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喜ばしいことに笑みを、怒りには鉄槌を、哀しい時は涙より奮い、楽しければハメはずす。長文愛好者限定ブログですが、我慢して読む方歓迎。「なげ~の書くな、このアホンダラ!」という方、さようなら・・・。

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    時に我々は子どもに対して「親」であり過ぎることが多い。親といえども子どもに対して人間的であるべきで、それを越えての「人」として許されない逸脱した行為が、果たして親に許されていいはずがない。なのに、子どもに対する親の振る舞いは「躾」と称し、子の将来的な「幸福」と勝手に決め付け、子どもの人権を無視したり、見くびったりの行為に及ぶ。

    「親として許されるのか?」と思うが、それに対する答えは、①親としてなら許される。②子どもの幸せを願うのであれば悪くない、③そんなに悪いこと?、④自家の教育に他人が口出すべきでない、④言われるまで気づかなかった。などであろう。自分がされれば嫌なのに、する側になればやるという行為は、まさにイジメや差別や陰口と同じである。

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    こういう親はイジメや差別や陰口が好きな親であろう。よくないと知りつつやるのだから、そうに違いない。さらに言うなら、そんな親が子どもにとってよい親であるはずがない。良い親とは、いいときだけ良いのではなく、良くないときも良い親足りうる親であるべきだし、誰だって良い時は良い、円満な時は円満である。夫婦だって友人だってみんなそうだ。

    円満でない時でも良い親、良い夫、良い妻、良い友人であるためには、感情的になってたりで正道を逸脱せずに対処できるかどうかであろう。つまり、言い過ぎたり、非道な行為をしないこと。節度を重んじること。人間関係はいつも良い時ばかりではないから、悪いときにこそ試される。ここを上手く凌いだり、処理しないと、人間関係は一変することになる。

    親子の殺人や傷害事件も、恋人同士のそれも、つい言葉が出すぎたことでなされる場合が多い。それほどに人間は感情に左右される動物だ。「殺すつもりなかった…」というのは極刑逃れの方便もあろうが、実際問題、多くはそうなのかも。周囲や外野は、「殺しておいて殺すつもりはなかった、はないだろう?」と思うが、感情の高まりからつい行き過ぎた行為をしてしまう。

    言葉一つが人を殺す動機になるのだから、言葉の動物としての人間の怖さである。言葉さえなければ世の中の多くの事件は半減どころか、非常に少なくなるのでは…。言葉は暴力以上に暴力となる。肉体を痛めつけられるよりも、言葉で心を、精神を粉々にされる苦痛は相当だ。マーガレットさんも子ども時分に男の子と喧嘩をし、言い合いをしたという。

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    「やーい、混血~!」、「ガイジン女」などと子どもは他愛もないことを言ったりする。彼女は絶対に負けないで言い返したという。「フランスに行ったらあんただってガイジンよ」などと…。ところが彼女は、「自分が日本人だと思った事は一度もありません」という。が、こういう葛藤心が覗く。「でも、わたしは日本人的だから、フランスでも外人でしょうね」

    こうした彼女の心理を正確にはつかめないが、「日本人ではない、でもフランス人にもなれない」。これが、ハーフの奥底に流れる特別な何かなのだろう。「特別」という言葉を借りる以外に分らない部分である。ということは、なに人、なに人と決めようとすることに問題があるのではないか?つまり「国」というものにこだわりすぎるのではないだろうか。

    陸続きのヨーロッパやアジア大陸では異人種、異民族の国際結婚は多い。それでいろんな血が混ざることにマイナスイメージを持つのは日本人くらいではないか。むしろ混ざることはプラスではないのかと。ハーフの人の多くは、「日本人は国にこだわりすぎでは?」と思っているようだ。黒いものは黒、白いものは白と決め付けたがるのが日本人的な嗜好である。

    「純血主義」という言葉がなにを意味するか分らないが、日本人はよく口にする言葉のようだ。確かにこの国の学問や評論の流れに、『日本人論』、『日本文化論』といった太い系譜が存在しているようだ。過去、社会心理学や精神医学からも、こうした日本人について書かれた書物は少なくない。これらには、「日本人は血縁、地縁を大事にする民族」とある。

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    血縁の説明は無用だが、「地縁」とは、住む土地にもとづく縁故関係のこと。現在居住する地、過去に居住した地などによる縁(人間関係)。地域共同体、町内会、「向う三軒両隣」などの近隣住民同士の縁で、これらは生活上の助け合いの関係、相互扶助を形成している。また、農村部などでは、集落共同体内での「馴れ合い体質」や力関係についても語られる。

    日本の「家」社会はまた、「先祖崇拝」とは表裏一体関係にあり、「先祖に対する強い愛着」が、古代よりこんにちまで、日本人の精神構造を規定している。中国や朝鮮もそうであり、これは儒教にいう「骨肉への愛着」を軸とする家族道徳主義である。神代の昔からこんにちまで、日本人は骨の髄まで「骨肉愛着主義者」であったことが見えてくる。

    かつて西欧社会は、カトリック教会が聖書を独占していたが、マルティン・ルターがローマ教会の権威を否定したことで、各人が神の言葉(聖書)と直接向き合うようになった。個人が聖書に向き合えば様々な解釈も生まれ、そうしたプロテスタントの原理が西欧の個人主義を生んだ。キリスト教は個人救済の宗教であり、個人の魂を救済するのは神の命令の厳守する。

    しかし、個人主義者は原理的に「相対化の苦闘」に直面する。他人と自分の聖書解釈が違うなら、果たして自分の解釈は正しいのか苦闘せざるを得ない。個人主義者はこのような「相対化の苦闘」を経て、自己の行動原理を絶対化するがゆえに、他者と自分と言う分離が確立されていくことから、個人主義の誕生が「分離性」的性格を生んだといえる。

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    したがって真の個人主義というのは、集団の同調圧力に屈しないものである。日本人に限らず、中国、韓国などの東洋的家族主義は、儒教の影響が強いといえる。孔子は最高の道徳を「仁」と呼んだ。これは、親兄弟に対する骨肉の愛情を基点とし、それを他人にまで及ぼすことで、その意味での「人を愛す」であり、儒教思想の根本は血縁である。

    話が少し難しくなったが、日本人と欧米人の何が違うのか、についての落ち着き場所がここにある。それならフランス人の父、日本人の母を持ったマーガレットはフランス人なのか?それとも日本人なのか?誰より自らを突き止めたいのが本人であろうが、彼女自身でさえよく分らないという。ならば、どちらであるかより、どちらでもないとすべきではないか…。

    「オカマ」は女のナリでも男だが、「性同一障害」は、体は女でも心は男という言い方をされる。人の性格は生まれ持ったものという定義を心理学ではしない。環境が人格を作るという考えだが、多少の生まれ持ったものはあるにしろ、後天的な要素が大きいのは子を育てた親なら感覚的に分かる。それでは、障害とまでいえる「性同一障害」はどうなのか?

    先天的なのか、後天的にそうなったのか?様々に語られたが、近年では先天的、後天的、中核、周辺などの区別はしないようだ。理由は、そんな事は誰にも分らないし、意味はない。ガンという病気も遺伝的要素はあるが、親、祖父母がガンであっても罹患しない人もいるし、後天的な様々な生活環境から、生活習慣病とする場合がより正解であろう。

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    さらにいうなら、精神疾患においても原因は問われないのは、原因が分らないからである。都合のいいときだけ精神科医を語る芸能人の香山リカが、橋下徹大阪市長を診察もせず、「精神疾患」と勝手な診断をしたことで、橋下から「お前はサイババか!」と罵倒されたが、橋下に対するヒステリックな口撃は、顔に角をもったまるで犀婆(さいばば)だ。

    香山とは別の精神科医で作家の野田正彰が、「大阪府知事は『病気』である」と題する記事を寄稿した。「挑発的発言、扇情的な振る舞い、不安定な感情――それらから導き出せるのはある精神疾患である」と、橋下の高校時代の教師の言葉を拠り所に、「彼の言葉をまともに受け止め対応していけば、常に彼の内容空虚性に突き当たるのである」と結論づけた。

    この記事に対して、橋下氏は発行元の新潮社などに1100万円の損害賠償を求めて提訴し、その判決が、2015年9月29日に大阪地裁であった。判決では、客観的な証拠がなく真実と認められない上、真実と信じた相当の理由もないとして「橋下氏の社会的評価を低下させ、名誉を毀損する内容」だと評価し、新潮社側に110万円の支払いを命じた。

    その後、野田氏は取り上げる価値もないのか、橋下のツイートに1回だけ登場する。「頼んでもいないのに俺の精神鑑定を8流雑誌で勝手にしやがった8流大学教授が勉強不足を露呈していた」とし、「この大学教授は光市母子殺害事件の加害者について、母体回帰説なる珍説を唱え、無罪の根拠とし、このことが最高裁で反省の欠如と断罪され死刑となった。

    イメージ 6母体回帰説なる珍説を唱えた責任など微塵も感じない、俺の最も嫌いな無責任学者だ。野田正彰氏。もう評論家になったのか」である。バカな学者が学者の看板をいいことに、無根拠をさも根拠ありなどのバカ発言も結構あってか、「俺の最も嫌いな無責任学者」という点は、自分と同じである。橋下の性格からして、これでもやんわり書いているのだろうが…。
    精神学者は精神鑑定をするのが仕事であるが、仕事は依頼者よりキチンと依頼を受け、責任を持ってなされるべきである。恨み感情のままに思慮分別無く行うものではあるまいに…。橋下氏がいい、国民の多くが感じるように野田氏の精神鑑定は、精神病か否かを判断する鑑定行為を超えた「低俗な物語」、「身勝手な妄想もしくは偏見」以外なにものでない。

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    ドイツ人は生まれながらにしてドイツ人だが、ドイツ人という国民性は家庭環境や学校や友人周辺から育っていくのではないか?「ドイツ人らしさ」という気質、性格はDNAが支配・決定されるものではないのではないか?生まれ持った性格はあれど、生まれ持った民族性というのはないのではないか?国の歴史や風土から作られるその国特有の傾向や気質を国民性という。

    ドイツ人はドイツ人が育てるからドイツ人らしく、フランス人も日本人も誰が育てるかで国民性も育まれるのではないだろうか。そのいい例をマーガレットさんに見る。「小学生の頃、友だちがみんな持ってるカバンが欲しくて、『みんな持ってるから買って!』と父に言ったところ、『そんなのは欲しい理由にはならない!』と買ってくれませんでした。」と彼女は言う。

    「人が持っているから」との理由を、親が認めていないのがハッキリ現れている。このように躾られると、人は人、自分は自分、というのが身につくだろう。「人が○○ならお前も○○でありなさい」というのが顕著な日本人の親は、いかにも集団主義に埋没した考えである。どちらがいいか悪いかは選択だろうが、人は人であり、自分は自分と言うのはそのとおり。

    ならば、「人は人、お前はお前」という考えを打ち出すのが理に敵っているともいえるが、それでは日本人社会にあっては生きて行きにくいのだろう。みんなと同じでありたい、その方が目だたない、浮いた存在にならないという、いかにも気弱な考えとも言える。人と同じでありたいを裏返せば、一人ではできないが大勢ならできてしまうという考えになる。

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    これが、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という日本人をあざけた標語である。この「怖くない」の意味は、車の往来が危険であから、「怖いぞ!」の意味よりも、みんなが赤信号だから横断をしないでいるのに、車の往来がないからと堂々と渡ることができない気の弱さ、生真面目さ、いい人ぶりっこの日本人を揶揄しているように思えてならない。

    車の往来のない赤信号なら、自分は何のためらいもなく渡るし、止まって待っている人が何を思うなど知ったことではない。ただし、絶対に渡らない場合があって、それは小学生の少女が信号待ちをしている場合である。なぜか、少年ならそれがない。おそらく、男の子に対しては、「コレくらいの決まりは男なら守らんで良し」と言いたいのだろうか?

    それくらいのやんちゃでいいよ男の子は…という事かもしれない。自分の行いであるけれども、自分でもよく判らないし、深く考えたことはないが、今考えるとそういうことかも知れない。男の子の批判はなんともないが、女の子には真似させたくないという気にはなる。節度を守る方が女らしいという潜在意識かも知れぬ。「たかが信号待ち、されど信号待ち」だ。

    親になって分かったことだが、同じ我が子であっても男の子に求めるものと女の子に求めるものはまるで違った。学校の教師などに、同じように扱われていては不満であるし、だから学校に何かを依頼し、期待することは無かった。今さらながら思うに、親は学校に頼らず生きるべきであり、お金や愛や人生の真実を子どもに教えられる教師がいるとは思えない

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    文科省の調査をみても、70%の親が躾など家庭の教育機能が低下しているというアンケート結果には驚くしかない。家庭が大事と呪文のように唱えてこそ信念は揺らがないが、こういう数字は異常である。家庭の教育機能が低下しているなら、どこにそれを求めるのか?学校なのか?それとも放置なのか?といいつつ、厳しい躾を子どもに課して悔いた母親がいた。

    新聞の切り抜き記事だが、そういう例はネットでも耳にした。母親は中学教師で、その子は中学生になったとたん、登校拒否となる。私立の有名校に入れるために勉強浸けにさせたことで、子どもの人格形成の瑕疵に気づいたという。切り抜き記事の母親も子どもには朝から晩まで「躾」を押し付けていたし、子どもの学力低下は非行に繋がると塾浸けにした。

    「当時の我が家の雰囲気は、とても緊張していて、親子夫婦のいさかいも多く、心の休まる家庭ではありませんでした。夫や子どもに対する高い自己イメージもあり、要求も強かったんだと思います。仕事から疲れて帰って来た夫に対し、家の中でダラダラされると腹が立ち、『子どもの教育上よくないからチャンとしてよね!』などと尖った言い方をしていました。

    他にもさまざまな要因もからまって、子どもは拒食症になり、登校拒否になりました。夫は自室にこもりがちになり、私と目を合わさなくなったようです。が、その時はどうしてそんなになったのか、全く見当もつかなかったんです。約3年くらいそういう日々が続き、何とか打開すべきとカウンセラーに相談し、自分の生活課題に問題があるのが分かったのです。」

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    子どもの不登校、留年、自主退学という道を辿った末、通信高校で学ぶようになった。夫は仕事がはかどらなかったのか転職した。皮肉にもこういう事を経たことで、正常な家庭に戻れたと記している。この母親は、どれだけ夫や子どもに無理を強いていたか、無理を止めることで正常に落ち着いたのは自然なこと。が、なによりそれに気づいたことが聡明である。

    気づいただけでなく実行した母親であったことも素晴らしい。子どもが勉強しないから尻を叩くって、子どもは馬ではないんだし、夫が家でくつろぐのをだらしが無いといえば、愛人のところでくつろぎたくもなろう。そこが分らない母親、そして妻、問題は子どもや夫にあるのではなく、すべては彼女にあったことに気づかせたのがカウンセラーという第三者であった。

    子どもの不登校は学校にも原因があった。しかし、他人の集団で成り立っている学校では様々な問題や軋轢があって当然である。大人の会社の人間関係の縮図と思えばよい。そういった軋轢を跳ね返す子どもであるかないか、その差は間違いなくある。この母親のように、ガミガミうるさい子育てなら、子どもは萎縮してしまい、自分に降りかかる火の粉を払えない。

    いやなことを拭えない、振り払えない子どもが不登校になるなら、その要因は親が作ったと解すべきだ。自分のように全ては親の責任と思うから、可愛がるだけの子育てなどあり得ないと感じていた。母親は感情でいいが、父親は思考で子育てを行う。母親は理性より感情が優先するから、そこは資質として責められない。だから、父親の理性が必要なのだ。

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    そんな事は社会が、国が声を出して言わないまでも当たり前のことである。誰に聞かなくても考えれば分かる事である。それをいまだに考えないで母親が優先的に物事を決める子育ては、自分にいわせれば大いに問題あり。まるで、自分が産んだ子は自分だけのものというような母親もいる。こういう間違った、思い上がった考えを是正する力が夫に無いのも問題だ。

    夫婦の基本は力関係で成り立っている。どちらが強いか、弱いかは、表面的には問題になるが、実は大事なことはどちらが言ってることが道理であるかであろう。正しい、正しくないは、こと教育に関しては数十年先に現れるものだから、誰も分らない。分らないことをいいことに、「知識を多く詰め込んだ方が勝ち」というような知育偏重教育が持て囃される。

    そういえば、「灘高⇒理Ⅲ」三兄弟の母親と、教育評論家の尾木ママが激論を交わしていた。自分は尾木ママみたいなオカマは好きではないし、言ってる事も男の視点と言う気がしない。よって二人の激論は得るものが無い。そもそも教育評論家という看板がウソっぽい。ところが、今度は三兄弟の母親と芸能人のカンニング竹山が激論を交わしたようだ。

    竹山は現在偏差値45の数年来定員割れの高校卒だが、コンニャク尾木ママに比べてずっと骨のある九州男児。そんな彼の骨太発言に、三兄弟の母親は言葉を失ってしまう。言葉を失うというのは、正論や道理を言われたときに現れ、コレに反抗するのは屁理屈しかない。よって、こういう場合に言葉を失うのは頭がよいからであって、その意味において母親はバカでない。

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    竹山は、「あなたの子育ては受験で完結しているのだろうが、子どもは何も完結していないじゃないか。これからどういう大人、どういう医者になるかも判らない!」と、この意見はもっともで、長き人生における道の途中における、ひと区切りとしての成果を、さも子育ての完結であるかの如く、子育ての成功者の如き自賛は、母親の人間としての底の浅さを映している

    いいと思ってやったことが悪く、よくないと思ったことがよい結果となる。これが教育だ。親の思ったようにはならないことが多く、なったからとて親の自己満足に過ぎない。この母親の言うように、自分も3人の我が子の反抗期は経験していない。意識はないが、おそらく出させないようにしていたのだろう。が、自分が不在で育った三女はすごい反抗期だったと妻は言う。

    それを聞いて思ったのは、反抗期は人間が人間になるために不可欠で、反抗期をみない教育は良くなかったと自戒した。反抗期とはまさに自我の芽生え、その自我を殺してまで親になびく子を良い子とするのは間違っている。たしかに、何かを教え込む場合に反抗はない方がいいが、それは単に大人の都合、教える側の身勝手であり、別に誉められたものではない。


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    「奇跡のレッスン~世界の最強コーチと子どもたち~」という番組を見た。サッカー、バレーボール、バスケットボール、テニスなどの名だたる有名なコーチが来日して日本の中学生に指導するというもので、孫がバスケットをやっていることもあって、何気に観た。来日したコーチは、元NBA選手のマグジー・ボーグス(50)で、なんと彼の身長は160cmしかない。

    史上もっとも小柄な選手でありながら、14年間もNBAでチームの司令塔として活躍した伝説の選手である。彼の特別レッスンを受けるのは、東京の下町にある公立中学校の男子バスケットボール部員たち。もともとの経験者は少なく、プレーに自信が持てずにいた彼らは、マグジーと熱く楽しい1週間を過ごすというもの。番組中にコーチが悩みを打ち明ける。

    いつも同じ注意ばかりでつい声を荒げてしまうコーチは、マグジーにこのように尋ねた。「子どもたちが指導したメニユーを忘れたり、昨日注意した事さえも忘れてしまうことが多くて…。(マグジーさんは)そんな時、フラストレーションが溜まらないかと思って。」これにマグジーはこう答えた。「子どもたちに間違いがあれば、キチンと伝えるのは大事です。

    しかし、そこにフラストレーションなどありません。彼らに理解して欲しいのですから、判ってもらえるまで辛抱強く伝えます。自分の不満は子どもに伝わり、彼らもそれを感じます。チームに求める性格をコーチ自身が備えなければいけません。子どもたちは学校を映し出し、あなた自身を映し出しているんですよ」。マグジーの言葉にコーチは頷いていた。

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    マグジーの言葉はこう置き換えられる。「子どもたちは家庭を映し出し、親を映し出している」。「子は親を映す鏡」という諺があるが、マグジーはそれと同じことを言ったまで。コーチがイライラすれば選手に伝わる。それでどうしていいプレーができる?アメリカには選手がベンチにいる監督の顔色を伺ったりはないし、星野仙一のような選手をこき下ろす監督はいない。

    とにかくベンチで怒りまくったり、吠えまくったり、選手に鉄拳をする星野はサイテー無能監督だと思っている。あのやり方は日本的でいい、という声にも反対だった。つまり、怒って指導する教育者は怒るしかできない無能指導者であると定めていた。バスケットは30%は技術、あとの70%はメンタル」とマグジーがいうように、試合中にミスを怒鳴る日本のコーチは多い。

    孫の試合をよく観にいくが、試合中にやってしまったミスをその時に必ず叱咤するコーチが多い。終ったことを指示して何になるというのか?それは指示というより怒りである。マグジーも試合中に頻繁に声を出すが、終ったプレーにアレコレは言わない。励まし、誉め、モチベーションをあげていく。どうしてこういう事をしないのかと、疑問ばかりである。

    人を指導する気持ちがあれば、たとえ相手が忘れてもフラストレーションを溜めるなどは、指導者と言わない。指導者は何のためにいるのか?判らせるためにいる訳だ。阪急~近鉄で長年監督を勤めた名将西本幸雄もこんな風に言った。「選手に身につくまで何度も同じことを言った。面倒クサイと思ったらダメ。『面倒くさいから言われる前にやっておこう』とさせるため」。

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    人を指導するときに、怒ったり、感情的になる人間は指導者に向かない。そもそも、人が人に何かを教えること自体が傲慢であり、ゆえに指導は謙虚でなければならない。だから怒る人間に指導の資格は無い。自分もそう肝に銘じていた。ついてくる人間には判るまで根気よく諭すが、文句ばかりで批判的な人間は、ハナから学ぼうとする意欲を感じない。

    それでも「何度いったら判るんだ!」と怒鳴るのは、己が無能である証拠。何度も言って判らせるのが指導者である。判らせるのが目的なら親も同様、判るまでいうのは当然であり、自分に怒ってそれが何かプラスになるのか?が、どうしても分らない、分からせられない相手もいる。そういう場合はテクを使う必要もある。投げ出すように見せたり、スカしたり…

    感情的になるのではなく、感情的になった素振りをする。だが、これも正攻法とはいえない。あくまで冷静でなければ…。指導者は熱く語るが心は冷静である。オーケストラの指揮者は百人近い団員を束ねる支配者と言うが、クライバーやバーンスタインは怒鳴らない。リハーサルなどみていて、団員が根をあげるくらい根気よく、ただの一音とておろそかにしない。


    「棒振りが感情的になってはダメ」と小沢征爾はいう。判らせる、諭す、指示するも広義の教育だが、昨今のような高度な学歴社会の風潮は、(良い)学校に入ることが幸福の方程式との信奉が未だ消えない。「学校に頼らず生きていけ」など、信じる者などいない。教育されること=善という価値観から抜け出すことは、しがみついている人にとっては考えられない。

    が、そのような規制の価値観を持たない(というか、抜け出した)者は、実は命のような輝かしくも、人と人との信頼に裏打ちされた愛おしいものである。人がひととして充足して生きるというのは、どういうことかというのを鋭い感性で感じとり、あるいは落ち着きのある理性で思考する子に自己表明を感じる。親の指示で動く子にはなぜか魅力を感じない。

    それまでの子どもたちが起こす種々の問題行動は、それ自体が彼らの未熟な自己表現である。教育ママと称すような、すっかり形骸化してしまった大人の世界は、子どもたちが生きるモデルにはなり得ない。あまりに延びた人の人生を人々が真に充足して生きることは何か?を学童期の子どもたちが考えることは難しいかも知れないが、親がリードすることは可能だ。

    形骸化した大人の価値観がいつまで続くのかは分らないが、松下やシャープやソニーなどの日本を代表する企業がやり場をなくしたとき、こじんまりした中小の企業で潤いのある人生を送るのも、いっそう新たな価値観となって行く気もする。当時17歳の高校生であったマーガレット・オリボーさんは、現在43歳である。彼女は自身の将来をこのように描いていた。

    イメージ 4「高校を出たら美術学校へ行って、将来はインテリアや舞台デザインなどの仕事ができたらと思う。外国に出るかも知れない。でも、住む国にはあまり拘りがありません。国境のない、『地球国家』という言葉にあこがれているんです」。気がつけば隣は外国人といえるほど、多くの外国人が日本で居住する昨今だ。何気にマーガレット・オリボーで検索して出てきたサイト。


    彼女は現在照明家として、パリ在住で神戸市出身の舞踏家、振付家で身体訓練法有科メソード創始者で、ダンスカンパニー射干(NUBA)主宰者有科珠々(ありしなじゅじゅ)さんの舞台仕事を手伝っていたりと、まさに高校3年生のときの夢を実現させている。彼女の望む「地球国家」には遠いイスラムとキリスト圏の争い。

    マーガレットさんは最後にこう願った。「ハーフは世の中の役に立つと思いませんか?なぜって、戦争の防止になるから…。国際結婚が増えていろんな国の人が混ざってハーフの人口が増えたら、戦争なんて起こせない。お父さんの国とお母さんの国が戦争するなんてハーフはいやですもん。ぜったい戦争反対です。」(1989年2月11日、マーガレット・オリボー)


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    共通一次試験が消滅して年明けで27年目になる。入試改革の決め手として登場したが、批判轟々の散々な結果で終焉した。様々な議論の中でずっと考えていたことは、若者の個性が奪われ、質が均一化したことで、「共通一次世代」という流行語まで生まれた。受験生本位など微塵も無く、大学のための試験であったと、そういう事を共通一次から感じとった。

    大学共通第一次学力試験は、1979年1月13・14日から1989年1月14・15日までの11年間、すべての国公立大学および産業医科大学の入学志願者を対象とし、全国の各会場で共通の試験問題により一斉に実施された基礎学力試験。一般的な呼称は「共通一次試験」、「共通一次」。実施責任者は、国立大学の共同利用機関であった大学入試センター(現在は独立行政法人)。

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    共通テスト構想は1960年代以降文部省やその周辺から発案されており、1970年代に入って政府および与党の推進により実現する運びとなり、国立大学協会の賛同を得て、入試問題の難問・奇問の出題をなくし、「入試地獄」を緩和するという目的で導入が決定された。初代センター長の加藤陸奥雄氏によれば、フランスのバカロレアをモデルとする意向だったとされる。

    が、共通一次試験は、実施前の段階で小室直樹らから失敗を予想されていたし、時の文部大臣はテレビ番組『時事放談』にて、細川隆元らから痛烈に批判されるなどしていた。また、私立大学が既に採用していたマークシート方式が、共通一次試験に採用されたことに対しては、「鉛筆さえ握れば誰でも正解できる(可能性がある)」などと揶揄されることも多かった。

    「受験地獄をあべこべに悪化させている」、「大学の序列化を不当に招いている」等の批判を受け、1985年に臨時教育審議会第一次答申により「新共通テスト」の採用が提案されたのを受け、1988年「大学入試センター試験」と改称することが決定、「共通一次試験」に代わる、「共通テスト」(いわゆる「センター試験」)が1990年1月13・14日から行われる事になる。

    最後の共通一次試験が行われた89年1月21、22日。この年は出題ミス、点数カサアゲが重なり、受験生は最後の最後まで振り回された。確かに共通一次になって、難問・奇問は消えたし、合否の目安もできた。が、10年間の共通一次で大学間の格差は解消せず、受験産業を肥大化させるばかりであった。様々な問題を孕んだ共通一次はこうして11年間の幕を降ろす。

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    入試センターの初代所長、共通一次の「育ての親」とされた元東北大学長の加藤陸奥雄氏は、どういう感慨をもっていたのか。当時の新聞記事にはこのように述べられている。「入試改革は当時、世界的な傾向でした。日本でも大学進学率が高くなり、一期校・二期校の弊害も出ていました。共通一次は入学資格試験ではなく、あくまで選抜試験だったのです。

    客観的に学力判断の材料とし、二次試験で大学の個性を発揮してもらう。共通一次だけの論議が独り歩きした感があり、あくまで二次試験とセットで考えて欲しかった。二次試験は論述テストが望ましいとの提言は当初からしていました。難問、奇問はなくなり、こなれた問題が出題されています。これは功罪の「功」といえるでしょう」。トップの自賛は当然だ。

    実体としては散々な結果に終った11年。全国一律テストと自己採点方式は、受験産業による大学と受験生双方のランクづけを容易にし、本格的な「偏差値時代」に突入したのだった。さらに、一、二期校の廃止は大学の「序列化」に拍車をかけた。おまけに五教科七科目の試験は、受験生に過重な負担となり、科目の少ない私大への流れは必然的となった。

    「国公立離れ」に拍車がかかる。「足切り」などの残酷な言葉も平気で使われ、複数受験化された1987年には猛威を奮った。この結果、延べで約400万人の若者が共通一次によって一斉に運命が決められてしまったろう。それだけではない、共通一次は学生の質まで変えたといわれる。「共通一次世代」、「マークシート人間」という言葉が彼らの代名詞となる。

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    「共通一次世代」の特質は、大学の序列化と偏差値による"機械的"な志望校振り分けが、彼らを無気力人間にしたこと。「マークシート人間」とは、コンピュータ処理に便利な選択肢方式が、自らの問題発見能力を失わせた。当時の中曽根首相には「共通一次は諸悪の根源」とまで言われた。なぜこのようになったのか?「共通一次試験」の発想は悪くはない。

    難問・奇問化した大学入試を是正し、受験で歪んだ高校教育を正常化する狙いはかなりの成果をあげた。しかし、入試の多様化の点では問題があった。試案では高校で学んだ基礎学力評価は共通一次に委ね、各大学は二次試験で、学風・学科に応じた、独自かつ様々な尺度からの試験を用意するはずであった。ところが、大学は共通一次をいいことにそれに安住した。

    二次試験の工夫は行わず、問題に気づいた時に偏差値時代は定着し、「共通一次世代」も「マークシート人間」も育っていた。加藤陸奥雄氏は沸きあがる批判に、「唯一無二に入試制度なんかあるはずがない。その都度知恵を絞り、その都度合理的だと思う方法でやるしかない」の言葉を述べるのがやっとで、かくも壮大な実験から以下の貴重な教訓を得た。

     ①大学入試のやり方一つで、その世代の若者の中身まで変えてしまう。
     ②共通一次のような学力試験だけでは、人の能力は測れない。
     ③入試は大学側にも"改善"という絶え間ぬ努力が要求される。

    この三つの教訓の裏には、受験生たちの計り知れぬ犠牲があった。「共通一次」だけでは、「知」のほんの一部分しか分らないのは当然で、記述や論文形式の二次が重要であったことを大学側が知らぬはずがない。ようするに大学側は横着をしたのである。悪者にされた加藤はこのように自己弁護した。「私の専門は生物学だから、チョウに例えて話そう。

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    今は青虫の時代です。青虫はさなぎに変わり、うまく改革(脱皮)できればチョウになる。見た目には大きく変わるが命は同じです。入試制度もこれと同じ」言いたいことは分かる。偏差値による「輪切り」においても、大学の序列化においても、「お前はここがダメだからこっちに、この学部は偏差値が高いからこっちに…」。それが教育か?という部分はある。

    「共通一次」だけを悪者にして、本来的な教育のなんたるかを論じない。大事なのは自分がどこに行きたい、何を学びたいかであるのに、入学することだけが目的になった大学は、どんどんと幼稚園化して行った。ぶくぶくと太ったのは、塾や予備校という受験産業だけである。あげくの果てには、偏差値の高低が、そのまま青春の尾を引きずる若者が量産された。

    もともと「共通一次」導入の狙いは、「受験における過当な競争を避ける」であったが、格差の物差しが「偏差値」であった事が大学格差を生んだ。「偏差値」の呪縛は年々重みを増し、国公立大の複数受験制度が可能となったことで、「偏差値」の目盛りを一層複雑にした。また、「偏差値」は人間の優劣を決めると誤解され、「仮面浪人」という言葉を生んだ。

    「仮面浪人」についてありがちな例を言う。医師である父は大阪市内で病院を経営する。息子は昨春、前半のA日程で京大医学部を目指した。しかし、共通一次の成績は予備校の偏差値基準で京大に届かず、しぶしぶ阪大医学部を受験したが結果は不合格。後半のB日程では東大理Ⅰを受けた。ここには合格し、息子は東京に部屋を借りてしばらく通った。

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    ところが、理Ⅰに籍を置いたまま医学部再挑戦を決めた。「失敗しても理Ⅰに戻ればいい…」東大と言う最高学府に身を置く余裕とでもいうのか、偏差値が方向づける青春の流水に身を任せる安堵感ともいえるのか、表情には屈託もなければ不安もない。このように、理科系⇒医、地方大⇒帝大系と、片足をキャンパスに残したまま、高偏差値大へと上昇を図る。

    こういう若者を「仮面浪人」と呼んだ。ひどいのになると、とりあえず入学した大学の入学式にも出席せず、一度も講義に出ず、さっさと休学届けを出して予備校の入学手続きを取る。家庭の金銭的な余裕と、親の上昇志向の噛み合いから成せるワザともいえるが、それくらいにこの世代において、偏差値の呪縛が自身の人間的価値を決めるという考えになる。

    予備校がつける偏差値ランクの上位の学部ほど入学者の満足度が高い。自分が学問したい学部であるなど何の関係もない。周囲や皆が羨む対象ゆえに自分も満足なのだ。こういった人間になってしまうことの怖ろしさ…。逆に、共通一次の得点で志望を下げた受験生の不満、悲愴感たるや、どこまでも尾を引くという。それほど「偏差値」が人間を歪めてしまった。

    共通一次の功罪をよそに、共通一次のおかげで入試の手間が省けるとばかりに各大学は、共通一次を文部省(当時)や国立大学協会の一部にまかせて、大学独自の入試問題づくりの努力をおろそかにしたことも問題だ。それでいながら、「大学の序列が細分化される」、「○×思考法の若者の知性が歪んでいる」、「ミニ東大化で大学が画一化」などと腐った。

    イメージ 5元京大学長の岡本道雄氏はこう述べた。「諸悪の根源みたいに言われる共通一次だが、始まる前は難問・奇問が横行し、高校ばかりでなく、経済界、政界にまで危機感が広がっていた。共通一次で難問・奇問が追放できたことで、高校教育も基本重視に立ち返ったではありませんか…」と、岡本氏は共通一次への批判ばかりでなく、大学の努力不足を責める。

    物事というのはどこに視点を置くかで、まるで見え方が変わるもので、それらは様々な事例が示している。後年、「ゆとり教育」が槍玉に上がったときも、「ゆとり教育」批判に、批判的でいた。「ゆとり教育」の対義語は何?「詰め込み教育」である。「ゆとり教育」批判者は、「詰め込み教育」賛同者という事になる。まさに、「バカいっちゃ、イカンよ!」であった。

    「詰め込み教育」の最大のデメリットは受験戦争であろう。試験の点数を画一的に付けやすくした結果、過度の受験競争が始まった。受験競争の激化は生徒のストレスを増大させ、いじめや不登校などの問題を招いた。「ゆとり教育」とは、知識の暗記に費やしていた時間を一部削り、生徒の自主的行動に支えられた、"考える力"を伸ばそうとする教育。

    「詰め込み教育」全てが害悪とは思わない。あまり物事が分らない幼少時期など、九九を覚えるような機械的な記憶による知識も必要。思考力がない時期は、より少ない知識や考えで対処するより、とりあえず詰め込むのがいい。これは大人になってもある程度、脳があまり活発でない人(バカといえば御幣があるので、頭のよくない人)には効果がある。

    知能の高い人間に機械的詰め込みをやると、便利に頭が慣れて思考力が低下する。人は歩くより自転車、自転車よりクルマを好む横着な動物。詰め込み教育と今の受験制度はリンクしている。大量に覚えなければならないなら、いちいち何に何を関連して覚えていては埒があかない。したがって、「ゆとり教育」は現在の受験制度には受け入れられなかった。


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    共通一次の功罪の「功」は受験産業を肥大させたこと。「罪」は受験産業を肥大させたこと。長所は短所、短所は長所みたいな言い方だが、受験産業側にとっては笑いの止まらぬ「大功績」だ。共通一次の功罪は数多見聞きもしたが、誰にとっての功罪なのかは学生主体であるべきで、その辺りも含めた共通一次11年間の検証は、あまりにも不徹底であった。

    初代センター長加藤陸奥雄氏のいう、「共通一次は受験生の学力到達度を判定し、各大学学部が個別に行う二次試験と組み合わせて、丁寧な合否選抜を行うのが狙い」だった。ところが、各大学の二次試験改革は一向に進まず、受験生も学力偏差値と違って、合否決定の基準が明確でない大学は敬遠するしかないのは、受験生の立場からすれば理解できる。

    多くの学部で二次試験に面接や小論文など、新しい形式を取り入れたものの、全体的には有力大学を中心に、学力重視の試験が主流であった。共通一次の五教科七科目は、二次試験とともに受験生には過大な負担であったが、受験が国公立大一校に限定されたこともあって、受験生の国公立離れが進んだ。これは制度導入の際に予想されたことであったろう。

    共通一次を受験生の「功」に絞れば、大量の受験生に対する一斉テストという形は、大衆化した大学と高校を繫ぐ「学力の標準」を示す役割は果たしたろう。それと、試験は落すためのモノという観点から、しばしばみられた難問・奇問を少なくすることに多いに貢献したのも事実。何事も「功」あれば「罪」だが、共通一次にはあまりにマイナスが多すぎた。

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    前記事にも書いたが、大学間の序列が顕在化したことや、学生が均質化して活気が失せたことは、「共通テスト」という性格上やむを得ない副作用である。学力偏差値だけで受験校を選択するなら、全国の国公立大学について、共通一次の成績による序列ができるのも当然で、こんなことは入試制度改革の議論の中で、誰にでも予測できたことである。

    問題は、当然に起こることが、「功」か「罪」かであって、様々な意見があったろうが、審議会のメンバーは元東北大学長加藤陸奥雄が座長であったとして、東大、京大、阪大、などの帝大系のメンバーは、大学の序列化の可能性を知りつつも押し黙る可能性もある。おそらくだが、二流、三流といわれる大学関係者は、審議会メンバーにはいなかったろう。

    仮にいたとしてもオブザーバーのようなもので、帝大系や有名私学の発言力は当然にして大きい。まあ、このようなことを今、推察しても仕方が無い。全ては終わったことだが、「故きを温ね」という事で、歴史の検証のようなものだ。大学の序列というが、序列を作っているのが「偏差値」であるなら、その序列を支えているのが、巨大な受験産業である。

    受験産業が肥大化した原因はいくつかある。例えば、共通一次では配点の基準は全てが公表されるわけでなく、ゆえに正確な自己採点はできない。さらに、自己採点と合否の関係は、受験産業の手を借りなければ受験生には到底判断できない。しかも、その分析は全国に渡らざるを得ないとなれば、必然的に全国的な規模の受験産業が求められることになる。


    受験生は受験産業に依存せざるを得ない。受験生のみならず高校も、大学も、受験産業に依存している。なぜなら、大学は少しでも質のいい(受験学力の高い)学生を獲得するため、高校は自校の生徒を少しでも序列の高い大学に合格させたいわけだから、受験生、高校、大学と受験産業の共依存関係が出来上がる。今年に判明した大阪桐蔭の問題がいい例だ。

    大阪桐蔭が裏金をプールして塾関係者を接待していた。優秀生徒獲得が目的であろうが、こうなると依存を超えた不正であり、犯罪である。また、私学には「塾枠」というものがあるのでは、と前々から言われているが、私学は一斉に否定する。当たり前だ、そんなもん否定しないでどうする。コネとか枠とかは古来からの日本的な情緒で、ない方がオカシイ。

    いつの時代も人は、欲と見栄と金で動いている。欲があるところに見栄がはびこり、見栄を張るには金がいる。天網恢恢、たまにはバレて赤っ恥をかけばいいのよ。「教育」などと言葉の響きはいいが、ウンザリ、真っ黒けの世界である。自然こそ教育としたが、近年は何事も「人為」の世界である。「教育には金がかかる」というが、そんなこともない。

    「教育に金はかけられる」である。お金がある人はどんどんかければいい。無い人は汗と労力をかけばいい。受験産業がデータやノウハウを持つ以上、いかなる入試改革も受験産業の存在を無視しては実効性ナシという皮肉な状況を、共通一次が作り出した。落ち度なのか、すっとぼけか…、共通一次導入に当たり、斯くの副作用を避ける対策が講じられなかった。

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    共通一次が解決できなかったもう一つの問題に科目間格差がある。これが「カサ上げ」問題である。ある年の理科の科目間格差が大きく、二次出願の直前に生物と物理の得点を大幅にカサ上げて受験生に混乱を与えた。この問題に対して文部省は、「今後は科目間格差が何点以上になれば、得点カサ上げを行うかなど「修整マニュアル」を作成、公表する」とした。

    カサ上げを行えば生物の選択者同士でも、修正点数の伸びと総得点の差によっては、総合得点が逆転することが起こり得る。例えば、Aは修正前で生物80点、総得点は710点、Bは生物45点、総得点700点で、Aが10点上回っていた。ところが、生物の得点を修正すると、Aの得点が89点止まりに対して、Bの方は26点アップの71点。総得点でBはAを7点上回る。

    なぜこのような現象が出現したかといえば、用いた修正式では、生物や物理の得点が低いほど修正得点の伸びが大きく、逆に得点が高いと伸び率が鈍るためだが、これなら0点でも生物、物理はいずれも修正式で45点以上加点され、100点だとまったく加算されないことになる。この事実を知った高得点者はショックであろう。なんのために生物を頑張ったか…。

    「得点カサ上げ」問題は、これまでにも理科、社会の中での科目による平均点の違いが問題にされてきたが、「許容範囲内」ということで特別な修正措置はとられなかった。が、ついに文部省は、このままでは共通テストの不信感を拭えないとして、得点修正基準を明確にすると発表した。「その都度知恵を絞り、その都度合理的と思える方法でやるしかない」

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    と加藤氏がいうように、完璧な入試制度はあり得ないが、不公平の是正に目をつぶっているのは断じて許されない。いろいろな歌手に歌われる、『死んだ男の残したものは』という曲がある。谷川俊太郎の詩に武満徹が曲をつけたものだが、ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられ、友竹正則によって披露された。

    倍賞千恵子、本田路津子、森山良子で聴いたことがある。各節で、死んだ人たちや歴史の「残したもの」が2つずつ列挙されるが、その2つ以外に残したもの、あるいは残っているものは何もない、という内容の歌。さて、「共通一次」が残したものは何であるか?いろいろ挙げたが、入試の改善というのは、いかなる趣旨を込めて始めても副作用を伴うという事実。

    試験とは入れるためというより、落すためと奇問、珍問、難問、愚問をまるでクイズやパズルのように考えた出題者に、痛快さや楽しみはあったろうが、これほどバカげたことはない。こんなものは当然にして通常の学習では太刀打ちできず、受験産業に出動願うしかないのは当たり前のコンコンチキ。100人の定員に対し、普通に勉強して200人の受験者全員が100点を取った。

    さてどうするか?に対する知恵がなさ過ぎる。人を点数だけで判断しようとするから、付け焼刃的な学力が受験産業で身につけようとする。どうしてこの程度を頭がいいといえるのか?ある心臓外科の名医は、東大理Ⅲについてこう言い放つ。「受験勉強は単にクイズができたで、医者の資質とは別物。東大医学部出身で尊敬できる方を、私は一人も知りません。」

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    そういえば、いつぞやの「最強の頭脳 日本一決定戦!頭脳王」という称号は、東大医学部生であった。東大医学部生だから人間的に優れてることはないと同様に、東大医学部生だから人間的にダメという事もないが、心臓外科医南淵明宏氏のいうように、「尊敬できる人はいない」というのはあってもいい。鳩山由紀夫を尊敬する人も、しない人もそれぞれだ。

    「バカだ!」と、いうより具体性がある。共通一次は受験産業が肥大化した以外は、高校での教育が正常に機能するような出題に変換できた功績はあった。そこの点は一定の役割を果たしている。高校と大学がバラつくことなく両者をつなぐ「標準」的な学力が、まがりなりにも定着した意味も大きかったようだ。デメリットも多いが重複するので省略する。

    が、補足でいうなら大学の格差や序列はかねてからあった。何も、共通一次が生み出したものではなく、偏差値をはじき出したのは受験産業である。序列を批判しながら、世間の大方は、本音では序列を求めているという二律背反である。小論文や面接の割合を多くし、推薦入試、特別枠のAO入試も、受験戦争の改善であろう。が、それはそれで問題を生む。

    小保方晴子の問題でAO入試が一段とクローズアップされたのも事実。彼女は早稲田大学応用化学科にAO入試第一期生として入学した。それを知る者の多くは、STAP細胞が発表サれた時は、こぞって「AO入試も悪くない」という意見が乱舞したが、「やっぱしAO入試はアカン」となった。これは、あくまで小保方個人の問題で、AO入試が悪いわけでもないのだが。

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    まさに、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」。池田信夫は辛辣に言う。「AO入試の一期生か。これで、「AOはバカ」という偏見も証明されるな」。池田はのけぞったところがあるが、バカは小保方で彼女はAO入試であっただけ。AO入試とは、アドミッションズ・オフィスの略で、「学力以外の視点で大学にふさわしい人物を募集する入試」として、70%の大学で実施されている。


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    イメージ 1加藤氏はいう。「私の前の東北大学長の本川弘一さんが、国立大学協会の入試改善調査委員会メンバーだった関係で、後任の私が後を引き継いだんですが、よく議論しましたよ。国大協があれだけまとまって取り組んだのは、入試改革が初めてではないか。共通一次実施の前に試行テストが二回。全国を行脚して趣旨を説明したし、国会にも参考人で呼ばれました。」

    定員がある以上、選抜試験はやむを得ない。共通一次がスタートした当時の国公立大学の入学定員は、全国で約11万人で、全大学の定員の4分の1弱であった。共通一次の受験者は、定員の約3.5倍であったから、受験者の3分の2以上が志望の大学に入れないことになる。このため、共通一次受験者の約四割は前年の再出願組、つまり浪人で占められてきた。

    私立を含めた全大学の受験者総数約80万人のうち、23万人が浪人で占められた。この数字は、希望する国公立大学にストレート(現役入学)で入ることが、いかに容易でないか、狭き門であるかが理解できるだろう。この弊害を緩和するために生まれたのが、「分離・分割方式」である。国立大学は1987年以降、A・Bグループに分かれ、別の期日に試験を行ってきた。

    しかし89年、共通一次最後の年に関西の一部の大学が入学定員を前期・後期の2つに分け、Aグループと同日程で行う前期の試験の合格者には、発表時に入学手続きをとらせる方式を取り入れた。これが分離・分割方式と呼ばれるものである。97年度から全ての大学が同方式に統一された。制度が複雑になるにつれ、受験生の不満も「分かりにくい」などと増大した。

    大学と言うところも所詮は弱肉強食であり、成績優秀な人間が合格する。これは一見当たり前のように見えるが、成績優秀者が、真に学びたい者かといえばそれは違うだろう。心からその大学で学びたいと、そういう人が排除されるシステムは決して良くはない。そうした中での分離・分割方式は、チャンスが増えるという期待より、制度の複雑化への反発が強かった。

    制度が分かりにくいとの批判も多かったが、二次試験の分離・分割方式は、受験機会の増加に繋がる点で評価できる。受験生は有利な方法を選べばよいのだが当時の新聞社説には、共通一次のほころびを繕うため毎年のようにコロコロ変わる、"猫の目入試"と揶揄された。土師政雄という名を知る人もいるだろう。彼は、政治運動家、予備校講師という肩書きを持つ。

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    小田実らと「ベ平連」で活動もした土師は98年に他界。代ゼミ、河合塾、駿台の教壇に立ち、受験指導もした。元通信添削Z会の数学主任や、旺文社の、「大学受験ラジオ講座」の講師も務めた彼は、現代の学校教育に疑問を呈し、若者が受験戦争を勝ち抜くために良い点数を取る方法のみを求め、学ぶこと、知識を得ることの本質を見失っていると嘆いていた。

    世田谷の自宅離れを若者たちに開放し、「微積分の会」、「脱・学校の会」などを主催。権威と無縁の気さくで優しい人柄で慕われ、沢山の若者達が集った。若者達が集まっていると静かに現れ、椅子に座り、年齢差に関係なく誰とでも親しく話した。悩んでいる若者や居場所が無い若者の相談にものった。彼を慕い、土師宅の傍にアパートを借りて足繁く通う者も居た。

    そんな土師は共通一次の終焉には溜まりかねた批判を述べていた。「共通一次は、大学の自治の破壊であった。どんな学生を入学させるかは大学にとって重大な問題で、入試方法は教授会の議を経て学長が決めることに法律(学校教育法)はなっている。なのに、何の権限もない任意団体(国立大学協議会)の決定に従って、共通一次試験の実施が行われたのだから…」

    共通一次の実施案が出たとき、彼は様々な弊害を指摘し、反対を唱えた。その彼が、「予測通り、いや、予想以上に事態は悪くなっていた。問題の一つは、入試センターが得点を本人に教えず、どんな得点の人がどの大学を志望しているかのデータを全く公表しないこと」。土師のいうように、国はその役割を受験雑誌出版社や、大手予備校などの受験産業に委ねた。

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    共通一次は全国規模で行われ、その膨大なデータは指標としての信頼性を高める。どれだけ多くの受験生を模擬試験会場に集め、適切な進路判定資料を提供することが、予備校のステータスシンボルになった。予備校の講師でありながら、共通一次による大手予備校の中央集権化、系列化の加速を問題提起するところが、表裏のない土師らしいところ。

    共通一次以前は、地方の予備校や高校も地元大学の豊富なデータ資料を持っていた。我々の時代には日本を各ブロックに分けた一斉テストがあった。中国地方の自分は、中ブロ(中国ブロックテスト)と言ったが、共通一次によってすべての国公立が「全国区」になり、これでは地方のデータは役立たずで、大手予備校の系列に入って情報をもらうしかなくなった。

    この結果、中小予備校は大手に吸収されたり廃業となった。さらに大手予備校は全国の進学校の全てをデータに取り込み、データ提供することによって、壮大な受験ネットワークを完成させた。受験生と大学を偏差値によって細かく格付けし、分配するシステムがこうして生まれた。莫大な収益を誇る情報産業が、共通一次という悪害によって生まれたことになる。

    土師は、「漁夫の利」を得て巨大化した受験産業だけを批判したのではない。「偏差値による序列化をすべて受験産業のせいにするのはお門違いです。もともと全国の受験生に同一テストを課する共通一次こそが、序列化を志向するものだった。大学入試センターはその非難を避けるため、データ提供を受験産業に任せた。データが無くて一番困るのは受験生ですから。」

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    共通一次前の予備校と、後の予備校は大きく変わってしまった。かつての予備校というのはいい意味での市場原理が働いていて、公教育では得れない、ある種のゲリラ的な優れた教育もできた。元来、私塾というのはそういうモノだったはず。ところが、共通一次のデータ提供で一躍、"花形産業"にのし上がったあげく、子どもを管理・分配する受験ブローカーとなる。

    予備校講師時代の土師は自らを本格派と自負していた。「私は生徒に、"解法のたたき込み"をしないし、しようと思ったこともありません。それならとっくにこの仕事から足を洗ったでしょう」。数日前に野坂昭如が世を去った。野坂も土師も映画監督の大島渚も小田実も、いわゆる焼け跡派と呼ばれる世代だが、彼らには「義」のなんたるかが明確に存在した。

    土師は別として、小田や大島より野坂が好きだった。彼らはみな物怖じしない人たちだが、なぜに野坂が好きであったか、自分でもよく分からないでいたが、田原総一郎が上手く代弁してくれた。「空気を読まなければ生きていけない日本社会にあって、野坂さんはあえて『俺は空気が読めないんだ』と言い切り、何にも縛られない自由な生き方をした人」と、哀悼の意を表した。

    なるほど、確かにこれかと。「場」がどこであれ、「相手」が誰であれ、腹に一物隠しだてせず率直にやりあう。大島の記念パーティーの壇上で彼にパンチを食らわせたのも野坂である。彼らに共通の怖いものナシ的性向だが、野坂は小田や大島のように言葉を荒げることなく、朴訥とした中に雄弁さを秘めている。質素な話ぶりながら説得力ある言葉を披露して見せてくれた。


    印象にのこる彼の発言は、89年7月放送の『朝まで生テレビ』、「人権と部落差別」と題した多くの部落関係者との議論の中での言葉。「僕は差別というのは永遠になくならないと思っている。なぜなら、人間は差別されるのは嫌だけれども、差別するのは大好きですからね」。世の中は「差別はよくない」、「差別をなくそう」一色で、番組もそういう趣旨であった。

    にも関わらず、「差別なんかなくならない」と平然と言い切った野坂の説得力は、まさに図星であった。場は一瞬静寂となり、誰も野坂に反論しない。まともな頭脳を持つものなら、斯くも歴然とした事実になど反論できるはずがない。正義漢ぶった無用な虚言を弄すものなど、あの場にいなかった。野坂は自分が一体どこまでやれるかを、常に試していた人に違いない。

    「俺にできないことなど何もない」、結果はともかく行為においては率直で自信に満ち、虚勢を張るような小物ではなかった。彼を生き方の指針とする部分は自分にある。土師(1925年9月27日 - 1998年6月9日)が逝き、小田(1932年6月2日 - 2007年7月30日)が逝き、大島(1932年3月31日 - 2013年1月15日)が逝き、終に野坂(1930年10月10日 - 2015年12月9日)も逝った。


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    土師はいう。「受験生の学力が落ちているというのは、予備校のほとんどの先生の一致した意見です。学力と言うと、そもそも学力とは何ぞやと反論されそうだが、ここで言ってるのは単なる点取り能力。つまり、点を取る力がない。世間では知育偏重というが、知育さえない」。マークシート方式の共通一次試験は、"点取りゲーム"に強い子どもを量産したといわれるが…

    土師の言葉は予備校講師として現場で生徒に携わる者の感想である。点取りゲームに強い子が点を取れない状況は、年々低下の一途を辿っているとまで土師はいうが、なぜそんなことになったのかについて、土師はこう分析する。「共通一次は偏差値、即ちテストの成績を絶対化した。競争に勝ち残るために、子どもは小さい頃から塾や学校で点取り練習に明け暮れる。

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    だがそれは、問題を解く方法の暗記に過ぎない。私の専門の数学の場合はそれが特に顕著です。中学くらいまでは暗記だけで何とかなるが、高校以上になると問題が複雑になり、暗記だけでは手に負えなくなります。なぜそうなるのか、を考える暇もなく解法を覚え、問題に素早く反応し、答えを出す訓練だけを施された子どもは、ここで壁にぶつかるんですね。

    これは数学以外の科目に関しても似たような問題は起きています。今も、非常によくできる子はいますが、ごく少数です。逆にできない子の層が広がって、得点力もどんどん落ちています。」解法の理由を考えることなく丸暗記に精出す子どもたち。土師はそこに今の日本の管理教育の断面をみる。だから彼は解放をたたき込むことはしない。してそれを本格的な講師という。

    小中学校のツケが高校に来て壁にぶつかるというなら、小中学校から先を見据えて指導しなければならないことになる。昨今、人気の予備校講師は、「今でしょ!」という言葉を流行らせた。が、土師の言葉を借りれば、「今でしょ!」ではダメで、「先でしょ!」になる。教育は常に先を見据えて行うもので、だから「かわいい」、「かわいい」を抑止できる。

    可愛い時期にこそ厳しくしなければ時期を逸することになる。根拠も告げずに校則を押し付ける学校も、教える内容についても、「意味など考えなくていい。つべこべいわずに覚えりゃいいんだ」の押し付けも、何ら変わりない。土師は自分の知るある東大生について、「彼はどんな数学の難問もたちどころに解いてみせます。いや、それは私がみても怖ろしいくらいに…

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    けれども、『なぜそうやるのか』と聞いても、『そうやればいいんじゃないですか』しか答えない。答えられないのです。無数の解法が頭にインプットされただけのコンピュータのようなものです。解法の意味はインプットした人間に聞いてくれといってるんでしょう」。土師の懸念は想像し得るが、残念ながらその東大生は、彼の今の現状で生きて行く以外の道はない。

    つまり、今さら善悪など言ったところでどうにもならないのだ。怖ろしいかなこれが教育だ。決して後戻りはできない…。土師は東大卒だが、付け焼刃東大生を嫌った。土師の予備校での授業も彼の理念に沿ったもので、受験生の中には、「土師先生の授業で初めて教科の面白さに目が開かれた」という生徒も少なくない。子どもにも分かりように言えばこういうこと。

    π(円周率)は3.14と誰でも暗記している。が、円周率とは何?率とはどういう意味で、3.14とするのはなぜか?との問いに答えられる子どもはいない。大人に数人聞いたが誰も答えられなかった。つまり、大きな木を切らずに直径を知るとき、円周径を測って3.14で割ると直径が出る。言い換えれば、円の周囲は直径の約3.14倍。3.14とはそういう意味である。

    この意味を知らなくとも何ら差し障りないが、知ると面白い。それが学問であろう。土師は予備校文化をこう回想する。「昭和40年代から50年代の初頭まで、私のいた代々木ゼミナールは、高度の教育機関でしたよ。そこには予備校文化というものが花開いていました」。それを破壊したのが共通一次で、原理・原則から教える土師に活発に反応する生徒は激減した。
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    ゆとりもない、余裕もない、そんなせちがらい受験生は即効性のハウツーばかりを知りたがる。ある時生徒に、「先生、原理はいいからやり方(解法)だけ教えて下さい」と言われて腹が立ったのか、「原理がわかりゃ、やり方なんかナンボでも出てくるんだけどね~」といったのだが、そんな土師のとろい授業に予備校側も解法の叩き込みを指示してきたという。

    それで土師は21年間勤めた古巣を去る。受験戦争は厳しさを増すばかりだが、彼は受験生にこう呼びかけた。「大学に入るために自分を壊すのは愚かなこと」。点取り虫に果たしてこの言葉が通じたかはさて、土師の理念は、時代の求めないものであったのは事実。昨今の人気講師は、「今でしょ!」に代表される、今が大事、今が良ければすべて良しのようだ。

    受験生の変質に対応して、予備校の教え方も変わってきた。「以前は、私と同じような理念を持った講師も多かったんですけどね」というが、手っ取り早い言い方をするなら、時代の求めるニーズに合わない講師はクビになるだろう。「学問とは何か?」というこってり料理より、お茶漬けさらさらと立ち食いするのも、お腹がイッパイになるのは同じという考えである。

    「信念で時代を生きるか、時代に順応するか」。よくある命題だが、正しい答えは自分の中にしかない。信念とは流行り、廃りのものではないし、他人に否定されても動かざるものであるから、それでクビになっても文句は言うべきでない。どうしても食い扶持が大事なら、たとえ白いものを赤だといわれても藩主(経営者)に従うしかない。それが答えだと思っている。

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    さまざまな場面、局面で、どちらがいいかという相談も受けるが、他人に言う正しい答えと言うのは実は難しい。自分なら即断できるほどに簡単な問題でも、他人は自分ではないし、その後のフォローなど一切合切含めて、「こうしたらいい」というのはよろしくない。正しいことであっても、よろしくない。全ては自分が決断するのが、「正しい」という答えになる。

    土師の理念も思いもよくわかるし、彼の考えは正しいと自分は考えるが、彼が時代のニーズに合わせた片手間な講師になりたくないのは彼の思いで、それを正しいと認めさせるには、経営者、保護者、生徒の考えを転覆させなければならない。歴史を見れば多くの人が信念を理解されずに去っていった。子どもの頃、ガリレオは信念を曲げる卑怯でズルイ男と思った。

    今はどうか?ガリレオは卑怯でもなく、ズルくもない。馬に念仏を唱えるようなバカげたことをしない賢者であったと思っている。他方、ソクラテスは死して名を挙げたが、彼をバカという者、信念の人と思う者、さまざまであろうが、自分が思うに、彼の死は彼自身の納得行く死である。他人が何を言ったところで彼が決めたことであり、彼にとっての善は周囲には関係ない。


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    土師政雄、小田実、吉川勇一の3人はべ平連の同士でありながら、代々木ゼミナールの講師であった。ヴァン・ヘイレンは知るが、べ平連とは何?という世代も増えた昨今だ。べ平連とは、「ベトナムに平和を!市民連合」の略で、日本のベトナム戦争反戦平和運動団体だった。べ平連はともかく、土師、小田、吉川の3人は代々木ゼミナールの顔であった。

    代々木ゼミナール、河合塾、駿台予備学校を三大予備校といい、設立順に河合塾(1955年)、駿台予備学校(1956年)、代々木ゼミナール(1957年)となる。共通一次が始まった1979年から80年代は予備校全盛時代。特に三大予備校は、競って全国に校舎を建設し全国制覇へ向けしのぎを削っていた。これを、3校のイニシャルをとってSKY(スカイ)戦争と呼んだ。

    当時の予備校には名物講師がいて、駿台には、元東大全共闘議長で物理科講師の山本義隆、同じく元東大全共闘で生物科で後に医系小論文科講師の最首悟、また関西の駿台には、元大阪市立大全共闘議長で英語科の表三郎がいた。名古屋が本拠地の河合塾には名古屋大全共闘で国語科の牧野剛。そして代ゼミには上記の3人が群を抜いて人気を分け合っていた。

    小田の英語の授業は、その時々の英字新聞ニュースを題材にした英訳や、その問題の本質を解説するなど、それを聴くために他の予備校生らがもぐって来るほどの人気だったし、吉川はベーシック英語、土師はベーシック数学を担当、その教科の不得意な生徒を集めた授業だが、その解りやすさには定評があった。代ゼミは彼らを使い、他の予備校にはない試みを展開した。

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    こうした代ゼミの文化戦略的な動きは、高校生たちの間でも話題を集めるなど、生徒集客に大きな役割を果たしていた。そんなこともあってか、予備校の授業は大学よりおもしろいとさえ言われ、予備校の人気講師の授業は大教室が超満員で、いつも生徒が溢れていた。小田らは著名な文化人を招き入れ、その時々の問題になっているテーマで講演させるなどした。

    また、音楽コンサートや映画上映などのイベントも行ったりと、若者たちに受験勉強という枠に捉われない政治、経済、文化芸術などの知識・教養を与えていた。この時期の予備校は高校や大学にはない独自の文化空間を創っていた。しかしここ数年の18歳人口の減少と大学全入時代を迎えて浪人生も激減、業界トップの代々木ゼミナールは縮小・撤退を余儀なくされた。

    2014年8月20日、代ゼミは一挙に20校を閉鎖して、7校のみを存続させる決断をしたのだ。代ゼミショックとでも言っていい、問題の本質は何か。さらに、この撤退戦が、予備校をはじめとする教育受験産業の未来をどのように物語るのか。我々には見えない。元予備校講師(河合塾)で、現在は教育ジャーナリストである後藤健夫氏の分析を軸にいろいろ考えてみる。

    代ゼミの校舎撤退は2007年3月の千駄ヶ谷校から始まり、2008年には横浜校が3つの校舎を1つに集約、余った校舎は近隣のビル立て直しの一時避難場所として使われた。京都校の隣にあった別館は、10年10月に1泊3万円もする「ホテル カンラ京都」になっている。校舎がホテルになったのを観た大学関係者は、「ああ、ほんまにホテルになったんや」と驚いた。

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    というのも、代ゼミが駅前の一等地を手に入れ、校舎を建てていったのは、創業者である高宮行男氏が、将来はホテルに転用したり、商業ビルにすればいいと考えていたからだと言われている。これは業界では有名な話で、佐野眞一著『昭和虚人伝』(文藝春秋)にも掲載されて話題となった。代ゼミはつまり、7年間かけて少しずつ「校舎撤退」を進めてきたのである。

    ある雑誌の編集長は、「代ゼミといえば大きな教室がいっぱいになるイメージだったのに校舎閉鎖ですか」と驚きを隠せないようだが、無理もない。今の40代から50代前半の多くは予備校世代であり、講師も生徒も共に予備校文化を形成してきた。そんな予備校隆盛期のイメージは抜けない。が、時代は少子化、AOや推薦といった非学力型選抜試験で大学入学を果たす層も多い。

    大学全入時代といわれる昨今、あくせくと勉強をして大学に入るような層は、少数派である。特に私大文系は、格段に入りやすくなり、難関私大を狙う一部を除けば、現役時代にわざわざ予備校に通わなくても済む。それが今回の校舎撤退に結びついたと後藤氏は言う。つまり、これから先は模擬試験を展開しても事業としてうまくいかないと判断したのも一因でもある。

    代ゼミの見極めの速さは、創業者高宮行男氏のルーツの影響か?後藤氏は言う。「私の大学受験は共通1次とともに始まった。現役では志望校に入れず、地元名古屋の河合塾で浪人生活を送った。ちょうどその年に、代ゼミが名古屋にきた。「有名講師が新幹線でやってくる」がウリ文句。小田実ら有名講師陣が、東京から新幹線で名古屋駅裏の校舎に授業をしに来る。

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    校舎も河合塾に比べれば綺麗。もちろん新築で、1階にはエスカレーターがあり、女性職員がきれいな立ち姿で浪人生を迎える。これは思春期の男子生徒を刺激した。代ゼミの名古屋進出は、河合塾が駒場に校舎を作り東京進出を果たした返礼であった。SKY戦争と呼ばれた大手予備校3社の開戦の発端であり、その後、各地で局地戦が展開されていった。

    関係者に送付された代ゼミのリストラ通知の文面には、「少子化に伴う受験人口の減少と現役志向の高まり」の中で、「これまでのサービスを維持することが困難となり、全国一律の校舎運営、事業展開を根本から見直さざるを得ない状況」に立ち至ったと書かれているが、後藤氏は、「代ゼミショックの本質は、"私大文系からの撤退"を宣言している」と読んでいる。

    理系の駿台、国公立の河合塾、私大文系の代ゼミといわれているが、今や私大文系は、AO入試や推薦での入学者が多く、一部の難関大学を目指さないのであれば、わざに予備校に行ってまで勉強をすることもない。また、今後は「正解のない問題」をいかに解決するかが求められ、「唯一の正解」を問うことはいかがなものか、と価値観が劇的に変わっていく流れにある。

    後藤氏の考えに即せば、「教え込み」の代ゼミと言われたスタイルも時代にそぐわないものとなる。1984年から92年のピークに向けて、予備校業界では「ゴールデンセブン」(現実にはエイト)と言われた18歳人口の大幅増加期があった。共通1次試験の実施で模擬試験の需要が増したことで、予備校は全国規模での校舎展開を始めた。そんな予備校も「盛者必衰」か。

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    受験産業に限らず、ヤマハや河合という二大ピアノメーカーも少子化で売れ行きが激減している。他にも子どもを当て込んだ筆記具、文房具なども衰退産業となった。12月初めに発表された硬筆色鉛筆製造中止には、アニメーターから不満の声が続出した。三菱鉛筆、トンボ鉛筆、倒産したコーリン鉛筆なども、ヤマハと河合の販売合戦も競ったことで伸びていった。

    予備校もデータ収集や解析だけでなく、どこの予備校の玄関先の掲示板にも、国公立大の共通一次の問題文コピーの横に、赤い紙片が何枚も添えられ、「的中」の二文字が躍っている。この予備校が行った模擬試験と同じ問題が今度の共通一次にでたという。このように生徒集めに凌ぎを削る予備校にとって、「問題当て」は、何よりのセールスポイントに他ならない。

    これが学力かと訝るが、問題が多く解ければ学力なのだ。まあ、ある予備校では問題を的中させた教員にはご褒美があるというが、経営者としては出したくもなるだろう。一題につき10万円の金一封を出すというところもあるほどだ。さながら教育に名を借りた地名当てゲームならぬ問題当てゲーム。理科や社会は出題範囲が限られ的中し易く、国語や英語は当たらない。

    現代文を当てるのは至難と思うが、それでも「当たった」という予備校もある。これは学力とは言えず、入試センター側は対策を講じている。ある年の共通一次で、国語に使用された政治学者の文章が、過去に私大入試やいくつかの予備校の模擬試験にそっくり出題されたことの反省から、国公立大四年生大学ほぼ全校から主要教科の入試問題をデータベース化している。

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    「夏目漱石」と引くと、何年にどこの大学が漱石のどの作品を使ったかが分かる。センター内部には受験産業の模試をデータベース化の意見もあったが、大学だけでも500校近いし手が回らないと判断された早々ニアミスが起きた。もはや類似出題に目くじらを立てる方がどうかという事にもなるが、公平を期する側からすればショックは隠せない。


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    「福武書店」という名を知る者はいるにはいるが、少ないかも知れない。「進研ゼミ」はどうか?こちらの知名度は高く、関わりを持ったものはいよう。「ベネッセ」と聞けばさらに知名度が上がる。が、これらはみな同じもので、福武書店が、「ベネッセコーポレーション」と改名し、上場会社になった。して、その中核が、「進研ゼミ」や、「進研模試」などの受験産業である。

    福武書店は、1955年1月に岡山市で創業者の服武哲彦が興した会社で、中学生向けの図書や生徒手帳等の発行を業とした。1962年に新規事業として、高校生向け模擬試験を始めたが、当初は地元岡山県やその周辺の学校を対象とした小さな事業規模であった。その後、複数校で相互にデータ交換し合う「合同模試」を開催するなどし、採用校を次第に増やして行った。

    1963年、高校生向け「関西模試」を開始、69年には高校生向け通信教育講座「通信教育セミナ」を開講(現「進研ゼミ高校講座」)する。73年、中学生向け通信教育講座「通信教育セミナ・ジュニア」を開講(現「進研ゼミ中学講座」)した。いずれもはじめは会員数500人程度のスタートであったが、試行錯誤を繰り返して会員数を拡大、基幹事業へと成長した。

    同年、模擬試験は「進研模試」と変えた。さらには、1979年の共通一次試験開始が福武書店全国展開の追い風となる。大型コンピュータの導入や、営業拠点を拡大するなど基盤を整備し、全国規模で拡大して行く。以下は、福武書店の当時の状況を伝える新聞記事。「山梨県内で最古の伝統を誇る県立甲府第一高校の進路指導室に、コンピュータの端末機が置かれている。

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    進路指導担当教諭がポンとキーボードを叩くと、画面には全国模試を受けた当校3年生の偏差値分布が折れ線グラフで表示される。もう一度叩くと今度は棒グラフに変わり、どの県から何人がどの大学を志望しているか、人数の多い順に表示される。生徒個人の成績も引き出せ、あとどのくらいまで学力が伸びるかなどの、予測までやってのけるという具合だ。

    当校の端末は450km離れた岡山市にある福武書店本社のホストコンピュータに繋がっている。福武書店は、小中高生を対象とした通信添削と模擬テストで急成長してきた。昭和50年代初頭、共通一次が始まる前の年間売り上げは40億円程度であったが、共通一次が終焉した平成元年当時の売り上げ高は、約700億円にも達していた。わずか10年で17倍もの伸びである。

    福武書店のオンラインによる情報サービスは、85年頃から始まり、4年間で全国で300校に上る勢いであった。日本全国で30万人を越える生徒が一斉に臨み、その一人ひとりに正確な順位がつけられるということなら、あらかじめ志望校を定めるためには全国レベルでの自分の実力を見定める必要がある。福武書店の最大の武器は、全国模試で集めた約40万人分の個別成績である。

    さらには、全国の進学校の成績、全国公立大の募集要項などもデータベース化し、瞬時に情報を取り出せるようにしたのが、上記、山梨県の高校のネットワークである。同書店の情報収集網は首都圏を網羅した。東京の皇居に近い「福武支店東京支社高校部情報室」には、10人のスタッフが常駐して文部省や大学入試センター、首都圏国公立大、私立大をくまなく回る。

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    そこで入手した情報が岡山本店のホストコンピュータに送られ、データは一層細かく補強されていく。おひざ元の岡山県立岡山朝日高校の進路指導主事はいう。「このデータなしに進路指導はお手上げです。校内試験の結果だけでは、全国の動向など読めるはずもありませんから…」。当時、大学への進学率が全国屈指であった岡山県内でも、同校の進学率はトップである。

    最後の共通一次も、3年生全員と、併設の補習科に通う浪人生百数十人が受験した。情報産業の先陣を切る福武書店の仕掛けた"情報戦争"は、受験産業にも大きな波紋を広げ、業界御三家の河合、代ゼミ、駿台も、コンピュータ利用で福武に遅れを取ったが、それぞれが高校と直結する独自のオンライン網拡充で巻き返す。ビッグ3は岡山を意識し、関西進出も積極的だった。

    福武書店に大手三大予備校を加えた受験産業による情報戦争は、共通一次の直後から始まったが、いち早く大型コンピュータを導入し、オンライン・データベース化の旗手となった福武書店は、80年に「小学講座」、88年に進研ゼミ幼児講座(現「こどもちゃれんじ」)がスタートし、通信教育講座は幼児から高校生までラインナップが揃い、さらなる拡大を遂げていく。

    89年には台湾に幼児講座を開講、アジア市場進出の第一歩を踏み出すなど、事業拡大を推進する福武書店は90年、フィロソフィー・ブランド「Benesse(ベネッセ)」を導入する。「Benesse」とはラテン語の造語で、「よく生きる」。以後、人々の「よく生きる」の支援を基本理念とし、グローバル化、少子高齢化という時代の流れを見据えてさらなる事業の多角化を進める。

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    ベルリッツの買収や、介護事業のスタート、現在の生活事業につながる妊娠・出産・育児雑誌「たまごクラブ」、「ひよこクラブ」の創刊もこの頃。95年にはすべての事業活動を企業理念と一体化させるため、社名を「(株)ベネッセコーポレーション」に変更しまし、大証2部上場を果たす。97年大証1部から2000年には東証1部に上場。05年、アビバを買収、子会社化する。

    その後、中国、韓国にも幼児向け講座を開設し、2010年の新中期経営計画を発表で、「教育事業分野で世界No.1企業を目指す」ことと、「介護関連事業を重要な成長分野と位置づけ、さらなる成長を目指す」ことをビジョンとして掲げ、グローバル化、教育の次世代化、シニア・介護事業の拡大を進めていた。そんな矢先、2014年7月、大量の個人情報流出事件が起こる。

    流出した顧客情報2070万件。これらは進研ゼミなどといったサービスの顧客の情報であり、子供や保護者の氏名、住所、電話番号、性別、生年月日など。ベネッセ側は、社内調査により、データベースの顧客情報が外部に持ち出されたことから流出したと説明。これにより、責任部署にいた二人の取締役が引責辞任。警視庁は不正競争防止法違反の疑いで捜査を開始された。

    捜査の結果、流出したデータは少なくとも3つのルートで名簿業者など約10社に拡散していたことが判明。ベネッセグループの情報処理系子会社であるシンフォームも派遣社員である当時39歳のシステムエンジニアが逮捕された。14年9月、ベネッセは記者会見を開き、顧客情報漏洩件数を3504万件と公表。個人情報漏洩被害者へ補償として金券500円を用意するとした。

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    35社が漏洩した個人情報を利用しており、事業者に対して情報の削除など利用停止を働きかけていると説明した。ベネッセは通信教育事業において、乳幼児の発達段階に合わせた商品や、小中高生用の進研ゼミ(小学講座・中学講座・高校講座・難関私立中高一貫講座・東大特講・京大特講)などを展開するも、激変する教育環境に対応する商品・サービスに余念がない。

    「ゆとり教育」などの教育方針の転換などに合わせた教材に力を入れるなど、教育のベネッセ」として事業強化を多角的に推進するなど、教育事業の業績は好調である。その一方で、顧客情報を元にダイレクトメールを送付するダイレクトマーケティングに力をいれているが、批判意見もある。ベネッセのダイレクトメールにかける経費は年間255億円と膨大だ。

    これは日本企業において最高額で、大半が進研ゼミの入会案内・勧誘である。同じ学年でも、男子用・女子用で別々に、また47都道府県別の受験情報など、何十種類もの内容のDMを用意する戦略が、「5人に1人が進研ゼミ受講生」というほどの驚異的な会員数の増大に繋がった。かつてはDM送付のために住民基本台帳をを閲覧していたが、2005年10月をもって閲覧を中止した。

    資料請求申請をしていないにも拘らず高頻度でDMを送り付ける戦略には、プライバシーや森林保護などの観点より、激しく批判する保護者や生徒も少なくない。時にはすでに亡くなった子供のところにまで送りつけてくる事すらある。こんなベネッセは悪徳商法では?と感じる人もいるけれども、これ如きでは一般的な悪徳商法の定義に入らないが、しつこさはある。

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    長々と共通一次について書いたが、本格推理小説『十角館の殺人』でデビューした綾辻行人は共通一次一期生。京都府立高校から京大へ現役合格、大学院で犯罪社会学を専攻した。その彼はデビュー直後にこのように述べている。「豊かな時代に育ったからこそそれを失いたくないという安定志向は自分の世代に共通している。それと全国統一テストとは別な気がする。

    時代の雰囲気そのものだったのではないのでは?」。その他の当事者の言い分を聞く限り、「共通一次世代」というくくり自体に違和感を持つものが多い。確かに文部省が5年毎に行う日本人の国民性意識調査結果を見ると、78年で若い世代の「保守回帰」が騒がれ、5年後には決定的になった。東大新聞の調査でも、支持政党を答えた46%が自民党と答えたのも87年。

    確かに、「マークシート」、「偏差値」などを抜きにできない共通一次の制度は、「世代論」と結びつけられやすい面を持っていたといえる。若者はどの時代も「全共闘世代」、「団塊の世代」などの呼び名で世代的にくくられた。入試方法が若者像を理解するキーワードの地位を占めた10年は、後の世からもある特異性を孕んだ時期であったのは間違いないと自分は見る。


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    私が高校を卒業する頃、大学入試センターによる『国公立大学共通一次試験』と言う試験制度がありました。共通一次試験とは、高等学校の5教科・国語、英語、数学、理科(物理、化学、生物、地学)、社会(政経、倫社、日本史、世界史、地理)から7科目を選択し、マークシートで解答を行う1000点満点の試験で、国公立大学を志望者は、全員この試験を受けなければなりません。

    共通一次試験の後、受験生は志望大学で二次試験を受け、この両方の試験結果によって合否が決まりました。 この試験は、大学入試センターが試験の得点を本人に通達せず、本人が自己採点で自分の得点を推測し、その推測した得点を参考にして2次試験の願書を提出するのです。受験の翌日、予備校が発表する新聞発表の解答から、試験の解答の正誤を決めていくのです。

    自分自身のテストゆえについつい甘い点をつけてしまいがちですが、実際の得点が自己採点より低いと、合格の可能性が落ちるばかりか、大学に願書を出していても二次試験を受ける前に不合格を告知され、これを『足切り』といいます。とにもかくにも、受験生は自身の正確な一次試験の得点を知ることなく、二次試験を受けに行かなければならなかったのです。

    高校3年生の冬のある日、私は共通一次試験の会場である愛知県刈谷市の愛知教育大学のにいました。共通一次試験会場は受験生の家から適当な最寄りの大学が選ばれます。試験の最初の科目は「英語」です。答案用紙の第1ページ目に、試験の注意事項が記載されていますが、その裏側には印刷された第一問目の「発音問題」もうっすらと見えます。「始め!」 の合図がかかりました。

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    こうして、受験会場数百箇所、受験者数二十数万人、そして受験生達本人にとっては丸一日数時間に及ぶ、世界でも例のない史上最大の大学入学試験が、日本全国同時刻、一斉に始まるのです。数学の試験ではちょっとした事件があり、それは受験生は勿論、全ての予備校、受験産業関係者、高校教師らを驚かせる一つの事件でした。それがアスタリク「*」です。

    このアスタリクは共通一次試験でたった一度もつかわれたことがなく、予備校教師、高校教師達は「今後ともアスタリクが使われることはない」、と断言していました。ところがこの年、数学の線形代数学の試験で、初めて「アスタリク」が導入されたのです。何度計算をし直しても解答にアスタリクが出てくることに、私を含む多くの受験生パニックに陥ったハズです。

    私が必死で解答をやり直していると、試験官が私の解答用紙を覗きこみ、『ふう』 とため息をつき、(困ったもんだ)と言わんばかりに、首を振りながら後方に歩いて行きました。この何気ない試験官の振る舞いに、私はさらに動揺に陥ったのです。理系受験生に とって、数学はまさに得点を稼ぐドル箱であり、満点の200点を獲得することは予定の作戦なのです。

    が、何度も消しゴムでマークシートの解答を消したり、必死で取り組みましたが、この段階で私は冷静さを失い、この一問に必要以上に時間を費やし、ドル箱数学で惨敗を喫したのです。この一件は大学入試センターが、「アスタリクは使われない」、との不文律を打ち破る試みであったことは言うに及ばず。さらに試験官の振る舞いにも動揺をきたしたのです。「私は言いたい!」

    「何故私の受験の年にアスタリクを実施するんだ~!」

    「試験官、お前だ~!お前は試験を公平に実施するための審判だろうが!受験生を不要に動揺させてどうする!お前だ!お前が俺の大切な大切な得点を奪いとったのだ。断じて許さん!」

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    もう既に10年も昔の話です。今の私はあの頃の受験生の日々を懐かしく思い浮かべ ながら…、浮かべながら…、しかし、私は決して許さない!あの試験官を。昼休みが終わり、午後の試験は、国語、社会、理科。選択科目として社会では、「倫社」と「日本史」、理科では「物理」と「化学」を選択しました。そして私にとっても「悪夢の共通一次試験」は、理科の試験でした。

    私にとっては全般的に不調の共通一次試験でしたが、最後の「理科」の試験で、「やめ!」の号令がかかった時は精魂付き果てぐったりしていました。「これ以後、答案用紙に一切手を触れてはなりません。解答用紙が全て回収された後も、許可があるまで席を離れてはなりません」との試験官の声。ぐったりの私は受験生の基本中の基本をすっかり忘れていたのです。

    それは氏名及び受験番号の記入確認です。私がそのことに気がついた時、足元からゆっくりと体全体に冷たいものが上がってくるのを感じました。茫然とした目でゆっくりと教壇の方を向くと、まさに試験官が答案用紙をまとめて教室から出ていくところでした。「待ってくれ!」と今にも叫ぼうとする意思と、「答案用紙を確認させてくれるわけがない」と理性が拮抗する。

    それらが私を金縛りにさせたのです。 そして、その僅か数秒間に、試験官は教室を出て行ってしまいました。自分の一生がかかっている…。私は意を決し、試験場の総合センターとなっている教室のドアを開けるや否や、大声で叫びました。「すいません!私、理科の試験を、名前が、答案用紙で!」すると即座に、「落ち着きなさい!」との叱咤の返答がきました。 

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    眼前に、スーツ姿の大きな体格の男の人が立ち、その人は熊のように大きい体をしており、なのに静かな目をしていました。「ゆっくり深呼吸して…」。私はその人に言われた通り、ゆっくりと深呼吸を5~6回繰り返しました。そして 、自分の気持ちがゆっくりと落ち着いてくるのを見計らったように、その人は少し微笑みながら私に尋ねたのでした。

    「どうしたのですか?」

    私は事情を説明し、対処を懇願しました。その人は、私の名前と受験 番号を聞くと、出来るだけのことはするといいました。「でもね、何も出来ない公算の方が大きいことを覚えておいて…」。受験生の私にその言葉の意味は分かりました。このようなことが認められるなら、『問3の(4)の解答を書き間違えたから直したい。』と言う無茶なお願いも通ることになります。

    「はい、わかっています」。その言葉と御礼を言ってそこを出ました。受験の翌日、予備校発表の解答を見ながら自己採点をしました。理科の自己採点もしましたが、理科を零点にする勇気はありません。自己採点の結果を予備校のコンピュータに入力したところ、第一次志望の大学に高い合格率が示されました。私は迷った末にその大学に2次試験を出願を決め受験しました。

    結果は、落ちました。2次試験の結果は決して良いとはいえませんでしたが、不合格の原因の特定はできません。理科が零点だったのか、数学の「アスタリク」なのか、あるいは2次試験だけが問題だったのか。この10年間、何度自分に問うたことでしょう。誰も答えてくれません。唯一答えは、大学入試センターのコンピュータデータ管理室の中に眠っているのです。

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    そしてこのデータは、統計解析用の1データとしてのみ利用され、永遠に知ることはできないのです。入学試験というのは、自分が自分の得点を知る事ができない試験であり、その結果を、合格・不合格と言う形で知らされます。合格をした人、そうでない人、試験が終れば結果だけが残り、過程に意味はありません。試験制度に矛盾を感じますが、これが競争社会の原理です。

    全ての結果には原因があります。もしこの世で一つ願いが叶うなら、許されるならば、結果は享受するのして、原因を知りたいのです。多くの時間と労力を費やした、自身の青春の結果を、知らされないのはあまりに不条理では?受験の神さま、どうか教えて下さい。「私はあの答案用紙に、名前と受験番号を記入していたのでしょうか?」(ある投稿記事を簡略・加筆・修正した)

    一読した感想をいうなら、人間は自身の仕事における評価もさることながら、その評価に至った規準と言うのか、要因と言うのか、原因というのか、をもっとも知りたいと思う。昨日、広島カープの黒田博樹投手(40)がマツダスタジアムで契約更改交渉に臨み、2億円増の現役では最高年俸となる年俸6億円プラス出来高払いでサインした。黒田は記者会見でこう述べた。

    「想像以上の評価をしてもらった。成績だけでなく、いろんな部分でチームにとってプラスになったと言ってもらった」。言うまでもない、彼のキャリアは7年間のメジャーリーグ成績も含めて素晴らしいといえる。多くの選手がお払い箱になって里帰りする中、黒田は高年棒を蹴って日本に帰ってきた唯一の選手である。カープファンならずとも世間はそれを「男気」と称した。

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    良いにつけ、悪しきにつけ、他人の評価は気になるところだ。恋人から一方的に関係の終焉を告げられても、言われた側は、「なぜ?」ということになろう。が、自分はある先輩から聞いて納得した。「こちらの都合(理由)で女と別れるときには、アレコレ言うもんじゃない。君の何がいけないとか、気に入らないとか、そういうことはいわず、悪者になればいいんだよ。」

    それが「男気」だと分かった。四季の移り変わりがあるように、愛の終焉は自然の摂理だが、どうせ別れるのなら、別れ際にゴチャゴチャ言ったところで相手にプラスにならないことは言わない方がいい。アレコレ言って、落ち込んで、気にする女だっている。「結果」の「原因」は必然だが、「飽きた」は絶対に不言であり、これほど人を傷つける言葉はないのだから。

    「別れ上手は、恋愛上手」という。「君には自分よりもっと相応しい相手がいるよ」と、カッコつけるのもダメ。これほど理不尽な言葉はないよ。もっとも適切な言葉は、「勝手を言って悪いけど、他に好きな女ができたんだ」。このように言われれば成すすべなく、どうにも打つ手がない。女は罵るだろうが、罵られれることが「男気」なのだ。そして女は一人泣く。

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    多方面で活躍中の精神科医で国際医療福祉大学大学院教授の和田秀樹氏も共通一次第一期生であった。彼は当時をこのように言う。「灘高校という東大受験にはやたらに強い学校にいたので、その入試対策は万全と思っていたし、それなりの難問でも解けるように思考力や論述力は磨いてきたつもりであったが、易しい問題でミスが許されないのは相当のプレッシャーだった。

    当時の東大入試は最難関の理科Ⅲ類でも、合格者の最低点は66%位とされていたから、多少できない問題や、できない科目を捨てても合格が可能だった。それと比べると理科Ⅲ類の共通一次試験の足切り点は、9割とかひどい予想だと9割5分と言われていた。国語が苦手な上に当時は理系でも社会科2科目の受験が義務付けられていたから、他の科目のミスは絶対に許されなかった。 

    イメージ 1今でこそ、いい加減な人間の代表みたいになってしまったが、どういうわけか私は中学受験のころからミスの少ない人間だった。だから、自分よりはるかに頭のいい同級生より、中学受験のときも、大学受験のときも、模試では成績がよかった。 実際、同期のトップだった奴が、この共通一次試験で大ミスをやらかして、9割にはるかに足りない点しか取れなかった。

    どうせ落ちるんだったらと思って出願したら、その年は1回目ということで高い足切り点が予想された理科Ⅲ類の出願が、敬遠傾向で結果的に足切りがなく彼は二次試験で悠々合格した。こうした実情から、共通一次試験の導入で自分のようなセコイ受験生には有利になるが、本当に頭のいい奴とか理数オタクが東大に入りにくくなることに危惧を感じた。 

    和田は自身のブログで、共通一次試験とはなんだったのか、について朝日新聞社からの取材に以下のように答えている。「当時母校であった灘高は高2までに高校のカリキュラムをほぼ終え、高3は受験勉強に専念できた。そのおかげで、日本史であれば論述対策に新書を読むこともできたし、東京出版などから出ている数学の難問集にチャレンジすることもできた。

    それらから、公立高校の連中が高校のカリキュラムを終わらせるのにアップアップだったのだから有利なのは事実だが、それでも易しい問題でたくさん点を取らないといけない共通一次試験は脅威だった」という。やさしい問題に関しては普通の公立高校に負けるのではないかという不安もあったそうで、なんとも贅沢な不安だが、「結果的に、杞憂だった」という。

    どんな試験でも、試験というものは目の前に立ちふさがる壁に違いない。その壁が大きいものか、小さいものかは、試験が終ってみなければ分らないし、とにかく試験は誰であれ、一抹の不安はある。中高一貫私立高において最後の一年が受験対策であるなら、難関大学や高偏差値の学部にこそ有利で、和田の年度は理科Ⅲ類に現役で19人合格でダントツであった。

    以降も中高一貫校が東大合格者数や医学部合格者数で圧倒的に強い現実は変わっていない。これを集約すれば「歩留まり論」が出来上がる。つまり、東大理Ⅲなら中高一貫難関校⇒中学受験⇒進学塾、さらには小学受験⇒いわゆる幼稚園の"お受験"といわれる慶応のような超エレベーターシステムもある。和田は共通一次試験を以下のように総括している。

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    役人や学者が頭で考えた対策では、受験競争を緩和したり、地方の公立学校を救済することはできなかった。最近になって、一部の公立高校が高偏差値大への受験人数を復活させたが、これは当たり前のように勉強をさせた結果である。一般の子供の勉強量を減らすことで、公立がよくなるわけはない。私立は勝手に勉強をさせるから、格差は広がるだけなのだ。

    その後も、ゆとり教育を含めて、文部科学省が理屈でこねくり回して成功した政策はない。共通一次試験が始まる直前に、東京教育大学が筑波大学という形で追い出され、文教政策を東大が握るようになった。しかし、東大の教育学部の教授で現場経験のある人間はいない。モデル校の東大付属でちょっと実験授業をやって自己満足している人ばかりである。

    こういう人間たちが教育の世界でヘゲモニー(覇権)を握り、失敗しても反省することなく、日本中の子供たちが、こういう教授たちの実験台をさせられ続けている。共通一次は、その後続く、文部省、文部科学省のヘボ政策のさきがけになった。そして、私は実験台の第一号になったことを再認識したのだ」。問題の多い制度であるがゆえに"実験台"と感じられる。

    そもそも共通一次は基礎的な学習の達成度を問う平易な問題が並ぶ。灘や開成などの難関高であれ、ここで一定の点数を取らなければ2次試験には進めない。東大中最難関の理科Ⅲ類を志望し、高度な過去問を頑張った和田にとって難問を解く思考力より、5教科7科目をまんべんなく、ミスをせずに解答する力が要求される共通一次は、何の意味もなかった。

    イメージ 3和田の懸念したような極端な「足切り」はなく、彼は現役で希望学部に合格できたが、共通一次が従来の試験より優れたものだとは思えず、「役人の思いつきの制度いじりに振り回された」という感情は今なお残っているという。ただ、受験生の視点とは別に、共通一次試験に対する世間の期待は大きかった。試験初日の産経新聞夕刊は、1面でこう解説している。

    「『共通一次』は特定の大学、学部に志願者が集中するゆがんだ、"受験戦争"や、難問、奇問をなくし適正な出題で入試を行おうというのがネライ」と、これはこの場に何度も記したことでもある。とかく何事において、新しいものに対する期待値はあって当たり前だし、現存する国立大の1期校・2期校の区分を廃止し、入試を一元化する狙いがあったのも事実である。

    それまでの国立大入試は、3月上旬に行われる1期校、同下旬の2期校に分けられ、計2度の受験機会があった。ただ、東大をはじめ旧帝国大学が1期校に集中したこともあって、2期校は"滑り止め"と見なされがちで、2期校側は不満を募らせていた。そういった格差が、差別意識の根源にあるのは疑いなく、教育ジャーナリストの黒羽亮一氏以下のような見解まで示す。

    黒羽氏は、昭和45年に文部省(現文部科学省)の大学入試改善会議のメンバーとなり、共通一次導入の一部始終を見届けた人でもある。その彼が、「昭和47年に発生した連合赤軍事件の意外な影響もあった」と奇妙な見解をのべている。「あさま山荘事件」や、「連続リンチ殺人」で社会に衝撃を与えた連合赤軍のメンバーは、2期校出身の学生が多かった。

    同年3月に国会に参考人招致された横浜国立大学長(当時)の越村信三郎氏は、同大の学生が連合赤軍に走った理由を問われて、「2期校コンプレックス」を挙げた。この説明が文部省を入試の一元化へ動かしたという。当初、国大協は一元化のみ考えていたが、文部省や全国高等学校長協会などは高校教育課程に準じた統一テストを併せて導入するよう求めた。

    結局、文部省が中心となった周到な根回しの末に、「異なる2つの改革が一種の抱き合わせとして実現することになった」と、黒羽氏は振り返る。共通一次が行われた79年の日本は、高度成長が終わり、先進国としての地位を確立した時期。総理府の世論調査で自らの暮らし向きを「中流」とする回答が9割を超え、「1億総中流」と呼ばれる国民意識が完成しつつあった。

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    一方で高校進学率は74年に90%を超えるなど、横並び意識の中で高学歴化が進行した結果、同世代の大半が進学という同じレールの上で激しい競争を繰り広げる"受験戦争"に至ってしまった。端的にいえば、日本人の強い横並び意識の産物ともいえる。共通一次試験の導入で何が変わったのかについて和田は、「大学の序列化と公立高の地盤沈下」を挙げる。

    従来は東大入試に失敗した人の受け皿となることで、優秀な学生を集めて独自性を発揮する2期校も多数あった。しかし、国立大の受験が"一発勝負"となったことで、学生は大学を慎重に選択するようになり、結果として「共通一次という一つの物差しで東大を頂点とする序列が一層明確になった」と指摘する。「一番でなきゃ、2番もビリも同じ」という意識。

    村上春樹はこうした競争をくぐり抜けた勝者の戯画的肖像をエッセーで書いている。それは米国の大学で遭遇した、「会って一応の挨拶をした次の瞬間から、『いや、実は私の共通一次の成績は何点でしてね』と、滔々と説明を始める」日本の若いエリート官僚たちだった(『やがて哀しき外国語』講談社)。村上氏や共通一次世代外の人間にはなんとも奇妙な光景だ。

    「1億総中流」社会とは、「身分」や「階級」の解消であり、戦後日本のひとつの到達点であった。三種の神器といわれる家電製品にはじまり、どの家庭もクルマは所有した。エリートの身分証明が共通一次の点数に代わったのは、テレビの画面のインチ数の大きさ、ウチは軽ではなく普通車であるとか、さらに外車所有であるとかと同等の見栄の論理であろう。

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    過熱したものはやがて冷めていくのが道理であるように、灼熱の受験競争も18歳人口が04年を頂点に減少に転じたことで揺らぎを見せている。私立化した公立高も、元に戻りつつ「大学全入時代」は目前である。企業は大卒を有能者とはみなさない時代であっても、横並びの差異化に敏感な日本人は、薄給やリストラの憂き目に合いながら、それでも我が子を大学にやる。

    風俗で学費を稼ぐ女子大性が急増している。親がリストラで仕送りが激減したケースは女子大に限らないが、なぜ女子は風俗という安易な金儲け手段に走るのか?「女の子は綺麗にしなくちゃいけないし、お金がかかるのよ」というが、18歳の女の子が夢を叶えるために鉄工所で溶接工で働く『フラッシュダンス』という映画にすれば、甘えにしか聞こえない。


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    風俗で働く女子大生が増加えている。大阪市の一等地にあるマンションの一室が、その風俗店の待機部屋だ。20歳前後の女性たちが試験勉強したり、お菓子を食べたり。予約が入ると従業員に客の特徴を聞いて、バッグを手に部屋を出る。短大2年の女性(20)もその一人。高卒より上の学歴があれば、大きな企業に就職して貧困から抜け出せるのではないかと期待して短大へ。

    が、親から仕送りが滞り、精神的にも行き詰まり、週2、3回、ここで働いている。嫌だったが、お金が欲しかった。「貧乏なのに進学した罰」だと思った。短大の学費は年間約120万円。入学前に必要な費用は親戚や知人に借りた。学費の大部分は有利子の奨学金をあて、交通費や教科書代、生活費と借金の返済は、居酒屋のアルバイト代だけが頼りだったのだが…。

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    幼い頃、小さい会社を経営する両親と裕福に暮らした。小学生のとき両親が離婚。母親と2人暮らしになり、生活保護を受けた。母は代わる代わる男を家に連れ込んだ。親をあてにできず、高校の学費は食品会社の箱詰めなどのアルバイトで賄った。学費の心配に目をつむって進学を決断した。女子の進学の理由には他にも"良い縁談を望んで"という目的もないではない。

    良い縁談を求めて風俗嬢だが、こちらの履歴は公にならない。「学費を稼ぐために、この業界に入った――」は、風俗嬢の常套句といもいえるこの一言。かつては、顧客に説明し、同情を買うための営業トークととらえられがちだったが、昨今はその言葉さえが真実になりつつあるという。「ここ数年、普通の女子大生が風俗業界でバイトをするケースが非常に増えた」

    と語るのは、今年10月、『女子大生風俗嬢 若者貧困大国・日本のリアル』(朝日新聞出版)を上梓した作家の中村淳彦氏で、「親からの援助が減ったりなくなって、若者や学生の貧困は凄まじいことになっている。風俗は豊臣秀吉が日本で初めて作ったと言われているが、今は安土桃山時代以降の長い歴史の中で、女性がカラダを売ることが一般化している時代かも」という。

    親の収入の減り、大学の学費負担が困難となった上に学費高騰の追い討ちがある。そうした事態でさえ高卒就職は急減し、若者が大学へ進学する。こうしたネガティブな社会背景が重なり、生活に困窮する学生が増えてしまった。との見方もあるが、それも一元的な見方であろう。なぜなら、同じ境遇の女性(男性も)は、みな風俗に行くのかといえば、決してそうではない。

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    本当にどうしようもなく、やむにやまれず風俗というのはいつの時代にもあるが、そうではないのに、そのように思い込んで風俗に踏み出す女性は、風俗をやむにやまれぬ仕事と思っていないからだろう。でなくば踏み出せるものではないよ。時給800円のバイトより、時給30000円の仕事(売春)なら、少々嫌でも楽でいい。巷ではそれをオシャレに援助交際などという。

    醜悪な行為を言葉ではぐらかし、罪悪感を緩和するばかりか、自己正当化し自己を詭弁化する。やってることは同じでも、売春という言葉は抵抗あるが、援助交際なら抵抗がないなど言葉のまやかしでしかない。これを女の浅知恵という。男が見れば売春と何ら変わらないが、本人はそうでないと思いこんでいるところが低脳である。女は口実さえあればの動物だ。

    まあ、女の思い込みとはそういうもの。どんなに苦しくても、居酒屋やガススタンドなどで汗して働く女性も多い。風俗や身売りなど考えられないという女性は、それはそれで一つのプライドをもっている。言葉のまやかしや、汚いオヤジに身を任すなど想像すらできない、したくもない。女子大生風俗が顧客に受ける理由の一つに、「女子大生」という肩書きがある。

    「女子高生」ならもっと通いつめるオヤジもいるだろうが、残念ながら風営法では女子高生を禁じている。違法覚悟で雇う経営者もいるが、女子大生という肩書に加えて、若さもある。そんな「商品価値」を兼ね備えていることを彼女たちも知っている。だからか、高級ソープや高級デリヘルなど、単価が高い風俗店ほど、女子大生風俗嬢が出没する傾向にあるのだ。

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    居酒屋などは肉体的にキツイいし、顧客サービスに気も使うし、店長や主任からもうるさく言われ、それで時給800円である。小汚くて脂っこいオヤジといえども、チヤホヤ誉めてくれるし、こういう仕事は一週間もすれば慣れてしまうという。人間は楽に慣れたら最後、二度としんどい世界に戻れない。彼女たちがお金のために"泣きながらカラダを売る"など思う男もいない。

    何よりも店側が彼女たちを大切にし、大事にしてくれることを思えば、これほど清々しい仕事はないではないか。おまけに肉体的快感さえももたらせてくれるなら、一石三鳥であろう。一つ石を投げて三羽の鳥に当たるなど、そうそうあるものではない。そういうところに身を投じた女子大生が、卒業すれば一転、世間体重視の就職先を探す。まさに女は仮面で生きる。

    アレはあくまで学生時代の遊びと割り切り、二度と風俗に戻らない女性もいれば、OLになっても片手間に続ける女性もいる。問題は、どういうところに勤めてどういう仕事をしているかにもよるが、カラダを売って換金という経験をしているために世の中を斜めに見る力もついている。ブラック企業的な会社に就職をしてしまったなら、すぐに辞めて風俗に出戻ることはある。

    一度身を染めた怖さである。人間は誰も楽して生きたい。が、こういう見方もできる。風俗に応募しても、外見や肉体などそれなりのスペックがないと判断されたら、「ウチでは要りません」と断られる女子大生もいる訳だ。一晩悩んでカラダを売る決意をしたところで、供給過多では雇ってもらえない。となると、風俗嬢になれる女性はそれも一つの能力と言える。

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    正式なデータというより一つの傾向だが、貧困家庭に育った子ほど、なぜかNPOや福祉業界に興味を持ち、あるいはブラック企業に入社する傾向があるのだとか…。そもそもFラン大学は学費が高い。さらに、福祉関係の学部に進んでも、福祉・介護業界は賃金が安くて雇用条件も悪く、奨学金返済分の年収を得ることは難しい。ついつい高い給与、高条件に足が向くのだろう。

    風俗女子大生の取材やルポを重ねた中村氏はこう提言する。「進学を控えた高校3年生までに、人間は決して平等ではないことを知るべきですね。世帯収入が低い親に生まれてしまった若者は、勇気をだして、『昼間過程には進学しない』もしくは、『大学には行かない』という道を選択した方がいいでしょう。日本の9割の会社は中小企業、大学卒が絶対条件ではないんです。

    人生が制限される借金を回避して高卒で自分に向いている道を探し、社会の中で逆転することを狙うべきで、どうしても、勉強したいなら通信過程でもいいじゃないですか。むしろ、今のブラック企業だらけの状況で、奨学金で多額の借金を背負ってしまえば、人生の取り返しがつかなくなりますから」。まこといい提言だが、こういう正鵠を得た言葉に耳を貸す人も少ない。

    「貧乏なのに大学に行った罰」という言葉を吐いた女子大生も、風俗で働くのを「罰」などと正当化し、口実にしているだけ。「頭悪いのに大学へ行った罰で、退学することになりました…」なら分かるが、風俗を罰という詭弁が可笑しい。まあ、このような言葉を安易に吐く人間は、罰などとは思っちゃいないんだよ。本気で学問する人間からこんなセリフは出てはこない。

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    風俗の初歩、メイドカフェなんてのも名ばかり。10月8日、広島市内の歓楽街でメイドカフェ火災があり、同室から21歳の女性と36歳の男性顧客の焼死体が見つかった。常連客によると、1階は客が女性従業員と会話をしながら軽食するカウンター席、2階は客が1階で指名した従業員と一対一になれる部屋、さらに、シャワーやマッサージ台を備えた部屋があるという。

    メイドカフェもそうだが、近年は援交をエンコーといったり、キャバクラ、デリヘルと、オシャレな横文字言葉が目白押しだ。いずれも物事をはぐらかす。トルコ風呂がソープランドに変わったのは1980年初頭に東京大学在学の一人のトルコ人留学生の運動がきっかけだった。トルコ風呂がソープランドに変わったことで男が抵抗無く行きやすくなった?それはない!


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  • 12/21/15--16:17: 学力とは?
  • 誰でもいい。身近なものに、「学力って何?」問うてみる。すると、「よく勉強できる事」、「学問レベルが高い」、「学問する力」などの答えが返ってくる。「学力」とは何かをwikipediaでは、「人間の基礎的な能力の1つである。人間は、「学力」を駆使することによって、さまざまなことを経験し、その経験から新しいことを学ぶことができる」と記されている。

    学問や勉学の文字はない。学力の「学」とは、「学ぶ力」のようだ。学力を狭義に捉えれば、学校教育(就学前教育・初等教育・中等教育・高等教育)によって修得した能力ともいえるし、学校教育によって得ていなくても、学校教育で得られる能力と同質のものも学力とされる。したがって、「学力検査」、「学力テスト」などは便宜的な言い方であろう。

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    「学力とは、人間の基礎的な能力の1つ」との言い方は「なるほど」かと。様々な経験を積み重ね、その経験からさらに新しいことを学ぶ。そんな力である、と。そのように捉えれば、学力なんてのは誰にも備わった人間の基礎能力と言えそうだ。では、総本山文部科学省でいう学力とは何なのか、その定義については以下のような説明がある。

    文科省の捉える学力とは、思考力・判断力・表現力・問題解決能力・学ぶ意欲・知識技能・学び方・課題発見能力の8つの資質や能力をもつことだとされている。これらの資質や能力は、社会を生きる子どもたちにとって必須のものという文科省の考えのようだが、「学力」という言葉の持つ意味が、かなりの広範囲であることがわかる。

    我々は日常、「学力」の狭義の意味のみを取り出し、学力が向上した、低下したなどと言っている。学校でいうところの学力、塾でいうところの学力は似て非なりであろう。学校でいうところの総合学力とは、学力向上が仕事の塾とは違っている。塾でいう学力は勉強、学校でいう学力が勉強であっても、勉強できればよいだけの人間を学校は求めてはならない。

    それではこういう問いはどうか?「勉強ができれば、学力が上がるのか?」。答えは「イエス」であり、「ノー」でもある。狭義の「学力」だけで言うならイエスだが、広義の「学力」で考えた場合は必ずしもそうとはいえない。与えられた問題を解答する力に優れていても、自ら問題や課題を発見する力が備わるかと言われればそうではないだろう。

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    「問題解決能力」と、「問題発見能力」は別である。解決能力と発見能力の違いについては、コンピュータを例に考えると分かりやすい。コンピュータは瞬時に問題を解くが、この世の問題を何一つ発見する能力はない。だから人に利用されても、問題意識を自ら掲げ、人の上に立つことなどあり得ない。いかに優れた機械といえども、人間にとってはただの道具。

    さらには「問題解決能力」といえども、教科書にある問題と、生きていくうえで生じるさまざま問題はまるで違う。前者は答えのある問題、後者は答えのない問題で、後者は自分で解答を出していかねばならないゆえに、学力というより、頭の良さ、賢さというべきである。したがって、「学力」と頭の良さは別であろう。コンピュータも答えのない問題に解答は出せない。

    「学力」を狭義の意味だけにとらわれつづけると、いくら勉強したところで自分の将来や人生において何の役にも立たないのではないか?学校教育の教科の壁を越えて、すべてを体系的に理解できるだけの力があれば、もちろん勉強もできるようになるはずだ。しかし、そのその学力が、「何かを学ぶ」というだけの側面であったらどうであろうか。

    学ぶ対象というのは、学校教育の教科だけにとどまらない。興味をもったものに対して好奇心や学ぶ力が発揮されるなら、その子は大いに学んでいることになる。ただし、勉強ができないという烙印を押されてしまう。その子に「烙印」を跳ね返す力があればいいが、強い心を持った子どもばかりではない。その子は世間的に「学力が低い」となる。

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    学力は人間が本来的にもっている能力である。それを数値化したのが狭義の学力といわれ、偏差値などで現される。人間の一切を数値化できるはずはないが、数値化して区別するのが手っ取り早い。「勉強がよくできる」という狭義の学力は素晴らしいが、勉強できなくとも素晴らしい人間はいる。彼らは地道であったり、ひたむきであったり…

    人間のそういう部分に目をくばせないなら、単に「バカ」としか映らないが、勉強が出来なくとも素晴らしい人間はたくさんいるのが現実。優秀なスポーツ選手が学業の成績が悪くても誰も問題にしないように…。メッシが、ジョコビッチが、田中将大が、松山英樹が、中島みゆきが、レディー・ガガが、勉強できたかなど誰も問わないし、関心もない。

    スポーツや芸能、芸術の才ばき人間に、高い学力を望むのはなぜか親心であろう。学問が出来れば幸せな人生が送れるという判断は、正しくもあり間違いでもある。理由は、先のことは分らないからだが、分らないなら勉強はできた方がいいという考えになる。世間では勉強が出来なくても幸せな人はたくさんいるのに、そこには目をやらない。

    勉強には向き、不向きがあるし、親はそこを判断しようとはせず、ヤブから棒に、キュウカンチョウやオウムのように馬鹿の一つ覚えか「勉強しなさい」ばかりをいう母親。勉強が好きでない子どもと判断したら、勉強出来なくても幸せな人がいるという現実を見据え、そちらの方にシフトしてやれば、子どももストレスを増大させないで済む。

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    勉強絶対主義というのは、世間への視点が偏っているということだ。勉強が出来ないでどれだけ多くの人が幸せに生きているだろう。まあ、母親のガミガミは同じ世間に生きるものとして分からなくもない。が、テストの点がよければ満足というのはあまりに短絡的だ。その子が何を学びたいか、何を学ぼうとしているのか、問題の基本になる。

    「そんな事は、高校や大学にはいってからの事」とばかりに、テストでいい点を取れとばかりに躍起になる。自分の考えが正しいなどと思ってはないが、そんな自分からみると滑稽な光景である。可笑しいと思うのは、子どもの学力が低いと親が憂鬱になるところ…。あなたの子どもだろ?と、つい思ってしまう。だから、ガミガミいうのだろうが。

    いつも自分は「勉強なんか出来なくてもいい」と言ってるように受け捉われがちだが、向き不向きを根底にいってるだけだ。「長所を伸ばせ、短所は咎めるな」。これが子どもの潜在的能力を伸ばす方法で、これを実践したのがボクシングの名トレーナーといわれるエディ・タウンゼントであった。彼の略歴はwikiにもあるので省略する。

    エディはガッツ石松、井岡弘樹ら6人の世界チャンピオンと、赤井英和、カシアス内藤らを育てた。エディは88年に他界したが、最後の弟子の井岡弘樹は14歳から育て上げた。彼が始めて日本のジムに来たとき、竹刀で叩かれる選手を見て、「リングの上で叩かれて、ジムに帰ってまた叩かれるのですか?ワタシはハートのラブで選手を育てるネ」と言った。

    イメージ 5あるテレビ番組が過去エディに師事した弟子たちに、「エディに最も愛されたボクサーは誰か?」と質問をしたところ、皆が迷うことなく「自分が最も愛されたボクサーだ」と答えたエピソードが紹介された。エディはこんな言葉も残している。「僕ね、ボクシング以外何もできないけど1つだけ得意なことあるよ。それは、しおれた花をしゃんとさせること。」

    「長所を伸ばし、短所は改めない」の極意は、長所はどんどん伸ばせるけれど、短所はせいぜい改めるが精一杯で、決して長所にまではならない」ということ。短所をいじくるより、短所は捨てると解釈した方がいい。それが人を伸ばすもっとも近道であろう。こういう事例がある。以下のようなことを面と向かっていわれたら、どういう気持ちになるだろう。

    「私はまだまだ自分が到らない人間であることを充分に知っています。自分にはいくつかの欠点があるのではないかと思います。でも残念ながら私は自分の改めるべき点に気付いていません。変えるべき欠点があればどんなことでもお教え下さい。
    ご指摘された問題点を必ず改めたいと思います。」

    と…、私はその時まで、人は誰でも改めるべき欠点を持っていて、それを改めたときに人は悟るのだと考えていました。しかし、返ってきた答えはこうでした。

     「あなたに改めるべき点など何もありません。
     人に欠点というものは存在しません。
     人にはそれぞれ異なった特質が備わっており、
     その特質を役立てたとき人々はそれを長所と言い、
     特質を活かしきれなかったときその現れ方を欠点と言います。

     長所、短所は一つの特質の裏表です。
     ですからあなたに改めるべき点など何もありません。
     一つだけいうとするならば、あなたのその
     『改めなければならない点があるという考え方』
     だけです。」

    これは誰かの問いに、誰かが発したもの。誰かの特定は無用。「誰がいったか」ではなく、「何をいったか」が重要と、言葉の整合性を思考した。確かに短所は欠点であるというよりも、一つの特質である。その特質がある人にとっては欠点とみなされ、直に指摘されたり、修正するように言われたりする。しかし、その欠点とやらは別の人には長所と受け取られる。

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    自己の性格の欠点修正を試みた時期があった。小中生時期の子どもだったからか、他人のこと、他人の迷惑などあまり考えなかったし、鼻持ちならないところもあった。それらに気づいたのは社会人になって十年後くらいたった頃だろうか。もう少し謙虚になる必要を痛感した。いざ自己変革を目指すと、自身もいびつになったり、我慢したりで苦労も多かった。

    他人を気遣うのはいいが、ともすれば気遣い過ぎる。ある先輩が言った。「なんでそんなに自分を殺すんだ?気を遣いすぎだよ。もっと普通に接していいんじゃないか?別にぶつかってもいいじゃないか?平和主義なんか姑息だろう?」そんなようなことだったが、自分を見透かされたようで驚いた。自己変革を強いるあまり他人に不自然に映ったのだろう。

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    いつなんどきにおいても、自分は自分を見ていない。自分の目にはいつも他人が映っているし、他人の目には自分が映っている。だからか自分のことは他人がよくわかっている。自分が他人にどの様に映っているかを意識するのは悪いことではないが、その事ばかりに気をくばせていたら自分を見失うだろう。自分を隠したり偽るより、自分を出す方が楽である。

    あからさまに自分を出すのが苦手という人間もいるが、ぶっちゃけ出すほうが全然楽だが、これも人による。素直に自分を晒せば人様はそれぞれに判断をするだろう。「あなたって分かりやすい人ね」と言われたりが多かったが、それは長所だと思っている。陰湿で、陰険な人間はどうも苦手だし、何を考えているやらつかみどころがない。ああはなりたくない。

    好かれるも嫌われるも他人の判断。全ての人間に好かれるわけでなし、全ての人に嫌われるわけでもない。そう悟れば自然体でいれるし、それでいいのではないか。人に好かれたいから○○する、嫌われたくないから○○するというのは、自然な行為ではないといういう考えを理解した日から、他人の目を気にしなくなった。人はみな欠点もある。良い所もある。

    欠点を直せば、良いところばかりになるではないか。だから、欠点を意識するのは止めにした。「自分は欠点だらけの人間です」などという人間は、謙ったようで案外と傲慢だったりする。おそらく、「欠点はたくさんあるよ」と前もっていって置く事で、身勝手に振舞うことを了承させてるのかも知れない。先にいっておけば罪が許されるとでも思ってるのだろう。

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    だから、そういう言い方をする奴はズルさ丸出しよ。相手の術中に嵌まらないために、「オレは欠点だらけの人間だから…」と言う奴には、「だったら直せよ。人も迷惑するんじゃないのか?」などとイジワルいっておく。女にも多い。「わたしはワガママなんです」と前もっていう奴。これも免罪符にしようという魂胆見え見えだし、こちらも同じようにいっておく。

    「分かってるなら直せよ」。相手が開き直ってるからこのようにいうだけで、欠点なんてそう簡単に直せるものでもない。とはいいつつ、欠点はそんなに悪いものだろうか?指摘されたりもあったり、いろいろ試行錯誤して行き着いたのは、欠点を直すと長所さえも失ってしまうことになる。欠点は恥ずかしい、隠したいというのが一般的だが、案ずることなかれ。

    欠点があることが、誰かに役に立つチャンスを与えている、という考え方もできるのだ。自分がバカであるからこそ、相手が賢さを披露できるように、欠点はその人の愛らしさを作るものであり、人に助けさせてあげられる要素にもなる。足りた人間、足りすぎる人間より、足りない部分があるからいいのだ。完璧な項羽よりズボラな劉邦の方が周囲に愛された。

    欠点を気にするあまり、人に迷惑をかけてはいけないと自己嫌悪になった経験からいうならば、自己の欠点を気にすると、相手の欠点も気にしてしまう。自己の欠点を直す努力をするなら、相手にもそれを求めてしまう。自分の欠点を嫌い、隠している分だけ、人の欠点が許せなくなる。「欠点を直す」というと聞こえはいいが、実は欠点修正はよくないことだらけ。

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    だから、欠点は直す必要もなければ、隠す必要もなく、ただ…、受け入れてオープンにすることでいいのだろう。開き直った言い方でなく、自分が知る自分の欠点は、隠すことなくオープンにして相手に知らせた方がいいのかも知れない。どうしても直した部分は、人知れず地道な努力で直す方向でいいが、一番イイのは、欠点をざっくばらんに笑いにできることかと。

    勉強が苦手というのが欠点と思うなら、「成績悪かった」でもいい、「勉強が嫌いだった」でもいい、「頭悪いよ」でもいい、「自分はバカだと思う」などなど、いろいろな言い方があり、ある場面で相応しい言い方があろう。相手も「勉強が全てじゃないよ」と言うかも知れないし、「そうなんだ、バカだったんだ。はははっ」と冗談交じりに言うかも知れない。

    「親もたいして賢くないし、『蛙の子は蛙だよ』」と言ってみるのもあっけらかんでいい。学業以外の分野で名を成した人はたくさんいる。親と言う障害が無かったと考えていいし、うるさい親をを跳ね返す意志、精神を持ったかも知れない。勉強なんかできなくてもゴルフができる、野球ができる、将棋が、体操が、スキーが…など、勉強以外にさまざまある。

    石川遼の父はゴルフに精通、遼を指導した。羽生名人の親は将棋を知らなかったが、「自分が将棋に邁進できたのは、親が将棋を知らなかったことが良かったから…」という言葉を残している。これが名言であったかどうかより、そういう環境がプラスになったのは事実である。何かに秀でた人間は、子ども時代に親のやることに興味をもったいう話が多い。

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    世の中は人の数ほど正解がある。また、世の中は人の数ほど正解はない。何が正しく、何が間違いと言うのは結果において判断される。「終りよければすべて良し」という慣用句がそのことを現している。実に不思議である。本に「正しい」と書いてある事が正しくなかったり、何もしないで放っておいたことが結果的に良かったというケースは各方面にある。

    柳沢慎吾がデビュー間もない頃に、彼の母親がこのように言っていた。「何もいわずに放っておいたらあんな子になったんです」。いじらず、さわらず、何もせずの結果、柳沢慎吾は誕生したのだ。じればいい、口出しするのがいいということでもない。放任したあげく不良化し、犯罪に手を染めた子どもも多い。不思議だ、じつに不思議という他ない。

    「親がなくとも子は育つ」。「親があっても子は育つ」。親は子どもに手をかければかけるほど、子どもの可能性を摘んでいるという事実を親は知らない。親が子どもに何の手立てもせずに放っていることで、子どもの可能性を摘んでいるともいえる。何をすべきか、何を成さずべきか。子育てはなんとも理不尽なものである。その理不尽さにどう対処すべきなのか。

    日本の子育てというのは、子の製造者たる親の価値観によって多くが決まることが多いが、「子どもは神からの授かりもの」という宗教観に根ざした西洋の考えでは、子どもは子どもの価値観を持つように仕向け、親は強引な強制をしない。子どもがどう生きようと、それが子どもの人生である。こういう子どもの主体性に委ねた親の考えに傾倒させられる。

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    昨今、問題の「格差社会」は日本の貧困化の元凶として小泉元首相の名があがる。「格差社会のどこが悪い」と小泉はいい、経済効率を達成するには有能で頑張る人が経済的に大きく報われる制度をよしとし、そうでない人は有能で頑張る人を怨んではならないと主張した。この考えは基本的に間違ってないが、資本家階級にとってはありがたい言葉であった。

    これは経営者側の意向に添う発言と思われる。もし、小泉元首相の発言が正当なものなら、頑張った人は、「それぞれの階層に関わらず」報われる社会になったはずだ。ところが、経営者(資本家)ばかりが優遇され、労働者全体が低く抑えられたこんにちの現状は、彼の主張した正当性と矛盾する。非正規雇用が全雇用の1/3以上を占めた時期もあった。

    努力が報われているのはほんの一部のエリートばかり、いくら努力しても収入が減る一方の労働者…、我々は彼の詭弁にまんまとやられてしまったのだ。いつごろから格差社会は始まったのか?については、それは90年代から準備され、小泉政権下で決定的になったと言われている昨今だ。エリートを重視する教育格差もそうだが、教育格差の解消は難しい。


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  • 12/25/15--03:36: 男が女を殺す時
  • 今月12日、兵庫県加古川市の中州付近で、20歳のアルバイト店員大山真白さんが遺体で見つかった事件で、大山さんが、「知人に貸した金を返してもらえない」と周囲に相談していたことなどが、捜査関係者などへの取材で判明した。警察は詳しいいきさつを調べるとともに何者かに殺害されたあと遺棄されたとみて、殺人と死体遺棄の疑いで捜査中。

    大山さんは頭を鈍器のようなもので何度も殴られたと見られ、頭蓋骨が複数陥没骨折するなど、脳が損傷するほどの傷だった。警察は犯人に強い殺意があったとみている。大山さんはインターネットのツイッターやスマートフォンの無料通話アプリ「LINE」で親しい友人などに、「知人に貸した金を返してもらえない」などの相談を繰り返し伝えていたという。

    2015年の春まで通っていた専門学校の入学案内に、「声優になる」という、強い決意をつづっていた大山さんと同じ学校に通っていた女性は、「本当にびっくりしました」と話す。12月12日、兵庫県の加古川市を流れる川で、20歳の大山真白さんの遺体が浮かんでいるのが見つかった。セーターにズボン姿で靴は履いておらず、携帯電話などの所持品はなかった。

    川の中州で、捜査員が回収した茶色のスニーカーは、大山さんのものであることが判明。その後の調べで、大山さんは室内ではなく、屋外で暴行を受け、川に遺棄された疑いがあることが、新たにわかった。岡山県出身の大山さんは、地元の高校を卒業後、神戸にある専門学校で声優やタレントを養成するコースに通いながら、レッスンを続けていたという。

    大阪府内の牛丼店で、アルバイトをしていた大山さん。そのアルバイトを終えた、12月6日午前8時ごろを最後に、大山さんの消息は途絶えた。解剖の結果、死亡したのは、12月10日ごろまでとみられ、遺体が発見された現場から大山さんの自宅はおよそ60km離れていた。なぜこれほど距離があるのか?謎は深まる。金銭トラブルとは別の男との交際トラブルの情報もある。


    男が若い女性を殺す事件が続いている。本年9月、宮城県栗原市の山林で仙台市出身の白鳥真由さん(17)の白骨化死体が発見された事件で、宮城県警は29日、同棲中の交際相手のとび職、佐藤亮容疑者(29)=埼玉県戸田市上戸田=を死体遺棄容疑で逮捕した。容疑は昨年12月以降、遺体を栗原市栗駒文字の空き家敷地内の杉林に遺棄したとしている。

    空き家は佐藤容疑者の父親の所有で、佐藤容疑者は子どもの頃に住んでいた。「はやすぎたのかな。こーやって一緒に住むの」、「なにがだめだったの?」。遺体で見つかった白鳥真由さんは昨年10月ごろ、短文投稿サイト「ツイッター」で、交際していた男性とのトラブルや思いを書き込んでいた。昨年夏ごろに男性と知り合い、間もなくふたりは同居。

    男性に朝から弁当を作り仲良く過ごす様子が記された。が、佐藤亮容疑者は既婚者だった。「まじほんと朝から喧嘩だよ」などと記し、男性から暴力を振るわれていることを示唆する内容の書き込みもある。「あたしだけを見つめて。あたしだけを愛して」。そんな言葉がつづられていた。宮城の高校を中退した白鳥さんは、佐藤亮容疑者と埼玉県で暮らしていた?

    昨年11月には埼玉県警に白鳥さんから、「同居相手が怖い」と110番通報があった。埼玉県警が佐藤容疑者を呼んで口頭で厳重注意し、白鳥さんには怪我もなく、被害届を出す意向もなく、警察は事件としては取り扱わなかった。警察に通報すれば暴力は収まるという無知さも仕方ないが、以後も同居を続けた。このようなことをした女を男が許すはずがない。

    別れ話を切り出せばカッとなり、同居を継続すれば暴力の洗礼を受ける。おそらく佐藤容疑者は彼女に、「二度と警察に連絡すればぶっ殺すからな!」などと恫喝されていただろう。以後も暴力を続け、警察に連絡されるのを止めさせるには、そうやって脅すしかあるまい。止めるに止めれず、逃げるに逃げられず、こんな男に出会った不運な女というしかない。

    あげく、殺害されて9ヶ月以上、白骨となって発見された。白鳥さんのツイッターの書き込みは助けを求む潜在意識が読みとれるが、誰が助けてくれるものでもない。「はやすぎたのかな。こーやって一緒に住むの」、「なにがだめだったの?」。答えは愛のない男女関係だということ。愛情があればこんなことはあり得ない。男は女を支配したいだけ。
     

    「怒ると怖い」、「交際を止められない」、こんな言葉を吐く女性は結構いた。当初は「わたしMだから、Sの男がいい」だの、「束縛されるのが好き~」などと他愛もないことを言ってる女は多い。結局女は、自分が何もしなくてもいいように、主体性を持ってアレコレするのが面倒だし、指示されて動くのが楽でいいように、このようなことを言ったりする。

    しかし、人間が自由を束縛され、何から何まで支配されたらもはや心のない人形と化してしまう。暴力等の刺激を与え続けられると、それに抗うことすらできなくなってしまう。これは犬を無資質にするという有名な電流実験が照明している。ストレスを断続的に与え続けると精神が荒廃して、犬でさえそれに抗することをしなくなる。人間はさらに弱い動物だ。

    塾で叩かれていた少女が同じことを言っていた。県内随一の進学校に入ったがついていけず、見かねた親が同じ教科書で落ちこぼれの補講をする塾に行かせたが、その子はもう勉強する気力が失せていた。塾も結果を出さないことには示しがつかず、すぐに頭を叩く等スパルタ方式であったというが、最初は抵抗したが次第に慣れ、痛さも感じなくなったという。

    子どもを厳しく躾けて、厳格な親であるとの自負心は自分が見えていないのだろう。子どもが反抗せず、いうことを聞くのはこども自身が虚無的になっている場合が多い。それをいい躾をしてるなどと、親としてみれば無知蒙昧のバカ親である。経験的にいえば、反抗のエネルギーは大変なもので、それは革命と同様、虐げられた自己の解放である。

    抑圧すらも感じないほどに親に妄信すること自体が、一個の人間として魂を奪われていることにさえ気づいていない。「親が好きです」というのは何も悪くはないが、「親なんか大嫌い」というのも同等に人間的だ。ファンというのは対象を美化し、神聖化するが、子は親のファンであってはならない。親はよくも悪くも自己を作り上げる糧であるべきである。

    その意味からすれば毒親とての役目は果たしている。こどもにとってはいい親である方がストレス無く、苦しむこともなく、伸び伸びと成長できるが、毒親に抗い、ストレスを処理しながら、苦しみながら生き抜いた子にも、それなりに得るものはあるのだ。反抗の素振りも見せずに、40歳、50歳になって「毒親だった」と後出し言うのはどこかズルさを感じる。

    9月25日、東京都小平市のマンションの一室で、住人の看護師高木梨花さん(24)の遺体が見つかった事件で、交際相手で職業不詳・高野隼一容疑者(25)を、27日午前11時頃、熱海市熱海警察署近くにいたところを発見、署員が確保した。警視庁は駅の防犯カメラや知人の聴取などから、高野容疑者の関係先を割り出し、手配書を各県警に配って警戒を呼び掛けていた。

    高木さんは25日午後9時55分ごろ、風呂場の浴槽内に全裸であおむけの状態でいるのが発見された。首には絞められたような痕があり死因は窒息死。高木さん殺人容疑で逮捕された高野容疑者は、およそ1年半前から同マンションに高木さんと同居し、事件発覚後に連絡が取れなくなっていた。高野容疑者は、「わたしが梨花の首を絞めて殺しました」と容疑を認めている。 

    「金の切れ目が縁の切れ目」という。借りた金を返さないから人は人を殺すように見えるが、それは直接的な原因でない事が多い。要するに催促などの言動に頭に来て殺してしまうのだから、催促するなとはいわない。相手が逆上しない程度に返金催促はするのがよい。ただ、催促もせずに黙っていると、借りた側は「これ幸い」とばかりに踏み倒すだろう。

    「男が女を愛する時」」(原題:When a Man Loves a Woman)は、パーシー・スレッジが1966年にヒットさせた。全米で2週連続1位となり、今やスタンダードナンバーとなっている。レコーディングの時はまだ歌詞がなく、スレッジがアドリブで歌ったというエピソードが面白い。男が女を愛する時に、男はどうする、どうなる、をいろいろにつづっている。

    男が女を愛する時…

    ・彼は他のことを何も考えられなくなる
    ・なけなしの金を、全てはたいても大切な人を 手放すまいとするだろう
    ・彼の心の奥底を、彼女はこれほど惨めにすることもできる
    ・彼は彼女に対してひどいことができない

    彼女が彼を馬鹿にしても彼はまったく気付かない、という歌詞もある。
    最後に、「男が女を愛する時、ぼくにはその男の気持ちが痛いほど分かるんだ」、を繰り返す。世の多くの男は女という異性にぞっこん、心を奪われてしまうものだ。棒アイスは溶けてしまうが、男の棒は溶けない代わりに、心がとろけてしまうのよ(?)。

    男が女を殺す時…

    同名の映画があった。観てはないが、ある虫を駆逐するためにばらまいた薬によって、男性の性欲=暴力性となり、女性に対して性欲を感じれば感じるほど暴力的になる、果てには「殺してしまいたくなる」遺伝子(ウィルス)が育ってしまった。女性を保護するさまざまな処置がとられるが、それも一歩及ばず、男性はどんどん女性を殺していく。

    些細なことで暴言を吐き、ひき殺し、首の骨を折る。理性はどこかへ捨てられ、女性がその場にいるだけで殺したくなる、―――。映画であり、フィクションだからいいものの、現実に男が女を殺すのは、女が男を殺すより安易な理由に思えてならない。体力、腕力の差もあり、女が男を殺すのは大変で仕掛けもいるが、男は簡単に女を殺せてしまう。


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    「オレオレ詐欺」という名称は、「振り込め詐欺」と呼び名を変えたかと思いきや、再び「オレオレ詐欺」に戻った感がある。理由は、銀行側が一日の振込み限度額上限を決めたり、高額預金の解約・引き出しには自身の預金にも関わらず、使途を聞いたりなど、「振り込め詐欺」防止策に力を入れたことなどから、もっぱら手渡しが横行する。そんな矢先に事件は起こった。

    東京都練馬区の無職女性(75)が息子を装ったオレオレ詐欺の電話を受けて、現金計1億円をだまし取られていたことが22日、警視庁石神井署への取材で分かった。都内のオレオレ詐欺の被害額としては今年最悪の高額となった。詐欺グループは息子や会社の実名を把握。女性の自宅は数百坪だったことから、同署は資産家に狙いを定めた犯行とみて詐欺容疑で調べている。

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    8日午後6時ごろ、女性宅に同居の三男を名乗って、「会社の監査があってお金が2千万円合わない。なんとかして」などと電話があった。翌9日も電話があり、女性は指定通り東京メトロ有楽町線要町駅周辺の路上で、息子の同僚を装った男に現金2千万円入りの袋を渡した。帰宅後に、「あと8千万円貸して」などと電話があり、さらに現金8千万円を同駅近くで同じ男に渡した。

    現金は老後の蓄えとして自宅に保管していたもので、渡したあとで不審に思い、三男に確認の電話をして被害に気付いたという。現金を受け取った男は30代前半で、身長175センチくらい。黒髪を七三に分け、紺色スーツにネクタイ姿だった。と、メディアは事件の概要を主観を交えることなく報道するだけだが、外野の我々はこの後のことを想像せざるを得ない。

    三男の気持ちからすれば、母親のあまりの不用意さを嘆くしかあるまい。嘆きの大きさについ母親を責めたくもあるし、責めるというよりも怒りではないのかと察する。何の何に対する怒りであるかは、三男の気持ちになって考えれば分かるだろうが、どれほど怒ったところで、母親を責めたところでどうにもならないし、すべては後の祭りである。

    家族・親族全員が集まったところで話すこともない。あまりに巨額な詐欺事件であったとしても、騙した側について話すことがあるのだろうか?「ヒドイ事をする、悪い奴らだ」としか言いようがない。そんなこと言ったところで何の意味もない。母親を庇う気休めでしかない。三男の怒りの矛先は犯人より母親であろうが、母親を責めてどうなるものでもない。

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    「お金を渡した後でボクに電話をしたところでしょうがないじゃないか?なんで事前に確認しなかったんだ?」、これはもう言われた母親も、いわれるまでもなく最大の後悔として実感しているだろう。だから三男に同じことを責められても情けなさがつのるだけだ。長男も、次男もいるのだろうが、話を聞いても呆れるばかりか、同情の余地はない。

    年寄りが老後の資金とは言え、これほどの大金を自宅に置いているという事も問題である。近年銀行は、自分の金を引き出すときでさえ、用途を聞いてくる。ATMの引き出し限度額は一般的に1日50万円で、申請すると200万円まで可能になる。窓口なら限度額はないが、うるさいくらいに引き出す理由を聞いてくるのも、こういった事件の防止策であろう。

    この母親は、タンス預金を仮に普通預金としてでも銀行に保管しておけば、詐欺には合わなかったろう。お金というのは人によってその価値が違う。100万円は100万円の価値と思うが、貧乏人には大金でも、金持ちからすればはした金という意味での価値の相違である。1億円を家のどこに置くものなのだろうか?我々貧乏人には置き場所さえも想像がつかない。

    おそらく耐火金庫かと思うが、高齢者ゆえに開錠の数字もメモってどこかに置いておくから、空き巣に見つかると金庫の意味すらない。それよりも資産家を狙った強盗に押し入られ、刃物を突きつけられ、「金庫を開けろ!」という可能性もある。ところが、空き巣でもない、強盗でもない、このような簡単な手口で億単位の金をせしめることが可能なのだと。

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    これをなんといえばいい?世間では「オレオレ詐欺」という。「振り込め詐欺」という名称も銀行の硬いガードから、成立が難しくなり、直接手渡しに移行しつつある。空き巣でもない、強盗でもない、新しい言葉を嵌めるなら「軟盗」か。被害者に言うわけではないが、呆れて物もいえない。まさに1億円を取られるがゆえのいくつもの理由が重なっている。

    息子たちもこれほどの額のタンス預金を知っていれば、「危ないから銀行へ」くらいは誰でもいうが、知らなかったのか、言っても聞く耳持たなかったのかそこは分らない。自分も母親が大金を、妻に管理を任せたはいいが、「減っている」だの「盗んだ」だの言われる始末で、妻も腹も立ったろうが、そんなバカ母の言い草に妻より自分の方が腹が立った。

    大金の管理は息子でもさせたくないという年寄りは少なくないのだろう。誰も信じられない、信じられるものはこの世で「金」という事のようだ。大金を子どもたちに分散させるよりも、しっかり握っていれば子どもがなびくという老人の浅はかな気持ちは、なんとも醜いものだ。そんなだから、「金で人を支配は出来んよ。全部墓に持って入ったらいい」などといわれる。

    金で息子が自由にならないと分かったときの失望感はなかったようだ。今回の事件の当事者である母親の情報はなにもないが、1億円(おそらくそれ以上であろう)のタンス預金という事情から、いろいろなことが想像できる。オカシイと思うのは自分だけではないだろう。ただ、無条件で三男に1億円渡そうとしたところからみて、三男はかわいかったのだろう。

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    これが長男や次男だったらどうであったか?家庭の事情は様々だから詮索するのも下世話であろう。いずれにしろ、金銭感覚が常人とは大分違っており、これは金持ち病ということだ。1億円など目にしたこともない我々にはまったく想像もできない不可解としか思えない。ただ事件である以上、この母親は被害者であって、彼女の何の罪があるわけでもない。

    アカの他人が状況判断から「バカ」というのも、「気の毒」だと思うのも、それも外野(世間)の声である。人の金を奪われたのではない、自分の金だから息子たちにも迷惑はかかっていない。が、肉親とすればいたたまれないのではないか。が、責めてみたところで何の意味もない。あげく、「オレオレ詐欺」は以下のような、悲惨な二次災害も生んでいる。

    「騙した人間より騙された俺の方が悪いのか」。ある男性はこう言い残し、自ら命を絶った。昨年、全国で約559億4千万円の被害があった特殊詐欺。ニュースなどの報道は被害金額ばかりだが、その陰で被害者が自殺するなどの悲劇がある。千葉県成田市にある曹洞宗「長寿院」の住職篠原鋭一さん(70)はNPO法人、「自殺防止ネットワーク風」理事長を兼ねる。

    篠原さんの元には、オレオレ詐欺の被害に遭い、親族が自殺した全国の遺族から電話がかかる。遺族の話から浮かび上がる、オレオレ詐欺被害者が置かれた厳しい状況。自殺する大きな理由は、金銭問題以外にも親族に詰問されたことにある。「家族なのに責めてしまった」、「おばあちゃんは犯罪者じゃないのに…」。罪の意識にさいなまれる遺族もまた、苦しんでいる。

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    自殺相談はここ数年で急増している。電話口の女性は「夫の後を追います」と何度も繰り返していた。4月の初め、長寿院に電話をかけてきたある近畿地方に住む30代の女性は、「夫をかたるオレオレ詐欺で、250万円をだまし取られた」と語り始めた。「会社のお金を落とした。すぐに入金しなければ会社を辞めなければならない。何とか都合してくれ」と言われたそうだ。

    夫の言葉を信じた女性は両親に頼み、現金を工面したが実体は詐欺だった。両親は、「気持ちに緩みがあるからこういう詐欺に引っかかるんだ」と女性をなじる。「妻の両親にとっても大金だったのに」、「申し訳ないことをしてしまった」。なりすまされた夫は鬱病を発症し、自殺した。「自分がオレオレ詐欺に引っかかってしまったせいで夫を死なせてしまった…」。

    女性は自責の念にさいなまれ、「中学生の息子を両親に預け、夫の後を追います」と繰り返した。「こうした内容の相談電話はここ数年、増え続けている」と篠原さん。平成7年から自殺に関する電話相談を受け付けているが、近年はオレオレ詐欺にまつわるものが急激に増えているという。篠原さんによると、昨年度は、1年間で約20件もの相談が寄せられたという。

    ほとんどは自殺した被害者の遺族からだが、中でも多いのは「だまされた家族を責めてしまった」と後悔する気持ちを告白する内容。1月に電話してきた北陸地方の30代の男性のケースが、そうだった。「おばあちゃんの供養をしたいんですが、どうしたらいいですか」と、尋ねる男性は、「祖母がオレオレ詐欺にだまされて大金をだまし取られ、自殺したことを明かした。

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    犯人は男性になりすまし、「会社の金を使い込んだ」と祖母に電話をかけた、祖母は150万円を振り込んだ。男性や家族は祖母を責め、祖母は命を絶った。この男性は、祖母の自殺の一因は自分が責めたことにあるといい、電話の声はいつしか泣き声に変わっていた。ほかにも、70代の父親がオレオレ詐欺に引っかった後に自殺したという関東地方の男性はこう話す。

    「父親が生前、『だました人間より俺の方が悪いのか』と言っていたことを打ち明けた。父親は、「株で失敗して会社に損害を与えた」という男性をかたったウソを信じ、500万円を騙し取られた。同じく身内から激しく非難された末に自殺。オレオレ詐欺でだまされるのは高齢者が多い。お金を出す相手が“息子”や“孫”といった、かけがえのない相手だからこそ被害に遭う。

    篠原さんが過去に相談に乗った中で、200万円をだまし取られたというある高齢男性は、「俺にこんな金はいらないんだ。孫のためになるならと喜んで払ったのに…」と嘆いた。被害者が苦しみ、時には自殺さえしてしまう背景には、高齢者が孤立しがちな社会情勢があると考えられている。昨年の特殊詐欺被害の78.8%(1万540件)が、65歳以上の高齢者だった。

    これを8つの類型別でみると、オレオレ詐欺で被害を受けた高齢者は全体の実に92.1%を占めていた。一方、平成26年の高齢社会白書によると、1人暮らしの高齢者は、昭和55年には高齢者全体の8.5%だったが、平成24年には16.1%にまで増加している。希薄になる家族とのつながり。だが、オレオレ詐欺はそのわずかに残された関係さえも断ち切る。

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    「他人に悩みを打ち明ける環境さえあれば、失われる命も助けることができる」と篠原さん。家族から見捨てられ、社会とのつながりが消え絶望の果てに被害者は自殺へと走る。遺族は電話で懺悔するばかり。騙されたのは家族を思う純粋な気持ち、被害者を責めるべきでない。特殊詐欺被害は今年1~2月で約73億4200万円。過去最悪だった昨年を上回るペースで増えている。


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    昨日で書き納めの予定であったが、脳内にうごめくある事柄に触発されて、自問自答の意味もあってか、一人会話をしたくなった。自分のブログ記事は自問自答の「一人会話」が主体である。自己に問い、自分で答えるということだ。長年これで生きてきた。他人に問うこともあるが、その場合は本当に答えを求めているというより、他人はどういう答えを持っているか?ということ。

    あくまで答えは自分で出すべき、それが自己責任と言うもの。他人の意見を聞くのは悪いことではないが、自分の場合は、"ある時にある事を問う"というよりも、普段の生活の中で様々な他人の言葉に何気なく触れる場合の方が、身につきやすい。切羽詰ったときに他人に答えを求めてみても、切羽詰っている状況にあっては良否を思考する余裕がない。

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    しかるに他人の声は余裕(ゆとり)のある時にこそ、耳に入るし、心に突き刺さる。が、切羽詰ったときだからこそ、他人の意見を聞こうとする人間もいる。おそらくそういう人は、自分の考えや決定に不安があり、だから他人に背中を押してもらいたいのではないか。自己の決定に自信がなく、不安が強いなら人に背中を押してもらった方が安心なのだろう。

    自分は物心ついたころから、「人があっち」といえば、「自分はこっち」という、人の真似が嫌な天邪鬼的気質であった。なぜ、その様になったかを自問して分析するに、母親とのあくなきバトルが大きな原因であったのではないか。ウソばかりつき、信用できない母であり、彼女が右といえば左が正しいといように、何事も彼女の反対の方が正しいと思っていた。

    これも広義の反面教師であろう。信頼できない人間が身近にいた悲劇かも知れない。ある意味悲劇であるが、彼女の反対が正しいことが多かったので、悲劇というより良き親であったとの見方もできる。つまり、母親の視野の狭さ、一元的な価値観に抗ったことで、大きな視野、多元的な価値観を持つことになったのは母親という反面教師のおかげかもしれない。

    仮にも自分の子どもたちが、自分のいう事の全て反対をした事が、「人生の糧になった」などといわれれば、親としてこれほどのショックはない。それほどに親と言うのは子どもに対して傲慢なのだと。「いい親でありたい」、「子どもに尊敬されたい」と、そういう親は多いが、そもそもそれが傲慢である。子どもは子ども自身にとって良いとすることを、受け入れて成長すればいい。

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    親に食わせてもらい、育ててもらったからといって、親を妄信すべき理由は何もない。子どもが見てダメな親と思えばダメなのだ。儒家は、「とんでもない」というが、そんな儒家思想が間違っている。子どもが誰を批判し、誰を信奉したところで、子どもの信ずるものが正しい。「親の意見と茄子の花は、千に一つの無駄はない」などと、バカなことを言うなである。

    子どもが親のいう事を聞かなくて腹が立った経験はある。親なら誰でもそうであろうが、そこが親の傲慢であると感じる親こそ正しい。何が正しいといえば、子どもの自由を尊重するという意味で正しい。仮に親の意見が正しく、子どもの考えが間違っていたとしても、押し付けないなら子どもの自由を尊重している。それが正しいということだ。正邪の判断で正しいではなくて…

    「親がなくても子は育つ」という成語を、「親があっても子は育つ」と言い換えた坂口安吾である。これを、"親という障害を乗り越えて子は育つべき"と自分は解した。この二つの言葉は実は同じ意味かもしれない。「親がなくても子は育つ」は、食い物にしろ、環境ににしろ、いろいろと子どもに惜しむらく与えてくれる有り難い親という存在がなくとも、子どもは生きて行ける。

    との意味で、子どもの生きる力、生命力の強さを指す。生きる望みがなくなったと、子どもを引き連れて無理心中する母親についていえば、斯くも思いあがった親はないと断じる。なんで子どもを道連れにするのか?親がいなくて「不憫」であるなど、とんでもない。それこそ「親がなくても子は育つ」であり、さらに強めて、「親があっても子は育つ」は逞しい。

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    母親に虐げられていた幼少期、「こんな親など居ない方がいい」と感じていた。ばかりか、「死ね!クソババ!」と向かって言ったものだ。それに怯む母ではなく、子どもにそのように言われるほどに逆上する性向である母は、マゾでありサディストでもあった。「死ね!クソババ!」といわれれば、嘆き、悲しみ、そのようなことを言われないように、改めるのが良き親と思うのだが…。

    妻によれば、長女や次女や長男は祖母にそんな言葉はなかったが、三女は言葉ばかりか、取っ組み合いをしたというから、そこは自分より上手と感心した。「親に手を挙げるなど、とんでもない」という修身教育の名残りを切実に感じていた我が世代である。と、前置きが長くなったが、本日予定していた記事は、「騙すもの、騙されるもの、一体どちらが悪いのか?」である。

    オレオレ詐欺に引っかかり、「騙した人間より俺の方が悪いのか」の言葉を残して自殺した70代の父親の記事から派生したものだが、オレオレ詐欺も事件なら、父の自殺も事件である。身内からすれば父の死はいたたまれなかったろう。おそらく生真面目な父と見受ける。彼の気持ちを代弁すれば、「騙す奴が悪いに決まってる。なのに何で自分が責められる…?」

    そう言いながらも父は、「騙す奴が悪い」と毅然としていられなかった。そりゃ、そうだろう。親族・家族に責められても、「何で俺が悪いんだ!」と頑張れなかったのは、自分に全く落ち度がなかったと思えなかったからだ。確かに、「騙す人間」がいるから騙されるわけだし、そう考えれば騙す人間が悪い。しかし、騙す人間がいても騙されない人間もいるわけだ。

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    騙す人間がいるのに、「騙される人間」と「騙されない人間」の差異を考える必要がある。この世に悪人は多い。悪人を悪人と罵って、悪人が悪いと言っていいものだろうか?悪人は悪人に違いないが、悪人が通用しない人間もいて、そういう人間は悪人をあざ笑うことになる。悪人があざ笑われて、それでどうして悪人なのか?まさに茶番悪人であろう。

    「悪の行使による全ての罪が悪人だけにあるとは言えない」とするのが妥当であろう。騙された人間にも二種類ある。一貫して「騙すほうが悪い」と言い張る人。「騙される自分にも非がある」と反省する人である。騙す側、騙される側、どちらが「悪」かを問うのは正しくないのは、同じ「悪い」という言葉であっても、騙す側と騙される側とでは、「悪い」の意味が異なるからである。

    率直に言えば、騙す側は「故意」。騙される側は「過失」と言える。法律的には「過失」も罪となり、「過失だから許される」は大人の考えではない。「業務上過失」、「過失運転致死」なども文言が用意されている。確かに防げない過失もあるが、防げる、防げないをよくよく吟味して判例を出す。人間はズルいし横着だから、「過失だ」といって罪を逃れようとする。それでは済まされない。

    十分に注意を払っていれば騙されないで済む、などの落ち度を過失とも言うが、交通事故などでも「過失割合」を算定するのが、世の習わしである。「オレオレ詐欺」で騙された側は法的な罪に咎められないのは、自分の金だからである。これがもし、公金管理の職責などにあれば、当然にその罪を問われ、裁判沙汰にもなるし、司法は罪を断罪し、損害賠償も成立する。

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    自分の金が罪にならないのは、言っていくところが無いからで、過失そのものは公金と同じこと。言っていくところが無いから、自分に文句を言うしかない。それが反省である。ところが、自分に文句をいいたくない人は騙した犯人に罪をかぶせることで、自身の罪(過失)を逃れようとする。この場合、どちらが正しいかの判明はできる。親族・身内の鬩ぎはそういう事をいっている。

    公金を騙し取られれば上司にも会社にも責められると同様、親の私的財産といえども、家族・親族から過失を問われようが、それを許すのが身内である。世間の風は厳しいが、身内は身内に甘いし、それが良くもあり、悪くもある。同じ過失を世間は許さないが、身内は許してくれる。この善悪は分らないし、「身内に甘い」と言うのは好きではないが、身内とはそういうもの。

    「身内だから許される」、「身内は許してくれる」。そこに甘えるのもいい、身内なんだから。後は、騙された自分がその罪を悔い、十字架を背負って生きていけばいい。あまりの情けなさに自暴自棄になって死を選ぶ人もいるが、これは身内に限らない。責任を痛感し、過去に多くの企業人が死を遂げた。この手の詐欺で家族が追い込まれて死ぬなど、誰も予想だにしない。

    だから、過失を責めたのだろう。まさか、「知らない人にお金をあげてよかったね!」というはずがない。責めてはいけないが、稚拙な過失なら責めたくもなる。特に、「オレオレ詐欺」は、「思い込み」という軽率さに負うところが多い。何も事を急がなくともいいのに急いでしまう。当然、相手は急がせるが、「そんな大金をそうそう簡単に…」という常人感覚があれば…


    騙す男が悪いのか、泣いた女がバカなのか、どうせ私を騙すなら、死ぬまで騙して欲しかった…、西田佐知子のそんな『東京ブルース』の歌詞が頭を過ぎる。『感覚は欺かない。判断が欺くのだ』とゲーテは言った。『言葉は自分を欺くためにある』といった哲学者もいた。思考よりも感性、論理よりも感情。答えは体が知っている。「こうした方が上手くいく」という打算は上手くは行かない。

    気持ち(心)がこもってないので、相手に伝わらない。が、それでも騙せる相手はいる。騙されたと後で嘆く男も女もいる。「騙された」背景には、人間の切ない「欲」がうごめく。その「欲」を「願望」などと、綺麗に修飾するのも人間だ。選択を誤るのは、感覚が未成熟だからで、それは仕方のないこと。だから、失敗を繰り返すことで感覚は磨かれて行く。

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    歩くのは健康にいいといわれる。ならば昔の人は皆、健康によかったことになる。江戸時代当時の人間の平均寿命は、50年内外といわれていた。50年という数字がどの程度確かなものか?あの時代の平均寿命など計りようがない。なぜなら、江戸時代には現代のような戸籍制度がなく、生まれた子どもの数をきちんと把握する仕組みはなかった。

    どこの家庭に何才の人が何人いるか、というようなことは大体わかっていたようだが、「7才までは神の子」などとも言われており、幼児を数えない地域もあったことなどから、科学的な人口統計のための基礎データは残されていない。とはいって、多くの研究者が江戸時代の平均寿命について推論はするものの、当然試算結果にばらつきがある。 

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    30才という学者もいれば、35才という学者もいる。中には50才説もありますが、大体30~50才説に落ち着いている。織田信長は「敦盛」という舞を好んだという。時代劇映画などでは桶狭間の合戦の出陣前に、「敦盛」を舞う信長の演出が多い。「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」という一節を信長は好んで舞ったといわれている。

    「敦盛」とは平敦盛。「人間五十年」とは、いうまでもない人の一生は50年ほどの意味で、平家の時代から江戸時代には、平均寿命は50年と考えられていた。これを根拠にしばしば、「江戸時代の平均寿命は50才くらいだった」と言われる。が、現代用いられている人口統計の手法で計算すると、当時の平均寿命はもっと短かったということになる。

    平均寿命というのは、新生児が何才まで生きられるかを統計学的に予想したもの。仮に5人の子どもがいて、3人は0才で亡くなり、1人は50才、1人は100才で亡くなったとすると平均値=寿命は30才となる。長生きする人がいても、乳児の死亡率が高いと平均は低くなる。江戸時代には医療技術が十分でなかったこともあり、乳児死亡率が高かった。

    そのため、理論上の「寿命」は短くなる。江戸時代の12代将軍徳川家慶には男女合わせて27人の子どもがいたが、20才まで生きられたのは家定1人のみと、これは極端な例であろうが、家慶の父親である11代将軍家斉の子は50人いたが、半数が20才までに亡くなっている。歩くのは健康によくても、乳児死亡率が当時の平均寿命を下げていたことになる。

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    健康にいいといっても、どこに、どのようにいいのか?実感はあまりないが、もっとも大きな効用は、「血液を改善する」こと。血中のブドウ糖を燃焼するため、血糖値の減少につながる。HDL(善玉)コレステロールの量が増え、血管内のコレステロールを肝臓へと除去する。コレステロールを燃やすので、血管内にコレステロールが付着しにくくなる。

    歩行動作によって筋肉が伸縮することで、血液の流れがスムーズになり、血圧が低下し、安定する。糖を分解するインスリンの感受性が高まり、糖尿病を防ぐ。特に食後1時間半後くらいから速歩ウォーキングすると、糖が消費されて血糖値が上がらない。糖尿病の人が食後血糖値300くらいの人でも30分歩けば150くらまでで血糖値は収まるという。

    速歩(1分間に95~100メートル)で、血糖値が上がり始める食後30分~1時間の頃に30分以上続けることを目安に、週3回以上行うことが望ましいとされている。歩いてみると分かるが、分速100mは大変な速さで、まあ歩く距離にもよるが、この速さで1時間は大変である。100m/分だから時速6kmのスピード。これを歩数で何歩になるかは個々の身長による。

    身長170cmの人の平均歩幅は70cmといわれ、これで1km歩くと約1400歩となり、分速100mの速さで1時間歩くと8400歩となる。他にも骨へのカルシウムの吸着が良くなり骨量が維持され、骨粗しょう症を防ぐ。また、下肢の筋力の低下や、関節の動きが狭くなるなどの老化現象を軽減し、寝たきり老人の予防となる。脳が活性化するのでボケ予防にもいい。

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    なぜ脳が活性化するのかだが、ウォーキングで呼吸器の活動が盛んになり、酸素を多く吸収するからであろう。また、全身の血流がよくなることから、当然、脳の血流もよくなり、さらには、ストレスの解消になることから、精神的疲労を回復させる。欝の症状が改善するとの研究成果も出ている。つまり、健康にいいとは、心身によいということになる。

    が、自分にとっての問題は、11mmの尿管結石の排出がとりあえずの目的である。歩けば出るのか?理論的に考えれば跳んだり跳ねたりがいいのは分かる。とにかく石を下へ下へと落せばよい。水分をたくさん取るのも理に敵っているが、この時期そうそう水も飲めない。夏場のウォーキングと違って喉が渇くこともないから、努めてトマトジュースを飲んでいる。

    人体というのは便利に合理的にできていて、悪い物、不要な物は体外へと排出するように人間の体は出来ている。ウンチもそう、オシッコもそう、汗もそうだし、耳糞、目糞、鼻糞、オナラ、臭い息、みんなそうだ。涙が不要かどうかは、アレは眼球内のゴミを一緒に出すためである。したがって、結石にも出て行って貰わねばならない。だから歩いている。

    以前はビール、ビール、結石にはビールといわれていた。ビールには利尿作用もあり、ビールを飲んだ後には大量の尿が出るし、ならば排石効果は望める。ところが…、ビールは大量の酵母により作られている。この酵母のためにビール愛飲者の尿酸値は高い。大瓶1本のビールに含まれるプリン体(尿酸の前駆物質)は日本酒1合に含まれる量の15倍。

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    腎臓から排出された尿酸は尿を酸性にする。しかし、これが結石の原料となるという。したがって、この点からはビールを飲まないほうがよいとの結論だ。つまり、ビールには結石排石促進効果はあるが、結石形成促進効果もある。さて、どっちを取るか?結論をいうなら、飲むなら水、水、水…。自分は下戸なのでカンケーないが。

      1日  23962歩   16294m  90/分
      4日  27037歩  18385m  93
      5日  19364歩  13167m  91
      6日  30471歩  20720m  90
      7日  15008歩  10205m  93
      8日  17646歩  11999m  94
     10日    3186歩   2166m   94
     11日    9783歩   6652m   80
     14日  37741歩   25663m  93
     15日  26911歩   18299m  90
     16日    6738歩   4581m  84
     17日  19183歩   13044m  93
     18日  25621歩   17422m  90
     20日  14299歩    9723m   77
     21日  15431歩   10493m  97 
     23日  37382歩   25317m  93
     24日  25388歩   17263m  86
     25日  47922歩   32586m  92
     26日  13892歩    9446m   92
     27日  20153歩   13704m  76
     28日  21390歩    14545m   97

      Total  458508歩   311674m

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      学校出てから十余年 今じゃ会社の大社長
      キャバレー通いのつれづれに
      読まれた鼻毛が五万本
      サバ云うなこのヤロウ

    ハナ肇とクレージーキャッツの『五万節』の作詞は、元東京都知事の青島幸男で、彼は早大商学部を主席で卒業した秀才であり、処女作『人間万事塞翁が丙馬』で直木賞も取っている。肩書きは多く、作家、作詞家、タレント、俳優、放送作家、映画監督、政治家とマルチな活躍ぶりをみせた。小説を執筆する前に青島は、「直木賞を取る」と公言、有言実行して驚かせた。


    役者として主演した「いじわる婆さん」で国民的人気を博す。政治家の一歩は、1968年、第8回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し、2位で初当選した。第1位は石原慎太郎、3位は上田哲で、タレント議員のパイオニア的存在となる。作詞家としては、『スーダラ節』、『明日があるさ』などのヒットがある。2006年12月20日午前9時31分、骨髄異形成症候群のため74歳で死去。

    なんでまた政治家に?行き着くところはそこなのか?彼は議員にならない方が魅力的だったし、矢崎泰久は著書で、「裏切り者」、「議員になって途端に尊大になった」などと酷評した。青島は世襲制を批判しておきながら、1995年の第17回参議院議員通常選挙には、自らの後継として実娘の青島美幸を二院クラブ公認で比例区に立てるも落選、二枚舌と批判を受ける。

    野坂昭如や永六輔に都知事時代の失政を責められ、孤独感を漂わせたようだが、野坂の批判に対し、「てめえなんかホームレス以下だ!」と怒鳴り返すなど、頭に血が上りやすい面もあった。政治家タイプではなかった彼は、"政治にまで手を出した"というべきだろう。作詞の才能は抜群で、クレージーキャッツや植木等の歌詞はユニーク、『明日があるさ』は素晴らしい。

    『五万節』は、鼻毛5万本、ピース5万箱、ホームラン5万本、斬られて死んだ5万回、雨戸におじぎ5万回、つぶしたシューズ5万足、飲んだビール5万本と続くが、当時のギャグはこんな程度のもので、いずれも「サバいうなこのヤロー!」のオチがつく。シューズ一足5千円として、5万足歩きつぶせば2億5千万円の出費となる。郷ひろみの歌じゃないんだから…

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    青島の『五万節』にイチャモンつけるなら、1番の"読まれた鼻毛が五万本"の歌詞。鼻毛という言葉の面白さを狙ったにしろ、全体の脈絡やその流れからして、「鼻毛」はいささか無理っぽい。大会社の社長がキャバレーのホステスに鼻毛の本数を読まれたからって、それが何だというのか?ここは鼻毛以外の別の言葉を入れた方がしっくりくる。自分なら以下の歌詞にする。

      学校出てから十余年 今じゃ会社の大社長
      成~りあがりのバカ丸出しか
      通ったキャバレー五万軒
      サバ云うなこのヤロウ

    単位にもよるが「五万」は相当な数。5万センチと5万キロでは大違い。今回、ウォーキングで初5万歩を達成した。アクシデントはなかったが、この日は下り坂をぴょンぴょン跳びはねた時に着地が問題だったのか、ふくらはぎの腱か筋肉を傷め、軽い肉離れ症状となる。少しの痛みだからどういうこともないが、跳びはねるのは結石を出すためとはいえ、着地には注意がいる。

    5万歩程度で足がだるいとかはなく、明日も普通に歩ける。何事もムリはしないに決めている。漠然と歩くだけなら面白くも何ともないが、何をやるにつけてもその事を楽しくするための付加価値、プラスアルファーを自分なりに編み出すのが得意との自負もあり、ムリせず楽しくやれている。「三日坊主」という言葉があるが、「三日」は比喩であるから、「三日」の幅は広い。

    人によって「三日」の幅は違うようで、この際自分なりの「三日」はどれくらいなのかを考えてみた。どうやら「何をやるか」によって「三日」の幅は違い、一例としてブログを3カ月続けてパタと止めたなら、「ようやった!」の評価はあれど、「三日坊主」の汚名はない。ジョギング、ウォーキングはどうか?週1で3カ月(月4回として12回)なら、こちらも「三日坊主」とは思わない。

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    週1で3カ月なら、歩く距離にもよるが、ウォーキングの基本10000歩を標準とするなら大変な作業である。2カ月で止めたは微妙だが、1カ月なら、「三日坊主」と感じる。自分は「三日坊主」という言葉がそもそも好きでない。こんな言葉を浴びせられるのはなんとも情けない。なぜ「三日坊主」となるのか?いろいろな理由はあろうが、「自分に甘い!」というのが一番ではないか?

    「三日坊主」が嫌いなのは、「自分を甘やかせている」からで、人間は我が身かわいさからどうしても自分を甘やかす。人から命じられたり、強制されたりなら仕方ないから頑張れるが、誰に命じられるでもない、主体的に何かをやる場合はいつでも勝手に止められる。「疲れた」、「面倒くさい」などの理由を用意しておけばそれでいい。そこで頑張るかどうかが人の差異であろう。

    自己に安易に妥協するのは情けないが、面白くないこと、しんどいことは誰だってやりたくない。面白くなくてもやる、しんどくてもやるという、崇高な根性を自分は持ち合わせてはいない。ならば、行為を楽しくできないものか?ブログは9年だから、「三日坊主」の域は抜け出ている。あとはいつ止めても満足の境地で終えられる。ウォーキングは12月で3カ月が経過した。

    直線で広島から福島までとなったが、これも一つの面白さである。ならば北海道~九州と日本列島縦断でもやるかなと、「遊び心」が湧き上がる。人は「目標」などと大層にいうが、自分は「目標」というのが嫌いで、全ては「遊び」である。仰々しい「目標」と違い、「遊び心」はファンキーで、これが自分の原点だ。真面目人間ではないから物事を真面目には考えない、捉えない。

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    全てを遊びにしてしまう。だから楽しくやれる。ブログを書く事でいろいろ資料等を漁れば、知識も増える。書くことは調べることにある。自分の脳の容量などタカがしれたもので、知っていることだけ書いても満たされない。日記を書くのもつまらない。折角だから何かを得たいし、転んでもタダでは起きないそつのなさが楽しくもあり、自分にとっての面倒は「そつ」である。

    「そつ」のない人は=面倒がらない人。いつごろだったろうか、「忙しい」、「めんどう」、「疲れた」を禁句にした。これらを口にしないで生きて行きたい。「忙しい⇒無能」、「めんどう⇒横着」、「疲れた⇒甘え」と定め、無能で横着で自分に甘い人間になりたくないと。「自己啓発」などと硬苦しい言い方は好まず、自分が自分を嫌う人間に自分はなりたくないとの単純な考えだ。

    綺麗にではなく生々しい「生」を望みたい。「美言は真ならず、真言は美ならず」の成語に照らせば美言は自分を飾るもの。真言は「生」の言葉ゆえに美しくない。これも広義の自己啓発であり、これらは自分で考え、編み出した自己流である。自己流というのは、もっとも自分にあった方法だから、人はみな自己流で自分にあった何かを編み出すべきだ。

    自分にあったものは自分で考える。人に聞く、人に頼るは、「横着」であろう。「横着だいすき」ならそれも結構、他人の横着を批判しない。横着は楽だし、便利だし、悪くない。が、好き嫌いの問題でいうなら横着は好きでない。もし、横着な自分を肯定すれば、どんどん横着になって行き、歯止めが利かなくなる。自分を知るから始めの一歩に注意する。

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    横着は嫌いだからと、それで他人の横着非難は傲慢である。自分は嫌いでも、横着好きの気持ちはよく分かる。人は人、許せる、許せないの言葉も傲慢で、人は人で自由でいい。自分は自分のことを考えればいい。人の言動に腹が立つのは、お若いということだ。若さとはそうしたもの。いちいち他人に干渉し、腹も立つ…、自分もかつてはそうだった。

    人に干渉しないでいれると、世の中が楽しくなる。人の言動に責任を持つ必要はない。関心を持たないではなく、言いたいことがあっても言わない。無関心とは違い、他人には大いに関心を寄せている。が、言わないを決めている。求められれば口を開くが、求められない口出しは無い。「言う者は知らず、知る者は言わず」と、教わった。(《「老子」56章》)

    孔孟より老荘の影響が大きい。いわずと知れた「無為自然」。自分はどんなものにも刃向かえるが、刃向かわず、静観するのも勉強である。その人が、その人なりにどうするか?あるいは子をじっと見守るのは、親の子への極限の教育であろう。なかなかできないという意味で…。母親にはできない父親の特権でもある。母は近視眼的愛、父は遠視的愛で子を育てる。

    黙す父親に妻は口出しすべきでない。男の教育感を理解しろとは言わないまでも、手を貸すだけが教育ではない。口を出さない横槍を入れない、そういう良妻であることが幸いしたと感じている。いちいち口を出す、口を挟む、そういう妻なら、「うるさい、黙ってろ!」などと、無用な暴言を吐くことにもなろうし、言いたくない言葉を必要に迫られていう夫の心情憐れ也。

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    安易に手を貸さず、教えすぎず、自力育みをじっと待つのは、父親に委ねられた男の辛抱である。「教育」とは、教えて育むでなく、教えと育みである。手取り足取りで身についたものが横着で得たものなら、親の子への横着奨励である。ライオンの母親が息子に狩りを教える場面は感動する。言葉を持たない動物の親は、自らの行動で子に伝えるが、凄みを感じる。

    人間は親ができない事、できもしない事を無謀に子どもに押し付けるが、近代社会の要・不要を善悪と絡めて論ずる前に、親子の原型より欲が先行するようだ。よって、子育ての原型については人間よりむしろ動物から学ぶこと多し。子を人任せ(外注教育)に委ねるのは横着といえば横着であるが、子育ての「外注化促進」全盛時代に、親は、大人は、日本の将来をどう考えているのだろう…


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    孔孟より老荘と書いた。儒家は自分自身の修養から出発し、国家全体の統治にまで及ぶ目的を掲げる。老荘の道家はそれらを否定し、「無為自然」によってこそ世の中はすべて治まると説いた。 「無為」とは、「人為」の否定を意味するが、だからといって何もしないということではない。むしろ、人間の行いや人間的営為を「偽」として否定したうえで、天地自然の理法に従うこと。

    そんなことが果たして人間に可能か?正直難しく、簡単にできるものではないが、近づくことや掲げることは可能だ。何かを行為する場合、「利」に殉じているか、「理」に殉じているかしばしば直面し、それを自らに問い直す。「道理」より、「利害」が優先する人は多い。斯くの人間は、「誰だってそうじゃない?」と言う。が、道理と利害を戦わせる人は、利害に蹂躙されていない。

    道理と利害に葛藤し、自を批判・叱咤する。そのプロセスを経なければ、人間は自己の利益を何より優先する。例えば、日本が近隣の蛮国に攻められ、戦争が始まったら率先して銃器を持って戦うという人がいる。「しぶしぶ」ならともかく、「率先して」などと勇ましい事を言う。言葉は行動ではないし、言葉が本当かどうかは、実際に戦争が起こってみなければ分らない。

    人間は未知のこと、未来のことについて即断意見をいうが、それらは今現在の考えであり、否定せずに聞いていればいいだけだ。ただし、人間の心は絶え間なく変化する。20歳のときに、「国のために戦う!」と言ったとして、30歳で戦争になり、妻子もいたとするなら誰だって行きたくなくなる。が、20歳の時にそういったから、信念は変えないというなら見上げたもの。

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    誰の制約も受けない自発的な言葉はいかに変節しようとも罪はない。環境は人を変えるし、自ずと変わるもの。「信念」という言葉は聞こえがいいが、信念は未来に問うもの、されど過去に問う事多し。小学生の子どもが、「将来はサッカー選手になる」、「野球選手になる」と綴った卒業文集は微笑ましい夢で、立派に実現した人には「信念」の言葉を贈りたい。

    実現しないからと責めることもない。夢を持つのはいいが、持たないから悪いわけでもない。漠然とした夢、夢に向かわない夢、向かって挫折した夢、全ては他愛もない夢と見ていい。夢は叶ってこそ夢、叶わぬならただの願望である。あげく、持てば叶うということもない夢を本当に叶えた人の言葉は、「決して諦めないで夢を持ち続けた」というのが多い。

    が、同時に諦めないで夢を持ち続けても叶わなかった人もいる。その差を「才能」というしかないだろう。「夢」の根本は、目的意識を持つことにあると考える。実現に向かってたゆまぬ努力を惜しまないことにある。結果として叶わなくとも、自分の人生の一ページに残る何かであろう。挫折もプラスにすればいいし、決してネガティブになることもないが、そうもいかない人もいる。

    夢を抱いた時点では、未来のことは分らない。昔の少女は、「夢はいいお嫁さんになること」などといったもの。漠然とした夢であり、取立てなにもせずとも恋愛すればいい。恋愛が叶わぬならお見合いでもいい。が、いいお嫁さんになるためには、「お料理」、「お裁縫」が必須と、高校を卒業後に料理教室や洋裁学校に通う女子もいた。それらを花嫁修業といった。

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    それを思うと花嫁修業とは夢への邁進である。「花嫁」とは美しい言葉。「花」という言葉の持つ色々な意味にかけている。「花」=これから開く、美しく人の目引く、花の後には種が出来る…もある?御目出度い席に、花々しく煌びやかな美しい日本語だ。さするに、女が人生でいちばん輝くのは花嫁になる日。それをを知ってか知らずか、少女は本能的に花嫁を夢見る。

    「結婚式」というイベントに夢中になる「花嫁女子」、昨今は、「地味婚」などの流れもあるが、それでも女性にとって結婚式は大事なイベントである。男にとってはどうでもいいとか、あまり興味ないというのが通例である。昨今のように、業者が演出したプログラムに乗っ取って、まるで猿回しの猿が如きは、男にとって屈辱とまではいわないにしろ、愚かさ丸出しに思えてしまう。

    が、女性と言うのは、綺麗なウエディングドレス(あるいは白無垢)を着て、色んな人に祝福されて、それで大好きな人と結婚するってのは夢心地。業者によるプログラム演出やわざとい進行より、結婚式自体が大事である。結婚式など無駄な事だと思いつつ、女のナルシズムを理解する、もしくは、「派手はやめよう」と説得する。無理なら女の言いなりになるしかない。

    「結婚式に大金をかけるなどバカげた事」との考えに同調する女性もいるが、「女性は小さい頃から『お嫁さんになる』っていうのは1つの夢です。それが現実になり、色々浮かれて何がいけないの?って感じ。彼女が喜んでいるなら、幸せにしてあげたいと思うなら、つきあってあげるべき。そんな事いっているようなら、あなたの結婚はないですね。是非、結婚式・披露宴なんてぜったいしたくない!くだらない!と言っている女性を探してください。」

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    と、こういう発言もある。自らの考えを表明するのはいいが、「あなたの結婚はない」だの、「そういう女性を探せ」と感情的になるところに思慮がない。「派手婚否定者」を愚弄してまで自分の考えを肯定する必要はないと思うが、自分と異なる考えにムキになる。「そうですね、そういう人もいますよね。わたしは派手にやりたい派ですけど…」といって、何も問題ないのだし。

    己の考えに抗う相手憎しと人格攻撃する女は困りものだ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の女性は、他者の考えを認めつつ、よりよいものを模索する議論ができない。バブル時期と違って、地味婚がこんにち社会の趨勢なら、柔軟に応対することも大事であろう。それでも派手婚が夢なら、しっかり蓄えて夢を叶えなさい。他人の褌で相撲を取って何が夢かと。

    道理というものに欠陥はないが、「傲慢」にはどこか欠けたものがあるのよ。そこに気づかず夢だのなんだのと美辞麗句並べ、をゴリ押しする女性は、不作と思って間違いない。「臨機応変」とは、いわずもがな時と場合に応じて、対応や考えを変えることを言うが、男にもっとも必要なものとされている。『坂の上の雲』の秋山真之の対応をリーダー学の範とする経営者は多い。

    老荘思想の根底にあるのは「自然思想」。四季の移り変わりという自然に合わせて、それに人間が対応するように、状況に合わせた変化こそ自然であり、それをせぬを「無理」という。詩人の加島祥造が昨年12月25日に死去したのが伝えられた。享年92歳、死因は老衰である。信州大や横浜国立大で英米文学を教え、フォークナーやマーク・トウェインの翻訳がある。

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    東京出身の加島は、90年ごろから長野県の伊那谷に移り住み、老子に傾倒した。「タオ―老子」、「タオ―ヒア・ナウ」など、老子の思想を現代詩で表現した本が話題を集めた。07年の「求めない」は、「求めない――」というフレーズで始まる作品を収めた詩集である。山深い谷での素朴な暮らしから紡がれた言葉は、競争激化の現代社会に広く受け入れられ、ベストセラーとなった。

    彼は、「求めない――」について、「もう少し安らかに生きたいと思う時、この言葉を自分に向けると楽になった。80歳を超えた実感から出てきた言葉なんだ」と、2008年の朝日新聞の取材に答えている。自分も何がしかの実感から変わったもの、変わりつつあるものはあるが、まだまだ無欲や自然の境地には程遠い。が、自分の欲するものを求める域に近づきつつある。


    『求めない』(加島祥造)より

     求めない―― すると 失望しない
     求めない―― すると 心が静かになる 

     求めない―― すると それでも案外 生きてゆけると知る
     求めない―― すると いまじゅうぶんに持っていると気づく

     求めない―― すると 比べなくなる
     (ひとと自分を 過去と今を 物と価値を 持つと持たぬとを)

     求めない―― すると 自分の好きなことができるようになる

     求めない―― すると すべてが違って見えてくる
     (だって、さがさない眼になるからだ)
     求めない―― すると 前よりもひとや自然が美しく見えはじめる
     ほんとうだよ、試してごらん 求めないものの美しさが見えてくるんだ!

     求めない―― すると ひとの心が分かりはじめる
     だって、利害関係でない目で見るからだ

     求めない―― すると 改めて 人間は求めるものだ と知る
     求めない―― すると 自分にほんとに必要なものはなにか 分かってくる  

     一切なにも求めるな、 と言うんじゃあないんだ
     どうしようか、 と迷ったとき 求めない――と 言ってみるといい
     すると 気が楽になるのさ

     求めない―― すると 頼らなくなる
     これが「求めない」の いちばんすごいポイントかもしれない

     「自分全体」の求めることはとても大切だ。ところが「頭」だけで求めると、求めすぎる。ぼくが「求めない」というのは求めないですむことは求めないってことなんだ。


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    「求めない」の本質は「求める」であろう。加島とてそうであるように、人間は本当に自分の求めるものを求めればいいし、それが本当の幸福であろう。自分は、「親や周囲の言いなりになるな。迎合するな。」という基本的な考えにある。何かを手に入れたのに、たいして幸せを感じられない。目標を達成したのに、それほどうれしくない。こういう人は気づかなければならない。

    それらは、本当に自分が望むものだったのか?誰かの望みや期待に応えるものだったのではないのか?人の目や周囲・世間体を気にしたものだったのではないのか?これについて、ラ・ロシュフーコーも同様の事を言っている。 『人はおのれの好むものを得てこそ幸福であるが、他の人々が好ましいと思うものを得たとて幸福ではない』と…。


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