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「異性」と言う不思議 ⑨

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男に分らない女性の楽しみはいくつかあるが、あの下着の飾りは一体何なのだというのがある。レースしかりで、何で下着にレースが必要なのかと思ったこともある。テーブルクロスにもレースはあるが、それすらなくてもいいという男は(というか、自分は)、用途だけしか見ないのだろう。それをデリカシーの無さといわれると、無骨であるのを自認する。

女性が男に対する感性批判をすることがある。が、それらは批判ではなく性差と思った方がいい。でなければ、互いが理解には向かわないだろう。例えば男が、「何で女の下着はあんなにデコらなければならないんだ?そんなもん身に付けて、あったまおかしいんじゃないか?」というのが実感だが、女性はそういうものであって、だからメーカーもそういう商品を作る。

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そのように思えば批判は許容に変わる。男女の性差的なものをいくら批判したところで、それが変わる(直る)はずがないし、なのにする批判は侮辱ともなりかねない。「なんで女は…」、「なんで男は…」は普遍的なテーマであろう。いつになっても、「女(男)のここがわからない」系番組は後をたたないが、バラエティー形式でオモシロ・オカシクやればいい。

男女の性差的な違いが分らないのは、逆にいえば異性を求める原動力でもあるのだ。ところが……。男と女、雄と雌という純然たる自然界に突如現われたるが丸山明宏なる人物。名前は男名で、性別も男。なのに、彼は化粧を塗りたくっていた。言葉遣いは男であるが、特に注視していたわけではないにしろ、彼はどんどんと女に近づいていく。美輪明宏と改名もした。

1935年生まれの彼は現在80歳になる。年齢は生年月日が決めるものだから、人は誰でも50歳にも80歳にもなるが、1971年までは丸山明宏(本名)だった。改名も芸能人にはよくあることで、別段それはいいけれども、彼が丸山明宏で歌手デビューしたときは、なんと国籍・年齢・性別不詳として売り出していた。妙なことをすると思ったが、ミステリアス性も宣伝効果になる。

シャンソンである、「メケメケ」を日本語で歌う彼は、その艶麗な容貌、元禄時代の小姓衣装を洋装に取り入れ、レース地のワイシャツ等を身に纏ったユニセックスファッションであった。三島由紀夫がその美貌を、「天上界の美」と絶賛し、マスコミからは、「神武以来の美少年」、「シスターボーイ」などと評された丸山は、一世を風靡する(自伝『紫の履歴書』)。

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「メケメケ」で売り出した丸山ブームだが、新陳代謝の激しい芸能界にあって、わずか一年足らずで沈静化した。その間、丸山は自身が同性愛者であることを公表する。他人はともかく、自分はこの男が大嫌いであった。キモチ悪いという理由だ。「同性愛」というのも当時は異端・異質として、社会に受け入れられなかったこともあって、丸山人気は急落する。

自作曲をレコード化もできない不遇の時代が続いたが、1964年に、「ヨイトマケの唄」で再び人気を得る。そういった紆余曲折を経て1971年、読経中に『美輪』の字が浮かび、神様が与えて下さった名前ということで丸山明宏から美輪明宏に改名する。と、美輪の履歴はこれくらいにし、彼の後からはピーター(池畑慎之介)ら、男と女の中間人間が世の中に出始めた。

カルーセル麻紀も同列としたいが、彼は美輪やピーターと違って性転換手術を受け、完全に男を放棄している。以後、「おすぎとピーコ」らが騒々しいオカマ言葉でテレビを賑わす。デビュー当時に石原慎太郎が、「君らは歌手か?」と聞き、「私はオカマです」と答えた所、「俺はナマコとオカマは大嫌いだ」と暴言を吐かれておすぎが激怒する一幕もあった。

美輪明宏も以下辛辣に批判した。「自分は同性愛に対する偏見と闘ってきたのに、あの二人はテレビで、偏見に満ちた蔑称である“オカマ”という言葉を自分たちから連呼し、あえて笑われ者になる事で、同性愛者への偏見を助長している。せっかく同性愛が市民権を得てきたのに、歴史が逆戻りすることになる。その根性が実に卑しい。消えてしまえ。この、馬鹿者ども!」

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昨今、オカマやレズ、ホモやゲイは市民権を得ているようだ。でなくばあれほどテレビ露出はない。「市民権」とは、一部にしか行われなかったものが、広く認められて一般化する、という意味もあるからで、そうはいっても、公共施設やサービス業従事者としてオカマが、「おねぇ言葉」でネチネチ仕事は許されない。その点ではまだ適材適所という感じであろう。

適正サービスを提供する施設・場所では、当然にして適切な言葉使いがあり、男か女か分らないくねくねした人間を求める客はいない。最近、LGBT(GLBT)という言葉が言われる。女性同性愛者(レズビアン、Lesbian)、男性同性愛者(ゲイ、Gay)、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual)、そして性同一性障害含む性別越境者など(トランスジェンダー、Transgender)の人々を意味する頭字語。

これらの扱いは国によって違うが、日本で同性愛は違法ではないし、日本文化や日本国内で広く信仰されている宗教においても、LGBTの人々に対する強い反発は、諸外国と比べてほとんどない。が、一部のコメディアンやテレビのバラエティ番組において、同性愛者らを特異な存在として扱う傾向は存在する。就職活動でもまだLGBTに対する差別や偏見が存在する。

LGBTの対応が今後どういう風に進展するのか、変化して行くのかは分らないが、就職差別というよりも、LGBTは区別されてしかりの存在であり、キッパリ「No!」は問題ない。「オカシイ」と思う人はまだまだ相当数いる。観覧して、「面白い」のと、適切で無難なサービスを提供されるビジネスにあっては、スタンダードが求められ、「イロモノ」は無用。もちろん、医師・政治家も…

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男と女の中間種族のことはこれくらいに、女性の楽しみである下着も古今東西、多様に変化している。現在の日本の下着は洋装にあったものだから、日本古来のものではないし、和服文化の日本にあってはパンツを履くという時代はかつてなかった。卑弥呼も清少納言も静御前もお市の方もみんなノーパンであった。十二単を着て手水(ちょうず)に行けるはずもない。

お姫さまは十二単を着たまま、中におまるを入れて、そこに用を足し、それを下の者が 川などに捨てに行っていた。で、用足しの後で拭いたのか?小は拭かないが、お尻は拭いたようだ。和紙は当時は貴重だから、紙で拭くなどとんでもない。「籌(ちゅう)木」と呼ばれるヘラのような木で拭いた。「籌木」は奈良・平安時代の遺跡などから、沢山発掘されている。

近代用語では「籌木」のことを「クソベラ」と言う。臀部についちゃったウンチを掻き落とす役目も果たした。不便ではあったろうが、これしかない、これが当たり前の時代には、さほど不便なく用便していたはずだ。オカマとウンチの話はこれくらいにして、男に分らない女性の下着への思いを考察してみる。しても分らぬものは分らないが、少しは近づくかも知れん。

これまで女性用のパンティーといえば、過激なTバックだろうが、紐パンだろうが、基本は「履く」である。ところがついに、「履かないパンティー」がイタリアより上陸した。その名は、『ストング』。履かないとなるとどうする?「貼る」のだ。パンティー前後の両端にシリコン素材が装着しているため、軽く当てるだけでピタッと付く。そして、装着後の姿は……。

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前面にはコケティッシュなレースの三角形の布地のみが、そして後ろ面はお尻の間からワンポイントのハート形レースがお目見え。何ともセクシー、もしくは淫靡なすぎるパンティーだ。同商品を販売するウィズ・アスの小島さやかさんによると、女性陣はむしろ「勝負用」ではなく「実用」として買うらしい。 素材は通気性のいいレース素材で、装着面は素肌にやさしいシリコンジェル素材。

「ローライズのデニムやタイトスカートをはく時、下着のラインが出ないので便利。腰回りを締め付けず着用のストレスがないため、脱毛処理後のデリケートゾーンがチクチクしないという利点もあります」(販売担当員)。あっそう…。そういうメリットがあるなら一人で家にいるときに履けば?ノーパンにパジャマ女は結構いる。自分的にはコケティッシュというよりコッケイだ。

ちなみにこのパンティー、洗って繰り返し使用できるという。いちいち捨ててたらビンボーになる。2013年5月、美容展示会で限定発売したところ400枚が即完売。この人気を受けて、webshopがオープンした。近年、テレビは「流行ってる」とか、「人気上昇中」とか大げさに言って、ネタのものしか紹介していないので、あんまり信用しない方がいいと思うのだが…。 

下着は機能性や肌への優しさを突き詰めていくべきで、それが本来の用途であろう。何でもかんでもオシャレ優先、インパクトとばかりに拘る業界のホンネは、用途・機能性以外に目を向ける女性はいるとのこと、もしくは奇抜な発想で大衆をリードして行こうという腹づもりもなきにしもあらず、と見受ける。400枚が即日完売というのは、とりあえず物珍しさであろう。

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 誰が履いたら似合うのだろうか?と、巡らしたら叶姉妹くらいしか思い当たらない。このパンティは一種のゲテモノだから叶姉妹?というのは否定はしないでござるよ。女性の下着を脱がすのは、男にとっての至福の瞬間(とき)であるが、脱がすから剥がす時代が到来するなどあり得ん。こんなの履いて(付けて)きた折にゃ、「バカかお前は?」とコキ降ろしてやれ。

このようなゲテモノ下着は、果たして下着なのかと言っておきたい。目の前の女が付けていたなら、やる気も失せ、げらげら笑ってオシマイさ。「おまえはパンティーのつもりなんだろうが、こちとらまるでおむすびのノリだわい。いくらしたのかそんなもん、二度と見たくはねーぞい」と口にでそうだ。そういえば、おっぱいに貼るブラがあったが、あれは需要あるんか?

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下着販売関係でないからワカラん。女性の下着の歴史を問うとき、下着メーカーのワコールが1961年4月から連載を始めた、『下着の変遷史』にこう記されている。「人間の肉体が全身毛で覆われていたとしたら上着も下着も要らない」。これは、人間が今日のような姿になったことで、何かしらを身につける習性が生まれ、下着を含む様々な衣服形態がつくられていった。

下着の歴史は、正に人類の歴史と共にある。パンツを履かない日本の和服にも腰巻という下着はあった。『下着の変遷史』創刊翌月号には、「下着発達の歴史的な起伏の中で、ルネッサンスほど急激な変転をきたした時期は、他に見出すことは出来ない」とある。ルネッサンス時代に、下着は肌を保護するものから、人体美形成のためのものへと急激に変化した。

こうして女性の体型のシルエットをつくる新しい下着が次々に生まれた。女性が下着によって体型を整えることは今は当たり前だが、ルネッサンス時代に始まっていた。当時、上流階級の女性達のドレス・スタイルに「コルセット」は、貴族社会への憧れのアイテムでもあった。そうしたなか、コルセットのないスタイルのデザインが、ポール・ポワレによって生み出す。

そんなコルセットを、「女性の身体を締めつけ、動きを不自由にするだけのもの」とし、ファッション業界から追放したのがココ・シャネルであった。「私の生き方そのものがモードだった」という名言を残しているシャネルは、ファッションデザイナーとしてだけではなく、生き方そのものが女性にとってカリスマ的な魅力を持ち、多くの人に愛されている。

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女性からコルセットを永遠に追放したシャネルは、「女性達の身体だけではなく精神も解放したデザイナー」と呼ばれている。シャネルは第一次大戦中、戦争で男性がいなくなり、今まで男性が働いていた職場で女性が働かざるを得なくなっても、相変わらず長い裾のドレスで不自由そうに裾や袖を手繰っているのを見て「着飾るためではなく生きていくための服」を提案。

足さばきが良いようにと裾は引きずらず、ふくらはぎの手前までにカット、袖口にも余計な装飾は施さず細めの袖で働く時に邪魔にならないようにデザインをした洋服を発表した。さらに、当時は男性用の下着にしか使用されていなかった伸縮性のあるジャージー素材を用いた大胆な洋服を発表し、今までのファッション業界の常識を完全に打ち破った。

コルセットは実用下着というより、ボディラインを整え、衣類の美しいシルエットを造り出す。ファンデーション(補正が主の下着)である。現在でも世界的なメーカーとして、MARUKO、コレール、ブラデリス、トリンプ、ワコール、アツギ、木屋等が製造している。ブラジャー、ウェストニッパー、ガードルなどは、現代の代表的ファンデーションといえよう。


「異性」と言う不思議 ⑩

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【「異性」という不思議 】なんて表題で書いたが、表題らしくない、表題とはまったく関係のないことを書いたという人もいよう。それは個々の主観だから、「我思う」のはどんな風に思ってもそれは問題ない。主観とは「自我」であり、よって主観なきひとは「自我」がないということになる。「自我はなくても痔があるよ」というのは、さえないオヤジギャグ。

自我を説明するのは結構難しく、こういう難しいことは考えるよりも知識として知る方が手っ取り早い。何でもいちいち考えるクセも大切だが、考えても分かりそうもない事ならすぐに調べて知識とした方がいい。自我は自己ではないし、自我は自己とは違う。自己の方が説明は楽だ。自己陶酔、自己紹介、自己流、自己満足、自己中などの言葉からでも意味を推察できる。

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日常で使う「自我」は自己より少なく、「自我同一性」、「超自我」くらいが浮かぶ。「携帯で自我撮り写メって~」というメールをもらったことがあるが、正しくは「自画撮り」だ。漢字間違いなんか直す必要はない。指摘されれば直すが、漢字書き取りテストじゃあるまいし、言う側が意味を理解し、受け取り側も理解できたらそれでいいのがオトナの世界。

それが一番大事なことだが、時たま指摘をするとすごく恥ずかしそうにしたり、弁解したりする人もいる。な~んにもカッコ悪いことじゃないのに。それが分かった以降、他人の漢字間違いは指摘しないようにしている。別に「自我撮り」でも「自画撮り」でも変わりない。むしろ間違ってくれたおかげて、「そっか~、自画撮りだな」と、意識を新たにする恩恵となる。

だから、間違った漢字は相手にプラスになったと思ったらいいし、ただし腹で思って口には出さぬこと。せっかくの相手の指摘(善意)を無にするばかりか、嫌な気持ちにさせることになる。他人の主観にチャチ入れる奴も、漢字間違いを指摘する奴も、人から好かれない気質だろう。親切心のみで指摘してあげたいなら、言い方に気を使う必要がある。

なぜ気を使うかは、上のように自尊心を傷つけられたと思う人もいるからだ。自尊心を傷つけないように上手にいうことだ。若い頃に、親切心で指摘したら「お前はワシに物を教えようとするんか?」と言われてビックリしたことがあった。そこまで言うか(思うか)、なんと器の小さい人だといっぺんに嫌いになった。物事を悪意にとる人は、心が歪んでいる。

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歪むような生い立ちがあり、それは親や周囲が作った環境だ。悪意はなくても悪意に取られることの対処をどうする?これが社会で人が学ぶべき大事なことの一つであろう。自分はこのことを相当学んだ。善意にいって、いきなり気分を悪くする、怒る人は多かったが、その時「なんと心の(器の)狭い奴だ」と、自分に言い聞かせていたこともあった。

若い頃はそうしか思わなかった。「悪気はないのに相手が勝手に怒るなど、知ったことか!」、「それでなんでこっちが謝らなきゃならないんだ?」と、このように思った人は多いだろうし、すぐに自己断罪して、「ごめん、気をわるくした?」と謝る人もいる。悪気がなくても、相手が立腹したなら"誤解を与えることを言った自分が悪い"というのは穏やかだ。

少年の心意気は、"自分が悪くないなら絶対に謝らない"というのも男らしい気概であろう。が、「火のないところに煙は立たない」というのはその通り。情緒が成熟し、つまらぬ維持を張るよりも"謝るのがいい"という考えになっていった。最初からすぐに謝るというスタンスよりも、こうした紆余曲折を経て、信念として謝罪が正しいとなったことに価値を感じている。

「何でも謝っておけばいい」というのとは雲泥の差であろう。人はオトナになる。若いころは誰でも無知だしバカである。バカであるから成熟があるのだろう。さて、「異性の不思議」という表題とし、それを含みとした雑多なことならいつまでも書けるし、今後も折りに触れて書くからいいが、異性についても、人間についても、一筋縄ではいかない生き物だ。

イメージ 8だから、何を書いても人間についての記述になる。異性も人間なら「表題」云々ということはない。「えっ?このタイトルでこの内容?」という文学や映画などいくらでもあり、タイトルの示す割合というか、それほど縛られてはいない作り手も多い。作者の題するタイトルを編集者が変えることも多い。一つの詩、一つの楽曲からいくつものタイトルがつけられる。
ベートーベンの有名な『月光の曲』も、ベートーベンはそのように聴かれるなど、夢にも思っていなかった。印象派には表題音楽が多く、ドビュッシーの『月の光』は、月夜の光をイメージして作ったように取れるが、ヴェルレーヌの詩集『艶なる宴』に収録されている詩「月の光」、フォーレの「月の光」に似た音形があることから、こちらの影響を受けたと思われる。

ベートーベンの『月光』に影響され、自分ならどういう『月光』を考えるだろうか、と思案して作ったりするように。それで出来上がったが『月光仮面』てなことではない。が、ショパンのピアノ協奏曲第一番は、小林亜星にかかると『北の宿から』になる。他にもある。ホルストの『惑星』より「天王星」はどう転んでも「たんたんたぬき」のキン時計である。

プロコフィエフの『ロメオとジュリエット』はいかにも「ゲゲゲの鬼太郎」。チャイコフスキー『交響曲第四番』は、誰が聴いても「亀田のあられ、おせんべい!」でしかない。まああれだ、似ていないものを探すのが至難であろうし、盗作・盗用問題はついて回るのは仕方がない。八神純子の『パープルタウン』も盗作とされ、原曲の外人の名がクレジットされている。

ジョージ・ハリスンの『マイ・スウィート・ロード』の発売五年後に訴訟となった。作曲者は概に死去していたが、作曲者の母親&楽曲管理者が起こした訴訟に対し、「何年も前に死んだ彼(作曲者)の会社を引き継いだ会計士たちが、金目当てに僕を訴えている」とハリスンはコメントしたものの敗訴、58万7000ドルの損害賠償を命じられ、支払いを実行した。

盗作のイマジネーションの線引きは難しいが、意図する意図しないに関わらず、長い小節の引用は盗作と認定される。これは仕方のない事だ。人間の口は嘘をつく。「原曲の存在は知らなかった。たまたま自分のイメージと合致しただけ」と言っても、真実かどうかは分らない。それなら楽曲そのものは嘘をつかないし、そこに現実として存在しているわけだから…

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次なる女性の楽しみと浮かんだのは美容院。美容院といえば髪型。近頃はヘアスタイルといい、これも女性の楽しみだ。と同時に、男にとっても女性のヘアスタイルは楽しませてもらえる。「歌は世につれ」というが、「髪も世につれ」である。子どもの頃にセシルカットが流行った。1958年公開の映画『悲しみよこんにちは』で、女主人公セシールの髪形から流行。


『悲しみよこんにちは』はフランスの女流作家フランソワーズ・サガンの長編小説演じたのはジーン=セバーグで、そこからセシルカット。当然ながらこの映画は見ていない。4年前の1954年にはヘップバーンカットが流行る。いわずもがなオードリー・ヘップバーンの髪型である。1967年にはツイッギー来日旋風と同時に、彼女のツイッギーカットが大流行。

 70年前半には南沙織、栗田ひろみ、麻丘めぐみなどのロングヘアが流行る。麻丘めぐみのそれはサイドのみ短く直角にカットし、お姫さまカットといわれた。70年代にはウルフカットが一世風靡。当時は男も長髪で、野口五郎、西城秀樹、沢田研二らがウルフカットにした。70年代後半にはキャンディーズの伊藤蘭がロングヘアに軽くパーマをかけて、トップを短くしたスタイル。

ロングではワンレン(ワンレングスカット)とともにボディコンがディスコブームのアイテム。ワンレンの派生系で、トサカのように前髪を立たせたり、芸能人代表は森高千里。ロングに細かいパーマをかけたソバージュは、80年代後半から90年代前半のバブル時代を象徴する髪型で今井美樹が長いことしていた。現代に生きるザ・キング・オブ・ソバージュは、葉加瀬太郎か。

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蘭ちゃんカットは、80年代のアイドルヘアの先駆け的な髪型となる。そうして極めつけはなんと言っても聖子ちゃんカットであろう。前髪は眉を隠す程度、サイドとバックは肩下5〜10センチ程度のレイヤードをセンター分けにし、毛先をサイドは後ろ、バックは内側にゆるくカールさせる。当時自分は同じ聖子ちゃんカットの早見優と松本伊代の区別がつかなかった。

一応男にも名前のついた髪形はあった。先ずはGIカットで、アメリカ兵士が入隊の時にするカット。GIとは、Government Issue の略で、本来は官給品の意味だが、下士官・兵は衣服その他が官給であるところから、アメリカ兵の俗称となった。1950年代にロカビリーの幕開けと共に流行したダックテール。「アヒルの尻尾」を意味したリーゼント風の短髪である。

慎太郎刈りは、芥川賞受賞当時の石原慎太郎のヘアスタイルで、メディアに取り上げられ、写真や映像を通して瞬く間に日本中に広まった。小説から「太陽族」なる言葉も生まれ、登場人物の生き様やファッションとともに、若者の流行のひとつとなった。慎太郎の弟裕次郎もこの髪型で、どちらかというと裕次郎がカッコよくて流行ったのかも知れない。

ビートルズとともに流行ったのがマッシュルームカット。別名モップヘヤとも言われたが、眉毛の上で前髪を切りそろえ、全体をマッシュルームのように膨らませた形になることからこう呼ばれた。なお、現代に生き続ける、ザ・キング・オブ・マッシュルームカットは、雨上がり決死隊の蛍原徹。モップヘヤが雑巾なら、クールで清潔な髪型の代表がアイビーカット。

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これは石津謙介が日本でアイビーファッションを流行させたことによる。ロングヘアの代表である狼カットは、ロッド・スチュワート、キース・リチャード、日本では長渕剛などが代表的だったが、マイク真木をはじめとするカレッジフォークのメンバー、ワイルド・ワンズの全員、加山雄三、田中邦衛など、アイビーファッション&アイビーカットの芸能人は多かった。

その他、サーファーカット、テクノポップが流行るとテクノカット、テクノカットよりも前髪部分が長く、ふぞろいにしたスタイルで、チェッカーズや吉川晃司らがやっていたチェッカーズカット。キャロルや横浜銀蠅などが愛用し、不良やヤンキーが好んだリーゼントカット。ソフトモヒカンは2002年の日韓ワールドカップでベッカムがこのヘアで登場し、流行らせた。

90年代に再び長髪が若者ファッションとして取り入れられる。これは江口洋介や木村拓哉の影響であろう。単純にロン毛と呼ばれた。ショートヘアではボッブ風と刈り上げの混在するツーブロックが流行る。吉田栄作のサラサラヘアなツーブロックはイケメンにマッチして人気だった。EXILEのATSUSHIが坊主に様々な模様の刈り込みを入れる髪型をバリアートという。

極めつけはスキンヘッド。髪を剃り上げたヘアスタイル、いわゆる丸坊主のこといい、これがヘアスタイルなのか?髪型といえるのか?そうともいえるし、そうとはいえない。薀蓄をいうなら、髪がたくさんあるにも関わらず、剃っているとするならヘアスタイル、毛がなくてツルはげなら、これは髪型とは申せまい。問答無用の「ハゲ」である。

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それにしても頭頂部の毛がないからと言って、サイドや後頭中部or後頭下部の毛を頭頂部にもって来る髪型、アレは特には名はないが、付けるとしたらフェイクヘアか。ズラこそフェイクという人もいるが、分かるズラはフェイクでも、分らないズラもあるから、ズラ=フェイクの断定は誤り。1:9分けをフェイクとする理由は、誰が見ても頭頂部の髪でないからだ。

髪型(ヘアスタイル)の定義は、髪があるというのが大前提だから、ハゲはヘアスタイルを楽しめない。頭頂部の毛がない(いわゆるハゲ)をごまかすために、すべての毛を剃って、「どうだ、スキンヘッドだ。カッコいいだろ?」といわれても、「それってハゲを目立たなくするためにごまかしてるんでしょう?」というのは、おそらく失礼にあたるので言わぬがいい。

女性が胸パットを入れて、そ知らぬ顔をしていると分かれば、胸は触らないようにするのが紳士である。そういう女性が、そういうシュチエーションを受け入れようとするとき、必ずトイレにいってパットを取って来る。その時、小さくなった胸を見て、怪訝な顔をするのもよろしくない。これはズラの男の髪の毛をむしゃむしゃすると同じ御法度であろう。

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近年はパットはブラの中に入っているか、ブラの生地が厚くて上げ底であったりと、時代も便利になったものだ。そういえばズラも最近は進化したのか、頭頂部の残り少ない毛髪の根元を縛ったりして増やすマープ増毛法とかあるらしい。ヘアスタイルとして認められるか否かはさておき、ブルース・ウィルスのようにスキンヘッドにするのが、お勧めだ。で、結論は以下。

  男はどうして女を求めて さまよっているんだろう
  女はどうして男を求めて 着飾っているんだろう

「死ぬ」と言う不思議

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「死」とは何か?について小学生に質問したら、次のような答がくるのではないか?「命が終ること」、「命がなくなること」、「心臓が動かないこと」、「体が動かないこと」、「生きてないこと」、「息をしないこと」、「腐っていくこと」、「意識がないこと」、「一生が終ったこと」、まだまだ他にもあるだろうが、上に挙げたことはどれも正しく、どれも間違っていない。

では、「死とは何?」と聞かれたら自分はどう答えるか?沢山あるけど、ありふれた普通の答えではつまらないので、少し人に考えさせる意味でこう答える。「死とは目にみえないもの」。どういう事か分かる人もいるが、説明のいる人もいよう。分からぬことをさも分かったようにいう人はいるが、本当に分かったことなら誰にも分からせることもできるはずだ。

イメージ 1自分だけが分かっても、「分かった!」ことにはなるが、人に分からせることは、「分かった!」の実態も範囲も広まることになる。「死が目に見えない」といえば、目の前に人や動物や虫の死があれば、ちゃんと見えるではないか?「死が見えないってどういうこと?」と問われるかも知れない。確かに死は目に見える(ようだ)。けど、"ようだ"という括弧は何だ?
自分が言いたいのは、目の前にある何かの死は、それがピクリとも動かず、5分も10分も同じ状態であり、息もしていないようなら、それを死んでいると認識する。「虫の息」というが、虫は息(呼吸)をしない。なぜだ?考えたことがある人はおそらく少ないだろう。なぜ、呼吸をしないで生きていられるのか?いや、虫は息はしている。あまりに小さいので人間に聞こえないだけだ。

それを証拠に、人間や動物のそういう状態を、「虫の息」というではないか。これは、正しいようで正しくない。確かに、「虫の息」とは今にも絶命寸前状態の、耳を清まさねば聞こえない状態をいうが、もし、小さな虫が息をするなら、おそらくそういう感じであろうとの比喩で、虫は息をしない。では息(呼吸)をするとは、どういうことか?なぜ呼吸をしなければ生きていけないのか?

なぜ呼吸をしないで虫は生きていけるのか?呼吸は肺で行う。息をするとは酸素を取り込むこと。酸素が生命に必要であるからだ。息を吸うと空気の中に混じる酸素が、気管に入り、木の枝の先端のような細い気管支へと枝分かれして、最後に肺胞というところに入る。肺胞一個に気管支1本がつながり、肺胞に入った空気は肺胞内をとりまく毛細血管に入っていく。

呼吸とは字の如く、酸素を吸気とともに外界からとり入れ、二酸化炭素を呼気として外界に捨てること。これをガス交換といい、生命維持には絶対不可欠。呼吸は意識でなされるが、ほとんど無意識で行っている。X線撮影のときに、「ハイ、息を吸って~、息を止めて~」というように、意識で止めることは出来るが、もし技師が、「息を止めて~」のままだったら人は息をせずに死ぬのか?

そんな馬鹿な。そこまで従う必要はない。ところで人間は、どれだけの長さ息を止められるのか?普通息を吸うのは体の酸素が欠乏するからだが、欠乏する前に息を吸いたくなる。息を止めていると酸素が欠乏する前に、最初のうちは脳が不快感を起こしてイライラする。そしてついには許容範囲を超えてると判断、脳は強制的に横隔膜に呼吸再開の指令を出す。

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さすが「脳さん」、あんたは命を司る司令塔だよ。ところが、そういうた脳の指令に逆らい、くだらないギネスブックのために(というか、人間の限界の挑戦のために)息止め実験をやる人は後を絶たない。険しい登山をする人は「そこに山があるからだ」と果敢に挑戦するように、息止め行為をする者は、「そこに空気があるからだ」ということなのだろう。

一般人の息止め秒数は以下の通りだが、この記事を書いてる最中、自分も挑戦してみた。一回だけの挑戦で65秒であった。もう少し体調等を整えたら90秒くらいはいけそうな気がするが、酸欠でちょっと頭がクラっとしたが、それよりなにより、脳の横隔膜指令のストレスがすごい。「コラ、お前は何やってんだ?しょーもないことすな!」と怒り心頭の脳である。

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ちなみに現在記録されている世界記録は、「22分22秒」であるというが、「これは凄い!」。この人は、息止めに挑戦するに際し、新陳代謝を鈍らせるために5時間前から絶食、思いっきり純酸素を吸い込んで肺を満たしたという。が、これだけ長く息を止めていられる理由は、ヨガを組み合わせた独自の方法を体得しているからという。肺活量も一般人より20%多いそうだ。

先ほど酸欠で少しフラっと、といったが、生体反応的には息を止めると脳が活性化するといわれている。理由は、息止めすると脳は酸素が減少していると錯覚し、頚動脈が大きく開いて、多くの血液を脳に運ぶ。それによって酸素を含んだ血液が通常以上に脳にいきわたる、ということらしい。そういわれて見ると、息止めした後には脳の爽快感があるようだ。

イメージ 3「男女の窒息プレイはこれなのか?」と、言ったところで今日のお題目は「死」についてだが、上に提起した「虫はなぜ息をしないで生きていられるのか?」だが、実は虫は呼吸をしている。中学の「生物」の授業で習ったと思うが、昆虫の大部分は腹部に気門という穴があり、そこから空気を取り入れて呼吸を行っている(水生昆虫はエラで呼吸をしている)。
人間や小動物も含めて一般的に血液の中の赤血球が酸素を運ぶが、昆虫には酸素を運ぶ血球はなく、体中に張り巡らされた気管が体の隅々までに酸素を運んでいる。うまくできてるのよ、これを神が設計したと有神論者はいうが、これを上手く出来たものが、自然界で、何かの意図もなくできるはずがない。よって神の仕業以外に考えられないというスタンスのようだ。

自然の不思議、自然の合理は、人智を超えたものであるが、だからこそ花の色や形にしろ自然の産物と思うが、どうしても何者かの仕業にしたいらしい。全能の神、何でも創れる神の設計なら不思議でないのか?不思議ではないのだろう、その点はさすがの神である。自分などは、これだけ複雑で機能的で効率的な生命体を、神がどうして創れるのかと思ってしまう。

が、反面、人間が神を作りたがる理由も分からなくもない。本当にいるなら、「神よあんたはすごい人だ!」いや、人ではない、「神よあんたはすごい得体の知れぬ何かだ!」。人間の描く神の絵、神の姿、神のイメージは、人間の姿・形の域をでないが、人間は神の姿を人間以外に捉えられないものか?と思うが、神は自分に似せて人間を創ったというのだから似ていて当然。

という論理。それならそれ、聖書にある神の言葉はいかにも人間的である。全知全能の神は、これほど世俗的・人間的なのか?てなことを宗教者にいうと、「あなたは神のことを知らなさ過ぎる」という。「あんたこそ、神についての概念は書物で仕入れた受け売りだろう?」といえば、「信仰者は聖書がすべて、聖書を疑うなら信仰はなりたたない」らしい。

その人の規範になる信念のことを「バイブル」という言い方をするように、聖書はキリスト教の唯一無二の聖典である。が、キリスト教のみの聖典でもない。『旧約聖書』はユダヤ教、イスラム教の聖典でもある。『旧約聖書』には謎も多く、理解しがたいことも多い。最後の審判やメシアの出現をにわかに信じられぬ人であれ、『新約聖書』の言葉に心打たれる。

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キリストの慈愛に満ちた清冽な言動は、信仰に浴さぬ人々の心さえも洗う。信仰を否定はしないが、信仰を不要とする一抹の人間である。信仰には生のご利益も言われるが、むしろ死へのご利益が言われたりもする。死が損失であったとしても、人はその損失を受け入れることになる。であるなら、「損失」と思わない方がいいのか、「損失」ろ向き合うべきか?

人生には様々なリスクがある。日本語化した「risk」という言葉は、危険、恐れ、不確実性、未来的に損害の発生する可能性との意味。同じ「危険」の意でも、英語の「デンジャー(Danger)」が、「そこにある危険」全般を表すのに対し、「リスク(risk)」は「ある行動や選択を行った場合に発生しうる危険」のことを意味し、「自己責任により冒す危険」と言える。

人が寿命を持つことをリスクといわない。摂理であって、死のリスクの高いところに出かけるのとは違う。普通に生きても誰にも死は到来する。我々は人の死は見るけれど、自分の死を決して見る事はない。死後に、「屍から魂が離れて、自分の屍を見ている」という表現はあるが、現象の真偽はさだかでない。我々は、「誰それさんが死んだ」という言い方をする。

長年飼っていたペットでもいい。死んだというのは、「動かなくなった」ということをいう。ペットが目の前で、「動かなくなったから死んだ」と思うか、「死んだから動かない」と思うか、は人それぞれだ。もう餌をやることもないし、喜んで食べている姿を見ることもない。呼びかけても跳んでくることもない。生きているときと大違い、これが死ぬということだ。

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死んで動かなくなったペットを見ながら、「動かないとは何か?」を考えてみるに、息をしていないのも動かない。触れてみると心臓の鼓動もない。そういった目に見え、触れて感じることで、「死んだ」と認識するのであり、横たわる「死体」がそこにある。ペットの死体はみることができるが、果たして飼い主は「死」を見る事はできるのであろうか?「死」がペットの死体のどこにある?

それが自分の言う、「死は目に見えないもの」である。人の死、あるいはペットの死に遭遇し、死体に遭遇しても、死体は目にすることができても、「死」そのものを見る事はできない。目にできるのは、「現象としての死」であろう。現に自分が死んでも死を見ることも、体験すらもできない。愛玩したペットの死体は見えるが、愛くるしい心はどうなったのか?死んだ誰かの心は?

同じように自分の死の一切を自分は見ることができない。自分のことなのに自分の屍さえみることができない。もう、自分はいないのだし、自分はなくなったのだ。その「自分のなさ」すら考えることもできない。「ああ、この虚しさ、この淋しさ、これが恋なのか」という歌があるが、生きているから感じる虚しさであろう。おそらく死は虚しいはずだ。

しかし、それを感ずることもない。「ある」はすべて生あるものに存在し、「ない」はすべて死するものに存在する。生死の不思議さとは、端的にいえば「ある」と「ない」の差ではないだろうか。苦しさがある、悲しさがある。喜びも、苦痛も、楽しさも、すべて生きていることの産物だが、死ねば一切がない。つまり「死」は「無」である。では、「無」とは何だ?

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「無」とは何も無いことである。だとするなら、「死」が「無」であるなら、死は無いことになる。死とはいったいどこにあるのか?いや、「死=無」なら死はどこにも無い。なのになぜ人は死を怖がるのか。何も無い「死」を怖れる理由はなんであろう?おそらく、何も無いから怖い。何も無い事が怖いのではないのか?という事は、何かをしたい、何かを起こしたい。

それが人間であろう。何かを起こすことは何かのリスクがある。そのリスクでさえ、何かが起こるという喜びではないのか?起こることを怖がっているより、起こることは、まぎれもなく起こそうとしたこと。だから起こったのだ。ということは、何も起こらない「死」を怖がり、忌避していいことになる。死ぬことを怖れることは当たり前なんだと。自分の死も、他人の死も…。

人が死ぬのを怖れてあげたらいい。可愛そうだと思ってあげたらいい。いかなる理由で人が人を殺すなど、そんなことをすると罪と罰が怖いからではなく、人が死ぬのは哀しいだろう?自分が死ぬのが怖いように、人も死ぬのが怖いんだよ。自分は死にたくないなら人を殺すな。「お願いだから殺さないで…」哀願する女性を無慈悲に殺した男の事件が数件あった。

どうして逆の立場に自分を置かないのか?不意に殺されるより、これから死ぬであろうという境遇の恐怖心…。「殺さないで」、「話を聞いて」、これは『闇サイト殺人事件』の被害者の叫び。「殺さないで、誰にも言わないから」、これは同僚に監禁され、強姦・殺害された、『岡山元同僚殺人事件』の被害者。犯人で死刑が確定した住田紘一は、「命乞いにも心は動じませんでした」と公判で吐き捨てた。

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3日前の29日午前、神奈川県三浦市の港でビニールシートに包まれた人の遺体のが見つかった。女性の身元確認を進めるとともに捜査本部を設置し、殺人事件として捜査している。遺体は岸から20~30m ほどの海面に、ビニールシートに包まれ、ロープで縛られ重りがつけられてうた。警察の司法解剖の結果、女性は30代から40代くらいで、身長は170cmくらい。

司法解剖の結果、肺などに大量の水を吸い込んでおり、県警は生きたまま海に入れられた溺死と明らかにした。溺水とは水などの液体を気道に吸引して窒息することだが、これをされたら最初はパニックに陥り、息をとめようとするが、30秒から90秒くらい頑張るものの、やがて肺に水が入ってくると、「胸が引き裂かれて燃えるような感覚」を覚えるという。

酸素欠乏から徐々に無意識状態に陥り、終には心停止。人は残酷だ。恨みの度合いか、もしくは愛知、岡山の女性のように何の恨みもないのに、ヒドイ殺され方もされる。何のために生きてきたのだろう、こんな目にあうのなら。金品も強姦もいいが、せめて命くらいを助ける仏心はないのかと。生きたまま海…、この被害者の感じた恐怖を思うと、同じ目に合わせてやりたい。 

2002年にあった、「三島女子短大生焼殺事件」も、強姦後、生きたまま焼かれるという惨忍さで、筆舌に尽くし難い人間の犯行である。以前はこういう行為を、「鬼畜」と断罪したが、こんなにも数が増えると、「鬼畜」という言葉よりも、人間そのものが普通にこういうことを行うのかもしれない。犯人服部純也死刑囚(40)は、2012年8月3日、死刑を執行された。

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「人を殺す」と言う不思議

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我々は何かを行為するときに、その行為の善し悪しを判定するが何故だろう?そんなことにまで疑問をもって考えても答えは難しい。例えば、「善い行為をしたいからだ」と言っても、そればかりとはいえない。善し悪しを思考の末に「悪」と判定しても、その行為をするからだ。「善」を行う時はともかくとして、「悪」とわかって行為するとき、人の心はどうなのか?

「悪人」という言葉があるが、「悪人とは何か?」同じように、「善人とは何か?」。付け焼刃のマークシート方式の試験解答よりも、こういう問いに答える方が、人間の中身(論理性)を判断できる。もう一つ、感性をみるには、「感想文」がいいだろう。学生の夏休みの宿題の定番である、「読書感想文」だが、「何を書いていいのか分らない」という子どもがいる。

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どうしてそんなに構えるのだろう。目の前にある事が置かれているとするとき、「何をすればいい?」、「どうすればいい?」、それがわからない。というのは不幸なことと思うが、なんでそんな風に思うのか不思議である。そもそも読書感想文を、「どう書いたらいい?」、「何を書いたらいい?」という子ども自体、バカだと思う。バカというのは比喩である。

なぜかといえば、人には感性がある。感想文に限らず、行為や事象(自分の行為・他人の行為・あるいは自然に起こったことに限らず)に対しては必ず何かを感じるはずだ。だからそんな簡単なことを問うこと自体がオカシイ。と正論をぶってみたが、子どもは総じて作文の類を嫌うのはみな同じ。自分が思うにその理由とは、"無理やりやらされる"ということではないか?

それと、感想文にしろ、作文にしろ、「思った事を書けばいいだけだろ?」と教師は指導するが、こんなのは指導といわないただの世間話である。「感想文をどう書いていい?」と問われたら自分ならどう答えるだろうか?こんな風にいうかも知れない。「昨日、夕食を外に食べに行った。美味しかったけど、あまりに高くて予算をオーバーして、お金が足りなくなった」

さて、「このことをお前はどう思うか?それを書くのが感想文だ。今、言ったことから分らないこと、知りたいと思うこと、それらたくさん思うことがあるはずだ。書くという前に正しく知りたいことを知り、それで自分がどう思ったかを書く。予算オーバーして、お金が足りなくなったって、それってアホじゃん。バカじゃん、と思うだろう?実際そうだし、でも何故そうなったか?」

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それらを自分で考え、想像して書く。「昨日、夕食を外に食べに行った。美味しかったけど、あまりに高くて予算をオーバーして、お金が足りなくなった」。この言葉(文であっても)情報が極端に少ないし、これだけで満足して書こうとするような子では、書く感想文の中身もタカが知れてる。「どこの店に行った?」、「何人で行った?」、「そこでどんなものを注文した?」

「メニユーに値段は表示されていた?(寿司などは表示がない)」、「料金はいくらだった?」、「財布にいくら入っていた?」、「お金が足りなくてどうなった?カードは持っていたのか?」、「カッコワルイと思った?思わなかった?」という風に、どんどんと矢継ぎ早にいろいろ聞きたい(知りたい)と思うか、思わないか、それが感受性というものであろう。

感受性が高いか、低いか、それによって書かれたものの深さが変わってくる。つまり、そういう子であるかないかの差である。そうして親や教師や、教育者・躾に携わる者は、そういう子を目指すべきではないのか?と、これは持論だから押し付けではない。世の親は、算数や英語や理科の勉強が出来ればいいと思っているはずで、そんな所に思考が行かない。

自分がそこに行くのは、これまでの経験からどういう人間が素敵で魅力があるかを知っているからだ。生まれた子どもは人間に限らず、ネコやイヌの子どもでも好奇心が強く、目に入るもの、耳に聞こえるもの、臭い、味、あるいは触れて確かめたりの五感を駆使する。歴史年表や、滑車や化学式や形容動詞や漢字の書き取りや、それらが勉強という滑稽さ。

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「滑稽とまでいうか?」と友人はいうが、あくまで本質的なもの。普通の主婦がスーパーで買い物したり、そこらのおっさんがビール飲んで激論したり、それが社会であって、三角関数や微分・積分が社会に何の役に立つ?子どもの高い感受性を、どんどん奪い、蝕んでいくのがオトナであったりする。が、親も教師も勉強できる子を「いい子」と求めている。

そこが自分と大違い。「光るこども」はそんなんじゃない。「光るこども」は教科書に書いてある事を覚えていなくとも(つまり学校の成績は悪くても)、感性の輝きを示してくれる。「光る」とはそういう意味だ。人の上に立ち、人を使うのは頭の良さと思いがちだが、人は感性で使えるものかも…。頭の良さを生かしたいなら、人にアレコレ指示しないで済む研究者になればいい。

頭がいいからといえど人を使えない、指図すらできない人間はわんさといる。だから、企業人はそういう人間を上に据えると失敗する。ときめく感性の持ち主こそ、広い視野で的確な判断をすることが見られる。つまり、感性の中には人への気づかい、洞察がある。頭がよくて女が口説けるか?そういう男でも女の胸は触るが、感性のある男は女の胸の中を触る。

今こうしてブログ等を書いているのも、思考を落さないためだ。どんなことでも自分で思考したいからやっている。淋しいから、暇だから、孤独だから、人と触れ合いたいからではない。本質は何か?大事なことは本質を見極めようとする姿勢であろう。されど、本質を見極めるのは難しい。結局見抜けないかもしれない。が、その姿勢は思考をどんどん深くする。

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今の時代は、もう権威にぶら下がっていれば安泰という、そういう時代ではなくなっている。権威者であっても、うかうかしているとすぐに奈落の底に落とされるからだ。大事なことは、自分で考えること。自分で考えたものを自分で発信すること。そうして自分の考えを客観的に見、再度思考すること。そのために、ブログやツイッターなどは、最適なツールである。

不思議なことに、書いているときと書いたものを読むのはまるで違う。書いているときは熱く、読んでいるときは冷めている。自分の歌や楽器演奏を録音してプレイバックしてみると分かるが、歌っているとき、弾いているときと、聴くときはまるで違う。その違いがなにかと新鮮であったり、意外であったり、羞恥感情であったりする。主観も客観的に見ると、客観性と変貌する。

一歩踏み込んで思考する。さらにもう一歩踏み込んで、という作業はキリがないし、だから一つの表題で何度も何度も書きたくなる。それでも洗いざらいどころか、1%にも満たないものかと。踏み込んで違いを思考する場合には、様々な角度から考える必要がある。それプラス周囲は気にしないこと。周囲の雑音など気にしていたら、純粋に自分の思考ができない。

それがオリジナリティーというものだ。周囲の意見などと多数に組しているのが決していいとは思わない。大事なのは自らの思考であり、それがオリジナリティーである。何かを見極めようとするなら、とにかく能動的に動くことだ。他人の権威にぶら下がっている時代はとうに終っている。先ずは自分の頭で考える、そしてできたらそれを発信し、客観的に眺める。

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これって自分の考えなのか?立ち止まるのはしょっちゅうある。こんなことを考えていたんだなと、まるで少年期の日記を見ながら時々の自分の驚くように、人間の思考は絶え間ない連続性の中にある。いつ、なんどき、思考停止になるかは分らないが、それは人間の終わりであろう。が、そういう若者がいる。「これってどうするんです?」。こんな若者にはガッカリだ。

「自分で考えろ」しかいう事がない。が、そういわれた時点で情けない。社会が、世の中が自分で考えなくてもいいように、マニュアル化されたことの影響であろう。とにかく考えなくてもいいように答を用意され、人から教えてもらい、それらを多く頭に入れている。これが頭がいいとは笑止千万。柔軟性もないし、話が収束的で広がりがない。これは知識だけを独立して閉まわれているからだ。

考えるという事は歯止めのない事。木々をなぎ倒し、土台のある家までも流してしまう津波のようなパワーがある。人間にはパワーとロジックが求められるし、この両方がないと人を説得はできない。パワーはエネルギー、ロジックは分析力。すべての人間にいえることは、この世は人の世ではあるが、主に自分が作り出している世であるとの認識を持つことか。

であるから、深い物語を作ることもできる。昨今の企業形態から思うに、学歴社会も官僚社会も確実になくなる。なぜなら、それらが良く、正しく、機能していないとわかったからだ。最後に重視されるものは、人間の内面であり、想像力かも知れない。何でもいいから感動して生きてみることも大事だ。「腹がすいたから牛丼でも食うか」ではなく、「おお!牛丼ではないか!」。

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そういうところから、物語は面白くなる。「暇だから、暇つぶしに何かをやる」ではなく、「一生懸命にそれをやった方が価値がある」、「面白い!」、こういう発想でなきゃ世の中オモシロクないだろう。好きを極めた人ってすごいのよ。なにより楽しんだことの結果が見えている。遊び心が、「いい仕事」につながるんだろう。最初から、「いい仕事をしよう」ではダメだ。

その仕事に心を奪われる、そういうのが遊び心の真髄か。男にはそういった遊び心が備わっている。だから大成する人間には男が多い。彼らにはパワーもロジックも備わっている。「何かに打ち込むのが大事」と当たり前のようにいわれるが、打ち込んでいないから目移りする。さて、表題を忘れて書いていたが、書き始めはとりあえず表題に殉じて書いている。

行が増えると、「表題なんだったっけ?」となるのはいつものこと。だから、「表題」は好きでないが、「表題」は頭を整理してくれるものでもある。「人を殺すと言う不思議」が本日の表題だ。物事の善し悪しを考えることはもはや習慣・癖と言った方がいい。我々は、悪いとしたものを、「否定・批判」する。悪いと判定したことがすでに、「否定・批判」となっている場合もある。

イメージ 7人を殺すこと、殺そうとする人、殺した人は悪いとされる。理由は各自考えるとし、「善い」でないならいろいろあるだろう。が、人を殺すのは悪いことだが、殺したほうがいい、死ぬべきだと言う人もいる。これは生きていることが容認されない類の人である。人間の倫理観のなかで、殺人の善し悪しは、ケースバイケースになっている。自殺もそうだ。確かに他人が見て、「許容(理解)」できる自殺もある。犯罪としての殺人は、止めたくてもどこの国でも、殺人は自由に行われている。「何故だ?」。殺人は悪いことだと知り、罪でもあり、罰もある。自分の命を差し出す罰があるのに、何故殺人は行われるのか?それは「シンクロニティー」と関連する。「シンクロ」とは、「共時性」、「同時性」、「同時発生」。

「シンクロニティー(シンクロ)」は、ユングによって提唱された概念である。従来知られていた「因果性」の原理とは異なり、複数の出来事を離れた場所で、同時期に生起させる原理である。殺人とシンクロの関連をいう前に、もし、人間が意識的に思考を止めるとする。と、面白い「シンクロ」の連続が起こり出す。どういう事かを説明するのは難しいが、例えば…

嫌なやつがいるなら簡単に殺せてしまう。つまり、嫌な奴をこの世から葬りたいとする願いが「簡単に叶う」ということが起こる。「欲求」は「願望」とは違い、自身の、「思考深層部」と、「感情」が織り成す想念や概念のようなものが、そのまま具現化しているような感じであろう。で、具現化したものから受け取る、「感情」の反応を観察していくとどうなる?

ある「不足感」が抱く「欲求」という願いが叶っていたとしても、自身の全体としての「不足感」は解決されず、並行して同種の「欲求」を抱き続けねばならないよう、現実がシンクロによって変化する。シンクロは、「今」この瞬間の気持ちを持続させるように起こるゆえ、「不足感」が持続するように己の現実を作り、常にその願いを叶えてくれるのだ。

つまり殺人は「ネガティブ・シンクロニティー」が具現化して起こるもの。「ネガティブ」とは、怒り、恐れ、心配、恨み、妬み、悲しみなど、まだまだ沢山ある。また、ポジティブは、嬉しい、楽しい、幸せ、歓喜などの「愛の状態」である。人はこの、「愛」と「恐れ」を両極に持つ、二元性の生き物である。殺人は上記した「ポジティブ」感情から起こる。

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単に欲望からの物盗り殺人とて、「(お金のない)不安、心配」から、強奪後の「捕まる不安」から殺人に至る。「岡山元同僚殺人」の被害者が強姦後に、「誰にもいわないから、殺さないで」と発した言葉を信じなかったのは、二人の間には加害者と被害者以外の人間関係はなかったからか。信じてどうであったかは未知だが、多くのレイプ事件は泣き寝入りが多いのも現実。

2005年11月22日、広島市内で、当時小学一年生の木下あいりちゃん(7)が、下校途中に性的暴行を受けて殺害され、ガスコンロのダンボール箱に詰められ捨てられるという残虐非道な事件があった。後日、ペルー人のホセ・マヌエル・トレス・ヤギが逮捕された。ヤギ被告は、あいりちゃんの首を絞めて抵抗力を奪った後、膣に何度も指を差し込んだ。

膣口を裂き広げ、出血させるほどの手荒さで、膣の最奥部に位置する外子宮口の周囲にも多数の出血跡が残っていた。さらに、あいりちゃんが瀕死の状態になると、ヤギ被告は肛門にも指を突っ込み、肛門部から奥にかけて4ヵ所の裂傷を負わせた。ヤギ被告はこの間に射精、精液はあいりちゃんの肛門部やパンツに付着していた。あいりちゃんは陵辱されている最中に涙を流していた。

だが、肛門を弄ばれた後に心停止状態となり、こと切れた。6月26日に広島市内で記者会見を開いたあいりちゃんの父親はこう話した。「あいりは声を出すと殺されると思い、涙を出しながらも暴れなかった。何も悪いことをしていないから、暴行が終われば帰してもらえると思ったのでしょう。性的暴行は拷問に等しい。犯人は二度、命を奪ったのです」と。

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そして、酷い強姦の実態・事実を余すことなく報道して欲しいと懇願した。ヤギ被告は無期懲役となる。広島地裁の岩倉広修裁判長は、「計画性がなく衝動的な犯行で、前科も認められず、死刑にはなお疑念が残る」と死刑を回避の理由を述べた。「人の命を奪いし者、自身の命を差し出せ」を強く感じる事件である。女の子に生まれたばかりに、あいりちゃんは…


「自分」と言う不思議

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「自分が分からない」。というセリフはよく聞く。自分に照らし合わせてみて、この言葉を言った記憶はない。ということは、そんな風に思ったこともないのだろうが、「自分のことがよく分らない」という人間は、何が分らないのだろう?おそらく人間は自分について無知だと思うが、無知は無知なりになるべく自分に正直に生きてきたなら、それほど自分に困惑しないのでは?

それでも人前で自分を飾ったことはある。それを偽ったといえばそうだろう。誰の前でも飾るということもないが、特に自分が好意を寄せるヒトなど、その他にも自分をよく思われたいヒトの前で、人間は自分を飾るのが普通だと思う。あげく自分に正直になれなかったりする。自分も間違いなくそうであったが、いつごろからだろう、誰の前でも飾らず正直になれたのは…

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30代後半か、あるいは40過ぎてか、ハッキリとした記憶はないが、今の自分に近い自分と付き合ってずいぶん時間が経つ。小学生の頃に顕著だったのは、「あいつが先に謝らないのなら、絶対に自分からは謝らない」というスタンスで、これを意地っ張りというのだろう。おそらく、どうでもいいようなことに遭遇し、つまらない意地を張っていたのではないのか。

子どもと言うのはそうしたものだ。意地を張るというのは素直ではないということか?「自分が悪いと思ったら素直に謝ろう」という標語は見たことあるし、教師もそれらしきことはよく言ってた。たしかにその通りだと思うが、ではもし、「自分が悪くない場合に謝らない」のはどうなのか?これは是認されることか?今はそんなことはない。悪くなくても謝ったりする。

どういう場合か?言葉悪く率直にいうと「相手がバカだと思った場合」が多い。これにはチャンとした理由がある。筋書きといってもいい。バカはくだらないことを押し付けてくるし、どうでもいいことを拘ったり、被害者ぶったりすることがある。相手が被害者意識を発揮したのなら、それで自分は加害者にされている。これはもう、開いた口が塞がらない。

よくあるのはそういう状況だ。このブログにも数度書いたが、「傷ついた」、「ひどいこというね」、「キツイ言葉だ」、「喧嘩売ってるんか?」、「上から目線過ぎる」、「何様なんだ?」などなど。これらはどれも、いわれてビックリ、もしくは、「やれやれ」である。「また、このパターンか」、「こんな言葉が出るようだともう話さない方がいい」そういう場合には謝って去る。

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去らずとも口を閉ざす。人はそんなに簡単に被害者になれるのだ。ということは、簡単に加害者にさせられる。まさに「やれやれ」である。この、「やれやれ」感がすべてを物語っているように、この言葉(口には出さないから思い)しかない。「お前が悪い」、「あなたが悪い」のは別に構わんが、「悪いというならもう話すのは止める」となるのは相手への思いやり。

「お前の前からさっさと消えてやるよ」と、ケレン味見せず、さっさと退出する。相手もアッケに取られるほどに早業である。結局相手は、そのように被害者になって、相手に気を使わせたり、謝罪させたり、相手を責めることで自分を落ち着かせたいのだろうが、自分はそんな相手を幼稚と定めて、なだめたりしない性格だ。「拒」には迅速に対応する。

自分に言い訳をしないし、だから相手の思惑通りにはならない。悪いならさっさと消える方がお互いスッキリという考えだ。そうなって逆に相手が、「傷つけたならゴメン」などと言ったりする。お門違いもいいとこだが、相手も不思議なことを言うもんだ。普通は相手が傷ついたと意思表示されて、初めて言葉に問題があったと分かる。なのに相手は、「傷つけてごめん」などと言う。

こちらが、「傷ついた」と言わないにも関わらず。そんな風に言うことからして、この人たちはすぐに傷つくんだというのが分かる。だからすぐに、「傷ついた」などと言ってくる。そんなに傷つくんか?何かを言われて傷ついたなんてことは記憶にない。前にもいったが、「傷つく」などという言葉は自分の中にない。傷つきやすい人間とそうでない人間はいるのだろう、おそらく…。

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人は人の言葉で、「傷つけられる」のではなく、自ら仕掛けた地雷で、「傷つく」。遠慮のない夫婦や親子は意図的に傷つけ合うのかも知れない。記憶をたどり、もし、「傷つく」という言葉を借りるなら、自分が最も傷つけられた相手は母親であった。彼女は無神経極まりない性格、他人を配慮するような感性が希薄な人間であり、挙句、人を傷つけることで気分が収まるような人。

一言でいうと、「性格が悪い」の最たる人間である。人を見下したり、バカにしたり、ハナであしらったりで満たされる人間を、「性悪」と定義する。性悪親はいる。性悪人間が親になるからだ。性悪親は断固排除すべきと思っている。なぜって、自分も親であるからだ。どういう生育境遇か分らないが、母はある意味親でよかった。遠慮なく最大限に反発できたからだ。

親子は遠慮がない。いや、遠慮すべきではない。どんなに恩着せがましいことを言われても、「権利」としては対等である。卑怯な親は、「義務」を善意(好意)と押し付けてくるが、そういう親はおそらく本気でそう思っているのだろう。子どもだって、そんなものを、「親の恩」などと思う必要はない。押し付けられないで自然に発生する「恩」ならいいではないか。

だから、「義務」を「恩」と強要する親に対してはバカに思えた。そんな子供騙しに引っかかるとでも思っているのか、子どもではあるが。そういう認識であったから、母親は正真正銘のバカ女だった。バカを偉いと勘違いする子はバカである。バカをバカと認識するのが正しいものの見方である。そこに遠慮は要らないと思うが、社会にではそうも行かない事多し。

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端的にいうなら、バカな上司に使われる部下は悲惨である。バカが上司であるだけでも困ることなのに、逆らえないという体制が悲惨である。そういう場合にどうするかが、賢い人間の知恵である。社会にはそういった矛盾や理不尽が多く、そういう場合に頭を使って対処する人間が賢いのである。常々いうように、教科書や学問のように答えのない問題に答を出す。

的確・明晰な答を出すのが頭の良さである。そのように考えると、世間でいう賢いがバカであったり、バカが実は賢かったりする。それが本質であり、本質を見る目を養った人間の視点である。あとは、上手く対処できるかどうかだが、そのまえに「視点」を持つかどうかは問われる部分だ。人は「怒」についてはさほど誤らないがあ、「愛」については認識を誤る。

例えば自尊心の強い男がいたとする。プライドが高いは言わずもがな劣等感の裏返しであることを踏まえ、話を続ける。そんな男の前に一人の女が現れた。そうして男に言う。「あなたはハンサムで頭もいい、センスもいいし、運動神経も抜群ね」と褒めそやす。「あなたの成功はあなた自身の能力で、過去には同僚・先輩からも妬まれたでしょうね?」などと言う。

言われた男は、その女に好意を抱くであろう。熱愛するかもしれない。その女のためなら例え火の中、水の中(古い例えだが)も厭わないかもしれない。男は紛れもなくその女を愛していると思うであろう。「あろう」だから実体は違っている。彼が愛しているのはその女性ではない。実はその女性の口からが発する自分のイメージ、大切にしている自分の威信である。

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おそらく男はそう指摘されるとこう反論するはずだ。「自分のことを褒めてくれたり、評価してくれる相手を好きになったり、愛するようになるのは当然じゃないか?」これらは無意識の領域であり、自分にも人にも真偽は分らない。彼の愛がその女性へのものか、自分への愛なのか、もしそれを見極めるとするなら、その愛が終焉を迎えてからであろう。

恋愛というのは、こういう風に思い込みと錯覚で成り立っており、だから愛は憎しみに変わるとまで言われたりする。これはその愛が、「自己愛」であったことの証明であろう。男が自分にチヤホヤしてくれる時はいいが、釣った魚に餌は無用とばかり、ばったり放って置かれると、チヤホヤ相手を探す女は多い。虚栄心の強い女は褒められるとデブでも木に登る。

ナルシストが失恋をしたときに普通以上に苦しむ理由は、失恋そのことの悲しみ以上に、自分が愛してやまない自己のイメージは傷ついたからである。ナルシストは恋によって、自身の虚栄心が満たされ、さらに虚栄心を増幅させる。だから、それを踏みにじられたことの反動が苦しみの大きさとなる。失恋によって対象喪失感以上に、自身のプライドが傷ついたのだ。

その事を本人が気づくことはない。失恋してもさっさと別の相手を見つける女は、自尊心など薄い女だが、失恋して立ち直るのに時間を要す女、恋愛に臆病になる女は、紛れもなく自尊心が傷ついたことで修復する時間がかなり必要としたのである。人を好きになる情よりも、人から傷つけられる怖さが二の足を踏むことになる。女の虚栄心は何かとプラスにならない。

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芸能人女医の西川史子は離婚後に劣化がとやされているが、元ミス日本という肩書きもさることながら、プライドの強い彼女のショックは大きいようだし、傷ついた心を癒すのも至難であろう。かといって、人の尻馬に乗るタイプでもないし、小心でガラスのような神経から、男を尻目に傲慢な態度では、またも失敗するのが分かっている、そんな宙ぶらりんに見える。

バカな女なら環境に順応しやすいが、なまじ頭がいいばかりに身の振り方の苦悩が伺える。その意味で女はバカの方が得なのよ。生き方を変えるのは大切だが、なかなかそうもいかない。虚栄心さえ抜いてしまえば、我々の前には実にたくさんの生き方や可能性はあるが、自尊心の強い女は生き方を変えられず、自分に執着する。結局、自尊心で自分を縛っている。

虚栄心にしがみついている女は、他に自分の素敵なところ、気に入ってもらえる部分がある事にさえ気づかない。それらは自分を変えなければ出せないものであろう。変えれば「幸」になるかも知れないのに、変えなければ、「不幸」から逃れられない。自分で自分を不幸にするパターンがこれだ。自分のもっている何かに気づくだけでなく、それに自信を持つことも大事。

自分という存在の不思議さとは、自分が自分で自由にならない。自分が自分に釘を刺す、誰にもそんな自分がいる。自分を解放できない理由は、「自尊心」、「虚栄心」という厄介者のせいだ。捨てれば楽になるが、捨てたものでなければ分らない。捨てる勇気もない。「才能がある」、「頭がいい」、「家系がいい」、「学歴が高い」などが幸福の条件と考える人がいる。

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離婚後西川は、「相手は年収4000万が絶対条件」は捨てたとアピールしたが、まだまだ捨てるものはあるはず。身軽になれば素敵な女なのに、自分で自分を不幸にしているような女に飛び込む男はいない。だったら女の側から飛び込ませればいいわけだが、それを邪魔するのが自尊心。人間は他人からどう思われるかで幸福などは決められないと知ること。

それが分かれば、他人によく思われるための虚栄心が不要であると分かる。ハッキリ言えることは、他人の評価で自分が不幸になる事はない。家柄、学歴、資産というような価値観をもっている人さえ選ばなければ、卑下されることもないし、くだらぬことが不幸の原因になることもない。そういう相手は人生に対する基本態度が間違っていると、見下げ、無視すればいい。

自分とは自分であるけれど、人から見た自分もその人にとっての自分であろう。自分のことは人に決めさせているし、人から見た自分の善し悪しが、人には好まれるという点で大事である。自分から眺める自分は、自己向上の理念を持っていれば、そこに到達するための切磋琢磨の自分である。主観的な自分、客体としての自分、どちらも別の用途として大事な自分である。

「自分が分らない」でいいのよ。分かったところで正しくない、思い込みかも知れない。大事なことは、自分(人間)は不思議な生き物として面倒見る。たまには自分に怒り、たまには自分を褒め、とにかく投げ出さないで自分に何かを教え、あるいは自分に教えられ、そんなバラエティーな自分を楽しむのがいい。「自分が好き」は、なんと素敵な言葉であろう。

傷つきやすい人に言う。お前はダイヤモンドかもしれない。ダイヤの原石の資格がある。何故って、ダイヤはこれでもか、これでもかと傷つけれて輝くのだから…。傷つけられて弱くなるのではなく、傷つけられた分、「強くなる!」と思えばいい。自己暗示は自分を変える。

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「兄弟」と言う不思議

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「家族って何?」と聞いたら、「家にいる族」って言った奴がいた。彼曰く、「暴走する奴らを暴走族っていうじゃないか?」なるほど…。「他には?」、「転勤族とかいうよな」いうね~。「他には?」、「マサイ族だな」。これくらいの会話はシャレた奴なら普通にする。男との会話は、こういう遊び心があるから面白い。「太陽族」が出ると思ったら期待はずれだった。

「太陽族」とは石原慎太郎の芥川賞受賞作小説『太陽の季節』に登場する若者たちの、裕福な家庭に育ちながらも、無軌道な生活ぶりという彼らの風俗を言った。なぜ彼らはそうであったのか?「太陽族」現象とは何だったのか?小説『太陽の季節』は1955年(昭和30年)、『文學界』7月号に掲載され、第1回(1955年度)文學界新人賞を受賞、石原は当時23歳の大学生であった。

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翌1956年(昭和31年)、第34回(1955年下半期)芥川賞を受賞。単行本は1956年(昭和31年)3月15日に新潮社より刊行された。「太陽族」なる言葉は小説にはなく、石原が芥川賞受賞を受けて『週刊東京』誌で行なわれた大宅壮一の対談で、大宅が「太陽族」の言葉を用いたことに始まる。慎太郎刈りにサングラス、アロハシャツの不良集団を指し、流行語にもなった。

映画は同年製作され、主役を演じた長門裕之、南田洋子が後に結婚するきっかけとなる。石原は同年に短編小説『狂った果実』を発表、こちらは慎太郎の弟石原裕次郎の実質的なデビュー作で、裕次郎はこの時のヒロイン北原三枝と結婚する。慎太郎は脚本も手がけたほか、キャストにも口を出す。それが『太陽の季節』で主演した長門裕之の実の弟津川雅彦であった。

ある結婚式で慎太郎がたまたま見かけた津川の印象が強く、「彼でなければ駄目だ」という慎太郎の強力な推しで出演が決定した。津川雅彦の芸名(本名は加藤雅彦)は、『太陽の季節』のメインキャラクター津川竜哉から石原慎太郎が命名した。芸能一家に生まれた津川だが、子役として数本の映画に出演していた程度で、『狂った果実』が銀幕デビューとなる。時に16歳であった。

「兄弟」という表題を、"不思議"としたのは、一人っ子の自分からすれば、兄弟いう存在自体がそもそも不思議であり、兄弟(姉妹)の実態については永遠に理解は得ないことなのだ。「兄弟ってなんだろう?」それを確かめる手段として、子どもをたくさん作って観察すればいいとの気持ちは強くあった。「子どもは一人でいい、二人で十分」などは毛頭ない。

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長女が生まれ、年子(学年的に)で次女、2年後に長男、その3年後に三女、その間流産2回と、すべて生まれていれば6人となるが、これは数字の上でのことで、実際に生まれていれば現在の長男も三女も存在しなかったかも知れない。とりあえず3人が一つの目安で、三女ができたときは作った記憶(?)がなく、妻に報告をもらったときは、「はっ?」であった。いわゆる交通事故。

「お前はね~、隣のおっさんの子かも知れんよ。大体、記憶がないんだから…」と三女にはよく言った。子どもたちが織り成す兄弟風景は、面白くてじっくり観察していた。残念なのは喧嘩を見なかったことで、これは治安が良かったのだろう。ちょっとした言い合いはあったが、すぐにビデオカメラで撮影する父だった。姉は妹を、弟は姉を、また弟は妹を、妹は兄をどう見ているのか?

研究課題である兄弟の考察は、終ぞ分かる事はなかった。親から眺める兄弟は、どう見ても「子」でしかなかった。時たま、子どもの中に対等になるべく降りたり、割って入ったりした。これは、自分が長兄という気分で、おそらくそのフザケ加減、遊び心加減からして、子どもにとって親には見えなかったろう。その証拠に、自身が完璧に親を捨てていたからだ。

「年食った兄が突然現れた5人兄妹みたい…」そう感じた妻。とにかく、兄弟を実感するには、自分がそれになるしかないが、兄になったり、親になったり、というのではなく、基本的に上から押さえつけるような傲慢な親ではありたくなかった。が、客観的に自分が兄に見えたかどうか分らない。ある時は親、ある時は兄、またある時は、変なおじさんか。

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親子も情もない、血みどろの「7並べ」は掛け金の高額さもあって、後で聞いたがお年玉を巻き上げられて長女は泣いていたという。それを見た祖母がコッソリふんだくられた分を渡していたと、これを聞いたのは10年以上も経ってからだ。泣くのは長女だけだった、次女や長男は泣きべそという強さがあったのか。とにかくファミリートランプだけはやる気がなかった。

最初は手を叩くところから始めたが、遠慮はしないから天井からハンマーが落ちてくる感じだったろう。親子だから、兄弟だから、ゲームにあって加減をすべきと言う発想はそもそもない。そんな馴れ合いは時間の無駄であり、遊ぶだからこそ真剣にやるべきとの持論である。家族といえども、個人主義を標榜し、ちんちくりんな共依存を父は求めるべきではない。

母親の事は自分には分らないから、母親の感性でやればいいし、女親を分らないからといって男親が口出しするのは今はよくないとする。ただ、子どもの前でこれ見よがしに「疲れた」、「しんどい」をいう妻を叱ったことがある。「子どものいないところで一人で言え」と。家族については「家族の不思議」と題して、思うところを書くつもりだが、とりあえず「兄弟の不思議」。

兄弟のいない自分は、4人兄弟の子どもの視点で「姉妹・弟」を書いても、やはり子の視点になる。兄弟愛というものの存在も分からぬままに、一人っ子は生きていくしかない。したがって、「兄弟の不思議」を書くにはどこぞの兄弟をセレクトするしかないが、見知らぬ他人は、彼ら自身が書いた情報に頼るしかない。それが石原慎太郎・裕次郎、長門裕之・津川雅彦とする。

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石原慎太郎に『弟』という著書がある。誰かに借りて読んだが、あまり明かされなかった裕次郎の逸話、想い出話の類であった。「兄の手ではじめて明かされた石原裕次郎の生涯」ということで、裕次郎ファンによってミリオンセラーとなったのだろう。言うまでもない、作家・政治家の兄より日活の看板スター裕次郎の方が人気的には絶大である。そういう嫉妬は間違いなくある。

『弟』に対するレビューはさまざまあるが、このレビューは不思議な感じを抱いた。「自分にも「弟」がいるが…やはり病気がちであり、心配もあるが、なんかうっとしいというか‥年をとっても変わらないなにか‥愛情?憎しみ?よくいじめてしまったなあ、馬鹿にしたなあ、兄ずらしたなあ、でも幸せだったなあ」。書き手の言葉の意味は分かるが、想いの深度は分らない。

「兄弟は似るもの」、「いや、兄弟は似ない」、「まるで正反対の兄弟」、などと巷いわれるが、「兄弟」といっても一筋縄で定義できないのだろう。「石原慎太郎と石原裕次郎は本当に兄弟ですか?性格がこれほど似ても似つかない兄弟も珍しい。渡哲也と渡瀬恒彦の兄弟は似通った性格をしてると思うのですが、石原兄弟は性格が違いすぎでしょう?」と、指摘する人もいる。

裕次郎は1987年7月17日に世を去った。52歳の若さであった。血液型はA型、兄はAB型である。慎太郎に関してはテレビ露出も多く、対談などから人物像をある程度伺い知ることはできるが、裕次郎に関しては映画で観る彼のこと以外、知識になり得る情報がほとんどない。だから、上記の「性格がこれほど似ても似つかない兄弟」とは、どの程度分かっているのだろうか?

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渡・渡瀬についても同様だ。あるいは若乃花・貴乃花においても違いは感じるが、どこのどういう価値観が違うかについては、相撲以外に分らない。若貴の違いは兄弟だからオーバーに言われるように思う。人と人は違って当たり前というなら、むしろ兄弟なら似通った部分を探すべきではないのか?違うことばかり強調するのは、兄弟は似て当然というのが前提となる。
 

ある人は慎太郎を、わがまま、乱暴、傲慢といい、裕次郎を礼儀正しい人という。別のある人は、『太陽の季節』は裕次郎の、「自由奔放な性格を羨んで書いた小説」という兄の言葉を添えている。慎太郎のこの発言は自分も承知している。一般的な兄弟の形は、弟は兄を羨んで育ち、兄は弟を羨んで育つのではないかと。したがって兄弟が争うのはいいのか悪いのか?

特に同じことを職業にしたりの場合、他人とは違った思いに至るのは想像できる。兄(姉)がやっているのを見て始めたという弟(妹)は多く、どちらかというと弟(妹)の方が、大成することが多いのではないだろうか?正確な統計、情報はもち得ないが、兄(姉)を超えたいというパワーや情熱が弟(妹)に強くなる。兄(姉)は下を越えなければとムキになるのはカッコ悪いのかも。

兄はおっとり、弟はやんちゃという兄弟は多い。長男(長女)は大事に大切に育てるとの関連も言われている。確かに乳児期などで、最初の子がベッドで泣いていると母親はすぐにあやしに来るが、そこはまあ母親慣れしていない部分もあろう。2番目、3番目となると、その泣き声の状態で、ああらかた事情も、様子も分かる。だから最初の子の様に飛んで来ることはない。

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その辺が乳児にどうインプットされるのか?これは生命科学及び乳児心理学の分野である。さまざまに異なる環境から、性格が作られていくのは間違いないとされる。同じ役者という業を選んだ長門裕之・津川雅彦について考えてみる。長門は2011年5月21日、77歳にて世を去った。父四代目澤村國太郎は、歌舞伎役者から映画俳優に転身した戦前の大スターである。

母マキノ智子も女優で、父の牧野省三は、日本最初の職業的映画監督であり、日本映画の基礎を築いた人物といわれた人。智子は省三の四女で、1歳年下の弟に映画監督のマキノ雅弘、2歳年下の弟に映画プロデューサーのマキノ光雄がいる。加東大介は長門の叔父にあたり、名女優の沢村貞子は叔母になる。1940年生まれの津川は長門の6歳下の弟で、二人兄弟であった。

そんな役者一族に生を受けた長門も津川も、役者になる事は天職であったろう。長門は1940年製作の映画『続清水港』、、沢村アキヲの芸名でデビューした。長門は1954年に日活に変わり、沢村アキヲから長門裕之に改名した。翌年『七つのボタン』で主役を演じるが、長門の名を日本中に知らしめたのが1956年公開の、『太陽の季節』。この映画で長門は大スターとなる。

津川は大映で加藤雅彦の本名で端役に出演していたが、石原の誘いもあって日活に移籍、1956年『狂った果実』で石原裕次郎の弟浦島春次役で颯爽デビューする。56年~58年で12本の映画に出演、津川は兄の長門を脅かす日活の看板スターになる勢いだった。家の中で露骨に津川に当り散らす長門を、津川はしばしば目にする。当時のことを津川はこう述べている。

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「何といわれようと競争社会ですから、誰かが陽の目を浴びるようになれば、『この野郎』という嫉妬心は持ちますよ。兄貴のそういうところを見ながら、嫉妬がそれほどに人を苦しめるものなら、ボクは絶対に嫉妬はしないようにと心掛けました。とにかく当時のボクはどこに行っても、チヤホヤされるばかりで、役者ってのはこんなにいい商売なのかと思いました。」

津川のあまりの美形に嫉妬し、自分の容姿に悩むようになった長門は、ある日、叔母でもある女優の沢村貞子を尋ねる。臆面なく物事をハッキリという沢村は、このように長門を諭した。「あんたは雅彦と違って、顔で金の取れる役者じゃないんだから、とにかく芸を磨くしかない。将棋の木村名人はこう言った。『大才が怠けるより、小才が努力する方が勝つ』ってね。」

津川は長門と『狂った果実』一本のみ出演との約束を契っていたこともあり、それを反故にした津川に松竹移籍を迫った。津川は兄との約束を守るために松竹に転身すると、今度は長門が快進撃を始める。『にあんちゃん』で1959年度ブルーリボン賞に輝く。松竹に移った津川は出演作の不入りが続き、人気が低迷する。あげく「大根役者」という不名誉な称号まで得る。

そうして二人の仲を決定的に裂いた事件が起こる。川端康成の原作『古都』が松竹で映画化されることとなり、当初、津川が出演を予定されていた。津川は衣装合わせを終えていたが、日活からフリーになっていた長門が監督の中村登に売り込み、長門がこの役を盗る。津川は長門に激怒するも、「オレは今、フリーの一匹狼。悔しかったら自分の力で取り返せ!」と言われた。


津川は叔母の沢村に泣きをいれたが、「お前みたいな美男だけが取り得の役者は、人の四倍上手くないと世間は認めてくれないよ。脚本家も監督もみんな男なんだよ。男はねぇ、嫉妬深いし、女にちゃらちゃらモテる男にいい芝居なんかできないと思ってるんだよ。」以後、津川は二枚目役の看板をおろし、悪役や汚れ役に果敢に挑戦していき、兄長門を驚かせた。

長門は『古都』で1963年度毎日映画コンクール助演男優賞を取る。津川も演技に磨きをかけ、1982年度ブルーリボン賞に輝く。この時、長門は電話で津川を祝福し、初めて弟の演技を認めたという。津川はその後、1986年、88年、93年、95年、99年と日本アカデミー賞、1987年度毎日映画コンクール、キネマ旬報賞、報知映画賞、日本映画批評家大賞など多数の賞を取る。

津川は長い確執だった兄からの祝福の電話をかけがえのないものと心に刻んでいるという。およそ、兄弟でなければ言えないようなテレと、兄貴ならではの威張りと、弟に対する情愛が入り混じった、それは長い、なが~い雪解けの瞬間であった。あれほどの嫉妬や恨みや妬みや憎しみが、たった一本の電話で氷解する。肉親であるが故の辛さ、肉親であるが故の喜び。

「雅彦、おめでとう。でも、オレが取った時は26だ、それも主演男優賞。お前は42で助演男優賞がやっとだ。でもな、お前は42にもなって直も前に進んでる。やっと人様に認められるようになった。これは大変なことだよ」こんな兄貴の言葉でしたと津川は言う。「生まれて初めて兄貴に褒められました。」そして涙を浮かべながら、上ずった言葉でこのように兄を語った。

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「結局、あの兄貴がいたからオレのエネルギーがあったんだ。ちょっとは恩を返せたのかなと。最後になって、確執ある人生だからエネルギーを生んだ。オレたちの人生は、最後になってやっと仲良くなれた、本音が言えた…。兄貴が患って以降、兄貴はずっと自分の目をみる。一時間、いやもっと…、少しも兄貴は目をそらさず、自分の目をみる。見舞いに行くとそれだけ…

兄貴はそれだけ自分を信頼してくれるようになったんだなと…」。嗚咽で聞き取りにくい言葉だが、津川は一生懸命に兄を語っていたな。兄弟の心情は自分には分らないが、兄弟はいいものであるらしい…、それだけは伝わってくる。そういう自分も、母との確執が生きるエネルギーになったのかも知れないな。それを恩というなら、それも恩であろう。

「家族」と言う不思議

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「家族って何?」といえば、家庭を構成する要員であろう。家に妻と小学生の子ども2人いる家庭の親が、「何人家族?」聞かれたら、「4人家族」というだろう。では数年経って上の子が大学に進学して一人暮らしをした場合も、「4人家族」と答えるのか?それとも「3人家族」というべきか?または、「家族は3人。長男は今家を出て一人暮らしをしてる」というべきか?

クイズの解答じゃあるまいし、こんなのどういったって構やしない。好きにいえばいいんだろう。wikiにはこうある。家族とは、居住を共にすることによってひとつのまとまりを形成した親族集団のこと。また、「産み、産まれる」かかわりの中から生じた親と子という絆、そうしたものによって繋がっている血縁集団を基礎とした小規模な共同体が、家族である。

同じ家屋に居住する血縁集団に限定して使う場合もあり、現代日本では直系親族を中心とする単家族のことを指す場合もある。では「家庭」とは?「家族」と「家庭」は違うのか?「家族」は人、「家庭」は場所(家族が生計する)としたらいい。家に庭がなくても家庭はあるし、部屋数10の豪邸であれ、1DKであれ、家庭は家庭だ。親が家出して子どもだけでも家族だし家庭だ。

先に紹介した映画『海街diary』の3姉妹同居家族は、現実にはあり得ない家庭だが、あり得ないというのは物理的にであって、否定的な意味ではない。ましてそこに腹違いの妹が同居するなどという、こんなことを考える原作者の怖れ多き感性に頭が下がる。創作家はなんにしても、一筋縄ではいかない人たちだ。マンガを読んで原作者の人となりに興味を抱くのもいい。

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東大を主席で卒業して財務官僚になった人よりは、断然吉田秋生や、少し古いが鳥山明や、井上雄彦などの方に興味が沸く。彼(彼女)らの稼ぎもさるものながら、才能はどのように芽生えたのか?つい先日映画が公開され、大ヒット上映中の『進撃の巨人』の原作者諫山創も凄い。吉田秋生は履歴を明らかにせず、顔も非公開で見たこともないが、諫山創はwikiによると。

大分県日田市出身で1986年生まれの28歳。県立日田林工高等学校から専門学校九州デザイナー学院マンガ学科出身で、在学中に出版社へ持ち込んだ処女作品『進撃の巨人』が、講談社「マガジングランプリ(2006年)」で佳作を受賞。実家は由緒ある梅酒の生産農家で、漫画家になる事を大反対する父に反抗できない彼は、先ずは穏やかな作戦で家を出る。

お目当ては福岡の専門学校で、親には「家具や家電のデザインをするインダストリアルデザイナーになりたい」と嘘を言って入学し、親には内緒でマンガ科に転科した。漫画家志望の彼だったが、どうしても親には漫画家になるといえなかった。しかし、学校からの転科連絡は親元に通知が行った。諫山もその事は察知したが、自分からは言い出せず、親も黙していた。

高校の時から画いていた漫画も親には言わず、隠れてコソコソやる彼のナイーブな性格を親は容認していたのだろう。父は、「絶対になれっこないから、漫画家なんて目指すな」と釘を刺していた。その漫画が父に見つかったときは、「エロ本が見つかったより恥ずかしかった」(諫山)という。インタビュアーの中山秀征は、彼のあまりのナイーブさに驚いていた。

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中山:「えー!なんで恥ずかしいの?夢を持ってやっていることだし、漫画を描くことが悪いことではないでしょ?」

諫山:「父に見つかったときは、全く何も言い返せずに、ただ恥ずかしくて硬直していました。漫画家にはなれない可能性が高いことをわかっていたので、最初から言わなければリスクを背負う必要はない。絵を描くことが好きだという以外は得意なことがない自分をこれ以上さげたくないという思いから、必死に隠していましたね。」

中山:「不言実行もカッコイイですよ!東京には、来る前に腹をくくって出てきたのか、来てから腹をくくったのか、どちらですか?」

諫山:「専門学校を卒業して、『腹をくくるために、自分を追い詰めるために東京に来た』感じです。自分を知っている人がいない、新しい場所に行きたかったというのもありました。

中山:「ご両親は、何と言ってました?」

諫山:「喜んでいました。父は『安定した仕事をやれ』と言っていましたが、僕が知らない場所へ行き、さまざまな経験をすることは推奨していましたので。19歳のときにマガジングランプリで佳作をとって、初めて自分の口から『漫画家として生きていきたい』と両親に伝えられました。」

成功した人は何を言おうが、絵になってしまう。同じ思い、同じ境遇、同じ体験者もいるだろうが、社会の片隅に埋もれて陽の目を見なかった人の方が何と多きことか。成功者と非成功者を分かつものは、才能と言ってしまえばそれまでだが、夢は持ってはいても、諫山とて自信があったわけではない。自己を過信するほどの自信家が認められるとも限らない。

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結局、才能とは他人が評価するものでしかない。本人も、親も、まさかこれほどに世間に認められるなど、思うはずがない。それにしても7月現在、累計部数5000万部を超える『進撃の巨人』を自分は知らない。今さら聞いてみたいわけでも、読みたいわけでもないが、社会現象として捉えている。気が向いたら映画館に行こうと思うが、おそらくテレビ放送待ちだな。

この手の濃い味付け物は縁遠くなるばかり。で、この記事を書きながら思ったのは、息子が何かをコッソリ隠してコソコソやっている。それが漫画であれ、なんであれ、親に言えなくて、それでも好きだから、やりたいことだから、隠れてやっている現状を、父はどうみるだろう?父といっても、父によっても違うが、諫山の父の良いところは、親に言えない子どもの気質を理解したこと。

それが男の「理」、男の「やさしさ」であろう。子どもの夢をおそらく強く否定しながら、それでも止めないのなら黙認する。実力行使しないところが、親の情であろう。この「黙認」という「許し」を世の親は、多かれ少なかれ必ずやっている。親自身がかつて子どもであって、だから子どもの気持ちが重々わ分かる。が、それでも親は現実的に目を向けさせようとする。

「夢をとことん追いなさい」と言うのがいいのか、「なれっこないんだから、夢をみるより現実に目をむけなさい」と言うのがいいのか、答えはない。ただし、反対しても止めないという姿には、親は共感するであろう。そこは共感すべきと思う。何から何までお膳立てをして、後は箸を持って食べるだけという境遇の子もいるが、その事自体が「悪」とはいえない。

イメージ 5非常に難しい選択だが、本人の自己責任を重視するなら、親は放って置くべきと思う。「転ばぬ先の杖」が親の気持ちであろうが、それは転ぶことが前提になっている。家族は肉親である。ましてや親子という関係は何であろう?どうあるべきか?それを思考するのが、実は哲学である。哲学とは人間について考えることである。生きているといろんなことが起こる。
個人的なことでいうなら、病気になったり、就職・転職や、人間関係や家庭の問題など、悩みの種は尽きない。社会的には、不景気であったり、原発事故、無差別殺人など。国家的には、外交問題で中国やロシアとの領有権争いがあったりと。これらの問題を考える時に、経済学者は当然にして経済面から考えて意見を言うし、政治学者は政治的価値観で、ものを言う。

倫理学者は道徳的価値の立場から専門意見を述べる。斯くもばらばらで「専門バカ的意見」なら、総合的に判断する人が必要になる。経済優先でいい訳がない問題、政治的に解決するにはなじまない問題もある。であるなら、さまざまな学問領域を網羅し、人としての立場から発言をするのが哲学者の役割となる。哲学は、科学を束ね総合する立場に位置する学問である。

個々の学問では答えられない「生と死」の問題、「生甲斐」とは?「愛について」、「幸福とは何?」、「美とは何?」などが一連の対象分野となる。自分には、「関係ないな」と思うかもしれない。が、世界中の人々が、その瞬間・瞬間をさまざまに判断を下しながら、各々生きているというなかで、間違った判断を続ければ、結果は因果応報もしくは、「適当な人生」となろう。

自分の人生を、「善き方向」に向け、より善い人生を生きる知恵を、偉大な先人から学んで行けるのが哲学の意義といえる。カエサルの、『ガリア戦記』の中に、ふいをつかれて劣勢になっていたローマ軍の小隊に、「もはやこれまで」の機運が高まりしその時、遠くにカエサルの赤いマントが翻るのが見えた。瞬間、すべての兵士に力が漲り、敵を蹴散らして勝利したとある。

このことが教えるのは、人間がいかに、モチベーションが大切かである。あるいは、リーダーの存在、ならびに資質の大切も分かろうというもの。人類は、ブッダから、アリストテレスから、「中庸」の大切さを学び、セネカから人生の時間の使い方を学び、カントやルソーやニーチェから、かけがえのない言葉を聞き、またキルケゴールからは、絶望からの脱出方法を学んだ。

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現在直面する様々な問題に、哲学は本質的な、本当に正しい答えを与える可能性を持っていることを信じるのだ。我々は哲学のこのあたりに期待を持っている。「何か」 について疑問を持ち、思考する。思考し続ける。そしてその中にある共通性や普遍性を見出そうとする、これが人間が思索をする根源である。よって、いかなるモノも現象も、哲学の対象になり得る。

そもそも「哲学とは何か?」という疑問は、すでに哲学のはじまりであろう。家族の欺瞞を否定する本が売れているという。おそらく著者の思考する何タラが書かれてあるはずだ。どこにも家族があり、誰にも家庭があるなら、その程度のことは誰にも考えられることではないか?他人の考えに触れるのは大事だが、自身の考えがまとまらない前に読むのは、哲学的といえない。

「家族は信頼関係で成り立つ」と言うのは金科玉条の如く言われていた。であるなら、誰もがそれを求め、目指したのだろう。ところが、家族のどこが「信頼関係で結ばれている?」という疑問に突き当たる。「家族が信頼関係で成り立つ」というのは、「夫婦は信頼関係で成り立つ」、「親子は信頼関係で成り立つ」ことを言っている。ところで、「信頼」とは何?

こういう話を聞いた。娘の下着が派手になり、訝しさを感じた母が、娘の入浴中に財布の中に十万円を超える現金を見つける。普通の母ならどうするだろう?普通の母と言うのがオカシイし、ならばどうするのが正しいか。その前にこういう母親はいないか?「わたしは娘を信頼している。下着は派手になったけど、まかり間違って、エンコーなんかするような娘ではない。」

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ここに「信頼」というのが出てくる。あるはずのない大金を勝手に財布から確かめたことを、もし娘が怒るならそのお金は正常ではない。自身が正常(正当に)得たお金なら、戸惑うことなく説明できるが、「財布を勝手に見ないでよ!」と話をそらすのは怪しい。それでも決め付けたりせず、「財布にお金たくさんあるけど、どうしたの?」とやんわり聞くべきだが…

「あんた、こんなに大金どうして持ってるのよ!オカシイんじゃない?」と、ヒステリックに言うのだけはよくないが、こういう決め付けた言い方をする親は多い。まあ、子どもは咄嗟に嘘をつくよ。どの母親にも経験あるだろうが、親と言うのは子どもの嘘を直感的に見破るものだ。が、嘘を詮索すると子どもを追い詰め、あげくは怒って閉じこもったりで上手く行かない。

大事なことは嘘を追い詰めることではなく、嘘と分かったときにどう対処するかだ。それが上記の怒らさないこと。怒らせたらこの件については触れることもできなくなる。さらによくないのは見て見ぬふり、ようするにうやむや。そういう親は、「親子は信頼が大事」とか、「子どもを信じるべき」とか、綺麗ごとを自分に言い聞かせる。あげく、「娘の方から言ってくるまで、信頼して待とう。」

こういうのは、「信頼」に名を借りた自己弁護であって、本当の信頼ではない。本当の信頼関係と言うのは、親子でなく、誰にでもいえることだが、自分が疑問に思った事は躊躇なく聞けること。さらには、その事に正直に相手が答えてくれるという確信である。本当の信頼と方便を勘違いしないこと。また、言葉だけではなく、子どもの変化を時系列で注視することも大事。

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親の感受性の問題である。「うちの子に限って…」も、問えない、問いたくない、問うのが怖いという親が勝手に思い込む言葉が多い。再度言う。「信頼」とはそんな生半可な、綺麗ごとではないのよ。本当の信頼もないのに、信頼ゴッコで家族が寄り添わないのが、家族崩壊の現実である。親は心理学者でなければならない。なかなか難しい問題だが、それができる親が良い親だ。

自分が勝手に子どもを信頼してるから、子どもに信頼されていると思うアホな親。信頼すれば信頼されるなどと、おママゴトじゃないんだ。信頼は相互に築く。教師だから、師匠だから、学者だから、知識人だから、相談員だから、地位が高いから、間違ったことを言わない人…、だからキチンと話を聞くんじゃない。その人を信頼しているからではないか…

「結婚と夫婦」と言う不思議

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「食事」という言葉がある。「睡眠」という言葉、「性」という言葉もある。名詞に動詞を加味すると体験(行為)となる。「食事する」、「寝る」、「やる」いや、「性行為」などと。この3つは「食欲」、「睡眠欲」、「性欲」とも言われ、生態学的に人間の三大本能として定義されている。「本能ってどこにある?ちょっと見せてよ」と言われても困る。

本能は見せるものでなく、脳の視床下部というところが、本能行動中枢および、怒りや不安などの情動行動中枢を受け持っている。臓器だから永遠に見ることはあるまいが、大脳というのは不思議な臓器である。もちろん、胃や腸や心臓、肝臓も不思議な臓器であるが、「不思議」というテーマについて何かを書けば、生涯書き続けられるくらいにたくさんある。

が、不思議というのは実は不思議でも何でもなかったりする。多くは、勝手に「不思議だね~」と言ってるだけなのだ。理由は、人間はその歴史の中で多くの不思議を解明してきたからで、もし、人間に好奇心もなく、横着で、何事も他人事というように思考や想像や実験をしなかったら、雨も風も雷も地震も旱(ひでり)も、太陽も月も星も分らないままだったろう。

子どもが小さい頃に、「なぜうんこが出、オシッコが出るのか?」を話したことがあった。子どもが知らないことを親が教えるのは「いい、悪い」で言えば、悪いことではないが、「いいこと」か?というとそうともいえない。なぜなら、これは一種の遊びだから、無理やり教えても知りたくない子にとっては迷惑なこと。他にやりたいことがあるだろうから…

「親になって知る親の恩」という慣用句がある。自分はこんなことはまるで思わなかったし、考えなかった。自分が親になる前から、子どもを産めば誰でも、それこそ乳飲み子時期から、大変な思いで育てたんだなと思ったが、それは義務であって、「恩」の範疇ではないし、どんなに大変な思いで育てたとしてもである。「恩」というのは儒教思想であろう。

その当たり前のことを「恩」として、子どもに暗黙の要求を抱く親は汚い親でしかない。「暗黙の要求」どころか、口に出して言う親ならさらなり。汚いを超えて「バカ」であろう。だからバカな親は、「誰に産んでもらったんだ?」、「誰のおかげで大きくなったと思ってるんだ?」などバカげたことを言う。こんな卑怯な言葉は親の「禁句集」と以前、書いた。

どうしてこんなバカげた事をいうのか?答えは先ほども言った「バカ」だからである。人の親は知らないが、父親はこんな言葉を吐かないものだと思っている。理由は、自分の父親が言わなかったからだ。母親は、それこそ朝から晩までこれに類することばかり、もう耳にタコが出きるほど言いまくった。恩を押し付ければ、恩が根付くと思ってるところがバカ。

自分の父とは違って、言う父親はいるのか?可能性なくはないが、こんなことをいう父親は男として情けない。理由は、男の「理」、「知」、「情」からズレている。もちろん、母親とて言わない方がいいが、毎日繰り返す母親が傍にいると、女の情念のように思えた。バカな親と見下げていたが、親というのは有資格者がなるものでないから「バカ」なことは言うよ。

「資格」はいろいろある。教員資格、議員資格、医師や弁護士などの国家資格。などの有資格者であれ、バカがいればバカをやる。教育者教育を受けたから、教育的才能があるわけでもない。選挙に受かれば議員資格というように、資格試験を受けて受かれば有資格者であるというのを念頭においておく。職種に向いている人が資格を取るのではないということ。

いいかえれば、資格を取れば有資格者ということだ。こんな当たり前のことをあまり考えないでいると、本質がおざなりになる。ある種権威主義の弊害と受け取れるし、日本人の志向性ともいえる。外国人は人を人間として捉えるからか、上だから、肩書きがあるからと言って、謙ったり、無用なぺこぺこはしないが、この考えは正しくとも日本では向かないという。

言いたいことを言えば、「生意気だ」となる。ズケズケいう人間をただ「生意気」とする場合もあるが、例えば自分が年長で相手が年下なら「若いくせに…」、学歴に差があるようなら、「中卒(高卒)のくせに…」、大学のレベルで負けているなら、「ちょっと言い大学出たからといって…」とにかく、自分が勝ってる要素を探して「生意気」の理由をアレコレつける。

ホリエモンのように東大出てる人間に対しても、「犯罪者のくせに…」、「監獄暮らしした奴が偉そうに…」となる。対立する論理について言い合おう、話そうとするのではなく、何かつまらぬ事を探したり、見つけて自分を優位にしようとするケツの狭さというのか、島国根性というのか、これらは幼少期から「論理」を戦わせようとしない教育制度の問題か?

小学校のころから、我々は校長先生の無内容な教育的訓示を受け続け、あのようなところではあのように話すというのはトラウマになっている。「努力しよう」、「思いやりをもとう」、「みんなと仲良く」など、を延々と聞かされた。あの校長の言葉に啓発されたという子どもが一人たりいるのだろうか?子どもの多くが教師の「商売用語」と冷めて見ていただけだ。

みんなと仲良くとは、「言い合い」をしないことではない。みんなと仲良くは幻想だがが、最低守るべくは「罵り合い」をしないこと。まあ、それも仲良くしたくない相手には「罵り合い」も大事なことだ。つまり、手を出すことに比べるとである。よく「女子は口がたつから言い合いは負ける」と男はいうが、確かに女子は子どもレベルの言い合いは強い。

男子より2~3年、成長が早いからだろう。それに幼児期からお喋りが堪能で、早口でまくし立てるから、ついついボキャの少ない男はやり込められる。子どもの言い合いは論理建ての議論などあり得ない。早口とまくしたての勝利である。ところが、青年期になって、そんな程度のまくし立てで抑えられる男はヘタレであろう。男は論理脳として成長する。

女は感性系を発達させるが、それでは論理と感情とぶつかったらどっちが強い?他人のことは分らないが、強い弱い以前に、感情的な物言いをする相手は笑えてしまう。理由はそれはもはや正論を導くための対話でなく、罵りであるからだ。さらに興奮するとまさに喧嘩腰となる。もちろん、論理の中に感情は入っているが、感情をコントロールできない奴はただの猿。

人は誰でも感情的であり、論理は感情を裏付ける手段でもある。つまり、感情を思考、考察するのも論理だということ。感情を処理できるものは感情にあらず、論理であるから、感情を処理できない人間は猿である。自分は子どもの頃から母と言う猿を身近にみていたから、猿と人間は話し合いができないことを知った。猿は人間にならなければ会話できない。

論理とは唯一人間のことである。誰だって感情はあるし、感情は排除できないから、論理に裏打ちされなければならない。そういう作業をしない人間を「感情的」という。論理的な人間は感情的でないと言うのは間違い。自分なんか、モロ感情的人間である。だけに感情を抑えて、抑えているだけだ。若い頃は瞬間湯沸かし器であったし、それは環境のせいであろう。

穏やかな生活、穏やかな日々が流れていた家庭ではなかった。唯一、父親だけが穏やかであるように見えた。母と自分は口を開けば戦争であるし、相手は猿と見定めていたから、口を聞かないようにしていたが、それでは面白くないからと、猿がちょっかい出してくる。妻が同じようなことをいっていた。「お母さんが子どもを怒らせるように、ように仕向けている。」

意地の悪い人間は、長谷川町子の「意地悪婆さん」のように、底意地の悪さが基本にあるのだろう。じっとしていてはつまらないから、誰かに意地悪して楽しむという、これも一種のストレス発散といえるかも。女と言い合いしてると、ワザと男を怒らせようと仕向ける女がいる。「張り倒されたいんか?」というと、「何よ、すぐに暴力名わけ?」と来る。

自分の方からけしかけておいて、いざとなったら"弱い女"を出してくる。これを腹黒いというんだろう。やるからには逃げずに責任もって挑めよと思うが、こういう女の性向は多分に読めるようにはなった。男とならまるで手加減しない男も、女にそれはできない。なぜだろう?本気になれないのは怖くないからだろうな。男の喧嘩は食うか食われるか、死ぬか生きるかでやる。

女の喧嘩は相手が基本非力だから、こっちが本気になれないのだろう。知人に手の早いのがいて、クルマの運転中に相手のクルマがちょっかい出したり、からかうと、追いかけていって張り倒す。それで何度も指を骨折した奴だが、夫婦喧嘩では妻の足をはらうくらいしかできないという。手はだせない、蹴りもいれられない、だから足をはらってコケさせるという。

それが正解だろう。ビンタを食らわすと一度だけならいいが、数回やると手の平が痛くなる。こっちが痛い思いをして何で叩かねばならないという経験はあるから、足払いは最善だろう。それでも、彼はだんだん妻の顔を見るのが嫌になり、家に帰らなくなった。そのためにゴルフを始め、練習場通よいで時間をもてあましたが、ついに昨年3月離婚した。

離婚寸前半年は双方にとって地獄の日々であったようだ。同居しながら、顔も見ない、言葉も交じわさないのがどれだけつらいことか想像に価する。恋愛期間中なら、気分がそぐわない、顔をみたくないなら、会わなければいいが、同じ屋根の下にいるなら行き場がない。憎悪心を抱いた二人が何より影響を与えるのが子ども。離婚した事で晴れ晴れの二人であった。

男の性格は口数すくなく、だから瞬間沸騰タイプだが、それが分かっているから平常心を大事にしている。クルマのディーラーでサービス業従事者ということもあってか、顧客のワガママをこらえることが仕事である。その分ストレスは多く、家庭にやすらぎを求めるしかない。女はとにかく口うるさい。それでも当初は男を立て、盛り上げようという努力はした。

が、基本的に男を幼稚に見えた部分はあったようだ。「男って子どもよね」というのを常々口にしていた。「子どもはあやすしかないだろ」と、これが女の男の正しい操縦術である。ところが、一度本気で叩きのめしたことがあり、以後、妻の心の支えはぷっつりと折れた。夫婦のことは断片的に聞いても10分の1も理解はできないものだが、いずれにしろ正解の離婚はある。

自殺した中川昭一代議士の父親中川一郎代議士も自殺だった。北海のヒグマといわれたいかつい風情に反して恐妻家であった。金丸信が、「女房が怖いとか、俺の言うことに従わないって愚痴をこぼすので、『そんな女房は思いきり殴りつけてやれ。そしたら亭主の言うことに従うようになる。心配するな!』と忠告してやった。実行していればこんなことには…

中川の自殺の報にふれたときの発言だが、公式発言だけに聞いた妻も腹も立ったろう。が、それほどの悪妻ならこの程度の雑言にたじろぐこともあるまい。自分の実家の同じ組内で2件の首吊り自殺があった。いずれも夫で、いずれも恐妻家であった。こんな妻に家中でデンと構えられた夫の心中というのか、首を吊るほどの苦しみであるらしい。男は弱いよ…

行き詰まった女性が人格批判や、取ってつけたような罵詈雑言を吐くのも同じこと。男はそんなみっともない事は避けるが、上位者は「生意気」という言葉で抑えようとする。「よくないね~、こんなんでは」と言っても、そうそう日本人が変わることはないだろう。だから、こうう人間と言い合わないこと、もしくは相手に不足を感じたら議論は止めること。

「これが損して得とれ」の法則である。議論を挑んでも受けてくれる上位者なら遠慮はいらない。そういう人たちは「勝ち負け」を問題にしないし、勝とうとに徹した議論はしない。勝った、勝ったで喜ぶような人間は底が浅いし、議論を挑むタイプではない。「アホ、バカ、死ね、ウザイ、ウンチ」は子どもの喧嘩だが、言葉を変えて同じ事をいうのがオトナである。

女性批判というより、論理を磨いて成長しろということだ。汚い言葉は武器にはならない。女の子同士が孤立しあわないように、対立を避けるために言い合いをしないでいた、そういうこともあろう。会話はするが、対話はしないのが女、男は会話より対話を好む習性がある。孤立を怖れない男は、「思いやり」を自己の利益本意としないところがある。

「思いやり」は純粋に利他的に働くこともあるが、日本人的な思いやりというのは、「勇気」と合致しない点において日本的美徳とされる向きがある。つまり老人に席を譲るような、さほど勇気の要らない(人によっては勇気もいるが)程度の思いやりであり、通路の邪魔をして周囲に迷惑をかける高校生に注意をするという、勇気の要る思いやりは出せない。

言い換えると、「都合のいい思いやり」であって、これを利己主義の変形といっている。「他人を傷つけないかわりに、自分も傷つかない」という公理が日本社会に澱んでいる。もちろん、宗教的バックグラウンドもあるが、こういう点などから日本人が変質していくのは大変であろう。変質すべきか否かは議論の別れるところでもある。そのためには絶対者が必要か。


「親」と言う不思議

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爬虫類などのような脳の小さな動物も本能はあるから、卵からかえる鳥類や高等哺乳類と同様、生まれて傍にいる何者かを親と認識するようプログラミングされている。いかに生まれてすぐに立ち上がる動物といえども、授乳等の食糧供給は必要で、依存しないと生きてはいけない。親にも「保護」という本能が備わっているから、子どもを愛し、慈しむ。

魚類やカエルのような、卵を産みっぱなしにして親は行方不明になるような下等動物は、保護を必要としない分、一度にたくさん卵を産む。その中の数%がかえればいいし、残りは他の生き物の餌になればいいと、これも自然界の法則だ。だから我々は、シシャモやタラコやイクラを食する恩恵に預かる。巣に産んだ卵を外敵が食べる映像を見ると、いたたまれない。

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が、人間は同じ事をしている。「イクラやシシャモは何千、何万の卵を産むからいいんだ」という論理で…。ある意味正しく、ある意味間違っている。そういった動物愛護精神がベジタリアンには存在するが、植物だって生きているんだろうし、そんなことを言えば、壁の土を食わねばならない。人間の体は有機物を取り入れてこそ機能するようになっている。それが生命。

戦国時代に兵糧攻めという戦法があった。時間はかかるが攻め手の兵力を減らすことなく確実に勝利できる。城に篭城し、攻め手に耐えた守備側が、食も水も尽きると壁の土まで食べたという。熊本城内にある銀杏の巨木が有名だが、これは城主の加藤清正が、篭城戦になった時の食料確保のため、築城時に加藤清正がこの銀杏を植えたというが、これは間違い。

あの銀杏は雄木で実はならず、城内を知らない者が後世創った俗説とされる。また、清正は「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時にこの城で兵乱が起こるだろう。」とつぶやいたと言われる。明治時代、この銀杏は天守とほぼ同じ高さになったときに西南戦争が起こり、熊本城下が戦場となる。銀杏はともかく、清正は篭城時の食料の確保に余念がなかった。

城内の建物の土壁に干瓢(かんぴょう)を塗篭め、畳床には食用になる里芋茎を用いて備えていた。これらは秀吉配下時代、清正が朝鮮出兵での蔚山城籠城戦で、食料不足に苦しんだ経験を生かしたといわれている。その際彼は、水で苦労したこともあってか、城内120箇所に井戸を掘って篭城に備えた。どの井戸も規模が大きくて深く、しかも水量が豊かであった。

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西南戦争で官軍に敗れた西郷隆盛の言葉が過ぎる。「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」。熊本城に篭城した官軍であったが、井戸と豊富な水のおかげで西郷は熊本城を落せなかった。熊本城は別名「食べられる城」と呼ばれ、多くの観光客で賑わっている。名古屋からクルマで北に40分、愛知県犬山市には「お菓子の城」がある。

鳥取県西部の玄関口、米子自動車道米子ICを降りるとすぐ前方に見える大きなお城は「お菓子の壽城」である。これは米子城をモデルに築城されたもので、お菓子でできているわけではない。栃木県日光市の鬼怒川温泉にも「お菓子の城」がある。これは亀屋菓子本舗の工場兼販売店舗で、愛媛県今治市にある日本食研の宮殿工場と同じオシャレの工場である。

「人は城、人は石垣、人は堀」とし、城を造らなかった武田信玄は、いかに強固な城を造れど人心が離れては何の意味もない事を悟った。そんな信玄は父親を追放して家督を継ぎ、実の息子を謀反の疑いで教育係共々切腹させた。かくの暴虐非道な人間、普通なら色々恨みをかってそうだが、それも戦国大名としての非情な部分。信玄は領民からも家来からも慕われた。

一般的には「人は城、人は石垣」までは知られているが、堀のあとには、「情けは味方、仇は敵なり」と続く。意味は、"情をもって接すれば慕われるが、恨みを抱かせれば心は離れる"。そりゃそうだ、これが人と人の関係である。親子関係であれ、師弟関係であれ、友人関係であれ、恋愛関係であれ、友情・愛情と言われるように、「情」という文字がある。

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親は他人である。兄弟も他人である。「親が何で他人なんだ?」という奴は結構いたが、読んで字の如しで自分以外を他人と言う。親・兄弟が他人という意味を分かりやすくいうと、言葉はともかくとして、自分の痛みが分らない、心が分らない、そういう意味。自分のどこかをつねっても、他人が痛いわけはない。ただし、親・兄弟などの家族は最も近い他人である。

痛みは肉体だけではない。心の痛みも親・兄弟には分らない。分かるという親は思い込みだろう。「自分の気持ちなんか親にわかるはずがない」、そう思った人は多いだろうし、「親も子どもの気持ちが分らない」とこぼす。なのに、「お母さんはあなたの気持ちをよ~く分かっているんだから」などと言う。これはまあ、人間関係の一種の方便だから、誰でも友達に言う。

辛くて嘆いている傍らで、「お前の気持ちはよ~くわかる!」って言ったりする。言ったことも、言われたこともあるだろう。どこが、「よ~く分かる」んだろうね。「お前の気持ちは、目くそくらいは分かる!」といえば本当だろうが、そんな時に、「目くそ、鼻くそ」なんて美しくない。美しい友情関係が醸せないだろう。「よ~くわかる」はシチュエーションと思えばいい。

自分は正直だから、分らないことを綺麗ごとでそんな風には言わない。いや、恥ずかしくて言えない。あるシチュで、今この女にこういう言葉をかけてやれば喜ぶだろうな、何てことが頭を過ぎるが、浮ついたことは言わない。作為的な言動より、ありのまま、あるがままに対処するクセがついている。それが嵩じると、人前で繕った挨拶などができなくなる懸念もある。

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さらにいえば、形式的なことが大嫌いになる。型式というが、そういう事をしなくちゃいけない自分が嫌になる。しかし、社会に生きているとそういうことも必要であるが、本音をいうと結婚式も葬式も法事もなくていいと思っている。最愛の父であり、死後42年になるが、法事には一度たりとも出た事がない。決まりというが、根拠のない決まりなどはどうでもいい。

人と同じ事をしない、同じ考えに添わないと、変わっているなどというが、自分から見れば、人と同じ事を無根拠・無批判にするのは無思考である。人から後ろ指を指されたくないためにする。そのように見ている。まあ、同じ事をしないと文句をいう相手に向けた言葉で、別に尊重してくれずとも、放っておいてくれる人間には、彼らが形式事に参じるのを否定しない。

特段重要でない人物には適当に対処するが、重要人物なら自身の思考を重視する。友人・知人の親の葬儀に声がかかれば問答無用に出席する。生まれていつしか自分の傍にいる女性を母、男を父と認識するようになる。彼らは自分の世話をし、食事を与えてくれたり、自分を守ってくれたり、欲しい物を買ってくれたり、などといろいろ保護してくれているのが分かる。

それが親の正体である。そうして彼らが自分を作ったことも分かる。分かるというのは正確ではなく、想像だ。親子という認識にあっての想像である。作るところも、生まれるところも見てはいないし、だから想像であるが、想像はだんだんと確信に変わって行く。それまでは、「この人たちはいったい誰なんだろう?親とは言うけれど…」の思いは誰にもあったろう。

イメージ 5親が自分を作ろうとも、母親から生まれようとも、他人であることには変わりない。もちろん、親も子もそこが大事なところだが、そのように思わない親も子もいる。親は自分を作ることで親になったのであって、最初から親であったわけではない。さらにいうなら、ある日、突然親になった。これは母親と父親の実感としては、かなり違うものであるらしい。
母親は身ごもっているあいだ中、親の意識に染まっている。受精から出産までを総じて10月10日というが、実際は妊娠が判明した以降に、体内に自分の分身がいると判明した以降、親という気持ちになるのだろうか?経験がないから想像でいうしかない。ところが、父親なんてのは、子種を提供した後は何ら変わらぬ今までと同じ日々でしかない。そして「生まれた!」

と、同時に強制的に父親にさせられてしまうのだ。しかし、父親の実感と言うのは人によって芽生え時期が違うだろうよ。実際に我が子を見た瞬間という人も、抱き上げた時という人も、パパ(お父さん)と呼ばれた時という人など、さまざまだ。自分の場合、なにやら得体の知れない小さな体型の子どもが、どうして自分の子どもなのか、そこが不思議だった。

自分は教えないし、言わせようとした事もないのに、周囲が自分のことを「お父さんよ」、「お父さんと呼びなさい」と教えるものだから、子どもは学習の成果で「お父さん」と呼ぶ。なにやら仕方ナシに呼んでる感じで、だから仕方ナシにこちらも呼応してやる。最初の父子関係なんてそんな義理の応酬である。子どもも「お父さん」をイメージし、頻繁に呼ぶようになる。

それどもときたま、「なんで自分はこの子のお父さんなんだろう?」と考えた。そこで得られた答は、「お父さんと呼ばれるからにはお父さんなのだろう。だったらお父さんらしくする必要はあるな」と、そういう事から父親学を始めた。自分にもお父さんがどうすべきか分らない。子どもにどうする役目をお父さんは負うのか?そんなことを考えるしかなかった。

「親という不思議」という題目は、自分が親になったときの不思議加減も含めて書いている。だからか、生まれたばかりの子どもを、さも大手柄を立てたような喜びに包まれて子どもを抱いたり、撫でたりする親は自分には理解できなかった。物事を確実に認識するまでは、そんな風に手放しに喜ぶこともできない自分は何なのか?ハッキリいえることは親子といえども…

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自分は自分である。親は肩書き、自分は以前のままの自分と何ら変わりない。子どもは生殖の結果この世に生まれた生き物である。それが当初の考えであり、父親の役目といわれる乳児の入浴も、オムツ替えもした事がない。抱くこともない、触ることもなかった。正直抱くのが嫌だった。実際に抱いてみて「よくこんな思い物体を妻は抱いていられるな」、それが不思議だった。

おそらく(と前置きするしかないが)、同じ思いを抱いた父親はいるかも知れない。乳児期に子どもを抱いた回数は、アバウトで5回くらいか?何も自慢をしているわけでも、非情を披露しているわけでもない、事実を述べている。まあ、この事実を最もしるのは妻であろう。彼女には夫はそういう種族に見えたはずだ。男は子どもを抱かない、あやさないという種族。

いつか、回想した事がある。「子どもが人間に見えてきたのは3歳くらいか、4歳くらいか、ある程度の知能がついて以降だったかな。それまで猿同然、猿以下に見えた」。人間といして意識できるようになれたら、父親の出番到来という考え方の是非はともかく、母親の乳児期の対処はそれはそれで母親ならでは可能なものではないか?そう思えてならない。

イメージ 7長期に及ぶ妊娠期間で母子との一体感、連帯感がなせる技かもしれない。子育ても子どもの躾も教育も本当に難しいものだ。「褒めて育てればいい」というのを妄信するのも実はよくない。なぜなら、親が褒めてばかりだと、子どもは期待に応えようとウソをつくこともある。褒められて悪い気のする子どもはいないが、褒めるはある種の親の価値基準の押し付けでもある。テストで100点取ったのを褒めるのはいいが、結果を褒めても過程は褒めない。たまたま100点なのか、頑張った結果100点だったのかをむしろ親は問わない。そうであると、結果だけ帳尻あわせればいいや、それでいいんだという短絡さが助長される。それで子どもが「100点取った」とウソをつくようになる。ウソだろうが本当だろうが、「100点」が親に喜ばれることが、子どもにとって大事となる。

褒めるよりも、一緒に喜ぶのが対等な関係となろう。「褒める」というのは、どうしても上⇒下の様相であり、共に喜ぶならば対等である。「上手な褒め方」という作為に満ちた教育書もあるが、親に作為を教えるよりも、自然な、心からの発露が素敵である。「好かれる彼女の褒め方」なんてのも同様に、そんな才能もない男がぎこちなくやっても、むしろ嫌われるだけ。

何事も「自然」に勝るものはない。自然にし、自然に振舞う姿の、素直さ、正直さに共感を持たれることもある。作為に満ちた言動を、何処から仕入れてみても所詮は付け焼刃なら、恋は上手く行かない。男と女は互いが自然に歩み寄れる関係が長続きする。親も同様、子どもに自然に振舞っているか、虚言か、欺瞞か、子どもは見抜くと思うのだが…

一転、低評価の歯科医院

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歯科医としての技術や腕は確かでも、歯科医院経営者として疑問符がつく先生はいるはずだ。経営とは何?経営理念とは何か?という事だが、経営とは、人、金、物、情報といった経営資源をどう配分するかを選択し、目標達成のためにもっとも適した方法を策定・選択すること。簡単にいうと、"利益を上げるにはどうするか"を、自己に問いかけることである。

経営といっても業種によって異なるが、顧客(患者)数を増やすことが繁栄となる。そのためには、①新規顧客(新患)を取る。②リピーター率を上げる。これが基本である。客単価が高いのも経営者にはありがたいが、「1万円の客より、千円の客を大事に…」というのは、昔からの商人(あきんど)の鉄則である。かつて、「患者は医師の思い通りになる」という権威主義が横暴をふるった。

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「人は生まれながらにして悪人であるから、環境や教育などで善行を推し進める」これを性悪説といい、「人は生まれながらにして善人であるが、環境や欲によって悪に染まって行く」。これを性善説といった。いずれが「真理」と定義することはできない。ただ、どちらの見解でも、「人は善行も悪行も行いうる」ことは事実。決定的に間違っているのは以下の考え。

性善説…(人の本性は善であり)人を信じるべきだという考え方
性悪説…(人の本性は悪であり)人は疑ってかかるべきだという考え方

性善説を唱えた孟子はこんな能天気なことは言わないし、 性悪説の荀子が人間不信だったわけではない。人間関係でよくある事例として、「見損なった」と言う言葉がある。勝手に人を自分がいいと判断し、見込みが外れると、「こんな人とは思わなかった、見損なった」などの言い方はしばしば耳にするが、自身の見込み違いを相手に転嫁した都合のいい言葉。

別段、相手が変わったわけではない。自分も10代、20代、30代~40代ころは、しきりにこの言葉を使った記憶がある。今に思えばその言葉を使うことで、自己の責任一切を相手になすりつけていたのだろう。今回、久々に同様の体験した。正直落胆もしたが、「見損なった」などは言わない。良いと思ったもの、信頼していたものが何かの理由で崩れ去るのは心苦しい

今回の体験は歯科医院での事。現在の歯科医院に通院を始めたのが2014年1月16日だから、2015年8月17日の最後の通院まで丁度1年7カ月余りであった。患者としての治療は3月3日にて終了し、以後は月に一度、予防とケアを主体に通院することに決めた。歯周病の予防ケアは、3カ月もしくは半年に一度というのが通例だが、通例は通例であって、自分は月1にした。

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理由はこの歯科医院のもつ雰囲気ならびにスタッフとの和やかな交流が、日々の生活に潤い感を与えてくれるからだ。そういった生活のメリハリというのは、人間に精神的プラス効果を与えるし、「笑いの効用」と同様に大事な心のケアといえる。歯科医院の数は多けれども、"終の棲家"を見つけた気分もあってか、6月4日、5日の両日にわたって賛辞の記事を書いた。

今回あったことは単純ミスかも知れない。人間が不注意から起こすミスを許すキャパは持ち合わせているつもりだし、ミスは謝罪で許されることが多い。が、問題が膨らむのは、ミス後の言葉を含めた一連の対応である。言葉一つが怒りを増幅させることもある。謝罪の意味、謝罪の本質とは、適切な言葉を使ってミスを相手に詫びることではない。

頭を下げることで、顧客を優位に押し上げること。それによって、顧客の気持ちを緩和させ、できることなら以前同様、来店して下さいと言うお願いである。「それなら再た行ってあげよう」という気持ちにさせるのが謝罪の真意である。だから謝罪は絶対である。謝罪がない場合、ミスした側が優位に立ったままで、これでは顧客もバカバカしくてそこに行く気は失せる。

前置き・前触れはこのくらいにして、6月の記事に書いた高評価の歯科医院での出来事を書く。3月で1年2カ月に及ぶ治療が終り、4月から月1で、「歯周病予防ケア」に通う。あるスタッフから、「月1ケアの優良患者さん」と言われたが、選択は自分に委ねられ、3カ月でも半年でもいい。自分は医院のスタッフとの気さくな対応が楽しく、だから月1を選択した。

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ケア業務に対する熱心さや真剣さも伝わり、3カ月毎に実施される「歯周ポケット診断」のチャート紙をコピーして在宅チェックを促すなど、顧客のケア意識の向上に力を注いでいるのが伝わってくる。こういった熱心さにもかかわらず、当初自分は、歯周病のケア意識はまるでなかったが、渡されたチャートを自宅で注意深く眺めるようになるなど、徐々に変わって行った。

これら衛生士スタッフの熱心さのたまものである。チャートを判断基準にし、歯垢のたまりやすい部位に注意して歯磨きをするようになった。チャート表は見えない自分の口腔内が手に取るようであり、歯のメンテナンス、歯周病予防に大切なものであるのが判った。治療中にあっても、3カ月毎の歯周ポケットチェックは行い、その際、チャート紙は随時いただいた。

治療が終了し、4月からのケアが始まって4カ月後の7月のある日、チェックを終えて料金を支払って自宅に帰り、チェックチャートを眺めようとしたとき、渡されてないことに気づいた。渡すものを渡さない医院側のミスであるが、人間はミスもあろうと特段気に留めていなかった。高評価で信頼をおいている医院でもあり、この程度のケアレスミスは問題にしなかった。

それで2日後に、あらためて医院に取りに伺った。先方のミスゆえに謝罪くらいはあろうと、そういう意識もあった。「お渡しするのを忘れて申し訳ありませんでした」くらいの言葉は出ると思いきや、不思議なことに謝罪の言葉は、一言もなかった。あげく受付嬢はこのように自分に向けていう。「わざわざ取りにこられたんですか?」と、いくらなんでもこの言葉には驚く。

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驚いたのは好感度の受付嬢だからで、もし、これがそうではなかったら、そういう失言は容赦はしなかったであろう。「渡すのを忘れて取りに来た顧客に対し、その言い方はないんじゃないか?もうここへは来ないから」と言うかもしれない。ぶしつけな応対に、黙っているような柔な自分ではない。が、瞬間、彼女を許したのは、友好的な人間関係があったからだと思う。

「思う」というのは、自分で自分を分析して感じたこと。是は是、非は非を、標榜する自分にあって、これだけの失言を笑って許したのは、自分でも意外であった。どう考えても、「わざわざ取りに来て頂いてすみません」というのが常識であろうし、謝罪より常識の無さに驚いた。民間の有料健康診断施設に健康チェックに行き、診断表を渡されないことなどあり得ない。

その時に思ったのは、2013年4月18日に開院して2年も経てば緊張感も失せ、サービスの質低下も不注意からのミスも発生する。それではいけないし、そのために目を光らせる管理者が必要となる。後で述べるが、管理者ならずとも唯一管理者の任を発揮できる体制は作れる。ある時自分は院長に尋ねた。「先生は医療をサービス業とお思いか?」、答えは「No!」であった。

「医療はサービス業」と言い切る医師も少なくなく、その辺りは個々の思いによっても違ってくる。がしかし、患者といえども接客業である以上、顧客を良い気分にさせる点においては、サービス業的な部分はたくさんある。嫌な思いをすれば客足は遠のくであろうし、顧客はそれほどにシビアである。特にケアだけに訪れる人は、患者というより顧客という意識が強い。

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病気予防という点で歯周病ケアとエステサロンは違う。が、治療でないなら顧客に患者意識はなく、よってサービス意識にはシビアである。忘れることなく手渡されていた歯周ポケットチャート紙が、なぜ顧客に渡されないミスが発生したのかについては、気の緩みとしかいいようがない。開店して1、2年程度は緊張感も持続し、仕事意識に対する喪失感はそれほど損なわれない。

だんだんとダレ、ミスが当たり前に発生すると、顧客は自分がないがしろにされた意識を抱く。したがって、そういった人為ミスを防ぐ体制が必要となる。が、当院に高い信頼感を抱いていた自分は、今回のケアレスミスをとりあえず許し、受付嬢の失言も我慢をした。関係の深さは思いの深さ、思いの深さは相手を許容する深さでもある。それを人間関係という。

だからと言ってミスを起こしていいものでもないし、顧客に甘えていいと言うことにはならない。ところが…、7月25日にまたもチャート用紙を渡さないミスが発生した。その患者とは、なんと自分が当医院に紹介した女性である。彼女も通院は一年を超えているが、「チャート紙を渡さないなど、どうも緩みが出てきたようだ」と、彼女に自分の体験話をした矢先の同様のミスである。

自分のミス発生は7月13日、彼女は7月25日である。彼女も自宅に帰り、落ち着いてチェックチャートを眺めようとし、その時に手渡されていないことに気づいた。その事を知った自分は、すぐに電話を入れた。自分の紹介した患者でもあり、同じミスが続いたことでさすがに立腹した。「何をやってるんだ!気が緩んでる証拠だろ?」と、受付嬢にはきつく言葉を発した。

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ところが受付嬢、注意され苦情を受けているにも関わらず、ヘラヘラ感ばかりがこちらに伝わる。こちらのクレームを察知してる感じがまるで見られない。「怒られている間中笑っている奴は注意し甲斐がない」というのはよく耳にする。そんな態度に腹を立てる注意者もいて、まさにそんな感じである。この女性は怒られ慣れしてないのか、クレーム処理には不向きと感じた。

なぜか謝罪の言葉は一言もなかった。彼女は同僚から、「接客の鏡」と言われているくらい接客評価は高い。それは自分も認めているところであり、紹介した女性も、"いい受付さんですね"と感じていた。問題のない顧客応対は100点でも、問題発生時の対応は0点である。店側に全面非のあるクレームに謝罪の言葉を発しないのは、店を代表する受付として失格である。

さらには暴言ともいえる失言には一般社会常識からしても驚きであった。歯周病ケアの大切さを説き、それに対する言葉を100万回吐いてみても、チャート紙を渡さず、取りに行けば、「わざわざ取りにこられたんです?」という応対は、どう考えても顧客をないがしろにしている。折角高まった歯周ケアへの意識は一気に失せ、「ただのビジネスか…」、そんな気持ちが頭をよぎる。

ビジネスが悪いとは思わないし、ビジネスであっても、顧客にとってケアの処置は間違いなくプラスになっているわけだ…。ところが、サービス業という観点から見た場合、顧客を嫌な気分にさせるなどはあってはならないこと。100%の満足を与えなくとも、顧客を見下した発言は絶対に慎むべき。これまでスタッフへの感謝の気持ちを、差し入れするなどで表した。

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ケアは大事と言うスタッフに、実はケア意識が欠落しているとは笑止に価する。「家に帰ってチャートをしっかり見ながら、歯磨きなどのケアに役立ててください」。そういう意識、そういう言葉がまるで嘘に聞こえてしまう。「何でチャート紙を渡さないんだ?」という電話を受けたなら、謝罪をし、「すぐに封書で郵送させていただきます」などの俊敏な対応が当然である。

健康診断に行ってチェック用紙を手渡されず、苦情の電話を入れたらマチガイなくそういう対応をするだろう。それがないというのは、チャート紙など重要でないとの意識と感じた。大事なものなら機敏に対処するはずで、だからダメなんだな、この医院は…。社会常識すら持ち合わせていない。接客業務の真価は、問題(ミスに対するクレーム)発生時に分かる。

その時に、店舗や企業や経営者の質も判明する。歯科医師がサービス業の本質を理解していずとも、気のゆるみ、たるみから生じる人為的ミスの発生を未然に防ぐ体制がなされていない。サービス業とは、その時、その場の顧客の心情に同化する、まさしく人と人の心の触れ合いである。問題発生前のスタッフの仕事ぶりは、新規開店後の緊張感によるものだったようだ。

「終の棲家」と即断した自分の見誤まりである。残念だが明日で最後…、足が向かぬなら仕方がない。意識の無さがもたらす不注意ミスは、二重チェック体制で簡単に防止できる。現場スタッフの多忙さや気の緩みから発生するミスを受付が食い止める。受付とは、笑顔で客を迎え、笑顔で帰すだけでない重要な役割を担う。それは抜かりなく顧客を帰すということ。

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ケア担当スタッフのチャート紙の準備・用意を受付が把握すること。スタッフからチャート紙が上がらない場合でも、顧客に不用と即断しないこと。それこそがダブルチェック機能である。つまり、受付は同僚スタッフを疑い、唯一内部に目を光らせる管理職のような任を授かる。この抜かりのなさが顧客へのミス防止となり、受付はスタッフのケアレスミスを最後に食い止める砦となる。

ダブルチェック体制もなく、従業員の自意識に頼ってミスは無くせない。斯くの放漫なミスは、早急防止の管理体制を整える必要がある。それを院長に言おうか迷ったが止めた。善意であれ黙っておくのが正解かなと。カーライルはこう述べている。「レストランに行ったが、料理は不味い。サービスも悪い。そういう時は料理を残し、黙って去り、二度と行かなければいい。」

「同情」しない優しさ

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本格的に哲学に興味を持ったのは、30歳を過ぎた頃だったであろうか?それまでカントやサルトルの著書に触れたことがあったが、カントの『純粋理性批判』などは難解すぎて挫折。カントは小学6年生の教科書にローマ字で登場した。「Hora kanto sensei no otōri da,sā gakkō e iku jikan dayo」で始まる2ページの文章は、何度も素読みしたのか、今も忘れない。

ローマ字にもいろいろな表記がある。我々が教わったのは、「gakkō」だが、「gakkoo」、「gakkou」、「gakko^」などの表記もある。我々は言葉では、「がっこー」と発音するが、文字では「がっこう」と書く。よって、「gakkoo」でなく、「gakkou」と表記する。では、「susi」と、「sushi」はどちらが正しい?これはヘボン式ローマ字、日本式ローマ字の違いである。

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ヘボンことジェームス・カーティス・ヘボンは、幕末に来日した宣教師で、初の和英辞典である『和英語林集成』を編纂した。つまり、なぜ「gakkoo」、なぜ「gakkou」、なぜ「gakkō」なのだ?と、考えるのも初歩の哲学である。哲人ソクラテスは、「哲学は疑いとともに始まる」と言った。というように、哲学は疑問であり、疑問をないがしろにせず、突きつめたものである。

「哲学など何の役にたたない」という人はいる。功利優先からみると、確かにその面はあるが、仮に哲学が何の役にも立たないものなら、哲学など、との昔に絶滅したであろう。ソクラテスやプラトンやカントの名も知ることもなく、人間の頭脳が難しい哲学用語や、論理に煩わされることもなかったし、その方が人間にとっては幸福であったかも知れない。

しかし、哲学は人間と言う動物の避けられない宿命である。なぜなら、ものを考えない人間はいないからである。よって、ひとたびものを考え始めると、「より広く」、「より正しく」、「より深く」考えることを目指すようになり、ついには哲学に突き当たる。このように、ものを考えるという心の働きがなくならない限り、人間は哲学から解放されることはない。

電車に乗ると大勢の人が携帯でゲームをしている。じっと瞑想に耽る人もいる。ゲームなどして何の役に立つのか?また電車内を見渡すとカープのユニホームに身をまとった「カープ女子」といわれる女性ファンが選手の応援に球場に向かう。そんなことが何かの役に立つのか?野球観戦に私服ではダメなのか?これらと、「哲学が何の役に立つ?」はまったく同じ疑問である。

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ある女性はいうだろう。「好きな選手を応援するのは、ハートにズキズキくるけど、哲学なんかメンドクサイだけでしょ?」これはいかにも女性的な感性である。誰も嫌なことを時間とおカネをかけてはしない。プロ野球観戦も、選手の応援も、大脳酷使で考えるのも、すべては楽しさである。何かの効用をもとめるものでもないし、思考も享楽に過ぎない。

古代ギリシャ時代から二千数百年以上にわたって、哲学書が書かれ、これを読む人が絶えなかったのは、ひとえに哲学に何らかの「功徳」があったからであろう。したがって哲学は、「享楽」でありながら、「功徳」であり、その「功徳」が何かを考えてみる。まず、カントやパスカルやニーチェがこんにち読みつがれている理由は、著書が人に感動を与えているからだ。

自分も哲学者の異名である、「哲人」という言葉に感動した。近年、「哲人」は、知恵がすぐれ、見識高く、道理に通じた人。と解され、哲学者でなくとも、「哲人」と称されている。「メ~テレ」の愛称「名古屋テレビ」に、『哲人の告白』(毎月曜日:夜6時56分)なる番組がある。番組キャッチコピーは、「"哲人"とは自分の哲学をもって時代に立ち向かう熱き人」。

ちなみに8月17日の哲人は松本丈氏。知らない人だが、プロフィールと、「人との繋がりを大切に福島を盛り上げたい」という題目がある。ソクラテスと同等の哲人ではないが、現代社会において、"自分の哲学をもって時代に立ち向かう熱き哲人"なのだろう。いわゆるバラエティー茶の間番組だから難しい構成にないが、出演者自身"哲人"は恥ずかしいかも…。

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30歳を過ぎて本格的に哲学に興味を持った、と書いたが、本格的という言葉も羞恥であり、"ちょっとばかし"としておこう。先ず手にしたのは、ニーチェの、『ツァラトゥストラはかく語りき』である。「ツァラトゥストラ」って、何とも妙な言いにくい名前だが、一体どこの誰?これは、「神は死んだ」のニーチェが、「真理への誠実さをも持つはず」との理由で登場させた。

ツァラトゥストラ(Zarathustra)は生没年不詳。古代ペルシアの宗教家・思想家で、ゾロアスター教の開祖。英語読みでゾロアスター(Zoroaster)、ペルシア語でザラスシュトラ(Zarathushtra)。同書は哲学書というより、小説や神話風な文体で、文学史上に影響を与えている。ニーチェが功徳者としてツァラトゥストラを選んだ理由が、『この人を見よ』にある。

それによると上記の、「真理への誠実さ」と、「道徳についての経験を最も積んだ者であり、道徳の矛盾を最も知っているはずだ」という理由のようだ。非常に難解な文章である。文学的素養のない自分が、かつて幸田露伴の小説『五重塔』で挫折したように、『ツァラトゥストラ』は、のめり込まなければ、到底読みきれる内容ではない。おまけに1000頁を超える分厚さ。

さらに哲学書の類は、オペラ同様に好きでなければ目、耳、頭からも離れるであろう。物静かな秋の夕暮れ、好きな本を一心に読みふけるような、何やら名状しがたい懐かしさの記憶はある。そんな気分は多くの人に残っている。人はみな哲学者であり、幼い頃からの様々な思考や体験が、現在の彼(彼女)を作ったし、それぞれの年齢で難しいことを考えていたはずだ。

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疑いを知らぬ幼児が、疑いを抱き始めた時点で哲学を始めている。疑うこと、解き明かそうとすること、そのための思考である。巨人ニーチェの大洪水のような哲学は、弱小人間の思考も経験も、観念の器さえ、はるかに超えるものである。ところが、いかに小さな柄尺であれ、大海の一滴は汲むことはできる。一滴を容器に入れていけばいつしか満杯になろう。

現代社会で、「男らしさ」とはマツコのような人間かも知れない。物怖じなしにズバっと物事を捉えて口に出す彼。しかし、旧世代人たる自分らに言わせると、「なぜ男があのような恰好をするのか?」、「せねばならぬのか?」は、ほとほと疑問である。男が女物の洋服を着ても性的には男であろうが、男が女物を着る動機は、女物に憧れるからであろう。

男が性的に女に憧れるのは、むしろ男ゆえにであるが、女物着衣に憧れ、女言葉を駆使するのは半分女ではないのか?その意味で、マツコは男臭い男ではなく、香水の臭い漂う女臭い男であろう。男は男の成りをせねばならない決まりはないが、芸能界という特殊なイロモノ世界では許されても、実社会で男と女は、施設などあらゆる点で分離されている。

したがって社会は男か女か色分けするところで、差別と言うより区別である。いかにオカマといえど、女子トイレ、女子湯には入れない。そういうときには100%男でなければならない。確かにかつての、「男らしさ」、「女らしさ」という「らしさ」の概念は現代社会で崩壊したが、男が、「男らしい」男に憧れ、「女らしい」女に憧れるのは、生殖という基本本能のたまものだ。

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男の女装、つまり異性装が気持ち悪がられる理由を哲学的に示すなら、「繁殖こそが異性に憧れる目的という生物学的本能に対し、異性装は異性への憧れを歪んだ形で表現している」からであろう。大事なのは、善悪ではなく「歪み」であって、コレは実社会的男女の存在要件を歪めている。男が見るからに女装で外に出て、ジロジロ見られるのは当然である。

異性装にはそういった、「期待を阻む違和感」がある。相撲の関取がマワシだけで街を闊歩したところで、さほどの違和感はないということだ。教育者といわれる教師が、説教を説いて歩く僧侶が、不道徳な行為で逮捕されたというなら、これも「期待を阻む違和感」として拒否される。美輪明宏や池端慎之介(ピーター)がゲテモノと言われたが、現代人は慣れてしまった。

オカマにも慣れてしまった。今後、時代を経るにしたがってさらにさらに慣れるのであろう。ニーチェの哲学を一言でいうなら、「男らしい」である。「男らしい」生き方を求めた思索といっていい。であるなら、何が男らしいのかを説明する必要がある。彼の哲学思想テーマは、「ニヒリズム」で連なっている。「ニヒリズム」とは何?「ニヒリズム」をどう理解するか?

「ニヒリズム」は古くからの哲学的用語であるが、ニーチェによってはじめて明確な概念を与えられた。が、同時にこの言葉は誤解された。一般的に、「ニヒリズム」とは、伝統的な価値を否定し、いかなる価値をも信ずることなく、人間の生存を始めとする一切を無意味とみなす考え方や態度。これはニーチェとかけ離れた考えであるばかりか、このよう事は存在し得ない。

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何ものも信じるにあたいせず、すべてが無意味などは事実としてあり得ない。神を信じない、友を信じないことはできても、何も信じないで生きるなどは誰にもできない。人は生きる限りにおいて多くの何かを信じている。ニーチェは、「ニヒリズム」について多くを語るが、彼の思考の特徴は、「それは何か」ではなく、「それはどう考えればよいか」を貫いている。

「ニヒリズム」は日本では「虚無主義」と訳され、すべては虚無であることを主張する主義の印象を与える。そうではなくて、「理想主義」が理想を信じるように、「ニヒリズム」は「ニヒル」なものを信じることだ。この場合、ニヒル=虚妄とし、したがって虚妄を信じることである。彼はキリスト教を痛烈に批判したが、キリスト教や善人を虚妄と批判した。

聖書には、「隣人を愛せよ」と記されており、「隣人愛」は、人類一般に連なる永遠不滅の道徳律とされている。しかし、ニーチェは、『ツァラトゥストラ』をはじめとする多くの著書で、「君たちは隣人のまわりに群がり、それをさも美しい言葉で飾りたてる。しかし、私は君たちに言おう―――君たちが隣人を愛するのは、君たちが自分自身をうまく愛せないからだ。

君たちは自分自身から逃げだして隣人のところに行き、それで何か美徳をほどこしたと思いたいのだ」。なるほど…、言われてみるとそういうこともある。人は自分自身にはしかと向き合えないのに、他人に親切にしたり、おせっかいを焼くのが大好きである。これがニーチェのいうところの、"自己逃避"である。ニーチェにとって、あらゆる美徳はその隠された動機によって虚妄と化す。

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「隣人愛」は自己逃避のひとつの形式であり、およそ道徳といった美しい名に値するものではないとし、建前の裏に潜む偽りの心を自らかぎつけるべきと進言する。どれほど隣人(他人)に尽くしたところで、一体に自分は隣人に何かを生み出すことができるというのか?ニーチェはまた、「弱者を悲しく惨めな人だと哀れむことが同情ではない」とする。

同情とは他人を思いやる気持ちである。が、それは裏を返せばあなたが、「惨めな人だと哀れむ」という優越心から来るもの。よって、他人に安易に手を差し伸べることは、他人のためになるどころか、他人を甘えさせ一層堕落させる。その結果、互いが弱者と化してしまう。ニーチェはこれを唾棄する。他人には柔らかいベッドよりも、硬いベッドであるべきとする。

こういうところが男らしいところである。他人に優しく、他人に同情心を持つのは女性らしいが、その裏に潜む腹黒さ、これもいかにも女性らしさである。男は男を叱咤してこそ男であろう。これらは大工・左官や、料理人などの修行段階で厳しさであろう。この厳しさよって、男は男になって行く。ニーチェは同情することを禁じているのではない。されることも戒めている。

「隣人よりもまず自身に尽くせ」という。本心で他人の悩みや痛みと共に苦しむなら、こちらもその悩みや痛みに侵略されるであろう。医師とて末期ガン患者に同情はしない。医師が患者にできる同情とは、患者を苦しめる病から患者を励ますこと。医師にはそういった暗示効果はあろう。が、ニーチェが同情を退けるのは、動機の裏に偽善が隠されているからだ。

「まことに、私はひとに同情して幸福を感ずるような憐れみ深い人たちを好まない。彼らにはあまりにも羞恥心が欠けている。」

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同情を美徳と考え、他人に同情し、あたかも敬虔な顔をしたがる偽善者に捧げたい言葉である。『トム・ソーヤーの冒険』の著者として知られるマーク・トウェインは、ニーチェと同時代に生きた人だが、以下の言葉を残している。「人間とは頬を赤らめる唯一の動物であり、そうしなければならない唯一の動物である」。サルの顔は赤いが、それがサルの肌色である。

「他人に同情しない優しさ」を真に理解するまで年月が必要だった。「他人に同情するのは善い事」と教わったのとまるで正反対の言葉だけに時間を要した。が、このことを知るだけで、本当の同情を見出すことができる。ニーチェも偽善を廃した真の同情を模索し、この考えに至ったのだろう。ニーチェが本当はやさしい人だったのを知ったとき、彼の本当の苦しさが少しは理解できた。

歯科医院にて… 序章

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人間には「喜怒哀楽」という情動がある。いや、人間だけでなく動物にだってあるのを感じる。動物といっても、カエルやカブトムシではなくて、イヌ、ネコ、ウマ、ウシなどのいわゆる高等哺乳類である。イヌの喜ぶ顔に癒され、ネコの甘えたしぐさに人は癒される。「走る」を宿命づけられた競走馬サラブレッドは、涙を流しながら騎手のムチの応えて走るという。

闘牛は残酷である。なぜスペイン人はあのような牛の公開処刑を娯楽とするのだろう。それをいうなら、食肉にされるために飼育される牛・豚も同様である。アジやマグロとて同じこと。食文化も含めた「文化」というのは昔から引き継がれてきたものだけに難しいものだ。動物愛護団体はしきりに闘牛廃止を訴えるが、そういうものが無かった時代から闘牛は始まった。

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反戦運動など無かった時代から戦争もあったように、いいものを継承し、よくないものを閉ざしていくのも人類の進歩であろう。「食肉は残酷だ!」、それは分かる。確かに人間が同じ目に合うならやりきれない。よくは知らないが、『進撃の巨人』という作品は生きた人間をシシャモのように頭から食っているし、人と猿を逆にした映画『猿の惑星』はショックであった。

「喜怒哀楽」とは、四つの情動だけではない人間のもつ様々な感情を、四つの言葉で表したものである。喜び・怒りと、哀しみ・楽しみという相反する言葉がセットになっている。これ以外にも妬み・蔑み、威張ったり、自慢したり、陥れたり、多くの感情を人はもっている。が、それはむしろイイことである。様々な感情に支配されるから、いつまでもくよくよしない。

喜びも哀しみもいつしか消え去る。怒りも一日経ったら忘れてしまう。自分などは怒りの継続は意識的に演じていることがほとんどであった。子どもを叱ることも、部下を叱ることも、感情を露にして叱ることはなかった。どうせ叱るなら相手のためを思い、相手にプラスになるような適切な言葉を探そうとすること自体、冷静になっている。「怒る」でなく「叱れ」と言われる。

言われるまでもなく、自分はそのようにしていた。それは上の者の下の者に対する愛情であろう。ところが、そんな自分が感情を剥き出しにして挑む相手は、上位者であった。親であり、教師であり、司直であり、あるいは上司であり、地域の長老などには、感情を抑えることなく挑んだものだ。なぜなら、彼らは権威者であるからだ。自分は権威主義的なものを好まない。

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なぜか?自由人でありたいからで、権威は人の自由を押さえつけるものでしかない。正確にいうなら、権威が重要であるのは認めるし、男の権威、夫の権威、親の権威は十分に活用した。だから権威を批判するのではなく、権威者が必然的に有する権力を批判した。自力を持ち合わせない無能者が、権威にあるからといって威張ったり横暴な態度や言葉が許せない。

権威に相応しき者は、それ相当の力量なり能力にあるなら認め甲斐がある。権威を信奉する奴はいる。たくさん出くわした。そういう奴らは自分と同じように人は誰も権力志向と思っている。無能者が権力を振りかざすのはまさに茶番、自分からすれば見ていられないが、学歴・職歴・社会的地位如き何がしかの権威を持つだけで、偉くなった気でいる奴はいる。

おそらく自分の反権威思考は親への反発から得たものと察する。権力に組しない、妥協しないことで多くの摩擦もあった。トラブルもあった。友人との喧嘩もあったし、ボヤ的な言い合いも多数あった。30年位前だったか、こういう論争をした。相手は当時自動車会社マツダに勤務する東工大工学部出のエンジニアであった。東工大といえば菅直人が浮かぶが、腹黒さは同じである。

当時、自分は子どもをピアノコンクールに出し、それでレベルの客観的な基準を判断していたのだが、数人での会話の中で腹に据えかねた何かがあったのだろう彼が突然こう息巻いた。「権威主義を嫌うなどと偉そうにいいながら、子どもをコンクールに出すって矛盾してるんだよ。コンクールこそ権威の象徴だろが!」自分のどういう言葉が彼をキレさせたかは分らない。

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が、明らかなのは彼が権威主義信奉者で、自分は権威主義嫌悪者であったこと。自分は彼の場違いな考えに呆れてこういった。「"物は使いよう"という言葉を知ってるか?刺身包丁は人を殺す凶器にもなる。コンクールが権威かどうか、そんなことは利用する側の問題よ。子どもはピアノ教室に通ってるわけではない、発表会もない、家でちんたら練習するだけで面白いか?

お前もバンドをやってたというが、どこかで披露することができるから練習にも身がはいるんじゃないか?コンクールは順位をつけるが、発表会すらない身の上で、人前で練習を披露できる喜びであることを理解もできない決め付けはみっともないわな」。これに対して彼は言葉を返せなかった。返そうにも返す言葉がなく場がしらけ、他の誰かが気を利かせて場を収めた。

「絶句」というのはあのような状態をいう。女なら非理性的なくだらん言葉を探して絡むのだろうが、それをしないだけ男はマシだし、理性的である。自分は論理で彼を攻めたのではなく、自身の本心を言っただけで、それだけに彼は対抗する言葉を模索できなかったのだろう。「つまらん事で楯突こうとする奴がいるもんだ」と、ほとほと呆れ顔であったし、それに彼は屈した。

言い合いや対論はネット等で文字だけでなされる場合もあるが、実際に顔を突き合わせてやると、その表情や、言葉のトーンや、やれやれ感、みたいなもので相手を制することはできる。感情的な相手に感情的になるのはガキの喧嘩、自分は母親とのバトルで、「何でこの女はこんなにバカなんだ?」と、「やれやれ感」満載で言い返すように成長した。

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人を見下すというのは好きではないし、人間の傲慢さであろうが、超絶傲慢な人間に対する対抗手段としては、いかに多くの言葉、いかに荒げた声はまったく無意味であるを知った。そのような人間こそ見下してハナであしらうことが勝利である。まあ、勝った負けたというより、縺れたうるさい糸をほどくのは無理であり、そのままゴミ箱に捨てるのが正解と学んだ。

子どもに対して、「怒らないで叱る」を実行する親は、権力を剥き出しにする親ではないという点でも評価できる。教育書や躾書には「これが大事である」と書かれている。にも関わらず、「分かっているんだけど、つい…」と言う親は多い。なぜできないか?そういう経験をたくさん持たなかったからであろう。自分は幼少期から日々母親とのバトルであった。

したがって、バカへの対抗手段は言葉を荒げることではないと言うのが身についた。相手が興奮するほど滑稽にしか見えない。だから、「分かっているんだけど、つい怒りにかまけて言ってしまう」は理解できる。相手は年端もないガキんちょであっても、そんなに簡単に冷静にはなれないのも分かる。だから「怒る」を抑えて「叱る」が難しいのは大いに分かる。

後は訓練するしかあるまい。子どもと同じ目線で言い争うなどもはや親の権威は吹っ飛んでいるのだ。「お前って、何でそんなに冷静なんだ?」これはよく言われた。おそらく喧嘩の奥儀を経験によって身につけたからであろう。そうではないかくらいしか分らない。とにかく、くだらんことでムキになったり、怒ったりの相手は、すべてオカシイ、オカシク見える。

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「くだらないもの」の「くだらなさ」を見極める目も必要になるが、人間の存在が結構くだらないものであったりする。もちろん、自分も含めてだ。ここも大事で、自分を含めた人間全般がくだらないと思うからこそ、秀でる人間、秀でる言葉、秀でる行動が目に付く。それは素晴らしいと称え、評価することもできる。坂口安吾が『堕落論』で唱えたことがそれだ。

「人間はこれ以上堕ちないところにまで堕ちきることが大事」と言った言葉の真意は、そこから本当にいいもの、正しいものを見極める目を養えるということ。上にいると、上にあると思うと、下がくだらなく見えるが、実はそれは正しくない事が多い。思い上がりであったり、傲慢であったりするだけのものが多い。そうではなく、自分を下において上を見る。

周りを見る。下も見る。下から眺める上は上、下から眺める対等は対等、下から眺める下も対等。そういう対等意識なら見下すことなく意見はいえる。下を年齢や職種や貧富や、それこそ顔や身長などの身体的な優位性などを引っ張り出したり、同列の人間に対しても、わざわざ何やら優位的なものを探して見下すことで、独善的な差異感に浸る人間は多い。

一切が人間の弱さであろう。自分が脆弱であるから、相手の荒探しをすることで自尊心を維持する。これが人間の本質だろうが、そこから目をそらすことで脱却できる何かがある。人間の本質に甘んじ、「人間はこうしたもの」と分かるならそこから出るのも良しではないか。「人間は欲だからしょうがないよな」、「親は"親バカ"っていうくらいだから仕方ないよな」

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こういう安易さに問題提起はあっていい。後は己を「利」する何かとの戦いであろう。「利」するを良しとすべきか、「利」するをくだらんとすべきか。それが「くだらん」ものの見分けであり、だから「くだらん」ものは人によって大きく違う。「くだらん」ものを絶対的に定義はできないが、思い込みで無く、論理思考の末の「くだらん」ものは、ある意味尊い。

いい大人がゲームに時間を浪費するのがくだらんと思うのはある種の成長かも知れない。それは、思春期の少女がジャニーズにはしかの如く嵌まるように、あるいは不良を自負する者がいきがっていた「族」がバカらしくなるように、人に迷惑をかけることがカッコいいなどと思わなくなったことと同等の成熟であろう。一切が自省であって、人には強要できない。

自身の成長(成熟)などというものは、そういう程度でしか認識できないものかもしれない。いいと思ってやっていたことが、客観的にみて「くだらん」、「バカげている」が成長ではないかと。性欲の強い主婦がいつしか「浮気」をくだらんと思う日は来るし、それは年齢的な体力の衰え、性欲の減退とは別の、新たな価値観に移行することでなされる場合もある。

女アサリを卒業した多くの男の理由は、体力よりも面倒くさいが優先する。時間と金と情熱をかけるものでもなくなった、いいかえると穴に飽きたということだ。「飽きる」と言うのは何もネガティブなことばかりではない。バイアグラを飲んで勤しむ男は、やり足りないのだし、若い時期を仕事に捧げたなら、それはそれで結構なこと。青春をバイアグラで取り戻せばいい。

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人の「生」はそれぞれ異なる。だから、人を笑える人など本当は存在しない。人が自分の「生」を基準に考えなければの話。人を笑うことは、単に人の表層を見ているだけかもしれない。そう考えるのが哲学である。『ツァラトゥストラ』は到底人間の思考とは思いもよらぬ、聖書にもました神の言葉と思える言葉がふんだんにある。読んでいてただただ圧倒される。


「わたしは森を愛する。町なかは暮らしにくい。そこには、発情した者たちがあまりにも多くいる。殺人者の手中に陥るほうが、発情した女の夢の中に陥るより、ましではないか?さあ、これらの男の有り様を見よ。彼らの目はこう言っているのだ――自分たちは女と同衾(sex)するよりマシなことは、何も知らない、と。彼らの魂には泥がある。 ※ 同衾後の括弧は筆者加筆

そればかりか、彼らの泥がさらには精神を持っているとは、わざわいなるかな!どうか君たちがせめて動物として完全であってくれるとよいのだが!だが、動物には無邪気さがつきものである。わたしは君たちに、君たちの官能を殺すよう勧めるであろうか?わたしは君たちに官能の無邪気さを勧める。わたしは君たちに純潔を勧めるであろうか?

純潔は、若干の者たちにあっては一つの徳であるが、多数の者たちにあってはほとんど一つの悪徳である。これら多数の者たちは、なるほど禁欲はする。しかし、彼らがなす一切のことから、肉欲という雌イヌが嫉妬の目を覗かせているのだ。(中略) 純潔を保つことの困難な者には、純潔を断念するよう勧めるべきである。純潔が地獄への道へとならないために。

わたしが不潔な事柄について話しているというのか?不潔な事柄について話すのは、わたしにとって最も厭わしいことではないのだ。真理が不潔なときではなくて、それが浅いときに、認識者は真理の水に入りたがらないものなのだ。まことに、心の底から純潔な者たちがいる。彼らは、君たち以上に、心から温和であり、君たち以上に、快く笑い、また惜しみなく笑うのだ。

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彼らは、純潔をも笑いものにして、尋ねる。『純潔とは何だろう!純潔は愚かさではないか?だが、この愚かさがわれわれのところへ来たのであって、われわれが愚かさのところへ行ったのではない。われわれはこの客に宿と心を提供した。いま彼はわれわれのもとに住んでいる、――彼の望むだけ長く、滞在するがよい!』。このようにツァラトゥストラは語った。」


自分の書いたことは、『ツァラトゥストラ』と同じ意味(のつもり)である。が、『ツァラトゥストラ』の言葉は、なんと崇高に満ち溢れているであろうか。聖書がこんにち、これからも読み継がれていくように、聖書の言葉とは対極的な、しかも、一切の虚妄と欺瞞を廃したニーチェの、『ツァラトゥストラ』も、未来永劫、読み継がれていくことだろう。

歯科医院にて…本論

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「歯科医院にて…序章」という昨日の表題だが、「歯科医院の文字が一文字もないではないか?」。確かにそうだが自分的にはその表題で書こうと思った記事だ。書こうと思った、で、書いたものが表題に合致していない?そこはまあ序章ということで…。気分的になぜか平手政秀を思い浮かべていた。したがって、今回の行動の主眼は実は諫死の思い入れがある。

当医院は院長も若く、純朴でえらぶったところもないし、懇切丁寧さも申し分ない。過去の歯科医院の中にあって、最もポイントの高い歯科医師である。それだけになんというのか、残念な部分もあるし、だから信長を諌めて腹を切った平手政秀が頭を過ぎった。幼少時から信長の傅役だった政秀は、織田家嫡男信長の破天荒な言動に頭を痛めていた。

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父の柩にさえ抹香を投げつけた大うつけの信長、その教育係として全責任を負う政秀が、一向に所行改まらない主君に万策尽き、死をもって諌めたといわれている。どのように万策尽きたのであろうか?身なり・風采から大うつけと失笑された信長だが、父信秀死後、那古野城の旧臣たちは信長を見切って次々と去った。末森城の弟信行のところに走る臣もいた。

末森城は元は父信秀の居城であったが、とりあえず品行方正の信行が家督を継ぐ予定であった。筆頭家老である政秀は、この裁定に異を唱えることもできず、黙認するしかないという、それほどの信長の行状であった。信長は政秀の換言を無視し顔さえ合わさぬほどであり、自分の換言に辟易しているであろう信長に対し、ならばと思案の末に換書をしたためた。

「己の心を正し、人を正しむべし。しからずんば義心発せず。義心発せずんば、国を治めることできず」。政秀は周の武王の言などを引いて、延々五章にわたる諫書を書いた。万が一この書を読んで、信長に改心の兆しなくば自ら城を去る決意であった。政秀は諫書を書き上げると家臣にもたせて信長に遣った。ところが戻ってきた家臣の報を聞いた政秀は落胆する。

心血注いで書いた政秀の諫書に一瞥食らわせた信長は開けて読もうともせず、部屋の隅に投げ捨てたのだ。次に政秀は城を去ることにした。それなら心を感じ取ってくれるであろうとのいちるの期待があった。それも叶わぬならば…、政秀は一計を案じていた。信長からは何の沙汰もなく、周囲から聞こえるは傅役政秀への罵詈雑言と、相もかわらぬ信長えの悪評ばかり。


――もはや、これまで。政秀は、決断した。居間に入り装束を替え、床の間を背にして座ると脇差しを抜いた。己が皺腹に脇差しを刺し、そのままの姿勢で家臣を呼んで告げた。「このことを信長殿に伝えるがよい」。激しい痛みに耐えながら吐いた政秀の言葉を家臣は信長に伝えた。那古野城にいた信長は、報を聞くや裸馬にムチを打って駆けつけた。

政秀は虫の息ながら、信長の姿をみると腹に脇差しを突き立てたまま、上座を開けて言った。「信秀公より幼君傅育の命を受け、いつの日か信長殿が国を治める日の来ることを夢見た政秀で御座る」。政秀の苦痛にゆがんだ口元を見つめ、腹から流れ出る鮮血を目にした信長は、ようやく目を覚ます。そして言った。「すまなかった政秀。死ぬでない。」

政秀諫死のこの場面は、映画やドラマのハイライトとしてさまざまに演じられているが、真に何かを諌めたいなら本気の行動が相手に伝わらねばならない。言葉は便利だし、言葉だけを投げかけていればそれで済むというのが昨今の風潮であるが、自己犠牲を伴ってこそ真剣さというのは伝わるものだ。自らの死をもって換言という武士道精神に眩ゆさを見る。

信長はまさか政秀が切腹するなど、思ってもいなかったこと。だからこそ効果があったし、信長は以後反省し、将として、一国一城の主として、織田家の嫡男として精進して行く。本気さが本気さを生むというのはこういうことである。まあ、自分はいつも本気である。中途半端は好きではないし、いい加減なことは好まない。何事にも本気で向き合うが、それが楽しいからだ。

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昨日は「怒り」における時間的変節について触れた。"喜びも哀しみもいつしか消え去る。怒りも一日経ったら忘れてしまう。自分などは怒りの継続は意識的に演じていることがほとんどであった。"と記しているように、「昨日の敵は、今日の友」的な節操のない自分も日本人である。だから、とりたて今回のことにかこつけて、自意識過剰な行為をしたのではない。

17日は、院長にも謝罪をされ、また歯の部位についての疑問や、質問に、数枚の写真を撮ったり丁寧に応対してくれた。受付のTさんも自分からのクレーム電話の後に、「チャート紙を渡し忘れないためにはどうしたらいい?」などとスタッフ皆で話し合ったという。許せないものはあってもいいが、許せるものは許すべきというのが自然である。が、これを許すと、本気が薄れてしまう。

受付のTさんとは最後にこういうやり取りがあった。帰り間際、「次回はいつがよろしいですか?」といつものように予約日時を問われた。「実は今日で終りにするつもりで来たんです」と言ったとき、言葉の意味をまったく理解できないTさんは、意味を取り違えて何やら訳の分からぬことを言った。そういえば彼女からは、「天然です。」自己申告を聞いたことがあった。

それはこんな状況をいうのかも。少しのやり取りの後、意味を理解したTさんが、「もうここには来ていただけないんですか?」と発した時の哀しい表情が印象的。患者とスタッフを越えた人間関係が1年超で芽生えたのは自分も彼女も同じであったろう。「やはり、チャート紙をお渡ししなかったからですか?」と、か細い声で彼女が尋ねる。それしか原因は見当たらないだろう。

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「いや、ミスは問題じゃないよ。その後の対応が自分的にはちょっと納得行かなかったかな」。「よければ教えて下さい」とTさんは知りたがった。「あの時クレームの電話を入れたろう?それでどうした?何も行動しなかっただろう?それじゃ、ダメなんだよ。先生にもすぐに言わなきゃダメっていったろ?もし、自分なら『すぐに郵送しなさい』と指示を出す。

そういう手際の良さというか、それこそがミスを起こした顧客に対する誠意と思うな。そういう発想が誰にもなかったことに驚いたし、これは接客業として最低レベルの対応だ。あなたたちの誰ひとり、チャート紙は顧客の自宅ケアにあっては大切なんだ、との意識がないんだろうな?つまり、顧客は歯科医院の商売の金ズルという意識をモロに露呈させたことになる」

「そうですね。そうだと思います。次回来院した時に渡せばいいという気持ちしかありませんでした…」。Tさんは正直にいったが、心は行動に出るからそういう場合は繕った言い方はすべきでない。彼女は正直な人である。「受付はね、笑顔で迎えて、笑顔で送り返すだけじゃただの飾りだね。もちろんそれも大事だけれど、お客様に対する不備をなくするのが最も大事。

忘れ物や抜かりがあっては、せっかくの笑顔も、台無しだろう?」。受付のTさんは、目を丸くして真剣に聞き入った。「他にはないですか?」と、催促する彼女には熱いものを感じたが、待合には他の患者もいるし、長々と立ち話もよくはない。「あるよ、Sさんから聞いて」、そういって、「せっかくいい応対なんだし、ミスしないよう頑張って」と握手をして医院をでた。

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「ありがとうございました。でも…、遊びにでもいいから来て下さい」。この言葉は意外だった。歯科医院の受付が患者に「遊びに来て下さい」と言い合える関係が成されていたのだなと…いや、それ以上にそんな言葉がでてくるのは彼女の人柄であろう。受付というポジションを間接的にではあるが、否定された相手にこういう言葉を言える人は、前向きな人間であろう。

少しの批判でも責められたと感じて、憤慨したり、逆ギレする人間が多い昨今である。が、彼女の人柄は最初に医院を訪れたときから目を見張るものがあったし、そのこと自体は間違ってはいなかった。彼女の心から自然にほとばしる笑顔、愛想のよさが、逆にクレーム処理には生かされないのかも知れない。人を包み込む包容力のある人間は、クレーム対応が苦手であろう。

そんな風に考えると、自分がチャート紙を取りに言った時に彼女が、「わざわざ取りに来られたんですか?」と吐いた言葉はむしろ善意な、あるいは素朴な疑問であったのかもしれない。が、即時対応としては大いなる誤解を生む、間違った応対であろう。ミスにはミスしたなりのマニュアルがあり、それに乗っ取ってやるべきである。こういう誤解は親しき人間関係にままある。

馴れ合った人間関係が構築された夫婦や恋人や友人などにあって、ちょっとしてミスとか粗相があった時に、いつも通りの馴れ合った雰囲気の言葉を発した時、相手が立腹したり、むかついたり、機嫌を悪くすることはある。「そんな失敗しておいて、ごめんなさいもいえないのか?」と、突っかかられた経験、あるいは突っかかった経験はおありだろう。

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親しさ、馴れ馴れしさゆえに、つい「ごめん」と言う言葉をはぶいてしまう。「ごめん」が言えないのではなく、言わなくてもいいような、言うと逆に仰々しいような、そういう瞬時の判断から省いてしまう。そういった人間関係の機微は少なからずあるはずだ。チャート紙を渡し忘れたミスは念頭にないままに、「わざわざ取りに来られたんですね」と労をねぎらったのだろう。

今にして思えば、Tさんの性格、天然気質からしてそう確信する。が、自分はあくまでサービス業という見地からの対応で彼女を責めた。夫婦といえども、恋人といえども、親友といえども、親子といえども、兄弟といえども、別の視点でみれば他人である。「親しき仲にも礼」というのは、中々出来るようででき得ない。難しいシチュエーションであったりもする。

そのようなことで、突然トラブルになるからだ。もし、自分とTさんが普段から雑談もしない、単に医院と患者だけの関係なら起こらなかった事象であろう。彼女はあのような言葉を言わなかったかもしれない。確かに労をねぎらった言葉に思う。が、自分がそれを歪めて取ったのではない。顧客と医院と言うだけの視点で取ったことが、問題を大きくした。

「夫婦といっても他人だろう?」、「友人といっても他人だろう」と、片方が受け取ったときに問題は起こり得る。単純に双方の思い違いである。確かに夫婦はある時突然他人になる。元は他人なのに夫婦で気取っているだけだ。それならずっと夫婦でいればいいのに、ある時、どういう虫の居所の悪さがそうさせるのか、突然他人になって相手を詰る、罵る。

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「誰でも人は、結局のところ、自分自身を体験するだけだ」。これは『ツァラトゥストラ』の言葉である。自分は他人を体験しない。他人も自分を体験しない。誰であっても自分自身を体験する以上のことを人は成し得ない。二人が別々のものを見るのが人間の常である。これを中国の古典で『同床異夢』といった。が、人間が摩訶不思議なのは、『異床同夢』もあるということ。

離れていながら同じ夢を見、近くにありながら違うことを考える。人間にはさまざま肩書きが用意されている。特に夫、時に友人、時に父親、時に顧客、時に隣人、時に上司、時に部下、時に同僚…、一人の人間に含まれる様々な肩書きに人は時々成り代わる。夜空の星のような、恒星としての不変な安定感はない。『星のモラル』(ニーチェ:『喜ばしき知識』より)

『星のモラル』

お前に運命の軌道を行け
星よ、闇がお前に何のかかわりがある?
………
お前に大事なただ一つの戒めは―――純粋であれ

人間はあまりに小さき存在だ。だから闇に揺さぶられ、ついには闇に負けてしまう。「揺れる想い」に抗うときは、既成の事実を作り、それに浸って行動するが良かろう。昨日の怒りは今日は消え、人は明日はどうするのだろうか。時間を置いて多角的に思考すれば新たな真実が見えてくる。「一つの事実に多くの真実がある」というが、まさに正しい。

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人はある事をある側面だけをみて結論する。ものを考えることが大事なのは、だからである。思考の末に「わかった」という快感は確かにある。が、「わかった」というのは快感である以上に大事なことがある。それは「正しさ」を導いたこと。「正しさ」はなぜ必要か?それは、世に多くの間違いがあるからだ。むろん、間違いがあるから「正しさ」はあるのだが…

歯科医院にて…終章

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終章…、エピローグ。そういえばCHAGEの書いた「エピローグ」は好きな曲。が、今やCHAGE&ASKAは伝説のバンドになってしまった。ライブで遊び部分の多いCHAGEに比べ、ASKAという男はインタビューなどの受け答えもそうであるが、その熱血漢ただようステージに真摯な真面目さが溢れていたが、実生活はまるで逆だったようだ。人は見かけによらない。

今回のことも含めて、世の中は実にさまざまなことに満ち溢れている。先日殺害された女子中学生、行方不明のままの男子中学生…、彼らの深夜の徘徊を知って驚く保護者も多いだろうが、それにもまして中学生女子をあのような非道な、残酷な、殺害をする必要性がどういうところからでてくるのか?人を虫けらのように扱い、殺人を楽しむかのような行為である。

中世ヨーロッパの拷問の歴史を見るに、あるいは封建時代の日本の拷問の数々を見るに、何でこんなことが思いつくのかというくらい、人間は人間をいたぶることが快楽であるようだ。人はどのような過程を経て死に至る、生と死の狭間や境界線に好奇を抱くのは分からなくもないが、人は自分がされたくないことを人にして楽しむという、自尊感情を隠せない。

自分がされたくない事は、人にもしない、してはいけないという教育が徹底できないのも、人は唯一自分のみを生きるからだろう。仲間意識、連帯意識というのは、社会性動物という点における作為に他ならない。社会的自制心を取り除いた人間は、どんなことでもやれてしまう怖さがある。何事においても大きなことは小さなことの積み重なったことであろう。

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だから大きなことには小さなところに目をくばせ、思考をせねばいけない。大人を理解するためには小人時代を遡って考える必要があように、大人は子ども時代の積み重ねである。何かが起こった!起こった事は大きいが、それでも小さいことの断続から大に至る。逆もまた真なりで、小さいことに無関心であるのはそれがひいては大事にいたるのである。

小さなボヤが大火事になるように、何事も物の始まりは小さなこと、ホンの些細なことでしかない。そういった小さな事をおろそかにしないことが大切だ。部下を叱ったり、子どもを躾ける場合、大きなミスや失敗より、小さなことに歯止めをかける目配せが大事である。なぜなら、大きなミスは本人が何より気づいているはずだし、わざわざ追い討ちを食らわせることもない。

むしろ、いたわりが必要だ。が、小さいミスは本人も気づかぬことも多く、これくらいのことは何でもないという意識になる。ましてや他人(上司・親)にさえ気づかない事も多い。真の管理者というのは、小さいことに気づく能力をもった人であろう。「小は大に増長していく」の原則からして、小さいことこそ怖いのは、将棋などを指してると実感する。

特に力のあるプロ棋士は、われわれが、「何でそのようなことにまで神経を使うの?」と思う事が多い。タカだか歩一枚の損失を悔やむなど、素人には理解できない。当たり前だが外から内はよく見える。具体的にいうと、外から家の外観や周囲は一望できるし、図面があればすべての室内を俯瞰できる。が、家の中から外は見えるか?見えないこともない。

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しかし、窓から見る外の景色は、当たり前だが視界は狭まる。内から地平線や水平線をみることも、遠き宇宙の星々を見ることもできるが、内から内を見る視野は狭い。内から内を見渡せば数メートル先には壁がはだかっている。壁が50メートル先にあるような大邸宅は、ベルサイユ宮殿ならあり得る。とにかく言っておきたいのは、内から内は見えにくいということ。

会社内では誰もが、少々の悪事は平気でやっているし、内の者には内の者の悪事が見えない。お客を騙すことも利益とみればむしろイイことだったりする。ところが、会社を辞めて外から中を見つめた時、「なんとヒドイことをやっていたものだ」と思ったりする。企業や老舗の詐欺まがいの事件は、すべて確信犯である。赤福も、比内鶏も、「白い恋人」も、高級料亭「船場吉兆」も…

「西宮冷蔵事件」は象徴的であった。『雪印食品』がオーストラリア産の牛肉を国産牛肉と偽るために、箱を詰め替える偽装工作の現場になった冷蔵倉庫会社、『西宮冷蔵』の水谷洋一社長が、その実態を内部告発した。優良お得意様である、『雪印食品』を告発するなど、業務存続的には、「アホちゃうか?」と言われた。西宮冷蔵には関係ないこと、黙って冷蔵庫を貸せばいいだけと。

『雪印食品』の罪は産地偽装で利潤をあげるだけでなく、国の補助金(税金)をせしめる悪辣行為である。2001年、日本国内でBSE(牛海綿状脳症)が発生し、日本国内がパニック状態に陥った。スーパーなどでは牛肉の売上げが半減、焼肉店も打撃を受けた。政府は国産牛を扱う業者に対し、国産牛買取り補助の緊急制度を発動、国産牛の全頭検査もスタートさせた。

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そうしたなか、輸入牛肉を国産牛と偽って補助金をせしめる業者が、予想どおり現れた。安い外国産牛肉を高い国内産牛肉に産地偽装し、買取らせてボロ儲け。こんな悪人はどこにでもいる。そんなおり、ピンチをチャンスとばかりに偽装を行った中に大手の雪印食品があった。一年前の2000年、雪印食品は集団食中毒事件を発生させてダメージを受けていた矢先である。

起死回生の満塁ホームランのつもりで産地偽装に手を染めた『雪印食品』。偽装作業は牛肉を保管していた西宮冷蔵に極秘メンバーを送り込んで行った。そのとき水谷社長は留守で、息子の甲太郎氏が立会い、雪印側の指示で在庫伝票の改ざんをした。息子から報告を受けた水谷社長は苦悩する。告発すれば大事な顧客を失うばかりか、最悪は倒産の可能性もある。

雪印側は、「絶対に告発はしない、するはずはない」と読んでいた。これが日本的取引の伝統であり、また、日本的な「義理人情の世界」でもある。が、雪印の思惑は外れ、西水谷社長は告発をした。2002年1月23日、西宮冷蔵の告発で雪印食品の不正が暴かれ、1月29日には雪印食品社長が即刻辞任、追って近畿農政局も告発、関西ミートセンターに捜査の手が伸びた。

そうして4月26日、この世から雪印食品株式会社が消滅した。ばかりか、偽装に手を貸した水谷社長の息子も咎めを受け、西宮冷蔵は営業停止を受ける。倉庫は空っぽとなり、従業員は解雇され、倒産同然の状態に陥る。その後も業界筋や監督官庁から嫌がらせがあった。あるだろうよ、そりゃあ。西宮冷蔵の告発は、双方にとって、「百害あって一利なし」である。

イメージ 4事をもらっている下請会社が親会社の不正を暴く事例はそれまでほとんどなかった。しかし、水谷洋一という人物が、その後の、「内部告発という時代の流れ」を作ったと言って過言でない。彼らが英雄気取りを持ち合わせていないのは明らかであり、よくないことをよくないという確かな目と、健全な心をもっていたに過ぎない。が、それができないのも人間である。
「長いものには巻かれろ」、「横断歩道、一緒に渡れば怖くない」、「朱に染まれば赤くなる」、などが示す人間の弱さ、意志薄弱さ、ご都合主義は大嫌いである。金魚のウンチじゃあるまいし、ただくっついて浮遊しているだけの人間が金魚のウンチ以上ではないのは当然である。「鶏口牛後」とは、(大きな)牛のケツでいるよりも、小さな鶏のクチバシであれとの意味だ。

以前と違って、昨今は権威が信用ならないものになっている。権威の元に従属していれば安泰というそんな時代ではない。悪いものを悪いとたてついて解雇されるのは、高度成長期に蔓延した終身雇用時代に比べて多くなったのではないか?悪いものは悪いと、それが友人であれ、親であれ、師であっても、最初は勇気を持って言ったりすると、勇気でも何でもなくなる。

特別に意識しなければできない事が、普通にできるようになる。自分は歯科医院のスタッフにも受付にも、「あなたが憎いのではないし、罪を問題にしただけだから…」と告げておく。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺は、ケツの穴が小さくて好きではないし、「罪を憎んで人を憎まず」の方が、人間としてのキャパを示す。確かに罪は憎むべきものであるかも知れない。

が、悔い改められたる罪ほどこの世に美しいものはない。それが人間の心の美しさであろう。過失や失敗を咎められ、かんしゃくを起こしたり、キレたり、そういう人間がいるが大嫌いである。彼らは注意してくれた相手に怒ることが、自分自身への誠実さと思い違いをしている。なぜそのようになるのか?バカだからである。バカは思い上がっている人を言う。

人に何かをいって諭すほど難しいことはない。それは他人と自分の価値観の違いの伝授であるからだ。しかし、人間には誰にでも物を考える頭がある。それを利用して考える人間もいれば、脳みそが腐った糠みそと同じように、考えることができない人間がいる。その差が人間の差でもある。何かが判るのは判ろうとする思考である。正しいことは押し付ける必要はない。

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誤解なきよういえば、何でもカンでも人の意見に耳を貸すのがいいのではない。大事なことは自ら考えることと言った。人は自分の都合を人に押し付けたりするものだ。それがさも正しいと言わんばかりに…。これは世の常であるから、相手が誰であれ妄信的に従うのはよくない。だから、"押し付けバカ"と一緒にいて、はかならずもそれに染まると人間はバカになる。

自分の母が例にたがわぬ、"押し付けバカ"であったからよく分かる。小学3年生で見切ったからアレほどのバカが伝染しなかった。反抗のエネルギーは、「自分はこんなバカにはなりたくない」というものだったろう。歯科医院からは自分の紹介した女性宛に詫び状とともに、チャート紙が郵送されてきた。受付のTさんは確かに、「分かりました」と自分の言葉に頷いた。

そしてそれを早速実行に移した。「分かった」などのたった4文字言葉は誰でもいえる。言葉だけの人もいよう。言葉だけの人より少し上の人間は頭で理解した人であろう。さらに上質な人は、「分かった」を行為に移す。自分の思う本当に分かったは、言行一致の人をいう。だから行動なしに分かったなどは信じていない。まあ、人間は言葉の動物だから言行不一致が多い。

イヌに「お手!」を教えるときに、何回も何回も言葉で教える。イヌもいい加減頭に来てか腹で、「もう、うるさいな~、分かってるって…」と思ったとする。が、イヌは言葉の動物でないから、それを口に出して言えない。となると、イヌの本当に分かったは、実際にお手を動作で示すことで、それで人間はイヌの分かったを理解する。言葉のない生き物は純粋である。

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言葉のない動物は、言葉と行動が不一致などありえないが、人間は100%言行不一致動物と自分は思っている。「いやよ~、いや、いや」と言うのは女性の専売特許であった。「ダメよ~、ダメ、ダメ」がエレキテルのおかげで小学生の女の子にまで浸透したという。本当にダメなら、ダメ、ダメいわず、「いいわ」と言っていいのに、軽く見られたくない女心であろう。

そんな女に振り回されながらも、男は徐々にではあるが女の心を掴んでいく。昔は「男は女を作る」、「女は男によって女になる」と言われた。♪あなた好みの女になりたい…、という歌詞がある。なかにし礼作詞の『恋の奴隷』。最近の若僧をみるに、♪あなた好みの男になりたい、何でも命令してください…、というヘタレが多いのか?女がそう望むなら男はそれでいい。

確かなことは、近年の女は主体的になったが、それは女の基本能力を喪失してしまっている。おそらく田嶋陽子らフェミニストや、フェミニズムの弊害であろう。女がすべてにおいて主導権を持つ時代は世を混乱させる。かつて『アマゾネス』という女性戦闘民族、女性主導社会が男を虐げていた。結論を言えば、女は政治や戦闘には向かないようになっている。

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例外もあろうが、近年の脳科学がそれを明らかにした。真に聡明な女は、女と言う生命体の資質を知るのか、男に「かわいい」と思わせるその事で男に従属しながら、実はそれによって男を隷属させているのである。男はバカで正直だから、持ち上げられてやる気を出すという単純な生き物だ。それを知り、手の平であやすことが、真の男の操縦術であろう。

男を意のままに従え、我がままし放題の女を見るに、所詮それでは女はもたないのだ。男はどんどんバカ・マヌケになって行くだけである。それしたときに、遂に女は不甲斐ない男をみて、不満をこぼすようになる。「尊敬できない」、「行動力がない」、「だらしない」。と…、自分が作った男に不満を漏らす女に、つける薬などないな。あるとすれば『内股膏薬』か。

毒親といえど、親は親(?)

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いうまでもないが、「毒親」と言う言葉はかつてなかった。いつごろか、誰かによって、言われ出したのだろうが、そこはよく分らない。おそらく「ネグレクト」の単純訳から見つかった言葉かも。「ネグレクト(英: neglect)」とは、無視すること。ないがしろにすること。の意から、児童虐待、障害者虐待、高齢者虐待から、育児放棄、育児怠慢など広い意味に使われる。

ペットの飼育放棄に対しても言われるが、育児放棄においては、①親の養育知識のなさ、②経済的事情、③子どもに知的障害がある、④知的障害はないが知能が低い子ども、などの理由から放棄する場合と、それらがまったくないのに、親の横着さや自分勝手さ、あるいは遊び盛り親(!)が原因の場合がある。2010年、「大阪2児餓死事件」は23歳の母親のネグレクトである。

母親は、両親の離婚などで中学生時代は家出を何度も繰り返していた。2006年12月、当時大学生だった男と結婚、男は大学を退学して就職する。2007年5月、20歳で長女を出産。2008年10月に長男を出産したが、2009年5月に離婚した。離婚後大阪市西区のマンションに移るが、育児に無頓着となり、室内にわずかな食料を置き交際相手と過ごすため長期間家を空けるなどした。

母親は逮捕後、大阪地検に殺人罪で起訴されたが、弁護側は、「被告も育児放棄を受けた影響があった」とし、子ドモに対する殺意はなく保護責任者遺棄致死罪として争う。被告の母親は、「子供のことを今でも愛している」と話したが、口では何とでもいえるが、行動は騙せない。近所の人の異臭騒ぎによって2児の腐乱死体が発見されたのは、2010年7月30日である。

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そもそも母親は、2010年6月9日頃、居間の扉に粘着テープを張った上に玄関に鍵をかけ、2児を自宅に閉じ込めて放置した。7月29日に勤務先上司から「異臭がする」との連絡を受け、約50日ぶりに帰宅して2児の遺体を確認した。直後、母親は「子どもたちほったらかしで地元に帰っていた。それから怖くなって帰ってなかったの。今日1ヶ月ぶりに帰ったら、当然の結果だった」。

このように上司にメールを送信している。が、その後は何事もなかったように交際相手に逢いに出かけてホテルに宿泊、翌7月30日に逮捕されるまで過ごしていたという。母親の、「子どものことを今でも愛している」とは、死んでいなくなった我が子への戯言である。生きている時はほったらかして、死んだ後に、「愛していた」などと、なるほど言葉は便利なものよ。

便利であっても、誰がこのような言葉を信じる者がいよう。多くの言葉は心を隠すために使われるゆえに、本当の言葉こそ価値がある。彼女の若さ、無知さは、子どもをほったらかしたという事実から逃避することであったと思われる。若さという未熟な情緒は、現実を直視できない、したくないという情動に支配されるが、それら一切も含めて罪は罪であり、免れることはない。

「無知は罪なり」はソクラテスの言葉だが、この母親のイカレタ行動も、彼女の頭の悪さ、おそらく無思考に生きた罪であろう。思考するというのは、社会的な常識や自身の欲求からなされる行為においてもなされるべきである。浮気や不倫や殺人がよくないのは、なぜにどういう理由でよくないのか、それを悪と知りつつ行為する自分には、どういう責任が課されるか。

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を、思考するものと、何ら思考しない者の同じ行為には違いがある。いつも例に出す高速道路などでスピード違反をする場合の例だが、今自分は40kmオーバーで走行したいとクルマの遊興を楽しみたいとするなら、万が一取締りにかかっても仕方がないなと、そういう覚悟でするがいい。運よくかからない、運が悪ければかかる。最低それくらいのことは考えて悪事をする。

それがオトナの対応、オトナとしての自覚・責任である。「取り締まりなんかいるわけないだろ、天下の公道は我のために在り」などと何をも怖れぬのが若さなり。捕まって、「くそったれ!お前ら、何でそんなことやってるんだ!」と暴言吐くのはコドモ也。ガキどもは考えた行動をしないが、せめてオトナは考えることだ。若さは無知、無知は罪、よって罪は若さの三段論法。

子どもに覚悟はないが、オトナの覚悟はそれはそれでオトナを示すものだと思っている。人を殺せば誰も見つかりたくないと思うだろう。絶対に見つからないと思って(あるいはそれすら考えないで)人を殺すのと、「天網恢恢疎にして漏らさず」という考えが浮かぶのと、それぞれ覚悟の度合いは違うだろう。「悪事はばれる」それでもしたいならどうぞと言うしかない。

中世最大のヒューマニストと称されたトマス・モアが面白いことをいっている。「面白い」というのは御幣があるが、ヒューマニストである彼は、孔孟のような儒家の綺麗ごとはいわない自由主義者であった。『泥棒はいざとなれば勇敢な兵隊にならないとは限らないし、勇敢な兵士が泥棒にならないとは限らない。そのくらい、この二つの職業は共通性がある』。

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『意思に反した手段で幸福な身分になるよりも、意思のおもむくままに自由に生きたい』これも彼の言葉。自らの心の赴くままに、自由に生きられたら、人間は幸せなのかも知れない。もちろん、自由と責任は対であるから、自由主義者は責任を逃れるようなことであってはならない。同じようなことは、警察も軍隊もヤクザも組織暴力という点においては似通っている。

がしかし、国民生活を守り、国際的な秩序や平和を守るためには、正当防衛も含めた範囲内で暴力(物理的強制力)を発揮するのは当然であり、ここがヤクザとは異なっており、尊敬もされ、歓迎もされるところだ。中国では、軍隊が国民から歓迎・尊敬されるための三大規律が課されている。①いっさいの行動は指揮にしたがう。②民衆のものは針一本、糸一筋も取らない。

③すべての捕獲品は国家のものとする。他にも八項注意があるが省略する。「毒親」というのは経験上からしても間違いなく存在する。高槻市内で死体で見つかった13歳の少女だが、これから殺されるであろう事を知らずに商店街を徘徊する映像は、衝撃的であり、いたたまれないものである。結果を知らない二人と、結果を踏まえて彼女たちを見る者の差とでもいうのだろうか。

当然ながら少女の親に対する非難は大きい。事件以前も、平田(少女)さんが星野くん(行方不明の少年)を誘う形で夜間に遊ぶことはあり、11日夜から12日朝にかけても平田さんは、星野くんと二人の共通の友人Aさんと、3人で駅前のベンチで過ごしていた。別の同級生によれば、そもそも平田さんや友人たちは以前から、互いの家に泊まり合うことが多かったという。

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夏以降、平田さんは友人と金を出し合って簡易テントを購入した。平田さんの自宅玄関前にテントを張って一夜を明かすこともあったようだ。そのテントは平田さんが失踪時に所持していた。平田さんと星野くんの親が、寝屋川署に行方不明者届を出したのは14日の夜だから、事件に巻き込まれたとみられる13日の午後7時ごろからみて、ほぼ1日たってからだった。

その理由は、平田さんが日常的に夜は家にいないことが多く、テントを持ち出していたことなどから、泊まりで外出したと家族が思い込んでいた。そうはいっても多感な世代の娘を持つ親が夜遊びを繰り返す娘を心配しないわけがない。なぜ、平田さんがそこまで夜間の外出を繰り返していたのかだが、家が嫌だったことは想像できる。平田さん一家を知る人物はこのように言う。

「平田さんのお母さんは、しょっちゅう子供たちを大声で怒鳴り散らしていて、家を飛び出した奈津美さんが『行くんなら早く行きなさい!』と鬼のように怒鳴られて近所の路上で泣いていたこともあります。教育の『き』の字もない育て方で、とにかく怒るという感じでした。あそこの家庭は子供たちをどこかへ連れて行ってやるというようなこともなかったようです。

自宅の敷地内に奈津美さんがテントを広げた時は、腹いせにやったのかなとも思いました」。近隣住民の話を総合すると、平田さんは4人姉妹の末っ子で、借家の自宅には2つ上の姉と両親と暮らしていた。母親が朝から深夜まで働いて家計を支える一方、父親は家にいることが多かったという。母親1人で家計を支えているのには、それなりの事情があるに違いない。

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近所から「仲のいい家族」と思われていなかった。が、別の意味で一家は目立っていた。「子どもが小学生のころ、学校で怒られたりけんかしたりすると、お母さんがすぐ学校に抗議の電話をするので、先生たちも困っていました。その評判は地域に広まり、母親に怒られ続けていた奈津美さんは、お母さんにあまりいい感情を持っておらず、家にいたがらないようでした」(前出の人物)

自宅に居心地の良さを感じられず、夜も友人たちと遊ぶようになった平田さん。友人によると、不良グループや、年の離れた者との交遊はなかったというが、今回の事件は突発的であれ、夜中に街を徘徊するは、「飛んで火にいる夏の虫」。テントに野宿は、親のからの逃避であって、稚拙な行為には少女なりの意味を持つ。無知は罪といえども、子どもの無知は責められない。

一般的に子どもの無謀な行動を母親のだけのせいにするのは疑問である。明らかに自身の弱さ、薄志弱行を母親のせいにする奴もいるからだ。「もう少しまともな母親だったらこうはならなかったろう」と、無差別殺人を犯した人間がいうのは虫が良すぎる。毒親といわれる母親と闘った人は少なくないし、権力に抗えない自身の弱さを、弱者で気晴らしするなど言語道断。

人は己の不幸を癒すためにこそ生きている部分がある。だから、幸福を求める前にはまず苦悩を解決せねばならない。それが友人であり、仲間であり、恋人であったりする。親との不幸な関係は、親から離れ、心にわだかまる苦悩を別の人たちとの交流で癒すことだ。投げやりで自虐的な犯行は、意思の弱さであろう。対案を模索せず、自己を崩壊するなどバカである。

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人間は考えることでバカから脱却する。かつて自分の中に入ってきた一切のものは、夢に見る幻影と同じもので、真理などではない。そのように仮定し、決心することも可能だ。しかし、そのように考えると反動も現われる。つまり、自身が過去一切を偽りであると考えた…、そのように思う限り、そのように考える「私」は、どうしても何者かであることに気づく。

デカルトは、「コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)」とした。「私は考える、それゆえに私はある」の訳もある。これは、すべての仮構的権威を排したあとで、絶対に疑い得ない確実な真理として、考える我という主体の存在を提起したものだ。噛み砕いていうなら、懐疑論者たちの無法極まる仮定をすべて一まとめにしたところで、動かせざる真理というもの。

自分に相応しく生きるためには、それぞれが自分の、「コギト・エルゴ・スム」を見つけていかなければならない。生を受けて後、何ということなく、知らず知らずのうちに自分のものとしてきた、自身の感じ方や考え方を、一つ残らず破壊するがよかろう。その後でそれらの断片を自ら拾い集め、その上に積み重ねた新たな感じ方、考え方で自身を再構築しなければならない。

砕かれた自分こそが、新たな自分の通路である。自らに相応しい、「コギト・エルゴ・スム」を人は見つけることだ。そして、それを拠り所として生きる。毒親など蹴散らせばいい。毒親の上に立つことは容易である。バカを下から「バカ、バカ!」などと、言ってる者がバカであって、バカの上に立てばいい。それでも対象はバカに変わりないが、少なくとも自分はバカでなくなっている。

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とにかく毒親も含めたバカへの対処法は、バカの上に立って見下げることしかない。自分は人を見下げるのは好きではないが、バカに容赦ないのは、それしか対処法がないと知っているからだ。たしかにバカは死ねば直るが、生あるバカは自ら相手を殺すことだ。「どんな親でも親は親」この儒家思想は大嫌いである。自分を愛してくれるものを大切にすればいい。

「親」は無条件に尊とばれるものではない。それが親になる者への教訓となる。自分を虐げ、苦しめる親に、「親」の資格はない。モアは言った。「意思に反した手段で幸福な身分になるよりも、意思のおもむくままに自由に生きたい」。親の遺産ほしさにガマンしてひれ伏してる人間はいる。人のことだから個々の利害はあろう。が、真の自由さを求めるなら、自らを自由にするしかあるまい。


8月…「内憂外患」

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大阪府高槻市の物流会社の駐車場で13日深夜、平田奈津美さん(13)=同府寝屋川市立中木田中1年=の遺体が見つかった事件で、大阪府警は21日、寝屋川市に住む職業不詳の山田浩二容疑者(45)が関与した疑いが強まったとし、死体遺棄の疑いで逮捕した。行方不明になっていた星野凌斗くん(12)とみられる遺体が同日、同府柏原市の山中で見つかり、本人と確認された。

凌斗くんの遺体は山田の供述から得たのではなく、山田が竹林に立ち寄ったのを府警が確認し、近辺を調べたところ、同日午後7時36分に発見された。草が覆いかぶさった状態で男の子の遺体が見つかり、遺体の顔面には粘着テープ、手にも同様ものが確認できたという。山田が居住する寝屋川市香里新町のマンションでは21日夜、大阪府警の捜査員が家宅捜索を始めた。

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京阪電鉄香里園駅近くの12階建てマンション。周囲はビルや飲食店などが立ち並ぶ地域で、山田は最上階の一室に居住していたが、同じ階に住む男性(75)は、「マンション内で見たことがない。あの部屋に居たことすら知らなかった」と驚いた様子。別階の主婦(70)は、「びっくりの一言。このマンションにも子どもが住んでいるので怖い」と表情をこわばらせた。 

山田は平田さんと同じ大阪府寝屋川市に実家があり、仕事は福島に除染作業員を派遣する関東地方にある会社と契約していたという。会社の関係者は山田の印象について「挨拶がしっかりできて、真面目そうな人間。除染作業員は初めてではなく、経験者という印象を受けた」と話している。働き始めたのは先月中旬からで、契約は3カ月。給料は日当の形だったという。

山田は2002年4月にも、男子中高生を狙った監禁事件で大阪府警に逮捕されている。府警によると、寝屋川市の路上で男子中学生に、「寝屋川市駅はどこか」などと声をかけ、車中で手錠をかけて監禁した容疑などで逮捕された。他にも、複数の男子高校生らを粘着テープで縛って監禁した疑いなどでも再逮捕されている。いずれも男子ということは、男色志向もあるようだ。

山田の同僚の男性は取材にこのように言う。「事件のことはうなずける。なるほどね。山田はロリコン」。記者が理由を問うと、「(本人に)聞いたことがあるから…」という。う~ん、ロリコンであれ男色であれ、どちらも児童狙いの小心者であろう。オトナを口説くこともできないから、性的ターゲットを少女や少年に向ける心理は分からなくもない。

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それにしても13歳の少女がこのような、無残な、鬼畜の所業といえるような、殺され方が過去あっただろうか?性的目的の少女殺しであろうが、憎悪感に満ちた猟奇的様相からして、2009年11月6日に発覚した「島根女子大生死体遺棄事件」を髣髴させる。殺害・遺棄された島根県立大1年生・平岡都さん(当時19歳)の遺体状況は、凄惨極まるものであった。

都さんはバラバラに解体されただけでなく、胸は刃物によってえぐり取られ、腹部は内臓の大部分が取り出されるなど。あまりの残忍さに警察内部でも、「被害者は人間以外の動物に食いちぎられたのではないか?」という意見が出たほどであった。また、胴体全体に焚き火などにより焼けた跡があり、顔には殴打された痕、左頬には足で踏まれた跡が付いていた。

通常の感覚を持つ人間ならとうてい直視することすらできない残忍さで、日本の犯罪史上でも類例のない、人間の所業とは信じ難い猟奇殺人事件である。このような状態で生涯を閉じなければならない本人の無念さならびに、親族・遺族の腹だしさは想像に絶する。本事件は捜査特別報奨金対象事件(300万円)にあるが、手がかりもなく現在も未解決のままである。

長崎高1女子殺人事件にも猟奇性はある。犯行に及んだ高1女生徒は、人の体の中身を見てみたかったと供述をしている。まあ、これを純粋な好奇心とするなら、自分にもあったから判らなくもない。そのために専門書・学術書は漁ったものだ。そのために人を殺す、あるいは小動物を殺して思いを遂げるという発想は皆無であり、命は尊いものである。

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人を殺す人間とそうでない人間の差を単純に、"命の軽視の差"というのは違うだろうし、当然ながら罪を犯した我が身の行く末も思案するはずだ。人を殺したいとの衝動にあっても、我が身行く末を案ずるのが人間の理性である。名古屋大女子学生のように、「ただ、人を殺してみたかった」という動機のみによる無目的殺人というのは、精神に欠陥があるといわざるを得ない。

人を殺す、他人の命を奪うのが、人倫として最も許されざる行為である。せっかく賜った「命」であり、再生不可能でもあり、そのような命を無造作に他人から搾取されるのは、人間の最大の損失であろう。いかに金銭を積めども、命は再生できないし、お金に換算できないものである。「1億円で死んでくれないか?」、「命をくれるなら10億円出そう」と言われたとする。

そのお金を自分以外の誰かに手立てしたいという境遇にあるならともかく、いくら金を積まれたところで、そのお金を使えないなら命を売って何の意味もない。だから上の設問は意味をなさない。1兆円、100兆円積まれたところで人は命とお金の交換を拒否するはずだ。お金は確かに魅力的だが、いかに大資産家といえど、寿命半年と宣告されたら憐れでしかない。

明日の食い口に困るほどの貧乏人であっても、健康で余命を切られていない方が幸せに思う。豪邸に住む大富豪が余命6カ月と宣告されているなら、年収200万の人間でさえ彼を憐れむはずだ。快楽も喜びも、悲しみや苦しみでさえ、「命あっての物種」である。この世のすべてのことはそうではないのか?「命より大切なものがある」と、美辞をいう人はいうけれど…。

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自分はいろいろ思考し、思索もするが、「命より大切なも」を未だ見つけていない。「志」であるとか、「愛」であるとか、観念的なものを口にすることはできるけれども、口にしたところでそれが真実だ、本当だと自身が言いきれるのか?言い切れる人がいるのは、おそらく思い込みであろう。「嘘も信じれば本当になる」というが、人間は言葉に酔うところがある。

「命よりも大切なもの」で検索してみる。あるある、その手の言葉、書籍の類。見ず知らずな人の思いや考えにわざわざイチャモンをつけるのは非礼というもの、だからそういうバカはしない。その人がその事を確信したかどうかは、正直人にはわからないが、その人の言葉を信じることはできるし、信じないこともできる。別に信じる人が、"人間として優れている"などと思わない。

"信じない人が心の歪んだ人"であるとも思わない。ある僧はこのように言う。「古来より、人間は『命より大切なもの』を見出してきました。親が子を慈しむ心。老人が孫を『目の中に入れても痛くない』と表すような心。恋人が相手を思う心。夫婦がお互いを思う心。それらはときとして、『自分の命より大切なもの』として、人間の心に懐かれることがあります。

なかでも宗教は、そういう人間の心の営みを、もっともよく表現してきました。『雪山童子』や『捨身飼虎』に示される仏教の物語は、他者の命を自分の命よりも大切にする菩薩の心を表しています。これらはいずれも、強制されたものではなく、狂信によるものでもありません。人はときに、強制されて、あるいは狂信によって、自らの命を投げ出すことがあります。

イメージ 5しかしそうではなく、強制されたのでもなく、狂信によるのでもなしに、人はときに、何ものかに命を投げ出します。(中略) 同じように、人間が『命より大切なもの』に出遇った事例を、わたしたちはたくさん知っています」。という事だが、説法と言うのは得てしてこういうものである。宗教が人間の理想であるなら、神や仏や菩薩の意思を伝えるのが宗教者の役目。
彼らが宗教者である以上、彼らの言葉は商売用語であり、それを疑うものではない。が、「命より大切なもの」の事例などは、多少なり人間の歴史を学んだものなら知っている。先にあげた織田信長の傅役平手政秀の諫死もそうである。命を賭けて主君の仇を討った赤穂浪士とて、死を覚悟の行為である。挙げればきりがないが、いずれも美談に収まっている。

命を賭けた行為が美談になるのは、「命より大切なもの」を見出した行為であるからである。なぜ美談になるかは、それが頻繁に行われないからである。誰もが命が惜しいからである。神風特攻隊が美談にされるのは、半分以上は国策であろう。国の無策を美談にする国家というのも、世界的な視点では笑止の行為であるが、実際にそれで命を絶った者がいるのだ。

それを「犬死に」とせず、国家の英雄とするのは遺族への配慮もあろう。が、現実的に考えるなら「犬死に」である。終戦後70年になろうかという昨今にあっては、特攻や玉砕で戦死した兵士の遺族も少なくなってきたことで、少しづつ戦争の真の実態が公にされはじめている。当たり前だが、「美化」の陰に「真実」が隠されていいわけない。ドイツを見れば分かることだ。

いかなる自尊の論理を述べたところで、下等と定めた異民族の大量虐殺が正当化されることはない。同様に神風特別攻撃隊も、玉砕覚悟の万歳突撃も、人命軽視の愚策である。広島・長崎の原爆投下も、非人道行為であるとの機運が高まってきた昨今、そもそも核兵器そのものが非人道兵器であって、それを使用するのが何故に非人道的行為でないのか?

所詮日本はアメリカ一国によって占領され、独立国といいながらも、手足をもがれた属国状態が続いている。「原爆投下がなければさらなる被害、さらなる人命が失われた」というヤンキーの独善論に抗えなかった。ヨーロッパの知識階層が聞けば、アメリカの論理など屁にも劣る言分けであるが、それが通用する日本人がいかにお人好しの非論理民族であることか。

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今も昔も、日本の一国支配のために原爆を落とした、というのは世界の共通認識である。2013年8月、映画監督のオリバー・ストーンが来日した。彼は、最新作『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』(原題=『The Untold History of the United States 』)を引っ提げての来日であるが、20年来の知己で共著者の歴史学者ピーター・カズニック教授も一緒であった。

カズニック教授は、スミソニアン博物館のエノラ・ゲイ展示に抗議したアメリカ側の代表のひとりとして知られている。2人は広島と長崎の原爆追悼式典に出席し、オスプレイ配備で揺れる沖縄も初訪問、基地などを視察した。そして12日、東京の日本外国特派員協会で行われた英語オンリーの会見では、これまでの常識とは180度異なる歴史観を披露した。

「原爆に関して、我々は全てが間違っていることを発見した。(原爆投下についてアメリカでは)嘘をついたり、公式に否定したり、検閲したりしていた。トルーマン大統領は原爆投下の理由を、『狂信的に抵抗を続ける日本を降伏させ数十万の米兵の命を救うためだった』と繰り返し説明したが、実はこれは全て嘘だった」。とし、ストーン監督らは次のような見解をとる―

ドイツ降伏後、日本は和平を模索していた。アメリカが日本に原爆を落とした理由はソ連に衝撃を与え、アメリカの本当のターゲットがソ連であることを分からせるためであったというもの。カズニック教授も言葉を添える。「アメリカ人の85%は原爆投下を良い事だと考えている。アメリカだけは正しいと考える例外主義によって、正当化された根本的な過ちだ。

イメージ 7"丘の上の町(アメリカが世界の模範になること)"の考え方は、第二次大戦以降ますます強まっている。アメリカは帝国を拡大するためのJr.パートナーとして日本を扱った。60年安保と岸信介、72年の沖縄返還・核持込みと弟の佐藤栄作、この一族は日本の「Untold History」(もうひとつの歴史)上重要だ。岸の孫の安倍は、最悪のリアル・ヒストリー否定者だと思う。歴史を否定する者には普遍的なパターンがあって、勝者だけでなく敗者も歴史を否定する」と辛辣に語るカズニック教授は、アメリカでも日本でも、権力が歴史を歪曲していると皮肉った。ストーン監督は今回の作品に対して主要メディアの扱いが冷淡だったことを明らかにした。「番組はアメリカのネットワークでは一度も放映されず、主要メディアには無視された。

だが進歩的メディアはとても支持してくれた。NYタイムズやタイム誌から無視されたのは悲しい。主要メディアはアメリカ寄りでアメリカのスポンサーの方を向いている。アメリカ批判は企業の興味を引かないのだ」。大きな志を抱いたストーン監督が来日し、「日本が今直面している恐ろしい龍は中国ではなく、アメリカだ」の言葉を置いて本国に帰って行った。

2013年8月の彼の来日は、日本人を熱狂させたイベントのひとつであったけれども、2年後の8月…。原爆投下から70年の節目の夏、2年前のストーン監督来日の記事は、もはや一行たりともない。彼の存在はとっくに忘れ去られ、少女と少年の殺害事件がメディアを賑わせている。ストーンはアメリカの闇を浮かび立たせたが、「内憂外患」は、世界のどの国の持病であろう。

「命より大切なもの」 ①

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これについて少しばかり考える。「命より大切なものってあると思うか?」、「ある~」、「ないだろ」、「あるわけない」、「いや、あるような気がする」…。こんな他愛もない会話を幾度したことか。それ以外にも、「純粋なる愛はあるのか」、「人は中身か、外見か」、「皇室は必要か」、「神は存在する?」、「宗教は人間にとって何?」など、膝つき合わせて言い合った。

誰ともなく問題提起をし、それについて稚拙な議論で夜を明かす。高3の時は真冬の海水浴場の掘っ立て小屋で酒を10人近い仲間で飲みながら、「信じれるものは愛情か金か」みたいな言い合いを延々とした。執拗に酒を勧める級友に、「飲まんいったら、絶対飲まん!」と、一人だけ素面で応戦したのが懐かしい。飲める奴もいたにはいたが、飲めない酒を無理やり飲んでいた。

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飲めない酒を無理やり飲むのが若さであろう。ガンとして飲まなかったのは、「自分は酒は飲めないんだ」というのを信じていたんだろう。祖父や両親がことある事にこういっていたからだ。「この子は絶対にお酒は飲めない子だ。こどものころに、イタズラにぶどう酒を飲ませたときに、真っ赤になってフラフラになって戻すは、寝込むは、ホントに大変だった」

もちろん記憶にないが、昔はどこの家もぶどう酒を作って床下に置いていたりした。置くと言うより隠すと言った方がいい。なぜか子ども心にそれが犯罪であるような仕草、言葉を理解していた。元来、地域がブドウの産地であったことで、酒好きな祖父が毎年ぶどう酒を仕込むを楽しみにしていた。近年、梅酒はどこの家庭でもおおっぴらに作るが、なぜぶどう酒はマズイのか?

理由は、ぶどうそのものを発酵させてアルコールを製造すると密造酒になるからだ。おうはいっても、作ったものを自分で飲む分には当局の関知するところではないが、親戚や他人に分けたり、宿泊施設とか飲食店で客に飲ませると違法となる。が、梅酒のようにぶどうをリカーに漬け込むタイプのものなら問題ない。とはいえ、その方法で造る梅酒でさえ40年前はダメだった。

酒税法による厳格な規定で、日本国内での酒類製造免許がない状態でのアルコール分1%以上含む酒類の製造は、原則禁止されている。これに違反し、製造した者は酒税法第54条により、10年以下の懲役又は100万円以下の罰金が科せられる。かつては家庭においてリキュールを作る事さえ不可能な厳格な法律であったが、一部については規制緩和が行われた。

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こんな事例もあった。、2007年6月14日、NHKのテレビ番組『きょうの料理』の「特集!わが家に伝わる漬け物・保存食~梅酒~」で梅酒のつくり方を放送したが、そのレシピに従って個人が梅酒をつくると違法となることがわかり、後日、謝罪放送がされるという事態となる。子どものころに、大好きな爺ちゃんや父が、何か悪いことをしているのは、自分の心を傷つけた。

と、同時にオトナは悪いことをするものなんだという社会体験であったかも知れない。あの時のオトナたちが陰でこそこそと、子どもには分らないだろうと言う見くびった言動を、子どもはしっかりと受け止めている。闇米行商を生業とする祖母は、夜も明けぬ早朝に起きてとんでもない量の米を背中に負い、乳母車にも乗せ、一番列車に乗って都市部に商売に向かう。

太平洋戦争中から戦後にかけて、米などの生活必需品は政府の統制下に置かれていた。「米穀通帳」なるものが幅を利かせ、家族構成などに応じて一定の配給を受けていた。これを「配給米」という。子沢山の家庭などでは配給米ではではとうてい生きて行けず、都市部の住民は郊外や地方に買い出しに出かけたり、農家も配給に供出していない米を金や着物など交換してうた。

これが「闇米」である。当然にして経済統制法令違反であるが、背に腹は代えられない事情もあって、お上の多少の黙認もあったが、運悪く警察の取り締まりに引っかると、闇米は没収された。今に思えば「闇米」は皆が必死で生きていた時代の風物詩と言える。山口良忠(1913年11月16日 - 1947年10月11日)という裁判官がいた。彼は一切の闇米を拒否、栄養失調で死んだ。

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彼は1946年(昭和21年)10月、東京区裁判所の経済事犯専任判事となる。この部署では、主に闇米等を所持していて食糧管理法違反で検挙、起訴された被告人の事案を担当していた。食管法違反で起訴された被告人を担当し、配給食糧以外に違法である闇米を食べなければ生きていけない時代にあって、それを取り締まる自分が闇米を食べていてはいけないという自覚が強まった。

山口は着任と同時に闇米を拒否するようになる。配給のほとんどを2人の子供に与え、自分は妻と共にほとんど汁だけの粥などをすすって生活した。義理の父親・親戚・友人などがその状況を見かねて食糧を送ったり、食事に招待するなどしたが、山口はそれらも拒否、自ら畑を耕してイモを栽培したりと栄養状況の改善努力もしたが、栄養失調に伴う疾病が身体に現れてきた。

しかし、「担当の被告人100人をいつまでも未決でいさせなければならない」と療養を拒否。そして、1947年(昭和22年)8月27日に地裁の階段で倒れ、9月1日に最後の判決を書いたあと、やっと故郷の白石町で療養する事となるも、同年10月11日、栄養失調に伴う肺浸潤のため33歳の若さで死去した。山口の死後、妻矩子によって彼が生前に語っていた言葉が明かされた。

「人間として生きている以上、私は自分の望むように生きたい。私はよい仕事をしたい。判事として正しい裁判をしたいのだ。経済犯を裁くのに闇はできない。闇にかかわっている曇りが少しでも自分にあったならば、自信がもてないだろう。これから私の食事は必ず配給米だけで賄ってくれ。倒れるかもしれない。死ぬかもしれない。しかし、良心をごまかしていくよりはよい。」

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これを「命より大切なこと」と見るか…。山口良忠が職務に殉じたことを、そう見るか。結果的に見ればそうである。現に山口は、「死ぬかもしれない」と自らを案じている。そして、その通りに彼は死んだ。人は死ぬかも知れないとの思いが過ぎることはあっても、死を確信するまでには至らないだろう。100%死を確信した行為が、「命を投げ打つ」であろう。山口は職に殉じた。

山口の死は衝撃であったのは事実で、大きな論争を巻き起こしている。匿名の中年婦人、香典の一部にとして一千円を寄託して去る。美談として報道される。当時の生活基本賃金は千八百円である。山口の餓死に衝撃を受けた『暮しの手帖』編集代表大橋鎮子は、自分の家で取れた卵を40~50個集めて持参して、最高裁判所の当時最高裁長官だった三淵忠彦に手渡した。

その卵は病気で休んでいた裁判官たちに配られて、裁判官たちの命を救ったという。確かにあの時代、卵焼きは贅沢料理であった。また、マッカーサー元帥は、「裁判官として当然の義務をはたしたが、残念なことだ」としながらも、裁判官の独立を守る兼ね合いもあって、裁判官の給与改善を指示したとされる。賛辞で迎えられたわけではなく、賛否は当然にしてあった。

[批判的なもの]
・当時の首相、片山哲夫人の片山菊江は、夫妻の工夫が足りないと批判。
・たかがヤミ取締のような法に殉じるのは、ソクラテスも苦笑ものだとするもの
・馬鹿正直で少し変質者であるとするもの。
・決してほめられるべきものではないとするもの。
・山口の病床日記に、佐々木惣一は普通でないとし、長谷川如是閑は少し病的とした。

[同情的なもの]
・判検事の生活苦を重大な社会問題であるとするもの。
・フェアプレーであるとして称賛しつつ、官庁を批判するもの。
・ヤミ取り締まりに当たる他の官吏の葛藤を紹介するもの。
・山口の死をソクラテスの死になぞらえて世人を戒める声を紹介しつつ、食糧事情の改善に向けて政府の努力を強く要請するもの。
・他の判事の苦闘を紹介するもの。
・上述の片山発言に抗議するもの。
・出よ第二の山口判事」として称賛するもの。

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裁判官と言う職に殉じるために、「良心」を大切にしたのであって、結果的にそれで命を落とした。「命より仕事を大切にした」と感じる人もいようが、100%確実な死ではないゆえに自分はそうは思わない。職務に殉じる彼の「良心」は立派である。仕事ではないが、あの時代には子どもに食べさせ、自分は食べなくてやせ細って死んでいった母親は決して少なくない。

いわゆる名も知れぬ無名の市井人である。我が子に食べさせ、自分は栄養不良で死ぬのも「命より子どもを大切にした」と言えるかも知れない。それが親の本能であれ、愛であれ、「命より大切なもの」と置き換えられる。それは親子の情愛であり、そういう思考は自分にもできる。特段難しいことはない。自分の心臓をそっくり我が子に提供することで子どもが助かるならば。

「いやだ!」という親はいるかもしれない。が、親にしかできないことだ。燃え盛る火の中に飛び込む母親を母性愛と定義されたことがあった。父親は、状況分析をして判断するであろう。今、飛び込んだところで遅きに失すが冷静な状況判断であったとし、みさかいなく火中に飛び込む母親の非理性を非難はできない。母子一体感は、母親の方が勝るというものだ。

我が子の情愛はともかく、溺れる子を助けんと河川に飛び込んで命を落す人がいる。困っている人、苦難に喘ぐ人を救いたいのも人間の中のささやかな本能であろう。反面、自己防衛本能や自己保存本能もある。といいながらも、いたいけな子どもが溺れていたら助けたいという本能が勝るが、そうは言っても、咄嗟に救助に飛び込む人にも、泳ぎに自信がなければ無理だ。

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溺れる人間は藁をも掴むというくらいに必死であるからして、救助は実は難しい。子どもの年齢、体型にもよるが、共倒れの多くは逆に溺れてしまうからだ。いかに泳ぎが堪能であっても、溺れる人を助ける技術は難しい。が、溺れる者は溺れさせるのが助けるコツであると知っている。とにかく溺れるものは頭を押さえて沈め、溺れさせてぐったりさせる。

ぐったりさせてでなければ、岸には運べない。自分は同級生の背中に負われていたし、その時はぐったりしていたことも覚えている。不思議なものだが、人間は死に直面した時の状況をまるで映像のように覚えている。おそらく、脳が特別な状況として、強い学習機能として、それを克明に記録しておくのかも知れない。特異な体験者はそのようにいう。「克明に覚えている」と。

脳は強い危機意識を忘れないのだろう。あくまで想像だが、多くの人の共通意識である。だから、自分はそういう場面に遭遇してみたいという意識は常にあった。部活で水泳をやっていたこともあり、泳ぎにも自信もあってか、人命救助に憧れを抱いている。志はあってもそうそうそんな場面はない。確かなことは、水際における人命救助には知識と冷静な判断が不可欠。

自分を助けてくれたAは、自分を溺れさせてぐったりさせたのではなく、自分がもはやぐったりして「ああ、このまま死ぬんだ」とまで思ったまでは覚えている。気づいたら彼の背中に乗っかっていた。その状況を詳しく知りたかったし、聞きたかったが、肝心のAがさっぱり覚えてないといったのには、驚いた。彼には人命救助という大それた意識は露ほどもなかったのだろう。

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自分にとってAは命の恩人である。彼に命を助けられたと思っている。が、Aにその気はまったく無い。命を賭して自分を助けたわけでもない。なぜ、彼が自分を、どういう意図で助けようとしたのかを永遠に知らないままで生涯を終るしかないのだが、ことあるごとにAには意地悪をしていた自分だけに、謎は深まるばかりであった。「天野博満くん、君を永遠に称えたい。」

夏、海水浴の時節になると、いつもあの時のことと、天野のことが思い出される。もし、あの時に天野が自分を背負っていないにしても、誰かが自分を岸辺に連れて行き、人工呼吸で息を吹き返したかも知れない。それは「たら」であって、水中でもだえながらついには底に沈んで、発見が遅れていたかも知れない。いたいけな子どもの水難事故報道に胸が痛む。

『今昔物語』にこういう話がある。「暴風雨の影響で淀川の水域が大幅に増え、大氾濫を起こした年の話。川そばに小さな住まいを構える法師の一家があった。老いた母。法師。妻。そして色白で端正な顔立ちの一人息子。「目に入れても痛くない」とはまさにこの息子のこと、父は片時もそばから離さなず溺愛したが、淀川の氾濫で法師の家は一瞬にして流されてしまう。

下流にいた法師は無事だったが、突然の悲鳴に驚く。なんと愛するわが子が激流に流されているではないか。法師はすぐさま川へ躍り込み、間一髪でわが子を掴まえた。岸へ戻ろうとしたとき、今度は上流から老いた母の悲鳴が――。法師は一瞬、躊躇するも一度助けた息子を手放し、老いた母を助けに向かう。母を抱えて岸へあがると、鬼の形相の妻が待ち構えていた。

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妻:「お前さんはなんだって今日か明日に死んでしまうあんな老いぼれを助けたりしたんだい!あんなに可愛いわが子を死なせるなんて、あんまりじゃないか!」

夫:「もっともだ。だが、たとえ明日死ぬとわかっていたとして、どうして老いた母を見捨てることができようぞ。われら二人がいれば、子はまたいつでも設けることができる」

法師はそう答えたが、妻は納得しない。妻にとってはお腹を痛めて産んだわが子である。が、法師を責めることはできない。自ら危うい身でありながら、溺愛するわが子を棄て、母を救わなければならなかった法師の苦しみを他人は推量できない。結果的に法師の選択は誤っていなかった。激流に流されていった息子は、下流の住人に救いあげられていた。

「命より大切なもの」②

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「命より大切なもの」は「ある」とか「ない」とかを若き頃に論じ合ったが、論じ合わずともそんなもんは簡単に探し出せる。簡単という理由は、「そのモノ」のためなら死んでもいいというものを見つければいいだけのこと。それを見つけ出して、自分は「何々」のためなら死んでもいいといえるのではないか?と言ったところで、実際にそういう事になったとき、果たして…

そんなことを言ったらキリがないし、だからとにかくは論じるという点において見つければいいのであろう。「命」の大切さや重みを考えれば、その「何々」とやらは生半可なことではあり得ず、したがって信念と言うべくもの、それくらいの覚悟のものではないだろうか、したがってそんなものはそうそう見当たらない。けれども哲学的に思考すると分かることもある。

人は自殺をする動物である。他にも自殺と思われる行為をする動物がいわれたりするが、ミツバチの巣をスズメバチが襲うのは知られている。その時ミツバチは自分の何倍も大きく、強いくちばしを持つスズメバチに果敢に向かっていくが、これは命をかけて巣を守るという自殺行為に匹敵する。スズメバチの去ったミツバチの巣の周りには、累々たるミツバチの死骸である。

このように人から見ると自殺行為をする生物はいる。それらは大抵の場合、種の保存に対する進化の上で作られた習性であり、本能行動である。人のように個人の都合で自殺と言うことではない。では人間が何のために自殺するのか?様々な理由があるだろう。親やいじめ相手などの権力者からの逃避の場合もある。食うに困って働くのが億劫な人もいるだろう。

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返せない借金を帳消しにするための自殺もあれば、最愛の対象を失っての自殺や、抗議の自殺もある。それらとは別の、何かを大切にすることで自殺をする場合もある。それはつまり命より大切なものであろう。それを守るための自殺を2件目にした。STAP細胞問題で揺れた小保方氏の上司、理化学研究所笹井芳樹氏と、長崎高1殺害事件の加害少女の父の自殺である。

彼らが命をかけて守ったものとは、「自我」である。自我は価値観や自尊感情や羞恥心や、それら社会的、個人的に様々なものを内包している。よって人は自我を守るために自殺することもある。この2件の自殺を「自我を守るための自殺」と自分は判断した。人間にとって自我は、まさに命より大切であるようだ。失恋で自殺する人はかつてより少なくなったようだ。

これも対象喪失による自我崩壊であろう。自我を守るというだけでなく、自我崩壊によっても人は死ぬ。いずれにしても、「自我」は命より大切なものであるといえる。「希望がなくなった」、「生き甲斐をなくした」などというけれど、結局、元の部分は自我に関係することだ。自殺のことはよくわからない。というのも、自殺の動機を自殺者に聞くことが出来ないからだ。

せめて自殺未遂者に聞くくらいしかないが、自殺する人は、死にたいという心と同時に、生きたいと言う気持ちを必ずもっているという。自殺を決行するまでの何カ月間、何日間か、この気持ちの間を行ったり来たりするという。それらが予告現象となって現れたりする。こういう事例がある。浪人中の若者。太い赤マジックで遺書を書き、自室の壁に貼っていたという。

イメージ 3見つけた兄が、「こんなことを書いて人騒がせな奴だ。死ねるものなら、死んでみろ」とからかった。弟は「死ぬつもりはなかった」と謝った。次の日、遺書を目立たぬところに置いて大量の睡眠薬を飲んで死んだ。「死にたい、死にたいといって死んだ奴はいないというのは謝りです。死にたいと何度も言って死ぬ人間の方が、黙って死ぬ人間より多い」とある精神科医は言う。
自己喪失と言う自殺は、暖かい人間関係を求めながら、それが歪んでしまったときに社会からはみ出して自殺するという例が多い。相手や周囲の人へのツラ当て、といった攻撃的な自殺動機もある。人は喜び、夢み、怒り、苦しみ、愛し、悟ったり、威張ったりしながら生きている。まだまだ解明できない事は多いが、人間の不可思議な情動は、死をもって一切を停止する。

他人と会話をしていて人間の不思議な感情の動きに出くわすことは多い。なぜだと思うが、本人は気づくことなく、物事を勝手に、即座に変更して自尊心を堅持しようとする。具体的には、例えば自身の思いや信念とは違う行動をした時など、こちらがその事を指摘したときには、咄嗟に思いや信念の方を変えてしまう。唖然とするこちらを尻目に言う。「そんなことは言ってない。」

これが最も多いパターン。「お前は○○言ってたじゃないか」というのもバカバカしくなるほど今現在の自分に帳尻あわす。こういう人間がもっとも信用できないタイプであるが、ただし、男に限ってである。女にこんなことは当たり前に多い。それだけ女は信用できないもの。「武士の一言」は、「男の一言」と変わったものの、男の言葉の重みは昔も今も変わらない。

信念とやらをコロコロ変えるなら、それを信念とは言わないのだろうが、にもかかわらず、コロコロ変えるまでは信念などという。自分は信念という言葉は、実は好きでない。だからあまり言いたくないが、弾みでいうことはある。昔から「信念(一念)は岩をも動かす」といい、それほどの重みのある言葉であって、軽々しく言うのは抵抗があるんだろう。

言ってるときには信念かも知れぬが、信念であるかどうかは、信念を貫いてみなければわからない。信念と言ったからには貫こうとするのも立派な信念のあり方だが、口に出したから貫こうでは、信念と呼べるものなのか疑わしい。岩をも動かす信念とは格段の差があろう。「絶対」という言葉も疑わしいので、中々使うことには躊躇いがあるが、軽々にいう「信念」もである。

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『酸っぱいブドウ』の例にいう、その場の不協和を解消するために前言を翻す人間は多い。「彼はいつも同じことを言う」。あるいは「いつもいつも書いてることは同じことだ」というのは、評価であると思っている。それくらいになると、「信念」として腹に居座っているのかも知れない。一貫した自分の考えと言うのは、真にそれが自分の考えであるなら、常に同じことをいうものであろう。

坂口安吾のエッセイは、実に大量の書き物であるが、読むと分かるが、いう事は常に一貫し、自己矛盾をきたさない。彼は自身に正直な人間であろうし、自身に一貫であるためには、なにより自身に正直であることだ。いつのいかなる場合においても、正直である事は、その人にとっての一貫した信条を見る。自分が何者であるかを分からせるためにも、自己に正直であるのがいい。

人は自分の選んだものをよく見ようとするものだが、自分の選んだものを嫌いになったなら、素直に堂々と変更すればいいし、申告すればいいのだ。嫌いであるが以前は大好きであったなども関係ない。好きであった時は好きであり、嫌いになれば嫌いでであって、一貫性がないとかはどうでもいいこと。自分に正直であれば言いこと。他人にアレコレ言われても変節は変節。

『酸っぱいブドウ』の例はいくらでもある。例えば、トヨタ車とホンダ車を比較検討し、迷った末にいいと判断したトヨタ車にある欠点が見つかった。すると買うのをやめたホンダ車がよく見えてくる。これも自身の中の不協和である。こうなると購入者はトヨタ車のカタログを眺め性能を比較したりで、なんとか自分の選択の正しさを自らに言い聞かせて、不協和を解消しようとする。

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これが人間である。無意識の行為であるところが人間の真実である。「隣の花は赤い」という諺があるけれども、必ずしも正しくないのだ。我々は、自分の選んだ花の方を、隣の花より赤いと思い込もうと努力する。自我の葛藤と自尊心のしのぎあいである。どちらも人間が生きて行く上で大事なものだ。自分が選んだものが失敗だったという人間は、純粋なのかも知れない。

理化学研究所の笹井芳樹氏の自殺は思いもよらなかったが、彼の頭脳からすれば、問題発覚後の小保方氏の一連の言動をみるにつけ、STAP細胞の信憑性をもっとも疑っていたのは誰あろう笹井氏であった。ところが、彼はほとんど壊滅状態のSTAP細胞の可能性を自らに言い聞かせ、巧みなロジックで否定論に抵抗した。そんな彼が小保方氏に宛てた遺書が物悲しい。

『あなたのせいではない、STAP細胞を必ず再現してください』。笹井氏はSTAP細胞の存在を確信していたら、おそらく死んでない。無能な小保方氏を調査不備で雇い入れ、チームリーダーとした理化学研究所。バカをバカと見ぬけず、振り回され、踊らされた笹井氏の無念さ、自殺の真意が手に取るようにわかる。国士無双韓信の心理に通じるものを感じる。

呂后に騙され、計られひっ捕らえられた韓信は自らをあざ笑って言った。「韓信とあろうものが、女一人に騙されるとは…、しかしこれも天命であろう」。女にイッパイ食わされた英雄が、騙した女を罵るなどは、我が身を落すこと以外の何もない。ふった女に醜い怨み節をいう男。まさに牛のよだれの如く、だらだらと、ネチネチと…、これほど無様な男はあるまい。

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小保方氏に踊らされたことを見抜けなかった天才笹井氏の不覚。これほど自尊心を傷つけられたことはかつて無かったろう。妻子も未来もかつての栄光も、それら一切を捨てて旅立って行ったのではないか。「私はコレ(小指を立てる)で、会社を辞めました」という懐かしいCMがあった。古今東西にあって、英雄の多くは女に騙されているのは、女が男の夢であるからだろうか。

確かに笹井氏は死んだ。長崎高1女子殺害の加害者の父親も死んだ。方や将来を嘱望された有能な科学者、方や豪邸に住み何不自由のない富裕層だり、地元の名士の誉れ高い弁護士。こういう人たちでも自らの命を絶つのだから、人間は不可解である。死ななければいけなかったのか?周囲は誰もがそのように思うが、彼らにとっては死ななければいけなかったのだ。

情報は少ないから想像するしかない。人はあいまいな情報に対してはそれぞれ自分なりに意味づけをし、自分の心を投影し、また、ある部分は誇張したりして他人に伝える。逆に情報が過剰な社会にあって人は知識に基づいた論理的な判断よりも、直感的なイメージで行動したりする。それほどに情報の取捨選択は至難である。将棋の棋士がコレと同じようなことを言う。

「指し手が多すぎて、とても読みきれないときは直観を大事にします」。人間は上手くできている生き物だと、つくづく思う。いずれにも対処できるよう脳が備わっているのだ。人間の抱くイメージなんて国際共通である。「小さいものは可愛い」、「大きなものは圧倒であったり、怖かったり…」、情緒的な物は似ているが、経験に基づく認知的なものは国や人種で異なる。

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日本人についての研究で、「評価」、「潜在力」、「活動性」という三つの物差しのうち、主要な「評価」の物差しが、論理的(良い、正しい)と、情緒的(好き、快い)に分かれることは判っている。つまり、日本人は「正しいこと」と「好きなこと」は食い違うようだ。かつても今も、正しい知識に基づいて行動しようとする者と、フィーリング重視で行動する者がいる。

後者の方が多いかもしれないが、これは善悪というより、情報化社会の新しい認識の仕方であろう。最近富に感じるのはメディアのCMの変遷である。商品の機能や質といった中身を消費者に告げるにではなく、イメージ広告といわれるものが多い。イメージ広告とは、商品そのものや、企業を直接登場させず、消費者の感性に訴え、イメージづくりを狙う広告のこと。

最近は旅行カバンといえば、コロ付きのキャリーバック全盛である。コロコロ転がせばいいのだから、重くても苦にならず、便利この上ない。この商品のイメージ広告を作るなら、「バックを売るな、旅を売れ」となろう。このバックはアルミ製で剛性で軽い、中身はこんなになって使いやすいというより、「このバックであなたも楽しい旅をいたしましょう」と感性に訴える。

我々はイメージ戦略の奴隷と化していることになる。サブリミナル広告というのもある。サブリミナルとは「知覚限界以下」と訳され、サブリミナル効果とは、通常我々が明確に 認識している「意識」より下の部分、いわゆる潜在意識や、意識と潜在意識の境界領域 に刺激を与えることで表れるとされる効果をいう。アメリカでずいぶん昔だが、奇妙な実験が行われた。

イメージ 8ニュージャージー州の映画館で上映中のスクリーンに「コカコーラを飲め」、「ポプコーンを食べろ」という字幕が、瞬間的であるが、5秒おきに終始映写された。数十分の一から数千分の一という瞬間であり、顧客はだれもこのCMに気づいたものはいない。ところが6週間の実験期間中、同館内のコカコーラは18%、ポプコーンは57%も売り上げが上昇した。
サブリミナル効果は常に有効との確証は得られてはないが、「消費者の心を踏みにじる可能性がある」との倫理的理由で、アメリカでは実用を禁じられた。人間の欲求が高まると、それに関係する感覚は鈍くなる。「命より大切なもの」は、個々にみつけるべきであり、ないならないでいい。国家が、「若者よ!国のために命を捨てよう!」。などと、バカを言うでない。

国を守るのは己の権利を守るためで、その逆ではない。「お国のために命を捨てる」という日本的な家父長主義と混同であり、両者は対極にある。フランス革命に多大なる影響を与えたルソーは、「人は自由なものとして生まれたにもかかわらず、いたるところで鎖につながれている」とし、未来の革命家と改革者にこの鉄鎖の打破を訴え、以下の主張も展開した。

「真の自由は、個人の自我ともろもろの権利を含む全所有物を、絶対的共同体へ全面的に譲渡することにある」。これこそが、ルソーからレーニンに至る本質的に集団主義的、あるいは共同体的な真の自由についての解釈であった。人の命は国のものではない。お国のために尊い命を捧げた先人は、なんとも悲哀の時代に生を受けた人たちの悲劇かと…。

「命より大切なもの」 ③

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命より大切なものを見つけた人がいるようだ。その人は言う。「人間は命より大切なものを見つけるために生きていくべきでしょう…」。そうかも知れないし、そうであるという確信は自分には持てない。生き方はさまざまあって、そういう生き方もそのさまざまな人間の生き方の一つであるならそれでいい。「人生はこうあるべき」などは、別に言っても構わないと思う。

人が何を言おうがその人の自由であって、それに対しては責任を取ることもあろう。責任と言うのは、その事に対して感情的に文句をいう人もいれば、理性的な異論・反論で向かってくる人もいる。それに対してどう対応するかが、責任の取り方という意味だ。養老孟司氏のように一切の無視を決め込む人もいる。卑怯だとか、ズルイと言われながらも、それが彼の生き方だ。

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彼は本業(解剖学者)より著作で稼いでいる。今や著述家が本業と言えるかも知れないが、彼は自分の考えを述べているだけだから、何を言おうが彼は彼の考えでいいのだが、認知度、知名度という影響力から、養老氏の、「タバコは健康を害しない」という発言に目くじらを立てる人や、禁煙奨励団体などが公開質問状を投げかけているが、それでも養老氏は無視を続けている。

自身の考えを著作などに表明するのは自身の考えであるなら結構なことだが、それがデマや嘘であったとしても、個人攻撃に対応する必要はないと思う。なぜなら個人個人は考えが違うし、知識も素養も違うし、意見の違いは当然にしてあって、いちいちそれに応える義務も必要もない、というのが養老氏の考えであろう。周囲を気にしていたら、言いたいことはいえない。

逆にいえば、言いたいことをいうのに、周囲のことなど気にしてはいられないとなる。そうは言っても、あまりにも社会・正義に問題のある発言は、マスメディアをはじめとする社会・正義の番人が口火をつけるなどし、大きな社会のうねりとなって行くであろう。それでも個人の発言に他人が強制力を持つものではないのは、『絶歌』出版問題でも感じたことだ。

「養老さんのような科学者としての立場の人が、タバコに害がないというのは容認できない暴言」とする禁煙奨励団体の言い分は判らなくもないが、誰が何を言おうと、タバコは絶対に人体に悪いという確たるデータがあれば、それを提示すればいいこと。それなら養老氏も反論せざるを得なくなるか、自説を引っ込めるか。養老氏が言うから喫煙人口が増えるというのは筋違い。

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これは、タバコを吸う人の自己責任の問題だ。嫌煙権を行使する人も権利だから主張していいが、タバコを吸うのも権利である。それなら両者を共存させるためにと、喫煙指定場所を設けるのは必要なこと。老人・子どもを含む、タバコの煙を嫌悪する人に対する配慮は喫煙者に課せられる。但し、養老氏がいいと言ったからといっても、自己責任は免れない。

健康被害や、健康に良い、などといった情報が氾濫している昨今にあって、何が正しく、何が怪しく、何が間違っているかを、一般人が見分けるのは難しい。特定の企業・団体の利権や意向が複雑に絡み、根拠の乏しい健康に関する常識も世の中には氾濫しているのが実態だ。受動喫煙の可能性を世界で初めて指摘したのが、1981年に発表された「平山論文」だった。

医学者であった平山雄(ひらやま たけし、1923年 - 1995年10月26日)は、40歳以上の非喫煙者の妻と喫煙者の夫9万1540組を16年間追跡調査し、夫の喫煙が多いほど妻の肺がんによる死亡率が高くなるとする内容の論文を、イギリス医学情報誌『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』で発表した。が、計算方法が恣意的、データの分類方法が誤認などとの批判を受けた。

さらには、原データが公表されていないといった問題もある。平山は、旧制一高(現在の東京大学)を卒業し、1946年に満州医科大学を卒業後1951年に医学博士を取得。1965年から「国立がん研究センター研究所疫学部長」を務め、定年退職後の1985年に「予防がん学研究所」を設立し、所長として『禁煙ジャーナル』主宰兼禁煙活動家として活動したが、1995年にがんで死亡する。

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「平山論文は統計を基にした疫学調査。疫学調査では、受動喫煙者のがん死亡率が非喫煙者より高いとしても、喫煙者家庭に共通した喫煙以外の生活様式や環境の影響である可能性も残る。もともと疫学調査は、何に研究費を投じるべきかを判断する予備調査にすぎず、これをいくら繰り返しても、受動喫煙と健康の因果関係は永久に証明できない」と、医学博士の葦原祐樹氏は述べる。

たばこの有害性を主張する研究には、発がん性物質を用いた動物実験がある。しかしこれも、受動喫煙の有害性を証明するに至っていない。「たばこには確かに発がん性物質が含まれ、動物実験では高確率でがんが発生します。しかし動物実験では、たばこの発がん性物質を抽出、精製したものを動物に投与する。実際の喫煙や受動喫煙の摂取量とは比較にならない大量投与です。

このような実験をしてみても、喫煙や受動喫煙の害を証明したことになりません。疫学調査と動物実験ばかりが延々と繰り返されているということは、たばこ有害説を証明する研究には成果が望めないということの裏返しなのでは…」と、葦原氏はいう。喫煙者数と肺がん死亡者数の推移をみると、ここ60年、喫煙者数は減少しているのに対し、肺がん死亡者数は70倍にも増えている。

これは肺がんと喫煙の要因は重大なものではないことを示す。「因果関係が証明されていないのに、医者でさえ、たばこでがんになると信じている。たばこ有害説はもはや世界共通の宗教的信念だと言っても過言ではありません。実際には、非喫煙者にとって煙や臭いが不快だという、好みの問題にしかすぎませんね」。という葦原氏は、いうまでもない愛煙家である。

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養老氏はこうした事実と、自身の信念で不毛な論争は挑まないということだ。確かにタバコを止めると、吸っていたときが嘘のように煙の迷惑を感じる。健康の害云々はともかく、ずいぶんと他人に迷惑をかけていたなという事が分かっただけでも良かったと思っている。他人の迷惑の中に自分の心地いい生活があるのはよくない。禁煙で得れたものは「無知の知」であった。

タバコの健康の害を信じる人もいるし、信じない人もいる。同様に、「命より大切なもの」を信じる人も、信じない人もいる。本当にそれがあるというのなら、見つけていない人もいるが、どうしても見つけなければ「人の人生の目的にならず」は言いすぎだろう。そこまで傲慢な言い方をする必要はない。「本当に大切なものは失ってみて分かる」というが、そうかも知れない。

では命の大切さも同様に、命を失ってみれば分かるのかも知れない。何もせず、ただダラダラと生きることが人生なのか?それでいいのか?と啓発する人はいる。しかし、本当に死んでみて、そんなダラダラな人生がいかに大切だったかが、分かるかも知れないじゃないか?残念なことに、「死んでみて分かる」というのは比喩でしかない。そんなことは在り得ない。

が、人間の想像力というのは死した後についても可能である。死後の思いと言うのはそれでしか発揮されない。いかに不幸な人生でも、死んでみたら大切な人生であったかもしれないのでは?そのように思うと、「命より大切なもの」というのは、それほど立派で高尚なことでなくとも、あり得るというのが今回の思考から得た持論である。「生きる目的などない」というのも持論である。

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その事と、「命より大切なもの」が思考の末に重なってしまったのだ。つまり、人間は「生ききる」ことが目的ではないかと。「命より大切なもの」は「命」であるという事だ。他人が「命より大切なもの」が分かったという。本当に分かったのか?という疑問も抱く。お前は死んでみたのか?死なないでなぜ、「命より大切なもの」の確信がもて、断言するのだ?

という疑問である。「命より大切なもの」を見つけたという人に言えばイチャモンになろう。したがって自己問答である。死なないで分かる「命より大切なもの」を想像した時、自分は命と言うのは実は素朴であるがゆえに大切と断じたのだ。だから、「生きる目的など無用であって、人は生ききることを目標にすればいい」に行き着く。それが命の素朴さに対する答え。

「命より大切なもの」などと、大それたものなどはない。素朴な「命」に応えていくことが大切なのである。「命より大切なもの」などを見つけるより、命と言う素朴なものを大切に人は生きていくべきであろう。いかに人が、「命より大切なものを見つけた」といえども、命があるからそう感じるのではないのか?死んで、死体が、「命より大切なもの」が分かったと言うのか?

「命より大切なものを見つけることが人間の幸福だ」、という考えには反発する。「命より大切なものはこの世にない。命を大切にしなさい!」と多くの先人たちの言葉を、改めて噛みしめ、後人に伝えて生きたい。人間は自己顕示欲の塊だからか、「命より大切なもの」を見つけたと、美辞麗句に酔いたいのであろう。「命より大切なもの」を認識できるのは命あってこそだろ?


だから「命」が大切なんだし、「命より大切なものがある」などと、「命」を粗末にしないで欲しいよ。人間が疾病や事故などで寿命を終えるのは、ある意味で仕方のないことだが、自殺と言うのはかけがえのない命を捨てる点において勿体ない。それでも自我や羞恥に押されて消えてしまいたい衝動に駆り立てられるなら、それもその人の生き方である。

が、もし死んだ人たちに感想を聞くなら、「命より大切なもの」はやはり命であったというかも知れない。自我や羞恥心は生きていれば抑えたり、修正可能である。思いつめていても、半年、一年も経てばキレイさっぱり消えてなくなるかも知れない。自尊心の崩壊に耐えれば、やり過ごせるかも知れない。そういう時間を待つことなく死ぬというのは、あまりにその場しのぎ。

非難轟々の冷たい風に晒されても、頑張って生き抜いた人の多きこと。だから自殺者に感想を聞けば後悔の言葉はでると思われる。自ら命を絶った者こそ真の、「命の大切さ」を知る。情熱を傾けるとは生きることをいい、死ぬことに情熱は無用だ。生きているからこそ、無用なこと、くだらないことにも情熱を燃やせる。生きて行くパンのために、あれこれ苦労もできる。

人間の真の幸福とは、崩れそうな自分を必死に支えているときではないのか。苦しいだろうし、苦しいけれども、そういう時の精神は緊張感に満ちている。肉体的に持続的に健康であるためには、体のどこかに病気を持っていなければならず、それをカバーしていくからだ。その病と戦ってこそ人は健康でいられる。精神も同様である。恋が永続するのも同じこと。

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悲恋であったり、互いの罪の意識におびえる恋は、垣根を乗り越えようと、だから恋でいられる。誰からも祝福され、心のどこを探せどかげりのない、晴れがましい恋が持続するはずがない。こんな恋に二人を永続的に結びつける要素が感じられない。現状に慣れた人間は、情熱をもって生きる人間ほどに不満はない。が、不満がないそのことが、裏返せば情熱を奪っている。

人間がいったん得たものを失うときのエネルギーは甚大であるという。気位を失う、良心を失う、信頼を失う、社会的信用を失う、それらバリューを失う痛みの大きさは、それを得るだけの時間に匹敵する大きさである。それらを失う過程の耐えられなさ、屈辱的な思いから人は逃げ、自らの命と相殺する。嵐の後の静けさまで待つことのできない苦しさ、屈辱感であろう。

多くの自殺者からそれを感じる。たかだかパンのために人を殺した人も、一滴の精子放出のために人を殺した人も、考えれば人を殺さない代案があったはずだし、人殺しと言う大罪を背負わなくとも生きていけたはずだ。寝屋川の中1殺しの男の儚い人生が、殺された児童たちの儚い人生に重なる。結局人は、自身の儚さで他人の人生さえ儚くしてしまう。

弱者に牙を向けるのを「弱肉強食」といい、自然界の掟である。人間界という理性を必要とする社会ではそれが悪であるのを、45歳の容疑者は知らなかったろうし、脱法犯罪を起こす人間特有の動物性である。ある動物は訓練し、仕込めば人間のように理性を発揮する。人間も訓練されているが、簡単に動物的になる。人はもっとも残忍な動物である。猛獣の牙は獲物のためのもの。

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決して同種の仲間に無制限に使用しない。人間に牙はないが、道具を使う。ガムテープやカッターナイフで簡単に人を殺せる。戦争を始めるのは常に為政者だ。為政者は国民の攻撃心や敵意、憎悪、残忍な心を巧みに刺激し、開戦の準備をする。そひて戦争が始まるや、誰もが残虐な行為をする。人間と言う動物は、命令されたり、やってもよいといわれると残忍をやる。

「許可」というのは、正当な理由であるからだ。ひとたびお墨付きを得ると、相手の苦痛におこまいなく残忍なことをやってのけるのは、誰が考えたか拷問道具がそれを示す。苦痛に顔を歪めることで快感を得るようにできている人間が、動物より非理性的なところは、生存のため以外の理由で人を殺すことであろう。相手が降伏しようが許しを乞おうが、容赦しない。

そういう種の人間が、「命より大切なもの」などを見つける前にやる事は、唯一この世は自分も相手も、命をいう名のつくものへの慈悲である。綺麗ごとは抜きに、「この世で命ほど大切なものはない」と、すべての人間が思い、実行することがユートピアかも知れない。現実的にベジタリアンがいる以上、人は食肉なしでも生きていけるようである。

「命より大切なもの」 ④

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「○○家」という言葉がある。墓石に彫る「○○家の墓」というのではなくて、「小説家」、「建築家」、「政治家」、「陶芸家」、「画家」、「落語家」、「宗教家」、「探検家」、「資産家」、「好色家」、「浪費家」、「愛妻家」、「自信家」などの言い方だ。職業や考え方の比喩として使われる場合が多い。建築士を建築家、銀行員を銀行家と言ったりするように…。

これらはおそらく、「大家」をもじった言葉はないかと。そこいらの建築士と違って、丹下健三や黒川紀章は建築家、そこいらの陶芸師に対して、陶芸家と呼ぶ巨匠。そこいらの柔道選手は柔道家と言わない。やはり、より過ぎたる人の比喩に使う。「資産家」というが、「貧困家」といわない。ただの好色男より、その道を極めるが如く邁進するなら好色家であろう。

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量的問題でもあるから、どこら辺りで好色といえるのかも難しい。アレが嫌いな人間はともかくとして、好きだけで好色といっていい気もするが、「好色といわれるのも抵抗がある」という人もいる。自信家もどの程度が自信家なのだろうか?自分はよく「自信家だろう?」言われるが、誰と比べていってるのだろう?おそらく「自信家だろう?」と言う人間に比べてではないかと。

そのようにいう奴は自分に自信がないからだ。自分に自信持ってる人間は、他人に「自信家だね~」などと言わない。日本人は総じて謙虚を美徳とする国民だから、「自信家」というのは褒め言葉ではないようだ。むしろ、「あの人は謙虚だよね~」の言い方の方が褒め言葉のようだ。自分が人からみてなぜ自信家に見えるのか、大体のところは分かっている。

物怖じしないところ、問われればさっと返すところ、そんなところではないか。本人はどう思ってるのか?自信がなくて引っ込み思案で、オドオドしてることははないが、自信があるとか、自信家だと思った事は無い。むしろ、常に自分自身に挑戦的であり、それは自信をつけるためであり、己の自信を観察するためかもしれない。そういうことは頻繁に行っている。

たとえばブログ更新を、「もう書くことないし、しんどいな」と思ったなら、自分に弱音を吐くことだから、そんな自分は好きじゃない。日々生きながら思考を働かせば、書くことがないなどあり得ない。決して書く自信があるからやっているのではない。書くと言う横着を拒否し、常に挑戦的であり続けたいだけだ。また、シリーズものを時々やったりもするが、それとて同じこと。

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「命より大切なもの」シリーズも、昨日の記事でほとんど書き尽くしたと思っているし、自分自身も思いたいのだろうが、ところがそこに、イチャモンをつける自分が現れる。「お前は、もう書くことないと言ってるようだが、そんなことはないんじゃないか?お前の引き出しなんてそんな程度のものか?」という言葉をひっさげて、問いにくる。それが本日の④を書かせたのだ。

自分自身の監視役に言われるままに、自らに妥協せず、さらなる可能性を求め挑戦する。「自信」、「自信家」などと、人は己の横着さや早目の妥協を棚に上げて、人をそんな風に規定する。自信あるから「やる」のではなく、「やる」ことで自信を加増させている。このように自信家は挑戦的に思えてならない。であるなら、その意味において自分は自信家のはしくれである。

安易に楽をしないし、妥協は好きでないし、己を過信しない。だから挑戦的でいれるのだ。「これで全部です。これ以上の事はもうできません」という奴は多い。そう思って自分を甘やかせているのだろうし、その方が楽に決まっている。そんな言葉は好きじゃないから言った記憶はない。もっとできる、きっとできる、そんな風に自分を鼓舞することの楽しさ、これは刺激でもある。

今の半分くらいの文字で終らせることは簡単だが、簡単なことはいつでもできる。難しいことにできるだけ長く挑戦していたい。書いていることはつまらぬことでも、つまらぬことを書くと言う自己満足。内容など問題じゃないし、自己主張や用件を伝えるだけならツイッターで十分だ。そうではない。結局、何を言うかが目的でなく、己と戯れ、遊んでいる。

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書くという行為は「無」から「有」を生む行為に思われがちだが、実はまったくその逆である。頭の中のたくさんのことや、引用などの情報の中から、少なく少なく凝縮させること。つまり、100を1にすること。だから長文はバカが書く。と思っているが、自己正当化的にいえば、コレでも実は短く凝縮している(つもり)である。つもりなら仕方があるまい。

文筆家は、無白の原稿用紙に文字を埋めるとき、無から有を生むのではなく、多くの有から取捨選択をし、言葉を選んでいるはず。小学生の絵日記が、思いつき言葉だけの羅列であるなら、中高生の感想文は取捨選択と思考の末の構築文であろう。文学ともなればさらに選ばれた文字や言葉を駆使して書かれる。こんな用語もある、こういう言い方もある、という様に。

だから感動を呼ぶのだ。小学生の絵日記は、あったことをあったことのように書くが、年齢も上がると、あったことに臨場感や切迫感を加味した表現ができる。文学ともなれば、これが文章か?などと思えない美しさや凄みが感じられる。読み手も同様、書き手が表現したものを通して、「表現されなかったもの」、「表現できないもの」を発見することになる。

創造は書き手だけではないし、読み手も発見し、創造している。そういった読者の享受作業、つまり創造的参加によって作品は完成する。確かに書くという行為は、自己の内面の可能性を現象化する時間であろう。人はみな言葉の動物であるからして、人は誰でも何か言いたいことをもつ。自己の内面を言葉として展開することで新たな何かが加わることになる。

イメージ 5文章とは、対象――認識――言葉――表現の厳しい相関関係の上に成立する。したがって、認識は正確であるべきで、そこに新しいことばの可能性もあり、創造もある。松尾芭蕉は『芭蕉語彙』の中で、「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中(うち)にいひとむべし」という遺語を残している。「物の見えたる光」とは何ぞや?何を言っているのであろうか?

「竹のことは竹に習い」、「松のことは松に習い」を言っている。芭蕉の観察眼というのか、私意のなす作意を徹底離れた、主客の感応の境に射し込む光を言っているのであろう。絵画の基本は対象をしかと見ることであるが、それは俳句とて同じはずだ。ルービンシュタインというピアニストは、「自分が1000回弾いた曲でも、楽譜を丁寧に見よ!」といった。

自然の美しさも、生まれた芸術作品も、見る事がすべての始まりであるが、そこには作為的というより、哲学的エッセンスを加えることができる。人が自身の前の風景を絵に描こうとする時、自分の目は何を見ているだろうか?手前には美しく咲き誇る花、遠くにあってはそびえる山々、裾野に広がる湖、点在する家々、これだけでそれらしきものは描けたりする。

が、これだけでは満足しないのではなかろうか。下手か上手かはたいした問題ではなく、自分が分かればそれでよいが、目の前の景色の実際と、画く絵は明らかに違いがある。どれだけ上手く描いても違いは歴然としている。何かが足りない…。その何かとは何か?そう考えたとき、ここからが哲学の領域であつ。光、影、奥行き、運動、重量感、空気感、力感…。

と、これら五感の全てで感じ取るような何かが絵になければ良い絵は画けない。写実的な絵画だけでなく、抽象絵画でも同じ。技量に関係なく圧倒される絵、魂の入った絵は、五感で捉えた何かを、頭を捻って分析、抽出した何かが言葉であり、歌であり、知識であり、絵であり、理論であり、つまりは表現であり、さらにはその人自身の中へ還ってゆく何か。

この一連の作業、つまり観察と分析がまさに哲学であり、この作業を行う全てが哲学であろう。であるからして、芭蕉の句は哲学であろう。いかなる学問もこの作業のように何かへの「気づき」と「観察」と「分析」無しに学問とは言えない。「命」に気づき、観察し、分析してなお命より大切なるものがある?下は『命よりたいせつなもの』の著者星野富弘氏の詩。

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よく分らない詩だ。生きてる彼が命より大切なものがあると知って嬉しかったという。それが宗教(彼はクリスチャン)、大勢の人の支援、口で筆をくわえて絵と詩が書けること、自然や草花への観察力がさらに増加した事、想像を絶する苦悩を克服した事などが想像できる。が、彼が命より大切なものが見つかったというそのことを、彼以外の誰かに理解できるのか?

つまり、彼の思うこと、感じること一切は、命がなければ実感できないこと。彼の言う、「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが辛かった」は抽象的すぎて自分には理解は不能だ。まあ、彼に分かればいいことである。果たして人は、「命より大切なもの」のことを思いながら死んで行くものなのか?自分のことにおいては解決がついたことだから、他人に思考をする。

ジャンヌ・ダルクは命より大切なものを見つけて、処刑されたのだろうか?石田三成も吉田松陰もそうであったのか?生あらば、もっともっとやり残したことがあったと、悔いたのではないのか?神風特攻機は、命より大事な国家のため、喜んで死んで行ったのか?心情的にはそう思いたいが、「命より大切なものはない」と結論する自分にそうは思えない。

中国共産党による圧制を世界に発信するため、チベット人の間では抗議の焼身自殺が相次いだ。2008年のチベット騒乱以降、焼身自殺をするチベット人は特に増えている。ラジオ・フリー・アジアによると、2009年以降から2014年6月までの5年間に合計136名のチベット人が焼身自殺を図った。僧侶、尼僧だけでなく、一般の若者も多かったという。

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彼らにとって命より大切な抗議だったのか。三島由紀夫の自殺も命より大切な思想・信条だったのか。三島はこのような言葉を残している。「行動の美はあくまで孤独に関係している」。「男の美が悲劇性にしかないことが確実なのは、行動と言うものが最終的には命を賭ける瞬間にだけ、煮つめられるということと関係している」。こんな風に呟きながら彼は到達した。

それは、「一回性」という言葉である。三島のいう、「一回性」とは、我々の「生」が巨大なる「無」の上にかかるに過ぎないのだと見極めるとき、「一回性」が一つの希望として浮かび出てくるのであった。三島は命より大切なものを見出したというより、抗議の餞別であろう。「三島事件」とは何であったか?その答えは、「行動」であった。それですべてを言い尽くしている。

歴史に「もし」は無用だが、市谷駐屯地の自衛官たちが、三島の演説に呼応して蜂起していたなら…。三島は割腹自殺はしなかったろう。おそらく三島はそんなことなど考えてもいず、そうなった場合の計画や指揮・命令系統など、用意もしていなかったはず。彼は思想に殉じ、散り場所を模索していた。だから「行動」なのである。何のためではなく、唯一「行動」である。

いじめ自殺も抗議であろう。追い詰められたら死でもって抗議するしかない。が、中には純粋に苦しさからの逃避もあろうが、分別は難しい。チベット人の抗議にしろ、中高生の抗議であれ、抗議による自殺というのは、良し悪しは別に人間にだけ可能な行為である。戦後教育は命よりも大事なものはないと、そのことを教えてきた。が、精神医学が自我の重要さを引き出した。

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自我が命より大切というなら、「人間」を規定するのは肉体か、精神か、という根源的な問いである。人間の体を「心身」と現す以上、心も身体も人間を形づくるのfactである。「死んで花実が咲くものか」は、いつごろの言葉なのか?どうやら、江戸時代の浄瑠璃に頻出する言葉らしい。もともと「花実」は、そのまま「花と実」という意味で『日本書紀』にも載っている。

それが江戸時代に入り、「名誉と利益、栄華」という意味に用いられるようになった。「花実を咲かせる(出世する)」とか、「このままでは花実も咲かぬ(うだつが上がらない)」とか、「死んで花実が咲くものか(死んではなんにもならない)」など言われるようになった。誰かが言い出したというより、市井に中、民衆から自然発生したことわざ、慣用句であろう。

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