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喜ばしいことに笑みを、怒りには鉄槌を、哀しい時は涙より奮い、楽しければハメはずす。長文愛好者限定ブログですが、我慢して読む方歓迎。「なげ~の書くな、このアホンダラ!」という方、さようなら・・・。

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    「この本の中に見出されるのは、仕事中の『地下的なもの』、穴をあけ、掘り、掘り崩すものである。そのような深みでの仕事に眼が利くとすれば――、光と空気に長いこと不自由した結果の辛苦をあまり漏らさず、彼がどんなにゆっくりと、慎重に、穏やかだけれども仮借なく、前進して行くのが分る。その暗黒の仕事中で、彼自身満足している、ということだできよう。

    何らかの信念が彼を導き、ある慰めがその努力の償いをしている、というようには思われないか?おそらく彼は、自分もやはり持つであろうものを、彼自身の朝、彼自身の救い、彼自身の曙光を知っているからこそ、彼自身の長い暗黒を、彼の理解しがたい、秘密な、謎めいたものを持ちたいのだ、というようには思われないか?…たしかに、彼は戻ってくるだろう。」

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    ニーチェの『曙光』の序文の冒頭である。『曙光』は道徳的な偏見に対する思想で、ニーチェはカントの『純粋理性批判』を、「道徳の王国」と揶揄、カントがそれを著した理由を、「事物の道徳的な秩序が理性の側から攻撃される可能性があることをカントがあまりに強く感じていたから」とした。自然と歴史によって道徳は反駁されたにも関わらず、カントは道徳を信じていた。

    「慣習とは反対の道を行け。そうすれば常に物事はうまくいく。」このルソーの言葉は、カントの道徳を蜂のごとく刺している。確かに慣習とは常識的な人の行う習慣である。人間の割合で言えば8割程度を占めるくらいか、多くの人がやっている行動のことである。慣習が面白いとか、無意味でバカげているとか、根拠のあるなしに無関係に人はしたがっている。

    慣習など面白いものでも楽しいものでもなさそうだが、客観的にみると「面白いな~」と思う慣習は結構ある。結婚式は「大安」、葬式は「友引」をはずす、といったカビクサイものから、いい加減腐っても良さそうな因習・悪習の類も多い。最近何かと話題の土下座だが、ヨーロッパやアメリカにこんな習慣はない。「文化」といえばそれまでだが、これって可笑しくないか?

    外国人は土下座を、「アジア人の深い謝罪の行為」と考えているようだが、メディアなどを通じてあまりにも頻繁にこの行為を目にしたり、謝罪でなく正式な挨拶でこの姿勢がとられることを知ると混乱するようだ。また、謝罪と同義の姿勢が礼拝に使われる国家もあり、これは謝罪というより神に対する祈りである。神ならぬ人に向かってこの姿勢をとることに不快感を抱くという。

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    土下座謝罪を強要させる側は、「神気分」に浸りたいのだろうかと。人を土下座させて喜ぶ知能の低さ、空疎な頭の中身、そう考えるのが妥当である。土下座程度で気分がよくなり怒りが収まるというおバカ相手なら、土下座も股くぐりもしてやったらいいと思うし、いわゆる韓信気分。土下座をしながら、「どうしようもないバカだな、コイツら」と精神的優位にたてばよい。

    土下座も深々と頭を下げるお辞儀も、冷静に考えると我々日本人にもいささか滑稽に思えたりするが、お辞儀や土下座が外国人に奇妙に映るのは当たり前だ。確かにヨーロッパの国に軽いお辞儀のような仕草はあるが、欧米諸国では感謝の意を示す時には、基本は相手の目を見ることが鉄則とされているが、日本では"メンチ切りをかます"といって、怒りの仕草である。

    挨拶は仕草だけではない、言葉にも現れる。「お忙しいですか?」、「おかげさまで」などは日常的に行われているやり取りだ。関西では「忙しいでっか?」、「ぼちぼちですわ」などと。これが欧米諸国の人達には理解できない。「忙しい=成功、偉い、凄い」という考え方がない。彼らは、「忙しいですか?」と聞かれると、「不幸にして多忙です」というであろう。

    ここでも何度か書いたが、やたら「忙しい」を口癖にする奴は無様で仕方ないと思っていた自分は、かなり前から、①忙しい、②めんどう、③疲れたを三大禁句としている。こんな言葉は情けないの極みであるほか、①忙しい=無能、②めんどう=横着、③疲れた=弱音だと自身に言い聞かしている。独り言で「ああ、疲れた」は、これ見よがしに相手に言わない分、いい。

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    「暑いな」とか「寒いわ」と同じであろう。「イク~」と自然に出る女に「どこに行くんだ?」と冗談言ってシラケさせるのはよくない。止めた方がよい。「日本人はすぐに謝る。謝るのがお好きな国民なのね~」と外国人は思うようだが、取って付けたような謝罪の安売りは好きになれない。女の子同士の生活慣習なのか、やたら「ごめ~ん」という言葉が反射的に出る女がいる。

    女社会ではとにかく面倒をおこさぬよう、謝っておけば人間関係が保てるということなのか、どうなのかよく分からないが、自分はそのように考えている。ちょっとした言葉に目くじらたてたり、嫌味に感じたり、女は細かいし、目ざといし、そういう中から何かにつけて、「ごめんね」が生まれたのでは?男同士ではそういう細かな意識がない。よほど神経質な男は別として…

    日本人の、「すみません」は、外国人の、「Thank you」と同義のお礼言葉。「ありがとう」というプラスの感謝表現が、なぜ「すみません」という謙った言葉になるのか?言われてみれば可笑しいが、これが日本人的、「謙譲の美」。自分が謙ることで相手を持ち上げるという文化である。したがって、謙りの態度が見えない若者は、「生意気」ということになる。

    「君は生意気なんだよ」と上の者から言われた直後、その理由を問いただしたことがある。もちろんワザとであって、そういう言葉を返されてどう反応するか興味があったからだ。「どういうところが生意気なんでしょうか?そういう印象を持たれるなら直したいので教えてください」と言ったところ、「そういう物言いが生意気なんだよ」といわれてしまった。

    イメージ 4相手も不意を突かれて返答に困ったようで、同じような言い方をしばしば見かけるし体験もする。「その言葉そっくり返すよ」という言葉。これほど無能極まりない言葉はないと思っているし、言われて思わず声を出して笑ったこともある。「そっくりそのまま返すって、ちょっと横着すぎないか?省かないで同じ言葉を言った方がいいぞ?」と返したことがある。

    そんな言われ方、相手も予期してないだろうから、言われた時点でパニクっている。最近、コメントで久々にこの言葉を見たが、こういう言葉をいう奴は大概において無能であろう。同じように、既成の言葉を使う奴もで、自分で考えた言い方なり反論なりを考えないような人間が議論(言い合い)なんかできるはずがない。借り入れ言葉を言った時点でアウト!

    人の真似をするのが流行といわれるようだが、昔、イッセイだったかケンゾーだったか、どちらだったと記憶するが、「流行とは流行っている服を着ることではなく、今あなたが着ている服こそ流行だ」というのが印象に残っている。VANヂャケットの創始者石津謙介はこういった。「IVYというのはオシャレじゃないんです。昔の古い洋服を着ることなんです。

    オヤジのおさがりを着る、オヤジのそれはまたおじいちゃんから貰ったもの…」。つまりは物質的に長持ちさせるというのではなく、長続きする、させたいという精神的な価値観を大事にすることであろう。トラッド(trad) とはトラディショナル(traditional)短縮した俗語的表現で、「伝統的な・伝統に則った」という意味である。今IVYtradといわれることが多い。

    人間は「拘る」部分と、「拘らない」部分を使い分けることがある。「何ごとも拘らない」という人は嘘であろうし、「物事には絶対的な拘りを持つ」というのも嘘であろう。そんなに物事を突きつめては生きてはいけないし、厳格なカントでさえそうであること、そうでないことを分けていた。同じように、ここは譲れぬ部分、鷹揚に流していい部分がある。

    「慣習を打ち破れ」、「慣習とは反対の道を行け」とニーチェやルソーはいうが、そればっかりだと頭が狂ってしまう。与えられた分量、与えられたサジ加減で、順応型と反抗型に分けられよう。先人の残した道を全否定というのではなく、大事にすべきもの、変えて行くべきものを自己の判断でやって行く。大事なのは思考であり、戒められるべきは安易である。

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    自分の考えや意見に自信が無いし、間違っているかもしれないし、できたら失敗はしたくはないし、迂闊な意見を言ったりで人から注視されると恥をかく。自身の意見に対してどう思われるか、なんと言われるかを気にしてしまって消極的になる。あるいは意見をすることで自分への風当たりが強くなることを避けたいから、押し黙って多勢に従う。慣習に添って生きる。

    こういう生き方が決して悪いとは思わない。こういう生き方をしたい人、選ぶ人はそういう生き方が自分にあってると思うのだろうから、それも自分にあった生き方と言える。心の中で、自分の真の生き方ではないな、そういう不満が抑圧的になるなら、変えよう、変えてみよう、自分の納得行く生き方に目を向けてみようと、自律で思うなら、それはその時のこと。

    一般的に人間の自律は安易さを選びやすい。放っておけば安易なことしかしないし、そこには挑戦もない。指導的立場の人が、指導的な意味でそういう人間の保守を良しとしないなら、それこそ指導名目で様々な啓示や暗示を与えることはできる。人を成長させる一つの方法は、責任を与え、期待していることを知らせ、苦労をさせ、汗を流させることだと思う。

    彼らを過保護にし、甘やかせ、彼らの代わりにやってやるよりも、彼ら自身でやらせることである。潜在的な能力を秘めた人はいる。それを見抜くのも指導者かもしれない。が、それは指導者の質の問題と言える。優れた指導者、優れた教師、優れた親が如何に少ないかというしかない。確かに闘って得た喜びは半端ないものだ。大いなる闘いのうちに大いなる喜びがある。

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    どんなに優れたアイデアや、卓越した才能を持っていても、それらすべてを自分で着想することなど誰にもできない。客観的な視点も大切だが、何より大事なのは優れたアイデアを実行する行動力である。折角のアイデアも卓越した才能も、行動しなければ宝の持ち腐れである。自らが自らの能力に開眼することもないではないが、多くは他人の目に見えるものだ。

    行動的な人間は、知識の吸収などに対しても意欲的である。言い換えると教育、訓練などに対しては、消極的、傍観的であってはならないということ。安全を求めて退却することもできる、成長を求めて前進するかを選ぶこともできる。ある時点に立って、過去を悔やんだり未来を案じるのも結構だが、今この時に「行動できる」という事を忘れてはいけない。

    何かをやる事への怖れ、特に人がやらないことに対する怖れは強い。セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長兼CEOの鈴木敏文はこう言っている。「人間は自分が思いつかないことには反対する。一方、私は人が思いつかないことには、それだけ価値があると考える。実行すれば、差別化が生まれ、結果として成功に至る」。これは"人のやれない事をやれ"の奥儀。

    慣習どおりにやっていれば無難、問題は起こらないというのが常識的な考え方であるが、『慣習とは反対の道を行け。そうすれば常に物事はうまくいく』。このルソーの言葉を真に理解するために、穴の空くほど言葉を眺めているうちに言葉の真意が読みとれる。「慣習」すべてに反旗を翻せといってない事も分る。「常に物事がうまくいく」との言葉の奥に潜むものも見えてくる。

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    文字は単に記号に過ぎず、単純に読めば単純であるが、言葉は読み手の深さに対応するし、生き返る。そこが言葉の面白さでもある。主体性が無い。自分で直面している問題を、人生を乗り越えていこうという意志が無い。責任感が無い。責任を取るつもりが無い。しかし、権利は得れるだけ得ようとする。だから人は、これはこうだ。これが人間なのだという。

    だとしたら『その逆』をしたくなる。 現世的人間にあっては自身の現世的目標を達成した人、ほんとうに幸福な人、あるいは満ち足りている人にはめったに出会えない。それでも我々は、自分の一生に関わる問題を、多数派の考えに委ねている。「疲れた~」と口にする人は多い。疲れるのは仕事のせいではなく、心の持ちようが悪いのだ。だからそんな言葉を言わない。

    航海は安全なほうがよい。安心の航海なら切符を買う人は多い。それでもタイタニックは沈んだ。不沈と言われた船である。世界貿易センタービルは現代のタイタニックと言われていた。ボーイング社のジャンボ・ジェット機が衝突しても崩壊しない設計といわれていた。人間は言葉を駆使するが、いかなる言葉も、「あり得ることは起こり得る」を内包している。

    イメージ 8ひとたび社会に足を踏み出し、楽に生きていける世の中などあり得ない。こんなことは分かっているといいながらも、世間の只中でうごめいているのが人間だ。哲学者は暗示に満ちている。「お金持ってきなさい。幸せになれますから」と宗教者とは違う。今の世代を象徴するものの一つに、安楽な生活を求めるという風潮がある。趣味にあった暮らし、暢気な生活などなど…
    あまりにも安楽という風潮が強いためか、苦しみを「悪」としか見ない人は多いのではないか?『苦労は買ってでもしろ」というが、ワザワザ苦しみを買いたい人はいないだろう。が、目の前に立ちはだかる苦しみをプラスにはできる。『夜と霧』の著者として有名なオーストリアの精神科医・心理学者ヴィクトール・エミール・フランクルに面白い言葉がある。


    ◎「そもそも、我々が人生の意味を問うてはいけません。我々は人生に問われている立場であり、我々が人生の答えを出さなければならないのです。」

    ◎「どのような状況になろうとも、人間にはひとつだけ自由が残されている。それは、どう行動するかだ。」

    ◎「幸せは、目標ではないし、目標であってもならない。そもそも目標であることもできません。幸せとは、結果にすぎないのです。」

    ◎「誰しもが、後で振り返って、あの苦しみを通らないでよかったかと聞きなおされたら、みんな、いや通ってよかったというであろう。」

    どの言葉に共感するかは人それぞれだ。自分は最後の言葉が好き。「後悔先に立たず」という慣用句を排除し、人生のすべてを受け入れる。率先して苦しみに飛び込んで行ったとしても、「いい体験だった」の方が光る。その苦しみに耐えかね、自らの命を投げ出した人が、「死んで得したと思わない」、「死ななきゃ良かった」などと言わない方が、霊としてもカッコイイ。


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  • 05/19/15--18:13: 時間と音楽

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    『時間ですよ』というテレビドラマがあった。TBS系列で、久世光彦プロデューサー兼演出に向田邦子脚本のコンビに、森光子を中心として堺正章、悠木千帆(後の樹木希林)、天地真理、浅田美代子の顔ぶれが懐かしい。第1回放送は1970年2月4日で、平均視聴率は不明だが、最高視聴率は、1972年(昭和47年)3月15日放送分の36.2%という驚異的な数字を出している。

    天地真理、浅田美代子人気もあったが、銭湯が舞台のこのドラマは、女湯シーンのヌードが売りでもあった。5年前の1965年7月4日に、同じTBS「東芝日曜劇場」の単発ドラマとして『時間ですよ』が放送され、好評であったことから5年後に連続ドラマ化されることになった。このときの脚本は橋田壽賀子、演出は橋本信也で、連ドラ化の際の脚本も橋田が担当した。

    ところが演出が久世に変わり、橋田の脚本にアドリブシーンを入れるなど、それに嫌気がさしてか橋田は第三回を持って降りてしまった。橋田以外の脚本家が後を継いだが、向田邦子はカラー放送となる1971年の第二クール以降を担当した。『時間ですよ』という珍妙なタイトルの意味は何であろう?「おかみさ~ん、時間ですよ~!」と、堺の掛け声でドラマは始まる。

    いろいろな意味にとれるし、「○○の意味です」と決めないで、視聴者にいろいろ考えさせる方がよいという一種のテクニックであろう。5月1日の記事に書いたボブ・ディランの『風に吹かれて』、吉田拓郎の『イメージの詩』などの歌詞と同様の手法である。単発ドラマの『時間ですよ』を連ドラ化企画段階でのタイトルは、銭湯にもじって『セントウ開始』であった。

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    『時間ですよ』は単純だし、含みがあっていいタイトルだ。堺正章の料理バラエティ番組『チューボーですよ』は、同局の『時間ですよ』にちなんでつけられ、二十年を超えた長寿番組となっている。チューボーは厨房のこと。「おかみさ~ん、時間ですよ~!」の掛け声は、銭湯の営業開始の意味と、視聴者に対し、『時間ですよ』が始まるの、ダブルミーニングであろう。

    ドラマの始まりに「時間ですよ~」というアイデアはインパクトがある。「時間」とか「時刻」とか、われわれは日常しばしば使うが、そもそも「時間」という奴は正体もないし、「物質」でもないから実体はよく分らないが、確実に存在する何かである。多くの物理学者・哲学者が、よってたかって研究したり、現在も研究をしているが、「時間」の正体は分っていない。

    物理学的な単位の他に、感覚的に占める割合も多く、それが「時間」を分りづらくしている。生体時間なんて呼ばれたりするが、「時間」には個人差があると聞く。つまり、個体差がある時間を時計や暦などを使って統一している。これにアインシュタインの「相対性理論」を加味し、光速に近い速さで進む乗り物は、中の時間は進み方が遅いといえばますます分りづらい。

    「双子の兄弟のパラドックス」である。地球上では南極だろうがアメリカだろうがエベレストの頂上だろうが、1時間は1時間という、一般的に考えられている普遍的な絶対時間は、相対性理論において否定されている。物理学では「時空」という言葉がでてくるが、時空とは時間と空間を合わせて表現する物理学の用語、または 、時間と空間を同列に扱う概念のことである。

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    難しく考えずとも、今、我々が住んでいるこの空間、宇宙そのものが時空である。われわれの地球上で流れる時間と、200万光年以上先のアンドロメダ銀河にある同じ惑星の中で流れる時間は、時間と空間が不可分であることでいうなら同じであろう。ただし上に提示した光速で進むロケット内での時間の進み方は遅くなるので、地球に帰ったら双子の兄弟の年齢は開いている。

    時間なきところに空間はなく、空間存在なきところに時間はない。これが時空の不可分である。ホーキング博士は、もし、本物のブラックホールがあったら、その特異点では時間がないとのこと。時間が無いが、あらゆる可能性を持った量子的な何か。時間無いと時間停止は別だから、時間停止の世界に空間は存在する。そもそも物理学では時間を止めての記述は多い。

    こういう事を考えるより、美味しいステーキの店でも探すのが世俗人であろう。「時間よ止まれ!」と掛け声かけると、本当に時間を止められる少年がいた。その名は大西三郎といい、愛称サブタン。手塚治虫のマンガの主人公である。タイトルは『ふしぎな少年』といい、1961年5月~1962年12月に月刊誌『少年クラブ』(講談社)で連載された。テレビドラマにもなった。

    1961年4月3日~1962年3月31日にNHKで放送された。主人公サブタン役には当時人気子役の太田博之、サブタンの姉役にジュディ・オング(なぜか?)であった。ジュディは1950年生まれだから当時11~12歳。サブタンが「時間よとまれ!」っていうと、通行人やら何やら周囲の役者さんたちが、ぴたっと動きを止めるはずなのだが、下手くそがいてゆらゆら動いたりする。

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    それが翌日学校で話題になったりする。「昨日のそば屋の出前の人、とまれー!っていわれたのに動いてただろ?」みたいな。時間を止められるサブタンが羨ましかった。「時間よとまれー!」の言葉も流行ったし、言われたら止まるのが掟であった。「透明人間になれるのと、時間が止められるのと、空をとべるのと、どれがいい?」などは男の子の常時会話であった。

    今の時代、同じことを言うのは矢沢永吉だろ。「時間よ止まれ」などと歌っているが、彼の詞ではなく、岩崎宏美の『聖母たちのララバイ』やゴダイゴの『銀河鉄道999』の山川啓介の作詞である。それにしても時間を止めるということは…、よくよく考えると矛盾がありすぎる。人の動きが止まると心臓も止まり、司令塔の脳も止まれば生命体が生きていられるはずない。

    子どもの頃は考えもしなかったことだが、たとえていえば、それだけ子どもが純粋だったのだろう。今はなまじ知識があるからこんなことを考えてしまう。所詮はあり得ない話だし、ミソもクソも一緒にした思考は不純千万だ。ということで、『時間よ止まれ』ではなく、『時計を止めて』という歌。グラシェラ・スサーナというアルゼンチン出身の歌手がヒットさせた。

    彼女は『サバの女王』、『アドロ』などが有名で、ハッキリした日本語で歌っていた。コニー・フランシス、サルバトーレ・アダモ、ジョニー・ティロットソン、ミーナ、ジリオラ・チンクェッティ、ヘドバとダビデなど、日本語の上手い外国人を思い浮かべたが、日本人より日本語を丁寧に歌う。矢沢や桑田、今は亡き桑名正博らは巻き舌で日本語を英語風にしたりする。


    かつて60年代のアメリカンポップスが流行っていた当時、日本語訳を盛んに歌っていた伊東ゆかりは、所属する渡辺プロの社長渡辺晋から、「おい、ゆかり!コニーのように上手く日本語を歌えないのか?」と、皮肉混じりに言われたことがあるという。確かにコニー・フランシスの日本語は絶品であった。スサーナもハッキリした日本語と抜群の歌唱力が人気だった。

    「時計 (El Reloj) 」は、メキシコの Roberto Cantoralが作曲した曲を、かも・まさるが訳詞したラブソング。「時計を止めて」という別の楽曲もスサーナは歌っているが、こちらはジャックスの水橋春夫の詞・曲。どちらも"時計を止めて"という願いの歌である。今のこの恋を終らせたくないから、二人の時間が進まなければいい、だから時計を止めてと切に歌っている。

    時計なんぞ止めなくても、壊れて動かない時計をして出ればいいではないか?と、そういう問題ではない。時間を止めて恋が進まない方がいいというのは、恋が進行して終焉するのをあらかじめ予感しているからこそ、時間が進まないのを願っている。スサーナのレパートリーに、『粋な別れ』というのがある。この歌は、石原裕次郎やちあきなおみら多くが歌っている。

    ♪生命に終わりがある、恋に終わりがくる~という歌いだしである。終る恋など追わないで、粋な別れをしようぜと結んでいる。詞・曲ともに浜口庫之助であり、本人に聞いて見なければ分らないが、想像はできる。「粋」の意味は、気質・態度・ 身なりなどがさっぱりとあかぬけし、自然な色気の感じられるさま。「粋」とは江戸時代における美意識の一つである。

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    ものによく通じていること、あるいは通じている人をいう。つまり、さっぱりとした別れ。別れなどあって当たり前という風に物事の通じている人なら、無理に追ったりしない。そういう別れが「粋な別れ」。有り体にいえば、「去るものは追わず」が粋な人だ。去ろうとする者の気持ちになってみればいい、しつこく追いまわしても迷惑千万であり、これは「粋」ではない。

    「浜口庫之助/自作自演集」というCDがある。1.愛のさざなみ 2.夕陽が泣いている 3.ここがいいのよ 4.黄色いさくらんぼ 5.恍惚のブルース 6.銀座の子守歌 7.風が泣いている 8.涙くんさよなら 9.花と小父さん 10.雨のピエロ 11.バラが咲いた 12.粋な別れ 13.夜霧よ今夜も有難う 14.月のエレジー 15.えんぴつが一本 16.甘い夢 17.港町涙町 18.愛しちゃったの

    聴いてはないが、タイトル通り本人が歌っているのだろう。彼の歌声を始めて聞いたのはサンヨー・カラーテレビの「サンカラー 薔薇」というCMだった。当時はおっさんの声に聴こえたし、実際おっさんであった。CM放送は1969年、浜口は1917年生まれだから当時は52歳の申し分のないおっさんである。カラーテレビの色を分りやすく表現した言葉が印象的だった。


    浜口庫之助は不思議な音楽家である。彼の音楽経歴はハワイアンから始まった。あの時代の洋楽の仕事は米軍キャンプ回りで、ハワイアン、ウエスタン、ジャズがメインであった。浜口はハワイアンから、ラテン⇒ジャズと進んだ。だからか浜口の書く歌謡曲には、それらすべてがエキスになっている。『バラが咲いた』という曲、アレとてフォークではない。

    そんな浜口が、ロックバンド(というよりグループサウンズ)のザ・スパイダースに『夕陽が泣いている』という楽曲を提供した。この曲は、メンバーうちでもかなり物議をかもしたし、「こんな曲やってられん」(ムッシュかまやつ)、「この曲を始めて聴いて、スパイダースはこれはもう世も末だと思って悲しかった」(近田春夫)など、様々な反応があった。1966年のこと。

    始めて聴いた自分は、「これって演歌?」であった。それほどカッコよくないスパイダースは好きでなかったし、変テコなGSくらいに思った。ジャンルがどうかはともかく、『夕陽が泣いている』は120万枚の大ヒットで、以降スパイダースは露出も増え、人気急上昇となる。過去の『ノー・ノー・ボーイ』、『ヘイ・ボーイ』、『サマー・ガール』などは全く売れていない。

    同じような事はガロの、『学生街の喫茶店』でもあった。こちらはすぎやまこういちの曲だが、ガロはCSNを目指した玄人肌のグループであったし、メンバーは涙目で歌謡曲を録音をした。商業的に成功するのと、やりたいこととは相容れないものである。売れるのは悪い気はしないが、好きで始めた音楽でありながら、嫌なことを強要されることのジレンマか…

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    アーチストというのは、"売れてなんぼの世界"である。趣味でやるのと業としてやるのと、そこが違う。本当に好きな事は「業」より「趣味」でやる方がいいという考えもあるが、好きなことをやって食って生きたいというのも人間の「業(ごう)」である。ある時期、受け入れられても時代の変化に対応できない作曲家は多い。一言でいうなら世代観の違いである。

    一世を風靡した筒美京平も今の時代は見る影もないし、東海林修、川口真、来生たかお&えつこ姉弟や、宇崎竜童&阿木燿子、村井邦彦、すぎやまこういち、都倉俊一、鈴木邦彦、林哲司ら職業作曲家の時代は終焉した。中村八大、いずみたく、宮川泰、古賀政男、浜口庫之助、井上大輔など、今は亡き往年の大作曲家たちも数々の名曲を生み、一時代を築いた人である。

    そういえば筒美京平はこのようなことを言っていた。「同時代の職業作曲家に怖れはなかったし、自分の自信が損なわれることはなかったが、吉田拓郎の出現には驚異を感じました」。拓郎は、いわゆるシンガーソングライターの走りで、彼の後から中島みゆき、ユーミン、桑田圭祐、小田和正らが現れた。職業音楽家が消えるきっかけは、シンガーソングライターである。

    その拓郎、ユーミン、みゆきでさえ、時代遅れとなり、今の時代にあった曲を書けないでいる。人はその時代にしか生きていけないのだろう。音楽も文学は新陳代謝の激しい世界である。洋服は流行はあっても蘇生と崩壊として繰り返されるが、音楽はそうはいかない。小室哲也や坂本龍一がどんなに張り切っても、一度死んだ作曲家が生まれ変わることは無い。

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    それぞれの職業音楽家にはいい時代があったのだ。彼らはその時代にあった曲しか書けないのである。まさに、「時計を止めて~」の心境であろう。もう一度あのよき時代に戻れないものかと、幻想を抱くことはあるかも知れないが、戻る事はないのは彼らが一番分っている。ブライアン・ウィルソンもポール・マッカートニーも、エルトン・ジョンもビリー・ジョエルも、同様である。

    彼らは昔取った杵だけでコンサートをやっている。いや、やれている。それで食っていけるというところに、彼らの楽曲の普遍的凄さがある。日本の流行歌というのは、単に流行であって、時代をまたがない少数民族御用達であるということか。オールディーズといわれる名曲、スタンダードナンバーといわれる名曲を聴くと、世代を超え、時代をまたぐ名曲であるのがわかる。

    「歴史に残る名曲」で検索すると、まさに各人各様である。これは世代によっても時代によっても、またジャンルによっても変わって来るし、今日の一位は明日の五位かもしれないし、順位とは恣意的、感覚的な要素も強く反映する。よって投票で決める以外は、個人的な主観というしかない。以下の曲がリストアップされているが、共感はするが個人の嗜好であろう。

      ◎ USA For Africa - 「We Are The World」
      ◎ ABBA - 「Dancing Queen」
      ◎ Billy Joel - 「Just the Way You Are」
      ◎ Carpenters - 「Top Of The World」
      ◎ Whitney Houston - 「Saving All My Love For You」

    日本の流行歌にあっても、好きな曲=名曲とは言えないが、名曲の普遍的定義もまた難しい。時々YouTubeを聴きながら、つくづく、「この人たちって天才だな~」と、歌唱(楽曲よりも生来の声質)で感じるのは、美空ひばり、松田聖子、石川さゆり、八神純子、キム・ヨンジャ、玉置浩二である。聴いているとすべてを奪われ、もっていかれるような説得力がある。

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    二十世紀生まれのわれわれとしては、表題にした「二十世紀最大の○○」と言うのは結構気になったりする。順位をつけるのも難しいが、順位にはそれなりに根拠があるだろうし、その根拠を聞いたり考えたりするのがこれまた楽しい。「○○」にはいろいろな言葉が入る。「発明」、「発見」、「理論」、「人物」、「音楽」、「文学」、「事件」、「ミステリー」、「選手」…

    これらのほとんどは、ジャンルにまたがるし、ジャンルごとに区分けをしないと結論を得るのが難しい。発明も発見も理論も人物も、一切にジャンル分けは必要だろう。また、最大も最高も同じ意味である。先日以下の記事が目に入った。「二十世紀最高のバレリーナ、プリセツカヤさん死去。享年80歳」。彼女はロシアのマイヤ・プリセツカヤといい、自分は知らなかった。

    様々なジャンルがあるといったが、バレーについてはほとんど知識が無い。興味が無いと言った方がいい。興味のないことに人は知識を持たないものだ。二十世紀最大の発明はインスタントラーメンという説がある。説というより、これは20世紀最後の2000年、日本人に対して世論調査として行われた結果であり、2位はカラオケ、3位はSONYのウォークマンであった。

    インスタントラーメンの理由として、早くて、汎用性が高くて、温かい食事が摂れるし、便利であることこの上ないといわれれば納得する。発明者の安藤百福(日清食品)曰く、「全ての人々が満足に物を食べられる時、世界に平和が訪れる」だそうだ。彼は日本統治時代の台湾生まれで、後に日本に帰化した人物である。日本人の発明にはブルーレイとかCDとかデジカメとかもある。

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    票は割れるだろうが、やはり即席ラーメンの汎用性、便利さには勝てないかもしれない。一体何人の日本人が即席ラーメンの世話になったであろうか?そこを加味すると、やはりインスタントラーメンは不動であろう。自分はラーメンは思いつかなかったし、ふと浮かんだのは温水洗浄便座である。ビデも便利であろうし、これは性器の、いや世紀の大発明であろう。

    日本人だから日本人に目が行くのだろうが、自分に二十世紀最大の影響を与えたのはビートルズである。彼らの世界的な影響力は、バッハやベートーベンに匹敵するであろうし、それくらい彼らの音楽は音楽史において「bible」といわれている。当時思春期全盛の自分にとって、音楽以外にも様々な影響を与えてくれたビートルズは細かく研究され、「学問」にまでなっている。

    それら自分の知らないビートルズを、細部までさまざま知りたいとの欲求も兼ね、改めて調べ、新たな発見を得たいとの気持ちにかられた。彼らはどうして出現したのか?どうしてビートルズになり得たのか?彼らの音楽とは何だったのか?彼ら生き様とは何だったのか?知るほどワクワクしてくるビートルズである。そのビートルズはとっくに終っているのだけれども…

    ビートルズの原型は、ジョンを中心に1957年に結成されたスキッフル・バンド「クオリーメン」といわれている。スキッフル(Skiffle)とは、20世紀前半のアメリカ合衆国で生まれた音楽ジャンルで、ジャズ、ブルース、フォーク、ルーツ・ミュージック、カントリー・ミュージックなどの影響を受けた音楽で、手作り楽器、即席の楽器を使うことが多かった。

    イメージ 4スキッフルは、1950年代にはロニー・ドネガンを中心にイギリスでブームとなったが、ドネガンの成功がなければ、ほとんど忘れ去られていた音楽である。一説によると、1950年代末、イギリスには3万から5万組のスキッフル・グループがいたものと推定され、多くのイギリスのミュージシャンたちが、この時期にスキッフルを演奏することでキャリアをスタートさせている。
    ザ・フーのロジャー・ダルトリー、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジ、ディープ・パープルのリッチー・ブラックモア、ホリーズのグラハム・ナッシュらは、スキッフルからスタートして後世に名を残すことになった。中で最も有名なのは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンら、後のビートルズのメンバーが在籍したザ・クオリーメンであろう。

    クオリーメンの名称は、リヴァプールのグラマースクールのクオリー・バンク(Quarry Bank)に在籍していた校名から取られたが、クオリーは採石場の意味もあり、石=ロックの意味もあった。以降はジョニー&ムーンドッグス、ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ、シルヴァー・ビートルズと改名を繰り返し、ビートルズと改名するまでに複数のメンバーが入れ替わっている。

    ジョンとポールの劇的な出会いは、1957年7月6日、リバピール・ウールトンのセント・ピーターズ教会が開催したガーデン・パーティーに出演していたクオリーメンのコンサートをポールが観覧したことによる。演奏終了後に共通の友人であるアイヴァン・ボーンの紹介で、ポールはジョンと対面する。その際ポールはギターを弾いて、ジョンに歌を披露した。

    エディ・コクランの「トゥエンティ・フライト・ロック」、ジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ア・ルーラ」、リトル・リチャードのメドレーを歌う。(John meets Paul for the first time - History.com This Day in History - 7/6/1957)。トランペットやピアノも演奏でき、楽曲の歌詞を完璧に覚えているポールにジョンは感心し、彼をクオリーメンに勧誘した。

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    数日後、ポールはクオリーメンへの参加を承諾した。翌1958年2月6日、ポールの紹介でジョージ・ハリスンがクオリーメンのオーディションを受ける。「ローンチー」を完璧に弾きこなした事と、2人よりも多くのコードを知っていた事でジョンに認められ、バンドに加わる。1959年になると他のメンバーは辞め、バンドはジョン、ポール、ジョージの3人だけになる。

    同年10月、バンド名を「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」とした。1960年1月、スチュアート・サトクリフがジョンに誘われベーシストとしてバンドに加入する。同年4月、ジョンとスチュアートによりバンド名をビートルズとする提案がなされるが、クラブ出演の仕事を依頼してきたブライアン・キャスがその名称を嫌い、出演条件として改名を要請された。

    その際、「ロング・ジョン&ピーシズ・オブ・シルヴァー」という名前が提示され、互いが譲り合う形で「ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ」に決定する。その後ロング・ジョンがとれ、「シルヴァー・ビートルズ」と名乗る様になった。が、同年8月の最初のハンブルク巡業における「カイザー・ケラー」出演広告に、「The Beatles」と記載されている。

    ロング・ジョンとはジョン・レノンの芸名で、ポールは、「ポール・ラモーン」、ジョージは、「カール・ハリスン」、スチュアート・サトクリフは、「スチュアート・ド・スタール」とそれぞれ芸名を名乗っていた。あの吉田拓郎も入江剣という芸名を考えていたらしく、所属事務所の社長に、「バカか、お前!演歌歌手じゃあるまいし」と反対された。彼は、「吉田」も「拓郎」も嫌だったという。


    The Beatles」の名称は今や知らぬものはいない、「bible」となっているが(Beatlesフリークならだが)、いわゆるbeatと、かぶと虫などの固い昆虫beetleの造語で、ジョンとスチュアートが考えた。ジョンは尊敬する、「バディー・ホリー&ザ・クリケッツ」のクリケッツ(こおろぎ、スポーツのクリケット)にあやかり、昆虫の名前で2つの意味を持つバンド名を考えた。

    当時のジョンのヘアスタイルはいわゆるソフトリーゼントで、バディー・ホリーにそっくりである。バディーといえばフェンダー・ストラトキャスターが代名詞で、1954年にフェンダー社が発売以来、60年間もその地位を形を(ヘッドは多少変わったが)守っている。1960年代にデビューしたミュージシャンには、バディーの影響でストラトキャスターを手にしたと語る者は多い。

    そんなバディー信者であったジョンが、なぜにストラとキャスターでなく、リッケンバッカーであったのか?ジョンとリッケンバッカーとの出会いは、デビュー前に巡業に行っていたドイツのハンブルグである。当時のイギリスでは保護貿易政策を堅持し、アメリカ製品が国内に入ってくるのを制限していた。ギブソンやフェンダーはイギリス国内では買えなかった。

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    しかしながら、リバプールは貿易港であったため、船員を通してアメリカの製品が手に入った。ジョージのグレッチ(アメリカ製)も、船員が手放した中古品を買ったもので、ジョージはグレッチ愛用者チェット・アトキンス信者であった。ポールのトレードマーク、へフナー社のバイオリンベースはドイツ製だが、このへフナー社のものはイギリスでも買えたようだ。

    したがって、ジョンやジョージもへフナー社製ギターを使ったりしていたが、彼らはアメリカ製のギターに強い憧れていた。そんなジョンが、ハンブルグの楽器店で見つけたのが、リッケンバッカー325だった。これを選んだ理由というより、当時彼が買うことができた唯一のアメリカ製のギターが、リッケンバッカー325だったといった方が正しいかもしれない。

    それに加えて当時ジョンが好きだったベルギー出身のギタリスト、トゥーツ・シールマンスがリッケンバッカー製ソリッドギターを使っていたということもあった。当時は高価なものであり、買った当時は木目の見えるナチュラルだったものを後日、黒に塗り替えている。最初の325はリッケンバッカー社で3本試作されたうちの1本で、1958年にNAMMショーにて展示されたもの。

    それがサンプルとしてヨーロッパに渡り、巡り巡ってハンブルグのスタインウェイ・ミュージックの店頭に並び、たまたま立ち寄ったジョンが見初めて彼の愛器となったということで、リッケンバッカー325とジョンの出会いは運命としか言いようがない。なぜ体や手の小さい人向きショートスケールを選んだかの理由は不明だが、写真に見る感じがカッコいいからか?

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    そもそもリッケンバッカー325がなぜ超ショートスケールで生産されたかというと、当時325の対象ユーザーは初心者向けであったといわれている。つまり、弾きやすいという理由でショートスケールであった。また、小柄ではあるが一部中空のセミソリッドゆえに生音は以外に大きい。生音の大きいソリッドエレキを良いギターという定義はあるが、価値観は人によって違う。

    ショートスケールのハイポジションはフレットがつまって弾きにくく、リードギターで使う人はいない。ピックアップとボディの間にはゴムパッド(グロメット・ラバー)が、サスティンを押さえ、伸びの無い乾いた音を出すよう設計されている。低音をカットする装置が付いていて低音域に迫力もなく、325はフレット音痴と言われるほど場所によってチューニングが合わない。

    こんな実用的価値の低い(?)ギターが新品で4~50万円、中古でも2~30万円というのも、いわずもがなジョンの偉大さであろう。ビートルズの初期の写真にみる、ジョンのリッケンバッカー、ポールのヘフナー、ジョージのグレッチ、リンゴのLudwigのブラック・オイスターカラーのセット、これらすべてがこだわりというか、自分には革命的に思えてならない。

    いろんなギターを試したい、いろんな柄のドラムセットで金のあるところを見せたい(?)、彼らには一点豪華主義というのか、一途なところが見受けられた。それにしても、リンゴはなぜLudwigのブラックオイスターカラーに拘ったのであろうか?普通なら別なカラーで気分転換したいと思うが、バスドラムやタム類のインチアップをした以外カラー変更は無い。

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    細かい点ではリンゴはタムホルダーを替えている。Ludwig社に標準装備のレール式タムホルダーは、使うと分るがセッティングが非常にやりにくい構造で、そのためかリンゴはセッティング容易な、Rogersの「Swiv-O-Maticドラム・マウント・システム」に変更している。Rogersのボールクランプ式タムホルダーは当時としては画期的で、セッティングを容易にした。

    ビートルズマニアにとってLudwigは幸運なことに、ビートルズ関連の楽器の中では恵まれているかもしれない。と言うのも、60年代であればほぼ同一の仕様で手に入るからで、これがギターやベースだと1年余りの差で、仕様が変わっていたりするが、Ludwigは守備範囲が約10年間と長期間のため探しやすいが、リンゴはどんなスネアを使っていたのかも興味深い。

    リンゴはごく初期には英国Premier製のセットとスネアを使っていたが、以後は一貫してLudwigで通す。Premierといえば真っ先にアニマルズのジョン・スティールが浮かぶが、ザ・フーのキース・ムーンが有名で、現在もキース・ムーンモデルがNAMMショーに出品されている。他には、バディー・リッチ、フィル・コリンズらで、抜けのいいスネアの評判はいい。

    リンゴのLudwigのこだわりは一穴主義といっていいほどで、Ludwigのドラムセットを手に入れてからは、解散するまでLudwigの同一モデルのスネアを使っていた。それがJazz Festivalモデルと呼ばれるウッドシェルのスネアである。リンゴ研究者によると、カタログでは5"×14"サイズとなっているが、当時のリンゴの写真では、Jazz Festivalは5.5インチくらいに見える。

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    研究者によると、ブラックオイスターの模様や、特徴あるストレイナーの位置からして、同一のスネアであることが確認されている。いいもの、気に入ったものが一つ見つかると、やはりそれでなきゃいけないようになるし、だからそればかり使い続けることになる。良い物一点の音に慣れてしまうこともある。リンゴはそうであったはずだし、ジョンもポールも、もちろんジョージもである。

    もしビートルズがステージ毎に、ストラトやレスポールや335、プレシジョンやジャズベースや、ブラックオイスター以外の赤やグリーンやゴールドなどの派手なドラムセットであったなら、ビートルズという不動のコンセプトは生まれなかったかもしれない。現にビートルズが初来日した時のギターがエピフォンで、なぜかガッカリした記憶がある。これがビートルズって?


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    リンゴ・スターのLudwig、Ludwigはリンゴ・スター、などの言い方はいかにも素人っぽいが、われわれ素人にはリンゴがLudwigを有名にしたように映る。さらには、ジョンがリッケンバッカーを、ポールがヘフナーを有名にしたのは間違いない。ならばグレッチはジョージ?と思いきや、正しくはチェット・アトキンスである。が、アトキンス以降のグレッチをジョージが有名にしたのも事実であろう。

    グレッチのドラムを有名にしたのはベンチャーズのメル・テイラーか?始めてグレッチのロゴを見たのはメルであった。もっともベンチャーズ(カーペンターズもしかり)なんてのは、日本だけで人気があったようなもので、グレッチ社も創業は1883年と古いが、後発のギブソン社(1902年)、フェンダー社(1945年)、ラディック社(1909年)に押されて経営危機状態になる。


    グレッチは当初、バンジョー、タンブリン、ドラムが主力であったが、ドイツ移民であった創業者のフレデリックが1895年に39歳で死去し、子のフレッドが会社を継いで以降、アメリカを代表する総合楽器メーカーとして成長していく。日本のヤマハも創業者の山葉寅楠(1851年4月20日 - 1916年8月8日)が、1台の壊れたオルガンを修理したのをきっかけに会社を興した。

    それが今はピアノ、菅弦楽器、オートバイ、モーターボート、スキー・アーチェリーなどのスポーツ用品、オーディオ、電子楽器、半導体、保養施設などレクリエーション事業、生活リビング機器、音楽教室、英語教室、音楽ソフト事業など幅広く展開している。2008年にはスタンウェイと並ぶオーストリアのピアノメーカーベーゼンドルファー社買収には驚いた。

    かくヤマハは大企業でありながら、イノベーションを作り出すことをミッションに掲げている。むか~し、ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)を始めたころに当時の川上源一社長が、「楽器を売る前に音楽そのものを売りたいし、埋もれたアーティストを発掘したい」というようなことを言っていた。ポプコン出身者でビッグになった人、一発屋で終わった人、イロイロだ。

    文学賞受賞者にも一発屋は多いが、この一曲、この一作にかける情熱が強くても、地道に活動するとか、他人から要請されて、それに沿って曲を作る(プロとしての適応)ことが得意かどうか、で選ぶコンテストではない。オフコース、チューリップ、チャゲ&飛鳥、長渕剛、佐野元春などは入賞どまりで、グランプリ受賞者のみゆきと世良以外は一発屋である。

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    それは「イカ天」にも言える。グランドチャンピオンで生き残っているのは誰だ?コンテストというのは、その日、その場が良かったという事であって、将来性のある人間というのは、その日、その場の良さとは別であろう。少し話が反れたが、総合楽器メーカーのグレッチは、1950年代に全盛期を迎えたが、チェット・アトキンスが使用したことによるものだ。

    アトキンスにならって多くのカントリーやロカビリーのギタリストが、グレッチのギターを使用し、グレッチはギター業界においてギブソン、フェンダーと並ぶ地位を獲得した。モンキーズのミッキー、マイクがグレッチのドラム、ギターを使用していたが、これは提供されたものである。1960年代後半ギター業界はフェンダー、ギブソンに二分され、グレッチは経営難となる。

    2003年、グレッチはギター部門がフェンダー傘下に、2015年にはドラム製造メーカーdwの傘下となったことが発表された。さて、グレッチの代名詞となったビートルズのジョージが最初に手にした「1957 Gretsch 6128 Duo Jet」のシグネチャー・モデルの説明によると、ジョージはこのギターをリヴァプールのタクシー運転手から中古で買い取ったようである。

    イメージ 2これを読むとこのギターがジョージの手に入った経緯がまさに歴史を紐解くように記されている。「1957年、イヴァン・ヘイワードはクレッチ・デュオ'57の新品をニューヨークで購入した。タイムズスクエアの近くにある小さなギターショップで、210ドルだった。さらにイヴァンは、ビグスビーのビブラート・ユニットを同じ店で購入、このグレッチに取り付けた。

    4年後の1961年の夏、イヴァンは故郷のリヴァプールに戻り、タクシー運転手をしていた。イヴァンは何らかの理由で、持っていたグレッチを手放すことにした。リヴァプールのバンド、ザ・デラカードスがイヴァンの運転するタクシーに乗り込んだとき、イヴァンは自分のグレッチを買い取らないか、と持ちかけた。デラカードスは断ったが、仲間に話してみると約束した。

    デラカードスでサックスを吹いていたニール・フォスターは、そのころビートルズでベースを弾いていたスチュアート・サトクリフを知っていた。そこから話が出て、イヴァンのもとにジョージ・ハリスンから電話があった。ジョージは黒の革のズボンをはいていたが、一方で丁寧な受け答えをする青年であった。ジョージは当時「Futurama」という質の悪いギターを弾いていた。

    憧れのグレッチ・ギターを手に入れれば、ジョージにとってはめざましい進歩になるに違いなかったが、その時ジョージは70ポンドしか持っていなかった。イヴァンはグレッチ・ギターを90ポンドで売ろうとしていたが、ジョージがとても熱心で、このギターへとても惚れ込んでいたため、70ポンドでジョージに売り、20ポンドの借用書をつけた。後にジョージはこの20ポンドを返済している。

    このギターはジョージのメイン・ギターとなり、キャヴァーン・クラブやハンブルグでの演奏のみならず、1963年の『プリーズ・プリーズ・ミー』の録音に使われた。1987年のインタビューで、ジョージはこのように語っている。「これは僕の最初のアメリカ製ギターだったんだ。中古で買ったけどよく磨いたんだよ。これを持っていることはとても誇らしいことだった。」

    その後、ジョージはこのギターをクラウス・フォアマンに譲った。クラウスはベーシストであり、同時に『リヴォルヴァー』や『アンソロジー』シリーズのジャケットを画いたイラストレーターである。クラウスはこのギターを大切に保管していた。ジョージはある日、クラウスにこのギターのことについて話をした。「まだ持っているなら僕に戻してくれるかな、って聞いてみたんだ。

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    僕の昔の思い出が詰まっているからね。クラウスから返してもらった後、ピックアップやスイッチをオリジナルの状態に戻したんだ。」ジョージはその後、自身のヒット・アルバム『クラウド・ナイン』のジャケット撮影のとき、このギターを持ち出し、いっしょに写真におさまった。こうして、名実ともにジョージの代名詞的ギターのひとつとなったのだ。

    胸が熱くなるようなまさにビートルズの歴史のワンページである。歴史をたどることの意味は知識を持つことではない。地図をたどって見知らぬ地に足を踏み入れるように、歴史をたどる事はそれと同じこと。見知らぬ地(事)に足を踏み入れ、新しい体験をする。新しい体験は未来だけにあるのではなく、過ぎ去りし日に同じように存在する。まさに歴史はロマンである。

    このことを知った後にジョージのグレッチを持つ姿を見れば、思いも深まるし、知るということはその人となり、あるいは物となりの共感を深めさせてくれる。ジョージが知人に一度は譲ったギターを返してくれといったのは、決して金に困ったわけではないし、それなら非礼と批判されてしかりだが、返却したクラウスもジョージの気持ちを理解したはずだ。

    物はお金で購入するが、物はお金以上の特別な価値になっていることが多い。それを愛着と言ったりもする。「まだ持っているなら僕に戻してくれるかな、って聞いてみたんだ。昔の思い出が詰まっているからね。」と、この言葉はジョージのけれんみのない、正直な言葉であろう。われわれはシグネイチャー・モデルという形で、先人と同じ楽器にあやかる至福を得る。

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    ジョージ・ハリスンが所有していた1957年デュオ・ジェットのシグネイチャーは30万~40万はするけれども、ジョージファンは値段以上の価値を体現するのだ。実際に使用したものがオークションなどに出回ることもあるが、数百万、数千万、さらには数億という価格になるし、これはもうファンというより、マニアあるいは金持ちの道楽、あるいは利殖と言う域である。

    ビートルズ関連でいうと、ポールが初めてコードを覚えたギターが62万ドル(約7100万円)、「ペイパーバック・ライター」をレコーディングした際にジョンが使用したというグレッチ6120は従兄弟に渡っていたが、オークションで100万ドルの値がつくと思われていたが落札されなかった。ジョンのグレッチといえ、レコーディング一回限りでは興味の対象外だったのかも…。以下記事。

    2014年11月23日にTracksAuction.com主催のオークション「Beatles And Rock 'n Roll Memorabilia Auction. November 2014」が開催されました。目玉はジョン・レノンが「Paperback Writer」の録音に使用したというGretsch 6120ギターでした。開催前は1億円を超える落札の予想もありましたが、結局は最低落札価格(40万ポンド=約7300万円)の入札が無く落札されなかった

    このギターはジョンのいとこのDavid Birchがジョン・レノンからもらったものだそうで、David本人は、今回のギターよりさらに有名なブルーのストラトキャスターを所望したそうだが、ジョンは承諾しなかったという。そういう意味ではグレッチ 6120は、ジョンにとって価値の低いギターだったのかも知れない。オークションにはそういった要素も付加価値となる。

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    出自が明確で、かつてはリバプールの博物館「The Beatles Story」やクリーブランドの「 Rock And Roll Hall Of Fame」に提示された実績や、ビートルズ研究の大家マーク・ルイソンのお墨付きがあるとなれば本物であるのは間違いない。とはいえ、このギターのジョンのキャリアへの貢献度と出品者側のつけた価格が折り合わなかったのか、落札ならなかった。

    ジョン・レノンの楽器関連ではもう一つ目玉の出品があった。こちらの方が歴史的価値からいっても高いといえよう。ジョンが始めて手にした1本目のRickenbacker 325のピックガードとベグ(チューナー)。1972年にこのリッケンバッカーの調整を依頼されたRon DeMarinoがジョンから譲り受けたものとのことで、調整の結果要らなくなったパーツをもらった。

    以前日本のジョン・レノン・ミュージアムに展示されていた同ギターは、ビートルズ現役時代と大きく様変わりしていたらしく、これを手掛けたのがRon DeMarinoであった。このギターは世間のイメージ通り黒色であるべきだとジョンに進言したものの、ジョンたっての希望で色フニッシュを変えたという。こちらは無事22,000ポンド(約400万円)で落札されている。

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    他の出品物ではポール・マッカートニーがビートルズ時代に使用したピック。1964年10月16日A.B.C. Theatre(イギリス ハル)公演終了後にステージに上がった人がスタッフからもらったもの。こちらは3,200ポンド(約60万円)で落札された。同日の公演を収めた録音テープも今回初めて出品されており、そちらは2,000ポンド(約37万円)で落札された。収録曲は下記の10曲。


     1. Twist And Shout
     2. Money (That’s What I Want)
     3. Can’t Buy Me Love
     4. Things We Said Today
     5. I’m Happy Just To Dance With You
     6. I Should Have Known Better
     7. If I Fell
     8. I Wanna Be Your Man
     9. A Hard Day’s Night
     10. Long Tall Sally




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    ビートルズについて述べるならば、それこそ分厚い「聖書」一冊では済まないかもしれない。まさに彼らは「bible」となっている。「二十世紀最大の○○」という言い方、区分けは、冷静に考えると何をもってになるが、そこは美人コンテストと同様に、一種のお祭り的描写と考えたらいい。いちゃもんをつける要素はいくらでもあるが、いちゃもんつけて得るものはない。

    いちゃもんにめげることなく、「二十世紀最高の美人は誰だ!」などと言い合うのもオツなもの。男は美人が好きだし、「二十世紀最高のブスは誰だ!」などはやる意味が無い。美人コンテストなどやる意味がないとの意見もあるが、それでも「ミス・ユニバース」、「ミス・ワールド」、「ミス日本」などのいわゆるミスコンが途絶えないのは、やはりやる意味はあるのだ。

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    それこそ、「ブス・ユニバース」、「ブス日本」こそやる意味がない。もう30年くらい前だったか宴席で「ミスコンどう思う?」という話題になったとき、決める基準などの様々な意見が乱舞したときに、自分がなんで「ブスコンをやらないんだと思う?」と振ったことがある。明確で納得できる答えはなかったが、「露骨な差別だろ?」は一理ある真っ当な意見である。

    それならミスコンとて差別であろうが、あれを区別と考えるのもなまじ間違いではない。世の中にはいいものとよくないものがあって、「いいものを区別して探す」というが、「いいものを差別して探す」とは言わない。ミスコン批判の先頭にあったのがフェミニスト達であり、過渡期には声を大にしてミスコン批判を行っていたフェミニストたちも近年は大人しくなったようだ。

    『弱者という呪縛』の中で、政治学者の櫻田淳氏は次のように述べている。「……フェミニストたちから蛇蠍のごとく嫌われているのが、ミス・コンテストですね。しかし、自分の容姿や容貌に自信がある女性にとっては、ミス・コンテストは、女性が周りから評価され、社会的に成り上がっていく機会だという言い方もできるわけです。それが、なぜ、いけないのですか。

    また、私には、いろいろと活躍している女性の友人がいますが、一流の仕事をしている女性たちほど、自らの女性性を伸びやかに打ち出しています」。という櫻田氏は出生時に患った脳性小児麻痺による重度身体障害を抱える宮城県出身の50歳。八戸第一養護学校中等部から青森県立八戸高等学校に進み、北海道大学法学部を卒業後、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程を修了した。

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    櫻田氏は、「入試や論文執筆の際、たとえ答えが分かっていて文章能力があっても、体が不自由なため十分なものが書けなかった。自分には能力があってもそれを十分に生かせる社会ではない」として、福祉政策の再考とバリアフリー社会の推進を主張した。また、乙武洋匡著『五体不満足』が巻き起こしたブームを批判し、論文「『五体不満足』を巡る奇妙な論理』を著した。

    本人は、「障害者という立場に寄りかかった活動」を批判したこともあり、福祉を題材にした言論を封印することを表明、それ以降は雑誌媒体では福祉を論じていない。櫻田氏は朝日新聞の「慰安婦虚報」問題の最中、以下の的確な主張をしている。「従来、朝日新聞の論調には、「とにかく、日本のナショナリズムは抑えなければならない」という認識が一貫して反映されてきた。

    この認識からは、対中関係や対韓関係でも、「日本がナショナリズムを抑え、中国や韓国に譲りさえすれば、万事丸く収まる」という発想が出てくる。「慰安婦虚報」も、こうした、「日本のナショナリズムを抑える」という意図に沿うものであったからこそ、根拠の乏しい記事が紙面に載り、その後に訂正されることもなく三十余年も放置されてきたのであろう。

    しかし、「日本のナショナリズムを抑える」という盲目的な姿勢は、朝日新聞が懸念する「ナショナリズムの危険」に向き合うにはあまり役立たない。それは、アルコールの害悪に対処するために、「禁酒法」制定で臨むようなものであるからである。ナショナリズムは、適度であれば近代国家における、「国民の統合」を担保する条件になるけれども、過度であれば対外関係に無用な摩擦や軋轢を生じさせる。

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    ナショナリズムに絡んで大事なのは、その「節度」を見極める議論に他ならない。加えて、朝日新聞は、「慰安婦虚報」で問われるべき事柄の本質が、「女性の人権侵害」にあると主張している。それは、「リベラル・メディア」にふさわしい見方であろう。そうであるならば、たとえばナイジェリアに暗躍するイスラム過激派、ボコ・ハラムの蛮行は、朝日新聞の論調の中では、どのように評価されたのか。」

    ナイジェリアのイスラム武装組織ボコ・ハラムは、2014年4月に女子生徒200人以上を暴力で拉致、売り飛ばすことで、日本でもその存在が知られることとなった。これはいわば、朝日新聞が、「慰安婦虚報」を通じて告発しようとした「女性の人権侵害」を現在進行形で再現されたものだが、ボコ・ハラムの蛮行が世界に伝わったのは5月8日であったが、日本にメディアはどうであったか?

    これを社説で取り上げたのは、毎日、産経両紙が最も早く5月11日付、読売新聞が15日付、東京新聞が17日付で続いたにもかかわらず、朝日新聞は、なんと事件露見から2週間近くたった19日付でようやく取り上げている。「リベラル・メディア」を標榜する朝日新聞がなぜに現在進行形の案件に鈍いのか?朝日は看板に偽りあり。これが朝日新聞に対する国民の疑念である。

    「朝日は、慰安婦虚報問題で揺れる今が、"『普通の国』のリベラル・ハト派メディア"脱皮への好機かもしれない。もしこの好機を逃し、脱皮が行われないのなら、朝日は『化石』になるであろう」と櫻田氏は指摘する。(2014.9.3 [正論])「従軍慰安婦ねつ造問題」や「吉田調書の問題」に直面する朝日新聞は韓国・朝鮮新聞の日本支局であり、日本人の読む新聞ではない。

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    朝日には中立的な記事が書けないイデオロギーが充満しているが、在日や、帰化した人が、多く入社しているに違いない。朝日は過去二度の廃刊危機があったが乗りきっている。いずれも今までの主張を翻し、自社の存続を優先させたからである。「チャライぞ!朝日新聞!」。いずれ、「集団的自衛権賛成」、「原発推進」、「靖国参拝賛成」、「憲法改正推進」を言い出すはず。

    日本国憲法の改正の是非を問う全国世論調査の結果を、マスコミ各社が伝えているが、本年5月2日までに報じられた結果は、以下の図表に示すが、朝日とNHKでは、2014年から反対が増加して賛成とほぼ拮抗する傾向。安倍政権の発足と集団的自衛権の憲法解釈変更や安保法制の論議などに世論が敏感に反応し、戦争放棄を定めた9条などの改正に慎重になっているのが伺える。

    朝日新聞社の2015年3月の世論調査(郵送)では、「変える必要はない」が48%で、「変える必要がある」43%を上回った。2014年に「変える必要がある」が大きく減少して、「必要はない」を下回り、2015年もほぼ同様の傾向。NHKは4月17日から19日まで、RDDによる電話世論調査を実施。「改正する必要あり」28%、「改正の必要なし」25%、「どちらともいえない」43%だった。

    2013年までは、「改正する必要がある」が「必要はない」を大きく上回っていたが、2014年からほぼ同数になった。産経新聞とFNNが4月25、26の両日に実施した調査では、賛成40.8%に対し反対が47.8%。共同通信社も4月29、30日の両日に電話世論調査を実施した。それによると、憲法改正に「賛成」は46.7%、反対は42.3%だった。憲法改正の要点は何はともあれ第9条である。

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    積極的な国際貢献のために、今の第9条が重荷になっていると考えるなら、もう少し9条という「リード」を緩めた方が良いとなる。他にも、首相を国会議員が選ぶとする第67条。首相を国民が直接選べるとする首相公選制にあっては、第67条を変える必要がある。その他にも条文の多くには問題点もある。国民の権利を守ると同様に、国民の義務もしかと条文に明記すべきであろう。

    いずれにしても戦後70年の節目に憲法改正論議は高まってしかりだ。主婦感覚でいえば、暮らしに直接結びつかないが、このままではよくないという部分は変えて行くのが慣わしというもの。「自分たちの国民の安全、命を他国の人たちの善意に委ねていいか、このこと自体を疑問に思わない方がおかしい」と安倍首相の言うように、独立国家は自主防衛が当然である。

    安倍首相の、「もちろん第9条では『自衛軍保持』を明記すべき」に対し、憲法9条を守ろうとする勢力(「護憲」とは主にここを言う)は、憲法9条が、「軍の暴走で先の戦争に突っ込み、無残な結果になった反省に基づいているので守り抜かねばならない」と主張する。どちらの言い分が正しいというよりも、護憲派の人たちは、上に記したように基本的に9条のみ躍起になっている。

    それ以外はさほど意識が無いにもかかわらず、「他の改正すべき条文を改正するにしても、改憲の一連の過程で憲法9条も改正されてしまうことに繋がるから」。などとまるで駄々っ子の主張する。もう少し9条以外の憲法全般をシビアに眺め勉強もし、真摯に憲法改正論議に加わらないとダメだ。「護憲」というレッテルを剥がしてテーブルに着く必要あり。

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    確かに第二次世界大戦はその犠牲者数からして、「二十世紀最大の戦争」であろう。軍人・民間人を含む日本人の死亡者数は、約300万人といわれ、6千万〜8千5百万人といわれている。 戦争は人類が起こす何よりも愚かな行為であり、それを遠ざけ、自分たちも他者も傷つかないようにしてきたのが憲法9条ということになる。人は都合のよい理由を持ち出して争いをする。

    正義の戦争などはこの世にはない。正義の聖戦も都合のよい論理であるが、人間がバカであることが戦争を引き起こす。二度の大戦を経て人間は賢くなったはずだから、憲法9条の箍を緩めてもいい時代になっていると信じている。もし、次の世界大戦を起こすなら人類はとてつもない悲劇に見舞われるはずだ。9条に拘っている人たちは自分も周囲も国家も賢くなったと思うこと。

    ということでミスコンに話を戻すが、「世界三大美女」というのが、一体誰がどういう方法で決めたのか?まさか投票というわけでもあるまいに…。というのは友人との宴席談義でも出たが、世界一美女も二十世紀最高の美女も、決められるはずがない。ミスコンにしたって審査員数人の中での趣味・嗜好という投票でしかない。戻ってミスコンは差別だというなら、出なければいい。

    出場する女性は差別と思わないから出るのであって、何も男が止めることもない。女性が出なければミスコンなど成立しないわけだ。努力しないで得た容貌も、努力の末に得た体型もあろうし、その努力の部分、先天的な部分について、何がしかの評価を競うのは受験勉強と似た部分がある。自分は知らないオリラジというお笑い芸人の妻が学歴自慢をして物議を醸したらしい。

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    オリラジとは「オリエンタルラジオ」といい、その一人の中田敦彦が慶応大学卒、妻の福田萌が横浜国立大卒であり、その福田がとある番組で、「私たち夫婦は、自分の力で学歴を掴み取ってきたという誇りがあります。努力の証明書として学歴がある」と発言したことが学歴自慢と叩かれた。自慢かどうかに関しては人それぞれだし、叩く人は自慢と感じたのだろう。

    そもそも自慢というのは感じる側の思いで、何を言っても、「バカなことを言ってる奴」と思われたら、言った事は自慢にならない。本人がどういう気であれ、受け取った人間が自慢と思えば自慢、バカと思えばバカ、それだけのことで、自慢話なんてのは相対的なものだろ。香山リカのように、嘘とかすっとぼけは、確信犯なら批判されるべきだが、自慢の定義は無い。

    本人が、「これは自慢です」と言えば自慢のつもりで言ったことになる。「私たち夫婦は、自分の力で学歴を掴み取ってきたという誇りがあります。努力の証明書として学歴がある」という言葉に自慢の文字は無い。あってもなくても、自分一人で何かをやってきたみたいな言い方はバカというより無知である。無知をバカと言ってもいいが、正確には無知であろう。

    同じようなやりとりがマイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」であった。サンデル教授が、「皆の中で、長男(長女)は手を挙げて」と声をかけると、なんと7、8割ぐらいの人が手を挙げた。サンデルは、「皆は自分の努力だけでハーバードに来てると思っているようだが、もちろん努力はあってもそれがすべてではないし、さまざまな要素がある」と広い視野で指摘した。

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    「総領の甚六」という言葉がある。総領息子(跡継ぎの長男)は大事に育てられ、将来の不安がないので、弟や妹 より凡庸に育ってしまうということ。をいったものだが、サンデルは長男(長女)の利(親が後先考えずにお金を継ぎこむ)ことを言ったものであろう。とかく親というものは初めての子に力を入れるモノだし、サンデルのいうように、第一子の利は確かにある。

    そういうことを含めて、「親のレールに乗ったわけじゃない。自身の意思で進路を決めて、自身の努力で学歴を得た」(福田の発言)は、無知も甚だしい。何を言ってもいいが、聴く人によっては、自慢と思う人、無知と思う人、嫌味に思う人、無関心な人、それぞれである。だから、何を言うにしても、言い逃げするのではなく、相手の反論にはキッチリ向き合うこと。

    つまり、自分の発言に責任を取れということだ。相手がどういう反応をするか分らないのが雑多な人間社会だから当然と言えば当然。そういう人間が広い視点で周囲を見渡せる頭のよい人間であって、学歴がどうの、勉強が良くできた、などはすべて過去のこと。もっとも単純にいえば、学歴は目的ではなく、(何かを成すための)手段だから、それ自体を自慢できるものではない。

    弁護士や医師も学歴(学問)が手段で、今さら自慢することもないが、サッカーやテニスの選手や、囲碁・将棋の棋士や歌手は、手段ではない学歴を自慢する者はいない。タレントやお笑い芸人は学歴は手段か?お笑い芸人を目指して大学に行ったのか?違うだろう?人と違う何かで、自分の優れた点を主張したいのだろうが、理性で押さえておけよ、人にいうことか?

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    最高学府の東大出身者は、「東大です」というだけで様々な反応を得る。それらに適切に答えるのが頭のよい人間かも知れない。特段、無視するのもある意味知性と自分はみる。知性のなさはさまざまにみることができる。誰かが何を言った、どうしたと、その事だけをガヤガヤいうこと自体が頭の悪さ、知性のなさ示す。小田島の著書を内田樹は以下解説する。

    学歴は、ワインのラベルか。誰もふれない、最後の「日本の陰険な謎」。 「学歴はワインと似ている。中身を鑑定するより、ラベルで判断する方が面倒が少ない」、「学歴は環境問題と似ている。抽象的な正義に賛成しながら、現実面では野放図なままである」――就職、恋愛、結婚、出世、人間関係から、有名人学歴スキャンダルにいたるまで、学歴という踏み絵をテーマに、縦横無尽に著した刺激的書。


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    「二十世紀最大の発明」が何かを、日本人が即席ラーメン、カラオケ、ウォークマンとしたが、1903年にライト兄弟が飛行機による有人動力飛行に世界で初めて成功したのも二十世紀である。鳥のように空を飛ぶのは人類の永遠の夢でであるからして、ライト兄弟の飛行機が二十世紀最大の発明というのは異論はない。ただ、彼ら以前にも飛行機を作る試みは行われていた。

    飛行機の原理やエンジンの発明も先人の功績であろう。「発明」といえば、何やら偉人が天啓を受けて無から有を作り出したかのようにイメージされがちだが、実際の所は、それまで個々に連続的に改良発展してきた科学技術の成果の上に立ち、①新たな手法によって質的・量的に飛躍的に発展を遂げたもの、②既存の諸技術を組み合わせ、新規に生み出されたものであろう。

    ライト兄弟もそれらを研究し、改良し、その集大成として実際に空を飛んで見せたのだが、航空機時代の幕を開けたという事が偉大なのだ。多くのジャンルの中で何が二十世紀最大の発明かの設問は、確たる答えがない以上相応しくないが、ある人は原子爆弾(1945年)といい、ある人はコンピューター(1949年)といい、またある人は三極真空管(1906年)という。

    理由は、その後のエレクトロニクス発展の転機となったこと。かつて『ロボット三等兵』というマンガがあり、主人公のロボットの主食は真空管であった。作者の前谷惟光(これみつ)がなぜこのような発想ができたのか?実は彼の父親は『子どもの科学』という児童向け科学雑誌の主催者原田三夫で、前谷自身も東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)中退の経歴がある。

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    前谷は終戦後、科学雑誌の挿絵画家を経て、1951年『火星の八ちゃん』(「少年少女読売」)、『トッピ博士』(寿書房)で児童漫画デビュー。彼の出世作『ロボット三等兵』は、トッピ博士が造った人間型ロボットである。元はロボットくんと言ったが、陸軍に入隊し、二等兵より下の三等兵に任ぜられ、軍服も与えられず、星無しの赤無地の階級章を胸にぶら下げている。


    臆病な性格で、常に上官にボヤキが絶えず、世界各地を転戦し、戦功をあげて上等兵やドイツ軍元帥にまで昇進するが、大体失敗して三等兵に逆戻りしてしまうというオチである。ロボットということで危険な任務に従事させられ、幾度も命の危機にさらされるが、それでも前線で戦い続けるロボットの健気さと悲哀さのバランスが、我々少年読者に微妙な思いを忍ばせた。

    当時の主流であった、『鉄腕アトム』や『月光仮面』などの勧善懲悪ものとは違ったユーモアとペーソスが自分にも影響を落としている気はしている。自分の父親と同年で、同じ戦争体験を持つ前谷は、1939年真珠湾攻撃(太平洋戦争開戦)の二年前に召集され、中国、ビルマ戦線を転戦、九死に一生を得た経験から、軍隊の卑劣で非情な世界をユーモアを交え画いている。

    真空管は電子機器には必要不可欠な能動素子で、その原理は、電子を放出する電極(陰極)を高温にし、その熱電子放出効果による陰極表面から、比較的電圧の低い電子を容易に放出させ、放出された電子を、電界や磁界により制御することで、整流、発振、変調、検波、増幅などを可能とする。二極真空管は、1884年にエジソンが発見し、1904年にフレミングが発明した。

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    二極管が発明されたイギリスを中心とした欧州では、その電極の数により、二極管のことをダイオード、三極管をトライオード、四極管をテトロード、五極管をペントードという。二十一世紀になって一般的な電気電子回路にける汎用的(整流、変調、検波、増幅など)に用いる目的の素子としては、多くが半導体に置き換えられ、真空管はその役割をほぼ終えている。

    が、2000年前後から一部オーディオマニアによる真空管アンプは人気の的である。真空管自体は信頼できる優れものの素子であり、かつてはコンピュータにも使用されたが、その重量はなんと30トンもあった。トランジスタの先輩であり、軽薄短小の先鞭としてのトランジスタや発光ダイオード(半導体素子)にその座を譲った。マニアのいう真空管アンプの何が魅力なのか?

    音楽は「聴く」ものである以上、それが音質であるのはいうまでもない。トランジスタと比べても信頼性やデータで勝っている部分はほとんど無いが、それでも真空管アンプの音質、音の違いとはどういうものか?感覚的なものを文字にするのは難しいが、一般的傾向として巷言われているのは、デジタル系アンプが寒色系、真空管アンプは暖色系の音といっていい。

    デジタルアンプのクールでクリアーな透明感のある音も捨てがたいが、蛍光灯の冷たい色に比べて白熱灯の家庭的な温かさという比喩も当てはまるかもしれない。周波数特性的には高音域の美しい伸びやかな音がファンを魅了するが、電源を入れてしばらくしてから点灯する真空管の灯りというのも、の癒しの世界感、またアンティーク感をかもし出すことによる人気もある。

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    エジソンが白熱電灯の実験中に発見したエジソン効果(加熱されたフィラメントから電荷が放出される現象=熱電子放出現象)で、その特許をとったがそれ以上の実験は行わなかった。それを後にイギリスの電気技術者、物理学者の右手・左手の法則で有名なフレミングが研究・実験の結果二極真空管が発明された。テレビのブラウン管も厳密な真空ではないが原理は踏襲はある。

    蛍光灯、ネオン管や、プラズマディスプレイ、いずれも真空中放電(内部にある低い圧力の気体の中での放電により、気体原子が電離してプラズマ発光が起こす)を使っている。二極真空管発明の2年後、リー・ド・フォレストによって三極真空管が発明された。電子工学の発展に寄与したことから、ド・フォレストもエレクトロニクス時代の父と呼ばれる一人である。

    交流→直流の整流効果しかなかった二極真空管に対し、そこに電極を一つ追加しただけの三極管が持つ電圧増幅効果が、その後の無線通信やコンピュータも含めた電子工学の発展に大きく結びついた。1929年のテレビ以降の発明品の殆どはこの発明の上になり立っている。発明というのは閃きもあるが、試行錯誤の末に生まれることが多い。ド・フォレストもそうであった。

    ところが彼はその動作原理を完全に理解していず、彼が製作したオーディオン管はガス封入管であり、本人は、「封入したガスがイオン化することで増幅作用を生じている」と主張していたが、実際にはほとんど真空だったために機能したことが後に判明した。ゼネラル・エレクトリック社のアーヴィング・ラングミュアが三極管の原理を初めて正しく説明し、大幅な改良を成し遂げた。

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    ド・フォレストは様々な予言をしたことでも有名で、1952年には、「マイクロ波の領域では、1つのチャンネルを複数の番組が共有できるような通信方式が工夫されると予測する(中略)マイクロ波はキッチンで瞬間的に焼いたり加熱したりするのに使われるだろう」。後の電子レンジのことだ。電気は光として照明、エネルギーとして調理、信号として通信、モーターとして運動に活躍する。

    どれだけ便利であるか計り知れない。電気のある時代の暮らし、ない時代の暮らしをくらべて、人間の労働一つとっても軽減されているし、肉体酷使から解放されたことも平均寿命の延びに寄与している。薩摩や津軽から江戸まで歩くのが当たり前だった時代の人間の肉体の強さ、精神の強さは、むしろ逆に学ばなければならない。東京まで歩くなど人間技と思えぬという現代人である。

    いつも思うのは、便利の恩恵に預かることで人間は弱くなっているはず。最近、なにげに40kmを歩いてみた。脚が痛くなると思ったが、スニーカーという文明の利器であるにもかかわらず、足の裏の皮が剥離し、水が溜まって歩けない状態になってしまった。水を出すことで痛みは軽減したが、歩ける状態ではなくなり、残念なことに乗り物を使うハメになってしまった。

    スニーカーなどなくて草鞋で江戸までと思うと、昔の人の凄さには脱帽である。子どもの頃、電気が何か不思議で仕方がなかった。今なら「電気とは銅線という金属の原子構造の自由に飛び回っている電子に電圧を加えると、一定方向に力線という流れ起き、様々な力として働くもの」と、小・中学生に説明するが、それでも分るまい。人間は自らが分ろうとする意欲あるのみだ。

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    面白いことに興味をもつ、知ろうとする、それが勉強(学問)の基本であろう。知りたくもないことを無理やり押し付けられるのが学習とは思えないが、それも勉強なのか?何だか嫌々勉強させられる子ども見ると、つい可哀想だなと思ってしまう。知識は欲求でなければならないし、「勉強したくないなら遊んでていい」と、言う親のどこがいけないのか?何が間違っているといえるのか?

    それでボロ学校に行くことになったとしても、その学校こそが子どもに相応しいのではないのか。偏差値40の高校にもたくさんの生徒がいるが、その子たちの何がいけないのではなく、勉強が嫌いだっただけで、みんな自分にあった学校に行ってるだけ。子どもに「勉強しなさい」というのはいい。口癖なんだろうから。しかし、言われてやるものでもないし、言っても効果がないなら諦めること。

    勉強の嫌いな子を偏差値の高い学校に入れようとする親は間違っている。と、この際ハッキリ言っておこう。したがう義務もないのだし。飲めばガンが消滅する特効薬と、ハゲに塗れば毛が生える軟膏が、二十世紀最大の発明などと言われたものだが、どちらも叶わなかった。二十一世紀になってはや15年、夢の特効薬は二十一世紀中に叶うのだろうか?

    今、ブログを書いてる人も、自分も、読んでるほとんどすべての人も二十二世紀を迎えることはできない。ガンは深刻だ。ハゲも病気ではないが、いっときほどではないにしろ、深刻には違いない。エルトン・ジョンは植毛に莫大な費用をかけた(費用は定かではない)し、サッカー・イングランド代表のウェイン・ルーニーも植毛をしたが、こちらは約230万円と安い。

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    ヘディングするときにツルっとすべるからではなく、視覚的な理由だという。アメリカのプロゴルファーで、現在賞金ランキング第一位($5,173,819)、世界ランキング第二位のジョーダン・スピースに以下の記事がある。スピースはラウンドを終える前、帽子を取ることを躊躇しているようだった。彼は明らかに気にしている。「こんな髪のラインだからね。ストレスが溜まる」と語っていた。

    1993年生まれの22歳、スピースはまだ青春真っ盛りなのに、どういうわけか薄毛である。どんなに稼いでいても、世界ランキング二位であっても、いかなる事情とはいえハゲは気になるらしい。一時期、アメリカ人はハゲを気にしないといわれたが、大嘘である。ブルース・ウィルスもニコラス・ケイジも、最近は常にズラ着用で映画に出演しており、役としての必然性はない。

    アメリカ人には若くしてハゲが多いようだが、理由はあるのだろうか?その前にハゲと言っても分類がある。①完ハゲ、②ハゲ気味、③M字型ハゲ。もともと毛髪が絹糸のように細いので毛量が多くても薄くみえる。したがって少し減ってもかなりハゲに見えてしまう。②のハゲ気味はスピースがまさにこれ。③のM字型はアメリカ人の頭髪の特質で、ハゲと定義していいものか?

    昔から「精力が強い(男らしい)」男はハゲが多いという。医学的に証明されており、男女共に頭髪には「女性ホルモン」が関係し、頭髪以外は「男性ホルモン」が作用する。したがって、比較的ナヨナヨした男は頭髪が濃く、たくましい精力絶倫の男性は、頭部においても男性ホルモンが女性ホルモンに影響を強めるために、それが毛根を破壊した結果ハゲるというもの。


    勢力絶倫男は、実は日本人より欧米人が強いとも言われている。また、肉食がメインになっているのでホルモンバランスが崩れているのがハゲが多い理由と聞いたこともある。またハゲは文明病と聞いた事があり、その証拠に未開人や後進国にハゲはいないという。これはストレスの度合いのことであろう。誰もすき好んでハゲたわけでもない。なのに、ハゲ、ハゲと嘲笑される。

    世の中、さまざまな疑惑があるが、ズラ疑惑は常に話題の中心となる。汚職や贈収賄にくらべてズラ疑惑はいたって害がないし、どうでもいい疑惑なのに誰も少しは気になる。やはりどこか不自然で、どうしてもバレる命運にある。バレた時がさらにカッコ悪いので、それが着けない理由というのは懸命であろう。二十一世紀最高のカツラというのは、はやり無理がある。



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    イメージ 1死というものに向き合うからこそ、いまの「生」が充実し、豊かになるってことだ。「僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ。」というマルローの言葉が思い浮かぶ。この言葉を知っていること、理解していることで、人の生き方には雲泥の差がつくし、自殺も少なくなるかも知れない。それでもマルローは死んでしまった(1971年没)。

    石ノ森章太郎の「サイボーグ009」」は、人の心を持ちながらヒトでも機械でもない存在となった悲しみを胸に、悪と対峙するサイボーグたちというストーリー設定である。ロボットの体となり、永遠の命を手に入れたとしても、人の生の活力は減退するのを作者は空想的に描いているが、「限られている」、「限りある命」とは、ある意味でポジティブな要素である。

    「人間というのは、すべて歴史の中で生まれ、歴史の中で死んで行く。ただそれだけの存在である。それ以外のものは何もない」西田幾多郎の言葉だが、そうであるにせよ人間は色々な事に関心を持ち、西田のいう投げ出された歴史の中にわれわれは生きている。であるなら、人は関心を持った物になれるという可能性が、人を生き生きとさせているのである。

    したいことをするのはイヌもネコもそうだが、自分がなりたいものになろうとするのは人間だけ。これが自由というものであろう。イヌはどう頑張っても出世はないし、せいぜい飼い主を喜ばせる芸犬になる程度である。傍から見ていると、食べることと散歩することがイヌの楽しみのように見える。ネコは自由奔放。ウシは頑張って草を食っても屠殺場行きだ。

    「将来何になりたい?」と言ってはみるが、「死」は100%この可能性を失くしてしまう。生あるものにとって死は絶対に避けられないものだが、自ら望む死は避けることはできる。神風特攻隊が自ら望んで散って言ったといわれるが、多くは美化された言葉である。「彼らは嫌々死んでいったのだ!」と国家がどうしていえる?それを言えるのは同時代の徒たち。

    他人の死はいろいろ見聞きするが、他人の死だけに他人事でしかない。人は誰も自分の死を見ることはできない故に、他人の死から自分の死のさまを想像するしかない。自身の死を主観的にどう捉えろというのかである。他人の死に遭遇して、命の大切さを噛みしめるしかなかろう。自分の命を主観的に捉えるということは、他人の命を大事にすることではないか?

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    人は欲望や嫉妬からいとも簡単に他人の命を奪ってしまう。かつて、「犬死に」という言葉があった。犬や猫を屠畜していた時代の名残りから出た言葉であろう。昨今は動物愛護法も整備され、犬や猫とてそうそう簡単に殺すのは許されない。そのようなことをすれば、「動物虐待」で逮捕・収監される。だから、「戦友が犬死にした」というのは、犬にとって失礼である。

    人間が生きるということは死に近づくことでもあるが、ある程度の年齢になれば否が応でも死を自覚することになる。自覚といっても普通の日常的生活の中にあっては、不治の病を宣告された患者や死刑囚のような切迫感はない。死が近づくことを「切迫」(Bevorstand)と、これはいかにも実存主義の用語であるが、差し迫ったものとして自身の死を自覚する。

    なればこそ今を、真剣に「生きよう」という覚悟が生まれる。これが、ハイデガーが『存在と時間』の中で伝えたかったことである。『存在と時間』におけるハイデガーの真の狙いは、「存在とは何か」を問うことにある。この問いはプラトン、アリストテレス以来西洋哲学が問い続けた根本的命題であったし、ハイデガーは、存在の問いをあからさまに反復したことになる。

    「存在」を明らかにするには神の存在も明らかにする必要がある。それが神の「存在論敵証明」といわれるものだ。その証明は簡単にいうなら、「神はもっとも完全なる存在者である。ということは、神はすべての肯定的な規定(神は全能)、(神は無限)をその内に含む存在者ということになる。ところで、「存在する」ということも一つの肯定的規定である。

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    神は当然この規定をも含んでいる。したがって神は存在する」。これはもう言葉のまやかしとしか思えない、「風が吹いたら桶屋が儲かる」的な論理だが、この証明は、11世紀にアンセルムによって提唱され、13世紀にトマス・アクィナスによって否定され、17世紀にデカルトによって復興され、18世紀にカントによって否認され、19世初頭にヘーゲルによって承認された。

    なんとも興味深い長い歴史をもつ。そうして近代になって論点が、神の「本質証明」(…である)の内に事実証明(…がある)も含まれるかどうかにある。これは、神という完全な存在者をモデルにし、「本質存在」と「事実存在」という分岐した二つの存在概念の関係を吟味し、「存在とは何か」という問いに答えようとする試みであると考えることができよう。

    近代になってライプニッツという哲学者が、「なぜ何もないのではなく、何かが存在するのか」(『理性にもとづく自然と恩寵の原理』)という思い切った問題提起をした。何もなければ事はいたって簡単であるのに、なぜ何かが存在するのか、いったいに「存在する」とはどういうことなのかを問うている。カントはライプニッツ哲学の系譜を引いている。

    よってカントも先の「神の存在の存在論的証明」を否定する根拠として、「存在は事象内容を示す述語ではない」というテーゼを「存在とは何か」の問いに持ち出し、答えをだしている。プラトンやアリストテレス、ライプニッツやカントのような、昔の人間はもういいというなら、現代の哲学者に聞いてみるべしで、ウィトゲンシュタインはこう言っている。

    「神秘的なのは、世界がいかにあるかではなく、世界があるということである。」

    「あらゆる存在者のうちひとり人間だけが、存在の声によって呼びかけられ、"存在者が存在する"という驚異のなかの驚異を経験するのである。」

    イメージ 4プラトン、アリストテレスが持ち出した「驚き(タウマツエイン)」に呼応するように、ウィトゲンシュタインは「何かが存在するという驚き」といい、ハイデガーも「"存在者が存在する"という驚異」とした。哲学者の「なぜ存在するのか」に対する答えは「驚異」ということになる。たしかに、いわれてみればその通り。それ以外に答えの出しようがない。

    それでも「存在」を極めようとするのが哲学者たる所以。われわれは「存在は驚異である」にしておこう。かつて『野生の驚異』という映画があった。『自然の驚異』とも言う。人間の存在も、営みも、ありとあらゆるものが驚異といえば驚異である。そもそも生命自体が驚異である。人間はたとえ大腸菌のような単細胞生命体さえ、人工的に作り出すことはできない。

    単細胞生物を作るための設計図(DNA)も、必要な材料もすべてわかっているし、そろえることもできるし、なのに原始的な有機生命体を試験官で作る事はできない。最新の実験設備を使った最良の環境で、金を湯水のようにつぎ込み、ノーベル賞学者が束になってかかっても、我々は大腸菌1個すら作れない。これを生命を驚異といわずしてなんといえようか。

    われわれ親は共同作業で子どもを作ったというが、「お前らが作ったんか!」と言われると実は違う。われわれはただ「やった」に過ぎないのだ。したがって新婚夫婦が「今晩、子どもを作ろう」というのは間違いで、「今晩やろう」というべきだ。品がなくとも正しくいうならそのようにいうべきである。排卵・受精・着床・出産のメカニズムは驚異である。

    「驚異」といってはつまらないので、神が創ったというのだろう。それなら驚異も驚異でなくなるし、ひたすら神の存在意義が大きいとなる。神など人間が作り出したものと考え自分としては、人間も卒がない。人智を超えた事はすべて神の仕業にすればいい。神がいなくても起こる事は起こるのが自然の驚異と思うが、誰かの、何かのせいにした方が落ち着くのだろう。

    ところで、神って地球で発生?宇宙で発生?宇宙以外のどこかで発生?ニュートンは、太陽系の模型を部下に造らせ、「偶然出来るはずがない」と言って「(神の)存在しない」説を否定している。現実問題として、太陽系(特に地球と生命)が偶然発生する確率より、神(ニュートンの千倍以上の思考力を持つとして)が単独で偶然発生する確率の方が遙かに高い。

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    偶然できるはずもないから神が創ったというのも科学者らしからぬ発想だが、むしろ科学者であるからこそ、科学の領域を超えたもの形而上的なものを信じる以外になかったのかも知れない。太陽が地球に自然環境を準備して生命を誕生させたという可能性も高いが、それでもニュートンは確率の低さに頭が混乱したのだろう。「苦しい時の神頼み」というだろう?

    神がいれば何でも答えは出せる。誰かが最初に考えた神を宗教の起源、拠り所とし、時代の推移とともに神の存在を肯定し、確信していったと考えるが、ここまでくると「いる」、「いない」、「存在する」、「存在しない」という風になるであろう。神をバックボーンとする宗教がなかったら、人間の作った神を「いる」、「いない」と議論する方がおかしい。

    神の寿命はないのだろうが、それこそ何億年も生きているのだろうが、何も食べないで死なないで、何の材料もないのに星や天体や人体やネズミやバクテリアも作ったというのは超人だ。神は死んだのニーチェは個人的に神ならぬ超人を作った。して、ニーチェの心を超人の言葉として発言させている。面白い発想だが、原理的には神の発想と同じことであろう。

    小便して糞も垂れる宗教の教祖なども、「自分は神」的な発言をするが、時に凄いコスチュームの写真を見ると笑ってしまう。神が裸なのか服を着ているのかは、服を着ているイメージだが、いかにも神的なコスチュームはあるのだろう。時に大川隆法などは、その手のデザインを着たりする。王位なのか王冠までつけているが、信者以外が見るとイカレタ御仁である。

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    信者がよければいいのであって、信者以外が何を言おうと自由である。ニーチェは「神は死んだ」としたが、教祖も信者も人間はみな等しく死ぬ。生命が有限だから美しく輝くとはトーマス・マンの言葉だが、「死のうと思っていた。今年の正月、よそから着物一反もらった。 お年玉としてである。着物の布地は麻であった。 鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。

    これは夏に着る着物であろう。 夏まで生きていようと思った」。これは太宰の言葉だが、死ぬ人はこんな状態なのだ。生きることに耐え切れない人間が死ぬというのは間違いない。以前は「人はなぜ自殺するのか」が不思議であったが、上の太宰の言葉などを読むと、死に行く人はまるでトイレに糞を出しに行くかのごとくである。悩んでなんか死ぬべきでない。

    悩んだなら生きるべきである。死ぬ以上は悩もうが悩むまいが、結果的に同じことだ。だったら楽しく死んだ方がいい。「死ぬということは、生きているよりいやなことです。 けれども、喜んで死ぬことが出来れば、くだらなく生きているよりは幸福なことです。」と、谷崎潤一郎の言うが如く。文筆家の言葉だから話半分で、人が楽しく死ねるかどうかは疑問だ。

    ハイデガーは、「人はいつか必ず死ぬということを思い知らなければ、 生きているということを実感することもできない」といった。上にも書いたが、こういう心境になれる人間は余命宣告を受けた病人もしくは死刑執行を待つ罪人であろう。2013年8月9日に元四人囃子のベーシストでプロデューサーの佐久間正英氏がスキルス胃がんを公表し、1月16日に世を去った。

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    佐久間氏の死を自分の問題として扱えないし、終わってもいない自分の生を見渡すこともできない。他人の死が自分の問題でなく、自分の死を見渡すことができないとするなら、「死」とは一体なんのか。ハイデガーは「死」を実存論的に以下分析した。「死の不安に直面したとき、死への自覚によって、人間は頽落から脱して、自由な人間として自立することが可能となる。

    世俗の欲望への執着や自己中心的な態度から解放され、他者を真の意味で共存在するものとして了解し、本来的な実存の可能性を促し合うことができる」と言うのである。おそらく佐久間氏もそうではなかったか?自分は佐久間氏が死を前にどういう生を求め、行為するのかに興味があった。死が現実となったときに人はどう生きるのかを探ることは、死を考えるテクストになる。

    自分もその時は来るが、そうではないときに考えてみたかった。死の自覚における全体的な存在可能性に対する了解のことをハイデガーは「先駆」といい、決意性が先駆において生じることを「先駆的決意性」とした。それは、死への自覚において本来的な存在であろうとする決意なのである。『存在と時間』のもっとも重要な論旨は、「先駆的決意性」によって時間性が変わることだ。

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    人間の生、人間が生きるということとは、自分がどんな存在であったかから、どういった存在であり得るかをめがけつつ生きていることである。人生とはそれをいい、人間は時間的存在である。そこでハイデガーは、「先駆的決意性」によって現れた時間性こそ「根源的な時間性」であり、気遣いを可能にしているもの(気遣いの存在論的意味)が「時間性」であるという。

    時間とは「川の流れ」、「食事休憩1時間」のようにイメージされることで、実体的なものとして客観化されている。が、実際は実態的なものではなく、事物としての存在もない。自分自身の実存に関わりつつ、おのずから生成されている。ハイデガーは、先駆的決意性によって「根源的な時間性」が開示されるのだという。「根源的な時間性」とは、一体どのようなものか?


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    病気や不慮の事故などで死を運命づけられた人は、気の毒というしかない。人は何歳まで生きられるかについては、人によってまちまちだが、平均寿命という計測法がある。この場合の「寿命」とは、人の天寿の平均ではなく、死因にかかわらず生まれてから死ぬまでの時間を言う。2013年(平成25年)の平均寿命は、男が80.21歳 、女が86.61歳となっている。

    5年前の平成20年だと男は79.29歳、女は86.05歳。10年前だと、男78.36歳、女85.33歳と微増で延び続けている。あくまでも平均であって、誰でも80歳まで生きられるものではない。90歳、100歳超えて生きる人もいるが、"80歳まで" といったように、やはり80歳超えは自分的に満足の域であろう。父は67歳没、母は来月で86歳になるが、未だ元気衰えずである。

    人の生死を分かつもっとも大きな要因は、疾病であろう。阪神大震災や東北大震災といった未曾有の災害で命を落す人もいるし、交通事故で4113人(平成26年)の人が亡くなっている。さらに深刻なのは10年以上3万人を超えていた自殺者だが、3年連続3万人を割っているが、3万人レベルで推移している。では、事件などによる他殺による死亡者数は何人くらいなのか?

    厚生労働省の人口動態統計によると、他殺による死亡者数は2013年に342人と、1日1人をついに下回り、2003年の705人の半分以下となっているが、それでも1日に約1人が殺されている。殺人事件は図録に示すように、親族等や面識のある人間同士で起こるケースがほとんどであり、他殺が半減しているということは、親しい者同士の関係が平和になってきているということだ。

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    平成23年度の全死亡者総数は1,253,463人で、不慮の事故、老衰、自殺を除いた疾病による死亡者数は、平成23年度で1,112,786人となっている。中でも悪性新生物(ガン)による死亡者数は357,185人で第1位。2位は心疾患194,761人、3位は肺炎124,652と続くが、数年前までは"不治の病"と言われたように、いかにガンによる死亡者が多いかは、数字がものがたっている。

    ガンで死ぬのは嫌だが、もっと嫌な死に方は他殺であろう。これほどバカげた死に方はないが、上記したように殺人事件の53.5%は親族、35.5%は面識ありだから、知らない人間に殺されるのは約1割程度だから、何らかの原因は殺される側にもあるということになる。殺されるほどの原因とは言いかねるが、近年は"そんなことで人を殺すのか"というほどに、安易な殺人が多い。

    「やむにやまれぬ事情」、「よほどの事由」ではなくて人を殺す昨今に思えてならない。福井大准教授による教え子殺人事件も、「殺してくれと頼まれたので殺した」(本人の供述)ということだが、何のいさかいやトラブルがなくて、女子学生が「殺して!」などというはずがない。前園容疑者はトラブルなどの供述を一切していないし、「殺してと頼まれた」の一点張り。

    そんな犯罪動機があるだろうか?捜査関係者によると、前園容疑者は、「菅原さんは死にたがっていた」、「薬を飲んで苦しがっていたので助けた」、「殺してと言われた」 この3点が殺害動機だというが、死にたがっていた⇒薬を飲んで苦しんでいたので助けた⇒殺人と、これはまさに自殺幇助の嘱託殺人である。知恵者の前園が狙っているのは、罪の軽減であろう。

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    「薬を飲んで苦しがっていたので助けた」の供述、これは後から出た言葉のようだ。被害者の菅原みわさんは司法解剖の結果死因は窒息死と判明したが、薬物を飲んだというのは司法解剖が終わり、葬儀も終って荼毘にふせられた後の供述だろう。県警は前園の供述にいう、「薬を飲んで苦しんでいた」の裏をとっていないのではないか?胃の内容物の検査をしたのかどうか?

    死体焼却後に斯くの供述をされて県警は反証できないままに、前園が公判においても一貫した整合性のある供述をすれば、嘱託殺人が成立する可能性がある。福井県警は前園容疑者の認否を明らかにしていないが、地検は嘱託殺人を認めず、殺人罪で起訴した。前園容疑者の弁護人は、「菅原さんからの依頼を受けて死に至らしめており嘱託殺人に当たる」と主張している。

    3月31日に福井簡裁で開かれた勾留理由開示の法廷において前園は、「『殺してください、もう無理です』と頼まれた」と陳述。法定刑が7年以下の嘱託殺人と主張した。地検担当者は一般論として、「仮に頼まれたとしても、それが真意に基づくかが重要」とし、「(殺人罪による起訴は)押収物などの証拠を総合的に判断した結論」とした。殺人罪の法定刑は死刑か無期懲役、または5年以上の懲役。

    疑問は多い謎の事件である。前園容疑者は着の身着のままのサンダル履きで、現場には前園が運転、菅原さんは助手席に乗っていたことが分っている。妻に嘘の電話をしたこと。菅原さんの携帯を遺棄していたこと。菅原さんに抵抗の後が全くなかったことも、話の筋からすると、死を覚悟(依頼)していたようにも取れる。しかし、前園容疑者は東大卒で頭の良いとした場合。

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    いかなる理由であれ、「殺してほしい」と頼まれて人を殺せるか?少なくとも頭のよい人間にとって軽率な殺人などできないし、殺すべく理由なくして殺せないと思うのだが…。青酸化合物を飲んで苦しんだとしても、じっと見ていれば罪にはならないし、手を加えると犯罪者となる。仮に彼女が七転八倒、地獄の苦しみでもだえたとしても、犯罪者として加担するだろうか?

    彼女が自らの意思で薬物を飲んだというなら、驚きのままに推移を見ているしかないと思うのだが。苦しみを見るに耐えかねてとでもいうのだろうか?公判でどのような陳述をするのか興味あるところだが、これらは起訴を決定した検察の仕事である。供述も得られない、確たる証拠もない状況証拠のみ、殺人動機も不明のままに殺人罪で起訴した検察に勝算あるのか?

    抵抗した形跡がまったくないという事も含めて確かに謎が多い。だから二人は首絞めゴッコ常習者であったと自分は推理した。これなら、絞められる側は暗黙の了解だから抵抗することはない。する側も殺す意思はない、される側も死ぬ意思はない、つまりどちらにも殺意のない首絞めゴッコをするカップルはいるらしいが、その魅力(刺激)はこういうことだ。

    絞められる側は、急所を相手に預けているという信頼感と緊張感、絞める側はこのまま手に力をいれればいつでも殺すことができるっていう恐怖心が、屈折した倒錯的な優越感を味わえる。理解できなくもないが、これで実際に死亡した例もある。「何を馬鹿なことを…」と常人には思えるが、人間は刺激がどんどんエスカレートするし、スカトロもSMも同じこと。

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    まあ、首絞めゴッコ愛好者であったとして、それを晒せば事故死(業務上過失致死)で殺人罪にはならない。彼はエリートだから公にするには自尊心の問題がある。だから嘱託殺人を狙ったのか?地位も経歴もないしがないサラリーマンなら、「首絞めプレーしてました」というかもしれない。何が明らかになるのか、真実が解明されるのか、公判に興味を持っている。

    「死人に口なし」とはまさにその通りで、今まで自殺と言われた芸能人にさえ不可解な疑問は少なくない。監察医としてかつて2万体の検死を行ってきた元東京都監察医務院どんなに遅くなっても決着をつけます。長上野正彦に、『自殺の9割は他殺である』という著書がある。タイトルの意味を普通にとると、「自殺」として処理される死の9割は、検視違いによる「他殺」だと読めるが、実はそうではない。

    自殺の動機を調べて見れば、周囲の状況や環境から追い詰められての自殺行動であり、上野氏はそれと他殺に等しいとした。これなら"いわずもがな"である。頻発しているいじめによる自殺も構造的には同じこと。日本という国は死亡理由を曖昧に判定するが、「見て見ぬ振り」とか、「玉虫色の決着」とかの言葉が示すように、「曖昧」が好きな国民性なのだろう。

    一例をあげると日本のプロ野球は、セパ両リーグとも延長12回で次のイニングに入らない取り決めをしている。つまり引き分けということだが、メジャーリーグに引き分けはなく、どんなに遅くなっても白黒決着をつける。メジャーから助っ人で日本に来た外人選手が「引き分け」に驚いた。「引き分けってなんだ?ベースボールはどっちかが勝つまでやるものだろ?」

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    メジャーにも夜中の1時、2時でも決着つかない場合、「サスペンデッド・ゲーム」という形で処理され、後日改めて続行するが引き分けはない。どうしても勝敗をつける必要のある甲子園トーナメントの高校野球には引き分けがない。大相撲はどうか?同体で勝敗が不明確な場合は物言いの後に取り直しをするので、引き分けはないと思われがちだがそうではない。

    組み合ったままどちらも仕掛けない場合、4分程度で「水入り」とし、そのままの状態で取り直しとなる。水入り取り直し後、さらに同様の時間が経過すると、再度水入りはなく、「2番後取り直し」となり、仕切りから始めるが、それでも決着がつかなければ、「引き分け」となる。幕内で引き分け無勝負は、昭和49年9月場所の二子岳-三重ノ海戦を最後に出ていない。

    二子岳はその場所6勝8敗1引き分け、三重ノ海は11勝3敗1引き分けという戦績である。幕内での二番後取り直しは直近で平成13年5月場所の、小結琴光喜-大関武双山戦があり、琴光喜が寄り切りで勝っている。今でこそ、「同体取り直し」、「水入り取り直し」が行われるが、古来の相撲には「無勝負」、「預かり」、「引き分け」、「痛み分け」という灰色決着があった。

    勝負の判定がつけられそうもない微妙な取組の場合、「ただいまの勝負、無勝負」と行司が宣言して軍配を真上にあげた後に袴の中に入れ、勝敗の裁定を無しにできた。このときは「無勝負」という。「預り」とは、物言いがついたあとにあえて勝敗を決めない場合。「引き分け」とは水入り相撲。「痛み分け」は、一方が負傷して勝負続行が不可能な場合をいう。


    なぜこのような灰色判定が行われたか?その背景には主に大坂相撲と東京相撲のいざこざや、大部屋同士の意地の主導権争いなどがあった(大正期まで)。勝敗をつけるのが後々まずい場合に、「預り」制度を活用した。昭和に入り、東西合併にともなう制度改正の結果、取り直しの制度が設けられ、「無勝負」、「預かり」は、制度としては廃止されたが、「痛みわけ」はあった。

    1987年3月場所の張出大関北天佑-関脇小錦の対戦で、土俵際もつれた相撲となり、審判員らが取り直しとした。しかしその時、北天佑が小錦の全体重がまともに膝にのし掛かられて負傷、痛み分けは宣告されずに取り直しとなった。取り直しの相撲では、北天佑が膝を痛がっているのを察した小錦が、北天佑のケガを庇いながらそっと寄り切って勝利した。

    取組後、「この状況ならば取り直しでは無く、痛み分けを適用すべきではなかったか」と、議論になった。北天佑は翌9日目から途中休場、公傷(当時・現在は廃止)が認定された。取り直しの一番で小錦が寄り切りで勝ったが、翌日から休場した北天佑には、0勝0敗15休の成績が残っている。曖昧な判定のみならず、曖昧な判断も少なくなく、それは相撲関連にもあった。

    2007年6月26日、時津風部屋の力士暴行死事件で、死因を虚血性心疾患による病死と臨床医は判断した。その後、両親が死因に疑いを持ち、行政解剖が行われた結果、傷害致死事件が発覚したのだった。この事件は検視情報がいかに重要かを示している。自殺か他殺かについては、「死人に口なし」といったが、大津市・中二いじめ自殺も、「自殺に見せかけた他殺」説が消えていない。

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    1.遺書が無かった。←確定事実

    2.本多広樹くんは仰向けに倒れていた。←確定事実

    3.遺体は傷もなくて、きれいだった。←確定事実
    (14階から飛び降りると頭蓋が粉砕し脳が飛散し顔面は大きく破損する。実際には低い階から落とされ、14階の通路に置かれたスポーツバッグや手すりを乗り越えた跡は犯人による偽装工作だった)

    4.飛び降り自殺するのにスポーツバッグを持って14階に上がるのは不自然。←確定事実

    5.犯人たちは、毎日のように高所やロープで本多くんに自殺の練習をさせていた。 ←確定事実

    6.木村束麿呂や山田晃也や小網健智ら加害者たちは、頻繁に本多広樹くんの自宅に押し掛け侵入していた。事件の3日前にも犯人たちは、本多くんの自宅に行き、自分の部屋の外で数を数えて待つように言い、室内を荒らし部屋から財布などを盗み取った(強盗)。 ←確定事実

    7.犯人は本多くんの双子の姉をレイプしようと本多くんの自宅に行くなどしていたが、本多くんに阻止されていたため、邪魔だった。←情報

    8.事件当日、木村束麿呂や山田晃也や小網健智たちも、学校を欠席していた。←情報

    9.被害生徒が転落直後、加害者たちは現場に居た。←情報
    その理由は、「(「死にます」とのメールを受けていたから)死体を捜していた」というものだった。しかし、市教委は「『死にます』のメール受信が嘘だったと確認した」と発表←饗庭治之(大津市教育委員会事務局学校教育課課長補佐)

    10.本多くんが死亡した後、犯人たちが「死ね、死ね。あっもう死んだか」などと笑いのネタにしたり、「やっと死によった」、「あいつ死んでよかった」、「死んでくれてうれしい」、「おかしい」などと嘲笑したりしたのは逆に不自然。←事実と所感

    11.事件の3日後くらい、犯人たちは「指とか落ちてるんちゃう」とか言って現場まで見に行ったのは不自然。←事実と所感

    死んだ人間が生きてこの世に現れることはないが、霊媒師が本物であるというなら、こういった重要な疑問を解くためにも、霊媒師は死者とコンタクトを取り、「死人に口あり」を実践したらどうか?非科学的とはいえ、非科学的なものも真実だという考えもあるし、公的貢献で事実解明に尽力するなら、霊媒師はインチキでないことを立証できるはずだ。

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    「死ぬまで生きよう」のテーマは死ではなく生である。生を美化する必要はないが、仮に美化するのなら、何をどう美化する?自らの生を美化するのは結構だし自由だが、美化の理由など大層もないだろうに。生きることは特段美しいことではないし、生きようとすることは生命の本質である。生命とは生きてることに価値があるわけだから、生きることが価値である。

    死を美化するのもオカシイし、間違っている。何をどう思うのは個人の勝手だけれども、どうも「美化」という言葉自体に胡散臭さを感じる。神風特攻隊を美化するのも胡散臭い。、"御国のために散って行った英霊"などと、それこそ最高の言葉で称えたとしても、国家が国民の命を奪いことをなぜ美化する。特攻兵は死にたくないのに死んで来い、死ねといわれたのだ。

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    死を前提に作戦を立てる戦略というのは、いかなる国とて下策である。神風特攻ですら発案者自身が「作戦の外道」と最初から評している。その一方で、いざと成れば命を賭けてでも目的達成しようという個人の姿勢は高く評価されるが、それだからといって特攻が許容されるかどうかといえば、それは違う。特攻を「命を賭けてやる行為」というのは間違っている。

    兵器(艦上戦闘機)そのものが、人が死なないことには機能しないということだ。「作戦の外道」の意味はここにある。作戦の成功そのものが「死」であり、こんな強制的命令を敢行させた国家は日本以外にはない。特攻は志願といわれているが、それは例外で99%は強制(命令)であり、志願を英雄と煽った部分もある。撃墜王の坂井三郎、岩本徹三はこう書いている。

    「出撃したら絶対帰ってこられないと分かっていて士気が上がるわけがない」「特攻命令が出たら部隊の空気は目に見えて暗くなった」と、これは当然であろう。10代、20代前半の若者は、それで戦争に勝てるわけのない事を知りながら、必死に自分を納得させようとしたが、納得仕切れなかったものも沢山いた。国家によって未来を奪われた若者達の何という悲哀であろう。

    故郷を捨て、親兄弟、妻、恋人たちへの思いを断ち切って出撃していった彼らを、英霊と祀ったところで何が癒されよう。誤解なきよう言っておくが特攻に殉じた兵士を批判するのではない。国を守る、親・兄弟を護る美名の元に軍部に借り出された彼らである。どれほどの効果があったというすべもないし、当時もやけっぱちで無謀な作戦というしかない。

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    特攻の現状を知った天皇陛下が、「そこまでせずとも、もう戦争は終りにしよう」の声を引き出すために始めたという。大西瀧次郎の言葉がある。「特攻は統帥の外道。この戦争は負ける。米軍の本土上陸前に、敗北を認め、講和をしなければならない。それには天皇の決断が必要である。特攻をやっても勝算はないが、特攻を見た天皇は、必ず講和に動くであろう。」

    定かではないが、言い伝えられている資料によると、昭和19年10月、レイテ沖での「敷島隊」こそ最初の特攻である。これを聞いた天皇は、「かくまでやらせなければならぬということは、まことに遺憾であるが、しかしながら、よくやった」と述べたと言う。特攻は時代の生んだ不幸である。バカな人間が軍部の上層部にいたことも災いした。"神国日本"という驕りもあった。

    多くの人が死に、建造物は破壊され、自然環境にもダメージを与えるような戦争をなぜやるのだろう?中学時代からの疑問であった。「歴史を勉強すればわかるよ」と教師はいうが、歴史は「なぜ戦争に踏み込んだか」という時代考証であって、忌避すべき戦争をなぜ人間はやるのかについて、アインシュタインとフロイトの往復書簡を公開した『人はなぜ戦争をするのか』も読んだ。

    ところでこの書簡だが、あまり興味のない友人に無理やり貸してやったところ、返却されず、読んだから別にいいやと、そのままになった思い出がある。まあ、本を貸しても、お金を貸しても、相手から返却がないからといって、"今はいいや"というのはよくないと知った。緊急性なくとも、ある程度の日数を経て相手が返却しない場合、返却の催促すべきである。

    イメージ 1相手が望まぬ本を無理やり貸したとき、相手はなかなか読もうとせず、日数が経ってしまう。望まぬ本は押し付けたり貸さない方が賢明だ。さて、『人はなぜ戦争をするのか』だが、「人間には生を望む欲動(エロス)とともに、自らの死を望む欲動(タナトス)が存在する、としたフロイトの「欲動論」を要約。死の欲動は外部に向けられると破壊欲動になることなどを指摘する。
    「人間の攻撃的な傾向を廃絶しようとしても、実現できる見込みはない」と、悲観的な見解を示すフロイトだが、戦後にゴジラ映画が人間の破壊願望を満たしてくれているというコラムを目にし、フロイトの見解に同意を得た。戦争は、家族や知人や同胞など、「愛する人々」だけでなく、敵兵という「憎むべき人々」の大量の死という惨劇を体験させるものである。

    つまり、愛・憎しみ・死を一体のものとして経験させるのも戦争である。フロイトは、愛と憎しみの両面をもつ「他者の死」を、自我の構造に内面化し、愛する者の死は我々に深い喪失感をもたらすが、そこには対立する二つの契機が葛藤している。彼はこのようにいう。「わたしたちにとってこれらの愛する人は、内的な所有物であり、みずからの自我の一部である。

    しかし同時にある意味では見知らぬ人であり、ときには敵でもある。もっとも濃やかで親密な愛情関係のうちにも、ごく稀な状況を例外として、わずかな敵意がこびりついていて、無意識のうちに相手の死を望む動きをかき立てるのである。このアンビヴァレントな葛藤から、原始人においては霊魂の理論と道徳的な掟が生れたのであるが、現代ではそこから生れるのは神経症である。

    そしてこの神経症は、正常な心的な生にたいする深い洞察をもたらすことができるのである。この文言を要約するなら、「一つは、愛する者は私の所有物、即ち私の一部であるから、私の中で他者は生きているという、死を認めない気持ち」。もう一つは、「愛する他者といえども、私の自由にならないよそよそしさ(敵対性)があり、憎しみのゆえに私は、彼(彼女)の死を望みさえする。

    「現代人は無意識のうちに愛する者の死を強く望んでいる」という驚くべき逆説を提起するフロイトは、愛には必ず憎しみが含まれると洞察する。無意識だから「誰もそんなことはない。誰が愛する者の死など望むべくもない」というだろう。人間の無意識は、否定的なものを認めないので、無意識のレベルでは、人は自分が死ぬ存在であることをも認めたがらない。

    つまりそれは、「現実的」なものではないということのようだ。見知らぬ人の死についてわれわれは、それを見て喜んだりする。同情したりする。無関心であったりするが、いずれにせよ、それらは死を現実体験しているわけではない。では、われわれは死という出来事を現実的に体験することがないのか。そうではない。「身内」や「愛する者」の死を考えてみるがいい。

    そういう人たちの死に接して、我々は悲しみ、打ちひしがれ、自らの心に深く、死とは何であるかということ、また自分もまた死ぬ存在であるということを、現実として知らしめる。日本人は無理心中をする民族である。これは以前、子どもは神からの授かりものという西洋的崇拝心がないからと書いた。子どもは親が作ったのだから、親の所有物という考えが日本人的である。

    「無理心中」を英語にすると「murder-suicide」。直訳すれば殺人自殺。相手を殺した後で自殺するということだ。先に死ねば相手を殺せない。「murder-suicide」は、なるほどである。障害をもって生まれた子どもを親が子どもを殺すと、世間の多くの人々は、「それでも親か」と激しく指弾する。が、その後で親も自殺したら、「無理心中」と位置付け理解に及ぶ。

    誰も「親が子どもを殺した」とは言わないし騒がない。が、現実に殺しているのである。障害をもった子どもが生まれて、将来を悲観して殺すのは親の愛情か?つまり、悲観=愛情ということだが、そうなのか?殺した後で自殺するのは、殺した罪滅ぼしで、それしか考えられない。人を殺して自分がのうのうと生きているなどできないし、自殺は殺人の対価である。

    「子どもは親の所有物」、全面的に親の責任であるという意識が感じられる。ゆえに、自分が生きて子どもだけを殺すのは、「子どもへの愛情の欠落」と意識し、また指弾されることも想定している。親が自分も一緒に死ぬ覚悟で子どもを殺すなら、「愛情からの行為」だと情緒的に許容されると考える。この考えは大いに間違っているが、結局親はショックなんだろう。

    この手の無理心中の親の気持ちはさまざまあるが、障害をもって生まれた子どもは不幸であるけれども、運命として育てるべきである。子どもが将来、それは5歳か10歳か、20歳か、30歳か、いつの日か自身の障害が生きるに耐えない不幸であると感じ、自ら命を絶つのはその子自身の選択である。障害者が障害を悲観して自殺するなど、あまり聞かない。むしろ健常者の自殺が多い。

    ということは、障害者は一生懸命に生きているということだ。障害児を生んだ全責任は親にあるから、すべてを親が抱え込め、というのが違うと思う。だったら不細工も親の責任だけど、とりあえず赤ん坊の頃はかわいいから、殺すなど考えもしないが、障害者は乳児期から普通ではないし、忍びない、親の責任を強く感じるのだろうが、実は親の責任ではないのよ。

    育てる責任はあるけど、できたものはまずは産む責任が発生する。手足がない子どもが生まれたら、頑張って親が育てるべきだ。安易に殺すのは、親自身がショックだったり、育てることを嫌がってると感じる。殺す愛情などはまったくあり得ない。だから、愛情で殺すという考えは思い込みか、すり替えか、親自身の悲観だろうな。強い気持ちで障害児を育てた親は多い。

    「愛で人を殺せる」なら、「憎しみで人を救える」というのが成り立つはずだ。2014年4月18日にイランで、殺人罪で死刑判決を受けた男が、絞首刑の執行直前に被害者の母親によってその罪を許されたのである。バラルという名の死刑囚は15日、絞首台の周りに集まった大衆の目前で、刑執行の直前にその命を救われた。母親は、死刑囚の頬を1度だけひっぱたき、その罪を許した。

    この劇的な展開は、イランのみならず世界中の人々を驚かせた。母親の名はアリネジャドさんで、彼女は言う。「夢に私の息子が現れ、自分は安らかで良い場所にいると私に言った」、「それからは親族が全員、私の母でさえも、犯人を許すよう圧力をかけてきた」と話している。「あの平手打ちは、復讐と許しの中間にあるもの」、「彼を許したことで、私の心は楽になった」という。

    誰もができる事ではないが、この母親はそれができた。夢に出てきた息子に従ったのだろう。よく聞くのは、憎き殺人犯が死刑執行されたとしても、気持ちが晴れたわけじゃない。納得が行き、すべてが解決したわけじゃない。処刑されても憎しみが晴れないなら、許すことも無理だ。アリネジャドさんは、処刑されても気持ちは晴れない、だから許したのだろう。

    「復讐と許しの両方の意味をもつ平手一発」で、心が楽になったというのだ。「菅原さんは死にたがっていた」とは、福井大准教授による教え子殺人事件における前園容疑者の言葉だが、これは信じられない。2005年6月20日、東京都板橋区で15歳高一が両親を殺害した事件で、少年は憎しみを抱いていた父親はともかく、母親の殺害動機はまったく分からず謎であった。

    少年は以下の供述で容疑をみとめた。「父親が自分をばかにしたので殺してやろうと思った。母はいつもハードな仕事をしていてかわいそうだった。母がいつも死にたいと言っていたので殺した」。母親を殺したことにイロイロな学者の意見がある。①子どもによる親殺しの場合、父親だけが中心的な殺人のターゲットだとしても、他の家族も皆殺しにすることは良くあること。

    ②自分に優しくしてくれる母や、祖母にしても、父親側の仲間であると考えてしまうと、両親、祖父母皆殺しを実行してしまう。③死にたがっていた母親という存在は、子どもの心を不安定にしたでしょう。もしかしたら、死にたいと語る母への思いやりの心ではなく、激しいイラつきを覚えていたのかもしれません。それが、殺人の遠因になったのかもしれません。

    ④母親の刺し傷の方が多いのは、両親殺しの場合、母親への加害のしかたが激しいことがある。母親との親子関係のほうが深く、それだけのことをしないと、母親殺しが達成できないから。⑤親殺しは、単に親を殺すと言う意味だけではなく、自分が親から解放されたいという思いの現われ。心理的に自分にまとわりつく母親を、何回も何回も刺しながら、心の中の親殺しを達成し、親から逃げ出そうとしていたのかも。

    少年は、周囲から礼儀正しい、普通の子、おとなしい、生真面目、と評価されていた。もし彼がもっと乱暴で、「悪い子」であった場合、この事件は起きなかったかもしれない。親への文句を直接言えるような子であれば、犯行はなかったと考える。感情を抑えすぎ、ため込んでしまうことが様々な心の問題を生む。親殺しの多くは中流以上の家庭で起きている。「ワル」は親を殺したりしない。

    人間に喜怒哀楽があるように、子どもは親を憎むこともある。うるさいと感じることもある。いなければいいと思うこともある。同時に親に世話にもなり、感謝もし、愛してくれていると感じることもある。子どもの心の中には、嫌いな「悪い親のイメージ」と、大好きな「良い親イメージ」が同居・融合し、嫌な部分もあっても、大切な親だと感じることができる。

    この融合ができず、「悪い親のイメージ」だけが大きくなってしまったのが、親を殺す子どもたちであろう。ただ、親をころすなんて、どんなに仲の悪い親子だろうかは正しくなく、その日、その場の状況で多くの犯罪は起こる。人間の理性が感情によってコントロールできないのも、また人間の悲哀である。


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  • 05/28/15--19:52: 私は貝になっていた

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    日常の雑事から離れ、身近なことから人間や世の中の根本的な問題に思考を持っていくと、普段気づかない事が結論されることがある。同時に、我々はなんとも身近な問題のアレコレであくせくしているのがみえてくる。親が子の成績に一喜一憂する姿を見たり、話を聞いたりすると、なぜそうなるのか?どうして鷹揚に構えていられないのかと、不思議でしょうがない。

    親は大抵"子どもの幸せのために言ってる"というが、勉強できない子は幸せになれないみたいな言い方である。できないよりできたほうが何でもいいのか?といえば誰もがそうだというだろう。足が遅いより速いほうがいい、手先が不器用より器用がいい、音痴より歌が上手いほうがいい、下手なピアノより上手く弾けるほうがいい、泳げないより泳げたほうがいい、などなど…。

    それは確かにそうだし、「足が速いより遅いほうがいい」などとは自分も思わない。が、毎日血まなこになって、「足が速くなりなさい、ならなきゃダメでしょう!」とはいわない。手先の器用さも、音痴についてもガミガミ言わない。ピアノのガミガミは聞いたことがある。ピアノを止めた原因が、「親がうるさい」、「教師がすぐに怒るから」というのは何人かいた。

    少女時代ピアノ教室で、ミスタッチしたとき、鍵盤の上の手の平を教師に叩かれ、恐怖を感じたという女もいた。ピアノ教師はガミガミうるさくいうとピアノが嫌いになる事を知らないのだろうか?親はテストの結果や成績についてガミガミいうと、勉強が嫌いになることを知らないのか?知らないならバカな教師、バカな親だが、知っているのにそうするならさらなるバカだ。

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    バカといわれればどちらも反論するだろう。「ガミガミなんかいいたくありません。言わなきゃしないから言うんです」。これは理屈にかなっているのか?言い分として正しいのか?おそらくこういう言い方をする人は、それが正しいと思うから言うのであろう。だから、他人が「間違っている」といっても無駄。人は自分の行為を正しいと思うのが「常」であるからだ。

    だから指摘する側も、「ガミガミ言うのはダメですよ」というだけでは伝わらない、意味がないのかということになるが、そうではない。何も、理路整然と指摘する必要はない。なぜなら、ピアノ教師であれ、親であれ、サラリーマンであれ、スポーツ選手であれ、ガミガミ言われるのが好きという奴がいるか?そこを考えれば解るだろうに。自分がされて嫌なことをしているのだろ。

    ガミガミは注意でも指導でもない。単純に怒り感情の発露であろう。子どもに限らず大人でも相手がむき出しの感情で何かを言われると逆に頭に来る。まさか子どもは頭にこないと思っているのではないだろうな?本当に子どもに注意し、指導するなら感情を表さずに、冷静に適切にいうべきだが、それができないピアノ教師や母親は、いないほうが子どもにとっていい。

    最近、テニスの錦織がみるみる力をつけているのが分る。その要因はマイケル・チャンをコーチに迎えたことであるのは誰もが認めるところ。今は全仏オープンの最中で、錦織はコンスタントに三回戦を突破した。そんななか、往年の名プレイヤーで、全仏3勝のマッツ・ビランデル(スウェーデン)が26日付の「レキップ」紙上で、錦織をV候補5人のうちの1人に挙げた。

    「四大大会で勝ったことはないが、マリーやバブリンカを上回る危険なバックハンドを持つ」と同氏。錦織のバックハンドは、四大大会2勝のマリー(英国)や昨年の全豪を勝ったバブリンカ(スイス)をしのぐ武器と評価した。第5シード錦織と準決勝で対戦する可能性もある第2シードのフェデラーは、早くも錦織を警戒しているのか、インタビューでこのように答えている。

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    「単純にいいテニスが見たかったから錦織を(映像で)見た。必要な情報も得られる」と、これはフェデラー自身の2回戦後、6連覇を狙うラファエル・ナダル(スペイン)の次戦について質問されたにもかかわらずこのような発言をした。錦織とチャンコーチのアジア人コンビは、露骨な人種差別を受けているといわれている。2015年2月14日号「週刊現代」誌が波紋を呼んだ。

    記事は錦織に対する、「人種差別的な行為」を指摘する衝撃的なもの。米雑誌ベテラン記者が「(海外では)誰も錦織に興味はない」と解説。外国人の惜しみない拍手は、「いいアンダードッグ(負け犬)」として、「観客が望む通りのシナリオを錦織が描いてくれたから」だという。錦織だけはない。他のスポーツでも日本人選手が、「差別的行為」を受け、海外から身を引いた例もある。

    これが「欧米」中心主義のスポーツ界の「闇」なのか。米国で人気のスポーツ誌「スポーツ・イラストレイテッド」で、テニスを専門に取材するベテラン記者のジョン・ワーサイム氏の衝撃的な証言が続く。「日本では大人気だと聞いていますが、正直に言って、錦織は海外のテニス・ファンの心はまったく掴んでいません。というより、誰も錦織に興味がないんです。

    欧米人が期待し、関心を持っているのは、欧米のスターたちだけです」と解説する。そうは言うが、テレビの映像を見る限り、観戦する外国人も日本人同様に錦織の健闘を応援しているようだ。では、なぜ錦織の試合が喜ばれたのか。「それは彼が負けたからでしょう。欧米人は自分たちのスターに懸命に立ち向かった末に敗れる、いいアンダードッグ(負け犬)が大好きなんです。

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    観客たちが惜しみない拍手を送ったのは、彼らが望む通り、そんなシナリオを錦織が描いてくれたからですよ」と背景を解き明かす。腹黒欧米人とはいったもの、海外のファンが錦織に期待するのは勝利ではなく、彼が選手の、「引き立て役」に過ぎないというまさに屈辱的としか思えないような話。記事は、2013年12月から錦織のコーチを務めるマイケル・チャンにも及ぶ。

    チャンが現役時代に実力をなかなか認められず、コートを縦横に駆け回るプレースタイルを捉えて、「バッタ」や「ドブネズミ」といったあだ名を付けられたとも記している。錦織に対して、記事の指摘を裏付けるような出来事がすでに13年6月1日の全仏オープン3回戦で起きていた。錦織はフランスのブレワ・ペアと対戦。第1セットを6-3で先取して迎えた第2セット。

    第10ゲームでペアはコーチにアドバイスを受ける違反を犯し、主審はペナルティーによる失点を宣言した。すると、地元のファンは主審と錦織に大ブーイング。錦織が構えを取っても騒ぎは鎮まらず、「観戦マナー」もなされなかった。錦織に落ち度はなく、テニス人生初とも言える大ブーイングに、「こんなブーイングの嵐を受けたのは初めてだった」と試合後に振り返っていた。

    このセットは落としたが、結局、勝ち抜けて4回戦に進出。日本男子として1938年の中野文照以来75年ぶりの快挙となったが、何とも後味が悪い。また全仏では、黒人のセリーナ・ウィリアムズ(米国)も、判定に不満を示しただけで観客の不興を買い、ファーストサーブを外す度に拍手され、ミスには大歓声が起きた。敗れたセリーナは、試合後の会見で抗議の涙を流した。

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    サッカー元日本代表の中村俊輔は、スコットランド・プレミアリーグ、セルティックに所属していた08年にライバル、レンジャーズのサポーターから、「ナカムラが俺の犬を食った」と書かれた横断幕を掲げられ、英テレグラフ紙は、「誤った侮辱」と非難している。有名なのはドイツWC決勝のイタリア×フランスの試合中、ジダンがマテラッツィに頭突きを食らわせたあの事件。

    これは直接的には、マテラッツィがジダンの背後に駆け寄り、「お前の母親と姉は売春婦らしいな?」といったのが要因だが、その前から諍いはあった。試合中にマテラッツィがジダンのユニフォームを引っ張るなど激しくマンマーク、試合中所々で言い合いの1場面でジダンが、「俺のユニフォームがそんなに欲しいなら試合の後にくれてやる」と皮肉をマテラッツィに言った。

    するとマテラッツィは、「ユニフォームよりもお前の姉が欲しい」と言い返す。その場は何も起きることなく過ぎたが、「売春婦」発言はこの布石の上でなされたのだが、当初は真相が分らず、アルジェリア移民2世であるジダンへの人種差別、ジダンの家族への侮辱発言といわれた。ジダン本人は発言を控え、ジダンの代理人がマテラッツィの「非常に深刻な発言」が原因と述べた。

    1年後の2007年8月18日、テレビ番組のインタビューにおいてマテラッツィ本人から問題の発言が、「Preferisco la puttana di tua sorella.」であると明らかにされた。「お前の姉貴より娼婦 (puttana)のほうがましだ。」という発言であり、イタリア語のputtanaは英語のbitchに相当し、解釈次第では非情に悪意ある重大な差別発言にもなり得る単語である。

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    元々マテラッツィはこの手の駆け引き戦はよくやる人物であったが、耐えられずに頭突きをしてしまったジダンが悪いということだ。怒らせて冷静さを失わせるための根も葉もないオチョグリ言葉だと流せばよかったのだが。翌7月12日、ジダンはフランスのテレビ局、「カナル・プリュス」のインタビューを受け、「あの試合を見ていたすべての子どもたちに謝りたい」と話した。

    FIFAによる事情聴取の後、ジダンには出場停止3試合と罰金7,500スイス・フラン(2006年7月当時の為替レートで約71万2500円)、マテラッツィに同2試合と5,000スイス・フラン(約47万5000円)が科された。当初、一部メディアが頭突きの原因はマテラッツィの差別発言によるものと報道したため、サッカー界にはびこる人種差別主義に対しての議論が盛んに行われた。

    その後、ジダン本人、マテラッツィ本人、及びジダンに発言の内容を聞いたフランス代表のリリアン・テュラムらが差別発言については否定したため、人種差別発言は問題から外された。サッカーのみならず、スポーツにおいて言葉による挑発(トラッシュ・トーク)は日常茶飯事ともいえるため、本件のような挑発した側まで処分を下したFIFAの裁定は大いに議論を呼んだ。

    余談だが、仕事で数ヶ月渡米するときの英語の勉強中に、アメリカ人に絶対にいってはいけない言葉として、「Are your mother is a pimp?」と本にあった。好奇心旺盛な自分は、どういう反応をするか試しに言ってみた。冗談が通じなかったのか、いきなりボディー・ブローを喰らい、「お前の腕をねじ上げて欲しいならいつでもやってやる」と顔を真っ赤に怒っていた。

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    唐突で脈略のない冗談だが、そういうものが通じないのに驚いた。アメリカ人が日本でいきなり、「あなたの母は売春婦?」といわれても怒るすべもないし、和気藹々の日本人とは感性が異なると感じた出来事だった。このように、終わったことも、未来のことも、あれこれ考えながら同時にブログに書いている。何が正しいかなどの答えは出せないが、自身の考えは生まれる。

    何かを断定口調で書くと、意見や考え方の違う人間が、「分かったようなことを言う」などと傍から見えるのだろうが、誰でも何かについて分らないよりは分りたいと思うのが常である。足が遅いより速いほうがいい、手先が不器用より器用がいい、音痴より歌が上手いほうがいい、下手なピアノより上手く弾けるほうがいい、泳げないより泳げたほうがいい、バカより賢いほうがいい。

    ではないが、そのためには各部分、分野においてトレーニングするしかない。運動も知能もトレーニングで向上し、効果も出るが、肉体は衰え、脳細胞も減ってスカスカ状態であるなら、なおさらのこと神経線維を太くしなければならない。付加を与える過激な運動は返って体によくないが、答えのない問題はいくら考えてもいいが、答えのある問題は、分らないとストレスになる。

    なぞなぞといっても答えはあるし、唐突に出題されて答えが分らないと癪に触るから、思考は答えのない問題に限る。体力や思考力は落ちて行くものだが、こうして長いことブログをやってて不思議に思うのは、10年前、20年前より書くスピードは一段と上がる。つまり速くなる。体前屈ではないが、始めてやるときより少しづつやっているとだんだん曲がるようになる。

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    それと一緒か?はやり地道に続けなければダメであろう。「発想力を高め」、「仮説的構想力をつける」ためにやるのではなく、結果は何事もあとからついてくる。ジョギングしていても、今日はいつものルートは体力的に無理だと思えば距離を縮めればいいし、体を余すと感じるなら延ばしてもいいように、5000字ノルマも大変と思えば3000字でも1000字でもいい。

    何事も無理はよくないから、そういう気持ちでいるが、とりあえず5000字は負担にならないし、制限なくば6000でも7000でも行きそうなときの方が多い。これが読むための人に照準を合わせていれば気を使うだろう。自分のためにやってるというからどうということはない。以前はよく言われたものだ。「長すぎます」、「読むのが大変」などと。人はみな自己中心主義だ。

    自分が書いた自分の記事でも読むのは大変だから、それはそうなのだが、書くことをもってやっているし、書き終われば後はおぼろという事。♪後はおぼろ 後はおぼろという印象的な歌詞の『恍惚のブルース』という歌がある。「おぼろ」とは「朧(おぼろ)月夜」にいう、ぼんやりとかすんでいるさま。はっきりしないさま。の意味と、不確かなさま、の意味がある。

    かすんでみえ、葉っきりしないから、不確かなのだろうが、『恍惚のブルース』では、①死ぬほど楽しい夢をみた 後はおぼろ~ ②こころがしっとり濡れていた 後はおぼろ~ ③わたしは貝になっていた 後はおぼろ~という歌詞である。文脈は「後のことは覚えていない」というのだろう。特に三番の「わたしは貝になっていた」というのは、かなり意味深と感じたものだ。

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    『私は貝になりたい』というドラマは1958年に放送され、1994年版では主人公のフランキー堺役を所ジョージ、2008年版では中居正広が演じたが、「貝になりたい」の意味は、脚本にある。「こんど生まれ変わるならば、私は人間になりたくない。牛や馬にも生まれません。人間にいじめられますから。どうしても生まれ変わらなければならないなら、私は貝になりたい」

    そういう意味の「貝」である。貝なら海の底にへばりついて何の心配もない。兵隊にとられることもない。戦争もない。妻や子どもの心配をすることもない。だから貝になりたいのだ。が、『恍惚のブルース』で青江三奈が歌う、♪あなたがこんなにしたわたし ブルーパールの霧が降り 私は貝になっていた」の意味は? 一般的には口を閉ざして開かないのたとえだが…。

    あれこれ意味を考える。決め付けは簡単だが、それは思い込みの危険をはらむ。ああでもない、こうでもない、いくら考えても答えはでない。しかし自分で考えるということは、出た何がしかの答えに対して責任を取るということ。万人について考えるのではない、自分なりに考えるのだから間違うこともある。しかし、間違っても自分で出した答えなら責任をとる。

    それでいいのだろう。自分で考えない人間は責任を取らない。誰が言ったの、彼がいったの…、と自分で考えたのではない。だから責任をとらない。考えると言うことは、自分の考えに責任をとることだ。そりゃそうだろう、自分ですることだし、自分でしたことだ。自分でした事に責任を取らなくなったら、人間オワリだろう。



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  • 05/29/15--21:25: 皇室を考える ①
  • イメージ 1子は親を選んで生まれてこれないし、生まれてからも子どもの描く(理想とする)親になってくれることはない。親も同様に子どもを選んで生むことはできない。ただし、男女の産み分けについては、"可能"という説が巷で幅を聞かせている。どういう食品をとると女の子だの、男が生まれやすいだの、まことしやかに流れていたが、そんなことは信じない派であった。

    だまっていても男女の確率は50%だから、男が欲しくて女が生まれたらまた挑戦すればいいし、昔はみんなそうだった。現皇太子の徳仁殿下も男の子が欲しかったであろうが、女児誕生となり、それで次をイクのかと思いきや、少なく産んで大事に育てるという少子化傾向は皇室にまで波及しているのか、他人の閨の事情は分らないが、お一人で打ち止めだったようだ。

    3人の子宝に恵まれた秋篠宮家の方が、比喩的にいえば夫婦仲が良かった、という言い方になろう。徳仁殿下にも「是非ともお世継ぎ(男の子)を…」という国民の声は届いていただろうし、宮内庁としても口には出さないまでも望んでいたであろうが、敵わぬままに雅子妃も50歳を過ぎてしまったこんにち、まかり間違ってももはや世継ぎは望むべくもない。

    お世継ぎ問題が飛び交うなか、「それではこちらが!よし、紀子、一丁行くぜ!」と、秋篠宮家文仁親王が息巻いたかどうかは定かではないが、男子誕生には驚いた。2008年9月6日であった。これがもし、女子であったらどうだったのだろうか?と言うのは野暮な想像だが、40歳で悠仁親王を出産した紀子妃はご立派である。これで懸案の世継ぎ問題も幾分解消した。

    多くの国民が思っているように、あるいは報道に見聞きするように、雅子妃へのバッシングは理解できないものではない。おそらく、と前置きしていうが、紀子妃と雅子妃の偏差値は圧倒的に雅子妃が上であろう。そもそも「偏差値」などという計測で人を計るのはバカげているし、好きではないが、偏差値大好き人間たちに対して批判的に使うことはある。

    そもそも偏差値による価値判断を自分は批判的にしか使わないし、それが偏差値信仰に対するアンチテーゼと思っている。人間の差を学問の差と見るのが偏差値であるが、雅子妃と紀子妃にはまったく無用の長物といっていい。偏差値信奉者は人と人を偏差値基準であれこれ比べるが、決して人間性の質的な差を対象としていない。おそらく学歴の差、学問の差であろう。

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    学歴の差は決して学問の差でもないはずなのに、高偏差値校=賢い人間というブランド信仰、ブランド満足であろう。学問に熱心な人間はどこにもいるし、学問に熱心でない人間もどこにもいる。偏差値の高くとも人間的好感度を示さない人はあまたいるのに、木を見て森を見ずの論理である。安くてもいいバッグや洋服はあるが、ブランド信仰にそういう目線はない。

    雅子妃は子育てに向かない。すべてのエリートが不向きといわないが、紀子妃人気に比べれば、雅子妃の存在感など無きに等しい。紀子妃はなぜにあんなに愛くるしい笑顔で国民に接することができるのか?単純に自分はいい両親を持ったからと想像する。知らない人の今は、想像するしかない。いい子どもを見ると、いい親を持ったなと想像するのが常である。

    雅子妃を批判するために紀子妃がいるわけではないが、紀子妃は大学生時代からの愛くるしい笑顔が現在も健在だ。年齢は雅子妃より3歳年下の48歳であるが、笑顔のある人はふけない。「若く見られたい秘訣は笑わないこと」といわれるが、そんなシワがどうのこうのという問題ではなく、人の本質的な若さは笑顔にあるし、人の笑顔は美しく愛らしい。

    赤ちゃんの笑い顔がまさに天使の笑顔であるようにだ…。自然な笑顔に対し、つくり笑いはなんとも不気味である。不気味と言わないまでも、どことなく違和感がある。紀子妃の自然な笑顔にすれば、雅子妃のつくり顔的な笑顔に国民の多くは馴染めていない。ジャーナリストの櫻井よしこは、『週刊ダイアモンド』(2006年9月2日号)に以下のコラムを寄せている。

    「8月18日、皇太子ご一家がオランダに到着され、オランダ王室のお出迎えを受けて撮影された写真が各紙の一面を飾った。「はじける笑顔」と見出しを付けた社もあったほど、雅子妃の表情は明るかった。国内で見なれてしまった鬱々とした表情の上に努力して重ねて見せる笑顔とはまったく異質の、心底楽しそうな豪快な笑いがそこにあった。」

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    笑顔の妃を見て、十分な休養を願いつつも、心中複雑な思いを抱いた日本人は少なくないだろう。(中略) 皇室に求めるものが国家統合の権威であるなら、その余のことを問題にするより、国民はまず、権威を真の権威ならしめる尊崇の思いを心のうちに育てていきたいものだ。応えて皇室は、ひたすら国民のために祈り、その祈りを実践なさっていただきたいものだ。

    どちらが欠けても皇室の存在意義は失われる。日本の日本らしさも同様だ。憂うべきは、その心構えの双方における稀薄さである。雅子妃のご健康を祈りながらも、妃のはじける笑顔から皇室の存在理由としての国民のための祈りを読み取ることが出来ないのは、残念なことに私一人ではあるまい。」

    このコラムは、『はじける笑顔の雅子妃に複雑な思い 皇室はなんのために存在するのか?』と題されたもので、読めばわかるが櫻井の雅子妃批判は、「そんな大口開けて笑っていいの?」である。オランダ訪問は余暇の家族旅行でもなければ、レジャー交流でもない。列記とした外交である。若き日の美智子皇后も紀子妃も、こんな醜態(?)は見せないであろう。

    櫻井氏は「醜態」という言葉こそ使ってはないが、腹の中でその言葉を喋っている。雅子妃批判ならデヴィ夫人のブログが辛辣である。それはいいとして、自分の思う雅子妃と紀子妃の大きな違いは、決して目だった風には見えないけれども、紀子妃は秋篠宮殿下を立てているのが凄く感じられるし、秋篠宮文仁殿下(ここでは夫という)あっての自分という立場が見える。

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    紀子妃は英語、ドイツ語に堪能で音楽の素養もあり、所作・しぐさも美しいひとであるが、すべては夫あっての妃殿下という意識が伝わってくる。夫をたてることは自身のためであり、皇室の意に従うことゆくゆくは自分のためというのが、無意識理解にあるから、自然に伝わってくる。対する雅子妃は、自身の経歴や語学力が皇室への適応力という勘違いがあった。

    ばかりか、「優秀なキャリアウーマン」、「新しい時代の皇室にふさわしい妃殿下像」というような世間の風潮もあってか、そのことを追い風に国民もこんなに私に期待しているんだ」と、これは今から思えば完全な見込み違いをして皇室に迎えられた女性であろう。これは徳仁親王殿下が、ためらう小和田雅子を必死で口説く言葉に盛り込まれていたことと推察する。

    したがって雅子妃が、自身の皇室における存在価値を、上記の部分で増幅させたのはむしろ徳仁殿下や国民の期待によるものだったかもしれない。それらがあの一件以来一変してしまった。あの一件とは、秋篠宮殿下の雅子妃批判である。文仁殿下の辛辣な言葉は、兄の徳仁にも及んだ。以下は2004年(平成16年)11月25日、誕生日会見などでの発言である。

    ・「記者会見という場所において発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、その上での話であるべきではなかったかと思っております。そこのところは私としては残念に思います」(皇太子徳仁親王の雅子妃人格否定発言に対して)

    ・「あくまでも私個人としては、自分のための公務は作らない。(中略)私は公務というものはかなり受け身的なものではないかなと。こういう行事があるから出席してほしいという依頼を受けて、それでこちらもそれが非常に意義のあることであればそれを受けてその務めをする。私自身はそういうふうに考えて今までずっと来ています」 (公務の在り方について)

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    ・「皇族の公的な活動というのは社会からの要請にこたえて行われるべきものであると思います」

    ・「皇族の役割の大事な一つは、天皇をサポートすることではないかと思っております」

    文仁殿下の言葉は実にもっともであるだけに、よほど腹に据えかねて出た言葉であろう。言わなければ収まらなかったと解される発言である。特に雅子妃の徳仁殿下を差し置いての海外公務要望に釘を刺したと見られている。雅子妃は徳仁殿下あっての自分の立場という意識が希薄であるように見受けられる。「文藝春秋」1993年3月号によれば以下の発言があったという。

    「浩宮さまってそんなにお偉いの?」と、これは小和田雅子が徳仁皇太子殿下との出会いの場となった、スペインのエレナ王女歓迎レセプションでのあとで、雅子さんが祖母に上記の言葉を投げかけたという。報道の真偽は分らないし、あまりの無知な発言にその信憑性も問われているが、報道は事実である。「お偉いの?」が意味するものが何かは分らない。

    当時雅子さんは23歳とはいえ、ハーバード大出身の外務省キャリアである。彼女らから見て「偉い」の意味はさまざまあろう。「皇室だから偉い」などの権威者的な意味での「偉いの?」ではなく、徳仁殿下が学問的に優秀かどうかを尋ねたのではないか。その辺の真意はわからないが、遠慮のない祖母に聞いたところで、祖母が頭の程度を知るはずがない。

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    上記のセリフが本当なら、身内同士の他愛のないやり取りに思えるのだが…。親の跡目を継いで成り上がって社長になった息子に対し、「奴はそんなに偉いわけじゃないだろ?」みたいな皮肉交じりの言い方、そんなものかも知れない。悪気のあるように取ろうと思えば取れなくもないが、遠慮のない身内の取り止めのない話しを問題にしているのかも…。

    皇室なんて位置付けは、偉いとか、脳ナシとか、そういう類のものではないわけだ。徳仁や文仁や礼宮内親王の偏差値がどうたらとかの問題ではない。格付け的に偉いといえばそういうものだ。小和田雅子も含めた庶民にとって、皇室などはもっとも遠い存在だし、身近に考えたこともなかった存在だが、いきなり振って沸いた縁談話に、さぞや躊躇いはあったろう。

    そんな雅子妃についても、賢くないし才媛とは程遠いという評もある。以下はネットの記述である。「雅子妃の学歴・職歴のいかがわしさについては過去記事で詳細を述べたのでここでは触れませんが、驚くべく頭はおよろしくなく、英語も稚拙である、とこれは、はっきり言わせて頂きます。1200万円国費を費やしたとされる、外務省からオックス・フォードへの留学。

    たった一人だけ落ちこぼれて修士号を取れなかったお方。父親のコネがきかぬところで実は落第生。ハーバード、東大(入学も卒業も無し)、外務省と全て父親の力による見せかけ。雅子妃の英語を聞いてごらんなさい、そのレベルに絶句しますから。婚約会見その後の雅子妃の談話を聞けば頭脳のレベル、如実です。婚約会見時の、『一言つけ加えさせていただけば…』の中身も皇太子の言葉のなぞりです。」

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    話を世継ぎ問題に戻す。現在の情況からすれば、徳仁天皇の次は秋篠宮家から出る公算が強い。女帝待望論は、今の東宮愛子さまの様相ではおそらく出まい。悠仁親王は現在8歳、徳仁殿下が55歳だから平均寿命まで生きたとして25年先に崩御であるなら、悠仁親王は33歳である。多少速くても何ら問題ない。悠仁天皇でいい。昭和天皇は27歳で即位している。

    『文藝春秋』2009年2月号に「秋篠宮が天皇になる日」を書いたノンフィクション作家の保坂正康は、その理由を「皇室家における次男の存在に長年強い関心を持っていたから」と述べている。保坂氏は1989年にも「秩父宮 昭和天皇弟宮の生涯」(中公文庫)を書いている。皇室における天皇の地位は唯一無二であり、皇太子はそれを継ぐ特別な存在である。

    秋篠宮が次男である自分があまりに冷や飯であることから、皇室離脱を模索しているという記事が流れたとき、徳仁殿下も「こういう根も葉もない噂がどうして流れたのか理解できません」と述べたが、近年はデヴィ夫人が、現皇太子を廃嫡し、皇太子位を秋篠宮文仁殿下へ移譲するための署名運動をすべし、国民は我慢の限界にある。などと息巻いていた。

    「小和田雅子さんという方を お妃にむかえてしまったばかりに、今、日本の皇室は 小和田家の影響と雅子様のために皇室自体の存続が危ぶまれている状態となってしまいました。これは ひとえに小和田雅子さんが、『皇太子妃』となる認識とご覚悟が無かったからと言えましょう。今や、"適応障害"に 苦しんでいる一人の女性というより、我儘を超えた異常事態となっております。 

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    雅子妃の常軌を逸したふるまいのためにどれだけの人が 迷惑をし、どれくらいの国費が無駄に使われていることか。(中略) 現皇太子が天皇として即位されるとしたら、日本の一大事です!77歳(4年前)になる現天皇のご公務の回数は年400回以上。それに対して51歳の現皇太子のご公務の回数は年200回程度。ご高齢の天皇がなさる ご公務の 半分しかなさっていません。

    そして、皇太子のお口から出る言葉は、国民のことではなく、「雅子」 「愛子」 のことばかり。ご結婚前の凛とした皇太子のお姿の面影は一切なく、小和田家の婿養子のような皇太子に天皇を誰が望みましょう。」などと歯に衣着せぬ発言のデヴィ夫人だが、同じような考えは保坂氏にもある。保坂氏はそれ以上に徳仁殿下の発言に天皇の風格を感じていないようだ。

    保坂氏は天皇家には、天皇独特の「天皇語」というものが存在するという。有名なのは昭和天皇が昭和50年に日米記者クラブにおいて初の記者会見を行った際、戦争責任を問われてこう答えている。「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。」

    天皇は責任の有無については言及せず、責任という重みを誰より痛切に感じていたからこそ、「責任」の一語を口にしなかった。天皇が「責任」という言葉を使うのは、皇祖皇宗124代への責任をすねて一人で負うことを意味し、単に言葉だけでなく、直ちに何がしかの行動を伴うことを意味する。「天皇語」は、こうした語彙にあるだけではなく、語り口にもあらわれる。

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  • 05/31/15--19:37: 皇室を考える ②
  • 昭和天皇のさまざまな発言を分析し、独特の語りを「天皇語」と命名した保坂氏は言う。「『天皇語』を身につけるとは、天皇が自分の言葉の持つ重み、時に威圧を伴うこともある力を自覚することにほかならない。」とし、次の例をあげている。昭和52年、香淳皇后が腰を傷めたとき、不自由はありませんでしたかと尋ねられた昭和天皇は、次のように答えた。

    「それはありました。だが、家庭のことですので。記者の人たちも家庭のことはあまり人に言いたくないでしょう。」と、「天皇語」を披露した。徳仁殿下が平成20年の誕生日会見の以下の内容と比較する。「家族のプライバシーな事柄ですので、これ以上立ち入ってお話しするのは差し控えたいと思います。」内容だけでいえば、どちらも言ってる事はほとんど同じである。

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    が、受ける印象はまるで違う。昭和天皇の言い回しを年齢的なものとか、個性とか以前に天皇ならではの独特の「味」がある。今上天皇も決して饒舌とはいえないが、本質的なことを単刀直入に、卒なく語るところがある。印象的だったのは、昭和59年、天皇皇后両陛下御結婚二十五周年を前にした記者会見の場で、記者が「互いに何点をつけられますか?」と聞いた。

    天皇陛下は「点をつけるのは難しいが、まあ努力賞というようなことに」と言ったところが卒がない。普通なら80点、90点などというところだが、具体的な数字は何かと差し障るものだ。それで"努力賞"とはさすがである。それに呼応して美智子皇后は、「もし差し上げるとしたら、御点ではなく感謝状を…」と、返す言葉も卒がない。口調は優しいが威厳に満ちている。

    保坂氏は天皇になるためには「天皇語」を習得せねばならないみたいな独善を言っているが、昭和天皇は昭和天皇、今上天皇は今上天皇、徳仁親王は徳仁親王と、時代の推移とともに言葉は変容するものだろうが、物書きは何かに取り付かれたように物事を決め付けてしまうので、偏見に流されないことだ。徳仁親王は「天皇語」を見出していないから気に入らないと保坂氏はいう。

    秋篠宮天皇待望論の骨子も、徳仁皇太子殿下に比べたら、秋篠宮殿下の方がましというような、比較をしているだけの内容である。「総力取材」と言いながら記者会見の発言と、関係者の証言がほんの少しある程度では"看板に偽りアリ"といわざるを得ない。とにかく、天皇は昭和天皇も今上天皇も、皇后を従えて外遊・公務をすべしだから、問題は雅子妃の病状である。

    イメージ 2平成16年、古稀を迎えた美智子皇后に対する宮内記者会から次の質問がなされた。「皇太子妃は昨年末からの長期の静養を続けておられます。また今年5月の皇太子殿下のご発言をきっかけに、皇室をめぐってさまざまな報道や国民的議論がなされました。妃殿下のことや一連の経過、この間の宮内庁の対応などについて、どのように受け止められましたでしょうか」。この問いに対し、美智子皇后は文書ではあるが、以下の優しい言葉で回答した。「東宮妃の長期の静養については、妃自身が一番に辛く感じていることと思い、これからも大切に見守り続けていかなければと考えています。家族の中に苦しんでいる人があることは、家族全員の悲しみであり、私だけではなく、家族の皆が、東宮妃の回復を願い、助けになりたいと望んでいます。

    宮内庁の方々にも心労かけました。庁内の人々、とりわけ東宮職の人々が、これからもどうか東宮妃の回復に向け、力となってくれることを望んでいます。宮内庁にもさまざまな課題があり、常に努力が求められますが、昨今のように、ただひたすらに誹られるべきところでは決してないと思います。」これは宮内庁より英訳としても公開されたのだが、英国で曲解されてしまう。

    最後の「宮内庁にもさまざまな課題があり、―――ただひたすらに誹られるべき所では決してないと思っている」と個所で、「insistent criticism(ただひたすらに誹られる)」ところとは、「do not beliebe(思わない)」と強く否定され、庇われる言葉であったのだが、それが「英国のある新聞で、rebuke(叱責する)と誤解されてしまったのです」と、皇后は弁解していた。

    これらは「誤解」というより、こうした「曲解」がなぜに起こるかは、受けて側(解釈する側)にある種の決めつけがあるからである。混みいった問題には発言しない、あるいは静かな差し障りのない言葉を用いる方が問題は発生しないが、時に踏み込んだ発言がこういう曲解を生むのを自分もたびたび経験した。言葉は気持ちの現われであるが、気持ちの無理解が曲解を生む。

    美智子皇后は国内にあってもしばしば誤解を受けたことがある。昭和天皇や、今上天皇の発言が曲解されたことは耳目にないが、美智子皇后はいろいろ取り沙汰されたのは発言の多さであろう。また、美智子皇后の著作の多さも特筆もので、絵本からエッセイにいたる多くの本を書いている。ひきかえ昭和天皇の香淳皇后は、言葉も極端に少なく、著作などは一冊もない。

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    美智子皇后は言葉よりも文書を好まれるのが次の会見で分る。「記者会見は、正直に申し、私には時として大層難しく思われることがあります。一つには自分の中にある考えが、なかなか言語化できないということで、それはもしかすると、質問に対する私の考えそのものが、自分の中で十分に熟しきっておらず、ぼんやりとした形でしかないためであるからかも知れません。(中略)

    私にとっての記者会見の意義は、自分の考えをお伝えするとともに、言語化する必要に迫られることで自分が自分の考えを改めて確認できることかも知れません。会見の望ましい形については、まだ考えがまとまりませんが、答の一部だけが報道され全体の意図が変わってしまった時や、どのような質問に対する答かが示されず、答の内容が唐突なものに受け取られる時は悲しい気持ちがいたします。」

    なるほど。言葉をはっするということは、気持ちを言語化することでもあるが、発した言葉(自身の考えをまとめたもの)を自身で確認することである。これは書くという行為もまったく同じことだ。つまり話す、書くは自身の考えの表明であるとともに、自分が自分を確認するということ。ブログも同じこと。会話は目の前に相手がいるが、ブログは必要ない。

    いつ、何時であれ、自身との対話が可能である。まあブログには"ファン"という常連読者が存在し、双方向のやり取りをメインにする人もいたりと、これは文明の恩恵としての便利さである。「日ぐらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくれば…」の兼好法師に思いを寄せると、全国通津浦々からリアルタイム発信の便利さは驚嘆に値する。

    イメージ 4ブログは基本的に自己主張だと思っている。誰に向けて何かを語るのも自己主張であるし、相手の返信も同様に自己主張であるべきだが、どうもそれだと上手く行かないのか、ファンという人の発言は書き手におもねているようである。と、そう考えるのがよくないわけで、批判意見を述べ合う対話というより、気のあう仲間同士によるお喋りの憩いの時間であろう。
    それを交流と呼んでいる。Aという人の意見にBもCもすべてが同意するように見えて、実は表面上でそのようにすることも交流の意義であろう。異なる意見を闘わせたり、互いの考えを批判をするのを日本人的交流とはいわないようだ。「バカ同士でもいいから自分の考えに責任を持って議論をしよう」というのが下手な日本人、というよりそれを好まないのだろう。

    それだから日本人が無責任ということではないが、確かに責任をもって発言するというのは、互いにそういう意思がないと成り立たない。批判を許容する深い懐もいる。自分は以前、石原慎太郎を好きであったが、あるコメンターは「自分は石原慎太郎は嫌いなんです」といい、その次に「ごめんなさい」と気を使ってくれたのを読んで、ああ、彼も日本人だなと感じた。

    と、同時にやさしい人だなと…。もし、自分であったら、「ごめんなさい」の言葉は付け足さないだろうと思ったからだ。「嫌いな自由もあっていいだろう」だから、好き嫌いを提示するのに気がねはいらないと思う。ただ、不思議なもので、相手が好きなものや好きな人物を批判したり、「自分は大きらい」というのは、どうも相手の気分を害することのようだ。

    以前にも書いたが、中学一年のときにある歌手のファンがいて、それを批判したら血相変えて怒る女の子がいた。そのマジギレさがおもしろおかしく、だからワザとボロクソいって怒らせたりした。これを悪ガキというのか、怒るほうが心が狭いのか、その後の人生勉強から得た答は怒る人間ばかりであった。怒るには"気分が悪い"という程度も含めてである。

    阪神を貶すと怒る。AKBを貶すと怒る。羽生名人を貶すと怒る。それがファンという世界なのだろう。自分も各種方面に好きな人物はいるが、自分の好きを人が貶しても何とも思わない、何の影響もない。理由は、自分の好きと他人の嫌いは無関係だからだ。ただ、中高生の頃にビートルズやベンチャーズを批判する大人や、エレキを不良の音楽と決め付ける教師には頭にきた。

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    なぜだろうか?一言でいえば若かったのだろう。若さは他人の批判を許容できない。「若さ」がそうであるなら、いい大人が批判にムキになるのは、大人になりきれていないということになる。まあ、怒る側は大人げないといわれようと無関係に腹が立つようで、とにかく他人からの批判を嫌がる。理性を働かせて、「こんなことで腹立つ自分はアホか?」とはならない。

    理性とはそういう風に自分を客観的に眺め、感情を抑えるためにある。理屈はともあれ、他人を怒らせたり、嫌がるようなことを無用にしない方がいいと、そういう年齢になった。無用な批判はしないが、有用な批判は躊躇わない。批判が物の道理であれば、批判に立腹する人の心の浅さと切り捨てる。ただ、他人の書き込み批判にわざわざ出かけることはない。

    自身のブログでの批判は、要旨の流れから有用であればぼかすことはしない。それを読んで気分が悪い人はいても、罪の意識までは感じない。ただし、捨て鉢、投げやりな批判はしないし、批判については論理的に丁寧に説明するようにしている。これは自分に対する言い分でもある。好き嫌いは感情的、感覚的なものだが、理性的に嫌いであるというのもある。

    女がよくいう、「生理的にいや」、「理由云々より本能的に無理」みたいな言い方だが、それはいかにも女だからであろう。自分は男だからか自分自身に納得できない言い方はしないし、なぜ嫌なのか理由を考える。女が考えないで上記の言葉を吐こうと、異性として許容すべきであろう。確かに「女のココが解らない」と言ったところで、解らなくても許容は必要だ。

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    自分が理解できないことは許容できないというのは若い時分に多かった。が、それは若さゆえの未熟さ、知識や素養のなさであろう。ただ、分らない、理解できないことを考えようという姿勢の有無は後の人間のキャパに影響すると考える。解ろう、理解しようとに考えることを課した人間と、どうでもいい、と排除した人間はおそらく違いとして現れるはずだ。

    考えることは何が正しいかを見つけようとすることだから、囲碁・将棋の棋士の商売道具でもあるし、世の中を何とか間違わないで生きたいという凡人の思いでもある。また、国や国民を間違った方向に進ませない国家的な命題も、思考から生まれるものである。それぞれの立場に、それぞれの思考の軽重があってしかりだ。昭和天皇は戦前は神と崇められた。

    人間宣言をし、日本中をくまなく巡幸をし、敗戦国家の国民に蘇生の力を与えたのは事実であろう。あれは昭和天皇の戦争に対する責任であったろう。天皇の言葉も国民の象徴であり、いったん発すれば取り消すことのできない重みがある。となると、あらゆることを頭に入れておく必要がある。天皇の失言などあってはならないし、独特な言い回しも「天皇語」である。

    また、天皇は国民を癒し、希望や活力を与える任を負っているように映るが、おそらく自主性であろう。サイパンや沖縄、硫黄島の慰霊碑にたたずんで献花もなさるが、今上天皇も今上皇后も、それが慰霊などとは思ってはいないだろう。生き残って今の時代を生きてる人たちの経験を知り、その悲しみに寄り添うことも平成天皇、皇后に与えられた使命であろう。

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    両陛下は傷ついた人たちの声、無名の人たちの声を熱心に聴かれている。「自分の話を聞いていただいた」、「興味をもって質問をいただいた」という国民は多い。「民族としての日本人」の記憶をとどめ、内包することが天皇である。昭和天皇の巡幸もまさにそれであった。その役割を引き継ぎ、果たしている現在の両陛下。徳仁殿下は、49歳の誕生日の記者会見でこう発言した。

    「両陛下のご健康とご年齢とを考えて両陛下に過度のご負担がかからないようにとの考慮が重要と思いますが、同時に天皇陛下としてなさるべきことを心から大切にお考えになっていらっしゃる陛下のお気持ちに沿って、私を含めて周囲がよく考えて差し上げる必要もあると思います。その上で、私としてお助けできることは何であれ、お手伝いさせて戴きたいと思っております。」

    その前年、48歳の誕生日においても、「私としては、陛下がもう少しお休みになれる機会をお作りし、ごゆっくりしていただくことを周囲が考える必要があると思います。この辺のことは、周囲が、陛下とよく相談しつつ…」と発言。50歳の時も、「ご高齢になられた両陛下をお助けしていくことの大切さにも思いを強く致しております。」と同様の発言である。

    51歳の時は愛子内親王の登校拒否問題、雅子妃の療養も8年目の質問にふれ、どちらも長い目で見るしかないとした。この辺は、愛子、雅子のことがどうしても主眼になる。公務を単身で行う皇太子も、国民目線からすれば惨めなものだが、病気であるなら仕方がない。が、それにしても長い…。54歳の誕生日前の会見では、愛子、雅子に関するある発言が問題になる。

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    「やはり雅子にとっても<外国訪問が治療上も良いのであれば、そしてまた、愛子にとっても視野を広めるという意味で外国の地を見ておくことが良いのであれば、様々なことを考えて,今後ともどのような外国訪問ができるかということをいろいろ考えていく必要があると思います。実際,私たちもそのようなことをいろいろ考えているところではあります。」

    問題というのは、徳仁殿下が愛子、雅子にべったりという批判だが、なにもこういった発言を取り上げなくても、べったりは誰の目にも明らかである。まあ、外国の公務が治療のためという皇太子だから、何をかいわんやである。公私混同。国民、公務よりも、家庭・妻子優先と受けととれかねない発言は、自分のお立場をお分かりなのか?と考えさせられる。


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    長年ブログをやっていて、経年で変わることもあろうが、変わらないこともあろうし、昨日思ったことが翌日は違う考えになることだってあろう。その善悪は判らないし、ただ、見ず知らずな人の気分にいちゃもんつけても仕方がないというのが道理だろう。これが、自分の親とか、上司とか、教師とか、師匠とか、自分の生活に直接影響するような人だと困る。

    さて困ってどうするかは、その人が考え対処する問題である。ただし、昨日言ったことが今日は違ってるというような体験は、初めての場合もあるが、そういう相手は慢性化している場合が多いので、「またか…」と別段おどろくこともなく、対処法は心得ている場合が多い。端的に言えば、いうことがコロコロ変わる奴は、「そういう奴」との認識であり、烙印押されている。

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    その手の人間と出会って、困惑したり、悩んだりで、苦労するのも社会勉強だから、そうい体験はしないよりはした方がいい。いかなる体験であれ、"した方がよい"が正しいのは起こったときの対処が、得ている場合といない場合とでは違うということもある。人によっては体験を得ていても、プラスになっていない人間もいるが、そういう人間を鈍臭いというかは別にして人それぞれだ。

    「一を聞いて十を知る」人間もいれば、「一を聞いて二か三くらいを知る」人間もいる。「一を聞いても一を忘れる」人間だっている。簡単にいうとそれらは人間の能力差ということにもなるが、突きつめれば能力差の発生にも要因がある。たとえば、その事に真剣であるかないか、そういう見方もあろうし、真剣であれば頭に叩き込むが、いい加減ならすぐに忘れる。

    そういう気持ちの持ち方、在り方でさえ能力差というなら、それはそうかも知れない。親の躾けなどの教育観も影響していると思われる。「一をもって十を知る」ということが、いかに大事であるかを、例を挙げて考えてみる。今の時代では刃物を持ち歩くことはないが、真剣勝負みたいなことはたくさんある。多少比喩的になるが、こういう例で思考してみる。

    白刃と白刃を向き合わせて敵と向かい合っているとする。そのときに敵が右足を一寸ずらした、あるいは一寸左足を開いた、ということが、敵がどのように打ちこんでくるかということを示すのが剣術、剣法の奥儀である。相手の微細な動きでさえ行動であり、行動を起こしたことになるなら、その行動がいったいどちらからの太刀筋になって入ってくるか。

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    そういういうかすかな変化をも少ない情報から察知し、それに対応する構えを持たなければ殺られる。これぞ「一をもって十を知る」の極めつけである。宮本武蔵が一生において一度も仕合で負けなかったのは、こういう極意を見出したからで、だから生きていられ、だから『五輪書』を書き上げることができた。そこには現代に通じる様々なことが記されている。

    鬼気迫る命がけの勝負であるなら、できるだけこちら側はいい条件の場所におれと武蔵はいう。たとえば樹木があれば自分が樹木を背にし、相手が樹木の方にかかってこざるをえないようにする。海際であれば、相手を水際の方へ押しやって、自分はそれよりも高い所から行く。塀があれば塀を背中にし、相手には太陽が当たるように、こちらには当たらないようにする。

    剣法といえど、さまざまな要素を含んでおり、それでこそ剣法であるのだと。薪を木の枝から紐で吊るして、「えい、やあ!」と打つだけが剣法ではないのだと。今の時代に企業経営者や有能な社員に『五輪の書』が読まれるということは、やはり企業経営とは末端の顧客さまとの話術から、部材の仕入れ・納入にいたる多くの駆け引きを必要とするからであろう。

    つまり、「一をもって十を知る」人間こそが能力者であることになる。ついでだから武蔵について薀蓄をいうなら、彼は二刀流で知られている。何故に二刀流であるのか?二刀を使うということが得であるから?という単純な理由では決してない。武蔵の二刀流の真髄は、"あらゆる道具というものは、なんであれ使えるようににしておけ"、ということである。

    イメージ 3だからか、実際の仕合においては武蔵はほとんど二刀を使ったことはなかった。が、二刀をもって一所懸命工夫をし、その二本の刀を 同時に持つにはどうしたらいいのか、小刀(短い刀)を敵の体に届かせるにはどうしたらいいのか、そういう平素の練習を欠かさなかった。これは、「備えあれば…」に通じる、人間のあらゆる仕事の場合において大事なこと。
    いや、仕事に限らず、すべてのあらゆる条件を一つの目的のために集中する、そういうことが必要であるということ。先を見通すという事ではなく、不意のことにも備えがあれば自然に思考が働き、体が動いたりする。これは人間の体の危機管理意識(危機管理能力ともいう)という本能的な要素でもあるが、野生種であれ家畜同様に飼育すると、本能が退化していく。

    「平和ボケ」という言葉があるように、人間が危機管理意識を失い、本能習性に逆行するような行動をするのは、人間そのものが生まれて以後、家畜のように育てられるからであろう。ナンでもカンでも親がやってくれて、本人は食事の時に、ただ箸を持てばいいだけに育てられる。過保護に育った子どもを「箸より重いものを持ったことがないような子」と揶揄する。

    「人の心を見通せるんだよ」などと自慢げにいう人がいる。ある種の傾向は読めても、見通せるわけないだろうし、そう思い込むことでかえって危険な場合がある。見通し過ぎると(見通したと思っていると)、何も相手はそこまでも考えてないのに、邪推が災いし、相手をとんと悪者にしてしまうことになるのだが、むか~し、こういうタイプの教師がいた。

    直接的には何の理由だか覚えてはないが、職員室に呼ばれ、「すれ違っても挨拶しない」だの、「目をそらす」だの、「人を見たらドロボウと思えという諺が好きなんではないか?」などと、畑違いのことで決め付けて得意満面になっていたバカ教師である。自分は児童心理学の長けているんだみたいな、勝手な思い込みでは指導もヘッタクレもあったものではない。

    黙って聞いてはいたが、教師ってのはこれほどバカかと思わずにいられなかった。場違い、畑違い、筋違いなことをさも分ったようにいう奴ほどマヌケはいない見本である。師範学校をでて教師になったにしても、なにぶん人生経験がなさ過ぎる。物事はすべて学問で仕切られる、判断できる、という人間の頭の悪さ、勘の悪さ、屁の臭さは、まさに糞して寝ろと言いたい。

    イメージ 4子どもは非力である。大人に上から畳み掛けられれば黙するしかない。何をいっても良い訳でしかなくなる。真実の声、悲痛な叫びはすべて弁解として取られてしまう。すべての大人は子どもを見くびっているのであろう。小4の時、版画の授業があった。今は危険物なのか?あの当時、彫刻刀はふつうに学用品であった。できた版画を担任に見せるために教壇で列を作っていた。

    並んで順番を待っているときに、一番前列の級友に机の上にあった彫刻刀で彼の頭をコツンとやった。そうしたらいわゆる知恵遅れのそいつがいきなり大声で喚き、泣き出したのだ。痛かったわけでもない、刃を向けてやったのではない、なのにそうなった。担任が飛んできて大騒ぎになり、コワい先生のところへ連れて行かれた。色の浅黒いコワい先生はいろいろ言った。

    憶えてる言葉は、「大人になったら人を殺す人間になるぞ!」である。何をバカなことをいう人だろう、ふざけてコツンとやったのは情況ではんだんできないのか?喧嘩をしていたとか、言い合いの最中とか、何か押し問答をしていた上で手に彫刻刀というなら、それはどう解釈されてもおかしくはないが、順番待ちの際、前列の級友に「コツン」がどういう状況か?

    どれほど危険な行為なのか、何の意図があってのことか、そういう判断もせず、聞きもせず、いきなり事情を知らないコワい先生のところに連れて行った女教師も大概バカである。自分はコワい男教師より、担任に罪があると思っていた。情況も何もあったものではなく、ただ相手が泣き喚いたというだけで、自分はその日から「彫刻刀で人を刺した」人間になっていた。

    「あいつは怖い」という噂が広まった。よく不良に堕ちる人間がいるが、自分の意思とは無関係に、何かの行為を誤解され、他人が色眼鏡で見るようになったことで捨て鉢になるのかも知れない。まったく事実に反することで危険視されると、「そうかい、そうかい、だったらお前らの言うような危険な人間になってやるよ」と、そういう風なひねくれた心が増幅する。

    自分もそういう露骨な噂は辛いものがあったが、言う奴と言わない奴はハッキリ区別があった。言う奴は雑魚に思えたし、言わない奴は頭のよい種であった。雑魚はそういう時にごちゃごちゃいって面白がる。賢い人間はそういう風評に加担せずチャンと理由を聞いてくる。「ちょっとコツンとやっただけなのに刺されたとあいつが勝手に泣いた」で、理解してくれた。

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    理由なんかどうでも人を悪人にして騒ぎたい連中など、ほっておけばいいし気にもならなかった。こんにちその時のことを思いだすと、何であんな大事件になったかは、担任の状況分析がなかったからだ。理由もないのに人が人を刺すわけない。3、4年、5、6年と女教師だったが、女教師は男の子を理解できていないようだった。もしくはいい子で育ちすぎたか。

    いい子は本当に困ったものだ。ちょっとしたことでもすぐに悪事にしてしまう。ちょっとした悪ふざけでもすぐに悪人にしてしまう。5、6年の女担任にもずっと心は伏せたままだった。おそらく4年生の時の事件が生徒の個人情報として報告書に記載されていただろう。自分を色眼鏡で見る奴はすぐに分る。予断と偏見で人は人を見てはいけないが、学校はそれが踏襲される。

    問題を起こさないようにするところだろうから、問題児はマークされるのだろう。「○○は彫刻刀で○○を刺した」となっていたのかも。どういう状況の中、どういう理由でそういう事が発生したのかは記す必要はないのかもしれない。結果的に5、6年の担任は教育熱心で子どもに愛情を抱くよい教師であったし、自分に関わった全教師の中で一番心に残っている。

    邪推は危険である。相手の実態よりも先へ突きぬけてしまうからだ。当時の教師は(今もかもしれぬが)世間知らずの、実体験不足の、世俗人というには少しばかり歪な人間であろう。経験を補うために世俗の勉強で本は読むだろう。が、本を読んで人生勉強しようとなんてのは虫が好すぎる。人生勉強にしろ、人間学にしろ、人生論にしても、社交術にしても…。

    イメージ 6こればかりは実地修練で苦労をし、試行錯誤の結果、やっとのことで身につく感覚なのである。本を読んで身につくのは、畳の上で水泳の練習をした程度のものであろう。人間が本当に学ぶべきことにおいて、基本中の基本と前置きしてみてもたくさんあるが、自分が思うことをあげれば、他人に優しくすること、他人に好意を持つこと、他人の長所を認めることであろう。

    他人に優しくできない人間は自己中心であり、他人に好意を持てないのは自信過剰であり、他人の長所を認められないのは自己愛に蹂躙されたひとであろう。自分にない能力や素養をもつ人を尊敬し、未熟な若者を可愛がり、俊才を友人に持ち、威張らないことである。「言うは易く行うは難し」かも知れないが、難しの要素や部分を取れば、「難し」もそうでなくなる。

    それから最初に言った「一をもって十を知る」こと。これは「知ろうとする心構え」が必要だ。これには幼少期からの親の心構えが大事で、「アレはダメ、コレはダメ」ではなく、「アレもやりなさい、コレもやりなさい」がいい。勉強だけやってくれればいいなどという親は親ではないな。自分がどんだけ勉強したと思ってるんだ。そのうち子どもに言われるよ。

    「おかん、あんたどんだけ勉強したんね?」⇒「私がしなかったからしてほしいのよ」と、お決まりの言葉で返すのだろうが、それに対して頭のいい子はこのようにいったらいい。「自分はおかんのような人でええよ。それで満足じゃ。おかんのように生きていたい」と。コレはいわゆる褒め言葉である。これにおかんはどう反応する?デレ~として、うるうるなら効果アリ。

    ためしに孫に言わせてみよう。息子の中間テストの成績が悪いといって長女(孫の母)がイラついていると妻が言う。子どもに勉強しろと口癖のように言う母親って一体何なのか?それだけ言っても成果が上がらないなら、勉強、勉強と口酸っぱく言う効果はないんだなと気づかないのだろうか?気づく、気づかないというより、言わなきゃ気がすまない母親の宿命なのか?

    勉強のできる子(成績のいい子)を賢い、勉強できない子(成績の悪い子)をバカという言い方をするが、自分はそうは思わない。学校の勉強をしない子は、単に学校の勉強が面白くないからで、子どもは面白くないことに興味を持たない。勉強というのは面白くなくてもやらなきゃいけないのか?するなとは言わないが、そこそこ、ほどほどでいいのではないか?

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    人間はイロイロなのに、何で親は学校の勉強ばかりに躍起になるのか?そこを考えると、勉強以外に子どもが興味を持つことに熱心に、積極的になった親は、いろいろの世界で子どもが成功する原動力になっている。子どもに面白い事を気づかせるのも親の影響である場合が多いが、それすらできなかった凡親が、これと言って何もない凡庸な子に、勉強、勉強と吠えまくっている。

    「ブログに何を書こうがそれは自由」との表題で、ぜんぜん違うことを書いたが、これもまたブログに何を書こうがそれは自由ということでもある。ということで、目的が収まらなければまた続きがある。


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    ネットで「ブログ論」を検索するといろいろ出てくる。「ブログ論」なる仰々しい命名はともかく、ブログについて個人的な考えを書けば、それはブログについて論じたことだから「ブログ論」でいい。すべてのブログがそうであるべきで、"ブログはこうでなくちゃ"などは勝手に言ってろで気にすることもあるまい。何も気にせず自分のやりたいことをやる人間には…

    ただ、ブログを始める際に、「どうやればいい?」とか、「人はどうやってる?」とか気にする人はいる。そういう人は気にしてあれこれ考えたらいいが、ハッキリ言えることは世の多くのことに答はない。あれこれ言う他人がいたとしても、それは正解ではなくその人個人の考え方で、それを押し付けるに過ぎない。人間はこういう風になれば割りと自由に生きられる。

    自由志向性の強い人は、抑圧された過去があったのかもしれない。自分に関していえばまさにそうである。人は分らないが、同じ抑圧されても抑圧を受け入れて生きる人もいる。その違い一つとっても人間は二つに分かれるようだ。友人などで、「どうしてそんな抑圧を受けて平気でいられるのか?」という不思議さはたくさん見聞きもしたが、「別にそれでいい」という。

    反抗(反発)しないのか?というと、(たとえば相手が親なら)「育ててもらったから」という。以前はそれについていろい言ったが、反発は人に言われてするものでも、できるものでもない、自分の内から溢れ出たものであって、だからいろいろ言っても相手を苦しめるだけというのがよく分った。反抗は自分が自分の利(自由)を求めてやるもので、誰のためでもない。

    社会学的にいえば、人が人に価値観を伝授することはできない。人は単に環境から学習するが、環境の中には価値観を伝達したがる人もいたり、何がしかの(例えば幸福というような)価値観から乖離した行動をする大人もいたり、どんな人がどういう価値観を伝授するかは子どもに大事である。あとは自己教育力、そうした環境の総体から子どもは物事を学ぶ。

    間違った価値観を子どもに伝授する親は多いが、それでは、「間違っていない価値観とは何だ?」ということになる。AがBを見て間違いといっても、BはAを間違いと思っている。となると、何が正しいのかというのをどうやって見つける?それが思考である。あるいは賢者や博識のある人に尋ねる、教えを乞う。それを体系にしたものが宗教ではないだろうか?

    よって、キリストもマホメットも釈迦も正しい考えを持っている人とみなすところから始まっていく。もし、3人の意見が違ったとき、誰の意見が正しいかを裁定するものはいない。いないから、というわけではないだろうが、基本的にキリスト教徒はキリストを正しいと、イスラム教はマホメットを正しいと、仏教とは釈迦を正しいと信じているのであろう。

    宗教は信教とも信仰ともいうように「信じる」が前提で、信じる人を信者という。人が信じることに他人が口出しするのは間違っている。とはいうものの、新興宗教の教祖には間違った人もいるから、誰かが信者に「間違っているよ」と教えなければいけないが、教える人が親であり、兄弟であり、友人であっても、崇める教祖とは格が違うから、おそらく無理であろう。

    昔のことだが、2人の女性に宗教を止めさせたことがある。3人目は「エホバの証人」でコレは寸前まで言ったが無理だった。いずれも寝食を共にするくらいの深い関係であったから成立したと思っている。女は(みながそうとは言わないが)、自分が入信している宗教を隠すことが多いが、恋人や彼氏ができると、生活の一部となっている宗教を隠し立てはできなくなる。

    そもそも信者としての宗教を隠すということ自体、負い目があるとみていい。宗教とは不思議なもので勧誘されて深く考えずに入信し、止めるきっかけもないし、止めると災いが起こるのではという不安が先立って宗教を止められないようだ。内部の誰かに「止めたい」などというと、説得や妨害もあるという。説得は分かるが「妨害」って、それも宗教なのか?

    いや、それこそが宗教なのだ。信者の論理より教団の論理や都合が優先する宗教なんぞ、橋の下の乞食よりたちが悪い。橋の下の乞食は身なりも悪い、住む所も貧相だが、誰にも迷惑をかけていない。そういう意味での乞食です。信教の自由は認められていますが、こうしてブログに好き嫌いを書くのは単に自己問答です。オカマも嫌いと書いても咎めを受ける筋合いはない。

    世の中は好きな物と嫌いなもので成り立っている。それにどっちでもないがプラスされるが、どっちでもないというのはどっちなのだろうか?分り難い答えだから、「興味ない」、「考えたこともない」の方が分りやすい。好きでないなら嫌い、嫌いでないなら好きが決めつけなのかどうなのか、どっちでもないというのは、いい加減に好きとか嫌いとか下せないのだろう。

    確かに二元論は難しい。24色の色を好きか嫌いかで言いなさいといわれると困る。黒とか灰色とかは基本的に好きではないが、黒でなければ、灰色でなければダメというところで、他の色はおかしい。嫌いな黒といっても、黒い洋服は嫌いでも黒いストラトは素敵だし…。「どちらでもない」が単に嫌いだから、黒白ハッキリいうのも、何らカッコイイわけでもない。

    このように何事も思考を深めると、安易に出している答えの実に無責任なこと、いい加減なこと、だからと言って突きつめると生きていくのが難しくなる。そういう時にブログで自己問答をするのだ。したがってブログの発言そのものが自分の(当人)生き方を示すというより、ブログは思考の場としてあれこれ考えるところ。だから極端な思考も飛び出す。

    普段はもっと気楽に安易に生きているものだと思う。囲碁・将棋の棋士が、日常生活の場で何十手も先を考えたり見つめたりはしないだろう。ブログは自身の考えと格闘するけれども、基本は娯楽である。ただし、人間の基本的な性向を現すのは紛れもない。そういった娯楽のなかで、目くじらたてて言い合いし、言葉を荒げたり、それとて娯楽であろう。やりたい人はやればいい。

    ブログに対するこういう意見がある。ちょっと変わった考えなので真意を考えつつ載せてみる。「私がブログを書く理由について書きます。それは、論破されるためです。言い換えると、自分の見識がいかに狭量で間違っているかを知るためです。このブログの記事は、見て頂ければわかるのですが、おそらくはいかにもドヤ顔感いっぱいの上から目線な雰囲気に仕上がっています。

    でもこれは、別に「真理に気づいてしまった俺が無知な読者のお前らに教えてやろう」と思ってやっていることではありません。そうではなくて、自分がその時点で正しいと思うことを出来る限り率直かつ簡潔に述べることが、議論の作法であり、書き手の責任だと考えているからです。特にブクマが伸びた記事などでは、しばしばコメントで辛辣な批判もいただいています。

    しかも、そうした辛辣なコメントの多くは、私の記事側の間違いを的確に突いています。この2ヶ月書いてきたことの半分くらいは、既に間違っていたのではないかと考えるようになっている程です。これははっきり言って凹むし、とても恥ずかしい。しかし、同時にこれこそがブログを書く意味でもあります。ブログに書かなければ、私は自分の見解が間違っていたということを知ることができなかったはずだからです。

    知らなかった前提知識を教えられたり、小気味良く論破され、自分では気づけなかった間違いに気付かされることは、頑張ってブログを書き、間違いがわかって凹む、というコストを払うのに十分値することだと思います。誰かを論破してしまったとき、得るものは(少しの快感以外には)何もありません。でも、論破されたとき、世界は少し広がるのです。これは何者にも代えがたいことだと、私は思います。」

    性格がなんとなく伝わる文章だ。真意は奈辺にと言えるほどにたくさんの思いが文字に現れている。①論破されたいはコメンターをよい気分にしてたぶらかしている。②我こそは論客なりを呼びよせている。などと殊勝な言い方だが、孤独な人のようだ。そのそも「論破されたいがブログの目的」と、向上心に見せているが、黙っていてイイことをあえて口にする。

    それが本当に目的なら、自分はこの人には何も言いたくなくなる。仕掛けにかかっているようだからで、それに気づかずあれこれいうのも羞恥であろう。それがもし本当にブログを書く理由なら、そのように書いてはダメだ。真意を隠してこそ向上する意味があろう。だから、嘘でも他の理由にするか、黙っておくほうがいい。例えばこういう女がいたとする。

    「私を口説いて欲しい。口説かれるのを待ってるし、望んでいる」という女。こういうところにしゃしゃり出て行く男はまず、口説けないし、女に弄ばれているだけ。本当に男を求め、口説かれたい女はこんな発言はしないものだ。余計なことはいわず、だまってその時間を楽しむ。このようなことを公言する女は、時間を楽しむのではなく、時間を試している。

    上の男がかなりのしたたか者で、腹黒い男であるなら、この女と同様、口説かれない自信があるからだ。口説かれない自信というのは、相手を高度に品定めをしているか、高邁な自尊心を「我が美徳」と誇りたいのであろう。駆け引きは誰にでもあり、それは自然なものだが、駆け引きを公言する人間に素朴で純真さはみえない。隠すべくことは隠したほうがいいのよ。

    「論破されたい」などというブロガーも、「口説かれたい」を公言する女も、ある意味人を見下した失礼な言である。「論破されないぞ」、「口説かれないわよ」という方が人間味を感ずるし、非礼感もない。飛びつきたくなるような客寄せトークには裏があるものよ。表題に書いた、「ブログに何を書こうがそれは自由」と、コレは何ら間違っていない。

    であるけれども、この言葉をいちゃもん付ける人には言わない。こんな当たり前のことが分かっていながらあえて発言に何かを言う人に、この言葉はその意味で無意味である。これで退散させようなどは逆にみっともなさ過ぎる。くだらないいちゃもんなら、むしろそれを吐いた人間が、赤っ恥を書くようなことを言った方がいい。その発言がまさにそうであるなら。

    以前にいちゃもんつけた側にブログの主が「何を書こうが自分の勝手だ」と言ったら、コメント側も、「そういうなら俺だってなにを書こうが勝手だろ」といわれて、閉口していた。確かにコメントに何を書こうと言い分としては成立するであろう。マツコデラックスは以下のように言う。「どこの誰だか判らない、どんな性格かも判らない人からの書き込みは、ロボットが書いているのと同じだもの。」

    彼の発言は説得力があるというが、これなどはレトリックの典型である。以前から新聞などには読者の投稿として、「秋田県・○田○夫」、「東京都・○川○子」、あるいは「匿名」などもあるが、これとで現実的には、どこの誰だか判らない、どんな性格かも判らない人である。日本全国から集まるというのはそうことで、いちいち誰だの性格だの、いう方がオカシイ。

    それをしてロボットの発言という。こういう種の発言を信条の彼は、突飛で屁理屈を言ってるだけ。好きな物と嫌いな物に白黒つけると、無理がでてくると最初にいった。彼はブログをやらないし、ブロガーは嫌いらしい。それをロボットが書いたというところに、彼の面白さがあるのかどうなのか、自分は何も面白くない。彼の好き嫌いは自己正当化に於いても無理がある。極めつけは以下の発言。

    「日本のデブって頑張ってよく見せようとしても汚いの。それはどんなに小奇麗にしてても自分は醜いんだってどこか卑屈になってるところがあるから、そういうところが本当に嫌い。 アメリカのデブの堂々っぷりを見習いなさいよ。デブほどゴージャスや余裕っぷりを見せてるじゃない。日本人て謙遜と卑屈が混ざったところがあってデブがそれを象徴してると思うの。」

    「何を言うのも自由」ではあるが、「間違いを言うのも自由」ではない。明らかに誤読であるとか、年表とか人物・地名などの誤記の指摘なら、丁重に謝意を示すべきであろう。が、解釈や見解の相違についての指摘は、相手の意見も含めて再考するのがいい。揚げ足などのいちゃもんはそれにあらず。あとは、自分の記事や画像の転載が嫌ならハッキリ記すべきだ。

    文章、画像は、公にした以上自由であるべきだが、人それぞれの判断を尊重すべし。青山繁晴のブログには以下の記述があり、この考えを自分は好んでいる。「この地味ブログの本文、写真いずれも、いくらでも転載可能です。ブログ、SNS、ツイッター、なんでも自由にどうぞ。このブログにあるぼくの記述、写真はすべて、エントリーした時点で公開情報です。

    ただし、一部だけの転載、アップは、全体の意味やニュアンスを変えてしまうことがあります。いくら何でも、"アップするなら、すべてを載せてください"とは言えませんが、元の意味を変えないようには、お願いしますね。」多少オーバーに言えば、多少言葉を変えても元の意味が変わることはないが、問題になったときに元文が残っていればいいわけだし。


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    とある歯科医院に1年以上通っている。1年間の治療が終り今はケアが主体。そこで思ったことだが、今までの歯科医院に比べてまるで違う。院長はどこも大差ないが、違うは衛生士である。歯科医院は口の中を見るので普通は喋らないし、喋ることもできない。ところが治療を中断してでも話をする。それも無駄話ばかり。今までこういう歯科医院はなかった。

    そのことでふと気づいたことがある。ある時、院長が「この歯は抜いたほうがよい」と言った時に、なぜか「No!」と言った。理由は、歯は自分の所有物で、抜く抜かないは自分の意思、という気持ちがあったからだ。だから、医師にいわれても抜く気にはなれなかったが、同じことを歯科衛生士に言われた時、一つ返事で「はい、分りました抜きます」と答えた。

    その事が自分でも不思議で、自分のその心の動きや状態を自問してみたのだ。自分が分らないから様々挙げられる理由を挙げて自分に問うた。まず考えたのが、「女が好き」という男の本質で、同じことを男に言われるより女に言われる方が効果がある。男は女に弱い生き物。確かに一般的に言われることで、お前は女が好きかといわれれば、そりゃ男よりはいい。

    というより、「いい時もある」が正しい。「女より男がいい」と思うことも多く、男は嫌いではない。が、数年前にお腹を切って2週間入院した事があった。入院というのは、19歳の時に盲腸を切って以来だから、50年近く病院のベッドに横たわったことはない。その時に男女の看護師を経験したが、人数的にも女性看護師が多く、そちらがメインだった。

    男の看護師は分担があるのか、患者の身体的ケアはしないようだった。主たる業務が何かは知らないが、女性看護師にされるケアをもし男にと想像したら、やはり何かが違う気がした。嫌だとか困るとかではなく、女性看護師の方が勝ると感じた。理由は男がスケベだからか?ないとは言えないが、ケアというのはやはり「白衣の天使」に、とのイメージがある。

    看護は女性の天職なのか?いや、まてよ…。それは自分が男だから思うことで、では女性患者は男の看護師の方を好むのか?その辺はよくは判らないし、聞いたこともなければ、聞く宛てもない。そもそも病人や老人の世話は女子供の仕事であって、それは男は狩猟(稼ぎ)という流れからであったろうし、古来から外国では病人の世話は修道女の仕事だったりした。

    その進化系が看護婦であって、女性だけの職場のイメージがあった。女の子は大きくなったら看護婦か美容師、男は大工・左官というのが手に職を付ける代表であった。大工・左官に女性は聞かないが、男性美容師は多く、男の看護士も少ないけどいるにはいた。当時は女性は看護婦、男は看護士といい、2003年からいずれも看護師という名称に統一された。

    とはいえ、男性看護師の需要はおもには精神病院、精神病棟であったのも、理解に及ぶであろう。アカデミー賞となった『カッコーの巣』で男性看護師と精神病患者の凄まじい様子が思い出される。ようするに、羽交い絞めを含む力仕事の場、それが精神病棟である。上に提した女性患者は男性看護師を好むのかについて調べてみたが、それはないと言うのが実態だった。

    女性患者さんは、なおさら女性看護師さんを要求するという。もちろん、男性患者も同じである。ただし、時と場合により、女性看護師だと恥ずかしいとかもあったりするようだ。一般的に女性の方が、目配り気配り心配りが細かく、より良いお世話ができるとされている。男は無骨者なのだろう。粗忽者という言葉もあり、これも女性には言わないようだ。

    粗忽者とは、そそっかしい人。 おっちょこちょい。という意味だが、女性にいないわけでもない。古典落語で有名な『粗忽長屋』というのがある。ネットで読めるが、あまりに面白いので紹介しておく。「浅草観音詣でに来た八五郎は、道端に人だかりに惹かれて覗いてみると、役人たちが通行人に行き倒れの死体を見せ、身元の特定を行っている最中であった。

    八五郎は死人の顔を見るなり、「こいつは同じ長屋の熊五郎だ。そういえば今朝こいつは体の具合が悪いと言っていた」と言い出した。役人たちは、「この行き倒れが死んだのは昨晩だから、お前が今朝会ったという友達とは別人だ」と言うが、八五郎は聞く耳を持たず、「そんなら、これから熊五郎本人を呼んでくる」と言い残してその場を立ち去った。

    急いで長屋に戻った八五郎は、熊五郎をつかまえて言った。「浅草寺の近くでお前が死んでいたよ」。熊五郎は、「人違いだ。俺は生きている」と反論するが、八五郎に、「お前は粗忽者だから自分が死んだことも気付かないんだ」などと言われているうち、自分が本当に死んだと思い込み、自分の死体を引き取るために八五郎に付き添われて浅草観音へ向かう。

    浅草観音に着いた熊五郎、死体の顔を眺めて、「こいつぁ、間違いなく俺だ」と言う。野次馬たちは一様に呆れて、「この死体がお前のわけはないだろう」と言うが、熊も八も納得しない。二人が、「熊五郎の死体」を抱いて運び去ろうとし、役人と押し問答になる。熊五郎は、「どうもわからん」と呟く。「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺は一体誰?」

    いかにおっちょこちょいと言えど、そんなレベルではない粗忽者の話である。小噺は誇大されてこそ面白いわけだ。5代目柳家小さんが、4代目からこの噺を教わった際、「これは粗忽噺の中で一番難しいと3代目は言っていた」と聞いたそうだ。立川談志は、主観が余りに強すぎたが為に、自分自身が死亡している事すらも正しく判断できなかったのだとしている。

    それで、談志は「主観長屋」と称していた。ある日、立川談志が『粗忽長屋』を演じて楽屋に降りてきて、「どうだ、俺の『主観長屋』は!」と周囲に言った時、居合わせた志ん朝は、「普通に演れないだけじゃないの?」と言い放ったというエピソードが残っている。小さん、談志の『粗忽長屋』を比較して見た。良否は一長一短あり、それがそれぞれの個性であろう。

    が、噺というのは、取るに足らないことを面白く脚色して聞かせなければならない。演目のストーリーなんてのはそれこそ2分もあれば伝えられるが、ストーリーを伝えるのが噺家の役目ではない。2分の物語を20分に広げるための有用な無駄話がほとんどである。どういう前ぶりで導入するか、どういう無駄話で観客に魅せるか、それら一切も噺家の個性である。

    と、まあ本日も表題を決めて記事を書いているが、様々な関連からあっち行き、こっち行きの落語のようになってしまう。ところで、看護師というが、歯科衛生士という。医師というが、消防士という。美容師というが弁護士という。漁師というが武士という。書式に慣れているからか、医士、美容士、弁護師、武師は何か変。そこで「師」と「士」の違いを調べた。

    江戸時代は、職人に多く「師」を使った。浮世絵師、瓦師、味噌師、表具師、畳師など…。それよりも武士とあるように、「士」を「師」の上としたように、江戸時代にあって師と士は明確に区別されていた。そして明治~昭和時代にあってはいろいろな職業が増え、そこで職業名をつける必要が生まれた。職人の動きをみていると、ほとんどの人が手を使っている。

    それで職人としての師が流用されていき、猟師、漁師、医師などが発生した。以前、医師は医者と呼んだ。一方、会計士や弁護士、行政書士、司法書士など、一級国家資格に「士」が使われた。これは武士にあやかり、偉い階級ということで…。平成時代に入ると一層機械化が進み、職人の必要性は下火になり、瓦師、表具師、畳師などは珍しくなって行った。

    医師、教師など、偉そうなのは残り、「振込め詐欺」を発明した頭のいい詐欺師も活躍中だ。それに代わっていろいろな資格に「士」がつかわれるようになった。建築士、歯科衛生士、税理士、介護福祉士、栄養士、不動産鑑定士、自動車整備士など、その数は膨大である。近年新しく生まれた資格検定から、「○○士」とつけられた(どうでもいいような)資格も多い。

    「~師」又は「~士」の付く職業名は、保健医療の分野に21職業、法務の分野に3職業、経営の分野に3職業ある。これらの職業は、いずれも法的な裏付けにより国が資格の交付にかかわっている国家資格の職業であるという点で共通しているが、医師、薬剤師,看護師と、理学療法士、歯科衛生士のように士の付くものはどのように使い分けられているのだろうか。

    日本で最初の看護学校は明治18年に設立されたが、当時はまだ看護に関する資格制度が導入されておらず、看護の仕事に従事する者は看護婦や看護人と呼ばれていた。看護婦、助産婦、すべて「師」と改訂されるが、医療分野の技術的な仕事の職業名に「師」がつくのは、第二次大戦前に、概に職業として成立していたと考えられている。現在、「師」と「士」の区別のルールは判りづらくなっている。

    第二次大戦前から存在した歯科技工士は、なぜ「師」ではないのかとの問題も解明されていない。「士」は明治時代になって西洋の制度を導入するようになってから、使われ始めたまでは分っている。まあ、あまり突きつめて、知識を得てもどうということはないのだが…。自分の体を委ねるがゆえにか、医師と患者は信頼関係が大事である。が、医師とは無駄話をする機会などない。

    いうまでもない、人と人はコミュニケーションすることで信頼関係を築いて行くし、歯科医院の場合それはもっぱら歯科衛生士の役回りであろう。「感じのよい歯科医院」なんてのは歯科医の対応より、歯科衛生士や受付も含めた院内全体の雰囲気の向陽性であろう。今まで通ったすべての歯科医院は"お通夜"のようなところばかりで、そういうものだと思っていた。

    やはりコミュニケーション(会話)は大事である。それがあるから、自分は衛生士の指示を聞くし、コミュニケーションの全然ない医師とは、そこら辺りが違うのは当然だ。敵対するわけではないが、男と男はいかばかりのそういう感じは否めない。同じ事でも女性の方がトーンが柔らかいし、それよりなにより先に言ったコミュニケーションが成り立っている。

    親子でも夫婦でも恋人でもコミュニケーションは信頼関係を築く。会話は無駄話で十分だし、他愛ない無駄話の方がむしろいい。「患者と私語を慎むように」などという院長はダメだろうな。巷の見方もそうだと思うが、歯科医院の繁栄は、医師より衛生士にかかっているというのは、決して言い過ぎではないだろう。それでなくとも行きたく歯科医院である。

    行くのが躊躇わないような雰囲気は、衛生士が醸し出すものだろう。コミュニケーションが苦手、好きでないという人も居るだろうが、自分の知るある営業マンを思い出す。子どものころから赤面症を自負するだけあって、会話は苦手、人付き合いは苦手だったという、そんな彼が優秀な営業マンに変身した。彼から過去の事実を聞くまでは想像すらしなかった。

    彼はそんな自分を嫌悪し、自己変革のために「話し方教室」にも通ったという。現在の彼からして想像ができないし、だから興味をもっていろいろと尋ねた。「話し方教室ってそんなによかったの?効果があったってことだな?」と問うと、答は「No!」であった。彼は言う。「良いとか悪いとかいうより、中でメンバーが話し合う時間を持つということだけです」。

    「なんだ、それならサークルに言って会話するのと同じじゃないか?」、「ハッキリいってそんな感じでした。そういうところに行って会話が上手くなるとかではなく、話す機会を多く持つという、それだけです」。なるほど…。英会話教室も同じこと。そこで英語で会話するだけである。語学を習得するもっとも適切な方法は、その国に行くことである。

    その国に行って、その国の言葉を使わなければ生活できない境遇に自分を置くことである。それが何より手っ取り速いし、一定期間外国に行くとか、留学するとかの主旨はそういうことである。その国で生活すればどんなバカでも話せるようになる。生まれた子がその国の母国語が話せるのと一緒だ。塾に行けば成績が上がるのか?ピアノを習いに行けば上手くなるのか?

    誰もそうはならない。友人も会話教室に行ったから有能な営業マンになったわけではない。普段から高い意識と目に見えぬ努力を続けていたことに尽きる。「きっと地道な努力をしたんだろうな?」というと、「努力の記憶はないですが、希望はずっと持ち続けていました」。それを努力というのであって、努力した人間は自分ではそう思っていないことが多い。

    大した努力をしない人間の方が努力をしたという場合が多い。努力は目的ではないし、単なる手段であるから、目標・目的に達した人間(結果を得た人間)は、努力という手段を誇示したり自慢はしないものだ。努力を誇る人間は、目的・目標を得られなかった人間に思える。「努力したのにダメだった!」という人間は、本当に努力をしたのかどうかの疑問が沸く。



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    結果を得た人間はその努力すらも当然であったろうし、それだけのこと。結果を得るためにした努力であるなら、「努力」そのものが美化されるわけでもない。まあ、美化する人もいるにはいる。「努力は人を裏切らない」という言葉は、努力をさせるための言葉で、あくまでもプロセス(過程)の大事さを説く。結果を問う前にとりあえず、「やれ」と。「努力」といっても100段階くらいはあろうし…

    結果を出した人は、「努力した」しか言う事はない。逆に、「結果がでなかった」と文句をいう人はおかしいのよ。とにかく一生懸命やる必要があったということ。結果が得れなかった人間が、「こんなんだったら努力しなければよかった」みたいな恨み節をいうのは間違っている。最初から、「君は努力しても無理、やらない方がいい」と分かってるなら別だが、何事もやらなきゃ分らない。

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    確かに最初から結果の見えてる人間はいる。極度に高い目標を掲げていたりだと、「こいつはやるだけ無駄」という見え方はするが、可能性はゼロに近くてもゼロではない。何も行為しないなら「0」だが、何かを行動するなら、「0.00001」でも、「0」とは言わない。「行動は可能性を生む」は間違いのない事実。何かをしなければ、何事も「ゼロ」である。

    エロ医師には困ったものだが、触診は大切であろう。子どもの頃に痛いおなかを先生の暖かい手の平で触られただけで、治るような気さえした。お医者さんは魔法の手を持っているようだった。打診というのもある。診察のときに医師が背中や胸やお腹をポンポンポンと叩くあれだ。何のためにかといえば、熟練した医師は打診から色々の情報を得れるからという。

    昨今のように検査機械に頼る若い医師は、打診などで得る情報はないだろうし、だからやらない。内科医は、五感(視覚、聴覚、臭覚、触覚、味覚)のみならず、第六感まで働かせ、病気のありかを探っていたという。打診は昔は必須であったが、現代医療では意味がないといえばそうかも知れない。スイカを叩いて美味しいものを見分けるのは、生産者ならお手のもの。

    素人でもポンポンやっては見るが、近年は「糖度計」を差して簡単に正しく計測できる。勘に頼った時代と、科学の時代の差であるが、医師のポンポンは子どもにとっては安堵感があった。やたら触るスケベ医師もいるらしく、役得なのか特に若い女性などには、無用な触診をするらしい。「医は仁術」という高貴な考えはどこに言った?「医は女性をジンジンさせる術は無用」。

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    自分の体を預ける以上、「信頼関係」が大事と言ったが、医師と患者というだけで信頼関係が生まれる時代は過去の遺物。医師が常に上から目線で患者を見下ろしていた時代とは違い、昨今は患者が医者を選ぶ時代のようだ。「医師を信用してはいけない」というキーワード検索をしてみると、かなりヒットする。これら患者の実体験が、ネットに書かれている。

    ある体験談を人が情報として発信するを情報化社会という。「医師を信用してはいけない」の最大の理由は、医療も「業」であるからだろう。「医療」は「医業」といってもいいが、「業」に見せないところも医療の隠匿体質的なところでもある。「業」であるのにあまり「業」を使わないのは、「医は仁」の名残りであろうか。「仁術」とは、人命を救う博愛の道との意味。

    「医は仁術」と言われた時代、医者は奉仕業的であったが、現在は、「医は算術」と言うように、医者とお金は切っても切り離せない仲になっている。計算高い、打算的、守銭奴医師などの意味で、「医は算術」と揶揄された背景には、「診療報酬の不正」や、「薬づけ医療」といった、儲け本位で患者を食いものにした乱療時代が、医師の信頼を奪ってしまった。

    今でも不正に手を染める医師は後を絶たないが、こんな時代に、「医は算術であれ」と公言する医師がいる。悪徳医師の代名詞とも言う言葉をあえて吐く医師も珍しやと思いながら記事を読むと、「算術」の意味が違っていた。奈良県大和郡山市にある総合病院「田北病院」のホームページにある、『仁愛の心』と題された当病院名誉院長のブログである。以下紹介する。

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    「先日ある新聞に“医は算術であれ”という記事が掲載されていました。これを書かれた高名な物理学者の経験によりますと、この方の87歳になるご母堂は体のどこも悪くなく膝が少し不自由であり、そのため時々看護師が訪問看護に来ます。その時看護師はご母堂に“おばあちゃん”具合はどうですかと聞くそうです。この“おばあちゃん”が気になられるようで、介護を頼んでいるが全人格を預けているわけではないと、時々こぼされるそうです。

    看護師には悪気はなくても、高齢者であるからといって、みんな“おばあちゃん”と呼ぶ事は問題です。その前に一人の人間として扱って欲しいという望みがあり、相手の気持ちやバックグランドを知って接するのはビジネスの基本であり、医療の世界ではこれが欠けていると述べられています。この事により、あえて“医は算術であれ”と主張されているわけです。本来は医は仁術であると言われてきました。

    この方も、医療を金銭で計る事は反対と述べています。しかし医療の世界には相手の気持ちやバックグランドを知って接する態度が欠けていると指摘なさっています。ビジネスの社会では顧客が存在し、それぞれの顧客の背景を調べ、その要望を聞いて臨機応変に対応します。医療にもそのような考えが必要ではないかと述べられています。科学の世界では多様な見方をする事が非常に大切です。

    一つのものでも角度により見え方が違います。医療の世界でも同じで、患者さまや介護を受ける方の目も加えなければなりません。マニュアル化された紋切り型の対応は問題となります。医療従事者には患者さまを庇護すべき弱者と考える方もおり、いわゆる医療のパターリズム(父権主義)につながります。これでは知らず知らずのうちに患者さまと医療従事者との間に上下関係を生む事になり、独立した人間として患者さまと接する配慮に欠ける事になります。

    ビジネスの世界では契約は両者が対等の立場。しかし医療の世界では、医療従事者は一段高い位置にいるとの考えが未だ一部に残っているようです。患者さまからすれば、身は委ねても“こころ”まで配下にされてはかなわない。医療従事者は、いい意味で“医は算術であれ”を心掛ける必要があると思います。」

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    一読して、「なるほど」と思った。納得したという、「なるほど」ではなく、うまくまとめたというでもなく、まあ、"我田引水"的な、「なるほど」である。ここにいう、「医は算術であれ」の「算術」とは、元記事の物理学者のいう、「相手の心を推し量れ」、「バックグランドを熟知して対応せよ」との意味だが、これらは物理学者の理系思考からすると、「算術」というのだろうか?

    だとすれば、「算術=人の心を計算」ということ。「人の心を計算する」という言い方は馴染めない。「万有引力の法則」を発見したニュートンは、科学者、数学者として知られているが、実はこういう言葉を残している。『天体の運動はいくらでも計算できるが、人の気持ちはとても計算できない』。計算が商売のニュートンも、人の心は天体の計算の様にはいかないのだと。

      ・人の気持ちに共感や同情することはできる。
      ・人の望みや考えを推察することはできる。
      ・人の考えを疑うこともできる。
      ・人の心を信じることもできる。
      ・人の心を思いやることもできる。

    のように、人の心(感情・望み・考え)を推察することはできるが、あくまでも推察であり、人の心はわからない。不確かな推察を信じて、右往左往するのはよくない。よって、人の心を計算し過ぎないこと。相手の心を察し、思いやりをもって考えた場合には、計算から得る答よりも、自分で答えを出すことよりも、相手の悩みを聞いてあげる方がいい。

    この名誉院長は、物理学者の母親の心を無視した看護士の呼び方に、「もっと計算しなさい」と言っているのなら、大科学者ニュートンの、「人の心は計算できない」を理解できないだろう。87歳の老婆にして、「おばあちゃん」と呼ばれて嫌だという人がいるなら、その事を看護師に計算して理解しろという方が無理である。ニュートンでさえ、ご母堂の心は理解不能だ。

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    87歳の老婆を、「おばあちゃん」と呼ぶのはやさしさと感じるが、○○さんと苗字で呼ばれたいのか?「おばあちゃん」と呼ばれるのを嫌がる老婆を、"ひねくれババぁ"とは言いすぎか?どちらにせよ、人の心は計算できない。だったら、「おばあちゃんと呼ばないでください」と言えばいい。それが親切というものだろう?「おばあちゃん」と呼ぶ側に罪はないんだし…

    「おばあちゃん」の呼び方が嫌だと意思表示をした方が罪をつくらない。それを息子が、「医は算術であるべき」、もっと計算を…と指摘するのは、いささか仰々しすぎる。簡単なことを難しくしてしまっては、人間関係を歪めてしまう懸念もある。「体はどこも悪くないし、介護を頼んでるだけで全人格を預けてるわけではない」などと息子にこぼすという母である。

    つまり、「おばあちゃん」と呼ばれることが馴れ馴れしすぎるから、もっとよそよそしい関係がいいと息子に愚痴をいう母。だったら息子がなだめればいい。それが言えない息子なのか?だから、算術を用いよと、意味不明で手前勝手なことを言う。介護する側からすれば下の世話もあるし、相手の羞恥心を緩和するためにも、介護士や看護師は打ち解けようとするだろう。

    それが気にいらぬなら、息子を通していってもらえばいい。被介護者の心情は自尊心にも関わるし、対応が難しい。我がままな人の世話はなおさら難しい。よって、善意が悪意に取られるのは双方にとって不幸である。自分は介護は必要ないが、目下、歯科医院で歯周病ケアをやっている。これは歯の重要さ、大切さをしみじみと理解したからでもある。

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    分担と言うわけではないが、医師は治療、衛生士はケアが主体。人にもよるが、態度は柔和でも医者の本質は権威的である。反面、歯科衛生士は患者と対等感があり、同じ言葉も"上から目線"的にならない。内科、外科の看護師と歯科衛生士を比較すると、患者に対する密着度が違う。看護師は注射や言葉のケアが主で、歯科衛生士ほどの定期的な密着業務をやらない。

    医院が繁盛するのは、"美人の看護婦あってこそ"と言われたが、同様に歯科医院の隆盛は密着度の高い歯科衛生士にあり、美人でなくてもいい。女性患者などは、建物の美観や院内の清潔感を気にする。自分が紹介した女性も、「この歯科医院は清潔感もあるし、従業員の応対が明るくて馴染みやすい」と、紹介した歯科医院を気にいっていたが、他にも以下の理由をあげていた。

    「私は子どもの頃から歯医者が嫌いで、親に連れて行かれようとしたら逃げ回ったり、泣いて断った。今はそのツケを強く感じているし、大人になってから、必要に差し迫られていろいろな歯科医院に行ったけど、虫歯の治療なら長くて10回も行けば終るし、あくまでも治療に行くという感覚だったけど、今のところのようにケアを重視してくれる医院はなかったし…」。

    彼女も通院して一年以上になるし、「これからもずっとケアを続けて行きたい」といっている。彼女も歯科衛生士さんが気にいっており、若いせいか院長も物腰が柔らかく、語り口が女性的だといっていた。30代後半の医師だが、自分のように年配で、物怖じせずにズバズバいう患者は苦手かも…。だからか、衛生士に言わせたりする。こういう場合においても衛生士は大切。

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    衛生士とは外で会い、メール交換はしても、上心(下心の反対)でしかない。医師ともやってみたいが無理であろう。お医者様に気安く、「飯でも食いに行こう」と言える雰囲気もない。彼らは世界観が狭く、異業種交流でさまざま吸収した方がよいが、施術中に無駄話もなく、患者との友愛感情も育まれないし、医師と患者という純然たる関係しかあり得ない。だから衛生士が重要なのだ。

    前にも書いたが、スーパーやデパートの試食販売のオバちゃんも、よく見ていると買ってもらいたい食品の話よりも、顧客が連れてる子どもを褒めたり、幼稚園や学校とか、無駄話に導入している。おそらく、試食販売マネキンの営業マニュアルかも知れない。つまり、無駄話をすることで顧客と人間関係を作る。そうすることで、その商品を買わなきゃいけない気分にさせる。

    「美味しいね、また後で買うね」で退散する客が多い中、無駄話で人間関係を作ると、断りにくくなる。"営業マンを家に入れてはダメ。どうしても買わされる"というセオリーがあるように、彼らは短い時間の中で顧客との人間関係を作る話術に長けている。相手に擦り寄ったり、お世辞をいったり、頭を下げたり、(営業成績の)泣き言をいったり、これらみなが買わせる術である。

    その日がダメでも通ってくる営業マンに、顧客は根負けする。断ったら威圧したり脅したりなどの言い方をする営業マンは下の下で、優秀な奴は今日がダメなら明日、明日がダメなら明後日というスパンで考える。時間をかけなければダメな顧客もいる訳だから、購入しなかった顧客でも決して悪い印象を与えず、爽やかに、好印象のまま去って後日勝負する。

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    一人の女に照準を当てたコマシの奥儀は、「慌てる乞食はありつけない」である。前に出会い系である男と会った中学教師が、エッチを断ったらボロカス言われたという。「ココまで来てやらせないだと?男を舐めんなよ。お前のような世間知らずのお嬢さんと俺とは訳が違うんだよ。三流大学出て出世もなくこき使われてるサラリーマンの何が悪い?」などと啖呵をきられた。

    こんなこと言われたら普通は腹立ってそそくさ帰るはずだが、ヘビに睨まれた蛙のように大人しく指示に従うM気質とでもいうのか、その中学教師は男の言いなりになった。こういうぶしつけで野生的な言葉で女に言い寄った経験のない自分には未知なる世界観である。よくもそんな言葉で…としか思わないが、こういう男の強引さに魅力を感じる女もいるんだなと。

    人の世に正解はない。すべては人と人の相対関係の中での出来事だ。だから、「こうすれば女が口説ける」みたいな、"How to本"が売れたとしても、まったく効果はないと思う。何故って、目の前の対象は本に書いてある女とは別人である。人間関係は自ら実践し、学習するしかない。かつては目の前の女はみんな口説く対象だったが、今はまったくそういう気はない。

    今は女性と何処で会っても、食事をしても、女というより人である。人間の満足は、「求める」から「与える」に移行する。異性を性の対象と見る時代は誰にもあるが、年を重ねると人間関係に興味が移る。人間関係とは何?人間と人間の関係のこと。社会や集団や組織の場、あるいは個人的な場における、感情的な面も含めた人と人の関係のこと。ガツガツ男もだんだん年を重ね、紳士になって行く。

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    それにしても世の中はいろいろな人で成り立っているというのが、一昨日の記事に書いた物理学者の考えと、それに呼応した病院の名誉院長。いろいろと物の見方の幅を考えさせられた。高名な物理学者という事だが、高名であれ無名であれ、オカシなことをいうものだと、批判する自分の論は正しいのかというと、物理学者の言葉を批判する意見を述べているだけ。

    人の意見を批判すると、「だったらお前は正しいのか?」と反目する人間は多い。批判する側が正しい、批判される側は間違っていると、そのように言う場合もあるが、正しい、正しくないはあくまで便宜的な言い方である。物理学者の意見は、彼が正しいと思っていっているかどうかは分らないが、まぎれもない物理学者の意見であるが、正しいとはいっていない。

    自分は物理学者の意見を批判はしたが、自分が正しいとは言っていない。どちらも「正しい」言ってはいないが、心で「正しい」と思っているかどうか、それは分らない。自分はどうか?物理学者を批判した意見を正しいと思っているのか?そうは思わないが、彼の意見は間違っていると考える。それに対する自分の意見は言うが、「正しい」と言うのは実は難しい。

    つまり、「正しい」とはどのように正しいのかを含んでいるからだ。①自分にとって正しい(自身の知識、考え、人生経験などを総合して)、②自分にも人にも正しい、③男として正しい、④日本人として正しい、⑤すべての人間にとって(批判の余地のないくらいに)正しい、⑥宗教信者として正しい、などが具体的だが、これ以外にも「正しい」の用法は多い。

    親として、子として、上司として、部下として、企業人として、また政治家として、物理学者として、哲学者として、など職業や老若男女や地域性、国民性などを付け足せば「○○にとって正しい」はどんな風にも言える。武田邦彦教授の著書『正しいとは何か』を紹介したが、こういう本を読まずとも「正しい」がどう正しい、何に正しい、誰に正しい、とすれば難しい。

    批判を怖れぬことだ。批判をするち、「お前が正しいのか?」という反論も返ってくるが、そんな言い方は野暮というもの、恐れる必要もない。その様に言われたら、「正しいかどうかの判定は自分にはできないが、自分の考えを言ったまで…」と言えばよい。何が正しいなどは当事者に判定ができないと言っても、第三者なら正しく判定できるものでもない。

    判定者はスポーツ審判員のように、あるルールに乗っ取ってなされている場合、ルール違反かどうか、得点を争うゲームなら入った得点に合理性があるかどうか、認められるか否かの判断を委ねられている。それでも正しい判断(判定)は難しく、ミスも多い。裁判官とて同じことで、正しい判断を常に下すという事でもない。つまり、裁判官もミスをする。

    裁判官のミスも許されない。というより裁判官のミスを誰がミスと判断する?それは別の裁判官がすることになる。ある判決に納得できないなら、上告というシステムがあり、上級審(上級裁判所)によって下級審(下級裁判所)の判決が覆されることもある。これは下級審の裁判官が間違っていた、という何よりの証明である。では、下級裁判官は間違え易いのか?

    高裁、最高裁の裁判官は間違いが少ないのか?そんなことはない。上級であれ下級であれ、ミスはするし、ミスのない場合もある。上級裁判所が下級裁判所の判決を支持することも多く、こと裁判官にとって最高裁判決というのは、絶対に従うべきルールである。民間実務家(弁護士)は、最高裁であれ、高裁であれ、地裁であれ、判決は非常に重要視している。

    しかし、裁判官にとって、最高裁判決とそれ以外では、重さはまったく異なる。高裁の判決ならまだ地裁の裁判官は、一つの参考として見る。しかしそれも参考程度であると思われる。実際、高裁判決といえども大きな拘束力もなければ、先例としての重さを持っていないのである。ましてや、地裁判決ならばほとんど参考にならないとも言われものもある。

    実際、あるベテラン裁判官経験者の著書には、「裁判の現場では、下級審の裁判例についても取り上げることがありますが、圧倒的に大きな力を持っているのは拘束力のある最高裁判所の判例です。」裁判官って一体何?この問いに対する絶対的正解は、「人間である」ということか。その上に形容詞を付け加えれば、「重大なミスをしても許される人間である」

    人間なんてのは何処の誰でも批判は可能だから、裁判官も批判の矢面に立つことは珍しくない。批判もあれば以下のような同情論もある。「我が国の裁判官は日本で最も可愛そうな人種と考えられる。川原の掘っ立て小屋で生活している乞食でさえ、自分の考えを主張して他人と議論することができるが、裁判官の異常な精神構造による思考では、それは土台無理なこと。

    我が国の裁判官と検察官・警察官及び自民党関係者を除き、ほとんど全ての国民・世界中の全ての人々からその考えを否定される。彼らは権力の内部にいる時しか、権力が守ってくれる時しか、自分の考えを主張することができない何とも可愛そうな者たちではないか。退官後は自らの考えを一切主張せず、裁判官であったことも隠して生きるのであろう。」

    我が国は三審制である。裁判の当事者が希望する場合、合計三回までの審理を受けることができる制度で、国民の基本的人権保持を目的とする裁判所で、慎重・公正な判断をする目的である。慎重な審理との関係で、三審制の3段階という階層は必然的なものではないが、三審制を採用している国が多い。一部の案件や「東京裁判」など、軍法会議などの例外もある。

    とはいえ、下級裁判官が全身全霊を傾けて出した結論であれば、それを上級審でいとも簡単に否定されたら、いかがなものであろうか。司法試験には1級、2級、3級などという区別はなく、上級裁判所の判事が、下級の判事より能力が上という根拠はないのである。裁判官の職務はほとんど世間の常識に基づいて行われ、特別な知識や能力、経験を必要とする事案は少ない。

    下級審判決を上級審で否定されたからといって、上級審を非難する声が下級審から上がることはない。自身の判断をいとも簡単に否定されて、正直いかがなものであろうか?下級審裁判官が一生懸命やったところで、上級審でどうなるか分からない、あほらしい、ならば簡単に検察の判断を追認しておこう、ということになってもおかしくはない。それが人間だろう。

    上級審も法的安定性の名の下に、下級審の判断を追認し冤罪事件が作られる。このように、三審制の内包する欠陥が悪しき形で現われている司法制度と言える。裁判官の仕事歯は世間の常識に基づいて行われるので特別な知識や能力、経験は不要といった。彼らの勉強といえば、法の条文や判例ばかり見ていることになろうが、そんなで精神に異常を来さないのか。

    企業の毒にまみれた廃液をそのまま海に垂れ流していいはずがない。こんなことは特別な勉強をしなくても、裁判官でなくても、健全な常識を有する人間であれば何も問題ない。こんな素人でもできる判断に権威をもたせるためか、法律の条文はわざと分かりずらい難しい表現にしている。例えば学者や専門家にしか分らぬような表記だと、素人にはチンプンカンプンである。

    専門的な語句の表記によって難解になりやすい文を、いかに分かり易く書くことができるかで、その人の技術力の高さや能力を判別できる。裁判官は判決の条文を書くのが仕事であるが、あれほど仰々しくも分り難い文はないだろう。あえてとっつきずらい表現記法とすることで、裁判官等の権威の維持と、法の問題点を国民に知らせないことを狙ったものである。

    世の中、専門家がやたら難しい言葉を使って、素人を煙に巻くという事はあるが、「四畳半襖の下張事件」というのがあった。月刊誌『面白半分』の編集長をしていた作家野坂昭如は、永井荷風の作とされる戯作『四畳半襖の下張』を同誌1972年7月号に掲載したところ、刑法175条のわいせつ文書販売の罪に当たるとされ、野坂と同誌の社長・佐藤嘉尚が起訴された。

    本裁判にあたって被告人側は、丸谷才一を特別弁護人に選任し、五木寛之、井上ひさし、吉行淳之介、開高健、有吉佐和子ら著名作家を次々と証人申請して争い、マスコミの話題を集めたが、第一審、第二審とも有罪(編集長野坂に罰金10万円、社長の佐藤に罰金15万円)としたため、被告人側が上告した。1980年11月28日、上告を最高裁第二小法廷が棄却し、わいせつ性の理由を下記のように判示した。

    「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決〔チャタレー事件判決〕参照)といえるか否かを決すべきである。」

    上告棄却後の記者会見場で、野坂昭如は裁判長の栗本一夫を以下、痛烈に批判した。「文章を裁こうという裁判でありながら、判決文が文章としてろくなものでない。こういう文章を書く人たちが日本の伝統に支えられた文章を裁くことができるのか。ハハハ…」この裁判で栗本裁判長は、野坂に「"好色、どうして悪い"と挑まれた。が、裁判官は全く答えることはできなかった。

    1976年公開の日仏合作映画、『愛のコリーダ』(大島渚監督)は、「阿部定事件」を題材に、男女の愛欲の極限を描いた作品だが、本作品の脚本と宣伝用スチル写真等を掲載した同題名の書籍が発行されたが、その一部がわいせつ文書図画に当たるとして、わいせつ物頒布罪で監督と出版社社長が検挙起訴された。対する被告人側は「刑法175条は憲法違反」と主張、憲法判断を求めた。

    一審、二審とも従来の判例を基本的に維持しながらも、「当該書籍はわいせつ物に当たらない」として無罪とした。大島は、「わいせつがなぜ悪い?」と裁判官に論争を提起するも裁判官は答えられなかった。出版物等に対するわいせつの規制は、国家権力が国民を従順にさせるための方策の一つに過ぎない。裁判官はそのことを理解しているから答えられない。

    そもそも国家権力が、国民を従順に従わせる、などということはあってはならないのである。だが、管理されるのが好きで、無知文盲なこの国の国民はこれらに従順である。誰もがパンツの中に"わいせつ物"を所有し、わいせつ行為を行っている。違うのかね、裁判官?最近テレビなどによく顔を出す、元横浜地裁の井上薫元判事は、2006年に再任を辞退して退官した。

    誰が批判していたのかは知らないが、井上判事は判決文が短かすぎると批判されていたという。普通の人でも出来ることに権威を持たせるためには、わざと分かり ずらい表現を用いて、ゴチャゴチャ書かねばならない(これが能力の欠如と相まっておかしな文体となる)、という内部の"常識"がある。井上は先輩が守ってきた裁判官の権威を失墜させるものである。

    という内部からの批判に対して井上氏は、理由もないのに長く書く必要はない、との考 えのようだ。分かりやすく簡潔に、がベストなのは言うまでもなく、どの世界でも常識である。問題は警察、検察の判断を 安易に追認した判断、政権の意を汲んだ判断でない正しい判断ができるかどうかであり、正しい判断が出来れば、判 決文は短くても何ら問題はない。

    井上は旧態依然とした保守的な体質を踏襲せず、自身の考えで対応した。それが上司、先輩ならびに同僚の反発を買ったのだろう。巷言われるように、裁判官は社会を知らない。裁判所という狭隘で小さな組織からでしか社会を見ることが出来ないからであろう。井上氏だけでなく全ての裁判官に共通の問題であろう。


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  • 06/09/15--05:21: 優越感・劣等感
  • 人の心を見抜くというのは至難だが、これは能力でもある。注意して見れば人の本音はどこかに表れるもの。それがその人に会いたいと思わせることになる。世の中には二度と会いたくない人間もいるが、また会いたいと感じる人間もいる。相手にそう思われることもある。相手に媚びたり自分を作ったり、そんな無理をせずとも、ちょっとした相手の心や気持ちが読めることで好感をもたれたりする。

    勘違いや思い込みも同居するが、人の心が見抜けると人生に大きな力となる。書店に所狭しと並ぶ成功本、あるいは批判書も、タイトルの一面だけを読むというより、成功本から批判を見つけ、批判本から隠されたものを見つけるのも面白い。人間は多面的だし、それをSだのMだのと一元的に捉えようとするのは、子どものお遊びだ。人間の深さを知る者はそんなことなどどうでもいい。

    星を見、虫の声に耳を傾け、あらゆる感性を磨く。雲の流れ、風の向きにも注意をむける。人を妬む、恨むがあってもいいが、そればかりにエネルギーを傾けない。反面教師にすることもできる。言い尽くされた言葉だが、人に寿命があるなら今を精一杯に生きる。それが一番いいとは思うが、今を犠牲にして未来に賭ける、あるいは夢を託す人もいる。道半ばで倒れても、悔いはないならいい。

    あれはダメ、これもダメと規制するより、あれがダメならこれ、これがダメならあれという風に、代わりの何かを見つけることだってできるはずだ。学校がイヤ、会社がイヤ、だから行きたくないし辞めたい。学校は学校、会社は会社であり、社会=心ではないはず。ようするに社会と心の二つの視点を持ったらいい。世の中に生きてて楽しいことは沢山ある。苦しい時は自分で自分の首を絞めない。

    ガンジーや空海など、苦しさに耐えた人の伝記でも読み、女工哀史の物語でも読めば、自身の甘えに気づくこともあろう。徳川幕府は、当時人口の九割を占めた農民の不満をそらす目的で、エタ・カワタと呼ばれる身分を、「士農工商」の身分制度の下に新たに作った。さらには、農民に対して、「上見て暮らすな下見て暮らせ」と教え、エタ・カワタの人々への苛烈な差別が行われるようになった。

    「非差別部落史」の通史を物語風に言えば、こんなストーリーが頭に思い浮かぶが、差別の構造は人間の優越感と自尊心であろう。優越感とは自分が他者より優れているとの認識で、ココから生じる自己肯定感情。自尊心の一端に位置する感情といえる。優越感の対語は劣等感となる。人間は優越感と自尊心を上手く使い分けている。ほとんどすべての人間は以下の相反する時間を過ごしている。

     ◎自分が得意なことをする時間、得意ではないことをする時間

     ◎自分の好きな人と接する時間、好きではない人と接する時間

     ◎プレッシャーのかからないことをする時間、プレッシャーと格闘する時間

    自尊心と優越感は、これらをうまくやりくりするための力といえる。得意なことをやり、好きな人と交流し、プレッシャーのかからないことを楽しむためには、優越感を使うことが有効であり、得意でないことをし、好きではない人と接し、プレッシャーと闘うには、自尊心を使うことが有効とされる。無意識に使っている場合の、これら使い分けの意味を細かくいうと、自尊心は、「自分を肯定する力」。

    自分が生きていていい。自分がなにかを好きになっていい。自分が何かを獲得していい。なぜなら、自分はこの世に生き、存在しているからであり、生きている者にはその権利がある。それが自尊心であろう。優越感は自尊心の一端感情といったが、細かくいえば、「自分をすごいと思う力」、「自分を特別だと感じる力」である。自分が生きていていい。自分がなにかを好きになっていい。

    自分が何かを獲得していい。などの許認感情。なぜなら、自分は他の人間とは違うから。自分は特別だから。自分には、他の人間は持っていない特権があるから。などと思うのが優越感。自尊心の発生に他人は関係ないし、必要としないが、優越感は必ず自分より劣った人間を必要とする。それが自尊心と優越感の違いで、優劣の感性こそが優越感である。優越感が発生するときは気分がいい。

    「自分は特別だ」という意識がいいようのない快感になるが、何に対して特別かといえば、「他人よりも特別」なのである。優越感に浸って気分がよいとき、その人は自分が他人からどのようにみられているか、適切に把握しているもので、他人が自分の優越意識に敵意をもっているか、悪意を抱いているか、あるいはその逆の羨望の眼差しについても敏感で、敏感だからこそ隙のない行動をとれる。
     
    これらは優越意識の高い人の顕著な行動だが、優越意識の低い人はまったくこの逆である。自分は他人からどのように見られているのか、一体自分が何を得意としているのかが、自分で理解できない。つまり、他人から見た自画像が適切に描けないということは、悪意であれ、敵意であれ、期待であれ、他人から向けられる感情には鈍感でとなる。優越感は単に思い込みの場合もあるが、それすらない。 

    どうなんだろう、優越感の強い人と弱い人と、どっちがいいと言えるだろうか?優越感の是非を考える前に優越感の対語、劣等感について考えるほうが判りやすい。劣等感はないほうがいい、克服すべきもの、誰もがそのように思うはずだ。強い劣等感に苛まれる人は間違いなく心が弱い人であり、強い心(信念)を持っている人なら、多少の劣等感なら乗り越えられるはずだ。その前に、なぜ劣等感があるのか?

    自分の身体的特徴・心理的特性・生活環境などを他人と比較することで劣等感が発生するが、これは自我の発達と共に自然に起こることでもある。劣等感は誰でも抱くものといっていい。それらとは別に、競争心を煽ったり、競争社会が劣等感を生むといわれている。競争心があるから人は成長するが、劣等感は競争心の残骸であるといえる。人間として生まれ、社会で生息する以上仕方のない事。

    が、劣等感が人を苦しめるなら、「劣等感から解放されたい」、「劣等感を克服したい」と誰しも思うが、思うことが出来るとは限らない。先にもいったが、心が弱い人だからである。となると、心を強くすることで劣等感から解放されることになる。その方法を考えてみるが、言葉で言うのはまあ、簡単だし…。その前に劣等感から生じる悪影響はさまざまあるし、これらを見て嫌気がさすのもいいかも。

     ・人間関係がうまくいかない。

     ・ストレスからうつ病など、健康被害を起こす。

     ・他人に嫉妬ばかりで、自信がもてない。

     ・自分より劣っている人を貶したり、ペット動物を虐待したりする。

     ・自分より優れている人を認められない。

     ・自分を大事にしない、自暴自棄になったりする。

     ・人に攻撃的になり、暴力行為に及ぶこともある。

     ・アルコールや薬物などに依存してしまう。

    他にもあるが、いじめをする側も劣等感の存在はある。人をいじめて楽しいなあどは劣等感の捌け口であろう。優越感とまで行かなくてもいいから、劣等感を無くすという前に少しづつ軽減するために最初にやることは、自分の欠点を知ることだ。嫌なところの順位をつけて、箇条書きに表してみるといい。そうして、自分の嫌なところ、嫌な自分をどうするかという問題に移るのが、第二段階である。

    自分の欠点や、歯がゆい部分をピックアップしても、それで自分が嫌でない、それほど嫌でないというならダメだ。自分の嫌なところは徹底的に嫌悪感をもてるかどうか、それが欠点を直すことも含めた性格改善の一歩である。とりあえず、自分の嫌なことが嫌であるかどうか。それがあって、次の段階の改善の努力に移る。人の精神的な成長と言うのは、努力が伴わずしてあり得ないし、望めない。

    「自助努力」のいいところは、やれば出来るんだという自信にもつながる。つまり、何かの努力をすることは、その人間の様々な点にいい結果をもたらすことになる。「どうせオレはこんな人間だから」、「別にこのままでいいや」という言葉は冴えないものよ。横着というか、向上心がないというか、こんな風に自分に甘えて何もしない人間が、劣等感を背負って生きる。

    劣等感の強い人は例外なく自信のない人間だから、何かに一生懸命になるだけで大いにプラスになるはずだ。とにかく自信と言うのは何かに打ち込むことで得られるもの。理屈を言わず、卑屈にならず、何でもいいから打ち込めるものを探すことだ。ブログをしない人が、「自信がないからやらない」という。それでやっている他人を「自信があるからやっている」という。

    こういう言い方そのものが卑屈といえる。やってる者は自信があるからやっているわけではない。そもそも自信とはなんのこと?文章力?話題?何を自信と言いたいのか、さっぱり分らない。そんなことでやるものではないし、とにかく楽しむことである。言うまでもない、自分が楽しいかどうかである。まあ、他にもいろいろな理由を聞く。交流を楽しむという人もいる。

    いずれにしても「楽しむ」が主体であるはいうまでもない。自分なんか、交流どころか一人でも十分楽しい。何が楽しいかはいろいろあるが、頭にあることを文字によって具現化できるのが楽しい。言葉や文字というのは実に便利でありがたいものだと、つくづく思わされる。文字や言葉がないと、頭にあることを言い表せない、書き表せない。文字や言葉の恩恵を楽しんでいる。

    劣等感の強い人は自信がないからと言った。なのにどうして人と比較するのか?劣等感は人と比較しなければ起こらない。人と比較して自分のダメさに気づき、それが劣等感となるなら、本当は比較しなければいいのだが、それは難しい。だったら比較してもいいから、自分より優れている人は凄いし、沢山いるし、それでいいのでは?人の凄さを素直に認めればいいんだよ。

    もし、人が誰と比べると(どんなに優秀で、どんなに美人で、世界でナンバーワンの位置にいるひとであっても)ほとんどの人は自分が凄いとか、一番だとか思わないものだ。ジョコビッチやタイガー・ウッズと比べると簡単に脱帽するから劣等感にならないが、自分の身近な人、ライバル、気になる人と比べてもいいから、「人は人、自分は自分」と割り切ることだ。

    実際そうだろう?人は人だし、自分の人生にその人が関わることはない。その人の人生に自分が関わることもない。人は人、永遠にそうである。完全に比べるのは無理であるなら、比べる回数を減らせばいい。人には必ずよいところがあるし、同様に自分にも必ずよいところがある。「自分のよいところなど何もない」などと卑屈な物言いをする人間は少なくない。

    これも可笑しなことだ。だいたい、人の良し悪しなんてのは、他人が決めること、判断することなのに、何故か自分でそんな風に言う。バカじゃなかろかといつも思う。自分のことを自分で決めるなと思う。だから卑屈な人という事なんだろうけど…。劣等感を無くすは無理としても、減らす、改善するには他にもさまざまあるが、沢山知っていても仕方がない。

    沢山あってもやれることはとりあえず一つで、自分の嫌なところを一つでいいから直してみせることだ。始めの一歩はとにかく何かやる。本当は劣っていないのに、自己評価が低く、他人を高く評価するのも劣等感の強い人の特質だろう。当たり前だ、自分を過大に低く評価すれば他人の評価は高まるはず。先も書いたが、自分の評価は確信ではない。他人がするものだ。

    などと書いたが、とかく劣等感を克服しよう、改善しようなどの本は腐るほど出回っているし、劣等感を所有してる人がそんな本や文字を読んだところで、それで劣等感が直るなら、世の中劣等感に苦しむ人はいない筈だ。結局はそう簡単には行かない、難しいから、劣等感に苛む人が多いわけだから、自分が書いたものを劣等感の強い人が読んでも直らない。

    それであるなら、そこでどうするとなる。「劣等感なんか直りませんよ」と、コレが最後の手段である。「直るわけないだろう?ずっと劣等感で苦しんでろ、お前のことだ。人が知ったことか!」ということだ。とどのつまりはそれしかない。「ダメ」といわれて反発しないようなら、そういう人間は何をお膳立てしても意味がない。どんなこともやらない。

    バカに「お前なんか一生バカでいろ。バカで暮らせ!」と吐き捨てるのと一緒。問題は言われてどうするか、それしかない。


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  • 06/10/15--17:46: 恋はまぼろし
  • 『田川寿美が離婚 結婚から4年 生活時間のすれ違い』

    演歌歌手の田川寿美(39)が6日、離婚したことを明らかにした。所属事務所が発表した。「私、田川寿美は平成23年10月10日ハワイにて、制作会社役員の方(49歳)と結婚致しましたことを、ご報告致します」と伝えた。「本来なら、関係者の方々に、きちんとした形でご報告を申し上げるつもりでしたが、ご報告が遅れたことを、お詫び申し上げます」。

    とし、「これからも、変わりなく歌の世界で精進してゆく所存でございますので、何とぞ温かく見守って頂けますよう、宜しくお願い致します」と締めくくった。田川は、結婚について、「40歳までにはいい出会いをしたいです。歌だけでは寂しすぎますし、大先輩の小林幸子さんも(お嫁に)いかれたように、歌っていうのは(歌い手の)人生観とか内面とかが含まれる。

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    私もこれから女性として頑張りたいと思う」と希望を語っていた。「姿形ではなくて、心が豊かな、穏やかな人がいいな。高倉健さんみたいに渋くて哀愁のある方がタイプ」と明かし、思いをささげる相手には、「出会ってないですね」と残念そうな様子を見せていたが、その1カ月後に電撃挙式したことになるが、結婚は女性の「夢」というが、少なからず感じられる発言だ。

    男にとって結婚はどうなのか?男といっても各人各様で、「男」で縛ることはできないが、一般的に男は結婚に対し、「社会的地位の確保と子孫繁栄」の意識が強いのではないか?好きな女と一緒に生活したいという個人的な理由もないではないが、対外的(社会的)な理由は、女性より強いかと考える。女性の対外的理由に、"行き遅れないように"はあろう。

    田川もらしきことを言っている。「40歳までにはいい出会いをしたいです。歌だけでは寂しすぎますし、大先輩の小林幸子さんも(お嫁に)いかれたように、歌っていうのは(歌い手の)人生観とか内面とかが含まれる。私もこれから女性として頑張りたいと思う」のくだりだが、この発言の1カ月後に結婚だから、希望・願望というより、固まった気持ちの吐露であった。

    離婚した理由を正しく報告する義務もないから、「生活時間のすれ違い」というのは無難な理由にあげられる。他にも「性格の不一致」、「価値観の違い」、「金銭問題」などが言われ、離婚は幾重にも理由が積み重なった結果であろう。「離婚の理由は、結婚したからです」と、何故いわないのだろう。取ってつけたようなもっともらしい理由よりは正しい。

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    田川寿美の離婚にイチャモンつけたいのではない。田川は身近な人ではないし、芸能人というだけの知らない人である。人は、「生活時間のすれ違い」で離婚するものだろうか?ならば、生活時間がすれ違わないように工夫しないのか?最初はすれ違い生活でも上手く行くが、だんだん上手く行かなくなったなら離婚の際に、「生活時間のすれ違い」とこじつける。

    ようするに結婚当初から時間のすれ違いがあったとしても、結婚というものの珍しさもあって、愛情も豊富にあって、だから気にならないし、負担にもならないが、2年、3年と結婚年月を重ねるうちに、生活がつまらなくなってくるのだろうと、その様に考えるのが順当だ。結婚当初から時間のすれ違いが耐えられなかったら、すぐにでもそういう状況を改善するはず。

    最初は我慢できても、だんだんそれができなくなるの結婚パターンであろう。結婚に限らず恋愛でも、同棲関係にあっても、出来た我慢がだんだん許せなくなる関係と、最初は気になったことがだんだんと許容できるようになる関係があるようだが、この違いは何であろうか?自分も結婚当初は、絶対に相性がよくないと思っていたし、自分の思いを満たす女ではなかった。

    反抗しないのでよく殴ったりもした。今に思うとあの時期は何だったのだろうか?別々のところで生を受け、異なる家庭環境で育った者同士が、何から何まで同じであるはずがないし、「同床異夢」が当たり前だろう。ましてや男女という性差的な価値観の違いもある。それらを時間をかけて、すり合わせていくのが、結婚生活であろうと、そのように考える。

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    だから離婚に際して、「価値観がちがった」だの、「生活時間のすれ違いが原因」だの、そんなことを数年で処理できないのは当たり前である。もっとも、短期間でやれるカップルもいようし、5年、10年、いやもっとかかる夫婦もいる。それが結実しないままに離婚するのは、双方が前向きというより後ろ向きだからではないか。実態を言葉で言うのは難しいが…

    確かに、人類学者ヘレン・フィッシャー博士の言う学説「愛は4年で終る」説は、どうやら科学的に立証されている、というよりデータが示す部分である。田川夫婦の離婚も4年であったなら、フィッシャー学説の踏襲者といえる。以前にも書いたが、『愛はなぜ終わるのか』の中で、「愛は4年で終わる」と提唱されている。が、問題なく続いてる夫婦も多い。

    博士はいろいろな国を調査し、統計的に結婚4年後に離婚する傾向が高いこと発表した。脳科学的データからみれば、快楽物質ともいわれるドーパミン効果は3年で切れてしまう。ドーパミンの量産は、快楽を感じるだけでなく、元気になったり、脳の働きが向上してアイデアをひらめきやすくなる。また、仕事の能率が上がるなどいい事がいろいろある。

    そのドーパミンが切れたことによって、感情のままに押し流されてきた恋は終わりを告げる。つまり、やる気が失せていくということだ。だからか、結婚して4年目を迎えた頃に、自分の将来を真剣に考え始めるのだが、「結婚して4年目に離婚する夫婦が多い」というフィッシャー博士の発表データは、そういった脳科学によって裏付けされたことになる。

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    興奮状態を起こさせるドーパミンの作用は人体にさまざま影響するが、交感神経が刺激されて瞳孔が大きくなり、いわゆる目力が強くなり、頬もピンクになるため、女性としての色香が出る。ドーパミンは中枢神経系の神経伝達物質であるから、恋をするときにも放出されるし、恋愛初期のあのドキドキ感や、心臓の鼓動の高まりもその作用といわれている。

    ドーパミンが多い女性は、必然的に社交性に富み、冒険心があって刺激的といえば、そんな女性、男は気になって目が離せなくなる。大盤振る舞いのドーパミンの分泌をどうすれば増加させることができるか?一番お手っ取り早く簡単な方法は、「笑うこと」である。本心からの笑いでなく、作り笑いでもOKだが、声を出して笑ったほうがより効果的であるという。

    笑うとドーパミンと一緒に、幸せ伝達物質セロトニンも同時に放出され、刺激&癒しを感じさせたい女子にはこの上ない。他にも乳製品、アボガド、鰹、タケノコを食べるとか、カラオケで好きな歌を歌う、緑茶を飲む、適度なアルコールを飲むなどがいわれ、見慣れぬ道を歩くのも良いと言う。「見慣れぬ道を歩く」というのは、「新鮮さを感じる」点で大事という。

    また、カカオ70%以上のチョコレートを1日に1、2片食べるのもいい。カカオ70%以上チョコレートにはダイエット効果もあり、これはアメリカの男性が、独自のダイエット法で115キロの減量に成功し注目を集めたもので、それがチョコレートだった。チョコレートの主原料カカオに含まれる、カカオポリフェノールにダイエット効果があるとの研究成果が発表されたことによる。

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    「愛は4年でおわる」説に戻る。フィッシャー博士はそれに、「恋は3年」説を加えているが、「恋は3年」説は、古来、原始時代からの人間の本能による進化過程で生まれた脳内のシステムであるという。人間は手指を使うために2足歩行を始めるようになった、約400万年前までの進化の過程で、他の哺乳類に比べて極度に骨盤が小さくなってしまった。

    骨盤が小さくなることで、子宮・産道の大きさが制限され、他の哺乳類のように生後すぐに立ったり、自力で動いたりできるいわゆる1人前になるまで、お腹の中で育てることができなくなった。つまり、人間は他の哺乳動物の基準でいえば、胎児のままで出産をしていることになる。生まれた赤ちゃんが自力で何もできず、母親の保育なくして生きてはいけない。

    母親が子どもにつきっきりで保育が必要なら、父親が妻子を保護し、食事を与えなければ妻子は生きていけない。このように、子孫繁栄のために夫婦が協力し、助け合って子育てをする期間が3年である。さらに人間は、2足歩行をすることで脳が大きくなり、先を予測する能力(想像力)と理性を発達させた。この能力で、女性は出産・子育ての苦痛や苦労を予測する。

    逆に男は妻子を守り育てることで感じる重責を予測する。さらには、子供を産み育てることで、男女ともに生活の上での制約をされることも予測する。そういった出産の苦痛や、妻子を養う重責や、家庭という種々の制約は予測し得るけれども、理性的な判断によって、子孫を残したり、子孫繁栄を阻むさまざまな障害を乗り越える決断をしなければならない。

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    そこで脳内物質ドーパミンが、出産・子育ての期間3年の間、理性的判断を抑制して本能や感情を優先させます。こうして、子孫繁栄という人間の一番大きな本能的行為を、ドーパミン効果による恋愛システムが守り抜いたのであろう。進化の過程で様々な傾向を示すものはいくらでもある。そういった習慣や傾向などの非本能習性が、長い間に本能化していく。

    氷河期時代で飢餓を経験した人類が、基礎代謝や動作以外の余分な栄養物を、すぐに脂肪に変えて体内に保存しておくシステムなどもそうである。それら人間の無意識行動の多くには、進化の過程で本能化した非本能習性と言える。食欲も性欲も睡眠欲も、自然に起こると思っているが、その「自然」って奴が本能なのだ。4年で離婚したのは大きな争いがあったから。

    といっても、それは結婚1年目なら許せていたかも知れないし、仲直りできたかも知れない。それが離婚の要因と断定できるなら、「もうコイツとは別れてもいい」というすきま風があったからだろう。修復して何とか続けたいという意識があるならそうするはず。他にも嫌な点とか面とかを経験し、天秤にかけて、無理をしてまで婚姻関係を続けたい意思がなくなった。

    それを何かの理由にかこつけていうのが"離婚理由"である。田川も多くの芸能人が発した、「生活時間のすれ違い」といったが、続けたくないが、続けたいを上回ったということだ。だから、離婚理由などどうでもいいが、公人なら何かと聞かれることもあり、聞かれなくとも、らしき理由を言っておこうとする。だから、「離婚理由は結婚したこと」がベスト。

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    人が抱く恋愛対象というのは、実際に相手が所有するものよりも、自分で心に描き出した相手の像の方を一層愛するところがある。もし、人が自分の愛する対象を正確に、またあるがままに見るなら、もはや地上に「恋」は無くなるかもしれない。それくらいに恋は対象を偶像化するところがある。「恋はまぼろし」と古の人は言った。それは今でも変わらない。

    「姿形ではなくて、心が豊かな、穏やかな人がいいな。高倉健さんみたいに渋くて哀愁のある方がタイプ」。これは田川の言葉である。彼女に限らず、人にはそれぞれにタイプがある。自分もよくタイプを聞かれた。しかし、自分にはコレという偶像化に匹敵するような注文はなかった。反面教師である自分の母と違う心のやさしい女であれば十分であった。

    「好きになった女の子がタイプだよ」と答えていたが、人選びの基本は容姿よりも心であったし、心に惹かれるにはそれなりの時間がいる。かわいい子が嫌いというわけではないが、かわいいだけで満たされるものではない。結局人は人を容姿で満たすのではなく、ハート(心)であろう。生活していくうえで、容姿は役にたたない。「色男に金と力はない」と言ったものだ。

    金も力もない、それでも「色男」(イケメン)がいいという女。イケの血筋を残したいという女の感性的欲望が、"イケの血筋を残したい"という優性論的本能といわれている。だからか、女のイケ好きは、男の美女好きより圧倒的に多い。人間に限らず多くの動物のオス選びは、美しかったり、強かったり、巣つくりが上手かったり、美声(鳴き声)であったりする。

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    それを知るオスも、また必死でアピールするし、もっとも有名にして知られている孔雀のオスは、大きく鮮やかな飾り羽を持ち、それを扇状に開いてメスを誘う。人は、常に幸福を求めるが、常に幸福に気づかない。言い換えるなら、求めるばかりで自分が幸福を得るための障害になっていることに気づかない。あるいは、気づいていても直そうとはしない。

    「そんなことをするくらいなら別れたほうがいい」というほどに自己中心的で、傲慢である。離婚を回避しようと努める人は、自己の良くない点を正そうとするし、仮にそれがはかどらないのであるなら、相手の短所(欠点)を黙認しようとする。それが、「お互い様論」である。自分のことは棚に上げ、相手のことばかりあげつらう人間は、一人でいる方が向いている。


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    最近驚いたことが二つある。一つは6月5日のブログが書かれていなかったこと。もう一つは、10日のブログが書かれていなかったこと。そんなことで驚いたのか?と思う方もいるだろうが、いずれも翌日に記事をアップして、「あれっ!」と、前日の記事が抜けてることに驚いた。この程度で驚くというのは、コレくらいの事で驚くしか、他に驚くことがないのであろう。

    書いたはずが抜け落ちていたのは、書いたという思い込みと、確認の杜撰さである。最近は年のせいか、22時前に眠くなって就寝したりがある。以前のように0時、1時まで平気で起きていることも少なくなった。記事が抜けた他の理由は、注意喚起のおろそかさがあげられる。戸締り、火の用心のような重要な喚起ではないにしろ、以前はそれで失敗はなかった。

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    普通にしているのに、"忘れる"、"思い込んでいる"などの現象が起きるということが、いうまでもない老化現象であろう。気づかぬうちに、意識しないうちに年をとっていくというのが、今回の二つの驚き現象で確認された。まあ、それならそれでいい、人に迷惑をかけるとか、それほどの大事でもなく、自然体で生活して抜けるブログならそれも自然。

    このように老化というのは、自然に訪れるものだろう。人間は病気をしないでいたら一体全体何歳まで生きられるのか?それはどんな生き物にもある細胞分裂に大きく関わる。この細胞というヤツは実は分裂する回数があらかじめ決まっていて、ある回数以上分裂すると壊れてしまう。その回数が人間の細胞では40回~60回で、これは110年~120年にあたる。

    つまり、人間は病気やケガをしない限り、120年ぐらいまで生きられると考えられている。とりあえずこれを「寿命」と言うが、生物学的な限界寿命のことだ。実験用のマウスは分裂回数が14~28回で、寿命は約3.5年となる。亀は万年生きると言うが、確かに長生きするゾウガメは、80~125回も分裂をくり返し、175年もの寿命があると言われている。

    イメージ 2カメやマウスが何年生きようが、それは学者の問題であって、人間が何歳まで生きるかが個々にとって問題であろうし、人間そのものに対する関心事でもあろう。現在の人間の平均的寿命は、大体65歳から90歳くらいの間に死亡している。人は年齢を重ねるうちに虚弱になるからだが、こんにち学者の研究から人間の寿命は1000年も夢ではないという。

    人間のDNA解析から長寿に関係するサーチュイン遺伝子というのが見つかり、それを活性化させる「NMN」という物質も発見された。2011年、ワシントン大学教授の今井眞一郎が、「NMN」のマウス投与実験で、以下に示す驚愕の結果が得られたと発表した。これを機に日本の食品会社「オリエンタル酵母工業(株)」 において「NMN」の研究が始められている。

    1. メスのマウスにNMNを投与したら寿命が16%延びる

    2. 糖尿病のマウスに1週間NMNを投与したら、血糖値が正常に

    3. 生後22カ月(人間では60歳)のマウスにNMNを1週間投与したら、細胞が生後6カ月(同20歳)の状態に

    早速というか、新興和トレーディング株式会社(本社:東京都港区)のオリジナルサプリメント販売ブランド「ミライラボサプリメント」が、2015年4月1日から販売しているNMN配合サプリメント『ニコチンアミドモノヌクレオチド+レスベラトロール』の販売が好調である。販売開始わずか22日間で、Amazonサプリメント新商品ランキング第1位を獲得した。ちなみに価格は29,160円也。

    「不老長寿」の薬ではないが、不老不死は人類の長年の夢である。秦の始皇帝に仕えた徐福は、「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と始皇帝に具申した。それで始皇帝の命を受け、3,000人の若い男女と多くの技術者を従え、五穀の種を持って東方に船出したのだが…、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかったとの記述がある。

    徐福出航の地は、現在の中国・山東省から浙江省にかけて諸説あり、河北省秦皇島、浙江省寧波市慈渓市が有力。途中、現在の韓国済州道西帰浦市や朝鮮半島の西岸に立寄り、日本に辿り着いたとされる。青森県から鹿児島県に至るまで、日本各地に徐福に関する伝承がある。徐福が上陸したと伝わる三重県熊野市から、2200年前の中国の硬貨半両銭が発見されている。

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    実際に「不老不死薬」として欧米で発売されている「TA-65」というサプリメントがあるが、効果のほどはどうなのだろうか?「TA-65」は、細胞分裂を制御する「テロメア」に関連する酵素を活性化するとのことだが、日本のAmazonでも普通に売っている。ちなみに価格は1ヶ月分が23,000円である。動物の体にある細胞の大半は、分裂できる回数に限りがあると書いた。

    これには、染色体の末端に位置するテロメアと呼ばれる配列が深く関係している。細胞が分裂すると染色体の末端のテロメア配列が少しずつ失われていくが、「TA-65」はヒトの培養細胞でのテロメア伸長、マウスでのテロメア伸長と運動機能、記憶機能の向上が確認されたのだという。また、肥満・喫煙・ストレスは、短いテロメアとの関係が分っている。

    逆に、運動・マルチビタミン・オメガ3脂肪酸は、長いテロメアとの関係がいわれている。寿命を延ばす効能として、具体的には、理想的な体脂肪率(女性は22%以下、男性は16%以下)及び、適度な体重を保ち、1日1時間以上の有酸素運動及び、レジスタンストレーニングを行い、一日8時間の睡眠をとり、ストレスを軽減し、喫煙者はタバコを止めることだという。

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    数十年後に人間の寿命は1000年もあり得るとある学者はいう。100歳でも長寿なのに1000歳まで生きていたらどういうことになるか?歴史のスパンを100年とするなら、まさに歴史をまたぐ。今から約1000年前といえば平安時代中期、三条天皇と対立していた藤原道長は、1015年天皇に譲位の圧力をかける。三条天皇は翌年正月に譲位、東宮敦成親王が即位し、道長は摂政となる。

    そんな時代から今の時代まで1000年も生きるって考えられん。自分の年齢さえおぼつかない。「何歳ですか?」と聞かれ、「はて、893歳だったか、いや894歳かな?ハッキリわかりません…」てな具合。人間の適正寿命はどれくらいがいいのか、人さまざまであろうが、ちなみに自分はどうなのか?40~50の若さを維持できての200、300歳なら、500歳でも生きてはみたい。

    余命数十年を睨んで、こんなことを問うのも野暮というものかも知れぬ。ただし、寿命が延びても健康体とは限らない。いろいろな臓器、循環器系の疾病もあれば、人間の血管なんて、交換なしで500年、1000年も持つのか?椎間板や、鼓膜や、歯、視力、聴力は何百年の使用に耐えうるのか?2人に1人はガン死という昨今、一日も早いガン撲滅が待たれる。

    ケンブリッジ大学遺伝学者オーブリー・デ・グレイ博士も、人間の寿命は1000歳を超えるといい、その理由を次のように語る。「老化は、身体的現象の一つに過ぎません。今日解明された多くの疾病のように、その原因を突き止めることで老化を阻止することができる。我々が現在取り組んでいるSENS計画は、老化防止実現にかなり近いところまできています。

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    これは、単なるアイデアではありません。人間の身体にある全ての細胞と分子のダメージを修復するべく、非常に綿密に計画されたものです。また、ここで使われる技術は我々で既に用いられている技術、あるいは臨床試験中の技術を単に組み合わせて行うものです。今後10年の間に我々はまずネズミに対して実験を行い、その寿命を著しく延ばす事に成功するでしょう。

    その次の10年間で人間にも適用することが可能になると見込んでいます。この技術が完成すれば、我々はもはや老化による老衰や虚弱、そしてそれらに起因にする疾病を恐れることはなくなるわけですが、こうした技術が完成した後も、我々は不死になるわけではありません。交通事故や、毒蛇にかまれたり、新種の悪性インフルエンザにかかれば、我々はこれまで通り死ぬでしょう。」

    生あるものは必ず滅す。長く生きながらえるのがいいかどうかはともかく、寿命を延ばす研究はおそろしい進歩を見せている。太く短い生も傍から見れば魅力的だが、当人は早く死にたかったわけではあるまい。自死を選んだ人たちはともかく、「悟り」を死ぬ境地とせず、いかなる場合にあっても平気で生きることを「悟り」であると、正岡子規が『病牀六尺』に書いている。

    彼は肺結核となり、脊髄カリエスを患い、35歳で死ぬその日まで、病症で腰から歯ぐきから出るウミを看護人に拭きとってもらいながら普通の人以上の仕事を為し得た。「病気の境涯に処しては、病気を楽しむということにならなければ生きていても何の面白みもない」とも述べている彼の根性、図太さには脱帽である。そんな言葉が何処から出てくるというのか。

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    「正しいはむつかしい」との表題だが、子規の言葉は生きんとするものに正しい。自死という手段で自らの命を絶つのは、本当に死のうと思い、実際に行為したもの以外には分るまい。もう一つ、正しいと思う言葉がコレだ。「人間の、また人生の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、いやな物はいやだという、要はただそれだけのことだ。

    好きな物を好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物を脱ぎとり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突き止め見つめることが先ず人間の復活の第一条件だ。そこから自分と、そして人生の、真実の誕生と、その発足が始められる。」(坂口安吾『続・堕落論』1964年)

    何度も何度もこの文章を眺め、考えた。時々の年齢で…。答も時々の年齢に相応しいものであったろう。安吾はホンネとタテマエの食い違いをいう。あまりに食い違いが大きいなら、そこには人間性の窒息があるだけだ。自らを丁寧に調べ、自分のホンネを生かすよう努力・集中しなければならない。その時の社会通念に背いても、ホンネを生かせるよう頑張るべきだ。

    「堕ちる道を落ちきることによって自分自身を発見し、救わなければならない」という有名な語句。底まで落ちればそれ以上落ちる事はない、後は這い上がるだけ…。これは正岡子規の境地。で、這い上がるために何が必要か?それは生きること。ボストンバッグもカバンもいらない。人間はみな弱い。子規のように強くはない。だから落ちるとこまで落ちきれない。

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    落ちるところまで落ちる人は強い精神を持った人である。弱いから落ちきれず、だから自殺を選んだりする。「死にたいが死ぬ勇気がない」という人がいるが、死にたきゃ死ぬよ。死ぬのに勇気など要らない。死ねないのは死にたくないからで、生への執着が断ち切れないからだ。人が本当に死にたいなら死ねる。が、死んだ後で「しまった」は別にしても…

    人が迷うのは努力をしているからで、ゲーテの『ファウスト』に出てくる有名な言葉に、「絶えず努力する者は救われる」というのがある。これは天使の言葉だが、作品『ファウスト』全編を通しても、最上級に重要な言葉とされているが、驚くべきことは、何に対しての努力なのか、励みなのか、限定されてはいないこと。悪事に励んでもいいとの解釈も成り立つ。

    プロローグの1つ、天上の序曲から思い出されるのは天主の言葉。「地上にある間、人は迷うものだ。しかし、善い人間は、いくら暗黒の衝動にうながされていても、決して正しい道を忘れないものだ。」全体を読まねば分らないが、『ファウスト』はゲーテが60年の年月をかけて完成させた作品である。ここでいう、「善い人間」とはどういう人間?「正しい道」とはどんな道?

    抽象的ゆえに分らない。おそらくゲーテ研究家でさえ分らぬのではないか?ただ、「努力は救われる」の『ファウスト』論理からすると、「分ろう、分りたい」という努力をすれば救われるかも知れない。救われるとは、分らないことが、分るようになるということだ。「努力」という言葉は大げさ、仰々しい感じもするが、"あることにひたむき"と置き換えればいい。

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    分らないことは分らないでいい。分かる事は分るでいい。違っているのでは?などの不安は無用である。今の時点で自分の思う人間の正しい思考、正しい行動というのは、叙情的なものへの傾倒ないし確信である。叙情性はリリシズムといい、あるがままを、あるがままに感じること。相手の心にストレートに訴えかけるよう、自分の「心」や「内面」を表現すること。

    こういう思考性、行動性を「正」とする。安吾のいう人間の、「正しい姿」、「正しい人生」の影響か共感か、いずれにせよ「同化」である。安吾も多くの先人から影響を受けている。永井荷風や徳富蘆花らの影響も感じる。荷風のこの言葉。「浮浪、これが人生の真の声ではあるまいか。あの人達は親もいない。兄弟もいない。死ぬ時節がくればひとりで勝手に死んでいけ。」

    「結婚式や葬式、その他の会合には、友人のはもちろん、親兄弟のでも出席しない。時間が惜しいし、わずらわしいから…」荷風の生き方に安吾は同化している。言葉に共感するだけなら誰でもできるし、そんなのは真の理解ではない。行動(生き方)に反映してこそ同化であろう。ゲーテ言う、『ファウスト』の"正しい道"の意味が、少し解りかけたか…?


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