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ネットショッピングで鬼門は「色」

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ネットでいろいろなものを買ったが、今回ほどガッカリしたことはない。が、失敗の原因はすべて自分にある。商品はまぎれもないネットの画像と同じものだが、購入の最大動機は色合いであったことが失敗だった。買ったのは将棋の駒で、購入を決めた最大の理由は駒の色であった。ネットに表示してあった駒の飴色に一目惚れしてしまったのだが…

届いて開けてみると、「何じゃコリャ!」であった。自分は本当にこれを買ったのかと瞬間疑い、早速ネットの表示画像を比べてみるが、まぎれもない欲しかった駒である。色白美人ならいいが、色白駒である。これまで購入した洋服など、黄色表示であっても実際の商品と表示色が違うものは多かったが、黄色は黄色であって、色の諧調までは望むべくもないと妥協した。

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色の諧調に拘るならネットで購入はダメだろう。自分の意図する黄色や青や表示色が似ていても、それは単に似ているに過ぎない。逆のことも考えられる。逆とは、表示された色が自分の好みと少し違っており、妥協して注文したところ、届いた商品はまぎれもない自分の望む色であった。これはうれしい限りで喜びも増すが、残念ながらこういう経験は一度もない。

表示色と実際の違いに妥協するしかなかった。そういう経験から、シビアな色調を望むならネット購入は無理というくらいの意識は自分にもある。VANのホームページにも以下の記述がある。「※商品の色や質感を出来るだけ忠実に再現するよう心掛けていますが、実物と若干異なる場合がございます。また、製品の仕様は一部撮影時と異なる場合がございます。」

注意書きとお断りで、これを読む限り返品は可能だろう。サイズ違いでの返品は、購入者の不注意であり、身幅や袖丈などが数字記入してあって、それでも販売側はクレームには柔軟に対応するだろう。このことは、「手に取って見えないものを購入するネット販売における暗黙のルール」と思われる。顧客の不注意、顧客が悪いの一点張りでは、ネットの需要者は減るばかり。

「ネットでは物を買わないと」頑なに拒否する人はいる。過去に失敗体験があるのかも知れない。また、用心深い人はやはり自分の目で細部や色具合、手に取って質感なりを確かめる人であろう。その辺は大雑把な自分だから、洋服は生地どうとかより、デザイン重視である。多少のサイズ違いも許容する。そんな自分だが、実はお店であり得ないトラブルを経験した。

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ここにも書いたが、広島で唯一VANを扱っている老舗の「セビロ屋」。あそこでの体験は、驚きとか憤慨のレベルを超えていた。実害はなかったが、「もう来なくていい」といわれたのも初体験。「セビロ屋」での一件は、本来は起こるはずのないことで、それがなぜ起こったかいろいろ考えたが、意図的に顧客を嵌めてやろうという目論見があったと結論した。

ならば、なぜ自分が被害者となったか?想定できる範囲で検証してみたが、自分が嵌めやすい客に見えたという以外に答えは見出せなかった。和気あいあい世間話を交わす気さくな感じの客に映ったろうが、それで相手を騙そうとするだろうか?頼んだものとは違う類似の別商品を取り寄せ、「あなたが頼んだのはコレだ!」と、普通そんなことをするだろうか?


確かに似てはいるが、意図した商品とは違っても、「まあいいや」と仕方なく購入する客がいるのだろうか?そうであっても、なくても、問題はそういうことではなく、やり方がアンフェアである。取り寄せられた商品を見た時、「なにこれ?こんなの頼んでないだろ?」とハッキリいった。驚くというより、何かの間違いと思った。当初は店が勘違いしたのかなと…。

「えっ、違ってますか?どうもすいません」くらいかなと…。ところが、「あなたが頼んだのはコレです」というので話はオカシクなる。「ちょっと待った、どうかしてない?販売終了商品のプレミアムウィンドブレーカーっていったろ?ここにあって試着したろ?これは商品名もコーチジャケットじゃないか。これは持ってるよ」と言った時に、店の言い方に疑念を抱く。

 
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「あなたが何を持っているかなど知るわけないでしょ?」という。この言い方は何だ?問題は頼んだ商品がなんであるかなのに、「あなたが何を持っているか知るわけない」と、この言葉の真意は?お店の言葉から自分は咄嗟に状況判断をした。これは単純ミスというのではないな。意図的に違う商品を押し付けようとしたが、相手はそれを持ってるという。それで当てがハズレた…。

店の意図を察知した自分は、その言い方に強く抗弁した。「あんたは、自分の持っているものを買うか?」。自分の言葉に店は返す言葉を失った。細い声で、「コーチジャケットもウィンドブレーカーも同じです」と苦し紛れを言う。そのとき自分は、VANの特約店が、「コーチジャケットとウィンドブレーカーは同じ」などと言ってるようでは不細工すぎるし、これはもうダメだ。

ここでは商品を買わないと、「こんなことをやってるような店なんか、二度と来ない」というと、店も、「二度と来ないでいいです」という。普通は言わない言葉だろう。店のミスを謝罪するのだろうが、一切が意図的に仕組まれたものだから、謝る筋合いではない。本当に無茶苦茶で困った客にいうなら分かるが、目論見が外れた客に謝罪もせずにこんなことでは…。

今時、こんな店もあるのかと。大体のことは経験はしたし、経験はなくとも想定はできるが、この件は、「あり得ない」、「まったくの想定外」というものだった。そこまで店は経営に追い詰められているのか?それとも、よほど自分がカモられる顧客と見えたのか、あまりのリスク行為に対し、店の意図を知りたくなった。何らかの言い分を聞けるのかと、後日店にメールをした。

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嘘でも言い逃れくらいはするだろうと…。表題は「顧客を舐めたらだめだろ?」で、一部掲載。「あきれた『セビロ屋』だったな。今回のマヌケな対応をVANにも伝えたが、「当該店と食い違いが発生してる」といっていた。言い訳もほどほどにしろよ。以下はブログにも書いたことだが、よく読んで反省した方がいい。あんなやり方が客に通用すると思うのか?

やってることがバカ過ぎる。販売終了商品を探してみますとこちらに恩を売るのはいい。その時点ではこちらも親切で商売熱心と感じ入った。なのに、現行商品を取り寄せ、しかも購入済の商品だ。宛がハズれたのだろうが、これがマヌケでなくて何だ?こういうことは絶対に起こらないが、貴店はそれくらいバカか?謝罪させるというVANには「結構」といっておいた。(以下略)

意図的に相手を嵌めようとした者が後の謝罪って、そんなバカげたくだらないものは御免被りたい。ネットで見えない商品を買う不安や、見えないことで派生するトラブルは、種々の防止を企てても起こり得るが、実際の店舗で、商品を手にとり、双方納得のコミュニケーションもとり、なのにこんなことは「あり得ない」を超えている。というお店での貴重な体験だった。

アンビリーバブル体験ということで、ついつい寄り道だったが、今回ネットで購入した将棋の駒は、開けた瞬間から、「しまった!買わなきゃよかった!」であった。しかし、クレームで返品するような落ち度は売り手にもなく、無理をいう愚か者ではない。駒を買ったのは40年ぶりで、もちろんネットで駒は初体験。これも勉強だ、二度とネットで駒は買えない。

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売り主の画像で見る購入商品は、故意に良い色合い、風合いで撮るものだろう。駒や盤などは新品に価値はなく、経年によって骨董的価値がでてくるものだが、今回手にした商品と、販売画像の色の風合いはあり得ないほどの差。意図的に画像処理するのは詐欺とも言えない。肉に赤い着色料を交えて鮮度を良く見せることが問題になったことがあった。

今はそういうことはやれない監視環境だが、養鶏場経営の友人がこんなことを教えてくれた。「餌に黄色い着色料を混ぜて、黄身を濃く見せるのは普通にやる」。20年くらい前に聞いたことだが、今はどうなのか?見栄え重視の食品事情だったようだ。駒も含めてネット販売の商品は、画像データの色調調整するのだろう。それを考えなかった自分が甘かった。

駒の材はツゲ(黄楊)であり、黄色い材質が基本だ。ツゲといえば日本人には印鑑や櫛などが馴染み深いが、昨今は印鑑も櫛も需要が以前ほどなくなっている。ツゲ材は御蔵島、薩摩、シャム(タイ王国の旧名)が産地で、島黄楊、薩摩黄楊、シャム黄楊と言われたが、島黄楊が緻密で最高級品である。現在は中国産も重宝されているが、良い材が少なくなったのは事実。

自分が購入したのは、存命中の駒師中澤蛍雪(1947年~)作の盛上駒。駒は骨董的価値が高く、値が張る人気駒師といえば、宮松影水(1928年~1972年)、奥野一香(1866年~1921年)、豊島龍山(初代1862年~1940年、2代1904年~1940年)らであろう。100万以上も珍しくなく、いずれも50万円を超える。駒の材自体が古木であり、作成年代が古いゆえに高価となる。

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盤も駒も趣味が講じて道楽になってしまうが、この年になると、ほどほどにしておかないと、自分の死後、処分に困るだろう。今回で最後にしようとの思いで購入した。それが、残念な商品だっただけに、次が欲しい気もあるが、止めておく。靴も多くてげた箱が溢れ、クローゼットの服も満杯だ。将棋盤も現在6寸盤が三面、後は3寸、2寸、1寸の卓上盤が3面ある。

何かが欲しくて買いまくっているときは、それも生き甲斐だったようだ。今後はしなやかに穏やかに暮らすことに専念する。収集癖のある夫が他界し、蔵書や趣味の逸品などを遺族はどうするのだろう?生きていてこそ役にも立とうが、本人が不在ならガラクタである。今回購入した駒も、数十年もすれば骨董的風合いもでてこようが、数十年なら自分はもう…


断言、断酒、断筆、聞こえはいいが…

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自分がブログをやってることを周囲に言うことはない。読んでほしいわけでも、読ませたいわけでもないが、他の理由として、自分の周辺が捉えている自分と、書くだけのブログ主の自分が違って見えることもあり、そういわれるのも、それに返答するのも、煩わしい。「面倒くさい」を禁句にしているから、「煩わしい」。どちらも自分だが、「違う」といわれると返答が面倒だ。

「忙しい」、「めんどう」、「疲れた」を、三禁句と心掛けているが、意識して口に出さないと決めているだけで、そうならないのではない。それが心掛けというもの。面倒くさいは、「めんどう」と一緒。にしても、「面倒」をなぜ、「面倒くさい」というのか?なんでも疑問に思う癖がふと沸いた。とりあえず自分で考え、分からなければ調べる。要は、「くさい」という接尾語の用法だ。

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① …のようなにおいがする意を表す。「汗くさい」、「こげくさい」
② …のような様子であるの意を表す。「年寄りくさい」、「オトコくさい」
③ 上にくる語の意を強める。「ケチくさい」、「テレくさい」

これらから、「面倒くさい」は、上記の③の用法と思われるが、「これは面倒」の意を強めて、「これは面倒くさい」と表記する。「くさい」は、「臭い」であるから、臭いに関連する言葉との先入観があって、それでいろいろ考えた時に、「面倒」の後に、「臭い」を持ってくることに違和感をもったが、「様子を表す」、「意を強める」の、「くさい」であるのが分かった。

「バカくさい」は標準語的で、関西では、「アホくさい」といい、口語的には、「アホくさ」、「アホくっさ~」などといわれる。これは②であろうか、③であろうか?「あいつはアホだ」を、「アホくさ」というのは、本当はアホではないが、アホに見える場合の用い方。「年寄りくさい」を、年寄りにはいわないのは、言わなくても年寄りだからであり、むしろ若者に向けていう。

「その洋服、年寄りくっさ~」などの言い方は日常的にある。よって②でもあり、③のニュアンスもあろうか。「その洋服、年寄りっぽい」を、「年寄りくっさ~」と強調する。まあ、日本語用法のテストじゃないし、どっちだってヨカである。例の似非学者なら、「間違い!」というかもだが、誰も正しく生きてるわけではないし、いつでもどこでも「自分が正しい」は嫌われる。

人は、「ぞんざい」である方が人間的であり愉快である。自分は、「どっちだっていい」の「ぞんざい派」。あまり重要ではないことにゴチャゴチャいうのがバカに見える。先日、有吉が、「出前の寿司桶を洗って返さない人に激怒!」という見出しがあったが。こんなことで「激怒」というのもテレビの煽りであって、近年何かにつけて、「激怒」で注目させようが丸出し。

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テレビは観るほどアホになっていくのは、バカ芸人を観るからか?有吉、坂上、マツコ、マッチャンら、「激怒屋」が多すぎる。くだらん事にいちいち激怒するなと言いたいがテレビのやらせ。ふと思い出したが、「禁酒と断酒」は語句が違うように意味も違うが、「同じ」といえば似非学者が食いついた。間違って使うと戦争が起こるんか?細かくしつこい男を、「女の腐った奴」という。

●禁酒
 ・誰かに酒を飲まさないようにすること。
 ・飲まないように我慢していること。
 ・酒を飲む人から酒をとり上げようとすること。
 ・酒のない社会を目指すこと。
  *禁酒とは、酒との闘いである。

●断酒とは?
 ・自分自身で、酒を飲まない生き方を選び、実践すること。
 ・酒を飲まないだけでなく、より心の健康を増進させる(成長する)為の努力を通 じ、アルコール依存症から回復していくこと。
 ・素面で生きること。
 ・世の中の酒は他人の問題だからとやかく言わないが、自分は酒を飲まない生き方を目指すこと。
  *断酒とは、酒を飲まない生き方を選択する事。要は、自分自身の生き方の問題である。

ここまで考えて物をいう必要はない。「ワシ、今日から禁酒する」といったときに、「禁酒じゃない。断酒!」と水を差せば、「やかましい、どっちだっていいだろが!」となる。素直じゃないというより、しょぼい正しいは必要ない。学者がいちいち世俗に口出すなである。「禁酒」はお酒をやめたけどまた飲むかもしれない状態、「断酒」は一切お酒を絶つこと。


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    3年も前故失念も仕方ないが、禁酒・節酒論争也。これすらどっちでもいいが、節酒という言葉初耳

であろうが細かすぎる。作家が断筆宣言をし、後に覆さなかった者などいない。筒井康隆も断筆を止めた。彼の断筆理由は自著で、「癲癇」という言葉を使ったところ、「日本てんかん協会」から抗議を受け、話し合いの末決裂。友人の大江健三郎ににも、「社会に言葉の制限があるのならば、新しい表現を作り、使っていくのが作家ではないか」と、批判を受けた。

さらに大江は、「炭坑内の有毒ガスにいち早く反応して危険を知らせるカナリアになぞらえた筒井を、『太ったカナリア』」と揶揄した。他にも吉本隆明、浅田彰、絓秀実、柄谷行人、渡部直己、村上龍、三田誠広、島田雅彦、田中康夫らから批判を浴びた筒井は卑屈になったのか、泣き言をいう始末。「断筆して以後、『文壇』というものがある、とよくわかった。

去って行く者に追い打ちをかけたり、つばを吐きかけたり、反感がすごい」。「ぼくを中傷することによって自分が浮上することだけを考えている。今までぼくを認めるようなこと言っていたやつまでですよ」と慨嘆した。批判もあれば擁護派もいた。曾野綾子、瀬戸内寂聴、安岡章太郎、平井和正、小林よしのり、石堂淑朗、井上ひさし、内田春菊、井沢元彦、夢枕獏ら。

ところが、「筒井の尻馬に乗って表現の自由をうんぬんしている作家たち」という岡庭昇や、みなみあめん坊(部落解放同盟大阪連合会池田支部代表の南健司)の発言が出てくると、小林よしのり以外はみな沈黙してしまった。作家の断筆は、思想・信条を貫く点で評価もできるが、食い扶持を失うことであるのは紛れもない。一生食える蓄えはあるにしてもだ。

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それ以上に、芸術家が自己表現を搾取されるわけだから、困窮だけの問題ではない。筒井は水面下で、「日本てんかん協会」と交渉、断筆解除にこぎつけた。ま、意地もほどほどにすべし。方やチャラオの断筆宣言もあった。チャラオとは百田尚樹。彼の断筆宣言の理由は、「悟り」ともいえるような、当初は静謐で説得力のある言葉であった。経緯を以下に示す。

故やしきたかじんさんと妻・さくらさんとの闘病生活を綴ったノンフィクション『殉愛』をめぐり、出版差し止め訴訟に発展したことで、「断筆宣言」。その理由がカッコイイ。「もともとデビューした時、十年で引退と思っていた。来年で九年。一年早く辞めたってどうということはない」と、頭に毛を増やしてやりたくなるような彼の言葉は社会から注目を浴びる。

ところが2日後には、「嬉しそうに記事にしてからに。気分悪いから、死ぬまで作家やってやろう」(原文ママ)とツイッターに投稿したのには、「ガーン」である。なんだい、この年でこのチャラさは…。これが2014年で、2015年3月に再び、「断筆宣言」をツイート投稿。百田は出版業界の不振に触れ、「僕も来年の還暦を機に引退しよう」とこれまたカッコイイ。

さらに、「私はたまたま売れたけど、そんなものは一時的なブーム。売れなくなる前に筆を折る」などと発言した直後…、「たったの一時間で、もう私のツイートがネットニュースになってる」とし、「腹立つから、引退撤回! 80歳まで書く!」と言い出す彼には、「またかい」であった。人間が言行不一致であるのは仕方がない。言葉を所有する動物に許された行為だ。

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言葉と行動が一致しない人間などいない。とはいえ、あまりにそれを多用すると信用されなくなる。そこは理解しておくべきだ。あらゆる高等哺乳動物にあって、その中でさらに高い知性を有する人間に言葉が与えられたのは、己の心を隠すためにである。女性はそのことで身を守ってきたが、封建時代の男中心社会にあっては、男同士は何より、「信用」が大事となる。

「男の一言」はそのために生まれた。男が、「言行不一致」に自主規制をかけ、無益な争いよりも信頼関係を構築するためには、「男の一言」、「武士の一言」が土台にあるべきだった。こんにちでもそうあるべきと思っている。だから、百田尚樹のようなチャラい男は、作家というよりただのハゲ。あの性格では人から金は借りれない。だからしっかり稼いだらよい。

ツイッターする有名人が、「発言が一時間にネットに広まったから頭にきた」などは、有名人であるとの自慢で、言い方を変えただけ。これも子どもじみてチャラい。年齢を聞かなければ自分よりはるか年上に見える百田は年下。60歳を超えた世代は、「羞恥の世代」でとされる。つまり恥を知る世代だが、どうにも彼の頭は異常に思える。毛がないのは異常ではなく、中身がである。

「ヤンチャはいいが、チャラいは止めてくれ」と言いたいが、視点を変えるとフレキシブルな人間である。人の社会で、人に好き嫌いがあるのは仕方ないが、作家の才能とは別に絶対に付き合いたくない人間の一人である。そんな百田にも若き頃はあったわけだし、一体どんな面をしているのか興味もあって、「百田尚樹 若き頃」で検索してみた。出た画像がまたもや、「ガーン」。

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この画像の百田はオカシイ。いやいや、なぜにオカシイのか?普通の若者である。なのにオカシイ?なるほど…、こういうことだ。こんにちつるピカハゲ丸百田は、今が普通なわけで、こんなにモサモサ毛があることがオカシイとなる。言い換えると、今がスタンダード、つまり基準となっている。それからすると、この画像が百田であるのを笑わぬ人はいないだろう。

ハゲびとの不条理な宿命だが、これも彼の徳(チャラさ)にも関係している。だから、ふさふさの昔がカッコイイとならない。普通のハゲびとは、昔のふさふさを見るとカッコイイとなるのが一般的。わりとチャラい系の松山千春でさえ、昔の雄姿はカッコイイと感じるが、残念ながら百田は過去の画像を捨てた方がいい。が、見方を変えれば、「百田さん今がカッコイイ」。

ブルマーの謎

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『ブルマーの謎』(青弓社) という本が紹介されていた。[産経新聞 3/22(水) 14:50配信] なので新刊と思ったが、2016年12月発刊であった。著者は女性かと思いきや、関西大学社会学部の山本雄二教授である。列記とした男性で、なんでまたブルマーを?だが、社会学者ということだ。ズロースについては多少なり素養はあるが、ブルマーには謎があったようだ。


山本はブルマー教授といわれ、ブルマー研究の第一人者ということだが、「ちょっと待った!」と、おだやかならぬ女性が出現した。彼女の名は小松聰子といい、関西大学社会学部で山本ゼミの生徒であった。彼女こそ大学時代にブルマーに取り組み、研究を行い、ブルマーで卒論を書いたひと。大学卒業後、京都の通販会社に勤めたが、学究意欲冷めず会社を退社する。

上京し、早稲田大学大学院商学研究科専門職学位課程ビジネス専攻卒業した。山本氏が『ブルマーの謎』を出したとき、過去の自分の研究であったこともあり、小松さんは嫉妬に見悶えたという。その彼女がゼミでブルマーに取り組んだ時の経緯を語っている。時は元禄15年…、これは「赤穂浪士」の出だしだが、時は今から15年前、大学三年の山本ゼミでのこと。

卒業グループ研究のテーマを決める打ち合わせの最中に、小松さんが、「若者のファッション論で進めたい」と主張するも、「ありきたりだよね」と、山本教授に上目線秒殺された。一瞬の沈黙の後山本教授は、「男子体操のユニフォームの変遷なんかどう?」と提案があった。小松さんは、「な、な、なんと、だ、だ、男子の、た、た、体操服ですと?」と泣きそうになった。

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(何よ、男子の体操服って…、そうじゃない私たちはもっとオシャレで楽しい事がやりたいんだ!)と心で叫んだという。しかし山本教授は乗り気満々、このまま押し切られたら終生の不覚。一計を案じた小松さんは、「そうだ!ブルマーがある」と閃いた。何をおいてもブルマーは、男子のダサい体操服より輝きがあり、きっと体操服の匂いよりいいはずなのだと…

彼女は意気揚々と言った。「先生、そーゆー物なら何でもいいんですよね? だったらブルマーの研究をやります!」。これが山本ゼミ・ブルマー研究班誕生の瞬間だった。山本の著書が出た時彼女は、「先生は忘れているかも知れないが、発案者はこの私だった。もし、あのまま研究に身を捧げていたならば、この私がブルマー本を書いていたかも知れない…」。

と、嫉妬したという。しかしながら、大学卒業と同時にブルマーを捨てて社会人となった彼女と、その後もブルマーに取りつかれた山本との差は歴然である。「現象自体は誰もが知っているのに、その経緯については誰も知らない。こういう事柄には案外、大事なことが隠れているのではないか?」との山本の言葉は、学者として、研究者として、歩むべく王道である。

経緯は分かった。ブルマーには秘められた謎が多くあるのも分かった。が、この本を買う気のない自分は、自分なりのブルマー体験並びに、ブルマーの思い出などを記してみよう。ブルマー体験といっても、コスプレイではない。そんなブルマーを穿かせたり、脱がせたりにはとんと興味がない。著者の実家は衣料品店であったそうだが、自分の隣も衣料品店だった。

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隣のNとは幼馴染の同級生。彼女の家の屋根裏部屋のような、洋服などが山のように積んであるところで、殿様ゴッコなどして遊んだ。衣料品店なので、いろんな服がおいてあり、それらを着て遊んだが、脱がすような遊びはしていない。山本の実家からは、初期、普及期などのブルマーや、箱に入れられたまま陽の目を浴びぬ、ミイラ化したブルマーも見つかったらしい。

自分たちはブルーマと呼んでいた。(したがって以後はブルーマ)、あの東京オリンピックで金メダルに輝いたバレーボール日本代表の穿く、奥ゆかしきチョーちんブルーマ全盛の時代だった。バレーチームのブルーマはそれほどふわふわ感はないが、まさしくチョーちんブルーマであった。当時の小学生のブルーマは、原爆のキノコ雲がごとき巨大だった。

そのブサイクさといったらない。当時の写真など見ると、ブルーマのブサイクさにあどけなさがかみ合い、特に小学生低学年女子の盆提灯のようなふわふわブルーマ姿は、聖少女の神秘性が感じられる。それらは今にして思うことで、当時はそれが普通であった。高校1年の頃だったと記憶する。衣料品店のNが、こんな自慢をしていたのをハッキリ覚えている。

「うちのブルーマは評判いいんよ。みんなウチに買いにくるし」。どんなブルーマかに興味はなかったが、この頃に主流となり始めたふわふわチョーちんブルーマでなく、ピッタリ体にフィットした密着型である。まさに、時代の変遷である。それにしても古来のブルーマは、なぜにあれほどにふわふわだったのだろうか?おそらく著書には書かれているだろう。

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買って読みたいが、本の置き場所がなく、余計なものは買わない。古本を処分すればいいのだろうが、知りたいことはあれ、脳の定量の問題もある。Nが自慢するように、密着型はスタイリッシュでも親が購入する。体を冷やさないようにと保守的な親は、ネル地の分厚いズロースを子どもに履かせる。その結果、ブルーマからちょろりパンツがはみ出ることになる。

外より中が大きいために起こる不可避現象である。誰ともなくこの状態を、「はみパン」というようになった。学校内に性的な物の抑止に努めるなか、はみパンとブラの横線は、この時期の男にとって、まさに春の呼び声であったろう。ところで産経新聞のネット配信に、少しだけブルーマの沿革がある。それによると、ブルーマ導入は1900年代前半頃とされている。

理由は、女子が袴姿で体育を受けるのが不向きとされ、膝下まで大きく膨らんだニッカーボッカー風ブルーマが採用された。ニッカーボッカーズはズボンの一種で、長さが膝下までですそが括られた短ズボン。野球、ゴルフなどのスポーツウェアとして広まり、現在日本では土木・建設工事の作業服として多く見られる。日本では鳶服などと呼んだりする。

そのニッカーボッカー風ブルーマの長さは次第に短くなり、緩やかに尻を包み込むちょうちんブルマーが60年代半ば頃までの定番となる。その後、あっという間に密着型ブルーマ全盛となっていく。それがはみパン現象を生んだのは仕方のないことだ。ミニが流行ってパンツが見えやすくなると同じ論理である。はみパンは体操座りの後に起こりやすい。

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こまめに調べて直す女性もいれば、われ関せずのおくて女もいる。山本教授は、「校内に性的な要素を持ち込むことを警戒していた学校が、なぜ密着型ブルーマを了承したのかが不思議」といっていた。そういえばNの店の密着型ブルーマは教師に注意をされながら、それでもどんどんと普及しいていったところが、女性のおしゃれに関するパワーである。

そもそも密着型が普及した理由、人気を得た理由は、選ばれた理由や背景は諸説あるようだが、有力なのは、「64年の東京五輪で旧ソ連の女子バレーボールチームがはいた密着型ブルーマに少女たちが憧れた」という説。日本はソ連に勝利したが、ブルーマのブサイク度においては、完敗であった。誰が見ても密着型ブルーマの圧勝であり、少女はめざとかったのか?

これには山本教授は否定的である。「仮に憧れがあったとして、これまで学校が少女の憧れを制服に反映させたことがあっただろうか」。山本教授は密着型普及の迅速さや規模からみて、当時の全国中学校体育連盟(中体連)に注目、発言権を得るために資金を必要とした中体連が学生服メーカーと組んで、従来とは全く違う製品で体操服の総入れ替えを図った。

中体連が普及に協力する代わりに一部を寄付金として得る。「これによって、まず東京の学校に浸透し、他社も参入して全国に広がっていった」と指摘する。そういえば思い出した。隣のNの店のブルーマは注意されながらそれでも穿くものが後を絶たずに普及したが、うるさ型の親はそれを認めず、チョーちんブルーマを強いられしぶしぶ穿いている女子がいた。

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そんな中で、「うち(お店)のブルーマはかわいい」と鼻を高くしていたNの顔が思い出される。当時、チョーちん型と密着型で親と争った女子はいるかもしれない。考えてみれば女子だけが特殊なものを穿かされていたものだが、今やブルーマはショーパン、半パンツ、ジャージに代わってしまったものの、ブルーマは、懐かしくも郷愁をそそる記憶の中の風物であった。

チェスの国と将棋の国

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囲碁、将棋、チェス。いずれも似たような思考ゲームだが、将棋しかできない自分は3者の比較ができない。将棋の面白さは説明できるが、囲碁やチェスには閉口する。一般的には以下のように言われる。将棋やチェスは一手一手のエネルギーが大きく、その激しさがたまらない魅力となる。囲碁は戦場が広く手が広い。将棋やチェスの惨めさからは解放される。

ゲームの刺激性ならチェスや将棋で、それぞれの特徴ある駒を使って狭い戦場で王様を攻めることで戦術の高さが求められ、ハラハラ・ドキドキ感がたまらない。おだやかな頭脳ゲームなら囲碁。将棋が、「戦術」なら囲碁は、「戦略」が重視される。広い盤面をどう使うか、どこをどう譲っていいか、どこは譲れないのか、どこの戦いは放置できてどこが急がれるか。

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これらはまさに盤上の、「世界戦略」である。チェスと将棋は確かに激しい。特にチェスは世界戦のような大きな大会の競技中に、対局者の血圧が上昇、発作を起こして病院に運ばれることもあった。狭い盤上で性格の異なる駒を使うチェスと将棋の大きな違いは、取った駒を戦力として使うこと。将棋はその点がチェスより複雑になるが、このことで面白い逸話がある。

戦後、占領軍として日本に入ったGHQは、日本の軍国主義復活の芽を摘むために、廃止も含めてさまざまな改革を行った。そのやり玉に上がったのが将棋である。現在の本将棋の原型が出来たのは16世紀後半の戦国時代で、信長も秀吉も将棋の戦術性を好み擁護した。江戸期は幕府によって家元制度として保護され、明治期には新聞に将棋欄が出来るなど隆盛を極めた。

その将棋にGHQがクレームをつけた。彼らの言い分は、「将棋は敵から奪った駒を捕虜として自軍の兵として使う。これは捕虜虐待である」。将棋連盟から事情を聴くために呼ばれたのが升田幸三である。彼はGHQの捕虜虐待説に真っ向反論した。「馬鹿なことを抜かすでない。チェスは捕虜を殺害しているではないか。これこそが捕虜虐待である。

将棋は奪った捕虜に、その位のままで適材適所の働き場所を与えている。よって常に駒が生き、それぞれの能力を尊重しようとする民主主義の正しい思想である」と怯むことなく進言した。GHQ局員は、「面白い日本人だ。まあ、一杯飲もう」と、それぞれがビール片手に談笑したという。敗戦直後ということもあり、日本政府の関係者にはGHQに従順な人間多かった。

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天皇でさえそうであった占領下、いかにも升田らしいエピソードである。先人の叡智から発展を遂げ、守られ、そして今も多くの人に愛されている将棋は、こうして占領軍n禁止処分を逃れた。そのように見ると、駒を取るだけのチェスは残酷である。碁はただの白黒の石であり、チェスや将棋の駒のような人格性もなく、石を取るよりも地を広げるのが戦いの基本となる。

チェスを見ていると、「何というガサツであろう」と所作に思うが、将棋には日本的な作法というものがある。最近は昔ほどに対局姿勢などをうるさくいわないが、チェスのように左手で素早く相手の駒を取り、右手で自陣の駒をそこに進めるなどは絶対にない。将棋の作法と決められてはないが、暗黙の御法度というべき所作である。チェスにはそういうものが一切ない。

駒をキチンとマス目の中に正しく置くのも、「礼」とされるが、竜王戦挑戦者の糸谷が、自分の指が森内竜王の駒に当たり、駒が斜めになっているのに直さず、そのままで数手進んだ時、たまらず森内竜王が糸谷離席中に駒を直した。解説をしていた高橋道雄九段も苦言。糸谷のマナーに批判があがったが我関せずの彼。問題なのは森内の精神状態である。


もしこれが糸谷が指した彼の駒であったなら、「ゆがんだ駒くらい直せよ」と、言ったかもしれないが、相手の手が触れて歪んだのは自分の駒ゆえに、言いにくい状況である。それでも後輩を諭すくらいの気持ちで、「ダメじゃないか、歪んでるのは直しなさい」というべきだが、こういう場合、相手の無神経さに押し黙る人間はいる。無神経な奴は分からせるべきだが遠慮する。


温厚な森内もそれが言えない人である。このシリーズは糸谷の離席も多く、それで精神を乱されるのは良くないと知りつつ、糸谷の無神経さ、行儀の悪さに圧倒されたのか、森内はタイトルを失った。ただ勝てばいいだけのチェスと違い、礼儀とかマナーとか、日本的メンタル部分が大きく左右するのもチェスとの大きな差であろう。良くも悪くも日本人である。

勝負に対局姿勢やらマナーやら、そんなもん関係ないというのが、欧米人であるが、日本の若い世代もだんだんとそのようになって行っている。日本人が日本人らしさを失うところは、むしろ世界人の仲間入りをしていることになるのだろう。日本人は日本人のまま、「おもねらず」、「なびかず」であるべきとの考えもある。日本人の肖像を忘れてはならない。

囲碁も将棋も日本が発祥ではないが、チェスとはまるで異なる日本的なるものを兼ね備えている。日本人が日本的なものを守ることこそ、日本人のアイデンティティといえるが、世界から称賛されるそうした日本人の律義さ、勤勉さ、あるいは由緒正しさは、交渉などの戦略的場面においてはプラスに機能しない。下に見られ、舐められてしまう要素である。

日本人の善意は日本人には理解されるが、日本以外の国では通じない。それでも日本人は西側や野卑なアジアの国に向け、「日本人である」と胸を張るべきなのか。胸を張るのはいいが、相手に舐められ、子ども扱いされては話にならない。日本的なものは日本でしか理解されないなら、グローバルな戦略論を備え、行使せねばならないだろう。日本は世界の中にある。

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「大和魂」は死語になったが日本人の、「魂」を欧米列強に売り渡してはならないといったのはハーンであった。ハーンとはラフカディオ・ハーン、日本名は小泉八雲という。英国国教徒のアイルランド人を父とし、正教徒のギリシャ女性を母とし、英米アングロ・サクソン社会を遍歴してきたハーンは、不惑を過ぎて日本に辿り着き、46歳で小泉八雲となった。

八雲は『怪談』で世に知られているが、こんにちではなかなか作品などを読む人は少なくなった。八雲に限らず、漱石、川端、志賀、鴎外ら文豪の全集がさっぱり売れない時代である。日本人が日本人の心から遊離していくのはそうした事情もあろう。それでも八雲は日本人の心に今なお生きているが、とりあえず若い人は、八雲が何をし何を残したくらいは知るといい。

八雲の文学を深く探求せずとも構わない。八雲は晩年、心臓発作に苦しめられたが、そんな最中に心血を注いで完成させた大著が、『日本 一つの試論』である。自身の病状から遺作となろうことを知った八雲は、以下の言葉を末尾に記している。「日本が外国産業に土地の購入権を与えたら、その時は希望を捨て滅亡する時。この信念を、私は退ける事ができない」。

「信念」という言葉を使ってまで、八雲は自らの憂慮を書いている。「土地」というのは今日風に言えば、株式も含めた、「資産」を意味する。それらを外資、とりわけアングロ・サクソン資本には、絶対に売り渡してはならないと警鐘を鳴らしている。このことが、小泉八雲の日本人への遺言であり、八雲の懸念が正しかったことは後の歴史が証明している。

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2005年8月、小泉純一郎は郵政民営化法案が否決されたことで、解散に打って出た。それを軸に郵政民営化法、会社法、改正独占禁止法の3つの重大法案を成立させた。郵政民営化以外は知らない人も多いが、会社法の中に仕込まれた、「外国株を使った株式交換の解禁」は、日本の名だたる一流企業を、外資が完全子会社とする道を開いた。すべてはアメリカの押し付けである。

独禁法改正で強大な捜査権限を得た公正取引委員会は、猛威を振るって日本企業に襲い掛かる。攻撃を受け、弱体した日本企業は、ますます外資の買収攻勢にさらされる。郵政民営化に至っては、簡易保険の1兆ドルにのぼる資産を、アメリカ系保険会社に、「市場」開放する工程に過ぎなかった。これらは長年アメリカが日本に圧力として加えてきた要求条項である。

分かりやすくいうなら、アメリカが日本の資産を収奪し尽くすことを可能にするための手立てであって、小泉総理はその手先であったということ。小泉八雲が懸念し、書き置いたことを、奇しくも同じ姓の小泉純一郎が行ってしまった。外国資本による日本資産の購入権に当たる法案を、「構造改革」と推し進めていることを、マスメディアは国民に伝えようともしなかった。

これに反対する一部の与党議員の先駆者が、断固阻止に立ち向かった。小泉の盟友の一人亀井静香は孤軍奮闘するも矢尽き刀も折れ、存在感すらなくなってしまう。小泉が絶対にやってはいけないことを別の小泉が行い、「外資に買収されてどこが悪い」、「アメリカに迎合してなにが悪い」と開き直っているうちに、はかりしれない大きな代償を日本人は支払った。

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「将棋は取った駒を役のまま生かす。これはチェスと違って捕虜虐待ではない!」

と、敢然とGHQに向かった升田幸三であったが、チェスの国アメリカは、日本人への捕虜意識が消えることがない。有史以来、外国に占領されることのなかった日本が、帝都を焼き払われ、原爆を落とされ、憲法まで押し付けられ、お使いばかりさせられる。槍・刀をもがれた日本がアメリカに善意を期待するのは、捕虜を虐待するチェスの国であるのを忘れた笑止であろう。

お調子者で変人の小泉は、ブッシュ家でおどけまくって日本の恥をさらしたが、升田幸三とは雲泥の差だ。GHQは升田に、「面白い日本人」と親しみを抱いたが、ブッシュはおそらく、「アホな日本人」とせせら笑っただろう。その様子がモロに顔に表れている。おだてればドジョウすくいでもやるような総理を持ったことで、日本は取り返しのつかない国となってしまった。

チェスの国と将棋の国 ②

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西友、スカイラーク、シャープ、レナウン、最近ではアデランス、これ以外にも外資系連結子会社の日本企業は多い。不適切会計処理問題により、歴代社長3人が退任、刑事告発問題に発展するなど、東芝ブランドはボロボロだったが、16年6月30日付で、白物家電事業を担当する東芝ライフスタイルの株式の80.1%を、約537億円で中国マイディアグループに売却した。

東芝ブランドを維持しながら白物家電事業を継続しているが、17年1月に、米原子力事業に関して7千億円規模の減損損失を計上する可能性があることを公表し、株式市場からの信頼を大きく失った。東芝は急遽、財務基盤を強化するため、稼ぎ頭の半導体事業を今年3月に分社化することを取締役会を開いて決定し、他社から出資を受け入れることを発表した。

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3月14日の記者会見で綱川社長が明らかにした、「今後の東芝の姿」は、2019年度のグループ売り上げが4兆2000億円と、ピークからおよそ半分に縮小した姿であった。外資系傘下で成功例が少ないなか、日本企業で唯一の成功例は日産自動車であろう。ゴーンの力量によるところが大きかったが、彼は2月に社長退任した。シャープ、東芝、アデランスは幸せになれるのか。

今や外資に食われ、メイドインジャパンは外面だけである。シャープの台湾身売りより、「糸へん」産業の代表レナウンの中国身売りはショックだった。「ガチャマン景気」が思い出される。ガチャマンとは、「(織機を)ガチャンと織れば万の金が儲かる」といった含意から、「ガチャ万」と表記される。繊維、紡績などの字から、「糸へん景気」ともいわれる。

1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争に伴い、国連軍の要請で食糧や車両修理、各種鋼材などの調達を求められた(朝鮮特需)。特需の大部分が、土嚢用麻袋、軍服、軍用毛布、テントなどの繊維製品であった。この時期、東北や九州地方から金の卵と呼ばれた集団就職で、戦前からの一大繊維産地である美濃、尾張、三河、遠州の繊維工場にも多数の少年少女が就職した。

中でも工員は女子の人手が必要とされたため、繊維工場のある地方は若い女子に溢れた。「女工の街」とも言われた愛知県一宮市では、現在でも女性の人口比率が高く、当時の名残を表している。それにしても昔の女性はよく働いたもの。「女工哀史」という言葉に鑑みていえば、哀しいくらいに働いた。働くことがなぜに哀しいかといえば、何の目的もなく働くからだ。

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       繰糸…繭を煮てセリシンを軟化溶解させ,繭糸を取出しやすい状態にしてから糸口を求め,数粒の
       繭の糸を合せて集緒器を通し,抱合して1本の糸にする。


彼女らはほんのわずかの休憩のために働く。寝る時間の楽しみのために働く。粗末な食事を美味しく戴くために働く。それが労働の目的か?それが目的である。そのことが哀しい。「女工哀史」は、昭和期の朝鮮特需のようなものではなく、もっと前の明治、大正時代である。富岡製糸場が稼働したのは明治五年(1872年)。開場当時から旧士族の子女のみを選び、繰糸工女を養成した。

繰糸とは、蚕の繭から生糸を作ることで、繊細な製糸技法ゆえに指先の熟練に依存の割合が紡績業に比べて大きい。手仕事であることで、技術の水準が労働力の質を決めると同時に、労働力の質が技術の水準を決めるという相関関係にあった。「製糸技術において、工女は機械の一部たる観あり」の言葉が言われた。こうした製糸技術の特殊性が、「女工哀史」を生む。

製糸工場の女工といえば悲惨なイメージが伴うが、なぜ士族の娘を限定したのか?これにはちゃんとした理由がある。政府の指示による模範工場として設立された富岡製糸場は、当時としては最先端工場であり、富国強兵策を掲げ、推進する意味において、軍隊と同等の価値をもつ重要施設で、その性格上もあってか、集められた女工たちは単なる労働力ではなかった。

ここで学んだ技術を出身地に持ち帰り、その地の製糸業の指導者となることが期待されていた。そのため女工とはいえ幹部候補生であり、相応の教養と指導力が必要とされた。当時、このような資質を備えた女性は旧士族の娘であった。したがって、在野の製糸場と比べて富岡は、最先端の設備と労働環境を誇った、「女工哀史」とは別の、エリート養成場であった。

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繊細な手仕事ゆえに能率給を採用し、頑張った工女は報われた。信州松代の士族の娘・和田(旧姓横田)英が書き残した回想録の、『富岡日記』からは、彼女たちの快適な生活を想像することができる。工女のランクは8段階に分かれ、最高ランクの一等工女は高収入であるばかりか、服装も特別待遇された。キャリアアップを目差す工女の競争心に拍車をかけた。

「女工哀史」については後日あらためて記事にしたい。レナウンが中国に乗っ取られたことは残念・無念だが、それだけでなく、レナウンがなぜ存在する?佐々木八十八がなぜ佐々木営業部を作った?そうした八十八立志伝も含め、さらには日本の繊維産業の隆盛と衰退が、我々の人生と同時進行していた。それらを知ることは、別の観点から自分を探ることでもある。

自分を知るのは、時代の時々を知ることでもある。中でも、衣・食・住は生きる上での日常である。どんなファッションが流行り、自分がどんなものを好んだか?どんな食品が生まれ、消えていったのか?部屋にはどんなアイテムが存在したか?家具や調度品、電気機器や電化製品も懐かしい。レナウンの身売り、東京ブラウスやVANの倒産の経緯も気になるところ。

アパレル最大手レナウンが、「ワンサカ娘」で名を挙げたように、確かにCMはセンスがあったが、アパレル従事者に言わせると、「東京ブラウスの企画力に比べ、レナウンの作るブラウスはカスだった」らしい。その東京ブラウスも、1991年12月期には年商300億円を売り上げていたが、百貨店の凋落や長引く不況に圧迫されていく。レナウンも百貨店依存度が高かった。

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今やファッション業界は斜陽産業といわれている。全国のファッション専門学校は毎年13000人程度の卒業生を出すが、そのまま業界で働けるのか?〇〇服飾専門学校、〇〇文化服装学院などのファッション専門学校は、アパレル店員を養成するではなく、デザイナー養成所である。そうはいっても…である。音大のピアノ科も、ピアニストを養成するところである。

音大にピアノ教師養成講座はない。そうはいっても…である。どれだけの心がけをもって入学するか?努力するか?の問題もあろう。最初から、「そんなのなれるハズがない」と思っている子がほとんどだ。中国やアジア、ヨーロッパ諸国からの留学生はめちゃくちゃ勉強する。彼らにとって大学での勉強は当たり前だが、勉強しない奴らが自分を基準に驚いている。

留学生は人生を掛け、そのためにお金を掛ける。足を掛ける程度のノンポリ学生とはまるで違う。足掛け気分で高い授業料払い、誰が得をし、誰が損をする?誰も損も得もない。彼らも彼らの親も、それで自己満足である。可笑しなことだが、これが大学全入時代の現実である。団塊の世代が引退し、変わって団塊ジュニアがこの国をしょって立つ。頑張ってもらいたい。

世界の中の日本にあって、日本の特質に照準をあてて書いた昨日だが、西洋人の見た、日本人の知らない日本人であったりする。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という80年代に起こった大きな波に代表される、「日本ブーム」が、こんにちは形を変えて世界的広がりを見せているものもある。それらを、「日本風」とし、そうした日本風支持層は着実な拡大にある。

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今から百余年前、「日本風」に熱烈なる恋をした一人の西洋人がいた。その人は、アメリカの紀行作家、エルザ・R・シドモアである。彼女はワシントンに桜を植樹した人として知られており、「シドモア桜」と名付けられている。明治45年(1912年)のことだった。シドモアがいうように、19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本文化は欧米文化に影響を与えた。

装飾で有名なアールヌーボーや、ゴッホやモネ、ルノアールらフランスを中心とする後期印象派絵画もそうであり、イギリスのガーデニング文化などもあげられる。いずれも浮世絵、山水画、田園風景や造園などといった日本文化の影響から生み出されている。「日本風」が形づくる伝統と、モダンの調和の、「伝統」は、花鳥風月、草木虫魚の自然観にとどくものといえよう。


そこには日本人特有の、「細部に対する繊細な目配り」があるのはいうまでもない。細かな自然の隅々にまで神が宿るという繊細な精神性、小さな存在をいつくしむ気配り、これが、「ものあはれ、わび、さび、いき」という独自の美意識を醸し出している。日本人であることを誇れるときがある反面、日本人はグローバリズムの波に乗れていないと感じることもある。

相反するものである以上、どちらかを採ればいいというものではない。日本人的な自己をもって、世界に向け、未来にはばたくにはどうあるべきか。自分ごときに答えは出せないが、シドモアは、「日本人の民族性は、普遍化することも要約することも不可能」といった。言葉を返せば、日本は特殊であると言っている。それが日本人には分からない日本人観である。

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さらにシドモアは、「日本人は西洋人とは全く類似点のないほどに正反対の性格を持ち、かつ矛盾に満ち、他のどのアジア民族とも全く類似点がない」と分析した。なるほど、日本的な自己とは、西洋的な、「アイデンティティという自己決定的な自己」というのではなく、共同社会の外圧に従い、その都度決定される自己。つまり、環境変化に応じて自己を限定する。

その場の空気や状況といった環境に合わせて自己を作っていくというのが、日本人的な自己の在り方である。これくらいは日本人でありながら、客観的な日本人観として把握している。が、自分はどちらかといえば、付和雷同、集団主義という日本人観に抗って生きてきた。しかし、周囲が保守的である以上、少数派でいるためにはめげない精神力が必要だった。

日本人の御都合主義、建前主義、形式主義よりも、いかなる場において、「自分を見失わない」西洋的アイデンティティが優れてると思ったからだ。日本社会がそれらを受け入れないのは文化的側面であって、決して正しいとは思わなかったが、一般的には、日本人文化を踏襲する自己の在り方が理想とされ、そういう自己を目指そうとするのが日本人である。

今も少なくない、ナショナル信者

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「生きる意味とは?」という命題も、それに対するさまざまな答えも目にし、耳にするが、「生きる意味」を捜し求めることに意味はない。なぜかといえば、人生で起こることに、「何か意味があるのか?」と考えた時、意味の有る無し以前に、それらは単に、「起きたから、起きた」にすぎないと帰結した。意味があろうとなかろうと、起きることは起き、起きないことは起きない。

意味づけは誰でもできるが、起きたことは無数の可能性の中のひとつが、たまたま起きた(現実化した)のであって、「あれは必然だった」とか、「こうなるが必要があった」とか、人間がそうに思いたいだけだ。人間は根拠のないことを何らかの理由をつけて思いたいもの。自分は、根拠のないことに理由をつける前に、一切は人間の幻想であろうとの考えが自然である。

自然は完璧であり、われわれは何も必要としていない…。既にすべてが十分なのであり、何も必要とされていない…。「しなければならないこと」など何もない…。「より良いやり方」など存在しない…。単に、「別のやり方」があるだけだ。さまざまな可能性の中で、その中のひとつが、たまたま実現したに過ぎない…。すべては偶然であり、必然性などはない…。

 
未来の出来事も同じこと。「起きなければならないこと」など何もないが、起こったことは単に、起こったのであって、そもそも、「正しい」とか、「まちがっている」とか、そんな絶対的基準は存在しない。人がそれぞれの価値基準を持っているだけだ。その意味においてすべてはひとつであり、そして、完璧である。足りないものはない。神は、何も望んでいない…。

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たとえば、「お金が欲しい」と思ってはならない、ということである。「お金が欲しい」という思考は、たちまち人間社会という中で、忠実なコピー機によって複写されて行く。それは、「お金が欲しいという状態」を現実化させることだが、「お金が欲しいという状態」とは、「お金が足りない状態」ということである。そう思うことで、たちまちにして金欠状態が実現される。 

そうではなくて、「お金はタップリある」と思ったらどうだろう。すると、「お金がタップリあるという状態」が現実化されることになる。先に述べたように、社会は、世界は、宇宙は、われわれの思考の忠実なコピー機にすぎない。「ないのにあるように思えない」という人はおいて置き、お金がタップリあるところをイメージする。「お金がタップリある」と思うのは気分がいい。

思わず気が大きくなる。が、世の中では一見タダに見えるものが、実はタダではないことがよくある。そんな社会を維持するにはそれなりのコストがかかる。1000円の食品を政府が買い取って、100円で売るのが、「理想社会」かもしれない。が、差額の900円を誰が負担する?重い税金をかけるとか、どこかにシワ寄せが行く。政府は金を生む金の卵など持っていない。

何の負担もなくシワ寄せも出ない理想社会、それすら幻想であって、実際はあり得ない。ならば、「おカネがなくても豊かに生活できる社会」にするためには、生活に最低限必要なものが真に安くなる必要がある。それを、「水道哲学」と呼んだ経営者がいた。水や空気みたいにありふれた共有物になること。無理を重ねて安くしたところで、いつかどこかでボロが出る。

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その経営者とは松下幸之助。1932年(昭和7年)5月5日、大阪堂島の中央電気倶楽部で開催された、松下電器製作所(当時)の第1回創業記念式での社主告示として述べた。「産業人の使命は貧乏の克服である。その為には、物資の生産に次ぐ生産を以って、富を増大しなければならない。水道の水は価有る物であるが、乞食が公園の水道水を飲んでも誰にも咎められない。

それは量が多く、価格が余りにも安いからである。産業人の使命も、水道の水の如く、物資を無尽蔵にたらしめ、無代に等しい価格で提供する事にある。それによって、人生に幸福を齎し、この世に極楽楽土を建設する事が出来るのである。松下電器の真使命も亦その点に在る」。物資を潤沢に供給することで物価を安くし、消費者に容易に行き渡らせるという思想である。

幸之助は後年、「経営の神様」といわれた。彼は、「いい物」を以下のように定義する。「いい物とは、品質や性能がいいということだけではない。材料は本当にいいものか、自然や人間の生存を脅かすという材料では、いい物とは言えない。自然を壊すようなものを、もし使っているとするならば、いくら品質がいい、性能がいいと言っても、それはいい物とは違う。

ひとつの製品が十分に役目を果たして捨てられるときまで、人間や自然に迷惑をかけない、そういう物が、いい製品と考えなければいかん。そこまで考えていい物と捉えているのか。それに、生産者がいい物を作っていると満足してしまったら、おしまい。いい物を造っていると思い込んだら技術の進歩はなくなる。まだまだ、いい製品を造る必要がある。

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人間に本当に役に立つ製品、人間の幸せに貢献する製品を、懸命に求めて造ろうと努力する。そこに生産者の役目があるんや。それは無限の努力が求められると考えていい。安いということも、これも、まだまだんといかんと思うな。本当に安いのか、なお工夫の余地はないのか。生産者が繁栄しながら、なおもっと安くならんのか」。など、幸之助の言葉は真に神である。

幸之助は人の活用についても述べている。「人間がみんな同じ顔形で、同じことしかしなかったら相当気味悪い。いろいろな人がいて、いろいろなことを考えて、いろいろなことをして、だからいいのであって、個性とか、その人の持って生まれた特質とか、誰ひとり同じ人はうないわけだ。それが、いわば自然の姿というもの。「百花繚乱」という言葉のように。

会社の従業員にもいろいろな人がいないとダメ。同じ人ばかりでは、全体として面白くない。会社としても強くなれない。会社経営ではさまざまな問題が出てくる。そのさまざまな問題に対応するのに、一種類だけの人では対応出来ない。いろいろな人がおると、「この問題はあんたやってくれ」、「この問題は君なら出来るから頼む」、そういうことが出来る。

それで会社は強くなる。昔話で、「桃太郎」というのがある。人間とサルとキジとイヌはみんな違う。違うからそれぞれの役割が生まれ、違うからよかった。鬼退治が出来た。会社にもいろんな人が必要だ。個性というか、特徴というか、そういう人の集まりにすることが大事。個性豊かな社員たちを、どう活用していくか、これが経営者の腕の見せどころ」。

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そんな松下電器(現パナソニック)は、業界では、「マネシタ電器」と揶揄されていた。それくらいに松下電器は、他社の作った製品を真似て類似の製品を作り、圧倒的な販売網を生かして売ることで、開発元メーカーのお株を奪う。例えばソニーが新製品を生み出せば、松下がすぐに真似、同じような製品を世に送りだす。これが松下電器の得意戦略であった。

せっかく研究開発を重ね、血と汗の結果生み出された製品を、最大手松下電器にすぐさま真似をされては差別化ができない。こうしたことからライバル他社メーカーは、皮肉を込めて、「マネシタ電気」と呼んだ。幸之助のいう個性重視なら、なぜに、「真似」であるのか?実は松下電器が行っていた、「他社製品の模倣」は、経営戦略としては正しい手法だったのだった。

これは、「同質化戦略」と呼ばれ、企業マーケティングのバイブルとも言われる、「ランチェスター法則」において最も中心とされる戦略論である。「ランチェスター法則」とは、第一次大戦勃発の1914年に、英国のフレデリック・ランチェスターによって発表された、オペレーションズ・リサーチにおける戦闘の数理モデルだが、日本では軍事より経営に生かされた。

松下電器のようなブランド力や生産力・販売網などで優位に立つ企業は、ライバル企業と同じような製品を作って売ることが、最も効率的に稼げる手段になるというもの。1950年代から70年代は家電量販店などは存在せず、各地域の、「町の電気屋さん」で家電製品を買う時代だった。町の電気屋さんは各メーカーの販売代理店で、他社の製品は基本的に扱わない。

イメージ 4そんななかで松下電器(ナショナル電器)は、日本全国に最も数多い販売店網を持っていた。したがって、ソニーやその他家電メーカーが新製品を開発しても、それと似たような製品を作って売り出せば、販売力の差がものをいい、開発元のメーカー以上に儲けることが出来た。当時は松下の家電製品は、どれも27%前後のシェアを持っていたといわれている。
しかれども、松下は何ら違法行為を行っていた訳ではない。他社の特許を無断使用することもなく、近年の中国・韓国のパクリ製品のように、造形やネーミングまで酷似させるようなゲスな真似はしない。トヨタ自動車は日産自動車の技術を借用し、販売網の差でのし上がった。コカコーラもペプシから借用、キヤノンもニコンから技術者を招いて成長していったようにである。

いずれの業界トップシェアを誇る企業は、ランチェスター戦略に習い、同業他社との同質化を図っていた。元来、日本の製造業はテレビ・冷蔵庫・洗濯機などの家電製品や自動車など、欧米メーカーを模倣することから始めた。海外製品を分解し、仕組みを分析し、さらなる高品質の製品を目指し、作り上げることで、世界一の製造業国家となり得たわけだ。

この方法を、「リバースエンジニアリング」といい、その過程においては、欧米メーカーから、「模倣品だ!」と非難された時代もあったが、最終的には品質に勝る日本製品が評価されるようになる。例えば現在のアメリカでは、国産の大手家電メーカーは全滅し、品質に勝る日本からの輸入品が市場を席巻している。自動車においても、日本車の人気は言うに及ばずだ。

つまり日本の製造業の原点は、「真似すること」から始まっていたが、日本人の誠実さや勤勉さがまるでない中国や韓国のような、表面だけを真似た劣悪コピー品とはその根本性において違い、より高品質な商品に作り替えてきた歴史がある。松下電器においても単に、「マネシタ」だけの製品ではなく、品質も圧倒的に高かったことが、世界のナショナル電器であり続けた。


強いが弱い男・弱くて強い女

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性行為が終わったあとの気持ちの切り替わりの男女差は、経験的に実感することだが、確かに男は一瞬にして気持ちが切り替わる。この理由を文献で知った。セックスをしている時は無防備であり、事が済んだらすぐに外敵から身を守ること考えなくてはいけない。いつまでもイチャイチャでは危険、だから男は切り替わりが早い。嘘か真かそういうものらしい。

さらに男と女の力の差は自明である。もし男と女がどこかで外敵と出くわす。この時男女の身体能力が同等であれば、どちらが先に外敵を戦うかは、男である理由はない。それ以外にも、「テストステロン」という男性ホルモンが、攻撃性や敵対心を刺激する。よって、肉体的優位で攻撃性な雄が外敵と戦うが、男女の身体差があえてつけられている理由は別にもある。

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身体能力差をあえてつけることによって、危険な状況では子を孕むことのない雄を先に戦わせ、種としての生存を保とうとする。雌は雄の犠牲によって守られることになる。したがって、男女における身体能力差というのは、女性は戦ってはいけませんという種の保存の原理・原則である。さらにいうなら、男は強く逞しく育てるのも親の使命、原理・原則である。

そのようなこともない時代であるから、男の子を過保護に甘やかし、弱々しく育てる親もいるが、こういうことが強い女性を生んでいく要因ではないかと考える。レディ・ファーストというのは、女性は弱いもの、庇護されるべきものとの考えから生まれたが、アメリカで研究されたオカマの発祥要因は、女性に対してそうした男の強さ、優しさを醸せない男の成り行きらしい。

優しさの根源は強さである。強さというゆとりが他人に優しくできる。これがみせかけではない真の優しさである。しかがって、心にゆとりがない人、問題を背負っている人に優しさはない。そこを考えると、「優しさ」とは人間の心が何であるかを考え、知ることでもある。我々は、「優しい」=「人間性」などといったりするが、これは本質をついていない。

人間性とは、自分の内面を犠牲にし、過剰に適応することではない。むしろ、そうした内面を犠牲にすることなく自然に成長した人にこそ、「優しさ」は備わる。無理は自分を壊すし、人としての、「能動性」、「社会性」、「積極性」、「主体性」などが伴ってこその、「優しさ」であろう。これが人の優しさの本質なら、それらに欠けている人こそ、「優しさ」を所有していない。

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相手を気遣ったりの優しい言葉を吐く人が真に優しい人ではなく、そうするのが優しく見えること知る人間が、意図的にそのようにしている場合が多い。女性のハンドバッグを持つという滑稽な行為のどこが優しさか?西洋のレディ・ファーストも、皆がそうであるから真似るではなく、「男は強く・逞しくあれ」という教育によって、自然に身につく行為である。

だからか自分に強くなれず、女性に優しく対処できない男は、オカマになるしかない。オカマは男の自己逃避であった。男に気にいられるために、「優しい言葉」、「優しい行動」をとる女性は少なくない。そういうものに引っかかる男にも心理的な問題はあるが、本当の優しさを所有する者は、浮ついた優しさを見抜くだろう。優しい、「なり」をする女は自分の前に居座れない。

男にも見え透いた優しさを行為するのがいる。理由の多くは、女性が男に求める第一位の定番が、「優しさ」であるからだ。恋愛の熟練者である女性は、そうした男の優しい「なり」を知りつつ、腹で笑いながら利用し、上手く立ち回っている。これが男と女の、「ラブゲーム」である。男の熟達者も世辞の類で、豚を木に登らせるくらいは朝飯前。これとてラブゲーム…。

勇敢な人と、勇敢な行動をする人は実は一致しない。勇敢に見えてその実は虚栄心であったりの男は多い。優しい人と、優しい行動をする人も同じこと。何が本当の優しさで、どれが偽りの優しさを判断するのは、「心」である。優しさとは、優しい行為と自ら気づかない真心に思える。したがって、人のことを常に自分と同じように考えられるかということではなかろうか。

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自分に優しくなれるのと同等のことを、ためらうことなく相手にできるかである。それができる人は間違いなく、「優しい」。相手から、「優しい」といわれる必要もないほどに、ひたすら自分にすることを相手にできるに過ぎない。したがって、人からの、「優しい」は、本人には理解できないだろう。自分に優しくすることが、自分には分からないのとおなじ論理である。

そこには意識も作為もない。それが人の優しさではないかと考える。したがって、優しい人の基本は人に認められたいという行為をしない人。行為が人に共感されることはあっても、それは相手が主体的に抱くもので、意図したものではない。だから、評価をされたり、感謝をされたりを喜ばない。優しくない人を見るのによい例として、自慢話をする人がいる。

なぜ自慢話がそうなのか?理由は簡単、自慢話は相手に認められたいという願望から起こるからだ。そうした自慢話と似て非なりで、自分の願望を実現した場合の自慢話がある。こういうのは自慢話とは言わないが、自分で自分を誇るという点で自慢話でもある。同じ自慢話でも、相手に誇りたいものと、自身が自らを誇りたいものでは、発生の意味がまるで違う。

その辺を理解するのも人の正しい物の見方であろう。自己を誇ることが決して悪いとは思わないが、人によっては嫌味と感じる人もいるだろう。それはそれで仕方のないことだ。他人の心は自分に支配はできない。自分が自分を誇った物言いをし、それに相手がどう反応しようと、自分が口に出したことは相手によっていろいろに編集され、編曲されるものだと思うべし。

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「そんなつもりで言ったのではありません」などは言うもよし、言わぬもよし、真意の理解が得れるとは限らない。さまざまな例が挙げられるが、身近でタイムリーなのは、東大理Ⅲの灘高三兄弟の妹が、今年同じ理Ⅲに入学した。人んちの家庭のことだが、ただ入学したのではなく、母親が学習に携わって入学させたことでこれはもう立派な社会問題となっている。

しかるに母親は、「このようにすれば息子を最高偏差値大学に入れられる」という本まで書いているように、彼女にすれば自身の快挙なりを自慢をしたいだけでなく、努力も含めたノウハウを私的なこととして秘しておくにはもったいないとの気持ちもあったのかもしれない。ただし、これらは自身が工夫し、努力をすることで、他人のノウハウを知って同じようにはできない。

料理なども同じかもしれない。誰かの考案による込み入った深みのある創作料理を、そっくりそのままレシピ本にしても、読みながら作っても同じものができないように、創意工夫というのは単に真似ではなく、あらゆることを考えながらもちょっとしたことが大事で、それが料理の機微だろう。煮物ひとつとっても、口で言うのは簡単だが、なかなか上手くはいかないもの。

ましてや勉強を教える(やらせる)となると、相手は物を言わぬ具材とちがって、こちらのいう通り、指示通りに文句も言わずに動くとは限らない。相手が100%完全なるイエスマンなら別だが、どんなにすばらしいカリキュラムであれ、ノウハウであれ、人を相手にする難しさがある。したがって、彼女の成功は、子どもの資質に負うところがあったということだ。

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口には出さないが(次男は何か言ったらしいが)、母の手柄ばかり標榜すれば、実際に苦悩・努力した子どもにも言い分はあろう。自分にも同じような経験があるから分かるが、子どもにを有無を言わせぬロボットのようにするのが、事を推し進めるにおいて手っ取り早い。「ナンバーワンよりオンリーワン」という歌がある。せっかく良い歌詞なのに実践しなきゃ惜しいだろに。

人間はバケツの中の花のように争わないではいられない。子ども4人をすべて東大医学部に行かせることが、親の情熱だけでは叶わないことを熟知する者は、自分の力などはせいぜい10、後の90は子どもたちの頑張りと感じるだろう。が、ああいう本を出すところがその辺の思慮に欠ける。部下の手柄を横取りする上司とは違うだろうが、自身の努力は手段の前には翳むもの。

これは前に出過ぎる母親への批判というより、男の物の見方である。同種の経験を持つ者として、自分の力や手柄などはどうでもよく、ただただ、創意・工夫することだけが求められる。家族全員がそれぞれの形で集合し、それが一つの大きな力を引き出せる要因である。一つの結果は単に一つのものではないし、自身を前に出さないことが夫や子どもを生かすことにもなる。

あまりに自身を前面に押し出すと、夫の財力も子どもの自制心・頑張りなども隠れてしまう。そういう配慮ができないナルシな母親のようだ。「ナルシスト」というのは、結構誤解されて受け取られているが、その本質は強い防衛本能である。自分を目立たせさせるというのは、自分を徹底的に守るという行為の裏返しであり、突き詰めていうと、自分に自信がない人と見る。

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威張る、自慢するも同じことで、本質は自身のコンプレックスの裏返し。他人からの意見や批判など受け付けられず、感情的・攻撃的になりながら、自己正当化を突き進む人にナルシが多い。常に自分が一番であるという姿勢は、常に一番の物を求めたがる。それが自己愛を最大に満足させるからだ。彼女の真の目的は子どを通した自己愛の充足である。

男親・女親の教育観

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子どもをブランド漬けにしたがる母親は多い。自ら意識しない限り誰にも止められない。他人からの批判は放置できるが、身内に批判者がいるともめる。我が子を東大へと狂う妻も夫から見れば批判もあろう。が、妻に口を挟まなかったのは立派である。自分には母親の熱意は分かるが、子どもの生活習慣に対する彼女の無知、認識の甘さについて批判をした。

「勉強以外は簡単なこと。いつでもできる。大人になってからでもできる」という認識は、勉強をさせるために自らを許容する方便もあろうが、生活習慣に対する無知は否めないし、勉強以外のことに時間を注ぐのは勿体ないと、最高偏差値受験に必要だったのだろう。幼少時期に内面化された生活習慣の悪害は、大人になっても簡単には治らない、そこは危惧をした。

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勉強だけに偏るのも個々の親の優先順位であって、基本、人は人だ。容易ならざる受験勉強を強いたという親である。「男はずぼらでいい」ならいいが、「勉強外の事はいつでもできる」は間違っている。部屋を綺麗に住みたい人は、誰のためではない自らのためだが、他人を心地よくさせる。片づけできない妻に我慢の糸が切れて離婚した夫婦を知っている。

「疲れて家に帰れば部屋は豚小屋。7年間は我慢できた。強く言えばふてくされながらも掃除はするがその時だけ。仕事でストレス、家でストレス…、どちらかを解消しなければ持たなかった」。妻の自堕落に苦悩する夫の言葉は聞いていて切実であった。生活習慣は自身に内面化されてるがゆえ、相手の忠告に素直になれず、自己正当化することで問題が大きくなる。


親のしつけ放棄が問題になるのは、むしろこのことであろう。こうした事例を知らないまでも、子どもを成人にまで育てた親なら、生活習慣を身につけさせなかったことへの悔いや反省は必ずある。そうした後悔が強い人ほど、もう一度子育てをやれるならキチンとやりたいの思いも、やれる自信はあるだろう。が、残念ながら子育ては一回だけと決まっている。

他人の庭が美しくみえるように、親は我が子と他人の子を競わせたがる。「学歴=人格」という短絡的な考えになるのは、最上位の比較だからである。4人の子どもすべてを東大医学部に入学させたいというのを単純に素朴に考えるなら、これは母親の自己満足度の高さ以外に見当たらない。なぜなら、医師は東大医学部でなければならない理由が我々にない。

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我々が何かの病気になり、それが大病である場合、我々は東大医学部卒の医師を探すだろうか?そうでなければ不安だからと探すだろうか?あり得ない。そうした現実に関係なく母親には、最高学府の最高学部が目的であったという事。塾や予備校でずば抜けた成績の生徒がいると、塾の先生は医学部受験を勧めるように、それが予備校にとっての箔となる。

確かに我々からすれば、医師は優秀で技能の高いに越したことはないし、そうであって欲しいが、それが東大医学部卒の医師のみに特化した事実であるとは思わない。死の病に罹患した患者であろうと、健康体の人間であろうと、一般的には近くの国立大学病院もしくは、県立病院や総合病院など、かかりつけのクリニックから紹介を得ることになる。

自分も世話になったが当地にも広島大学病院があり、ここの医師の多くは広大医学部卒である。同じように阪大、神戸大、名古屋大、九州大、北海道大など、都市の要所に国立大付属病院はあるが、こと臨床において東大病院が優秀という事はないが、別段東大を否定はしない。医療は大きく分けて臨床と研究に分かれるが、大学病院の第一の目的は研究である。

大学病院は法や倫理の範囲内で人体実験(御幣のある言い方だが)を行いながら、最先端医療を模索・実践する場である。東大・京大が優秀といわれるのは、研究が盛んであるからで、学問とゴッドハンドは別である。先の母親が東大かぶれであったのは、東大病院が初期研修で人気があり、地方大学や都内私立から多くの応募があるのを知っていたこともあろう。

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そのように考えれば、母親の東大医学部の思いは自己満足並びに、最高学府に行けば損はないとした子どもたちへの保険の意味合いもである。個人の価値観だから社会問題にすることもなく、取り立て批判の要所もない。どこの医学部であっても、多くが悪い医者になどならず、努力して名医になってくれたらいい。それこそがナンバーワンよりオンリーワン。

「ナンバーワンで損はない」という考えも理解はできるが、本を出したりの母の目的が東大入学であれど、4人の子どもたちにとって東大入学は手段でしかない。そこが違う。東大に限らず、いずれの大学の医学部生は頑張れ。「道」と称される職業はすべてそうであるように、医学の道も生涯をかけて学ぶものだ。「名」と称される職業も求道的な要素は多い。

プロゴルファー、プロ野球人、科学者という分野であれ、何であれ、「名」と名の付くものになるにはどうすればいい?こんな質問も愚かだが、名指揮者、名優、名人といわれる人は、人に言えない何かを成した人である。「才能」という言葉も用いられるが、多少素養のあるピアノの世界、ピアニストについていえば、才能だけでピアノが弾けるものではない。

かつて、広島カープに入団するより、巨人軍に入る方が選手として大成するといわれていた。王や長嶋が宣伝にもなったし、確かに強い巨人だった。今は幻想である。イチロー、野茂、黒田らの名選手は人気球団ではない。ズルいことをして巨人に入団した江川の目論見は何だったのか?彼はあの一件でどこの球団の監督にもコーチにもなれないでいる。

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そのことも周知され、今の高校球児や大学・社会人の選手は球団を選ばない。プロ野球選手も、どこの球団に行こうが努力の世界である。同じようなことは医学にもいえる。どこの医学部に入学しようとも、切磋琢磨の世界である。スポーツは技術の世界だが、アスリートに言わせると頭の良し悪しも必要という。ここでいう頭の良さが学校の成績でないのは言うまでもない。

長らく懸念を抱いていたこの国のバカげた受験システムが変わる。2020年1月実施を最後にセンター試験の廃止も決まり、政府の大学入試改革の一環として新たな二つのテストが実施される。「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」は、「知識・技能」と、「思考力・判断力・表現力」を評価する。受験学力がいかに無意味であるか、やっと本腰をあげたようだ。

「センター試験」の前に行われた共通一次試験は、入試問題における難問・奇問の出題をなくし、「入試地獄」を緩和するという目的で導入が決定された。それがマークシート方式という合理化の元では、「鉛筆さえ握れば誰でも正解できる(可能性がある)」などと揶揄された。「受験地獄を悪化させる」、「大学の序列化を不当に招く」など多くの批判も受けた。

1985年、臨教審第一次答申により、「新共通テスト」が提案された。1988年、「大学入試センター試験」と改称が決定した。共通一次試験の育ての親で、元東北大学長の加藤陸奥雄氏は、「入試改革は当時、世界的な傾向でした。日本でも大学進学率が高くなり、一期校・二期校の弊害も出ていました。共通一次は入学資格試験ではなく、あくまで選抜試験だったのです。」

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大学側は制度に安住し、各大学別で特色のある二次試験の工夫を何ら行わなかった。そうして問題に気づいた時には偏差値時代は定着し、「共通一次世代」という特質や、「マークシート人間」と揶揄される若者が育っていた。湧き上がる批判に加藤氏は、「唯一無二の入試制度などない。その都度知恵を絞り、その都度合理的と思う方法でやるしかない」述べた。

共通一次という、かくも壮大な実験から得たものは、①大学入試のやり方一つで、その世代の若者の中身まで変えてしまう。②共通一次のような学力試験だけでは、人の能力は測れない。などであった。大学側は、「共通一次」を、「知」のほんの一部と知りつつも、記述や論文形式の重要性に取り組まなかった。その結果、塾や予備校という受験産業だけを太らせた。

塾や予備校で教えられない「知」を、国は無視したか?理由は単純、「知力と学力の混同」である。公教育さえベネッセなど受験産業に操られていた。現場の教員なも教材など自らが工夫をせず、楽な外注に委ねて受験産業を儲けさせた。こうして利権を生むだ受験戦争の最大の被害者は子どもたちとなっていくが、被害者でありながらも最大の加害者は親であった。

誰もが見える部分だが見ようとしない。自分は「知」を失うことに声を上げたが賛同は得られなかった。民間業者の模試について県教委は、「先生方が勝手にやっているのではなく、あくまで子どもの志望大学進学を願う保護者の強い要請」と、学校側を擁護した。「子どものため」といえば何でもまかり通るご時世だが、ベネッセとの癒着は明らかである。

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ついには小学校模試まで行われる羽目になる。模試をすればするほど学校が潤うといわれるB社の接待攻勢も半端ではなかった。教育関係者どもは、己の横着さと利害で関係業者に振り回され、教育から、「知」を奪われる子どもをほったらかしてきた。そしてやっと重い腰をあげて、「センター試験」中止にこぎつけた。が、今後も別の過程で癒着は続くだろう。


友人の離婚にかかわる ①

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離婚経験者に言わせると、離婚とは結婚以上にエネルギーを要するらしく、それも想像に難くない。もとは赤の他人といえど、何年も生活をともにして来、財産分割や、子どもの問題など、これまで夫婦の共有とされたあらゆるものに新しい方向性を見出さねばならない。これらすべてをいったんリセットするためには、解決しなければならない問題が多すぎる。

にもかかわらず、近年離婚率は上昇している。厚労省発表のデータによると、2000年代の離婚率は高度経済成長期時代の約2倍にあたる。自分の周辺でも、離婚経験者は何にも珍しくないばかりか、離婚歴を隠そうともせず、どこか堂々としているのが特徴的で、少し前とはかなり様相が違ってきている。いつのまにか離婚は、恥ではなくなったのかもしれない。

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離婚を恥と感じない人が増えたということは、「すべての離婚が必ずしも悪とも言い切れない」ことを意味しているのではないか?少なくともそうと考える人が増えたように感じている。つまり、事情と経緯によっては、「離婚やむなし」とならざるをえない場合もあれば、離婚したほうがお互いにとって最善だ、と肯定的に考えられるケースも少なくないのだろう。

「バツイチ」ならぬ、「プライチ」なる言葉もある昨今だ。言葉の遊びだが、プライチとは、離婚で人生経験がプラスされたという意味で、これすら離婚をネガティブに考えなくなったという表れか。本当にそうなのか?自分は友人の離婚に携わったことがある。「離婚について打ち合わせ」という表題がいいかと考えたが、打ち合わせらしきものはしていない。

「結婚についての打ち合わせ」なら普通だろうし、「離婚についての話し合い」も普通になされるが、「離婚について打ち合わせ」といっても、片方が離婚を決め、それを念頭に別の相手と話をするのが本件。これができたのは、夫婦双方が自分にとって共通の知人であったからだ。知人といっても友人に近い関係で、つまり二人をめぐり合わせたのが自分であった。

めぐり合わせた男女が結婚したことも、離婚に及ぶことになったも、自分は責任を感じていないし、そんなことの責任はない。「責任」という事を自分はすごく重視し、重みを感じているが、社会にあってはこの、「責任」というものの存在や、分担ほど難しい問題はないのではないか。なぜなら理由は簡単で、人間は自身の責任を採りたがらないからだろう。

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なぜ責任を採りたがらないか?これが社会を難しくしていることかなと、だからか自分はこのことを穴が開くほど考えた。どこに穴が開くのかはともかく、まずは、「人間はなぜに責任を採りたがらない」と、いうところから始まる。これが分かれば後は難しいことではない。「心理学」という分野は、人間の表に出る言動の裏に潜む情動の本質を探る学問である。

別に大学の心理学部で学ばずとも、多少の素養をもって人間を深く追求すれば見えてくるものは多い。学問の熟達者よりも、人生経験の手練れた者や、人の心を読む、探る必要のある営業などに従事する人間の方が、人の心を読めるだろう。もっとも、自分が人間であるわけだから、犬の心を理解するよりは簡単だ。離婚を先に決めたのは男の友人だった。

ここに何度か書いたが、妻の自堕落さにはもう我慢の限界を超え、それで離婚の腹を決めた男である。「もうダメなのか?」、「これ以上、一緒にいてもよくなることはないからいいよ」という顔にも声にも迷いや後悔はまるで見られなかった。事情を知る自分は、絶対悪という見方を離婚にはモテないからか、止めるべきとの気持ちも、無責任に奨励という気持ちもない。

夫婦の終焉というのは、「離婚届」という用紙一枚と署名と捺印で簡単に済んでしまうが、これは様式であって、実際の夫婦の終焉はそれ以前に終わっていたりする。離婚がなされて夫婦が終わるではなく、夫婦が終わっているから離婚をする。ほとんどがこちらではないだろうか?夫婦にはさまざまな形の愛の終焉がある。想像するに三つのケースが考えられる。

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一つは、壮絶なる喧嘩。もしくは言い合いから、相手に並々ならぬ憎悪を抱き、その場で即離婚を口にする。二つは、長い年月なかで慣れ合いから少しづつ溝ができ、愛情も消滅して一見、「可もナシ不可もナシ」状態でありながら、「終わり」の選択をする。三つ目は、日々の会話がない。必要なことさえメールで行い、とにかく口を閉ざす。今回の場合はこれであった。

このような陰湿な状況下で、夫は家に帰るのが嫌になってしまう。かといって、他に寝床もない。甲斐性ある男なら彼女や愛人宅に拠点を移動するのだろうが、いたって真面目な男である。家に帰りたくないために始めたのがゴルフであった。まったくの初心者で一度もクラブを握ったことのない彼は、仕事帰りに、「打ちっぱなし」練習場に通うことになった。

持て余す時間をどう使うかを考えた結果、それがゴルフだったということ。パチンコ浸りの夫もいるが、ゴルフの方が賢明であろうと、彼には言っておく。「仕事が遅くなるから食事は済ませる」と、普通なら電話で伝えるところだが、会話のない夫婦はメールでやる。こうした夫婦にとって、メールは便利であるという。話したくない相手と話さなくて済むわけだから…。

帰りたくない自宅があり、顔を合わせたくない妻がいる。こういう事態は、気まずいを超えた苦しみでなかろうか。会社内で口を利きたくない、顔も観たくない同僚や上司がいても、会社を出れば解放される。仕事上の我慢はビジネスと思えば割り切りもできるが、寝食を共にする夫婦はそうもいかない。ゴルフ練習場という逃げ場を作れども、最後は家に帰る事になる。

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そうした友人の心情を推し量れば胸がつまされる。「これはもう拷問か」と、そんな感じもあった。「もうオワリでいいんだな」と念を押す。「いいよ」。これが彼との短い離婚の打ち合わせである。深刻な夫婦であるが、二人の共通の友人として間に割って入るも他人という気楽さか。二人をめぐり合わせたのは自分だが、破局の責任は自分になく、感じてもいない。

運命論者なら、性格の合わない二人を出合わせた責任を感じるかも知れぬが、バカげている。全宇宙が神によって創られ、一切の法則が神によってなされているなら、すべての運命の責任は神にある。何事も責任転嫁の人はいるが、運命などと言うのも押し付けられるべく責任の類であろう。バカげている。「運命」は、「道」と同じ、人の歩いた後にできるものだ。

以前から彼ら夫婦仲について聞いていたが、どうすれば修復できるかなどの相談はない。人に相談するほどのことでもなく、とかく男は他人に相談などしたがらない。自分で考えれば済むことだからである。彼の不満の要因はここにも書いたように、妻の自堕落な性格その一点に尽きる。部屋はいつも豚小屋状態でありながら、彼は豚にはなれなかったようだ。

掃除をしない、片づけができない妻への対処は、我慢をするしかないのか?救いがあるなら、妻の心機一転の心変わりを待ちわびる。これが一般的であるなら、自分はどちらでもない。自分は自分のやり方で解決する。彼は温厚で真面目な男である。が、別の言い方をすれば、言いたいことを言えないで溜め込む性格で、ゆえに突如としてブチ切れる。

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普段は人当たりがよく、大人しい男にこのタイプが多い。なぜ溜める?なぜ我慢をする?他人には分かり得ない、長年沁みついた人の生き方なのだろう。溜まった時は、怒りも交えて吐き出すように言葉にするし、おそらく妻に向けて、「掃除くらいしろよ!」など言ったろうと想像する。その辺を聞けば、「そうだ」と言った。これには妻も面食らうだろうが、怒る夫には従うしかない。

夫婦の一方のキツイ物言いが、相手の機嫌を損なうなどは珍しいことではない。自分の記憶では一度だけあった。もう30年以上も前のことだが、妻が子どもたちの前で、「ああ、疲れた」、「しんどい」などと頻繁にこぼしていたのを、ある日妻に強い口調でいった。「子どもに同情を買って欲しいのは分かるが見苦しい。二度と子どもの前で愚痴はいうな」。

妻は以後、二度と口にしなかった。要するに言われた事をシビアに受け止め気を付ける。物事は気を付けただけで直るものではないから、言われた注意は自分のものにする努力が大事。人からの注意を直すというのはそういうもの、生半可な気持ちで直るハズがない。母の愚痴に子どもは同情を寄せるが、子どもに心配をかけ、同情を乞う親がいいと思えない。

妻は夫から注意を受けて止めたのではなく、親の本分として子どもの前で愚痴をいうまいと決めたのだろう。楽に生きるなら本能のままでいいが、自らを自制するというのはしんどくも、上に立つ者の姿勢でもある。時に親子は友達気分でいいが、そこには境界線も必要だ。夫婦は対等だが、自分は自分が見えてない点において、身近な人間の言葉は貴重となる。

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「寝坊の専業妻ゆえに、夫が先に起きて朝食を作る」という話を平気でいう同級生がいた。新婚時代のことだが、男同士の会話でもあり、自分は、「信じれん。それを何で許すんだ?」と言ったことがある。彼は、「しょうがない、起きないんだから」と言葉を濁したが。人前で愚痴ともとれぬ笑い話ができる夫なら、妻も許されると思うだろうと、そうしか理解できなかった。

他人の家庭であり、夫がいいならお好きに。人の妻に他人が文句をいう筋合いはなかろう。どうにかしたいなら夫がいうべきだが、「しょうがない」なら、それも夫婦である。妻の自覚、夫の自覚、いずれも他人から植えつけられるものではないが、自分の妻のように言えば理解する者もいる。言えば反発する者もいる。感情的になる前に、何が正しいくらいは考えるべき。

友人の離婚にかかわる ②

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夫の不動の気持ちを知る自分は、妻を呼んで話をすることになるが、これはまぁ個別の事象でもあり、個人的な問題の解決である。その前に、「離婚」とは何か?さまざまな視点で、「離婚」の功罪を考えてみる。近年、離婚が許容され、支持された背景には、時代の流れによる価値観の多様化がある。離婚がネガティブで後ろめたいものだという決めつけもなくなった。

「なぜ人は大変な思いまでして離婚をするのか」のタイトルで書かれたサイトがあるが、これは可笑しな問題提起である。離婚を考える夫婦というは、一緒にいることが大変であり、先行き不安からも逃れたい、解放されたいから離婚する。(離婚がいかに大変であっても、そんなものは数日間の手続き上のこと)であって、生活の継続に比べればどうということはない。

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さらに言うなら、離婚をして後悔するならしない方がいい。とはいうものの、後悔とは何事かをした後に起こるもの。「後悔先に立たず」というように、行為の前に後悔などはない。それなら後悔しない行為というのは行なった後に、「これで良かったんだ」と思い切ることであろう。思い込みでもいいから、とにかく思い切ること。思い込みも続けばやがては事実となろう。

行為のあとでうじうじ悔やむ人がいる。終わったことをあれこれ言う人もいる。そうしたいならすればいい。「覆水は盆に戻らない」という諺ひとつ、肝に命じることも自己啓発の方法だ。だから、後悔しない離婚とは、「離婚する以上は絶対に後悔しない」と自身に強く言い聞かせること。「離婚して本当に良かった」と思える人は、良かった、良かったである。

上記理由からして、「後悔しない離婚」のためには離婚という選択を、「良かった」とすべきである。結婚の失敗は仕方がないが、離婚の失敗(後悔)はない方がいい。「恋愛中や結婚までは良かったけれど…」という言い方にも蓋をした方がいいかも。離婚を、「善」とするなら、「結婚が間違っていた」と考えるべきで、離婚は誤った結婚を正すものである。

離婚は夫婦生活改善の一つの方法であり、できるなら、「最善」であるべきだが、最善を事前に見つけることは難しい。離婚が最善であるためには離婚の前に、「離婚が最善の方法」であると分かればいいが、そのことを本当に事前に分かるのかについてそれを考えてみる。離婚を考える人は結婚生活に問題を抱えているが、どういう問題かは人さまざまである。

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問題のある結婚生活や不幸だと思える結婚生活から、どうすれば抜け出せるかを思考する。上手くいっていない原因は何か?相手に対する不満や不足ばかりではなく、自身の非も含めて考えてみること。これがキチンと冷静に考えられる女性なら、解決も含めた問題が長引くこともないだろう。その結果、結婚生活の続行が難しいとなったら離婚を決断する。

そうして離婚を決めたら、「上手くいかない理由」には固執しないこと。切り捨てるのがいい。切り捨てたら過去は見ないで前に進む。離婚が人生の汚点ではなく、結婚生活の改善と割り切る事。相手を責めたり、自分を責めるのも止め、身内や友人などの意見に振り回されるないよう、自身が決断する。そのことで後に起こるかも知れない後悔の芽を摘む。

肉親や友人など周囲の人たちの顔も浮かぶが、自分の問題として、恥とか見栄とかは除外すること。女性の場合に問題となる経済力についても、子どもを金銭漬け教育をしなくとも、人に慕われる人格を育んでいく。また、「人格=学歴」を信奉せず、欲の深いことも考えず、オンリーワンを目指す。離婚をためらうと、さらに不幸になりかねないので注意がいる。

他にもたくさんあるが、どういう状況で離婚を考えるかは人それぞれなので、一般論はこのくらいで友人の離婚に話を戻す。友人にはこのように告げた。「こうなった以上、失敗は結婚と考え、離婚で失敗しては何もならないからな。いろいろな事情を聞いた限りでは、離婚がマイナスになる要素はない」と彼にもそう言い含めたが、彼自身も迷いはないようだ。

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「結婚が良くなかったから離婚をする」。こういう離婚は正しい。それでも肉親を含めた他人は、離婚を思い直すように責め立てるだろうし、親なら近所の見栄もあったりで、結婚の継続を望む。彼らは決まってこのようにいう。「子どもを片親にするのか?」、「我慢が足りないのでは?」、「自分が選んだ相手だろう?」などと責める。こうした無神経な言葉を人は無造作に吐く。

片親であれ、愛情たっぷりに育てることは可能だし、夫婦が険悪な環境の方が子どもへの弊害が大きい。我慢の度合いも他人には分からないのだから、離婚を否定する他人の意見より、しっかり自分で考える。我慢のない改善方法があればよいが…。「自分の選んだ相手だろ?」の言い方だが、人は正しく物を見極められるものではない。若気の至りは大いにある。

結婚はして分かる要素が多く、して分かる事は何も悪くない。結婚した以上はいかなることも我慢すべきというのは傲慢。人さまの意見は無知が多い。内実も分からないままに、「離婚は悪」、「婚姻継続が善」など適当で、正しい意見ではない。自身のことゆえに自身で考え、決断すべきである。「夫婦喧嘩は犬も食わない」の諺の意味にはいろいろある。

イメージ 4「他人の事は分からないゆえ、口出すべからず」の意味もある。将棋というゲームは、相手が100考えるなら200考える方が勝つ。考える量もだが、より正しく考える人間が強い。人生の思考や人間関係の機微においても、人よりも多く考えられる方が、人間を理解する上に置いて勝る。この場合には、勝者・敗者より、正しく生きる道を模索できる利点がある。

人間という実態に対し、自身が誠実に、深遠に、実直に、どれだけ多くのことを考えられるかである。他人のいう事はあまり真実と思わない方がいい。なぜなら、他人の評価というのはその都度変わる場合が多い。自分が自らに誠実であれば、自分の考えはいつも一定で正直である。「他人の評価に乗るな。常に自身の軌道の上に立て」と、この言葉はニーチェである。

昨日、他人は自分の事を優しいと言ったが、今日は、「冷たい」という。明日は、「ヒドイ人」かも知れない。人は自分の味方になったり、敵になったり、せわしいものだから、それに振り回されないためには、人の評価や批判に動じない方がいい。そのように生きると、常に他人の顔色を伺ったり、気にしないでいれるので、大きな(強い)人間になれるだろう。

離婚は婚姻生活の改良ではなく、改善である。「改良」とは、物をよりよくすることで、「改善」とは、人のすることやシステムなどが善くなること。いろんな人間関係にはいろんな改善法があるが、今までできなかったことに、新たな改善を持ち込むのが難しいように、離婚前に別居という方法もあるが、別居が改善となったなどはほとんど聞かない。試すのはいいけれど…

などの答えが自然に導きだせる。まあ、大変なことに踏み出す人は、より大変な何から逃れることを考えるものだが、別の方法として、「我慢をする」というのがある。これもある時代の象徴的な価値基準であったし、そういう時代を不遇な時代と自分は考えている。「したいこと」が本当に、それがいいことでありながら、「できない」何かで縛られてしまうのは憐れである。

度々引き合いに出す伊藤野枝だが、親に勝手に決められた相手と祝言をあげたが、新婦の実家には一晩泊しただけで、手も触らせず、翌日はとっとと逃げ出したという。それで婚家にも実家にも多大な迷惑をかけることになったが、考えてみれば婚家や実家が被った迷惑って、野枝の心情とはまるで無関係の、周囲どもの都合である。それをして迷惑というのか?

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自分は野枝のこの行為を爽快と感じている。称賛すべきものと考えている。野枝という女の思考が、しっかりと自らの軌道の上に立っているからである。己の意思とは無関係に、勝手に押し付けられたものを子どもに、「要らん」といって怒る親はどうかしているし、それをせぬが、「親孝行」という時代こそが歪んでいる。そういった、「負」の時代があったのは間違いない。

女性が人間扱いされていなかった時代は、戦国時代の政略結婚の道具であった時代に始まるか。いや、いつの時代にも女性はふたつ。むしろ西洋の女性の方が強かったかもしれない。ブルゴーニュ公国の時代、ハプスブルク家のマクシミリアンは、政略結婚を拒んだために幽閉されてしまったブルゴーニュ女公マリーを救い、後に2人はめでたく結ばれた。

あまり表にでないが、日本の皇族から韓国の皇太子に嫁いだ女性もいた。1901年11月4日、皇族梨本宮の長女として誕生した方子(まさこ)は、18歳で韓国(当時は朝鮮)の李王朝26代皇宋皇帝の王子李根に嫁ぐ。以後、彼女の人生は日韓相克の禍の中で翻弄され続けることになる。軍閥によって決定された二人の政略結婚は、初めから悲劇を孕んだものであったといえる。

強い女の代表で浮かぶといえば、義経の愛人で白拍子の静御前もそうだろう。時の幕府の権力者に抗い、捕えられれば怯むことなく、堂々義経を恋いうる謡を見せつける。自分をたばかった静御前の態度に激怒した頼朝を、なだめたのが政子であった。「私が御前の立場なら同じように謡うでしょう」といい含め、頼朝は静に褒美をとらせる。静も強いが政子も強い女。

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近年、邪悪な生活習慣は、「生活習慣病」という語句を生み、注意喚起される時代である。それとは別の基本的な生活習慣を親は子どもに躾ける必要がある。これはもう嫌われる覚悟で口酸っぱく言ってこそ身に付くものだが、身についたかどうかを知る方法は、部屋を綺麗にすることは心地いいことと、観念として内在されることで、初めて身についたとなる。

驚!森内俊之九段の矜持

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「えっ、えっ、えっ、まさか?なんで?どうしてだ?」というのが率直な気持ちであった。森内九段の英断ならびに行為から、これまでの森内俊之という人間の、別の新たな森内俊之像が芽生えた。会ったことも話したこともない将棋棋士の森内だが、名人経験者で十八世名人の称号を持ち、A級在位連続22年の棋士である彼は、我々にとっては雲上人である。

その森内九段が、フリークラスに転出したという(連盟の発表では3月24日に届け出を受領)。将棋関係者(趣味のアマチュアも含めて)で、これに驚かぬ者はいないだろう。森内九段の英断の最大の理由は、先の順位戦にての敗戦でB級1組に降級したことと察したが、森内九段本人は以下のコメントを出した。「A級順位戦で降級となったことを受けて出した結論です。

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順位戦での歴代連勝記録更新(26連勝)や、名人戦での数多くの対局など思い出深い経験をたくさんさせていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。今後はその経験を生かして、対局者とは別の立場で順位戦・名人戦を盛り上げていければと思っています」。今回、彼の決断に触れ、今まで知らずにいた別の森内俊之という人間の側面を伺い知ることになる。

今回の英断を一言でいえば、「矜持」という言葉が相応しくも言い得ている。難しい言葉だが、年代者には普通に使うし、浸透している語句である。「矜持」=自信と誇り。自信や誇りを持って、堂々と振る舞うこと。きんじ。 プライド。などと、「難読語辞典」に記されている。本人が心情を述べているわけだから外野が騒ぎ立てるのも慎ましからずだが…

そうもいかないのだろう。記事が出て少し時間も経てば驚き桃の木が引いたけれども、森内九段のこの英断から、これまでの同種の事例などが思い出される。まずはとっかかりとして中原誠十六世名人のB級1組陥落の時のことが思い出される。時は1999年3月2日、第58期A級順位戦最終局において中原永世十段(当時の肩書)は、加藤一二三九段に敗戦、2勝7敗となる。

最終局の時点で自力残留の目はなかった中原永世十段だが、もし勝っていれば3勝6敗となり、中原より順位が下の田中寅彦九段が、対局相手の森内八段(当時)に負けると残留確定だが、中原は負け、田中は勝った。第58期順位戦は名人挑戦も最終局までもつれ込み、森内が田中に勝ち、丸山忠久八段(当時)が、郷田真隆八段(当時)に負けると6勝2敗で並んだ。

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結果、丸山は郷田に勝利し、プレーオフにならなかったが、マスコミは名人挑戦者の行方と同時に、中原陥落の際の去就で賑わっていた。当時は対局終了までBS放送中継があり、自分も固唾を飲んで中原 - 加藤戦を追っていた。永世名人保有者がB級に落ちるのかどうなのか、名人挑戦者以上にこちらの興味が大きかったのは、多くの将棋関係者の共通するところ。

中原の負けが伝わると、どっとなだれ込むカメラマンと主催紙毎日新聞(当時)の記者のあまりの多さに事情を知る中原は、マイクを向けられて事もなげにこう答えた。「指しますよ。B1で…」。あまりにあっさりの言葉に拍子抜けしたが、周囲のやきもきとは裏腹な中原の意思だった。これによって、永世名人資格保持者がA級から陥落という史上初の事態となった。

A級陥落後の中原のB級1組での成績は、第59期が6勝6敗、第60期が4勝8敗と一度も勝ち越すことなく、翌61期からフリークラスに転出した。永世名人資格保有者がB級1組で指すのも、フリークラスで指すのも前例がないことであった。言い方は悪いがフリークラスは雑魚の集団、B級1組はA級昇級を狙う生きのいい精鋭たちで、「鬼の棲み処」といわれている。

中原は7年間フリークラスに在籍、第67期を最後に引退した。名人経験者がA級以外で指すのは名人の権威を汚すものとの不文律があった。名人保有18期、A級在位は連続44期大山康晴15世名人は、A級陥落すれば即時に引退することを表明していた。それほど名人の地位の重みが棋士内にあった。大山はA級在位のまま1992年7月26日他界した。

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あくまで憶測だが、中原永世十段も大山が存命であったなら、A級陥落でB級で指せたであろうか?陥落当時の1999年当時、中原はまだ52歳であり、大山が目を光らせていたとあってはB級ではとても指せなかったのではないか。将棋界にあってはそれほどに大山の威厳は強力で、連盟の会長職を14年間も務めながらのA級在位も凄いの言葉に尽きる。

さて、森内九段のフリークラス転出は、永世名人保有資格者としてのこれらの思いもあろうし、他にも種々の理由もあろうと思われる。近年の森内の勝率を見ても、勝てなくなったのは衆目の一致である。3月末日現在における今年一年の成績は、12勝22敗で勝率0.3579と落ち込んでいる。また、同じ永世名人保有資格者の谷川浩司9段の落ち込みも目立ってきている。

谷川の本年度の成績は、11勝18敗で勝率0.3793と森内と拮抗している有様だ。これをどう見るかは人様々で、将棋への情熱が薄れたという見方もできる。いずれにしても数字というのは具体的であり、言い訳が利かないものである。谷川と森内という棋士には、共に将棋に対する美学があり、将棋通なら誰でも知るところだが、それが森内の今回の潔さに通じる。

将棋の美学とは、勝負・勝敗以上に、それこそ矜持という言葉を借りるならそうであろう。闇雲に勝てばいいという棋士もいるが、アマチュアのヘボ将棋のように、優勢になったからと、気分を良くして相手の不要な駒を取ったり、ゆったりと至福の時を過ごすなどはアマではいいとしてもプロ将棋ではない。自分に言わせると、アマでもみっともない臆病将棋である。

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いかに大優勢といえども、肉を切らせるくらいに踏み込んで、一手違いで勝てばいいという考えこそが将棋の醍醐味ではないかと考えている。どうでもこうでも勝てばいいという人も中にはいるがそれもその人の将棋である。プロの美学というのはいろいろあるが、かつて小林健二九段が、合い駒が利かないのに中合いを三回程打った事があった。意味が分からん。

プロ将棋の至芸があまりに深すぎ、難解すぎてアマチュアが意味を理解できないことは珍しくないが、合い駒が利かないところに中合い三回というような、棋理に反する手はアマでも指さない。将棋は弱い自分だが、あえて達観した言い方をするなら、こんな将棋をやっていれば自身が惨めになり、次から勝てなくなる…。プロはこのように感じるのではないか?

たとえ負けても大差の安全勝ちより、踏み込んで失敗する方を自分は心掛けている。商売ではない趣味の領域なら、勝率・勝敗より度胸を試したい。森内九段は引退をしたわけではないが、それでも騒がれるのは永世名人資格者だからである。今回の森内の英断には同じ経験を持ち、同じ永世名人資格保有者の谷川はいささか後れをとったと感じたのでは?

大山15世、中原16世、そして谷川17世と続くが、谷川がA級陥落の時はどうであったか?元『将棋世界』編集長で、『聖の青春』の著者である作家の大崎善生氏によると、大崎は谷川陥落の危機の際、「落ちたらどうする?」と心情を聞いていたという。「さあ、困りましたねえ」と谷川はこの質問に答えなかったが、大崎は谷川を、「潔さを信条とする美学の人」と捉えていた。

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したがって、大崎にすれば谷川は一気に引退もあるかもと、捉えていたようだが予想は外れた。降級が決まった時谷川は、「来期はB級1組で頑張ります」という簡素な談話を発表した。自分が中原に拍子抜けしたように大崎も、「拍子抜けするほどあっさりとした、実直な谷川らしいもの」と表現している。事が事だけに、さりげない言葉を余計に感じ入るのだろう。

谷川は少し世代が上だが、同世代でしのぎ合った羽生や佐藤康に感慨はあろう。佐藤は現在連盟会長だが、「大変、驚いた。(フリークラス宣言は)森内九段の一流の流儀なのかなと感じた。今後も同世代として頂点を争えるようにしていきたい」と、コメントをした。おそらく羽生も似たような思いであろう。森内の言葉を何度も何度も眺めていると、こんな気持ちに襲われた。

森内九段の棋理について、さほど勝敗に拘らないところが、これまでの彼の言葉に現れていた。そうはいっても、勝敗を否定しているのではないし、羽生や佐藤らを見据えて高みを目指して争ってきたろう。が、今後は以前よりは気楽な気分、気楽な立場で将棋というものを追求したいと感じたのではないか?順位戦という切羽詰まったリーグ戦から離れる気楽さかと。

誰が上がり(昇級)、誰が下がる(降級)。ばかりか、順位にさえ一喜一憂する棋士においては、自身の棋力向上に向けた研鑽も大変であろうが、少し楽な気持ちで将棋に向かえないか?盤に向かえば気分高揚はあるが、順位戦から離れることで、気ぜわしい精神を解放する。独断で勝手な推測だが、これまでとは異なる視点で盤に向かう。こういう棋士がいてもいいだろう。

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それくらいの心境でなくば、順位戦を指さないという決断には至れない。武士が切腹をするのを、「なぜにそんなことをする?戦って討ち果てればいいではないか?」との考えもある。どう死ぬのも同じというが、そこに美学が派生する。棋士の早い投了も美学の一つである。自分の命は二十手先に尽きている。それなら悪あがきせず、相手のミスを期待もせず…。

自ら腹を切るのが棋士の美学。投げないのを、「悪あがき」と見るか、「執念」と見るかは人による考え方の違いであろう。「悪あがき」を美しいと感じないなら投了し、「執念」を美しいと感じれば頭金まで指す。善悪についての答えはない。棋士もそれぞれであるように、傍観者(ファン)もいろいろだ。ただし、「形づくり」という言葉は美しい響きを持つ。


他人の気持ちを推し量ることはできないが、森内の心情をいろいろ推察してみた。彼の言葉にある重要句は、「思い出深い経験」、「感謝の気持ち」の2つであろう。言葉通り彼は今、「思い出」の心境、「感謝」の心境にある。つまり、そういう域に達したと自分には読める。過去、彼の強さを沢山見せてもらったが、今後は彼の将棋の楽しむ姿を、一ファンとして共に感じたい。

もう一つの森内俊之

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森内九段のフリークラス転出について前回記事で、降昇級などの制約のないクラスで自由に対局に臨みたい考えに傾いた?と邪推した。他人の心を正しく読むのは至難だが、「A級から落ちたこと」と本人がいったように、永世名人資格保有者のA級陥落は承服できなかったのは理解できる。ならば、中原16世名人や谷川17世名人のB1陥落に森内は批判的であったと思われる。

こういう場合における人間の行動は主に3つに分かれる。①彼ら(中原・谷川)もB級で続けたのだから何ら問題を感じない。②2人の前例はあっても自分的には批判を抱くが、諸般の事由からB級1組落ちを踏襲する。③他人がどうあれ、永世名人資格保有者はA級陥落と同時に順位戦は引退すべき。③を選んだ森内は、自身の価値基準が揺らぐことはなかったのだろう。

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森内の選択は、大山康晴15世名人の意志を受け継いでいる。森内・大山は、中原や谷川以上に永世名人の重みを自負していたということだ。②の「諸般の事由」とは、収入のこと。いかなる理屈をつけようと、B1で指すことはいずれA級返り咲きを狙うということもあるが、別の理由として収入確保である。が、永世名人資格保有者がB2、C1と落ちてはダメだろう。

A級以外で順位戦は指さないとした森内、「A級以外はみな平幕」という大山の言葉を思い出す。大山はA級陥落は引退と公言して自らを鼓舞したが、森内もそうであるのは結果が示している。相撲の横綱や、将棋のA級は、地位としての魅力もあるが、仕事である以上、収入も現実的な問題であろう。棋士の主な収入源は、連盟から支給される基本給と対局料である。

どちらもクラスによって格差がつけられ、基本給は名人クラスで、約100万~200万、A級約65万、B級1組約50万、B級2組約30万、C級1組約20万、C級2組約15万、フリークラス約10万などとなっている。名人ではなく、名人クラスとなっているのは、タイトル保有者はクラスに関係なく基本給100万を超す。また、A級陥落でB級1組に落ちてもすぐには減額とならない。

徐々にB級1組の金額に近づいていくため、降級してもすぐにA級に復帰すれば、いきなりの減額とならない仕組みとなっている。 対局料はファイトマネーのことで、対局の重要性に応じて支給される対戦料のこと。 例えばトーナメント戦の場合、1回戦で負ければ対局料はその1局だけとなるが、勝ち進むほどに対局数も増える。以下は「竜王戦」の決勝トーナメント。

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また、基本給・対局料以外の収入としては、タイトル戦などの賞金、アマチュアへの指導料、将棋大会の審判や講演料などが副収入となっている。大会の審判や講演料は棋士なら誰でもというわけにはいかず、実力・人気のある棋士に限られている。それ以外の棋士はそうした副収入はあまり見込めない。総収入から税金や社会保険などの天引きは当然にしてある。

これらから考えると、森内のフリークラス転出を他の棋士が驚くのは、権利としてB級1組の収入を放棄したこともある。相撲界に例えていうと、番付最高位は横綱ではなく大関である。昔は横綱という名称はなく、大関の中で横綱を付けられる者のことを、「横綱」と呼んでいた。このことから現在でも横綱になることを、「綱を張る」と表現し、横綱は成績が悪くとも降格しない。

負け越し即引退となる。森内は大関の地位から一つ下の関脇の地位が確保されているにも関わらず、それを蹴って小結⇒前頭⇒十両⇒幕下のさらに下、三段目という5ランク下の地位を望んだことになる。相撲界では十両以下の力士に給料はないが、年に6回支給される10万円の本場所手当、勝ち星をあげるごとに貰える2千円の、「勝ち越し奨励金」などがある。

相撲界では大関陥落者が自らの希望で、前頭や十両を希望しても制度として叶わないだろうし、希望する者もいない。将棋界も同様に、A級陥落棋士がいきなりB級を飛び越えて、C級を希望しても許されない(有り得ないので、だろうとしておく)。が、フリークラス転出は可能。今回森内は、B級1組の月給50万円を断り、月給10万のクラスに落ちたとことになる。

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「落ちた」のではなく自ら希望し、「行った」が正しい。そうすることで森内は永世名人の権威を守った。フリークラス制度は1994年に作られたが、この制度がなければ引退である。名人経験者の米長が、A級陥落と同時にフリークラス宣言をしたことがあった。彼は名人一期で永世名人資格者ではなく、森内の行為は前例がない。いろいろ憶測もされ、自分もさらなる思考をした。

フリークラスはなぜ創設されたか?かつてなかった制度が新たに設けられたからにはそれなりの理由があろう。フリークラス創設の目的について公式には、棋士が(自身の対局以外の)公務・普及を主眼において活動するために設けられた制度とされているが、順位戦参加棋士を減らすことによって、連盟の支出を抑制する目的が大きかったと言われている。

そこで前回とは別の考えとして、森内ほどの棋士は過去の実績から相当の蓄えはある。人の懐を勘ぐるは下世話といえ、現実問題として避けられない。収入面において森内は実績のない棋士とは違う。それは中原や谷川も同じだが、彼らは権利としての地位に甘んじたといえる。それにしても峠を越えた人間の坂道を転げ落ちる速さであろうか。一気に落ちていく。

肉体的なもの以上に精神的なものが大きく作用する。これを、「モチベーション」という。自信や闘志はあっても、それだけでは勝てない。加藤一二三九段もそうだが、盤の前で闘志むき出しの棋士は少なくない。彼らは駒音や所作や表情などから気性は伝わるが、激しい気性だけで将棋は勝てない。闘志を表に出さず内に秘め、それでいて強い棋士はいくらでもいる。

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森内は割棋士(勝率)に落ちたが、46歳で3割棋士はあまりである。近年の不調原因は弟子の問題などがあったといわれるが、ファンや周囲は誰もが再起を願っている。森内にもその気持ちはあろう。中原にも谷川にもその声はあった。連盟会長の重責が谷川を弱くしたというが、大山ほどの精神力はなかったようだ。悪い序盤を終盤で跳ね返す圧倒さは今の谷川にない。

森内が自身の負けの多さをどのように感じているのかを知る由もないが、自信をなくしているとまではないだろう。名人経験者で過去にA級陥落した棋士といえば、中原、加藤(一)、米長、谷川、佐藤(康)、丸山、森内の7名。その中でB級に転出をせず、フリークラスを選択したのは米長一人。当時55歳という年齢もあったろうか、中原も55歳でフリークラスに転出した。

谷川は52歳でB1に転出後、3年間で15勝21敗で0.416の勝率である。名人経験者でC級2組まで指して引退した加藤一二三は異例と言っておこう。谷川も、佐藤も、丸山もC2に落ちてまで指すとは思えないが、実際は分からない。求道者加藤に、「晩節」の文字はなかったようだ。谷川はB2に陥落と同時に引退もしくはフリークラスとみる。永世名人がB2では指せないだろう。

指して欲しくない。これは将棋ファンの総意であろう。中原はB1の2年目4勝8敗で13名中9位となり、ここでは勝てないと判断したのか、翌年フリークラスに転出。近年森内も若手に星を落とすが、自信を無くす年齢でもないし、フリークラス名人以外のタイトルを目指す。もし、羽生がA級陥落したら?彼ほどの実力者は引き際も鮮やかであり、問答無用の引退である。

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順位戦に縛られず、竜王、棋聖、王位、王座、棋王、王将のタイトルに加え、朝日オープン選手権、銀河戦、NHK杯将棋トーナメントなどの公式戦に照準を据えている。悠々自適で将棋を楽しむというのは早計で、自分は新たにそう考えた。羽生と並び、最強棋士との呼び声高き森内が、近年の若手に星を落とすさまは、「なぜ?」という信じられない思いもある。

劣化というより不調と解したいが、この先2年くらいの将棋を見ればわかる部分もあろう。谷川の見るも無残な負け将棋を見れば、明らかに劣化を感じるが、自分の目に森内はまだまだそんなではない。佐藤康光九段はある時期以降、それまでの将棋を壊し、負けが込んでも新たな自分の将棋を目指して行った。森内九段はそのような新境地を開いて行くのだろうか?

今期NHK杯決勝は、佐藤同士の対戦だった。結果は康光九段の勝利で終わったが、和俊六段は大健闘であったが、優勝の壁は厚い。新たな対戦トーナメント表ができ、早速森内九段を探す。一回戦はシードであったが、次の対戦相手は藤井聡太四段と千田翔太六段の勝者と当たる。聡太と翔太…、どちらも売り出し中の若手で、しかも手ごわい。放送日が待ち遠しい。

NHK杯と言えば、2014年11月30日に放映された3回戦第1局、羽生名人対森内竜王の対戦があった。対局前のインタビューで羽生名人は、「元気よく捻りあいを目指します」。一方の森内竜王は、「初心に戻って自分らしい将棋を…」であった。解説の藤井九段は戦形予想を聞かれて、「分かりません」。さて、対局は羽生の先手で初手7六歩で始まった。

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戦型は後手の一手損角換わりに進む。これまでの対戦成績は羽生名人73勝、森内竜王57勝である。後手の森内優位に進み87手目、先手の9八玉に森内が9五歩を指す。藤井は、「駒損で攻めさせて、駒得から反撃で決める。受け将棋の理想形。後手だいぶ優勢」。100手目7九角を見て羽生が投了。完敗だった。羽生は敗因を、「初手7六歩ですかね」とは言っていない。

森内vs羽生戦で思い出すのは、1996年に森内が初めて羽生名人に挑戦した第54期名人戦第1局で起こった、「封じ手事件」がある。それは1日目の午後5時29分過ぎに起きた。記録係が指しかけの図面を書き込み、立会人が封じ手を促した直後、「え、指すつもりだったんですけど」。こう言って森内はさらりと、△9四歩を着手した。これまでの常識から言ってもこれはない。

「森内が羽生に喧嘩を売った」と誰もが考え、大盤解説の米長はこう述べた。「あの一手は、明日から個人的には口をきかないよ、という意思表示。少年時代からの友人関係と決別し、お前とは死ぬまで闘うぞという宣戦布告です」。ところが真相はまるで違った。「あれは単に封じ手をやりたくなかったからで、コッチが早い時間に指しちゃうと、また羽生さんが指すかもしれない。

それは困るから、私の時計で30秒前まで待って指したんです」。第1局が終わった翌日、反響の大きさに恐縮しながら森内は心境を吐露。喧嘩をふっかけるどころか、羽生への無礼を詫びた。そして、こう付け加えた。「あ、そういえば羽生さん、ムッとしてましたね。ちょっとだけムッとしてるのが、分かりました」。近距離で向き合う対局者はそうした機微を感じるようだ。

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友人の離婚にかかわる ③

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イメージ 1スポーツの監督は主にチームを指揮、コーチはその名の通り指導・訓練従事者。名監督といわれた元阪急の西本幸雄氏は、しつこい指導で有名だった。難しい技術はこなせても簡単なことは徹底しないと身につかない。コーチが許す些細なミスをわざと強くしかった。選手は、「コーチを差し置いてうるさいオッサンだ、まったく…」、それでも怯まず声を荒げた。

うるさく、しつこく言い続けることで、人間はそのことの大事さを知るばかりか、うるさく言われたくない自尊心も湧き上がり、「言われないようにやっておこう」となる。これが西本の狙いであった。逐一、言い続ける側も面倒で大変だが、それがベストと知っていた。「簡単なことはいつでも身につけられる」といった母親を無知と言ったのは、物事は簡単ゆえにしないことが多し。

子どもが起こした大きなミスは強く𠮟らない方がいい。そのことは子ども自身が分かっているからで、本当に分からせるべき、身につけさせるべくは、見逃されやすい小さきことであって、それでこそコーチとしての親の役割であろう。友人は妻に対して、「もう何もいうまい」と決めたことがあったようだ。強く言った時に妻がキレてこんな風に言い返されたという。

「あなたってホントうるさい。親にも言われなかったことをグダグダ言わないでくれる?わたし、命令されるとダメだから」。なるほど。よくある口ごたえだ。命令されてもされずともしない。甘やかされて育った子どもの典型で、大人になっても批判や注意を嫌がる。どういう批判であるのか、受けた注意がどういう迷惑をかけているのかを思考する前に感情が立ち上がる。

子ども時期の反抗に親が屈したということだ。そういう親は、子どもに嫌われたくないから、子どもが反抗するようなことに神経を尖らせ、言わないようにする。子どもに気を使うような親は親ではないが、得てしてそういう親は子どもにとってはいい親である。その代わりに、生活習慣が身についてない。まあ、大人になれば至らぬ点も分かり、自己啓発もする。

躾をしない親というのは本当に怖ろしい。たとえ躾をしたところで、自分の楽な、安易な方向に向かう事もあるが、躾をされていないことの一切が、「これでいいんだ」と内面化され、自己正当化されるのが本当に怖いことである。親として責任を痛感するしかない。神戸連続事件の少年Aのような、大罪を起こした息子の親が、「責任を痛感する」などと世間に詫びたりする。

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そのような大罪を起こす子は特別として、生活習慣などの躾を怠り、周囲や配偶者に迷惑をかけることにおいても親には責任がある。親の義務とは産んで大きく育ててるだけではなく、体格のようには目にみえない、心や情緒の成長にも大きく関わり、社会に恥じぬ子を目指す。子を産めば誰でも親だが、子を社会の一員として考えるなら、果たすべく役割は多すぎる。

厳しく躾けをされた親こそが、「本当にありがたかった」であろう。それでこそ知る親の恩である。恩というより義務と思うが、たとえ我が子に嫌われても身につけさせたいモロモロは多い。人から笑われない子を育てようという愛情こそが何より大事である。可愛がるだけの子どもはペットである。「『親にも言われないこといわないで』と言われて、何も言わずに黙ったのか?」。

「これ以上言ってもダメと感じた。この言葉が俺への最後通告と感じたかも知れん」。「ふ~ん。まあ、お前はお前だからいいが、俺ならそんな言葉は絶対に許してないね~」。「そうか?」、「しかし、躾がされず増幅された短所を正当化し、それで親にも言われないことを言わないで、ってそれはないね~。だったら、うるさくない親のところにとっとと帰れと口にでる。

豚小屋がいいなら、親子で豚をやってろ!と、自分はいいそうな気がする。欠点は直そうという前向きさが人には必要だが、それがない」。「そこまで頭が回らんよ」。「そうかな?あまりに言ってることがアホくさくて、言い返せそうなものだが…」。これって、自堕落を正しいと親に容認されたようなもの。親に言われないことを正しいと信じる、あるいは正当化する奴はいる。

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親に言われた、言われないが、善し悪し(正しい正しくない)に内面化されるのが怖い。だから、「親にも注意されなかったことをうるさく言うあなたって何よ?」という言葉が出るんだろう。うるさく言われ続けたことが正しかったと、その時は分からずとも、大人になって分かればいい。親の影響は大きいから、躾けられなかったことを他人が善悪を言っても分からないところも怖い。

夫の妻のどちらに感情的な加担はしない。思考に感情を入れると、シビアな答えが出せなくなる。何が善くて何が悪い、何を改めると問題が解決するか、それが重要だ。離婚が常態化され、「プライチ」などと呼ばれるようになった背景には、夫婦が加害者と被害者という観点で語られるからだろう。例えばある夫婦が、男性側の浮気や暴力によって離婚した場合。

加害者はもちろん男、被害者は女性ということになるが、話を聞けば、誰がみても悪いのはもっぱら加害者の男ということになり、被害者である女性は周囲や世間から温かい同情の目を向けられる。だから、被害者女性も離婚に際し、「自分はなんにも悪くない」などと自覚する。それどころか、世間の同情を集めるうちに悲劇のヒロイン意識まで芽生えてくる。

自身へのうしろめたさがまるでなく、周囲も自分に味方してくれるわけだから、離婚した自分には何ら原因を感じることもなく、そのことが恥を感じない離婚が増えたの原因か?だから被害者意識として離婚経験した者は、その後も堂々としていられるのか?客観的に結論できない難しい問題である。が、離婚した女性であれ、あまり被害者意識を口にしない人がいる。

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一見、自分に大いに原因があるように受け取れるが、それも人による受け取り方の差異というものだ。が、得てしてそういう女性には明晰で頭の良さを感じる。如何なる視点であれ、不法行為の離婚の基本は五分五分であろう。人につまびらかにしたいなら別だが、原因は誰よりも自分が分かっている。こういうところで感情を抑えられる理性的な女性もいる。

とかく人を悪く言いたがる女性にあって、相手の言い分を洞察して尾ひれをつけないのは聞いていても清々しい。夫婦関係が破たんした原因を自分は夫から聞いたが、双方から聞かねばならない複雑な問題は何もなく、妻が片づけをできない自堕落さにもう我慢をしないと決断しただけ。そんなことで離婚か?というが、これが7年間我慢をした結果である。

妻には、「話がある」と外に呼び出した。豚小屋に入りたくないという理由もあったし、相手も嫌がろうとの配慮もあった。滅多に行かない茶店だが、そこで落ち合った。遅れはしないが彼女が先に来ていた。最初の切り出しをどういうかだけは決めていた。自分は率直なので、最初から率直に言った。「どうやら離婚した方がいい雰囲気らしいが、そっちはどうなんだ?」

「毎日帰りは遅く、でも仕事というのは嘘みたいで、どこかで時間をつぶしているのは分かってます」。彼女も率直なO型なのは知っている。「ゴルフの練習場だよ」というと、クルマにゴルフバッグを見ました」という。「ずっと口を聞いてないし、その辺のストレスはどうだ?」、「主人の顔もまともに見れません。押し黙ってる感じが顔に出ていて、それで分かります」。

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「食事も以前はリビングでテレビ観ながら食べてたけど、今は自室にもっていって食べています」。「そうなんだ。なぜだと思う?」、「当てつけに思えます」。「違う。オタクのダイニングテーブルって、崩れそうなくらいに物を置いてるらしいが、テーブルって物置なんか?」。「そういうもののように使ってます。便利なので。だからですか?」

「床の上に物が散乱していても平気なんだろ?衣類まで散らかってるらしいね」。「片づけができないんです。昔から…」。「奴がそれを嫌がってるのは知ってるだろ?」。「知ってますけど、あまり言われなかったし」。「まあ、人に言われてできることじゃないしな」。「私は批判とかされるとむかつくんです」。「なるほど…。親も言わないように遠慮していたんだろうね」。

「掃除しろとか言われたことなくて、だから気になりません」。「こういう風に考えられないか?相手が喜ぶことをするのが愛情」。「部屋のことは普通に我慢の範囲と思ってました」。「してあげたいもなかった?」「できないんです。しても彼には気にいられない」、「なるほど。可能性ってものは、努力に裏付けられるが、『直らない』という断定は、『直さない』だからな」。

「だと思います。やっても続かないんです」。「やりたくない掃除を、我慢して今後7年間やってみるとかも無理だろな」。「多分…。私の性格を理解してくれてると思ってたところはありました」。「我慢も慣れることはあるけど、そうではなくて、どんどん蓄積される我慢もあるってこと。彼の場合はそっちだったということになる」。「はい。相性からいっても離婚ですね」。

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「だね。奴の我慢も限度、君も直らない。このままの状態で共同生活は互いプラスにならないだろう」。「ですね」。「うるさく言われるのはダメっていったんだろ?」。「いいました」。「本当は親がうるさく言うべきだったかもね」。「うちの親は言いませんでした。無断に入室されて部屋を荒らされてキレたことがあります」。「以後、二度と部屋に入るなって言ったんだね?」。「はい」。これは想像つく。

「とりあえず離れてみる方法もある。実家に帰るってこと。自分を見つめるための別居ってプラスになるかどうかわからないが、親と話したりで変わろうとの意識が芽生えればだが…」。「多分、無理です」。「なるほど。さっきから直らないと言ってるし…」。と、概ねこんなやり取りだった。夫の気持ちを知る以上、あとは妻の方向性次第で、婚姻継続か、離婚かの答えはでる。

友人の離婚にかかわる ④

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「すべては遅きに失す」は現実にある。この場に及んで、「どちらが悪い」も不毛。彼女の生活習慣の変革に言及しなかった。離婚の原因が何であるかを分からせ、彼女自身が主体的に自身を見直そう、変革させようとの意思があるかどうかを確認するしかない。生活習慣は、一朝一夕には直らないし、電子レンジで、「チン」というわけにいかないのを知る者として…

人と人との仲裁に割って入る場合に仲裁者Cが、Aから聞いたBの欠点なりを、鬼のクビでも取ったような言い方で攻めるのはよくないし、すべきではない。なぜなら、Aの不満をBに伝えるだけで、BはCとAが連携を判断し、BとCが自分のあることないことを悪口の如くタラタラを言い合っていると感じ、反抗心から冷静にCを第三者と見ないことになろう。

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男同士が結託して彼女一人を責め、悪者にしてはならないと注意深く話をしたつもりでも、彼女の自堕落さ、掃除が苦手という生活習慣のなさが原因なら、それを彼女が改めるのが何よりだが強制はできない。主人が自分に慣れてくれるのがいいとの気持ちはどうにもならない。真面目で温和な彼だから、それでも7年は我慢したのは、彼なりの善処であったろう。

「欠点だらけの人間が、互いを埋め合わせるのが夫婦だろう」。これは最初に彼に伝えた。それで7年間があったと彼はいう。彼女の言い分は何かを聞いた。「彼の至らない点は何?」。彼女は少し押し黙っていたがこう言った。「欠点かどうかより、主人は私がポジティブに振る舞える人ではないようです」。あまり聞かない言葉なのか、返答前に少考した。

誤った理解もどうかと思い、言葉の含みについて正確に知りたくて問うてみる。「ポジティブに振る舞うって、具体的にはどういうこと?」が、彼女は言葉を詰まらせる。気をまわして、「あまり会話がないとか、生活を楽しめないとか…、そういうこと?」といえば、「あの人は真面目だし、妻を困らせたり苦しめたりはない、夫としては及第点と思います」。

抽象的な言い方だが、その言葉から彼女の真意は理解できたのは、自分に素養があるからだ。「恋人にはいいけど、結婚相手には…」、「結婚相手にはいいかもしれないけど、恋人として楽しくない」この二つの言い方は女性が男を捉えている重要な要素として、聞いたことがある。男ならこういう言い方をする。「遊ぶにはいいが、女房にする女じゃない」などと。

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説明はなくとも、普通のオトナなら意味は分かるだろう。集約していえばどちらも、「恋人と結婚相手は違う」ということ。それを、今まさに自分は彼女の口から聞いたと思った。最近ある女性がこう言っていた。「知り合いがバツイチの男性と結婚したら相手の離婚理由がインポ。男はそれを隠して結婚。卑怯と思うけど彼女は、ご縁があったと思おうとの結論を出す。

そのまま受け取るのは正しくないだろうが、真意は本人以外分からない。女性に性欲の強弱はあるが、女が娼婦になれるのは相手が可能なら100人とでもやれる。が、男は無理だ。性豪といえども、何十人もこなせるものではないのは棒と穴の性差である。インポというのは病気であるが、相手によって直ったという男もいた。それが真性のインポかどうかは分からない。

が、隠して再婚した男は、「今までがダメでもこの女なら大丈夫!」と思ったのかも知れない。それよりなにより、再婚前に試さなかったのか?交渉はなかったのか?それでダメなら真性インポだろうから、結婚を中止することは女にできたはずだ。人のいうことは、どこまで自分の都合かどうかは分からないので、そのまま受け取る以外は少なからず疑問は沸く。

自身が果たす責任は少なからずある。自分の知人のモテオ君は、「女は2~回やったら飽きるという。後は惰性か、できたら他の相手を見つけたい」。多少分かる部分はある。だから不倫が起こるのだろう。キリスト教は妻以外との関係はおろか、婚姻前の性関係も認めていない。が、有形無実化した昨今において、不倫はする、離婚はするそれでもキリスト教徒とはお笑いである。

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婚前に交渉がなく結婚後に、「ヤッパリだめだ!」といわれてそれでも、「ご縁があったと思おう」とした女性にも事情があるかも知れん。子連れ再婚であったと、夫が資産家であったと、高齢婚であったなどなど、「ご縁アリ」の理由も多岐に及べば我々は真実の判断ができない。また、「離婚した知り合いはみんな納得したい思いを抱えていました」とも言う。

これは良いことだと思う。大人と子どもの差は、聞き分けがあるかないかで判断できる。聞き分けのないのが子どもである。聞き分けのない大人もいるにはいるが…。したがって、自分で納得しようと思うのは、その前に自分への説得を自らが行っているのである。誰に文句を言っても始まらない。自分で決断したことは、不満も含めて自分に文句を言うしかない。

自分への説得は、そうした文句も含めてだが、どこにも言って行くところがないと分かった時、自ら納得するしかない。どうしても納得できない聞き分けのない大人は、別の生き方を見つけるがよい。上にも書いたが、人間は究極的には妥協であるから、最後は自らを納得させるしかない。その場合に大事なことは、自分で考え、自分で決めることだろう。

子どもが聞き分けがないのは、親が決めたことへの不満を訴えている。子どもには不平や不満を言える大人がいる。したがって、不平不満を言わない、責任感のある子に育てたいなら、多くの事を子ども自身に決めさせることだが、自分は幼馴染の彼女の家に行って驚いたことがあった。昼前に起きた子ども(当時6年生)が、起き掛けに母親にこう言った。

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「ママ、今日はどの洋服を着ればいい?」。この何でもない、見逃しやすい言葉に、自分は驚いた。幼児期に親が子どもを着せ替え人形として楽しむのはいい。が、ほどほどにしておかないと、いつまでも着せ替え人形ではまずいだろう。たとえ洋服一着とはいえ、こうした、「指示待ち人間」を親が作っているのが恐ろしい。批判と悪口は違う。批判は生かすこと。


に比べて人の悪口など生かせるものではないが、気晴らしという効果は認める。世の中は教材の山である。さまざまなものに触れなければ、人間は何も身につかない。じっとして動かず本を読んだりでも知識は得れるが、上記の着せ替え人形は生きた体験である。周囲は教材の山と言ったが、それを感じる心、感受性も大事である。これなくばすべては絵に描いた餅だ。

感性の高い子、強い感受性の持ち主は、どう育てるか?自分の経験で言えば、「あれはダメ、これはダメ」の禁止教育が良くない。こうして育った子は親の顔色ばかり見て、それが将来は社会で他人の顔色を伺う子になる。したがって、研ぎ澄まされた感性を育てるには、「あれもやれ、これもやれ」がいい。何か一つが重要で(例えば勉強)、後はダメと言うのがよくない。

この世の一切の物は、子どもにとっての教師・教材の考えが可能性を育てる。勉強だけでは屈強な視野の狭い子になろう。そうはいっても、思春期時期に主体的に何かを感じる子どももいる。それはそれで自らの人生を歩むことになる。以前自分が「あれもたれ、これもやれ」がいいと、保守的で心配性の親にいったら、「そんな無茶な、怖くて見てられないよ」だった。

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最近の子どもは公園で遊ぶ時でさえ、親のお供がついている。「クルマも多く、交通事故の心配もあるから」というが、自分の庭でクルマで我が子を轢く方が歩道で交通事故にあうより多くないか?自分は、「心配なら、見なきゃいい」と言ったが、理解は得られなかった。あまり、よそ様のことに立ち入っては遺憾なと、子どもに関して自他の価値の相違は多かった。

今回の結論をいえば離婚話はとんとん進み、二人で協議の末、6歳の子どもの親権は母で、慰謝料なしの月5万の養育費に決着。購入していたマンションは夫の単独名義なので、収入のない妻はローン継続ができず住めない。残債も多いので売りに出すことにし、他の細々すべて解決した。自分としては夫の我慢を継続するより、妻の生活習慣が変わることを望んだ。

ハナから期待はなかった。彼女にとって汚部屋脱却は自己に無理を強いることで、夫が豚小屋を我慢すると同等の我慢である。どちらも我慢の関係なら離婚が正解だ。「部屋の掃除くらいはできないのか?」という気は全くなかった。「7年間、我慢と思ってやってみたら?」と遠回しに言って反応を見たが、再婚相手は汚部屋好き男を探すしかない。

「彼女には良くても、結婚相手にはちょっと…」、なるサイトがある。①汚部屋女子、②派手女子、③浪費家女子、④喫煙女子の順序となっている。①についてのみの理由と意見を添えると、「自分が掃除をさせられる」というところが、今時の男のヘタレ度を示している。「叩き出す!」という強さはないが、自分の友人の、「これで離婚は仕方ない」は、安らぎを求める夫には聡明か。

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老いと年齢

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人間、歳をとると頑固になるというが、そうであろう、周囲の老人たちは頑固で持論を曲げない。自分はかつて頑固だったが、経年で止めたいと思った。73歳のK氏に将棋の新定跡を披露した時の事。新定跡をK氏は知らないだろうと、ある局面でこれまでとは別の手を指し、「コレが新しい手」と言うと、「そんな手はないない」という。「実はあるんです」と駒を進めようとすると…

「そこではこう指すと決まってる」と、主導権を奪い、聞こうともしない。その態度を見ながら、「何ともつまらん人だ」と、度量のなさを見切る。K氏が自己主張の強いのは聞いていたが、新たな定跡について見解を聞こうと思っていたのに、これほど他人の意見を聞かない人と思わなかった。相手が駒を進めるのを黙ってみていればいいものを、そういう好奇心さえない。

K氏はそこのクラブの世話人をしている。執拗に入会を勧めるので誘われるままに入会金1000円を支払って入会したが、行く気も失せ、しばらく顔を出さなかった。3週間くらい後、「大会をやるので参加して欲しい」と電話が入った。自分は、「出席しない。そこにはもう行かない」と告げた。K氏は理由を聞くこともせず、ガチャンと受話器を置いた。その様子から…。

こういう場合の対処というのか、慣れたものだ。自分があまり好かれないことを悟っているなと感じた。理由を聞かれたらおそらく、「そこは自分に合わないので」と言ったかも知れない。主催者に人格を求めるわけではないが、先の態度は人間関係を崩すだろう。もっとも、人間関係はまだできてはいないから、崩すというより、「成立はない」というべきだ。

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他人のお披露目にあれほど強引に遮る人も記憶にない。それくらいに奇異な体験であった。そういう頑固な人もいるという発見である。これまで経験的に存在する一般的な頑固者の資質やイメージは、理屈をこねまわして後に引かない感じだった。理屈には屁理屈もある。理屈と屁理屈の分類をどういえばいいのかというと、理屈とは筋道が立ち、実践的な裏付けもある。

屁理屈は論理に無理があり、実践の裏付けなどあろうものではない。よって、屁理屈は聞いているだけで空しくなり、時にイライラ、相手の口を塞ぎたくもなる。子どもの頃に、「頭でっかちケツすぼみ」という言葉があった。正しくは尻すぼみだが、どういうことかといえば、「竜頭蛇尾」の言い換え。言葉の意味は文字通りでいうなら、頭は竜で、尻尾は蛇ということだが。

竜は蛇よりは上位で価値も高い。それが転じて、「頭は竜ごとく立派なのに、尾は蛇のようにか細く、前と後とのつりあいがとれない」の意から、「初めは勢いがいいが、終わりのほうになると振るわなくなること」。これを小学校くらいの時にどのような相手に、どのような場面で使っていたのかは正直覚えていないが、上記の意味からそういう相手にいっていたのか?

言い合いの最中に正確な意味も知らず、「お前なんか期待外れ」などの意味として頻繁に使っていた。上記した理論と実践についていうなら、どんなものであれ物事には、その存在を示す「理論」と、それを証明する、「実学」と云うのがある。「理論」とは、「個々の現象を法則的、統一的に説明できるように筋道を立てて組み立てられた知識の体系」ということ。

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対する、「実学」とは、「事実・経験・実践などを重視する教育思想上の立場」という事らしい。難しいので平易に、「理屈」と、「実践」と云った方が分かりやすい。実践無きもの、実践の意欲無きものが屁理屈をこねることが多い。年寄りが頑固になるのは、実践なき屁理屈者だからかも知れない。先のK氏も新しい定跡など知りもせず、古い物を信念とする。

新たな何かを探るのが億劫なのだろう。だから老人、だから頑固。自分は理屈より行動を信じるが、経験のないこと、行動を躊躇うような場合は理屈で思考する。経験から得た理屈はとても貴重である。だからか、経験なしの薄っぺらいことをいう奴はすぐに見抜ける。理屈にも説得力を感じない。性体験のない奴が性体験の話をしても見透かされるようにだ。

未婚だが性体験はあろうし、多少なりの恋愛経験如きもあろうが、ある女性社会学者が言う薄っぺらい恋愛論は、無知も甚だしきことを述べているようだ。社会学者という看板を背負っている以上、恋愛も結婚も学問の範疇なのか?そもそも社会学とは、実践経験がなく理屈だけを提示していいものなのか?その前にあらためて、「社会学」なる学問とは何ぞや?

社会学とは、「人間の社会的行為を出発点に、それを規定するパーソナリティ、行為の交換である相互作用や集団、行為の社会的様式としての文化を総合的にとらえ、さらにその変動と発展を、固有の概念、方法を用いて実証的にとらえるとともに理論的法則を明らかにしようとする」とある。沿革をみても、実証主義の潮流のなかで始まったのが社会学である。

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無知で世間知らずの独身・未婚の女性社会学者は、理屈だは立派にこね回している。が、彼女にとって、人間という動物は人間が考えた、理路整然とした理屈だけで生きていけるとでも思っているのだろうか。宗教までとは言わないが、人間の行動には根本的に精神とか心情と云うのが裏打ちされていて、その精神をより高めるために触れ合い、語り合い、愛し合うのである。

理屈を並べて相手をねじ伏せればそれでよい。こんな社会学者はどうだろう?それしか生きる術がないのだろうが、そういう学者を雇う大学も大学だ。実践的社会体験を学者には望むべくもないが、学問は学問なのであろう。理屈は実践の裏付けあってこそからして、理屈だけの社会学者には閉口する。最も、行動や実践は加齢によって落ちてくるゆえ、若いころに致しておきたい。

人間が生れ落ちて以降、日々成長と共に頭脳も成長する。本能的行動は習慣として身につくが、やがて生活の中の様々な動作が視覚で認識され、言葉や文字を通して記憶され、これらが知識となって広がっていく。それらの知識がさらには自らの判断によって必要性を自覚し、工夫もするようになる。思考、工夫された知識は、さらに持論という形で上積みされてゆく。

が、これらはその人が死ぬまで続くものではない。最大の障害は年齢であろうか?確かに年齢は鬼門だが、全てとは言い切れない。「人は歳月を重ねるだけでは老いない。理想を失った時から老いは始まる」と言う。子どもの頃に見た50歳、60歳は、とてつもない爺さんだった。70歳、80歳となると、腰も曲がり、歩くのもやっとの、半分死にぞこないに見えた。

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ところが、実際に自分がその年齢になり、70歳に手が届くところまできて思うことは、やはり子どもたちから見た自分は、半分死にぞこない風情の生きた屍であろうか?「とんでもない!」。自分の歳などは意識の産物のようにしか思えない。足も手も脳もしっかりしている。歩きながら時々ジョギングする。思うほどに疲れないのは、心肺機能が衰えていないからか?

そういう時、「なかなかやるもんだな」と自分を鼓舞する。10km、20kmは難なく歩くし、たまに30kmコースに足を延ばす。体力って、使わなければ衰えるだろうし、おそらく脳もそうだろう。将棋や思索も含めて、自分は心身を鍛えていることになるのだろう。自覚はないが、客観的に見ればそういうことか。詩人のサミエル・ウルマンは若さの喪失についてこういった。

「優れた創造力、逞しき意志、燃ゆる情熱、怯懦を却(か)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心」であると…。うむ、いくつか心当たりはある。怯懦(きょうだ)とは、臆病で意志の弱いこと。臆病で気が弱いこと。意気地なし。と辞書にある。「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」。このウルマンの言葉は、自分の、「老いとは何?」の答えである。

「皴がない、肌がみずみずしく、たるみがない」それが女のいう若さなら、男にそんな意識は欠片もない。無用と言っておく。男と女の類の違いを実感する。ウルマンは女性に対して、「青春とは人生のある期間を言うのではなく、顔の様相を言うのだ」との言葉を残してはいない。彼が男だからであろう。女の価値がそれだけとは思わないが、女はそのように思うのだろうか?

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桜の時節になると必ずといって思い浮かぶ句がある。「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」。花とは桜。「うつる」という動詞は、「色あせる・衰える」の意。「うつりにけりな」と通せば、「色あせ衰えてしまったなあ」となる。確かに桜の時節は短い。と、同じように女の若さも短いのだと、小町の切ない心情が伝わってくる。

古今集の撰者であった紀貫之は、「仮名序(かなで書かれた序文)」において、小町の歌をこう評している。「あはれなるようにて強からず。いはばよき女の悩める所あるに似たり」。小野小町は美貌蓄えた女性であるが、貫之は小町を、「うわべだけでなく、内省的にも美女であろう」という理解に至ったようだ。女をやる(生きる)のは大変そうだが、楽しみもあるのだろう。


再考・「生きることの意味」

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「生きる意味を探し求めることに意味はない」と言った。断定口調だが正しいというより、信じる生き方である。「生きる意味がない」と言ってるのではなく、「捜すことに意味がない」と言った。たまに人は、「生きる意味がわからない」などというが、生きる意味が分からないから死にたいわけでもなかろうし、分からなくても、「生きる」そのことに意味があると自分は思っている。

「生きる意味が分からないから死にたい」という人はいるが、そんな言葉は人間の傲慢だ。言葉を持たない動物は、「死にたい」など、口に出すことはないが、心にさえ思うこともないだろう。聞いたわけではないが…。「生きる」という本能行動を、なぜに人間は迷い思考を巡らすのか?「生きる意味を探せよ」と、哲学者は言う。「探せよ」とは、「目的」とせよであろう。

確かに、「目的」があればモチベーションがあがる。しかし、上がることもあれば、下がることもある。それがモチベーションを上げるリスクでもある。生きる目的を失いかけて人は挫折をするが、挫折も必要だと人はいう。否定はしないが、「生きる目的」がないままに生きてる人に挫折はない。「生きる意味」を探すなは、挫折や苦しみ回避のために言うのではない。

「生きる意味」を知り得ぬ人間の苛立ちが生み出した悲劇の代表的事件がある。それがあの、「オウム事件」だった。5000人以上の被害者を出した、「地下鉄サリン事件」を始めとする、麻原彰晃(松本智津夫)という教祖を神輿に担いだインテリたちの節操のなさに驚きもし、呆れるばかり…。彼らがなぜに麻原に生き甲斐を見出したか、オウム裁判のなかで各々が心象を述べている。

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オウム真理教があのような事件を起こす前から、「こいつら何をやっているのだ?」と思っていたが、宗教に問題意識を抱く多くの人は同じ思いだったろう。彼らが大量殺人を企てる犯罪集団など、夢にも思わなかった。宗教ゴッコなら憲法で保障された、「信教の自由」である。オウムの元は麻原の始めたヨガ道場だった。それが発展して、「真理教」をつけて宗教法人とした。

麻原個人を突き詰めるなら、彼は東大に入りたかったという。鍼灸院もやった。どれも上手く行かず、手っ取り早く人の上に立つのが宗教であった。ヨガ道場主という指導的立場から宗教に移行した。麻原の心理分析はいろいろなされているが、視力が弱いというハンディに加えて家が貧乏だったことや、親に対する怨みなどが重なり、復讐心のようなものが芽生えて行った。

一時期仏教系宗教に惹かれた彼は、修行をする傍ら、神秘的世界に逃避する喜びも実感したが、寂寥感と人生への怨みから、権力への憧れが強くなる。会社を設立するも薬事法違反で罪に問われた。オウム真理教を作って宗教へと進出していったのはその直後である。本ブログに度々記すように、自分は宗教や霊的なものを信じない。信じないから取り入れない。

信じながら取り入れない人も多い。宗教的思考をするが、実際に行動をしないなら楽というもの。「知行合一」を信奉する自分には、まやかしに映る信者が多い。宗教や霊的なものやスピリチュアリズムが迷惑なのは、欲望抑制主義に根差しているからだ。地上において魂(霊性)を高めるために、真っ先にしなければならないことは人間の心を、「霊優位にする」ことである。

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が、人間の心がそう簡単に、「霊優位」になるだろうか?言ってることはもっともでカッコイイが、人を惹きつけるためにはこうした美辞麗句は常道で、美しい言葉に酔い、信奉する人は必ずいる。「善き人間」になりたい人には必ず大きな不満がある。自分自身が抗うことのできない苦しい現実や、不条理な状況から逃れるために、人は精神的な問いかけをする。

あげく、宗教やスピリチュアリズムに傾倒することで、精神の鎮静化を図る。そういう人間を何人か知っているが、決して彼らは、「肉主霊従」(本能優位・肉優位」状態から抜け出せなかった。そういう書物を読んだり、思考に向かっているときは、そういう状態にあるが、反対に宝くじを買ったり、セックスをしているときは霊的真理などは、どこかに消え失せている。

宗教や霊的なものを信じる人は、霊が支配的な状態と、本能が支配的な状態の間を行ったり来たりの日々を送っている。それも都合のよい生き方だろうが、自分はそんな綺麗ごとに興味はない。宗教に依存しなくとも、善悪良否を判断する理性や精神力を強くしたいと考えていた。ゆえに宗教も霊性も無用である。ある奴が、「そんなことできるのか?」と聞く。

できるもなにも、それしかない人間にはそれが方法である。スピリチュアリズムに傾倒し、自分にも勧める奴にいった。「霊性や宗教を信じる人間はそれでいいのでは?必要ない人間には勧めても無理」。それでいい。そういえば、酒を飲む奴が同じようなことを言った。「よく飲まないでいられるね、信じられん。嫌な事があったとき、どうしてる?」。真顔で尋ねるので笑ってしまう。

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「飲まないじゃない、飲めない人間は酒で憂さを晴らすなどあり得ん」。これを宗教やお酒に傾倒する人間には信じられないようだが、そんなものに依存する方が自分には理解できない。「欲望抑制主義」は、人間らしさを取り戻すと言われる。そう思うならそれもいいが、「善悪良否」を判断し、「清濁併せ呑む」のが人間である。つまるところ、人間は人間を行為する。

生きる意味をあれこれ理由付けをしたところで、理屈はさておき、生きたいのなら、それが生きる目的、生きる意味である。生きる意味が分からないと生きていけない、生きたくないという切羽詰まった人は探すのも方法だ。自分は生きることで、「生きた」という成果だけを受け取っている。宗教や霊性に向き合わずとも、「理性」で対応し、節度を保っていく自信もある。

生きる意味は、「自然」であればと思うが、それでは人間は向上しないという教えも理解はする。お金がなくても楽しく生きる人間がいるように、孤独でもまっすぐ生きる人間がいるように、自身に無理をする必要はない。宗教や霊性に傾倒し、自己を偽る生き方が人間らしいについては否定的だ。上品を自負する人がいてもいいが、上品は下品の恩恵にある。

利口もバカの恩恵に預かり、美人もブスの恩恵である。誰もが上品なら、「上品」という言葉は存在しない。セクシャルな小説が下品なら、行為は下品といわないか?人は人を眺めるが、自分を眺めて生きていない。我々は人間である以上、下半身から逃げられないし、離れて生きることもできない。それが人の本質なら、下の話をどうとり上げ、どう扱うかがその人の品性である。

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下の話はセンスでもあり、タフさすらも試される。男と男の出会いは、女と出会うことで起こる化学反応はないが、共通すべくは互いを貶め合うのではなく、引き立て合うこと。それが見知らぬ人間同士の出会いの最低条件ではないか。姿形が見えないからと、暴言吐いて相手を貶めるネットお時代に、かっぱえびせんのように止まらずに書くことは探求心であろう。

ブログを書くのは、「生きる意味」でなく、生きているからできること。生きているからできる多くのことを人間はすべきと思う。犯罪や他人への迷惑は社会悪と葬り、それ以外の多くの事をやることだ。欲望抑制主義こそが人間らしさとの考えもいいが、命あっての物種だ。死ねばそれで終わりの人間が果たすべくは、「生きる意味」ではなく、「生きる」こと、「生ききる」こと。

「生きる意味を知り得ぬ」苛立ちから起こったオウム事件。裁判に登場した信者の中で、もっとも熱っぽくオウムを語ったのが、オウム真理教諜報省トップの井上嘉浩だった。彼は15歳当時の自分を、「形にならない不安、そして不満や心のモヤモヤがあった」と述べた。彼は当時、「若者の代弁者」として強い支持を受けていた尾崎豊の歌詞の世界に惹かれていく。

漠然とした不満や不安、生きる意味が分からない虚しさ、自らの存在意義を見つけられない焦り、そんな気持ちを尾崎の歌詞に重ね合わせ、やがて自ら、「願望」という詩に思いをしたためた。内容は、「これから高校に入り、大学に行き、社会に出て日々満員電車に揺られ、夢のないお金のためだけの生活をして行くのか?人間に生まれて来たのは、そんなことのためなのか?」

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井上がオウム真理教に出会ったのはその直後であった。別のある信者は、「自分の存在意義に正面から答えてくれたのは、教祖麻原彰晃だけだった」と、述べている。求め、求めども、「生きる目的」は得られず、渇き切った心、あるいは父性喪失感も相俟って、麻原へのヒーロー信仰を抱いてゆく。いかれたカルト宗教教祖は、彼らを未曾有の大惨事を引き起こす将棋の駒にした。

自然に生きたい人間ゆえか、他人のいう、「生きる意味」、賢者のいう、「生きる意味」は他人事である。他人の意見を否定はしないが、自分に影響を与えるか否かに是々非々の選択は必要だが、信者が教祖を批判できない宗教は御免被りたい。神とて自分には他人である。神がいう、「この世で唯一、絶対に正しい」法則こそが自分には危険に思う。が、それが宗教である。

躾と社会性の相関度

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子どもに躾をしてこなかった親はいない。「躾をしなかった」えお口にする親はいるにはいるが、全くしなかったのではなく、きかせられなかった。躾が成されていない子どもは、実際に見ればわかるが、「躾をしなかった」という親の中には、躾の目標水準を高くしていた場合もある。が、結果的に生活習慣を身につけさせられなかったなら、「躾をしなかった」事になる。

「可愛い子には旅をさせ」という。どの親も我が子は自慢の種であろう。「うちの子は世界一」が、多くの親の共通に思い。本当にそうなのかどうかを他人の目でみてもらう必要がある。これが上記の慣用句の真の意味だ。他人の飯を食えとはいっても、とてもじゃないが人前に出せない子どももいる。それでも我が子は世界一という親に、他人はこのように言う。

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「親の顔がみてみたい」。躾はその時代時代の文化や、価値観によって変わるものだ。例えば食事の際に何を重んじるかは、昔と今とでは随分違う。昔は食事の時間は礼儀作法が重視されたが、昨今は作法などより、楽しくおしゃべりしながらの食事が求められる。これは外国文化がテレビドラマなどで輸入された影響もあろう。確かに楽しく食べる方が消化もよい。

作法よりも団らんが正解というのではなく、何をどう躾るかは、時代の価値観の変化である。確かに内容は時代によって変わるが、そうはいっても、基本的なものは変わらない。食器に顔を近づける犬食いや、音を立てる食べ方。口の中をいっぱいに頬張った食べ方。箸のマナーなど。身内なら許せても他人は認めない。だから、他人の飯を食べる必要がある。

これらを親が注意し、教えないで誰が教える?幼児期に善悪など分かるはずもない。だから、親が繰り返し繰り返し、口酸っぱく言って分からせるしかない。初期段階の教育とは反復練習である。何度も何度も言い続けて意識化される。これこそが子を思う親の愛情である。躾は言われる側も言う側も面倒臭い。子どもを、「可愛い」と眺めているだけではない。

あるレストランでランチを食べていたときのこと。同じテーブルのオヤジが先に食べ終わり、爪楊枝でシーハ、シーハやりだした。別に爪楊枝で歯間の挟まったものを取るのはいいし、そのための爪楊枝である。が、シーハ、シーハ、くちゅくちゅと音を立てるのはどうか?目の前には自分は食事中の人がいる。あまりの嫌悪感に自分はオヤジに向けて言った。

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「楊枝は使っていいが、音を立てないでくれるか!」。不意を突かれたオヤジは意味不明の言葉を返し、すぐに出て行った。よく聞き取れなかったが、「もう食べ終わったろ」のような言葉だったようだが、反論は関係ない。相手に嫌悪感を与えていることが問題だ。こういう場合、自分は遠慮がちに言わないから、少し声が大きく店の人も他の客もこちらを見た。

店の人には、「目の前で楊枝の音は食欲も失せるので、注意させてもらいました」と謝罪した。店の人は、「いえ…」とだけ言ったが、店内のトラブルは避けたいだろうが、こういう場合に注意はしない。「申し訳ないが楊枝の音は止めてもらえませんか?」などというハズがない。子どもが走り回るといった目に余る行為でさえ注意しない。店は客に遠慮ガチである。

ファミレスやスーパーの店内で、そうした光景をキチンと注意できる社員教育もなされておらず、かといって注意する客もいない。外国人なら良くないものには躊躇わず注意をするが、陰で文句を言う日本人は多い。勇気がないというのか、当たらず触らずを「良い」とする。外国では、隣の庭の芝が伸びていても苦情をいう。なぜなら住宅地全体の品位を落とすからだ。

少しの時間の我慢が言葉になったのだろう。相手次第では、「うるせーな、表へ出ろ!」となったかもしれない。こういう人は誰にも注意されたことがないのだろうか?それとも、都度受けた注意を無視してきたのだろうか?その辺は分からぬが、「食事中の他人の前でちゅーちゅーはよくない」程度のことくらいの節度、常識がないから行為にでるのだろう。

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子どもは家庭教育・学校教育のほかに、社会の教育力によって培われるが、昨今は地域社会の教育力が死語になってしまっている。原因は種々あるが、近隣の人と人が、豊かに繋がっていくという発想が消えゆくからであろう。嫌われ役のおっさんや、おばちゃんがいなくなったといえば、それでいい尽くせる。「親の悪口」ばかり言って事を収めようとするのが情けない。

「悪口」という言葉はあっていい。「悪い」ことは悪い。「悪い」者は悪いという識別は必要である。が、「陰口」はどうか?そういう言葉もあるし、利用するひともいるが、自分には基本的に、「陰口」というのはない。対象がいない時にいうのが陰口とされるが、いてもいなくても同等なら自分は、「陰口」としないからだ。たまたまいないことはあるけれども。

良くないことは良くないといえばいい。口に出さずも出すもいいが、良くないこと(悪口)を堂々といえず、陰でいうのは疚しくないか?自分は日本人だが、こういうところの日本人的なところが好きになれない。半年の海外体験で得た、「是々非々」という行為は清々しいものだった。日本人はなぜ、罪だけを問題にしないのか?「坊主憎けりゃ袈裟まで」となる。

自分は目の前の人を批判する。それで嫌っているなと感じることもあるが、そういうときにはこのようにいう。「〇〇さんは、自分を嫌っているかもしれないけど、自分は嫌う理由がないからね~」。相手のどぎまぎする顔と、対処の言葉が面白い。「人を正したい」と言えば聞こえはいいが、相手が気づかないで、こちらがうんざりなどの場合は相手のためと親切心を出す。

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将棋をしにある公民館に行き始めたころ。そこに通うMさんは、自分より少し年下だが、この人は、「ひとがいい」と評判である。が、実際は将棋を指せば分かるが、「ひとの良さ」を振りまいている人である。謙虚・謙遜を売りにしているが、真の性格は自尊心が強く傲慢で、それらは対局中に現れる。Mさんは、「自分はここで一番弱い」と口癖のようにいう。

会えば必ずいう。負けても常套句のようにその言葉をいう。それで自尊心を保っている。ある日の対局後、その言葉が出たので言った。「〇〇さんのその言葉はもう100回くらい聞いたよ。みんなはもう耳にタコができてるから、言わない方がいいんじゃないか?」。彼はこれにどう答えるかを待った。「言わないではいられんよ、負けてばかりだから…」と彼はいった。

「だからその言葉を言って勝てるのか?相手が同情して緩めてくれるのを期待してるんか?」。「いやいや、そんなんじゃない」。「だったらもうその言葉は、言うのを止めましょう。みんな聞き飽きてるし」。Mさんは、返答しなかった。彼が自分の言葉をどう受け止めたまでは分からないが、嫌ったかもしれない。以後、誘っても「調子が悪い」と断った。

自分は、誘って断った人には誘わないようにする。根に持つわけではないが、自分とやりたくない人を誘うのは気がひける。その後にMさんは話の最中に、「あんたは、『ああいえば上祐』だからね~」という。これには笑いながら、「懐かしい言葉だね~。そうかい、そうかい、自分はMさんにとっては上祐なんだ。で、Mさんは上祐って嫌いだろう?」と茶化した。

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「嫌いじゃないけど。でも、よく口が回ると関心する」。物は言いようだが、嘘は顔に現れる。人の社会は面白いことが満載である。Mさんはそこまでいわれてか、常套セリフを言わなくなったし、これは自他ともによいことだ。口に苦しの良薬となったのだろう。あちこちで愚痴の類を黙って聞くことは多いが、つまらん愚痴を聞かないでいれる方法はないものか?

などと考えたりもする。それに対するアイデアを思考するのもまた楽し。実践してうまくいけば、自分の能力として加算されるだろう。嫌われるリスクはあっても、「この野郎はうざい男だ」と陰口を叩くよりは建設的である。経年になって、他人のことに立ち入らない方針を決めたが、余計なことと思いつつも、何か方法はないものかと考えるはかつての名残であろうか。

愚痴は言うまい、聞くまいだけでは通れないこともある。聞きたくもない愚痴から遠ざかることもままならぬ時は、「言わせない」を出動させるしかない。言いたい愚痴だから、相手にとっては迷惑なことだろうが、その迷惑という心情を止めることも、一皮剥けることであろうと、そのように善意に考えることが行動理由となる。嫌われるより、人を嫌う自分の卑屈さは嫌だ。

イメージ 6まかり間違ってもMさんが、「あのときあのように言われたおかげで愚痴に気づいた。感謝!」なんてことはないし、そんなもんなくてもよい。というのも、人が人のために、「〇〇する」という行為の裏には、自分のためということがほとんどだからで、そこを隠し、気づくこともなく、「他人にいい事をした」は、まるで少女の発想である。少女はそれで成長すればいい。

「利他的」という、「利己性」に人はいつしか気づくはず。これに気づかない、「善人」を自負する人もいるが、それで結構、別段悪いとは思わない。「善意」という言葉は、「善い行い」という意味だが、「相手を思う心」との意味もある。(真の)善とは、善意思によってなされるべきであり、「相手によく思われたい」行為であるなら、脱却をすべきである。

女を教育できない時代

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刺激的なタイトルかも知れない。現代においては…。「女を仕込む!」は、50年前、男ならだれでも言っていた。昨今は女が、「男を教育する」時代なのかも知れない。付き合い途中から女に媚びた男は多く、それ自体がもはや教育されている。「飼い慣らされている」という言い方もできる。妻に飼い慣らされたうだつのあがらぬ夫は、同性からみて冴えない男にしか見えない。

人に「媚びる」、「媚びを売る」のがなぜいけないのか?子どもは誰でも親の反響を求めるが、子どもの場合、「媚びを売る」などと言わないのは、親に愛されたいという自然欲求だからかと。子どもはまた、自分の望むような反響を親から得られないとぐずる。これは、「甘えの心理」であり、子どもが媚びを売るのは、親に甘えられるためのテクニックである。

「親の言うとおりにしておけばいい事ある」と、これくらいのズルさは誰でも持つが、ズル賢さも知恵である。「甘え」は依存心の発露だから、相手に対して依存心があるということは、相手からの反響なしには心の満足が得られないことになる。子どもは生命維持のために親に依存するから、媚びるのは当然であるをいいことに、それに拍車をかける親もいる。

「媚びる」の正確な意味は、 気に入られるように振る舞う。相手の機嫌をとる。 とあるが、元来「媚びる」は下が上に行う行為で、その裏には意図が隠されている。「女に媚びる男」という言い方をするが、これは男が女より下であることを表す。男女は対等というが、それはあくまで法の上であって、実社会にあって人と人はさまざまな力関係で成り立っている。

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人に媚びることはしない自分は、「媚びを売る」人間には批判意識を抱く。また、相手が自分に媚びを売るなまめかしい態度も好きではない。自分の子どもにも人に媚びないような人間になって欲しくて重点的に躾けたが、その方法は親に媚びさせないことである。「依存」と「媚びる」は似ているようで非也。動機においては全く別で、その辺を注意深くみていた。

媚びを売る人間の深層心理はさまざまある。なにより自分に自信が持てないことが大きく、だから自分が自由になるのが不安。相手が自分を縛っているわけではないのに、自分が自分を勝手に縛る。「依存」はしても自身を縛らなければ、「媚び」たことにならない。子どもを媚びさせる親は、子どもが自身を縛るように持っていく。子どもは、「縛る」ことが当然と考えるようになる。

相手に縛られる以前に自らを縛ることが問題だ。そういう人間は相手に媚び、おべっかを使う方が心理的に楽になる。人に媚びない最大の利点は、自己(の生き方)に責任を持つことだろう。一人は個人だが、二人になると社会である。恋人にしろ、配偶者にしろ、目的をもって共に生きる者同士のどちらかが力を発揮し、主導するなら、すべてに責任を持たねばならない。

対等という言葉が、「躍る」ご時世であれ、人の種類はいろいろだ。種類とは出来上がった性格をいう。金魚の頭のような人間もいれば、金魚のうんちのような人間もいる。「鶏口となるも牛後となるなかれ」という中国の故事は高校の漢文で教わるが、誰もが鶏口を望まず、牛後を好む人間もいる。己の信ずるままに、おもねらず、なびかず、そういう人間もいる。

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己の信念などもなく、人におもね、なびくのが生きやすい人間もいる。集団にあってはそうした個々の性格が反映する。亭主関白が理想といっても、資質もない男が、ただ威張ってみたところで続かない。自分は、「何事も思考し、行為し、責任もとるので任されたい人間」であるから、そういう配偶者を選んだ。教育した部分より、見越して選んだ部分が大きい。

最初からそういう意図であればいいが、女を選ぶ基準が美人であるとか、巨乳であるとか、人選びは多彩で面白い。自分を生かせる相手かどうかなど考えもせずに妻選びをする。夫選びの動向について、自分は男であるからそこはスルーするが、経済力とか、誠実さとか、長男はダメとか、いろいろあるだろう。「イケメンonly!」、それしかないという女の声はよく聴いた。

相手に媚びないことが、強さ、責任感から派生するなら、子どもに媚びる親はどういう親だ?子育てに対する責任感がないということになる。「相手に媚びよ」という躾はないが、一家の長たる男(夫)が家庭に責任を持つのは当然と、これは所帯をもつ動機の一つであった。食わせていく責任をしっかりと男が持っていた時代であったが、40年も経てば時代は変わったのだろう。

「共稼ぎ」が当たり前になり、専業主婦がなぜか死語になっている。パートやバイトという形で、女性の片手間労働を求める社会構造へと時代は変化をした。かつて、「髪結いの亭主」という言葉があった。「髪結い」とは今でいう美容師のこと。少ない女性の職業にあって、収入が確保された女性の代表的な仕事である。そんな、「髪結いの亭主」になることは男の本望とされた。

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妻より早く起き、家事の一切やってくれるそんな夫を妻が望むように、一つの願望であろう。「髪結いの亭主」は、それだけ甲斐性のある男だろうが、これを男のロマンとするのは男の甘えである。家事一切を夫に望む妻が甘えてると同じように、願望は願望、現実は現実だ。男という類は、うまく持ち上げて責任を持たせれば、俄然と力を発揮する単細胞な生き物だ。

だから、賢い女はダメ男を才覚によって、立派な(使い物になる)男に作り替える。これを古い言葉で、「あげまん」という。あげまん女は、天性もどき女の才覚である。女はどうか?おだてれば、「デブ女も木に登る」くらいの芸は見せるが、男ほどに単純とはいえず、一筋縄でいかないのが女である。体力・体型的に弱き類は、知恵やズルさが備わるようになっている。

男を手の平であやし、おだて上げると国を転覆させるくらいの力を出す。だからか、歴史上に名を残すような人物の裏には利発な女がいた。北条政子、巴御前、日野富子など、数多の女性が名を残している。歴史における女性の存在は、陰の巧者として表にでないが、それでも名を残した女性は少なくない。歴史に名を刻んだ女性はさまざまに分類されるが、以下に示す。

「愛と憎しみに悩んだ女」、「自由奔放の生を貫いた女」、「男も及ばぬ意志と非情さで野望に賭けた女」、「時代の波に翻弄された悲運の女」などと大別するのも一興である。小野小町や額田王、和泉式部ら万葉歌人、清少納言、紫式部らが彩る華麗なる宮廷才女、推古、持統、斉明、光明、称徳といった栄光の女帝ならびに后らも、日本史に燦然と輝く女である。

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大河ドラマに名を馳せる常連といえば、お市、北政所、淀殿、ガラシャ、芳春院らは戦国乱世に生きた女たち。また、政権を動かした女として、丹後局、卿局、春日局に、大奥出身の桂昌院や、絵島の名が浮かんでくる。近現代になると、福田英子、矢島楫子、津田梅子、樋口一葉、広岡浅子、与謝野晶子、下田歌子、吉岡弥生らは先駆的役割を果たした女性である。

津田(津田塾)、下田(実践女子大)、広岡(日本女子大)、吉岡(東京女子医大)らは、女子教育の必要性を唱え、立ち上がった人たちだ。教育は洗脳であってはならず、宗教が洗脳と言えば異論もあろうが、こんにち、日本国内における教育の荒廃の現状において、宗教を持たない道徳教育の限界を指摘する声もある。いずれにせよ、学校や家庭は教育の場から衰退した。

話を拡大すればキリもない、現実問題として普通の人間が普通の人間を教育するところの問題を掘り下げてみる。確かに、教育をされていない目にあまる人間がいる。男にも女にも同等にいるが、近年は、「JK産業」と言われる高校生女子の風俗問題に政治が動き始めた。「JK産業」を貧困問題と絡めるなら政治問題であり、現に沖縄では中学生売春が横行する。

もはや普通の女子大生売春など珍しくもなんでもない時代である。これが本当に貧困であっても、時給800円のバイトより手っ取り早いという考えは、女子の堕落そのものだと思うが、それでも背に腹は代えられないのか?正直いって男は金で体を売る女のメリットは、収入以外にもあるだろうと考える。性が快感行為でもあることから、売春が精神の苦痛とは思えない。

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ましてや、「からゆきさん」の悲哀を文献等で知るものにとって、貧困即風俗を同列に考えるなど到底できない。男も女も12~13才になると奉公に出た。産業のない時代に少女の働き口は子守りか女中だった。当時の子守りや女中は、家の者より早く起き、遅く寝た。言い換えるなら、起きて寝るまで働いたということ。休日は盆と正月、僅かな給金は親への仕送りである。

これと女子大生売春を一緒に考えるなと言われてもだ…。貧困で実入りが少ないという現状を経済原則で考えるなら、支出を少なくすればいい。1万円のバッグや洋服はしまむらやユニクロに行けば安く手に入るが、それでは女子大生をやれないという。勉強よりおしゃれが重要な女子大生が、時給2万円のバイトをする。男である自分にはそうとしか考えられない。

いかに彼女らが勉強以外の目的で大学に通っているかと批判すれば、「女の子はそうもいかないのよ」と反論する。「だから売春するしかない」という論理は、男の自分にも分からない。将棋の米長が初めて女性の弟子を取ったことで世間は沸いた。林葉直子である。彼女は九州から東京に出てきたが、都会への憧れと話題の渦の中で将棋に身が入らなくなる。

同郷の松田聖子に憧れ、同じ髪型、洋服も派手になった。当時米長家には、先崎と林葉の二人が内弟子として住み込んでいたが、将棋の研鑽に男女の差別はない。米長は林葉に、芸能人と付き合わない、洋服は地味で清潔なものを、などの要求を出した。「女は、自分が(人から)見られるを意識しだすとダメになる」。言葉どおり、林葉は将棋の世界から転がり落ちた。

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子どもを教育できない時代

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女子教育の難しさは、森内俊之九段も経験した。彼の唯一の弟子が竹俣紅である。彼女が記録係を避けたり、テレビのバラエティー番組にレギュラー出演するなど芸能人化を森内は注意した。そこに竹俣の母親も絡み、彼女はワタナベプロと芸能契約をし、連盟に一年間の休場届を出す。「道」を究めるなら当たり前のことが女には通じないのを米長も森内も痛感する。

森内の成績不調は弟子の問題かと取りざたされたが、その件について森内は一切口を塞ぐ。将棋で有名になった竹俣が、そのことで芸能人が如くちやほやされては弟子にとった意味すらない。師匠には弟子に対する指導・教育などを行う責任もあろう。結果的に森内は将棋ファンから、「つまらん弟子を取ったものだ」と笑いものになったが、受け止めるしかない。

「怒りゃすねるし、叩けば泣くし、殺してしまえば化けて出る」などの故事にいう女子教育の難しさだが、遠慮も容赦もなかった自分は、難儀と思ったことはなかった。男が女子に甘い(弱い)のが難しさの要因だろう。「こんなではプロ棋士としての自覚がない」などと竹俣を愚痴ったところで意味はない。意識を植えつけられなかった師匠が責任を負うべきことだ。

下ネタエッセイで人気のあった田辺聖子は、1971年から16年間にわたり、「週刊文春」に『女の長風呂』を連載したが、彼女は、「女は決して男が教育するとか、仕込むとか、できるものではない」と言った。「女は」とくくっているが、田辺はそうであったのだろう。自己愛と自己顕示欲のかたまり女を教育できるハズがないということだが、女もいろいろである。

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女に教育された男が目立つ時代を見て感じるのは、教育という社会的価値より、女の意のままに操られた男の情けなさは母親に支配される子どものようである。教育は理性的になされるもので、感情支配とは別のものだが、女の教育とは理性を欠いた感情支配そのものである。「教育」は愛情でなされるもの、「支配」はエゴでなされるもの、と区別されている。

価値観の伝授はいいが、強引な押し付けはエゴでしかない。価値観とは、「与えられるだけのもの」ではなく、日常の環境や本人の経験や実体験の中から浮かび上がるその人の個性そのものである。勉強ばかり強いる親なら、上手くいけばそういう子になるが、失敗すれば勉強嫌いになろう。押し付けられた価値観に反抗し、親と疎遠になった子どもが悪いのではない。

親の夢を壊して育つのも子どもである。「人が人に価値観を伝達することはそもそもできない。人は単に環境から学習するだけ」と社会学は規定するが、自分の理想や希望を子どもに押し付ける親は、教育者というより支配者と思っていたが、「自分の子を支配してなにが悪い!」という親には閉口した。常々思い、感じるのは、何が正しいではなく、子の数ほど親がいる。

目先のことに左右されるのを近視眼という。主観も大事だが、事物を遠くから見ることの方が全体像がみえる。いかに綺麗な印刷物であれ、虫眼鏡で見ればただの点の集まりに過ぎない。ネットにこういう告白があった。「おれは小中学校時代は教師や親に褒められる、「いい子」だった。授業は真面目に受け、宿題はきちんとやり、掃除もサボらず、決まりを守った。

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PTAで問題視されるテレビも「ダメ」といわれれば観なかった。漫画は親が毎月定期購読をしてくれるの小学館の学年誌。人気の少年漫画やアニメはまともに観ていない。友人とは話があわなかったが、近所の人や親や先生から、「いい子」と言われた。 親が遊ぶなという友達を避けた。思春期なのに話題もなく女子と縁もなく、遊んでる連中を蔑み自己満に浸った。

何の疑問も抱かず、それで幸せになれると信じていた。高校は地元の有名校に行き、クラブ活動もやらず友達も少ない自分は内向性が強まり、苦手な友人を避けることで殻に閉じこもる。自然、「オタク」などと揶揄され、必然的に優等生という地位を失う。二流大学に進学、無為な学生生活を過ごした事で、コミュニケーション能力も行動力もないまま就職に失敗する。

地元に帰って職を転々したが、とどのつまりはフリーター生活。地元では小中時代の同級生に出くわす。当時は不良のレッテルを貼られていた奴らが、妻や子供と幸せそうに歩いている。 立派な家庭人、社会人として暮らしている。 それに比べて自分何だ?定職ももたず、結婚もない恋愛経験もない。今は、かつて禁止されていたゲームやアニメが生きる支えである。

かつて読んではダメと言われていた劣悪図書が部屋に溢れている。幸せになれるはずの優等生ではなかったのか?親や教師は自分がそうなると褒めてくれていたのでは?誰が悪い?親か?学校か?社会か?それとも自分…? 分かるハズもないし、分かったところで何も変わらない。そんな自分に親は何も言わない。言えないのか、言わないのか、自分も親に何も言わない。

イメージ 4自分のことだからわかるが、「言えない」のは分かっている。何を言えばというものもない。そうした閉塞感と、いつしか身についた劣等感と、真面目に生きた後悔だけが自分を支配している」。この青年は、当時は親に最良の教育をされていた。教師にとっても、問題のない優秀な生徒だった。それが、なぜこうなる?一言口を挟むなら、こういう風だからこうなった。

親は良い教育をしていると感じる時点で疑問を持つべきである。「良い」は本当に、「良い」のか?ならば、何に対し、どのように、「良い」のか?「良い」ものに欠けるものはないのか?そうした様々な疑問を持ち、「良い」を別の角度から眺めると、「良い」を疑う部分は沢山見えてくる。感情は主観であるが、客観的視点が理性である。「自分を疑う」そのことを客観という。

世の中にはいい親と悪い親がいる。その時にいい親が、後年にダメだったと気づく場合もある。子どもにとっては単に、「都合のいい親」だったからだ。また、その時点においても、後年においても、「いい親」は存在するが、恵まれた子どもであろう。その時点において悪い親だったが、後年になって実はいい親だと知ることもある。それらは子どもの情緒の成長に伴うものだ。

「子ども時代にうるさく躾られたこと」、「本気で叱られたこと」も、未熟な子どもにとっては、それらが愛情の発露であったかどうかは、経年になって分かること。それが分かった暁に、「自分を思ってくれた親がいたと感じる」ことになる。親の行為が真の愛情であったか、支配であったか、子どもは理解するものだ。「いい親」と、「悪い親」の中間に、「理解のある親」も存在する。

理解のある親とは、「是々非々」な親である。子どもにとっての、「ダメ」は、「ダメ」とすべきだが、「ダメ」がどうして、「ダメ」かを考えた上での、「ダメ」でなければならない。親の都合による、「ダメ」か、子どもの愛情を優先した上での、「ダメ」なのか、教育はそういうもの、そうあるべきものだが、これらも親と言う人格のバランスの問題だから、偏った親では難しい。

バランスとは、「主観」と、「客観」を交えた度合いをいう。人間は例えば嗜好にしろ、食生活にしろ、何にしろ、どうしても偏りがちになる。簡単に、「バランス」というが世の中で、「バランス」ほど難しいものはない。自分の事でも難しいことを、子どもに供与できるだろうか?教育は苦悩であり、苦闘である。親が良くないと思うことも、「良し」とせねばならない。

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親や教師は、「性行為」をしないものという前提で、尊敬があった時代に比べ、昨今はそうもいかない。子どもは性体験をした時、かつて親も同じようなことをしたのだ。今だってしていると思うだろう。「親がしているのになぜいけない」と短絡的になるのが、今時の子どもである。我々の時代は、大人と子どもには厳然たる境界線があった。時代時代の道徳的価値であろう。

大人になったらアレもしたい、これもできる、だから大人はいいな、早く大人になりたい。お酒も飲める。成人映画(18禁)も堂々観に行ける。女の子なら、お化粧して綺麗になりたい。自分の好きな下着や洋服を自分の収入で買える大人に早くなりたい。今の子どもは小中学生でもお化粧をする。「18禁映画?」そんな言葉はとっくの昔に死語である。これが良いのか悪いのか?

良くても悪くてもそういう時代の最中である。いつの時代にあっても、親は子どもにさまざまな、「ダメ」を持つ。「ダメ」には、親として許せない、「ダメ」と、社会的、生活的、普遍的な、「ダメ」がある。親の都合の、「ダメ」を子どもは問う。「なんでダメなわけ?」。親が勝手に決めた、「ダメ」と腹で思うから問う。これにキチンと答える親が、「良い親」と、自分の定義である。

子どもをみくびらないで、誠実に対応する親が理想だった。「ダメなものはダメ」は、傲慢でしかない。そんな言葉に納得する子、そんな言葉で抑えられる子どもは、親にとって楽かも知れぬが、自己主張できない子どもになろう。自己を主張できない人間は、自分の価値を持たず、持っても淡く、大部分は他人の価値を生きる人間である。果たしてそれを、「生きた」といえるのか?

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人いろいろ、クレームいろいろ

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広島「セビロ屋」での一件は、言い分けして、客を罪に陥れて逃れようとするから、商品卸し先の本部から謝罪を言われても、詫びる理由がないではなく、ウソがばれたから示しがつかないのだろう。「過ちては改むるに憚ること勿れ」と故事にある。自分が誤りと悟ったなら、躊躇なく、すぐ改めるべき。体面や思惑から改めるのを恐れてはいけない」の意。

あくまで自分の、「誤り」に気づいた場合の処置だが、悪だくみを意図した確信犯であれ、社長・重役連中揃い踏みでのお決まりの謝罪光景もしらじらしい。それでもあのようにすべきなのだろうが、こちらの方が真の悪人かも知れぬ。意図や思惑がバレたなら、「喧嘩するしかないか」のスタンスが、見方によっては正直かもしれない。物の見方は視点を変えれば面白い。

人は、「悪人」を憎むというが、「善人」を妬む場合も広義の、「憎む」であろう。何も悪いことをしていない、むしろ世のため人のためを思う、「善人」が憎まれたりする。そういう、「善人」と凡人たる自分を比べると、「善人」に歯がゆさを感じる人もいたりする。むしろ、自分より劣る人間の方が、見下したりバカにすることができるゆえに貴重で、彼らは善人より必要な人間だ。

ドストエフスキーの『白痴』は、「善」について語られた本だが、上記の論理でいうなら、人より優れる、「善人」は、周囲にとっていいことにはならず、人より劣ることこそ、「善」であろう。だから白痴にならざるを得ないのだが、「善」の道徳が社会を覆うなら、人はたえず人より劣ること、貶められていることこそ素晴らしい社会となってしまわないだろうか。

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優秀さや卓越さが、「善」であるがゆえに抹殺される社会にあっては、進歩や向上をやめてしまうのではないか。これがニーチェの道徳批判となっている。善人ばかりをひとまとめに集団を作ると、善人同士がいがみ合い、妬み合って、憎しみあうことにならないか?善人ばかりの社会は、必然的に悪人を生み出していかないか?高偏差値優秀校にも同じことがある。

雑多な世界(社会)には、人さまざまな価値観が混在するが、全員が東大を目指すというような、つまるところ、全員が同じ目的を持った集団の中では、他人への優しさは芽生えないだろう。他人と凌ぎ合うことで、人の成績の下降を喜ぶことは当然となるし、人を蹴落としてでも這い上りたいという切羽詰まった心理は、人間的に異常と感じるが、どうなのだろう?

そういう気持ちを内在し、本質的に憎しみ合いながらも誰もがそれを隠す。モー娘やAKBなどの集団に必然的な妬み、いがみ合いと同じものとみる。「クラス会に出席する人、しない人」の違いには、ある種の傾向があるというが、すべてとは言わないまでも一理あろうか。また、高偏差値校に妬みはあれどいじめはないというが、青白インテリにいじめのエネルギーはない。

いじめはバカの暇つぶしという側面がある。そんなことより、高偏差値校の基本は、「勉強が一番大切なことで他の事はどうでもいい」という価値観が生徒の中で育つだろう。そのため、イジメなんかしている場合ではなく、勉強に時間を割いた方がいいという発想になる。また、私立の高偏差値校は男子校、女子高が多く、間接的に恋愛を排除している。

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「低レベル高校はいじめが多いから避けたい」という保護者の心情は理解できるが、いじめというものを全く目にせず、傍観経験もなしに育つのはどうだろうか?純粋培養の温室で無菌状態で育つ植物の耐性はない。雑多な人間の中で、雑多な価値観が存在することを知る子と、全員が同じ目的でひたすら学業オンリーで明け暮れる子と、親はどちらを望むのか?

「三浦問題」に名を馳せた将棋連盟の一件は、棋士の社会的無知を晒したことで、棋士を天才集団と崇めたファンをガッカリさせてしまった。「奴らはこれほどバカだったのか?」と自分も偽らざる感想を持った。バカというのは、偏りが激しく大きく、物事の全体が見えないこと。棋士は、「大局観」という言葉を使うし、我々も身につまされることが多い。

が、それはあくまでも81マスの盤面の中でのことであって、棋士がどれほど社会人音痴であったことに驚かされた。将棋の強さは尊敬に値すれども…と正直な気持ちである。チェスのボビー・フィッシャー、ピアニストのグレン・グールドの奇行は、彼らが奇人であることを示しているが、一つ事に没頭し、精根尽き果たす人間こそが、天才と言われる資質にいる。

世俗社会から隔たりのある天才の話はひとまず置いておき、実社会のどこにでも起こりそうな問題は種々あるけれども、「セビロ屋」での一件は、自分としても店と客の間で絶対に起こり得ないほどに不思議な事件であった。ネット通販では、「商品を見れない」、「手に取れない不安」が顧客にある。顧客に限らず、販売側にも見えない客という不安もあろう。

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商品の瑕疵や不具合を公示せず、見えないのを逆手にとった悪辣な販売はかつてほどなくなったものの、解消できない見えない不安は、メールや通話なりで双方が解消する。先日通販で卓上盤を買った。高齢者ともなると足腰に問題を抱えた人も多く、椅子に腰かけてが好まれる。そこのホームページに以下のクレームがあり、いろいろな客もいるものだと実感する。

「肝心の碁盤の商品説明に偽りがあり、我慢して使ってきましたが、大変不満です。見るたびに気分が悪くなるので、もったいないのですが、貴店の商品は廃棄し、改めて他店から購入します。通販は外れがあることを分かってはいても、貴店の誠実そうなホームページに騙されて残念です。購入した商品のホームページ画像を拡大してみると、「下辺左隅の第1線」が若干太くなっています。

天面は無キズとなっていますが、本漆による、「太刀盛り」に問題があります。指摘した箇所(気になり箇所はあるが、他は概ね良)は、職人が一度目にうまく引けなかったため、「二度引き」したのでしょうね。その部分だけ「線がずれて、太く」なっています。目障りで、気になって仕方がありません。(実物大に拡大して見て下さい)天面は無キズですが…と記載されています。

その通りです。確かに無傷です。しかし、肝心の本漆による、「太刀盛り」の技に難あり。それなら、もう一度鉋をかけて、線を引き直せば良いのではありませんか?たかが5万円の商品に、そこまで批判するかと思われるかもしれませんが、信用し、期待していただけに、日に日に悔しい思いが強くなりました。次の商品を購入してから、うっぷん晴らしに叩き割って捨てるつもりです。

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榧一筋40年、もとい、榧「二筋」40年。大変、感情的なコメントで大人げないことは分かっていますが、二度引きはご法度でしょう。被害者を増やさないよう、職人の腕を磨きをかけ(失敗したら、もう一度鉋をかけ)、誠実な商売を心がけて下さい。加えて、ホームページの商品紹介欄に、「一部、二度引き箇所あり、気になる方は他の商品をお勧めします」との表記をしていただきたかったです。

碁盤には申し訳ないが、叩き割って、店主と職人に対するうっ憤をはらさない限り、気持ちが収まりません。最後に、〇〇様、私こと〇〇の会員登録を抹消して下さい。抹消の報告を待っています。詫びは要りません・通販で買った私が馬鹿でした。勉強させて下さり、ありがとうございました。」

感想を言えば、この顧客はクレーマーではなく、真面目でガチガチの人のようだ。客の苦情は、自身が少し無理と解釈に思える。苦情はいいたくないし、自己責任として自らを断罪しているようだ。が、それでも無念さからか、「うっぷん晴らしに叩き割って捨てるつもり」という言葉がそれを示す。些細なクレームか否かはともかく、言ってみるべきだった?

店は以下の返答をしている。「せっかくご購入いただきましたのに、当店の商品確認不足、ご説明不足でご不快な思いをさせてしまい誠に申し訳ございません。心よりお詫び申し上げます別途メールを送らせていただきましたが、当店では不良品等に対し、返品・返金を承っておりますので、ご遠慮なくお申し出ください。また、ご依頼通り会員情報も取り消しいたします。

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お店の対応は(事後であるが)誠実そのもので、このような感情露わの大人げない書き込み、「うっ憤晴らし」と自身で書いている下種なクレームの類を、あえて掲載することで今後の些細なクレームにも対応する用意が感じられる。それにしても、こうまで書き込まなければ気持ちが収まらないのなら、一言いえばよかったのでは?あまりに顧客の陰湿さを感じられる。

これは、「自己責任」というより、「自己責任」に名を借りた意趣返しであり、まともなクレームというより、お店の信用を落としてやろうとの魂胆、底意地の悪さが読み手に伝わり、嫌悪感を抱く。こういう人も、「人」であり、こういう客も、「客」である。感情丸出しのブログに醜態コメントを置く人も同様、消えてなくなる言葉と違って、残る文字は恥を晒し続ける。

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