チュープリ教師の波紋は、彼の勤務校ばかりでなく、社会全体に広がっている。「こんな最低でモラルのない教師を採用した教育委員会にも呆れるわ」。などの意見も多いが、「最低でモラルのない教師」が採用時にどうして分かるというのだ?問題は公務員であろうと、一般企業であろうと、不適格と分かった時に、さっさとクビにできる法令整備が大事である。「法定の事由による場合のほかは、職員の意に反して、降任、休職、免職されない」。という法律上の文面にあるとおり、公務員は簡単に罷免できない。その前に、なぜ教師は公務員であらねばならぬのかという疑問。公務より私益優先教師がしばしば問題になるが、教育大や教育学部のカリキュラムを経て教員免許を取らずとも、教職は民間でもできる仕事である。
採用時に人間の本質見通せないのは仕方ないが、不適格教師と判明すればクビにすべきだ。教員を民間に移行できない理由として、①手間がかかる。②民間に任せる際、その手続きを行うのが公務員以外いない。③簡単な事務手続きでも地域に密着する個人情報が含まれ、簡単に外注できない。よって、教員の民間委託先をベネッセや河合塾に任せるわけにいかない。
塾の講師と教師では、仕事内容(教え方)が違う。公立学校教師は、文部省の指導要領に従うことが必須であり、塾や予備校の講師は、単純に生徒の成績を上げることが一義的に要求される。教師にストレスが溜まるのはそのためでもある。教え方にある程度の工夫は許されているが、指導要領から外れることは許されない。よって塾の講師に教員は無理であろう。
橋下市長が公務員改革に取り組んでいたが、公務員の待遇改革を行うには、地方も含めた議員の改革が必要といえども、公務員に対して強く力を発揮できる議員が、公務員を敵に回すと次回の選挙に響くことになる。公務員の身内親戚を入れると、どの自治体であっても1割以上、多めにみて有権者の3割以上を敵に回す。それに目をつむることは政治家では無理。
橋下のような人気がない限り、首長には絶対無理な仕事である。可能とするなら、選挙の際に投票者が公務員改革に消極的な議員に投票しないようにすれば、3割以上を敵に回しても大丈夫なはずだ。一度公務員になると身分は安泰かつ保障され、汚職とか相当に悪いことをしない限りクビにできない。「飛ばす」(左遷)くらいで何でも許されるのが一般的だ。
自分の経験でみても相当バカな教員は少なくない。教員がバカというより、バカでも教員になれるし、信じれないくらいのバカ教員を何人か知っている。そんな奴が採用試験を受かったときも、まあコネであったから仕方がないと思いつつ、教員には何も期待しない、すべきでないとの考えになった。そりゃあ、「あいつが教員に?」は、驚きであった。
一言でいうなら、教員になるような人間は根が真面目で、独創的な思考もなく、他人の心を洞察できるような鋭い感性はない。言われたことを卒なくこなすという真面目人間さが共通する。文科省や教育委員会のお抱え教員がそれでいいのか悪いのかは分らないが、知識の伝達という単調な授業には向いてはいても、教育者というレベルには、到底おぼつかない。
ある事を自分で考えたり、批判したりで仲間はずれになるより、同調してバカをやる方が楽だし摩擦も生まない。人は誰も自分で責任は負いたくない、だから「人がやってたから」というのがバカのお決まりの言い訳だ。「何でそんなことしたんだ?」、「○○がやれと言ったから」などと答えて怒った教師が、「だったら、君は○○に『死ね』と言われたら死ぬのか?」と…。
こういう教師と生徒のやり取りは腐るほど聞いた。子どものこういう言い訳を生むのが家庭教育、学校教育を含む日本的社会であろう。これの何が問題なのか? 「朱に染まれば赤くなる」、「腐ったミカンは周囲を腐らせる」これが主体性のなさ、つまり自己責任逃避であろう。ようするに、弱い心を強くしようとしない。友達を庇って嘘を言うのは天に恥じることだと思わない。
そういう正義感を宿す宗教的バックグラウンドもない。日本人は、友だちを庇って自らも悪に染まるが、それは正しいことではないとするのが以下の話。10代の女性が3人にレイプされた。女性は告訴したが、容疑者も依頼人の弁護士も、「女性が望んだ和姦であるとした」。姦淫に加わらなかった少年が、検察側証人として、強姦の事実を証言することとなった。
少年は出廷する前に留置されている友人容疑者を尋ね、「お前には悪いが、オレは事実を証言する」という。友人は泣きながら、「頼む。オレを助けてくれ。レイプを認定されたら5年は監獄だ、強制猥褻で弁護士が頑張ってくれている。それなら数ヶ月で出られる」という。少年は友人の懇願を聞き、「分かった!見なかった、知らなかったと言うよ」と交わす。
少年は容疑者の依頼した弁護士に連れられ、検事の下を訪ねる。その場には打ち合わせもあって被害少女もいた。弁護士は言った。「彼は事件の際の記憶がないそうだ。君(検事)にいろいろ言ったのは強要された嘘であったと…。よって法廷では、前言を撤回するそうだ。告訴を取り下げた方がいいと思うが…」。うつむき加減の少年に被害少女が声をかける。
少女:「なぜなの?」
少年:「強制されて嘘を言った。証言台ではすべて撤回する」
少女:「なぜ…?」
少年:「本当に何も見てない、覚えてないんだ」
少女:「汚い奴ね」
少年:「汚いのはあの夜のお前だろ?」
少女:「わたしがお酒とドラッグをやり、男たちといちゃついてたから?」
少年:「……」
少女:「でも、あなたはわたしが輪姦されるのを見てたし、自業自得だっていうの?」
少年:「証言するとオレの友人が5年の懲役になるんだ」
少女:「彼は立派な友人なの?女を強姦して罪を逃れようとするのが立派な友人?そんなクズ男に加勢するあなたって、何て最低でゲス男なの?」
少年:「ひどいなその言葉。オレを見損なうなよ!」
少女:「…なにかを怖れてるの?」
少年:「……ああ」
少女:「わたしも、怖い」
少年:「強制されて嘘を言った。証言台ではすべて撤回する」
少女:「なぜ…?」
少年:「本当に何も見てない、覚えてないんだ」
少女:「汚い奴ね」
少年:「汚いのはあの夜のお前だろ?」
少女:「わたしがお酒とドラッグをやり、男たちといちゃついてたから?」
少年:「……」
少女:「でも、あなたはわたしが輪姦されるのを見てたし、自業自得だっていうの?」
少年:「証言するとオレの友人が5年の懲役になるんだ」
少女:「彼は立派な友人なの?女を強姦して罪を逃れようとするのが立派な友人?そんなクズ男に加勢するあなたって、何て最低でゲス男なの?」
少年:「ひどいなその言葉。オレを見損なうなよ!」
少女:「…なにかを怖れてるの?」
少年:「……ああ」
少女:「わたしも、怖い」
若い二人は問答の末、「怖い」という言葉に共感しあった。この「怖い」という言葉の意味は何なのか、特に被害少女の発する「怖い」の意味を思考した。少年の「怖い」は真実を述べる怖さであろう。真実の前には友人と言う美名も廃れる。自分が友人の罪に加勢する怖さであろう。少女の「怖さ」は何だろうか?これも真実に立ち向かう「怖さ」であろう。
レイプ裁判なんてするものでない。いかなる官能小説など非ではないほど、被害者は女性として、人間としての尊厳を失ってしまうほどに裸にさせられるのだ。事実、彼女は法廷内では、耳を覆いたくなるような洗いざらいの告白をした。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということわざは、身を犠牲にする覚悟がないと何事も成就できない。の意味である。
彼女は検察官に、「泣き寝入りしない。彼らを監獄に閉じ込めて!」と言い切った。意思の強さに見えるが、一少女の怖さを我々は知るべきであろう。男の傲慢で女性の心身を破壊させることがあっていいものか?多くの強姦事件が泣き寝入りになっているのも事実である。少年は彼女の「怖い」の言葉に同化し真実を述べた。映画『告発の行方』のワンシーンである。
少年も怖いが、少女の怖さはそれに勝るもの。少年はそのように感じたのであろう。「友人を売る」という行為にはなるけれども、よくよく考えてみなければならないは、被害者の少女が言うように、「そういうゲスな男があなたにとって誇れる友人なの?」である。自分は常々言うのは、それでも親か?それでも教師か?それでも政治家か?医師か?弁護士か?である。
明らかに尊敬に値しない人たち、恥べき人は、大いに批判し、非難すべきである。「どんな親も親」という言葉がある。自分を産み、育ててくれた感謝は尊いというものだ。が、それはまた、自分が親になったときも同じように、「どんな親でも親」となる。それを自分は認めないし、子どもに認めてもらいたくない。親は、親らしいことをしてこそ親なのだ。
親らしいとは?いろいろあるが、「これ!」と思うのは、子どもを私物化しない愛、所有欲とは別の愛。教師らしさとは?我を踏み台とし、立ち羽ばたくを喜ぶ愛。上司らしさとは?心配しないでいい部下を育てること。その愛。上司が部下を心配しないのは、部下の価値を認めているからで、与えられた仕事を越えて価値をもたらせば、次なるステージに進める。