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事件から学ぶ  「尊属殺人」

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子どもの愚痴を戒めるために(それだけが理由ではないが)、正月にお金をかけて「七並べ」をやった。「七並べ」は配られたカードに、「なに~、これ。ヒッド~、すぐにバテそう」などといちゃもんつけたくなるが、そういう愚痴は聞くのもうんざり、子どもであっても許せない。くだらない愚痴は絶対に言わせないツールとして、「七並べ」は最適である。

子どもの日記には、「家族がお金をかけて七並べをするんですか?」と呆れた教師の返事に傷つき、以降は担任教師に心を開かなくなった。家族のファミリームード、慣れ合いモードを否定はしないが、勝負においては親子も大人と子どもも、男女の差などない。真剣勝負のゆるぎのない時間を体験できる。一年のうちに親子が対等な3日間くらいあってもいい。

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もたらすものはイロイロある。大人に将棋を勝つことで自信を深めて行くなどは好機である。負けた大人のだらしない言い訳は、滑稽というより耐えられない。どうして子どもを褒めてやれないのか?子どもは大人に負けるのは普通と思うが、勝てば嬉しい。子どもに負けて腹を立てる大人をたくさん見たが、こんな幼稚な大人は子どもにとって範とならない。

子どもに勝って喜ぶ大人も情けないが、子どもに負けて怒る大人は人として恥ずかしう。「七並べ」というゲームは将棋と違って、実力3分で、配られたカードの良し悪し、中途の展開が勝敗に左右する。人が喜ぶカードを出しては勝てない。相手を困らせる喜びこそ成長の一端である。ゲームを通じての真剣勝負は、一見平和に見える疑似親子にない率直な関係だ。

1980年11月に神奈川で起こった金属バット事件は、世間を震撼させた。2000年には岡山の17歳の高校生が、金属バットで母親を殺害する事件が起こった。前者は未明の寝込みを襲ったが、岡山の事件は、居間でテレビを見ていた母親(当時42歳)をバットで叩きのめして逃亡してる。母親はほぼ即死状態だった。いわゆる子の親殺し、これら尊属殺人が何を物語る…

2014年7月に発生した、「佐世保女子高生殺害事件」の加害少女は、事件発生前の3月、自宅で就寝中だった父親の頭部などをバットで数回殴打。父親は頭蓋骨陥没骨折の重体で緊急入院。医師による所見は、躊躇無く殺すつもりでバットを後頭部にフルスイングしなければ陥没骨折しない。女性の力の弱さが幸いしたという事件で、死んでもおかしくはなかった。

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殴打の6日後、面談した高校の教職員に、「人を殺してみたかったので、父親でなくてもよかった。あなたでもいい」などと打ち明けていたという。この世で発生する凶悪犯罪者は圧倒的に、「男」である。全受刑者の数でも、「女」は5%前後、殺人ともなると女性比は0.5%まで下がっている。この数字はおそらく男の野獣性や、力の強さなど関係がないとはいえまい。

ほんの少し前までは、といって1995年であるが、尊属殺人は一般殺人に比べて重い量刑が科せられていた。尊属とは、「父母と同列以上にある親族」をいい、父母、祖父母、伯叔父母などを指す。刑法200条の、「自己または配偶者の直系尊属を殺したる者は死刑または無期懲役に処す」と、199条の、「人を殺した者は、死刑または無期もしくは3年以上の懲役に処す」。

比べて分かるのは、尊属殺人には、「死刑」、「無期懲役」の二つしか裁判官は選択しえず、これは不条理ということになり、200条は削除されることになる。それが1995年であった。同時に205条2項の「尊属傷害致死罪」も削除された。刑法200条も205条も明治時代に作られ、綻びを生じているのは明らかであり、封建制の名残ともいえる、「家制度」が根底にあった。

尊属規定は、日本人が敬愛心を自然なものとして保持していく象徴として残すべきとの論もあったが、それに比して、刑法200条の存在があることで、尊属殺人が不条理な重罰にさらされてきたという論もある。一般的な殺人と比べて、親・兄弟を殺めるのは、余程のっぴきならぬ事由があるという解釈だが、佐世保事件のような情状酌量の余地なき事件もある。

イメージ 3佐世保の加害少女は、衝動的ではなく、計画性を持って無防備な状態の父親の後頭部を鈍器で何度も殴る、という明らかに、「殺意が認定される殺人未遂」の重大犯罪を犯している。それでも、実の父親と娘という関係性から、刑事事件にはならずに表沙汰にはならなかった。父親は弁護士だが、身内の犯罪には弁護士も糞もない。これが他人なら即刻告訴するであろう。

尊属殺人、尊属傷害事件の判断は難しい。尊属を存続させるか否か…。そればかりではない。日本の刑法はなぜ殺人者に優しい国であろう。年間700人程度が心神喪失・耗弱で不起訴になっている。「キチガイに刃物は罪と為さず」という事のようだが、だったらキチガイに刃物を取らせないよう隔離すべきである。持たさずべき刃物を持たせて殺されてはたまらん。

佐世保の加害少女は他にも親に包丁を振りかざすなど、家庭内暴力とするにはあまりにもかけ離れた酷い、「殺人未遂」事件をたびたび起こしており、見かねた父親は娘を祖父母の家へ預けいれた。が、最終的には一人でマンション暮らしを始め、そこに級友を呼んで殺害・解剖などの猟奇事件を行ったのだ。刑事罰に該当しないとの精神鑑定は出たものの、被害者の親は納得できない。

事件後加害少女の父親は、「娘の行為は決して許されるべきものではありません。お詫びの言葉さえ見つかりません」という、苦慮のにじむ謝罪文を発表していたが、保護者としての責務を問われ、自らにもそれを問い自殺を図る。過去、娘は大量の犬や猫を殺していたが、終ぞ殺人を予測できなかったことに対し、娘の処置が適切でなかったという責任をとるしかなかったようだ。

下重暁子の『家族という病』(2015年幻冬社)なる本が50万部超のバカ売れ。「家族はすばらしいは欺瞞である」などの帯のコピーを気になって、手にした人も多かろう。が、自分はこうした他人の主観の前に、自身が問題意識を探り、提起するタイプである。日を遡って言うなら、映画にもなった本間洋平の『家族ゲーム』(1982年集英社)の方が衝撃的だった。

自分は松田優作主演の映画しか観ていないが、数度テレビドラマ化されている。鹿賀丈史版(1982年、11月8日放送の2時間ドラマ。続編の『家族ゲームII』は1984年3月12日放送 )、長渕剛版(1983年8月26日 - 9月30日の全6回 )、櫻井翔版(2013年4月17日 - 6月19日の全10回 ) がある。映画は主演の優作より、伊丹十三と由紀さおりの夫婦役がリアルでダメ親すぎてオモシロイ。

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それぞれの評だが、鹿賀丈史版が原作にもっとも近く、長渕剛版は極力原作に則りながらも、コメディー色を取り込んで当時の家庭崩壊を描いているとし、いずれも原作にある下町の泥臭い風情や、狭い公営団地の背景、開発途上の湾岸地域としての工業地帯などは櫻井版にはなく、現代風に設定を変更されている。櫻井を主演に視聴ターゲットを絞れば、設定は変更すべきかと。

小説が秀逸であるがゆえに度々ドラマ化、映画化もされるわけだが、受験戦争の悲哀を予感させる原作が、時代の予兆を捉えていたことになる。深刻な家族崩壊が、今となっては笑い話になるそんな時代に成り下がっている。バカな親とバカな子どもたちによる合作劇ともいう「家族ゲーム」は、性懲りなく今後も続いて行く。いかに風雲児の家庭教師であれ、結局何も変わらなかった。

家族のことは家族が主体的に変えるしかないというアンチテーゼが本作の主題。同様人間の自己変革は自らで変えるしかない。数年間、外国に住んだ三女が自己変革を期待して行ったようだが、出た言葉は、「何も変わらなかった」である。自己変革は、一つの王国を転覆させるくらいに難しいと三女に言った。彼女はその言葉を彼女は気に入ったようだ。

自分が変えられないのは、自分を捨てないからで、捨てられない自分という拘りが自己変革を阻む。得度して出家するくらいの根性あっての自己変革である。一朝一夕に変えられるものではない。金美齢は著書『家族というクスリ』で下重暁子や上野千鶴子らの、"歪んだ家族論"を批判している。それもよかろう、文筆家は言論が商売だから、で批判すればいい。

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自分は歪んだ家族の中で育ち、その中心にいた母を大いに批判をし、強烈な問題意識を持つで、自分なりの理想とする家族を作った。美齢氏のようにいい家庭というよき環境に育つことで、いい家族を作ることもできよう。が、悲惨な家庭に育っても、親を反面教師にすればいい家庭を作れる。自分には本間洋平や下重暁子の考えも理解できるし、金美齢の考えも理解をする。

いい環境であってもプラスにならないこともあれば、極貧から資産家になった人が多いように、マイナス部分やハンディをプラスにしていくのがポジティブシンキング。大酒のみで酒乱の父から酒は飲まないとなった友人もいた。言語障害を克服して有能なセールスマンになったのもいた。田中角栄はドモリであったが、演説の達人となった。環境がすべてではない。


事件から学ぶ  「嘱託殺人」

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世の中に「やってはいけないこと」は沢山ある。あるけれども、「やってはいけないこと」を沢山やってきた。もちろん、「やってはいけないこと」だと知りつつやってきた。その中で一番悪いことはなんだったろう。法律違反は交通違反くらいで前科はないが、一番悪い事が何?といって判別不能。行為一切は、悪いと思ってやるのだから大したことはない。

つまり、「やってはいけないこと」をやるくらいだから、「やってはいけないこと」は大したことではないのだろう。ならばなぜに、「やってはいけないこと」というのか?おそらく、自分はやるけれども多くの人はやらないだろうから、多数派としての、「やってはいけないこと」を無視してやってしまったことになる。泥棒や万引き経験はないが、浮気や不倫は普通にあった。

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泥棒や万引きは刑事犯だが、浮気や不倫には刑事罰がないからか?仮に刑事罰がなくても泥棒や万引きはやらない。それはなぜか?何を盗むのかというより、盗むくらいなら買う。自分のお金で買えないものは、おそらく欲しいものではない。数千万の高級車に興味はない。とてつもない豪邸も維持費が大変なのでいらん。まあ、これらは盗めるものではない。

万引きをやる理由もよく分からん。買いたいものは普通に金を払って買い物かごにいれるよ。万引きする者はお金がないとか、払いたくないとかよりも、もはやクセなのだろう。自分は欲しいものは普通に金を払って買いたい。数百円、数千円のものを、金を払わず得した感などない。ならば浮気や不倫に刑事罰が科されていたら、やっただろうか?過程のことに答えは出せない。

それをしたいと思った時に、はてどの程度の刑事罰があるのかも考慮して、判断するだろうし、今ここで「たら」を言っても正確な答えは出ない。自分は酒を飲まないが、飲酒運転摘発数を探したが見当たらず、下図は飲酒運転による死亡事故発生件数(全国)である。事故を起こさない検挙数はどれくらいだろう?また、酒気帯び運転検挙数はすごい数と予想する。

刑事罰があってもこの数字なら、「酒飲みはしょーがないね~」としか言いようがない。ま、人の下半身もたいそうなものではないから、刑事罰があってもやる者はやるだろうが、自分がどうかは実感がわかないので答えられない。「殺人」もである。「人を殺すのはいけない?」という答えは個々の心にあればいい。理由があっても人を殺す以上、理由はないも同然。

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何事においても、「いけない」理由が抑止になるとは限らない。ならば、「いけない」は言葉だけの問題か?「なぜ人を殺してはいけない?」に対し、観念論で答えるのもつまらないだろうし、ならば、「自分はなぜ人を殺さないか!」の思考が現実的だ。では、「なぜ自分は人を殺さない?」を問えば、答えは簡単。「殺す理由がない」。では殺す理由があったら殺すのか?

殺す理由があっても、殺人を実行しなければ、「殺す理由」ではないだろう。「殺そうと思った理由」というべきである。前者は、「確定」、後者は、「仮定」である。「母を殺す理由」を書いたのでなく、「母を殺そうと思った理由」が正しい。殺してないわけだから、「殺す理由」とは違い、「殺そうと思った理由」である。つまり、殺す理由が殺そうと思った理由に変更されたことになる。

「何かをした」という確定事実だけが行為である。世の中には人に物を頼む人間がいる以上、頼まれる人間が存在することになる。自分は人に頼みごとをするのは好きではない。理由は「横着」を戒めており、頼み事は、「横着」の範疇とする。そうではない、「自分にできないから頼むのだ」というなら、「自分にできないことを人に頼むのもすきではない」という自分。

なぜ?の理由は頼みごとをすることで、「貸し」を作るからと、頼み事は、「甘え」と感じる部分もある。先の、「横着」と合わせて、これだけあれば必然的に頼みごとをしなくなる。かつては妻にビデオ録画を頼んだものだが、彼女はキッチリとそれをしていた。ところがある女性(彼女といっておく)に急遽録画を頼んだら、実行されていなかった。そのことに自分は驚いた。

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と、同時に腹を立てた。「ちゃんと頼んでるのに、なぜやらないんだ?」言葉通りに、まるで理解できなかった。「ごめんなさい。忘れてました」と、女は言う。頼んだことを忘れるものなのか?責任感の強い自分には考えられないことだったし、妻はキチンとやっていたことで、人間差を感じるしかない。「いい加減な女だな」と、彼女への気持ちが薄らぐ要因となる。

人に物を頼み、適えられなかったといって怒るのは間違いともいえるし、頼んだ自分が悪かった(相手が悪かった)という判断もできる。適宜にどちらかを使い分けるしかない。頼むのは好きではないが、頼まれることは嫌いではなかった。いろいろなことを頼まれたが、一度だけ、「私を殺して」と言われたことがある。その女は、「死ぬ」と言って、台所から包丁を持ってきた。

別れを言い出した時だが、その光景を何も言わず見ていた。そういう時は、「まさか半分」である。女はコタツの上に包丁を置いて、しばし眺めて言った。「怖いからあなたが殺ってよ」というので、女の猿芝居と思って、「本当にいいのか?」というと、「いいから殺って!」という。殺る気のない自分は、「犯罪人になりたくない。得はないし、黙って去るよ」といった。

女はどっと声をあげて泣き喚いた。可哀想と思ったが仕方のないこと。そんな女に同情し、思い直して離れないなら自分が負担になる。愛情ならともかく、同情というのはそうしたもの。その場の感傷に浸るより、心を鬼にして去るのが男の優しであろう。「死ぬなんて絶対損だ。いい男に巡り合える」と言ったが、死なれると困る。そういう配慮が言わせた言葉。

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別れの時は相手の気を引くような言葉は言わず、憎まれてやるのが相手の今後を生かすと考えるが、「死ぬ」では状況が違う。男と女の世界だから、人の数ほど別れはあろう。「赤トンボ事件」というのがあった。ここでも話題にした赤トンボ研究者前園泰徳福井大学特命准教授による教え子殺人事件で、検察の「殺人罪」懲役13年に対する判決が10月14日に確定した。


裁判員裁判であったが、聞いて驚く懲役3年6月の実刑判決であった。執行猶予はつかなかったが、こんなバカな。いったい何故だ?弁護士のいう嘱託殺人が全面的に認められたからである。福井地検は控訴を行わず、前園被告も当初から判決を受け入れる意向を示し、控訴期限は同日であることから翌日に確定した。裁判所は検察の主張を確信的に避けれたのか?

被害者菅原さんの自殺をほのめかす行為を、「被告の関心を引く行為」とした検察側の主張は、メールなどの物証から、「セクハラ被害などにより、自殺の意思が強かったとする弁護側主張を否定するほどのものではない」という考えに置き、菅原さん本来の心情を表したものではないとした。自分も当時、自殺を口にする彼女に、関心を引く行為と判断していた。

さらに検察側は、同被告が(菅原さんから)家族へ危害が加えられることや、不倫関係が公になることへの回避を考えた状況もあったとしたが、「(同被告が)積極的に嘱託を受け入れる可能性もある」といった理由で、嘱託殺人を否定するには至らなかった。菅原さんから、「もう無理です」、「もう殺してください」などと言われたと同被告の供述している。

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そうした菅原さん殺害に至る核心部分について、自殺の意思があったという前提を基に、「関係証拠と矛盾しない」と判断した。菅原さんとのやりとりや首を絞めた際の状況説明に、「具体的で、不合理な点は見当たらない」と信頼性を認めた。結果的に裁判員の、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則が、判決理由の随所に表れる形となった。

人に頼まれごとを厭わない自分であるが、人から、「殺してください」と言われて、それが彼女であれ友人であれ、聞き入れることは10000%あり得ない。「そんなことを人に頼むな」、死ぬならどこかで勝手に死んで来いと、口には出さねど腹で思う。人を犯罪者にするような頼みごとをすべきでないし、聞き入れてはならない。これが常識人の考えである。

当初、弁護士が嘱託殺人を持ち出したとき、「死人に口なし」をいいことに、罪の軽減を狙った不届き千万な被告と腹が立った。いかに東大出にバカが多いからとはいえ、「私を殺して!」、「了解!わかりました」など、そんなバカなである。地元の福井新聞には菅原さんの遺族のコメントが載ったが、判決への失望感と怒りそれが以下の記事にも現れている。

「(3年6月という刑期は)あまりにも短すぎ、死人に口なしの結果としか言いようがない。ショックを受けている。被告の口から語られる内容は、どれも不合理なことばかりで、まるで信用できない。本当のみわが歪められていってしまったことが悔しくてならない。検察官には控訴していただき、高裁ではもっと事実を精査してほしい。」

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不倫の代償は高くつく。芸能界ではほとぼり冷めれば、それも話題性として勲章になる場合もあるが、本件などは取り返しのつかない結果である。こんな短い刑期で出所とあらば、怒り収まらぬ被害者の親族あたりが、腹据えかねて被告の居住先身辺を探し出すことも考えられよう。危ない話だが、教師が教え子に不倫のあげく嘱託殺人など、あってはならぬ非道である。

「死にたがっていた」はともかく、「薬を飲んで苦しがっていたから助けた」など、司法解剖すれば嘘と分かるでまかせなど、何でこうもバカなのか?苦しがっていたなら病院に連れて行くなどが普通は浮かぶし、助ける=殺すなどあり得ない。当事者が死んでハッキリした証拠がないから、「疑わしきは罰せず」だが、教え子に罪をなするような男に嘱託殺人はないな。

事件から学ぶ  「偽装殺人」

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何にも束縛されず言いたいことを書く醍醐味。「書く」は「言う」、「言う」は「思う」の具現化なら、「書く」は「思う」であるべき。どれだけ心を文字にできるか。自分の基本は文語体、気づけば口語体のときは心に素直になっている。こんなこと書いていいかと躊躇うときは、「自由精神」というスタンスが押し切る。それを、「強さ」と自ら評価する。強くなりたいなら自らに素直になることだ。

羞恥や見栄や自尊感情などを取っ払わねば書けないことは多い。自由になることはバカになりきることでもある。「なりきる」といったが、抵抗がないなら真性のバカであろう。「自由日記」という表題のブログは結構ある。何を自由といっているかいろいろだが、人に見せる日記に自由はない。職業物書きともなれば「表現」は苦痛を伴う作業だ。「芸術」の実態は、生みの苦しみをともなっている。

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やすやすと「芸術」は生まれない、だから、「しんどい」などといい、その、「しんどさ」に期待をつないでいる。人間は苦痛を求めて邁進する反面、「苦痛を避けたい」、「苦痛に耐えよう」という矛盾を持つ。それが一種のカタルシスの役割を果たしている。凄まじいまでの集中の果てに味わう、「浄化」作用となる。芸術ならずとも何かを書くのは、一つの「枠づけ」をすることでもある。

前園容疑者は、菅原みわさん(25)を福井市内の路上に止めた菅原さんの軽乗用車内で首を絞めて殺害した後、妻宛に、「菅原さんが交通事故を起こしたので病院へ搬送している」と電話をし、妻はその旨を110番通報で伝えている。その後、県警が乗用車を調べたところ、死亡事故に至るような大きな損傷などは車体になく、菅原さんの遺体にも目立った外傷がなかった。

疑念を抱いた警察が前園容疑者から事情を聴いたところ、「菅原さんが事故を起こしているのを見つけたので病院に搬送した」と説明したが、司法解剖の結果、絞殺された疑いが強まり、前園容疑者を問い詰めた結果、菅原さん殺害を認めた。何とも稚拙な偽装工作であろうか?計画的殺人でない咄嗟の嘘とはいえ、社会的無知まる出しの東大出エリートらしい所業であろう。

東大卒を皮肉っているわけではなく、いかに秀才エリートといえども、希薄な社会体験(生活体験)もあってか、偽装工作というにはあまりに稚拙であり、まるで子どもの言い訳である。別の言い方をすれば人間性に悪気がなく、だからかこの程度の底の浅い嘘(偽装)が通用すると考える。交通事故の件は、彼なりに頭をひねって考えただろうが、警察を見くびった社会性の甘さである。

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教え子を手にかけた前園は、結果的に嘱託殺人となったが、仮にもし、失うものなどない階層の人間であったなら状況は違ったろう。「私を殺してください」と懇願したのが本当に真実なら、死人に言葉はなくとも偽装などせず、菅原さんに誠実に向き合う証言をするハズだ。偽装工作で己の罪を逃れようとする卑屈な人間が、罪を覚悟で彼女の願いを叶えてやろうなどあり得ない。

エリートはプライドが高く、追い詰められない限り真実を言わないものだ。まあ、自分なりの偏見もないではないが、無学・無教養の人間の方が、人間性という点でははるかに勝る。エリートという肩書が自己充溢と相まった保守志向に陥りやすく、そのことが人間性を失わせる。また、社会的エリートなる自負が生み出す清潔主義は、無学歴を不浄集団と見下す驕りも自然と根付く。

人間という非人間的なるものは、学問をすることで増長されていく。「学ぶ」こと=バカになる部分はあろう。学ぶこと、即ち知識をつけることで生来的な知恵が失われて行く。学ぶことで得るものがあるように、学びから失うものもある。「得ることで失うもの」、「捨てることで得るもの」という二律背反から人間が逃れられないなら、「学んで失わぬもの」を大事にすべきかと。

「実るほどに頭を垂れるべし」なる慣用句も、そのことを言っている。山崎豊子の『華麗なる一族』の中に、「人間性を失った企業は必ず滅びる」というセリフがある。人間性を失った冷酷な大企業より、人間関係を基調とする中小企業の温かさこそが人間的ではないか。「人間性とは何か?」の答えはそれこそ人によって様々だが、自分のなかでは、「敬愛心」という言葉が閃く。

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愚かな人間を批判するも向上心だが、学者だけが偉いと自惚れていたカントが、ルソーを読むことで自惚れを根本からへし折られた事例もある。以前、ここに来たフランス在住の自称言語学者が、「は」や「を」の使い方がなってないなどと自身のブログで批判をしたが、他人のブログをアレコレ腐す人間にケツの穴があるのか?他人のブログ批判はすべきでない。浅見定雄という学者がいる。

彼は山本七平の『日本人とユダヤ人』の批判書『にせ日本人とユダヤ人』を著わした。批判は大いに結構だが、著述家にとっての本望は、「思想の大河に自己の水滴一粒でも加えること」と誰かの言葉にある。小室直樹はこのように述べている。「専門家と称する学者が、浅学非才の典型である山本七平を、『聖書の読み方が間違っている』などと批判すべきものであるか」と苦言を呈した。

学者というは自前の領域や専門性を研鑽し、高めればいいのであって、一般人を批判するために存在するのではなかろう。まあ、そのような学者は、学者の端くれにも及ぶまい。プロ棋士がアマチュアに向かって、「将棋弱いですね」と言ってるようなもので、まずはそういうプロ棋士にお目にかかったことがない。錦織圭がテニス愛好家を、「下手くそ」呼ばわりすることもない。

学者が人間的に無知蒙昧であるのはいいとして、東大卒、京大大学院農学研究科COE研究員という肩書を持つ前園泰徳の嘱託殺人は、どうにも許せない判決だ。そもそも安易な嘱託殺人なる刑罰がなぜ存在するのか?嘱託殺人として理解に及ぶのは、老老介護の果ての殺人幇助という実例である。2014年11月、体の痛みを訴え、自宅で寝たきりだった妻=当時(83)への嘱託殺人があった。

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93歳の夫は妻に頼まれ、ネクタイで首を絞めて死亡させたのだが、自力歩行が困難な上、痛みで夜も眠れず、さらには痛み止めも効かなくなり、「死にたい」と言うばかりの妻を楽にさせてやるのが、愛情外の何であろう。裁判官は、「愛情故の犯行を疑う余地はない」としながらも、「短絡的な犯行…」との言葉を添えた。法の番人ゆえの言葉であろうが、実体としての言葉に意味はない。

このように嘱託殺人は止む無き場合もあるが、偽装を行うような人間の嘱託殺人などに信憑性は感じられない。92歳(犯行当時)の夫は、懲役3年、執行猶予5年(求刑懲役5年)であった。前園被告は前途ある若き女性を教師である立場を利用、不倫の果ての殺害で3年6月(求刑懲役15年)である。「裁判に真実はない」は巷いわれることだが、問題は『裁判官がなぜ間違えるか』にある。

上記秋山氏の著書には、「抱える事件に対する絶対数が足りない」、「3年程度で転勤が行われる上に、官舎に暮らす為、一般社会との接点が殆どない」など、「常識」を身につけることの難しさなどが書かれている。それでも有罪・無罪を裁判官に委ねるしかない現実がある。さて、本題の「偽装殺人」だが、母親と祖母を殺害した北海道空知郡南幌町の事件にも偽装があった。

事件発覚直後の家の内部は、箪笥などが荒らされるなど強盗の犯行を装っていた。犯人の次女は警察の事情聴取に、「寝ていて事件に気づかなかった」と話していた。前園同様あまりに稚拙だが、強盗の仕業にみせようなどは姉の指示であろう。犯罪隠ぺいや偽装工作などは、人間が自己保存のためにつく嘘であって、当たり前で自然にして責めることはできない。

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刑事訴訟には「自己負罪拒否特権」というのが許されている。これは、「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」とする原則で、嘘をついてもいいことになる。犯罪や事件や事故を起こし、嘘をつくなという方が間違っている。親の財布からお金を拝借した子どもは見逃すべきである。目の前に座らせ、鬼の形相で、「正直に言いなさい。言わなきゃ許しません」などは拷問である。

大人が要領を得た嘘をつくともいえぬが、子どもの嘘はさらに要領がわるい。子どもはその場を上手くとりつくろおうとしたわけだが、知恵が浅かったゆえに上手く行かなかった。それを大人が責めるのは間違っている。嘘をつくのは悪い子、教育が失敗などは短絡的である。嘘の背景にあるもの、嘘の目的に親は意識を向けることが、子どもの嘘とにいいつき合いとなる。

大人(親)が絶対に嘘をつかないなどはないが、仮にそうであっても子どもの嘘は成長の息吹である。南幌町事件の偽装工作などは取るに足らないことで、自分はこの事件の問題は姉のズル差にあると感じている。妹は高2、姉は23歳である。もちろん殺人を止める立場だが、行為前提の結果でいえば姉がすべきことだった。上と下の秩序(長幼の序)とはそういうものだ。

妹に犯罪を押し付けていいものか?仮に妹の決意を聞いたとするなら、姉自らが引き受けることはできたハズ。成人と未成年の量刑考慮はあっても、そういう問題ではない。長姉として、人間として、いかがなものか。妹の尻馬に乗った姉は姑息でズルイ人間である。自分がやれないなら、何としても止めるべきである。無慈悲な姉を持ったが故の悲劇であった。

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殺人事件における偽装を犯罪者の自然な行為とするなら、犯罪の陰に偽装の大小は存在する。人間は犯罪を隠匿し、罪を逃れようとするが、自分が知る限りにおいて、自己の犯罪隠避の最高傑作は小説にある。松本清張の『点と線』は、別々の男女を別々に殺し、それをありがちな心中事件に見せかけるという、巧妙な偽装工作を主とした殺人事件を描いた秀作である。


日本一の東京駅のホームには、次々と列車の乗り入れがある。その東京駅の13番ホームから15番ホームが見渡せる時間が、一日の中でたったの4分ある。それをアリバイ工作に利用するなど、あまりに緻密で手の込んだアイデアに感嘆させられた。中1の時に、秀才Yから勧められたこの一冊で、自分は清張フリークになったが、自分にとって記念すべき一冊である。

何が火付け役であったかは判然不能だが、あの時期少年雑誌などでは日本中が探偵ブームであった。江戸川乱歩の明智小五郎や怪人二十面相などが発端であろうか、自分もしきりに友人と、「完全犯罪」などをいくつも考え、互いに披露し合った。今の時代に比すれば知的な遊びであった。既成のゲーム機などはなく、当時の少年たちの頭にのみゲーム機が存在していた。


事件から学ぶ  「殺人未遂」

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義理の父親の頭をはさみで突き刺すなどして殺害しようとしたとして、千葉県警四街道署は今月18日、「殺人未遂」の疑いで四街道市の中学2年の少年(14)を現行犯逮捕した。逮捕容疑は同日午後10時半ごろ、市内の自宅で義父で介護士の男性(24)の顔にスプレー式の殺虫剤を噴射し、はさみで頭頂部を複数回突き刺すなどして殺そうとした疑いがもたれている。

男性は軽傷だが出血が多く、病院に入院しているという。同署によると、少年は約1年前から義父(母親の再婚相手)を含む家族5人で暮らしていた。現場にいた母親(46)は、「2人は普段から仲が悪かった」と話しているという。少年はあいまいな供述をしており、動機を慎重に調べるしかないとするもこの年齢である。言いたくないことも、言えないこともあろう。

「義父と仲が悪かったから殺そうと思った」という理由は分り切っているが、捜査上理由を聞かないわけにはいかない。「あいまいなことを言う」のは、食材として嫌いなピーマンを、「なぜ嫌いなのだ?」と聞かれると一緒である。多感な少年期に、親の再婚相手を嫌うのはありがちで、その相手との日常生活において、あれこれ聞かれること自体、酷である。

子連れの相手と再婚する場合の覚悟というものはある。恋愛そのものは当事者同士の問題で連れ子には関係ないが、考えるべきことはある。母子家庭の経済的負担を考えると、女性の子連れ再婚は奨励されるべきだが、連れ子がある場合にいずれも相応の覚悟はいる。連れ子が再婚相手に馴染んでくれるか、再婚相手は連れ子が自分になついてくれるか?

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微妙な問題ゆえ母親も男性側も慎重になるべきで、それを、「覚悟」という。親同士の離婚でさえ子どもは傷ついているわけで、おまけに再婚するとなら、知らない他人が形上とはいえ親になる。経験はないが、そういう子の気持ちに同化すれば、ストレスは相当のものであろう。テレビ、映画などでそういう状況はいろいろ見たが、上手く行くようにはなっている。

ドラマ仕立てなら脚本でどのようにもなるが、それでも子どもに対する子連れ再婚の難しさを考えさせる設定になってはいる。再婚相手の男と、子連れ女性とどちらが子どもに気を使うのだろうという問題はあろうが、「どちらが」ではなく、双方が一致協力するしかなかろう。自ら罪の責任を背負い、子どもの気持ちを慮って再婚を躊躇う母親も現実にはいる。

そうしたドラマもあるが、3組に1組が離婚する時代に子連れ再婚は珍しいものではない。シングルマザーになるのも選択肢のひとつだが、繊細な問題をクリアしたカップルもいる。最近では山口もえと爆笑問題田中裕二との子連れ再婚があった。アメリカの「Social Work」は、子連れ再婚には、「義理パパ・ブルー」なる精神的な問題が発生しやすいと指摘する。

これは6,000人の男女の親を対象に行われた調査の結果分かったもの。この発表では、一般的には母親のブルー(憂鬱)がとり上げられやすいが、再婚相手の父親もブルーになると指摘している。今回あった千葉の殺人未遂問題も詳しい事情は分からずも、義父の顔に殺虫剤を噴霧し、ハサミで頭を刺すという中2生の行為にある程度の想像力で思考はできる。

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自宅における現行犯逮捕という事態を見るに、あきらかに家の者の誰かが警察に通報したと思われるが、誰とはわからない。5人家族であり、母親(46)、継父(24)、娘(23)、息子(14)ともう一人は不明の構成だ。母と継父の年齢差を見て驚く。あまりに若すぎることから、無軌道、非常識という言葉も聞こえてくるだろう。が、若いから問題とは言いきれない。

我々外野は表面的な判断しかできず、恋愛のみについては自由だが、子連れ再婚への覚悟が双方にあったか?また、その後のケアもどれほどなされたか?男は自分とさほど大差ない年齢の2児の父になるわけだ。母親が若いツバメを選んだとの世間の風当たりもあろうが、すべては心構えと後のケアがなされるなら気にすることもないし、問題も起こらないだろう。

が、実際こうした問題(殺人未遂)が発生したわけだ。そのことについて改めて母も義父も考えざるを得ない。14歳が殺人未遂を起こしたとあっては、起こさせた側が責任を感じるべきある。自由と責任は表裏にあり、年の差を物ともせぬとの自由恋愛は構わないが、起こった事の責任を取ってこそ自由である。責任を取らぬ人間の「自由」は蒸留酒の樽の中でいう言葉。

ヨーロッパ哲学史において、様々な自由人が存在したが、最初に現れる奇人中の奇人は、シノぺのディオゲネス(紀元前323年死去)といわれている。哲学者でありながら、傍若無人であったディオゲネスは、勝手気ままな、「自由人」を死ぬまで貫き通した人ゆえに、奇人と称される。彼が自由に目覚めさせたのは、部屋の中を走り回る一匹のネズミだった。


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かれはそのネズミを見て、「ネズミは寝床も欲しがらない。暗闇も恐れない。美味い物も求めない。これこそ人間の道だ!」と悟り、以後は簡素、無欲、自由な生活をしようと期す。つまり、動物的に生きること、即ち自由と考えた。その気が起これば人前で平気で自慰行為もする彼は、見栄とか羞恥心とかを、徹底的に踏みにじった稀代の奇人・変人である。

殺人未遂罪を起こした少年は深刻な問題だが彼は中二病か?「中二病」とは、「(日本の教育制度における)中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」との自虐語転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。「病」の表現を含むが、医学的な意味で要治療の病気、または精神疾患とは無関係である。

こういう事件があって見れば普通母親は、息子からの問題提起と考えるが、それでも男を取るか?言葉は悪いがバカと利口の分かれ道である。「単に仲が悪かった」などとノー天気な発言よりも、常人として考えて欲しい。「何かが起こって後に対処するのは教育にあらず」という持論を持っている。将棋などやっていてもそのことは身につまされる。

事前の対策を講じないで、いざ火がついたら修復不可能で手がつけられない。将棋も教育も事前の読みという点で似て非なりである。将棋と教育で思い出すは1993年11月23日、44歳の棋士が中1の長男に刺殺された、「森安秀光九段刺殺事件」である。同日午前8時50分頃、母親が2階にある森安の書斎兼寝室に入ると、うつ伏せで血を流して絶命している森安を発見する。

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「パパが死んでる!」。母親は警察にしようとした時、後ろからついて来ていた長男がいきなり刺身包丁で切りつけてきた。母親はもみ合い長男から包丁を奪い取ったが、首に全治2週間の怪我を負う。「パパが死んだのはぼくのせいやない。学校を休んだことでガチャガチャ言うからこうなったんや。あんなに叱られては逃げ場がないんや!」と叫び逃走した。

翌日午後2時半過ぎ、ゲームソフト店で発見され保護された長男は、受験勉強を課した父を批判する言葉を口にした。息子は灘中受験に失敗し、国立神戸大学附属中学に合格、入学したものの学校を休みがちになっていた。神戸大学附属中は中高一貫でなく長男は高校受験を目指して塾通いを強いられ、帰宅は夜11時だった。こんなのは会社で言えば超過勤務労働。

大人が毎日そうであるとするなら、どれだけストレスが溜まるかくらいは考えるべきだ。自分の子とはいえ所詮は他人事。辛さ、苦しさも分からず、「勉強しなければ幸せになれない」などと言い続ける。こういう親は、「窮鼠猫を噛む」の覚悟、もしくは、子どもの健全な情緒の成熟は望まぬ事。逮捕された長男は、母への傷害は認めたが、父親殺害は頑として否定した。

これをどう考えるか?長男は事件を起こす前、カバンにナイフを忍ばせているのを父親に見つかり叱責されている。これはつまり、長男が刃物で相手を攻撃するなどで身を守ることを意図していたと考えられる。何らかの口論があり、父親を刺すつもりだったか、脅すつもりだったかは不明だが、包丁を取り上げようとした父と長男が揉み合いとなったことも想像できる。

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胸に1ヶ所だけの刺し傷からもその可能性がある。森安九段の酒好きは有名で、昼間から飲酒するほどだったとあり、事件当日も酩酊状態だった可能性もある。子どもが怒りに任せて一方的に親を殺害する場合はメッタ刺しが多い。ゲーム店で顔見知りの店長に、「あれは誤解や」と訴えた。店長は、「誤解ならみんなに分かるようにせんとな」と長男を説得、警察に通報する。

事件後完全黙秘を続けた長男は医療少年院送致まで2か月を要す。小3から塾通いでまともな情緒も育たず、自己表現ができず、反論能力も身についてない。取り調べ官に、「あれは誤解や」以外は無言であった。彼は刺したのではなく刺さったと推察する。不運にも刺さった場所が悪く致命傷となったが、長男の心中を察するに、「過失」であり、「未遂」と同等に感じる。

様々な「殺人未遂事件」が存在する。確信的な殺人もあれば、殺す意図であってもたまたま死ななかった未遂もあり、過失的な殺人未遂もある。これらを区別するために、「殺人罪」、「業務上過失致死罪」、「重過失致死罪」、「殺人未遂罪」がある。普通、殺人未遂罪は殺人罪より刑が軽いと思われがちだがそうでもない。理由は量刑の決め方にある。

一般的に、犯罪の量刑を決めるには発生した結果だけでなく方法が悪質か、動機に同情できる余地があるかなどが考慮され、同情の余地があるとは到底いえないケースでは、「未遂」とはいえ殺人罪より重い刑が降ることもある。東京・小金井で5月21日、歌手の冨田真由さんが襲われる殺人未遂事件があった。心肺停止状態だったが意識を回復したが、卑劣な犯行である。

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事件から学ぶ  「心中」

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心中といえば、「曽根崎心中」、「天城山心中」、「大磯心中」、「太宰治心中」が浮かぶ。男女の情死をなぜ、「心中」というのかは案外知られていない。「それを心中というなら心中だろう」くらいだったが、あることをきっかけに調べたことがある。あることとは、「何で心中っていうの?」と女性に問われて答えられなかった自分に癪にさわったことだ。

40年も前のことだが、今でもその女の顔をハッキリと覚えている。家に帰って辞書を引いたが、「相思相愛の男女が双方の意思で一緒に自殺すること」などの意味しかない。「そんなこと知っとる!なんで心中というようになったか聞いとるんじゃ!」である。当時は語源を調べるのも難しく、父が大学の文学部教授である友人に頼んで調べてもらった。

後日、長々と書かれたメモを渡されたが、難しい言葉の羅列だった。先に聞かれた女には、「知らんよ」で終わっていて、今さら言うのもと止めた。以後誰から聞かれることもなかった。近年はネットで、「語源」は簡単に調べられる。それによると、「心中」の正しい意味は、相思相愛の男女同士の自殺をいい、一家心中、母子心中などは本来の意味でない。

「心中」はまた、「しんちゅう」と読んだ。「まことの心意、まごころ」を意味する言葉が転じて、「他人に対して義理立てをする」の意味から、「心中立(しんじゅうだて)」とされた。それが男女が愛情を守り通すことや、男女の相愛をいうようになった。相愛の男女が愛の変わらぬ証として、髪を切る、切指や爪を抜いたり、誓紙を交わす等の行為もあった。

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相愛男女の究極形としての相対死(あいたいじに)を指したのが現代に至り、家族や友人の範囲にまで広がった。男女の永久相愛における自殺は、日本独自の来世思想(男女の情死は来世で結ばれる)によるものである。当時、心中は文学作品や、情死美化の来世思想の影響から、遊廓逃亡の遊女らが好みの客と、「情死する=心中」の意味に移行したとの説がある。

なかなか意味深き言葉で、日本人が如何に、「真心」を大切にしてきたかが分かろう。同じ言葉を語ったにしても、「真心」の有る無しで尊さが変わり、また尊い命であるからこそ、真心を持ち合って死ぬのは美しき事この上ないのである。死ねば花も実もないが、死ぬことこそが美しき花であった。およそ日本人なら理解できる情緒であり、死生観でもある。

かつて吉原遊郭の遊女たちは、行為のさなかに客を喜ばすため、「死にんす、死にんす」などと言ったと、川柳にもある。演技も含めて快楽の絶頂に、「死ぬ~」などの関連言葉は、古今において、東西において、共通する人間の自然な言葉の連想作用である。「死」と「エロス」の心理学的関係は我々の意識の奥深いところにおいて、秘かに互いが手を握っている。

これがフロイトの、「死の衝動」説である。人間には強い自己保存欲求や、「生」への渇望があり、さらに深いところで死の衝動が働いている。危険な冬山登山やカースタントなど、身の危険をさらして楽しむのも、死と背中合わせの生の楽しみ方であろう。そうした中、「情死(心中)」が日本人特有の習俗と言われているのは、先の来世思想によるものだ。

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果たして欧米には情死を描いた文学があるのか?『ロメオとジュリエット』、『トリスタンとイゾルデ』、『若きウェルテルの悩み』、オペラの名作『トスカ』など、物語の最後に恋人同士の一人、もしくは二人が死ぬことになるが、情死的な意味合いにはほど遠い。なぜに日本人は、男女が申し合わせて相果てるという、まことに奇妙なる二重自殺が好まれるのか?

渡辺淳一の『失楽園』の最後、わざわざ結合したままで死ぬなどは水をぶっかけても離れない犬の交尾もどきである。野犬が街から途絶えた昨今にあって、路上で犬の交尾に出くわすことはないが、その光景を見るや大人たちはバケツに水を汲んで来、お楽しみ中のワンちゃんにぶっかける。放って置けばいいものを、なぜか水をぶっかけて離すは定番の大人の悪戯。

子ども心に不思議な光景だった。なぜ犬の交尾がそれほどによくないことか?近所のおじちゃんに、「あそこで犬がサカっとる」と、わざに教えに行ったりした。おじちゃんは颯爽と水を入れたバケツを用意し、「どこじゃ~」、と案内させる。風流というのか、不思議な光景というしかないが、何のためにそこまでしたのか?確かに水をかけなければ絶対に抜けない犬の交尾。

街中で性行為をする野良犬どもの不謹慎さ、不道徳さに鉄槌を加えたかったのか?ハナたれ小僧の自分たちに行為の意味するところは分からぬが、おじちゃんが水をかけなければ何十分もあの恰好である。たしかに思春期盛りのお姉さんは恥ずかしそうに顔を赤らめ、直視できない光景だ。教育上よくないからと、おじちゃんは地域社会の道徳番人を気取っている?

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水かけおじさんは謎である。「にゃろメ、まっ昼間からいいことしやがって…」と、犬に嫉妬していたわけでもあるまい。何にしても今は見られぬ風物詩である。牧場見学で、馬などが致す光景はしばしば見られるという。やはり、女性はあれを恥ずかしがるという。「サカリ」の話はさて、心中には必ず心中する理由がある。つまり、死ぬほどの理由である。

身勝手な無理心中の典型は、子ども道連れの母子心中である。父子心中に比べて圧倒的に母子心中が多い理由を推測するに、やはり母と子の一体感の強さであろう。男に子どもと生まれながらの一体感はなく、成長の過程で連帯感として備わるも、母親のような自らの分身という程には至らない。子種を飛ばしたが、ある日突然父親と言われても実感はない。

母親が子どもをまき沿いにするのはそういう事であろうと理解しつつ、納得しかねる愚挙である。「この子の未来を考えると、偲びない…」などは傲慢の極致であって、「母がいなくとも子どもは育つし、ちゃんと生きて行く!」という腹立ちである。欧米に子どもの道連れ心中がないのは、「子は神からの授かりもの」という宗教的考えによると言われる。

「自分が作った、私が産んだ」という親の傲慢を排す意味で、優る教えである。子は間違いなく親なくとも育つばかりか、生まれ落ちた時点で別人格の子どもを、いつまで支配する親である。子ども道連れの無理心中は数日前にもあった。埼玉県草加市の住宅で乳幼児2人と40歳くらいの母親が死亡しているのが発見された。50歳くらいの男も腹に傷を負っている。

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経緯はというと、19日夜11時過ぎ、草加市西町の住宅から男の声で、「早く早く子どもが死んじゃう」と110番通報があり、警察官が駆けつけたところ住宅の玄関付近で40歳くらいの女性が、1階の居間で0歳から1歳くらいの子ども2人が、それぞれ血を流して死亡しているのを見つけた。また、50歳くらいの男も腹を負傷していた。男女は外国籍とみられている。

死亡した3人と男には刃物で刺されたような傷があり、住宅からは血の付いた包丁も見つかっている。第三者が侵入した形跡がないことなどから警察は、無理心中とみて負傷した男性の回復を待ち事情を聴く方針という。報道はあった事実を伝えるだけだから所詮は他人事であり、「気の毒」の三文字で収められる。それを、「怒り」にすれば問題意識も沸く。

死ぬほどの理由があるから、「心中」なわけだが、他人の理由は他人(部外者)には分からない。子ども道連れの無理心中のどこに子どもへの愛があろう。まさに愛とエゴは紙一重、無理を強要されるから無理心中である。腹立たしいのは、先に子どもを殺しておきながら、自分は死にきれなかったという奴だ。このケースは母子以外に、恋人や夫婦間でしばしば見る。

まことにふざけた話である。人の命は尊いが、「契った約束なら守れよ!」である。人間が自己中心で、他人の責任を負わない卑劣な動物であるのはその通りだが、これが最大の「無責任」である。こういう場合に彼らは決まって、「死のうと思ったが、死にきれなかった」などと、厚顔無恥も甚だしき弁解をする。相手は先に死んでいるにも関わらずだ。

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ヒドイ話しよ。人間の極めつけの無責任さだ。乳幼児の命運は親の一存でどうにでもなるがゆえに、こういうバカな親の元に生まれた子どものなんという不幸であろうか。親は子どもを幸せにしなければならない義務を負うこともないが、不幸にする権利もない。無理心中の前に子どもに問えよ。「母さんは死ぬけれど、あんたはどうした?」と聞いたらどうだ?

と書いたが速攻訂正。いや、それもダメだ。子育て辞典にそんな項目はない。自分が作ったものは取るのも自由、勝手であるなどの論理はなく、命は得た瞬間から子どものものである。乳幼児を抱えてどうしても死にたいなら死ねばいいが、児童相談所などに電話をし、「後はよろしく」と、そういう明晰さが母親に欲しい。それが親の責任というものではないか。

親子の無理心中は斯くあるべし。もとい、親子の無理心中などは此の世にあらずべし。彼女との性的な画像をネットでばらまき、リベンジポルノで話題となった、三鷹女子高生ストーカー殺人事件の池永チャールストーマス被告は、彼女の家のクローゼット内に忍び込むほどに執着したが、この男も殺害後に、「死のうと思ったができなかった」と言っていた。

死んでいない奴が、「死のうと思った」などは思っても言うなである。「たら」、「れば」を恥じとも思わず人はいうが、その自尊心が人を殺す言い訳にされてしまう。人を殺す、殺したという最大の愚行に人は一言の言い訳を発するべきではない。「死のうと思った」を言いたい性向の人間は、先に自分を殺して相手を刺せばいい。可能ならばだが…。

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それが不可能である以上、人を殺めて悔やむなである。相手殺害後に死ねなかった人間の悔やみや謝罪というのは、無価値にも劣る戯言だ。三島のように世間を騒乱させた人間は、安易な謝罪よりも腹を切ることで自らを貫くことである。三島は一切の言い訳を排した、「武士道」に殉じた男であった。失敗の際の、「言い訳」の周到なき武士の死生観である。

被害者参加制度で法廷に出廷した三鷹事件被害者の父親は、「(獄中で取材等を受ける加害者の言葉を聞く限りにおいては)自己顕示欲が強くて達成感すら感じている。反省の気持ちも感じられない」。「結婚13年目にできた娘で私たちの希望であり光だった。(娘の死で)希望が消え、私たち夫婦の将来も消し飛ばされた」と嘆いていた。この世は何と無慈悲なるかな。

事件から学ぶ  「三浦九段不正疑惑」

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いわゆる三浦九段不正疑惑問題で、日本将棋連盟が調査を委嘱した第三者委員会(委員長・但木敬一弁護士)は26日、 調査報告書を同連盟に提出、東京・弁護士会館で記者会見して調査結果を説明した。それによると、三浦九段が対局中に将棋ソフトを使用したとする疑惑の根拠として指摘された点は、いずれも証拠価値が乏しく、不正行為に及んだ証拠はないと判断した。

一方、連盟の出場停止処分の妥当性については、「疑惑が解消されないという非常事態における措置として、規律権限の範囲内にあり、当時の判断としてはやむを得なかった」とした。委員会は、「将棋連盟は、三浦九段を正当に遇し、その実力をいかんなく発揮できるよう、諸環境を整え、一刻も早く将棋界を正常化されるよう要望する」などと提言している。

連盟に金銭で雇われた第三者委員会というのは、善意の第三者というにはほど遠い内容であるのは、予想された結果である。三浦九段がカンニング不正をしたのか否かについての調査は、彼が所持するスマホが唯一の物的証拠であり、証拠を調べれば簡単に分かること。そのことよりも無実の人間を処分したことにどういう判断を示すのか興味津々であった。

三浦九段は竜王戦の挑戦者として勝ち上がってきたわけで、その労力、功績を何のいわれもないまま、渡辺竜王の一方的な思い込みで奪われてしまった。これについて渡辺竜王を批判する者もいるが、彼が何を言おうが処分を科したのは連盟の理事どもで、結果的に嘘を鵜呑みにした連盟に100%責任がある。渡辺竜王の発言に耳を傾けるのはいいが、処分までは行き過ぎだった。

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渡辺の告発を受けた連盟理事が浮足立ったのは事実で、三浦九段本人を呼んで事情聴取し、「不正をやっているのか?」と問い質したという。果たして不正をやっている人間がそれを問われて、「不正をやっています」というはずがない。となると、何のために呼んだか?三浦九段は、「やっていない」と否定したが、連盟は疑惑のまま処分を科したのはどういう仔細か。

「やりました」と言うと思ったのか?本人に聴取し、否定した以上、「不正はなかった」と信じるべきではなかったか?渡辺がこのことに納得しないのは、渡辺の問題で、彼自身が調査して証拠を示せばいいこと。それもないままに、疑惑というだけで三浦九段を処分するのは公平とはいえず、タイトル保持者としての渡辺竜王の疑念を信用した連盟のバカさに呆れてしまう。

「疑わしきは罰せず」に逆らい、「疑わしきを罰した」連盟を、第三者委員会が「やむを得ず」と擁護したのは雇い主ということもある。どちらの言い分にも確たる証拠がない段階で、一方だけを信じた連盟の落ち度を第三者委員会は苦しい弁明をした。「疑惑が解消されないという非常事態における措置として、規律権限の範囲内にあり、当時の判断としてはやむを得なかった。」

「非常事態の措置」とは何か?いうまでもない、竜王戦の開催が数日後に迫っていることである。三浦九段がスマホカンニングをしているというなら、カンニングをできないように策を固めて竜王戦を開幕すればよいものを、土壇場になって挑戦者を変更したことを、「非常事態の措置」としたが、その際渡辺竜王が、「疑惑のある棋士とは指せない」と言った事も非常事態なのか?

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思い込みの我ままだろう。第三者委員会とは、舛添問題を見ても、依頼主をどう擁護するかが最大のポイントで、三浦九段の疑惑にはクロシロをつけたものの、バカな人間とバカな組織が起こした顛末の収拾は困難と感じたハズだ。「連盟の行為は許されない」とした場合、連盟はどう収集すべきかがまったく見えない。第三者委員会は崩壊寸前の連盟を救ったとも受け取れる。

今回の理事の対応から能無し集団であるのがハッキリした。切羽詰まった時にどう対応するかがバカと利口の分かれ目だが、こんなことは何ら難しい部類に入らない。もし自分が理事なら、「疑惑のある棋士とは指せない」などの言い分は、我が侭と一蹴する。「竜王戦ではスマホ持ち込み禁止にするから問題ない。それが気にいらないなら、対局拒否は御自由に」と相手にしない。

竜王タイトル保持者といえど、言ってることはおこちゃまである。なぜ過去に遡って不正疑惑がある者と指せないというのか?こんな言いがかりに動揺するなどお話にならない。「スマホ持ち込み禁止にする」という対処で毅然とすべきであった。組織がブレてはダメで、何の組織であろう。渡辺竜王の言い分のみに加担した連盟理事の腰砕けが最大の問題というしかない。

「疑惑のある棋士と指さない」と天下に公言する度胸があるなら、要求を受け入れてもいいが、姑息にも渡辺は連盟にチクり、それをバカ理事が鵜呑みにした。渡辺竜王が三浦九段の不正疑惑に信念を貫き、対局拒否も辞さずという態度ならそうすべきだった。「渡辺竜王は三浦九段に不正疑惑を抱き、今期竜王戦の対局を拒否されました」と表明すればよかった。

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「そんな事をおおっぴろげにいわれては困る」という渡辺なら、疑惑の根拠への信念がなかった事になるが、渡辺が自信をもって疑惑と断じるなら、対局拒否でいいんじゃないのか。「三浦九段は不正をしている」と、堂々言えよ。今期の『竜王戦』は中止ならそれでいい。連盟はそのことにおいて、三浦九段を徹底的に調査する使命を負ったことになる。

そのための第三者委員会であるべきだった。いずれにしても調査結果は、「三浦九段は不正を行った事実はなかった」となり、渡辺竜王の独りよがりの末の対局拒否で、竜王位失冠となったわけだ。これでよかったし、この結果のどこに問題がある?不正を行っていない三浦九段には実害もなく、対局拒否なら不戦敗として三浦竜王が誕生していたハズだ。

連盟の毅然とした対応にも問題はなく、我がまま渡辺竜王の独りよがりの勝手な思い込みの結果、墓穴をほったということ。組織というのは何においても毅然とすべきであり、あれこれと我がままをいう人間にいちいち反応すべきではない。それだけ、将棋連盟が組織の体を為していなかったということに他ならない。第三者委員会は言葉濁して連盟を庇った。

「疑惑が解消されないという非常事態における措置として、規律権限の範囲内にあり、当時の判断としてはやむを得なかった」という言葉で乗り切ろうとしている。「やむを得なかった」といったが、連盟に「責任はない」と言っていない。様々な責任は、あちこちに生じている。自分の進言した対応であれば、責任は渡辺のみに発生しただけだ。さてと…

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第三者委員会が報告書に明文化していない責任を、連盟の理事や渡辺竜王が、自覚し、取ろうとするのか?委員会から指摘がないからと、知らんふりで通すのか?そこらあたりを注視して眺めるしかない。とにかく今回の事態の責任というのは、間違いなく発生しているわけだから、こそこそすることなく、男らしく主体的に責任を名乗り出てもらいたい。

実質的な責任を有する者が率先し、主体的に謝罪なり何らかのアクションを起こさぬかぎり、いわれなき罪をきせられた三浦九段側には、名誉棄損と損害賠償の訴訟を起こさぬ限り、どうにもできない。訴訟は疑惑を突き付けた渡辺竜王ではなく、処分を科した将棋連盟が対象となる。連盟を敵に回す訴訟を起こせば、棋士としての道は断たれるからそれはない。

予断と偏見に満ちた村社会内での見苦しき騒動であった。名誉を棄損された怒りもあろうが、三浦九段はこれまで培ってきた将棋を今後も指したい気持ちが強い。今回の一件は、将棋は強いがバカな人間と、組織の、「イロハ」も分からない無知で無能な集団が起こした理不尽な仕打ちという以外のなにものでない。ならば、ぐっとこらえて今後も将棋に頑張って欲しい。

バカはどこにもいるし、突飛な被害を被ることもある。見ず知らずの通り魔に命を奪われる人もいるそんな世の中だ。それを考えれば、「命あっての物種」。三浦が自分の友人なら、そんな言葉をかけるかな。確かに、世の中何が起こるか分からないし、「一寸先は闇」の部分は多い。バカから受けたいわれなき抽象や被害は我慢をすることだ。福翁に以下の言葉がある。

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なんど繰り返して読んでも、どの一つをとりだして読んでみても、そのたびに心を打つ言葉である。悲しみや苦しみ、不平や不満、そうしたものに押し潰されそうになるとき、この、「心訓」を思い出せばいい。幸い彼には棋士という職業がある。人間的な汚点がなかったことも明らかになった以上、肩身狭く生きる者よりマシである。さらに三浦九段には新たなファンもできたろう…

最後に、個人的には渡辺のような、「僕は三浦さんを処分してくれなんか言ってません」なる言葉を吐く人間は、極めつけの卑怯者である。彼が、「三浦さんを処分してください」などの言葉を言ったなど誰が思う?言葉ジリでなく、三浦に不正疑惑ありと、それに付随する言動をさんざん取ってきた。やった事を棚にあげ、言葉を否定することで行為の否定を企む厚顔無恥さに虫唾が走る。

事件から学ぶ  「三浦九段不正疑惑」 ②

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日本将棋連盟が調査を委嘱した第三者委員会の調査報告会見を受けて、三浦九段、西村九段(三浦の師匠)、横張弁護士(三浦の代理人)による会見が行われた。冒頭横張弁護士は、第三者委員会を連盟寄りと批判したのは当然である。「疑惑が解消されないという非常事態における措置として規律権限の範囲内」という第三者委員会の主張は第三者が見てもオカシイ。

今回の会見で様々なことが分かった。それによって見えてきた筋書きはこうであろう。連盟は何としても竜王戦を開催したかった。というのも島理事が迂闊(?)に発言したように、渡辺竜王の、「疑惑のある棋士とは指せない」と対局拒否の姿勢を見せたことであろう。しかしなぜ、「竜王戦は金属探知機でスマホ持ち込みできないから大丈夫」と説得できなかったのか?

おそらくそれでは渡辺が納得しなかったのだろう。つまり、今期竜王戦がスマホ持ち込みが禁止となっても、渡辺が納得できない理由とは何かを考えた。以下は推論である。「三浦さんが挑戦者になれたのは不正をしたからであって、つまり不正で挑戦者になったことがそもそも問題では?そういう人とは指せません」というようなことを言ったのではないか?

親しい島理事辺りにそういった心境を告白し、それを受けた島が、「なるほど、もっともだ」と賛同、他の理事にその旨を進言する。ようするに今期竜王戦は、最初から三浦挑戦者を外すことが既定路線であったということだ。横張弁護士もいうように、金属探知機でスマホ持ち込み禁止と決定しているのに、なぜ三浦挑戦者を外す理由があったのか?は、当然すぎる疑問である。

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これを上記のように考えると納得できる。島理事と渡辺竜王が近い関係にあった事が問題の根幹である。島は渡辺が三浦と戦いたくないことをおそらく悟っていた。こうした人間関係の機微が三浦外しの裏工作に及んだ。今回の会見で、丸山九段との挑戦者決定戦3番勝負の際、連盟理事が三浦を極秘に監視していたことも明らかとなった。陰湿だが三浦外しを狙ったものだ。

幸いにして三浦に不正の事実は見つけられなかったが、数名の棋士間で囁かれていた三浦の不正疑惑の尻尾をつかまえ、棋界追放が目的だったのではないか?「幸いにして…」といったが、不正が見つからなかった連盟にしてみれば残念な結果である。ここまでされた三浦の心中は察するに余りあり、後に企ての事実を知った精神的打撃は相当であろう。

理事までもが加わり、寄って集ってのあきらかに精神的なイジメである。三浦外しを願い、主導したのは言うまでもない渡辺である。三浦との対戦成績が直近で三連敗ということもあってか、自負心とプライドが傷ついたことで、三浦不正の思い込みが一層膨らんで行った。「あいつが不正をしなかったら負ける相手ではない」と、そんな誇大妄想も渡辺に増幅された。

渡辺の三浦憎しは、自尊心が傷ついた事への返報感情である。渡辺と親しい理事がいたことで共同で三浦外しを画策、他の理事も追従したのではなかろうか。山本七平の、『空気の研究』によれば、渡辺や島の自信に満ちた三浦不正疑惑論に、他の理事たちの自らの意思決定が、空気に拘束された。唯一片上理事が自身のブログに、「疑問あり」と以下書き込んでいる。

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①当事者以外の棋士が軽々しく発言してはいけない

②一部の関係者がおかしな発言をしている。内部の情報や他人のことを勝手に発言するのは間違っている

③今は棋士は将棋を頑張るべき。それ以外の関係者も自分の役割を全うするべき

全体を見渡す理事職というのは斯くあるべし。渡辺の尻馬に乗った島理事は、一部の人間の利害に翻弄されたことからもバカ丸出しの理事失格だ。まあ、彼も三浦の尻尾を掴んで点数稼ぎを目論んだのだろう。日本人に於いて神妙なる決議などというものはない。皆が、「空気」を悟った瞬間にすべてが決まる。こんな仲良しこよしの理事ゴッコを片上はシビアに見ていた。

監視されていたという挑戦者決定戦だが、対局者の丸山九段は、「不審な点は感じなかった」と理性的な回答をした。片上は東大卒、丸山は早大卒の学士棋士。この際学歴は関係なかろうが、彼らが、「バカ」でないのは理性が物語っている。「バカ」は感情に奔る特質がある。渡辺しかり、島しかり、橋本しかり…。仕方がない。バカはどこの世界にもいる、それが世間である。

社会心理学用語に、「リスキーシフト(risky shift)」という現象がある。直訳すれば、「危ない変更」という意味で、これは集団による討議の際に性急な合意形成を図ろうとすることで、よりリスキーな結論へ傾斜し、移行してしまうことをいう。こういう場合、個人でじっくりと落ち着いて考えて出した結論と、集団で討議した結論とが大きく異なったりする。

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普段は穏健な考え方をし、比較的節度を守って行動することのできる人が、大勢の集団の中においては、その成員が極端な言動を行っても、それを特に気に掛けもせずに同調したり、一緒になって主張したりするようになる。集団極性化現象ともいわれ、羽生もそうだったのだろう。皆が同じであることがキモチ悪いと感じる自分は、速攻全員一致は興奮の産物としか思えない。

映画『12人の怒れる男』で、明らかに死刑に該当する殺人犯の評決の席で、第一回評決が11対1と一人の反対者が出るが、このような場合ではあちらでも肩身の狭い思いをする。「反対者は挙手して、反対理由を述べてもらいたい」と詰られ、反対した男はこう言った。「被告は殺人者かもしれん。その可能性が高い。もし、自分が反対しなければ即刻電気椅子送りだ。


折角集まったことだし、彼は少年だ。少しの時間くらい彼に割いてやってもいいのではないか?」。明確な根拠で反対したわけではない。陪審員として日当分の仕事はしようとの問いかけである。連盟の合議には羽生や佐藤(康)もいたという。その場でしゃんしゃんと処分決定されたようだが、後に羽生はツイッターで、「灰色とは言ったが、疑わしきは罰せずが妥当」と述べた。

羽生がそのことを合議の場で言わなかったのは残念である。処分が決まって後に、「自分は同意していない」と言ったに過ぎない。上記したような強く言えない空気感があったのだろう。連盟で一番将棋が強いのだから、正しいと思ったことは主張して欲しかった。人間的に優れていると世間で認知されていても、正しく物事を見、発信する勇気とはまた別であろう。

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渡辺竜王においても言える。彼は将棋の能力は優れているが、今回、自分が嫌う人間もしくは色眼鏡で見る人間を貶めるために疑惑を捏造したり、大袈裟に吹聴したり、知人の文春記者に書かせたりした。仕方がない、能力があってもバカはバカだ。個人的なことに振り回されないために、7名もの重職がいながら失態を演じた連盟は、多くのファンの信頼を裏切った。

谷川九段を尊敬していたが、いじめ生徒に加担した教師の如き無能さに失望した。米長前会長は好きではなかったが、今回彼が会長にあったなら、このようなバカげた事は起こってなかったろう。渡辺の思いあがりや我ままは、おそらく一蹴したハズだ。羽生も合議の場で冷静に討議した結論であれば、後に個人発表する見解と食い違うということはなかった。

将棋は強いが人間的な弱さは否めない。「疑わしきは罰せず」を信奉するなら、合議の場で主張すべきで、それでこそ棋界の第一人者たる羽生三冠である。米長はアクの強い人だったが、それが人間的な強さでもあった。すべてに万能な人間などいないが、谷川会長は挨拶の人だ。挨拶に堪能だけの飾り的な会長であったことが、今回リーダーシップを発揮できなかった。

三浦九段の会見は、これだけの目にあいながらも遠慮がちな連盟批判をするところに彼の弱い立場がある。三浦の会見を受けて後に連盟も会見を行ったが、第三者委員会からお墨付きを得たとばかり、連盟の対応の妥当性を強調し、理事の辞任もなく、減給という処分にとどめた。「三浦九段につらい思いをさせた。申し訳なく思っている」と、型通りの謝意は述べている。

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後は渡辺竜王がどのような発言をし、責任をとるのかをファンのみならず世間は注視している。何も言わない、責任を取らないのも彼らしい。自分的にはそれが渡辺というバカと思っている。今さら何を言ったところで、今回の彼の愚行は消えることはない。彼に人格的向上心があるのなら、そのために取る唯一の行動は、竜王位辞退と賞金の返還、三浦宛の直筆謝罪文である。

自己変革を試みるなら行動で示すこと。彼個人の問題ゆえにして欲しいとは思わない。するとも思わない。が、すれば変わるきっかけになるが、彼のような将棋バカに「人間性」の3文字はない。その辺も含めて世間は動向を見ているはずだ。4000万に欲を出すのではなく、今回は三浦挑戦者であったなら、彼が竜王位となったであろうと、三浦をリスペクトできる度量はない。

苦手な挑戦者を何とか蹴落とそうと目論んだ行為を反省し、人にあるまじき愚行と自らを断罪するなら、渡辺はいかばかりの成長もあろう。勝負師である以上、「自分が一番強い」という自負もいいが、TOTAL的人間としての成長は至難である。将棋は強いが渡辺に人間性を望むは土台無理という声は多いが、尊敬される棋士でなくともいい稼げればいい、それも彼らしい生き方である。

辛辣な表現で将棋連盟批判や核となる人物批判をしたが、ハッキリいってこれはイジメである。寄って集ってのイジメは断固許すべきでない。三浦の師匠である西村九段は、「前代未聞の不祥事」としたが、西村九段ならずとも同じ思いだ。なぜ、このようなことが起こったか?何度もいうが、「バカな棋士とバカな理事がいたから…」というのが、端的で分かり易い。

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今日までそして明日から

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吉田拓郎の、「今日までそして明日から」という曲のインパクトはあった。なんて当たり前で自然なタイトルであり、歌詞であろうか。当たり前のことを当たり前に重ねていくことも人生であろうと…。おそらくディランの『風に吹かれて』の影響であろう。拓郎はディランに強く影響を受けている。自分も『ボブディラン全曲詩集』というのを買った。見当たらないので、年末に実家に帰って探してみる。

風に吹かれて(Blowin’ In The Wind)

How many roads must a man walk down  人はどれ位の道を歩めば
Before you call him a man?  人として認められるのか
How many seas must a white dove sail   白い鳩はどれ位海を乗り越えれば
Before she sleeps in the sand?   砂浜で休むことができるのか
How many times must the cannon bolls fly   どれ位の砲弾が飛び交えば
Betore they’re forever banned?   永久に禁止されるのか
The answer, my friend, is blowin’ in the wind   友よ答えは風に吹かれて
The answer is blowin’ in the wind    風に吹かれている


今日までそして明日から

私は今日まで生きてみました
時には誰かの力を借りて
時には誰かにしがみついて
私は今日まで生きてみました
そして今私は思っています
明日からもこうして生きてゆくだろうと

私には私の生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう


どちらの詞が優れているかなどはどうでもいい。それぞれの詞から何を感じるかであろう。ディランも人生の答えを書いていない。拓郎も、人生は自分を知るところからと…。「答えは風に聞け」、「答えは自分に問え」と…。神も超人も出てこないところがいかにも人間性の尊重である。言葉を変えればヒューマニズム的である。近年、ヒューマニズムを欺瞞とする声を聴く。

さまざまに存在するもの(存在者)の個別の性質を問うのではなく、存在者を存在させる存在なるものの意味や根本規定について取り組む「存在論」は、存在には本質がないと否定された。例えば、人間性などというものは存在するかもしれないが、その存在は初めには何をも意味するものではない。つまり、存在、本質の価値および意味は当初にはなく、後に作られたのだと…。

「実存は本質に先立つ」。これは無神論的な概念である。サルトルは、「実存主義はヒューマニズムであるか?」の有名な講演において、実存主義概念は息吹を上げた。構造主義が台頭してくると、実存主義が批判され、構造主義は静的な構造のみによって対象を説明することに対する批判から、構造の生成過程や変動の可能性に注目する視点が導入された。

これはこんにち、ポスト構造主義として知られる立場の成立につながったが1994年のソーカル事件で、あっけなく終息することとなる。「ヒューマニズム」という欺瞞、「知」という欺瞞、人間は欺瞞に目を向けることで、自らの小さな「箱」から脱しようとする。欺瞞の上に築いた生活で人間は幸せになどなれない。自らの欺瞞に目を向けよ。アドラーの自説である。

これが最終的な人間の最大の課題であろう。「晦日までそして来年から」と、自然に促せて今年もオワる。来年もまた一年間何かを書けることを願って、そしてさらなる自己欺瞞に挑みたい…。


三浦疑惑事件のその後

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三浦疑惑事件と言うと、三浦和義氏の、「ロス疑惑」を思い出す。「ロス疑惑」とは、1981年から1982年にかけて、米国ロサンゼルスで起こった銃殺・傷害事件にかけられた一連の疑惑を言い、発端は1981年、ロサンゼルスで起こった殺人事件に関して、被害者の夫である三浦和義氏が、「保険金殺人の犯人」ではないかと日本国内のマスメディアによって嫌疑がかけられた。

1984年、『週刊文春』が「疑惑の銃弾」というタイトルで報じたことから、過熱した報道合戦となり、日本中を巻き込んだ劇場型犯罪となった。今となってみればあの、「大騒ぎ」、「バカ騒ぎ」は一体何だったのかと冷静に考えられるが、当時は次々に新たな関連情報が出て来、様々に展開していく状況は、まさに推理小説のリアル版という様相を呈していた。

「10年は一昔」なら、「30年は大昔」といえるくらいに、「ロス疑惑」は頭の隅から消えてしまっている。今回の三浦事件は、将棋棋士のスマホによる、「不正疑惑」であって、事件と言うべきか騒動というべきかはそれぞれの捉え方による。第三者委員会の調査によって、結果的には一点の曇りもない「シロ」と発表されたが、疑われた三浦氏の心労や苦悩はどう回復されるべきか?

いわれのない罪を受けた人に対し、「すみませんでした」の言葉で済むこともあれば、そんなものでは済まない逸失利益について、連盟は最大限の配慮をすべきであろう。本来、逸失利益とは、 債務不履行や不法行為によって得られなくなった利益を指すが、どちらでもない理由によって処分をされた三浦氏に、「法的義務はない」と連盟はするのか?

今回の騒動は違法行為でない以上、休業損害補償も逸失利益の補填も発生しないが、逆の見方をすれば、違法行為に当たらない三浦氏の行為を「疑惑」ということで処分を科した連盟の無能が最も批判されるべきであろう。正しい者を処分したのがバカであったのだから、そういうバカは経営に携わるべきでない。そういう責任を取ろうともしない。

減給という処分は正直誰が考えても痛くも痒くもない責任の取り方であって、理事どもは、第三者委員会の「連盟に過失はない。権限の範囲内」というお墨付きを金科玉条が如く口にする。責任には「法的責任」、「道義的責任」、「社会的責任」の三つがあるが、理事の減給処分はどれ?さらに、「責任」というものには、三つの意味があることも知るべし。

「法的責任」、「道義的責任」、「社会的責任」が責任の取り方なら、そうした責任の理由、責任の大小とは別の、"責任の果たし方"としての三つの意義について考える。そもそも責任とは、ふつう何か困った問題が発生した時に問われるものであり、「責任ある地位」、「責任ある職責」などのように、ポジティブな文脈で使われることもないわけではない。

が、"彼は責任を問われて昇進した"といった用法があるだろうか?ポジティブな事象においては一般的に、「責任」の代わりに「貢献」とか「功績」という語を用いる。したがって、貢献と責任は対になる概念である。もう一つ。責任とは、意志とセットで使われる。当事者に、それなりの裁量範囲や自由意志があった際にのみ、責任を問われるのである。

つまり、ただ言われたことをやっただけの人には、たいして責任は発生しないはずだ。ならば、意図せざる過失にあっては責任がないのか、というと決してそうはならない。過失には、「注意義務を怠った」という一種の意志が働いたと考えられるからだ。「注意義務を履行する」が意志である以上、「注意義務を怠った」も、意思と見なすべきである。

「過失」をさも意志ではないような言い方をする人間は、責任逃れ大好き人間、もしくは常連であろう。「する」も意志なら、「しない」も意志である。人間は完璧ではないし、間違いを犯す存在である。だから、二重チェックやフェイルセーフといったシステムを仕事に組み込んでおく必要がある。よって、単純な過失が重大事故を起こすのは、システムの不完全さにある。

そうしたシステムの不完全さに対する責任が発生することになる。責任者として置かれた立場の人間が責任を問われるのは、不備や緩さ甘さに対する一切の責任である。起こった事を結果というなら、そこには間違いなく原因があり、原因が起こったその背景には、必ず起こった責任は発生する。責任者とは、責任を取るために置いておくものと考えるべき。

したがって責任者の取り得るべく責任とは、「問題が生じた際に、生じた問題を解決するために払うべき代償について、行為の当事者に対し義務づける概念」と考えるべきで、分かり易く言うなら、「責任=代償」となり、その代償の払い方が、三種類あるということ。先ず、①失敗した行為を正しくやり直すこと(影響を与えた状況を復旧する作業も含む)。

次に、②その問題を招いたことの処分・批判を甘受し、場合によっては地位や体面を失うこと。最後に、③損害賠償など法的な義務を果たすこと。三種類の責任概念は、英語ではそれぞれ別の言葉で表される。ResponsibilityAccountability Liabilityである。どの語も、-ability、すなわち『能力』であることを示す語であることに注目すべきかと。

Responsibilityとは、仕事の遂行に対する責任概念であり、仕事が途中で問題を起こして、思ったようにうまくはいかなくても、最後まで我慢してやり遂げる(その余分な労力と精神的苦痛は自分が引き受ける)こと、ならびにその能力を意味している。Accountabilityは、「説明責任」とも訳されるが、「対外的な義務を引き受ける」という語感がある。

誰が訳したか、「説明責任」とは苦心の訳語か。汚職の嫌疑をかけられた某大臣には説明責任があるなどとされ、説明は仕事上の義務のような感を受けるが、外国では決してそんな甘いものではない。Accountabilityは、地位や体面という代償を払うべきことを意味していり、むしろ「面目責任」が妥当ではとの考えもあるが、責任逃れの日本人向きではない。

Responsibilityが、どちらかというと業務担当者レベルでの、「責任の果たし方」であるのに対して、Accountabilityは監督義務を怠った、あるいは間違った判断・命令を下してしまった事実に対する管理職レベルでの、「責任の果たし方」を指す。そして、Liabilityは、法的な賠償等の、「責任の果たし方」である。どこの国でも、責任という概念は奥が深くややこしい。

東北大震災では福島原発事故が発生した。東京電力は法規則どおり原発を建てて運転し、地震後も政府の指示どおり対応した。「それで全責任を負えというのは無理がある」という意見もあるが、それで東電の責任がない事にはならない。それなら、電力会社の過失はどこにあったのか?これは、何のいわれもなく被害を被った地域への賠償問題のネックになる。

国も共同責任で補償すべきか、原発を設計・施工したメーカーには責任がないのか、ということだ。それぞれが責任の擦り合いをしているようでは、地域住民はどうすればいい?そのため原子力発電所の事故は、「無過失責任」で成り立っている。正確には、「無過失賠償責任」とも呼ばれ、「無過失責任、電力事業者への責任集中」が世界的な制度である。

日本は国際条約には加盟していないが、国内法制度は同じ原理ゆえに被害者側が電力会社の過失を立証(そんなことは機密の壁に守られてほぼ不可能)しなくても、電力会社一社で全部を賠償しなくてはならない。福島第1原発事故をめぐり、国や東電を提訴する原告数が約1万人規模に拡大した。争点の一つは、政府・東電が主導する帰還促進と賠償打ち切りの妥当性だ。

一部の訴訟では、大津波の発生を「想定外」としてきた東電の主張に関し新たな資料も提出され、同社の過失の有無も争点として浮上。東京電力ホールディングのホームページには、補償責任の詳細が明記され、そこには「3つの誓い」という項目がある。①最後の一人まで賠償貫徹、②迅速かつきめ細やかな賠償の徹底、③和解仲介案の尊重。

話が原発にそれたが、谷川連盟会長以下の理事は、仕事を最後までやり遂げる、Responsibilityを選択した。それなら、三浦氏に対する補償や名誉回復問題に、手腕を発揮すべきである。無実の人間を処分した過ちを犯し、無能と断罪された理事が、このまま居座って将棋ファンや世間が納得する解決策を見せるならそれも良かろう。我々はそれを期待している。

三浦氏は3日、出場を変更された地元群馬県の「第13回YAMADAこども将棋大会」にサプライズ出場し、開会前に挨拶を行った。これまでとは打って変わった笑顔であった。「ヤマダ電機様にはずっと自分の事を信じていただきました。大きな企業は個人より組織を守るものですが、ヤマダ電機様は三浦でいくんだと言っていただいて、本当に有り難かった」と述べた。

これからすると、三浦氏に出場を促したのはヤマダ電機の連盟への圧力と推察する。三浦氏の言葉には変わらぬ連盟批判が盛り込まれているが、遠慮することはないし、連盟批判は将棋ファンの総意である。また三浦氏は、「シロの証明は物理的に難しいですから、悪く言いたい人はいるでしょうし、シロと信じたくない人もいるでしょう」謙虚に述べている。

確かに「色メガネ」をかけた人を納得させるのは難しい。説得する必要もない。三浦氏は今回の事でさらなる人望を得たが、渡辺竜王は連盟の顔とはいえ、連盟主催の場にも出席は躊躇われるだろうし、スポンサー主催の場において拒否されることになる。棋界最高位「竜王」であるが、棋界最低の人間が竜王位を穢していては、社会貢献できる立場にない。

将棋界の行方

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今年の正月は久々実家で過ごした。29日から3日までの6日泊の長期(?)滞在だった。里帰りは母が老人ホームに入所して不在ということもこともあってだが、実に14年ぶりとなる。帰る前に中学時代から将棋を指していたⅯ爺宅に何気に電話を入れてみたところ、元気な声を聴いて少しばかり驚いた。なんと91歳であるという。正直、生きてるとは思わなかった。

年を聞き、「ちょっと生き過ぎじゃないんか?」というと、「バカいうな、ワシは100まで生きるんじゃ~」と返ってきた。中学時代の頃は負けてばかりだったが、今回は15年ぶりに対戦したが、以前の実力はどこかに吹っ飛び、30局中一度も負けなかった。「気力減退」という言葉があるが、Ⅿ爺まさに、「棋力減退」である。これが人間の衰えというものだろう。

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久々に足を踏み入れた古里を懐かしさもあってか、グルリと廻ってみたが、まるで変っていたし、こんなに変わるものかというほどに、街は生きている感じであった。31日には長女と中3の孫も帰って来た。長女は実家だから、「帰る」だろうが、この地で育っていない孫は、「訪れる」ということか。真っ先に『ボブ・ディラン全詩集』を探したが見つからず。

実家にはいろいろな本があった。買った記憶もなければ、読んだ記憶のない本も多くあった。おそらく忘れているのだろうが、これも年齢的な衰えというものか。持って帰りたい本は多かったが、将棋の本だけにした。羽生の著書がほとんどで、彼の寝癖を批判すれども、将棋は天才的であり、棋譜をお手本にするわけにはいかないが、並べると圧倒させられる。

ファンという程でもないが好きな棋士は谷川、森内だった。二人にはかつての強さも勢いもない。比べて羽生には衰えを感じない。エジソンは天才は努力といったが、羽生は、「日々努力し続ける人」というだけあって、強さの裏には日々の見えない努力があるのだろう。将棋連盟会長職を谷川から引き継ぐのは彼であろうが、彼も谷川と同じ、「将棋だけの人」なのか?

一個人の恣意的な告発に踊らされた連盟会長並びに理事の無能さには外部にも呆れを晒したが、第三者委員会に尻を拭ってもらったものの、いわれなき不名誉な仕打ちを受けた三浦九段に対し、誰もが納得いく保障なり名誉回復を講じる課題を残している。「連盟に非はない」とした委員会においては、真に第三者を名乗るのなら、連盟を叱るべきであった。

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彼らの愚挙の不甲斐なさに、「叱る」には余りに忍びない、「惻隠の情」があったと推察する。一棋士の私怨を真に受け、根拠を精査することもせずに鵜呑みにしたさまは、なんとも幼児の世界観ごとき様相である。かつて力士を、「総身に知恵はまわりかね」と揶揄したものだが、「日本相撲協会」に斯くの不祥事はなく、頭脳集団といわれた将棋連盟の醜態には呆れた。

米長邦雄永世棋聖に有名な名言がある。「三人の兄はバカだから東大に行ったが、自分は頭がいいので棋士になった」。将棋通なら誰でも知っているこの言葉は正確ではなく、尾ひれがついて膨らんで行ったに過ぎない。『将棋世界』1972年新年号において、テレビドクター石垣淳二氏をホストに、「盤上・盤外 棋士になってよかったナ」と題する対談での発言である。

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確かに東大生は頭が良いといわれるが、それは学問から得た知識の量であって、機転が利く、知恵が回るというものではない。棋士も頭が良いと言われたが、それは将棋というゲームの思考に於いてであって、今回の三浦九段の一件は情けないが小学生レベルである。1990年10月発刊の雑誌『Quark』スペシャル号、「賢い脳の作り方」に森内俊之が脳波データを提供した。

彼は当時新鋭四段で、プロ棋士の頭脳の働きを解明する実験に参加した。実験行った山口大医学部神経精神科山田通夫教授は、その結果についてこう述べている。「(森内がかなりの頻度でFmθ波を出していることに関し)これには正直いってビックリしました。将棋のことは良く分かりませんが、これだけ集中力があるなら、きっと名人になるでしょう」。

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予言通り、森内は12年後の2002年5月17日に名人位を獲得した。その後通算5期名人を獲得し、永世名人(18世名人)の称号を得る。これは羽生(19世名人)より速い獲得であった。頭の良さというのは人間に得て不得があるようにさまざまな分野がある。怪盗ルパンの頭の良さ、探偵ポワルや金田一耕助の頭の良さ、東大生の頭の良さ、科学者や棋士の頭の良さ。

などと区別されるべきものだ。窃盗も推理も問題集を漁るも実験も対局も、それぞれが脳のトレーニングであり、それによって脳の働きをアップすることになる。論理的思考や、イメージや閃きといった非論理的思考から、創造力やカンを発揮することにもつながる。棋士の対局はそれほど多くなく、詰将棋を解くなどしてトレーニングを欠かさないという。

此の世には答えが明確に存在するものと、答えが不明確なものがある。人間の学習習性として、一度物事を明確にする作業を行うと、どうしても人情として明確なものに価値を置きたくなる。一度明確にする作業を行った上で、なおかつ不明確なもの(掴みどころのないもの)に価値を置くのは結構大変だが、科学者の実験というのはそうしたものへの挑戦である。

それからすると、「解」のある問題を解く思考パターンは楽かもしれない。しかし、無限に広がる宇宙の如き指し手といわれた将棋であるが、最善手というものはつまるところ計算の結果というのが、コンピュータによって明らかになった。それまで「明確」と言われていたものは、棋士個人の理解において、「明確」であったに過ぎず、それとコンピュータとは別である。

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「三人寄ると文殊の知恵」という。文殊とは知恵を司る文殊菩薩のこと。バカでも三人で知恵を出せばそれなりに…との意味だが、年末に棋士三人がコンピュータに挑んで完敗したのを見て、将棋の世界も人工知能優位は動かないが、コンピュータが人間よりも強くなったということは、最強棋士とコンピュータの対戦に興味が沸くのは当然であろう。

三流棋士は三流同士でメシの種として戦っていればいいが、高レベルの戦いからすると彼らの棋譜は見る価値すらない。コンピュータの強さというのは、実は偉大なる素人の強さであって、素人感覚を忘れない。プロ棋士たちはそんなコンピュータの指し手に驚くことしばしばで、「人間はこんな手は指さない」などというが、それで勝つならその手は、「良い手」ということだ。

アマチュアでも指さない、「イモ手」を指して勝つコンピュータにしてやられる人間の知識や先入観が、いかに淡く不純なものであるかを機械は示している。このようなコンピュータの出現によって、我々の将棋の楽しみ方は、今後も大きく変わって行くだろう。「あり得ない手」、「イモ手」で勝つことの凄さ、素晴らしさをますます評価し、実感して行くことになる。

古里で91歳の老人と対局して感じたのは、Ⅿ爺も所詮は田舎の、「お山の大将」だなと…。「自分はこの町で一番強いんだ」などの言葉を恥ずかし気もなく言う。大概において田舎の人間は、「井の中の蛙」である。自分たちの外を知らないから、まともにそう思っている。昔の剣豪が武者修行の一環として、「道場破り」をしたように、強い相手を求めることで腕を磨く。

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「あいつは弱い」という言葉をいう将棋指しは多い。老齢においても人間が出来てないとでもいうのか、将棋をするばかりに人間的な成長ができない。自分より弱い相手と指して、「自分は強い」と言い切るバカバカしさ。そんなことが70歳になっても80歳になっても分からないのか?大海を知らない人は、単に知らないのではなく、見ようとしない、認めようとしない。

こういう人を、「つまらん人」と規定している。つまり、己の矮小な自尊心にご満悦という人。負けても言い訳ばかりで、相手を認めない人は結構いる。まるで子どものようでこちらも腹で笑っている。「言い訳して強くなるならいくらでもするけどね~」などとからかったりするが、真意に気づかないくらいに心が狭い。将棋は人を、「お山の大将に」誘う魔物でもあるようだ。

対局中は最善手を求めて指すけれども、それはプ棋士もアマチュアも同じであろう。が、つまるところ、「最善手」とは何?である。最善手とは局面が要請する絶対手ともいえる。それが見つけられるのは棋力の差に思えるが、実はプロ棋士も選んだ手が最善手とは分からない。答えのある詰将棋なら別だが、普通の対局にあって最善手か否かの判定はできない。

なぜなら、その後に自分も相手も間違う可能性がある。となると、ある局面における最善手にどれほどの意味がある?状況が確定している詰将棋や終盤局面を別にすれば、序盤、中盤で最善手という判断は、暫定的なものでしかない。複雑すぎる将棋において、局面を単体でとりだして、「次の一手」を絶対手とする問題集もあるが、それらは詰将棋同様トレーニングである。

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今回の三浦九段騒動で理事ら重職は大悪手を指した。が、指すときは最善手と思ったハズだ。竜王戦開幕中に、三浦九段のカンニング疑惑記事が出ることを知ったから、急遽講じた対策と、これまた稚拙な言い訳をしたが、三浦九段にいかなる疑惑が生じようだ、「竜王戦は不正回避の万全策を講じている」と毅然とすべきだが、連盟に三浦を守る意志はなかった。

誰かが(おそらく渡辺と親しい島理事であろう)三浦挑戦者を引きずり落すという意志があったから、今回の流れとなった。これには主催紙読売新聞社の将棋担当記者と渡辺竜王の関係も言われている。様々な要因があったにせよ、決定している挑戦者を降ろす行為は、道理に反する大番狂わせであった。そういうことをやった連盟にはただ絶句するしかない。

事件から学ぶ  「心中」 ②

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「心中」について数行の書きかけがあったので加筆する。澁澤龍彦は、「心中」を美学というが、あくまで情死のことであって、母子無理心中にあらず。母はしばしば子を道連れに命を絶つが、男には理解できない行為である。自ら産んだものは自分の所有物ということだろうが、男にとって我が子は他人感覚でしかない。母親の子どもに対する傲慢さは種々経験した。

娘を他人に殺される親もいる。遺族の悲痛な叫びは理解に及ぶ。かと言えば、自ら産んだ乳児、幼児を手にかける母親は少なくない。12月23日午前9時55分頃、兵庫県姫路市網干区浜田の会社社宅に住む男性(30)から、「妻が息子と自分自身を刃物で刺した」と119番があった。救急隊員が駆け付けたところ、男性の妻(32)と1歳2か月の長男が寝室で血を流して倒れていた。

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妻と長男はいずれも重傷といい、県警網干署が殺人未遂事件として捜査している。ベランダに出ていた夫が室内に戻ったところ、2人が床に倒れ、妻の胸に包丁が刺さっていたというが、夫の言葉通りなら未遂であるが無理心中ということになる。夫の機敏な通報で命は取り止めたことになる。育児で悩んでいたというが、だったら殺してしまえってものでもなかろうし…

無理心中を企て、子どもを殺して自分は死ななかった母もいる。先に自分を刺せ!親の絶望は子どもに関係ない。相手に冷たくされたという池永、相手に避けられたなら受け入れるべきだが、それができない愚か者である。彼は裁判の被告人質問の際にこう述べている。「別れるなら裸の画像を流出させると言ったし、いかなる方法であれ、交際を続けたかった」。

その反面、「(彼女)を脅してまで関係を続けるのはおかしいと思い、忘れようとしたが(気持ちが)積もっていった」。そういう反動心理は分からぬもない。忘れようとすればするほど思いはつのる。それでどうする…は、人格の問題だ。人は愛を失った時に本質が露呈する。悲恋感情は、日に日に克服されていくものだが、それができないのは依存心の強さ。

親が幼児期から子どもの教育について、「依存心」というものを最重点に育てなければ、依存心はあらゆる情動の要となる。入試に失敗して自棄になるのも、事業などの仕事や恋愛や、取り組む一切の対象に、自己愛的同一視を行う場合、そういう人間が対象を喪失したときは、同時に自己喪失となる。これが対象への自己愛同一視。対象が自分の価値を吊り上げる。

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親から甘やかされて育ち、依存心を植え付けられた人間は、依存心を当然のものと捉えているが、依存心は与えられるものであり、自らがなんとかして、「手にいれたい」、「奪いたい」と思ってもじっとしていては何も受け取れない。したがって、「依存心」という悪害を断ち切るためには、まずは自らが「依存心」に気づき、手放す努力をしなければならない。

ブスがイケメンに憧れるのも自己愛的な恋である。「女は容姿ではない」という自分も、美人と出会い付き合うこともある。イケメンは性格が悪いと言いながら、それでもイケメン好きという女には、強いコンプレックスがあるようだ。いろいろな人間の世の中であり、いろいろな価値観が充満するが、兼好法師のように、「我はこう思う」が自然な成り行きだ。

「徒然草」は時々読む。「心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくる」からオモシロイ。あれは原文のままに読める唯一の古典で、大層な素養はいらない。だから中学や高校の古文の教科書にも載っており、読みやすいことにおいてはこれに適うものなし。「徒然草」には、青年⇒大人の変貌のプロセスがそのまんま出現してしまう点もオモシロイ。

現代人の男はいくつになっても大人になり切れないようで、そのことを自覚するから悩む。したがって、自覚しない人間より、「悩む」という点においてはるかに勝る。「過ぎ去った恋などどうしようもない…」⇒(静かに思へばよろずに過ぎにしかたの恋しさのみぞ、せんかたなき)。「徒然草」の二十五段から三十二段にかけてはまさにそれ。昔も今も人は悩む。

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社会システムや経済の流通は大きく変わったが、人の悩みの本質は相も変わらずのようだ。物書きの文体は様変わりしているが、「徒然草」の如く、心に浮かびし事そこはかとなく書きつくりたい。名文でなくともいい、書いて楽し、読んでまた楽しが理想だが、楽しいが何かもイロイロだし、楽しいばかりでもダメだし、大事なことは、「素直に気負わずに」かなと。

「手のわろき人のはばからず文(ふみ)書き散らすはよし。見苦しとて人に書かするはうさし」(第三十五段)。⇒字が下手でも書くのはいいことよ。書かなきゃいつまでも下手のまま、書けば上手くもなろう。見栄を張って代筆などはヤメレ。文は心だから、自分の言葉を人に取り次がせて、何の自分の心であろうか。「心」が純粋であるなら、下手文字とて美しい。

文章も同じ。ある人のブログが、かつての純粋さという輝きをなくした。他者の意識が増したか、あるいは見栄も生じたか、装いが増している。文に現れる変化は分り過ぎるほどに分かる。斯くいう自分も、装いを排した生身の生き様を書きたい、書こうとすれども、人は完全に自由にはなれない。そのことをひしひしと感じる。それが分かるところは救いである。

文が下手だからブログは書けない。という人は、書きたくないが前提にある。「字が下手だから書きたくない」と同じ言い訳で、字が上手いから文が書けるものでは決してない。昨今は便利になったものだ。長時間ペンを持つとペンダコが痛むほどに筆圧の強い自分だが、今はペンも紙もいらない、インクもいらない、消しゴムもいらない、消しカスもでない…。

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問題は、「何を書くか」であって、何も難しいことを書く必要性もなく、最も身近な、「性」の問題が人間に共有の話題であろう。「性」といっても羞恥な秘め事にあらず、異性について素朴な疑問など書くのは、誰にでも安易で可能ではなかろうか。男にとって女が謎であるように、女にとっても男は得体の知れぬ生き物だ。しかし、双方は愛し合い、求めあう。

そういう中で「情死」を遂げる多くは、愛し合う男女であり、彼らを脅かす社会や他人から完全に背を向け、自分たちの世界に閉じこもり、無常観を凌ぐためにか性の恍惚の極致たる、「小さな死」の瞬間を、美しくも永遠化しようとする。人の命には限りがあるが、に比べて死は永遠である。これが心中の意味であろう。互いを紐で結わえた心中死体の美しき哉。

愛する者同士の、永遠の行為を僅か一回限りの情熱として、死にまで高めようとする情死の美学である。二人は死ぬことで永遠に生きる。相手を裏切ることもない、死という最高の保証と献身に他ならない。我々が他人の情死を美しく思うのは、二人は来世できっと結ばれるであろうとの想像を抱くからだ。そのように思うことが二人の死に対するいたわりである。

どう考えども愛し合う者同士は、愛の確実性において生きるべきと思うが、なぜに死を選択するのだろうか。「愛の唯一の法則は、愛する人を幸福にすること」とスタンダールが言ったように、それが死ぬことであろうハズがない。妻子ある人と許されぬ愛に苦悩する時代であった。昨今において不倫というのは、コソコソやる事で許される行為のようである。

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立小便で逮捕されれば1万円未満とはいえ科料が発生するが、不倫で逮捕されることはない。つまり、不倫は立小便にも値しない罪ということになる。配偶者を苦悩させるが、社会を混乱させる罪ではないということだ。愛と社会においてはいかなる相関関係にあるのか?愛という情念の形は、社会を望ましい共同体に変える力を持っているのだろうか?

人々が愛の感情を抱き、自分たちを一個の生命体の一部とみなし合うことで成り立つような共同体を唱える宗教は少なくない。ヘーゲルはそうした共同体をイエスの企てとした。イエスは権利社会の住人であるユダヤ人の策略で捕らえられ、社会の支配者であるローマ総督によって処刑された。このことからヘーゲルは、「愛」は権利社会を変革する原理にならないと悟る。

愛はうつろうもの、確固たる持続性なきもの、そうした感情の一形態としての愛を讃美するのはいいが、教会の誓いは簡単に反故にされる現実を見ても、愛は権利社会の構築とならない。「汝は汝の愛によって終生の愛を誓え!」と…、言わずもがなキリスト教は命令の宗教だ。「干渉しないでくれ、俺は好きなことをする権利がある」と、これが権利社会である。

心中を永遠の愛の誓いと称するのはいい。どう解釈する自由は許される。が、現実的に見れば、心中は愛の終焉であり、実体としての愛はその時点で終わっている。にも関わらず、傍観者は、「二人は永遠に結ばれたのだ」と御悔みの言葉を投げかけないではいられない。実体としての愛が消滅しているにも関わらず、投げやりな言葉は酷いということなのだろう。

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生きることが全て、死ねば一切が無に帰す。生きているだけが人間で、死ねば白骨となるが、ならないうちに人為的に骨化させる。子を己の死の旅路に連れて行く母に、どうして子どもへの愛があろう。愛とエゴはまさに紙一重だが、愛とエゴを混同する、「母」のイカレタ頭脳。自らの人生は終焉させるとも、子に夢と希望を託すことこそ永遠の愛ではないか。

『卒業』のベンは凄い!

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子どものころ、お正月にはよくかるたとりをやった。普通の「いろはかるた」だが、親子3人家族のささやかな団欒であるが、なぜか正月以外はやらなかった。正月は親も仕事から解放され、家族が揃うという理由もあったろうし、また、かるたは正月にやるものだとの固定観念があったのだろう。『百人一首』などはなく、子ども時分にそんなの見たこともなかった。

歌かるたは正月の風物詩として馴染みも深いが、なぜ歌かるたが正月の風物となったかについて、特別の理由はないようだ。今でこそ子どもは自由に、遅くまで起きているが、「子どもは早く寝なさい」が当時の子どもにとっては規則のようで、だから遅くまで起きていても叱られない正月を子どもは好きなのだろう。何をしても怒られないのも正月の特権だった。

「論より証拠」、「紺屋の白袴」、「子は三界の首枷」など、訳もわからない言葉の羅列だが、意味を教わった記憶もない。ところで、「論より証拠」とは、ものごとの良し悪しをハッキリさせるには、どれほど上手に説明しても意味はなく、 証拠となるものを目の前に示すほうが、明らかにはっきりする。将棋連盟の理事はこのことを知らなかったのだろう。

「紺屋の白袴」とは、「医者の不養生」と同じ意味である。「子は三界の首枷」というのも、親は三界(過去・現在・未来)に渡って子から束縛を受けるという意味だが、「子」を、「親」に置き換えてもいいだろう。そんな親の呪縛に苦悩する子どもって、意外に多いかも知れない。首枷(くびかせ)とは、昔、罪人の首にはめて、自由に動けないようにした刑具のこと。

子どものことを心配してもしきれない親もいるのだろうが、子どもは自立した後は社会が育ててくれているので、無用な心配はしない方がいい。あなどるなかれ、かるたには結構ためになるし、また、「はっ!」と自分を気づかせてくれる、そんな実用的なことわざは結構ある。「困ったときの神頼み」ではないが、自分は慣用句やことわざを道しるべにしている。

うじうじ、いじいじしてる人間など、「善は急げ」と閃いてすぐに行動するが良し。その意味で仕事上役立つことはままあった。仕事ばかりではない、恋愛においても言える。恋に落ちている人は、結構本能的に行動しているものだが、本能的に、"上手く"となるとなかなかそうもいかない。恋は決して感情(本能)のみで上手くいくものではないようだ。

恋する二人といえども、人間社会という枠組みの中にある以上、人間の心理は複雑で、様々に変化する点を考えれば、恋愛の世界のおいてもある程度は頭を使ったりで考える必要も出てくる。相手に好かれる(愛される)ためにはどうすればよいか?このことは恋愛に限らず、人間関係全般(親子関係・師弟関係)における基本中の基本ではないだろうか?

つまり、「愛されようと思ったら、まず相手を愛すること」。この点は思考でやるのではなく、自然にそうする(そうなる)べきものかと。ここにテクニックや作為を入れようとすると、「相手を愛する」ではなく、「愛するように見せかける」となろう。この点は本能的にそうあらねばならない。恋愛の根本原理であっても、原理を抽象的に肝に銘ずるではダメ。

言葉は悪いが端的に分かり易くいえば、「相手をだます」ことも恋愛の奥義である。「だます」は一種の手練手管であり、吉原の遊女たちが客を本気惚れさせるために幼少時からさまざまなテクニックを施された。遊女といえども人気商売である。彼女たちは商売上、男との関係を繋ぎ止める必要があり、そのために客あしらいのテクニックも持っていた。

遊女が売れっ子になるための第一条件は、何といっても容姿が美しいということ。美人の遊女は客の方が放っておかない。第二は、床上手であること。そして、第三が、客あしらいがうまいこと。この客のあしらい方が手練手管と呼ばれるものだ。「口説」、「起請文」、「髪切り」、「爪剥ぎ」、「指切り」、「起請彫り」。詳細は省くがこれらを「心中」といった。

恋に手練手管を使うのは、相手をだます意図があるからよくないというのは、ガキの火遊びである。テクニックそのものには、何ら悪いところはないし、だまして金品を巻き上げるとか、相手を私的欲望のために利用するのはダメ。人の心をもてあそぶ意図さえなくば、押してダメなら引いたり、嫉妬心を起させるとか、わざとせんない素振りなどは効果的だ。

男と女は自然に引き合うという大前提にあるからこそ、大きな効果を生むのである。とはいえ、切羽詰まった状態のときとか、心にゆとりや余裕がない時、周辺的なテクニックは逆のマイナスの効果となる。正攻法はバカ正直と言えるくらいが良い。4日にはテレビで久しぶりに映画『卒業』を観た。アメリカン・シネマの名作中の名作だが、これで三回目になる。


1967年封切りなので、もう50年になるのか。2回目は30代だったが、最初も二回目も何気に観たという感じ。若き頃は、サイモン&ガーファンクルの楽曲のインパクトが強すぎ、二度目も人に勧めたことから一緒に観た。が、今回はしっかりと観た。食い入るように観た。それで思ったことは、この映画は女性の心理描写が微妙に描かれているのに気づかされた。

黙っていればいいものを、これから付き合おうとする彼女の母と、性的関係にあった事を告白するベンの心境は何なのか?そんな、相手が傷つくであろうことは黙っておくものだ。「隠しておく」というのではなく、「黙っておく」もの。事実であるないなどはどうでもいい。事実というのは、知らない者にとっては事実とならない。そのように解釈すればいいことだ。

彼女も傷つき、母も傷つき、彼氏も傷つくようなことを何でいう必要があろう。これは映画の設定上で、実際ではあり得ない。それを聞いたエレンの憤慨は言うまでもない。失恋の淋しさを紛らわせるために好きでもない相手と付き合うことはある。最初はそうであっても、愛に発展することもある。が、エレンは、ひたむきなベンに対する恋心は絶やさなかった。

と、これが映画の主題である。あまりにも有名なラストシーンだが、二人のその後は観た者のそれぞれの中にある。幸せというのは作って行くものだが、これと決めた相手はいかに手を尽くしても得る。そうしたベンの気持ちにエレンは呼応したということか。恋愛は二人でするものだ。自分だけが愉しくしていたのでは、心行くまで愉しむ結果とならない。

相手を愉しませることに集中すべきである。だからといって、安っぽい笑いは虚しいばかりで、そこを勘違いせぬこと。相手が心の底から愉しめる状況をつくること。その積み重ねの上に、自分の愉しみも築かれて行く。人間同士が愉しく、幸せになるにはどうすれな良いか。そういった根本的な問いかけを基点として生きるにおいては、やはり利他性であろう。

独りよがりは相手にとって地獄である。愛想の虚しさ、作り笑顔のだるさ、こんな恋愛が成就するはずがない。恋をしているときは、誰でも常に相手のことを考えているはずだ。どれほど相手のことを考えようとも、相手の心はブラインド。人の心を推し量ることはできない。相手の心の中がある程度分かるようになるためには数、をこなさなければならない。

いつも片想いで終わる人に足りないものは何か?人間の感情というのは相互的なものだが、短期的には一方通行で終わる感情の流れはあっても、多少の時間をかければおのずから同種の感情の交流は実現する。片想いを公言する人の多くは自信の無さに起因する。また、心ひそかに抱く思いが伝わらないと嘆く人は、あまりに「ひそか」すぎやしないか?

伝えるためのアプローチは自分が思っている以上に伝わらないもので、遠慮することなくどんどん出していかねばダメだ。リミッターをかけて、「どうして私の気持ちを理解できないんだろう?」と責めたり嘆いたりは独り相撲。相手だって、"はやとちり"をしたくないわけだから、思わせぶり」よりも、「思う」気持ちを具体的に伝えるべきで、それでだめなら仕方がない。

先ずはあきらめないで、辛抱強く感情のメッセージを発信し続けられるか否かである。映画『卒業』のベンは、人はあれほど一途になれるものかの見本である。恋には計り知れない力がある。「惚れてしまえば千里も一里」といい、恋人のところに行くときは、どんなに遠くても苦にならない。恋は感情だけではうまく行かないとはいうが、考えすぎるのもよくない。

自分の見る恋のできない人間に共通するのは、考えすぎる奴が多かった。言い方を変えると、慎重すぎて臆病といっていい。可能性がゼロに近い相手であっても方法はいろいろある。そうした勇気のない臆病風に吹かれているようでは、「天は自ら助くる者を助く」という法則に該当しない。一に勇気、二に勇気、三四はないが、五に度胸といったところ。

勇気は大事だ。これなくて芽生えさせるは不可能で、やはり芽生えさせようの意思が必要となる。「恋愛は1%のひらめきと99%の努力である」。努力と言えば苦悩のように聞こえるが、こと恋愛においては「努力を楽しむ」こと。全記事でも言ったように、親からどっぷり「依存心」なるを躾けられた人間は、先ずはそれを脱却するところから始めなければならない。

相手が自動車学校に通っていることを聞いた自分は、その時間に自動車学校の玄関にいて驚かせたことがある。「一緒に中で講義を聞こう。分かりゃしないさ」と、実際に分からなかった。こういうサプライズは女性に効果大。思い切った演出ということになるのだろうが、この程度のことは臆することなく、普通感覚でさらりとやれるなら機会は増えるだろう。

「青年団」と山本瀧之助

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当地ローカル放送局「広島テレビ」に、『ハッケンふくやま』なる番組がある。広島県には西の広島市に対し、東端に位置する福山市は人口46万人を擁する中核都市である。広島と福山は直線距離で84km、車で93kmとなり約1時間半の運転である。地元民の感覚でいうと福山は岡山圏に属し、言語や文化も岡山の影響を受け、福山市民も岡山に親近感を感じるという。

「福山は岡山の植民地」の言い方に怒る福山市民だが、ローカル都市福山には都会的な雰囲気はなく、岡山の帰属意識が強い市民も多いならそれも良かろう、という広島市民の見方である。それほど広島市民に福山は治外法権的なイメージがある。上記の、『ハッケンふくやま』は、福山市民を岡山から広島へと意識を帰属させるために作られた番組に思える。

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福山市とアメコミの、「バットマン」の関係について論議が起こっている。福山市の市章はコウモリで、マークデザインがなぜかバットマン。蝙蝠(こうもり)をシンボルとした理由は、福山城の立つ城山が、「蝙蝠山」と呼ばれていたことに由来するのだという。また、蝙蝠の「蝠」の字が福に通じ、福山という地名の由来にもなっているってぇこともあるらしい。

現在福山市は、「バラの町」としても売り出しているため、バラをモチーフにしたシンボルマークに統一してしまおうとの意見もある。イメージ的にはバラが好まれており、将来的に変わるような気もするが、「蝠山」が、「福山」の由来になったという歴史的な重みもあろうし、そこんところは、議論を尽くしてやることだ。広島市民には、「カンケーないね~」。

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まあ、広島市民曰く、「福山って何かあるんか?なんにもないだろ?」にたいして、「何もないとは言わせない」が、『ハッケンふくやま』の番組コンセプトで始まった。どんなにさびれた田舎町でも歴史はあるもので、当地福山においても、「福山知っとる検定」など行って、歴史や文化を市民に掘り起こしている。第5回の検定問題に以下の問いがあった。

「福山市沼隈町出身で青年教育に尽力し、『青年の父』と呼ばれた人物は誰か?」正解は山本瀧之助。小学校長の傍ら、居村を中心に地域の若連中の改善に取り組み1890年、「好友会」という青年会を結成し青年団運動を始める。また多くの青年団体機関誌を発行。彼の代表的著作『田舎青年』は、地方にも近代社会に目覚めた青年がいることを主張して注目された。

『田舎青年」は山本が24歳の時に自費出版したもので、その熱意のほどが伝わってくる。当時青年と言えば、立身出世を目指す都会青年を意味したが、実際の人数としては格段に多い田舎青年は、自己の夢や希望すらも満たされず、世間から何の注目も浴びない忘れられた存在であった。山本はこの著作の中で、「都会青年も田舎青年も平等である」と主張した。

「田舎に住める、学校の肩書なき、卒業証書なき青年」に目を向けるよう呼びかけ、田舎青年の教育の重要性を山本は指摘した。また、「青年会を設くべし」と全国を巡講し、その実際の指導に当たり、全国各地の、「青年団」の結成及び、その全国的な組織化に尽力した。山本のこうした活動は後の、「日本青年館」の建設、「大日本連合青年団」結成を促した。

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山本の長年の功労に報いるため、財団法人日本青年館に設けられた「顕頌会」によって死後まもなく、『山本瀧之助全集』が刊行されている。明治維新により近代国家の建設と共に、自給自足的な村落が解体する中で、伝統的な若者制度も消えていった。が、自由民権運動の影響の中で山本瀧之助が広島で、「青年会」を起こしたことで全国に青年組織の結成が広まって行く。

これらの組織は大正時代に、「青年団」および、「処女会」(女子青年団)と称されるようになった。「青年団」の誕生や沿革について述べたが、発祥の地広島に於いては熱心で充実した青年団活動が行われていたのは知っている。子どもの頃、「青年団」といわれる人たちの活躍を見ながら、当時20代の青年は、子どもの目から見てはるかに大人に見えた。

青年団が主催する観劇やパーティーなどは、男女の交流の場としての意義もあり、青年団で出会った同士の婚姻も多かった。自分は高校2年の時に一度だけ、高校卒業した先輩女性に誘われて、クリスマス・ダンスパーティーに行ったことがある。ジルバやタンゴのリズムに合わせて踊るのだが、初体験の自分は手を取られて立ったり回ったりするしかない。

当時の若者の娯楽の主流が、ダンスパーティーだった。市民館に備え付けの拡声器などで音の悪い音楽を流して踊っていたのだが、そこにエレキバンドを招いて催すということで、青年団と市民館の対立があった。自分もエレキバンドを組んでいたが、高1の時にで強制的に解散させられた。あの時は自宅に担任や補導教諭がわざわざ自宅に来て、親と話していた。

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そんなバカバカしくもつまらぬ時代であったが、「青年は常に革新的であれ!」というのは、青年団のスローガンでもあった。「エレキは不良」の代名詞と勝手につける体制側や大人に対し、エレキのどこが不良かを問いただすも、「音が大きい、うるさい」では納得できるハズもない。青年団側は当時の市長に談判し、市民館でのエレキパーティーを勝ち取った。

エレキバンドには解同(部落解放同盟)の青年が多く、それを解同が組織ぐるみでバックアップし、市長室や市長宅に詰めたことが功を奏した。自分のバンド仲間には解同の友人が多かったので、彼らの凄まじい行動力と、バックで詰める組織力には怖いものなしという状況だった。当時は同和教育の真っ盛りで、解放団体は勢いを増していた時代でもあった。

若者が革新的であるためには、権威に反抗する勇気や度胸も必要だ。学校の肩書なきもない、卒業証書もない青年に光を当てた瀧次郎だが、精神科医清水將之が1983年著した、『青い鳥症候群 偏差値エリートの末路』による、「青い鳥」の概念は、「今よりもっといい人」、「今よりもっといい仕事」など、現実を直視せず根拠の無い探し続ける人たちのを指した。

幼少時から喧嘩をさせない、危ないところに近寄らせないなど、大人が責任を取らないことで、過保護の青年たちが量産された。他人との向き合い方においても、ぶつかり合いを避け、踏み込むこともせず、当事者とならず遠巻きに眺めるだけの傍観者に成り下がる。雑草如く強さを持った青年団員に、そういった新しい青年の出現が影をおとし、噛み合わなくなっていく。

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東京都の連合青年団組織は昭和30年代に解散し、以後も多くの青年団組織が活動低迷を理由に正式に上部団体である日本青年団協議会を脱退した。また、正式な表明はないものの実質活動休止状態の県連合組織も少なくない。かろうじて田舎の青年団が、嫁不足の旗を挙げて呼びかける光景は深刻であり、困っているとはいえ、女性が呼応しない理由も分からなくもない。

青年団の本来の主旨はともかく、青年男女の出会いの場であったのは否めない。それが、女性の大学進学率があがり、田舎を後にする女性が増え、田舎に帰って子を産み、大家族のなかで働き手の一員として泥をかぶるなどは耐えられないだろう。かくして、時代の変遷とともに青年団の在り方も変貌し形骸化した。過酷な農業と監視し合う田舎は苦痛だろう。

長らく日本青年館結婚相談所長として活躍し、2012年からNPO法人「全国地域結婚支援センター」代表となった板本洋子さんは、1948年生まれの69歳。茨城県日立市に生まれ、日本女子短大卒後、日本青年団協議会に入り全国の地域青年団活動に関わる。その後、財団法人日本青年館へ移り、80年、結婚相談所設立と同時に専任となり、84年から所長となった。

そんな彼女はこのように言う。「結婚って本人の問題でしょう?他人がとやかく言うものではないのに、なぜ私たちが結婚相談をやらなければならないのか。相談所の開設当時、率直に言って、そういう疑問がありました。当時は、『結婚相談所』と聞くと、何となく、"いかがわしさ"を感じる人がいたり、相談所で仕事をしているというだけで軽く見られたものです。

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結婚式は、『お目出たいことだ』と言われるのに、結婚する人を紹介することは、"うさんくさい"という社会的イメージがあって軽視される。でも、『結婚相手を求めている』本人や両親は必死です。この、"必死"の部分と、社会的に、"必死でない"部分とのギャップが大きかったですね」。聞けば、「なるほど」である。始めた当時の苦労や苦悩が忍ばれる言葉だ。

農村には意外と知れられてない矛盾がある。それは農家でありながら、「うちの娘は絶対に農家にやりたくないが、後継ぎ息子には嫁がほしい」、「なぜ不真面目な男には嫁がくるのに、真面目な男に嫁がこないのか?」などだが、前者は身勝手、後者は無知である。先祖の土地を受け継ぐだけの農業に魅力はない。だから、そういう農家に娘をやりたくないとなる。

昔と違って農業はやり方で資産家になれる時代である。板本さんは30年以上結婚相談に携わって実感したことは、「男性の脆弱化です。農村、都市を問わず、異性とうまくコミュニケーションがとれない悩みを沢山聞きました。セールスマンは商売の話はうまいけど、お見合いになると口べたになり、あげくの果てに、『女性のことが分からない』と悩みます」。

これは当然と言えば当然で、普段は無口であっても、話そうとすれば専門分野の話は尽きないように、女性に関して専門分野でないということだ。女性の心を理解するためには何をおいても場数を踏む。昔のようにお見合いが廃れ、自由恋愛が好まれる時代に、真面目な男がモテるはずがない。女性が惚れる相手について、板本さんは以下のような例を挙げた。

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「長野県川上村のレタス農家の後継青年が見事、パートナーを射止めたんです。六月の交流イベントで彼女と会い、お互いにラブラブとなって、デートしようと思った時にレタスの最盛期とぶつかってしまった。農作業のピークが終わるのは十月、それまで待っていたら恋愛は発展しない。デートをとるか、レタスをとるか。彼は、「レタスで二百万、三百万損してもデートする」と決意。

その後に親の支援もあって交際を続けて結婚しました。女性が、『そうしろ』と言ったのではありません。男性が、そんな気持ちを持っているかどうか知りたいわけです。二人の気持ちを大切にしてくれる、ファイトある男性に女性は惚れるもんですよ(笑い)」。というメデタイお話だ。なるほど…。男の魅力を売るだけでなく、相手に対して強い気持ちがあるかどうかを見る女もいる。

町内会(自治会)というお荷物

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18歳で田舎を後にした自分は「青年団」活動の経験がない。子どもの頃に眺めていた「青年団」のお兄さんたちは逞しく見えた。特に秋祭り、夏祭りなどで法被姿に神輿を担ぐさまはエネルギッシュで迫力に満ちていた。が、憧れとか青年団に入りたいという気持ちは起こらなかった。その理由は、都会への憧れが大きく、心はそちらに奪われていたからだ。

実際問題、都会は自由だった。借家に住んでも隣近所は見知らぬ人ばかりで、干渉という圧力がまるでなかった。親からの極度の干渉、そして喧騒もあってか、依存心より自立心が旺盛な自分は、干渉という無言の圧力を嫌う性格となり、孤独を忌避することはなかった。友達といる時も独りでいる時も、それぞれに楽しみはあり、いずれにも適応できた。

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都会人は自立心の強さにくらべ、田舎では持ちつ持たれつの共存共栄が生活の基盤となる。だからか、いつも顔見知りの誰かと寄りあって、どこかで飲んだり話したりしている。集まることが好きというのか、集まって話し合っていれば悪口を言われないで済む。だから、寄り合いに顔を出さない人は悪口の餌食となる。集り、妬み、依存、嫉妬、虚栄の世界…

母親は毎日誰かの悪口を言って暮らしていた。自分の友人などの悪口は聞くのも嫌だから何度も苦言を呈したが、自省して止めることはなかった。田舎が都会と違い、隣近所のつながりとか地域の連帯を重視するようでも、それは表向きであり、腹の中は他人の悪口三昧であるのが子ども心に不可解であった。嫌な相手と出会っても笑顔で頭を下げる田舎の虚飾。

そうまでして維持すべくものがあるのだろう。「隣保」、「青年団」、「老人会」、「婦人会」、「子供会」、「消防団」に地元の中学卒や高校卒の第何期ごとに「○○会」という名称がある。地元に根差している人にとっては何でもないことのようでも、何十年も地元を離れた人間にとっては、煩わしい寄り合いである。大したことをしている訳ではない。

会費を払って溜まれば飲むというのがメインの様でもある。Uターンで田舎に帰ったとき、「何で人を干渉するんだ?」と、地元onlyの同級生に聞いてみた。「自分もされてるからだろうな?」と言ったのが印象的だった。別の奴は、「悪口を言うのは、自分も言われてるからだ」と、同じことを言った。同士討ちのようなものなら、互いに無視し合う方が罪がない。

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他人を褒めるのは口だけで、他人を貶すことで自我を安定させる。まさに人の不幸は蜜の味だ。その意味で田舎暮らしには気疲れがあるのだろう。精神衛生上に於いては都会暮らしが勝ろうというもの。裁判沙汰にまで発展した以下のような村八分の実例もある。「自治区の区民として認めないことになったので、カネは受け取らない。八草から出て行ってくれ!」

愛知県豊田市八草町に住む陶芸家荒川友雪さんは昨年1月、2010年度分の自治区費(年間1万円)を納めようと役員宅を訪れ、耳を疑う言葉を投げつけられた。立ちつくす荒川さんに役員は、「市の広報も回覧板も回さない。区の行事の連絡も入れない」と言い放ち、荒川さんに背を向けた。八草町生まれの荒川さんは、名古屋に住んだ7年を除き、地元で暮らし続けている。

コミュニティの一員ではないと宣告された荒川さんは再度、区費を持って役員宅を訪ね、自治区総会への出席などを伝えたが、役員は顔色を変え、「区民として認めていないから、会場の中には一歩も入れない」と、敵意剥き出しにした。堪忍袋の緒が切れてしまった。八草自治区と地域の共有地を管理する八草合有土地管理組合を相手に、民事訴訟を起こす。

裁判は名古屋地裁岡崎支部で行われ、口頭弁論における双方の言い分は真っ向から対立した。そもそも自治区(自治会ないしは町内会)は、「一定の区域に住所を有する者の地縁に基づいて形成された団体」(地方自治法)で、区域に住む全ての人が構成員となる。「加わりたくない」住民を強制加入はできないが、「入りたい」という住民を拒むことはできない。

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ましてや、会費の受け取りを拒否して地縁の輪の外へ放逐することなど、許されるはずもない。ではなぜ、八草自治区で露骨な村八分騒動が巻き起こったのか。そこには特異な事情があった。荒川さんは孤高の陶芸家として知られ、その作陶は独特で、精製された粘土ではなく、自らが崖や田んぼの底から掘り出した良質な天然土を使い、薪で焼き上げる。

薪も購入するのではなく、雑木や枯れ木や廃材などを集めて活用するやり方で、作陶に使う土と薪を、自宅周辺に広がる里山から調達していた。辺りの山林は、八草地域住民の共有財産となってはいるが、荒川家は江戸時代から続く八草の旧家で、共有地を利用することに問題はない。里山に築いた陶芸窯は、「天河窯」といい、田原総一朗氏が名付けた。

そこでテント生活を送るなどし、自宅を長期留守にすることも頻繁だった。周囲からは完全に変わり者扱いされたが、自らを、「入会地によって育まれた陶芸家」と自負していた。それだけに共有地の環境保全に細心の注意を払っていた。不法投棄されたゴミの撤去などに1人で汗を流していた。荒川さんほど日常的に里山に足を踏み入れる住民はいなかった。

八草の共有地は地域内に分散しているが、総計で60万坪(約200㌶)と、八草地区全体の面積約486㌶の約4割強にあたる広大な土地に現在はわずか285世帯、652人が住む。愛知環状鉄道とリニモ(愛知高速交通束部丘陵線)の乗り継ぎ駅や、愛知工業大学があり、2005年の愛知万博の跡地にできた、「愛・地球博記念公園」にも近いが、それ以外は山と田畑が広がる田舎町だ。

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1913年に自治区(旧八草村)が国から払い下げを受け、当時の地区居住住民75人が共同で登記名義人となった。共有地の管理は当初八草自治区が行ない、1989年に土地を管理する八草合有地管理組合がつくられた。荒川さんの実父も登記名義人を承継し、2002年に亡くなった後は実兄が引き継いだ。その後八草共有地の土がガラスの原料となる珪砂を多く含むことが判明する。

四つの鉱山会社が土地を借りて採掘を始め、毎年5000万円が管理組合に毎年流れ込む宝の山となった。2005年には近隣にて「愛知万博」が開催された。地域の開発が進み、公共施設用地として購入を希望する話が相次ぎ、億単位のカネが管理組合に入るようになり、一時は20億円を超す額に膨らんでいた。組合員から、「そろそろ分けてほしい」という声も出始めた。

協議の結果、組合員に分配と決まった。「合有地の名義は、分配当時57人だが、時代とともに増え、もともと名義人であった本家からの分家を含めると、組合員は114人になる。本家だけでなく、分家も名義人と同じ権利がほしい。名義が分かれていると土地を扱いにくい。それで、カネの分配は今後の研究として、とりあえず、名義を組合でまとめることにした。

組合の指定した人に名義をまとめるため、名義を返上してもらい、返上した名義人には1千万円を渡し始めたが、名義人ではないある組合員の男性は、「名義人にだけカネを払う根拠はない。八草のものなら、八草の人みんなに払わないといけないのにおかしいでしょ。」と憤る。荒川さんが管理組合役員を訪ねたところ、「自治区民でない」と、門前払いを食う。


組合員が死亡した場合、1名のみ地位を承継できることになっていたが、実際は八草町居住の相続人に限って、組合員とする慣例となっていた。いわゆる分家として認められたもので、八草自治区の区民であることが条件だった。荒川さんは区費を差し出して自治区への加入を申し込んだが、「自治区民として認めることはできない」と、突っぱねられてしまった。

あまりの言われ方に納得のいかない荒川さんは、名古屋法務局に駆け込み、人権侵害を訴えたのだ。すると自治区役員から、「自治区民として認める」との連絡が入る。ひと騒動の末に荒川さんは09年4月に八草自治区民になることができた。結果的に荒川さんは分配金を手にできなかったが、自治区の会合に参加することで地域の実態を知ることになる。

その頃八草自治区にはトヨタ自動車が研究所を造るために10万坪の土地を100億円で買う、さらには同社がテストコースを作る案などの話がでたが、住民からは疑問の声が上がり、異議を唱える声が多く、自治区臨時総会は紛糾した。事業への同意は退けられると見られたが、役員は賛否を拍手で問うとし、まばらな音の中、「賛成多数で同意」となる。

総会で積極的に発言した荒川さんもこれには驚愕した。土取り事業はその後に盗掘窃盗事件に発展、業者が逮捕された。その直後に開かれた総会で荒川さんは事件の検証などを求めたが黙殺される。荒川さんは、共有地内の鉱山の穴に産業廃棄物が埋められているのではと調査を求める。このような荒川さんの積極的な発言を苦々しく思う役員もいて、厄介者になっていく。

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こうしたこともあって、2011年1月、荒川さんは八草自治区から放逐されることになった。自治区側は、水道使用量や電気使用量が少ないことを根拠に、「居住実態がない」ことを理由としている。荒川さんのホームページ、「天河窯」には、「実態にそぐわない入会権解釈を行う豊田市八草町自治区を相手に、裁判所へその是非を糾する為に提訴致しました。

民法263条と294条を巡って、利権に固執する豊田市八草の村人や、それに便乗して利益を図る関係者との弁論が行われます。入会権に関心のある方は傍聴に是非お越しください」とあり、これまでの裁判の流れや、今後の裁判日程の日取りなどが記されているが、どっちもどっち、醜い人間に変わらない。そんな利権の絡んだ、「村八分裁判」はどうなるのか?

町内会(自治会)というお荷物 ②

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日本全国に町内会は約30万あると言われている。その町内会の加入率がどんどん下がる傾向にあり、20年前には7割近くあった加入率は今や20%にまで低下している。特に過疎の地方ではなく都市部において深刻化しているという。広島市のホームページには、町内会について以下の説明がなされている。


◎ 町内会・自治会とは?
町内会・自治会は、その設立から運営まで、地域住民自らの手で行われている自主・自立の団体であり、住民相互のふれあい、共同活動を通じて地域を快適で住みやすくするためのさまざまな活動を行っています。

  ・ 祭りや運動会などの行事の開催
  ・ 道路、公園などの清掃
  ・ 防災・防火・防犯活動、交通安全の推進活動
  ・ 青少年の非行防止・健全育成のための活動
  ・ 高齢者などの福祉増進のための活動 など

◎ 町内会・自治会への加入は?

町内会・自治会は、地域の住みよい環境づくりをめざして住民が自主的に組織している団体であり、会への加入は個人の意思に基づきますが、加入することによって次のような利点があると考えられます。

 ・ 地域の親睦活動を通じて、温かい人間関係を醸成することができる
 ・ 個人では解決できない問題を地域全体の課題として取り組むことができる
 ・ 町内会だよりなどの回覧物で、町内の身近な状況を知ることができる
 ・ 町内会主催の運動会など身近なスポーツ・文化行事に参加しやすいなど

◎ 町内会・自治会活動への支援
広島市では、町内会・自治会の自主的な活動を側面から支援するため、次のような助成などを行っています。

  ・ 住民間の情報連絡のために掲示板を設置する際の屋外掲示板設置補助
  ・ 地域活動の場を提供する地区集会所の設置
  ・ 町内会自らが集会施設を整備する場合の集会施設整備費補助など


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初めて開き、初めて読む町内会についての説明だが、これはもう人によって必要、不要はあろう。「会への加入は個人の意思に基づく」と明記されているが、そうは問屋がおろさないのが町内会。子どもがいる家庭ならほぼ強制的に加入させられるPTAと同様、いや、それ以上の強制加入が実態であるという町内会は、一体、どんなことをしているのか?

夜間の町内パトロールや清掃活動、公園など公共施設の草取り等をしているところもあれば、お祭りなどのイベントや、資源回収のような活動をするところもある。あまり知られてはないが、「街灯の管理や設置」という仕事も自治会が担っている場合が少なくない。町内会を隣保の集合体として「組」単位に分け、会員間の情報共有は、主に「回覧板」で行われる。

「住民へのお知らせ」を挟んだクリップボードを隣家へ回していく懐かしい連絡スタイルである。日本全国通津浦々の町内会の基本的な主旨とは、「自分が住んでいる町を、住民全員のボランティアによって、より良くしよう!」とし、強制加入でないと言いながらも、根強い慣習がある。昨今では、加入をやめたり断ったりする世帯も増え、それが全国的に広がっている。

『強制加入とされている自治会会員は、退会するとの意思表示で自由に退会できる。従って「自治会費の支払義務」はなくなる。』とする最高裁判所(平成17年4月26日 第三法廷)の判例がある。この判決の事件とは、平成16年、県営住宅(賃貸)の自治会会員が、役員の運営方針に不満として退会の意思表示をしたが、自治会から会費の滞納で裁判を提起された。

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この訴訟は最高裁判所まで上提され、「自治会費の支払義務なし」という最高裁判決で結審した。マンション等の管理組合と町内会(自治会)は全く別で、管理組合は法で定められた強制加入だが、自治会は法の規定がない任意団体である。2014年11月4日、NHK「クローズアップ現代」で、『町内会が消える? ~どうする 地域のつながり~』が放送された。

脱会者が増え、入会拒否者が増える理由として、本来は行政がすべき仕事(業務)を、人員削減やコストのスリム化を進める行政から、自治会宛に次々と新たな業務委託が相次ぐことなど、負担の重さに耐えかねた住民の造反といっていい。「サービスただ乗り」をめぐって、住民同士の係争が全国で頻発する事態となっては、最高裁判決を重く受け止めるしかない。

自治会とは、もともとは戦時中の「隣組」が発祥であり、戦後はあくまで、「地域の自主的活動」としつつ、行政の末端機構に組み込まれてきた実態が、時代に合わなくなってしまっている。2014年、栃木県宇都宮市郊外のある住宅地で、町内会から一度に8世帯が脱退するという事態が起きた。そのうちの1人Yさんを含め、脱退した世帯のほとんどが70歳以上の高齢者。

町内会の役員になると、さまざまな会合や花見など年間60件に上る行事への参加が義務づけられる。認知症の家族を抱えていたり、夜間の仕事で昼夜逆転の生活を余儀なくされていて、役員を引き受けることはできない。Yさんたちは、町内会費は払うので役員の仕事は免除してほしいと申し出た。しかし、町内会側は難色を示す。町内会長はこのように言う。

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「今後、各自治会でこのことが認められるとしたら、一方的な理由で脱会を希望する世帯が増えてくる」との理由を提示された。聞き入れてもらえないYさんたちは、やむなく町内会を脱退すると伝えたのである。すると、町内すべての防犯灯が取り外されてしまったのだ。撤去したのは町内会で、電気代を支払うなど、町内会が防犯灯の管理をしていた。

さらに町内会は、脱会した8世帯に対し、ゴミ集積所の使用も禁止すると伝えてきた。なぜこのような仕打ちともいう行動をとったかを、取材しても町内会長は拒否。理由は、まともに説明できないからと推察する。やってることがえげつなく、だから顔を見せられないのだろうが、自治会を脱退したからといって、住民の権利を侵害されることはあってはならない。

余りの露骨な仕打ちや村八分にするなどという脅迫があった場合には、最寄りの法務局に人権侵害の申し出をすべきである。住民は町内会に住んではいるが、町内会に住民税を払っているわけではあるまい。何を根拠にそのようなことをするのか?町内会長が脱法行為をしている。住民税を払う住民には、ゴミを捨てる権利があり、自治体はゴミを処理する義務がある。

ゴミを捨てさせないなどの、村八分的な陰湿なイジメをリードするような、人間的な尺度の低い町内会長には、対決姿勢で臨むべきである。会長といえども地位ではなく、役名でありながら、キチンと役もこなせない会長に一切の遠慮はすべきでない。愚かを超えた哀れな人間である。上記の問題に行政はいかなる見解か、以下は宇都宮市役所渡辺尊之課長の弁。

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「自治会はできることであれば、みんなで協力して活動・運営をしていくというのが理想だと思っていますので、そういった意味ではみんなが少しずつ負担をしながら運営しているのが実情です」。個別の事情に即しないいかにも行政的な言い分だ。少しの負担は何の問題ない家庭もあれば、少しの負担が難儀な家庭もある。それを一律という制度がむしろ不平等となる。

できる負担とできない負担を同量にするのではなく、それぞれの家庭の問題に際して便宜を図ろうとするような、心の大きい町内会長でなければならない。住民を困らせて、それについて取材も受けないような底の知れた人間と、通り一片なことしか言わない行政側の板挟みのなかでどう生きて行くかといえば、、強い心で立ち向かい、戦っていくしかない。

自分は、この手の悪辣人間には遠慮すべきでないと思っている。悪人に遠慮するのは善人ではないのよ。悪人にたいして善人でいるべきではないし、堂々悪になり切ればいいことだ。それでこそ対等、同じ土壌である。悪人に対しても善人であろうとする人を止めることだ。自分が悪を悪と見切る事。それが強さではないかと考える。でないと生存を脅かされよう。

町内会が任意加入団体にすぎないことが最高裁によって明確にされた。しかし他方では町内会が地域コミュニティにおいて、一定の役割を担ってきたことは疑いようがない。とはいえ、町内会が行政の下請け的立場に置かれてしまっているという、現状においては上記のような問題点を孕む。こうした現状にあって、任意加入団体としての町内会として存続し得るのか。

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東京都下武蔵野市は、自治会制度自体を廃止した。滋賀県彦根市内の平田町つかだ自治会が廃止された。住民の中には、「今住んでるところは自治会がなくて助かってます。仮に引っ越しても、自治会の無いところを探します」という人もいる。「自治会には入ってませんがゴミとか普通に出してます」との住民もいるわけだ。出させないが横暴である。

所定の場にゴミ出し禁止と言われたら、住民の権利をないがしろにされたと役所に訴え、自宅の前に出すという了解を得る事だ。バカな町内会長がいるからと、指導を頼むのもいい。自治会に入らない権利があるにも関わらず、地域でいじめにあっていると救済を申し出るべきである。怖れることも、怯むこともない。どちらが悪人か、役所に判断させたらいい。


町内会(自治会)というお荷物 ③

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町内会制度を持たない武蔵野市である。他の多くの市町村は、町内会を維持・推進している。町内会の興りは第2次大戦中、政府は、国民を統制するために隣組(今の町内会)を組織させた。隣組は憲兵や特高警察の手先となり、戦争に反対する住民を密告するなどした。戦後GHQは敗戦処理の最中に、「隣組は戦争推進組織」であることを見抜き、隣組を廃止させた。

ところがGHQが去った後、日本政府は再度、国民を政府に従属させるため、「隣組」を「町内会」もしくは、「自治会」、という名で復活させている。ところが武蔵野市は昭和22年、軍国主義の反省の下にこれに反発し、町内会を復活させなかった。自民党衆議院議員の土屋正忠氏は、武蔵野市職員から同市議会議員を経て武蔵野市長を務めた人である。

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彼は市長時代に書き下ろした自著、『武蔵野~草の根からの行革』の中でこう記している。「○○町会制度というのは、軍国主義的な隣保共同ないし、隣組制度の名残だという声もあり、町会制度がないことをむしろ誇りとする」。これは住民の自主参加を原則とする新しい自治、即ち「一人一人のプライバシーを尊重し、新しい近隣関係を結ぶ」ことを目指している。

かっての部落会(=隣組=今の町内会)のように、個々が共同体に支配され、従属するのではなく、それぞれの自由な立場や主体性を確保しながら、隣人関係を結んでいくようなコミュニティの構築が必要との認識に基づくものであった。昭和46年2月、「第一期武蔵野市長期計画」が策定され、これによって武蔵野市の市民生活の基礎単位とする位置づけがなされた。

この構想によって武蔵野市は8つのコミュニティ地区に分けられ、昭和51年に境南コミュニティセンター、昭和52年に西久保コミュニティセンターが続いて開館、平成4年に17館目となる本宿コミュニティセンターが開館した。現在17館のコミュニティセンターと分館2館、および武蔵野中央公園北ホールが、コミュニティ施設として市民に愛され、利用されている。

武蔵野市のコミュニティセンターは、無料で市民の誰もが自由に利用できる多目的施設となっている。このコミュニティセンターを、公民館や児童館、あるいは老人福祉施設、婦人会館といった、「年齢、世代、性別」を輪切りにした目的別の専門館として、別個に存在する施設ではなく、老若男女が一体となった新しい交流可能なトータル的機能施設となっている。

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武蔵野市における住民主役の地域施設政策は、公民館かコミュニティセンターかの議論の末に、最終的にコミュニティセンターを軸に出発した。法大名誉教授で地方自治論や政治学を専門とする松下圭一氏は、著書『社会教育の終焉』』(筑摩書房, 1986年)の中で、社会教育施設である公民館と、コミュニティセンターの理念型による違いを以下のように述べている。

◎公民館…教育委員会系、事業施設、専門・専任職員による運営・管理

◎コミュニティセンター…首長系、集会施設、市民による運営・管理

その上で、都市型社会におけるコミュニティセンターの重要性を指摘し、「公民館は市民管理・市民運営の【地域センター】に切り替えるべきだ」と主張している。その理由として、「"貸し部屋"としてのコミュニティセンターでは、文科省や県の講座補助金などに捉われることなく、返って市民が自由に文化活動を行い得る」ということが長所となる。

さらには、市民運営・市民管理によることで、市民自治の訓練のチャンスとなる可能性を持つ」という2つの利点を挙げている。武蔵野市はコミュニティセンター設置の際、「自主参加、自主企画、自主運営」といった、現在も引き継がれているコミュニティセンター三原則が生まれた経緯がある。武蔵野市が市政施行したのは1947年、今年では70年の記念の年だ。

「軍事政権に実際につながっていた、隣組・隣保・町内会・自治会の復活はさせない」という武蔵野市の強い決意、崇高な意志を指導したのは誰であろうか?おそらく初代市長となった荒井源吉か?彼は1963年まで4期15年と6か月の長きに渡り市長を務めているからして、武蔵野市に多大な影響力を与えた人物だが、こんにちまで引き継がれていることになる。

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軍国主義の反省に立ち、町内会を復活させなかった市町村は、日本広しといえど武蔵野市だけであり、これら武蔵野市の先進性・民主性・平和主義は、こんにち高く評価し得る。東京で一番人気が高い街はといえば吉祥寺である。その吉祥寺が、「東京人の住みたい街ランキング」で、まさかの首位脱落となり、開発凄まじい恵比寿に譲ったのが2015年。

今なお吉祥寺を讃美する声は多い。「地域として完成されており住民の教育レベルが高いので安心して居住できる」(男性30歳 /男性44歳)。「緑も多く、都会と田舎のバランスがとてもいい環境だと感じている。長く住んでいても毎日散歩するのが楽しい」(男性30歳 / 女性41歳)。アーケード商店街、「吉祥寺サンロード」は、多くの人で賑わう市民の拠点である。

人と人との距離が近くあたたかい街なので、住みたい街としての人気も納得できよう。武蔵野市に町内会制度はなくとも、子どもの教育、子育て支援、住民同士の交流などは、他の市町村にくらべて劣ることはない。町内会という暗黙の強制力の雰囲気の中では、住民の多くはがイヤイヤ参加するのは、かつて自分のところの町内会で経験したことだ。

武蔵野市では、各自が自由な心で暮らしている様が伝わってくる。日常のゴミ収取も戸別回収である。町内会を運営する地域では、非会員や脱退者にゴミ置き場を使わせないなどの対立は多い。【地域で仲良く、助け合いの町内会】のハズだが、むしろ住民の対立を生んでいるが、われ関せずの行政側の真の狙いは、住民の洗脳、選挙対策、行政の合理化などである。

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道路や公園は市町村が所有する。したがって、市町村が管理・運営の義務がある。にもかかわらず、自治会員に道路の溝掃除や公園の草取りをさせることで、政府・市町村 → 指示・命令 → 国民という縦割り行政を根付かせている。町内会総出で草取りをするが、出てこない住民への不満は多い。不参加者には罰金を科すことでトラブルの要因になったりする。

その結果というわけではないだろうが、日本人の多くは政府・市町村が、汚職をしても、欧米人ほどには追及しない。これも日本政府・市町村がとってきた、町内会政策がもたらすものかも知れん。また、町内会は選挙対策と、反対運動の防止としての効用もある。多くの自治会が連合自治会に参加するが、その理由は連合自治会が運動会や祭りなどを主宰するからだ。

連合自治会に参加しないと、運動会や祭りに参加できないため多くの自治会が、参加する。運動会や祭りは、エサであるとの見方もできる。そこに、市長が顔を出す、議会議員も顔を出す。顔を売るには格好の場である。多くの市町村が、連合自治会に、補助金を与えている。例えば、ゴミ焼却場などの迷惑施設を作る場合、市町村は、まず、連合自治会の同意を得る。

その地域の多くの住民たちは反対するが、補助金を受けている連合自治会は同意ししなければならない。市町村は連合自治会が同意したのだからと、住民が何と言おうが建設を強行する。滋賀県大津市の一例がある。大石地区に計画されたゴミ焼却場の建設において、大津市は、地元住民の意見は無視、連合自治会と結託して、建設した経緯がある。


大津市議会議員藤井哲也氏は、「大津市ごみ処理施設整備検討報告書」のズサンな内容をブログで取り上げている。さて、驚きの町内会が存在する。以下のYouTube映像は、自治会会長が新たに居住する住民に、入会金40万円を請求するというもの。「そんなバカな?」というのが実際のところだが、この非道な自治会名は、川崎市多摩区南生田5、6丁目 長沢団地会である。

自治会への参加の強制と、会費の支払いを強制することはできないとする判決が最高裁で出された以上、理不尽な自治会費請求に対しては、法廷で争う前から任意団体の自治会や町内会は参加したくなければ拒否できる。この判決でグレーゾーンはなくなり、世の中はシンプルになり、「自治会は強制参加」と考える自治会会長も賛同する会員も影響力を失った。

直近の2014年2月18日、自治会に参加しない人に対して自治会会長が執拗に自治会参加と会費の支払いを求めたことが、不法行為に当たるとして賠償を命じた判決が、福岡高等裁判所であった。2013年9月19日の地裁判決を不服として控訴した自治会側は、高裁でも敗訴した。今後、自治会に参加したくない人は堂々と拒否すればいい。納得できない入会者も脱会すればいい。

困惑するゴミ出し問題にしても、自治会に参加しない人はゴミを出してはならないと考えている自治会会員がいる。しかし、ごみに関することは法律により区市町村の仕事、つまりは税金で行うことになっている。勘違いしている自治会会員もいるだろう。無知を棚に上げて正論ぶってるようなら、お間違いなのでぜひとも考えを改めていただきたい。

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くすぶる三浦問題

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新年となったが、将棋の話題はこれで3度めだ。くすぶったままの三浦九段問題である。その前に新年早々、将棋対局大事件(?)を体験することになる。とある相手との対局だが、序盤の50手くらいで早くも勝勢。先手番(手前)の自分の▲3三角成に△4二の飛車を△5二飛と逃げたところ。次は▲5四歩と打って勝ち。これを負けるようなことは先ずないという局面だ。

ところがノータイムで指した、▲4四桂が手拍子の大悪手。相手は△8六角と歩頭に飛び出す角のただ捨てだが、これをただ捨てという?その一手で終わっている。一瞬目を疑ったが両王手の見事な詰み。升田九段に、「錯覚いけない。よく見る宜し」との言葉があるが、心が浮かれていた。少しでも自陣を見れば、との後悔も遅し。相手を完全に舐めていた。

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△8六角の一手バッタリで将棋終わったが、▲4四桂もバカな手で、△同角がある。いずれにしても、何ともマヌケな▲4四桂である。どこからか、「お前は一回死んで来い!」の声も聞こえる。自陣を見ないで将棋を指してはいけないね~。といい薬になった。それにしてもこの局面、自陣の5七歩が何故ないのだろうか?さすがに手を戻して調べる気にもならない。

年が明けたが、三浦九段のデビュー戦はいつになるのか?騒動は下火にはなったが、根が深い問題なのでしこりを生んでいる。「無実の人間に罪を与えた」以上当然で、ファンは愚行を犯した連盟の動向を監視している。解決しない限りこの問題は続くハズだし、絶やすべきではない。三浦九段は簡単に処分されたが、連盟を処分するのはファンの声以外にない。

連盟役員たちは減給という自主的処分を科したが、屁のツッパリにもならない処分を誰が納得する?問題を完全とはいわないまでも、早期に収束させる最善手段はトップの辞任であった。おそらく谷川は辞めたい思いもあったろうが、なにぶん後釜がいない。会長にふさわしい実績・キャリアを考えると羽生善治以外に見当たらないが、彼はバリバリの現役棋士。

加藤一二三という変人を担ぐわけにもいかないだろう。古参・長老棋士を見渡してみた。森けい二(70歳)、田中寅彦(59歳)、福崎文吾(57歳)、高橋道雄(56歳)、南芳一(53歳)、塚田泰明(52歳)らが、一応タイトルホルダーとして実績がある。引退棋士でいえば、中原誠(69歳)を凌ぐ実績者はいないが、彼は林葉問題で泥をかぶったし、もはや過去の人となっている。

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大内(75歳)も内藤(77歳)も任が重い。谷川は東京に引っ越さずほぼ毎週神戸~東京を往復しているが、大変な労力だ。東京在住であれ、連盟会長は激務であるが、それはともかく、上記のように見渡すも、「顔」となる人物が谷川以外に見当たらないのが、谷川が会長を続ける理由であろう。谷川自身は辞めてもいいと思っているのではないか?しかし、面子がいない。

それでも今回は辞めるべきだった。それほどに醜態をさらしたゲスな騒動であったからだ。将棋連盟を世間の笑いものにさせた罪は大きい。「(第三者委員会において)連盟に非はないという事だった」という言葉は、言い逃れというより、言わされた。そう言って続けるしかなかったという彼の一手に思える。が、それでも今回は辞めるべきだった。後がいなくてもだ。

「後は野となれ…」で、青野専務理事が暫定的会長だろうが、とりあえず状況を収める上ではこれが正解。もしそうなると、二度と谷川会長の目はなくなる。会長経験者が格下の理事にというのもあり得ない。総理経験者が財務大臣や、野田佳彦の例は人材不足とはいえ、諸外国ではあり得ない。「恥の文化」と言われ、「恥の文化」を継承する日本は今はどこに?

谷川はまだ54歳。棋士としてもうひと花を咲かすことはないが、中原のように連盟の役員から永久的に退くにしては、彼程度の実績的のある人材が羽生をおいて見当たらない。谷川は一時代を作りあげた人だ。三冠保持者の羽生は、毎年名人挑戦候補として名もあがり、他棋戦に於いても獅子奮迅如き活躍で、衰えを感じさせない。そんな彼が会長はないだろう。

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羽生はまだ46歳。同期の佐藤康光、森内俊之ともに名人経験者でもあり、将来的には理事に担がれる人材だろうが、人材であっても逸材かと言えば、羽生も含めて疑問であろう。人には持って生まれた性格というものがある。谷川が会長として強いリーダーシップを発揮できるかというと、決してそうではないが、彼は対外的に卒がない点に於いて、「顔」に相応しい。

さて、論語に、「過ちては改むるに憚ること勿れ」とある。が、人間はこれができない。どうにか責任を逃れたい。逃れる手段や方法はないかとアレコレ思案し、画策もする。一切を自己責任として一局を完遂する将棋棋士に、これらは必然的に焼き付いているものと思っていた。「言い訳をしない」、「責任を取る」。そういう美学が棋士に所有されてると思っていた。

が、あくまでそれは将棋という矮小なゲームにおいてのことだと分かり、これほど棋士に失望したことはかつてない。棋士に将棋をお手本とすべくも、敵うべきもない。ならばせめて、将棋を通じて人生の機微などを得たりの自分にとって、彼らはまさに鏡であった。それが壊されたのは返す返すも残念でしかないが、新たな現実をみれば、また別の思いも湧いて出る。

「あの人」を、と慕った人に裏切られた人も多かろう。が、そこで失望するだけでは単に転んだだけでしかない。「転んでもただでは起きないぞ」という気持ちをもてば、虚像にうつつを抜かしていた自分を戒めればいいことだ。それが新たな人間的成長に寄与することになる。自分だけではない、今回の事で多くのファンが、棋士に対する見方を変えたことだろう。

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カール・ルイスやマイケル・ジョーダン、メッシ、アリ。古くはルース、ペレ、ニクラウスなど、世界のトップを極めた超人に対して、我々は当然ながら尊敬の念を抱く。しかるに、お調子者の日本人は、「神の子KID」、「神ってる」、などと簡単に、「神」を使うが、宗教的概念が希薄だからであろう。「レジェンド」という言い方もされるが、「神」の安売りは止めた方がいい。

ある特定の能力はあっても、私生活その他に於いては誰も普通の人間であるが、神はうんこをする時も神である。超人は普段はささやかな凡人であったりする。エジソンもリンカーンも、ケネディも角栄も、カーネギー、ゲイツ、ジョブズといった大富豪さえ、私生活は普通である。マッカーサー元帥が究極のマザコンで、ガンジーは性豪、マザーテレサ=守銭奴などとされた。

善行や偉業で持ち上げられるのはいいが、死後に誹謗中傷を受けるフラグが立ったりするのは、それだけ人間的であったということを示す。偉人がそれなりの功績を残したとて、彼らが人間的であってはいけないなどはない。偉人は業績において偉人であって、フラグはフラグである。我々は偉人にさえなれないのだから、フラグなどは立てる必要もないクズ。

死んで立つフラグはともかく、連盟棋士の谷川、島、渡辺、久保、橋本などは、お若いうちからフラグが立ってしまったのは致し方ない。彼らが将棋で頑張っても消えることのない汚名である。レッテルという奴は一旦ついたら取れ難い。谷川、島、渡辺、久保はみんな好きな棋士であったが、残念というより虚像と切り替え、それでよかったと思っている。

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将棋連盟に言いたいこと、求めたいことは何か問われた三浦九段は、「無理だろうけど、元の状態に戻してほしい。叶わないだろうけど。竜王戦を…難しいんだろうけど」と述べるのがやっと。いろいろな物語で悲劇に見舞われたヒロインが、「神様、どうか時間を戻してください」と訴えるが叶わない。フィクションが無理であるなら三浦の願いも届かない。

時間という流れにあって、元に戻すということは不可能である。映画『スーパーマン』では、事故で亡くなったロレインを助ける(?)ために、あり得ない速さで加速し、地球の地球を逆回りさせることで時間を戻した。この発想には思わず笑ってしまった。あれは日付変更線を戻したということか?映画はその場面だけだが、地球上すべての時間が戻ったことになる。

何でもできてしまう映画に文句をつけるべきではないが、そこにいる観客は納得せざるを得ない。話を戻すが、将棋をテーマに執筆を続けているルポライターの松本博文氏は、三浦九段の疑惑が出た当初は、「将棋連盟側がこれだけ断定して言っているのだから、決定的な証拠があるだろう」と思っていたというが、つげぐちを真に受けたお粗末なものだった。

三浦氏は被害者という立場であるが、将棋界という村社会は、家族的な一面もあり、運営すらも現役棋士が自主的に行っており、批判するのは難しい面もあろう。また、三浦九段は性格的に優しく、こういった状況に及んでも連盟側を気遣う点も見えた。そうはいっても、『竜王戦』において三浦九段は優勝の可能性が十分にあった事を、「たら」で済ませていいものか?

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それを考えると、優勝賞金4320万円という損失だけでなく、三浦九段の名誉が傷つけられたことになる。松本氏もいうように、「本来であれば三浦九段のようなスタープレイヤーを守るべき立場である連盟が、逆に彼を追い込んでしまったというのが不手際であったとするなら、何をもケチることなく、被害を被った側に納得のいく保障なりを誠意をもって果たすべきである。

過ちを犯した役員が退任せず、そのまま居座るというのは、自らの過失を恥じ、被害者にも世間にも詫び、自の手で三浦九段への責任を果たそうとの意思なら理解できる。それができないわだかまりのようなものがあるなら、潔く退陣すべきでありる。そして新たな役員の手で誠実に対応した方がいい。一般的な会社の場合、役員個人の顔に泥を塗るのは避けるもの。

したがって我々は、連盟の役員が継続する以上、彼らが自分たちの顔に泥を塗る覚悟だと判断し、それを見届けなければならない。控えめとはいえ、連盟が雇った第三者委員会の、「不正はなかった」のに、「処分は妥当」という裁定など、本来あり得ない。法治国家が、「犯罪はないが、罰は正しい」と言ってるわけだ。こんなバカを言わねばならぬ程に苦慮したのだろう。

三浦九段の要求を全面呑む覚悟で対処すべき。それがないなら、三浦九段は強い態度で臨むべきだ。この際、彼にはチャーチルの言葉を贈りたい。「金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。しかし、勇気を失うことは全てを失う」。チャーチルのいう勇気は何か、三浦九段が考えるべき事だが、こういう場合に善人いるのはヘタレであると暗に言っておく。

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うんこから学んだ

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いろいろなことを思う。考える。だから、いろいろ書いている。書く理由は、"ブログをやっている"からではない。ブログはまぎれもない書く行為だが、ブログを始めた動機は、"時々の年齢を残しておこう"であり、幾多の記事は、積み重ねた年輪の断片である。紙とペンがいらないのがいい。「ザマ~見やがれ!」と、誇らしく思えるくらいに、このやり方は便利であった。

自転車が高価な時代に、テクテク道を歩く人を尻目に、颯爽と自転車で追い越す人には優越感があったハズだ。「ザマ~見やがれ!」と思ったかどうかは分からないが、優越感というものはそういうものだ。クルマが高価な時代、一生懸命に自転車をこぐ人に対し、クルマが優越感の代物であったのは間違いない。気持ちよくすいすい自転車を追い越したろう。

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自転車もクルマも珍しい時代の事である。今の時代にそんな気で自転車に乗り、クルマに乗る人などいないが、ウォーキングをしているときに、不思議な気持ちにおそわれたことがあった。自転車に乗る人、クルマでビュンビュンすっ飛ばす人を、この人たちは急いでいるのだろうか?それとも遠くに向かっているのだろうか?そうでなければ歩けばいいのに…

文明の利器を頼らず原始的にテクテク数十キロを歩く自分を、自転車やクルマを利用する人に比べて誇らしく思えた。「人間はどうしてこのように堕落したのか?」そのことを歩くことで一層感じられた。見知らぬある地で、見知らぬ建物名をその土地の人に聞く。親切に教えてくれるが、「クルマですか?」というので、「いえ、歩きです」というとお目目まん丸で驚く。

相手のその驚き加減に自分が驚かされる。「(歩いてといっても)結構距離ありますよ」といったりするが、たかだか数キロ、30分程度の道のりであるのがおかしい。そこを歩く自分を驚く人に恨みはないが、人間はこうも堕落したのか、である。歩くということがこうもアブノーマルな時代にあることに驚く。徒歩で10分、いや、5分のところでさえ、クルマを使っている。

事物の一切は相対的だから、なぜ歩かないのかと他人に思えそ、相手から見ると何で歩くのか?となる。そこが世の中の面白いところである。誰もが自分の視点で物を見、事を考えている。この世は自分だけで生きてはないし、人になってみたい気もするが、自分は他人にはなれない。ずっとは嫌でも、ちょっとくらいはなってみたいが、無理な話である。だからせめて…


他人の視点で物事を考えてみたくなる。こうすることで世の中が実に面白く広がって見えるようになった。自分の考えや意見が絶対的だと思った時期もあったが、今にして思うとバカだな~である。自分が絶対であるなど、誰が決めるのだ?自分が勝手にそう思うだけだろうに。自分の言動を自分で選択するのはいいが、他人の言動をなぜに自分が支配せねばならない?

もちろん、親子においても相手は他人である。ちょっとだけでいいから親は子になってみるべきである。見たいと思う、思わないはあってもなくても、ちょっとくらいはそう思うべきである。前記したようにそれは無理だから、だから、子の気持ちに同化して考えてみることだ。すると、見えないものが見えてくる。相手の気持ちになると、自分が盲目であることに気づく。

「相手の気持ちになって考えよう!」こんなことは小学校の標語である。にもかかわらず、それをしない。だからイジメが横行する。イジメは相手の気持ちになって考えないことで得る快楽である。人間が人の気持ちになれない理由はいろいろ考えられるが、真っ先に思うのは、人の気持ちになって考える以前に、自分の気持ちに正直に、素直になれるかどうかである。

自分は中学の時、親がし尿汲み取り業者である女子のOさんに、「衛生車」と呼んだことがある。自分の友人たちがみんなそう呼ぶので、それが彼女の代名詞となっていた。ウンチやおしっこが面白可笑しい年代である。Oさんが自分の後ろの席になったとき、振り向きざまに、「おい、衛生車!」と言ってみた。その時のOさんの顔はいまだに頭にこびりついて離れない。

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何かを耐える時の人間の顔というのは、あれほどに美しいものなのか?顔を上げず、伏し目がちでじっと耐えているOさんの顔から、言葉では言い表せない何かを感じ取った。上手くは言えないがそれが、「美」だと言えば分かり易い。自分たちの出す糞尿はOさん宅の作業車でやって貰っている。ある日、自宅の前に作業車が止まっていた。いつもなら臭いので逃げる。

自分は離れた位置からじっと眺めていた。男性と女性の二人がホースを抱え、床に這わせたりの作業を手際よく行っている。女性の顔はクラスのOさんに瓜二つで、母親であるのはすぐに分かった。男性もどことなくOさんに似ている。こちらも父親であろう。共に浅黒く日焼けしたOさんの両親の顔、その仕事ぶりは、溌溂とし、手際もよくて、見ていて逞しく感じられた。

し尿処理作業をあのような気持ちで見たことなどなかった。Oさんに対して申し訳ない気持ちが心の奥から湧きあがる。彼女の両親の一生懸命さが、どれだけ自分たちや社会に役に立っているかを痛切に感じた。職業に貴賤がどうして存在するであろうか。それぞれに役立つ仕事があるだけだ。自分たちができない事をやっていただけるのは感謝すべきである。

この体験は自分の成長に何がしか寄与したことになる。人間はさまざまな体験を経て大人になるが、他人から与えられる以上に自己教育力を持っている。たまたま自分は感受性の高い子どもだったことで、糞からでさえ学ぶものを持てた。汚いものを忌避する人間が、その汚いものを自らが作り出すことをそっちのけであるのなら、滑稽という以外に言葉はない。

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自分に素直になれない人の要因はいろいろある。よく聞く言葉に、「素直になりたいけどなれない」というが、こうした二律背反はなぜ起こるのか?である。原因は簡単で、頭で考えた行動だからである。考えるには二つの要素があり、あることを単に頭で考えることと、その事(問題)を解決(もしくは回避)しようと取り組むことがある。前者は問題の本質に向き合っていない。

問題の本質に向き合わない理由は、向き合うのが怖いからだろう。なぜ怖い?問題の本質に向き合おうとすれば、考えるだけでは解決しない。思考の後には行動が必要となり、行動するためには勇気がいるが、勇気がないために、都合よく振る舞う。都合の悪い事は考えない。意識的に、あるいは無意識になされる。「〇〇したくてもできない」と言って収める。

勇気もあり度胸もある人間は、こんな言い方は絶対にしない。行為は思考の必然と考える自分は、「したくてもできない」の言い方は、「したくないい」と断じる。「したい」ならしろ、「しない」ならするな、それ以外の言い方は自他ともに認めていない。「したいけどできない」など、自らに甘えた言葉を口すること自体が羞恥であり、聞くのも嫌になる。

人は自分を甘やかせるもの。だから、私情や私欲に打ち勝つ、「克己心」という言葉がある。「だらける」も甘え、放っておけば限りなくだらける。Oさんの一件は、自分なりの転換点であった。頭で考えるだけでなく、彼女の両親の懸命な作業を眺めることで、思考の幅が広がったのは紛れもないこと。物事を腹の底から考え、感じることで、ゆるぎなく根づいていく。

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それを哲学という。片手間な回避では、常に同じ問題に突き当たる。思考し、行動で試し、引き出しにしまっておく。さまざまな問題を一時回避で終えるか、物事を本質から捉えて根本解決するか。いつも同じ問題にぶち当たり、苦悩する人間に足りないものは、「行動」であろう。そこを見極め、先ずは行為に必要な勇気、度胸を身につける努力をすれば、二律背反はない。

頭でっかちが多すぎる。百の思考より一つの行動か。また、過保護に育った人間にも行動は難しい。親がそういう子に育てた。親によって優柔不断に育て上げられた子は可哀想の言葉しかない。親が問題意識を持って子どもに対処しないから、子どもが被害者となる。子どもの苦悩を喜ぶ親はいない。強い子、逞しい子にするためには親が知るべき事、学ぶこと多し。

どの親もいい子に育って欲しいと願うものだが、「いい子」の概念や価値観が異なるから、親の数だけ、「いい子」が存在する。ある親は、「勇気」や、「逞しさ」などは子どもに望んでないと言うだろう。うちの子は、「ひ弱」でも、「優等生」であればいいという親もいる。親の信じる、「いい子」の、「いい」は、本当にいいのか?そこを疑うことで真に見えてくるものがある。

いかなる親も自分の願う子育てをする。それに順応する子もいれば、反発する子もいる。どちらの事象も分かり易く、早い時期に子どもが自身の向き、不向きに気づいた選択をするのは将来的な遺恨も残さない。ところが、自分の望んだものはこんな自分ではなかったと、中年になって悔い、悩むのは、クライシスである。多くの人は心に傷を抱えて生きている。

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心の傷が他人に傷を負わせるというが、無意識になされるところが怖い。イジメっこの多くは心に傷を負った子である。大事なことは自らに気づくこと。傷つける側の親に、「気づけ」は土台無理。早い時期に自らが気づくなら、親への批判も仕方ない。人生の転換期は何度も現れるが、最初の大きな転換期が思春期、ここで対応を誤ると人生がロスとなる。

ブログにゴジラ…文明に浸る

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社会の悲惨な状態の映像から我々は、その中に苦しんでいる人々に同情し、涙し、あるいは憤りを感じるかもしれない。それを人間性というのだろうか?それらは単に人間性への感受性にとどまっており、決して人間性の実現ではなかろう。なぜなら、同情を感じ、憤りを感じながら、普段の日常性の中に埋もれて何の行動もしないとき、我々はそこに一つの非人間性を見る。

言葉だけで人間性を唱えている。また、行動したとしても、その行動が問題解決のための何かでないなら、そこに非人間的なものを発見する。三島由紀夫を時々思い浮かべる。訳の分からない彼の行動は、訳の解る人間に批判されるが、訳の解る人間が自身の頭だけで分かって、思考を廻らすだけなら所詮は学者の端くれであろう。三島は偉大な思想家であったと最近思う。

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なぜなら、思想のために自らをも滅ぼすことのできる人間が真に思想家たりうるのである。思想家如き真似事をするブロガーは多い。家にこもって、暖房をつけ、知識の受け売りをすることが自己満足なのである。自分もその仲間であり、どうでもいいことを書いて思考訓練という自己満足に浸る。人類がまだ言語を持たなかった時代に思いを寄せることがある。

そこで人間は、知覚で直接的に知ることのできる環境的世界の映像の中だけで、それらが伝達する情報を処理し (もしくは思考し) そして行動していたろう。そういう我々は野生の動物と同じように、視覚、聴覚 (人間の嗅覚はさもし) 情報をたよりに、巧みに獲物を捕らえていた。言語がなくても、飢餓や生存を脅かす他の動物に対する備えも解決も図れた。

であるように、人間は視聴覚、触覚などの感覚的な映像世界の中で生活をしていた、そのような状態に言語的な構成能力が加わった次の段階を考えてみよう。言語を得ることで我々は、言葉で他人に新しい行為を始めさせたり、古い行為の習慣を禁止したりし、周囲の社会的環境を組織化していった。このようにして人間は言葉の論理から理論を持っていった。

さらには、「数」という数学的計算の技術が進歩すると、変化を測定したり、予測したりもできた。そうして自然現象についての正確な論理を形成していった。ばかりか、自然現象を科学する思考から、多くの自然現象の根拠も発見していった。やはり人間はすごいではないか。また、自然に適応し、自然に快適を廻らす人工的な発明を作り出していくのだった。

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それらによって、遠方のもの、微小なものの観察も可能になった。このように、今となっては当たり前のことを、原初的に戻して思考すると、人間は偉大としか言いようがないのだが、人間は偉大になり過ぎたことで、壊すことも便利に実用的に考えるようになったことで、破壊の快楽を味わう事になる。偉大でなかった時代の人間は自然に溶け込んで生きていた。

久々に映画『ゴジラ』を観た。子どもの頃に観た『ゴジラ』は怖かった。四谷怪談のお岩さんも怖いが、ゴジラの真似ゴッコはすれどお岩さんのマネはしないヒーロー性がゴジラにあった。送電線の鉄塔を見てはゴジラを思い出した。段ボールのない時代、果物運搬に使う木箱を広場に持ち寄り、ゴジラ歩きで片っ端から蹴り飛ばすのが「ゴジラごっこ」である。

鳴き声も真似るし、冬だと吐く息が白くてゴジラになれた。したがって、リアルな、「ゴジラごっこ」は冬に限る。ゴジラのヒロイズム的側面は破壊の美学である。形あるものが壊れる快感である。ゴジラ映画のヒットの要因は文明破壊と言われる。物が壊れることがなぜ快感であるのか?壊れるのはミニチュアセットの家屋やビルディングで、大友克洋の『AKIRA』もマンガゆえの快感である。

永井豪の『デビルマン』の半端ない都市崩壊も、一切が瓦礫となる。あれほど滅茶苦茶に壊せば、さぞや作者も快感であろう。ダイナマイトでやるビル爆破映像の美しさというのか、壊すべく対象物の合理的な破壊に目を奪われる。我々はニューヨークのツインタワーの崩壊を目撃した。東北大震災の大津波による街の消滅も目にした。いずれもテレビで生中継された。

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壊してはいけない物、壊れてはならない人々の生活が、無残に壊される様や痕跡に快感はない。自然による破壊も人為による破壊すらも、傍観者としてなすすべもなかった。スーパーマンがここに飛来したら、どのように防いでくれるのかなどと考えたりした。壊してならない物は、たとえ台所のガラスコップ一個であれ、床に落として壊れるさまは痛々しい。

ゴジラもウルトラマンの怪獣ブームも、『AKIRA』、『デビルマン』なるマンガも、核戦争の惨劇を描いた映画『ザ・デイ・アフター』も、すべてはフィクションであるがゆえの快感である。文明の恩恵か、CGゴジラによる破壊は一見リアルであっても、物が壊れていないのを脳が見破っている。プラスチックのミニチュアと言えども、破壊は破壊だが、CGに本当の破壊はない。

我々はコンピュータで作製されたリアルな画面より、プラスチック製のビルや家屋の崩壊に、破壊の真性を見るアナログ世代である。最新版『シン・ゴジラ』のゴジラは、初のCG合成によるゴジラであった。背中のチャックを開いてその中に鉢巻姿のおっさんが入っている、「真性」のゴジラではなくなった。CGゴジラの中身には内臓も、流れる血液も想像に浮かばない。

着ぐるみゴジラの鉢巻おじさんこと中島春雄は、スーツアクターとして第1作から12作を演じたミスターゴジラと言われた。1929年生まれの中島は、戦後東宝に入社した後大部屋俳優となったが、『七人の侍』出演直後から、『ゴジラ』に出演を命じられる。ゴジラといえど役者であり、演技は必要だがサンプルはなく、上野動物園に日参して象や熊など大型動物の動きを研究した。

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ビルを壊す場面は最初はNGとなり、特撮監督だった円谷英二に叱られ、以下のような指摘を受けたという。「意味なく壊すんじゃないんだ。ちゃんと動きの理由があって壊すからリアルティーがでる。そういう芝居をして欲しい」。やたらめったら壊しているのではなく、ゴジラにはゴジラなりに、ビルや建物を壊す意思も意図もある。単純に見れば邪魔くさい障害物。

しかし、別の意味もある。「ゴジラ」の第一作は1954年 (昭和29年) だが、同年3月1日に太平洋ビキニ環礁において、アメリカの水爆実験の被爆でゴジラは誕生した。時流は日本の高度成長期であるが、未来への期待と戦争再発への不安に引き裂かれた時代、そんな世相から映画『ゴジラ』は誕生した。ビキニ諸島の近海にいた日本漁船「第五福竜丸」がヒントになる。

遠洋漁業が日本の水産業の要であって時代、「第五福竜丸」以外にも危険水域で被爆した船舶は多く、広島・長崎に続く、「第三の被爆」として社会は水爆実験に意を唱え、国をあげた反核運動が起きる。1955年には原水爆禁止日本協議会 (原水協) が組織された。水爆実験によって生まれたゴジラの怒りは、文明への怒りであり、それが都市破壊へとつながっていく。

映画『ゴジラ』はそうしたタイムリーな設定もあって、映画館には多くの大人が足を運んだ。決して子ども向けの怪獣映画ではなかったのだ。しかし、子ども時代のゴジラの記憶は破壊の怖さでしかなかったが、内容的には科学的にも国策的にも難しく、当時の一般的な大人の知識を持っても高いレベルにあった。特にゴジラを退治するための薬品の合成など。

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芹沢博士によって生み出された合成物質、「オキシジェン・デストロイヤー」は、酸素を破壊するだけでなく、水中のあらゆる物質を液化、つまり溶かしてしまうという性質を持っている。酸素が破壊された結果、物質が液化されるのではなく、酸素を破壊し、同時に物質を液化してしまう作用を持つ。これによってゴジラは溶けて骨になり、さらには完全に消滅した。

ゴジラは第一作を持って骨となり、その骨も溶けて消滅してしまった。ところが、『ゴジラ』の大ヒットを受けた東宝は、その5か月後の4月、第二作となる『ゴジラの逆襲』を公開する。「柳の下にドジョウ」がいるものだが、柳の下にはゴジラもいた。第一作で完結したゴジラが、今度は東京から場所を大阪に移し、大阪城や通天閣を破壊して暴れまわる。

人類が無謀な核実験を続ける限りゴジラは生まれ、ゴジラは生き続ける。つまりゴジラは一匹ではなかったし、その脅威はアンギラスという同類の出現を伴って、再び人類の前に立ち塞がった。ゴジラ復活と共に話題となったアンギラスは、恐竜アンキロサウルスをもじったもので、後に訪れる怪獣映画に必要不可欠な特撮技術は、ここに息吹を挙げたのである。

親の影響か、長男もゴジラ好きだった。が、彼が6年生の時、新作ゴジラが公開される際、なぜか観に行かないと言い出した。理由を聞くと、「友達に、あんなん人が入ってて何がおもろいんだ?ダっセー」 と言われたという。傷ついた長男はそれでゴジラに決別した。これが時代なのか、着ぐるみがダサいとは…。そんな時代の変化にいささかショックを受けた。

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少女自殺。「楽しいままで終わりたい」

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12日午前10時半ごろ、さいたま市の中学校の校舎の下で、中学2年の女子生徒が倒れているのが見つかったが、発見された時は概に死亡した。女子生徒の遺書には、「いじめや家族間のトラブルではない。楽しいままで終わりたい」などと書いてあったということからして、校舎から飛び降り自殺したとみられている。楽しいままで終わりたい命って何であろう…?

遺書を鵜呑みにしていいものか?いじめにあっていて、誰かに書かされたことも考え得るが、松本清張のサスペンス小説ばりに、「そういう風に書いて死ね!」などと命令することもなかろう。人は基本的に人からの命令では死なないもので、戦時下の特攻ではなく、人の死は自発的なもの。人に何をいわれようと、「死ね」と言われようと、死ぬ行為は自発性であろう。

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それが「死」というものの重みではないか。「死ね」と言われて死んだ子は、命令を実行したのではない。仲間外れにされて生きる希望が失せたり、日々が辛く耐えがたく、それが真の要因だ。少女の、「いじめや家族間のトラブルではない。楽しいままで終わりたい」という遺書の言葉に真実は見えてこない。ならば、言葉に含まれる行間を考えないではいられない。

これまで多くの少年・少女の自殺に触れてきたが、原因の多くはいじめであった。いじめで生きる希望を奪われたにしても、いじめた子への恨みつらみを記した遺書は見たことがない。それがいじめの特定を難しくしている。特別の調査委員会などを設けて調べたりの必要もでてくる。いじめが原因で死ぬなら、いじめた奴らを罵倒すればいいと思うが、それがない。

それについて考えたことがあった。人の「死」の最終決定は何をおいても自分である。いじめで追い詰められて行き場のない死というのが、客観的な事実であっても、死は実行者にとってのささやかな報復ではないだろうか。自分が15歳の時に死を考えたことがあった。自分が死ぬか、対象を死に至らしめるか。二つの選択の是非について考えてみた。

出した答えは、どちらも自分にとって得とならない。対象を殺すのは憎悪であるが、自死の理由は報復であった。報復の意味とは、自分が死ぬことで対象者を悔いさせる、反省させる。権力者に抗う方法は、それ以外に見当たらない。自殺の多くは報復の意味をもつのでは?死という損害を犯してまで訴えることのバカバカしさ。なんであんな奴(母)に殺されねばならない?

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それで何かが変わっても、新たな世界に生きる自分はもはやいないということ。自死の理由は、苦痛を与える者への報復であった事を覚えている。「自分が死ねば分かるであろう」という感傷があった。多くの自殺者は同じ思いを経験し、歯止めに至る思考のないままに実行してしまうのではないか。死んで後悔はないが、ならば、死ぬ前に「死」を後悔すべきである。

「死」を後悔すれば人は死なない。死ぬ人の多くは死を美化したり、ささやかな報復であったりと感じる。そこには後悔がない。不思議に思うのは、身投げ現場で危うく助けられた人が、その後は死なないで生きて行く。あれはどういうことなのか?一度決めた死が、二度目に無いのはなぜだろう?人は死んで後悔はないが、死ななくて後悔する人をあまり聞かない。

「あの時、死ねばよかった」という後悔はなぜか起きない。「あの時、死ねばよかった」が今も続いているなら、いつでも死ねるわけだから、あの時の、「死」に拘った理由はもはやないのだろう。死はあの日あの時の限定的なものだったようである。そういうものなのか?あの時死ななかった者は、その時の感傷に浸ることなく、そんな言葉を葬って生きて行くべきであろう。

死んで後悔する人間はいても、死ななくて後悔する人間はいないとすべきであろう。同じように、死んで後悔しない人間もいるかも知れないが、死ななければ分からないことを、死んで分かる意味はないと考える。多くの自死者は、一時の病、一時の発作で死に向かうようだ。風邪をひいて死を選ぶようなものだ。風邪は治るが、死は治らない病である。

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発作的な病はともかく、死を考える前には思考すべきである。死ぬか生きるかではなく、死んで後悔するかしないかを考える。死ねば「無」だから、後悔はないとするのだろうが、実体としての「死」ではなく、精神の「死」について思考すべきである。そうすれば、もし死んで後悔したときは、取り返しのつかない後悔であるのがわかる。そういう後悔は絶対に避けるべきである。

それが、「死」を忌避する理由である。「後悔など恐れることなかれ」ではなく、「取り返しのつかない後悔」は止めるべきである。以上、述べたことは比喩であるが、死について、「問いと答えの間に在るもの」の説明は、難しい答えが予想されるような明確な方向がない。問いそれ自身の中に示されていないことからくる困難である。「人生とは何?」、「愛とは」、「死とは…」

答えが予想され得るものと、そうでないものとの区別は、我々の生活の中に種々発見される。「死」は哲学されるべくものである。改めて、「哲学は何か?」であるが、すべての人が承認するような、「哲学とは…である」という答えが与えられないのが哲学である。問い自身の中に、答えを求めるべき方向がすでに与えられているものを、哲学の対象とする意味はない。

答えの明確でない困難な問題は、例えば、「死」や、「愛」について、観察したり調査したり、集計したりに時間がかかるとか、「死」のように、被験できない障害があるとの意味において困難ではなく、一体何を観察し、何を調査したらいいのかが明確でない点にある。ブログの表題、「死ぬまで生きよう」は、死が何かを理解し得ない人間の生きる目的である。

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「いじめや家族間のトラブルではない。楽しいままで終わりたい」、この文言に頭が廻る。かつてこういう言葉を残して死んだものがいるのか?寡聞にして知ることはないが、これは特異な言葉であろうか?別の意味、別の何かがこういう表記に現わされているように感じる。なぜなら、人は楽しい只中にあっては、死を意識することもなければ、死ぬ理由もない。

となると、「楽しいままで終わりたい」の言葉は、「楽しいことがそうでなくなってきている」との予兆を感じさせる。感受性の鋭いナイーブな少女が、傷つく前に逃避行動を起こすことがしばしばあるが、傷つく自分が耐えられない、自らにそういう耐性が無いのを知る子の逃避行動は迅速である。純粋無垢な少女が、「汚いものを目にしたくない」と訴えることもある。

本件は、そういう事に思えてならなかった。「いじめや家族間のトラブルではない」というのは、いじめや家族間のトラブルの存在を認識しつつも、打ち消す言い方ではないのか。本当にないものをあえて書くこともなかろう。「蚤の心臓」という表現は、いい歳取った大人男性に使うが、「こんなことで?」と言える些細なことにさえ傷つく少女の感性もまた存在する。

いじめというほどではない、家族間のトラブルというほどのものではない、そんな状況であるにしろ、少女のガラスの感受性は、やりきれない気持ちに襲われる。そんなことを想像する。「そんなに?」というほどの沢山の色えんぴつを使い、一心不乱に塗り絵をする少女像が浮かぶ。この世には美しいものしかないと言わんばかりの少女の心に思いを寄せてみる。

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少女はまるで、「人身御供」のようである。三人の娘を持つと少女の異次元の感性も理解に及ぶ。父親が娘に弱いのは、「神聖にして犯すべからず」の少女時代のトラウマをしょっているのだろう。少女期の娘から離別できていない。「楽しいままで終わりたい」に類する別の言葉を女性から聞いたことがある。女性は当時20代中頃だったが死んではいない。

「年を取りたくない、出来るなら綺麗なままで死にたい」と彼女は言った。これが女の共通の思いなら、女性にとって老いの苦悩は計り知れない。男でよかった、である。男にとっての老いとは体力・肉体の低下で、苦悩というほどではない。アメリカのエグゼクティブに性的不能が多く、それが理由で離婚も多く、それらがバイアグラの開発につながったという。

性は肉体的・精神的に自然なものだから、性的不能はどう考えても精神的不自然が原因だろう。精神が肉体に不自然をもたらす。人間は社会に生息する以上、どこか不自然にならざるを得ない。中2の少女も社会に生きている。大人に比べて小さな社会であろうが、小さな子どもにとって小さな社会は妥当である。それが死をもたらすのは、やはり不自然な何かがある。

一般に「死」は、社会から世界への移行である。少女の小さな死も、社会から世界へと旅立った。社会における自然人は、死ぬと物になる。この純然たる事実が法理論であるが、宗教には別の考えがあり、それを教えという。事実は強制されてしかりだが、「教え」は取捨選択だ。自分は宗教的な死後の世界を信じないし、認めていない。どこに行こうが行くまいが…

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少女の死は、<社会>に対して<強度>を感じることができなかった。世間は早い死を不幸というだろうが、彼女の死を彼女がどう受け取るか、誰にも分からない。悔いるのか、悔いないのか、どこに行くのか、行かないのか、一切は彼女のもの。つまるところ人間の問題は、「生」の問題である。少女は、「私」という自我を捨てたことで、彼女に一切の人間の問題はなくなった。

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