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日本人であることの原点 ⑤

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『菊と刀』の第十二章、「子どもは学ぶ」にはお灸について以下の記述がある。「日本の子どもが受ける最も厳格な罰さえも、"くすり"とみなされる。それは子どもの皮膚の上にもぐさという粉末を、小さな円錐形に盛り上げて、それを燃やすのである。その痕は一生残る。お灸は古くから東アジア一帯に広く行われている療養で、日本でも伝統的に病気を治すために用いられた。

お灸は癇癪や強情をも治すことができる。6、7歳の少年は、こんな風にして、母親や祖母から、"治療"を受ける。難症の場合は二度用いられることもあるが、子どもの腕白を治すために、お灸を三度用いられることは滅多にない。お灸は、例えばアメリカで、「そんなことをすると平手打ちを食わせますよ」と言うのと、同じ意味において罰であるのではない。


しかしながら平手打ちなどとは比べものにならぬほど、烈しい苦痛を与える。そして子どもは悪戯をすると必ず罰せられる、ということを悟るようになる」。自分はこの行を読んで笑わずにはいられなかった。思えばお灸を何度すえられたことだろうか?ベネディクトは、「お灸を三度用いられることは滅多にない」というが、それが一般的というなら、我が母は鬼であろう。

5、6歳の子どもに大のオトナが馬乗りになり、ばたばたと泣き喚く子どもに、「じっとしてろ!」と大声で威圧しておとなしくさせ、素直に従う子どもにもぐさの塊を乗せて線香で火をつける。その熱さは今でも背中が覚えている。泣き喚きながらバタバタ動きまくればもぐさは落ちてお灸はできないが、言いつけを守って耐える子どものいじらしさは、子ども自身に罪の意識があったのだろう。

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親の威圧に慄き、じっと動かぬ子どもの素直さをいいことにお灸をすえる親の無慈悲さである。自分の記憶では母親が威圧する声の記憶が脳裏に焼き付いている。お灸をするのは母親か祖母とベネディクトはいうが、確かに父や祖父にされた経験がない。この国で子どもにお灸をすえるのは母や祖母だったのか?母はともかく祖母は優しく、灸をすえる娘(母)を叱っていた。

今では明らかな幼児虐待であるが、その当時お灸をされるのは当たり前の罰だと思っていた。当たり前の恐怖と言った方がいい。悪戯=お灸は、子どもにとって疑問の余地のないそんな時代であった。が、苦痛を与える母親を憎み、恨むのは当然であり、子どもは自分が行った悪戯がお灸という苦痛罰に沿うものなのか、相応しいかはわからぬままにされてしまう。

それは親の恣意的な判断によるものだから、子どもが行う悪戯の度合いとは関係なかったように思う。分かり易くいえば、母親の気分によったのではないかと。しかし、父親がお灸をしないのはなぜだろうか?子どもは父親の手に負えないというより、母親の手に負えないからであったからか?父親の手に負えない子どもは存在せず、つまり父親には子どもの悪戯への理解があった。

男の許容量とでもいうのだろう。男だから分かり合える部分があるからで、それを理解できないとか、親としてバカにされたとかなどと、勝手に判断して怒りまくるのが母親ではないか?何でそんなことでお灸をすえるのかと父は思うが、母的には容赦できない子どもの悪戯なのだろう。ベネディクトはお灸を治療と勘違いしている向きもあるが、治療と思ってする親は皆無である。

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お灸が体罰で用いられたのは鎌倉時代の文献にあるというが、それ以前については不明である。親が子どもに課す体罰を実体験であげると、殴る蹴るの他に、正座、縛って押し入れ、脅し(どこかに捨てる・寺に預ける)、書き取りなどが思い出される。ベネディクトはこれらの体罰を、「子どもは学ぶ」という標題にしたのは、親の子への先見的愛情を前提にしているからであろう。

『菊と刀』の第七章、「義理ほど辛いものはない」も面白い。日本人なら親や友人や上司などの人間関係に、「義理・人情」は自然派生するが、福沢諭吉、会田雄二、加藤周一、梅原猛、船曳建夫、山本七平らの「日本人論」を読む限り、「義理・義務」に関する記述はないのを見ても、オフチンニコフやベネディクトら外国人にはかなり奇異に映っている。ベネディクトはこう述べる。

「人は『義務』を返済せねばならぬように、『義理』を返済せねばならない。しかしながら、『義理』は『義務』とは類を異にする。これに相当する英語はまったく見当たらない。また、人類学者が世界の文化のうちに見出す、あらゆる風変りな道徳的義務の範疇で、最も珍しいものの一つである」。日本人として自分も『義理』の意味も処遇も分かるが、滑稽と思う義理もある。

滑稽と思いながらする人もいるだろうが、性格的に強い自分は、慣習や因習、道徳といわれるものでも、納得できないもの、滑稽と思われることはしない。そんな標準的な日本人ではないのかも知れない。つまり、行為の是非を思考することを前提とし、慣習や道徳を妄信しない。「妄信」とは、むやみやたらに信じることで、打ち消すと、「むやみやたらに信じない」となる。

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慣習を踏襲しないことで、見下げられ、笑われたとしても、思考の上で無意味と判断したのなら、他人の嘲笑などは屁でもないと、それが強さだと思っている。付和雷同は弱者の論理であるのを疑わない。「人と同じようにしていなければ笑われる」という意識こそが日本人の弱さだと思っている。したがって、自分が何かをしたいなら、他人の目を気にしないでやる。

裏を返せば、人の目を気にしたら、やりたいことはできないであろう。気にしないから主体的にやれるのだと。自分の行動をなぜ他人の視点で捉えるのかについては、いろいろ理由は考えられるが、先ずは自身に対する自信の無さもあるのでは。失敗して笑われたくないが先に来る。自分が失敗したことは自分の問題なのに、他人に笑われて何がいけないと自分は考える。

他人には関係のないことだろう。おそらく他人の目を気にする人は、失敗も恐れると同様に、成功の評価を(他人から)得たいのではないかと。失敗を気にするから評価も気になり、評価を望むから失敗も気にするというのが導かれる。したがって、どちらも気にしないでいれば、自身の行為は真に自身のために行われることになる。自分の行為は自分のためが本質である。

そのように、何事も本質重視でいれば、雑多なことは空気に混じる屁の臭いみたいなものではないか。そういう自分も日本人である。『菊と刀』に対する批判の中でベネディクトは、「平均的日本人」という言葉を使っているが、「平均的」とは何かという問題がある。社会階層と身分職業や育成環境を一切無視して、「平均的」とひとまとめにしているとの批判であるが…

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ベネディクトは多くの文献を読み、活用してはいるが、彼女自身は一度も日本に来て調査はしていないし、日本語もできなかった。彼女は日本の代表的な文学作品は読み、戦前に輸出された日本映画も観、戦時中は日本人収容施設で一世の日本人にいろいろ尋ね聞いている。歴史的見地の欠如との批判は妥当であれ、史料がよく吟味・検討されていないという批判は手厳しい。

日本人であることの原点 ⑥

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『菊と刀』に記された日本人像を集中的に書いているが、「義理」の項目がでたついでにオフチンニコフの、「義理」について述べておく。彼は自著『一枝の桜 日本人とはなにか』で、「義理としての良心と自尊心」と題して記しているが、「日本人の行動を、複雑な機械装置のようにゆっくりと動かしている二つの隠れたゼンマイがある」の書き出しで始まる。

ゼンマイの一つは「義」、二つ目は「義理」とする。「義」とは、恩義・信義・仁義・正義・大義・忠義・道義・義務などが示すように、人のふみ行うべき正しい筋道のこと。どこで調べたのかオフチンニコフは、「1960年度に結婚したカップルのうち、85%は両親が取り決めた結婚」と記している。娘が父の決めた相手との結婚に抗う映画『彼岸花』は1958年度作である。

親の決めた相手との結婚が、当然とばかりという風潮が伝わってくるからして、オフチンニコフのデータはあながち嘘とは言い難い。息子や娘の義務とは、両親の選んだ相手に魅力を感じなくとも祝言をあげるのが、親孝行という時代である。親の願いを叶えること、親の言いつけに従うのが親孝行というなら、これほどバカげた親孝行はないという考えを自分は持っていた。

オフチンニコフもベネディクトも、「義務」という言葉には極度の抵抗感を抱いているが、子どもを作り、産み、育てる親の義務は当然として、外国人は日本人の子どもの親への義務を恩義で叶えることを理解できないのは当然であろう。自身の生涯で最も重要な問題を決めるのに自主性を持たず、持たせず、年長者のみが若者に立派な伴侶を見つけてやれるということか。

親に対する恩義を以下のように揶揄する。「親の意思に従って家系の存続を保障したら、男は何人でも好きなだけ妻以外の女と関係をもってもかまわないし、良心の呵責を感じることはないし、また自分の家庭の基盤を危うくすることもない」。オフチンニコフは極端なことを言っているのではない。親の決めた相手との結婚が大事なら後はどうでもよいのかと…。

日本人の性格が時代的影響を受けてどれほど変わったにせよ、日本人が生まれついた性格は、「恩に対する義務の表現としての両親の意思への従順さということ」と述べている。日本人の親への恩は、オフチンニコフのいうように先天的なものとは思わないが、外国人にはその様に画一的に見えるほどに、日本人は異質な人種として映っていることになる。

親への従順さは後天的なもので、これは育てられ方から派生する。儒家思想の影響もあるにはあるが、日本人の性質は戦後に西欧の個人主義的合理主義の影響もあって、かなり変節している。一例として、人前でキスをしたりなど、いわゆる路チューは何ら珍しいことではなくなった。オフチンニコフが日本に滞在したのは1962年から1968年までの6年間である。

1962年といえばビートルズがデビューした年で、日本公演は1966年だった。ビートルズは世界の若者を変え、日本の若者を変えた。オフチンニコフは1966年に40歳になっており、ビートルズがもたらせた権威や体制に反抗する若者に視点が行っていなかった?過渡期であったし、親に従順な良い子もいた。昨今はどうか?子どもに従順な良い親の時代である。

「木を見て森を見ず」のオフチンニコフは現在92歳で存命だが、変わったのは日本ばかりではない。世界が変わり、ソ連の体制も大きく変わっている。フリードリヒ・ニーチェは19世紀の哲学者であるが、彼は欲望の差異化や価値の多様化に喝采やエールを送る思想家ではなかった。今から130年も前に、「現代を彩るのは、『三つのM』である」と喝破している。

つまりは、ほんのムード(mood=気分)だけの欲望や自己主張を、ほんのモーメント(moment=瞬間)だけ目立てばよいのだとの算段から、大衆的熱狂のムーヴメント(movement=運動)として表出する。それが大衆という生き方であると言った。日本のこんにちの現状でいえば、それにマモニズム(mammonism=拝金主義)を加えて、「四つのM」とすべきかも知れない。

「義」の斯様なものとし、「義理」というのは、特に日本的な概念であり、孔子の教えにも仏陀の教えにも共通するものがない。日本人をして、「義理と人情の世界」というが、人情はわかるが義理をどう説明すればいいのだろう。「義理」を分かり易く考えるのに。「義理チョコ」がある。言葉や行為は分かっても、「義理チョコ」の本当の意味はいったい何ぞや?

Wikipediaにはこのようにある。「義理チョコとは、感謝の気持ちや、コミュニケーションの円滑化を目的として、女性から男性に対して贈答するバレンタインデーのイベントのひとつであり、恋愛感情を伴って意中の人に手渡す、『本命チョコ』とは一線を画す目的を持つ」。それで、「義理?本命?」などの尾ひれがつくのか。くだらないことがなぜに横行するのか?

これには社会学者が、「義理チョコ」の深層を言い当てている。「義理チョコ」であれ、お返しのホワイトデーにただならぬ狙いを定めている女性のしたたかさであるという。こうした贈答加熱の思惑が助長すると、「義理チョコ」を自粛・禁止する企業が続出し始める。こんなところにもマモニズムが反映する時代。「義理」というものは本来こうしたものではない。

「義理」とは人間をして、ある場合においては何か自分の欲望とは別の、あるいはそれに反すること、もしくは自分の利益に反することを行わせる、道徳的必然性のようなもの。そうであるなら、「義理」とは、「良心」に近い情動とみれる。善とか悪とか、抽象的な概念以外のものに基づいた義務意識とするなら、ある種の人間関係という規則に基づいた義務意識と考える。

義理の母、義理の父という呼び名が示すように、実質上のリアルな親ではないが、婚姻関係に基づいたうえでの事実上の母であり父であって、「おかあさん」、「おとうさん」と呼んで何ら差し支えない。ただ、文字で現わす場合は、「お母(義理)さん」などと書式する。違えなくてもいいが、違えたいニュアンスが湧くのも、それもまた人間関係の機微が影響する。

実の父母に抱くような恩義とは別の、それとは違ったものが日本人にとっての「義理」であるからして、うっかり大きくさせないよう、用心する重荷のようなものでもあるのだろう。義理の母といっても(姑)という別の呼び方もあり、嫁いだ嫁からすれば、一筋縄ではいかない微妙な関係となる場合がある。義理で、「おかあさん」であるが、義理でもそうは呼べない嫁もいる。

義理を理解できないはずのオフチンニコフが、義理について鋭い考察をする。「自分自身に対する、『義理』は、侮辱を受けた場合、その報復をするという必要から少しも拘束を受けない。自尊心が強くなると、日本人は自分でも他人でも見下されたりすることになる恐れのある立場に陥ることを避けようとする。つまり、『面目を失う』ことを当事者双方が怖れている」。

日本人であることの原点 ⑦

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そもそも、「日本人論」の基本的問題は、大きな社会変革によって日本人は変わるのか、変わらないのかということで、福沢諭吉は、上からの文明開化の掛け声が巻き起こした西洋崇拝の盛んな時期のただ中にあって、醒めた眼で西洋対日本の問題を取り上げた。西洋の進んだ文化、文明に触れると、日本がそれに及ばない、特に技術面においてはるかに後れを取っていた。

しかし、当時の日本人でこうした客観的な意見や考え方を持つ人は少なかった。一部の日本人以外は西洋学問や科学の知識がなかったからである。天保の時代になると、医師や芸術家らには西洋の文化、文明への憧れが一層強くなっていく。洋学者で医者でもあった箕作阮甫(みつくりげんぽ:1799~1863)は幕府の天文台を作った人であり、しきりに西洋に行きたがっていた。

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それが適わないならと、家の障子をガラス張りにし、西洋風の時計を置き、食事にはスプーン、酒はコップで飲んだ。日本人でありながら西洋風な生活をし、日常生活にまで及んだ阮甫のような人間が出てくるようになった。まさに、"西洋かぶれ"のようであるが、彼の行動は西洋を理解する手段であった。西洋に追いつき、追い越すために日本人が何をせねばならないか?

阮甫の根底には、日本人として、日本人のために尽くしたいという考えがあった。この時代に書かれた数多の「日本人論」は、西洋の優れた面を取り入れて、一刻も早く西洋に劣らない国にしようという、強烈な国家意識に支えられていた。幕末の洋学者で暗殺された佐久間象山の、「東洋道徳、西洋芸術」という言葉が当時の様相や立場を表わしている。「芸術」とは技術こと。

幕末までの日本人論は断片的なものであったが、西洋人との対比において福沢諭吉は卓抜した「日本人論」を展開したのは先に述べた。彼は日本人を変えようと、教育にも力を注いでいる。日本人の美意識とは何であろうか?そうした歴史的背景を知ってか知らでか、昭和の30年代後半に日本に来たオフチンニコフは、親への恩義などは日本人の先天的資質で変わる余地はないとした。

ベネディクトのいう、「恥の文化」としての日本も大きく様変わりしている。「日本人の義理・人情は何処へ?」、「日本人が美徳とした羞恥は何処へ?」という声を耳にするようになった。自分は最近の若い日本人女性の所作に、それらを感じることがある。女子高生の自転車を漕ぐ姿の多くがガニマタ漕ぎなのは、スカートの下に半パンを履いているからだが、所作としては美しくない。

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美しくないが、楽な漕ぎ方であるのは間違いない。日本人の美意識も合理性へと変貌しているのかも知れない。日本人の美意識とは何か?その著書『風土』や『古寺巡礼』を通じて、早くから日本的な美について考えた和辻哲郎がいる。彼は、風土と日本人の美意識を結び付ける試みを行った。これは本居宣長のいう日本人の基本的な美意識が「もののあはれ」と説いている。

宣長にとって、"もののあはれ"とは、「見るものきくものふるゝ事に、心の感じて出る。歎息の声」であり、自然の月や花をみて、「あゝみごとな花ぢや」、「はれよい月かな」と感じるのがもののあはれを知るということ。風土論的な日本人学にもあるような、古典的日本人論が、自然に抱かれる日本人、自然を愛する日本人、自然の美に動かされる日本人というイメージである。

そうした中、こんにちの風土は自然環境のみならず、社会環境とも結び付き、山を崩して整備された団地などの宅地開発も、国土の狭い日本に多くの人が住むことを思えば、自然環境破壊や公害も必要悪となっている。一時ほどの自動車公害という言葉は使われなくなったが、便利なもの、必要なものはなくせないなら、動力や燃料にクリーンを求めることとなる。

日本人の美意識は様々あるが、日本料理も日本人芸術の分野であろう。「人為をもって創るなかれ、見出せ、しかして、ひらけ」これが日本料理の奥義といわれるが、日本料理は皿の上に静物画を作り出す芸術であろう。日本料理は中華料理やフランス料理に比べ、異常なまでの簡素が特徴あるが、これは料理人がまったく別の目的をもっているからであろう。

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日本料理人の腕の見せどころは、その腕前を目につかないようにすること。そうした奥床しさを含んでいる。つまり、食べ物の外見や味が、その食べ物本来の特徴をできるだけ保つよう心掛け、魚や野菜を調理しても、もとの姿や食材の持つ味がそのまま残るようにする。中華料理は、魚を使って鶏肉と見分けのつかない料理が作れることを誇りとするのと、大違いである。

フランス料理はソースが決め手だが、日本料理には食べ物本来の味を損ねるソースや薬味類の占める余地はない。刺身で醤油に混ぜるワサビは、魚の味を引き立たせるもので、魚本来の味を殺すことなくただ強調する。さらに日本料理には四季折々の季節感がある。外国人は日本料理を素朴で淡泊というが、日本人にとって季節感のない西洋料理はどれも同じに思えてしまう。

素材そのものの味を生かした素朴な日本料理であるが、「日本人特有の細部に対する繊細な目配り」は随所に感じられる。すまし汁の中に楓の葉の形に切ったニンジンは、いかにも秋の季節感を映し出している。日本の俳句には季語があるように、日本料理は美と色彩のハーモニーを表現する中に、かならず食べ物の中に季節を示すことを大切にされている。

日本人の美意識に、「わび・さび」という尺度がある。「わび・さびは、『侘しさ』・『寂しさ』を表す日本語に、より観念的で美的な意味合いを加えた概念であり、現代では二つをひとまとめにして言う場合が多い。わびの本来の意味は、気どったところ、目立ったところ、わざとらしさのない、日常の中に存在するあたりまえのものの美しさをいい、「侘」表記する。

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「さび」は、「寂」と表記することから、「閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ」をいう。どちらも茶道に取り入れられたもので、茶道の影響は日本文化の多くの分野に現れている。生け花ももとは茶道から生まれている。日本各地には、「〇〇焼き」というすぐれた陶器の芸術があるが、これも茶道によって高い水準に到達したもの。

世界のどこにもない、日本独自の文化こそが日本的なもの、日本人的なものであるが、西洋のネイチャーに相当する天然自然という言葉は近代以前の日本にはなく、自然を表わすには多くの場合、「花鳥風月」、「草木虫魚」などと言いかえた。どこかに自然という、「もの=事物」があるのではなく、具体的な場所として大地や海に結びついての花鳥風月・草木虫魚であった。

自然というものをその様に感じ取っていたのが伝統的な日本人であった。自然の中の小さな存在を慈しむ精神性が、「もののあはれ、わび、さび、いき」という他国にはない独特の美意識の流れを生み出したのだろう。今から約百年前、「日本風」に熱烈なる恋をしたエリザ・R・シドモアという一人の西洋人女性がいた。彼女はアメリカの紀行作家である。


シドモアはワシントンに日本の桜を植樹したことでも知られるが、彼女はアメリカの日本人移民制限政策に反対してスイスに亡命し、生涯母国の土を踏むことはなかった。シドモアは、日本人の民族性は、「普遍化することも要約することも不可能」と言ったが、それから約半世紀経って、ルース・ベネディクトが、日本人をかなりほぐして、普遍化・要約してみせた。

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廿日市女子高生殺人事件

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容姿者逮捕のニュースは広島県民ばかりでなく、驚いた人は少なくなかったであろう。被害者である北口聡美さんの父親でさえ、「突然の進展に気が動転している」と感想を述べていた。事件は2004年10月5日の午後3時ごろに発生した。聡美さんは自宅の離れでベッドに横になり、ヘッドフォンで音楽を聴いていた時に突然襲われ、駆け付けた祖母も刺され重傷を負った。

祖母と一緒にいた小学6年生の妹は裸足で近所の園芸店に逃げ込み無事だった。聡美さんは自室に侵入してきた犯人から逃れようと部屋を飛び出し、階段を駆け下りたところで犯人に追いつかれ、離れの玄関先で血まみれになって倒れていた。母屋にいた祖母と妹が聡美さんの悲鳴を聞いて駆け付けて犯人と鉢合わせとなり、祖母に重傷を負わせてそのまま逃走した。

聡美さんと祖母は緊急搬送されたが聡美さんは絶命、祖母は一命を取りとめた。祖母や妹が犯人を目撃した他、現場には指紋や運動靴などの遺留品もあり、聡美さんの爪から容疑者のDNAが検出された。以上のことから犯人逮捕は時間の問題と思われた。ところが、所轄の廿日市署では意外にも捜査は難航を極めていた。寄せられた情報は数千件に達していたのだが…

被害者の祖母と妹は、「犯人は20歳位」という目撃証言から、犯人の似顔絵が作成された。また、フジテレビ系列の金曜プレミアムにて、「最強FBI捜査官が挑む!日本未解決事件ファイル」が放送され、元FBI捜査官が被害者の友人を事情聴取し、「かつて密接な人がいた」との証言をもとに元FBIの行動分析課が鑑定した結果、犯人が被害者と同年代の可能性があると指摘した。

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警察が捜査のために預かっていた聡美さんの携帯電話記録からは、交友関係と思われる複数の名前があったが、警察がこれらの身元をあたった結果、聡美さんの交友関係から事件に特定されるものは得られなかった。事件の特徴ともいえる最大の謎は、わざわざ家族が在宅中の自宅で犯行に及んだ点で、犯人は聡美さんの居室である離れの部屋に迷うことなく到達している。

その辺の事情を熟知していることから、誰でもよいという通り魔的な犯行でないとの考えもあった。あらかじめ刃物を準備して聡美さん個人を狙った様子から、十数か所に及ぶ刺し傷からして、相当の殺意を持った深い恨みのある犯行と伺えた。殺意が芽生えるからにはある程度の深い関係があると見るのが自然だが、逮捕された容疑者鹿嶋学容疑者(35)の供述は意外だった。

鹿嶋容疑者は山口県宇部市在住で広島に住んだことはなく、二人に接点はなく、たまたま見かけた聡美さんの後をつけて自宅を知り侵入したようだ。事件が起きた日はテスト期間中で、聡美さんは2時過ぎころに学校から帰宅、午後5時からアルバイトがあり、祖母らに、「4時まで寝る」と言って離れ2階の自室に向かった。鹿嶋容疑者はそれらを近辺で監視していたと思われる。

強姦目的で昼間に自宅に押し入るのはあまりに無謀、あまりに短絡的だが、ナイフで脅せば声を出せず目的を果たせるとでも思ったと察するが、何事も自らに都合のいい事にはならない。「騒がれたので刺した」と供述しているというが、知らない男が自分の部屋の中に入ってくれば驚きの声は自然に出ようし、それを騒いだといってみても、驚かぬ方がどうかしている。

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真実というのは、分かれば何ともあっけないもの。見ず知らずの人間の歯牙にかかった17歳の高校生を、不運としか言えない世の無常さ儚さである。こんなことのために生れてきたわけでもあるまいし、それは被害者も遺族も同じ思いであり、傍観者の我々ですら虚しさと腹立たしさが募る。広島県警は事件発生直後から情報提供を呼び掛けたが、捜査は難航していた。

それが急展開したのは報道の通りである。鹿嶋学容疑者は十数年前に知人の紹介で、現在の建築会社で働き始めたというが、勤務先の社長は、「一度も無断欠勤はなく、遅刻もほとんどない仕事熱心で現場を任せられるタイプ。シャイで後輩の面倒見もいい」というが、吾々の周囲にいるごく普通の人間が、あれほど残忍な犯行を起こすほどに人間は不可思議である。

こうした事件の際に必ず聞かれる勤務先上司や、友人・知人、ならびに近所の人たちの声は決まって、「まじめそう」、「信じられない」が通り一遍の相場であり、鹿嶋容疑者の周辺においても凶悪犯の顔はなかった。いかなる凶悪犯であれ、凶悪であるのは事件を起こす最中であって、普段は凶悪である必要がない。人間のこうしたギャップこそが、人間を示している。

人間には本質と裏の部分があるということなら、誰にも起こり得ることである。「自分は人なんか絶対に殺さない」とはいうものの、例えば国家に、例えば上官に命じられたら殺すしかなくなる。バカな国家やバカな上司やバカな親に恵まれる (?) と、人間はバカになるなら、人間はなんと虚しい存在あろう。大事なことはバカを見極める能力、さらに愚行を抑止する意思。

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「気は弱く引っ込み思案でこんなことをする息子とは思ってなかったのでびっくりしている。「(廿日市市に)は、連れて行ったこともないし関係がない。広島でどうのこうのという話は聞いたこともしたこともない。14年間つかえが胸の中にあったと思うので、早く見つけてやれば、ここまでにならなかったかなと思うと悔やまれてならない」と、鹿嶋容疑者の父は話した。

犯人逮捕で被害者遺族が報われるとは思わないが、犯人逮捕で発せられた父親の思いは痛いほどに理解できる。「娘への報告で、『事件が解決したよ』と私の胸のなかで伝えましたが、『守る事が出来ないで、ごめんなさい』という想いの方が大きいですし、娘と会うことができないのは変わりません」。犯罪者に刑罰は必要だが、それで被害者や遺族の無念が晴れることはない。

被害者も加害者も哀しい存在である。被害者は何を好んでこんなめに合わねばならなかったのか。加害者は何を好んで無益に人を殺さなければばならなかったのか。善意な被害者ばかりに情は行くが、加害者の側にも善意な肉親がいる。「すべての犯罪は人間が孤独でいられないことから起こる」との言葉が浮かぶ。人間の最大の根源は、「孤独を避けたい」という欲求だ。

「集団に属していたい」、「人から認められたい」。この二つは別の物ではなく、いずれも孤独になることを本質的、あるいは表面的にだけでも逃れたいという欲求である。人間にとって、すべてから分離されるほどの恐怖はない。鹿嶋容疑者もそうありたく一生懸命に仕事をしていたのだろう。孤独が引き起こした犯罪の行く末は、獄舎に繋がれた孤独である。

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日本人であることの原点 ⑧

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「日本人論」、「日本人とは何か」、「日本文化論」などの書籍の類は結構ある。書かれた時代もまちまちだが、日本人は不変ということなら、1000年前に書かれたものも戦前のものも戦後のものも同じ日本人について書かれていることになるが、日本人が変わってないことはない。変わっていても日本人であるから、変わる前と変わった後の日本人を比較すればよい。

何事においても、何かについて考えることは、「比較」することである。日本人について考えることにおいても、日本人と西洋人、日本人とアジア人を比較する。または、かつての日本人とこんにちの日本人を比較する。日本人同士を比較すれば、マイノリティな日本人、マジョリティな日本人論が生まれる。信長も秀吉も家康も日本人であって、何かが違えど日本人である。

「日出ずる処の天子、書を日没する処の…」と書いたとされる聖徳太子であるが、これも中国との比較のうちに自分の国を意識したようである。日本という国は、生れ、存在した。在るには在ったが、どのように日本が在ったのか、どのような人たちの日本が在ったのかについての関心も、日本人を考えることになる。日本という物語の日本人という役者に興味は尽きない。

日本とそれ以外の比較が本格的に始まったのは、19世紀の半ばの日本の開国以降だった。それまでは新井白石のように外国事情に通じた大知識人の頭には、他の国は民族の比較は始まっていたが、多くの日本人が外国に強い関心を抱いたのは、ペリー来航後に日本人が自らを開いた時からである。朝鮮、中国、オランダなどの交流はあっても、日本人を考察する必要はなかった。

日本人を他国人と比較する必要はなぜ生まれたのか?凡人には分からないが以下記されている。比較の必要が生まれるのは、「開国以来、欧米の中に伍して、「唯一」、非西欧の文化・社会であることから生まれる不安の解決のためで、その不安は日本を低いと見るだけでなく、高すぎると見ることによっても起きるが、当時の日本は技術や自然科学分野で立ち遅れていた。

西田幾多郎や田辺元ら京都学派の哲学者による著作は哲学故に抽象度が高く、「日本人論」とは呼べないが、日本を題材とした。同じ哲学者でも九鬼周造の、『「いき」の構造』や、和辻哲郎の『風土』は、こんにちも読み継がれている、「日本人論」である。桂離宮を称揚したドイツ人のブルーノ・タウトによる『日本文化私観』も、「日本人論」に加えられる。

坂口安吾はタウトの『日本文化私観』について、彼らしい反骨な言葉を投げている。「タウトが日本を発見し、その伝統美を発見したことと、我々が日本の伝統を見失いながら、しかも現に日本人であることの間には、タウトが全然思いもよらぬ隔たりがあった。即ち、タウトは日本を発見しなければならなかったが、我々は日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ。

我々は古代文化を見失っているかも知れぬが、日本を見失う筈はない。日本精神とは何ぞや、そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。説明づけられた精神から日本が生まれる筈もなく、又、日本精神というものが説明づけられる筈もない。(中略) けれども、僕自身の『日本文化私観』を語ってみようと思うのだ」。と、落ちが入っているのも安吾らしい。

最後にこう結んでいる。「祖国の伝統を全然知らず、ネオン・サインとジャズぐらいしか知らない奴が、日本文化を語るとは不思議なことかも知れないが、すくなくとも、僕は日本を『発見』する必要だけはなかった」。安吾は、①「日本的」ということ、②俗悪に就て、③家に就て、④美に就て、などの4篇の表題による彼なりのユニークな文化私観を書いている。

もし、自分なりの日本文化私観を書くとすれば、何を真っ先に述べるだろうか?おそらくは、「恩」とか、「義理」とか、そうした負担になるようなものをしょい込んでいる日本人について書くかような気がする。親への恩や孝行を、子どもの義務とばかり言われ続けた母親とはいったい何だったのだろうか?どれだけ子どもに嫌われているかを、どの程度把握していたのだろう。

世の中には不思議な人や奇特な人もいて、こちらが嫌っているにも関わらず、それを一切気づかぬような鈍い人間がいる。決してこちらが嫌ってないような態度・素振りをしていないにもかかわらず、それを感じない人間は、強烈な自己愛に縛られている。自分は嫌われるような人間ではないと、そうした自尊感情の持ち主か?どちらにしろ、洞察力の希薄なバカである。

あまりに気づかないなら、言葉に出していった方がいい。それほどに気づいてくれないのは迷惑以外の何ものでない。同じような事例は結構耳にした。誘われたい相手じゃないのに、誘ってくる。友人とも思っていないのに、友人面をする。あげく、「お金貸して!」となる。女性に多いが、相手のそうした態度からして、どこか相手に媚びている自分に気づいてないのでは?

「結局、君は相手の都合で利用されてるんだよ」などといってはみるが、「そうなの?」と、自分が利用されてるなどと感じていない女性は多かった。そもそも、女性の人間関係がそういうものであるとの土台があるのかも知れない。「お前、自分の都合で人を利用していないか?」くらいは男なら普通にいえる言葉であり、言われた側とすれば考えざるを得ない。

言っても分からないバカもいるが、やはり対等で負担のない人間関係を善として構築するなら、「No!」はハッキリ言うべきだろう。「藪から棒」という言葉がある。藪と言うのは草木が生え茂っている場所だが、そんなところから急に棒が突き出されれば驚くに決まっている。草木は草や木であって棒ではない、だから驚く。誰が考えたのか面白い表現だ。

ところが、そんな話を耳にするほど、人間関係はユニークである。「いきなり、金を貸せって、藪から棒になんだ?」というようなことも言えないような相手と見越して言う側の行為であろう。遠慮はいらない、そういう相手には冷たく対応すればよいし、それで当然だと思わせればよい。まさに「藪から棒」なのだから。ところが、日本人はそういう相手にさえいい顔をする。

嫌われてはいけないという思いが過る。これを「日本人のお人よし」という風に解釈するが、「お人よし」と「やさしさ」は違うし、節度をもたない「お人よし」というのは思考が足りないという点でバカであろう。どちらであれ女はそういう男に「やさしいのね」などという。これを言う女は意図がある場合がある。何の意図もなく、思わず口に出る女もいるにはいるが…

口に出さなくてもいい言葉を口に出す場合、その意図を読んだ方がよい。例えば男が、「かわいいね」と女にいう。自分が相手をかわいいと思うのはそれでいいが、あえて口に出して言うところに意図がある。思わず言ってるようでも、それは女性に長けた男の無意識の、「ちゃらさ」である。自分に負担を強いてくる相手を嫌う勇気を人は持つべきであろう。

アドラー心理学を基本とした、『嫌われる勇気』なる書籍がある。読んではないが、おそらくこういうことが書かれているのだろう。帯には、「自由とは他者から嫌われることである」とある。つまり、嫌われるのを怖れるのは、拘束されているということ。自分は嫌っても相手から嫌われたくないというほどに憶病なのだ。嫌われるとどんなに楽か、それが自由である。

日本人であることの原点 ⑨

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書けど書けども尽きない日本人論だが、日本人であるがゆえに見落としがちな日本人らしさと言うのは確実にある。外国人に指摘されて、「なるほどTHE・日本人」を意識させられる。例えば次の記述など…。「姑と嫁の間には非常な反目がある。嫁は外来者として家庭の中に入ってくる。嫁はまず姑の流儀を学び、次に万事をその流儀に従って行うことを学ばねばならない。

多くの場合、姑はずけずけと、嫁は到底自分の息子の妻になる資格のない人間であると主張する。またある場合は、相当激しい嫉妬を持っていると推察されることもある。がしかし、日本の諺にもある通り、『憎まれる嫁が可愛い孫を生み』であって、したがって、嫁と姑の間にも常に孝が存在する」。と、日本人にとってあまりに当たり前のことをあらたまってみると、なぜか可笑しい。

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ベネディクトの日本人に対する慧眼は続く。「嫁は上辺は限りなく従順である。ところが、このおとなしい愛すべき人間が、世代が変わるにつれてつぎつぎと、かつて自分の姑がそうであったと同じように、苛酷な、口やかましい姑になっていく。彼女たちは若妻時代には、その実意を表に現すことはできないが、それだからといって、本当におとなしい人間になりきるのではない。

彼女たちは晩年になって、いわば、その積もり積もった宿怨を自分の嫁に向けるのである。こんにちの日本の娘たちは公然と、跡取りでない息子と結婚する方がはるかに得策だといっている。それすれば、威張りちらす姑といっしょに生活しなくともすむからである」。とここまで詳細に書かれた、日本人の至極当たり前に生活に触れ、思わず笑わないでいられなかった。

外国人であるからこそ、こうも真面目に当たり前のことを書くのだろうが、なぜそんな風な視点で日本人を見るのかを考えれば、やはり彼らにとってこういう日本人は奇異以外のナニモノでないからだろう。日本人には書けない文章が、こうも具体的に書かれることは可笑しくもあるが、改めて納得させられる。次男や三男が楽という事実についての記述の仕方が面白い。

いかに底意地の悪い姑といえども、彼女自身にもかつては、うららかな若妻時代があったということを、ベネディクトの指摘によって想起されられる。結局のところ嫁姑問題は、女と女のあくなき連鎖であるとベネディクトは捉えているようだが、男には分からぬ女対女の機微であろう。虐待の連鎖というが、幼少期に虐待されたものは同じように我が子を虐待するといわれている。

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これが自分には理解できない。自分が虐待されたからこそ、同じような親には絶対にならないという気持ちが養われたように、その様になると思うのだが…。自分が苦しい思いをしたからこそ、他人にやさしくできる。相手にも同じような思いを味わせたいというのは、真っ当な人間というより屈折した人間であろう。そのくせ、我が子には苦労をさせたくないと手厚い加護をする。

嫁という外敵に対する姑のつれない感情というのは、愛する我が息子がそれと同等の愛を母親に向けるべきはずなのに、嫁に分散させるということへの嫉妬心であり、ベネディクトも同様の指摘をする。嫁・姑問題が女の醜い嫉妬心から派生するなら、途絶えることはないだろう。義理の母には義母の意識はあっても、姑に義理の娘という感情はなく、あくまで敵対する女である。

嫁はしばしば姑を、「おかあさん」と呼ぶ。自分の妻もそれ以外の呼び名を聞いたことがないが、孫が成長した際には、「おばあさん」となった。が、姑が嫁を娘と呼ぶにはあまり耳にしない。義理の娘には違いないが、娘などという心境には死んでもなれないのだろう。嫁はどこまで行っても嫁である。問題なのは呼称ではなく心であるが、心の無さが呼称にでるものか。

例外というわけではなかろうが、「実の親子のように仲よし」という嫁姑がいる。一般的な嫁・姑問題は、「ドロドロした関係」、「ネガティブ」なイメージがあるが、外国人と日本人の大きな違いは、何か言いたいことがあった場合に日本人は直接本人に言わずに遠回しに伝える。アメリカ人はハッキリと自分の口で伝える、もしくは、ジョークにして笑い飛ばしてしまう。

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ハッキリと直接伝えることで、言いたいことはきちんと相手に伝わるが、遠回しな言い方は、返ってイヤミと取られたり、陰険さを助長する。嫁はなぜ姑にハッキリと物が言えないのだろうか?これは、嫁・姑問題に限らず、日本人がハッキリ物事を言わない国民性でること。それプラス嫁にとって姑は義理とはいえ、「親」であり、親には黙って従うものという慣習がある。

親に手なずけられた夫(息子)が姑(母)に頭が上がらない、意見できないのに、嫁が姑に意見(反抗)するなど、もってのほかということになろう。日本人の世界観には、「忠の世界」、「孝の世界」、「義理の世界」、「人情の世界」などの他にも、多くの世界が成り立っているが、多くの人間は他者に対して、全一な人格の持ち主として判断することをあまりしないようだ。

人間の一面や一部をとって全体像を判断する傾向が強い。例えば、「ケチだ」、「欲だ」、「美人だ」、「ハゲだ」などと、日本人には何事も、「一時が万時」の如く、短絡的に捉える。同じように、「孝を知らない」、「義理を知らない」というような判断を、姑は息子や嫁に持つのである。ベネディクトは日本人のそうした視野の狭さについて、以下の様に指摘をしている。

「日本人はアメリカ人のように、ある人を不正であると非難する代わりに、その人間がなすべき務め(義務や恩)を果たさなかった行動の世界を明らかに示す」。つまり、「義務」とはある人に対していかに困難な要求であっても、身近な肉親の世界の中には生れ落ちると同時に結ばれる強力な絆という風に解釈され、人間が当然のように果たさなければならない義務となる。

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「嫁は姑の介護をしなければならない」というのはかつての日本人の強力な義務感であった。それをしない嫁は、姑は当然のこと周囲や何の関係のない部外者(世間)から不作の嫁と断罪された。親を養老院にやることさえ、不届きな息子、不届きな嫁と愚弄された時代。それが間違ったことであるは誰もいわなかったが、自分は妻に「それは嫁の義務ではない」と伝えていた。

自分は親に反抗していたことで、親不孝の烙印を押されていたこともあってか、世間の物の見方には馴染めなかったし、自由を得るためには、誰を敵に回そうと自身の生きる方法であった。欧米人は親から義理や義務を押し付けられることはないが、もしそうであったら激しく怒るであろう。もっとも、子どもの生活を犠牲にしても親の面倒を見ろという考えは親にない。

ベネディクトは言う。「我々アメリカ人は、人から手紙を貰ったとか、贈物を贈られた、時宣に適した言葉をかけられたからいって、利息の支払いや、銀行からの借入金の返済の場合に必要な厳格さをもって、その恩義を返さなければならないとは考えない」。日本人の親は平気で子どもに、「淋しい」などと同居を迫ったりする場合もあるが、これは完ぺきなる親の都合(エゴ)である。

そういう言葉を発して子どもを忘恩から逸脱しないようにとの、暗黙の拘束を投げかけている。たとい我が子とといえ、子には子の生活や人生があり、そこに親が自身のエゴを持ち込んで子どもを苦悩させるべきではなかろうに。子どもに生活費を無心する親もいる。本当に困窮し、それでも子に迷惑をかけないようにと配慮する親なら、子どもとて自然に救いの気持ちにはなろう。

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義理でするのか真心でするのかには大きな違いがあるが、日本人意識には親の側が義理でも務めを果たせという考えに陥る。親子が共に自立して生きるという考え方は決して非情ではなく、義理とか恩とかに蹂躙されない、誰にも迷惑をかけない明晰な生き方と考える。「恩」という負担や苦しみをを解消させるためにも、自己責任論を信奉して止まぬ昨今である。

日本人であることの原点 ⑩

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維新後に文明開化の波は日本中を駆け巡った。西洋文明の摂取に奔走したことで伝統的な日本文化を軽視する風潮が生じ、維新以前には大名と素封家を中心に栄えた茶道も衰退の一途を辿ったが、世の中が落ち着いてくると新しい支配階級となった人達が茶器の蒐集を競い始め、次第に衰退していた茶道が勢いを取り戻す。岡倉天心が『茶の本』を書いたのは明治39年である。

天心は日本人自らが外国人に向かって日本を語ることにおいて、優れた実践者として功績を上げた明治の偉人の一人である。日露戦争に勝った東洋の一小国の真価を外国人に理解させようとの意図が、『THE BOOK OF TEA』を英文で書いて出版したと推察する。著書には以下の記述がある。「いつになったら西洋が東洋を了解するであろう、否、了解しようと努めるであろう。

吾々は、鼠や油虫を食べて生きているのではないとしても、蓮の香を吸って生きていると思われている。これはつまらない狂信か、さもなければ見さげ果てた逸楽である。印度の心霊性を無知といい、支那の謹直を愚鈍といい、日本の愛国心をば宿命論の結果といって嘲けられていた。甚だしきは、吾々は神経組織が無感覚なるため、傷や痛みに対して感じが薄いとまで言われていた。

西洋の諸君、吾々を種にどんなことでも言ってお楽しみなさい」。禅の精進静慮という精神性の極めて高い儀式から発達した茶の湯であるからして、茶室はおびただしい絵画や彫刻や骨董品などで飾られた西洋の建築物や室内とはまったく異なり、簡素に作られ、ただ掛け軸や生花といった物を除けばまったく空虚で、塵一つない清潔を旨とする儀式としての茶道である。

哲学者である九鬼周造が8年間に及ぶヨーロッパ留学中(1921-1929)に書いた日本文化論が、『「いき」の構造』で、解説者の多田道太郎はこの書を異郷の哲学と書いている。「一言でいえば『「いき」の構造』は異郷の哲学である。異郷にあって、異郷の方法を使い、母国の、もっとも俗で、もっとも微妙な、もっとも儚く、もっとも鋭利な美意識を、抉り出したのである」。

九鬼周造は、「いき」という言葉に注目し、それは他の民族にはない日本民族固有のものである、という観点から「いき」の意味を考察し、日本文化を解き明かそうと試みた。第一次大戦後、まだまだ西洋文化、文明の豊かさに瞠目していたその時期に、日本の花柳界の女性の媚態に着眼し、それを恥じたり、否定したりするどころか、九鬼はそれらを肯定的に分析している。

九鬼はヨーロッパに居住しながら、パリやドイツの自立心の強い外国人女性には魅力を感じなかったのか、ブロンドの髪をけばけばしい、腰を左右に振って露骨に演じる西洋女性の媚態を抑制と節度が欠けていると言う九鬼である。美においても個性的で自己主張の強い西洋女性には何ら魅力を感じなかったのであろう。彼女たちには、「いき」が欠けていたからである。
 
「いき」とは主観的なものではなく、九鬼はその、「いき」に関係する他の類似した語句の意味との区別を考察することで、「いき」を外延的に把握する。上品、派手、渋味を取り上げ、意識現象の下での、「いき」を考察し、さらには客観的表現をとった、「いき」としての身体的特徴、すなわち全身、顔面、頭部、頸、脛、足、手を主として視覚の上から考察をする。

九鬼周造はまた、花柳界の粋人であるから、彼はすべて和服を着た女性を対象にして論を進める。洋服を着た女性もいたはずだが、それは彼の対象外である。あくまで、「いき」は日本的な徴表である。浴衣を無造作に着た湯上がりの姿も、「いき」であり、細っそりして柳腰の女性も、「いき」であると。春日八郎の、『お富さん』の歌詞には、♪粋な黒塀 見越しの松に~、とある。

歌詞の意味は、黒い塀と松の木のある典型的な妾を囲っている邸宅のことだ。九鬼は、「いき」の定義を、「『垢抜けして(諦)、張のある(意気地)、色っぽさ(媚態)』ということができないであろうか」、考察した。同じアジア人である韓国人の李御寧になる、『「縮み」志向の日本人』(1982年・学生社)は、韓国人による日本人論ということで、結構話題になった著作である。 

「拡大志向」に比べると、「縮み志向」は悪い意味にとられがちだが、日本はちっぽけな島国だから心が狭量ということではない。日本文化には、大きなものを縮めるときと、小さなものを拡げるときがある。その縮めるときに日本文化は華開いているということを書いている。石原裕次郎が歌う、『粋な別れ』という曲があるが、歌詞を読む限り、粋な別れかよく分からない。

「日本人はムダなものと共生することができない体質なので、必要でないもの、余計なものには我慢できなくなり、それらを見るとすぐに払いのけたり、切り捨てるのです。そしてゴミを許さない自然は真空的なものになってしまうのです。しかし、本当の自然というのは、少しずつはみなムダなものであり、汚れているのです。だから、韓国人はゴミに対してさほど神経質な反応は見せません。

むしろ若い嫁がホコリをあまり払ったり、汚れを落として家を磨きすぎると、年老いた姑はそれを不自然なものと考え、こんなふうに諭すのです」。同じアジア人とはいえ、日本人は韓国人や中国人を理解するのは困難だ。同じ欧州圏とはいえ、フランス人がイギリス人の理解が困難であるように…。日本人は世間体を気にするが、韓国人や中国人はどうなのか分からない。

世間体を気にするから、「恥じらい」の文化であろうし、ベネディクトが言わずとも世間体を思う日本人の心情は、日本人のまさに日本的な基底感情である。母親が世間体ばかりを持ち出し、それが躾であるかの如き物言いにはうんざりさせられたが、それもあってか子どもの躾に世間体を持ち出すことをしなかった。理由は、子どものころの自分が嫌だったからである。

親のいう世間とは、自分が毎日具体的に接するご近所さんのみを世間といっているようだった。しかるに世間というのは、仮にも自分とは異質な、つまるところ価値観を異にする集団がたくさん存在していることなを考えもせず、自分の思いと同じものが世間だ世間だ、やれ世間だというのは、滑稽も甚だしい。したがって、世間を口にする人間は総じて視野が狭いとなる。

我々は我々の道を歩めばよい。いや、歩むべきである。ただ、自戒としてたえず広く世界に目を開き、自分たちの、「世間」が独善に陥ることがなきよう、注意を怠る必要はある。そのためには、我々は、「完全なる自己決定」が前提にあらねばならない。家庭とは親の妄信ではなく、子どもにとって自己決定を養う場であるべきだが、それを許さぬ親は子どもの障害である。

戦前の一般的な家族構成は大家族であり、姑が自我なら、嫁は犠牲者だった。戦前に限らず親と同居の大家族では否が応でもそうなりがちである。思うに嫁・姑問題というのは、姑にだけ自我の主張が許され、嫁は姑に隷属するというのを、嫁の夫がどう捉えるかによって変わると思っている。夫が母親に頭を押さえられている場合、姑がのさばるに決まっている。

日本人にとって親が、「絶対悪」には決してならないという大前提がある。それは儒教の影響で、孔子ですら親が悪いことをしてもお上に密告などしない。なぜなら、親が絶対者であるからだ。親も絶対者如く振る舞うなら、息子も嫁も絶対者と崇めて振る舞うのか?バカバカしい。絶対者など不要である。悪いものは悪い、善いものは善いと是々非々に生きるべし。

米山隆一新潟県知事 「買春」辞任へ

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米山知事(50)が出会い系サイトを利用し、複数の女性と援助交際の関係にあったことが『週刊文春』報道で分かった。文春の取材に対し、女性の1人・A子さん(22)は、米山氏から1回あたり3万円を受け取っていたことを証言、月に一度ほど会う関係だったことを明かした。女性は名門私立大学の学生だったというが、この女性は名門私立大とやらに何しに行ってるのか?

名門私立大に行くような頭の良い女性でも、お金を貰って体を売るバイトをやる。それで名門私大?などというのは時代遅れの感覚で、名門大に行ったからといって、優れた人間になるわけでもないし、名門大には人間的に優れた学生のみが行くところでもない。彼らは一様に名門大の御利益を賜りたいのであって、援助交際しようが、何をしようが名門大卒という肩書を得る。

この世に肩書信仰がある限り、人は肩書にひれ伏し、肩書のある人間を見誤ることになる。最近の大学は、とみにバカの巣窟のようにいわれるが、大学生で真面目に学問をやる学生はほんの一握りであって、いつの時代にもバカ学生はいたが、近年、進学率が軒並み上がったことで、大学に行くバカが増えたのは間違いない。バカが大学に行ってはならない規則もない。

そもそも大学が何かといえば、物事の抽象的な次元の、「知」を追求する制度というのが西洋近世以来の伝統として輸入されたもの。それも100年も経てば大学の存在理由も変わるだろうし、時代と共に大学の存在価値も変わってくる。米山知事と援助交際をしていた女性がどこの名門私大かは不明だが、名門私大といえば福沢諭吉の慶応、大熊重信の早稲田が歴史を持つ。

国公立の名門大といえば東大、京大が双璧である。明治時代は立身出世主義の時代であり、彼らは人間の有すあらゆる能力によって出世の道を競い合った。「頭がよい」という一つの能力による出世の道を組織づけたのが東大であった。しかるに東大の意味はそれだけに過ぎない。森友問題で辞任した佐川国税庁長官もセクハラ疑惑の福田財務相事務次官も東大卒である。

仕事はできるのだろうが、どちらも典型的なヒラメ官僚である。「ヒラメ社員」という言葉を官僚に変えただけで、上司の顔色ばかりを窺い態度をコロコロ変える社員の事をいったもの。松下幸之助がヒラメ管理職を嫌っていたのは知られているが、三沢ホーム創業者の三澤千代治も、「ゴマすり役員なんかとはアホらしくて一緒にゴルフなんか行けない」とこぼしていた。

米山知事について書くにあたって気になったのは、援助交際の相手が名門私大女性であり、一回で3万円を貰う彼女は違法な売春婦である。援助交際などというが、金を貰って寝れば売春婦である。買春した米山知事の履歴は、灘高等学校から東京大学医学部医学科卒業後の1992年に医師免許を取得した。5年後には司法試験にも合格、国政選挙に4度立候補するもいずれも落選。

履歴に遜色はないが、国政は諦めたのか2016年に新潟県知事に出馬して528,000票で当選した。彼は、橋下徹とのTwitterバトルで名をあげた知事でもある。発端は学校法人、「森友学園」の国有地取得問題を国会で追及する野党の姿勢をめぐる橋下氏の投稿だ。同氏は米山氏に対して「頭の悪い知事」、「最低な奴」など語気を強めて批判した理由を以下の様に記している。

米山氏は昨年9月には評論家の石平氏にも噛みつくなど、「いっちょ噛み」的性向の持ち主らしい。中国出身で日本に帰化した評論家の石平氏が、菅義偉官房長官の定例記者会見で質問を連発する東京新聞記者に対し、「何のリスクもない民主主義国家で意地悪質問で政府の記者会見を妨害するだけだ」と指摘したことに米山氏は、以下のように嫌悪感を露わにした。

「石平氏は今や、祖国を離れ、独裁政権と批判する中国政府と直接対峙することなく日本人向けに中国政府批判を展開している」、「石平氏が(東京新聞記者を)笑う事は吐き気を催すほど醜悪だ」と言葉汚く罵り非難した。さらに米山氏は、よほど暇なのか、よくいえば視野が広いとでもいうのか、大阪府立高での頭髪指導をめぐる訴訟について松井大阪府知事に噛みつく。

府立高の責任者を、「維新の松井さん」とし、「異論を出した者を叩き潰して党への恭順を誓わせてその従順さに満足する」と投稿。維新代表の松井府知事は名誉を傷つけられたと米山氏を大阪地裁に提訴した。松井知事は辞任問題で揺れる米山知事に対し、米山氏が知事を辞職しても「公人のときの発言についてはきちっと白黒つけたい」と、訴訟を取り下げない考えを示した。

立身出生の時代においてはエラーが許されない。少しのエラーが立身出生の障害となる苦しい時代であった。在任中の不祥事も退任後の再就職が閉ざされる。官僚の旨みというのは、退任後の再就職(天下り)にある。したがって、「大過なくすごしまして…」というのが、退任あいさつの決まり文句という時代をよそに、こうも不祥事続きでは、高級官僚も地に堕ちたもの。

今回、米山知事の女性問題が辞任に値するか否か自分には分からない。プライベートの女性問題が公務にどう影響するのか否かも分からないが、米山知事は婚姻歴もない独身のようだから、未成年者でなければ買春は違法ではないだろに。モラルとか倫理に抵触するのか?ソープ嬢はよくて、素人成人女性を買ってはなぜいけないのか、自分にはその理由が分からない。

なぜ独身をとおしているのかも分からないが、女性に問うのがいけないなら男に問うのもダメだろう。モテないことはないと思うが、それはいいとして、ソープに行ってはいけないというのはあまり聞かないが、なぜ買春してはいけないかということについてはそれなりの理由があるという。もっとも現在日本では、売買春は法律で禁止されているが、ソープは売買春の場ではない。

ソープは法的には「特殊浴場」となっている。そこで行われる男女の行為は、売春防止法にいう売春ではなく、個室内での湯女との自由恋愛という建前になっている。したがって本番行為も恋愛の範疇であり、暗黙の了解で行われる。 あくまで建前だから警察が叩こうと思ったら簡単にできる。パチンコ、競輪、競馬はギャンブルだが、社会の必要悪として容認されている。

何もかも規制をし、締め付けるばかりで果たしてそれが理想的な世の中であろうか?健全なる人たちの息抜きや溜まったストレス発散の場は必要で、それがあるからこそむしろ仕事に励むことにもなる。悪の一切すべてを規制し、取り締まっても結局世のためにはならない。しかし、「なぜ買春してはいけないのか」といえば、以下のような理由がこじつけられている。

 1.性病防止… 性病を蔓延させ、非嫡出子を産み出す
  
 2.経済的暴力規制… 買春は男の女に対する経済的優位の象徴

 3.性的奴隷解放… 買春は女を男へと隷従させる性的奴隷制度

 4.愛情欠如… 愛がない金目当てのセックス故に卑劣

 5.人身売買防止… 売春は、体を物のように売る非人間的な職業

 6.触穢防止… 売春は客の性器と接触する肉体労働故に猥褻で穢れた職業

 7.希少価値維持… 売買春の合法化はセックスの希少価値を損なう

米山氏は独身で、不倫や児童買春でなければ法的な問題はない。あったとしても(買売春行為は違法)罰則はない。腹が立つのは援助交際などと抜かして商売をし、週刊誌にネタを売って稼ぐ名門私大女の育ちの悪さは、米山氏に災難であった。有名人のスキャンダルを売れば金になる時代にあって、嫁のいない独身有名人のハメを外したハメには用心がいる。

日本人であることの原点 「総括」

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さまざまな国の文化を網羅した文化論なるものは、どこの国であれ大体においてイデオロギーと言えるものだが、それを前提として日本文化論の特色をあげると以下のようなものがある。「和の強調」、「集団(全体)主義」、「(集団主義における)協調性」といったものが、土居健郎の『甘えの構造』、中根千絵の『タテ社会の人間関係』などの日本文化論名著を生んでいる。

文化論がイデオロギーなら、イデオロギーというのは大衆に受けなければいけない。大衆に受けるためには、大衆が受け入れる論理が必要となる。大衆にアピールするためには、日本文化批判よりも、日本文化はユニークとか、日本人は立派な国民であるとか、和を貴ぶ日本人は節度があって慎み深いというような、日本人をオダテあげるような要素なくて日本文化論にはならない。

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社会科学主体による社会交換論を打ち出せば学者や教養人は、「日本人は立派だ」というかも知れぬが、「これをしてくれるからあれをしてあげる」の日本人は、利己的、打算的、自己中心的などが浮き彫りになる。いわゆる、"袖の下"などの贈収賄や、互いの潰し合いを避ける共存共栄の、"談合"などは、いかにも日本文化の特徴だが、こうした日本人に醜さを晒すことにもなる。

維新後の日本文化は西洋崇拝が基本で、経済的には追いついた、追い越したといいながらも、文化的にはいまだに西洋に憧れている。文明の中心はパリであり、ロンドンであり、日本はそれらに次ぐものという考えは取れないままの情勢で、いったい日本人とは何か、日本文化とは何かという疑問に対する答えを出さない限り、答えとしての日本人論、文化論はないも同然だ。

文化論とは比較文化論であるべきで、日本を他の社会や文明と比べて日本文明は何であるかを規定するのが文化論という学者もいるが、案外と一方的な比較になりやすい。人類学で行うような比較論なら、世界に存在する数百の文化を全部拾い、その一つを日本とみなして処理せねばならないが、文化論はそういうことをしないものであり、それは文化論にとって無意味である。

文化は固有のものであるが、日本文化論で問題になるのは、西洋文明との兼ね合いで、日本に根付く土着文化を、ブータンやフィリピンやボルネオと比べてどんなに違っているかを論じることに興味はなく、多くの日本人は、日本はアメリカやイギリスやドイツやフランスとどう違うかを知りたいのだろう。いみじくも自分もそうであるが、理由はやはり西洋崇拝だろう。

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ベトナムやボルネオと比較なんぞさらさらない。理由は、日本が上だと思っているからだろう。あちらの文化の詳細は知らずとも、日本文化が上位だというのは、無意識の東南アジア蔑視かも知れぬが、やはり日本がこれまでアメリカやヨーロッパに追いつき追い越せと生きてきたからであって、戦時中の大東亜共栄圏文化の名残りと自負を世代を超えて日本人は持っている。

日本の国際化が始まったのはいうまでもない。その国際化論でいえば日本人の海外でのコミュニケーションのまずさ、不得手さである。それらもあって、日本人は海外で誤解を受ける場合もある。日本人が何者であるかを定義する試みは、実は長い歴史を持っており、江戸時代の国学の伝統や、「和魂漢才」の概念にまで遡る。それが明治に、「和魂洋才」に移行したのだった。

ところが、1970年代に情勢は一変する。日本経済は技術面での自立性を確保し、海外での影響力も強くなり、外国文化の輸入も増大した。あらゆるところで、「カナ英語」を含まない広告を見つけるのは難しい。明治・大正時代には洋装が風俗を変え、「蓄音機」、「野球」、「写真機」、「社会学」などの新しい言葉が、カナ文字なしで創出されたのが懐かしい。

こんにちカメラを写真機などという者はいない。さまざまな外来物品が輸入された当時、アコーデオンを、「小田原提灯型音出機」、ピアノを、「洋琴」、サクスフォンを、「金属的曲がり尺八」などといった。ナイロンなどの化学繊維を、「人絹(じんけん)」といったのも、「人造絹糸」の略である。「LOVE」という英語に相応しい訳がなく、「御大切」としたのも笑える話だ。

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「和魂洋才」なる語句はもはや死語、「和洋折衷」なる言葉は建築や料理や衣類などの分野において現在でも使われている。かつて外国輸入製品を、「舶来品」といったが、当時の輸入品の一切は船便にて日本に運ばれてきたことから生まれた言葉で、foreign goodsを直訳すればよかったかも知れない。「舶来品」を持っているだけで自慢できたのが懐かしい。

それを揶揄した、「舶来かぶれ」という言葉。日本研究者のG・B・サンソムはこう述べる。「日本人は、他国の文化は百貨店で買物するように自由に選び買うことができると思い込んでいる。しかし、イギリス人が経験したように、外来文化を受け入れるかどうかということは、その文化を生んだ国なり民族なえいの力を受け入れるかどうか、自国の運命を決定する最重要事である」。

「ながら族」という言葉は、深夜放送を聴きながら受験勉強をする若者を言ったのが始めではないか?新聞読みながら食事をする、携帯で話しながらクルマの運転をする、うんちしながら考え事(これは普通か)など、いろんなパターンがあり、器用な日本人は「ながら族」の代表だ。電車に乗ればほとんどの人間がスマホをいじっっているが、他にすることはないのだろうか?

とはいえども、元祖「ながら族」に二宮金次郎がいる。彼の銅像は多くの小学校にあった。これは国家が、「ながら族」を奨励していたことになる。ながら族はいけないことか?「~しながら」、「~する」というのは、古き日本人の切羽詰まった生活の知恵であろう。「誠に遺憾に存じます」は政治家の国会答弁だが、欧米の精神に支配されてしまった近年の日本人。

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その日本人にもっとも忘れ去られた日本人の心というものがある。それは、日本人の原点ともいうべき日本人の「掟」を次の言葉に見る。「人間とは哀しい存在だ。それを認めよう。そして、お互いに許し合おう。自らが神の立場に立って、人を裁いてはならない」。愛とか正義とかいうものは、確かに大切なものに違いない。が、人間いつも愛や正義に満ちているはずはない。

愛や正義の獲得を目指して努力はせねばならないが、人間の「弱さ」というものから我々は誰も免れることはできない。庇い合う必要まではなくとも、他人を非難することでいい気持ちになるのだけは止めるべきと思うのだが…。自分がこの上なく批判をするのは実母である。この場で多くのページを割いて批判をしたが、悪口で自身の気持ちを満たすためではない。

実母批判を書き綴る真の意味は、世の母親の子育てに対する憂慮であり、子どもの心を歪めることなく真っすぐに伸ばすために、親は何をし、何をすべきでないかを実体験を基に書いている。先日ある障害者女性が、障害をもつことで親に迷惑や負担をかけているので、親からどんなに罵倒されても、「一人部屋に声を出さずに泣くだけです」との切ない言葉を聞いた。

どんなに辛いことかと考えさせられた。自分も子ども時代にヒドイ言葉を親から言われ、言い返すなどの反抗をするようになったが、それができない頃には一人部屋で傷つき泣いたこともある。「どうしてこんな目にあわされるのか」という切なさは、30代の障害者女性と同じ気持ちである。日本という国は親が子どもに対して権力を持ち、そこの点はドイツに似ている。

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が、ドイツ人の親が権力を嵩に子どもに服従を要求したり、強いることはない。親への恩や孝行に独特の解釈を持つ日本人のいう親の恩とは、父母からしてもらう日ごとの愛護と骨折りのことで、子をもつ親にとって当たり前の行為が日本人にとっては暗黙的な恩の強制となる。虐待の連鎖は抑止すべきだが、忘恩の連鎖も、自らが歯止めにすべきと考えるようになった。

求道的変人・将棋界

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将棋の羽生善治と囲碁の井山裕太がともに国民栄誉賞を受賞した。40代の羽生はさておき井山は28歳だった。若いというならマラソンの高橋尚子も受賞年齢は28歳、レスリングの吉田沙保里は30歳、同伊調馨は32歳で受賞となる。文化勲章はジジババが多いが、国民栄誉賞は年齢に関係ない。第一号は41年前の王貞治だった。各界からこれまで26人が受賞している。

羽生も井山も共に史上初の全タイトル制覇(七冠)ということでの受賞であるが、国民栄誉賞に相応しい将棋界の巨人といえば、大山康晴十五世名人や升田幸三実力制三代名人が浮かぶ。大山は1992年、升田は前年の1991年に他界したが、王貞治が1977年に初受賞したように、国民栄誉賞は存在した。囲碁界に詳しくはないが、坂田栄男や藤沢秀行らは有資格者かもしれない。

俳優・歌手では、長谷川一夫(1984)、美空ひばり(1989)、藤山一郎(1992)、渥美清(1996)、森光子・森繁久彌 (共に2009)らは理解できる。サザエさんの長谷川町子(1992年)は死去の2か月後に受賞。藤子・F・不二夫や手塚治虫も賞に相応しいが、手塚は長谷川以前の死去ということで、タイミングの問題もあったろうし、アトムが受賞なしならドラえモンの受賞は難しい。 

26名中12名が死後受賞となっている点が、皇居で陛下から授与される文化勲章とは異なる。国民栄誉賞を選ぶ基準は実は明確でない。規程には、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」を目的として時の内閣総理大臣が、「適当と認めるものに対し」、「随時」、表彰することとされている。

同じように、顕著な業績があった人に贈られる文化勲章は、有識者による審議会や文部科学大臣の推薦などを経て閣議決定されるなど、審査や手続きがより複雑となっている。それもあってか、国民栄誉賞をめぐっては選考基準のあいまいさや授与のタイミングもしばしば議論になる。上記した手塚や藤子は好例といえる。あってはならない政治利用の懸念もいわれている。

平昌五輪フィギュアスケート金メダルの羽生結弦選手(23)の祝賀パレードが、22日午後、仙台市青葉区の東二番丁通で開かれた。4年前のパレードよりさらなる観客数が見込まれ、宮城県警や実行委員会は、「過去最大級」の態勢で臨むが、これだけの実績からしても国民栄誉賞に該当すると思うが、授与を決めた安倍総理には、「疑惑隠し」ではともいわれている。

羽生結弦選手の、「国民栄誉賞」授与には、国会が紛糾しているという時期も批判の要因となっている他、「国民栄誉賞のレベルが下がっている」、「他にも授与すべき人はいる」などの不満・批判・否定意見が国民に多い。同じように将棋の羽生氏や囲碁の井山氏にも批判はあった。が、天才棋士集団のなかで、1年間に七大タイトルをすべて制覇というのは信じがたい偉業である。

が、歌手や俳優やスポーツとと違って、将棋・囲碁の愛好家人口は少ない。偉業ではあっても将棋に関していうなら、国民に広く愛され、注目されている点においては、羽生永世七冠よりも藤井聡太六段であろう。そうはいっても、藤井六段が国民栄誉賞にはならない。広く愛されてはいるには違いないが、彼はまだ15歳であり、「長く愛されて」の部分から言っても該当しない。


「碁打ち・将棋指し」という言葉がある。現在では、碁や将棋が賭博でなく深遠な頭脳ゲームであることを疑う人はいないが、かつて碁打ちや将棋指しは、特殊な遊戯を扱う博奕者であり、盤上の遊戯をなりわいとする人々であった。一部の国民には愛されたが、「碁打ち・将棋指し」と蔑まされた棋士たちへの世間的なイメージはこんにちに比べてあまりよいものではなかった。

将棋界、囲碁界においては、時に求道的天才のような人物が現れる。変人ともいわれる彼らであるが、映画『聖の青春』の故村山聖九段や、大山と死闘を繰り広げた故山田道美九段が即座に浮かぶ。生前山田はこんなことを書いている。「将棋とはしょせん娯楽であり、棋士とはその娯楽に寄生する賭博師ではないか。将棋によって金を得ようとする不純なものがある。

自分は何のために将棋を指しているのだろうか。盤に向かって苦闘することに、何の意義があるのか。どんなに一生懸命指しても、苦闘の末に作った棋譜は観戦記と言う有り合わせのボロを着せられ、死骸のように新聞に載って捨てられた。将棋を指すことは、自分の一生を打ち込むことに値するのだろうか」。報われることのない苦悩と懐疑の心情が伝わる文章である。

山田九段は棋士を志すも世間的なイメージの悪さもあって親に大反対された。山田は反対を押し切ってプロ棋士養成機関の奨励会に入会したものの、さっぱり勝てず、生活のためのアルバイトは辛く、ようやくプロになってもその貧しさは大差なかった。そうしたもろもろの苦しさもあって山田は、果ては将棋を指すことそのものを懐疑するようになってしまったという。

山田は打倒大山を胸に当時の一流棋士の立場でありながら、自身が用意した部屋に奨励会員を集めて研鑽した。それは後に、「山田教室」と呼ばれ、現代のプロ棋士の間で盛んにおこなわれる研究会システムの先駆者であった。無敵時代の大山名人に果敢に挑戦すること三度、1967年第10期棋聖戦で大山を下し、初タイトルを獲得した山田は、次期には中原を避けて棋聖位を防衛した。

大山には常に闘志をむき出しに挑んだ山田は読みに集中すると、姿勢がどんどん前のめりになる癖があった。ある対局のとき大山が、「(盤面が影になって)暗いから頭を引っ込めてくれないか」と一喝したところ、当時すでに頭髪がすっかり薄くなっていた大山に向かって、「まぶしくてかなわん。頭巾をかぶってくれないか」と言い返したエピソードが残っている。

山田は酒も飲まず、賭け事も一切しなかった。打倒大山の担い手として二上達也、加藤一二三と共に期待され、当時では数少ない研究派の山田は、対振り飛車急戦の山田定跡等を残している。1970年に現役A級在位のまま特発性血小板減少性紫斑病により36歳の若さで急死。6月6日の対大山戦が最期の対局となった。現役A級で逝去した棋士は山田の他に大山康晴、村山聖がいる。

山田は将棋道に邁進する求道者であったが、すべての棋士に、「求道者」という語句が当て嵌まるかといえばそうでもない。佐藤天彦名人はクラシック音楽を親しみ、ブランドで固めた洋服の井出達から棋士の間で、「貴族」と呼ばれ、将棋の研究に余念はないが求道者のイメージはない。加藤一二三もかつては求道者といわれたが、将棋から離れただの変人として人気がある。

将棋はそこそこに株式で資産を築いた桐谷広人七段も求道イメージはあった。彼は高校時代、二宮金次郎ばりに将棋の本を読みながらの通学スタイルだが、将棋から離れるとただの変人である。現役最強棋士羽生善治も、国民栄誉賞授与式に寝ぐせはなかったが、将棋のタイトル戦でいまだ寝ぐせを治さないのは、一般人と乖離した点において、やはり変人であろう。

求道的変人・囲碁界

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囲碁はできない自分は囲碁界のことも詳しくない。が、人間への興味は、囲碁や将棋以外のあらゆる世界において対象となっている。思うに人間の興味や関心は様々で、同じテーマに興味があっても、興味の内容や持ち方は人によって異なる。人間が人間に興味を持つのは自然なことで、心理学や行動分析学などで体系化されるなど、人間が人間に興味を持たないハズはない。

ただし、興味の深浅は人による。人間にさほど関心はなく、モノやお金に興味と関心を抱く人もいる。例をあげると、将棋に興味がある人が棋士や将棋界の事に関心を持つ人も、将棋というゲームそのものだけに興味を持つ人に分かれる。将棋が強くなるという観点からすると、将棋の戦法や詰将棋などに関心がある方が有利となる。そういう人はあまり人間に関心がない。

お金持ちになるには人よりモノへの執着が重要かも知れない。人物に対する興味は一種の恋愛感情であって、恋愛といってもなにも異性間とは限らない。男が男に、女が女に興味や関心を抱いてもよい。最終的には、「好き」か、「嫌い」かが重要であって、好きであれば自分の利害を抜きに入れ込む。また、嫌いな人間なら、どんなに利得があろうとも拒絶してしまう。

反面、モノや仕組みに対する興味は恋愛とは逆の一種の相対化である。対象から一定の距離を置いて冷静に対象物を見ることができるのは、恋愛と区別される点だろう。人物に興味関心が高い人は、コレだと思った人に対し、素直に無邪気に飛び込んで教えを請うことができるが、モノやお金に興味のある人は、「この世で信じるものはお金だけ」というような心情であるらしい。

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投資や利殖やギャンブルにはまったく興味のない自分は、日常そんなことに神経を使う時間が惜しいと感じている。株式チャートに釘付けになって、日々の上げ下げに一喜一憂するなどは、人間の刹那の生涯を考えた時に大きなロスではないかと。預金通帳の数字を眺める快感は分からなくもないが、お金というのは食べて着て雨風しのげれば十分と感じるようになった。

あとは多少の娯楽である。先日将棋の羽生善治と共に国民栄誉賞を授かった囲碁棋士井山裕太の名前と顔くらいは知っている。彼がタイトルを総なめしていることも知っている。2012年に将棋の女流棋士室田伊緒二段を妻に娶ったこと、2015年に離婚したことも知っている。二人は2年半の交際期間を経て入籍したが、どちらも1989年5月24日生まれという、珍しいカップルであった。

入籍の日付け、離婚の日付も同じなのは当たり前である。死ぬときはおそらく別の日となろう。室田伊緒二段は、愛知県春日井市出身で、同じ瀬戸市出身の藤井聡太六段と同門の姉弟子にあたる。二人の結婚はお目出度いことだが、離婚となると囲碁・将棋界双方に激震となった。口数の少ない似たもの夫婦との印象だったが、似たもの夫婦のデメリットもあるのだろう。

大勢の棋士仲間に祝福されての旅立ちだったが、離婚を祝福するものはいない。囲碁界には疎い自分だが、囲碁界にも変人がいるだろうといろいろ調べてみた。それによると、趙治勲名誉名人の名があった。対局中、自らの打った悪手に腹を立て、脇息を投げ飛ばしたという。また、対局を見学していた日本棋院院生が私語をしたところ、ペットボトルを投げつけたこともあった。

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もう一人は故藤沢秀行名誉棋聖で、派手な女性関係が知られている。愛人の家に入り浸って自宅に3年帰らなかったこともあったといい、所要で帰らなければならなくなった際、自宅の場所が分からず妻を電話で呼び出して案内させたという。こうした奇行からして、変人よりも上位の奇人に該当する。孫の藤沢里菜女流三段は、最年少で授流本因坊タイトルを取るなど活躍中。

極めつけといえば現在離婚係争中の依田紀基九段(52)と原幸子四段(47)夫婦の金銭を巡る泥沼訴訟合戦を文春が報じている。依田は囲碁界における最後の"無頼派"とされ、歌舞伎町で豪遊やバカラで大散財などのエピソードには事欠かない。全盛期には1億円近い年収があったとされるが、2004年、仕手株に手を出したことで多額の借金を負い、都心の高級マンションを売却した。

今、夫妻の間で最大の問題なのはこの売却金の行方で、妻の原はいう。「マンションを売ったお金は弁護士が預かり、借金返済も弁護士が行い、残金は基本的に子供たちの学費に充てるという約束でした。しかし依田はこの約束を破り、3000万円を自分のものにしたのです。子供たちは自分たちの学資を取られ、何より父親に騙されたと感じ、大きなショックを受けています」。

自分の預金も夫の借金の肩代わりのために使い果たしたという原は、その返済を求め、依田に対し訴訟を起こす。一方の依田も、離婚を求めて提訴している。依田はいう。「僕は天に向かって恥じるようなやましいことは何もしていません。ただ、やり方はまずいところがあったなとは思います」。かつて二人は、NHKの囲碁番組で一緒に司会を務めた人気者であった。

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依田紀基は小学5年の夏に北海道岩見沢市から上京、安藤武夫七段の内弟子となり、そこから小中学校に通う。入門当初の棋力を安藤はアマ五段と認定した。中学3年のとき彼はプロ棋士になる。小さい時から彼は囲碁以外のことには興味を示さなかった。ある時、安藤先生は自宅の庭で野球をしようとしたが、依田は野球の仕方を知らなかったという笑い話がある。

6年間の内弟子生活においても、彼は囲碁以外のいかなる事にも関心を持たなかった。成長して成人になった後も彼は小さい事には無頓着で、いつも周りの者を冷や冷やさせた。1998年に原幸子四段と入籍したが、「とにかく主人はびっくりするくらい何もできないんです。新婚当初は、私も主人が困らないように料理を作って、あとは温めるだけにして出かけるわけです。

帰ってみるととりあえず無事に生きてはいるんですが、ひげは伸び放題、ビール缶は散乱し、なんとガスコンロに火がついたままでした。主人はコンロの消し方がわからないんです。もしも私が3日間ほど彼の元を離れていたら、彼は餓死するかもしれない」などと冗談めかしていう。依田紀基といえば、山下敬吾や井山裕太が出てくる前は世界でいちばん強かった棋士であった。

「金の切れ目が縁の切れ目」か、縁が切れての金の争奪戦か、離婚がらみの金銭争奪は最近あまり聞かない。お金で品位を落とすのは下半身以上にみっともない気もするが、双方譲れない現実なら仕方ない。才媛のほまれ高い原幸子だが、「依田の面倒をみられるのは原しかいない」といわれ、まるで幼児のような依田の面倒を見た末路がお金の争いとは縁は異なものだ。

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「拭き掃除ロボット」の怪

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仕事は、「迅速」、「丁寧」、「正確」といわれるが、顧客の立場でこのようにされたら誠実さを感じるはずだ。上記のことを習慣づけておけば間違いなく顧客の満足度が得られる。自分についていえばまずは迅速で、これは心掛けというより、せっかちな性格から起こる事だが、意識して心掛けるのは、「正確」、「丁寧」の方で、こちらは気遣い、心遣いの問題である。

「善は急ぐべし」、「今できぬ事を明日やれるはずがない」をモットーにすれば、自ずと仕事のできる人間になるが、そういう意識のない人は自らを鼓舞するところから始めてみる。時に横着な気分になることもあるから、「疲れた」、「忙しい」、「面倒くさい」を禁句に自己啓発をしている。人間は自分に甘いので、自分に都合のよい言い訳を用意するものだ。

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毎日のことだからそういうこともあろうが、仕事は遊びではないので自己啓発は大事。趣味のウォーキングや将棋やブログを書いたりの日常だが、頭の冴えない日も体調思わしくないときもある。将棋も冴えないし、ブログの文章にも精彩がなく、ウォーキングは疲れが大きい。238段の階段のところで体調の良し悪しはすぐに露呈するから、自らに喝を入れてみる。

「お前はそんなにダメな男なのか!」という自問し、激をとばす。自己啓発の方法は人によって喝をいれたり、鼓舞したりするが、自分の場合は自問することが多く、長年そうしてきた。以前はなかった外出前の電灯の消し忘れが目立つこの頃だ。「こんな簡単なこともやれないお前は、どんだけバカか!」と自分を責める。上辺ではなく、心からその様に思う。

「電灯の消し忘れ如き…」などということはない。仕事としてみれば、こんなお粗末なことは羞恥としか言いようがない。意識しないでやれたことを、意識しなければできなくなったなら、それは仕方のないことだから、出来るように自分を変えていくのが変化への対応である。それでも、意識のない日、薄い日があって、外から帰ってみると煌々と灯りがついている。

腹も立つし、悔しくてならない。老いのセイにはしたくはないが、この変わりようはまさに老いの賜物である。「若い時と同じようにはいかない」と、それはそうである。事実はそうでも、自身を甘やかせる言葉としては使いたくはない。もはや進歩や向上はなくとも、現状維持の努力は続けたいものだ。それが老いに対する向き合い方であり、無理をせぬ方法であろう。

イメージ 2基本は、「自分らしく生きること」。自分らしさとは自分が一番分かっているのだから。若者とそうでない者の違いは、年齢の他に何があろうか。ベーコンという哲学者はこう述べた。「若い時は一日は短く一年は長い。年をとると一年は短く一日は長い」。若さにかまけて一日はあっという間に過ぎるのは経験したし、一年は長く、10年先のことなど想像もつかない彼方であった。

それに引き換え、年をとると何もすることがなくなるからか、一日は長く感じられ、一年はあっという間に経ってしまうということだ。が、自分はやることに事欠かないからか、一日が長いと感じない。あっという間に終わってしまうのでベーコンの言葉とは相容れない。自由度に関しては、若い時分にくらべてはるかに増している。束縛を受けるものなど何一つない昨今の情勢。

束縛がないということはストレスがないことになる。ストレスがないということは、だらけてしまい易い。人間はだらけやすいので多少のストレスがある方が、やる気と集中力を生むから、ストレス皆無は決していいことではない。だから自らが何かを強いて、多少のストレスを生まなければ、人間は抜け殻になってしまう。そういう自分もストレスを生みながら生きている。

ウォーキングもブログもそうかも知れない。しなければ、音楽でも聴いてうっとりしたり、考え事をしたりの時間も苦にはならぬが、そうした以前と違って格段に身体のメリハリは向上している。「最近体を動かさないからなまって仕方がない」の声はしばしば聴くが、「なまって」は、「鈍って」である。にぶくなるということだ。動物としての生体反応として当然である。

人間は動物で、動かねばならないが、近年は人間を動かなないでいいものが、生活必需品として多く出回っている。「自動式掃除機」を見たとき、こんなものを買う人の心を自分なりに読んだ。電気掃除機では不満というから、それを見越してお掃除ロボットが作られたのだろう。最近もっと驚いたのが、「自動拭き掃除機」という商品で、「こんなものまで?」という感想だ。

「拭けば済むことだろ?」が実感。なのに、自動でなければならないのだろう。自動ドアが出現したとき、文明の利器に驚きもした。大方のデパートやコンビニストアが自動ドアだから、そうではないと、「なんなんだこの店舗は!」と思うようになった。ドアは手で押したり身体ごと当たって開けたりだから、さほど力はいらない。が、客を迎える姿勢としての自動ドアであろう。

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客に店舗に入るための労力を使わせない点において、優れたサービスツールであろう。洗濯機も炊飯器も掃除機も確かに生活面ではこの上ない便利機器である。これなくしては原始時代に戻ると思わせるくらいになくてはならぬもの。近年で最も重要かつ絶対に手放せない発明は、自動洗浄便座である。拭きが悪いと痒みなどの障害があるといっても、尻を洗うことなどできなかった。

出来ないし、やりづらかったが、今やそれをしてくれる機器は優れモノだ。ところが自動拭き掃除機の出現は、やれることをしないのだから、誰がこんなものを考えるのか腹も立ち、こんな不埒なものを買う人間の顔が見てみたいであった。お掃除ロボットの時も同じで、親の顔も見てみたいすら思った。ある日、長女宅にそれを見つけてドキっとした。親の顔も知っている。

済んでしまったことは仕方がないが、拭き掃除ロボの購入を知った暁には、「親子の縁を切る!」と口に出す気でいる。どんな子も親の子どもゆえ、子ども批判は親批判となる。といいつつ、思いつつ、親の子、子の親批判は絶えない。だからというわけではないが、「親子といえど他人」と思うに限る。血は繋がるから、「アカの」とまで言わずとも、他人である。

世の若い主婦は便利に慣らされてしまっている。「お掃除ロボ」や、「拭き掃除ロボ」を必要とする時代を嘆かわしいと思う古い人間かも知れぬが、おそらく娘も、「こんな便利なものはないよ」といいそうだ。決して拭き掃除という行為が不便ではなく、単に横着を便利といってるに過ぎない。便利といえば、尻を洗ってくれる便座だが、あれほど優れた発明はない。


誠実と不誠実の狭間で…

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行動しない、動こうとしない人間には腹をたてたりした若き日の思い出が懐かしい。仕事を命じる立場にいる時は、そこの点は厳しく指導するよう留意していた。言い含める言葉はあるにはあるが、自分の場合は部下に、「迅速・丁寧・的確」は、「誠実の証しである」ことを頭と身体で分からせようとした。その際に、「誠実」の対義語を、「だらける」と説明したりもした。

「言葉」は人を裏切るが、「行動」は人を裏切らない。口ばかりで行動しないのを、「言行不一致」といい、本人にどうあれ、他人には不誠実と考えている。約束を守らないばかりか平気で反故にする人間は、嘘つきで不誠実であるのは間違いない。頼んだことをキッチリやってくれるのは、人への最大の信頼となる。そうである人間とそうでない人間の差は責任感だろう。

「信頼のおけない人間とは付き合えない」。このことを重視しているが、不思議にそういう人間がいる。女に多いが男にもいる。自分にはないことなので不思議というしか言いようがないし、いい加減な人間とインプットされる。約束を破る人間は、「ごめん、忘れてた」などというが、「忘れる」こと自体が無責任で、こんな言葉は絶対に吐かないと肝に銘じている。

イメージ 2「忘れてました。ごめんなさい」というのは謝罪なのか?そうは思わない。自分に対する言い訳であって、これほど人をバカにした言葉はない。子どものときにたくさん、たくさん、母親からそういう行為をされたのを忘れない。あげく母親は一度も謝罪はしなかった。自身のための言い訳をしなかったのは、言い訳をも無視するほどに子どもを愚弄し、見くびっていた。

子どもは親から嘘をつかれると、哀しみにも似たやり場のない気持ちに襲われる。「子どもがウソばかりつくので困っている」という親がいた。おそらく、その親は子どもに嘘をたくさんついたのではないだろうか?つまり、親子間に信頼がなくなっていることが、子どもに嘘をつかせる。子どもに嘘をつかれた親は、信頼を裏切られた気持ちになるが、同じように親から嘘をつかれた子どもは、親に信頼をなくしている。

子どものウソは親へのシグナル、警告とみるべきで、早急に適切な対応をとるべきである。素直な子、自信や勇気の持てる子どもに育てたいなら、親は子どもに誠実に向き合うことが何より大事ではないか。子どもが親に嘘をついた時に、「ウソをついてはいけません」と頭ごなしに叱る親がいるが、これほどバカげた言い方はない。なぜなら、それで解決がつくはずがないからだ。

そういう親は、「嘘=悪」と思っているのだろうが、そんなことを子どもにいえる親が、子どもに嘘をつかない親なのか?ということもあるが、そんなこと以上に大事なのは、「なぜ、子どもが嘘をつかねばならなかったか?」である。子どもに限らず、自分は相手が嘘をついたとき(明らかに嘘だと分かる嘘)に、同じように考える。「なぜ彼(彼女)は嘘をつくのか?」と…。

約束を忘れていた場合、本当に忘れていた時の、「ごめん、忘れてた」と、忘れていないけど実行しなかったときの、「ごめん、忘れていた」は中味が全然ちがっている。それを見極める洞察力を先ず自分がもっているか。正しい判断ができるかも大事なこと。人間だから忘れることはあろう。そこはお互い様というのが寛容である。自分に絶対そのような非はないというのは思い上がり。

そうでなければ、「それ見たことか」ということにもなり兼ねない。今回の貴乃花の一件はまさにそうであった。「ミイラを取りに行って、自分がミイラになった」話は少なくない。何だカンだと他人の批判する人は、間違いなく自分を差し置いている。利口な人は自分の生き方に誠実であろうとする。「言う者は知らず、知る者は言わず」という言葉を噛みしめる必要がある。

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批判の本質は自己向上の枷とすべきで、他者批判する人間は人格者でも何でもない。相手と交わした約束を本当に忘れてしまうことはある。他人との約束を軽んじたり、責任感の強い人間でも、「絶対」に忘れないことはないが、忘れた人間にとっては本当にショックとなる。彼は言い訳も弁解もせず、ただ自分を責める。付き合うべき人間はこういう人間でありたい。

妻にし、夫にして人生を共に歩む人間は、こういう相手であるのが望ましい。子どもにとって、本当に価値のある親はこういう親であるのが望ましい。「価値」の大切さでいうなら、友達の多さ自慢し、優越感に浸っている人は憐れである。本当に気が合ったとしても、価値観もまったく同じ人間がこの世に何人もいるわけがない。確かに異なる価値観をぶつけ、戦わせるのは重要だ。

それができるのは若い時である。若い時分、自分と考えが相反する友は、むしろ必要であろう。が、30歳、40歳を超えれば、そういう相手と無理をして合わせ、無意味な時間を過ごす必要性を感じない。自由に生き生きと生きようとするなら、惰性の友人なんか必要ない。いつもの相手と、いつもの場所で、同じ話ばかりするのは残り少ない人生にとって無駄である。

子どもの嘘、大人の嘘を思考するに、大人の嘘に比べて子どもの嘘は純粋で、自分の身を守るための嘘であることが多い。「子どもが嘘ばかりつくので困ってる」という母親に、「何をどう困ってる?」と問い返すと、返答に困っていた。大人と違って子どもの嘘というのは、実は本音の裏返しと考えるべきだろう。「叱られたくない」、「親が怖い」、だから嘘で逃れようとする。

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それを叱りつけても問題は解決をしない。だからシグナルと捉えること。大人の嘘は不純である。純粋な嘘をつく大人もいるが、邪悪な人間は嘘をつくことで相手を陥れようとする。なぜ、嘘までついて相手を陥れるのか?自分のためにつく嘘は、自分を甘やかせる人間だが、他人に罪を着せようとする嘘つきは要注意人物である。「45年前に恋人」の記事はそのことを指摘した。

彼女はなぜこのような言い方をしたを種々思考してみた。それで得た最終結論は、彼女は今の自分の境遇や日常や、生活のことで頭が満杯で、それ以外のことになど誠実に対処する必要を感じなかったと判断した。65歳で仕事をし、40前の娘と同居し、それが彼女の人生の何よりの優先順位であり、昔の恋人に再会した感激に浸る自分の純粋なひたむきさには及びもつかない。

そう結論すればすべてが理解できた。こういう場合、むしろ男の方が感激する者というのもよく分かった。男のロマンに対し、女にとって大事なのはやはり現実であるのを、『マディソン郡の橋』が教えている。あまりの環境の変化に対応できない女性の保守性というのは、心理学的考察である。彼女の視点に立てば責めることはできないが、だからといって嘘や不誠実さは別。

無邪気な男は女の思慮の浅さを責めるが、責められるべくは男の無邪気さでもある。冷めた見方をすれば、昔の恋人に再会して悦にいってるバカ男ともいえるのだ。彼女は自分の生活を寸分乱したくなかった、それほどに重い日常を送っていることに比べると、自分の日常の軽薄さである。冷静になれば見えないものも見えてくる。相手のことも、また自分のことも、である。

つくづく思うは親の難しさ ①

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子育てには養育と教育がある。範囲が多岐に及ぶ教育の方が難しい。教育には躾も含まれる。躾とは文字通り、人間としての正しい言動、つまり、社会人としてのマナーやモラルを教えること。学校教育にも道徳の授業があるが、教育を受ける以前に家庭での躾が大切で、家庭での躾が身に付いていないと学校や社会での団体生活でわがままで人に迷惑を掛ける人間になる。

学校は教育をするところなのに、ウチの子は挨拶もできない、偏食は多い、勉強もできないなどと、すべて学校の責任にする親がいる。結論をいえば、「その親にしてこの子あり」で、オメデタイ親というしかない。親にどつかれても、教師はあまり反論しないが、腹のなかでは上記の思いを抱いている。自分たちが子ども時代の教師は威厳もあり、親に率直にものを言った。

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だからなのか、母親は教師の悪口ばかり言っていた。自分がどれだけバカな親であるかも知らず、教師を目の敵にしていたことで板挟みにあって不憫なのは子どもである。言うまでもないが、「親は我が子を教え導かなければならない」。教師はどうか?「教師は生徒を教え導かなければならない」。と、自分は親と教師の違いを感じている。これに説明は不要だろう。

教師と生徒は対等ではないが、孫の行事で合唱コンクールなどに出向くと、教師と子どもは対等関係であるような印象を受ける。生徒が教師を茶化すような光景は50年前にはあり得なうが、教師は生徒から茶化されて楽しんでいるようだ。これは一体…?昨今のこうした教師と生徒のあり方に驚かされる。昔は教師に怯えていたが、どちらも楽しそうで結構なことだ。

親子関係はどうなのか?ここに書く記事の多くは、親子は支配関係にあるという前提でいるが、最近の親は子どもに遠慮し、子どもも親に対して友達感覚なのかも知れない。個々の家庭の問題だから一概には言えないが、友達関係の親子は多いかも知れない。親子は、「対等関係」がいいのか、「支配関係」がいいのか、度合いにもよるが、一般的には対等がいいとされる。

が、自分なりに考えてみる。親は子どもに様々な期待を寄せるもの。「将来はいい大学、いい会社に入って欲しい」、「立派な人間になって欲しい」、「家業を継いで欲しい」、「人から慕われるような人間になって欲しい」などなど。そのためにどうするか、てっとり早いのが早い時期から塾に押し込むという方法がある。そうでもしないと子どもは遊んでばかりいる。

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子ども支配が顕著な親は、子ども主体に物事を考えないし、母親が子どもに伝える言葉ですら、「いい学校に行きなさい」、「偉くなりなさい」などと、命令口調である。すると子どもは知らず知らず親の言葉に蹂躙され、自分の意思や考えを押し殺して母親の期待に応えようと一生懸命になる。反面、その場を適当に取り作る子もいれば、あからさまに反抗する子もいる。

親に盲従タイプの子はひたむきな努力をし、後者の子どもはとりつくろうのが上手くなる。子どもの性格はまちまちだから、自分独自の考えを持つことを許されず、黙して親に盲従する子に親は満足する。母親の押し付けを避けて親の意思とは反対方向に行く子に親は腹を立てるが、自我形成期に反抗期のない子は、他人に自分の人生を支配される点において危険である。

息子3人を医学部に行かせるのが親の使命という親がいた。その子たちは親の意思に応えたが、それが自らの意思であったかは疑問である。自らの意思といいつつ、他の選択を葬り去られていたのなら、言わずとしれた暗黙のレールである。結果主義に照らせば目標達成されているが、小学生の卒業文集に、「将来は野球の選手になる」と書いた子とは大きく隔たっている。

支配関係がよくない最大理由は、子どもの意思が反映されないこと。親が子どもを信頼していないことがあげられる。つまり、母親が自らの全てを投げうって、必死で導かねば、子どもはどんな方向に向かうのか、不安な思いに駆り立てる。我が子に尽力するよき親とするのか、憐れな親のロボットと見るのか、他人の評価はどうあれ、すべてはその親と子の問題である。

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母親の自己イメージや理想が高いゆえに必死に躍起になるが、そもそもにおいて、母親の理想に合致する子どもなどいるはずがないのである。したがって、その様に人為・作為で持っていけば母親の願い適ったりの子どもにはなるが、そこまですべきかという考えはある。アスリートやスポーツ選手を育てた父子鷹は、主が子、従が父という点において教育ママとは違う。

子どもを東大医学部に行かせるのと、イチローや松山英樹にするのと、どちらが至難かの比較は無意味だが、東大医学部入学者の数と単純比較から見えてくるものはある。東大に行けば名医になる保証はないが、どこの三流大であれ、高卒であれ、努力でイチローや松山は存在した。東大に入るための努力と、イチローになるための努力と、どちらの価値が高いのか?

あえて愚問を提起したのは答えがないからで、受験のための一時努力と、大器になるための継続努力とはまるで違う。大雑把にいうなら、受験は歩留り論であるから、受験で苦労しても後で楽という考え方である。子どもが社会に出て、苦労せずに順風満帆を願うという、いかにも母親らしい発想だ。ずっと努力し続けろ、うかうかしていて未来はないというのが男の発想である。

子どもに対する男と女の発想はこうも違うものだ。支配的な親から叱られたり怒鳴られたりで、自信をなくした子どもは多い。親の理想を適えられなかった子が果たして自分を大切にし、自らを尊重できるのか、という危惧を抱く。これが支配関係親子のリスクである。子に理想を掲げ、一途に求めた親であるが、親子双方に人生上の失敗という禍根を残したことになる。

イメージ 4理想が適えばいいが、適わなかった責任を親は子どもに取りようがない。息子三人を東大に入れた親ですら、決してそれが勝利とは言えない。親の望みは子の望みであったか、子には別の生き方の可能性もあったろうし、最高学府というステータスを得たのだから善しとすべきとの肯定論に騙されない。たとい何になろうと、自分の生き方こそが自らの人生である。
「諸君、我々は生きなばならぬ。生きるために常に謀反しなければならぬ。自己に対して、また周囲に対して…」。これは徳富蘆花の言葉のアレンジ。母親の横暴に苦しんでいるとき、この言葉を見つけた時の感動は今でもくっきり覚えている。この言葉は大逆事件の指導者として死刑になった幸徳秋水を讃えたもので、蘆花が第一高等学校(現・東大教養学部)での講演で述べたもの。


蘆花の正確な言葉、「幸徳君らは時の政府に謀反人とみなされて殺された。が、謀反を恐れてはならぬ。謀反人を恐れてはならぬ。自ら謀反人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀反である」。自らに道を作るのが人生なら、他人の敷いた軌道を走る人生はつまらない。親の言葉は至言にあらずとし、いかなる至言も耳に逆らう。これが謀反の極意であろう。

つくづく思うは親の難しさ ②

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親子が支配的でなく対等関係の場合、子どもはどんどん自信をつけて行く。なぜなら、権力で頭を押さえつけられた人間は、傷つきやすい性質になる。同様に甘えた人間も、"弱さ"という点において傷つきやすくなる。弱さの中には劣等感の強さも込められている。ようするに、人は受け身で甘えているからこそ傷つくのだが、こっらすべては親によってつくられる。

だからか能動的な人間はさほど傷つくことがない。受け身の人間にくらべて、傷つく理由がはるかに少ないからであろう。一例をあげると能動的な人間は、これがしたいということを人に頼んで断られたからといって、受け身の人間のように傷つかない。誰かに、「好き」と告白し、断られたからとめそめそ傷つくこともない。能動的だから別の誰かを見つけようとする。

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「教育とは、何をするべきか?何をなすべきか?そして、それはなぜか?…を本人が自ら気付けるように関わること」。「躾けとは、教育を受けた結果、得た学びを実践する過程において、常に正しく実行できるように、習慣化させること」だと考えている。傲慢で強圧的な親が子どもを受け身にし、心配性で過保護の親が子どもを甘やかす。すべては親の責任である。

教育と躾は同義とされるが、あえて自分の考えを言えば、躾は裁縫のしつけ糸にあるように、ある決まった良いとされる法則、親が正しいと判断する法則に従わせることであろう。故にか、親の価値基準によって、家庭ごとに親の意に沿う躾が存在する。親の意に沿う躾でいいのか?との疑問もあろうが、躾の実行者が親である以上、親の意を汲むのは当然である。

「躾」といっても、時代背景や文化や親の価値観によっても変わってくる。昔は、食事時に喋るのはよくないとされ、それこそお通や状態だった。口の中に食べ物がある時に喋るのは行儀が悪いということで、この考え方は欧米では理解されない。あちらの食事というのは、食ってる間中会話をするのを、戦後に輸入されたアメリカのホームドラマを見て驚いたりもした。

茶道や華道においても格式が重視され、寡黙に事が進んでいく。欧米人なら、わいわい、がやがやのティータイムである。生け花を習う時に聞かされる利休の逸話がある。「茶道の名人利休の庭には朝顔の花が美しいことで知られていた。太閤秀吉がわざわざその花を見ようと、指定の日の朝、利休の庭にやってきたところ、朝顔が一本残らず切り取られているのだった。

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驚きもし、腹立たしくも茶室に入ってみると、そこにはたった一本の朝顔の花だけが生けられていたという。もっともすぐれた一茎の花の美しさを強調するがために、利休は庭にあったすべての朝顔を犠牲にしてしまったのだ」。茶席に参加する人は、せいぜい五人程度、昼の茶会でも部屋はほの暗く、部屋の造作は洗練された単純さでしつらえてある。

様々な日本的美意識のなかに、「寡黙」というのは重要な要素なのだろう。食事時に喋らず、厳かに進行するのも、喋るのは行儀悪いという美意識である。欧米のような食事=交流ではなく、あくまでも礼節を重んじる。また、食事時に席を立つなどもご法度である。いったん膳の前に座ったら、食事が終わるまでテコでも動いてはならないこれもしきたりである。

ましてや立ち食いなど、きつく戒められた。日本におけるマグドナルドの一号店は、1971年7月20日、東京・銀座の四丁目の交差点にオープンした。広さ45平方メートル、椅子席なしの小さなテイクアウト専門店は、馴染みのなかった日本人に本場のハンバーガーが手軽に食べられると、行列のできる大人気店となった。この辺りから日本人の意識構造が大きく変わっていった。

銀座の歩行者天国を、マクドナルドのハンバーガーをほおばりながら歩くことが、当時のトレンドとなり、あれだけ禁止された立ち食い、歩き食いというとめどない解放感に満たされたのをしかと覚えている。まさに、"味なことやるマグドナルド"であったわけだが、それでも初めての食い歩きの際は、「こんな行儀の悪いことしていいのか?」という戸惑い感もあった。

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何より礼儀作法を重視された食事時間だったが、こんにちは作法などあったものではなく、家族で楽しくおしゃべりしながら食べることをよしとする傾向に変わっている。それでもやはり昔の人間なのか、あるとき吉野家で牛丼を食べていたところ、隣のお兄ちゃんの携帯が鳴り、食べながら電話で会話するのには驚いた。携帯が普及し始めたころのことである。

おそらく自分は今でもそれはできない。というより、携帯を持ち歩かない性分である。食事時の携帯など何のその、今は女性ですらトイレで、「unchingケータイ」など何でもないこと。かかってきた相手にでさえ、「今、トイレ!」といえるところがもはや文化である。外食時、用足し時、いずれも経験ないのは持ち歩かないからで、もし、トイレで鳴ったら出るかも…

息子が携帯を持った時、「クソし垂れながら電話するのだけは止めれ!」と注意したのを覚えている。もう十年も前だが、正直こういうことは許せないと思っていたが、今はそれほど行儀の悪いことだと思わなくなっている。なぜか?これも文化であろう。躾というのは、その子にどう育ってほしいのか、何を身に付けてほしいのか、何をしてはならないかを教えること。

それが10年でこうも変わったのは、文明のスピードの速さであろう。日進月歩どころか、秒進分歩の時代である。世の中が変われば親の意識も変わってくる。つまり、これが世代間格差といわれるものかと。子どもをもって、乳児から立って歩く幼児へと成長すれば、親は様々なことを子どもに教え込む。一人で洋服を着たり、一人でトイレにいくこともである。

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こうした、いわゆる基本的な生活習慣の自立を思い描く親は多いだろうが、何でも一人ですること、できることが自立というのは少しばかり違っている。本当に社会的な自立行動のできる人というのは、人との調和で何かができる人である。これが、「他人と協調できない人間は自立ができない」といわれるゆえんである。それにはチャンとした理由がある。

他人と協調できることは、即ち人との関係で何かができるということであり、それはつまり相手を信じることであり、信じる必要性が生まれるということ。親子関係に於いても同じことで、子どもが親を信頼し、親との人間関係をしっかり作ることが大切だ。そのためには子ども自身が価値ある存在として認められていると実感できるよう、無条件で受けいれることだ。

「無条件」ということが大事であって、「〇〇したら…」、「〇〇になったら…」というのが、こどもにとって最もよくない物言いとなる。バカな親は、そのことで子どものやる気を出させ、ハッパをかけているのだろうが、なにごとにもこうした交換条件を出すと、子どもとの信頼関係を損なうことになる。無条件こそが、子どもが親からの無償の愛を実感する。

つくづく思うは親の難しさ ③

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思慮分別のある親から目いっぱいの愛情を受け、伸び伸び育った子どもがいいに決まっている。そういう親子には一般家庭にありがちなネガティブな問題はほとんどないが、分別の無い支配的な親に育てられた子どもは、親との軋轢から道を外す場合もあるが、それでも親に苦しんで育った子どもは親子の機微について多く考えさせられたことは後のプラスとなる。

そういう人間は親子関係に問題意識を持つが、親に苦しむことなく育った人間に比べて貴重な体験を得ることになる。気持ちの持ち方一つでハンディは長所に変えられるし、そういう柔軟性のある人間には禍を吹き飛ばすバネもある。親への不満をあげつらい、ブツブツ文句を言ったり、自らを悲劇のヒロインに見立てて癒しを求めたところで何も変わらない。

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禍は自らで跳ねのけるしかない、そのことを我々は戦争や自然災害の被災者から教訓を学んだ。想像しかできないが、原爆や空襲で瓦礫と化した街や森や、阪神、東北の二度の巨大地震や大津波に遭遇し、心折れることなく再生に立ち向かった人たちの気概には賞賛すら贈りたい。崩壊と蘇生の連続のなか、人間とは究極的には蘇生であると確信を抱かせられる。

人間は脆弱な生き物というが、機に臨めば斯くも能動的で頼もしい。能動的であるということは、傷ついてなどいられないということでもある。傷つくことを回避する方法は二つしかない。一つは傷つける相手と関わらぬこと。もう一つは能動的になる事である。能動的になるためには甘えを克服せざるを得ない。これが自分が母の呪縛から逃れるために取った手法である。

子どもなら誰にでもある自己中心的な心情や、他人から特別に注視されたいという気持ちや思いから決別する必要がある。それが、「母親になど褒めてもらいたくない」に行きつく。人間は不思議なもので、自分が嫌う相手からの評価などはむしろ嫌悪感にすらなる。母親に褒められたい、母親を他の兄弟から独占したい、これが幼児の中にある自然な甘えである。

母子家庭の子どもの方が自立心も高く、精神年齢が高い傾向にあるのは、甘えを排除するからであろう。依存する母が四苦八苦、汗をかいて働く姿を見れば、負担をかけることは躊躇われる。というように、環境が自然に自立を促していく。それに比べて子離れできない親は無惨である。こういう親が子どもの人格形成にどういう悪影響を及ぼすかなど知る由もない。

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自明の理として一例を記しておく。甘えた人間は受け身的依存心が強いがゆえ、周囲に対して必要以上に受け入れられることを望み、要求もするが、それが受け入れられないことで劣等感・不安感を抱く。あげく彼らは、周囲の人間から無視や軽蔑されることを極度に恐れる。数日前、中三の少女が友人宅から1000万円もの大金を盗んで逮捕される事件があった。

盗んだ金の使い道は同級生に配っていたという。深刻な話である反面、滑稽さも自分には映った。1000万円を盗んだ先は彼女の友人宅であった。なぜに1000万円もの大金を簡単に盗むことができたかである。そのお金は友人の母親が実家から支援してもらったもので、リビングに保管していたという。この事実だけを見ても、友人の母親の無頓着さが分かろう。

少女は、「友人から仲間外れにされているように感じ、ストレスがあった」と供述している。少女に罪がないとは言わないが、彼女に罪を作ったのは紛れもない友人の母である。我が家にも同じケースがあった。長女が小4くらいだったか、近所の姉妹が遊びに来ていた。妻が台所の引き出しに入れた財布から現金が消えているのを知り、種々の行動分析から犯人を姉妹の妹と特定した。

「どうすべきか」と相談があった。額は7~8千円くらいで、全部取らなければ見つからなかったろうが、そこは子どもだ。「証拠をつかんでないからな」と言い含めたが、そのことは近所付き合いの難しさでもある。すると妻は、「分かった。私がそこに財布を入れているのがよくないのよ」と閃いたようにいい、「今回のことはこちらの不手際だから…」と不問にした。いい判断と感じた。

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罪は、作らせる方も悪いのだ。1000万円もの大金をリビングに置いておくなど、親からもらった不労所得だからそんな風だろうし、バカな親というしかいいようがない。何事においても人間は、相手の罪ばかりを問題視し、取り上げるが、相手の視点から見ればこちらにも罪はある。最終的に人間は、相手の視点で自分を見ることができるようになれるか否かである。

それができて一人前の端くれかも知れない。他にも至らぬところは多だあろうが、何でも他人のせいにして、自分の罪を軽んじる人間の多きこと。人間の自尊感情は分からぬでもないが、これができるようになれば人間は「立派」という称号を贈っていいと思っている。それくらいに難しいことである。誰も完ぺきな人間はいないし、なれるものではないし、だからである。

ここに記す幼少体験の一切は、自身の苦悩を元にしたもの。自暴自棄なることもなく、不良になるなど考えたこともない。その理由は、父の存在である。寡黙であまり息子と話すことのなかった父とのコミュニケーションなるものは皆無に等しい。それでも幼少時代は本から仕入れた知識や、戦争体験の話を聞かせてくれ、さらには将棋という無言の会話もあった。

自分は何事においても、このような交換条件を提示されたが、母親の意図が分かり、腹の底が見えると、「その手に乗るか」と反抗的になっていった。子どもが何をやっても褒めることはなかった母が、あるとき見え透いたような誉め言葉をいい出したが、急な変わりようについて行かない自分である。どうもそれが上手くいかないと分かったときにこういった。

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「『先生が、褒めてあげましょう。褒めることでやる気も出ます』などといったからやったのに、ぜんぜんいうことを聞かない。だからもう止めた」と、こんなあからさまなことをいうのである。「何をすればいい、何がよくない」と、そんなことより大事なのは親子の信頼関係の有無だろう。それがないままに、カンフル剤を注入したところで、子どもは見透かしている。

自分は母が優しい言葉をかけてきたとき、彼女の本質をとっくに見抜いたこともあってか、不自然極まりない感じを受けた。人間が急に変われるものではないし、親が急に変わったところで、子どもは受け入れない。「三つ子の魂」というのは、そういう意味もある。やさしい親は幼児の時からやさしく、強圧的な親はやはり幼児期の時点で子どもにその印象を与えている。

つくづく思うは親の難しさ ④

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「つくづく思うは親の難しさ」という標題で書いている。子育てはとっくに終わっている身だが、終わっても思考するほど子育ては重要だからやりがいもある。教育とは読んで字のごとき、「教え育む」で、強制的に行う躾に比べて自由度がある。学校教育、家庭教育、社会教育など、教育は分野ごとに割り当てられる内容も違い、それぞれが担う教育が存在する。

学校には給食があるが、家庭における、「寝食を共にする」ほどの密度はなく、個人教育というより、カリキュラムに沿った全体教育が主体となる。したがって学校教育は、親の意とは合致しないこともあるが、それが不満なら躾的な部分は学校に委ねず、家庭において親主導でやればいい。いじめは学校で発生するが、いじめ抑止の根源的な躾は家庭にあると思っている。

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集団生活のただ中で、集団生活のハウトゥを教えるのではなく、集団生活に伴う心構えや、個人のあり方や問題点を家庭内で、取り出して親子で話し合う素地が必要であろう。それらが様々な問題点を含んでおることが大事であり、大切である。つまり、「学校とは何か?」が土台になる。いじめは教育の問題といわれているが、自分は学校という特殊社会の問題と思っている。

したがって、「学校とは何か?」という本質的問題を思考していかなければ、学校で起こるいじめや理不尽な校則の問題の解決は難しい。子どもの集団はかつてのように、地域社会において個別・個々の集団は少なくなり、野球やサッカーチームのように組織だったものが増えた。かつてのような地域の広場に子どもの集団は見られなくなったのは、以下の要因が考えられる。

①子どもの絶対数が少ない、②中流意識家庭の増加による塾通い、③テレビやスマホなど室内娯楽がメインなどの理由が考えられるが、学校のクラス数は減っても、学校が子どもの集団の場である事には変わりない。そこではテレビやゲームの時間もなければ、スマホの持ち込みも禁止されている。となると、学校と家庭とで子どもの生活ギャップはあまりの違いがある。

近所の学校の休憩時間に校庭で飛んだり跳ねたり走りまわったり、追いかけたり逃げたりは小学校で、中学になると校庭で活発に飛び回る生徒は少ない。これは遊び祖質が変わるからだろう。このように、同じ子どもの集団を要する学校といえども、小中高の違いは顕著だ。小学生でもいじめはあるが、それほど根が深くはなく、一晩寝て起きれば消えるような他愛のないもの。

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それが中学になると、憎悪や怨みが根深くなってくる。人間の精神的な成長が澱んだ心を育んでいく。こ人間の心が汚れていくのは仕方のないことだ。人間が乳幼児のままの原初的な脳のままで生きていくなら、それは植物人間に近い。肉体も精神も成長をし、脳でやり取りされる思考も複雑化していく。そこで子どもはどのように成長していくかが、人間形成医学である。

人間形成医学とは、人間を考え、人間を理論医学的に科学し、さらには育児学、発達心理学、児童心理学、親学、人間崩壊学、文明病学にまで及び、従来では不明とされていた分野にまで科学の触手は伸びてきた。子どもの発達過程でもっとも岐路と考えられるのが、子どもが大人の仲間入りをする、10歳~15歳の時期であり、このトレーニングの時期を思春期という。

しかし、人間形成に歪があったり、人間形成が未熟なままでこの年齢層に達する子も当然にしているわけで、それが大人の仲間入りでの障害となる。友達集団に対する適応障害が表面化するなど、それぞれ個々にいろいろな問題が現れる。もし子どもが10歳のなって問題が現れ、親が初めてそのことに気づいたとしても、親には間違った育児の歴史が10年あったことになる。

その親に育てられた子どもの10年に及ぶ人間形成の歪の歴史を、親の努力で修正するのは至難であろう。余程親が問題意識をもって、誤りの修正に取り掛かれば可能ではないが、そこに障害として立ちふさがるのが、「慣習」という奴だ。慣習は厄介であり、不合理である。例えば祖父母から親、親から子へと差別的な慣習がある場合、それぞれに内面化され、それが性格となる。

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などと書きながらふと立ち止まって考えるに、親が子どもを可愛い可愛いだけで育てることに大きな危惧があるかが想像できる。あるいは、我が子憎しと子どもに対する虐待も、一人の人間の成長過程において、親は非常に罪深いことを行っている。発達心理学では、「三歳までに人間の基礎ができる」とされるが、これは『三つ子の魂百まで』という諺にもある。

科学の無い時代にあっても、人間は人間のことを体験的、伝承的に学んでいた。「人間の基礎」とは何であるのか?【いじめは教育の問題?】という表題でそういう記事を書いたが、思考を広げるうちに、人間の土台となる発達心理学に入り込んでしまったが、これらは避けて通れない問題であろう。人間の基礎とは、「愛」ではないかと思う。愛はまた、「やさしさ」といえなくもない。

他方、「厳しさ」という愛もあるが、「厳しさ」の愛の根源は、「やさしさ」である。「やさしさ」と、「甘さ」は違い、やさしさとは決して甘やかせることではない。「人間とは何か」を思考する際、ふと浮かんだ武者小路実篤が好んで色紙に描いた、「天に星、地に花、人に愛」という語句がある。今さらながらどういう意味かを考えてみた。出典元があって実篤のオリジナルではない。

明治時代の文芸評論家高山樗牛(1871年 - 1902年)は、「天にありては星。地にありては花。人にありては愛。これ世に美しきものの最たらずや」とある。これが出典かと思いきや、「天には星、地には花、人には愛が不可欠である」と、高山の120年前にゲーテ(1749年 - 1832年)が述べている。薬師丸ひろ子には、「天に星、地に花」というタイトルの楽曲がある。

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詞は松本隆になり、「君に愛を」と変えている。自分なりに考えた意味は、自然に美しい造詣があるように、人への愛は人間の摂理であろう。愛を美しいと思わぬ人間はいない。先ずはこれが人間性の基本であり、愛を美しいと思うからこそ、供与したという心も育まれる。これを親から供与され、育まれなかった子どもは不幸である。人をいじめるような子は哀しい存在だ。

つくづく思うは親の難しさ ⑤

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同じ目の色肌の色&髪の色の日本人は単一民族とされ、異質を排除する傾向にある。金子みすゞの『みんなちがって、みんないい』は、それぞれが別々でも優劣は無いこと、さらにはそれぞれが素晴らしいと表現した。いじめの要因となる異質や異端を、素晴らしいと教えないのは親の責任である。子どもの感受性は高いが、それ以上に高い感受性を親はもつのがいい。

小学生の子どもと外出先で脳性マヒの人を長女が振り返って見た。クルマに戻り、それを話題にした。「さっき、障害の人を見たろ?ふつうに見るのと、ワザと見ないようにするのとどっちがいいと思うか?」と、1人1人に言わせた。全員、見ない方がいいと答えた。最後に、「見てもいい。大事なのはどういう気持ちで見るかで、どういう気持ちで見たらいい?」と、再度問う。

子どもたち全員が、「かわいそうと思って見るのがいい」といった。「かわいそう」という同情は、無意識に人を見下げた心理だが、子どもの、「かわいそう」は大人の量りとは違って邪心はない。理解させるのが難しいので、「かわいそうと思って見るなら、見るのをやめて、ワザと見ないようにしなさい。かわいそうなど思わなくていい」。上手く言えない。後は彼らの宿題だ。

人をいじめて優越感に浸る子どもは不幸である。いじめがなぜいけないことなのか?それが分からないだけでも不幸である。彼らの心の奥にあるやるせない思いが、止めたくても止められないしがらみを背負っている。愚かで弱く哀しい存在であるがゆえに、それから脱したいのと、目先の至福感の浸りたいがために他人を不幸に突き落とすことが快感なのだろう。

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彼らは間違いなく欲求不満である。欲求不満は人を攻撃的にするが、罰があればそれを怖れて攻撃を抑制する。いじめは怒りであり、それを他人に向ける行為である。人が苦しむのを見て潜在的なストレスを発散させているのだ。彼らが隠す我が身の一切を引っ剥がして孤立させてみると、おそらく泣き喚く以外に何もできない。凶悪犯を追い詰めると同じ状態になる。

彼らは自身を別の人格に見立てて虚実を生きている。そうした虚飾に生きる人間は、真実を前にすれば自己が崩壊する。人間の欲求には、欲望~快楽の系列と、規範~善(道徳)という系列に分かれる。どちらを目的とし、どちらを目指すかは人によるが、人間がいったん得たものを失うエネルギーは半端でない。虚飾の自分を捨てる時、彼(彼女)らは自殺をせねばならない。

そういう人間を何人ばかりか見たが、彼らは決して良心がないわけではないのに、ことさら良心に無関心に生きて行こうとしたのだろう。道の選択を誤ったのだ。今の若者を見ると、どこか不幸に感じるが、彼らは我々が考えるほど不幸でないのかも知れない。彼らにとって献身の対象はあるのだろうか?あるいは、献身の対象を失っているゆえの不幸なのかもしれない。

「AKBなんかに入れ込んでうちの息子はどうなる?」と親が思ったところでどうにもならない。「うるせー!ほっといてくれ」といわれてオシマイだ。上のケースはありがちな親と子の世代間バトルだが、握手券欲しさに同じCDを数十枚、数百枚買わせることを目論むスタッフサイドの勝利である。違法でないならどう儲けようろ文句を言われる筋合いではないという時代。

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握手商法そのものが問題というが、この手を考え出した者が頭が良いというしかない。つまり、考え出さなければこういう事態は起こらなかったのだから、社会倫理的な問題はあっても、頭脳者の勝利であろう。バカな人間がバカと気づく以外に手立てはない。それが、「バカは死ぬまで直らない」という表現にいわれている。これはつまり、自分でも気づかぬということだ。

子どもの躾けの基本は三歳までに決まるというが、親の子に対する教育はその後も続く。しかし、親の言葉を子どもが聞くはずもなく、親のいうことが、子どもにとって正しいと受け入れられるならの話で、だからといって人間は口先だけで救われることはない。他人を貶したり卑下したり、いかなる批判をしたところで、そのれによって、その人が幸福になることもない。

賢い生き方とはなんだろう。賢い生き方があるとするなら、それはどんな風な生き方であるのか。賢いとは、バカが賢く進歩するということだが、進歩とは他人批判ではなく、他人に惚れ込むことだろう。惚れ込むような人、惚れ込むような言葉の数々、惚れ込むような生き方を見せる人など、いろいろあるが、人が生きていくすべての基本は模倣である。良いことを真似ること。

賢い人の賢い生き方を真似るところから始まり、やがては自分に合った生き方が作られる。電車に乗ってもゲーム、自宅で暇な時間にゲーム、どこかで少しの待ち時間にゲーム、ゲーム、ゲームな人は多い。楽しむための時間が優先されるのだろう。楽しむことはいい事だが、人間の進歩ということを考えると、楽しむことだけではない。若者が無知なのはいい。いつの時代もそうだった。

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が、近年の若者に向上意欲が見られない。おそらくそれは楽しむ時間を優先するからだ。親の教育が不在であるかのような若者もいる。なぜ、親が子を教育しなかったのか?理由は、親の弱さである。親が子を突き放せるほどに強くなかったからである。子どもに見放され、捨てられるのが怖くて、子どものワガママを許し、甘えを厳しく諫めることができなかった。

子どもの甘えは無限になり、いつしか自分が甘えていることすら意識できなくなり、やがて甘えは当然の権利と思うようになる。すべてのことを親に依存し、親はその代償として子どもに依存させてもらう。パラサイトという言葉は一時期流行ったことがあった。今は依存が当たり前の時代なので、特別いわれることもない。そのこと自体が恐ろしさを示している。

「うちの子はひょっとしてパラサイトになるのでは?」と危惧を抱いた親は、心のどこかで子どもを甘やかせた思いが過っているのだろう。そんなことなど考えられないし、そんな風になる前に家から叩き出すという親は強い親である。強い親からは強い子が育ち、弱い親から弱い子が育つ。これは当たり前の図式であるが、多くの親が弱い子どもを育てている。

弱い若者にとって、生きるということは、他人に要求することなのだ。そんな彼らの人生観というのは、要求するか、死ぬかである。こうした若者は、無責任な親が、子どもに嫌われたくないと媚びた態度から学んだことである。子は親がちゃんとした教育をしなくても、学ぶことは学ぶ。良いことを学ばせるか、悪いことを学んでいくのか、これが親次第ということだ。

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家庭教育でなされない誤りは、子どもを突き放すときには突き放す。これをしないで甘やかしすぎた親から甘えた子どもが作られた。親という稼業は難しい。して何が難しいかといえば、何が子どもに悪で、何が子どもの成長の枷になるかを知ることにある。ただし、知るだけではダメで、実践しなければならない。そうした覚悟がいるが、親としての覚悟と思えばよい。

「親とはこうあるべき」。これは子どもに対するすべての責任を負うという責任者としての覚悟である。「教育」とは無力に生まれた人間を強くしていくことだともいえる。脆弱な人間が、強く、逞しく育っていくことを教育といい、親がそれを担うことになる。弱い親にそのような大それたことが担えるのか?せめて親は知識だけでも、強者でいる必要がある。

「ウソだろ?」ある光景2題

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自然の中を散策するウォーキングには、室内で行う運動では味わえない野外の解放感がある。街や野山の風景だけでなく、行き交う人や野良仕事に勤しむ人たちの生活感が伝わってくる。こうした一切が、ウォーキングのリフレッシュ効果である。行き交う人々との一期一会の触れ合いは、「生」の実在感を感じさせるし、時にべっぴんさんのおしりを眺めながら歩くこともある。

あまり近寄りすぎるとふいに振りかえられることもあったりするが、それはおそらく尻を舐め回していたのがバレのたかも知れない。女性は目ざとく、尻にも目がついていることに驚かされるが、あれは女性ならではの危機管理意識なのか。後ろからひたひたと迫ってくる足音を聞けば気にもなるのだろう。男なら振り返ることもないし、後ろの足音など気にもならない。

以前女性から聞いたことだが、背後に人がいるだけでつけられてるように感じられ、その際、バッグを開けて中を見る素振りをして追い抜かせるという。それもあって若い女性の後ろにつくのは躊躇われ、一気に抜き去るよう心掛けている。高年齢のおばさまともなるとさすがに気にする様子はない。女性は年を重ねるといろんな意味で強靭になっていくようだ。

「子どもを産めば怖いものなどなくなる」という言葉がある。それが女性の本能的強さなら、神は本質的に弱い男に強くあれと、「力」を与えたのかも知れない。出産に限らず、自分が何がしか強くなったかどうかの自覚は難しい。若い時に比べて自分がどう強くなったのかについて、それとなく分かるのは、「物が見え出した」こと。物が見えるということが強さである。

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将棋も強くなることで相手の指手が見えるものだ。思考にない手を指されて驚いたり困惑したりはない。自分より強い相手と指すと、困る手を多く指されて歯が立たない。強い者が勝ち、勝った者が強いとされる世の中。数日前のウォーキング途中、カラスが路上でで何かをつついている。かなり前方なのでよくは見えないが、近づくにつれて動いているのが分かった。

ネズミでも捕まえたのかと思いながら、さらに近づくとカラスは飛び去り、そこに残されたものは何と生まれて数日程度の二匹の子猫だった。こんなところに捨てられたのだろう。一匹は目がつぶされ明らかに見えていない。猫は好きではないが、動物愛護本能か、とりあえず側溝の金属蓋を開けてそこにかくまう。カラスの被害から子猫を守る唯一の処置に思えた。

最善とは言えないが最悪の事態を防ぐ方法である。子猫は側溝から外には出られず、そのまま飲まず食わずなら死ぬだろう。それならカラスの餌になるべきか?「食物連鎖」とは、食う者と食われる者の関係で結びついた生物間のつながりである。視点をカラスに置いてみれば、カラスとて生きていかねばならない。が、人間の情緒はそれを許さない。だから自然に関与する。

食べるカラスに罪はないし、食べられるネコに罪はない。子猫を道端に捨てた人間の罪である。一時的にかくまってその場を離れた自分はどうか?関わる限度というものを考えれば罪はないが、子猫のその後を考えると心が痛む。その場から立ち去れない自分は遠くからその地点を眺めていた。カラスが蓋のない側溝から侵入するのか、誰かが鳴き声を聞いて手を差し出すのか。

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急ぐ用事もないので時間を忘れるほどに眺めていた。人の往来がほとんどない急勾配の坂道だから、結局歩くものはこなかった。人の罪はさておき、自然の厳しさに耐えられぬならそれも自然淘汰の原則だ。後ろ髪は引かれながらもその場を後にした。野良猫の産んだ子なら親猫の加護があるだろうから、おそらく飼い猫が産んだ望まぬ子を人間が捨てたのだろう。

ある日の土曜日、ウォーキング途中に公園のベンチに腰かけてジュースを飲んでいた。小学1年生くらいの男の子二人でキャッチボールをしていたところに、20代前半くらいの青年が置いてあったバットで、二人にノックを始めた。15分くらいの短い時間だったが、彼は満足したのかノックを止めて子どもたちと談笑、すると一人の子どもが、「おじさん、ありがと」といった。

知らない人にちゃんとお礼をいえる子どもは今どき珍しいと感じさせられた?親がキチンと躾けているんだろうと思いながら見ている矢先に青年がその子にこういった。「おじさんじゃない。お兄さんだよ」と、その光景に、「マジかい、ウソだろ?」と耳を疑い青年に目をやる。スポーツマンらしい高身長の彼がこんなことをいうのか?と驚き、あれこれ頭がめぐり始めた。

青年はベンチの自分にちらりと視線をやり、そのまま公園から出て行ったが、正直いうと自分はその青年に声をかけて話して見たかった。ただの好奇心というだけであちらは望まぬことだろうから呼び止めなかったが、会話をすることになったとなら、自分の第一声は、「さっき聞いていたが、何でおじさんが嫌なんだ?」と聞いたかも知れない。彼はどう答えただろう。

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自分の興味はそこにあった。それを膨らませると、「なぜ、彼がおじさんと呼ばれることを嫌悪するか」であり、さらに彼がどういう育ち方をしたかに繋がる。子どもにおばちゃんと呼ばれ、「おばちゃんじゃない、おねえさん」と訂正させる光景は幾度か見た。図々しんおは、充分におばちゃんでありながら、「おばちゃんじゃないよ」というおばちゃんには笑った。

子どものいう、「おばちゃん」を訂正させて、何が満たされるのかは女性でなくとも理解はできる。女性はそういうところにも感情が動くのだろう。が、男はそうではないと思っていた。どう考えてもそんなことはあり得ない、想像すらもつかない。だから、この若者のことが気になった。この世には男と女、おじさんとおばさん、爺と婆しかいないが、両性類もいる。

上記と同じ光景で、もし若者がマツコやミッツマンなら、子どもは、「おじさんありがと」なのか?それとも、「おばさんありがと」なのか?呼ばれた側は、「おじさん」、「おばさん」どちらを望むのか?それとも、「おにいさん」または、「おねえさん」といわれたいのか?訳の分からない人間もいる世の中だが、せめて、男と女くらいの区別はしかとを望みたい。

オカマや女装愛好家はイロモノゆえ世間に居場所がない。働き場所はそれ系のバーやクラブとなる。スーパーのレジ面接に応募しても落ちるだろう。オカマのレジさんに、「ありがっとぉん~、おほほ」など言われると寒いし、「気持ち悪い」はこういう時にこそ使いたい。テレビメディアからすれば、面白がられるのは、「興味ない!」と無視されるよりはいい。

イメージ 5「楽しくなければテレビじゃない」をコンセプトに、お下劣も下品も何でもアリのフジテレビが見るも無残に凋落した。原因はいろいろ言われているが、なんといっても、「内輪のバカ騒ぎ」番組に終始した路線が、完璧に飽きられ、見放されたという見方である。こんなことばかりやってると、視聴者は置いてきぼりにされ、「お前らで勝手にバカ騒ぎやってろ」となる。

見るだけではもはや数字は取れない。視聴者参加型の双方向番組こそがこれからのテレビメディアの在り方だろう。「勝手に作って、勝手に送ってくる」とう一方通行が、十数年前からのテレビ批判の先鋒だった。視聴者の好き嫌いや生理的感覚などを考慮せずとも、"制作者側の感性"のみで自由に番組を作れば、"勝利の方程式"だった時代ではなくなってしまった。

つくづく思うは親の難しさ ⑥

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子育て初体験の若い母親は、育児書を読み、そこに書いてあることを鵜呑みにして実践するが、それでうまくいくほど子どもは単純ではない。さまざまな子育て論を目にするなかで、「子どもは褒めて育てよ」、「飴と鞭を使いわけよう」などは定番だが、大切なのは親子の信頼関係が確立していることが大前提。それなくしていかなる教育論も絵に描いた餅となる。

「子どもは褒めて育てた方がいい」は間違いではないが、実際親が褒めてばかりいると、子どもはその期待に応えようとウソをつくようにもなる。こうしたマイナスの要素も頭に入れておかねばならない。その上で子どもの動向を観察しながら、加減をしていくことだ。バカ一つ覚えじゃあるまいし、何事においても、「こうすれば絶対」などの言葉はないのだから…

子育ての考え方もかつての様に単純ではなくなった。「褒めて育てよ」が疑われる背景にはどのようなことがあるのだろうか。褒められることを嫌がる子はいない。子どもに限らず大人でさえ、褒めれて悪い気はしない。豚ですら褒め上げれば木にも登るというのは比喩であろうが、褒められていっそうやる気を出すことはある。では、「褒める」のどこが問題なのか?

「褒める」という行為は上下関係を作っている。親が子どもを褒めると同じことを、子どもが親を褒めない。上司が部下を褒めるように部下は上司を褒められない。などをみても、「褒める」というのは上の人間が下の人間にかける言葉で、決して対等ではない。欧米女性が見え透いた誉め言葉を嫌うのは、男が女を見下げて弄んでいると解釈するからだろう。

確かに男にはそういう驕りがある。だから、褒めた女性の愛想が悪いと、「何だあの女!せっかく褒めてやっているのに可愛くない」などという。明晰な女性はこんな程度の男に媚びたりはしないものだ。もう一つ「褒める」を分析するなら、母親の価値基準を子どもに押し付けていることになる。ここに気づく子どもは物事が見えている利発な子どもであろう。

世間を生きていると、「何でそんなことを褒められるのか?」ということにしばしば遭遇することがあるが、それはつまり相手と自分の価値観が違うということなのだろう。最近、将棋の藤井聡太くんを見ていてそれを強く感じる。周りは彼を誉めまくる。将棋を知らない人、少しばかり知っている人たちの誉め言葉に彼が素直に喜べない様子が伝わってくる。

が、それに対して儀礼で返すも、本心はうっとうしいだろう。羽生さんやA級棋士に褒められるのとは別次元の誉め言葉である。子どもを褒める親には邪悪な狙いが含まれていることもある。男が女を下心剥き出しに褒めるようにだ。自分に感心したからと誉め言葉を多用する女性に言ったことがある。「褒めるのはいいから、一緒に楽しもう。その方がいいんじゃないか?」

親が子どもを褒めるに際し、頭のいい子なら見え透いた誉め言葉は止めた方がいい。上手な誉め言葉なんか考えることもない。母親は自然に子どもと一緒に楽しく遊べばそれでいい。他人の意見はどうだろう。『褒める教育、叱る教育が子供をダメにする』と題した記述がネットにある。「そもそも褒める行為や叱る行為というのは、教育ですらないと考えている。

良いことをすれば褒める、悪いことをすれば叱るという賞罰教育こそが人間をダメにする元凶と考えている。なぜ人間をダメにするのか?子どもは褒められると嬉しくなるし、やる気も出すし、上手く褒めてあげれば伸びていくだろう。それ自体は何ら悪いことではないが、単に褒めるだけだと、そのうち子どもは褒められることを目的とするようになる。

良いことをするのではなく、"どうすれば褒められるのか?"という方法ばかりを考えるようになる。するとどうなるか?褒める人がいれば頑張る、褒める人がいなければ頑張らない。つまり、行動の基準が、"人として良いか悪いか" ではなく、"褒めてもらえるかどうか"になる。他人に親切にすることが良いと分かってても、褒めてくれる相手がいなければやらない。

掃除をしなければいけないと分かってても、褒めてくれる人や評価してくれる人がいなければやらない。結果、他人の目ばかりを気にし、他人の評価や言葉に振り回される人生を送ることになる。"叱る"も"褒める"と同じく、叱られないことを目的とするようになる。その行動が、"人として良いか悪いか"でなく、いかに叱られないようにするかを考えるようになる。

その結果、その場に叱る人間がいれば大人しくし、叱る人間がいなければやりたい放題やるようになる。そんな裏表のある人間になってしまうのです」。確かにその通りだろう。一時期インセンティブを取り入れる企業が多かったが、最近になってインセンティブ制度を止める企業もでている。理由は、社員のモチベーションが下がっていることが問題となったからだ。

人間というのは現金なもので、インセンティブに関係ない仕事は消極的に、あるいは適当になる。さらには、インセンティブ制度の採用された職場で同僚は全てライバル。同僚が何か困っていたとしても、積極的に助けようとする人間は表れず、職場の雰囲気は悪くなるということも現実だ。 信賞必罰にはこういうデメリットもあり、「和」重視の日本人には向かないのだろう。

「子どもは褒めればいい」という神話が改定されれば、親は何を信じ、何を規範に子育てをすればいいのだろうか?子育てにはテキストがないというのを知識としっていても、ならばどうするという問題にぶつかり頭を悩ませる。「子どもに無謀な期待を抱かない、彼には彼の人生がある」と思いながらも、親は「幸福」の価値観を社会での成功者と見まがうことになる。

親たちは、子供を世界で通用するエリートに育てるため、日々、努力を重ねている。しかし、母親になり始めのころは子育ての仕方がわからず、周りの助言に恵まれないケースも少なくないが、勉強できる子にすることだけは信じて疑わない。反面、「勉強さえできれば幸せになる」という価値観を信じない親は、当然ながら子どもに勉強を無理強いすることはしない。

どちらも子を持つ親による教育の選択である。どちらがいいと他人がいうよりも、我が子に自分はどういう選択をし、そのことによる親としての責任を取るだけだが、そうはいっても責任の取りようがない。であるなら、運命共同体としての親子にとって、「教育を失敗した」という親の悔いだけが残る。どういう親の元に生れるのは選びようがない子に罪はない。
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