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喜ばしいことに笑みを、怒りには鉄槌を、哀しい時は涙より奮い、楽しければハメはずす。長文愛好者限定ブログですが、我慢して読む方歓迎。「なげ~の書くな、このアホンダラ!」という方、さようなら・・・。

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    マルクスはなによりもまず革命家であった。資本主義社会とそれによって作りだされた国家制度との転覆に、なんらかの方法で協力すること、近代プロレタリアートの解放のために協力すること、これが生涯を通じての彼の仕事であった。1789年のフランス革命は、封建制と絶対王制を打ち倒して共和制を宣言し、人権宣言を発したことでヨーロッパ各国に大きなショックを与えた。

    その後イギリスやドイツでは資本主義経済が急速に進み、資本家と労働者の対立があからさまになるにつれ、労働者は団結して資本家と闘った。こうした事実に気づいた歴史家の多くは保守的な人々であり、あきらかな階級闘争をどうすればなだめすかすことができるかの研究にとどまり、それ以上に進むことはなかった。そこに立ち上がった巨人がマルクスとエンゲルスである。

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    彼らが最初に見出したのは、階級闘争の起こる原因を突き止めたことだった。資本主義社会ではブルジョアジー(資本家)とプロレタリアート(労働者)という階級対立が生まれ、この間に階級闘争が闘われる。当たり前の経済の仕組みであり、搾取するものとされるもの、この存在こそが階級闘争の原因である。当たり前のことが当たり前に把握できない時代があった。

    当たり前と当たり前でないことを別の言い方で、正常と異常という。どちらが簡単な語句であるかはともかく、この関係は簡単ではないようだ。なぜなら、正常と異常は対極のようで、実は常に背中合わせと見るべきである。異常犯罪という言い方をされる犯罪がある。ならば正常な犯罪というものはあるのか?異常による抑止が逆に正常を招来しているなら、二つは表裏にある。

    「そんな当たり前のことがなぜやれないんだ!」という叱責を親から受ける子どもがいる。ならばその親は当たり前のことは当たり前にできているのか?難しい事をいとも簡単にやってのける人がいる。楽器演奏や仕事の段取りなど、これは訓練の賜物である。しかし、彼らが簡単な当たり前のことができない。当たり前のことをできるには努力が必要であることを知らない人は多い。

    多くの人は当たり前のことを軽視する。が、ゆえに当たり前のことは難しい事となる。当たり前のことを当たり前にやっているからこそ当たり前となる。社会の土台は物質の生産にある。精神や心を磨き、神を仰ぐだけでは生きていけない。飢えて死んでしまう。人類が続いたのは、経済の変化と発展の歴史が根本におかれねばならず、それは階級闘争の形態をとる。

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    マルクスとエンゲルスはこれを、「唯物論的な歴史の見方」という。つまり、「史的唯物論」である。このような歴史の見方を当時の多くの人々は驚いた。なぜこのような当たり前のことに驚愕したのか?それまで歴史を動かすものは、精神や宗教、国王や英雄、そういう立派で高尚なものであったからだ。それが経済と言う下賤なものであることの驚きだった。

    さらには、「階級闘争」などという争いごとが歴史を動かしたり、「労働者」という無知な大衆あるいは愚民が歴史を担うなど、考えるだけで汚らわしいと人々は、考えもしなかった。そうした先入観や偏見を捨て、事実を事実として見たり、研究したりする人にはことは極めて明快である。哲学や宗教や政治は高尚だが、人間が思考できるのは生きているからである。

    食料ナシ、衣服ナシ、住宅ナシで人間は生きる事はできない。住居はなくともルンペンは生きていると反論されても、衣服ナシ、食料ナシについて反論はできまい。資本主義を賛美したところで、資本主義社会というのは、他人の搾取に過ぎない。マルクスやエンゲルスがユートピアと説いた共産主義であったが、今や共産党は体制側になってしまっている。

    なぜ新左翼は戦うのに、共産党は戦う共産党でなくなった?考えればわかることで、新左翼は共産党から離れるとき、その言葉は自分にもあてはまるということを忘れてはいなかったか?他人だけが堕落して、自分は堕落しないというのは思い上がりに過ぎない。他人は堕落しても自分はそうでないと信じるが、自分が堕落してないのは、堕落すらできない自分に気づいていない。

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    他人が堕落していくなら同じように自分も堕落する可能性があると考える方が健全である。フロイトがいうように、人間は自らが考えるほど道徳的な存在ではない。にも関わらず、パンツを被って外を歩くというならイカレタ人間だが、恋人が面白おかしくやってることを後ろ指さすのは、いかにもいい子ぶりっこそのものであろう。人はいろんなどんな面白い事をするだろう。

    フザけて自分のパンツを被る女もいたが、どこが反社会的?のっとも人間は反社会的な生き物であり、ビートルズが当時の社会から非難されたが、思考の柔軟な若者は受け入れた。いつの世も若者が時代を変えて行くが、哀れなジジババは新しいものを受け入れる脳みそがない。根本的な問題は、自己を解放しながらなおかつ許される新たな社会を作っていくことである。

    人間が反社会的であっても、問題にすべきは人間が人間であることによっても、反社会的にならないような、新しい時代をつくること。1850年代にマルクスは寝る間を惜しんで経済学の勉強をしていた。ロンドン時代の彼は極度の窮乏生活を強いられた。二男は2歳で死に、五女も生後1年で他界したが彼には葬儀の費用もなく、近所から2ポンドで小さな棺をかった。

    歴史における偉大な仕事とは、大いなる犠牲をもってなされてきた。マルクスは敵を粉砕しようと決心すると、あるいは友人と訣別しようとすると、手段を選ぶことはなかった。人間にとって、いままで親しくしていた友と別れるほどに悲劇的で辛いことはない。が、それを自らのイデオロギーのためになし得たマルクスは、真に革新的であったと言わざるを得ない人物である。

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    マルクスが編集の任を負っていた、「ライン新聞」が政府の弾圧を受けたとき、及び腰な、「ライン新聞」の株主たちに反発して社を去った。この頃マルクスは哲学者フォイエルバッハと親交があった。フォイエルバッハは1841年、革命的な宗教批判書『キリスト教の本質』を世に出した。その中で彼は、「神は人間だ。神の愛とは人間の愛の告白である」と喝破した。

    エンゲルスは著書『フォイルバッハ論』で、「この本(『キリスト教の本質』)が、どんなに大きな解放の働きをしたか、それ自ら体験した人でなくては分かるまい。その感激は全般的なものだった。即ち、我々はみんな一時、フォイエルバッハの徒となった。マルクスが、どんなに熱狂してこの新しい見解を迎えたか、どれほどこの見解によって影響されたか…」と、書いている。

    フォイエルバッハの思想を一言で要約すれば、「人間は自らの姿に似せて神を創った」ということだ。彼の神学(キリスト教)に対する挑戦は、1830年、彼が26歳の時に匿名で出版した、『死と不死に関する思想』に始まるが、「人間が現世で充実した生き生きとした生活を送ろうとするなら、不死信仰が虚妄であることを知り、それを放棄しなければならない」と述べた。

    また、フォイエルバッハは、「キリスト教的不死信仰に囚われた人間は、非現実的で純粋な人格を彼岸において現実化することで、現世の生活を色褪せた非現実なものとしている」と訴えたが、これが僧職者や神学者を憤慨させることになる。人が死ぬのは人間が有限な存在であるからだが、さまざまな不死信仰を宗教は醸し出す。不死信仰は主に5つに置かれている。

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    ①象徴的不死信仰…世界の永続性を信じ、自分が死んでも、子や孫に自分の血は受け継がれていくので、そうした意味では、私は不死だと信じること。まさしく、こうした象徴的不死信仰を持つ人は、自分の遺伝子がずっと受け継がれ、永遠の生命を生きていくと想像したとき、ある程度のわずかばかりの満足を持って死んでいけるのかもしれない。

    ②創造的不死信仰…何らかの仕事を成し遂げることによって自分の死後も永続的な影響を及ぼし、名前や業績など自分の生きた痕跡を残そうとする不死信仰。これは、多くの人々が信じたり、はまり易い不死信仰ではないだろうか。学者、科学者、技術者、政治家、実業家などにかなり広範囲に広がっている不死信仰である。

    ③自然的不死信仰…自然との一体化による不死信仰。死後に埋葬された後に生い茂った草葉は、形を変えた自分である。実際は、単に肉体を構成する物質が分解されて植物の養分になったに過ぎないのだが。樹木葬を選ぶ人は、おそらくこういう人なのであろう。

    ④神学位的不死信仰…「霊魂の不滅、個人の再生・復活」による不死信仰。これはまさしく文字通りの不死信仰ではある。

    死がもっとも忌避されるものである以上、不死を望むのは人間の究極的欲望となるが、さまざまな形の不死信仰は、"肉体は死せども魂は不滅"という思考のもと、人間の欲望に答えているに過ぎない。言葉や論理でもって生を絶対無限とするなら人間は不死となろう。が、当たり前の概念でいえば、人間は限られた存在として、限られた時間のうちのみに存在する。

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    「思考する人は、事柄を深く視る人は、死を克服する。かれは死を自分がそれである所のものとして知り、道徳的自由と直接結びついた行為として知るからである。かれは死のうちで自分自身を認め、死のうちで自分自身の意志を承認し、自分自身の愛と自由の行為を承認する。かれは死が自然の死で初めて始まるのではなく、死が自然の死で完結し終息するのを認める」。

    フォイエルバッハの言葉はなんとよどみのない言葉であろう。彼の著書には、他人を愛するということがすぐれて倫理的な行為であるとされ、しかもそれが、「死と不死」の問題と結びついた存在とする。人を愛するとは相手に自己を捧げること、自己を放棄することであるとともに、さらに愛において他人から切り離された個別人としての私が死ぬということである。

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    死を単に個人の生の終わりとだけ理解してはならない。人は現世のうちで他人を愛することによって死ぬが、それによって永遠の死に与かるのであろう。不死の精神に対するまやかしならぬ真の信仰は、精神そのものに対する信仰、意識に対する信仰などの絶対的な本質性と無限な現実性に対する信仰であり、それに従って生きることが、満たされた現実の生活である。

    匿名著作『死と不死に関する思想』は、僧職者や神学者によって著者の犯人捜しをされた後に、フォイエルバッハであることが突き止められた。書物は警察の手によって没収されたが、本人が知らぬうちに公刊されたとして訴追は免れたものの、エルランゲン大学の教授職につきたいという彼の望みは断たれた。父親も息子の著作であることを知って驚き、こう伝えた。

    「お前はこの著作によって世間から追放され、二度と公の職にはつけないだろう」。世間からの追放はともかく父親の予言通りになった。フォイエルバッハは機嫌を損ねた父親の元を離れ、叔母の家に落ち着くことになる。宗教と哲学は似て非也。哲学は理性に基づく思考を旨とし土台とするが、宗教は心情に基づく信仰、さらには空想さえも宗教的といえよう。

    フォイエルバッハの名を哲学史上にとどめさせることに貢献したのは、誰あろうマルクスとエンゲルスであった。しかし、完成されたマルクス主義の立場からすれば、マルクスはフォイエルバッハには不満な点も多かった。マルクスは、「青年ヘーゲル派」時代の仲間ルーゲに、「フォイエルバッハは自然のみを論じて政治には全く無関心のようだ」とこぼしている。

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    さらにフォイエルバッハの強調する感性が、なんら、「実践」に結びつかないことにも不満であった。確かに観念的な人は観念のなかに巣食ってしまいがちで、実践や行動とは隔たりがある。マルクスは革命の人である。共産主義者にとって、あるいは実践的な唯物論者にとって大切なのは、現存する世界を革命的に改革し、既成の事態を攻撃、変革することである。

    2人とも思考を同じにする唯物論者であるが、感性的世界についてのフォイエルバッハの見方は一方では単なる直観に、他方では単なる感覚にとどまっている。マルクスは『フォイエルバッハに関するテーゼ』の中で、「フォイエルバッハは抽象的な思考に満足せず感性的直観に訴える。しかし彼は、感性を実践的な人間的感動的活動として捉えていない」と述べる。

    自分達はフォイエルバッハの徒とエンゲルスに言わしめた時期もあったが、実践なくフォイエルバッハとマルクスの距離はこうしてますます開いて行った。一方、エンゲルスのフォイエルバッハの見方はどのような推移を経たのだろうか。エンゲルスはフォイエルバッハの死から16年を経て『ルートヴィッヒ=フォイエルバッハとドイツの古典哲学の終結』という書を著した。

    一般に『フォイエルバッハ論』と言われる同書の中で、エンゲルスはフォイエルバッハ哲学の全体について総括的な批判を展開するが、『キリスト教の本質』で有名な彼を、「フォイエルバッハの意図は、決して宗教を廃棄するのではなく、それを完成する」とエンゲルスは彼に深い洞察を充てて、以下のように批判する。「フォイエルバッハの観念論は、次の点にある。

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    即ち彼は、性愛や友情や同情や献身といった相互の愛着に基づく人間の諸関係を、それらがあるがままの姿で素直に受け取ろうとせず、宗教の名によって一層高い聖別が与えられる時、初めて十分に価値あるものとなる。と主張するが、彼にとっての主要な問題は、こうした純粋に人間的な諸関係が実在していることではなく、それらが新しい宗教として把握されるということ。

    さらにそれらは、宗教の刻印を打たれて初めて完全に価値あるものになる、とされている」。もっともエンゲルスの主張は完成されたマルクス主義の立場からのものであるが、フォイエルバッハが、「ただ観念的な回想にとって大切な『宗教』という言葉を、言語から消滅させぬように」腐心しているというのである。これはマルクス主義的に見て鋭い批判である。

    エンゲルスがいうところのマルクス主義の立場とは、「階級対立と階級支配」を基礎とする現代の資本主義社会において、「純粋に人間的な諸関係」は疎外されており、それをただ、「宗教」として、「観念論」的に主張しても無駄で、階級闘争を通じて実現する将来の、「階級なき社会」おいて初めて真に人間的な諸関係は実現され、真に人間的な道徳が成立するとした。

    エンゲルスの主張には人間関係を階級対立・階級闘争のみと定義つける無理さは否めないが、確かにフォイエルバッハは、人間を階級の一員として捉えるマルクス主義の基本思想にはいたっていない。フォイエルバッハのいう人間関係は、どこまでも個として人間相互の関係であり、「私と汝」のものでしかないが、エンゲルスはそれを、「抽象的な人間関係」とみる。

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    しかし、人間を階級の一員としか見ない視点も、多分に抽象的であろう。そしてそうした人間の経済的社会的側面のみを強調することが、かえって逆に、「純粋に人間的な諸関係」を損なうことになるであろう。マルクス主義に固執することでフォイエルバッハの真意は理解できなくなる。おそらくフォイエルバッハも棺桶のなかからエンゲルスに反論したかったであろう。

    人は主義・主張に蹂躙されると、物の考えかたが硬直する。代表的なのは宗教である。が、フォイエルバッハの『キリスト教の本質』は、当時社会主義国家であったロシアの知識人に多大な影響を与えたのは事実である。マルクス主義の箍を外せば偏見から解放され、自由に闊歩できる。真の思想とはある種の何かの枠を外してなお価値が高められる。

    人間を枠で縛り、型に嵌めようとするのは危険である。他人の観念のなかで架空の生き方をするのも間違っている。人間は究極的に自分を行為するが、型に嵌められた人間が、いつか自身の真の存在に気づいていくとき、他人の中にある自分の架空の存在などに興味をなくすであろう。他人と深く関わり合っても、人間は自分を失わず強く生きるべきと思われる。

    影響されるのは悪い事ではないが、影響され続けるのが悪い。「ネオナチ」という言葉がある。ナチズムを復興しようとする政治運動のイデオロギーであるが、麻生財務大臣が先般、「ヒトラーはいくら動機が正しくても駄目だ」と述べた。これは、「ヒトラーの動機は正しい」と言っている。中森明夫が最近のヒトラー関連書籍の人気から、復活ムードを指摘している。

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    相模原の障害者施設での無差別殺傷犯がヒトラー思想に影響を受けたとの報道もあるが、ヒトラー的思想とは、人種主義、優生学、ファシズムなどに影響された選民思想(ナチズム)に基づき、北方人種が世界を指導するべき主たる人種という主張である。「ネオマルクス主義」というのもある。衰退したマルクス主義に新たな光を当てようというものだが…

    「ネオマルクス主義」なる理論が生まれる背景には、ギリシャ共産党が反動勢力によって弾圧され、党員の多くは国外に亡命を余儀なくされ、終には党も親ソ派、国内派に分裂した。「ネオマルクス主義」の考え方は、マルクス主義=科学的社会主義の基本的見地の、「修正」を求める議論であるが、マルクス主義的な装いを持ちながらマルクス主義とは似て非なるもの。

    マルクス主義的イデオロギーの破産は、社会主義国の崩壊に示された恰好だが、社会主義国家が社会生活をきつく管理し、いかなる個人的逸脱をも押さえつけてしまう全体主義的専制体制には、進歩がないばかりか、いずれ崩壊の憂き目にあうことを実証してみせた。これを楽観的側面とするなら、マルクス主義の破産には、人類的見地からみた悲観的側面もある。

    それは、「人類及び社会というものは、よりよいものに根本から変革できる」と主張する世界観の破綻ではなかろうか。資本主義社会の抱える矛盾は必ず社会主義社会を生み出すというマルクスの確信に満ちた予言は、逆に社会主義社会の抱える矛盾が資本主義礼賛に変わってしまったのは何とも皮肉である。いかに素晴らしい主義や主張も人間が操るからであろう。

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    階級廃絶を主張していたマルクス主義が、党官僚という偽善的な新階級を生み出してしまい、富は公平どころか 特権階級に集中した。マルクス主義者がいう支配階級と労働者階級の逆転などはあり得ないと看破されていた。政府が人民を全面的に統制するだけの社会構造からは、官僚制の肥大を生むことは予見できたはずだが、マルクスにそのことは予見できなかった。

    ロシア革命後のソ連では、共産党幹部(彼らは官僚)ノーメンクラツーラという支配階級を形成した。現在の中国や北朝鮮も完全に支配階級と非支配階級に色分けされている。結論をいえば、マルクス主義による平等はあり得ない。そこには労働者を纏める特権階級が形成され、力による抑圧が始まり、思想の統一化、言論統制など主権を完全に剥奪された独裁国家の誕生を生む。


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    新古典派経済学、ケインズ経済学、マルクス経済学…聞いたことはあると思うが、経済はまさに思想である。経済思想が政治思想、社会思想、教育思想の土台として一つの形をもって登場したのは、近代資本主義社会形成以後であった。古代、中世、近世の経済史をみてもわかるように、それは家族、民族、国家が人間の衣食住の問題をどう解決してきたかという歴史である。

    そこには経済における、人間の生き方としての経済思想があった。資本主義の経済思想にはいくつかの型があるが、18世紀後半から19世紀にかけて現れた大きな流れとして、自由主義と保護主義という経済思想がある。自由主義における経済思想は、個人の利益追求が、同時に公共の利益に一致するという思想である。この点は重商主義経済思想と根本的に違っている。

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    重商主義はマーカンティリズムといい、重農主義をフィジオクラシーといった。ともにヨーロッパの封建社会から資本主義社会への移行期に現れた経済思想で、まず重商主義が16世紀頃にイギリスやフランス、ドイツなどのヨーロッパ諸国に現れた。重商主義の経済思想は、絶対主義国家(国王)の財政を強化し、人民を抑圧し、排外主義を強制するものであると考えた。

    事実フランスでは、先のコルベールが重商主義政策を強化したために、農民の生活は困窮度を増した。重農主義は18世紀のフランスに現れた。重農主義の主唱者ケネーは、経済危機に瀕したフランスで農業のみが生産的であるとし、農業からの剰余及びそれに対する単一課税が経済を再建することを主張、合理的な農業経営がフランス経済の繁栄につながるとした。

    そのためには商工業の保護は撤廃されねばならず、すべての経済の営みは自由に人の欲するままに行われなければならないと主張した。ケネーはこの時点で自由放任の経済思想を示した経済学者であったが、 国家、社会の富の基礎は農業であるとする重農主義は、フランス以外ではほとんど受け入れられなかった。『国富論』を著いたA・スミスはケネーと会っている。

    しかし、スミスは『国富論』の中で、土地生産物が国の収入と富の唯一(あるいは主要な)源泉だとする重農主義批判の立場をとっている。重農主義には価値を生みだすのは土地生産物だけという考え方があり、たとえば人が1年かかって高価なレースの襟飾りをつくったとしても、それは亜麻を加工しただけであって、そこには何らの価値も加わっていないという。

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    レースの襟飾りは利潤を生みだすが、それは亜麻以上のものを作りだしてはいないという重農主義は詭弁めいている。価値を生みだすのは、農業(林業・漁業・鉱業を含む)であり、今でいう第一次産業だけであって、手工業や製造業はその原料を使いやすく加工するだけで、素材自体を増殖させているわけではないという考えは、農業が中心だった時代特有の考え方だったようだ。

    結局、人類を支えているのは、太陽と大地と海の恵みに他ならないと…。スミスが労働に価値の本源を見いだしたのに対し、土地に価値の本源を見いだしていたケネーには抜け落ちた考えがあると言わざるを得ない。スミスは重農主義について批判だけでなく、評価も怠っていない。それは重商主義とはちがって、レッセフェール(自由放任)の立場をとっている点である。

    重農主義は、商工業の自由貿易を認めている。貿易によって不足した製品が入ってくれば、製造業によけいな力を注ぐことなく農業の生産力が高まり、それによって資本が蓄積されて商工業も潤う事となり、必然的に発展していくであろうという考え方で、スミスはこの考えを高く評価している。実際、スミス自身も、都市より農村に資本を投下すべきだと考えていた。

    しかし、スミスが重農主義は誤りという立場をとったのは、ケネーら重農主義者は商工業階級をまったく非生産的だとした点であろう。スミスは農業従事者と同じく、工業に従事する労働者も、社会的に価値のあるものを生産している。スミスの理想モデルは農業と商工業のバランスであり、農業だけが優先される国ではない。スミスは重農主義の評価と批判を以下述べている。

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    「土地の耕作に使われる労働だけが生産的労働とする重農主義の主張は狭く偏っている。国の富は消費できない豊富な通貨ではなく、その社会の労働で年間に再生産される消費財にあると主張する点に加え、完全な自由の確立が年間の再生産を最大限に増やす効果がある唯一の方法と主張する点において、重農主義の主張は寛大で自由であると同時に正しいと思われる。」

    農業を重視するあまり製造業と貿易を抑制すべきでないとスミスは言う。極端な重農主義に走るのは隣国フランスでなく中国という見解だった。「貿易が広範囲に行われ、中国の巨大な国内市場に世界の外国市場が参入し、中国船で貿易が行われていれば、中国の製造業がさらに拡大し、製造業の生産性が大幅に向上しないはずがない」。 スミスは200年以上前に、そう予言していた。
      
    中国とソ連はかつて社会主義国家であった。「かつて」と言うからには、現在は中国もロシアも社会主義体制国家ではないのか?中国・ロシアは資本主義国家なのか?この問題は誰もが不可解な疑問がある。その前に社会主義の認識に誤解のないようマルクス理論を持ち出せば、資本主義が成熟して社会主義に移行し、最期に共産主義へ到達するというのが理論の柱である。

    であるなら、社会主義と資本主義は対立関係にない(あくまで理論上)が、一党支配の中国共産党は現在の状況について正式見解を発表していない。おそらく、「現在の資本主義化は理想の共産主義を実現するための過程である」。という解釈(言い訳)で資本主義化を行っているだろうし、「基幹産業は国家が共産主義思想に基づいて行っているため問題ない」という理屈も用意する。

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    しかし、こんな詭弁は通用しない。なぜなら現在の中国はマルクス思想に言われる、「資本主義⇒社会主義⇒共産主義」という経路ではなく、文化大革命によっていきなり社会主義となった(多くの社会主義国家も同様)ため、本来的な思想にはあり得ない、「社会主義状態での資本主義導入」という現象が起こったに過ぎない。これはロシアも同様である。

    社会主義体制を止めたロシアは、一応は民主主義とはいうが、普通の民主主義国家としておかしい。議会などの議席は、与党だけのの腰巾着政党で占められていて、真に野党らしい野党の議席は無い。資本主義自由経済を取りながら、経済を支えるのはもっぱらエネルギー産業であり、輸出であり、エネルギー産業を支える企業は、もっぱら国営か、国家が大株主である。

    中国は中国流、ロシアはロシア流ということか。中国は共産主義を実現するために国家の経済を豊かにというのが資本主義導入の理由であり、国民の生活を支える基幹産業は国家管理なので問題はないということだ。ロシアは共産主義国家でなく自由主義経済圏となった。ロシア大統領プーチンはロシア連邦の元首であり、メドヴェージェフ首相はロシア連邦の首長。

    元首とは国際法上、外国に対して一国を代表する資格をもつ人のこと、首長とは集団・組織を統率する人の長ということになる。イギリスの元首はエリザベス女王、日本の元首は天皇陛下であるが、英王室も日本の皇室も政治に関知できないため、プーチンら外国の元首とはニュアンスが異なる。表向きは政治に関与しない英皇室だが、黙っちゃいないところが外国流である。

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    チャールズ皇太子がカミラ夫人と初のアメリカ公式訪問の折、ブッシュ大統領主催の公式晩餐会。一般的に晩餐会では相手を非難しないのが礼儀。ところがチャールズはブッシュ大統領の、「イラク政策」と、「環境政策」を毅然と非難をした。ブッシュは憮然として聞いていたというが、大統領のイラク攻撃に非はあるにせよ、場所が場所だけにどっちもどっち。

    ヨーク公アンドリュー王子もアメリカのイラク政策激しく非難し、ハッキリと「アメリカに誤りがある」と言った。前首相のブレアは、「アメリカのプードル犬」と言われたが、イギリス王室の王子とは対照的である。アンドリューの骨太さは母親のダイアナ譲りだが、マザコンチャールズはカッコよかった。日本の皇室はお行儀よろしく、「君臨すれど統治せず」を遵守。

    現皇太子は、英国に留学してつぶさに英王室を見てきたこともあってか、しきりに、「開かれた皇室」を提言していたが、日本の皇室で離婚は皆無、到底許されないが、どういう事情であれ雅子さまの離婚などは考えられない。皇室が性に合わなくとも彼女はご病人として寛大な処置を与えられ、皇后になっても外国訪問など公務は徳仁天皇だけで遂行することになろう。

    自分の好みというではなく、巷の見解とて秋篠宮妃の笑顔は柔和で愛らしい。まさに100万ドルの笑顔であろう。日本流にいうと1億円の笑顔。それに比して雅子妃の笑顔は3000円くらいと勝手に値踏みした。次の次の天皇は秋篠宮家の長子ということになろうが、愛子さまの不登校問題などを見ても、どこか子育てがしっくりいってないと感じられる。

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    日本には皇室と言う文化がある。西洋には王室があり、皇室と王室のちがいは、皇室が古い神からの血を受け継ぐ人物によって受け継がれてきたのに対し、諸外国の王室は世襲で受け継がれてきたとは限らず、その国の中で戦いがあるたびに、勝者が国の頂点である王となって国を治めてきた。日本の皇室は天皇の血族であり、神のような存在であり、完全に世襲である。

    どんなに権力を持っていても天皇や皇族にはなれない。ロシアのピョートル1世(後の大帝)は、神の寵愛により、全ロシア、モスクワ、キエフ、ウラジーミルおよびノヴゴロドの皇帝にして専制君主。カザンのツァーリ、プスコフの君主、スモレンスクの大公、エストニア、エヴォニアその他諸公国の公。他にも多くの諸国の世襲君主ならびに宗主という肩書である。

    紀元前221年中国全土を統一したのが秦の始皇帝。戦国七雄のなかでもっとも後発の秦であったが、孝公の代に行った変法が大いに功を奏し、一躍強国の仲間入りを果たす。秦王政(後の始皇帝)が即位したのは前247年、13歳のときであった。偉業を達成した政は、全中国の支配者に相応しい称号が必要と考え、新たに、「皇帝」という称号を作り、自ら始皇帝を名乗った。

    始皇帝は中国の歴史上最重要人物であり、約2000年に及ぶ中国皇帝の先駆者である。万里の長城や阿房宮を始めとする宮殿、陵墓、兵馬俑の造営などに何十万という人々が動員され、広く社会全般の疲弊を招いた。権力者は我が侭なものだが、始皇帝は特に抜き出ていた。始皇帝の半端ない我が侭度は、「不老不死の薬を探して来い」と家来に命じたことにもいえる。

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    不老不死薬など2000年経った現在にも存在しないのだから、2000年前にあるはずもない。不老不死の妙薬として水銀を飲んで死んだという伝承が始皇帝にあるが、美味い物を食べ過ぎて糖尿病の合併症で死んだかも?それにしてもあの体型だ。49歳の若死にだった。始皇帝は政治的には丞相の李斯の補佐のもと、法家思想にもとづく厳しい中央集権政策を実行した。

    中央集権政策は庶民生活に直接かかわる分野にも及び、民間にあった武器がすべて没収されたのをはじめ、度量衡・貨幣・書体の統一などが実施された。始皇帝は対外遠征と大土木事業にも力を入れ、北は匈奴を打ち破り、南は新たに4つの郡が置かれた。秦や漢の時代はひとまずおいて置き、近代中国にあっては、ラストエンペラー溥儀の退位で幕が降ろされた清朝である。

    1900年、清末期に起こった義和団事件は、義和団と称する秘密結社による排外運動であった。これを西太后が支持し欧米列強に宣戦布告をしたが、2か月も経たぬうちに欧米列強国軍は首都北京及び紫禁城を制圧、清朝は莫大な賠償金の支払いを強いられる。1908年に光緒帝が崩御、その翌日に西太后も病没して宣統帝が即位すると、清朝総理の袁世凱は失脚させられた。

    1911年10月、辛亥革命が勃発すると中国各地に飛び火し、朝廷は一度は失脚させられた袁世凱を再び呼び戻して事に当たらせた。袁世凱は革命派首脳と話し合い、帝政の終焉と自身の共和国元首の座を取り引きすることで合意をした。1912年2月12日、皇帝溥儀は退位を宣言、これにより268年に及ぶ清の歴史と、秦の始皇帝以来続いた皇帝政治に幕が下ろされた。

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    1912年、孫文はアジアで最初の共和国、中華民国の臨時大総統に就任するが、事前の約束のもとにその職を袁世凱に譲る。1913年、国家元首となった袁世凱に歯向く革命派と武力衝突があったが、袁世凱はこれを押さえ、中華民国は統一国家となる。大総統に就任した袁世凱が帝位に就いたことで帝政復活反対の学生デモをきっかけに地方の軍閥は次々と反旗を翻した。

    袁世凱の足元の北洋軍閥諸将までもが公然と反発したことで袁世凱は退位をするも、一度失墜した権威は戻らず、同年6月に失意のうちに病死した。一時期であるが皇帝に即位した袁世凱もバカな男である。彼は軍人としても文官としても有能であったが、皇帝を夢見たことで彼の独裁政治は83日でついえた。いわば権力を持ったものは歯止めが利かなくなる好例である。

    昔から戦争ばかりやって国は何度も斃れている中国は、文字は同じでも言語が違うように、本質的には異文化民族の集合体に加えて儒教の影響か、古代から役人天国のお国柄。中国5000年の歴史といい、古代中華文明は偉大な文明を生み出した。自己犠牲の精神や協調性が希薄なので戦争に弱く、偉大な技術も発展性、拡張性が弱かったので伝承が長く続かなかった。

    近代から現代に目を向けると、1989年6月の天安門事件を機に、改革開放政策が大きく後退すると危惧されたが現実は違った。小平は、1991年初旬から上海を皮切りに、武漢、深圳、珠海を歴訪、改革開放を再加速すべきと訴えた。「白ネコでも黒ネコでも、ネズミを捕らえるのがよいネコ」と有名な語録を残した小平は、上記の南巡講話以降、開放改革にさらに弾みがついた。

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    しかし、あまりに急激な経済発展で起きた環境問題と民族問題の深刻化、政治上の自由化はいっこうに進んでいない。民主化も同様である。経済上でも、貧富の格差は深刻で、都市部と農村部、沿岸部と内陸部では、年間所得に数十倍の差がついてしまっている。農業だけでは生計が成り立たず、家族の誰かが都会に出稼ぎに行くというのが、貧困家庭の一般的な状況だ。

    貧富の差は犯罪の温床となり、都市部には、「黒社会」といわれる犯罪組織は当たり前に存在する。どこの国でも犯罪は起こる。資本主義、社会主義に関係なくそれは起こる。「すべての犯罪は人間が孤独でいられないというところから起こる」と言ったE・H・フロムは、この観点からナチズムの社会心理を分析してみせた。人間にとって全てから分離されるほど不安なものはない。

    社会主義がなぜに大いなる失敗に終わったか、再度整理をすれば、官僚が人の欲望を勝手に判断し、誤った資源配分をしてしまったがゆえに、人々の生活水準が上がらなかった。その結果として、人々はやる気を失ってしまった。世の中を前進させるのは何はともあれ、「やる気」である。特権階級は潤い底辺の国民は貧困にあえぐ、これが社会主義国の現状である。

    やる気を持てば生活は少しづつでも豊かになり、成果をあげれば褒美を出すことも重要だ。そういう動機付けを与えないと、「自分だけ汗水たらして頑張っても何も変わらないし、バカを見るだけ」という気持ちになりかねない。社会主義の目指すものは貧富の差をなくして、皆が平等になることだったはずなのに、大きな失敗はインセンティブを与えなかったことにある。

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    やる気が失せれば社会は前進せず停滞する。インセンティブを重視する資本主義国の国民は、頑張ればきっと大金持ちになるという、夢と希望が湧いてくる。こういう風にやれば収入があがり、やらなければ貧乏になるのが資本主義経済で、そのコアとなるのがインセンティブである。世界で最も資本主義経済の発達したアメリカでは、頑張れば誰にもチャンスが来る。

    アメリカ人の多くはアイデアとやる気があれば、誰でもビル・ゲイツになれると信じているだろう。ゲイツはハーバード大学の学生であったが、大学を卒業するという歩留まり論よりも、学生の時にチャンスをものにするためにハーバードを中退した。ハーバードがゲイツに何かをもたらせるのではなく、ゲイツがゲイツに何かをもたらせるなら世界屈指の大学とて不要であった。

    ハーバードの教授たちは、「ビル・ゲイツはバカだ」と、一様に口をそろえたが、わずか40歳そこらにしてゲイツは世界一裕福なビジネスマンとなった。おそらくこんなことは社会主義国では到底起こり得ないことだ。マーケットメカニズムの偉大さは、人々にインセンティブを与えることで能力を発揮させ、さまざまな発明や新製品のアイデアを喚起させることにある。

    アメリカの強さは、その強烈なインセンティブ・システムにあると言って過言ではなかろう。日本もアメリカ経済をお手本に、「成果主義」が言われるようになったが、どういうわけだか日本の企業の場合、成果主義のデメリットばかりが言われているのはなぜだろう?成果主義の最大の利点は、向上心のある従業員は、高い成果をめざし労働意欲を高めることとなる。

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    その成果主義の評判が悪いということは、成果主義そのものがやる気を引き出すことに寄与していないことになっているのでは?そう結論づける前にそもそも、成果主義が一体何を意味しているのかを明らかにすべき。成果主義を、「企業に貢献をした労働者を適切に報いる」という意味で用いるなら、そうした意味での成果主義は企業にとって不可欠である。

    貢献と報酬のバランスがとれていない企業が、従業員に適切なインセンティブを与えていないのは明白であり、それを是正するための成果主義である。ところが、近年言われるところの成果主義というのは、ここでの意味よりはもう少し狭く、目に見えやすい、「短期」のかつ、「個人」の成果と報酬を明確に連動させるインセンティブ体系を暗黙のうちに指している。


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    成果主義には良いものと悪いものとがあるといわれるが、飴と鞭を適宜に使えば成功するというほど簡単なことではない。それでは、「良い成果主義」と、「悪い成果主義」の線引きとはどのような要因によって決定されているのか。これを理解するカギとして、「マルチタスク問題」とよばれる視点が経済学にある。マルチタスクとはもともとコンピュータ用語である。

    複数の処理をタスクという単位に区切り、並行して実行することをいう。CPUは複数の処理を完全に同時には実行できないため、OSがタスクを管理して切り替える。これを、「組織の経済学」に当て嵌めると、複数の任務を負っている労働者(代理人)に対して、報酬を目に見えやすい貢献についてだけ連動させることによって、引き起こされる努力配分の歪みのことを指す。

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    分かり易くいえば一人の社員が従事している職務は必ずしも一種類のみではなく、多くの社員は複数の職務をこなしており、それぞれの職務の評価基準を一律には設定できない。たとえば営業部員の場合、商品販売量で成果を計ることができるが、他メンバーへのサポートや新人教育、顧客ニーズのヒアリングといった活動を、数字(量)として把握することは困難である。

    ところが成果主義のもとでは、タスク(職務)が複数ある場合、評価されやすいタスクのみをこなし、それ以外のことには注力しないという傾向が生じてしまう。プロ野球選手でも以前は先発ピッチャーばかりが評価をされ、中継ぎや抑え投手に仕事に相応しい評価はなかった。近代野球が分業とされて以降、中継ぎにはホールド、抑えにはセーブというポイント評価をみる。

    会社内部でしばしば問題になるのは、優秀な営業マンに対する恨みつらみである。よく言われるのは、「あいつは売るだけで、それ以外のことは何もやらない。部下や新人の面倒もみないし、自分の数字だけしか興味がない」という陰口や僻み。ところが会社の評価はいい。売り上げをあげてくれるわけだから、貢献度は高くなるし、数字と言うのは具体的である。

    成果主義には多くの問題点が浮き彫りにされるが、「ゲーミング」という調整も問題とされた。「ゲーミング」とは指標操作のことで、営業成績が月単位で集計される場合、現在の成績を上げすぎると、次の月の目標値が高く設定されてしまう。それを避けるために、今月販売した製品の納期を翌月にずらし、成績を平準化することで目標値の上昇を防ぐことをやる。

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    主義や思想は人間が考え、人間によって実行されていく。ゆえに個々の人間の主張が反映されることで、主義や思想は捻じ曲げられて行く。社会主義の誕生と死について、痛烈な言葉を放ったのがズビグニー・ブレジンスキーというアメリカの政治学者である。ブレジンスキーはその著『大いなる失敗―20世紀における共産主義の誕生と終焉』の中でこう述べている。

    「世界全般を見ても、イデオロギーに閉じこもり、官僚的中央集権をとる体制で、経済や社会が力強い発展を遂げることは稀である。消費財ひとつ作るにも、文字通り政治局レベルの政治的決定が必要であり、70年間にわたるこのようなシステム支配は、世界市場で競争できる製品をひとつも作りださなかった。これがスターリンが残し、ブレジネフが踏襲した遺産である。」

    これはソ連について書かれたものであり、筆者はソ連圧政下のポーランドからアメリカに亡命し、苦学の末にコロンビア大学教授にとなった。専攻は共産主義の政治学で、教授時代に当時のカーター大統領に招かれて特別補佐官となった。その前のニクソン政権でやはり大統領特別補佐官であった、ヘンリー・キッシンジャーと並び称せられる優れた政治学者である。

    ブレジンスキーの著書が発表された1989年は、ベルリンの壁が取り壊される直前であった。ベルリンの壁は、ドイツという国を二つに分けたと同時に、資本主義と社会主義とを分断するシンボルであった。これが壊されるのは社会主義の終焉を意味し、ブレジンスキーはそのことを正確に予測していた。レーニンがロシアに革命を起こしソビエト連邦を宣言したのが1917年。

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    以来、最期の指導者となるゴルバチョフがエリツィンに政権を譲った1991年までの75年間に及ぶ社会主義体制の終焉であった。「ひとつの妖怪がヨーロッパを歩き回っている―共産主義という妖怪が」。これはマルクスとエンゲルスになる『共産党宣言』の冒頭分である。19世紀半ばから20世紀にかけて、この文言ほど多くの人に読まれ、感銘を与えたものはなかった。

    共産主義という妖怪はヨーロッパの、いや世界の国の土深く埋められてしまったが、この著書がなぜ人々の心に響いたのか?それは、産業革命以降の資本主義社会があまりにも労働者にとって過酷であったからだ。『共産党宣言』を著したマルクスとエンゲルスの意図は、民主主義を実現する目的だった。といえば驚く人もいようが、そう理解する人も少なくない。

    実際彼らは著書でそのように主張している。彼らは世の中をブルジョワジーとプロレタリアート階級に分けた。前者は支配階級、後者は党同社階級で、この二つが対立するのが世の中であるとした。支配側は労働側にろくに金を払わない不届き者をいい、それを搾取といった。二つの階級は争うが、やがてプロレタリアートが勝利し、ブルジョワジーはなくなる。

    そのとき、世の中の企業・産業は国有となり、労働者に貧富の差はなくなる。その後には階級自体が消滅して真の意味での平等社会が実現する。これは民主主義の理想形である。ヨーロッパのはずれ、産業革命に乗り遅れていたロシアで『共産党宣言』を大事に温めていたのが、若きレーニンやスターリンだった。彼らも当初は平等社会が人々を幸せにすると考えていた。

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    そうした理想に燃えてつくった社会主義国がソビエト連邦であった。ところが実際に革命国家が稼働していく中で、理想とはまったく逆の官僚支配による強権的な中央集権国家が出来上がった。なぜこのようになったのか、貧富の差をなくして平等な社会を実現するために取った方法は、官僚たちが何でも決めてしまうシステムで、実はこれが破滅の第一歩であった。

    マルクスとエンゲルスの掲げる目的は正しくとも、方法論が間違った。旧ソ連体制ではモスクワの政府機関クレムリンの仕事部屋にデンと座った役人が、ものを生産する工場や農場の現場を視察をせず、部下の報告だけを信じて実情からズレた生産量などを勝手に決めていた。こうしたマーケットを使わない官僚支配による計画経済が社会主義崩壊の命取りになった。

    一方、資本主義経済の考え方の基を作った書物が、『国富論』であるのは疑う余地はない。1776年に刊行された同著は、イギリスの思想家アダム・スミスになる。そのなかにはマーケットのメカニズムを上手く表現した、「神の見えざる手」という言葉がある。『国富論』で出てからというもの、1929年に至るまで、市民社会は市場経済メカニズムによって発展を遂げる。

    当時の経済学者の多くは、「マーケットメカニズムに任せておけばすべて上手くいく」と思い込んでいた。ところが、そうした楽観論を凍り付かせる事件が起こった。1929年10月24日、ニューヨーク株式市場の大暴落と、それに端を発した世界大恐慌の始まりだ。その前日までうなぎ登りだった株価である。アメリカのとった低金利政策でネコも杓子も株式に投資した。

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    「儲からないわけがない」という幻想がバブルを発生させていたことを警戒する経済学者もいたが、実力以上に株価は急騰していた。一度下落した株価は底なし沼の如く急落し、手が付けられない状況に陥った。アメリカの歴史教科書には、10月24日を、「暗黒の木曜日」といい、29日は、「悲劇の火曜日」と記されている。株価は32年7月までにピーク時の1/8にまで下落した。

    日本では関東大震災(1923年)の痛手が癒えていなかったが、1930年(昭和5年)から日本恐慌が始まった。産業界をリードしていた繊維業界は減棒となり、失業者が溢れ、自殺者が急増した。世界が同時的な大恐慌という未曾有の危機に直面した時、「危機を作り出したのは、マーケットメカニズムに支えられた資本主義が不完全なためだ」という経済学者が現れる。

    彼の名はジョン・メイナード・ケインズ。著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』は、マーケット至上主義を修正する革命的理論書であった。これまでの資本主義経済は、アダム・スミスが見出した自由放任主義的な市場経済のメカニズムによって発展し続けたが、不況に苦しむ人たちを目の当たりにケインズは、これが「神の見えざる手」なのかと憂いていた。

    ケインズは、「マーケットにすべてを任せおいても需要と供給が一致しないのはなぜか、マーケットが大量の失業者を生むのはなぜかを考えた。そこで得た結論は、需要と供給を調整する役割を担う価格(賃金を含む)が硬直的で、十分調整能力を発揮できていないということだった。失業が大量に発生する不況期に、マーケットメカニズムを放任してはだめだと結論した。

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    ケインズはこれまでマーケットの、「見えざる神の手」を、政府という、「見える手」で正す必要性を説いた。マーケットの失敗に対して政府が出動し、責任をもって景気回復に当たる必要性を論理的に明らかにした。ケインズ経済学の応用例として代表的なのは、1929年大恐慌時にアメリカ大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトの、「ニューディール政策」がある。

    「ニューディール政策」とは、不景気打開協議のために若い経済学者をホワイトハウスに招いた。が彼らは新しいケインズ理論を知っていた。後に彼らは、「ニューディーラー」と呼ばれる。ニューディーラーの意見に耳を傾けた大統領は、「全国産業復興法」他の法案を議会に承認させた。テネシー川に建設された巨大ダムは、まさにニューディール政策のシンボルとなる。

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    アメリカが深刻な不況から脱したのはニューディール政策の効用もあるが、そればかりではない。第二次大戦に支出された膨大な軍事費によって創出された有効需要であったとされている。ケインズは政府が公共事業のような形で仕事を作り出せば、雇用が増えると考えた。このように雇用を生み出すために政府によって作り出された新たな需要を、「有効需要」という。

    ケインズの著書には、「不況の時はマーケットの調整に任せず、政府が有効需要を作り出すことで景気を回復させるべき」というのが、ケインズの著書にある『一般理論』の中心的な主張である。例えば、消費が不振な状況で、政府が減税政策をとるなら財布の紐は緩む。となれば、「有効需要の原理」が働き、市場における商品の需要と供給が均衡に近づくことになる。

    もっとも、政府が打つ手は公共事業や減税という財政政策だけでなく、中央銀行(日本銀行)が金利引き下げといった、金融緩和政策の発動も行われる。金利が下がると企業は借金をしやすくなり、設備投資など投資活動が活発になる。家を買う人、建てる人も同様だ。その結果、需要が増えて景気が回復する。ただし金融政策は金利をゼロ以下には下げられない制約がある。

    需要管理政策を柱とするケインズ経済学は、世の中に大きな影響を及ぼすことになり、戦後の資本主義国の経済運営を著しく改善した。ただし、世の中の好況期、不況期は依然として順繰りにやってくる。が、その振幅の程度が大きく小さくなった。第二次大戦後の1945年から1970年頃までは、ケインズ経済学に基づく政策運営は大成功したかにみえた。ところが…

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    「驕れるもの久しからず」という言葉が示すように、ケインズ経済学に対する批判が、1970年代以降、急速に高まってくる。その理由は一体何だったのか?それは市場に対する政府の過剰な介入である。何事も度が過ぎれば、「歪」も出て来ようというもので、ケインズ経済学も例外でなかった。平田弘史に、「歪」という作品がある。現代の親殺しを予感させる秀作だが、以下で読める。


    初めて目にした時、あどけない少年に秘めた憎悪に戦慄が走る。大人からみた子どもは、幼気(いたいけ)で弱く、無知で無邪気、素直で従順である。また、子どもの想像力はよからぬこととして警戒され、好奇心はバカにされる。確かに好奇心はネコをも殺すが、こうした純粋な好奇心は藪から否定するのではなく、「動物愛護」という新たなもので道徳規制すべきもの。

    無邪気ないたずらやユーモアは非難され、素直は邪道、正直はガキ扱いされる。であるをいいことに、子どもはしばしば大人や親からスパルタ式管理で無理強いさせられる。ついていけない子どもは、自分が悪いと非難され、自らをも鬩ぐ。大人は子どもの性質や人間の発育について正しく理解もせず、子どもを支配し己の価値観を押し付ける。近年は若干改善もされた。

    それでも自己イメージの高い母親は、子どもにあくなき夢を抱く。子どもは成長しつつある人間であり、制限さえしなければ生ある限り成長し続ける存在であることを知る大人は明晰であるが、成長を学力とみなす親は、その子を自分と置き換えたら耐えられるのか?そうした想像力も時に必要だ。人間の究極目標は死ぬことであり、死ぬまで自分を生きることである。

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    上記作品の、「歪」から人は何かを学べばそれでいい。さて、飛行機のボルトでさえ、無理して酷使をすれば金属疲労で断裂するように、政府がなんでも介入すれば政府は「大きな政府」となり、「大きな政府」を維持するには国民から税を吸い上げなければやっていけない。北朝鮮のような小国が無理をし、背伸びをして大きく見せる裏で国民は飢えている。

    どうにもならぬボンクラのブタ男が、世襲で得ただけの地位をひけらかし、三代目にして国が廃虚となろうと知った事ではないという狂気性が怖い。捨て鉢な人間ほど怖い存在はないし、斯くの人間は内部の義憤を抱く人間によって、葬られることを願っている。彼のスイッチ一つで日本や韓国が破壊され、汚染もされて消滅するかも知れない危機を抱えている。

    ゴルゴ13という男に頼めば殺ってくれるだろうが、可能なら報酬は100億でも安い。ところでケインズ経済学思想は、大恐慌や大不況を救うには効力を発揮するが、経済が順調で上手くいっている場合には、副作用が大きいことが分かってきた。これが批判の要因である。日本は本四架橋3案をすべて作ってしまったが、政治家の有権者へのご機嫌取りがあったのは否めない。

    反論もないではないが、現在のような経済状況では橋は一本で充分ということは把握されていたにしろ、取り壊すわけにはいかない。バカな官僚が厚生年金会館や国民宿舎という名目で、年金財政を悪化させたのも司馬遼太郎風にいえば、「何で日本人はこんなにバカになったのか」である。国債に頼る国の借金は増えるばかりで、経済は過熱し、インフレが加速される。

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    それに歯止めをかけるべくアベノミクスの成果には評価もあれば失敗論もある。中央銀行つまり日本銀行の最大の使命は、「物価の番人」とされているが、中央銀行の金融政策とは、マーケットにどれだけの通貨を流通させるかを実行するからで、これを経済学用語でマネーサプライ(通貨供給)という。日本銀行は日々それらを長期的見通しをたてて実行に移している。

    日本銀行にはもう一つの大きな役割が、「最期の貸し手」ある。ある銀行が破綻した場合、預金者は預金引き出しに殺到して混乱するが、銀行と言うのは預金者からの金を企業に融資しているので、行内の金庫には貸出証書と少しの金しかない。そうした、「取り付け」騒ぎが起こらぬよう、瞬時に必要な大量の資金を市中銀行に供給するのが日本銀行の「銀行の銀行」たる所。

    いかなる思想、いかなる理論にも批判はある。唯一絶対とされる神の言葉さえ批判になり得る。もっとも、神は人間の造った概念であるなら、神の思想、神の言葉はまさに人間そのものである。産業革命の最中に生まれたアダム・スミスの『国富論』は、「神の見えざる手」なる経済学説で、イギリス産業革命の理論的支柱となり、資本主義社会の発展をもたらした。

    おさらいするなら、スミス以前の絶対王政国家の経済思想は、貨幣=金銀を富とし、国家による保護関税や産業保護などの経済政策を主張する重商主義と、農業が富を生み出す源泉とし、個人の自由な経済活動の自由放任(レッセフェール)を主張する重農主義が対立、イギリス絶対主義政府は重商主義を採っていたが、スミスはいずれをも批判して労働価値説を主張した。

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    スミスの、「神の見えざる手」を批判したケインズ経済学は、世界大恐慌時のアメリカの政策に一役買ったが、さしものケインズ理論も1970年代以降は批判され始めた。そこで登場したのがスタンフォード大学教授で、ミルトン・フリードマンという経済学者。彼は、「マネタリズム」を主唱、裁量的なケインズ的総需要管理政策を批判、1976年ノーベル経済学賞を受賞。

    フリードマンは元はシカゴ大教授で、シカゴ大は東部のハーバード大と並ぶ経済学のメッカ。アメリカ政府に計り知れない影響を与える震源地である。ハーバードが民主党よりなら、共和党寄りのシカゴ学派の巨頭がフリードマン。彼の意見は急進的として知られている。「公共事業のほとんどは民営化すべき、義務教育・警察・郵便事業、社会保障も民営化がいい」。

    「マーケットをもっと活用し、競争原理を浸透させれば人々はもっと頑張り小さな政府も実現する。それなら税金も安くなろう」などとフリードマンはいうが、この論理はまさしくアダム・スミス理論への回帰である。まさにケインズが葬り去った、「見えざる神の手」が蘇った格好だ。歴史は繰り返されるというが、新しいものはやがて古くなり、古いものも新しく蘇る。

    アメリカをして世界の警察といわしめた時代があった。キューバやベトナムを始め中東など世界中の紛争地に積極的にでていったが、政府にとっても大変な出費となり、国家財政も大幅な赤字となるのは、「大きな政府」であるがゆえの事態を招いてしまった。ケインズの主張する、「大きな政府」がもたらす矛盾は、サッチャー時代のイギリスでも問題となっていた。

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    経済学というのは、我々の生活を豊かにしてくれる知恵である。我々は意識しようがしまいが、毎日経済活動を行っている。この世に生まれてきた以上、生きているかぎり、何らかの経済活動をすることになる。言い換えれば、生きている事そのものが経済活動であるとするなら、我々は決して孤独ではない。みんなが手を差し伸べ、協力し合って生きている事になる。

    ゆえに、経済政策に対するさまざまな考え方が生まれるが、こうしたいろいろな思考を経済思想という。我々は欲望のかたまりであり、その欲望は膨張を続ける宇宙のように限りがない。我々の欲望は無限であるけども、工場や機械設備、労働力や森林や、農地や石油や電気などの商品を生産するための経済資源は有限である以上、生産される物も有限ということになる。

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    一人一人が欲している商品を素早く届けるという仕事は、案外難しい。これは個人でできることではなく、そうした仕事をしているのが実はマーケットである。そういう経済の仕組みがあるから、我々は生活ができている。一本がたったの20円程度のトイレットペーパーでさえ、人間一人で作れるわけではないが、普段は意識しないけれど、どれだけロールティッシュが便利であるか。

    商品は工場で製造されても、それを我々に配送するためのトラックも必要、走る道路の整備も必要であり、積み込む労働者も運転手という人的インフラも必要になる。先般、ヤマト運輸がamazonなどの契約企業からのあまりの受注の多さに、時間外労働を強いられたが、あの時ヤマトホールディングの社長は、長時間労働の改善を図るために人員を9000人増やすと発言した。

    経済環境の中で生きる我々は、「何かを選択する代わりに何かを犠牲にする」という経済活動を営んでいるが、経済用語でこれを「トレード・オフ」という。政府がミサイル一基を買う、あるいは製造するとならば、その資金として民間から税金を徴収するしかない。ミサイル一基のために何が犠牲になるか、それを犠牲にしてもミサイルに価値があるか、それが政治である。

    経済活動を発展させるのも阻害するのも政治である。多くの規制が経済の発展を阻害する事実を考えるとき、規制緩和や構造改革など政治の役割は大きい。逆に、行き過ぎた緩和政策が経済を疲弊させるなど、政治の舵取りひとつで経済は大きく影響される。政治は国を良くするための政策を施すが、国民の勤労をいかに良い条件でさせるかはその国の経済力が関係する。

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    こうした企業の事業目的達成のための経済行為に支障がでないように、あるいは法的な問題が起こらぬように配慮・改善するのが経営である。経営学で用いる経営の概念には、次の3種がある。①一定の継続的施設を基礎にして、財またはサービスを経済的給付として生産する組織体を経営と呼ぶ。②企業もしくは組織体一般を運営する動的全体過程をもって経営とする。

    ③これについては②の概念からの派生であり、経営機能のうち、全体的、基本的、戦略的、長期的、政策的意思決定機能をもって、とくに経営とするもので、経営者機能ともよばれるもの。労働力としての人間が会社に携わる以上、優れた経営者というのは働き手である人間を大切にする人格者であらねばならず、人間性を逸脱した経営なり会社なりは間違いなく滅びる。

    これは山崎豊子の『華麗なる一族』の中で発せられた印象的な言葉である。自分は「経営の神様」と言われた松下幸之助自伝の感想文で賞を戴いたことがあるが、世の中広しといえども、「経営の神様」と言われたのは彼をおいていない。孫正義や柳井正も優れた経営者であるが、幸之助の以下のエピソードには心を打たれた。時は1929年の世界大恐慌時の最中である。

    病気療養中の松下幸之助の下に、人員半減やむなしとの提案を持ってきた経営幹部に対してこれを採用せず、「生産は直ちに半減する。しかし、従業員は一人も解雇してはならない。工場は半日勤務として生産を半減するが、従業員には給料の全額を支給する。その代わり店員は休日を返上して、在庫の販売に全力をあげてもらいたい。」と指示し、全社員の雇用を守った。

    イメージ 3幸之助はこう檄を飛ばす。「企業の都合で解雇したり採ったりでは、社員は働きながら不安を覚える。松下という会社は、ええときはどんどん人を採用して、スワッというとき社員を整理してしまうのか。大を成そうという松下としては、それは耐えられんことや。曇る日照る日や。一人といえども辞めさせたらあかん。ええか、解雇無用やでッ。」と、激を飛ばす。幸之助35歳であった。「人間愛に基づく経営」それが、幸之助を、「経営の神様」と言わしめた。90年近い昔の社会情勢と現在とでは違うことも多いが、解雇や人員整理があっても当然の社会情勢の中で、断固として従業員を辞めさせなかった幸之助の人間愛を疑うすべがない。我々が様々な電気製品を買うには家電店に行けばよいが、家電店イコール、マーケットと言うのではない。

    トヨタ車を買うためにトヨタのディーラーに行くが、そこがマーケットというのではない。経済学でいう、「マーケット」は、個々の商品ごとに存在する抽象的概念で、特定の店舗を指すのではない。カローラという車のマーケットとは、カローラ販売店のことではなく、カローラを販売するディーラーすべてを寄せ集めた、売り手と買い手が出会う、「場」のことをいう。

    なにも難しいことではなく、要は、商品やサービスを売りたい側と、それを買いたい側が出会って、取引をする場のことである。中世には、「市」が開かれていて、そこにさまざまな地域から売り手と買い手が集まって取引をしていたようにである。現在でも古着や不用品を安く販売するいわゆる、「フリーマーケット」が自治体のコミュニティで開催されている。

    マーケットでは、需要と供給が調整されている。つまり、売り手は買い手の欲望(需要)に対して、供給量を決めている。むやみに過剰生産しても、在庫を抱えて損害を被ってしまう。そうした消費者の動向を探り、調査するのをマーケット・リサーチという。「どこの場所にどれだけの規模の店舗を作るか」から始まって、うまく当たれば成功、ダメなら失敗となる。

    需要と供給が上手く一致することを「均衡」といい、需要と供給をたえず調整することがマーケットの重要な役割となる。そうした働きの全体を総称して、「マーケット・メカニズム」と呼んでいる。この均衡が上手く調整されているからこそ、欲しいものを手に入れることができるが、あまりに売れすぎて在庫切れもあれば、売れない場合はバーゲンセールで在庫を掃く。

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    アダム・スミスが、『国富論』のなかで、個人個人が自分の欲望の趣くままに行動しているのに、全体ではちゃんと調整が取れているのは、「見えざる神の手」の仕業だと述べているが、この「見えざる神の手」とは、即ちマーケット・メカニズムのことを言ったものだ。マーケットのない社会では、需要と供給が出会う場がない。言い換えると、情報がまったくない。

    誰が何を欲し、何をどのように売りたいか、どこに行けば買えるか、均衡による商品の適正価格はいくらにすればいいのか?これら一切を官僚が勝手に判断し、決めてしまうのが社会主義国である。つまり、マーケット・メカニズムは、経済活動の方向を決める上での民主主義システムといえる。社会主義国であれ自由なマーケットを作ればそこには市場のメカニズムが発生する。

    政治的には共産党独裁の社会主義国である中国が、経済において「経済特区」なる特定の地域を作り、そこではマーケット・メカニズムを奨励する。さらには生産設備を私有財産として所有することを許している。会社を作り、利益をあげることもoO・Kである。外国資本に優遇措置をとっているので、広東省の特別区には、大量の外国企業が工場を建設した。

    結果、中国経済は大発展を遂げ、世界第二位のGDP国家となる。こうした中国の体制をしばしば、「社会主義市場経済」と呼んでいる。この体制がいつまで続けられるかの問題もあるが、中国経済がある程度以上に発展し、真の豊かさがもたらされるようになれば、中国は社会主義を放棄せざるを得なくなろう。今の政治体制での経済政策はいかにも矛盾に満ちているからだ。

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    経済活動では自由を保証するが、政治的決定については独裁体制を維持するというおかしな仕組みがいつまでも続くはずがない。実際、市場経済の優位性は、1989年のベルリンの壁崩壊や、旧ソビエト連邦の崩壊によって、歴史的に証明されている。文化大革命によって中国の社会・経済はガタガタになった。それを立て直す役目を負わされたのは首相の周恩来である。

    周恩来が体制再建に必要とした人物が小平だった。小平は毛沢東と対立、1968年に全役職を追われ江西省南昌に追放された。1973年3月、周恩来の復活工作により、小平は党の活動と副総理の職務に復活、病身の周恩来を補佐して経済の立て直しに着手。「改革開放」政策を推進して社会主義経済の下に市場経済の導入を図るなど、同国の現代化建設の礎を築いた。


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    「西側は冷戦に勝利した。我々はこの勝利を誇りに思う」。1990年の初頭、当時の西ドイツ駐在アメリカ大使のウォルター・バーノンはこう語った後に、次の言葉を付け加えた。「本当に機能するただ一つのものは、自由市場経済である」。批判はないがあえて問うてみるなら、「本当にそうなのか?」。我々は本当に自由経済の終局的勝利を目撃しているのだろうか?

    マルクス・レーニン主義者のイデオロギーが完全に破産したのにはもっともな理由があるが、社会主義が崩壊した後に残されたものは空虚であった。先進工業国の労働階級は比較的豊かな生活をおくっているが、民族主義や社会不安や内戦は今も存在し続けている。また、多くの開発途上国地域では、「マンチェスター資本主義」が、今なお支配しているという。

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    マンチェスター資本主義とは産業革命後におけるイギリスの炭鉱労働者の劣悪な労働環境で、日本でいえば「女工哀史」であろう。ここには資本の自由はあるけれども、とてもじゃないが人間の自由はない。世の中は人間が主体なのにこれはおかしい。人間が人間として扱われる世の中を作らねばならないとの情熱が、さまざまに主張されて生まれたのが社会主義である。

    マルクス以前のさまざまな社会主義思想が、マルクスによって形成化され、その後に『共産党宣言』が出されたことで、共産主義という名前がついた。これが後の1917年、ロシアに革命が起きて、レーニン率いる国家が生まれ、この国家が目指す到達点が共産主義ということだった。マルクスの理論には経済政策が不可欠で、彼は昼夜を徹して経済学の研究に没頭する。

    そこで生み出されたのが、「マルクス経済学」であり、これが社会主義を裏打ちしているという構図であった。マルクスに資本論を生ませ、レーニンに帝国主義論なるを生ませ、国家独占資本主義論に影響を及ぼしながら、社会主義の新しい理論が生まれた。マルクス経済学にはまずは経済があり、国家論があり、それに付随した言語や家族や様々な体系になっている。

    社会主義危機の最中に小平がゴルバチョフに言った言葉は、「新しい思考を採り入れない者は真のマルクス・レーニン主義者ではない」であったように、社会主義のイデオロギーとは、「絶えざる改革の過程」とされている。何か辿り着く先が社会主義というわけではなく、人類は常にそれぞれの社会段階でいろんな問題を抱え、人間優先という方向で解決していく。

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    こうした、"絶えざる改革の営み"が社会主義であるとするなら、マルクス・レーニン主義というソ連型社会主義でない考え方が導かれる。小平は、「ソ連型のマルクス・レーニン主義が真の社会主義ではない」と喝破した。マルクスの中に、"初期マルクス"という考え方がある。花も実もあるり、血の通った人間的思考で、魅力ある思想家であったのは間違いない。

    ただし、マルクスの理論は後の人間によって歪められて行く。共産主義とは、「唯物論的弁証法」の世界観である。世界には自然現象と社会現象で成り立ち、両方とも唯物弁証法で考えるが社会の面については体系化された、「史的唯物論」が、生産力と生産関係の相克によって、歴史の各段階が発展していくと説いた。史的唯物史観は現代にもなお生き続けている。

    中国の天安門事件が日本を含む共産党に対する大きな疑問を呼んだが、歴史は複雑な歩みをするもので、現在の日本共産党が今なお天安門を引きずっているわけでもない。万が一共産党が政権をとったからといって市場経済が計画経済に変わることもない。もっとも日本共産党の主張は正しく偏ってなく、ごくまともであるから、共産党という名称を変えるべきかも知れない。

    ただし、経済となるとそうもいかない。正しい事を行えば経済が回るわけではない。清濁合わせ呑む姿勢で、切り捨てるべくは切り捨て、全体利益のためになら悪と手を組む選択を決断するのが政治である。ゆえに共産党には期待できない。共産党は観念の政党として今後もその役割を果たすべきであろう。実行は無理としても、観念的で正しい主張はいくらでもできる。
     
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    政治的な営みとは政治的なアクターの、「行動」の結果であるということができる。アクターは政治家だけに限らない。一般市民や有権者はもちろんのこと、市民団体の活動家なども含むこれらの、「政治的」なアクターが、なぜ、どのような理由で、どのようなメカニズムで、一定の、「行動」を取ったかを考察し、説明しようとするのが政治学の1つの役割でもある。

    同じように経済の繁栄もアクションが重要で、企業が必死にイノベーションに励むのは、競争があるからだ。勝者となるためにはライバル他社より少しでも良い製品をより安く作るために努力を惜しまない。マーケットの凄さは、企業を自然にそう仕向けるところにある。もっともイノベーションには2つの側面がある。一つはすでに存在する製品をいかに安くできるか。

    もう一つは上記したように、新製品を開発すること。前者はプロセスイノベーションといい、生産工程を合理化を実現させるが、このようにイノベーションは生産性を上昇させる。企業が何より目指すのは、デファクトスタンダード(事実上の世界標準)であろうが、そう簡単になし得るものではないが、それをなし得た企業もある。マイクロソフト社とインテル社である。

    ビル・ゲイツのマイクロソフトは、ウィンドウズで世界を席巻し、パソコンの心臓部であるマイクロプロセッサ―においては、圧倒的シェアのインテル(ペンティアム)も一人勝ちの事例だろう。言わずもがな両企業が世界のマーケットを独占できたのは、デファクトスタンダードをいち早く確立したからで、ウィンドウズやペンティアムを使うよう法律で強制されたわけでもない。

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    両社ともにあくなき新製品イノベーションを欠かさない。商品の生産には原材料たる資源の奪い合いから、地球上の資源の絶滅を危惧される分野もあるが、何より知的生産にあっては資源の奪い合いがない。したがって、物の生産にはある限度を超えると収穫「逓減」が働くが、コンピュータソフトなどの知識の生産には反対に収穫「逓増」が働くようになる。

    こうした理由から自動車メーカーのトヨタやダイムラーベンツ社が、世界市場の80%のシェアを占めるなどはまかり間違ってもあり得ない。どうしても資源の奪い合いが必要になるからである。資本主義社会における独占企業の存在は、一国内に限らず、国際的なマーケットが独占の弊害に晒される。これを厳しく監視・管理し、健全に対処する国際機関が必要となろう。

    マルクスは資本主義の果てをこうした独占企業による人民支配を見定めていたし、それを否定することで社会主義を夢想したのだった。考え方の基本は決して間違ってはいないが、自由市場経済の弊害はあっても、社会主義の計画経済はゴスプラン(国家計画委員会)によって、価格などが全部決められているというのは、体験はないがいかなる経済社会であろうか。

    そういう場合は、「裏経済」のようなものが暗躍すし、価格統率がとれないばかりか、商品の二重価格ヤミ再販も横行してメタクタになるだろう。官僚腐敗も必然的に派生する。マルクス経済学の理論は立派でも、人間が腐っているなら理論も主義も絵空事か。もっとも自由競争社会にあっても、官僚や政治家の汚職は絶えない。国家に教育の重要性が問われるばかり。

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    自由主義市場経済しか知らない我々は計画経済のどこが悪いのか、悪かったのか、良いところはないのか、などは文献にて知るしかすべはないが、マルキシズムの象徴ともいえる、「計画経済」は当初はバラ色とされ、英知の成果と思われていたのだが、巨大で強固な官僚機構が育って行くのと並行して、様々な矛盾が生まれ始め、競争なき社会は閉塞感に窮して行く。

    そうしたペレストロイカ前のソ連では、国際的競争に耐え得る商品は、工業製品の全種類の15%ほどに落ちてしまっていた。自由貿易がどんどん拡大していったのは、貿易に参加する人たちの生活が、貿易をする前の状態に比べて格段に豊かになったからである。自由貿易はなぜ利益をもたらせるのか?まず、国によって得意とする産業が異なるというのが大きな理由。

    次に、消費生活に多様な選択肢が増える事。クルマ好きの日本人がトヨタや日産の高級車よりも、さらにBMWやフェラーリに乗ってみたいと、これも選択肢の広がりである。確かに自由貿易は利潤を生むが、それでも自由貿易に難色を示す考えもある。したがって、自由貿易を推進する上で重要なのは、自由化によって損失を被る国内産業従事者への相応の補償である。

    経済を数行で語り尽くすことはできないが、細かい事は専門家の領域である。さらにはもっと深く追求したいとあらば、専門書を読むことだ。マーケットの背後にある深層、バブル発生の理由、金融不安と日本経済の将来性、金融ビッグバンという語句、「大競争時代」に生き残る方法などについて、とりあえず上辺だけでも知っておきたいなら問題はなかろう。

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  • 10/05/17--16:31: 良好なる人間関係
  • 政治体制や経済活動という話題が、「硬い」という言われ方について否定はしない。世の中は、「硬い」ものと、「柔らかい」もので成り立っているから、どちらが重要で、どちらが不要というものでもない。政治に中立はなく、「体制派」か、「反体制派」か、のみである。経済も同様に支配者、労働者に分類される。経営者は支配階級、働くものは誰も労働階級となる。

    雑多な人間社会である。雑多であることが健全と思っている。雑多というのは様々な考えや意見が存在することだから、水と油的な考えがあっても当然である。「両極端な意見」というが、これは地球の北極と南極、磁石のS極とN極、中国思想に端を発した陰極と陽極などの表現をいう。極を前に、極左・極右という言い方もするが、これはイデオロギーを表す。

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    極東という言い方はあるが極西はない。これはヨーロッパを中心に見てもっとも東方にある、日本、中国、朝鮮半島、シベリア東部をいう。「極」はきわみ、きわまる、などの読みと意味があるが、江戸末期の滑稽本『小野股倉噓字尽(おのがばかむらうそじづくし)』の中で、「極」をきまりと読めば、これは接吻の隠語のこと。つまり男女の仲が決定的になったことを言う。

    雑多な社会の中で人間同士が仲良くすることもあれば、ちょっとした摩擦が元で喧嘩をしたりもある。批判も摩擦の原因になるが、批判に対する基本的な考え方は受け入れることである。相手を批判すれど、相手は批判を受け入れる。相手が自分を批判すれど、自分が批判を受け入れる。この場合の「受け入れる」は、「取り入れる」ではなく、「尊重する」でいいだろう。

    互いに相手の見方を尊重するということだが、「尊重する」は「耳に入れる」ということ。「遮らない」こと。なぜなら、人には人なりの見方や考え方や意見があるのは当然だと思う事。それが思えないのは、「我」が強い人間である。なぜ「我」が強いか、心が狭いからである。心が狭いのは視野が狭いからだろう。物事には様々な見方、捉え方があることを解らない。

    解ってはいても、自分を押し通す。この場合、「解っている」ことにはならない。「頭で解る」が行為を伴わないのは、「解る」とは言わない。「解っているんだけどできない」という言い方をする人間は多いが、実行できない、「解る」は何の意味もないと自分は考えている。確かに解っていてもできないことはある。電車で絡まれ、困っている人を助けたいが、それができない。

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    これは他人のことで自分に害が及ぶと考えるからだ。正しい事はすべきだが、そこは自分と他人の差でもある。せめて、自分に降りかかることなら抗う、もしくは上手くとりなすことも知恵といえる。無益な喧騒は避け、相手の股をくぐるのも知恵である。社会は自分と他人の、「場」であるからして、他人の言動は無視できないが、無視をする場合も必要である。

    他人によって自分はなにかしらの影響が与えられると感じてしまう。それはいい場合もあれば、よくない場合もある。他人の言動が自分にプラスに生かされると思うなら、素直に取り入れるのも心の広さであるし、反対に他人の自分への批判や中傷を気にするあまり、委縮するのはよくない。人間はこれがキチンとできるなら、対人関係に苦慮し、悩むこともなかろう。

    「君臨すれども統治せず」というのが、日本の元首である天皇の立場だが、人間関係は、「(相手を)批判すれども関与しない」。さらには、「(相手から)批判されても無視をする」。これも人間関係円滑術である。それができないのは、やはり上記したように「心が狭い」ということになる。「大は小を兼ねる」といい、何事も小さきより大が、狭いよりは広い方がいい。

    人の心も狭きより広き方がいい。中年になって額がどんどん広くなって行く場合は、狭い方がいいとなるが、気にしないことで心はむしろ広くなる。ハゲ、デブ、チビという悪態言葉はあるが、どうしたことか最近は価値観の変貌なのか、柔軟性になったというのか、ハゲの似合う人はいる。同様に、デブやチビの似合う人がいるように感じるのは自分だけでなかろう。

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    「ハゲがカッコいい時代」という表題で記事を書いたことがあるが、本当にハゲが似合って、カッコイイと思える時代になった。昔はそんなことなど思いもしなかった。おそらくこれは、自分のキャパの変貌もあるのだろう。ブスは昔から好きだったから、「変わり者」と言われていたが、それで「変わり者」と言われても、単に少数派であるというだけで、気にはしない。


    多数派を単に臆病者と捉えていたこともあるが、視点の広さを持っているという自負もあった。同じように、ハゲびとに偏見はないばかりか、ハリウッド俳優のジェイソン・ステイサムなどは、「俺は自分がハゲだってことを神に感謝しているぜ。そもそも俺に髪の毛なんて似合わない!」と、こんなことをさりげなく言える精神の強さには同じ男として憧れてしまう。

    「ハゲであるを神に感謝する」などと、こうまで言えない、発想もない。よって、ジェイソンの言葉は、他のハゲびとのいかなる言葉より決まっている。デブも似合う人がいるが、自分はオカマや女装が好きではないので、オバQの衣装しか纏わぬマツコや、美輪明宏は好きになれないばかりかデブが似合うとは思わない。普通の衣装のホンジャマカの石塚はデブは好感もてる。

    チビについては、これは100%先天的なものゆえに、取り立て話題にすることもないが、女性の場合は長身に比べてチビの方が愛らしい。芸能人に限って男のチビは、キムタクシューズが必須と言われたが、岡田准一が長身であったなら、果たして今ほど存在感があったかといえば疑問である。やはりというか、人間は外観より実在感こそがアピールの源となろう。

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    視点をどこに置くかで物の見え方は変わってくる。反対に人は自分のことをネガティブに見る人と接する時、委縮したり、罪悪感を抱いたり、腹立たしさを感じてしまうこともある。これすら視点を変えれば、それは必要のないことであり、あなたがそれを背負う必要は全くない。決して慰めで言っているのではなく、視点を変えればと具申をし、後は当人の問題だ。

    「あばたもエクボ」というように、自分の欠点を許容してくれる人は必ずいる。それでこそ雑多な世の中である。人の欠点をあげつらうことがいじめの温床となるなら、いじめをされる側は、「人をいじめ能ナシの哀れなバカども」と強い気持ちを持てたらいいが、そこまでになれぬなら、日々は辛くとも自らに我慢という枷をかける。これが多くのいじめ体験者の告白だ。

    あとは自己啓発として、「女工哀史」や、「からゆきさん」などの過酷な女性史などを読むのもいいだろう。辛い時には、自分などよりずっと辛い思いを生きた人たちに思いを寄せてみる。こういう別の視点を摸索することで、現実逃避は可能である。一例を言ったまでだが、自身がどういう自己啓発をするか、自分に降りかかる問題として、自らが知恵を出すことだ。

    いじめの問題はつき詰めると論理は稚拙であり簡単に投影できる。ようするに、誰も人は自分の都合の良いように他人を投影して見ている。したがって、他人からネガティブな評価や言われ方をされた場合、どんなにそれが正当性を持っているように見えてたとしても、その人の勝手な世界観で相手を見ているに過ぎず、同意する必要もなく、気遣うこともバカげている。

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    他人の感情は他人のものでしかないが、何故にその人がそういう感情を保有するのかを分析することで事態を客観的に傍観できるが、小中生あたりでそうした捉え方ができない場合、そういう事を諭してくれる親や教師に巡り合うことで勇気づけられるなら、思い詰めたいじめ自殺などの防止に寄与できよう。問題は、教師を信頼できない子や親に相談しない子であろう。

    そういう子どもは子ども自身に問題があるのではなく、教師や親の敷居が高いのではないか。平素からいじめ被害に遭った場合の対処法はどうすべきかを親子が胸襟を開き、ざっくばらんな会話を持つことはあってもいい。いじめがあってからではなく、いじめが起こるとも起こらぬとも分からぬ時からの問題意識を親がもつことが大事であろう。防火訓練のようにである。

    子どものいじめに限らず、他人からの批判に対する適切な対処が上手くできない大人も少なくない。批判や非難はあらゆるところに生まれるものだ。姑の嫁批判、夫(妻)の妻(夫)批判、子からの親批判、友人、同僚、恋人…人と名のつく相手からの批判は一理あるものもあるが、批判そのものをへこむからと嫌がる人間は、むしろ批判をする側を萎えさせてしまうことがある。

    なぜなら、どうしても有用な批判も存在するからだが、「自分に批判はやめてくれ」と前もって告げる人間も中にはいる。「お前の批判もしないかりに、俺の批判もしないでくれ」と言われた時には驚いた。「批判は止めて傷を舐め合おう」という弱腰で向上意欲のない人間とは付き合う意味がない。彼の注文言葉が原因となり、自然と遠ざかってしまうことになる。

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    「私に気になったことがあったら、ちゃんと言ってください」と言う女が一人だけいた。付き合う前の段階でそんな言われ方に驚いたが、その言葉を聞いただけで、彼女の心の在り方が感じられた。男女が付き合う前のセオリーというものではなく、彼女自身の自然な内面の表れと感じられただけに新鮮であったが、その一言は、その後の彼女の性格と合致していた。

    人と人の関係において相手にも自分においても正しいの根拠は存在しない。天は全ての状態を許しており、良い、悪い、という人間が作った物差しを正しいとする根拠は見つからない。もし、ただ1つ正しいことがあるとするなら、「それが起こった」という事実である。「なにかを正しいと信じた結果、特定の感情を作り出した」という事実だけは確実に正しい。


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    大学には、「経済学部」や、「政治経済学部」はあれども、「政治学部」はない。かつて、「政治学部」は、明治大学と國學院大學に置かれたが、現在はいずれの大学にもない。政治学は法学部政治学科、政経学部政治学科、社会学部政治学コースで学べるが、政治経済学部を最初に発足させたのは早稲田大学で、「政経学部の原点は早稲田にあり」が通説だ。

    同大学の早創期もそうであったように、政治学を法学部の一部門と捉えるドイツの慣習に合わせた考え方が主流であったなか、イギリスの慣習を採用して、経済学とともに政治を学ぶ学部として、「政治経済学部」を発足させた。当時イギリスにおいては、「政治を解らずして経済は解らず、経済が解らずして政治は解らない」という理解がなされていたことによる。

    そのため、法学部が文系学部の中心学部であることが多い日本の大学にあって、早稲田大学においては伝統的に政治経済学部が早稲田の文系学部の看板学部となっている。文学部系の範囲は広く、一般的に文学部の表現論といえば、文学作品の表現効果についての研究・考察が主となり、文学を成り立たせる語句の秘密を解き明かすことにある。

    ところが、「国語表現論」を社会学部で扱うと中身が変わってくる。文学作品を研究対象として扱うのではなく、実際に書くことの活動をとおして、社会学見地から自己の内面の可能性を現象化することになる。人間個々は一つの、「魂」であり、誰もが何か言うべきことを持つはずだから、自己の内面を言葉の上に展開することで、自他に対する新たな光を加えることができる。

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    文章は、対象~認識~言葉~表現の厳しい相関関係の上に成立するものだが、そうした正確な認識の上に日本語をどう対置させるか、認識と表現の両面から自らを責めることで新しい言葉の可能性を探り創造する。人間が現実を認識するのは、人間的現実を形成するためである。いわば、現実を現実として認識することで、人間を人間として作り上げることになる。

    人間は社会的動物であるがゆえに、社会で生きて行くためにどれだけ自分を偽ることになるのだろうか。好きになれない人間や嫌な相手に対して、なぜ正直になれないのか?自分が嫌悪する相手にさえ、好かれたいからなのか?自分にとってこうした疑問は早い時期から問題提起としてあった。好きなものを好きといい、嫌なものを嫌ということの善悪・是非である。

    「世の中の多くは選択である」。こう判断する方が現実的な生き方ができる。善悪という判断に際し、自分は善を行ったのだから必ずその恩恵はある。天は正しい者に味方をするといった観念論は、実効的でなく裏切られることが多い。善の見返りを期待した善の行使は期待が外れる。であるなら、「選択」で対処して見返りは排除し、結果には自己責任を受け入れる。

    西宮冷蔵の水谷洋一社長は、「正しい事をすれば英雄になれるという錯覚があった」と後悔し、「もし生まれ変わって同じ状況なら、もっと上手くやります」と言った。彼の、「上手くやる」が何かを考えた。あれは牛肉の産地偽装事件であって、管轄の農水相の役人への裏工作で、スーパーなどの卸先からの抜き打ち検査で偽装が判明したという手順であったなら倒産は免れた。

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    義憤からの正義の行使には、そういった間接的な方法もあったはずだが、英雄になれるという不純な動機が裏目にでて、全てを失ったのは皮肉な結果である。神は正義に加担するということもなく、このケースは人間の邪悪な正義感の失敗だった。あげくこの事件は官民癒着を露わにした。許認可権を持つ役人は、何かと利害や便宜を拠り所に仕事をするものであろう。

    確かに政治というのは本来、国を動かす手法であり、そのためのお金の動きがあるわけだ。国債を発行してリニアを作るとか、IT関連事業活性化のためにその関連事業への課税に特別枠を設けるとか、通信事業を民営化して民間企業の新規参入を活性化させるといった政治的手法は、そのまま経済活動に影響を与える。政治が経済を動かし、経済は政治を動かしていく。

    家庭内の問題でいえば、姑との軋轢や夫婦の冷めた愛情にあっても、子どものために仲良しの、「フリ」をするという女性。「物心ついたことから、女の子は仲よくもないのに、フリはしますから…」というが、いかに、「フリ」をしてみたところで、子どもの目は誤魔化せない。それを上手く誤魔化せていると、仲の良い夫婦を演じるのは、子どもの心に、「傷」という邪悪を植えつける。

    こうした邪悪が、「欺」から派生することを思えば、「欺瞞」という行為は子どもの純粋な心を汚して行く。神戸連続児童殺傷事件の少年Aの家庭は、周囲からみて、休日は広場で家族がバドミントンに興じるなど、家族愛に満ちた平和な家庭であったと周囲には映ったというが、そうした欺瞞から心の闇が増幅されるのであろう。家族は胸襟を開いて何でも言い合うことがいい。

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    家庭の長たるを政治家とは言わぬが、家庭内や近隣社会や学校内の出来事などの小さな政ごとに携わることになる。したがって夫であれ妻であれ、様々な事態に適切な判断と行為のできる者が、長であることが望ましい。子どもは大人の縮図というが、大人の世界観や社会観を子どもに見せるのは悪い事ではない。大人の醜さを隠そうとすることが問題であろう。

    日本人は西洋人に比べて、子どもを未熟で未完成のものと捉え、見くびっていることが多い。幼年期は生物ならすべてに義務づけられた時期であるが、性格の構造や人格形成をする上で、なによりも重要な時期である。親や大人は子どものそうした「幼年期における想像力のエコロジー」に敏感であるべきなら、何より見せてはならぬものは、「虚」や、「欺」であろう。

    政治と経済と教育が国家の根幹であろう。この中で唯一大人が子どもに携わるのが教育だが、教育現場でいじめをなくすことを大人はできない。大人も子どもも含めたこの世が生存闘争の場だとするならば、適者生存というのは修羅場であり、争いや闘争、競争社会であることを前提とし、それに価値観の多様性を認めるならば価値観の相違から争いはなくならない。

    ただでさえ、人には、好悪の感情がある。だとしたら、いじめから逃れる術はないということか。であるなら、いじめから逃れる術はない。謝ったいじめ対処法でいじめをなくそうとすればするほどいじめをなくそうとする当事者、教育者こそ子どもをいじめる側になってい。謝った対処法というのはいじめを一掃しようとする非現実的で道徳的な言葉の羅列である。

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    現実問題としていじめはなくならないという前提でいうなら、大事なことはいじめに対処する術こそ教えるべきと考える。強く鍛えるということも大事だが、いじめ対処は危機管理術であり、その能力を高めることも教育である。よくないのは、逃げ出したり、自殺すること。それをダメと教えるのが教育である。日本では政治や経済のことを義務教育で教えないのはなぜか?

    教えないというより、教えられないのだろう。それが教える側が負け犬であることの証拠である。政治や経済は、民主主義国や自由経済国では、生きていく上で欠かせない必須な事であるにも関わらず、日本人は世俗的なことを卑しむ傾向がある。ゆえにか、金儲けなどという下賤な事は日本の学校では教えない。しかし、生きていくという事は、世俗的なことである。

    世俗的な事を教えずに何を教育するというのだろう。この世にタダで手に入るものなどないということや、危機管理意識など、生きているための有用なことは教えないのが日本の学校である。アメリカでは小学校から経済を教えているし、教科書には上記の言葉、「ただで手に入るものなどない」と、ハッキリと書いてある。政治や経済は、なんと生々しい現実であろうか。

    生きることが現実なら、生々しい現実を教えられないで、それが何の教育であろう。経済に真剣に取り組もうとするから、ゲイツやジョブズのような人間が出てくる。天才は化石のような過去の歴史より、今という現実に興味を抱くという。「故きを温ね、新しきを知る」という発想を現代的に改め、今を教えるから歴史が生きる。新しい時代の考えは、「新故知温」である。

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    戦後最低の投票率となった平成26年の第47回衆院選。選挙が行われるたびに、若い世代の投票率の低さが指摘され、「政治に無関心な若者」という構図で問題視され、様々な分析をされているが、AKBの選挙のように自分の一票で彼女たちの総体が変えられることがあっても、国政選挙の自分の一票は何も変えられない、変わらないという意識があるのだろう。

    「なぜ選挙に行かない?」の理由には上記の答えが多い。「選挙ったって、誰に投票していいか分からない」という意見もある。それがAKB選挙との大きな違いである。投票率の推移を見て思うのは、若者(大人)が、ますます幼稚になったことも挙げられる。かつては、20歳になったら…という様々な自覚が自然と芽生えたが、そうした大人になったらの自覚がない。

    沖縄で開催予定だった、「AKB48 49thシングル選抜総選挙」には2800万円もの国費が、「沖縄観光の課題の解決を図る民間事業者の取り組みを支援し、沖縄観光の持続的発展に資するものに助成できる」という名目の支出であるが、ハワイが閑散期にホノルルマラソンを開催して観光客を呼び込むというハワイ観光局綿密な計画のもとに企てられた施策とは大違い。

    ・AKB総選挙に国費2,800万円…、なにやってるの?どうしちゃってるの日本?

    ・税金・沖縄振興予算でイベント補助はいいが、 「一発勝負でAKBの総選挙で人を呼び込んで次にどうつながるか見通しもない」これ。国民的アイドルとか知らんし。

    ・経済効果に対する政治判断は、慎重かつ綿密であらねばならない。

    ・2800万円の税金が投入されたイベントが、雨でポシャった訳ね。 ほぼ効果なかったんじゃない? まぁとりあえずこんなにかける必要は無かったのでは?

    ・助成金によるイベント開催の持続性は低いというこの指摘は正しい。助成金を必要とするソフトについては熟慮すべきで、次につながる企画をやるべき。

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    手芸とは、個人的に行う裁縫、刺繍、編み物などの創作活動をいい、基本的には経済活動を伴わない家庭内における余暇、趣味の領域活動とされる。 手芸店は女性で賑わうお店で男にはまるで縁のないところだが、近年の手芸市場は趣味の多様化や主要顧客の高齢化もあってか、右肩下がりだという。2016年10月~2017年3月に放送されたNHKの朝ドラは『べっぴんさん』。

    昭和初期、神戸の洋館で育った手芸好きなお嬢さんが戦後、子供服メーカーを作って成功するというストーリーで視聴率も高かったらしい。1934年(昭和9年)、服飾商社を営む五十八を父に持つ9歳のすみれは、神戸の山の手の屋敷で裕福な生活を送っていた。ある日、入院中の母・はなのためにハンカチに刺繍を縫うが、上手く出来ず周囲に微妙な反応をされ屈辱を味わう。

    上達しないすみれは、靴が針と糸を使って作られていることを知り、靴屋を覗きに行く。そこで職人・麻田から、使う人への想いを込めて作ることが大事と助言を受ける。後日改めて母のために作った刺繍のハンカチを喜ばれる。余命僅かとなった母とのひと時過ごしたすみれは、もらった人が嬉しいと思える、「べっぴん(別品)さん」を作る人になると誓うのだった。

    「べっぴん」という言葉は子どもの頃によく聞いたし、言われていたし、女性の美人を意味する、「ぺっぴん」という言葉は漢字で、「別嬪」と表記したが、元の意味は、「別品」と表記するように、「普通のものとは違う」、「特別に良い品物」であるからして、品物だけを指す言葉であった。それが優れた人物を意味するようになり、男にも持ちられていた。

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    やがて、「ぺっぴん」は女性の容姿だけを意味するようになり、それに伴って高貴な女性にいう「嬪」の文字が使われ、「別嬪」と書かれるようになった。広島の本通り商店街には創業明治26年の老舗、「別嬪店」は、ハンドバッグが主体の女性ファンション専門店。「別嬪店」⇒「べっぴん店」⇒「BEPPIN-TEN」という店名ロゴの変革は、さすがに時代を表している。

    「芸は身を助く」という諺がある。どの世代の女性がこの言葉を親から伝授されたろうか。かつては「手習い」といい、江戸時代の寺子屋および手習所で行われていた教育がはじまりだった。「仮名・漢字」、「和歌」や「書道」などの基礎教育は、近世の町人の子弟を教育する寺子屋における中心的な教育内容となり、「読み書き算盤」なる言葉も残っている。

    昔のことをあれこれと思い出すのは、懐かしいという以前に文化的な気持ちにかられる。文化的とは当時の文化に関するさまをいうが、言葉が話せるようになると、意味の理解がままならず、また文字が読めるようになればなったで、周囲には不思議な言葉が充満していた。近所に、「桐谷ドレメ」という大きな看板があった。ドレミは分かるが、「ドレメ」とは何だ?

    知らないことばかりの子どもにとって世の中は不思議でしかなかった。子どもの好奇心は社会に生息しようという努力の現れである。「子どもは人の父である」という言葉がある。これは、「どんな子どもに育てられるかで、その子がどんな大人になるかが決まる」ということだが、完全に真実とは言わないにしても、子ども時代が大事なという一般認識において真実である。

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    もっとも人間には与えられる躾や教育とは別の、主体的な自己教育力や向上心もあり、これとて子どもの将来に大きく関与するものだ。「馬を水飲み場まで連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」というように、飲む気のない馬に水を飲ませることはできない。それが分からずして、無理やり我が子に水を飲ませようとする親は、なんとも滑稽である。

    「ドレメ」の意味は結局誰にも聞かずに中高生になったものの、知らないということ以上に興味のない言葉というのは、通り過ごすものだろう。ドレメの意味はある日突然理解することになった。高3のころに幼馴染のNが、東京の短大を受験するという。彼女は高校の家政科に籍があって、当時家政科というのは、勉強ができない女の子が行くところという認識だった。

    その彼女が短大に行くと聞いて驚いた。幼馴染なので遠慮はない。彼女は社交的で愛嬌はあるが、頭の悪いのは知っていたので、「お前、受かるのか?」と聞くと、「推薦で行くから大丈夫」という。「東京のなんという大学?」、「杉野女子短大っていうけど、知らないでしょ?」、「知らん」、「昔から杉野ドレメって、服飾関係では有名なんよ」。「ドレメって何だ?」

    「ドレメはドレスメーカーのこと。桐谷ドレメってあるでしょう」。なるほどそうか、ドレスメーカーの略でドレメだったのか。ということだった。Nの両親は衣料品店を経営しており、本人も自ずと洋服には興味があったろう。杉野ドレメの創設者でもある杉野芳子は、「ドレメ式洋裁」の発案者であり、美容界の山野愛子と並んで日本の服飾界の重鎮である。

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    男の自分には「ドレメ式洋裁」の意味も解らず、杉野芳子の名すら知ることもない。当時の女子の大学進学率は10%程度で、基本は裕福でなければならなかった。女性ということもあり、短大は服飾(縫製・デザイン)、料理(調理師・栄養士)、幼児教育(保母)さんの資格を得る目的が多く、また人気の看護職は大学に行けば正看、看護学校を出れば準看の道がある。

    女子には学問の道というより、花嫁修業や手習いなどの道が女を生かすとされていた時代は、洋裁はできなくとも、毛糸の手編みや機械編みくらいは女子の必須と考えていた者も少なくなかった。高校を卒業すれば大学とは別の、洋裁学校、和裁学校、編み物教室、料理学園、理美容学校などで手に職をつける、親はつけさせたいという考えがメインであった。

    その意味では社会や男女の価値観が画一的であったといえるが、これはひと昔まえのことだ。かつて女性の趣味といえば、何人に1人くらいは編み物と答えていた。茶の湯、生け花、料理が趣味という女性もいたが、こんにちそういう若い女性は少ないだろう。20年くらいか、30年くらい前だったか、手芸ブームというのがあった。と言っても50代、60代の人しか記憶にないか。

    恋人にマフラーを編む、セーターを編むというのが、女性のたしなみであった時代には、家で手芸をする主婦も少なくなかった。最近、ある方から鍋敷きというものを頂いたが、いかにも女性らしい趣味、手習いである。そもそも鍋敷きという言葉さえ耳にしなくなったほどに、近年は熱い鍋をコンロから卓袱台に移動することもなく、電磁調理器全盛の時代である。

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    したがって、頂いた鍋敷きは実用というより鑑賞となるが、使わなくても手芸は手芸、作る楽しみに人に差し上げる楽しみであろう。手芸店というところに男が入ることも行く用事もないが、狭い店内に置かれた多くの商品に、魅きつけられるてか若い女性で溢れている光景が浮かぶが、最近のyahooニュースが大型手芸店の店じまいを報じているのが目に入った。

    を示すと同時に、毛糸の編み物をやる女性の減少を示すと同時に、ひとつの時代の終わりを告げているのだろう。手芸そのものがなくなるということはないにしても、絶対数が少なくなると、手芸用品のような薄利多売商品は利益確保が難しい。それプラスこのような分析もされている。「手芸店の減少は手芸店店員のレベルが低くなったのも要因としてあげられる。

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    手芸用品売り場といっても従業員にはそれなりの知識もいろうし、そういう教育はパートやバイトにはやれない。お店の人から手ほどきを得ることは大事で、さもなくばどうやってここのビーズ編みをするのか、毛糸の編み方は?刺繍の刺し方は?パターンを元に作る生地の縫製仕様は?そういったことを見るからに知識のない店員に聞いたところで答えてくれそうもない。

    店員は商品の知識はあっても作った事はないとあっては致し方ない。昔の小さな手芸店に人が集まったのは、実は一緒に物作りしたからだという。一緒にわいわい出されたお茶でも飲みながら、作ったり、尋ねたり、手芸店はそんな場所であったという。店員の応対が悪い、知識もない…こんな不満のコメントをみれば、手芸人口の先行きはいわずもがなである。

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    今も昔も1分は60秒、1時間は60分と、何ら変わりはないが、なぜか昔の方がゆったりと時間が流れているように感じるのは、ゆったりは時間ではなく、人間が、社会が、ゆったりであったのだろう。効率や合理性ばかりを追求すれば、店舗は肥大化し、あげく従業員教育は追っつかない。商品知識だけがあればいい、手芸経験者優遇といっても、それでは人は集まらない。

    手芸ユーザーは高年齢化するばかりで、若いユーザーを開拓しようにも、現状では難しい。そういえば、小さなミシン販売店においては、暇な時間に店員が店内でいろいろなものを作って、それがアプローチになっているが、今の若い女性でミシンを使って、趣味・実益の世界を広げようなど少ないだろうな。そんな暇があれば、スマホでゲームするよ、みたいな…

    「六十の手習い」という。何かを始めるにあたって年連は関係ないとの意味だが、学童期の勉強は半ば強制であるが、年をとってからの勉強や新たな趣味を始めるなどは、自らの意志でなされるがゆえに価値がある。趣味は「やる」こと自体が目的だから、楽しむことが大事であるが、やってるうちにその気になったら、「究めてやろう」と頑張るのもいい。

    「飽きっぽい人」は、続けること自体が負担になるので、無理にやろうとすることもない。「自分は飽きっぽいから、続けられるように頑張る」という気持ちは持たぬが正解だ。飽きっぽい性格を直すために何かを続けられることはないし、続けることが飽きっぽい性格を改めることになる。だらだら生きても楽しみはあるから飽きっぽいを長所に変えて生きた方がいい。

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  • 10/10/17--17:34: 小さい秋
  • (一)誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
       ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
       めかくし鬼さん 手のなる方へ 澄ましたお耳に
       かすかにしみた 呼んでる口笛 もずの声
          ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

    (二)誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
       ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
       お部屋は北向き くもりのガラス うつろな目の色
        かしたミルク わずかなすきから 秋の風 
       ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

    (三)誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
       ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
       昔の昔の 風見の鳥の  ぼやけたとさかに
       はぜの葉ひとつ はぜの葉あかくて 入日色
       ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

    サトウハチローの作詞に中田喜直が曲をつけたこの曲は、NHKの依頼によって作られた。『みんなのうた』の放送開始は、1961年(昭和36年)4月3日となっており、第一回の曲はチェコ民謡の、『おお牧場はみどり』だった。曲のインパクトに煽られてか、牧場というものを見てみたくて仕方がなかったのが懐かしい。始めて牧場に行ったのは中学になってからだった。

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    何気なく聴き、口ずさんだ曲だが、あらためて詞をに目を通すと詩的な雰囲気がよく出ている。「誰かさん」とは誰かさんなのでそれはおいて置き、「ちいさい秋」とは何か、を考えてみた。作者はこの詩について、『原稿用紙を前に布団に腹這いになって外を見ていたら赤くなったハゼの葉を見て言い知れぬ秋を感じて、この歌を書き上げた』というようなことを書いている。

    この言葉は結果的に、詩人らしくこの詩の動機や背景を要約網羅したものなのだが、歌詞もつドラマ性が自分の心を魅きつけた。「秋」に限らず季節に大きい、小さいのサイズがあるわけではないが、「暑い夏」、「寒い冬」というインパクトに対して、過ごしやすい秋や春につける形容詞は何だろう。「春は早朝」、「秋は夕暮れ」がいいと、清少納言は言っている。

    これは時間帯を指しているのであって、自分なりに秋や春のよさを考えてみたい。確かに秋や春のよさは、夏の暑さ、冬の寒さに対比した、「暑すぎず、寒すぎず」という言葉でいい表せるが、秋の良さの独自性を一言でいえば、落葉の散歩道かなと…。夏の新緑の葉が赤く染まって、やがて枝に別れを告げる落葉という現象に、五感の中の秋の自然さ感じるのだ。

    『落葉のコンチェルト』という好きな曲がある。この曲の歌詞には「落葉」もでないし、コンチェルト(協奏曲)様式でもない只の邦題に過ぎないが、どこか70年代の香りに包まれている。原題は、"for the peace of all mankind(すべての人類の平和のために)"となるが、直訳では到底あり得ない詞の内容。「人類」を意味する"all mankind"を、「2人」と訳すと意味が連なる。


     For the peace
     For the peace
     For the peace of all mankind
     Will you go away?
     Will you go away?
     Will you vanish from my mind?
     Will you go away and close the bedroom door
     And let everything be as it was before?

     > 平和のために
     > 平和のために
     > 2人の平和のために
     > 君はどこかにいってくれないか?
     > どこかにいってくれよ?
     > 僕の心の中から消えてくれないか?
     > 君がどこかにいって、寝室のドアを締め切って
     > 全てを君と出会う前に戻してくれないか?

    異人は恋愛や失恋に際し、自分たちが世界の中心(top of the world)であるが如く大げさに考える。本曲においても、傍にいた女性が自分の元から去り、それまでの素晴らしい思い出が頭から離れない。いっそどこかへ行ってしまえ。そうでないと、自分はどうにかなってしまいそうだ。と、自分の頭の中の半狂乱な気持ちを、「全人類の平和のために」と綴っている。

    いかにも男の童心ぶりが現れているが、こういう場合に女の側はさっさと忘れちゃってるんだろう。茨木・日立の妻と子の6人を殺害という惨劇があった。この夫の心情は、過去の一切を無きものにしたいということではないか。過去に区切りをつけて新たな未来に気持ちを向けられず、過去に執着する男の未熟さ、大人になり切れない不甲斐の無さといえるだろう。

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    好きになった女の過去を気にしたり、性関係に拘る男に比べて女はさほどではない。過去に拘る男と女の思考の差、なぜ男は過去に囚われるのか、その理由を自分は男の幼児性と見るが、どちらかというと男の脳は女性のように分散できないで思い詰めるところがあるのは、天才の出現の多さにも現れている。一つ事に没頭することに関しては長所もあるが短所にもなる。

    数多い男の失恋の楽曲に見る詞の内容と、男に捨てられる女の歌には大きな違いがある。泣いて泣いて泣きぬれて、涙乾けば新たな明日を迎える女に比べて、泣けない男は気持ちの切り替えができない。涙は女のために用意されたものであり、女性の、「失恋からの立ち直り方」は、自分にかかっている、「呪縛が解ける」ことと似ており、それさえ解ければ立ち直れる。

    つまり女は、彼への思いを寄せる呪縛を解くために男の痕跡を消そうとする。一方、男は失恋について考えるのを辞める、「思考停止」タイプか、ターゲットを切り替え、「別の対象に夢中になる」タイプに分かれる。どちらのタイプにも共通するのは、失恋という悲哀を受け止めつつも、心のモチベーションの保ち方に重さを置くということでポジティブであろう。

    「思考停止」タイプの男は、意外と立ち直りが早いし、「別の対象に夢中」になる男は、対象が現われるまでの時間に左右される。時間のかかる男もいるが、早撃ちマックタイプもいる。失恋の呪縛が解けることで女は解放される。男も立ち直りは早いが、案外と昔の女のことをしたためているもの。それを引きずりやすいとは言わぬが、男はロマンに生きる動物である。

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    「ちいさい秋」の話はどこにいった?脱線しても簡単に戻せてしまうから、脱線しまくる自分である。言わずもがな、「ちいさい秋」とは情緒的・比喩的な表現であるから、受け手にとって「ちいさい」の感じ方はさまざまある。うだる夏の暑さから解放された初秋の時節は、それ自体がいかにも量的に小さく、小さくとも期待感の現れであり、存在感のそれでもある。

    夏を、「大暑」とすれば秋はいかにも小さい。「小さい秋」とは、詩人の造語であるが、それに対義する「大きい秋」のイメージは湧かない。したがって、秋は小さくとも存在感のある季節といえるが、普段は見過ごされるものであって、誰かさんにしか見つけられない、そんな特定される秋である。そんな、「ちいさい秋」を見つけることができた小さな満足感が表されている。

    それぞれに連なる語句の意味については、それぞれがめいめいに感じ取ればいいことだ。絵や文学や音楽などの作品というものは、一旦作者の手を離れたら独り歩きを始めるがゆえに、解釈は多様である。サトウハチローはこの詩について、『原稿用紙を前に布団に腹這いになって外を見ていたら、赤くなったハゼの葉を見て言い知れぬ秋を感じて、この歌を書き上げた』と述べている。

    彼にとって、とあるその日のその時間のその気持ちが作らせた作品であり、かけがえのない一瞬であったといえよう。人は誰もそれぞれの瞬間を生きているわけだから、同じ日、同じ気持ちというのは永遠にないだろう。新陳代謝の激しい芸能界や、お笑い界にあって、東でウッチャン・ナンチャン、西ではダウンタウンが、絶世人気を誇った時代があった。


    お笑いの世界も、世代交代期と言うのは存在するが、日常の一瞬を奇妙に拡大する漫才のネタやルールとでもいうのか、彼らにはそれらを超越するものがあり、それを才能といってよいのだろう。西でダウンタウンに次ぐといわれた圭・修こと、清水圭、和泉修というコンビがいた。彼らの持ちネタに童謡の歌詞をあげつらうというギャグがあった。ぼやき漫才の典型であるが。

    例えば、「やぎさんゆうびん」では、どうして、「読まずに食べた?」。なぜ、「黒やぎさんは、白やぎさんからの手紙とわかるのか?」。また、「ふしぎなポケット」では、ビスケットが一つ入ったポケットを叩くと、ビスケットは粉々にならずに、「二つ」に割れるのか?「ぞうさん」の鼻が長いのは、「かあさんも長い」というが、とうさんでもじいさんでもいいハズ。

    子ども時代には普通に受け入れた歌の関節が外されるようないちゃもんであるが、同じようにいちゃもんをつけられる楽曲は沢山あった。なぜ浦島太郎は海底へ行けたのか、金太郎がクマと相撲の稽古なんかするか、たい焼きが海で泳ぐなんかあり得ん。すべてのお伽話にはいちゃもんがつけられた。我々のようなワンパク小僧にとって、唱歌や童謡さえ替え歌の宝庫であった。

    まともに歌うより替え歌のいたずら気分の満足感だが、なぜか女の子にはそうした面白さが伝わらない。「そんなこと言って、何がおもしろいの?」と見下す彼女たちは、もはやおばさんの域なのだ。「ぞうさん ぞうさん おかおが長いのね ばーか わたしは、うま なのよ」。子どもは大人になるのを避けられない。そのことで何かが確実にすり減っていく。


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  • 10/11/17--18:49: 不登校なこどもたち
  • かつて不登校の子たちを登校拒否児という言い方をしたが、こんにち、「登校拒否児童」というのは聞かなくくなった。いわれなくなったのは言葉に問題があったからだろう。「不登校」は学校に行かないという状態だが、「登校拒否児童」といえば、どこか症例であるような、「枠」に嵌めた感がある。彼らは病人ではなく、ただ学校に行かないだけの子どもである。

    ある程度の期間学校に行かない子どもについての状態を、解説する言葉を歴史的に見ると、最初に言われたのが、「学校恐怖症」であり、次に登場したのが、「登校拒否」、そして「不登校」という順序。それぞれの言葉の意味する背景は微妙に違っており、つまり、何が原因でその状態を引き起こしているのかによって、それぞれの言葉が用いられてきた。

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    端的に、原因と状態をセットで示す言葉として用いられた。外国では、1932年にイギリスで登校拒否(school refusal)という言葉が使われ、1941年にアメリカで「学校恐怖症(school phobia)」と命名された。命名者であるA.M.ジョンソンは、論文の中で「学校恐怖症」を、①心気的時期、②登校時のパニック時期、③自閉期、の三期に分類して解説している。

    学校恐怖症は対人障害の一種だが、登校拒否が社会問題になる以前において、親は上記の第一期の段階では、「わがまま」、「甘え」、「気のせい」と決めつけ、子どもの表面的な理由のみを捉え、奥底にある心の問題を見逃していた。恐怖症が不登校に発展するのは第二期の対処法に問題があり、嫌がる子どもを無理やり学校に行かせたがる親が多かったこと。

    研究分野でなかった当時としては普通ともいえるこうした親の行為は、ますます子どもに学校への恐怖感を増大させた。子どものストレスの原因は親が作ることが多く、例えばゲームやパソコンやマンガなどを制限したり、禁止することで引き起こされるもので、子どもによってはこれが強いストレス感を増大させたり、さらにはパニックを引き起こす原因にもなりかねない。

    事実、ゲームを制限されて親を刺殺した事件もあった。心気的時期における子どもの頭痛や腹痛、吐き気など気分の不快さ、疲れ、倦怠感などの身体的不調もあれば、いじめの問題や体罰を含む教師との人間関係、コンプレックスや学業上の不安なども起因する。パニック時期になると子どものストレスは限界に達し、親に激しく抵抗したり泣き叫んだりする。

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    そういう子どもを親が無理に学校へ連れて行こうとすると、狂人のように暴れたりする。親が学校へ行かせるのを諦めると子どもは自分の世界に閉じこもり、コンピューターゲームやインターネットに没頭し、暴力、暴言などの攻撃的態度も減り、穏やかな状態になるが、心の緊張感が消えたわけでなく、親の不用意な言葉に突発的に激怒したり、暴れたりすることがある。

    こうした問題に適切な対応を謝り、苦労をした親も多かったが、社会問題化することで正しい対応が用意され、無理に学校に行かせることもなく親も学校も子どもの視点や立場で考えることで解決を図られるようになる。こうした姿勢が、このタイプの恐怖症を抱いている子どもの不登校を未然に防ぎ、不登校の長期化や立ちなおりを早くすることに寄与する。

    親の子どもについての考察は、甚だしく不完全であり、いかなる親もかつては子どもであったに関わらず、なぜに子の親となった時に親はかつての子ども時代の心を失ってしまうのだろう。子どもを幸せにしたいという金科玉条の言葉に魅入られた親は、真の子どもの幸福を願うというよりも、子どもを通して自己を実現するという不純な親が如何に多いか。

    「真に子どもの幸福を願う親は、子どもに何もしないこと」。誤解はあっても、これが自分が模索した最終結論である。子どもの幸せは子どもに見つけさせるべきという観点からすれば、親は子どもをいじくりまわすことはすべきでない。放って置いても子どもは自分の幸せを見つけて行く。おそらく、いかなる親も自分が自分の幸せを摸索したように…

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    親は自分の子のことを目くそほども知らない。子どもを産むには生殖行為をすればいい。が、親になるには、子どもの欲求を理解し、それを喜んで満たそうとし、かつ満たせなければならない。親にその能力がない場合、しばしばであるが親は子どもの害になり、悪い習慣をつけ、子どもの性格を歪めてしまう。一切の悪い習慣は親が子どもに与えたものである。

    「子どもとは何者で、どうあるべきか」という先入観が引き起こす間違った仕込みを、「教育」という体系で捉えているが、こんなものがすべての子どもに画一的に当て嵌めていい、与えられていいということはない。「教育とは何か?」をつき詰めると見えるものは、「教育という抽象的なものは何も存在しない」というのが、実は動物から教えられることでもある。

    大学の教職課程を終えて教員免許を取っただけの若造を教師というが、教育者ではない。教師を何年も何十年もやっていても、世間から隔絶された狭隘な社会で教育者としての資質が育まれるのかは疑問という他ないが、中には優秀な教師がいるとするなら、子どもに愛情を欠かさぬ親がいるとするなら、教育とはそういう教師や親の行動と言葉であろう。

    「行動と言葉」は個々の人の、「物の見方」、「考え方」から生まれる。したがって、教育に携わる者が、人生観、人間観、仕事観、国家観といった、「考え方」を磨かずして、子どもたちに良き教育(良き言葉と行動)を授けることなどできない。子どもに対する親を労働者といわぬように、日教組が宣言したような労働者としての教員も同様に教育者といわない。

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    「みだりに人の師となるべからず」といった吉田松陰が言いたいことは、「教えるものがないのに先生と言わない」、「学ぶべきことがない相手の生徒とはいわない」ということであろう。これらのことは、親にも当て嵌められる。自分の母親は、自分が小学5年生になったときに、親として得る物がないと気づいた。飼育はされたが、親として何ひとつ得る物はなかった。

    「子どもに手を貸すことが出来ないなら、せめて邪魔だけはしないで欲しい」というディランの詩を目にした時、画一的で儒家思想的な、「親を敬うべき」という考えが間違いと気づかされた。「せめて邪魔だけはせんでくれ」という言葉は自分にとって衝撃的な自己肯定感を育むものだった。人間は誰もが等しく生まれてこない。誰もが慈母の家庭に生まれてこない。

    社会主義者の長のような親もいる。あたらめていえば、社会主義とは、人間関係の個の尊重を極力排し、親子、夫婦、家族、師弟という関係の上で人間が結び附くことを求める。どこかの国のように、個人と国家という関係に一元化する。であるなら、人間は国家の前において平等となる。自由と多様性の保障などどこ吹く風、というべく全体主義の怖さである。

    最近とみに、「家族」という欺瞞を指摘する本が多く出版されるようになった。「鬼母」と名指ししても、「親不孝者の戯言」と批判されることもなくなった。それだけ、「鬼母」が共感を呼ぶ時代になったのだろう。仲の良い家族は素敵だが、不仲の家族に仲のよい、「フリ」は無用である。疎遠の夫婦は縁切り可能だが、それができない親子は心理的縁切りをすればいい。

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    子どもの不登校原因の多くは、子どもの育て方も含めて親に原因がある。不登校の波は皇室にまで及ぼす時代というほどに、皇室にも不登校を生む親がいても不思議でない。かつて広島に、「小さな学校」という私塾があった。代表の木幡洋子氏は、広島大で「憲法」を専攻する院生であり、予備校の講師であり、主婦であり、母親という数足の草鞋を履く女性。

    不登校児のために、「小さな学校」をボランティアで開校したのが1985年で、月10万もの赤字を出しながら、カンパやバザーなどで資金難を埋めながら運営していた。彼女と不登校の子どもたちとの出会いは、研究のための面接調査だったといい、調査が済んだ後もなついて離れない子どもたちの寂しさ、切なさといった心情を理解するに、放って置けなかったという。

    「よその子に必死の母親」を夫も子どもも支えてくれていた。向学心の強い彼女は31歳で広島大学政経学部を卒業後、1983年に同大学大学院法学研究科修士課程憲法専攻修了、1992年3月同大学大学院法学研究科博士課程を満期退学、1999年から2003年は青森県立保健大学准教授、2003年4月から2014年3月まで愛知県立大学教授を最後に教職の任を終えた。

    近影のおばあちゃんっぷりに驚いたが、30年も経てば人は変わる。前髪のクセだけは変わっていない。彼女は不登校児が他人に心を開かない原因を、「人間不信から心を閉ざしている」と言った。「会う事さえ拒んでいた子が、小さな学校に通うようになって、生き生きとした笑顔を見せてくれる瞬間が生き甲斐」といっていたが、人の心の温かさに触れた子どもは変わっていくのだろう。

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    そういう切っ掛けを誰かが与えるか、自己啓発の一環として自分で探し、見つけてくるか、木幡氏は前者を選んだ。誰もが自己啓発を行えるものではないし、不登校の子どもたちにさえ、等しく教育を受ける権利は憲法の条文にも記されている。通信教育という自宅学習もあるが、そこには和気藹々とした学校のような人と人のつながりはない。木幡氏はそこを目指した。

    知育偏重の問題はさまざまに挙げられる。あるとき、探検のような鋭く長い牙を持った虎の化石が見つかった。動物学者はこぞってなぜにその虎が生存競争に敗れ絶滅したかを推論した。その結果、牙がどんどん長く伸びて下顎を突き破り、自然淘汰されたと推論した。生存に有利な武器も過ぎたものになれば不利にもなる。何事もバランスが大事であろう。


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  • 10/12/17--19:08: 異質と同質
  • むか~し、彼女と「男と女の違い」について、知る限りの知識を言い合いしたことがある。この手のお遊びはよくやったが、あくまで根源的な違いに限定したおフザケでない真面目な知識の披露ということになる。例えば、「女は妊娠するが男にそれはない」、「女に卵巣、男には精巣」などと、性差が多くなるのは必然で仕方ないが、風評・世評的なものは「×」。

    傾向性についての指摘をする場合には、相手に納得のゆく説明がされるなら許される。例えば、「女は主観的、男は客観的」というような世間的一般論についても、何が主観的で何を客観的というかの適宜な説明を布団に寝っ転がっての和やかなディベート遊び。「男は、"客観的な事実"を語るが、女は、"主観的な情報"を語る」という定義はo.kとする。

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    一般的に男が会話の中で強調したいのは、自分が何をしたか、どう考えたかという事実であり、これから何をするつもりなのか…のような、客観的な情報を整理したような形でもって、さも原稿用紙が用意されていたかのように、よどみなく話せるものだが、斯くの如き論理性に長じていない男もいるにはいる。これは個々の能力や頭の良し悪しに起因する。

    それに比して女は、あることに対する自身の感情や、喜怒哀楽などの気持ちから話を組み立てて話そうとする。原稿に書かれている感じではなく、話しながら中身が展開したり、あちこちに飛び火するのが特徴的である。したがって、同じ事柄であっても、男は分析的・批判的に説明しがちとなるが、女は、情緒的観点から自分の感じた気持ちを語ろうとする。

    男性から見たこういう女の話は、「聞いてて面白い」とする以前に女という生き物を理解する研究対象であった。事実をそっちのけ、あまりに主観感情が過ぎると、「感情的でヒステリック」に聞えてしまうばかりか、「話のポイントが解り難くて要領が全く得られない」と感じられる。女にとっては話すポイントや要領などは問題でなく、自分が感じたことを話したいようだ。

    逆に男の話は女にとって、面白みがなく理屈っぽくて無味乾燥と感じるが、同調圧力の強さが、聞いてるふりをする。が、理解するのも面倒からか、「いったいこの人ってなに?」、「なにが言いたい訳?」と感じてしまうことは少なくない。たとえそれが事実であっても、「だからそれがなんなの?」と感じ、つまらないと思ったら、正直にそういう態度を現す女性もいる。

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    女の会話の話題の基本は井戸端会議である。自分の周囲の雑多なこと、周囲との狭い人間関係が何より大事のようだ。女性のブログの話題にそうしたものが多いのは、読み手もそうした話題を欲すのか、もしくは書き手もそうだと思うから書いているのだろうし、それで十分盛り上がる。すべてとは言わぬが、男のブログには日常のあれこれはあまり書かれない。

    書いている男もいるにはいるが、おそらく周囲がそれを求めていると思っているから書くのだろうが、一般的に男と言うのは、日常生活の細々したことよりも、大きな話題を扱う場合が多い。自分に照らしていうと、日常の私的なことになど誰も興味を抱かないだろうというのが先に立つ。だから書きたいと思わない。自分が男であることからして、男の興味の対象を分類する。

    それともう一つ、これは経験的なものかと思うが、男を巡る社会性(社会的環境)は、知識の有用性がものをいうところがある。職種にもよるが、知識を持たないものは話題についていけず、置いてきぼりのなる。したがって、男は社会全般的な知識を得よう、身につけようとする。それなくば人の上に立てないからだ。ゆえに社会のメカニズムを知ることが重要となる。

    こうしたことも向上心あればのことだといえる。人をリードしたい、人の上に立ちたいというのも向上心だが、いつなんどき、そういう命が下されても困らないようにという備えさえも向上心とえるだろう。向上という目的があればそれ即ち向上心である。「備えあれば憂いなし」こそ自信となる。女は事が起こった時に、うろたえて、「どうしよう、どうしよう」という。

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    そういうところがいかにも女らしいことなのか、女はそれで免罪される場合が多いが、男はそうはいかない。求められれば結果を出さなければ無能とされるが、好んで無能を望む人間などいない。そのためには、「どこからでもかかって来いよ」というのが、自分の考える男らしさ、男の証明である。そういう自信の基礎になるのが、いろいろな意味の、「力」であろう。

    自信は、「力」がつけさせてくれる。したがって、「自信のない人」は力がないと考えられる。力がないのは、力をつけたいという気構えや心構えがないから身につかない。だからか常日頃、「自信がない」と言っている。「自信がない」といって、「自信がつく」わけではないが、「自信がない」と言っておけば免罪符となるのか?それとも、失敗時の言い訳の先取りか?

    なにかを命じられた時、「自信ないです」というのと、「自信あります」というのと、人にはこの二種類がいる。人間は小ズルいところがあるからか、「自信がない」といっておけば、失敗しても責められない、成功すれば力量を評価されるという腹積もりだろうが、上手くいかない点ではどちらも同じ事。ならば、「自信がある」というのは、逃げ道が用意されていない分損なのか?

    答えは、「No!」だ。自分が上司として命じた時に、「自信がない」という人間は、「なくてもいいからやってみろ」とは言わない。他の要員を当たり、「自信あります」という積極性のある人間にやらせたい。何かをやる際に大事なことは、積極的で前向きな気持ちであるからだ。これが親として息子を教育する場合だと、「自信がなくてもいいから、やってみろ!」と叱咤する。

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    これは父親が息子を逞しく育てるための教育手法の一つであろう。「老若男女」というが、この世はまさに老人(大人)と若者(子ども)と男と女でできている。子どもがいなければ大人は存在せず、老人とてすべての若者の行く末である。が、男は永遠に男であり、女は女として生涯を終える。何で自分は男(女)に生まれたのかという疑問に求めど答えはない。

    答えられない疑問というのは、答えようがない疑問ともいえる。例えば、妊娠後に男女の生まれる確率は50%なのか、どうなのか?どちらかの確率が高いのか、低いのか?6人兄弟で全部男と言う家族がいれば、5人姉妹もいる。この現象はいったいなぜ?という疑問を追求すれば、科学に答えを求めることになるが、男女が決まる要因は以下に言われている。

    精子の中のにあるX染色体とY染色体の比率というのは、頻繁に射精する男なら50%であるが、少し間があくとYが多く製造される。また、性交時の女性の膣粘液が酸性傾向にあるかどうか、これは快感を得ると変わるとされている。さらには受精のタイミングでいえば、Y精子は寿命が短く活発、Xはその逆であるなら、排卵日と性交日時の相関関係もある。

    体質的なものも言われたりするが、6人全部が男兄弟、あるいは5人姉妹は、偶然に偶然が重なった結果と言えば否定はできない。難しい事柄についての疑問に対する「解」というのは、何も難しい事ばかりではなく、実に簡単明瞭な答えも存在する。「簡単明瞭」とは、簡単であるがゆえに明瞭ということであって、それを理解する人は頭が良いのだろう。

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    「人はなぜ死ぬのか?」の問いに、宗教的、哲学的、科学的、想像力も含めれば多くの答えが用意できる。「死を生み出している棘は罪」。「アダムとイブは神に対する罪を犯したゆえに命を失った」。「死は神への反逆に対する必然的な結果」。「すべての人は受け継いだ罪によって死ぬ」。これらキリスト教的な死の意味は、自分にとって子ども向けの作り話に思えてしまう。

    無神論者にとってはすべてがアダムとイブが犯した罪(原罪)が、人間全体に永続的に及んでいるという教説ほど、いかにも神ありきの都合のよい論理は、バカバカしいにも程がある。これで宗教が成り立たせられるのは驚きである。仏教にも同様の考えがあり、伝統的に輪廻が教義の前提となっているが、輪廻思想による永遠の命などは到底信じられない。

    理由は簡単である。誰もそうした体験談を話すものもいないし、証明する者もいない。キリストが言うのだから正しい、仏陀が言うのだから信じなさいと言われて、信じるものが宗教の虜になるのだろうし、あくまで信じるも信じないの領域である。人が老化して滅び、死んでいくのは科学的に解明できるが、それでは満ち足らず、唯心論的な考えを信奉する者もいる。

    「観念や精神や心などの根底には物質がある」と、する考えを重視するか、「精神こそが根源的で、物質は精神の働きから派生した」と、みるという考えを信奉するかの違いである。「唯心論」か、「唯物論」かの二極的な思考はおいて置き、人の生き方や望みは個々でちがってはいても、多くの人間に共通するものは、大きく分けて以下の3つに限定される。

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    ・普通の暮らしでいい。できれば多少なりゆとりがあり、将来の不安なく日々を過ごせ、子どもに恵まれるなら人並みの教育を受けさせ、真っすぐに成長して欲しい。

    ・伸び伸びと物事を考え、言いたいことは率直に述べ、人の言う事にも素直に耳を傾けるが、上司や周囲や世間に気兼ねすることなく暮らしたい。

    ・自らの力には及ばない不時の災害や事故に遭遇することなく、国家間の破壊的な戦争に巻き込まれることなく、安心して一生を終わりたい。

    他にもいろいろ挙げられるが、大体がこの3つの延長戦にあるとみてよい。こんな欲のない素朴な考えについて、「そんなささやかなものでいいのか?自分はそんなでは満足できない」という人もいよう。少し前ならこんなことは、「小市民的自己満足」と一笑に臥されたかも知れない。が、よくよく考えてみれば、現世でこの3つを叶えることがどれほど難しいか…?


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  • 10/14/17--02:59: 異質と同質 ②
  • 異質とは字のごとく異なった性質のことを言うが、似たような意味では、不適応 ・ 肌合いが違う ・ 呼吸が合わない ・ 水と油 ・ 性に合わない ・ 違和感がある ・ なじめない ・ とけ込めない ・ そぐわないなどが連想される言葉。「異質な人」という言い方がされるが、どういう人が、「異質」なのか?上記した、「肌が合わない」、「性に合わない」は個人の主観である。

    人を、「異質」と言ったところで、性質が違う他人は自分からみて異質である。なのにそういう言い方をする。同質は異質の対義語であるが、他人を同質とする場合、何をもって同質というのか?ちょっとばかり性格や考え方の違う人間は人の数ほど存在するし、自分の似た考え方や価値観のタイプもいるが、自分の場合、それらを同質・異質という定義に組み入れない。

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    最も異質と感じるのは異性であろう。同じ人間でありながら、性が異なるとこれほど違うのかという驚きは多だあった。にも関わらず異性を求めるのは、不思議と言うより、「異なる」ことが魅力だったりする。「このハゲーーー!」は有名になったが、女の本質を知るものは、そんな女のヒステリックな叫び声に驚くこともなかろう。政治家だからダメというのは笑止千万。

    あれを批判するのは男であって、女性はそれほど批判はしていない。他人の手前、驚いたような言い方はするだ、ああした不安定な情緒はどの女も持っているものだから…。正気の沙汰とは思えない場面は幾度もみたし、「女はまるで違う種だな」と思っている。国会内や大勢の前での発言でないし、嵌められた(録音された)部分もある。なぜにそれほど問題にする。

    清楚でしとやかな政治家や女優のSEX時の声を隠し録りして世間に公表したのと何ら変わらぬ卑劣な行為だと思っている。よって、自分は豊田議員には同情的で、公表した秘書の返報感情(仕返し)に憤る。そうまでしなくとも、さっさと辞めればいいことで、リベンジポルノと何ら変わりない行為である。あの程度の暴言・罵倒を夫に向ける妻などそこら中にいるだろう。

    国会議員だから問題というのも話を大きくおかしくするこじつけであろう。不倫をする政治家とどちらが問題ということもなく、どちらも人間の陰の部分であるが、不倫は性行為中の録音テープでも出回らない限り嘘をつき通せるが、隠し録りされた豊田議員は気の毒であった。人間は誰にも陰の部分や裏の部分がある。それ蓑で覆い隠していい子ぶっているに過ぎない。

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    陰では別人という人間も、ごく普通の人間と思っている。が、殺人者などという法や治安を乱す人間は、危険人物と考える。いじめも陰で行う卑劣な行為である。刑法犯罪に当たらないが、その精神的圧迫度は相当のものがある。定義付けが難しいのと、教育現場にむやみに司法が介入すべからずというこどで、違法性としての操作は、被害者が出ない限りはなされない。

    だからいじめは不幸な結果にならなければ露呈しない。司法介入前に教師や教委が何にもできないのは、つまらん奴らが教師をやっているからで、被害者が出た後でさえ、「いじめはなかった」とする無能教師の責任逃れにうんざりさせられる。「それはなかろう」と思うが、いじめの定義とされる項目に合致しないからという姿勢で加害者は罰せられず、被害者の一人損となる。

    社会福祉法人「いのちの電話」の斎藤友紀雄事務局長は言う。「『いじめ』は世界中で起きていますが、日本の場合、その一番大きな原因は、異質なものを認めないという精神文化に根ざしていると思う。偏差値教育や核家族化によって孤独を強いられた子どもたちは、必死に自分の居場所を求めるのですが、性格や能力が集団と調和しない子は、集団から排除されてしまう。

    つまり、村意識が働いて、村八分にされてしまうのです」。ここにいう異質が何を指すのかの想像は可能だが、どこか違う、何が違うというのは、苛立つ人間の決めつけでしかない。ほんのちょっとの違いを、「普通とは違う」などと意地の悪い誰かの決めつけに呼応する害悪集団である。寄って集って問題にするから、被害者が生まれ、継続するからいじめとなる。

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    単一民族的な日本人は同調圧力が強いがゆえに異質や異端を嫌う傾向があるのは、斎藤氏の指摘にもある。情緒が未熟で適応障害といえるのは、むしろいじめ加担側ではないか。それを正すことをせず、被害者に指導するばかりで何のいじめ解消であろう。いじめ側の家庭環境から生まれた情緒の改善を教師が担うのは酷であろうが、事は学校内で起こることだ。

    小中校時代の多感期に異質と見える人物はいた。だからといって、それが彼であり彼女であり、寄って集っていじめる必要はなかった。なぜに昨今は集団で個人攻撃をするのだろうか?これについて、いじめる側の家庭環境やに情緒欠落という問題がいわれている。家庭環境に問題ありということは、率直にいえば親の責任である。悪口好きな親がいる環境かも知れない。

    異質が自然であって、同質は稀有とすべきだが、異質、異端、変人などと騒ぐ人間の心の狭さと言うしかない。アメリカでは "different" は褒め言葉である。日常会話でも、"He is different." といえば誉め言葉でしかない。これを世界に印象づけたのは、1997年、スティーブ・ジョブズが再登板したアップル社が制作した一連のコマーシャル "Think Different" シリーズだ。

    以来、イノベーションの基本原理は "What's New" から、 "What's Different" に転換したとさえ言われるようになった。 日本では、「ちょっと違うんじゃない?」は否定的な捉え方だが、アメリカで "different" はネガティブな意味ではまず使われない。面と向って "It's so different" とか、"You are different" と言われたら、褒められたことになる。


    が、情緒未熟な子どもたちにとって額面通りには受け入れられない。やはり、仲間集団の中で人と違っていると、時に居心地の悪さを感じたりもする。髪型や服装から、学校に持って行くお弁当にいたるまで。肌の色や髪や目の色の違いも、移民の国でもあり、言葉の外国アクセントさえも気になる。病気で心身に不自由を抱えている子は、それとて気になるはずだ。

    そんな子どもたちに、「違ってても平気!」と語りかける絵本が、Todd Parr著になる、"It's Okay To Be Different"である。アメリカ人の凄いところは、子どもに対して誠実に向き合うところ。子どもを見くびって、大人の論理で都合よく誤魔化したり、偽ったりしない。ありのまま、あるがままを、率直に肯定して行こうとするから、あとで修正を余儀なくされることがない。

    それらは、「It,s okay to have different moms.(異母)」や、「It,s okay to be adopted.(養子)」などの言葉にも現れている。幼児期から「異」に対して偏見を排し、肯定して行くと、「異母だからどこが悪い?」、「養子がなぜいけないんだ?」という考えが自然に身につくことになる。日本だとできる限り隠そうとするから、露わになった時に不自然な違和感を抱く。

    日本人が読むと、あまりの率直な記述に驚くばかりだが、人種のるつぼたるアメリカにおいては、「みんな違って、みんないい!」と認めてくれる社会である。7つの色が混じって光の色になるように、である。他人を卑下して自分を高めようとする人は、そうでもしなければ他者から認められないということだから、バカのやることであるのに気づいていない。

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    「うちはブスだから」という女の子は、それで卑屈でなければむしろ良い性格であることが多かった。「お前のせいじゃない。努力でどうにもならないことは気にしない、卑屈にならない」などと言ったりしたが、「うちはデブだから」という子には違う言い方をした。デブは自己責任だから、「ポテチ止めたら?」、「デブが嫌なら努力しろ」などと辛辣な言い方をした。

    外観というのは一目だが、内面の異質を知るまでに時間を要すことになる。人は異質を排除するのか、異質に惹かれるのかについて2つの考えがある。心理学者のユングは人間の外的側面をペルソナ(仮面)と呼んだ。周囲に適応するあまり硬い仮面を被ってしまう場合、あるいは逆に仮面を被らないことにより自身や周囲を苦しめる場合などがあるが、これがペルソナである。

    その逆の内的世界に対する側面について、男性的側面をアニマといい、女性的側面をアニムスと名付けた。男にとってペルソナは男らしさの表現となるが、内的心象はこれとは対照的に女性的である場合がある。これをアニマという。女性の場合ペルソナは、女性的な側面で表現される。しかし、内的心象は男性である場合があり、これがアニムスということになる。

    元はどちらか?ペルソナか、アニマ(アニムス)か、ユングは明記していない。車のハンドルを持つと人が変わるというが、それが本質かも。ペルソナを元型でないとする学者はその理由として、ユングは人類の集合的な心(社会的慣習や伝統的な精神など)から各人が切り取ったものをペルソナと名づけたのであり、集合的無意識そのものを指すわけではないという解釈による。

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    しかるにペルソナとシャドウ(影)は、補いあう性質とユング派では考えている。人間が異質のものに惹かれるのは、そのためと言えば納得もいく。豊田議員の例でいえば、彼女は厳格な家庭で育った。他にも厳格なルールで生きてきた神父であれ、人間だから性欲もあるし、悪い感情も持つ。それらを自制心で我慢して生きる人は、抑制した性欲や悪い感情が影となる。

    そうした心理状態が自由奔放な人に惹かれてしまうことはある。人間は、「相補性」を持つ傾向がある。真面目でひたむきな女性が、どうにもならない荒くれ男に惹かれるように…。本質的に遊び人の男が、清楚で真面目な女に惹かれるように…。類似性も相補性も、人間が無意識に好きになってしまう要素のひとつであり、心理学的な恋愛法則とされている。


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  • 10/15/17--17:45: 異質と同質 ③
  • 童謡『赤い靴』は今聴いても寂しく陰鬱な感じだが、子どもの頃には怖い歌だったのは、"異人さんにつれられて行っちゃった"という歌詞の部分。最初は、"いいじんさん"かと思っていたら、"いじんさん"のようで、"いじんさん"の意味も分からず、誰かに聞いたこともなく、ただ歌詞どおりに歌っていたし、子どもはオウムや九官鳥のようにただ真似をするだけ…

    異人さんが外国人の事だと知ったとき、あどけない子どもの頃の自分がふと過った。何かを知ったときに、知らないころ当時の自分を思い出したりするが、そういう時に成長の証しを感じることになる。自分も他人もまだ知らない未知の自分は今なお存在するし、知らない自分には可能性が眠っていることになる。「可能性」、「潜在能力的な自分」は永遠かも知らない。


    自分について時々思うのは、「自分は知らないが、他人には分かっている自分」というもので、それを他人の口から聞くのは嫌いではないし、「他人が知る、知らない自分」を知ることは何とも新鮮ではないだろうか。つまり、人からそう見える自分の一面というのは、自覚していなくても一つの真実であり、滅多にないこういうフィードバックは大きなチャンスである。

    若い頃は、人が自分をそのように見ているのかと、驚きもし、傷つきもしたが、その頃に比べて今の自分はまるで違うが、よく言えば成長であり、悪く言えば図太くなっているのだろう。「図太い」が悪いかどうかは定かでないが、繊細で多感な頃に比べると品位に欠ける。他人が自分を、「そういうふうにも見えるんだ」、「そう感じる人もいるんだ」と肯定するのは大事である。

    「勝手に決めつけないで」とか、「分かったような事いわないで」、「あなたに私の何がわかるの」などの言い方は、怒りとして発せられるもので、嫌と言うほどきかされたが、こういう人間とは付き合わない方がよいという自分の考えである。その根拠・理由は、「自分のことは他人から教わるもの」という考えが根底にある。それほど自分は自分を見えていない。

    他人の意見を柔軟に受け入れられるかどうか、それができない人間とは上手くいかないし、だから付き合わない。謙虚さというのは意識下でなされるもので、無意識の謙虚さというのは、「柔軟性」と置き換えられる。意識下の謙虚さというのは、時に裏切られることもあるからだ。むやみに謙る人の腹の中は、傲慢さを隠すための、「なり」であったりすることが多い。

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    必要以上に謙遜する人を自分は注意するようにしている。「そこまで謙遜しなくとも…」と感じる人は、やはり不自然である。同様に、相手に対する主観を言っただけで、ムキになったりする人にも注意がいる。まあ、そんなことで腹を立てる人間とは付き合わぬ方がいい。人には誰にも長所・短所があるが、悪くいってもないのに、攻撃されたと感じる人は心が狭い。

    相手にすぐに敵対するのは、余程自分に自信がないからだろう。自分には自分と言うものを自分なりに自覚する部分はあるが、他人は他人でこちらを他人なりに自覚しているものだ。それにいちゃもんつける理由はどこにもない。が、「私には分かっているが、他人には知られたくない自分」という場合もある。それを他人が察知したからといって、罪はないわけだ。

    このように分析すると、人間には大きく四つの自分に分類される。① 「私にも他人にも分かっている自分」。別の言い方をすると公開されている自分。② 「私は知らないが、他人には分かっている自分」。これは自分には見えていない、盲点になっている自分。③ 「私には分かっているが、他人には知られていない自分」。これは隠したい自分、知られたくない自分の姿。

    ④ 「私も他人もまだ知らない、未知の自分、可能性、潜在能力的な自分」。これらの自分を人は対人関係の中で使い分けている。誰構わず自己開示するのは危険と知りつつ、それでも気を許したはいいが、揚げ足を取られたり、侮辱されたり、心を許した相手は間違っていたと後悔することもあろう。心を開く相手にしてはならぬことを平気で行う人間もいるということだ。

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    男にはないが女性との関係の中で印象的なのは、「傷ついたでしょう?ごめんなさい」という言葉をいう女。何のことはない、何でもないことを勝手に、「傷ついたでしょう?」と言われて驚く。「傷ついてなんかないよ」と返しても、言い訳や無理してると思うから、返す意味がない。相手は勝手に傷つけたと思い、それに沿って話を続けるから、まるで噛み合わない。

    感傷的な性格の女性はこんな感じである。自分が傷つく範囲は相手も同じと考え、悪く言えば相手を傷つける言葉を発し、それを、「ごめんなさい」と詫びるなどの一連の所作は、真に見事な一人芝居である。「傷ついたでしょう?」という言葉は、「傷つけてみた」と置き換えた方が分かり易い。人を蹴落として、「ごめんなさい」といい人ぶるのは女の常道か?

    男には理解できない女の習性である。男同士はハッキリと言葉を言い合うから、それに相手が傷つくとかどうとかなどは関係ない。傷つこうが傷つくまいが、「自分がお前に言いたい言葉はこれだ!」ということ。さらにいうなら、言った言葉を相手がどう受け取り、どう処理するかである。したがって、傷つく・傷つかないという情緒的なことは問題ではない。

    このように、女の話は中身その事より、傷つく・傷つかないという情緒が問題になり、男はそんなことより話の中身の受け入れ・受け入れないを問題にする。この点が大きく違う。噛み砕いていえば、どうでもいいことを問題にする女、どうでもいい事はどうでもいい事の男であろう。女は男との会話で女的に思考し、男は男的な思考で話す。噛み合わないのは必然か?

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    「傷ついたでしょう?ごめんなさい」を発せられる度に、女はこんなことが傷つくのかと、あまりのつたなさに驚くだけである。こういう母親が息子の教育に携われば、大きい心を持った男の子にはならないような気がする。余程、男の子が母親の小心さを批判しない限りにおいては…。何をおいても子育ての前提として、親が成熟することであろう。成熟とは何か?

    広い視野と、正しい物の見方、強い心ではないか?それは母親に求めるべくもないというのは傲慢であろう。誰であれ、そのような意識を持てば可能であるからだ。子どもの育て方云々の前に、親が自らの成長を図ることが大切かもしれない。自らをいい親として認識するためには、こどもにかける言葉が冷静で正しいものであるべきという自信と認識であろう。

    それらは、ダメ人間の自分には到底ないもので、学習などから身につけるしかない。ダメ人間の親が子どもを正しく導けると思う親はいないと思うが、だからといって、自分は正しいという親には閉口する。自信のなさと正しいものを摸索する態度が、親を学習へと誘わせる。昔の親に比べて現代の親はなぜ育児下手になったのか、答えは思いのほか簡単である。

    昔の親は、子どもをすくすくと育てることを良しとしたが、今の親はあれもこれも、これもあれもと欲が先行し、すくすくなどの言葉は何の価値もない。先進国社会が未熟な大人を作り、未熟な大人が親になるという図式に当てはまる。善悪は別に事実を述べれば先進国社会においては、小児にも成人にも価値観の多様化現象が現れる。あるひきこもりはこのようにいう。

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    「働かないことが価値があること」。さらには、「勤勉は無価値」、「結婚しないこと」、「家出」、「恋人よりセフレ」など、取り上げればキリがないほどに多様な価値観が存在する。そうした価値観多様化のメカニズムも分からず、現代社会はこの現象を是認する考えが支配的だが、人間形成の観点からいえば、価値観多様化現象は、人間の成熟阻害の現象ともいえる。

    働かない、結婚しない、離婚するという現象だけを見ても、その家系は絶滅する可能性が高い。現代社会に生息する人間にとって、価値観の多様化は批判できないという考えもあろう。が、それは甘えであってはいけない。多様な価値観に沿って生きるのではなく、多様な価値観から自分の信ずる価値観を絞り込み、理念や生きがいとして掲げなければ価値観に埋もれたゴミとなる。

    価値観の多様化は選択種が広がったと解するべきで、基本は「二兎追う者は一兎も得ず」だろう。最小年棋士として売り出し、29連勝の記録をたてた藤井聡太四段は、高校に進学するかしないかの選択に悩んでいるという。彼には「将棋」という絶対的な価値基準があるからいいものの、それがなければ高校~大学~就職~などの多大な価値観の中でさらに悩むはずだ。

    高校に行くべきか否かについても、かけがえのない学校生活を楽しむという価値観もあり、その時間を将棋の研鑽に費やすべきという考えもある。どちらも異なる価値観であるなら正・誤はないだろう。彼がいずれかの選択をすればいいことで、選んだことが彼の人生となる。自分の人生を誰からも強制されることなく、自身で決められる点に於いて彼は幸せかも知れない。

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  • 10/16/17--17:40: 異質と同質 ④
  • 逞しさと厚顔無恥は紙一重という。バカと天才が紙一重であるように、表裏は一体と見るのも、一つの物の見方である。厚顔無恥はまた図々しさともいうが、謙虚で控えめな人間はこういう性質の人間を異質として嫌う。確かに質は違っているし、避ける気持ちも分からぬでもないが、見習おう、取り入れようとする人間は、自身を一皮むくことになる。

    自分にないもの、足りないものを採り入れるか、避けるか、どちらがいいのかについての答えはないが、同じように図々しさと謙虚さはどちらが好まれるか、これも何とも言えないところだ。謙虚で控えめな態度は、日本では美徳とされ、出しゃばらない態度が好まれるが、欧米ではこういう姿勢は消極的でやる気のなさとされ、臆面なく自己主張をする。

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    日本人からみれば、まさに異質の欧米人である。欧米人から見れば日本人こそ異質であろう。天界から見れば地上は下界、地上から見れば天は遥か上の世界であるが如く、視点を変えれば天地もひっくり返るが、正確な視点で捉えてみるに、日本人の好む控えめな態度は、本当に謙虚な心をあらわしているのか?実はそうとも言えないのが日本人社会の実態だ。

    日本人の多くが知る日光東照宮の「三猿」とは、「見ざる・言わざる・聞かざる」とされ、世界的にも、"Three wise monkeys"として知られている。三猿のごとく、控えめで余計なことを「見ない」、「言わない」、「聞かない」のが日本社会でうまく生きにくための常道手段と考えられている。実際その人が本心では何を考えているかなどは問題ではない。

    東照宮は徳川家康を神として祀り上げた場所であり、ここに三猿をおいている理由は、「腹に一物」、「狸オヤジ」で有名な家康を美化するというのでは決してない。生前の家康にはそのようなイメージがあるが、それを後世にまで評価するなどは、あまりにも品位にかけるし、神となった家康公が静かに眠る聖なる地にふさわしくもなくなし、全く以て無礼であろう。

    東照宮の三猿は神厩舎にある。神厩舎とは、神に仕える神馬のための厩舎で、猿は馬の病気を治すとされている。三猿は、参道側に5面、西側に3面の計8面に、16匹の猿が彫られている。作者は不明だが三猿には意味があり、それぞれ個々には人間の一生が風刺されているという。つまり、人間としての正しい生き方を猿になぞらえて描かれている。

    イメージ 1①赤ん坊の時代

    母親が子どもの将来を見つめている。親は子どもの将来が実りあるものであることを祈り、また、子どもは親に愛されて成長する。




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    ②幼年期

    幼年期に悪い事は見ない、聞かない、言わない。多感な幼児期に、子どもに悪い事をさせない、聞かせない、言わない。綺麗なものだけを見て素直に育つのがよい。大人に向かって、人の悪い所ばかりを見ず、あえて聞くこともしない、悪口を言わない教えとなる。


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    ③独り立ち

    ゆっくり腰を落ち着けて、これからの人生を考える。一人座り込んだ猿の何とも言えぬ表情が印象的。しかと自分の人生を考え、独り立ちをしなければいけないということ。




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    ④青年期

    大きな志を抱いて天を仰いでいる。
    青い雲は「青雲の志」を表す。「青雲の志」とは、将来立派な人になろうとする心で、若いうちは、志を大きく持って高い所を目指しなさいということ。


    イメージ 5⑤友情と挫折

    (左) 挫折を知り、崖を覗き込む猿と(右) 崖を飛び越えようとする猿。挫折を知り、落ち込んだ時に大切なのは友人。友の支えによって立ち上がり、崖を飛び越えられる。人生を生き抜く中で、友人は大切である。

    イメージ 6⑥左:恋愛  ⑦右:結婚

    (左) 座り込み、恋愛に悩む猿
    (右) やがて結婚し、荒波を超える猿
    人生の中で恋愛に悩む時期はあるが、良い伴侶を得て結婚。眼前に「荒波」が現れるが、二人で力を合わせれば乗り越えられるということ。


    イメージ 7⑧妊娠

    小猿も母猿となり、親になることで喜びや苦悩を知る。生まれる子もやがて同じ人生を歩むことになる。そしてまた①へと繰り返されることになる。

    『見ざる聞かざる言わざる』とは子どもの将来を考えた母猿が、教育上ふさわしくないものは、見たり聞かせたり真似させたりしないというのが、この三猿の教えの本当の意味に込められている。出処は孔子の『論語』の次の言葉とされている。「礼節を欠くようなことを、見てはならない、言ってはならない、聞いてはならない、行ってはならない」。

    これらのことは中国で広く伝えられるようになり、日本には天台宗の沿うによって伝えられたとされている。「自らの品格を落とすようなものは見るな、聞くな、言うな」という自己修養の言葉が、なぜに、「自分が見たものは秘密にし、余計なことはいわない、聞いてもすっとぼけなさい」という意味にかわったのか。おそらく、「村八分」の忌避し、怖れるからと想像する。

    「人のフリ見て我がフリ直せ」、「言わぬが花」、「口は災いのもと」、「長いものには巻かれろ」などの諺に連動し、他人にあれこれ注意しても逆恨みをされるだけ、「自ら学べばいい」という日本的な価値観になったのではないか。自らの利害を顧みることなく他人のためにひと肌脱ぐというのは、一般人にはない義理・人情の世界であり、つまるところ、「侠客思想」である。

    「強きをくじき、弱きを助ける」という渡世人は見ていてカッコいいが、これは定宿を持たぬ股旅人であるがゆえにできることで、狭い共同体社会にあって、他人のために入らぬ尽力をすれば、村八分の憂き目に合ってその場に住めなくなる。寄って集って相手を中傷し、排除するという、個人主義社会と違った集団型「村八分」思考が、日本人のいじめの原型にある。

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    他人の相談事の中で、職場や近隣といったコミュニティ内での悩みなどがあるが、これを他の場所に居住する他人に相談したところで、他人はこともなげに、「ああしろ」、「こうしろ」と言えるが、これは旅の途中のとある村で、揉め事・諍い事を解決して去っていく渡世人と同じ状況である。つまり、その場にいないからできるたり、言えたりは、相談の本質的解決とはならない。

    このことに気づいた自分は、むやみに他人の相談事に安易なことは言わぬように努めた。人間関係の全くない他人が、他人の人間関係の中での正しい解決法や答えなど出せるハズがない。どうしても、という場合には、「そこでの人間関係が壊れてもいいんですか?」と先ずは伺う。人間関係より、「正義」を優先する自分ならではの解決法であり、それなら解決は可能だ。

    なぜにいじめが発生し、なぜにいじめに加担するのかについて、自分の経験も踏まえてあれこれ思考するに、大きく立ちはだかるのは親の存在感である。障害者の子どもを振り返ってみる我が子を引っぱたく親の話があるように、世の中において、一般的に「異」とされるものに対する親の真摯でリベラルな考えが、子どもに大きく影響し寄与すると考えている。

    子どもを生み育てることは、その子どもの健康を願い、その子なりの幸福を見つけ、目的とするのが正しいのであって、親たちの何らかの目的を実現するための道具であるべきではない。他人の価値観に頼って生きる人は、自らの意志で乞食になった人より不幸であろう。戦後、日本経済が復興を目指し、高度成長を遂げるにともない、家庭環境がどんどん悪化して行った。

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    「一億総中流意識」のプラカードを掲げた人間は、自尊心や自負心が他人と張り合うことで同調圧力が自然に芽生えていった。隣家がテレビ買うなら我が家もテレビ、洗濯機を買ったと聞けば、負けてなるかと追従する。さらには冷蔵庫…、これを三種の神器といわれた。やがてマイカーに海外旅行と発展していく。ここでいう発展とは、「張り合い」のこと。

    今では何でもないことが、高度経済成長当時にあってはいささか異常であったかも知れない。それ以前のご近所内外による、「張り合い合戦」のなかった時代を正常とするなら、なぜ、あの時代の人たちは目くじら立てた張り合うことをしなかったのかについて、「足るを知る」という自覚と、「贅沢は敵だ!」という言葉で、生活が派手にならぬよう戒めていたからではないか。

    親が周囲の何かと逐一張り合うようだと、そのことが子どもに伝染し、子どもは「和」することより、敵愾心をむき出しにした排除思想に向かうのではないか?あくまでこれは自分の想像である。いじめをする子どもの原因が家庭にあるならとし、そうした家庭の中でいじめっ子がなぜに生まれるかについて、あれこれ思考した時に、原因として考えられる推論である。

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    限りある身の力ためさん。と続くこの言葉は、江戸時代前期の陽明学者熊沢蕃山のされている。中江藤樹門下にて陽明学を学ぶも、陽明学に傾倒していた岡山藩主池田光政に招かれ、藩政確立に取り組んだ。零細農民の救済、治山・治水等の土木事業により土砂災害を軽減し、農業政策を充実させた。しかし、大胆な藩政の改革は守旧派の家老らとの対立をもたらした。

    ばかりか、幕府が官学とする朱子学と対立する陽明学者であったために、蕃山は保科正之・林羅山らの批判を受けた。著書『大学或問(わくもん)』で幕政を批判したことで、69歳の高齢にもかかわらず幕命により、松平信之の嫡子である下総国古河藩主・松平忠之に預けられ、城内の竜崎頼政廓に幽閉された。元禄4年(1691年)反骨の儒者は病を得て古河城にてその生涯を終える。

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    そんな境遇のなか、表題の句は、「辛いことが我が身に降りかかるというなら、いくらでも降りかかるがよい。自分の力を試してやる」と、己を奮い立たせる気持ちが表れている。報道に、「いじめ」の文字が堪えない。こういう気概を今の子どもたちに教えられないだろうか?教えられないなら、なぜだ?いじめなんかに耐え抜いてやろうと、たかだかいじめじゃないかと思われてならない。

    近年は、家で飼う犬や猫を家畜と言わずペットという。家畜とは人間が飼育して利用する獣類をいい、犬・牛・羊・やぎ・馬・豚・兎などがいる。ペットとは、愛玩動物のことで、英語ではコンパニオンアニマル(companion animal)などと呼ばれるが、これに人間の子どもが加えられる時代であろう。「家畜化(ペット化)する子どもたち」、そんな風に言ってみる。

    大切なペットは見れば分かる。主人に服を着せられた犬などに感じられる。高度成長期後に、子どもを着せ替え人形にして自己満足する親が出現したが、その数は減ることはなかった。大量のブランド服や靴を、アイドルのように着飾らせる親の気持ちは分からなくもないが、肝心なことが抜けている。彼らは服は着れるが、服を脱いで畳むといった行為ができない。

    服は着るもので、脱いで畳むのは親の仕事と思うからで、だからその必要がない。もっとひどいのは、親が服を着せるこどもは自分でボタンが嵌められない。ボタンは親が止めるものだと思っているから、その必要はない。このように、親が「〇〇思っている」ことで、子どもの仕事はどんどん減っている。これが現代の家庭教育なら、昔人間は閉口するばかり。

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    ペットの犬が服を脱いだり畳まないと同様、人間もその必要がないと親が思えば、その子はそうなる。それでいいじゃないか、人の子どもだ。自分はこうした多くのこと問題意識を持つし、疑問を抱けば分析もする。それらを社会学とみなすから、分析は楽しいが、それらは批判とは別だ。自分自身のために批判はするが、他人に言って分からせる必要はない。

    と思うようになった。どこの親がその子に何をしようが、他人が口出しする理由はどこにもない。と、考えるようになった。なぜなら、自分の言行が正しいと思うことが傲慢であるからだ。子どもに限らない。いい大人がつまらんことをいい、つまらんことをするが、自分も他人から見ればつまらんことをしている。それほどに自分が自分を律してはいない。

    人に見本になる事も、なりたいとも思わないただの自由主義者である。だから、他人も自由であればいい。何かをいう権限も立場も今はない。そういう立場にあれば理念を他人に口述するだろうが、現在は考えを勝手に記述するという立場を守っている。他人と話せば話は耳に入るが、自分の価値観は言わない。他人のブログを見てもその内容に口を開くこともない。

    が、自分なりに分析をして楽しむ。親子関係や夫婦関係、嫁と姑や兄弟などの諍い事も目にするが、高見の見物だ。自分には関係がない。自分の人間関係、夫婦関係、親子関係が他人に関係ないようにである。が、分析と社会学的考察はする。ブログには面白い記述が散見されるが、内容は個々の思いの発露だからいいが、記法について、「?」と思えば分析する。

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                    わたしが宜保愛子です。嫁からすれば義母の宜保でしょうね。


    なぜ、そのような記法をするのか、と言う背景について考える。かれこれ15年くらいまえだが、姑を、「義母ちゃん」と呼ぶ知人がいた。知人と言っても単に、「知る人」で親しくはない。彼女の「義母ちゃん」を煩わしく感じた自分は、「"ちゃん"はいらんだろう義母で通じるし、必要ないのでは?」と言うと、「可愛いでしょう」と返す。幼児の我が子を「〇〇ちゃん」という。

    が、幼児が中高生になれば、「〇〇ちゃん」とは言わんだろう。呼びたくとも、意識して、「ちゃん」は取るべきで、子べったりな親では友達の手前、恥をかかせることになる。親自身の成長の問題だ。「義母ちゃん」の呼称を、「可愛いでしょう」と言われた自分は、「それは問うてるのか?」と返すと、「うん」と言う。「いちいち人に聞くのはいいが、その問いには答えない」と言った。

    「なんで?」と問うので、「そんなことは人に聞かず、自分で判断しろよ」と突っ返しておく。「ガキじゃあるまいし、いちいち人の判断を仰ぐな」という言葉を投げかけないでいた。言わない理由は、人の意見を素直に聞く相手には見えず、屁理屈を聞かされるのを拒否したからだ。こういう場合に、「沈黙は金」となる。くだらん言い訳など聞くだけ耳が錆びれる。

    明晰な女なら他人から、「義母ちゃん」の是非を指摘されただけで自問し、自答するが、バカに念仏は無用である。同じようにネットにも姑の呼称はさまざまあるが、普通に、「姑」と書けないもどかしさと分析するが、それで言い得たも同然だろう。妻は姑にあれほどイビられながら、誰に対しても、「おかあさん」であった。漢字で書けば、「お義母さん」となるが、言葉は音で響く。

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                                わたしはオットと申します。


    たまに、「姑さん」という場合は、実母との混同を避けるときの呼称。一方、姑は妻を、「よめ」といい、さん付けはない。「よめ」は、「嫁」であって、「ヨメ」ではない。近年は、「夫」を、「オット」と表記する。「なぜ」の分析はするが、女の無思慮を批判しない。他人の妻の夫がどのように捉えようが、個人的に不快な印象は抱かないが、「気持ち悪い」、「不愉快」を公言する人もいる。

    とある女性エッセイストがカタカナ表記を流行らせたと書いたが、以下はある女性が、「カタカナ表記」についての記述である。「私が初めて"オット"を目にしたのは、林真理子さんのコラムでした。林さんは社会的にも経済的にも自立した方なので、配偶者をあえて第三者の目から見たような音だけのカタカナ表記の、「オット」は妙にしっくりきていると思いました。

    母、妻という血縁関係でありながら、息子や夫を客観視してますよーと強調したい方が好んで使うのかなと思います。字に意味を持たないカタカナ表記は漢字と違い、あっさり感が出ますよね。例えばこんな感じで。『40歳の私、誰か結婚して!』⇒『40歳のワタシ、誰かケッコンして!』」。字に意味を持たせないあっさり感を女が好む理由は、別の含みがあると感じる。

    「40歳の私、誰か結婚して!」より、「40歳のワタシ、誰かケッコンして!」。この表記のあっさり感が何なのか、男の自分には理解不能であり、それよりもあっさり感の必要性すらも分からない。40女が、「結婚して」の表記は、切実すぎるし、みっともないので、意味を持たせぬカタカナ使用であっさり感を求めるというなら、女が得意とするごまかし、逃げであろう。

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    社外文書や私信の類は辞書を片手に漢字を多用した頃が懐かしくも思い出される。読み手に文章をスムーズに理解してもらうためであり、それが漢字の効用であろう。実際問題、漢字の少ない文章は読みにくいばかりか、即座に意味を感じ取りにくい。「じせつはあきとはもうせ、ときおりざんしょもかんじられるこのごろですが…」。これを真っ当な文章というだろうか。

    こんな記述はふざけて書かない限りあり得ない。「時節は秋とは申せ」の方がどれだけ読みやすいかである。例えば、「散歩帰りに夫と喫茶店に寄って来た」と書けばいいものを、「サンポがえりにオットとカフェにヨってきた」は一見難読である。こういう女性の心理分析をすれば、自己に自信なき者が人と違ったもの(この場合は表記)を持つことで、独自性を主張する。

    文の意味の伝え方よりも、カレシ、ワタシ、コドモ、オット、ムスコ、ムスメ、オトコ、オンナなどのカタカナ表記多用する女性エッセイストが、他の作家との違いを意識してであろうが、所詮は自己顕示欲と才能のなさをかわすために、「軽妙で洒脱な文章」という自己満足的な感じしか伝わってこない。これは女性の情緒の深層理解などに興味のない男の感じ方。

    80年代の女性エッセイブームにあやかってか、昭和臭がプンプン伝わってくる。「二十歳の女です」。「ハタチのオンナです」。「はたちのおんなです」。これらの表記の意味は同じだが、文章の雰囲気を変えようと作為する。「夫」を、「オット」とするのも無機質を狙ったがゆえの表記であり、つまるところ、「私の生活の中にあるこの夫という物体」的なニュアンスを醸したい心理かと…。

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    林真理子の本など一冊たりと読んだこともないが、彼女に関する記憶は社会問題になった、「アグネス論争」である。30年も前のことでもあり、嫉妬混じりの不毛な論争と無視していたので当時の明確な記憶はないが、アグネス・チャンによる、「子連れ出勤」の是非論争であった。Wikiによると、1987年、歌手でタレントのアグネス・チャンが第1子を出産した。

    彼女は出産直後から乳児を連れて、テレビ番組の収録スタジオにやってきたことがマスコミに取り上げられると、それに噛みついた林真理子、中野翠らのハイミスらがこぞって、「大人の世界に子供を入れるな」、「周囲の迷惑を考えていない」、「プロとして甘えている」などと痛烈に批判した。母親としての行為をアカの他人が、なぜにこうまで批判をするのか?

    これら、アイドルに対するブサイク女の醜い僻み根性と感じていたが、アグネス側には列記とした事情があった。当時12本のレギュラー・準レギュラー番組を抱えた彼女は局側から、「早く復帰してくれ。子供を連れてきてもいい」などと説得され、不安に思いつつ職場に復帰したというのが真相だったという。となると、林らの言い分は勝手な邪推ということになる。

    この論争には対してフェミニストで社会学者の上野千鶴子は、『朝日新聞』紙上において、「働く母親の背中には必ず子どもがいるもの」と発言してアグネスを擁護した。人気のアグネスにテレビ局側の要請があったという事実も知らず、甘いだの、周囲に迷惑をかけているだのと、無知蒙昧と僻み根性丸出しの林の言い分は、まったのお門違いの感情論であった。

    局側の要請という事情を知らぬ林らは、本来なら非礼発言を謝罪すべきであったが、2013年発刊の著書『野心のすすめ』の中で林は、「アグネスさんの『子どもを連れて行ったことで、職場の雰囲気がなごやかになりました』発言はいくらなんでも鈍感すぎるのではないか。自分が子どもを持った今でも当時と同じことを思います』と、30年を経ても噛みついている。

    「そういう事情か…」という理性で鉾を収めることをしなかった林の卑屈な性格は、子をもった後にも直らない。彼女が振り上げた拳を下せなかったのは、直木賞作家でありながらも、結婚願望の強いブサイク女との扱いで、メディアからアンフェアなバッシングを受けたとの理由があったにせよ、感情論で対峙するからしっぺ返しを食らったことに気づいていない。

    30年後に及んでもアグネスを貶す林に対し、林のことなど口にすら出さないばかりか、非難すら口にしないアグネスは当時について、「これまで生きた中で一番つらかったアグネス論争」と振り返るも、「あれが自分を強くさせた」と捉えている。アグネスのターゲットは林真理子という個人ではなく、子を持つ母親が仕事ができる環境作りという彼岸に向いている。

    林が中学時代に壮絶ないじめ体験を受けたことはファンの誰もが知る話で、ファンでない自分も耳にした。当時クラスでは、「林真理子を百回泣かせる会」というのが作られ、画鋲を持った手を無理やり握らされたり、プールに突き落とされたりしたというが、彼女はそれらを我慢して耐えたという以前に、「彼らは私のことがすくなんだ…」と信じて疑わなかったという。

    真実は彼女にしか分からない話だが、本質的マゾ傾向人間ならともかく、にわかに信じがたい話である。社会人になってもひどい仕打ちを受けたというが、以下の話はあまりに残酷だ。自分はブサイクな人間の出しゃばらない奥床しい性格に強く惹かれるところがあるが、ブサイクであることで卑屈に歪んだ性格の持ち主も少なくなく、そこはキチンと色分けしている。

    自分がいじめられたなら他人を攻撃しないというならともかく、勝手な判断からアグネスを揶揄し、中傷しまくった林は自分のセオリーから逸脱した人間である。ただし、人は己のハンディをむしろ拠り所にして頑張れるもので、彼女のその点は認めている。プロゴルファーの不動裕理もゴルフには集中できたが、優勝してもインタビューを嫌い、人前を避ける性格となった。

    彼女のファンは、ブスでもいいからもっと性格や表情を豊かにすれば人気もでように…というが、そうもできない彼女である。その点、屈託のないブスは人から愛されるようだ。男でも三枚目に徹することでしがらみが取れ、違和感がないから好まれるのと同じ事だろう。ブスを引きずる女とそうでない女の差はまさに世界を変えるばかりか、人生を好転させることになる。

    自分は容姿に悩む女には、「あっけらかんとブスだと認めた方がいいよ。そういう女には美人以上の魅力が備わる」などといったが、多くのブサイク女は、どうしても自分は綺麗と思いたい、ブスとは認めたくないところがある。だから、中途半端、どっちつかずの曖昧な人間となる。卑屈や負け惜しみでなく、「ブスでよかった」と思えるブスは強いということだ。

    「同情はよくない。なぜなら同情は本来なら滅びるはずの弱者を救う。これは、自然淘汰の原則に反する。同情によって下等な種が生き残ってしまうのは、よくない」とニーチェは言うが、ブスに同情しても彼女のためにならない。男はよく、「ブスは消えてなくなりやがれ!」というが、人は動物であり、飾って眺めるだけの静物ではない。「動」に振る舞えばいいのよ。

    芸能人で人気のあるブスやデブはみんな「動」ではないか。美人は「静」でも観賞できるが、ブサイクは「アクティブ」に果敢に生きるべし。日本人の他人への同情心を美徳として生きていくしかない下等な種であり、これは決して「個」の尊重とは言えないもの。ブスをブスじゃないというより、ブスをブスとして認め、素敵であると感じるのが尊重である。

    そのためにブスは卑屈にならず、明るく振る舞うことが求められる。芸能人にはそうしたいい見本がたくさんいるし、一念発起で大いに真似たらよいし、暗くて僻みっぽくて人を避けるブスを目指してはならない。どんな美女にも聞けばコンプレックスはあるようだが、それは自分の理想とするものへのコンプレックスだから、永遠に解消しないものであろう。

    ブスのコンピレックスは「恨み」とならないものであること。なぜなら、「恨み」は自分を消耗させるだけだから。美女に同情されたブスは、「あなたが美人だからそんなことが言えるのよ」と言われる。だから、かえって卑屈になる同情はすべきでない。人を励ます人は、しばしば人を励ます自分に酔うという罪を犯す。だから、「頑張れ!」という上目線はよくない。

    声をかけるなら、「一緒に頑張ろう!」、「おれも頑張る!お前もな!」でいい。英語にジョイナスという言葉がある。ジョイナス(join us)は、「一緒にやっていこうぜ!」という仲間意識への掛け声である。「私、あなたのことが好きよ。あなたは自分にないものイッパイ持ってて…」昔、ブスな子が美人の子にこう言われたと感激していた。確かに、性格が伝わる。

    現代の多くの人は、「経済的・能率的」を一義に考えて行動する。端的にいえば、「労少なくして、効多くする」ということだろう。が、労少なくに重点をおき過ぎると、実現すべき目標を無意識にレベルダウンさせているかも知れない。効率的な考え方は体以上に頭を使うことだ。「憂き事の尚この上に積もれかし」を怖れず、跳ね返す能力を身につける。

    そのためには、「労多くして」を厭わぬ姿勢が大事というのが自分の経験則。「楽をして」という考えは排除すべしである。「楽を戒めるためには楽をしないようにする」などはいかにも見え透いた嘘。自己啓発法はいろいろあるが、自分の場合は3つの禁句を掲げて遵守した。①忙しい、②疲れた、③面倒くさい。この言葉を意地でも言わぬよう自らに心掛けた。

    すると、①忙しいことなどない、②疲れない、③面倒なことなどない。 そういう風になった。とはいっても決して無理をすることではない。無理をせぬからと、自分を甘やかすことでもない。意識とは適合な加減とバランスの上に成り立つ。自分の視るところによる自分というのは、自由主義者であり、楽天主義者であり、したがって、比較的楽観主義者である。

    自分に無理なことをしない。したくない。だから、基本的に物事を楽しみながら行う。それならば、ついつい無理をすることも悦びの延長である。人間は嫌々無理をするより、愉しんでする無理の方が疲れない。また愉しい事は時間を割いてでも行う。よって、「忙しい・疲れた・面倒くさい」は、意識することなくすべてがセットとして簡単に解消される。

    楽天主義は、心身の健康にも社会の健康にも資するだけでなく、悲観論者なら不可能と見なすだろう目的を達成しようという気分にさせる。また、楽天的な気分は、人を益々楽天的にさせる。なぜなら、楽天的な人は悲観をしない。いつも上手く行くと言うわけではないが、楽天家の根本には、「自信」の二文字がある。上手くいくというのを信じ、簡単に諦めない。

    しかるに楽観とは、忍耐と密接な関係がある。前者があって後者がある。なぜなら、楽天的でなければ忍耐する者などいない。多くの科学者が悲観的であったなら、数千回もの実験を経て新薬や、新技術の発見などあり得ない。さらに楽天家は企画性に長けている。悲観的に始めた企画が成功した試しはなく、悲観論者はその意味で正攻法など持っていない。

    「憂き事の尚この上に積もれかし、限りある身の力ためさん」。この言葉は楽観主義者ならではである。辛いことなど怖れることもない。来るなら来い、どんどん来る方が自分を試される。楽観論者は何をも苦にしない挑戦者である。それが、非観者と対照的と言われるゆえんだ。子どもが楽天的であるのも怖れを知らぬからで、大人が怖れを教える必要がどこにあろう。


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    >多くの科学者が悲観的であったなら、数千回もの実験を経て新薬や、新技術の発見などあり得ない。

    2014年ノーベル物理学賞を授与された天野浩名古屋大学大学院工学研究科教授は、中学生までは勉強嫌いだったという。そんな天野氏を変えたのは、高校時代の朝礼で、校長が紹介した一篇の和歌であった。それが、「憂き事の尚この上に積もれかし~」だという。自分はこの句を熊沢蕃山が詠じたとばかり思っていたが、新渡戸稲造は山中鹿之助と記している。

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    山中鹿之助は、戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の武将で、尼子氏の家臣。本名は幸盛といい、鹿介、鹿之介、鹿之助、鹿助などの通称で知られている。鹿之助は尼子十勇士の一人で、主家再興の為に苦心惨澹の日々を強いられ、苦境に立つ毎に己を奮起させる為に歌ったと伝わるが、熊沢蕃山よりも百年前の時代の人でもあり、こちらが正しいのかも…

    ともかく天野氏はこの言葉に感じ入り、とにかく勉強をしてみようと発起、名古屋大学工学部に入学する。その後をこう記している。「大学に入っても、何のために勉強するのかしばらくは分かりませんでした。ある日序論の講義の中で、先生が「工」という字は、人(一)と人(一)をつなぐ学問だよと言われ、勉強は人の役に立つためにするということを初めて実感しました」。

    ノーベル物理学賞受賞となった業績は、「青色LEDに必要な高品質結晶創製技術の発明」とされているが、天野は実験を1500回は失敗したというが、それでも続けた理由を、「実験自体がものすごく楽しかったんですよ。何でも自分でできるから。学部の3年生までは座学で、単に知識を詰め込んだり、既に分かっていることを二番煎じで教えてもらったりするだけでした。」

    天野は人生第一の目的にしているのが、「気楽に生きる」であるという。そんな天野が真剣に悩み考えたのが博士号取得のための大学院進学であった。その時のことをこう述べている。「わたしは長男なんですね。長男だから、実家の家計を守らなければいけない、あるいは、研究の成果も何にも出ていないのに本当にどうしようかと、ものすごく悩んだんですけれども。

    イメージ 2最終的には、アメリカの起業家の例にもあるように、おそらく本当に人間が創造力を発揮できるというのは、若い頃だけなんですね。だからそのときに考えたのは、「自分が人生をかけるのはこれが最後かもしれない! だからどうしても研究を続けたい!」と思ったんですね。当時の自分を知っている人は、絶対にそんなことは考えられないと思いますね。

    でもどういうわけか、そのときだけは研究を続けたいと思ったんですね。幸いにして、ドクターに入ってから奨学金を受けられるということが分かり、研究を続けることができました」。「気楽に生きる」を座右の銘にするくらいだから、それほど思い詰める自分を誰もが驚くだろうと…。彼が楽天主義者であることが、失敗を重ねてもへこたれなかったことになる。

    同じようなことはAppleの創始者であるスティーブ・ジョブズにも言える。ジョブズは偉大なる楽観主義者として人々の記憶に残っているが、同時に彼は信じられないくらい注文の多い人で、強い猜疑心を持つ人間でもあった。彼は物事に満足せず、妥協せず、提示された平凡なアイディアを突き返したりもした。ジョブズは簡単に納得することはなかったが、素晴らしい未来を信じていた。

    未来が良くなると信じながらも、常に疑いの目を絶やさず養うことが、良い未来を切り開く力になるのかも知れない。Appleが窮地に立たされていた頃、もはやAppleMicrosoftに勝利するのはあり得ない、誰もがそう思っていたが、ジョブズはこういった。「AppleMicrosoftに勝つ必要はないし、そもそも戦う必要もない。Appleがどういう会社なのかを思い出せばいいことだ。」

    今一度、楽観主義と悲観主義について考えてみる。楽観主義とは、将来や物事の成功への希望と自信に満ちているが、悲観主義は、物事の最悪の事態を見る。または最悪の事態が起こると信じる傾向があり、将来への希望と自信に欠けるようだ。楽観主義者は夢を追い求めるが、夢を追うことを否定する悲観主義者は、一般的に良くないものだと思われている。

    異例といえる成功や、画期的な進歩を生み出す人の性質について調べたところ、"疑い深さ"と関連しており、それが、"ある程度成功した人"と"信じられない程成功した人"を決定的に分けるものであった。楽観主義VS悲観主義…、その人が未来を信じる度合いは成功を測る物差しといわれるが、もう一つ付け加える座標軸があるなら、それは「信じやすさ」と言われている。

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    信じやすい人は誠実で善人などといわれたり、疑い深い人を不満の多いや頑固な人などというが、辞書などで定義されている信じやすさとは、物事を進んで信じる姿勢を持つ、または見せる。疑い深さとは、簡単に説得されず、疑いや条件を持つ。したがって楽観主義者には、ギャンブルは勝てる、勝ち続けられる性向となるが、疑い深く悲観的な人は被害妄想が顕著となる。

    それらが、人間とは悪意を持ち、物事は良くならないと思っている。信じやすい人は物事を積極的に信じる姿勢を持つが、疑い深い人は、人から簡単には説得されないばかりか、それが強い傾向にある人は、自分の目で見た物以外は信じないとする。どちらにも長短あり、人間は思想やイズムに傾きやすいが、大事なのはバランスであろう。バランスを取るのが難しいから傾くのかも知れん。

    高校まで勉強が苦手だった天野は、「勉強は人の役に立つためにするということを初めて実感した」と気づいたという。1960年生まれの57歳の天野は苔の生えた昔人間というわけでもないが、塾とは無縁で毎日遅くまで机に向かっていたという。天野は高校受験は学区内トップの静岡県立浜松北高等学校(旧制浜松一中)ではなく、学区内ナンバー2の県立浜松西高等学校(旧制浜松二中)にした。

    大学受験は、第一回大学共通一次試験が実施されたのが1989年だから、天野はその時代の申し子である。彼は共通第1次学力試験の結果が予想を下回ったため、志望校を京都大学工学部から1ランク落とし名古屋大学工学部に変更した。そんな天野を母親はこのように評している。「あの子は何でも1ランク落として安全圏を歩くんです」。ムキにならず無理をせぬところが楽天家であろう。

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    ムキになって己に無理をし、見栄のために上の学校を目指す人は楽天的と言わない。「足るを知る」からこそ楽天である。まして、自分のためにする勉強が、「学」であるのに、「学歴」というのは人に披露するための肩書である。日本の国策の失敗が、学歴社会を作り、学歴社会はいじめや不良を生んだ。人は自分のため、世の為に学ばぬなら、学ばなくてよろしい。

    天野氏の楽観的な性格は研究室の学生に、「怒っているのを見たことがない」といわしめる。アカハラ(和製英語: academic harassment)とは、大学などの学術機関において教職員が学生や他の教職員に対して行う嫌がらせ行為をいうが、それらしばしば耳にするなか、天野のような有能かつ温厚な人物にはほっとする。職場や家庭の権力を利用したパワハラは絶対に許せない。

    権威と権力はしばしば混同されるが、率直にいえば権力とは、「いうことを聞かせる原理」であり、権威とは、「(自主的)に聞く原理」であろう。したがって、権威が失墜したところではパワハラが横行する。組織に権威は必要だが、親だから偉い、教師だから偉い、上司だから偉いというのではなく、現代のような価値観が混在する時代において、個々には人間的尊敬が求められる。

    したがって、パワハラを持ち出すような人間自体が無能である。シカと目を見定め、そんな親、そんな教師、そんな上司は見下せというのが自分の基本的な考えだ。地位や立場で尊敬を得ようなどは無能で甘い。「どんな親も親」というカビの生えた考えを捨てない限り、災いは子どもの心にまで及ぶ。子の前で親を批判すれば自分が我が子に批判されるというのはしょぼい。

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    何が善くなくて、何が善いというのを是々非々に見つめる思考が抜け落ちている。自分の母親は、「お前が嫁や孫の前で自分を批判するから、みながバカにするようになった」と言った時、「バカを止めればバカにされない。そのことに気づかぬからバカなんだよ」と言っておいたが、そんなことすら耳に入れよう、分かろうともせず、自らへの批判を他人のせいにする愚かな母。

    批判を嫌う人間の心理は簡単に説明できる。頑固で素直でないということ。つまり、批判に耳を傾けて自問自答できない人間である。彼らは、批判そのものを、「悪」と考え、感じもし、それを発する相手を、「悪者」扱いする。これは批判=悪口と混同しているだけで、根本が分かっていない。そういう人間への対処は、誰も何も言わなくなろう。つまり、裸の王様状態になる。

    批判を受け入れない人間は、他人からの善意がすべて仇になる。善かれと思って言ったことに敵愾心を持たれるのは割が合わないどころではない。「言わずとも気づく人間」を利口の最上とし、「言って気づく人間」を普通の利口とするなら、「言っても気づかぬ人間」はバカである。さらに最上のバカは、「言ったことに反感を抱いて睨み返す人間」。これは死んでも治らぬ人間をいう。

    そうした分類をキチンとしておけば、相応の対処ができようし、人間関係とは、孫子の兵法にある、「自分を知り、相手を知る」ことである。「善かれと思って言ったのに、しっぺ返しを食らった。言うんじゃなかった」という後悔は誰にもある。そうした経験や場数を踏んで、対処するのが利口であるが、批判を非難と混同する心の狭い人が多いと感じるのは、皆がムキになって生きているからだ。

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    そんなにムキにならずともよいのに…と思う自分を楽天的と感じるときで、相手によかれと思うことも、今は余計なことと口を閉ざす。「人は人、自分は自分」というのは虚無的で他人に愛のない自己中と思っていた。若い頃は、身を捨てても他人のためになどと調子こいていたが、孔子様のいう、「六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩」の域には自然、到達するものだ。


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