「母とか何か?」は⑨で終わったが、「父とは何か?」が⑩に延びた。母はもっと延びてもよかったが、好きなカレーも3日も続けば飽きるというもの。「3日坊主」も9日続けば良しとしたものだ。父を⑩にしたのはそれなりに理由がある。母の病理についての文献は多いが、父の病理は寡聞にして知らない。頭に浮かばないが、少なからずあろうし、考えてみることにした。
その一端はエディプス・コンプレックスにあるだろうと…。母親への愛着と父親への敵意並びに、父からの処罰の恐怖をフロイトが、エディプス・コンプレックスと名付け、無意識的な心理に関する精神分析の基本概念となったが、これは実はフロイトの神経症の病因論の重大な転換を意味するものだった。それまで彼は、大人による性的誘惑を重視していたのだった。
ところが、エディプス・コンプレックスの発見によって、幼児にも性的願望が存在するが、それが四~五歳頃になると抑圧されて意識されなくなり、思春期に再び大人の性生活の形をとって現れてくるのである。フロイトの同理論には彼の幼児期体験が大きく影響する。フロイトの父ヤコブはフロイトが40歳の年に81歳で世を去っている。彼は父の死をどう受け止めたか。
以下は父の死の10日後、親交のあるベルリンの耳鼻咽喉科医フリース書いた手紙である。「意識の背後にある暗い道のどこかで、私は老父の死にひどく感動しています。私は彼を大変尊敬し、正確に理解していました。彼には、深い英知と空想的で軽快な感覚が独自の形で混ざり合ったところがあって、私の人生に多くのものを与えてくれた。私は今や根こぎにされた感じがしています」。
「老父の死にひどく感動」という表現は日本語的にはおかしいが、外国語ではショックも失意も感動と表現する。フロイトの文面には、父を失った息子の悲しみが素直に表され、息子にとって父の大きな意味が語られている。と、見受けられる反面、手紙の後半部分には葬式の晩に見た夢の報告のなかで、フロイトの父に対する複雑な感情を見ることができる。
「…彼らは私の遅刻も悪くとりました。『死者に対して自身の義務を果たせ』と、この夢は通常は遺された家族に現れる自己に対する非難の傾向結果なのです」。実際フロイトは父の埋葬に遅れ、家族の非難を受けているが、この遅刻はすでにフロイトの父に対する屈折した感情が現れているのは容易に伺える。しかしながら、どういう感情であったかの推察は容易でない。
日本のように焼却場に行く場合、団体さんでマイクロバスやタクシーに便乗するなら遅れることはないが、それぞれが個々に埋葬時間に集合する場合においては、遅れる者も出てこよう。わざとではないにしろ、大事な時間に遅れるというのはいかにも意識の低さではないのか。フロイトは父への屈折した感情を隠しおけなかった。友人の手紙の半分は社交辞令である。
自分は母の葬儀に参列しないと妻に言ってある。妻といえども戸籍上は養女となっており、これは母がしたこと。意図はともかくそれについては何ら批判はない。葬儀に出ない理由は、嫌な人間の死に参列する自身の心を偽るのが嫌だったからで、それも今はない。そこまで頑なでいたいという決意もなくなり、その時の気分次第で出欠を決めようと思っている。
親の葬儀に、その時の気分で出欠を決めるというのは、自分的には前進(?)だが、それほどのものでしかない。拘っているうちは意識があるという意味での前進である。どれほど嫌な人間であれど嫌悪は薄らいでいく。中国の諺にいう、「臥薪嘗胆」ほどの絶やさぬ憎悪というのが日本人にはない。「昨日の敵は今日の友」、日本人は何とも憎悪心の希薄な人種といわれている。
母を嫌い、一度も父を恐れたことのない自分に、エディプス・コンプレックスはない。自分にとって父の死とは何であったのか。その時の気持ちは未だに脳裏に焼き付いている。父が死んでもっとも変わったことがあるなら、死が怖くなくなったことだ。大切な人の死を乗り越えられないという人もいるが、「乗り越える」、「乗り越えられない」という感覚はなかった。
「人の死を乗り越える」という意味も実感できない。ペットの死にさえ悲痛で乗り越えられない人もいるというが、父の死は自然の摂理と納得させた。亡き父と再会するには自分が死ぬ以外に方法はなかったが、父のためだけに生きているのではなく、家族や仕事も大事である。だから、いずれはあの世で父と談笑し、触れ合うことになるだろう、それが死の恐怖を軽減させた。
しかし、死ねば本当に父に会えるのか?こればかりは疑問でしかなく、答えは授からない。死ぬときは死ぬ、死んだ後のことは死んで分かると言い含めている。さて、懸案の父親の病理についてだが、母親ほど影響力のない父親ゆえに病理となると難しい。父親の病理の解明のためには、父親の使命・役割を網羅する必要があるが、その役割が定かでない。見えてこない。
父親の機能・役割についての心理学的研究は、「父親は共生的な母親との両価関係から子どもを救い出し、子どもが現実感、自己同一性、性別同一性、さらには対象恒常性を獲得し、達成していくうえで重要」とされている。さらには精神病理・人格発達に影響を及ぼす父親の問題とは、現実の父親がどのようであったかという事実要素に加えて子どもとの相対関係に焦点がある。
子どもにとって父親とは何であるのか、何をしてくれたのか、そうした「何である」を知ることでもある。したがって、父親の問題とは、子どもがどのように父親との関係を得たか、という子どもの主観的体験の側にあるはずのもので、父子関係の客観的観察が実証し得る次元のものではない。ということなら、いくら考えても父親(としての自分)が何かを分かりえない。
したがって、自分の父親が自分にとって何であったかを、父親を紐解くカギにするしかない。母親の病理は腐るほどあるが、父の病理は何一つ出てこない。父は紛れもなく存在してはいたが、いつも遠巻きに自分をコッソリ眺めていたのだろう。当時はそのようである、そのようにされていることすら気づいていない。これらは自分が父になったことで分かったもの。
安吾も述べているが、子どもが生まれて戸惑うのは父である。それは資質であり、子どもに善悪を施す病理というものではない。生まれてしばらく何の役にも立たない木偶の坊が父である。身の回りの世話は体内で命を育んだ母の仕事の延長なら、夫に文句をいうのは横着な女である。父の出番はいつしか回ってくる。それまで鋭気を蓄え、母子をしかと観察しておくべし。