいるが、スニーカーは履きこなすのが簡単。経験もセンスもいらない。
大前提として言うなら、ブーツをきちんと履きこなすとメチャクチャ格好いい。そのカッコ良さはスニーカーの比ではないであろう。が、あまりのコーディネートの難しさと、手入れの面倒くささが敬遠されるのではないか?応接室には皮のソファがゴージャスであった時代から、どんどんキャンバス地に移行していったのも、手入れの大変さもある。それプラス皮の冷たさ、キャンバス地の暖かさもある。
同じ皮といえども、レザーやスエードなど、素材によって手入れ方法が違い、置き場所も考えないといけない。つまり、乾燥しすぎると革が割れ、湿気がありすぎるとカビが生える。さらに皮のブーツは雨の日には履けない。さらに面倒なのは履くのに時間がかかること。靴べらを使ったり、靴ひもを結んだりと、スニーカーに比べて手間がかかります。女性の編み上げブーツも同様、履くのは大変だ。
さらに短所して、ほとんどのブーツはスニーカーよりも重く、長時間歩くとそれだけ足にくる。それに、靴のサイズが合っていない時の履き難さといったら、スニーカーの比ではない。革のブーツは履いているうちに伸びてくるが、それを見込んで最初はキツめのサイズを選ぶことが一般的だが、どのくらいのキツさが最適なのかはブーツによってて異なり、足の形状によっても違ってくるから難しい。
そして値段が高い。これが若者に敬遠される圧倒的理由であろう。もちろんスニーカーでも手入れが難しいものはありますし、高いものもあります。自分の場合は、アウトソールの白いスニーカーは、購入したら蝋でその部分をこすって、汚れないように保護をする。コンバースのようなキャンバス地のスニーカーは、汚れたら洗えばいいのでそれはしない。雨の日でも気にならずに履ける。
スルリと履けるので時間がかからない。足も疲れない。サイズ合わせも簡単。値段もそれほど高くない。コーディネートしやすい。などなど、断然メリットが多いのも流行の要因か。大人が履いてもカッコいい、いや、大人が履くからカッコいいのがスニーカー。ここでちょっとコンバースの沿革を。コンバースとは、アメリカのマサチューセッツ州でデパートを経営するマーキス・M・コンバースが創業した。
会社のある地域の気候に着目し、降雪量が多く、深い森や湿地帯の続くマサチューセッツ州の、雨や雪の中でも作業出来る、ラバーシューズの製造をその翌年から開始し成功した。そのコンバースが、ラバーシューズの次に考えだしたのが、地域で盛んに行われていた、バスケットボールのシューズ。それが今日までコンバースの名を世に残す事になるコンバースオールスターの誕生につながる。
当時のバスケットのスター選手チャールズ・H・ティラー(チャック・テイラー)がその品質にほれ込み、自らも製品の改良を提案するなど、会社もシューズも揺るぎない地位を確立する。コンバースは、常にスポーツシューズの一角を担い、機能性とデザイン性を併せ持った最高級モデルを作り上げてきた。しかし、ブランドのネームバリューとは裏腹の企業買収、売上の不振、倒産を経験する。
コンバースの倒産は、ナイキや、ニューバランス等のライバル企業が出現してき事からはじまる。2001年1月にはその勢いにのまれ、ついに倒産にまで追い込まれることとなり、それでコンバースはスポーツシューズ市場から一時姿を消した。2002年4月、企業再建に日本の伊藤忠商事が資本参加し、日本にコンバースジャパンが設立されたが、2003年7月 、3億5000万ドル(約360億円)でナイキに買収される。
コンバース社はナイキ100%子会社ながら、独立したマネージメントによって運営され、コンバースのブランドは維持して行く。ジャック・ボーイズ社長以下の現経営陣は引き続き経営執行にあたり、本社は従来通りマサチューセッツ州ノースアンドーバーに置き、また南カルフォルニアの流通センター、及びアジアにおける開発オペレーションは、すべて現状のまま保持し続けることになる。
2002年12月期には売上高、純利益とも前年比40%超の大幅な増収増益を達成するなど、奇跡的な再生復活を遂げた新生コンバースは、倒産後3年目にして株式上場も視野に入れる段階にまで復調した。コンバースブランドの再生が市場において予想以上に早く、改めてコンバースと顧客との強力な関係に着目したナイキが、同社よりも歴史が古くアメリカの象徴といえるコンバースの買収を選択した。
コンバースが倒産後に日本市場に影響がなかったのは、ナイキやアディダスなど各国で子会社を作って、販売を直接手掛けているメーカーと異なり、コンバースは「代理店」システムを重視してきた。日本では、月星化成が代理店=総発売元となり、アメリカコンバース社にロイヤリティを支払うだけで、日本市場のテイストにマッチするように月星化成が独自にデザイン&生産して発売してきた。
日本のコンバースはアメリカブランドの日本製となる。この各国の代理店&ロイヤリティシステムが「米国コンバース社」にとっても、日本のコンバースにとっても幸いしたのは、倒産してもロイヤルティ商売だった為に、致命的な影響を受けなかった。米国コンバース社は倒産後も、日本など各国の代理店から安定した「ロイヤリティ」収入が継続して入ってくる為に、会社の再建は思いのほかスムースに行われた。
ナイキへの株式譲渡は、コンバースの積極的な戦略への転換といえる。これまでの米コンバース社の運営は、米投資会社主導のもとにブランド価値を短期的に追求し、企業の再生を図る戦略であった。それが世界最大のスポーツ企業グループに加わる ことで、ナイキの豊富な資金力と、高度なテクノロジー、強力なプロモーションを背景に、長期的なブランド戦略の構築によるビジネスの拡大発展を目指す。
苦境にあえぐシャープの高橋興三社長が2月4日、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業からの買収提案に対して優先的に交渉を進めていく意向を表明した。今月中の合意が目指されている。ホンハイ精密工業の郭台銘会長は、シャープブランドは残す、7000億出しても欲しい、ということのようだが、ゴミ同然と化した糞シャープを7000億で買ってくれるというなら、申し分のない商談と思うのだが…。
自分は売ってもいいと思っている。シャープは危機に直面するも経営陣がどうしようもない。 東芝も目の前に危機が迫っているのに経営陣が無能すぎる。 いずれも経営陣が経営責任すら取らない企業は、他の日系企業にとってもよろしくない。 また、現場たたき上げが一人も取締役会に入れないなど、 技術者を小馬鹿にしてきたツケ。 国営家電製造業者などは無用。公金投入は止めた方がいい。
腹黒中華人が、コンバース社のようにシャープブランドを残すかどうか、なんともいえないが、確かにシャープブランドの方が国内でのネームバリューはあろうか。鴻海としても、シャープを買収して製品ブランドを獲得したという事実さえあれば、株が上がって資金を回収できると見込んでいる。 実際にシャープを使って資金を回収しようなんて考えてはいないだろう。
鴻海は敵なのか、味方なのか、いろいろ取り沙汰されているが、そんなことより再建する気もない企業に税金を投入し、産業革新機構に委ねるよりも、鴻海のほうが経営手腕は期待できそうだ。1974年に創業し、2014年12月期の連結売上高は4兆2131億台湾ドル(約15兆1700億円)にまでに大成長した企業に委ねた方が間違いはあるまい。