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谷川会長の辞任と連盟の今後

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昨日、日本将棋連盟会長谷川浩司氏の辞任会見があった。前日17日には、渦中の人物である渡辺竜王による三浦氏への謝罪があったが、先ずはこちらについて所感を述べる。渡辺の謝罪は、竜王位就位式の挨拶によるもので、"謝罪の言葉が盛り込まれていたという程度"のもの。避けて通れない問題について、避けて通れない程度の謝罪の言葉を述べたに過ぎない。

盛り上がらない就位式、三浦問題を避けては通れない必然的な言葉で、あれを謝罪と感じるものがどこかにいるだろうか?三浦九段がシロなら竜王位は返上すると言ったと伝わっているが、彼は将棋が強いだけのそこら辺の小僧と何ら変わりがないダメ人間である。謝罪というのは、率先してこそ謝罪である。どのみち竜王就位式で何か言わねば収まらない。

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だから言ったまでで、あんなのは口だけのセレモニーでしかない。「渡辺除名」、「渡辺追放」、「渡辺絶対に許せない」、などの将棋ファンが多いのも、彼の態度が事前も事後も、さらには三浦の疑惑が完全に晴れた後にも、人間性の欠片もない硬直した態度に嫌気がさした。そんな人間の将棋の強さなどどうでもいい、というファンの気持ちが除名コールになっている。

「今回の竜王就位は辞退したい」とするのが、本来取るべき筋であろう。インチキ竜王位は空位であってこそ権威である。それができない彼の、物事の本質の分からなさにファンが憤っている。渡辺の自信に満ちた告発が間違いとなった時、連盟の西尾明六段は、「告発者が間違っていた場合は、告発者が罰せられるべし」と声を上げた。彼の師匠は青野専務理事である。

渡辺批判は総務担当の片上常務理事もなされた。また、今回の騒動で、漁夫の利的挑戦者となった丸山九段も、「連盟の処置には納得できないが、選ばれた以上は全力を投じる」とした。同じ連盟棋士にあって三人の共通点は、片上(東大)、丸山(早大)、西尾は中退とはいえ東工大生命理工学部という、同大における最難関学部であった。それ以外に共通点はない。

学歴信奉というのは特にない自分だが、物事を平たく冷静に見るのは、頭脳明晰ゆえであるとの思いに至る。彼らが村の空気に染まらないで居れたのは、彼らから見た橋本八段や久保九段らの愚行に、将棋外の人間レベルを感じたからでは?連盟批判に及んだ棋士は、「誰が誰にいつ何をいうべきか」について、一定の正しさを所有していた。それでこそ明晰な頭脳所有者である。

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バカが寄って集って下した一致意見であっても、バカでない人間にとっては、到底組することはできない場合がある。したがって、社会のコントロールはバカに委ねてはならない。なぜなら、システムとかコントロールという概念に対する組織内部の、恣意的・感情的支配が今回のような形で現れる時、明晰な頭脳を以て反発せしめ、説得の必要性がでてくることになる。

バカが上に立った組織は無残である。将棋の局面を見る目と、社会全般を見る目とでは大きく異なる。将棋が強いことと、社会人として事物を正しく捉えることは別であるのが、今回の騒動の根幹である。日本将棋連盟の在り方という全体的なシステムのコントロールができず、部分的なコントロールを「正」と選択したことが、間違いの原因となり、問題を大きくした。

まさに全体をみないで部分にとらわれる非弁証法的な思考であったと言わねばならない。谷川辞任は、組織トップの引責辞任という形だが、彼自身の発言の重さが招いた失態というではなく、下部の無能な理事の御用聞きであった事が問題であった。したがって、旗振り役を先導した理事がこのまま残っていいハズがない。棋士会は理事に動議を突きつける必要がある。

どこの世界にもバカがいるのは社会の常だが、将棋連盟の実態バカ理事は谷川ではない。バカ理事を抑えられなかった谷川の責任の大きさはいうまでもない。が、バカな理事が居座るのを見逃していいものか?これは連盟所属棋士の問題だ。谷川には5歳上の兄がいることは知られている。東大卒で将棋も強く、四段時代の羽生を負かした逸話の主だ。

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その兄が連盟を強く批判した。弟だろうが身内だろうが、ダメをダメというのは間違ってはないが、「引退」とは穏やかでない。将棋界のような身内の集団による村社会に対し、異を唱えた兄の俊昭氏の意見を村の重責者は耳を傾けるべきだ。身内による辛辣な批判は苦い良薬である。谷川俊昭氏は渡辺廃業も唱えている。確かに渡辺に問題はあるが廃業には異論がある。

個人の我ままや横暴が如何にひどかろうと、組織がしっかりしていれば問題はないわけだし、自分はあくまで重責を担う役員に問題アリと考える。渡辺にはあくまで主体的な責任の取り方を求めたい。取らないものを取らせる権限は連盟にないと考える。つまり、連盟は今回の騒動の責任を率先してとるしかない。一社員に振り回される会社こそが問題であろう。

そういえば谷川俊昭氏はアマプロ棋戦において、佐藤康光四段(当時)にも、角換わり棒銀の速攻で勝利している強豪である。谷川会長は記者会見で、「理事総退陣という声があがっているようだが?」の質問に対しては、「そんな声は聴き及んでいない」と言葉を濁した。谷川会長とは一蓮托生との考えにない理事なら、連盟内から声を上げていくしかあるまい。

辞任の理由を、「このような問題が起こらぬよう、通信機器使用についての徹底を図らなかったこと。さらには体調を崩し、激務に耐えられない現状である。今回の事態でファンに大きな失望を抱かせた責任」と、三つの大きな理由を挙げたが、囲碁の総本山である、「日本棋院」のように、トップは外部から招き入れるという考えはどうやらなさそうだ。

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谷川辞任に際して三浦九段は、「このような結論になってしまったのは、とても残念です。将棋ファンのためにも、早く将棋界が正常な状態に戻ることを願っています」とのコメントを発表した。騒動の収束を願ったトップの辞任であろうが、不正を働きかけたのはむしろ渡辺である。不正にタイトルを得た渡辺に何らかのアクションがない限り、納得いく幕引きはない。

不正を弄し、真正な三浦九段との対戦を拒んだ以上は不正で得たタイトルであり、本来は失冠が当然であり、こいう場合に主宰新聞社の発言権が大きいと思われるが、どうやら渡辺を担いで三浦排除に加担した読売には、渡辺に強い発言力を持てないでいる。序列第一位の棋士という立場を利用した渡辺の一人相撲に、雑魚理事が加わった騒動である。

竜王位を一年間、「空位」にできなかった読売は、それで面子を立てたつもりだろうが、似非竜王位にこれだけ批判が集まった今となっては、騒ぎが下火になるのを待つしか手はない。かえすがえすは、「泥沼流」の称号を持つ米長永世棋聖である。彼なら、あちこちに強いリーダーシップを発揮し、このような事態にはならなかったろう。谷川優等生には分が悪すぎた。

マネージメントとは、「管理」、「経営」という意味だが、米長前会長は、「毒は薬に」との方法であれ、自身をマネージメントした。そういう人間であるからこそ、物事を客観的、合理的に見ることができる。ドラッカーという経営哲学者は、「マネージメントの役割は、組織としての仕事ぶりと成果をあげること。それを実現するためには、手にする資源を活用すべし」と言った。

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谷川は連盟の顔としては申し分なかったが、問題発生時に強い指導力を発揮する胆力もなければ資源(有能理事)もなかった。棋士は対局後に必ず感想戦を行うが、谷川も、「何をどう間違ったか」、「どこに問題があったか」は分かったハズだ。次期会長は、棋士会長の佐藤康光九段が有力のようだが、新会長におかれては西尾、片上のような空気に飲まれないクレバーさを求む。

リーダーというのは孤独である方がいい、その方が理性的でいれる。ドラッカーの言葉にいう、先ずは理論を持ち、理論を組織化するための知識を身につける必要もある。連盟は仲間自治の村社会組織だが、村の論理に迎合することなく、「和して同ぜず」で己の意志を大事にする。調和は大切だが主体性は失わない。リーダーは多数派に同調していてはダメだ。

然したる問題もなく、順風満帆時の連盟会長は谷川で良かったろうが、そういう時なら誰でもやれるだろう。別の言い方をするなら、リーダーシップの取れない谷川であったがゆえに、こういう問題が起こったということ。世の中はいつなんどき何が起こるかわからない。危機管理能力という点においても、リーダーは穏健な人格者であるだけでは務まらない。

退く者に鞭打つ気は毛頭ないが、谷川は生徒会長のようであった。大山や米長は他の理事と同席しても、「会長」の威厳はあったが、谷川には会長としての職はあれど、組織の顔としての威風は見えなかった。一切が合議によって決める、そういうスタンスのように感じた。いい面もあるが、悪い面もある。それが如実に表れた今回の騒動で、谷川は晩節を汚してしまった。

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少女自殺。「楽しいままで終わりたい」 ②

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「楽しいままで終わりたい」と遺書に記して自殺した少女について、様々な解釈がなされているが、答えの判別しない問題に種々の考えがあっていい。「人生を全く楽しそうに過ごしていない親の姿を見て、これ以上生きる意味ないと思ったから自殺したのでは…」という解釈にはちょいとビックリした。楽しそうに過ごしていない親の生活に影響されるとも思えない。

ま、他人様の考えはいいとして、「死」は楽しいことではないと思うが、少女にとって死はどれほどの問題だったのか?辛く、苦しいから死ぬ人にとって、辛い、苦しいからの逃避であろう。が、「死」そのものが辛く、苦しいことではないというのも分からない。言葉を変えれば、「死ぬ=つまらない」のはずだが、辛い、苦しいが、「つまらない」を上回るのか。

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これも、「耐性」の問題だろう。死ぬほど辛い、死ぬほど苦しいことがこの世にあるのだ。少年少女にはいじめによる自殺が多いが、死ぬほど辛いいじめというのが、またよくわからないが、自分に分からないだけで、自殺者にはあるということ。「ある」の理由は、自らがいじめを回避する方法(代案)が見つからない。いじめは辛いが、死ぬというのも大変なハズ。

それほど大変な死を簡単(かどうかは分からないが)に実行してしまう人にとっては、死ぬことは大変な問題ではないのだろう。そう思わなければ自殺の理解は難しい。「命を大切にしましょう」と、これも小学校レベルの標語である。そんなこと言われなくとも、標語にするまでもない当たり前の事だが、当たり前を超える行為は、特異と言わざるを得ない。

やはり自殺は特異な事象である。自殺者にとって、「命の大切」どの程度当たり前なのかよく分からない。自殺者がどの程度、「命の大切さ」を感じていたのか聞いてみたい。「死は怖いです。何度も悩み考えました。それでも生きて行くのは辛い」という遺書を読んだことがある。死が怖いのは当然だろ。が、「当然」というのは、正確な答えになっていない。

ならば、人は死の何が怖いのか?いろいろな死があり、怖さの意味は違ってくる。末期がん患者や心筋梗塞などの痛みによる苦痛という怖さもある。「何の痛みもなく、ポックリ逝けたらいいな」という声は少なくない。次に、現世の一切と離別するという怖さもある。肉親や親しい人、あるいは愛しいペットとの離別は嫌だろうし、それが「怖い」の情動となる。

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死を見送る側の悲しさ、切なさを想像すれば、死にゆく者とて同じこと。長年連れ添った伴侶との別れや、わが子をおいて死にゆく悲しみ。逝くものも置かれるものも等しく悲しい。さらには、「喪失」に対する恐れがある。苦労して身につけた知識や技能、努力で掴んだ地位、名誉、さらには財産に対する執着心から生まれる、「喪失」の恐怖も大変なものだ。

「金は生きてるうちに使え!あの世に持っていけないもの」などと言うが、大ピアニストのホロヴィッツ、大指揮者のカラヤンが亡くなった時、とても勿体ないなと感じた。それを別の言い方で、「惜しい人を亡くした」などと表現するが、この言い方は社交辞令的にも用いられる。社会に貢献するなにものを持たない人間であれ、遺族には惜しい人には違いない。

「死後への不安」という怖れもある。哲学者丸山圭一郎は以下述べる。「いわば〈非 ― 知〉に相対したときの戦慄である。死が全く人間の予測や思考の枠を超えた存在であり、死後の世界は不安と謎に満ちたブラックホール。死んだらどこへ行くのか、死んだら自分はどうなるのかという問いは、現世の人間関係とか財産の喪失とはまったく次元の異なる恐怖をよび起こす」。

「死ぬのは怖い」と言いながら、それでも死ぬ少女たちにとって、死は無残である。が、「楽しいままで終わりたい」と記した少女の死とはなんであろう。額面通り受けとるなら、彼女の死は一体にそういう種別に当たるのか?「苦痛でもない」かといって、幸せな死とも思えない。何となく、「惰性の死」のようでもあり、それほどに分からない死の種因である。

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生きたくても生きられない人を思うと、これほど罪深い死はないのでは?そう思わざるをえないが、我々が少女の思いを理解できないだけなのかと。様々な死の恐怖を述べたが、噛み砕いていえば、「命を失う恐怖」というのが分かり易い。哲学的な答えにはなってはいないが、それで充分理解に及ぶ。死刑囚における彼ら死の苦しみを考えたことがある。

腰が抜けて、歩くことができず、独房から絞首台まで監守に両脇を支えられ、引きづられていく受刑者に思いを馳せる。絞首台の上でロープを首にかけられる時だけではな彼らの死の苦しみは、死刑の宣告を受けたその時からはじまっている。その時から彼らの心の中には、すさまじい嵐が荒れ狂いはじめ、一日足りとも死の恐怖から解放されることはない。

罪に対する罰の精神的苦痛は大きい。刑事訴訟法475条2項には、「死刑判決確定後6ヵ月以内に、法務大臣が執行を命令しなければならない」とあるが、実際には死刑確定から執行までそれ以上の時間を要すのが通例で、判例で6ヵ月以内の執行は法的拘束力のない訓示規定とされ、これは一種の努力目標であって、1960年以降に確定後6ヵ月以内に執行された例はない。

死ぬこと以上に、死に怯える苦痛は計り知れない。2005年、北海道滝川市の滝川市立江部乙小学校に通っていた小学6年生の女児がいじめを苦に自殺した事件があった。女児は1学期の席替えの際、多数の児童に性的魅力がないと中傷されるなどのいじめを受けていた。同年9月9日にいじめを苦に、遺書を残した上で首吊り自殺を図り、幸い一命は取り留めた。

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が、少女は回復することなく、2006年1月6日に死亡した。滝川市教育委員会は2005年11月に聞き取り調査を行い、いじめは無かったと結論した。2006年9月、遺族が新聞社に遺書を公開し、2006年10月上旬にマスコミで報じられた。滝川市教委は2006年10月5日に遺族に謝罪したが、女児の遺書について、「遺書ではなく、『手紙』である」と、マスコミに回答した。

これに対し市教委に抗議が殺到、9日後に滝川市教育長が辞職。さらに滝川市は同年10月16日付で市教委幹部職員2人を更迭した上、停職2ヶ月の懲戒処分を科す。同教育委員会は同年12月5日に調査報告をまとめ、同月9日調査報告書の市民説明会を開いた。道教委は翌年2月28日、校長を減給(10分の1)1カ月の懲戒処分、教頭と当時の担任教諭を訓告処分とした。

自殺した女児の両親は滝川市と北海道に対し7900万円の損害賠償訴訟を札幌地方裁判所に訴え、2010年2月に裁判所から和解案を受け入れ和解が成立した。以下は少女の遺書である。「私が死んだら読んでください」の文字が痛々しい。少女は死ぬと決めて遺書を残し、遺書の表にこのメッセージを書いた。強く生きるとは何か、について話を交わしてみたかった。

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少女は、「何度か自殺も考えました。でもこわくてできませんでした。でも今私はけっしんしました」の言葉が涙を誘う。死にゆくものにとっても、やはり死はこわいもののようで。何度も考えた上での決心となった。我々大人が少女のこうした現状を知れば、少しでも少女にとっていい方法を処置してあげられると思うが、そのためには話し合わなければならない。

話し合って、少女の苦しみに同化しなければならない。学校の問題ゆえに教師が適任だが、学校の勉強ばかりの教師には荷の重い。大学の教育学部においては、品行方正であることを求められることが多く、社会経験や人間関係における感受性は養われない。いじめ問題に適切に対処もできない教師は、知らぬ素振りや見てみぬ振りがマニュアルとなっている。

教師にそういう能力はないと、親が見切って一生懸命になるのが最善だろう。いじめを受けていることを親に隠す子は多い。なぜか?あえて言わない。答えを親が真剣に模索すべきで、他人の受け売りでは頭に入っても身にならない。大事と思う親は必死で考えるべきだ。「楽しいままで終わりたい」の言葉を置いて死んだ少女については、あれこれ言わない。

済んだことを言っても元にもどらないし、だから言うのを好まない。「楽しいままで終わりたいと思うけど、どう思う?」と、聞かれるなら別だ。「楽しいままで終わりたい自殺」がいかにバカげているかを納得するまで話したい。同様に、この理由での自殺に同意する人間がいたら、それはすべきでない。人生には喜怒哀楽が必要で、それなくして人の生はない。

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楽しいことはいいことだ。否定はしない。哀しいこと、苦しいことも必要だ。理由は、知恵をつけるためにである。怒ることも必要だ。なぜなら、善悪・正義感を身につけるためにである。最後に喜ぶことは、ひとえに他人との共感を生む。他人の事を我が事のように喜ぶの大事である。競技選手に日の丸が立つ喜びは、同胞意識、ナショナリズムである。

我々は一人で生きていない。周囲と共に生き、また周囲に生かされている。共に喜び、共に泣く、そうした社会の一員である。また、生きることは克服でもある。楽しいことに克服の必要はなく、辛い事、苦しい事で、身につける。それが身につかない人間は、生きて行くのが難しい。「楽しいままで終わりたい」は、耐性を拒否する言葉に思えてならない。

孤独は男の棲み家

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新田次郎に『孤高の人』という作品がある。興味があったが登山家の話であった。いわゆる山岳小説で、本作品は当初、山と溪谷社の雑誌『山と溪谷』に連載され、1969年に新潮社から出版された。タイトルに興味はあったが、山に興味がなく読むのは止めた。「そこに山があるからだ」なる名言もあるが、登山家というのはそれで生計が立つところもスゴイ。

安藤忠雄氏を孤高の建築家、グレン・グールドは孤高のピアニスト、太宰治は孤高の小説家、ノーベル賞を辞退したジャン=ポール・サルトルは、孤高の作家とされる。イチローを孤高の天才とし、『イチロー 試練からの夢実現力』の著者児玉光雄氏は、イチローがヤンキース移籍を選んだ理由を、「彼の理想とする憧れと雰囲気がヤンキースにあった」と書いている。

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事実イチローは移籍後ヤンキースについて、「勝っても負けても、気持ちが大きく動かないだろう、ということを想像させる空気なんです。成熟している感じがしますよね」と語っているのを見ても、「試練」と、「孤高」は、相性がいいと言えるだろうし、イチローは試練をエネルギーに変えて飛躍に結びつける選手である。かつて巨人軍の長嶋はこういった。

「プレッシャーを楽しむようになれば、その人は一流です」と言った。まさしくこの言葉は、「プレッシャーを楽しむ、その人はイチローです」と語呂がいい。王貞治はプレッシャーを楽しむタイプではなかったし、彼はスランプ・プレッシャーに苦しんだが、努力と克己心で乗り越えた。イチロー、長嶋の楽観的なB型と、クソ真面目なO型の王との違いかと。

安藤氏を孤高の建築家とする理由は、高卒で大学での専門教育を受けてないのも理由である。丹下健三は東京帝大、黒川紀章は京大から東大大学院に学んでおり、両名共にアカデミー会員である。安藤と同じく孤高の天才建築家と称される白井晟一も、旧制専門学校の京都高等工芸卒であるが、「東大にあらずんば専門家にあらず」 という窮した時代の人である。

工業高校在学時に安藤はボクシングのライセンスを取得、グレート安藤のリングネームでプロボクサーでもあったが、ある時、ファイティング原田の練習風景を見て、その才能に圧倒され、ボクサーとしてやっていくのを諦めたという。彼はまた24歳の時に、木工家具の製作で得た資金を手に4年間アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアへ放浪の旅に出る。

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旅の帰路で立ち寄ったガンジス川で牛が泳ぎ、死者が荼毘に付される傍ら多くの人々が沐浴するさまや、強烈な太陽の下で異様な臭気に包まれ果てしなく続く大地、生と死が渾然一体の中で人間の生がむき出しにされた混沌世界に強烈な印象を受け、逃げ出したい気持ちを抑え、ガンジス川岸辺に座り込んで、「生とはどういうことか」を自問し続けたという。

そうした中で、「人の生というものは、所詮どちらに転んでも大した違いはない。ならば闘って、自分の目指すこと、信じることを貫き通せばいい。闘いであるからには、いつか必ず敗れるときが来る。その時は、自然に淘汰されるに任せよう」という考えに帰結、ゲリラとしての生き方を選択する。安藤は、頑強な信念をもった努力家であり、かつ謙虚な人物である。

講演会で安藤は、「知ってしまうこと(知識)の限界」を語っている傍ら、仕事を受ける基準は、「(クライアントの)情熱やな」と、キッパリ言う。彼はまた金銭的な執着がなく、「とにかく、仕事で得た金はほとんど全部、旅の中で使い果たしていた。たとえ預金通帳に一銭も残らなくとも、自分のなかに何かが残ればいいと思っていた」と、いう人である。

孤高のピアニストとして知られるグレン・グールドは、50歳の誕生日の9日後に急死した。死因は脳卒中とされたが、脳卒中というのは広義の概念で、脳出血やくも膜下出血、脳梗塞などを含むが、グールドは脳梗塞だった。彼の死後に医学論文がでたこともあり、それによると少なくともグールドには、「高血圧」や「痛風」の既往があった事が分かっている。

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彼の死因はともかく、彼の孤高の様子は伝説になっている。性質はスキゾフレニア型の分裂気質で、安藤氏のように金銭への執着がない。お金を雪の中に丸めて捨てたという話も伝わっっている。京大助手であった当時の浅田彰が、しきりに、「スキゾ」、「パラノ」を広め、流行語にもなったが、グールドは、不安症、心気症などのパラノイア型ともいわれている。

そんなグールドを浅田は自著『ヘルメスの音楽』で、「彼こそは真のマニエリスト」とした。マニエリスムとは、盛期ルネサンスに完成された古典主義芸術のあとを受け、1520年頃から17世紀初頭にかけて、主として絵画を中心にヨーロッパ全体を風靡した芸術様式。極度に技巧的・作為的な傾向をもち、時に不自然なまでの誇張や非現実性に至る特徴を持つ。

太宰を孤高とするは、彼の数奇な生涯からであろう。安吾は太宰を、「不良少年」と言った。「太宰という男は、親兄弟、家庭というものに、炒めつけられた妙チキリンな不良少年である。(中略) 太宰は親とか兄とか、先輩、長者というと、もう頭が上がらんのである。(中略) 彼は四十になっても、まだ不良少年で、不良青年にも、不良老年にもなれない男であった。」

兄を出刃包丁で追いかけ回した安吾ならではの言葉である。「しっかりせーよ!」とナイーブな太宰を歯がゆく思っていたのだろう。太宰はその作品の秀逸さから孤高とされている。それなくして彼は、チンケな孤独男、孤独で孤立した精彩なき男ではなかったろうか。が、彼の作品が孤独を孤高にした。似て非なりか、崇高なる孤独を、孤高というのだろう。

イメージ 4太宰作品初体験は、『走れメロス』で、中学の教科書に載っていた。処刑を覚悟の上で友人との約束を果たさんがと走るメロス感動した。そんな太宰の晩年の作品には、これが、『走れメロス』と同じ作家?というほどに違いを感じた。よくいえばシャイでナイーブ。率直にいうと、暗鬱で憂鬱、それに卑屈である。太宰には笑える作品もあるが、文章は上手い。

太宰を、孤独・孤高としたが、孤独も、孤高も、女性に似合わない。女性は井戸端に集い喋るの生き物。また、女性には淋しがり屋のイメージがあり男にない。近年は男が、「淋しい」などと口に出す。男に孤独は似合うし、孤独は男にキラリと輝くカッコよさだが、どんなところにも場にも顔を出す、いわゆる、「人づき合いのいい男」がいる。

目ざわりで仕方がない。なぜにつるむ、なぜに群れる?「安易に群れを為すなかれ。孤立を怖れぬ強い精神力を養えよ」。この言葉を自分は愛した。安吾は、「孤独は人間のふるさと」といったが、「孤独は人間の太陽」である。横尾忠則が、「健さんカッコイイの図」というイラストで、高倉健ブームを巻き起こしたが、高倉には孤独が似合っていた。

良すぎて真似できるものではなかったが、スクリーンでしか観ない高倉は当時、男子の偶像であった。そんな高倉も死ねばフラグも立つ。彼は死の一年前に膨大な資産について弁護士と協議をし、51歳の女性を養女として籍を入れた。「高倉を絶対に許さない」などの発言が報じられたが、興味のある人はネットで検索を…。自分はこの件について何の興味はない。

男の背中に孤独という哀愁が高倉健には似合っていた。近年の品格ブームにあやかってか、『男の品格』の著者川北義則にはこういう記述がある。「新聞記者だった頃、当時売れっ子の著名な作家の原稿を受け取りに、ホテルのバーに出かけたことがある。その作家は、すでにカウンターの椅子に座って原稿用紙に視線を落としながら、水割りを傾けていた。

その時の作家の風情はまさに孤高というか、ちょっと近寄りがたいものがあった。同時に、うらやましい大人の色気を漂わせていた。一瞬、私は声をかけるのも忘れて見とれてしまった。「いつか、あんな男になりたい」。思わず、そんなことを感じた。その作家は私を認めると、やわらかな笑顔を浮かべながら声をかけてくれた。「やあ。ここは時々一人で来るのですよ」。

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その時の品のいい笑顔は、いまでも忘れない。文壇バー華やかなりし頃の個人的なエピソードだが、『孤独の魅力』というものを瞬時に悟ったのかも知れない」。川北は孤独のイメージを膨らませ、「孤独力」となぞらえた。「力」のつく語句は多い。「力一杯」、「力石」、「力仕事」、「力関係」。語尾につけると、「リキ」、「リョク」と読み、「忍耐力」、「努力」、「持続力」。

近年は、語尾につけた「力」を「チカラ」とし、「目力(ぢから)」、「手ぢから」、「乳ぢから」、「女子力」、「老人力」、「親力」、「オタク力」などなど、何でも言葉になる。最初に言い始めたのはMr.マリックで、彼が超魔術と言っていたころ、それがただのマジックと分かった後、彼は、「手ぢから」と言った。簡単に造語が作られ、日本語の形態が大きく変化する時代。「孤独力」も同類。

「孤独」はどことなく寂しく忌避する言葉だが、「孤独力」には寂しげな風景はなく、ポジティブかつ「孤独を讃美する力」である。川北の記者時代の著名な作家とは誰であろうか、想像してみた。五木寛之、村上春樹が即座に浮かんだが、彼は東京スポーツの記者であるからしてこの二人はない。東スポに連載していた作家は藤本義一、高橋三千綱らがいる。

1935年生まれの川北をして、「近寄りがたい雰囲気」なら、高橋(1948年生まれ)は除外。東スポということなら、競馬に4億円を使った直木賞作家の藤本義一(1933年生まれ)が浮かんだ。藤本は1973年、東スポに、「のむ、うつ、ただ」を連載していた。川北は大阪生まれの関西人。これらの諸条件で、自分の推測では藤本義一に落ち着いた。彼と司馬は白髪が美しい。

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孤独の情景

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「孤独って何?」と問えば、孤独も分からんのかお前は?となる。一般的に孤独とは、他の人々との接触・関係・連絡がない状態。突っ込みをいれるなら、そういう状態は一日のなか誰にでもあるだろうから、そういう状態が長期継続ということだ。また孤独感は孤独と違って、大勢の中にいても自分が場の誰にも理解されていないと感じることなどをいう。

これは孤独感というより孤立感もしくは疎外感か?シューマンの『子供の情景』にちなんで、「孤独の情景」という表題にした。孤独感、寂寥感、疎外感とは別の、「孤独」という男らしさについてだが、その前に、「孤独とは何?」であろうか。独りぼっちなる言い方はネガティブなイメージだが、学生時代に女子がつるんで弁当を食べるのが理解できなかった。

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「女どもは飯を食べる時でさえ喋っていたいものか?」などの率直な思いから、男女の違いを強く感じたものだ。自分らは子ども時分、食事の時に口を開くと叱られた。テレビを観ながらも、雑誌を見ながらの食事も親はうるさい。叱られたことで悪い事だと思うしかなかったが、当時アメリカのファミリードラマが輸入され、テレビで盛んに放映されていた。

土間にしつらえた質素な台所と違って、明るく広く、御殿を思わせる豪華なキッチン、それにつながるダイニング、テーブルクロスを覆ったテーブルにファッショナブルな洋服を纏った家族が、和気藹々の食事風景は別世界である。畳の上の小さな卓袱台を囲む日本の家族は、それからするとママゴトだった。そんなアメリカに夢を抱き、日本を立つ若者がいたのも分かる。

憧れはしたが、行動するという点に於いて保守的だった。あまりに異なる生活レベルを単に文化と捉えていたふしがある。当時のアメリカでさえ、真っ黒に陽に焼け(黒人のことではない)、汗にまみれ、油にまみれ、つなぎのジーンズ働きづくめの貧困家庭もあったろうが、敗戦国のイエローモンキーに対する戦勝国の違いを見せつける国策ドラマであった。

「コンバット」という戦争ドラマもあれはドイツ兵を極度に悪く描く国策ものであったという。我々子どもにさえ、「ドイツ兵は悪者」のイメージが与えられた。「家族団欒」という言葉はあるにはあったが、規律を重視する日本人社会にあって食事中は口を開かず、黙々と食べるという文化を親から受け継いで行った。喋ると、「行儀が悪い!」が飛んでくる。

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子ども時代は常に、「行儀」の言葉に拘束された。学校でも、「食事中は話さない、脇見もしない、立ち歩かない」の三原則は、通夜のようでもあったが、今の時代も受け継がれているのだろうか?最近、テレビで小学校の給食時間を観たが、和気藹々で騒々しくも楽しく、昔のような、スプーンとアルミの食器の音だけの、異様に静寂な時間とは違っていた。

子どもを黙らせること、静寂を強いることが無理な強要であり、幼稚園や保育園の前を通ると、何を言ってるか分からないが、子どもたちの騒がしい声の洪水に圧倒される。「子どもは社会の宝」という考えが地域社会から消えたのはいつ頃からであろう。20年前、決まっていた夏休みのラジオ体操の場所に苦情が出、遠くに追いやられたことがあった。

自分は苦情の主にかけあい、「子どもを地域から追い出してはダメでは?」諭したが、「遅くまで受験勉強をしていて、朝はゆっくり寝かせたい」と引き下がらなかった。子供会では率先して世話をする母親であったが、我が子が小学校を卒業したかというように踵を返す親には呆れるしかなかった。「いい人」は結局、我が子のためというエゴでしかなかった。

保育園開設が近隣住民の反対で待機児童の問題が解決できないでいる。住みたい街のトップの街でも起こっている。2016年9月、東京・吉祥寺で私立の認可保育所が開設を断念した。武蔵野市内の待機児童数の約3分の2にあたる81人を受け入れる予定だったが、開設断念が伝えられるや反対した住民を、「住民エゴ」と非難する書き込みがネット上に相次いだ。

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賛成派のある武蔵野市議は新聞社の取材に、「吉祥寺が高慢な街だと見られかねず、残念を通り越して情けない」とコメントした。前回記事にした武蔵野市のコミュニティの先見性を取り上げたばかりだが、「コミュニティの大切さは分かるが、子供施設が嫌いとなると、そのコミュニティって何なんだと思ってしまう今日このごろ」と増設賛成派の市議は言う。

民主主義とは公益と私益の、「妥協」である。欧米人にとって妥協は秀逸な解決法だが、日本人にとっての妥協とは苦慮の結果で、遺恨を残す場合が多い。一人でいる時は一切が気兼ねの無い自分の時間が楽しくないハズはない。携帯を持たない宣言した自分だが、2009年の誕生日に子どもにプレゼントされたのは有難迷惑だった。持ち歩かない癖は今も変わらない。


子どもの都合で持たされたが、「行方不明」になるのが好きな自分は、当初は持ち歩かないので注意を受けたが慣れさせた。強要が嫌なら相手に慣れさせるに限る。然したる緊急性もないのに出先まで追っかけられるのは迷惑千万。時として知人から携帯番号を聞かれるが、固定電話を教える。「携帯は?」と聞かれるが、「持ち歩かないし、大体家にいますので…」と教えない。

自宅にいないなら、「いない」と思えばいいし、自分も相手の固定電話を聞くようにする。同じように自宅にいなければ、「いない」と思うだけのこと。自由主義者は拘束を嫌い、相手も拘束しない。自由人は携帯など所有しないと思うが、携帯の蔓延が不倫の温床になっているらしい。20~30年前に携帯がなくてよかった。己のドンファンぶりが想像できてうんざりだ。

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昨今は、女にうつつを抜かす暇があればなまった体を動かしたい。異性・同性、ともに関わることが面倒くさい。常にひとりぼっちを肯定したいわけではないが、他人と無駄なエネルギーを使わない年代である。今にして分かるが、気持ちよく人と付き合うコツは、相手が自分に接するように自分も相手に接すること。自己を基準とした若年時代と比べて、相手主体に考える。

さらには、「終(つい)の棲み家」を所有すること。無用なストレスを生まないためにも、「つきあいを断つ」のも大事である。相手から受けるストレスは避ければいいが、意外と気づかないのは、自分が無意識に相手に与えるストレスである。特に自分は発言に遠慮がないので、考える必要があった。また、自分にはないが、「人を羨むこと」は止めた方がいい。

親が我が子を他人と比べるのは愚かである。子どもの幸せを望むと言いながら、その実、自分たちが子どもに投じた金銭や時間的労力を無駄にしたくないとの理由に気づかないでいる。「お前たちはダメだねえ。僕たちの方ではね、自分を外のものと比べることが一番恥ずかしいことになっているんだ。僕たちはみんな一人一人なんだよ」。有名な詩人の一節だ。

携帯やネットは、他人とつるむツールになっているというが、自分から見るとむしろ携帯やネットは孤独感を深めている。望んだ孤独はいいが、孤独を望まずに孤独になる人には憐れである。誰とでも話せる、知らない人との交流ができる、これが孤独を癒すと思ったら大間違いではないか?人を求めながら、時には相手を排除の心理も芽生えたりするブログ。

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他人を巻き込む是非といっても、そもそもブログは独善的なもの。淋しいとの理由で相手を望みながら、相手が負担になったりもある。沢山の相手と交流しておきながら、「止めたくなったから」と突然の休止宣告は、罪深いのか、そうでもないのか、相手が受ける印象だ。簡単に始められるものは、簡単におしまいにできる。飽きるともいい、負担ともいうが、そういう人は多い。

リアルと違ってギクシャクのなさがメリットであり、デメリットでもある。便利なものには「負」の要素もある。メリットにもデメリットにもせず、便利にも、「負」にもしない選択で行いたい。こちらの意見や考えにムカついたとコメントをくれるは自由だが、そもそも他人の考えにムカつくとは何事であろう。この人はこういう考えで生きているんだなと、他人事でいればいいものを…

そこに文句をいう人は、ポジティブな孤独人とは異なる哀しき孤立人。「あなたはなぜそのように思うのだ?」と、発言の主に聞くこと自体がそもそもおかしい。その理由を聞いてどうしたいのか?結局、自分の考えを他人に押し付けたいだけである。自分の意見は自分だけのもの、親しくもない相手との言い合いに何の意味がある?つまらぬ喧騒の元でしかない。

知識の持ち合い量は、人によっても違う。素人を批判する学者がバカであるように、人はつまるところ、自分の知ることを相手が知らなくとも、相手の知らぬことを自分は多く知っている。つまらぬブロガーは、ある一文に対して、「お前はそんな程度か!」という思いあがった態度や発言を取る。人を批判しただけで、「偉くなった」と錯覚するバカにはならぬことだ。

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スポーツ三昧にて候

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テレビはニュースとスポーツしか観ないという声は多く聞く。最近はニュースさえもたま~に観るくらいだ。となると自分のメインはスポーツしかない。贔屓のチーム、贔屓の選手に一喜一憂するというより、スポーツそのものを楽しんでいる。醍醐味は勝利に喜ぶ選手を見て共感することだ。勝利の瞬間に、「ああこの人たちは今、幸せの絶頂なんだ」というのが伝わってくる。

22日の日曜日は、まさにスポーツ三昧であった。早朝からPGA男子ゴルフ、午後には広島男子駅伝、テニスの全豪オープン、全日本卓球、夕方に大相撲の千秋楽、それに毎週欠かさない将棋のNHK杯トーナメント、時間的にダブった場合はいずれかを録画して後で観る。ゴルフはやらないから国内トーナメントは観ないが、PGAは主に松山英樹のプレーを応援がてらに観る。

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テニスも錦織を応援するためだけに観戦する。ゴルフ、テニスが特別好きなわけではない。卓球も今回は平野美宇と石川佳純の決勝を予想していたがその通りになり、放送時間を待ちきれない気持ちでいた。卓球の平野といえば、平野早矢香が長い事女子卓球界を牽引してきた。彼女の実績は素晴らしく、全日本シングルスで5度栄冠に輝いた他、世界卓球、五輪でも銅メダルに輝いた。

彼女の情熱はスゴイものだったが、あれよあれよという間に中学生で同じクラブチームの石川佳純が力をつける。平野と石川はダブルスを組んで三度優勝したが、平野はシングルスでは石川に勝てなくなり、2016年3月、現役引退を表明した。平野は同年4月9日に行われた日本リーグ・ビッグトーナメント佐賀大会に出場するも、初戦で敗れたことで、同日現役生活にピリオドを打つ。

平野から福原愛、さらに石川と続き、石川は年齢的にも若いこともあり、当分は彼女の天下と思っていた矢先、伊藤美誠、平野美宇という中学生が迫ってくる。平野と同学年の伊藤美誠は友人でライバルだが、ダブルスペアとして世界で名をあげた。わずかに伊藤が先行していたようで、彼女の攻撃的卓球の評価もあってか、伊藤がリオ五輪に選ばれ、平野は補欠選手として同行した。

辛酸を舐めた平野はそのことを糧に猛練習をしたのだろう、今回の全日本では石川を圧倒し、優勝する結果に繋がった。これには石川も茫然としたようで、競技終了後、「何が起こったのか分かりません」という言葉を吐くのがやっとで、時間をおいて我にかえり、「平野さんは150%の力がでていた…」とコメントした。卓球の鬼と呼ばれたのが早矢香なら、美宇は鬼神である。

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それくらいのプレーを平野は見せてくれた。平野vs石川の決勝戦第1ゲームの開始直後、平野は石川のサーブをフォアハンドの強打で打ち抜く。「先手を取ろうと思った」。普通なら無理に打ちに行かないサーブを狙われた石川は、この鮮やかな一撃で浮足立った。心の中は見えないが、かなり動揺があったハズ。平野の勢いは加速、得意のバックハンドの強打は両サイドに散らしていく。

平野はフォアのラリー戦において早い打点から鋭い球を連打。「こんな選手は中国人でもまれ」と、解説者をうならせる。彼女の持ち前の安定感に加え、一昨年から師事する中国出身のコーチと取り組んだ筋トレの成果が出たようだ。1、2ゲーム連取の平野は、女王石川にかつてないプレッシャーを与えた。第5ゲーム、平野は8―2のリードから大逆転を許し、これまでかと思った。

勝利を目前にしての6ポイント差を逆転されたショックは相当で、16歳の少女からすれば本来なら立ち直れず、ズルズルと行く予感もあった。が、平野の圧巻はその後のゲームに見て取れた。気持ちの切り替えができていたということだが、この敗戦をまったく引きずることなく攻めまくるのは見事であった。石川はレシーブの球を打つというより、返すのがやっとという感じ。

そして第6ゲーに至っては、石川の裏をかくラリーの組み立てで、立ち上がりから4連続得点して勝負を決めた。昨秋、中国スーパーリーグに武者修行して学んだ戦術の組み立て方が、大舞台で生きたという。彼女が成長したのは技術のレベルだけではない。こんな言葉ではにかんだ。「前は好感度を気にしていたけど、試合に勝つのがスポーツ選手。嫌われても良いんです」。

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かつて10代でこんな言葉を言った少女がいただろうか?それまでは、好感度を意識したカワイコちゃんでいようとした女の子らしい平野美宇であったが、それに決別した言葉である。平野早矢香が「鬼」なら、平野美宇は「鬼神」という言葉が相応しい。これまで早矢香のプレーを見ては感嘆していたが、美宇のスピードは早矢香を間違いなく超えている。

それくらいにスピード感が他の選手を圧倒する。石川の高速プレーも凄いが、その石川をきりきり舞いさせた平野美宇の優勝は当然の結果だ。終わった直後の第一声、「何が何だか分からない」と言わしめたほどに、気づいたら終わっていたという石川だった。優勝を決めた最後の一打を石川は天井に向けて高くはじいた。と、同時に平野は両手を挙げて飛び上がって喜んだ。

この時の石川は録画で見ても、あきらかに茫然自失で、ここに立っているのは一体誰?という表情に見えた。人の顔というのは、負けてこんな風になるのか?というほどに血の気の引いた表情で、ヨレヨレと立っていた。彼女がどれほどショックであったかが分ろうというもの。勝利インタビューを受けた平野は、嗚咽で上手く話せない状態だが、心の内は隠さなかった。

「リオに出れなくて、すごく悔しかったので…、今回は絶対に優勝したなと思っていた。本当に優勝できてうれしいです」。試合中の鬼神の顔が一転、あどけない少女に舞い戻っていた。平野は、最年少優勝記録を塗り変えたとのオマケもついていた。それにしても、卓球はなぜに10代選手が活躍の牙城となるのだろうか?多くのスポーツは、中学~高校と部活でとりあえず頑張る。

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そうして大学に入ってレベルをあげ、実業団(社会人)でさらに技術もメンタルも向上するという図式が成り立たないほどに、中学、高校の選手が社会人を脅かせている。反射神経や動体視力が15~16歳でピークということもなかろう。社会人は仕事もあり、中高校生の方が練習量が圧倒するのだろうか?かつては5連覇の星野美香(三井銀行)、6連覇の小山ちれ(池田銀行)らの名があがる。

平野が、「嫌われてもいい」と自己変革を遂げたのに対し、テニスの錦織が全豪オープンでフェデラーに惜敗したのは、「尊敬の念」が災いしたのだという。これは本人の言葉ではなく、松岡修三がそう書いていた。「フェデラーは普通なのに、圭が相手を強くしてしまっていた」と、松岡の目には映ったようだ。コーチのチャンも、「強い選手を崇めるな」と錦織に注意したことがある。

「それでは勝てない」、「だから勝てないんだ」と、ジョコビッチやナダル、マレーに敬意など評するなと言い含めたが、松岡によると錦織は未だそれから脱してないということか。錦織は善戦したが、フェデラーのサーブポイントの多さからして、錦織にはサービスエースという武器がない。誰が見ても今回の敗戦の理由の一つに上げられる。ヒンギス(スイス)も同じ見解を示す。

「男子テニスについて、私が言うのはおこがましいかもしれませんが」と前置きしながら、錦織について次のように語った。「ジョコビッチ(2位)やマリー(1位)が非常に安定している分、それに対する錦織には大きな武器が必要なんじゃないかと思います。バックハンドのダウンザラインは非常にいい武器だと思いますけど、毎回毎回それが通じるかというと厳しいでしょう。

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やはりサーブがキーポイントになるのではないでしょうか。(錦織が)トップレベルに行くものはあると思いますが、トップレベルに行けば行くほど、マリーやジョコビッチは、さらにワンランク上に行っていますので、それを打ち破る何かが必要だと感じます。錦織は非常にスピード感もあるし、他の選手よりショットが安定している分、あるレベルまではいけると思います。

が、ジョコビッチやマリーといったトップ選手を上回るには、サーブでもっとフリーポイントが取れなければ苦しく、そうした武器が間違いなく必要でしょう」。そういえば昨年のATPワールドツアーファイナルズでは、3時間20分の激闘の末に錦織を破った新王者マリーも、「自分のサーブで、いくつかフリーポイントを取れたのが、助けになった」と吐露していた。

今回のフェデラー戦も、マリー戦を彷彿させる3時間24分におよぶ5セットマッチとなった。が、錦織は勝てなかった。錦織圭を破った瞬間フェデラーは、まるで優勝したかのように、コーチ陣に向かって目を見開いて雄叫びを挙げながら、飛び上がって喜んだのには、視聴する我々も驚いたが、それだけ錦織とのグランドスラム初対決が簡単ではなかったことを象徴するシーンだった。

錦織のセカンドサーブのポイント獲得率は42%と振るわなかった一方、フェデラーのファーストサーブのポイント獲得率は80%と高く、さらにサービスエース24本、フォアハンドウィナー26本を含めて、トータルで83本に及ぶウィナーを錦織へ放った。故障明けの35歳フェデラーに、27歳の錦織が勝てなかった現実からして、何とも惜しく残念としか言えない試合だった。次回に期す。

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広島男子駅伝だが、地元広島県は26位の惨敗だった。長野は強いね。過去最多の7度の優勝を飾った。高校駅伝の超強豪である佐久長聖高校に負うところが大きい。広島にも名門世羅高校があるのだが…。大相撲は千秋楽は、14日目で優勝を決めた稀勢の里が白鵬を破るかだったが、見事に勝って横綱昇進に花を添えた。苦労の力士、不運の力士と言われた遅咲きの稀勢の里である。

石川遼のPGA50位は彼の力であろう。かつて、「ハニカミ王子」として松山英樹を凌ぐ人気があった。田中将大に対し、斎藤祐樹が、「ハンカチ王子」としてチヤホヤされた同じ時期だ。人気も大事だが、「男前」人気では屁のツッパリにもならない。ゴルフや野球は顔で上手くならない。石川も斎藤も、今はもう傍にも寄れないほどに差がついたが、顔の差は変わらず…

「孤独のすゝめ」

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福沢諭吉の『学問のすゝめ』の冒頭、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は、あまりに有名な言葉であり、これを諭吉の草案と信じる人は多い。正確にいうと、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり」であり、この「云(い)ヘリ」は、こんにちの、「云われている」の意味であるから、諭吉自身の言葉というより、出典は別の何かの引用であろう。

慶応義塾豆百科によると、トーマス・ジェファーソンによって起草されたといわれる、「アメリカ合衆国独立宣言」からの翻案であるとするのが最も有力な説であり、原文訳は、「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命・自由、および幸福の追求が含まれることを信ずる」。

福澤がこの独立宣言をすでに読んで知っていたことは、慶應2年に刊行された、『西洋事情』巻之二の、「亜米利加合衆国」の項にふれている。彼はこう書いている。「天の人を生ずるは億兆皆同一轍にして、之に附与するに動かす可らざる通義を以てす。即ち共通義とは人の自から生命を保し自由を求め幸福を祈るの類にて、他より之を如何ともす可らざるものなり」と。

偉人や賢人にはいい言葉、名言の種はたくさんあるが、人はすべてに平等であり、身分の上下、貴賎、家柄、職業などで差別されるべきではないことを言っている。言葉を知らないか、知っていても守らないか、あるいは無視するからか、世の中は不平等で成り立っている。容姿・容貌にも差があり、それが本人のせいでないにしても、学校で理不尽なイジメにあう子は多い。

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「他人の顔をあれこれいう前に自分の顔を鏡で見たらどうなんだ?」みたいなことはそんなことをよく言ったし、男にも女にも遠慮はしないで言っていた。実際、そういう事をいう奴には腹が立った。20日の記事に、小6で自殺した少女の遺書に、「5年生になってキモイと言われ、つらくなった」とあるが、「そんなことは言ってはダメです」というだけで何の指導であろう。

指導をマニュアルの実践とし、「指導した」という教師は多い。根本を解らせようと尽力する教師は、まずはいない。彼らは教育者というより職業教師である。根本を解らせようとするのは、容姿・体型など、いじめの発祥の根本要因に腹が立つかどうか、教師にそうした感受性があるかどうか、そうした、「怒り」なくして情熱は生まれないが、ノンポリ教師はただのマニュアル教師である。

林竹二がそうであったように、教育者とは、根本要因を突き詰める哲学者であるべきだ。林はソクラテス研究家でもあり、田中正造にも憧憬があった。『思想の科学』1962年9月号は、田中正造の特集号で、林は編集の任にあたった。教師がいじめに消極的なのは、解決が難しいからというが、そんなのは理由にならない。集団生活で発生しやすい事象は、何より優先して取り組むべきだ。

もしも自分が教師なら、「君たちの中で、自分の顔が美人、かわいい、イケメンだと思うひとはいますか?いたら遠慮なくと手を挙げなさい」といった、根本的な問いからいじめ問題に関わりたい。むしろこrは、いじめ問題に関わる楽しさのように思う。自分が然したる美人でないなら、他人の容姿を批判すべきでないし、A=B、B=C、よってA=Cという3段論法は説得力に富む。

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こうした、独自のアイデアも含め、子どもに人の容姿をとやかく言わせない方策を教師は考えるべきである。自分のことを棚に上げて、他人をあれこれ言うべきでない、とするのが人間関係の理想である。人の欠点をあげつらうよりは、相手をリスペクトして交流するのが、ヒューマニズムであろう。ところが、早い段階から子どもを競争社会に送り込む学力主義が、他人への尊重を崩壊させた。

学校でテストの結果に順位がつくのは、やむを得ないにしても、それを家庭にまで親に煽られて、子どもはどこに居場所を求めればいい。成績のいい子ばかりではない、勉強の嫌いな子、苦手な子、したくない子の方が多い。「勉強できなくて人にあらず」という暗黙のプレッシャーが、子どもをストレスを増幅させる。どうにかならないのか?こういう親はどうにもならない。

子ども間のいじめには、親が大きく寄与していると考える。教育格差の解消は、昔はそれほど難しい問題でなかった。理由は、経済的な問題が大きかったからだ。親が医者、教育者、あるいは名士、社長の息子など、恵まれた家庭環境の子は、家庭教師をつけたり、有名私立に行くなどは、「あたりまえ」のこととして許容された。単に羨ましいという程度であった。

それが根深い問題になった昨今である。家庭で文化が伝授され、親の生活態度が子に受け継がれるなど、親から子に価値観が享受されていく時代ではなくなった。昔は経済的に豊かな家庭は、子どもの資質そのものが違っていたし、誰もがそういう子には一目置いていた。教育機会は均等に提供されるものであるが、理念と現実は、あたりまえにギャップがあるもの。

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平等だとされた戦後教育も、すでに団塊の世代あたりから、カエルの子はカエルとなる傾向はハッキリしていたが、親の盲目性よ欲目がそれを認めない。平等を目指すのが無理なら、市場原理に任せようと、早くから塾にいかせるなどして躍起になる。子どもの向き、不向きを見てからでよさそうなものだが、「勉強できなくて人にあらず」の信奉者につける薬はない。

カープの鈴木誠也の父が、「宿題する間があるなら、外を走って来い」と言ったというが、だから今の鈴木誠也になったというより、あれもこれも欲目の親であっては、普通にしかならない教訓だろう。何かをするなら、何かを犠牲にするという、それを当然とする親のキャパシティが、子に伝わって相乗効果を生む。文武両道なる言葉はあっても、理想は理想としておけばいい。

教育に熱心に取り組むのは、骨が折れるし大変であろうが、なにより大事なのは本人の主体性であって、それを生み出す環境作りである。勉強も集中すれば楽しく、それで結果も上がるなら一生懸命さも増すだろう。何のスポーツであれ、ウォーキングであれ、ブログであれ、何でも始めたことに一生懸命になるか、ならないかで、人の在り方は変わってくる。

初場所幕の内優勝と横綱昇進を手にした稀勢の里は、初土俵から15年目の優勝だったという。父親がテレビのインタビューに答えていたのは、「目の前のことに何でも一生懸命にやる子どもでした。食事の時も黙々と一生懸命に食べておりました」。これを努力とは言わないが、人は努力という。「好きこそ物の上手なれ」の言葉がピタリだ。何事も、好きである事以上に幸せはない。

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自分もその傾向が強く、好きは徹底して行うが、嫌なことは徹底してやらない。徹底してやる事と、徹底してやらないことが、自分を自分足らしめている。他人が何といおうとも、「それで良し」も人生だ。「孤独のすゝめ」は、『学問のすゝめ』にあやかった。タイトルは何でもいいが、孤独を愛すれば、孤独で困ることはない。それだけ世の中には孤独を嫌い、孤独を避ける人が多い。

「孤独を愛せ」は、「人を嫌え」ではなく、どちらにも堪能でいれるということ。人といなければ辛い、淋しいという気持ちは困らないか?ストレスにならないか?その意味で、「孤独を愛せ」であって、人嫌いの奨励ではない。人生を楽しむ条件の中に、「孤独」も入れればいい。崇高な孤独を孤高とするなら、凡人には普通の孤独が似合う。が、「孤独」も「孤高」も基本は強さである。

かつて聖徳太子はシナ文明圏からの自立を選択した。この場合の自立とは、むしろ「孤立」と言えなくもない。太子は、「孤立」を選ぶことによって、大国隋との対等な関係において、「在る」という、「強さ」を獲得したのだった。軍備なき日本にあって、日米安保は堅持すべきであろう。が、「孤立」を怖れてか、中国、韓国に臣従するのは、「愚」という他はない。

太子が危険を冒してまで選び取った外国文明からの、「自立」ないし、「孤立」という強さが、こんにちの日本国には見られない。このことは、日本の円紙幣のすべてから聖徳太子が消えた頃から始まったのか?1984年(昭和59年)、時の大蔵大臣渡辺美智雄は、紙幣の衣替えを記者会見で発表した。それまでは聖徳太子が紙幣の顔であったが、千円は伊藤博文から夏目漱石に替わった。


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五千円札の聖徳太子は新渡戸稲造に、一万円札の聖徳太子は、福沢諭吉に替えることが発表された。理由の一つは、聖徳太子の肖像が、実は太子ではないのでは?の説の浮上にある。この説を最初に流したのは、東京大学史料編纂所所長の今枝愛真氏で、肖像の太子否定説を朝日新聞に掲載した。今枝説の提唱は昭和57年だが、後に大阪大学副学長の武田佐知子氏らによって覆される。

お札の発行は日本銀行法に定められた中で、肖像などの様式は財務大臣が決めることになっている。太子がお札から消えたのもう一つの理由として、将来の5万円札、10万円札に聖徳太子を復活させる可能性が言われていたが、話が立ち消え、未だに発券されないのは、やはり虚構説がネックになっているのだろうか?高額紙幣を作ればその分お金の持ち運びがしやすくなり便利である。

が、反面、地下マーケットでのお金のやりとりがしやすくなる危険性も生まれることになる。さらには近年のコピー技術の進化もあって、5万円、10万円札の偽札が流通のデメリットもある。こんにちに太子虚構説は根強く、確かに聖徳太子という名称は、厩戸王子の死後つけられた名前であり、日本書紀の記述にも問題点のあることは分かっている。太子の問題は解決をみるのか?

「孤独」を楽しむ

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一人でいることの世の中のイメージはネガティブだが、誰にも会わずにいることは、有り余る時間を好きに使える点で楽しい。自分は、facebook、skype、mixiはやらない。ブログもSNSだが、目的は交流のためにではない。コメントには応対するが、大勢の相手との交流を楽しむ人もいるように、コミュニケーションを楽しみたいなら大いに楽しめばいい。

人と関わることは重要と思うが、現代社会ではどんな形でも簡単に人と繋がり続けることができるためにか、常に誰かを意識した行為・行動をする人は多い。人はなぜ他人と繋がりたいのか?なぜコミュニケーションをせずにいられないのか?について、SNSに場合においては、手軽ということ以外のメリットは、見当たらない。出会いも離別も手軽で楽ということか。

孤独に耐えられないからと言った奴がいたが、彼にはネットの相手との表層関係であれ癒しになるのだろう。かつて自分も対話相手はいたが、話の内容よりもロジカルシンキングを楽しんでいたし、SNSでのコミュニケーション自体が性質上、本当にコミュニケーションといえるのかどうかにおいては疑問もあり、結論抜きのディベート的で良いと考えていた。

受け手を特定できない以上、送り手には注意がいろうし、相手は相手で、こちらを特定できないゆえの注意もいる。それが基本的なマナーかも知れない。あまり立ち入ったことを話すのは、好む好まぬの問題もある。また、誰が読んでいるかわからぬ、そうした見えない怖さもあるが、別の考え方でいえば、気にしないスタンスでやれる。気にすればキリがないからだ。

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「この人は何を書いているんだか…」と、相手を見定めている方が自由にやれる。バカの強さは気にしない強さであろう。なまじ自尊心や虚栄心に蹂躙されると、自己を縛ってしまい、自由な書き込みが損なわれる。完全に自分を開放する自由は不可能だが、自由が楽という気持ちに向かうことはできよう。SNSは文字が示すよう、ソーシャルな場ではある。

が、本当に意味のある双方向コミュニケーションが成立しているとはとても思えない。おそらく不可能であろう。もっともそういうものを期待していない人も多い。見るからに「義務」という拘束を受けたり渡したりを感じるものも多く、いかにも日本人的だがああなると止めることも難しくなる。止めたくても止められない義務感も見ていて辛さが伝わってくる。

全ては自己の責任ゆえに、周囲が憂慮することもない。現実社会でも付き合いを止められないで、苦慮する人は多い。始めた時は、なんとなく人とつながっていたいとの理由だろうし、親和欲求というより、孤独感の回避欲求である。その程度の理由であるからマンネリ化し、義務化すれば負担となる。手軽で便利なSNSの行き先は必然的にそこに行き着く。

将棋仲間のFさんは73歳。大概奥さんからの電話で、帰りをせかされる。どうしたっ利用時間が5時までのコミュニティーセンターゆえに、4時半でお開きするようにしているのだが、なんでか電話がかかってくる。うるさい女房だと、誰もが思っているのに、本人も強く言えないから奥さんも最速電話を止めない。これはもう、どっちもどっちとしか言いようがない。

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「いちいち電話なんかすな!」を最初に言わないから、永遠に言えない。思慮なき女は同じことをしつこくやる。周囲だけが、「うるさい嫁だ!」と思っている。周囲にそう思わせないようにできないFさんの不甲斐なさであろう。ま~、余計なことだが、いつも同じことを何でするのかは誰もが思うこと。熟年夫婦は互いが、「ひとり遊び」のクセをつけた方がいい。

夫婦間でも、「ひとり」は大事で、それぞれの社会があるわけだ。であるなら、相手の社会に立ち入るのは控えるべきである。うるさい妻は夫を委縮させるし、男社会にあっても周囲に気まずい印象を与えてしまう。場合によっては本意ではなくとも、バカにされたりの言葉をあびせられたりもある。「パチンコしてるわけじゃない、将棋の何がいかんの?」

と疑問を呈す人もいる。むしろ妻の方が孤独に耐えられないのだろう。70歳も超えて面倒くさい妻と思うが、最初の躾がなかったからだろう。かつて、「男は敷居を跨げば七人の敵がいる」と言われた。あまり聞かなくなった言葉だが、七人とは多くの意味だが、以下の七つの指摘もある。①借金とり、②女、③人災、④暴力、⑤盗難、⑥出世の敵、⑦ギャンブル。

女性の孤独がどんなものかは分からないが、夫を亡くして一人になった女性は、「案外と淋しくない」という。年代にもよるのだろうが、60歳も過ぎれば、妻を亡くした夫よりもサバサバしているのではないか。男にはあまりないが、女性には、「些事」というものがあり、それが孤独を忘れさせてくれたりするのではないか。「些事」とは、日常の小事のこと。

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小事とは、取るに足りないような細々としたことで、男にはあまり縁がない。些事を楽しめるのは、家事をしていたという事もある。男でも料理が好きな人間は、例えば自分などはその部類だが、結構、日常を楽しめるものだ。お好み焼きを食べに行こう、かつ丼を食べに行こうとは思わない。なぜなら、自分で作る方が美味しいからで、これが料理好きの醍醐味。

自分で作る方が美味しいから、面倒と思わない。どうせ食べるなら美味しい方がいい。なぜ料理が好きになったのか?女を喜ばすツールでもあった。「俺の作るカレーは世界一美味しい。間違いなく虜になる」などと、よく言ったものだが、期待を裏切ったことはなかった。やはり、味を研究したのかもしれない。市販のレトルトなども、必ず手を加えて美味しくする。

ふわふわのだし巻きやオムレツなどは、数をこなしたから自信の一品でもある。男で料理ができると、一人暮らしの相手や、同じく自宅に呼ぶ口実になるが、それを口実にさせない料理の味は重要である。料理は自分にとって些事である。芥川龍之介はこんな言葉を置いている。「人生を幸福にするためには、日常の些事を愛さねばならぬ」。強要ではない自主的に。

「スーパーの男」を自負するくらいに、買い物もすきだ。これらを人は、「マメ」というが、これらの源泉は、「好奇心」である。スーパーほど好奇心を満たしてくれる場所はない。ウォーキングも健康のためといっても、歩いているといろいろな発見が楽しく、そうでなければできないだろう。人は人と接することで、一人ではいられないさまざまな刺激を受けたりする。

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が、現代社会は、そういう形でのインプットはもはや十分過ぎるほどあり、今ほど必要なのは、「ひとりで過ごす時間」ではないか。ひとりでいることで、自分の中のあれこれの心が静かに燃やされる。人から情報や知識を得るのは、手っ取り早いし、便利だし、自分の生き方のプラスになると錯覚するが、実際は自分の潜在能力を発揮させる妨げになっている。

キルケゴールが孤独について書いた一文がある。「たしかに人は孤独を愛する。それは愛と友情の行方の知れぬ幸福を、孤独のうちに発見するためで、星を眺めて賛嘆したいと思う人が、暗い場所を探すように…」。と、この意味はよく分かる。タモリは、「友達なんかいらない」と公言する人だ。SMAPの中居が、「友達は必要でしょ?」にこう答えている。

「俺、あの歌が大嫌いなんだよ、小学校に入ったら、『ともだち100人できるかな』って。そんなことで人生決めんじゃないよ」と、断固として反対していた。さらに、「どんどんどんどん減らしていってるし、切ってく」と、友達を厳選しているという。自分はもうずいぶん前から年賀状を書くのを止めた。来た相手に返事も出さないから、それならと相手も出さなくなる。

連絡くれよと携帯番号まで書いているのも無視をする。多少なり心が痛むが、相手の都合よりも自分の都合を重視したと思えば気分も晴れる。基本は、「好かれる人にならなくてもいい」というスタンスでいれば、自由に生きられる。自分が相手の都合で利用されたくないなら、相手も自分の都合で利用しない事。友達というのは、案外と利用し、利用される関係だ。

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空気みたいな存在で友達なら真の友達だが、それが友達なら友達って何?という問いに対し、「心の友」ということになる。無意識に、「他人にどう思われるかが、自分の行為の基準」となっている人がいるが、卓球日本一の平野美宇が、「嫌われても良いんです」と、試合に勝つことだけに専念できたのは、彼女がその事のみに目標を置いているのが理解に及ぶ。

同じようなことは若き日の羽生善治三冠にもあった。彼は同期の森内俊之や佐藤康光と仲良しで、個人的往来もあり、一緒に研究会を開いていた。が、そのことに疑問を抱いた羽生は、「戦う相手と仲良しでいいものか?」と、私的交流を断ち研究会も止めた。森内も佐藤も理解を示す。ネガティブな孤立でなく、自ら選んだ積極的な孤立であり、平野美宇もそれを言った。

「孤独」を楽しむ ②

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何の前後の脈絡もないのに、「人から好かれたい」と思うこと自体が可笑しく惨めったらしいが、これも人間の欲であろう。ワザと嫌われる必要もないが、自然体でいて嫌われようと好かれようと、相手の都合だから仕方がない。反対に、好かれようと思って無理をするのも、自身の都合というか、欲と定めてほどほどにする。できるなら他人に影響されない自然体でいるのが理想である。

相手に合わせるより、むしろ自分に合わせてもらうのが無理をしないでいれるのだが。自分が携帯を必要としないのも、持ち歩かないのも、自分の自由を相手に認めさせるためで、自宅に電話があることが便利だった時代を思えば、電話を持ち歩く便利がどうして必要か?便利なツールと思いつつも、淋しさやひとりぼっちを癒すために他人の拘束を望んでいる。これを依存という。

人に合わそう、寄りかかろうとするから、自由を束縛され、ストレスも溜まる。こちらに合わせと命令するのではなく、相手に拘束されないようにする。自分の自由な時間や、出先にまで相手の都合で電話を受け、呼応できないと「ごめんなさい」という人間関係の是非を思考すると、こちらも同じことを相手にしていることになる。これを人間関係と呼ぶなら、やはり依存であろう。

人は一人で生きられないし、依存を悪とは思わぬが、依存を避けて気楽に生きたいと思うも、成熟した大人の思考である。人に好かれたいという心情は、自分の尊厳と関係している。つまり、人に認められてこそ自分を誇れるという、そういう気持ちが他人の評価を気にすることになる。したがって、誰とでも友だちになろうとする人は、誰の友でもないということ。

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八方美人ほど、本当の人間づきあいをしてくれる人ではないことを経験で知った。自分に自信の無い人ほど、拍手を欲しがるのは、リアルに限らず、SNSで友達を沢山所有し、評価やコメントの多さに自己満足感を抱く、それもその人の価値観であって、批判するものではないが、そういう依存に頼らずとも、しかと自身を見つめ、自己評価に依存せずとも楽しくやっていられるものだ。

実社会における人間関係で一番負担になるのは、友人(と、とりあえず規定している相手)や、同僚といった、対等な関係にある場合が多い。対等であるのに、いつの間にか指示されたり、上目線で物をいわれたり、従属関係であるのをふと気づいたときから、相手にストレスが発生する。こうなる原因は、人間の性格に強・弱があるからで、常にというわけではないが、弱い性格の人間に不満がでる。

いい例がいじめである。いじめ側の人間が決して強いというのではないが、いじめられる人間の極度の性格の弱さが、いじめ側の性格を助長させる。社会用語にいう「弱肉強食」である。スポーツの弱小チームであれ、将棋の弱い人間であれ、自分たち以下の相手と対戦すると「強い!」となる。上には上もいるが、同様に下には下がいる。人をいじめる人間は、実は心の弱い人間。

だから、自分以下の人間を探す。将棋をやっていて人を観察すると、60歳でも70歳でも、年齢に関係なく度量の小さい人間は、自分より強い相手を避ける。勝たなければ面白くないのは分るが、「負けて強くなる将棋かな」という向上心がない。むしろ小学生、中学生の子どもの方が人を選ばない。彼らは強くなりたい向上心があり、変チクリンな見栄もプライドが存在しない。

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子どもが純真で素敵なのはそこ。負けて嫌がる人とは指したくないし、相手がこちらを避けるを見越してこちらが避ける。そんな大人を見ながら、負けて言い訳をせず、勝って驕らない子どもに心が洗われる。子どもは単に負けて悲しい、勝って嬉しいと表現する純粋な生き物である。子どもから学ぶものは多く、果たして子どもが大人から学ぶものがあるのか?

えげつない、いやらしい大人が多い。将棋を趣味としてやって常に感じることだ。以前は、そうした不甲斐ない大人、醜い大人を嫌っていたが、最近それがない。これも人間の修養か、笑って済ませられる。自分では気づかないが、おそらくこれを人間的成長と言うのだろう。自分が成長してるかどうかをそのように感じる程度にしか、人間は人間の成長を把握できない。

勝った、負けたばかりに拘り、そのプロセスに意味や意義を見出せないのか?自己顕示欲が災いするようだ。負けて言い訳はみっともないとか、相手を称える度量も、相手に非礼という優しさもない。上に記したが、人間関係は突き詰めると互いの利害でつながっている。いつもいいばかりではない。いい時もあれば負担に感じる時もあるが、負担な時にどうするか?

問題はそこにあるから類する悩み相談が多い。そういう(重苦しい、負担に感じる)時にどうするかを自分に言わせると、そういう事を起さないようにするのが最善。それを言っては身も蓋もない、そんなのは綺麗ごとと思うだろうが、実はそうではない。人間関係が互いの利害で成り立つ以上、「害」を防ぐためには、「利」を得ない、考えないようにすればいい。

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分かり易くいうと、「利用はしたいが、利用はされたくない」では単なる我が侭、自分勝手であり、そんなのは通用しない。そこが論理として分かれば大人である。自分も子ども時代、若かれし時代にまるで分からなかった。あるがままに人間関係を横臥し、良いこともあれば、ストレスもあった。が、自分が良いと思う時に、相手に負担を強いていたかも知れない。

相手が負担であろうことを知りつつ、強要したりもあった。ヒドイ自分であったというしかない。そんなことに構いなく突き進む若さ、青春とはなんと残酷であろう。自分の欲望、自分の都合でどれだけ多くの人に負担を強いたことか。「青春をどう生きるか?」という教科書はない。いや、あってもページをめくらない。それが青春であり、青春とはその無軌道さにある。

今となっては、分かったような物言いだが、良識者ぶったつもりはない。それだけ物を知らなかった時代があるということ。顧みて、「バカだったよなぁ」と思うことは良識ということではなく、純粋な人間の成長の証であろう。「過ぎたるは及ばざるが如し」。過ぎたものに手当はできない。その代償として人間は成長しなければならない。バカを止めてこそ教訓だ。

それでも人間は新たなバカをやる。如何に人間がどうしようもない生き物であるか。永遠に悔い、永遠に反省と背中合わせ手生きていく。青春はまた、挫折の時代である。「楽しい事だけで終わりたい」という少女の言葉に、挫折をした者は驚いたろう。なぜなら、生という証は、自分の過去の挫折や苦悩を笑い話として押しやっている。その点においても、「生」は、「死」に勝る。

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「死んで花実は咲くものか」という。生きて花実がつくとも限らないが、それは、「花」と、「実」の考え方でもある。高価な花もある、蓮華のような雑草もある。高級果物もある、一粒のゴマとて実だ。そのように思うなら、人は誰でも生きていれば花実はつけられる。ネガティブな青春時代というが、いいこともあった。個別なことは置いて、何が良かった分かっている。

評価できるのは、「何でもやった」、「思い切って行動した」、「損得抜きでやってみた」などの、アクティブな評価である。悲惨な青春期を過ごしたという女性の会話を例に挙げる。「私の青春期って、本当に悲惨だった」、「どうしたの?何があったの?」、「何があったのじゃなくて、なんにもなかったの…」と、これは笑い話である。が、何もしなかった青春なら、こうであったろう。

同じような言葉は結構聞いた。「間違いを起こしたくない」からと、保守的に生きた人は、性格が起因した。石橋を叩いて渡る人もいる。石橋を叩けど渡らない人もいる。何の石橋を叩いて渡る必要がある?という自分であった。これが自分に贈る唯一の賞状である。つるんで集まること多き青春期に、つるんで集まることは多かった。じっとして入れない若さである。

反面、一人旅に興じる者もいた。彼には彼の、彼女には彼女の、描く青春世界がある。青春をどう過ごす、どう生きるべきの答えはない。あるのは、青春をどう過ごし、どう生きたかという答え。それぞれが、悔いなき青春であったか、悔いいる青春であったか、想い出は一人静かに忍ぶものだ。自分は、「幸」の青春の賞状を自分に贈ることができたし悔いはない。

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「そうはいっても悔いくらいはあるだろう」の、突込みに対し、「プラスからマイナスを引けばゼロ」と答えとする。回想録ではない、青春期の総括である。有り余る青春期についての記述は後日に回し、表題に立ち戻る。のちの負担を見越し、「利」に飛びつかない生き方を経験から得た。若い人はここに達することはなかろう。失恋に臆病だから恋愛をしないとは違う。

傷つくのが怖いから、何かをしないでおくのとは違う。人を沢山勧誘したが、どうにもならなくなって破綻した詐欺まがいの会社がある。要は、自身のキャパを超えた行動が、結果的に人に迷惑をかけるのだ。会社の業績が著しい時に、営業所をポンポン作るのはいいが、人材がそれに追っつかず、伴わないことで信用を無くす。規模拡大を止めて少数精鋭でやればいいが…


濃いめのカルピスは薄かった

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たま~にカルピスを飲みたくなる。体、咽喉が要求するからだが、科学的にはカルピスの味を記憶する脳が、「カルピスを飲め!」と命令を出す。そのことを我々は自らの意思という。意思は自発的のようだが、実は脳に命令されたものに過ぎない。水を飲め、何か食え、本を読め、女とやれなど、我々は脳の命令で生きていると思えば、何とも不思議に思える。

我々は脳が出す命令で被害を被ることがあるが、どこに言って行けばいいのだろう?「お前はもう生きてる意味はない、いっそ死んでしまえ!」という自殺の命令も脳が出す。そうした脳の命令に困った我々は、心を通わせる友人などに助けを求める。それを相談という。昨日は、「死ね!」という命令を出しながら、今日は「生きろ!」と、脳も気まぐれだ。

他人の命令であれ、自身の脳による命令であれ、人は命令に対して無意識に拒否感を抱くが、そうした命令と戦うのが人間の頑張りである。その時、理性と感情が対立し、その結果として選択された行動を「思慮」という。理性による歯止めを無視した感情行為を「情動」という。これら二つの交差の葛藤をするが、人間は感情に殉じる方が楽なのだろう。

自殺する人は、停止命令に抗うよりも、死ぬことを選ぶ方が楽なのだ。浮気や不倫の静止命令をきかない方が楽なのだ。これが自殺や不倫を止められない理由である。政治家や官僚の汚職も単純明快、お金を貰えという脳の命令だ。法を取り締まる警察官や教師のよる少女への猥褻行為も脳が命令のままの行動だ。となると、自制心をどう鍛え養っていくか?

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自制心とは「力」である。自身の感情や欲望などを抑えたり、コントロールしたりする気持ちや精神力のこと。ある人とない人の差を比べるといろいろ見えてくる。まず、自制心のない人の特徴は何か。単純にいえばデブが多い。人の自制心のあるなしを判断する際、もっとも分かりやすいのが「食」である。言われて気にしないはともかく、デブは自制心なき証明だ。

ちなみにマツコに、「あんたは自制心がないね。体が示してる」と言うと、ムキになって怒るだろうが、怒ろうが怒鳴ろうが、それで自制心がある事にはならない。「あたしは好きで太っているの、文句ある?」というかも知れないが、好きで太ることを自制心のなさと言う。好きなことにひたむきになるのはいいことだが、熱中するのは自制心のなさである。

スポーツなどの技能向上に生かされるが、反面彼らはそれによって新たな自制心を自らに課す。この二律背反が面白い。2月で50歳になるサンカーの現役選手三浦知良は、体重が72kgで体脂肪率が9.2%という。ハリルホジッチ日本代表監督が求めるのは、「体脂肪率12%以下」だから、圧倒的にクリアしているが、その面でカズは日本代表に選ばれてもいい。

プロバスケットの田臥勇太はあるテレビ番組で、「かつ丼や天ぷらのような高カロリー食品を何年も食べたことないです」と言っていた。彼の体重は63kgにして体脂肪率8%である。余談だが、彼らは裸になるとペニスが長く見えるハズだ。男は痩せて下腹部の脂肪がないと棒の標高が高くなる。デブ男は埋もれてどこにあるのか分からない。相撲の力士はミクロペニス。

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土手の高さが2~3cmもあれば厚みも邪魔して子宮に届かない、だから主婦の浮気相手は細マッチョ?というのはデータではなく想像なので悪しからず。ペニスの周りに脂肪がついて埋もれていいことは何もない。ED等の機能障害は肥満によって起るケースもある。これは肥満によって血管内に脂肪がたまってしまう事によって、血流が悪くなってしまうからだ。

勃起とは、ペニスへの血液の流入で、この血液がドロドロになってしまい、海綿体に十分な血液が送り込まれないと、興奮しても勃起できないというED状態に陥る。さらに肥満の人は下半身の筋肉が衰えている傾向があり、勃起の筋肉であるPC筋が弱くなっていることも挙げられる。だからか、デブのおかまは男色に走る。女性に対し、男の機能を発揮できないから。

というのも、科学的見地からの想像であるので悪しからず。「ペニス増大サプリ」というのがあるらしい。そんなサプリがあるとは耳を疑ったが、鍛えるのはチントレ以外にないと思ったが、サプリがあれば話は簡単。といいつつも、増大サプリの原理は、血流量の増加によってペニスの成長を促すものゆえ、体内の血流が悪い状態でサプリで栄養を補給してもダメ。

小太り程度の肥満ならいいが、血流量が気になるレベルのデブはすでに成人病レベルである。マツコのような圧倒的デブを見ると、機能障害を想像してしまう。見た目重視の女性は多く、デブに浮いた話はあまり聞かない。陰でコソコソといっても変装のしようがない。と、カルピスの話がペニスになったが、ペニスが埋もれていいことはないと男諸氏への進言だ。

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デブは見た目以上に問題あり。そりゃ人間は、誰も美味しいものを沢山食べたいが、セルフコントロールをできる人は、食事の量も制限するし、「腹八分」というところでストップできるが、コントロールをしない人、「誰がどう見ても食べ過ぎ」というデブは、自制心がないと思われてしまう。いくら食べても太らない人は、幸いそのように見られない。

衝動買いの多き人も、自制心に問題がある。入ってくるお金は決まっているゆえ、出ていくお金もその中に納まるように、さらには貯蓄できる計画性を持たるべきだ。「あ、いいな」と思うと、後先考えずに衝動買いする人は、自制心とは無縁であろう。自慢話の多い人も、自制心のなさである。なぜなら、人の自慢話は聞かされて楽しいものではない。

したがって、聞かされる相手の気持ちを察して、自慢話を避けるのが自制心のある人となる。悪気のない自慢話であれ、内容が単に事実であっても、人にはそう解されないことは多い。また、感情の起伏が激しい人も自制心の問題である。短気な人を脳の小さい爬虫類の凶暴さというが、そうまで言わずとも子どもを見ればいい。子どもは自制心の鍛錬がない。

泣いたり、わめいたり、はしゃいだり、すねたりなどの感情の起伏が激しく、喜怒哀楽をそのまま表現する。大人になると自制心が備わり、それほど影しい感情表現はしなくなるのが一般的だが、「あいつはまるで子ども」、「何ともガキのようだ」と烙印を押される大人は多い。特に、勝敗を決するようなゲームやギャンブルなどは、自制心が失われ本質が見える。

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いうまでもない、人間は社会的動物だから、衣類を纏うように(これはまあ、防寒のためでもあるが)、本質を自制心によって抑えて生きている。親しい相手と会話をしたり、親しい相手でなくともサプライズ的に相手の反応を見たり、書き物をしている時に、自制心を失うというより、自制心という箍(たが)を外してやろうかいな、と思うことはしばしば現れる。

自制心満タンの書き物が、道徳的でつまらないと思うからで、その辺の境界線は書き手よりむしろ読み手によって基準値は作られる。人によって許容範囲は違うし、それが社会ということになる。だからか価値観を異にしない人間同士が気が合うという。Aに言う同じことをBに言うと嫌悪されたりする。そうしたさまざまな人間をくぐって行くのが人生である。

こういう場合の対応も身につけておくのが、人間としてのそつのなさであろう。「そつがない」とは、「抜かりがない」、「あわてるさまがない」の意味だが、そつを、「卒」と表記するのは正しくなく、単なる当て字のようである。「卒」とは、「卒業」、「卒園」、「卒寿」など、「終わる」とか、「締めくくる」とかを意味し、どのように考えても、「そつが無い」という言葉に適応しない。

以前、「そつがない」の、「そつ」を軽率の、「率」とし、「軽率でない」という意味だと言った奴がいた。当時は説得力があったが、どうやら間違いだった。「そつがない」という言葉を評価として使うことが多い。が、よくよく注意するに、「そつがない」という言い方は、確かにある場面において抜かりはないが、「それ以上の能力を有す」とまではないと受け取れる。

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受け取りかたは人それぞれで、自分はこのように感じられる。だから、「あいつはそつがないね~」の言い方は、自分的には褒め言葉での使用でない。こうしたグレーゾーンの言葉の多い日本語は難しい。「要領がいい」などは、良くも悪くも取れる言葉の代表だろう。「調子がいい」も本来は良い意味の言葉だが、「あいつは調子こいて何やってるんだ」などと悪く使う。

などと、書いてて発見が多いのも書く愉しみである。常々思うのは、表題を決めて書くとき、どうも道草が多くて、「これはイカン」と思いながら修正するから、表題は後でつけることが多い。が、それでも表題に困ることが多い。洋画や洋楽の邦題は意味不明が多くて気にはしないが、中学時代にビートルズの邦題を原題と比べて、「何じゃこりゃ?」を思い出す。

本日の表題、「濃いめのカルピス」は、ウォーキング中にコンビニで発見した、「濃いめのカルピス」にインパクトを感じたからで、そもそも希釈飲料であるカルピスは、家でしか飲めない点がカルピス好きの自分にとって不便このうえなかった。カルピス社も敬遠された時代遅れの希釈飲料から消費拡大を狙って、「カルピスソーダ」を発売したのが1973年だった。

炭酸入りにした理由は、当時の製法技術では普通の水による希釈で長期の品質維持に問題があったためである。ところが、飲んでみるとカルピスらしい味はするが、あの濃厚なるカルピスにはほど遠い。咽喉ごしのよいほどの炭酸ともいえず、これなら子ども時代の定番炭酸ラムネの方がいい。さらにはラムネの大人味のコーラが断然いいと、以後飲まなくなった。

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氷と冷水が必要な希釈飲料は、その面倒くささもあって消費者から避けられ、1980年代後半頃から、原液カルピスは一般家庭において敬遠されて行った。1991年に希釈で長期の品質が保てる技術が考案され、発売された、「カルピスウォーター」は発売とともに大ヒット商品となった。これも自分には不満であった。希釈カルピスは2倍の濃いめ愛飲者の自分だ。

「これのどこがカルピス?」という不満から騙された気分である。そうして2017年、発見したのが、「濃いめのカルピス」だった。二度の不信から、今回はあまり期待をせず、それでも、「濃いめ」とはどの程度の、「濃いめ」かの調査も含めて試飲したが、やはり期待外れ。通常カルピスは5倍希釈だが、これは3倍程度の味か、だから、「濃いめ」と謳っている。

それからすれば表記に偽りはない。が、二度めはないとしながら、やはりカルピスは自宅に限る。自分で濃さを調整できてこそカルピスである。その自由度を尊重しながら、今後も冷水と氷を用意し、手間暇(大層な時間でない)かけてカルピスを飲むと誓った。「初恋の味」とのキャッチフレーズに惹かれた少年期、早く飲んでみたいとせかされた記憶はトラウマか。

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カルピスの秘伝・コークの秘伝

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カルピスを2倍希釈で飲むことで驚く人は結構いた。昔、ジュースといえば、「バヤリース」オレンジジュースくらいだったが、その後に、「プラッシー」というのを米屋さんが配達していた。「タケダのプラッシー」は、医薬品メーカー武田薬品の食品事業を行う武田食品の製造で、オレンジの繊維が混入されていて、いかにも搾りたてジュースという感じが好評だった。

バヤリースは1951年、プラッシーは1958年発売で、前者は1本10円、後者は1本30円だった?子どもにとって5円のラムネが勝った。バヤリースは開発者の名だが、プラッシーの意味は、「プラスビタミンC」を縮めたもの。月決め契約で米屋が毎日配達していたが、瓶の回収が義務づけられたものの、不慣れな米屋にあっては瓶の回収が滞る状態が生じたようだ。

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どちらもサラリの薄いジュースだったが、子どもにとっては高級飲料である。当時の子どもは一袋5円の、「渡辺ジュースの素」という粉末を水に溶かさず食べていた。食べるというより舐めるが正解だ。今の子どもが即席めんを食べているようなもの。あれがジュースだった時代に比べて、昨今は100%ジュースの時代である。贅沢な時代、いい時代になったものだ。

カルピスは1919年に発売以後、基本的に希釈飲料を継続している。希釈飲料は面倒だが、時々の気分で好みの濃さを造れる。とはいっても自分はいつも2倍だが、あのどろどろ感がいい。どろどろ感を初めて味わったのが不二家ネクターピーチで、あれはジュースを超えた果物に近いものだった。当時、子どもが病気になった時しか食べれない桃の缶詰の味がした。

果物好きの自分は、摺りおろし感のある濃いジュースを好むゆえ、不二家ネクターを初めて飲んだ時は感動だった。1964年発売当時のネクターピーチは、果肉ピューレ(果実由来の不溶性固形物)45%使用し、高級感のあるソフトドリンクとして市場人気を得た。当時はジュースとはいえ、無果汁が多く、人工甘味料や合成着色料を使用した製品が主流だった。

甘い物が好きな幼児やどろどろ感好き消費者の需要は少なく、1990年代には、これらネクターにアルコール飲料を加えた缶チューハイ(焼酎カクテル)も登場、口当たりが良いとして若い世代を中心に人気を得た。しかし、時代は変わるもので、清涼飲料水の位置付けが、従来の舌を楽しませる物から、喉の渇きを癒すためのものへと変化して行ったのだ。

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そうした濃厚ブームの終焉もあってか消費は落ち込んで行く。数年前、不二家ネクターを何十年ぶりに飲んでビックリだった。「うん…?、これがあのネクターなわけ?」すぐに分かるほどに薄い。それもそのはず、かつて果汁45%が今は30%表記となっていた。このサラリ感が現代人に好まれるのか?糖分、糖類を貪った我々世代とは質が変わってしまった。

カルピスの歴史は古く、生まれた時には存在していた。そのカルピスが、乳及び乳製品の成分規格等に関する省令(乳等省令)で、日本で初めて乳酸菌飲料に指定されたのが1951年。「初恋の味」という甘酸っぱいキャッチフレーズに憧れたが、高級飲料ゆえにか買ってもらえず、家で飲んだことがない。近所のおばちゃんが飲ませてくれた味が忘れられない。

カルピスが原液で発売された理由は、家庭用冷蔵庫のない時代に糖度の高い原液であることが長期保存を可能にした。1本で30杯飲めるとのキャッチフレーズにも得得感はあった。それでも家にあった事はなかった。1950年代のカルピス価格は調べるも不明。「初恋の味」にしてあの黒人マークは妙な印象もあったが、1990年、人種差別問題に配慮して中止となる。

日本初の乳酸菌飲料は、その健康性もあってヤクルトが追従した。カルピス系乳酸飲料好きの理由は、酸味と甘さのバランスである。夏には炭酸水で2倍に希釈して飲むが、喉ごしの良さは、「カルピスソーダ」などは論外。カルピス原液と牛乳を1:1(薄め好きは牛乳を多め)にポッカレモンを適量、タッパで冷凍庫に約四時間おけばカルピスシャーベット。

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以前から抱いていた、「乳酸菌飲料」に対する疑問は以前からあった。「腸で働く乳酸菌」などのキャッチも多いが、胃酸に打ち勝ち、死なないで無事大腸まで辿り着くのか乳酸菌たち。これには意外や、乳酸菌が生きて腸に届く意味はないという事らしい。「生きて腸に届く」は、商品を売るためのキャッチコピーで、生きているかどうかを気にする必要はない。

朝日新聞2007年8月4日付け土曜日版の、「be report」によると、腸内細菌の権威、光岡智足・東大名誉教授は、「乳酸菌はたとえ腸に届く前に胃酸で死んだとしても、その菌体成分が小腸の免疫機能を活性化する。最近は、花粉症などのアレルギーや、かぜを予防する効果も報告されている。死菌でも効果があることをメーカーはあまり言いたがらない」と語っている。

また、腸内環境改善を目的とした健康食品開発に携わる岡田恭一氏は、次のように説明する。「乳酸菌は体外から摂取した場合、いくら胃酸で死滅せずに腸まで生きて届いたとしても、腸まで届いたあとには死滅して排出される。体外から入った菌は人間の腸管内には定着できない」。とはいえ、必ずしも乳酸菌が生きたまま腸に届くことに意味がないわけではないらしい。

「生きた乳酸菌は大腸内の悪玉菌を減らし、善玉菌を増やす効果があります。ただし、生きた乳酸菌だからといって腸内にそのま住みつくわけではありません。なので、効果を出すためには生きた乳酸菌を毎日摂り続ける必要があります」。と指摘する理化学研究所バイオリソースセンタ―微生物材料開発室室長辨野義己氏。彼は「うんち研究室」で知られている。

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辨野氏は女性の美容と腸内環境について、「腸内環境と皮膚は密接な関係にあり、肌の健康を含め、若さや美しさを保つためには、腸内環境が重要です。女性は大腸の環境が悪く、女性のがんの死亡率は、乳がんや胃がんを抜いて大腸がんが1位。腸内細菌のバランスが崩れると、便秘や感染症、大腸ガンなどさまざまな腸疾患の原因となるので注意が必要です」という。

腸内細菌の様子を知る一番の方法は、自分の便を観察する。「ストンと気持ちよく出せたか、どれくらいの量か、黄い色をしているのか、臭いはどうかなどをチェック。そこから、理想的なうんちを作るにはどういう食事がいいのかを考える」と辨野氏。今や、食事は考えて食べる時代であり、毎日見事なうんちと対面できるなら、がん予防になり、若さも保てる。

カルピスなどの乳酸菌飲料は整腸作用以外に効能もある。乳酸菌による整腸作用とは、腸内で糖分を分解させて大量の乳酸を作りだし、腸の蠕動運動を活発にし、便の水分量を調整して排便をスムーズにする。善玉菌が増えることで悪玉菌を減少させ、便秘や下痢などの悩みを改善するほか、上記した便秘で起こる肌荒れも改善するなど、美肌効果も期待できる。

乳酸菌は善玉菌(ビフィズス菌)を活性化し、ビフィズス菌は乳酸と酢酸を作り出す働きがあり、酢酸の強い殺菌力によって有害な悪玉菌の繁殖を抑え、腸をすこやかに保つ。悪玉菌が増えると便の腐敗臭がきつくなるだけでなく、体調不良に陥りやすく、大腸にポリープやがん発生リスクも高まる。腸内環境を整えると、免疫細胞を活性化させて免疫力をアップさせる。

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これによってインフルエンザなどに強い体を作る。また、アレルギーの発症に大きく関与する免疫細胞の、「Th1細胞」と、「Th2細胞」のバランスを整え、花粉症やアトピー性皮膚炎などのアレルギー症状を緩和する効果も期待できる。カルピスが開発した、「L-92乳酸菌」をスギ花粉症患者に一定期間摂取させたところ、症状の有意な緩和が認められた。

スーパー、コンビニ、ドラッグストア、自販機――。街のあらゆるところで売られているペットボトルや缶などの清涼飲料。その入れ替わりは激しく、新しい商品が次々と登場しては消えていくが、カルピス、ヤクルトは激戦のなか長期間存在を示している国民的飲料である。カルピスは年間11億本を売り上げている。大正時代から変わらない味の秘密とは?

そのカルピスの生みの親として知られる三島海雲がモンゴルに旅行した際に体調を崩した。そこで現地でよく飲まれていた酸っぱい乳(発酵乳)を飲んで元気になり、「発酵乳は凄い!」と感じた経験にヒントを得て発明された。三島が見いだした、「カルピス菌」は、偶然発見されたもので、世界広しといえど他では手に入らず、1%の社員のみによって厳重管理されている。

100年受け継がれているカルピス菌の原液がなくなれば、2度とカルピスは製造できない。ゆえにトップシークレットとなっている。世界で愛される地球的飲料コカ・コーラの独特のレシピも門外不出のトップシークレットで、限られた社員のみしか知らない。2006年、コカ・コーラの社員数人が、その企業秘密をペプシに売りつけようとして捕まった事件があった。

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ペプシはコカ・コーラ社秘伝のレシピを買わなかった。ばかりか、ペプシは連邦警察に通報し、おとり捜査にも協力した。何故か?実はペプシにとってコカ・コーラのコピーを製造するメリットはなかった。ジェネリック薬品のように、効能が同じで値段の安いコカ・コーラを作れば、コークもペプシも、それまでより悪い状況に陥るとの理由だったようだ。

コカ・コーラの秘伝レシピは125年の歴史だが、カルピスの秘伝原液も100年継ぎ足しながら作られている (研究開発本部岡本正文氏)。これは江戸時代からの老舗鰻屋の秘伝のタレのようなものだが、味だけではなく、偶然生まれたカルピス菌は、科学が進んだ今の時代においても、「無」から「有」を作れないらしい。第二次大戦中も、一時的に疎開させたという。

収入が少なく結婚できない

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総務省が昨年10月発表した平成27年国勢調査確定値で日本の総人口は、大正9(1920)年の調査開始以来初の減少に転じた。厚労省がまとめる人口動態統計の年間推計でも、2016年に生まれた子どもの数が、1899(明治32)年の統計開始以来初めて100万人を割り、98万1000人にとどまる見通しである。こうした少子化の最も大きい要因が結婚しない男女の増加であろう。

自分の過去を振り返っても、結婚に憧れがあった。その理由は、社会人として一人前と認知されることが大きかったが、自分の二世はどのような顔をしているのかという素朴な期待もあった。それにしても昨今の若い男女はなぜ結婚しないのか?結婚しない理由には何が考えられるのか。自分たちの時代と比べて今の若者は人生にどういう価値観を持っているのか?

平成28年版少子化対策白書(内閣府)によると、国立社会保障・人口問題研究所が実施した「出生動向基本調査(独身者調査)」では、「いずれ結婚するつもり」と考える未婚者(18~34歳)の割合は、2010年で男性86.3%、女性89.4%であった。1987年時の男性91.8%、女性92.9%よりは下がりはしたが、それでも結婚に対する意欲が高い水準にあるのは数字に表れている。

未婚者(25~34歳)に独身でいる理由を問うと、「適当な相手にめぐり会わない」の選択肢を選ぶ割合が男性46.2%、女性51.3%と最も多く、次いで、「まだ必要性を感じない」男性31.2%、女性30.4%とある。しかし一方で、男性は、「結婚資金が足りない」(30.3%)も、大きな理由になっている。(2010年第14回調査結果より、回答は選択肢から3つまで選択可)

となると、収入の違いが結婚に影響しているのか。25~29歳、30~34歳、35~39歳の各年代で、年収別に配偶者がいる男性の割合の調査結果えおみると、25~29歳で年収100万円未満の男性では、結婚している割合は1割を切っているが、500万円以上の年収がある場合、およそ半数が結婚している結果になっており、あきらかに収入が結婚を阻害しているのが分かる。

昔の大人たちは、「一人は食えなくても、二人は食える」などと言っていたもので、若者はその言葉を、「そういうものか」と受け入れていたものだ。収入がないから結婚できないという現実があったかなかったか、個々の価値観によるものだが、駆け落ち同然に一緒になったという事例は、まさにロマンであり、貧困に耐えて頑張ることは美しいものであった。。

「糟糠の妻は堂より下さず」という言葉をこんにち耳にすることはない。意味さえ知らぬ世代が圧倒する時代である。「糟糠」とは米かす(米ぬか)をいい、転じて粗末な食物を意味する。「糟糠の妻は堂より下さず」とは、粗末な物しか食べられない貧しさを共にした妻は、立身出世をした暁においても、家から追い出すわけにはいかないもの。という意味である。

この言葉を久しぶりにみみにしたのが、ベッキーとの不倫で騒がれた、「ゲスの極み乙女」の川谷絵音の妻である。彼女は、夢と希望を持って上京。そこで知り合った川谷のバンド活動を裏から支え、売れない時代にあって、雑用など積極的に奉仕していた。その甲斐あって川谷と結婚した。ベッキーとの不倫発覚後にあるメディアが、「糟糠の妻」を充てていた。

妻への同情は多く、「川谷絵音の妻が激しく悲惨な21の理由」というサイトもある。どんなに男に尽くそうと、また、男が女に尽くそうとも、人の移り気、気持ちの変わるさまに抗うことはできない。相手に貢いでばかりで幸せになるわけでもない。貢いでくれる相手に情を感じる人もいようが、都合よく利用する人間もいる。貢ぐ側が代償を求めるものでもない。

心血を注いで育てたのに、親の期待を裏切ったと子を責める親。感謝されたいから育てたんか?無償の愛を与えることが愛情だろう。公金を横領してまで女に貢ぐ男もいたが、そういう男は心の底に自己無価値感をこびりつかせている。「貢がねば捨てられる」という冴えない男である。そのようにしか感じられないのは、自分に自信がない、価値がない。

自分は物欲の強い女を避けた。自分は人であって、物ではない。物欲の強い女は、人が物にしか見えないのだろう。あるいは物を得る道具としての人である。冗談じゃないよ、こういうバカ女!なぜ、誕生日、なぜクリスマスに贈り物をせねばならない?期待するのも、されるのも羞恥を感じる。主体的な愛情で、期日に関係なく、贈りたい日にそれをしたい。

世に中の多くが、いや世界の皆がそうするのはいい。「お決まりの日」の期待より、期待のない普段の日でも愛情に変わりない。自分が、「お決まりの日」というのを、なぜに虚礼と感じるようになったか分からないが、ワザとらしいことをする不自然さには耐え難い羞恥を抱く。少なからず、相手の期待が見えるのが嫌なのだ。同時に自分の期待も一掃する。

「事」の善悪・是非というより、嫌なことは1000人中自分ひとりであっても避ける。したくない。物は言い方である。それだけ自分の価値観を大事にしたいのだ。人がするからするではなく、自分がしたいときにした。批判はあろうが、クリスマスや誕生日というのは、自分にとって虚礼に映る。人はそれをひねくれてるというが、ひねくれ者にも一分の利あり。

誕生日を覚えているのに知らないふりをする人は多い。なぜとぼけるのか?を考えると原因は見えてくる。そんなことでいいのか?当たり前のことがいかに不自然で成り立っているか?だが、人がいいならいい。子どもに、父の日・誕生日プレゼントを父親命令で禁じた自分は、無視されて哀しいという世の父を笑っていた。そんなにチョコがもらいたいのか?

当たり前は実は当たり前ではなく、当たり前でないものこそ、本当の当たり前である。人には押し付けないが、極めて少数派であることが楽しい。単にそれだけだ。「恋人の頃や、新婚の頃はもらえたのに…」などとバカなことをいう。あの頃と比べてお前は髪も抜け、腹もでてきたろうに…?「昔はものを思はざりけり」だが、耐えられないなら不倫しろ。

見境なく相手に物を求め、また、見境なく相手に貢ぐのは不幸な人間である。相手の欲望の代償ではない愛情の対象であるべきだ。貢ぎの本質は、「幼児的依存心」だが、、自己無価値感に悩む人はそうした相手を峻別できない。貢ぎの本質が愛情でないように貢がせるのも愛情でない。逢わない友、語り合わない友があるように、物の介在ない人間関係もある。

いつから「収入がないから結婚できない」という時代になったのか?「お金なんかじゃない。貧乏でもいいじゃない」が、美しいのは分かっているが、それを欺瞞とみるのだろうか?皆が貧しかった時代にそうした斜め目線はなかった。確かに白書に記された数字をみれば、若い世代の収入は、20年前とくらべて低所得にシフトしている。正社員率低さも問題だ。

正社員の男性は、25~29歳・31.7%、30~34歳・57.8%が既婚者となっているが、パート・アルバイト雇用の男性は、25~29歳・7.4%、30~34歳・13.6%と有配偶者率が大きく下がり、就労形態によって家庭を持つ割合に大きな違いが生じていることがうかがえる。(出典:2014年・労働政策研究・研修機構「若者の就業状況・キャリア・職業能力開発の現状」)。

数字ばかりでは分からないことも確かにある。自分が今、若者であれば実感的に分かることもあろうが、数字だけでしかとらえないから、現実感に乏しいのは仕方ない。ずいぶん前から取り組みが行われている少子化は、改善の兆しが表れていない。少子化の問題は、世帯の収入が少ないからと思いがちだが、実は豊かになり過ぎたこの国が抱える問題でもある。

つまり地球上のどこの国でも、少子化は豊かになった国でどこでも起きた現象で、詳細は省くが、これには「人口転換」という社会学的要因がある。エッセイストの酒井順子は、2003年に『負け犬の遠吠え』を著わした。酒井は自由に、優雅に暮らしているように見える30代以上、未婚、子なしの女性を、実は人生の敗者ではないかと疑い、考察の末に書いたという。

そんな彼女も50歳。昨年は、『子の無い人生』を出版して話題となる。「女の人生を左右するのは、結婚しているか否かではなく、子どもがいるかいないかだ」という考察に至った。批判もあろうが、彼女が未婚で子無しであることが、批判の緩和になる。すべては自虐の本音ネタともいえる。なぜ結婚しない動機に興味はあるが、独身、子無しの実態に興味はない。

老人が読む本でもない、読みたい本でもない。男が書く本でもない、男が読む本でもない。『負け犬の遠吠え』しかりである。単に読み物の域に収まらず、ホンに「負け犬」とし、「遠吠え」と実感するなら、結婚に前向きになればいい。独身の男も多く、女も多いなら、二人がくっつけば独身解消はできる。それほどに収入を問題にするより、「何とかなる」だろう。

いつだか、誰かが言った。「結婚は勢いよね」。確かに…。あれこれ考えすぎると行動はできない。大恋愛であっても離婚が多い時代、勢いが間違いとは言い切れない。『子の無い人生』というのは、言い換えるなら、"子のできない女"と言う事だろうが、高齢出産の危険性も緩和された時代である。40歳の中頃までに相手を射止めて「子の有る人生」は可能。

収入で結婚できないのは、単なる引っ込み思案であろう。昔は今より、ずっとずっとずっと貧乏だったが、5人、6人、多くて9人、10人の子どもがいた。比べる意味はないというが、比べて強く生きることはできるだろう。貧乏を怖れるの本心は、人並みの生活ができないとの憂慮、人と比べてナンボという奴。いいではないか。人並みより、自分並みの生活で…

総じて現代は自己過保護蔓延の時代。「傷つくのが嫌」との理由で行動しない若者が真に怖れるのは、「傷つく」事の前から、「傷つくのでは?」という仮定を怖れると同様に、「貧困が嫌」の実態の前に、「貧困では子どもが可哀想」という仮定への怖れ。貧困が当たり前の昔、人は貧困など怖れてなかったが、昨今は、「貧困なら独身でいい」ということか?

「お化けが怖い」という女がいた。よく言われる「怖い」の本質を、論理で説得させようとこう言った。「お化けが怖いって、お前はお化けを見たことがあるんか?」、「見えないものは存在しない。いないものを怖れるな」と、納得させたつもりが彼女は、「それでも怖いの…」という。見えない物の怖さに心理学的根拠はあるゆえ、仕方ありませんね~。

再び孤独について…

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異性交友も広げすぎると破綻する。二股、三股は当たり前、五股、六股の強者は、すべてが惰性だ。先日の記事の女性は、「私の勝手で削除して申し訳ない」と、罪を詫びるが、ブログを止めて何の罪だ?両手を広げて何でも受け入れようとした場合に起こる顛末である。勝手に始められ、勝手に終わるも自由なブログを、謝るところがいかにも女性らしい。

いい人ぶる女性の典型で、ファンに慕われているとのぼせている。そうであってもなくても自分の都合で止めていいのに、SMAP解散の御触れではではないんだから、そうまで大袈裟に考えることもない。自分が依存するから、ファンも自分に依存しているように考えるのだ。罪なきことを罪と思いたいところに、人間的なしょぼさ、驕り、自己顕示がみえる。

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批判というわけではない、人の心の実態である。いろいろな人に出くわすが、こういう事もあった。自分の記事にコメントが付き、コメントに返信したら、相手がコメントを削除、返信だけが残る。自分も自由、他人も自由なら、こういう事もあっていい。制約も規則もないし、批判することもない。ない代わりに、ネット上の関係はそんな程度のものかの認識となる。

なにかにつけて断るのが悪いからと、自分に無理をするとだんだんと断りづらくなる。人間関係にありがちな事象で、自分に無理をせず、断るべきは断るのがいい。物事は最初が肝心であると心に刻むことが賢明である。友人関係には、"もたれ合い"というのがある。馴れ合いともいう共依存関係だが、これが時として人間に負担をもたらせたりする。

先輩に連れられスタンドバーに行った。彼はそこの常連であるらしく、それを踏まえたママの応対がハナについたが、彼の自尊心を満たすものだ。常連という誇りって何だ?彼はまるで猿回しの猿のように見えた。酒を飲まない自分ならではの冷めた見方である。「いい顔」という言葉があるが、これがまさに、「いい顔」というものだろう。「常連なんですね」と顔を立てた。

「まあね」とさりげない言い方が滑稽だった。「よく来られるんですか?」のはママが口を挟む。「〇〇さんは、週5日の皆勤ですよね」と持ち上げれば、「たまに日曜もだね」と満面顔。(飲めないでよかった。お金が大変だわ)と腹で思う自分。いろいろ思うところがあったが、店から常連という勲章を得るのが、顧客にとってステータスなのだなと感じられた。

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自分に「常連」なるものは無縁であった。彼女のアパートの常連であったが、こういう場合は常連がいい。いちげんさんが頻繁に出入りするようなところには行けない。お酒の世界での男の動態は、映画やテレビドラマで想像はできるが、まるで知らない世界、今日の今まで体験できなかったゾーンである。飲み屋の常連についての皮肉を込めた面白い文がある。

「ホテルでも街場でも、バーではまるで、「店の身内」のような存在の客を目にし、常連はいいな、いつもおいしい酒が飲めて楽しそうだなと思ったりする。ただ、常連ヅラをしたり常連の気配を出している客を見かけることもある。店側もわかっているのか、客が、「いつもの」と言ったりすると、「何でしたっけ」と訊き直すのを目にしたりする。

そんな時は思わず、「やっぱりこの店は、いい店だな」と苦笑する。パブリックなバーや喫茶店については、「いい店」というのは、「誰にとってもいい店」がいい店で、「自分だけのいい店」というのは、あまりいい店じゃないのだ。自分にだけ贔屓してくれる、誰も分かってないけど自分だけがいいと知っている(なぜなら常連だから)、などと言明したりはよくない。 

店の「常連」というデリケートな存在のありようは、自分がそうだと名乗るのではなく、店から言ってもらえる、それも自分がいないところで、ということで成り立っている。「いつもの」は、店側から、「いつもので良いですか」と言ってもらえるかどうかだ。バーは馴れるまではややこしいことだらけだ。カクテル一つでもレシピ(つまり情報)はない。

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したがって、その店で誰かに教わるしかない。誰かというのは先輩だったりバーテンダーだったりするわけだが、どんな味がするのか(当然店によって違う)はもとより、飲み方もわからない。飲み方なんて言い方をすると、「どうでもいいんじゃないの」という声が聞こえてきそうだが、カシスオレンジでメシを食ったりはよくない。バーはパブリックなのだから。

酒を飲まない、飲みにも行かない自分にとっては、まるで未知の世界如き文章である。どうやら大変なところのようで、あるがゆえに男にとっての勲章なのだろう。店から常連という称号を得んがために、あくせく通い詰める顧客の心情が伝わってくる。なによりも文中にある、「常連はいいな、いつもおいしい酒が飲めて楽しそうだな」の意味がわからない。

アルコールは苦しいばかりの下戸にとって、おいしい酒、楽しい酒って何?言葉で説明されたことはあるが、実感として分からない。永遠の謎であり、飲めないゆえに仕方ない。確かに、「酒」は雰囲気だという。自分に言わせると、「女」も雰囲気である。それと似たものかな~と、自分に照らして考える。酒の世界を覗き見、男もいっちょ前になるのは大変なようだ。

そういえば女の子の人間関係にあって、「人間関係で自分に無理をし、ストレスから逃げたくなる」という相談は多くあった。重症患者もいた。男にも他人にいい顔をしたのはいるが、女性には多いと感じる。「イヤなことをイヤといえない」心情は理解できるが、それを言えば人からよく思われないという恐怖のようだ。話を聞いても、「恐怖」である以上仕方がない。

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最初に断れないから、断りにくくなるというのは人間関係の道理で、恐怖がそれを阻む。どうすればいい?できれば答えは簡単。「いい人」を止めればいい。いちいち、「人の機嫌」を考えることはない。が、これができない。幼少期から、常に親の機嫌や感情の起伏に悩まされた子であろう。自分の行動が親を不機嫌にしたという罪悪感に苛まされた子ども時代。

こういう子どもにしてしまう親が、実はダメ親の典型である。つまり、自分の不快感上で相手を動かそうとする人間だ。自分が機嫌が悪いのは子どものせい、という態度を露わにする親を誰もが経験したはずだ。なのに自分が親になってそれをやるのか?バカ上司の部下は常に機嫌を伺いながら仕事をせねばならず、同様に親の機嫌を伺いながらビクビク育つ子が、まともに育つ?

子どもが親に「バカですね」といえるといい。部下が上司に、「無能ですね」といえるといい。幸い自分は、「親の機嫌の悪さなんか知るか!勝手にそうなっている」と思っていた。誰に教わったわけではない、自然にそう感じられた。だから、親に反抗する子の多くは、親の都合、親の理由に飲み込まれない子だ。それがまた親にとって面白くない。勝手にやってろだ!

それを思うと、幼少期から親の操り人形に生きて来た子は可哀想と思うが、問題はそこから抜け出るための、「親殺し」をいつ行うかである。話して頭で理解しても、体が動かない、行動できないことは多い。自分の生かすために相手を殺すのは当然である。親に対する依存を絶ち切ることで、親の呪縛から脱却できるが、依存心を捨てなければそれはできない。

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依存がある限り親を敵に回せない。社会における人間関係は、後の行き詰まりを考え、最初から距離感を保つようにできるが、親子関係や兄弟は、最初から距離感を保つようにできない。距離感が近い争いは肉親の悲劇である。子どもに支配欲が強い親にどう対処するか、子どもにとっては切実な問題であろう。本当は、親が考えることだが、バカ親にはそれができない。

親から嫌われたら苦しいという負い目が、子どもの人格を歪めてしまう。つくづくバカな親であり、哀れな子どもである。この手の子どもの悩みを聞くたびに親に反抗するよう進言するしかない。人に不快感情を露わにして、相手に何かを改めさせようとする人間を自分は徹底無視する。取り合わない。自分がこうなったのはお前のせいだと言わんばかりである。

「冗談こくでねぇ」。人に自己反省を促す不快感情は、当人の心の器(大きさ)の問題だろうし、何でも他人のせいにすればってもんでもない。「ここで喜んでもらいたい」、「ここで悲しんでもらいたい」、「ここで感謝してもらいたい」、「ここで慰めてもらいたい」などには応じない。当然ながら自分も他人に要求しない。理由は、それを悪だと感じるからだ。

上記の一切は他人への押し付けでしかないし、自分の感情を他人に押し付けて、自身の気分転換や解決を図ろうなどは、無様で大人気ない。自身の問題として解決すべきことを他人のせいにして、相手に謝らせるとでも?こういうやつは人間関係の調整能力もなければ、物事の解決能力がないとしたものだろう。他人の不機嫌の責任を負う必要はないと突っぱねて正解。

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その日、その場の気分で親に立ち回られる子どもの不幸。時々の感情で上司に使われる部下の悲劇。友人の感情の起伏に振り回される者の悲惨さ。そんな親、そんな上司は尊敬しないでいいし、そんな友人は友人でない。そのように毅然とすれば自分を強くできる。あまり無理も我慢もいけないが、他人に露骨な不快感情を現わすくらいなら孤独を選択すべき。

人のせいにするのは自分を責めたくないからだが、実は人を責めること=自分を責めている。罪悪感をいっぱい背負い込んで自分を罰している。その苦しみから逃れるために人のせいにする。「後悔」も同じ、過去の自分を責める事。孤独は何事も自分で受け入れる。人のせいにしないから人間的に強くなる。すべてを受け入れるのは精神衛生上にも良く、一石二鳥だ。

再び孤独について… ②

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「常連さん」という言葉をいろいろ耳にし、どちらかというと肯定的に捉えられているようだが、自分などは過去も現在も、「常連さん」という経験は無縁だ。酒好きでさえ、「〇〇に行くのはいいけど、常連ばかりで後ろめたい」という声も耳にするし、常連は飲み屋の勲章というが、自由主義の自分に常連はむしろ拘束と感じられる。最近はネット内の常連を耳にする。

かつては親密な関係の相手は1人、2人いたが、常連と称する集団の経験はなく、自分が訪れる常連の場はなかった。持ち上げたり貶したりの意図はないが、他人のブログのコメントに、自分のブログのように思うところを率直に記すのはよくないと、あることを契機に判断し、見るだけに留めている。たま~になので自分の足跡を残すこともあり、残さないこともある。

一日一句の格言や慣用句を記している、ただそれだけの数行にも満たない記事に100人を超えた人が評価するのをビックラ驚きもするが、これを常連の、「証」というのだろう。また、壮絶な量の日々のコメントに、同じような返信をするブログも楽しみなくしてできないと、感心する。自分の長文ブログも、他者から見ればよくも書けると言われると同じかと…。

自分は、「書く=知る」、あるいは、「知る≒行う」の楽しみだ。好きに書き、それに合わせた画材や動画を貼ったりの自己満足だが、コミュニケーションを楽しむ人もいる。会話も楽しみと同様、異論・反論などの対話も楽しいものだ。というより、「ものだった」が正解で、最近は異なる意見や論を戦わせるのが面倒になってきた。若い頃には発奮したものだが、これも経年の丸さかと。

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「お父さんらしくなくなった」、「昔と全然ちがうよ」と子どもは言うが、確かにその通り、子育て期間と終了した今では自身は別人である。人間は同じだが、父親という役目は終わってしまった。「役目」が終われば残るのは、「地」である。親という役目をやっているときの自分は、自分の理想とする父親像を頭に置き、あるいは描いて演じていたに過ぎない。

教師は教師のように、警察官はそのように、宗教の教祖はそのように演じるのが「役目」というものだ。最近は、「役目」の箍が取れたのか、自制心がおっつかないのか、警察が泥棒したり、教育者が子どもを買春したり、弁護士が違法な所業で捕まるなどが多い時代だ。「倫理観の欠如」などと簡単にいうが、「役目」を負ったものが、「役目」に不向きは問題である。

「倫理の欠如」などと簡単に言う事ではない。昔、教師になった友人が、キレる子ども蔓延時代に言い合ったことがある。言い合いこそが自分の信条と粋がってた若き日の想い出だ。彼は毎日学校に行くのが億劫だという。子どもは教師のいうことなど聞かず、強くいえば言い過ぎたと親から電話がある。踏んだり蹴ったりの板挟みで、教師がつくづく嫌になったという。

あげく、自分は奨学金で大学に行った。教師になったのは奨学金を返還しなくていいからで、本当は企業に就職したかった。教育などにはまるで興味も関心もなかった。まあ、友人だからホンネをいうのだろうし、ホンネだから正直で評価する部分はあるが、自分は友人に対して猛烈に腹を立てた。「辞めたいから愚痴るのか、辞めたくないから愚痴るのか、どっちだ?」

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彼は、「多分…、後者だろうな」といった。「愚痴るだけで何も可決しないのは知ってるだろうし、男がゴチャゴチャ愚痴るなよ。教師ってそういう人種か?」これには彼も頭にきたのか、「サラリーマンが居酒屋で愚痴を言わないとでもいうのか?みんな現実に対して愚痴の一つ二つこぼすだろ?」というので、さらに自分はその言葉に血が昇っていった。

「言いたい愚痴だろうが俺の前でいうな。俺は愚痴は言うのも聞くのも大嫌いだ。友達だから愚痴っていいなど女の世界よ」。「分かった!お前の前では言わん」というので、「出来るなら誰の前でも言わず孤軍奮闘せーよ。愚痴は自分を甘やかせる」。「お前らしいな」というので、「『お前らしい』は批判でも肯定でもいいが、とにかく愚痴は止めろ」と押す。

「誰でもいう」などと、愚痴を正当化するから言いたくなる。言わないコツは愚痴を批判する事。「人が言っても自分は言わない」それが批判。腹が立ったのは愚痴その事ではなく、彼がどういう理由で教師になった、そんなことはどうでもいい。が、教師になり、現実に教師という役目を負ってる以上、「自分は教師になりたくなかった」は言うべきでない。

そう思いながら教師を続けることに意味はない。では、何のために続けているのか?それを惰性と呼ぶ。サラリーマンが惰性で生きるのと、教師が惰性で生きるのとはまるで違う。そもそも教育というのは、「人が人を教育する」という傲慢さの上に成り立っている。だからその救いというのは、一生懸命にやる事でしかなく、それが傲慢を許されることになる。


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人間は生身で気分屋だから、「常連さん」にも、「常連になった」の苦悩はあろう。SNSやブログなどの常連さんも、自らの都合で行動すれば負担を感じないが、顔を出さなければ(相手に)悪い、コメントをしなければ悪いという風に、相手主体になりやすい。何事も義務は負担になりやすいもの、そこに、「行く」、「行かない」は義務より権利とするのが楽に決まっている。

積極的な交流を楽しむ、生きがいにする、「場」の賑わいを誇るのもいいが、人間関係のストレスは、主体が自分でなく相手によって引きおこされることを経験で知る自分は、後の災いとなろう種は最初から撒かないよう心掛ける。「災いは最初に摘み取るべし」の諺もある。常連であることを誇る客もいるが、「うちは常連さんだけ」を誇る店の経営者もいる。

そういう店には、「常連さん以外お断り!」と張り紙がある。これが何を意味するか?常連にならねばならないという、暗黙のステータスとなる。人間の心理は微妙で面白い。社会でステータスな人ほど、特別な環境を求める。それがステータスという自尊心である。「status」は、地位、身分、立場、状況などの意味で、本来は地位が低い場合にも使われる。

が、日本語的にステータスをいう場合、高い意味に使われている。したがって、そんな場であれ、常連を沢山持つのがステータスなのだ。常連の悩みはいろいろ聞く。不景気で会社が火の車でも、男のプライドか、借金してでもバーに通い詰める貧乏社長もいる。落ち目の芸能人が虚飾を捨てられないのは、小室哲哉などの例もあり、どん底に落ちてやっと解放される。

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ハリウッドのセレブなどは落ち目ぶりもケタが違う。高級車45台を所有するジョニー・デップがとんでもない浪費癖で破産寸前と報じられている。彼は南フランスの城やバハマ諸島のプライベート・アイランドやハリウッドに複数の豪邸など、14の不動産に7,500万ドル(約86億2,500万円)を費やし、プライベート飛行機に月額20万ドル(約2,300万円)かけていた。

会員制バーの常連というしょぼい自尊心にくらべて、確かにケタが違うし、想像すらも不可能である。しょぼいクラブの常連といえども、見栄で行かねばというストレスを持つ人は、スッキリ止めた方がいい。「常連」となっても、行動原理が自分であればいいが、「常連」の代名詞がついた以降、なぜか普通に戻せないという。これも、「空気感」という束縛だ。

山本七平は、『「あたりまえ」の研究』の中で、日本人の原理として、「見えざる原理」を指摘する。自分にとって、相手にとって、いわゆるあたりまえとして認識された行動が、実は自身の負担の中で発生していたりする。いずれかが我慢をし、負担をすることで、「あたりまえ」を維持しているのだ。「No!」が言えない内向的な日本人の習性というしかない。

自由に生きることは、「負担」を排除することである。今は負担でなく、率先であっても、慣れが率先を負担に変えることはある。その時、自分にも相手にも遠慮なく適宜に行動できるかというと、そうもいかない。情況が変わっても、思考を変えられない。今あることを変えることに勇気が出ない。変えることに恐怖に感じるひとは、他者に認知されて生きてると感じる人間だ。

イメージ 6自由を楽しむ人間は相手に媚びないし、相手をも自分に媚びさせることをしない。利害関係がない、常にフラットな人間関係を好む。(相手に)何かをしてあげてるというのは、時には驕りになり、(相手に)何かをしてもらうのは、最初は依存であれ、いつしか弱みや負担になる。人間は、その場、その時だけの事しか考えないから、後に災いをきたすが、そこを知るべし。

「今でしょ!」なるキャッチが流行った。自分は好きではない言葉だった。「今だけを考えた今ではダメ」で、先をも考えた、「今」であるべき。それをしないで、「今」、「今」、「今」では、考えなかった部分における後悔が現れる。優柔不断で行動できない人間に煽る言葉と捉えていたが、行動力のある人間は、こういうまやかしの言葉に迎合しないだろう。

青春時代に戻れる

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と、いっても頭の中での事。さまざまな思い出はあるが、やはり語り合ったことだろう。若者は朝まで語り合うエネルギーがある。口角泡を飛ばし、唾をとばし、時に胸ぐらを掴み合いながら…。穏やかな会話というより、自己主張がメインの対話こそが若さの証明だった。恋愛、社会問題、時事、思想、生き方、犯罪、死刑の是非、自殺についてなど、膝を突き合わせた。

♪ 青春のうしろ姿を人はみな忘れてしまう…、日々の喧騒に我を忘れることはあるが、ほのかに香る青春の日々を忘れることは決してない。♪ 泣きながらちぎった写真…、というのはないが、これはいかにも女性らしいシュチエーション。♪ わけもなく憎らしい…、の情緒に至っては意味すらわからない。憎いわけはありそうに思うが、失恋の痛手は、憎めない憎しみなのか。


よく青春時代を思い出す。いろいろと思い廻らせば、その時見えなかったものが見えてくる。実感というのは、その場、その時に感じるものだが、青春期に感じて行動した基準が、その場の実感というものであったろう。頭で考えた上の行動も含めて実感だが、大人になって眺めると、正しくなかったと思うことがほとんど。バカな自分だったと笑えてしまう。

似た者同士というが、人は気の合う相手といるのが楽であろう。が、自分の場合、まるで異なる性格の友人が多かった。それを今、なぜかと考えてみると、異性に興味が沸くように、異なる性格の人間の方に興味が沸いたようだ。今では思慮深い部分もあるが、若い頃の自分は思考行動型ではなかった。「思い立ったが吉日」、「善は急げ」の行動派であった。

思考も厳密にはエネルギーだが、行動というのは見るからにエネルギーの放出である。若さというのが有り余るエネルギーの放出であるのを、多くの人間は実感しただろう。が、自分の友人でのKはまるで行動しない奴だった。思慮深いといえば聞こえはいいが、してみない事には分からない行動をしないで、分かったような結論ばかりを言うやつだった。

有り余るエネルギーを出し惜しみして何ぞ青春か?それでこそ現実に対する関心が沸き、さらには学ぶ意欲にもつながる。失敗であれ、成功であれ、どちらからも学べるし、「学び」への興味も強くなる。どうも、「学ぶ」というと勉学や知識の習得に誤解されるが、小中学校の授業に、「体験学習」というのがある。工場見学に限らず、遠足も修学旅行も体験学習だ。

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青春横臥=学びであり、これらは矛盾するものではない。何か知らんが、今の時代は早くから塾に缶ズメにしておくのが、得だみたいな考えは、塾や予備校の回し者であろう。大切なエネルギーは無駄に使わず蓄えて、今はしっかり勉強すべし、とこういう時代に人間としての未来はない。普通の人間が量産されるだけである。親は保守的だから、普通を望むようだ。

勉強をするのが「今でしょ」なら、それ以外の行動はいつするのだ?塾の回し者でない自分からいわせると、「今でしょ!」である。その時代には、その時代だけの人生があるのだから、18歳だけの人生、40歳だけの人生、60歳だけの人生があるのよ。それを否定する者には自分の言う事は理解できないだろうが、18歳で味わえないことが40歳で味わえるのか?

つまり、青春時代に思い切り体験しておかねばならぬことは、もはや二度と体験できないのだ。40歳では味わえない、50歳でも味わえない、ただ、青春の時にだけしか味わえない感激というものはあるのだ。海舟や龍馬に心酔する友人のKは、「自分は立派なこと、価値のある偉大なことをすべき」と思う奴だった。だからか、我々のような無軌道的行動を批判した。

彼の批判の根拠が面白く、興味もあったからかちょっかいを出したりした。彼は、「よくそんなつまらんことやっていられるな?」と逆に自分にちょっかいを出すのだ。彼の場合はちょっかいというのではなく、真剣に真面目に指導者風にいう。「小さなことや、日常の他愛もないことは、自分には相応しくなく、やる価値も見いだせない」と思っている男なのだ。

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彼はどんな大物になるのだろうか?と、その時は思っていた。こういう人間が、とてつもなく偉大な人物になるのだろう、という部分もあった。それほどに彼はいつも遠くばかり眺めていた。そんな彼を自分は肯定的に眺めていたのだ。確か40歳の区切りの年だったが、人間として「不惑」と言われる年代に、ふと彼のことを思い出し、自宅に電話を入れてみた。

彼の実家は静岡県沼津市で、20年を経て声や口調は変わらぬままだった。彼は東京時代も静岡訛りを直さない奴だから、地元に帰って東京言葉を使うわずがない。彼は独身であり、仕事は段ボール工場で働いていた。約1時間くらい話した中で、意外なことを言った。「俺はお前が羨ましくてな、だから虚勢をはって、自分が壊れないようにしていた」。「そうなんか…」

「自分ができないことを、しないと人に思わせていた。だから今だに嫁も見つけられん。女は苦手だから…」。性格も真逆で強気で能弁な彼に反論するのは面白かった。こんなやり取りは記憶にある。「目先の小さきことをやれない人間が、大きなことができるはずがない」、「やる気がない、やりたくないと、エネルギーを使わなければ、衰弱するだけだ」などなど…。

反論しながら内実彼は大物になる予感を抱いていた。彼は、「無駄なエネルギーは使いたくない、いざという時のために温存しておくべし」との持論を所有していた。こちらの価値観を変えられる話術が彼にあった。彼の論理の破綻は今ならよく分かる。エネルギーの使い方などと効率について、そういう打算的なことを言うこと自体が消極さの現れである。

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そういいながら動かない、行動しないことがエネルギーを消滅させる。消費し、継ぎ足し、また消費して継ぎ足す。それがエネルギーの本当の使い方で、効率など考えるべきでない。エネルギーを貯めると劣化し腐る。彼は、使いたくなかったのではなく、使う術を知らなかった。近くのものを見ようとせず、遠くばかり見ていた。その方が行動しないで済む。

結局彼は、「できない」を「しない」というネガティブな自尊心をを見せていた。「快眠」、「快食」、「快便」などは、低水準の低い日常必須行為とみられがちだが、それすらできないで、遠く彼方にあることが自分に相応しいことだというのは滑稽なことであるように、活動的、意欲的な人は、決して小さいことをバカにしたり、おろそかにしないものだ。

あのライオンでさえ、ウサギのような小さな獲物を捕らえるときにおいても全力を尽くすものだ。「大きいことしたしたくない」人に、大物になる資質はないということになる。Kが大物になれば、友人たる自分もハナが高くなるとの期待はあったが、今は彼の素朴な生活の繁栄を願う。大物になるだけが人の人生ではないのだから。と、心のエールを贈っておく。

彼の優越意識は劣等感であった。劣等感は人間の弱さの一つであり、扱いにくいものでもある。彼はその鼻っ柱の高さのせいもあって、人から好かれてはなかった。背の低い者が背の高い者を妬んだとするなら、二人は友達にはなれない。成功した人に対して妬みを抱き、陰口をきくようなら、二人は親しい友になれない。いうまでもない劣等感はネガティブなもの。

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ならば優越感はポジティブなものなのか?そのように言われるが、優越感は劣等感の裏返しである場合が多い。あるエリート官僚がいた。彼は優越感を持っている。ところが、そんなことを全く問題にしない、気にもとめない人の中にいたら、「俺はエリート官僚なのだ」と威張りだすか、我慢をしてそこにいるか、もしくは居心地が悪いからその場を後にするか。

どちらにせよ、彼は自分の優越意識を他人に認めてもらいたい、もしくはそれが記されているような席次や挨拶の順序などが心地よい。つまり、優越感とはいえどもそれを披露できないなら折角の優越感も無意味となる。持って不幸な優越感というのはいくらでも体験する。将棋仲間のIさんは将棋の段位の免状と、大会入賞の賞状を車の中に入れて持ち歩いている。

それを初対面の人に見せる。「ワシもみた」、「見せられた」という。自分が見たせられた時は「ふ~ん」くらいは言ったか言わなかった覚えがない。何とも思わなかったからだ。Iさんの棋力は知っているから、免状の段位などは何の基準にならない。さらにIさんは、大会ではいつも2級以下のクラスに出場する。お咎めはないが、本人もそれが順当と思っているようだ。

段位の免状などは棋力を表すものではないが、Iさんはそれを見せたいのだ。なぜ見せたい?自慢であろう。なぜに自慢?力が段位に伴っていないからだ。力がなくても有段者と言いたいIさん。免状や賞状を持ち歩くことなど、普通は誰もしない。だから話題にもなる。が、それが彼の性格だ。人がどのように思うかなど考えない。だからできるし、その意味で変わった人。

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Iさんは仲間うちで、「自分より弱い相手としかしない人」と言われている。こうしたネガティブなイメージは羞恥であるが、彼の意思行動だから仕方がない。人の下にいるのが嫌なのだろう。人はいろいろで面白い。いつも何かに抑えつけられてるような人、自分の気持ちに素直になれない人、人の言葉にすぐに傷つく人、いつもいらいら欲求不満の人など…

そうした人たちは自分の生活の範囲、周囲の世界にいらいらの原因を求め、だからかいつも自分の周囲ばかり非難して生きている。なぜ自分を変えようとはしないのか?それが先決だが、そういう発想がないのが不思議に思える。確かに自己変革は簡単ではない。しんどいし、骨が折れる。人は自分と、自分は人と同じではないのに、人間の思考基準は常に自分だ。

当たり前の事だが、かといって自分の考えを強引に押し付けないことだ。他人の魅力に気づくことも大事。他人を認める度量も大事。お山の大将を自負したところで、他人は自分を認めない。認めてもらおうと無理をし、躍起になるのはいかにも見苦しい。威張ることもない、羨むこともない。「人は人でいいし、自分は自分でいい」に行き着けば人間的度量も増す。

愛と性に悩む青春期 ①

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恋愛、社会問題、時事、思想、生き方、犯罪、死刑制度、自殺…と書いたが、これ以外に何を話し合ったかを思い出す。20歳そこそこだから、結婚や家庭や子育てについての記憶はない。音楽やアーチストの話はしたな。中学の音楽の教科書で教わる、ドイツの三大といえば、バッハ(Bach)、ベートーベン(Beethoven)、ブラームス(Brahms)のことだ。

若気の至りか、「女の三大」を、ブラウス(blouse)、ブルマー(bloomers)、ブラジャー (brassiere)などと、よくもそんなしょーもないことを女に向けて言ったものかと、今に思えば呆れてしまう。さらに付き合うのを避ける女の三大として、ブス、バカ、美容師などが必須アイテムだったが、自分はこの考えに反抗的で、いずれも良い女と見ていた。

美人は3日で飽きるが、ブスのいいところを発掘するのが楽しい。また、主体性などまるでない無害のバカは男にとっていい女だった。賢い女も悪くはないが、当時女の賢さとは勉強できることをいい、知識遊びはできても、知恵遊びはできなかった。ひょんなことから麻布の高級美容室の見習い美容師と付き合った。そこには有名芸能人が来るとの話が楽しかった。

音楽談義だが、自分はポピュラー音楽の五大が好きだった。ボブ・ディラン(Bob Dylan)、ビートルズ(Beatles)、ビージーズ(Bee Gees)、ビーチ・ボーイズ(Beach Boys)に、少し遅れてビリー・ジョエル(Billy Joel)。ビリーの大ヒット曲、「ストレンジャー」は1977年である。同曲をラジオで初めて聴いたときは、エルトン・ジョン(Elton John)と錯覚する程に声が似ていた。

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そうした洋楽アーチストや、日本のフォークソング談義をバカみたいに熱く語りあった。何であんな白熱した言い合いができたのだろう?ビートルズ vsストーンズ、吉田拓郎 vs 井上陽水に分かれて貶し合った。当時は小汚いストーンズが大嫌いだったし、陽水(の声はいいが下手くそなギター)は好きになれなかった。アコギのテクニックにスリーフィンガーがある。

ディランはやらないが、ピーター・ポール&マリーのスリーフィンガーは正確無比で圧倒されたし、拓郎の、「花嫁になる君に」のスリーフィンガーは、「スゲ~」の一言で、これは石川鷹彦などのスタジオミュージシャンのプレイかと思いきや、テレビで拓郎の実演を観て驚いた。martinD-35の乾いた音に憧れ、いつの日かこのギターを手にしたいと夢見ていた。


さて、恋愛について語り合ったことは今でも覚えている。なぜなら、人間の基本的な恋愛観はそうそう変わるものではないだろうし、50年前も今も変わっていない。変わったのはむしろ結婚観だろう。できるなら結婚は男も女も成熟した40歳手前くらいが理想と思うが、なかなかそうもいかない。その意味で現在婚活中の40前女性は、男を見る目がシビアであろう。

シビアとは、「非常に厳しい」、「途方もなく過酷」などの意味で、シビアであり過ぎるゆえに相手を見つけられないのは悲惨である。人間性についてはシビアでいいが、人間性以外の収入や容姿や学歴にまで欲を出すからだ。確かに結婚は、「勢い」の部分がある。やって見なければ分からない謎の部分が多いからで、用心深い人、保守志向の人はそれができない。

「当たって砕けろ」というのは比喩であり、必ずしも当たれば砕け散るわけではないが、臆病な人間は砕けたくないのだろう。臆病な人間をたくさん見てきたが、とてもあんなではやってられない、生きてて何が楽しいのかと思うだけだった。そんなことは臆病な人間にとっては耳に入らないし、彼(彼女)らにとっては、臆病が普通なのだから、勇気は異常となる。

これを勇気が普通で臆病は異常と思うようになれば、自己変革を試みる。勇気の発露はそういうところから出るものかと。こういう性格になるのも親が大きく関与している。三つ子の魂ではないが、幼少時期に多くを禁止にしたりの過保護がこういう人間を作る。「三つ子の魂百まで」という格言は、昔から言われ、良く知られ、母親の心構えとして重宝された。

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根拠がないという意見もあったが、人間形成科学の発達とともに、この、「三つ子の魂百まで」は、精神医学においても正しい事であり、さらには従来考えられていたよりも、さらに人間的な基礎が三歳までに確立されることが分かった。登校拒否、家庭内暴力、すぐにキレる子など、心身の成長発達における歪なども、三歳までに基礎ができることも判明した。

結婚して子育てを体験するうちに、親というのはこれ以上に大事なことはないなと感じるようになったが、独身時代の最大の関心事は、当然ながら異性であり、異性との恋愛である。「恋愛」というのは、「恋うる心」と、「愛情の発露」だが、20歳そこそこの人間にとっての恋愛が、本当に愛なのか?異性を恋する気持ちは真っ当でも、愛の本質は性愛ではないのか?

そういう自問も含めて、突っ込んだ本質を突き詰めるなどをした。哲学がそうであるように、本質を突き詰めるところで出てくるものにこそ、「真理」ではないかと考えていた。今でもそれは変わらない。どうせ何かを書くなら、人が書かないこと、考えないこと、避けて通ろうとすること、そういうものの中に本質があるとし、躊躇うことなく書いている。

つまらぬ利害に蹂躙されていては、事の本質は見えてはこない。自分を偽り、他者を偽るのが当たり前の世の中にあって、本質を見よう、見出そうとする行為こそ死ぬ前に与えられた人間の課題であろう。もはやこの年齢で怖いもの何もない。確かに自分は若い時代から、こう発言すると人にどう思われるがなく、むしろこう発言すると人はどう反応するか?に興味があった。

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だからかテレビ番組でも、「ドッキリカメラ」が最高に面白く、あれ程人間の本質を現わすものはないと感じていた。無防備の時の人間こそが真の人間である。驚かせることだけではないが、自身の利害に拘ることなく、無防備的に思考するなら、それはそれで本質理解に繋がろう。それくらいに世の中は、人間の社会というのは嘘にまみれ、人はその一員であろうとする。

愛は性ではない。愛情は性欲とは違う。そのように思わされた純潔教育世代の我々にとって、「愛と性」の不確実性を肯定するのは勇気がいった。愛は美しく、性は醜いものというイメージを与えられていた。確実性とは、確かで疑いのない事。疑う事すらできない事。の意味だが、不確実性とはその反対で、不確かで疑いの多き事とするが、以下の指摘がある。

不確実性とは、意思決定者のコントロールし得ない事象の生起の仕方にさまざまな可能性があり、しかもいずれの事象が確実に起こるか判明しないとき、その意思決定者の不確かな気持ちを指していう。決定理論では、確実性のもとでの意思決定、リスクのもとでの意思決定、不確実性での意思決定の3つに区分される。分かる人も分からない人もいよう。

分からない人は、「確実でないこと」でいいだろう。 そのことを踏まえ、大人の考えとして一般論をいうなら、過去において、愛と性に確実性が存在した時代があったのか?今後の人間の世において、愛と性に確実性が見いだせる時代がくることがあるのだろうか?過去においてなかったし、これからも来るとは思えない。断言する理由は難しいことではない。

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ようするに、人間の心に関わることに、「確実」や、「絶対」というのはない。これは身も蓋もないようだが、当たり前のこと。「絶対というのは絶対にない」と若い時代に言い合ったが、「人間は絶対に死ぬだろう?それでも絶対はないのか?」という反論は当たり前にあった。自分は、「訂正!死以外に絶対はないとすべきだ」としたが、相手はいろいろ絶対を挙げる。

絶対がないとするなら絶対にないのか?絶対が絶対ないなら、その事実が絶対であり、絶対が絶対ないと言い切れないなら、絶対があると言うことになる。何事を否定されても、「だから何?」、「それで?」、「だったら?」の揚げ足取りでは、議論というより屁理屈の応酬となる。よって、真剣に話し合う相手に相応しくない。絶対のパラドクスというのがある。

「この世に絶対はない」という事が絶対だ。が、これは、「この世に絶対はある」事になる。が、「絶対」という言葉自体が絶対でないとするなら、絶対に、「絶対はない」ということにもなる。まあ、絶対パラドクスは置いておき、数学や物理の世界に絶対は存在するが、人間という生き物に関する、「絶対」は、いずれは誰もが死に至る、という事くらいではないか。

であるからこそ、人間は、「愛や性」に絶対を模索するのではないか。人は絶対に死ぬから死を恐れ、しかるに絶対に確実な愛を獲得する不可能という現実もあって、不安と苦悩に襲われる。人間には不安に対する免疫力や耐性がさまざまあり、不安を解消するもっと手っ取り早い方法は、そのことについて考えないことだ。おそらく、この方法が一番多く用いられているのでは?

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余程の高齢者重病患者、もしくは死刑判決の受刑者くらいしか、毎日死の不安に襲われることはないが、愛と性については健康な若い男女の多くが、「確実でもなければ、絶対ではないのでは?」という疑問を持ち悩むことになる。それを避けるために仕事や趣味に埋没する。としつつも、目の前で幸せそうなカップルを見ると、嫉妬したり、羨んだりするものだ。

「愛」と「性」をひとまとめに言うが、個々に別のものである。二つが密接にかかわるものだから。「男女」などとひとまとめに言う。とはいえ、性のない恋愛関係もあり、愛のない性行為などは巷に氾濫している。一緒にするから「道徳」だの「倫理」などというが、別だと思えばさまざまな愛と性がある。性は分かり易いが、そもそも愛とは何なのか?実態がつかみにくい。


愛と性に悩む青春期 ②

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愛の解釈はさまざまあるように、性とて性行為そのものだけではない。相手に寄り添ってみたい、手をつないでみたいなどの淡く微笑ましい感情も、性欲の初めの一歩であろう。いや、それこそが愛情の第一歩なのかも知れない。分けるのも難しいが、性欲と愛情の出発点が同じなら、どこかで枝分かれする事になろうが、「どこか」が、どこだかよく分からない。

愛の定義も難しい。異性に抱く恋愛感情というのは、誰もが経験あるだろうし、そちらの方が分かり易い。恋愛の動機をつき詰めると、「人間同士が幸せになるためにはどうしたらよいか」の答えではなかろうか?これこそあらゆる動物が本能的に知る幸せの根源であろう。そういった根本的な問いかけが恋愛感情というものなら、人間に限ったことではない。

恋する者たちを周囲から見れば、狭い世界に閉じこもっているようにみえるが、恋する当人たちは、人生を深く深く、追及し合っているのかも知れない。恋愛を哲学的に突き詰めるなら、恋愛こそが凝縮したかたちの人生を見ているのではないか。したがって、恋愛は心身を最高の状態に保とうとし、それ即ち、生きて行くために必要な方向づけの原動力となる。

「恋愛のパワーは強烈だ!」という言い方をしばしばされる。恋愛中の男女は恋愛という舞台が生活の中心となる。もちろん人には恋愛の世界以外に、仕事、家族、友人、趣味などの世界があり、舞台もあるが、中でも恋愛のパワーから湧き出る愛の世界は何よりも増して自身を圧倒する。人は恋する相手との永遠のつながりと、その世界を疑いようもなく夢見る。

愛や性が不確実であることを知らない恋愛経験浅き者は幸せなのか、不幸せなのか。恋愛の終焉は悲しいことだが、それはある日突然に訪れる。そういう体験を重ねるうちに人は、愛の不確実性や性の不確実性を、自覚もしくは無自覚に知ることになる。無自覚に知るというのは言葉を変えると、予感というのか予知というのか、恋の永遠性を自らに問う。

「わたしたち、ずっと続くのかな~」と、彼女の不安めいた独り言を耳にすれば、「大丈夫!きっとそうなると思う」などと彼は答える。恋人たちの日常会話だが、それでも独り寝の不安から、「今の二人の幸せや陶酔感は、いつしか終わりがくるのだろうか?という不安に襲われる。映画や小説において、なぜに獲得できなかった永遠の愛を描くのだろう。

悲しい恋の結末を悲恋という。結末とは別離である。この世でいちばん素敵なことが恋愛なのは誰もが認めるところだが、なのに恋の終わりはなぜに来るのか?恋の終わりはなぜに心が痛むのか?失恋の喪失感はどうして起こるのか?失う恐怖という見方もできるが、「拒絶される恐怖」であろう。拒絶の恐怖から逃れられない状態こそ失恋の絶望感ではないか。

拒絶されて平気な人などいない。太古の時代、集団からの孤立は死を意味した。一族からつまはじきにあうと、人間はその後の生涯を一人きりで生きていくしかなく、そんなことはほとんど不可能であり、死に繋がることだった。近現代においても「村八分」という排除の論理は存在する。そもそも「村八分」の語源ろいうのは、なかなか面白い言葉である。

言語学者楳垣実の説によれば、「地域の生活には十の共同行為がある。成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行、葬式、家事の消化活動。このうち、葬式と火事の消化活動を除いた一切の交流を断つことを10-2=8だから、村八分という。葬式と火事の消化活動が除外されないのは情ではなくちゃんとした理由がある。

死体を放置すると腐臭が漂い、また伝染病の原因となるためとされる。また、死ねば生きた人間からは裁けないという思想の現れともいう。火事の消火活動が除外されるのは、延焼を防ぐためである。村落の中での掟や秩序は、合法的・客観的で公明正大なものとは程遠い。その地域の有力者の利益に沿うためのものも多く、公平な秩序維持活動とは言えない。

1909年の大審院判決で、村八分の通告などは脅迫あるいは名誉毀損とされたが、それでも第二次大戦以降も村八分的ないじめは消えることはなかった。戦後で有名になった村八分事件は、1952年(昭和27年)に、静岡県富士郡上野村(現富士宮市)で起きた、参議院補欠選挙での村ぐるみの不正を告発した女子高校生一家が村八分にされた(静岡県上野村村八分事件)。

つい最近では、2013年(平成25年)7月21日に、山口県周南市金峰(旧鹿野町)で発生した高齢者5人が殺害された、「山口連続殺人放火事件」が、村八分による対人トラブルが原因とされている。「孤独死」が無縁社会のリスクというならば、有縁社会ののリスクというのは、近隣との人間関係のトラブルであろう。「孤独死」は何ら罪ではないが、村八分は許しがたい。

人に死があるように、多くの恋愛は終焉する。が、恋愛を死滅させない唯一の方法は「結婚」であるのか?結婚は恋愛の終焉といい、この言い方は、結婚を機に恋も愛も終わるニュアンスがある。確かに結婚は、愛だ、恋だよりも、今日の夕食何にするかといった日常である。日常とは夢やロマンと違って現実である。結婚は愛を永遠に確実なものとする行為か?

そうではないから離婚がある。しかし、こんなに多くの離婚があるなら、結婚とは何なのか?といいたくなる。恋愛にも結婚にも愛の確実性は存在しないが、愛そのものは存在する。その愛が当人同士の努力によって永続的なものになるということか。それを永遠の愛などというのか?愛が確実に存在するから、人は何度も人を好きになる。ということは…

愛は、「一瞬」に存在するもののようだ。男が女を抱くときの、一瞬に愛は存在している。女が男に抱かれるときの、やはり一瞬に愛は存在している。一瞬だが、愛であるのは疑いようがない。永遠の愛でなくとも愛は愛。「確実」と、「永遠」は全く別のものであるのに、錯覚させたのは誰であろう。「永遠」の愛というのは、努力によって育まれるものだ。

「出会いは別れの始め」と昔の人は言ったが、言葉がこんにちまで続いているのはそのことの裏付け。熱烈に愛し合った二人も、四季の移り変わるがごとく、時の流れとともに徐々に変化をするものだ。変化は誰にも止められないし、変化がよくないと誰も言えない。相手の嫌な部分が目につき、欠点が鼻についてくる。人間が飽きやすい性向であるのも一因だ。

漫然と愛に身を任せていては、破局の種が二人の間に宿すことになるから、互いの愛情を維持するためのさまざまな努力が必要である。それもある程度意識的に行う必要がある。それが自由意志で選んだ相手への奉仕であり、義務と言うべきかも知れない。伊藤野枝は1917年の「婦人公論」9月号に、『自由意志による結婚の破壊』という題目で論文を寄稿した。

その中に以下の一節がある。「熱烈な恋愛をもって一緒になった二人が、恋愛の消滅や、理解の欠乏などと言うような理由から、冷たく未練なく別れてしまうというような事を、彼等は、最初の馬鹿気た情熱にあやまらされたものとして侮蔑している」。28歳で絞首台に消えた伊藤野枝は、本能に忠実に生きた女性であり、男は多情淫奔女性に惹かれると安吾はいう。

不安で、心配で、ハラハラドキドキさせられるほどに男を困らせる。困らせるけれども、困らせられる部分で魅力を感じている。日本の女性は愛妻になる教育を受けていないばかりか、物理だの数学だのができる才媛であれど、人間に対する省察のない女性のどこが魅力的?魅力のない妻は決定的に悪妻であるが、魅力によって夫を惹きつけるのが良妻。

したがって、そういう種の悪妻は実は良妻である。これが、安吾流弁証法的、「悪妻論」である。なるほど面白い。善意で従順な妻をいいことに、幼稚でマヌケな男は我が物顔で好き勝手をする。気のいい良妻賢母女性を踏み台にしようとする。これでは従順な妻とて踏んだり蹴ったりである。男の幼児性を逆手にとり、多情淫奔である方が男を悩まませ惹きつける。


安吾はまるで伊藤野枝を述べているようだ。『自由意志による結婚の破壊』を書いた当時、野枝の身辺状況は前年4月に辻潤との家庭を捨て、子どもを捨てて離別し、秋にはアナキズム運動の大杉栄と同棲を始めた。大杉には妻の他に神近市子なる愛人もいて、彼の苦し紛れの『自由恋愛論』は批判の対象だった。そこに21歳の野枝が割り込み、四角関係となる。

それが元で大杉は市子に刺されて瀕死の重傷を負ったが、自業自得というしかない。なにぶん市子は大杉に経済的援助を与えていたのだ。神近市子は投獄され、妻の堀保子は大杉と絶縁し、伊藤野枝が恋の勝利者となる。勢い大杉は野枝との間に5人の子を産ませる。時は関東大震災の混乱の中、憲兵隊に虐殺される最後の瞬間まで、栄と野枝は一緒だった。

恋愛は個人的な問題だが、当時の時代背景もあって、栄と野枝の恋は社会的な事件となった。不倫・略奪愛、勝手気ままな自由恋愛思想に対する世間の批判に耐え抜いた二人。世間が自分たちをそれほどに悪魔と呼ぶならと、最初に生まれた子に魔子と名付けた。大杉は、「生は永久の闘い」という。自然との闘い、社会との闘い、他の生との闘いであるという。

永久に解決しない闘いであるという。闘いは生の花、実り多き生の闘いという。これらの言葉は彼の一篇の詩、『むだ花』に記され、詩の最後にはこう結ばれている。「むだ花の蜜をのみあさる虫けらの徒よ」。大杉はむだ花の蜜を吸ったところで何の滋養になるといっている。少数派を志し、少数派に属し、少数派を生きるためには闘う決意が必要だ。

愛と性に悩む青春期 ③

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不倫、略奪愛は今に始まったものではない。男と女の世界には切っても切れないものであろう。誰が誰を愛そうと、愛自体に罪はないが、制度に反することになる。さらには、習俗に対する世間の目に怯えることにもなる。だから、陰に隠れてコソコソやる。それを営利週刊誌に暴かれ、型通りの謝罪となる。悪いことをしでかしておき、バレたら謝るって何だ?

ベッキーはなぜ謝ったのか?乙武はなぜ謝る必要があったのか?彼らは悪いことをしたから謝ったのか?そのように見えるが全然違う。彼等はバレたから謝る必要があったのだ。おそらくバレなければずっと続けていたろうし、人間は悪いことをするもの、悪いことと知りながら行為するもの。それが暴露したなら、交通違反同様、「バレたか!くそったれ!」である。

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バレたことで謝罪という芝居をする。それをしなければ習俗社会から叩かれるからで、自分はそこを見る。謝罪の言葉など聞いてない。叩かれるようなことをしておきながら、叩かれることを怖がるのは、社会に依存しているからであろう。ベッキーの身は彼女自身のものであって、それでいて所属事務所という立場もある。習俗に反した行為は今後の食い口が阻まれる。

正確にいうなら、習俗に反する行為がバレたら…であって、行為そのものは自身が自身に許容している。自身が許容しても社会が許容しないのを習俗という。ベッキーや乙武は型通りの謝罪で世間に許してもらおうとした。成宮寛貴が、江角マキコの場合はどうか?事務所も止めて芸能界から足を洗ったのは潔さか?吊し上げ謝罪会見が嫌だったのか…?

江角は不倫疑惑だが、成宮はドラッグという脱法で、二人の違いはあろう。江角が不倫というじめじめしたものにそぐわないというのが彼女の持つ性格的事実なのか、キャラという虚実なのかは不明だが、芸能人は虚実(イメージ)を大事にし、それが壊れるような事実を暴露されたら、会見で無様な応対するよりも、突っ張って死ぬ(引退)を選択したことはあり得る。

虚像と実像の狭間で悩む人間はおおいが、芸能人はそれらの最たる人種であろう。ベッキーも爽やか健やか良い子のイメージだった。乙武も彼の身体的特殊性から、努力の人、障害者の鏡、さらには元小学校教師であり、東京都教育委員の任にあった。そんな彼がどろどろ不倫男では、世間は彼の肩書やこれまでの発言を許さない。さらに彼への同情を許さない。

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健常者が障害者に抱く共感は、障害者同士が抱く共感、健常者同士が抱くとは違って、いささかではあるが、ある種の同情心が働くものだ。健常者が障害者でないかぎり、それは仕方がない。同情して共感をしなければ真に障害者の生活などを想像することは不可能であり、その意味で見下げ、蔑む同情ではなかろう。それが不道徳人間とあらば、「同情を返せ!」となる。

江角マキコは「女王様キャラ」で売っていた。バラエティ番組を見ないが、彼女の強弁はYouTubeなどで見たが、不倫に寄りかかるしおらしい女のイメージはない。が、そうした彼女のキャラとは別の、小心者で臆病な、あるいは時には「女」の弱さを利用するしたたかさという実態は、ママ友からいじめ被害を受けたとブログに告白したなどからして明らかだ。

そんな江角の怒りを抱くママ友有志は、女性誌に2000文字を超す抗議声明を掲載(女性セブン2014年8月21・28日号)して反撃した。普段は気の強いことを言ってはいても、いざとなったら女の弱さをひけらかせ、同情を買おうとし、味方につけようとする女は多い。我は被害者と言わんばかりのこの手の発言には嘘が多く、こういう女の浅ましさ加減を男は知っている。

普段は偉そうに、いざとなれば被害者となる女に対し、普段は偉そうにして、いざとなったら被害者という男を世間は笑うし、足蹴りにされる。つまり男に逃げ場がないが、女には「女」という逃げ場が用意されている。最近、それをもっとも感じたのが、高畑裕太の強姦事件である。自分は警官の親を持つ女性とのある問題で、これが警官かという言葉を吐かれた。

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「男と女の問題では、どうあがいてみても女が勝つようになってるんだ。どんな言い訳をしても男の言葉は弁解とされ、聞き入れられないことを知っておけ!」と、半ば脅迫気味にいったが、こんなことを言わなければならないこと自体が惨めでバカである。母親との言い合いで、「お前なんか産むんじゃなかった」、「誰に大きくしてもらった」というと同等である。

女に甘く男にからいという司法の裁定は、女の弱さを軸にしたもので、該当もあるだろうが、すべてに当て嵌まらない。どうしても先入観が災いし、男が襲った、女が襲われたという受け身な図式となる。レディファーストの国アメリカで、世間で逞しく生きて行けない気弱な男はオカマになるしかなかったと、アメリカにおけるオカマ大量発生理由がそう分析された。

そもそも人の悪口、陰口を叩く人間に逞しい種はいないだろう。最近、芸能人が芸能人をこき下ろす番組を飯時にやっているが、他人の褌で相撲をとる芸能人が、「ああいった」、「こういった」などくだらんアホ番組だ。「他人の不幸は蜜の味」、視聴率がいいのはそういうこと。自分がママ友の悪口の根源で、それが孤立の原因とされた江角は墓穴を掘る。

自分だけが正しく、いかにも正義感であるが如く立ち振る舞う人間は、最後は間違いなく孤立する。その事をやっとこ実感した江角の引退は、遅きに失すである。女王様気取りでチヤホヤされても、する側の腹の中はうんざり。そこに気づかぬ人間ほど憐れなバカはいない。バカがバカと気づくのは遅いことが多いが、早く気づけばバカではないということだ。

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世間にはこの手の人間が多い。自分もこの手の人間を多く身近で見てきた。彼等の末路はすべて同じであったし、この種の人間においては方程式のようなもの。自分も同じような人間だった。中学1年の時に、クラスで一番バカなMに言われて気づかされた。代表委員の選挙の時だった。「お前に入れると自慢するからな」この一言がどれだけショックであったか。

周囲は自分をそんな風に見ていたことに気づかされた。小学校時代は特殊学級を行き来した知能の遅れ気味のMから、教授されたと感謝している。賢い人間はバカを見下すが、賢いならバカを見下す必要がどこにある?それでも見下し、見下げるのは、自分が愚かな人間であると気づいてないだけ。人は人のいいところを見つける方が双方にとってプラスになる。

長編小説は表題以外のことの方が多く書かれる。長文ブログもそうなるのは必然だ。愛と性だけで人間は生きていないし、生きられない。が、愛と性は人間の、「生きる」の根幹だ。言わずもがな恋愛は感情である。されど恋愛に於いて、精神がぶつかる難関は沢山でてくる。精神は惑溺から肉体を解放するゆえに、先ずは外にではなく中に肉体を投げ込む必要あり。

それくらいに危険な橋を渡るのでなくして、恋愛は生活においてはバカげた現象ではないか。恋愛には理性が何かの役に立つのだろうか?理性が完全に肉体を支配する恋愛感情を恋愛とは言わない。伊藤野枝という女性は、崇高なる恋愛感情に長けた女性である。彼女は淫乱女として故郷を失った。死んで100年近いのに、未だに地元では、「あの淫乱女」である。

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そんな野枝の結婚について以下の一文がある。「結婚を親たちの都合や取り決めで行うことは屈辱であり、したがって両親の望む従順な子ではなかった」。野枝が17歳で上野高女を卒業し、帰郷したときには親が勝手に結婚相手を決め、婚約が成立し、仮祝言までなされていた。野枝はしぶしぶ嫁いだものの、8日後には嫁ぎ先を飛び出し、東京に戻る。

そうして在学中に想いを寄せた教師の辻潤と同棲を始める。この破天荒な行為によって、野枝の親はどれだけ顔に泥を塗られたことかは想像がつく。野枝の行為を自分は責めない。なぜなら、本人の意志を無視して結婚相手を決めた親に、野枝がひれ従う理由はないからである。従う者が正しいわけではない。そうされることが、親にとって都合がいいだけである。

本人もそれでいいならいい、諦められるならそれもいい、が、野枝のように許せないと思うのもアリ。野枝はこの時のことをこう綴っている。「私の両親を初め関係者たちは世間に対する立場を失った。私の相手として選ばれた男も、その両親も、面目を潰した。嘆きの中に、また多くの因習の擁護者たる多数の人々の嘲罵の中に身を置かねばならなかった。

殊に、私自身を絶望のドン底にまで導こうとした事は、肉親の嘆きに対して感ずる不思議に強い苦痛であった。しかしながら、僅かに自分を支えたものは、私を屈せしめようとする習俗に対して、かなり確実に、自分を警戒している真実に対する信条であった。しかも、その信条が持つ理論の権威よりもさらに力強いものは、恋愛に対する熱情であった」。

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親の権威が強い時代に、真っ向から抗った伊藤野枝という女性に魅力を感じないでいられない。「強いられた結婚」というのはこんにちにおいては陰を潜め、お見合い結婚というのも死語になるほどに自由恋愛の世の中である。野枝は、「強いられた結婚」を不条理とするが、自由意志に反する結婚は惨めであるというのは、今では誰とて野枝に賛同するだろう。

少し前までは、自由結婚(恋愛結婚)より、お見合い結婚の方が離婚率が低いなどと奨励されたが、離婚しないために結婚するのではなかろうし、自然発生する離婚ならそれは仕方がない。離婚というのは、ある場合ににはどれほど必要なものであるかも、考えればわかること。かといって、「一生の契り」という約束が、誰においても重荷ということでもない。

愛と性に悩む青春期 ④

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男爵家の子息で慶応義塾大の学生と大資産家令嬢の大磯・坂田山心中、愛親覚羅家の令嬢と大学生による天城山中も親の反対によるものだった。どちらも令嬢であり、令嬢とは斯くも弱き生き物であろうか、親に従順に躾けられた被害者と推察する。元禄16年(1703年)4月7日、醤油屋平野屋の手代徳兵衛と堂島新地の遊女お初が梅田曾根崎天神の森で心中を遂げた。

こちらは身分の低い遊女である。お初とのただならぬ関係を知った徳兵衛の叔父である平野屋の主人は、徳兵衛を見込むあまり姪と結ばせて自身の跡取りを画策、徳兵衛の継母に結納金を握らせて強引に話を進めようとした。恋仲お初をいずれ身請けし、妻に迎えようと考えていた徳兵衛は、この話を頑なに固辞する。ならばと平野屋の主人は金を返せと迫る。

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ばかりか怒りのあまり、「二度と大坂の地は踏ませない」ろ勘当を言い渡す。返済を渋る継母からやっとのことで金を取り返した徳兵衛だが、どうしても金が要るという友人の油屋・九平次に、3日限りの約束で平野屋への返済用の金を貸してしまう。期日を過ぎても九平次から返済は無く、それどころか、九平次は公衆の面前で徳兵衛を詐欺師呼ばわりした。

挙句、五人がかりで袋叩きにするなどし、徳兵衛の面目を失わせてしまう。兄弟と呼べるほどに信じていた男の手酷い裏切りにあった徳兵衛、結納金の横領がないことを死んで身の証を立てるほかに、名誉回復の手段を見いだせなかった。覚悟を決めた徳兵衛は、日も暮れてのち密かにお初のもとを訪れる。徳兵衛の気持ちに心を寄せたお初は一緒に死ぬことを決意する。

時は真夜中。お初と徳兵衛は手を取り合い、曽根崎の露天神の森に向かった。二人は連理木の松に縛り覚悟を確かめ合うが、最期に及んで徳兵衛は愛するお初の命をわが手で奪うのを躊躇う。お初は、「はやく、はやく」と徳兵衛を励ますのだった。それに励まされた徳兵衛は短刀でお初を刺し、返す刃で自らも命を絶った。二人の道行の段は以下の言葉で始まる。

「此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜」

公演は空前絶後の大成功を収め、近松は当時竹本座の抱えていた借財を、一挙に返済することとなった。日本人の心に宿る、「心中」という美学、別名「情死」は日本特有の習俗といわれているが、生きて結ばれない二人が死を選ぶという情動にロマンチシズムを感じるのは、何も日本人のみの特異感情というわけではない。ただし、西欧に情死文学はない。

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かくして現世で悲恋に満ちた最期をとげた二人の死を、「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と、来世でのかたい契りとして結末と相成った。大坂中で話題となった実話の心中事件に触発された浄瑠璃作家の近松門左衛門は、事件の一か月後に、『曾根崎心中付り観音廻り』として脚色する。人形浄瑠璃の芝居に仕立て、大阪竹本座で上演を行った。

「ロミオとジュリエット」、「トリスタンとイゾルデ」は、一緒には死なないが、後追い心中の形をとっている。「白鳥の湖」の初版は、王子と白鳥が共に死ぬ。自殺は罪とするキリスト教国では、宗教的に自殺に禁忌をしていることで、その数は極度に少ない。むしろ来世を信じる仏教国の方が心中を肯定する感性はあろう。これを仏教用語で、「厭世主義」という。

仏教的な無常感、武士道的な禁欲主義などの影響もあってか、窮屈な社会の中で我々のご先祖様は、困難である男女の恋愛における最高の理想を、「情死」の中に発見、美学としたことで、それらが文学や芝居によって洗練されて行く。自分も日本人、情死の美学は他人であることが条件だ。自分の中には死を超越するものは、これまでも、今後も存在しないだろう。

「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」で始まる『葉隠』の誤解は、武士に簡単に命を捨てよと命じたわけでない。「武士道は死狂ひなり」という教えは、正気程度では大きな仕事はできない、気違いになって、死狂いしなければダメだ。忠も孝も、そうした倫理さえも踏み越えて、無二無三死狂いすれば、この内に忠孝はおのずから入ってくると諭している。

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この一文は『葉隠』の中で最も激超な調子で、武士道の行動性を強調したものだ。「死ぬことなど恐れない」の言葉は誰でも言える。武士でない我々現代人でも簡単に口に出せる。が、そうであるか否は惜しみなく命を捨てることでしか証明されない。それが侍の意地であり魂であった。武士道を愛した三島由紀夫にも意地で武士道精神を見せた部分もあろう。

命が惜しいなど、生ある者なら誰にでも分かること。二度と再生できないものを慈しむのは自然の理であるが、人間という言葉の動物の最大の矛盾は、「言行不一致」にある。三島は、「知行合一」の陽明学に心酔したが、決して命を簡単に捨てたのではない。その事は、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」の後の言葉から、真の意味を探ることができる。

「二つ二つの場にて、早く死方に片付ばかり也。別に子細なし。胸すわって進む也、図に当らず、犬死などいふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当るやうにする事は及ばざる事なり。我人、生る方がすき也。多分すきの方に理が付べし。毎朝毎夕、改めては死々、常住死身に成て居る時は、武道に自由を得、一生落度なく家職を仕課すべき也。」

重要なのは最後の行。毎朝、毎晩、いつでも死ぬ覚悟ができていたら、一生 職務を全うできると、生きることを前提として話が書かれている。三島の死も大塩平八郎の死も、いろいろな見方ができる。自分も年齢と共に変遷はあった。が、『葉隠』を読む限りにおいて、単なる無駄死にとはならない。大塩も三島も、彼らなりの仕事を果たした上の自決であろう。

イメージ 2「いつでも死ねる」という緊迫した死生観が、人を大事へと駆り立てる。禄を貪り、だらだらと生きるより、凝縮した生へと向かわせる緊張感。そんな三島であったようにも考える。あのS・ジョブズもスタンフォード大学の卒業スピーチで同じようなことを述べた。「今日で死ぬとしたら、今日は本当にすべきことをするか?」と私は毎日鏡に問いかけているのだと…

56年というジョブズの生は決して長くはなかった。それでも僅か28年の伊藤野枝の倍生きたことになる。それを思うと野枝の生は刹那であったが、彼女は数字以上の生を生きた人である。野枝は大杉と結婚という形をとらなかった。彼女はこう述べている。「結婚と恋愛は、共通な何物を持っていない。両者はまるで両極のように離れている」。この言葉に野枝が恋愛を大事にしたかったのがわかろう。

事実婚とはいえ、形の上では松方の終生愛人であった山本万里子は、仁科に略奪婚を詫びている一方で、略奪婚で松方を奪った仁科なら、自分の気持ちは理解してもらえるでしょうと述べている。伊藤野枝は不倫・略奪愛を悪びる事も、遜る事もなかった。「婦人公論」に以下の文を寄せている。「私は私の恋愛に成功した。私は朝夕を愛人と共にする事が出来た。

二人いれば、どのような苦しみにもさほどには感じなかった。私たちは本当に幸福であった。私たちの全部が、愛で完全に保たれた」。大正時代の女性はこの一文をどう受け止めただろうか?不倫を堂々と行い、結婚制度を否定する論文を書き、戸籍上の夫を捨てて妻ある男と、その愛人と、四角関係を演じた伊藤野枝という女性を、どのくらいの人が肯定できたろう。

野枝の考えは当時は斬新であり世間の批判の対象であったからだ。こうした野枝の考えは現代女性へと連なっていく。今では多くの女性が野枝を支持・共感するだろう。「空気のような夫婦」を理想というが、確かに空気は軽い。だから軽い夫婦を言うのか。人生の後半を楽しく過ごすためには、出来得る範囲において、夫婦の依存関係を解消するのがいい。

いい年になると、依存は負担になる。夫婦にあっても「和して同ぜず」でいいのではないか。少し前にも述べたが、夫婦間でも「ひとり」は大切。日本の家屋には書斎というスペースがない。3LDKマンションでは贅沢もいってられない。となると、外にその場所を求めることだ。秘密のアジトに愛人をかくまえなどとはいってない、そんな気力も財力もなかろうし…。

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ウォーキングだって立派なひとり時間、人遊びである。夫婦でする者もいるが自由。「ひとり遊び」を基本にした方が、遊びの幅が広がり、心身も充実する。邪魔というのではなく、ひとりが良いということ。淋しがり屋といいつつ、いつまでもべたべたは疲弊する。フランスの作家ラ・ブリュイエールは言う。「われわれの悩みはすべて、ひとりでいられないことからもたらされる。」

「愛と性に悩む青春期 」という表題ながら、高齢期の事を書いている。青春という過去の記憶より、高齢者という実在感が優先するようだ。何も無理をすることなかれ、頭に浮かぶことを書けばいい。表題に踊らされることも、表題と中身の不一致に叱りを受けることもない。以前、そういう批判はあるにはあった。が、他者ではなく自己を主体に書いているわけだ。

愛と性に悩む青春期 ⑤

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マスコミや業界に依存しなければ食っていけない芸能人は、週刊誌に不倫を暴露され、繕った顔で謝罪をしなければ干されるからでしょうが、直接的被害を受けるCM企業や配偶者への謝罪はわかるけど、テレビを観てる人に迷惑がかかっているわけではない。自分のファンの人に私的な不祥事を謝る理由はあるんかいな?先日他界した松方は謝る事はなかった。

彼以外にも浮名を流した銀幕スターは多いが、一様に謝罪は無縁だった。松方・仁科は略奪愛の先駆者だった。妻から松方を奪った(?)仁科亜季子(当時明子)は、歌舞伎役者10代目岩井半四郎の長女である。その仁科が親の顔に泥を塗るべく松方との略奪愛に身を投じたのは勇気ある女性と思っていた。この場合の勇気とは、恋愛という情熱にたいして世間を敵に回した事。

通俗的・因習的な観念を所有する人には、ふしだら極まりないことと、恰好の攻撃の種となる。如何に自身がいかに救いようのないもはや破綻した夫婦関係にあろうと、不倫を不道徳と責めるが、他人の不倫があんたに何の関係がある?と思うのだが…。習俗というのは金科玉条とばかりに誇る人たちは、人が頭下げて参ってるのを見たい悪趣味な人なのだろうか?

松方は元祇園の舞妓だった女性と最初の結婚をし、2人の子どもを設けていた。が、婚姻中に仁科と同棲を始め、二人は大恋愛であったようだが、世間の冷ややかな視線の渦中にいた。松方は妻と離婚をし、仁科と正式に結婚したが、その後も浮気の虫はおさまらず、売れない歌手との間に子どもを産ませた。怒った仁科は子どもができないよう松方に避妊手術をさせた。

大恋愛の結婚は美しいものだが、それ自体が美しいのであって、その事と結婚生活がうまくいくことは別である。人間は慣れ合ってくると必ずエゴイズムや醜さをさらけだす。したがって、結婚生活における相手のエゴの露出に遭遇したり、傷つけられたりすると、まだエゴの露出のないかりそめの異性に惹かれたり、肉体関係をのみの相手にうつつを抜かす。

結婚してるのに浮気をするなど問題外、すべて男が悪いと女はいうが、男には男の言い分があるが、不法行為を正当化はできない。「結婚したかというようにエゴまる出しの妻に我慢がならない」との言い分は、不法行為の理由にならない。まあ、浮気も不倫も違法だから、罰せられるのは仕方がないにしろ、問題は法ではなく夫婦の仲が切り裂かれること。

人は善行だけで生きない。悪をし、悪の誘惑こそ生きる証。責任ある行動とは、善だけを施すのではなく、悪事の罪を負うという事。言い分けや言い逃れや、姑息な小細工を弄すではなく、悪事を犯した自らに責任を取る。当時松方は、元妻に財産の一切を分与したと話題になった。「男だな」感心した。自分も器の大きい男になりたいと思ったものだ。

愛というものが異性に対するある種の緊張状態とするなら、略奪愛はとてつもない緊張感をもたらすであろうことは想像できる。普段は不真面目で悪ふざけ大好き男が、ある女性の前で借りて来た猫のごとくなら、男はその女に愛もしくは恋心を抱いている。不倫が緊張感を伴い、精神を高揚させるのは当然で、精神の緊張がある限り二人の愛は崩れない。

高揚感を高めた不倫もやがて緊張感は減衰する。精神の緊張がなくなれば、古女房の安定感を男は選ぶこととなり、これが不倫の終焉であろう。結婚という社会的に安定した本妻より、不安定な状態にいる愛人を愛しく思うのは当たり前で、女の不安定さを償うべく男は、更なる愛人に勤しむ。結局、不倫という遊戯は、緊張感による高揚感の模索でしかない。

不倫は合法なき性体験だ。SEXのない不倫はないし、あったとしても法的解釈では、「不倫(不貞行為)」と言わない。あったかないかを問えど、答えるバカはいないし、ならばあると考えるのが普通だ。SEXのない心中もないと誰もが考えるが、かつてあったとされる。12月26日の記事に書き、のっけにも触れた、「大磯心中」の二人は処女と童貞であった。


二人のプラトニック・ラブを称えた東京日日新聞社は、「純潔の香高く 天国に結ぶ恋」の見出しを掲載した。この心中には逸話がある。二人はキリスト教の祈祷会で知り合い、交際を始めた。男性の両親は交際に賛成したが、女性の両親は反対し、別の縁談を進めようとしていた。そのため二人は家から出て、「永遠の愛」を誓って心中を決行したようだ。

男の学生服のポケットにあった遺書から、男は東京市芝区白金三光町の調所(ずしょ)男爵家の子息で慶応義塾大学3年生の調所五郎(24歳)。女性は静岡県駿東郡富岡の大資産家令嬢・湯山八重子(21歳)であることが判明した。二人の死体は遺族が引き取りに来るまで町内の寺に仮埋葬された。ところが翌日10日の朝、寺の職員が、女性の死体が消えているのに気づく。

周辺には女性が身に付けていた衣服が散乱していた。このことから、単なる心中事件から一転して、「女性の死体が持ち去られる」猟奇事件へと発展したのだった。警察は変質者による犯行と断定し、大磯町の消防組も協力して辺りの一斉捜索が行われた。そして翌日5月11日朝、墓地から300m離れた海岸の船小屋の砂地から、女性の全裸死体が発見された。

捜査の結果、町の火葬場職員橋本長吉(65歳)が逮捕された。警察は女性の死体の検死を行い、「死体はなんら傷つけられていなかった」と発表したが、橋本は、「資産家の令嬢の心中事件に異常な興奮を覚え、女の遺体を船小屋に運び出し、全裸にして悪戯したことを供述した。なんと大磯署は、「令嬢は清く汚れのない処女であった」と、異例の発表をした。

真相は定かでないが、大磯心中は人々の涙を誘い、『天国に結ぶ恋』というタイトルで映画化されて大ヒットとなる。天国でなくても地上で結ばれればと思うが、「結ばれる」意味が違う?「本当にふたりの恋は清かったのか?」について、疑い、疑われるは世の中の常、人の常。元新聞記者佐藤清彦は、『にっぽん心中考』で、大磯心中に疑問を投げかける。

首なし女性死体なども含む、身元不明者の年齢を推定するために、女性の穴(性器)の擦り減り具合を調べて年齢を推定すると警官の友人から聞いたが、擦り減るものらしい。佐藤は、二人を検死した産婦人科医を取材、「昨夜の最後を惜しんだ痕跡は医者なら分かる」と、医師の談話を書いている。が、それにしても心中死体の女性の穴を調べるのは何のため?

首がないわけではなく、身元も年齢も分かっているのに、一体何を調べるのか?まさか、やったか否かを調べるとも思えない。「純真無垢の処女」との発表は、医師の嘘か、医師からの真実を受けた警察の虚偽発表か。若き二人に対する心からの手向けであろう。美しいものは美しいままで終わらせるという、日本人の情死観が大きく影響しているのは間違いない。

情死というのは切ない。死ねばすべてが「無」であるからだ。恋愛は自己の確立という見方もできる。というより、自己の確立の過程そのものが恋愛である。つまり恋愛の過程において人は、異性の後ろに、異性の彼方なる幻影を見る。パスカルはパンセのなかでこう述べる。「人間の虚しさを思い知るなら、恋愛の原因とその結果とを考察すればよい。

恋愛の原因は何とも知れぬあるものであり、恋愛の結果は恐るべきものである」。「何とも知れぬあるもの」とは和訳で原文は、「un je ne sais quoi」となり、これは、「人と異性を結びつける不思議な衝動」の意。科学が進み性を多角的に捉えられているが性は未知である。「私たちがごく少ししか知っていないもの」というパスカルの嘆きも分かる。

恋愛が性の上に乗っかっているのは間違いない。性という「何ともしれないもの」がなければ、恋愛はあり得ない。という意味で、間違いなく性の上に乗っている。恋愛を通じて我々は、性の神秘で危険な働きはまさに、人間の日常性を否定する情熱である。それ程に強烈である性と恋愛だから、不倫あり、略奪愛あり、心中あり、嫉妬が嵩じて殺人に至る。

恋愛は人をエゴイストにすることも我々は知っている。相手を獲得したいという並々ならぬ衝動は、つまりは自己の獲得でもある。恋によって初めて強い自己が打ち立てられるのは経験的事実。「結婚を前提として付き合ってください」というのが、どういうところから出されるのか分からないが、こんな羞恥な言葉はないし、自由恋愛などできるはずもない。

「あなたを大切にしています」ということだろうが、大切にすることが結婚という餌なのか?「恋愛⇒結婚⇒幸福」という三位一体の信奉者が、今のような自由な時代にいるとは思えない。恋愛から結婚に至るのは自然といえば自然だが、「結婚を前提にした恋愛」って何だ?冴えない男の冴えない求愛に思える。「結婚を前提にした恋愛」なんて欺瞞でしかない。

愛と性に悩む青春期 ⑥

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青春が貴重な時代であったと、誰もが青春期を過ぎて思う。自分の友人のように、「若いうちでなくてもやれる」などと保守的に生きた人間も、少なくないのだろう。青春期に学ぶことは人によって違うが、あらゆる人に共通することは一つだけある。「自分に対する自信」を学ぶことではないか?ならば、「自信を学ぶ」とは何をどうすればいいのか?

いうまでもない「経験」である。 「経験」とは、実際に見たり、聞いたり、行ったりすること。また、それによって得られた知識や技能などをいう。経験が自信となるのはさまざまな事例があるが、分かり易い例で性体験がある。性経験でもいいが、性体験とする場合が多い。「体験」は経験によって得られた知識や技能を、身をもって感じるところに重点を置く。

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想像でいうしかないが、ある男が性体験がないままに30歳、40歳になるとどういうことになるだろう?そのような場に直面し、自信がもてず不安で逃げ出したくなるのだろうか?女はどうか知らんが、自分は初体験をした時、男としていっちょ前になった気がした。大概の男はそうであろう。大磯心中で思い出したことがある。先ずは、坂口安吾の『堕落論』の一節。

「十年前だかに童貞と処女のまま愛の一生を終わらせようと大磯のどこかで心中した学生と娘があったが、世人の同情は大きかったし…」以下略。美しい話には裏がありがちだが、女の処女は分るとして、男の童貞がなぜ検死で分かるというのか?これについて友人とあれこれ言い合ったが、「女が処女だからそうじゃないんか?」くらいしか考えようがない。

誰にも分からないことをそのように発表し、誰も突っ込まなかったということだ。「何事も経験。やらない後悔よりやっての後悔」などと言われるが、これは本当に正しいのか?「正しい」、「正しくない」とするから批判もあろう。生き方の選択とすれば押し付けにならない。人によっては、「やらない後悔よりやる後悔」をした人もいるわけだから…

何事も結果重視でなく、プロセスを大事にし、その中に学ぶエキスを感じている。何もしないでは過程も何もないのだから。しかし、自分の友人の例を述べたように、「やる怖さ」、「行動する怖さ」に支配される人もいるから、そういう人に強制はできないし、やらない生き方の選択ということになる。行動する人は、自発的な人が多く、だから行動も生きる。

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先ずは第一歩を踏み出し、二歩目は第一歩を踏み出したあとで考えればいい。人は歩きながら考える方がいい。考えてから歩こうとすれば、いつになっても歩けない。「面白くないからやらない」という人は多かったが、面白いからやるのではなく、何かをやる事によって初めて面白さが生まれてくる。自分が徹底拒否したのは「酒」である。飲めないことをバカにされた。

いろいろ言われたが、「酒を飲めることがそんなに大切か?」と言い聞かせていた。だれでも人にできて自分にできないことはある。自分にできて人にできないこともある。だから自分は、「できる」ことがそんなに大切か?という考えでいた。劣等感というのは、「人にできて自分にできない」ことだがら、こういう考えでいると劣等感に苛まれることはない。

「酒が飲めなくてなんで男か!」みたいな言い方をする奴は多かったが、だから何とか飲めるようになろうと、頭痛を我慢し、吐くことに耐え、一本のビールを、一合の酒を飲もうとする。バカげたことだ。こんなことをするためにこの世に生まれてきたわけではなかろう。下戸の苦しさを人に分からせる必要もないし、分かるはずもないし、だから拒否をした。

好きでもないことを、イヤイヤしてまで他人の目を気にする人間の弱さだろう。「できない」ことはできないと公言するのは恥ずかしさでも何でもない。我々がやることは、単にみんながやっているというだけで決める必要はない。人生の物差しは自分でつくればいい。自分には自分にしかやれない役割がある事に早く気づくことだ。これも自信につながる。

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その役割を全力で出してこなしきるとき、人には強い自信が生まれる。その根底には、「人は人」、「自分は自分」という当たり前のことの復習がいる。そのように生きることで、「自分は人と同じでない」ということも身につく。こういう当たり前のことが分からない、身につかないほど人は他人の目を気にするものだ。自分はダメだ、生きる資格がないという人。

学歴社会の底辺に生きることで、人から笑われていると思うのだろう。人を笑う人間が本当に幸せなのか?人に笑われても一生懸命に生きてる人と、人を笑って生きてる人と、どっちが幸福だろうか?自分は前者と思うから、人を笑って生きてるやつ等、不幸で哀れとしか思わない。まるで人を貶したり、笑ったりしかすることがないように思えてしまう。

「たったひとりしかない自分を、たった一度しかない人生を、本当に生きなかったら、人間は生まれてきたかいがないじゃないか」。この言葉に出会った時の感動は忘れない。人間にすべての条件が揃うわけがないのに、あれがない、これが足りないという奴がいる。それを言ったところで、身につくものでも、得られるものでもないのに、一年中それを言う。

なぜ、ないものの中で頑張ろうとしないのか?「あれがないからできない」というのは、やらない言い訳にしか思えない。人は誰でも幸福になりたい。幸福を望む。だから人はどうすれば幸福になれるか、と考える。そして、その方法を人に教わろうとする。宗教に依存しようする。いったいこの世の中に、幸福になる方法というのがあるのだろうか?あるわけない。

イメージ 4宗教が人の幸福を実現するものなのか?そう信じる人もいるようだ。『二十歳の原点』の高野悦子はなぜ死ななければならなかったのか?学生運動に加わりながら、一人である事、未熟である事、それを自ら20歳の原点と称し、闘い、傷つき、そして死んでいく手記だが、彼女は20歳という自らのいたいけな心に希望を見いだせず、挫折してしまっている。30歳、40歳と続く将来的な、「生の実在感」を考えることがなかった。
あるいは惰性で生きる自らへの決別である。彼女には彼女なりに、真に求めるものはあったろうが、人間は己が真に求めているものを味わい、堪能できるほどに強くはできていない。至らぬ自分を嘆くのはいいが、至らしめるために明日を生きるのだ。今日がダメだから明日もないではなく、今日はダメでも明日があると信じるのも一種の自信であろう。

自信とは自らを信じると書くし、高野悦子はどうしてこんなに自信のない子であったのか?「私は見知らぬ世界、人間に対しては恐れをもち、人一倍臆病であったので、私に期待される『成績のよい可愛い子ちゃん』の役割を演じ続けてきた。集団から要請されたその役割を演じることによってのみ私は存在した。その役割を拒否するだけの『私』は存在しなかった。(中略)

演技者である自分自身を変化させて順応してきた。中学、高校と、私は集団の要請を基調として自らを変化させながら過ごしてきた」。「悲しいかな私には、その『生きてる』実感がない」。人は自分を偽って生きて行くと、「生の実在感」を失うようだ。20歳の彼女が13歳、14歳の自殺と決定的に違うのは、文章から判断する成熟な女性の死であるということ。

「旅に出よう テントとシュラフの入ったザックをしょい ポケットには1箱の煙草と笛をもち 旅に出よう」で始まる最後の詩には、死えの憧れが読める。死に憧れを抱いたことはないが、死に憧れるひとは無力感の現れと説明できる。自身に対すエウ「足るを知り」あまり高望みをしなければ、楽に生きていけるハズだ。周囲を見渡せば確かに有能な人はいる。

が、人間が最初から「超人」であるわけはない。苦労をし、努力をしても超人の道は険しいが、その中で超人になれた人もいる。ミュンヘンオリンピックで優勝した日本の男子バレーボールのエースだった大古選手は、あと三点が勝負という切羽詰まった時に、「苦しいボールは全部おれに持って来い」と叫んだという。最後の三点がバレーでは最も苦しいときである。

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その大古は実は四年前のメキシコオリンピックの時は、「もうおれのところに球を持ってこないでくれ」と言っていたという。初めから自信などはつくものでないことを現したエピソードである。誰も強くなどない。最初から自信のある人間はいない。が、強くなろうとすることによって、自身の中にある強くなりたい欲求を知り、その欲求を実現させようとする。

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