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共通一次・悲喜こもごも… ②

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多方面で活躍中の精神科医で国際医療福祉大学大学院教授の和田秀樹氏も共通一次第一期生であった。彼は当時をこのように言う。「灘高校という東大受験にはやたらに強い学校にいたので、その入試対策は万全と思っていたし、それなりの難問でも解けるように思考力や論述力は磨いてきたつもりであったが、易しい問題でミスが許されないのは相当のプレッシャーだった。

当時の東大入試は最難関の理科Ⅲ類でも、合格者の最低点は66%位とされていたから、多少できない問題や、できない科目を捨てても合格が可能だった。それと比べると理科Ⅲ類の共通一次試験の足切り点は、9割とかひどい予想だと9割5分と言われていた。国語が苦手な上に当時は理系でも社会科2科目の受験が義務付けられていたから、他の科目のミスは絶対に許されなかった。 

イメージ 1今でこそ、いい加減な人間の代表みたいになってしまったが、どういうわけか私は中学受験のころからミスの少ない人間だった。だから、自分よりはるかに頭のいい同級生より、中学受験のときも、大学受験のときも、模試では成績がよかった。 実際、同期のトップだった奴が、この共通一次試験で大ミスをやらかして、9割にはるかに足りない点しか取れなかった。

どうせ落ちるんだったらと思って出願したら、その年は1回目ということで高い足切り点が予想された理科Ⅲ類の出願が、敬遠傾向で結果的に足切りがなく彼は二次試験で悠々合格した。こうした実情から、共通一次試験の導入で自分のようなセコイ受験生には有利になるが、本当に頭のいい奴とか理数オタクが東大に入りにくくなることに危惧を感じた。 

和田は自身のブログで、共通一次試験とはなんだったのか、について朝日新聞社からの取材に以下のように答えている。「当時母校であった灘高は高2までに高校のカリキュラムをほぼ終え、高3は受験勉強に専念できた。そのおかげで、日本史であれば論述対策に新書を読むこともできたし、東京出版などから出ている数学の難問集にチャレンジすることもできた。

それらから、公立高校の連中が高校のカリキュラムを終わらせるのにアップアップだったのだから有利なのは事実だが、それでも易しい問題でたくさん点を取らないといけない共通一次試験は脅威だった」という。やさしい問題に関しては普通の公立高校に負けるのではないかという不安もあったそうで、なんとも贅沢な不安だが、「結果的に、杞憂だった」という。

どんな試験でも、試験というものは目の前に立ちふさがる壁に違いない。その壁が大きいものか、小さいものかは、試験が終ってみなければ分らないし、とにかく試験は誰であれ、一抹の不安はある。中高一貫私立高において最後の一年が受験対策であるなら、難関大学や高偏差値の学部にこそ有利で、和田の年度は理科Ⅲ類に現役で19人合格でダントツであった。

以降も中高一貫校が東大合格者数や医学部合格者数で圧倒的に強い現実は変わっていない。これを集約すれば「歩留まり論」が出来上がる。つまり、東大理Ⅲなら中高一貫難関校⇒中学受験⇒進学塾、さらには小学受験⇒いわゆる幼稚園の"お受験"といわれる慶応のような超エレベーターシステムもある。和田は共通一次試験を以下のように総括している。

イメージ 2

役人や学者が頭で考えた対策では、受験競争を緩和したり、地方の公立学校を救済することはできなかった。最近になって、一部の公立高校が高偏差値大への受験人数を復活させたが、これは当たり前のように勉強をさせた結果である。一般の子供の勉強量を減らすことで、公立がよくなるわけはない。私立は勝手に勉強をさせるから、格差は広がるだけなのだ。

その後も、ゆとり教育を含めて、文部科学省が理屈でこねくり回して成功した政策はない。共通一次試験が始まる直前に、東京教育大学が筑波大学という形で追い出され、文教政策を東大が握るようになった。しかし、東大の教育学部の教授で現場経験のある人間はいない。モデル校の東大付属でちょっと実験授業をやって自己満足している人ばかりである。

こういう人間たちが教育の世界でヘゲモニー(覇権)を握り、失敗しても反省することなく、日本中の子供たちが、こういう教授たちの実験台をさせられ続けている。共通一次は、その後続く、文部省、文部科学省のヘボ政策のさきがけになった。そして、私は実験台の第一号になったことを再認識したのだ」。問題の多い制度であるがゆえに"実験台"と感じられる。

そもそも共通一次は基礎的な学習の達成度を問う平易な問題が並ぶ。灘や開成などの難関高であれ、ここで一定の点数を取らなければ2次試験には進めない。東大中最難関の理科Ⅲ類を志望し、高度な過去問を頑張った和田にとって難問を解く思考力より、5教科7科目をまんべんなく、ミスをせずに解答する力が要求される共通一次は、何の意味もなかった。

イメージ 3和田の懸念したような極端な「足切り」はなく、彼は現役で希望学部に合格できたが、共通一次が従来の試験より優れたものだとは思えず、「役人の思いつきの制度いじりに振り回された」という感情は今なお残っているという。ただ、受験生の視点とは別に、共通一次試験に対する世間の期待は大きかった。試験初日の産経新聞夕刊は、1面でこう解説している。

「『共通一次』は特定の大学、学部に志願者が集中するゆがんだ、"受験戦争"や、難問、奇問をなくし適正な出題で入試を行おうというのがネライ」と、これはこの場に何度も記したことでもある。とかく何事において、新しいものに対する期待値はあって当たり前だし、現存する国立大の1期校・2期校の区分を廃止し、入試を一元化する狙いがあったのも事実である。

それまでの国立大入試は、3月上旬に行われる1期校、同下旬の2期校に分けられ、計2度の受験機会があった。ただ、東大をはじめ旧帝国大学が1期校に集中したこともあって、2期校は"滑り止め"と見なされがちで、2期校側は不満を募らせていた。そういった格差が、差別意識の根源にあるのは疑いなく、教育ジャーナリストの黒羽亮一氏以下のような見解まで示す。

黒羽氏は、昭和45年に文部省(現文部科学省)の大学入試改善会議のメンバーとなり、共通一次導入の一部始終を見届けた人でもある。その彼が、「昭和47年に発生した連合赤軍事件の意外な影響もあった」と奇妙な見解をのべている。「あさま山荘事件」や、「連続リンチ殺人」で社会に衝撃を与えた連合赤軍のメンバーは、2期校出身の学生が多かった。

同年3月に国会に参考人招致された横浜国立大学長(当時)の越村信三郎氏は、同大の学生が連合赤軍に走った理由を問われて、「2期校コンプレックス」を挙げた。この説明が文部省を入試の一元化へ動かしたという。当初、国大協は一元化のみ考えていたが、文部省や全国高等学校長協会などは高校教育課程に準じた統一テストを併せて導入するよう求めた。

結局、文部省が中心となった周到な根回しの末に、「異なる2つの改革が一種の抱き合わせとして実現することになった」と、黒羽氏は振り返る。共通一次が行われた79年の日本は、高度成長が終わり、先進国としての地位を確立した時期。総理府の世論調査で自らの暮らし向きを「中流」とする回答が9割を超え、「1億総中流」と呼ばれる国民意識が完成しつつあった。

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一方で高校進学率は74年に90%を超えるなど、横並び意識の中で高学歴化が進行した結果、同世代の大半が進学という同じレールの上で激しい競争を繰り広げる"受験戦争"に至ってしまった。端的にいえば、日本人の強い横並び意識の産物ともいえる。共通一次試験の導入で何が変わったのかについて和田は、「大学の序列化と公立高の地盤沈下」を挙げる。

従来は東大入試に失敗した人の受け皿となることで、優秀な学生を集めて独自性を発揮する2期校も多数あった。しかし、国立大の受験が"一発勝負"となったことで、学生は大学を慎重に選択するようになり、結果として「共通一次という一つの物差しで東大を頂点とする序列が一層明確になった」と指摘する。「一番でなきゃ、2番もビリも同じ」という意識。

村上春樹はこうした競争をくぐり抜けた勝者の戯画的肖像をエッセーで書いている。それは米国の大学で遭遇した、「会って一応の挨拶をした次の瞬間から、『いや、実は私の共通一次の成績は何点でしてね』と、滔々と説明を始める」日本の若いエリート官僚たちだった(『やがて哀しき外国語』講談社)。村上氏や共通一次世代外の人間にはなんとも奇妙な光景だ。

「1億総中流」社会とは、「身分」や「階級」の解消であり、戦後日本のひとつの到達点であった。三種の神器といわれる家電製品にはじまり、どの家庭もクルマは所有した。エリートの身分証明が共通一次の点数に代わったのは、テレビの画面のインチ数の大きさ、ウチは軽ではなく普通車であるとか、さらに外車所有であるとかと同等の見栄の論理であろう。

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過熱したものはやがて冷めていくのが道理であるように、灼熱の受験競争も18歳人口が04年を頂点に減少に転じたことで揺らぎを見せている。私立化した公立高も、元に戻りつつ「大学全入時代」は目前である。企業は大卒を有能者とはみなさない時代であっても、横並びの差異化に敏感な日本人は、薄給やリストラの憂き目に合いながら、それでも我が子を大学にやる。

風俗で学費を稼ぐ女子大性が急増している。親がリストラで仕送りが激減したケースは女子大に限らないが、なぜ女子は風俗という安易な金儲け手段に走るのか?「女の子は綺麗にしなくちゃいけないし、お金がかかるのよ」というが、18歳の女の子が夢を叶えるために鉄工所で溶接工で働く『フラッシュダンス』という映画にすれば、甘えにしか聞こえない。


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