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「元少年A」に絶句

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「すべてのオトナはみんな子どもだったはず…。なのに、どうしてオトナになったらかつての子ども時代を忘れてしまうのだろうか?」これが自分がオトナになったとき、子を持った親になったとき、絶対に揺るがせてはならない強い思いだった。ビートルズやエレキを不良の音楽とバカにされて哀しい思いをしたとき、親にいたぶられて辛い思いをしたとき、強く言葉を噛みしめた。

「絶対にこんなオトナにはならん。こんな親に自分はならん」と、自らの心に堅く契ったことを忘れない。忘れてなるものか。でなければ、あの哀しみやあの辛さは浮かばれない。即ち、自分はオトナであるが、反面子どもである。子どもの心を忘れないままに強く維持しているという点で、子どもである。オトナの部分はそういう子どもの部分を俯瞰している点においてである。

強い気持ちの裏には当時、自分たちをバカにし、見下した、バカなオトナどもへの痛烈な仕返しである。だから、自分がそういうバカなオトナと同じことをやってしまったら、何にもならないではないかと。感受性の強い子どもだった自分は、その感受性をオトナになっても失わず、引き継いでいるのである。子どもの感受性とはまさに弱者の"呻き"そのものであった。

中村メイコという女優がいる。プロフィールをみると女優、歌手、タレントとなっているが、自分的にいうなら彼女は、自分たちが子どもだったころのアイドルであった。芸能界という場や環境というのがよく分らない頃に、毎朝ラジオから聴こえてくる彼女の声に励まされた。元気のいいうららかな少女であった。ラジオ放送はおそらく『パパ行ってらっしゃい』であろう。


彼女の子ども時代は男勝りの太い声質で、一聴した感じでは女でありながら限りなく男に近い雰囲気があった。それでも男でないのはよくわかる。ラジオ劇でありながら、その物怖じのなさは、「よくあんなふうに演じられるよな」という肝っ玉の太さを感じていた。『パパ行ってらっしゃい』とは、ラジオ東京(東京放送ラジオ)で1960年代に放送された朝のラジオドラマである。

調べてみると以下の記述があった。小沢昭一と中村メイコの2人によるラジオドラマで、小沢がサラリーマン、中村はそのサラリーマンの夫人や子供の役を演じたものである。小沢が生前の『小沢昭一の小沢昭一的こころ』で語ったところによると、早朝番組で、「時計代わりにこの番組を聴いた人も少なからずいる」といわれている。なるほど、そういうことだったのか。

つまり、中村メイコは小沢昭一の妻役と子ども役の二つを演じていたので、妻役の声は女らしく、子ども役は活発な子どもらしい声を器用に対比させていたのだった。また、当時は小沢と中村は多忙であったため、同時に生放送か録音で競演できない場合は、スケジュールの都合の付いたときにそれぞれ別々に録音を取って、それをつなぎ合わせたこともあったという。

イメージ 3さらに調べてみると、中村メイコは小沢演じるパパ以外の全部の声を担当し、当時は「七色の声の持ち主」との異名があったという。七色仮面は七つの顔の持ち主という変装名人であったが、中村メイコのそう呼ばれていたことは、なんとなく記憶の隅にあったようでもあるが、忘れていた。とにかく器用で痛快なマルチタレント、天才少女というのが周囲の声であった。
wikipediaには以下のように記されている。「東京府(現・東京都)出身。2歳の時に、P.C.L映画製作所(現・東宝)制作の、『江戸っ子健ちゃん』に出演し、映画デビューする。その後、映画やラジオに多数出演、複数の配役をこなす七色の声として有名となった。天才子役としてデビューして以来、榎本健一や古川ロッパ、徳川夢声、柳家金語楼、森繁久彌らと共演した。

幼い頃、菊池寛と会食している。NHKにはテレビ本放送開始以前のラジオ時代から出演。テレビ放送においては、1940年に開催が予定されていた東京オリンピックに先立つ実験放送の頃から出演し、黒柳徹子と並んで日本のテレビ放送黎明期を語る上で欠かせない存在となっている。1955年には歌手としても活動し、「田舎のバス」(三木鶏郎作詞・作曲)がヒットした。

そうだったのか、「田舎のバス」は彼女が歌っていたんだ。♪田舎のバスは~オンボロぐるま~ タイヤはつぎだらけ~ 窓も閉められない それでもお客さん、ガマンをしているワ それ~はわたしが美人だから…、と歌詞が素で脳裏から出てきた。オトナにも子どもに楽しい歌で、だから自然に覚えている。それにしても2歳デビューとは凄い、セリフもあったのだろう?

中村メイコのことをいろいろ書いたのは、オトナに囲まれた日常を送っていた彼女が、子ども心に当時をこう語っている。「なんとなく自分をゴマカシながら、フワリフワリと日をおくっているオトナどものほうが、ずっとラクそうだ。……オトナのすることをながめながら、私は『きたないなァ』と眉をしかめたり、『ズルイヤ、ズルイヤ』と、こどもっぽく涙ぐんだりしている」

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これは彼女の自伝的処女作『ママ横を向いてて』の中の一節である。生まれたときを「誕生」というなら、思春期は「第二の誕生」といっていいだろう。青年期には、人によって多少の違いはあれど、壊れ砕かれて新しい自分に生まれ変わる時期でもある。両親や教師や、世のオトナに対する尊敬と信頼を抱いていた気持ちが崩れていくと同時に、様々な紆余曲折を体験する。

「偶像破壊」の喜びもあれば、「自己破壊」の喜びもある。が、壊すことばかりでは人生に未来はないし、壊すと同時に新しく建設・増築をしないと自暴自棄に陥りやすい。思春期という波乱期に自己再生が出来ず、不幸にも自暴自棄になって堕ちていったものは多い。青年期には未来を見つめなければいけない。世のオトナ、両親の醜さに気づいたとき、己の無力さを実感する。

社会的弱者である子どもは、親の権威に抗うことはあっても、社会的な権威に抗することは躊躇われる場合が多い。警察も権威、学校や教師も権威であろうし、それに刃向かうことは勇気がいるし、自暴自棄なら可能である。家庭環境から抑圧を犯罪に向けた多くの若者は、ある種の不幸であった人たちである。「神戸連続児童殺傷事件」の犯人とされた酒鬼薔薇聖斗こと少年A。

彼が手記を書いた。タイトルは『絶歌』(太田出版)である。自分はこの手記は容認できないし、批判の対象とする。批判は内容云々ではない。内容など関係ない。被害者の平安を踏みにじることを何の目的でやる必要がある?この手記の功罪の「功」を挙げるなら一点ある。それはこの犯罪が冤罪であるといわれ続けたこと。犯人は少年Aではないと、まことしやかに言われていたこと。

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自分は少年A冤罪説に一行足りとも加担はしなかった。冤罪説信奉者の論を幾度も読んだが、空理空論として納得はできなかったからだ。この手記をどれほどの人が読むのかは分らない。読みたい人には読みたい理由があるのだろう。それによって何かを納得させるのかも知れない。もっとも、少年A冤罪説信奉者は、しっかり読み、過去の空想をゴミ箱に捨ててくるがいい。

自分はこの手記を読まない。読まない理由は読みたくないからだ。読む気も起こらないと言った方がいい。いや、さらには元少年Aが何の理由でコレを書いたのか、納得できる理由が自分には見当たらない。彼はそれなりの理由を言うのだろうが、どんな言葉を用いようと、それが事実であったとしても容認できないし、その自己肯定感は屈折した感情であろう。

太田出版は、「加害者男性側からの持ち込み」というが、事後の社会問題を考慮にいれた口裏ではないか?出版社サイドが少年Aを探し当て、少年に執筆を勧めたと推察する。「一躍あなたは数千万の大金を手にすること間違いない」などと口説いたのであろう。元少年A側から自主的に出版社にコンタクトがあったとは思わない。それは「太田出版」であるからだ。

講談社や新潮社、文藝春秋社というならそれもあると推察するが、こと太田出版は金儲けなら何でもやる"天をも怖れぬ"見境のない出版社である。そんな出版社のそういう編集者の入れ知恵で作られた本など反吐が出るわ。元少年Aに罪がないとは言わないが、最大に罰せられるのは元少年Aをそそのかした太田出版である。元少年Aはオトナどもから二度に渡って罪に要因を作られた。

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元少年Aが、手記の中でどれほどの言葉を使って被害者遺族に謝罪しようと、それは怒りにしかならないであろう。謝罪とは空気で伝えるものだと自分は思っている。口に出す謝罪など、謝罪に見えて謝罪に見せかけたものでしかない。言葉にしなくて伝えるものが謝罪なら、言葉にした途端、それは謝罪でなくなる。空気で伝えるかもしくは腹を切るか、それ以外に謝罪はない。

2008年3月27日に「怒りの本質 vs 謝罪の本質」という記事を書いた。この中で「謝罪の本質は、まずは逃げ隠れせぬということ」と、記したように、姿も所在も名も公式に明らかにしないで何かを発したいならネットで書くべきだ。それなら許される部分もあろうが、ただ、被害者がいることには変わらないし、事の大きさに鑑みて無報酬といえども沈黙を守るべきである。


それが出来ないで、30過ぎても自己顕示欲丸出しの元少年Aは、こんなことをやるならこの世から消えているべきであった。同様の声は「いま30歳過ぎている訳でしょ?自分の責任で本を書くのであれば、実名で書けばいいじゃないですか。そのぐらいの責任はあってしかるべきでは?」(小倉智昭)、「もう匿名は許されないのではないか?」(紀藤弁護士)など相次いでいる。

元少年Aが真摯な反省をする機会を周囲のオトナが奪ってしまった。いい金ヅルとして群がるオトナどもに利用された感が強いが、人間として最低守るべき「良心」親からも誰からも教えられないで育った元少年Aは、30を越えた年齢になってもアイデンティティをもてないでいるのは、日陰で生きるしかできない自身への後ろめたさであろう。今回も利用されたのである。

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東野圭吾が犯罪者遺族の立場にたって書いた『手紙』の中で、殺人犯の兄のせいで周辺差別を受けるなど苦渋の日々を過ごす弟に、勤務先の会長はいう。君の兄が殺人犯との理由で、犯罪者やそれに近い人間を排除しようというのは、真っ当な自己防衛本能だ。まして元少年Aは犯罪を犯した当事者である。気持ちは分るし、自分を世間に晒せないなら社会の隅で小さく生きるしかない。

犯罪者が檻から世間に出てきたが、皆が冷たい、耐えられないと、わざと犯罪を犯して刑務所に戻ろうとする者もいるという。檻の中には周囲の冷たい視線はない。『手紙』の弟も兄は刑務所だからいいが、社会で生きる自分は周囲の視線で苦しまなければならないと、兄を憎む。「何で家族(兄)が行った事なのに、自分が差別を受けなければならないのか?」当然の疑問である。

元少年Aが社会の隅でひっそりと生きなければならないのは、理不尽というよりも、それが死んだものに対する責任の取り方であろう。そうすべきである。社会の偏見を背中に受けて生きていくべきである。罪の重さとはそういうものであろう。なのに、今回のようなことをして騒ぎの担い手になるなど、言語道断である。彼の再生を阻んだ貪欲な企業人の責任ではあるが。

責任を取るべきは太田出版である。国民はこのような社会悪太田出版の刊行物の不買運動をすべきであろう。元少年Aの地獄の苦しみ、泣き言、言い訳を聞きたいものがいようか?彼はそれら一切を己の懐にしまい、汗を出し、血へどを吐いて生きるべきで、その覚悟がないなら死んだ方がいい。それが彩花ちゃん、淳くんへの供養である。それなら彼を利用する者も出てこない。

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「すべての犯罪は、人間が孤独でいられないと言うところから起こる」。E・H・フロムは、人間のもっとも根源にあるのは孤独を避けたい欲求であるといった。広大な砂漠を生きていくべく元少年Aは、そういう状況下であることが贖罪であると認識しなければならない。無言の贖罪こそ謝罪である。自分は如何に生きるべきかという疑問に答を出すのは自身である。

安易な誘惑に乗ってしまったことは過ぎたことだとしても、元少年Aは版権を持つ以上、絶版を申し出るべきである。自分は如何に生きるべきかの疑問から逃れ、そういう疑問を振り払って生きようとするなどあってはならない。それは贖罪を頓挫することだ。自己への追求だけは絶対に避けることをせず、砂漠の中で生きていくべきであり、それは彼が自ら作った運命である。

自分に何らかの関心を寄せてくれる人に心を委ね、託そうとした気持ちは彼の切ない望みと考えれば理解できる。たとえ自分の心が本質的にそこにいる人と結合していなくとも、自分の心がその人たちの心とつながっていなくとも、その人たちに受け入れられたいと思うだろう。出版社の思惑が知りたいなら、ネットの批判を読むがいい。残念ながら君は受け入れられなかった。

本質的に受け入れられないと分っていても、それでも社会に受け入れられることを望むのが不良である。ヤクザや暴力団も同じことか。贖罪の任を負う犯罪実行者はそうであってはならない。つまらぬ虚言に酔ってはならない。喉元すぎれば罪を償うのはしんどいにしろ、陽の目を浴びようなど言語道断。出版社には早急に絶版を申し出て、静かに生を全うしてほしい。

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「元少年A」に絶句 ②

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ネット時代ということもあって、否が応でも元少年Aの手記に対する批判が聴こえてくる。論点を明確にした批判以上に、「外道」、「反省ナシ」、「人間のクズ」、「人殺しをネタに金儲け」、「何処まで被害者をいたぶる?」などの非難も多い。どこかのバカが書くだろうと思っていた、「読まずに文句だけ言ってんのかっ?読んでねぇなら読んでから文句を言えよ!」もあった。

読まずに文句を言う代表としていえば、「文句」を言わない人が偉いわけでも、読んで言う文句なら許されるって、誰が許すのか?「読まずに文句をいうな」も、「文句は読んで言え」というのもガキの発想だ。読むに価しない本を読むバカがいるか?自分は『絶歌』を読まない理由を、「どんな言葉を用いようと、内容が事実であったとしても容認できない」と書いた。

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これは用意周到な言い方で、つまり元少年Aの自筆手記といいながら、書いてあることがどうして事実だといえるのかという問題提起である。こんなことをする(お金儲けのために手記を書く)ような、心の弱い人間が、自分に対して挑戦的な真実を書くなどあり得ない。人間が真実というものに触発されて、それが真に世俗に公益性ありと判断したなら、ネットに書くであろう。

つまり、「本が売れる」⇒「金が入る」⇒「生活が楽になる」⇒「苦しさから解放される」というような二次的な利害が存在するという行為をしただけで、彼は甘ったれたやつである。自分は出版社ほど元少年Aを強く批判をしてないし、批判をしなくても人間の弱さ、甘さ、ズルさ、腹黒さは知っている。問題はそういう物に加担したり、助長する者の罪を問題視する。

子どもが自己中であり、特権階級であり、親を奴隷が如く利用したいと思うのは当然で、だからそういう子どもに加担し、我がままを助長する親に責任がある。もし、子どもの我がまま、自己中に歯止めをかけない親なら子どもはどうなる?それが問題であろう。だから、同じようなことをくどく、しつこく書いている。子どもを甘やかせて困るのは将来大人になった子どもである。

人間の本質は、欲で、意地汚く、まことに罪ぶかい存在だと思っている。法を守らない、道徳を守らない、倫理を守らない、人間はそういう存在である。政治家や役人が賄賂を貰うのも、金融関係従事者が使い込みをするのを、モラルがない、倫理観が欠けているというが、彼らはお金が好きだからそういう事をするのであって、倫理やモラルを持ち出されても屁とも思わないはず。

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お金が好きな人に倫理を言っても無駄。sexが好きな人に倫理を言っても無駄、そう認識すれば、「何であんなことをするんだろう?」という謎は簡単に解ける。そういう人達に自覚を促したいなら、「お金を嫌いになりなさい」、「sexを嫌いになりなさい」というのがいい。が、言うだけ野暮であろう。パチンコ好きの人に「ギャンブルはよくないよ」というようにだ。

タバコ好きに「肺ガンになるよ」というようにだ。誰もお金が好きで、sexも好きかも知れない。本能に殉じれば…。しかし、賄賂はよくない、不倫はよくない、ギャンブルはやらない人の多くは、「好きだから何をやってもいいわけではあるまい」という自制心が働くからであろう。婚姻者なら他者からの強要、暗黙の強制もあるが、多くは自己規制で生きている。

自制とは自分が自分を制御することで、そのタガが外れたり、緩めたりを自制心を無くすという。お金や異性の誘惑に負けてしまうことになる。他人がそれを責めてみても仕方がないことだが、そういう人間を雇っている経営者は困る。そういう政治家に付託を与えた民は困る。人間がその程度の生き物であるのは、よほどのバカでないかぎり、人々はそれを承知している。

よって人間は互いが社会秩序を乱さない程度にモラルを守って生きている。人は大きな失敗をすると良心の呵責に苦しむ。まして法を犯すような犯罪なら、なおさらであろう。これを一般的な考えと位置づけたいが、まあ人はいろいろだから程度問題とするのが正しい。が、人間の理想からいえば過ちは二度と起こさぬようにと、さらなる自制心を強めていくはずだ。

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これを反省とも贖罪ともいい、自身の犯した過ちや罪は、自身の「良心」として内面化されていくものである。そうして高められた「良心」に添って生きることを更生という。周囲・周辺は更生者への力添えを惜しまぬことだ。今回の元少年Aについていえば、彼は手記を書くことで「良心」をなくしてしまった。彼が刑務所で贖罪し、それから「良心」を得たとすればだが…。

得たか、得ないか、そこは分らない。が、得たとするなら、今回の行動は少なからず「良心」をなくしてしまっている。本は読んでないが、言い訳、自己正当化と受け取る読者の言葉を借りると、そういう言葉を吐いてでも非道と言える手記を書いたならなおさらである。つまり、元少年Aは、"悪いと知りながらもあえてやった"ということだ。これで贖罪したといえるのか?

人間は過去にどんなに立派な行為をしていても、一度の悪で悪人と烙印を押されれば、過去の善行は偽善であったとみなされる。単に"魔がさした"だけであって、本人の善的資質は変わらない"と見る人もいよう。どちらが正しいか、その時点で分らない。が、本当に"魔がさした"というのであれば、その人の贖罪感は強く、二度と同じことをしないであろう。

そういう事で判断できる。「赤福」や「白い恋人」の石屋製菓の賞味期限改竄事件を自分は許していないが、多くの顧客に許されて営業を再開した。二度と同じようなことはやらないと信じたいが…。暖簾という気位を失った痛みだけでなく、彼らに「良心」を失った心の痛みがあるかないか、そこが問題であろう。痛みの大きさを測るには、それを得るのにどれだけ時間がかかるかである。

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正直、営業再会を喜ぶ客が群がったという報道にガッカリした。諸手をあげて許していいものだろうか?消費者はどうしてお灸をすえないのか?「赤福」や「白い恋人」を食べなければ生きていけないのだろうか?そういう疑問であった。「昨日の敵は今日の友」という節操のなさが特質の日本人は、「西洋人に比べて憎悪心の希薄な人種である」と、安吾の指摘に考えさせられた。

元少年Aは「良心」を失う痛みをどのくらい感じたのかを想像してみた。告白本を読めば分かるとしたものだが、自分はそうは思わなかった。本に書いてあることがさも真実であるかのように、虚実を書くことは出来る。金を貰って書く真実など信じるほうがどうかと思う。商業主義に乗っからない文学は、内なる衝動によって書かれたもの。ゆえに、「純文学」といわれたように。

いわば、「商業主義」は「純文学」の対義語である。元少年Aの手記はお金にならなくても書きたかった真実とは程遠いものと自分は断じている。だから読む価値もないし、彼の言葉から思考したいという気も起こらない。それでも本が売れるのは、買って読みたい人がいるからだろうし、世間を震撼させた「酒鬼薔薇聖斗事件」の重さ、大きさが伝わって来る。

「手記」といえば事実と思う人は多いだろうが、出版社の商業主義によって喚起された「手記」など信じるに価しない。太田出版も一企業である以上、企業利益は高めても、ダメージは望まない。「元少年A側からの持ちこみ」と矛先をかわすなど、もし自分が出版社の人間であったなら、居の一番の指摘したいことでもある。そう口裏を合わせておけば、出版社側にダメージは少ない。

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太田出版は元少年Aのダメージより、自社の利益を優先するはずだ。元少年Aはお金が最大目的だったと思われる。自著の巻頭に、「印税収入は被害者遺族にお渡ししたい」とあるならともかく、元少年Aからすれば事件から18年も経過したこんにち、両被害者遺族が金銭を望んでいないことは承知済みであったはずだ。だからか、両遺族にとっては裏切られ感が強い。

「十年はひと昔」とはいえ、最愛の子息を無慈悲に殺戮された親の心情を、親を経験しない元少年Aには見えないだろう。獄中で彼がその事をどれほど類推したところで、親の心情にはたどり着くことはない。淳くんの父親も、彩花ちゃんの母親も、自分の憎悪は薄らぎ、更生を願ってやまない心境にあるという、表層的な思い上がりがこういう仕打ちに至るのだ。

出版社からどのような悪魔の誘いがあったとしても、「自分にその気はありません」、「それはどれほどのお金を積まれてもできるものではありません」といえてこそ、人間としての真の更生と言える。彼は獄中で書物に目を通したであろうが、もっとも読むべきはゲーテの『ファウスト』であったろう。悪魔の誘惑が何であるか、それを断ち切るためには何が必要か…

人が「良心」を失えばどこでも楽に生きていける。元少年Aは自身の生息場所さえ明らかにしていず、そんな情況下で「良心」など何の役に立つものではないと、コレが現実思考である。かつて彼は、「酒鬼薔薇聖斗」という殺人鬼を作り上げたように、現在は元少年Aという秘匿性を武器に、手記でお金持ちの人生を目論んでいる。こういう二重人格構造が彼の特質であろう。

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淳くんや彩花ちゃんを殺したのは「酒鬼薔薇聖斗」であり、「少年A」であり、「東慎一郎」という認識なのだろう。今は別の姓名を得ており、未だ、自己と自我と虚実と虚像の境界線のないままに生きてることが、このような金儲け目当ての手記を書けたと推察する。「酒鬼薔薇聖斗」こと少年Aは、起こした事件を世間が大騒ぎしている時に、他人事で向き合っていた。

こんにち、元少年Aこと元東慎一郎は、あの当時と同じ気持ちで騒ぎを眺めているのか?そうであるなら、『絶歌』は赤い文字で敷き詰められた「酒鬼薔薇聖斗」の挑戦状に思えてならない。贖罪?してはいないだろう。彼は東慎一郎のときも真面目な一少年であった。そんな彼は、真面目に生きて行くことで、どうにもならないところに追い詰められていたのだろう。

そういう情況が、人生をつとめて遊びにすべく思い立ったのが、「酒鬼薔薇聖斗」であった。ただ思い立っただけではつまらない。「酒鬼薔薇聖斗」に命を与え、動かすことが遊びの醍醐味であった。誰からも受け入れられない孤独な少年が、騒ぎを起こすことで世間に注視され、ほくそ笑んでいたのが見える。そういう彼の性格が改善されることはなかったのだろう。

イメージ 7少年Aは15歳のときには「良心」の欠片もなかったろう。それが32歳ともなれば「良心」の欠片くらいは分ったかも知れない。しかし、一般人であれ「良心」に逆らい、否定するような行動を人間はするものだ。だからといって、「良心」を否定するような人間が悪人とは言い切れない。人間の気力・体力に限度があるように、「良心」にだって限度はある。

「仏の顔も三度」という諺もあれば、「あの人は真面目でいい人だけど、怒らせたら怖い」というように、世間一般人以上に良心的な人もいる。そういう人は、誰よりも良心的であろうとし、ゆえに「良心」の限界を知るのである。「キレたら怖い」という人は象徴的な人である。良心的でありたいから我慢に我慢を重ねた反動である。こういう人は気をつけた方がいい。

児童心理学にいう、「いわゆるいい子」の苦しみと同様に、誰よりも良心的であろうとする人間にしか、良心的であることの苦しみは分らないのだ。元少年Aが手記を書いた本当に理由は彼にしか分らないだろうが、そんなことをいっていたら、人間の行動は周辺・周囲の誰にもわからないし、対処のしようがなくなってしまう。だから、ある程度の判断で注意、指導をする。

思っていることの畑違いのことを他人から言われた経験は誰でもあろう。それらを踏まえ、元少年Aの「手記」真意はお金であろう。これを否定する素地はない。次に「良心」という自制心を外したこと。彼にはそれを外せる"秘匿性"という武器があった。かつての「酒鬼薔薇聖斗」のように。元少年Aという人間は、"秘匿性"を楯にどんなこともでき得る性向のようだ。

淳くんや彩花の親を裏切ることも予見できていたはずだが、裏切ることで心が痛んでも、それに変わる何かがあればという人間であろう。その何かとは生活に必要な「金」である。かつ「酒鬼薔薇聖斗」のような愉快犯という遊興よりも、今のかれにとって問題なのは「お金」である。端的にいえば、金のために世間を敵に回すことを選んだということ。自分はそのように考える。

そうでないというなら、彼に対する怒涛とも言える批判、反響の大きさの収拾に向かうはずだ。それがない限り彼の意図は上記と断じざるを得ない。人が罪を作るのはそれなりの素地がある。戦後の飢えや貧困から作られた少年法の役目は終焉し、新たな少年法体系に改定された。元少年Aの「良心」を守らなかった太田出版は、更生保護の観点から糾弾されるべきである。

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「元少年A」に絶句 ③

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未解決事件のなかでも謎の多い「三億円事件」が発生したのは1968年12月10日、公訴時効が成立したのが1975年12月10日であった。この事件については酒席・宴席でしばしば話題になったが、時効前にこんなことを言ったりした。「犯人は出版社に手記執筆を持ちかけたら、凄く売れると思うけどな。やってくれんかな~、印税収入は3億円どころじゃないだろう」

結局、犯人は動かず手記は実現しなかったが、時効成立後に三億円事件犯人を自称する人物が何人か登場している。押収証拠物の多い事件だけに解決は時間の問題といわれていただけに、時効とあって捜査関係者も落胆と思いきや、後に「三億円事件は解決していた」という著作も刊行された。それによると犯人は白バイ警官の不良息子で、事件直後に自殺していたとのこと。

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青酸カリ自殺であったが、実は父親による子殺しというのも信憑性がある。いずれにしても、存在しない犯人を追っていたなら時効は当然であろう。我々が願った手記も出てくるはずがない。名乗りを挙げた幾人かのニセ犯人は、捜査関係者しか知らず、発表もされていない"あるもの"について正確に答えられないという、その一点においてニセ者と見破られている。

捜査関係者しか知りえない"あるもの"とは、お金を入れていたジュラルミンケースに留置された"あるもの"であり、犯人であるなら当然知っているだろう事件に使われた発炎筒の特殊な点火方法も、ニセ者には答えられない。これら人騒がせなニセ者は、「本を売って稼ぎたい」、「世間から注目されたい」、「詐欺のためのハクづけ」の3種類に分類されている。

本件は「三億円強奪事件」といわれるが、日本の刑法において、本件犯行は強盗罪には該当せず、窃盗罪となる。犯人が暴力に訴えず計略だけで強奪に成功しているからだ。自分たちの会話でも、「あったまいいよな~、お前犯人じゃないのか?お前こそモンタージュに似ているぜ」など酒席で盛り上がったものだ。2名の芸能人が、容疑者リストにあったらしい。

2名とは高田純次と布施明。彼らが容疑者リストに加えられた理由は、事件現場近くの都立府中高校に在籍していたということであった。事件を起こした当事者が出獄後に回想録のような手記を書けば、それなりの部数は見込めるだろうが、実行犯が事件の詳細を記した手記が刊行された事例はあるのだろうか?自分的には思い出せない。その前にモラルとしてどうなのか?

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今回の元少年Aの手記出版で注目されるのがアメリカの法律「サムの息子法」であろう。その前に、手記を出版した太田出版の岡聡社長によると、今年3月に元少年が仲介者を通じて、出版について相談してきたということらしい。岡社長は、「少年事件の加害者が自ら書いた手記には、大きな意味があると考えました」と話しているが、にわかに信じ難い。

先の記事にも書いたが、信じない大きな理由として太田出版であること。なぜ太田出版であったのかは、多数ある出版社にあって偶然なのか、必然であったのかについて思考してみたが、確かにどこの出版社であれそれは然したる問題ではないといえばそうとも言える。もし、元少年側からのコンタクトであったとして、他の出版社であったら刊行されていたか?

「三億円事件」手記にも劣らぬ莫大な部数の見込める金のなる木をどうするか、喧々諤々の議論が社内でなされるであろう。「三億円事件」は被害者も出ていず、強奪金も保険で担保されたというから、実質的な被害者はない。世間を震撼させたという形容詞は当てはまらず、「お見事!」として犯人エールを贈りたくなるような、痛快極まりない事件であった。

その深層を知りたいと欲するのと、2名の男児・女児の命が無慈悲に葬られた「酒鬼薔薇聖斗事件」と、は同列に比せるものではない。太田出版社長の「少年事件の加害者が自ら書いた手記には、大きな意味があると考えました」のコメントは我田引水であり、額面どおり受け取れるものではないが、後日担当編集者が手記を出版した理由を述べている。

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出版担当編集者が、出版そのものを否定するはずはないので、出版社の言い分としてどういう整合性があるのかを読んだ。「手記を読み、個人的にすごいと感じたのは、彼が少年院を仮退院した後、保護司さんや里親、更生保護施設などから、ものすごいフォローを受けていたこと。罪を犯した少年が更生するために、多くの人が尽力することにある種の驚きを持った。

ここは、全然知られていないところです。少年を更生するために、いろいろな方々がほとんどボランティアみたいな形で力を尽くしている。もちろん、制度について大まかな話を聞いたことはありましたが、ここまで細やかなフォローをしながら、社会に慣れさせて、段階を踏んで更生する形になっているとは…。今回、手記を読んで、初めて知りました。」

この編集者は落合美砂といい、太田出版取締役でもある。出版の公益性を言及する前に、「個人的には…」と断って彼女の情緒的感想を述べている。それがひいては"公益性"でもあるというニュアンスの含みをみせているが、聞きたいのは「○○の公益性がある」という言葉である。落合編集者は、遺族の抗議については真情を逆撫でするような言を述べている。

「私はこの手記全体が、遺族の方々、いろいろな彼を支えてきた人、あるいは自分の家族への長い手紙というか、支えてくれた人にはお礼の手紙であり、遺族の方々にはお詫びの手紙として書かれたものだなという気がしました。(中略) 2年以上かけて自分の過去と向き合って書いたもので、本の形にして残したいという思い、二度と会えない人たちに届ける意味もあると思う。」

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出版社の人間に何かを問うこと自体、意味がないのが分る。内部の人間に見えるのは内部の論理だけであり、日本の企業体系というのは詐欺だろうがズルだろうが、企業と社員は運命共同体意識が強い。殿様に、"赤いものを黒だ"といわれても、"はい黒でございます"である。この編集者は犯罪を起こした少年の更生に多くの人たちの努力がある、関わりがあるといった。

あくまでも想像だが、企業の論理や利害が反映されていることに気づいてないであろう。なぜなら、元少年Aの真の更生に関わった人たちの誰一人として、元少年Aが手記を出版するといったら、反対すると思われる。なぜ、反対するかはいろいろある。もし、自分ならこのように反対する。「君は事件の表題にした告白本の印税で生活費を得ようなどはすべきでない。

君の起こした事件は二人の亡くなった子どもたちの上に成り立つものであり、ばかりか淳くんや彩花ちゃんの家族、親族も被害者として名を連ねている。悲惨な目にあった被害者を無視し、加害者の論理だけで犯罪を回想するなら、君は医療少年院に入所する前と同じではないか。君の起こした罪の贖罪とは、常に被害者遺族の立場にたった思考であるべき。

如何に歳月が流れようとも、被害者遺族に立脚しない思考は、身勝手な自己正当化の論理であり、それを排斥できた時が真の更生であろう。君は酒鬼薔薇聖斗の時に、自分自身を「透明な存在」と比喩した。そうして今、自分の居場所がない、存在が分らないからと言って、酒鬼薔薇のときと同じような、自己中心的で無慈悲なことをやるなら、君の贖罪は完結していない」

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などとあらゆる手立てをして、手記出版など辞めさせる。印税収入を当て込んでの左団扇的な生活を目論むのは、犯罪を利用した傲慢である。そのようなことを思い立つこと自体、彼は真の人間から遠ざかって行くだろう。担当編集者は、「2年間、自分に向き合い、書きためたものを本の形にして残したいという思いがあったのでしょう。」といっている。

それが出版物でなければならない理由は、出版社の論理である。「書くことによって、何かを見出すものがあるなら、報酬などあてにせず、ネットに書けば?」と自分は言う。お金は生きていくために必要だし、お金を得たいという衝動・手段は「悪」ではないが、人を殺して赤く染まった手を題材に、金儲けをするなど言語道断である。永山則夫のような創作家になったらいい。

永山は字さえまともに書けず、漢字も読めない男だった。しかし、彼は獄舎で努力をして数編の作品を書き上げ、プロの作家をうならせるほどの小説を残している。生育環境や体験などが元になった自伝的小説であるが、そういう永山に比すれば、元少年Aの手記はいかにも短絡的である。元少年Aは文才があると言われたが、永山には文才もヘチマもなかった。

また永山は、著作の印税を4人の被害者遺族に支払い、その事が1981年の高裁判決において情状の一つにも考慮されている。そして永山は死刑執行の前には、「本の印税を日本と世界の貧しい子どもたちへ、 特にペルーの貧しい子どもたちに使ってほしい」と遺言を伝えた。彼が幼少期から極貧の生活を送ったことがそういう意志を生んだのであろう。

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永山則夫はつくづくやさしさに溢れた男だった。本当に純粋に自分と向き合い、社会と向き合いたいなら、真に贖罪を願うなら、自身の起こした罪を題材にした作品において報酬は考えないことだ。そのように彼を説きたい。編集者の言う、「この手記全体が遺族へのお詫びの手紙、彼を支えてきた人、自分の家族へのお礼の手紙」という視点は利害関係者の論理。

内部の人間が好き勝手なことを言うのは、内部の人間の使命であろうから、それはいい。ただし、被害者遺族も、彼の更生に関わった多くの人たち、また、元少年Aの家族は無念の思いであろう。事件当時永山は19歳の少年。元少年Aも15歳の少年である。永山と元少年Aには関わりがある。永山は1997年8月1日、東京拘置所において死刑が執行された。

永山の死刑執行については、執行同年6月28日に逮捕された酒鬼薔薇聖斗こと少年A(当時14歳11ヶ月)であったことが、少なからず影響したとの見方も根強い。少年法による少年犯罪の加害者保護に対する世論の反発、厳罰化を求める声が高まる中、未成年で犯罪を起こし死刑囚となった永山を処刑する事で、その反発を和らげようとしたのではないかといわれた。

永山は刑事裁判、少年Aは家裁送致の少年審判事件という違いはあった。同じ少年犯罪でも永山は死刑、方や刑罰はナシ。少年Aは医療少年院送致後、8年後に退院した。そうして2015年『絶歌』を出版、批判の渦中にいる。太田出版は、「批判やおしかりは承知の上元少年の心の中や犯行の経緯・元少年の現状を世の中に伝えるためにあえて出版に踏み切った」のコメントを出す。

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元少年Aは今後もコメントを出す自己責任感はおそらくない。自身への過去の批判などを多く目にし、少々の批判には動じない図太さは、間違いなく身につけていると思われる。透明な存在であった酒鬼薔薇聖斗が、一層図太くなったかを推し量る材料であったようだ。それを「更生」というなら、それも「更生」であろう。「サムの息子法」の適用は日本にはない。

この法律は理に敵っているし、犯罪者が手記で稼ぐのを戒める法律はあって困るものではないから、作った方がいい。日本は加害者の人権は守るが、被害者の人権保護が薄いから、今後『絶歌』を模倣するようなものが出てくれば、法律が制定されるかもしれない。しかし、法律がなくても許されないという判断が出来る大人が出版社にいなかったということだ。

他の出版社が、「当社に打診があったけど、丁重に断りました」というのは出てこない気がする。理由はいきなり太田出版であったからだ。というより、太田側からの打診の線を自分は崩せないでいる。若き時代に悶絶したものは多い。犯罪など起こさずとも、若さとはウェルテルのようなもの。やりきれない荒廃の中で、陰湿で腐りそうな自分を見出すのが若者だ。

自分の立場をわきまえず、愚かさも忘れて法外な要求をしたり、無理難題をするのも若さである。人間は哀しい存在であるという自覚が若いときにはなかった。自覚のない試みは長くは続かないし、内部に潜伏する矛盾は時を見て露出する。その矛盾が人間の本質であることをどう学んでいくかであろう。矛盾を一言でいえば、自分のためと他人のための葛藤である。

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自分のために生きることと、他人のために生きることは相容れないということ。この人間の本質を隠し、あるいはゴマカシ、他人にいい顔をすれば自己矛盾に苦しむし、自分のことばかり大事にすれば自己中と非難されよう。個人として、組織の一員、コミュニティの一員として、他人と自分の距離感をどのようにとるかを学んでいくのが人生でもある。

他人に取り返しのつかない迷惑をかけたら、謝罪すればいいのではない。謝罪を拒否する人もいよう。大事なことは相手から許されることである。起こしたことは許されないが、それを許してもらうための努力をしなければならない。年月が経てば相手も許そうという気持ちになってくる。償うとは、その日が来るのをじっと待ち続けることではないか。

東野圭吾の『手紙』の中で、被害者遺族が加害者家族を許す場面がある。そのキーワードは孤独であろう。謝罪のつもりで獄中から弟や被害者遺族に手紙を書き続けた犯罪加害者兄だが、その行為は実は相手のためではなく、自分の孤独から逃れるためだったと兄は気づく。それに気づいて、"もう手紙は書かない"と被害者遺族に送ったとき、被害者遺族は兄を許した。

イメージ 9謝罪とは空気で伝えるものである。その事を確信した場面である。言葉でなくとも心(誠意)は伝わるもの。真意を文字にしたところで、読む側は文字でしかない。「神戸児童連続殺傷事件」から18年。被害者遺族は徐々に少年Aを許そうという心境になっていた。そういう心を無視するかの如く少年Aは、「元少年A」として被害遺族の前に現れた。『絶歌』をひっさげて…。
もはやこれを絶版にしようが、新たな謝罪をしようが、澱んだ空気は元には戻らない。元に戻ったものは少年Aが、元少年Aとして現れたことで、被害遺族は18年前の憎しみに再び引き戻されてしまった。我々もまた、一出版社が罪を犯した人間の更生阻止に加担したのを見たことになる。"金になるなら何でもするよ~"という澱んだ社会に、法の整備は必要だろう。

自由意思とは何か

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「自分が何をしようが自分の勝手、自分の自由」という考えは、「他人が何をしようが他人の勝手、他人の自由」に置き換えられる。対象を変えただけで何も変わらないが、前者を肯定し、後者を否定する人はバカか無知かであろう。が、こういう人間を総称して、"ジコチュー"と呼ぶ。自分が自分であり、自分が他人でない以上、ジコチューは人間の本来的な姿。

囚われた人たちが自由を求め、自由を実現していった歴史を顧みれば、自由の素晴らしさを知ることができる。それらは学習だから実感ではないが、学習はまた実感の教科書にもなるし、自由の素晴らしさを知り、自由を求める人は、自由を求めて行動し、自由を得ることになる。未だ国家によって自由を規制している国を見れば、なんと不幸な人たちと思う。

自分も傲慢な支配者から自由を勝ち取った人間だが、従属者が支配者にする反抗のエネルギーは半端なく、が、それをしないことに自由は勝ち取れない。自由は供与されるものではなく、奪い、勝ち取るものだと、それも歴史が示している。それをしないで「自由がない」という人間は、自由は勝ち取るものだという歴史観もなければ、人間の本性すらも見失っている。

普通、人間は自由意志に基づいて行動したいと思うものだが、中には指示されたり強制されたりを好む者もいるのかも知れない。"知れない"というのは、自分が分らない部分であるからで、一見、指示されるのが好き、命令が好きという人間も、本当はそれを望むからではなく、そうしか出来ない、つまり他人に対して反発力がないから、そうしているかも知れない。

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その辺りの他人の心は分らないものだ。明るく活発な子どももいれば、自分を塞ぎ込んで心を開かない子どももいる。そういう子どもをネクラだ、自閉症だと、簡単に病人扱いするオトナがいる。したくて心を塞いでいるわけではなく、それも自己主張であるかも知れない。何も言わない、語らないことでオトナに挑戦的であるかもしれないのに、そういうところに気づかない。

普通と違えば即異常という考えは誤謬であるが、そのように当て嵌めるのが好きな人間は多い。子どもの心を読むのはオトナ以上に難しい。オトナはタテマエの世界に生きているし、タテマエはオトナの共通語であるからして分りやすい。ホンネに比べてタテマエは分りやすく、バレバレの情動である。しかし、オトナの社会はそれを共有することで成り立っている。

誰かがタテマエで何かを言った。「それってホンネか?」と問う場合があるが、誰かがホンネらしき何かを言ったとき、「それってタテマエか?」とは誰も言わない。「それはホンネか?」と周到に聞き返すことはあっても、それは疑いよりも確認の場合が大きい。あるいは、驚きをもって人は人のホンネに接する。タテマエは日常的だが、ホンネは確たる意思を伴う。

中にはホンネを疑う人もいる。ホンネは自分を利する言葉でない場合が多く、そこが建前と違うから区別がつきやすいが、ホンネを疑う人は自身がホンネを言う勇気がない人に多い。つまり、「どうしてこの人はこんなホンネを言うのだろう?」という疑問に混乱する。それがホンネを言わない人の思考である。真実よりも利害で発言する性向の人間に多い。

イメージ 4ホンネをいう人は人間関係を真実の中で構築しようとする。「腹を割る」という言葉にいわれるように、「腹を割る」とは、本心を打ち明ける。隠さずに心の中をさらけ出すこと。腹筋逞しく、「腹が割れてる」とは意味が違う。「腹を割って話そうではないか」という形で用いられるが、これは本当に互いの心が触れ合った者同士でなければ難しい。

「腹を割って話そう」は、タテマエ論は止めてホンネで議論しようと提案しているわけだが、しかし、議論というものは、「タテマエ」を表に立て、それについて批判やすりあわせを行うことで成立するのであって、「ホンネ」を出し合うというのは、例えば、「お前は気にくわない」とか、「お前はバカか?」というような、一般的には喧嘩を始めることになる。

それが喧嘩にならないのは、相手を許容するからで、「許容」とは「信頼」である。彼は自分を敵視していないし、自分を受け入れようとしているという思いが互いに存在するから成立する。何か一言気に食わないことを言われて憤慨するような人間関係にあるうちはタテマエで会話をした方が無難である。無難というのは、会話を良い時間にするという意味。

せっかく貴重な時間を割いて話したはいいが、嫌な思いをするなら話さなきゃよかった、という経験は誰にもあるだろう。自分は若い時分からホンネで人と交わりたい志向性が強く、誰にたいしてもそういう姿勢で失敗した事が多かった。人間の何たるかが分かっていなかったのだろう。分かっていなくてもタテマエ重視で対処する人は、問題なく対人関係をこなせている。

少し話してみて、奥歯に物がはさまったような奴とわかれば避け、すべてが自分中心であった。自分が人に合わせてまで他人との付き合いを望まなかったし、そうまでして友人を作らなくてもやりたいことは沢山あった。気の合わない人間を避けるのは、相手の利でもあろうと思っていた。自分が相手にとって望まれない人間であるのも気づかず接していたものだ。

「お前は自由主義者だな」、「枠に嵌まらない人間だ」、「言い難いこと、言いたいことズケズケいう人間だな」などが、当時の代名詞であった。それらはすべて自分にとっては自然な行為であり、生き方であった。「若さ」というのは不完全な人間であろう。しかし、同じ不完全な若者同士だから成り立つもので、これがひと世代も離れた人間には奇異に映る。

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あるいは未熟者となる。ところがこちらには「何が奇異?」、「何が未熟者?」とそれが分らない。エルビスのしぐさが変態に、ビートルズの髪が乞食頭に見えたオトナと若者は敵対関係にあることが自然であった。それを世代観断絶という。後発の多くのものはコピーであり、少々のものは驚かない自信はあったが、それでも若者の風俗などに違和感があった。

時代が生む音楽やファッション、芸術などの現象に違和感を抱きつつも、すべては自由志向から生まれるものであるという基軸に立てば許容すべきものであった。自身が自由であるなら他者の自由を認めるのが大前提である。「わたしがわたしの体を誰にどうしようと、お金にしようと勝手でしょう?」ローティーンの言葉に、どう返すべきかを考えたことがある。

「そうそう、あんたの自由。好きにしなさい」なら誰でも言える。「中学生がそんなことしていいわけないだろ?」これも誰でも言える。誰でも言える言葉が正しいわけではなく、誰でも言えるのは安易な言葉である。そう考えると、何を言うべきか、正しい答を必然的に考えるが、その前に彼女らのエンコーという行為が間違っていると断定する必要がある。

いくら考えてもエンコーが間違いという答は見つけられなかった。理由は、彼女らが間違いというよりも、買う側が間違いというこちらの意識が邪魔をしているからである。少女買春の間違は指摘できるが、少女を納得させる言葉は終ぞ見つからなかった。「人が人に価値観を伝達することなどできない。人は単に環境から学習するだけ」という知識もあるからだ。

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無理やり子どもを説得できるオトナはいるだろうが、説得が納得になっているかは疑問である。納得の根源はやはり自身の考えについての結論ではないかと。他人から説得はされてもシブシブなら、納得とは程遠い。それでもとりあえず禁止する、とりあえず説得する、しか方法がない。斯く言う自分も根拠を見つめぬままに、"とりあえず"説得という方法でやる。

そも、も、"自由なる意志を信じること自体誤りだ"と言ったのはニーチェである。まさか、ニーチェを紐解いて、「わたしの体はわたしの自由」などと叫ぶ少女にいうのは「豚に真珠」だ。ニーチェはなぜそういったのか?この問題を考える上で重要なのは、「意図」、「目的」、「動機」に対するニーチェの見解である。彼は我々の考えとはまるで異なっている。

我々のいう、「自由意志的な行為」というのは、ハッキリした意図や目的や動機に基づいてなされる行為と考えるが、ニーチェによれば、そういう形で我々に意識にのぼるイメージは、「すべての力の中でもっとも劣ったもの」であり、そういうものは行為を引き起こす本当に原因にはなり得ないものだという。少女のエンコーは「お金を得たい」という目的がある。

あるいは、お金は隠れ蓑で本当は狂った性欲を満たしたい少女もいる。思春期時期の女の"やりたい"は、メスの生殖本能ゆえ仕方がない。それはさて、ニーチェは『善悪の彼岸』のなかで、「意図を行為の由来と来歴とみなすという、こういう先入観のもとに、ほとんど最近に至るまで地上では賞賛や非難や裁きがまた哲学的思考さえもが道徳的に行われてきた。」という。

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つまり、道徳的な評価や裁判において、"ある人の行為はその人の意図に基づいていて行われている"と述べていることになる。別の言い方をすれば、意図⇒行為説という前提に基づいて道徳的評価、裁判は行われていると言ってもよい。責任という発想も、この前提から生まれてくるものだろう。そう断った上で、ニーチェは意図⇒行為説を斥ける。

ニーチェは意図=道徳という図式は先入観であり、先走りであるとして否定する。そうはいっても、我々が自分が行ったある行為に対して、意図や目的のようなものを後に頭の中に思い描くことはある。それらの事をニーチェはどう捉えているのか?「どんな行為もそれが遂行されている間に我々がそれについて持つ色あせた意識象とは無限に異なっている。

また、行為は行為がなされる前に頭に浮かんでいる意識像とも異なっている。結局、たどられる道の無数の部分は見えないのであり、目的などというものは現実の結果の一小部分に過ぎない。目的は記号であって、それ以上にものではない。信号なのだ。普通ならば複写が原型の後に来るが、ここでは一種の複写が原型に先行するのだ。」と、難解な文を要約すると。

①わたしたちが行為を行う前や行っている間に思い描く意識象(目的や動機)は実際の行為とは全く異なる。

②ある行為の動機や目的は無数に存在するが、行為を行った本人もその全てを把握することができず、それらの内の一部を断片的にしか説明できない。

③意図や目的は複写された過去以外の何物でもなく、我々が行った行為を自分自身に理解可能なものにするために後から作り出された解釈に過ぎない。

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つまり、我々は自身の過去の行為の目的や動機を説明することはできず、説明された動機や理由は後から作り出された物語に過ぎないといっている。元少年Aの手記『絶歌』も、彼の物語性によるナルシズム以外のなにものでなく、あんなものを買って読むなどバカげている。また、「舌禍」を「絶歌」と当て字にするなど、酒鬼薔薇的ふてぶてしさを感じる。

おそらく、自分の意図や目的を他者が正確に判断することも不可能であろう。人文科学では、他者の行為の意図や目的などを解釈するのは研究分野のひとつであるが、他者の心の状態に対する解釈は推測の域を出るものではない。自他を含めて心の記述には正しさを決定する客観的な尺度は存在せず、周囲の解釈を本人がそうではないと主張するなら、その真偽を我々は判断できない。

  イメージ 1さあゲームの始まりです
  愚鈍な警察諸君
  ボクを止めてみたまえ
  ボクは殺しが愉快でたまらない
  人の死が見たくて見たくてしょうがない
  汚い野菜共には死の制裁を
  積年の大怨に流血の裁きを

  SHOOL KILLER
  学校殺死の酒鬼薔薇

『絶歌』は酒鬼薔薇聖斗の上の挑戦状の変形であろう。自分にはそう思えるし、限定的に考えないで視野を広げて考えると、太田出版が書かせたというより、元少年Aの意志である可能性も見える。二人の児童を殺し、社会を騒がせるにはそれだけでは物足りない屈折した性格の所有者である元少年Aは、謝罪という隠れ蓑を用いて今度は児童の遺族を殺している。

社会に生息する必然性のない人間であろう。彼が18年間で得たものは、贖罪でも更生でもなく、脱法外で人を殺す技術、人騒がせのテクニックを習得したことである。今回の手記の一件は、あらためて人間の自由意志について考えさせられた。ニーチェが自由意志を否定するのがよくわかる。人間の無知が自由意志なる幻想を作り出す。だから、自由意志なるものは存在しない。

少年事件が頻発するが、そういう事件がおこるたびに警察もマスコミも必ずといっていいほど、犯行の「目的」や「動機」を問題にする。それが分れば、その犯行は我々に理解に及ぶし、受け入れ易くなる。我々はそれを知ることで、犯行を理解した気になり安堵する。もし、犯行の動機が不明瞭だと安心できない。動機が特定できないなら、「異常性格者の犯行」と言っておく。

常々、犯行の動機は司直やマスコミによって明らかにされるが(といっても、検事や判事が理解可能にするために作り出した解釈)といえるが、今回の手記は行為者自身による解釈で行われたもの。もし、元少年Aが何かを模倣したというなら、ドフトエフスキーの『罪と罰』であろう。小説の主人公がこの形態をとっており、『絶歌』にも引用が多いという。

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少年A追想

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イメージ 1『絶歌』を読む気はないし、読んではないが、ネットから断片的に伝わって来る。彼の言葉は、コレが15歳で2人の児童を惨殺した人間の18年後か?というより、32歳になってなお自己中人間なのかという呆れだ。おそらく彼には自分以外の人間の心を想像・配慮する能力が低いようだが、それは強いナルシズムに起因すると思われる。

元少年Aは32歳にしてなお中二病である。中二病とは、中学二年生(14歳前後)で発症することが多い、思想・行動・価値観が過剰に発現した思春期特有の病態。多くは年齢を重ねることで自然治癒するが、稀に慢性化・重篤化し、社会生活を営む上で障害となる。特異的な身体症状や臨床所見は見出されていないが、古くからこの病気の症例は数々報告されていた。

「病」という表現だが、治療を必要とする医学的な疾病および精神疾患とは無関係である。症状というか現象というのか、背伸びしがちな言動や、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラングである。世代が違うので、対象を実感したことはないし、不用意に断定するのは気がひけるが、元少年Aに当て嵌めてみた。

人を殺したことはないが、もし10代の少年に「どうして人を殺してはいけないのですか?」と問われたらどう答えるか?その前に、10代で人殺し経験のある元少年Aは、同じ質問を以下のように答えるという。「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから。

(中略)どんな理由であろうと、ひとたび他人の命を奪えば、その記憶は自分の心と身体のいちばん奥深くに焼印のように刻み込まれ、決して消えることはない。表面的にいくら普通の生活を送っても、一生引き摺り続ける。何よりつらいのは、他人の優しさ、温かさに触れても、それを他の人たちと同じように、あるがままに「喜び」や「幸せ」として感受できないことだ。

他人の真心が、時に鋭い刃となって全身を切り苛む。そうなって初めて気が付く。自分がかつて、己の全存在を賭して唾棄したこの世界は、残酷なくらいに、美しかったのだと。」これが人を殺した人間から派生した、"人を殺してはいけない理由"なのか?"他人の真心が時に鋭い刃となって全身を切り苛む"などは、人を殺すとそのようになるのか?

イメージ 2人を殺した経験がないと、「どうして人を殺してはいけないのか?」の理由がわからないはずはないが、殺した人間の方が説得力があるとでも?バカな…、確かに元少年Aは、経験者の発言だ。だから説得力があるとでも?別の若者は、「この表現は(編集はいっているかも知れないが)リアル」と言うが、その言い方も変。編集した人間に殺人経験はない。
殺人経験者より編集者の表現がリアルというなら、リアルさは経験よりも表現力というテクニックの問題となる。表現自体自分的には説得力もない、リアルとも思えない。「人を殺したらあなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」という言葉より、映画『四谷怪談』でお岩の亡霊に苦しむ民谷伊右衛門に説得力がある。

この映画を観た子どもの頃から、人を殺すと幽霊に追われて苦しむと知っていた。映画『四谷怪談』の怖さは、お岩の顔よりも錯乱状態でもだえ、苦しみ、のた打ち回る民谷伊右衛門である。ちんけな元少年Aの言葉などは、自分らには屁のツッパリにもならん。殺人経験者としての彼の言葉を、「ダメなものはダメ」というオトナより説得力を持つと評価する若者もいる。

だから、彼は伊右衛門のようになって当然なのだと…。「かつて、己の全存在を賭して唾棄したこの世界は、残酷なくらいに、美しかったのだと。」こんなのは真実を書くと言うより表現に酔っている。女性は肌着としてのブラジャーは見せたくないが、見せブラは見せるために着ける。それと一緒で、自らのために書く文章と、見せるための文章では大きく修飾される。

「残酷なくらいに美しい」という表現は、しばしば見聞きする美しさの最大表現である。それほどに、「彼が全存在を賭して唾棄した世界」は美しかったのか。手記で大事なのは表現力や美文ではなく真実の吐露であろう。文筆家なら気負わぬ表現それ自体美しいが、リアルさを醸すためにあえて美文にメスをいれる。世間は酒鬼薔薇の文章力を賛辞した。

それを知る彼は、再び原稿用紙を前に腕を捲る。文章表現は難しい、美文も作為が見えると生きた文にならない。「適切に表現する能力」が大事であろう。彼が文章(手記)を書いたそのことを非難はしない。人間には苦痛を避けたい、苦痛に耐えよう、という気持ちは誰にもある。矛盾するようだが、それらが生きていく中で一種のカタルシスの役割も果たす。


何かを書こうとするときの凄まじいまでの集中力…、その果てに味わう「浄化」作用は何かを書く者なら知っている。書くことにより、一つの枠づけがなされ、整理され、あるいは創造される。そこに自らの力をはたき尽くした快感がある。物を書く身として元少年Aの気持ちに共感する部分はあり、そこは否定はしないが、書くことで人を傷つけるのはダメだ。

自分も体験ブログを書くし、彼も体験を書きたかったのだろう。が、彼の体験記は、子をどう育てた、女を口説いた、親と言い争った、誰かと喧嘩をしたなどではなく、特異な体験であれ、人を殺したは補足程度でよかった。何を今さらである。彼が世間に向けてに書くべきは、生まれて14歳までの生育状況及び家庭環境で、『少年A追想』という表題でも売れたろう。

1997年2月10日午後4時ごろ、神戸市須磨区の路上で小学生の女児2人がゴム製ハンマーで殴られ、1人が重傷を負った。彼の起こした第1の事件対応が後の事件の引き金になったとも言われた。犯人がブレザー着用、学生鞄所持と聞いた被害女児の父親は、近隣の中学校に対し、「犯人がわかるかもしれないので生徒の写真をみせてほしい」と要望する。

しかし、学校側は警察を通して欲しいと拒否し、父親は兵庫県警察に被害届を出して生徒写真の閲覧を再度要求したが、敵わなかった。そうして3月16日の山下彩花ちゃん事件、同日小学生3年生女児への刺傷事件と続き、5月24日の土師淳くん事件へと連なる。元少年Aはそこに至る幼少年期および、小学~中学時代の追想をメインに記述すべきだった。

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世間の関心は元少年Aの事件の詳細でも、少年院退院後の生活でもなかったはず。自分は彼の生育に強い関心を持っていた。彩花ちゃん、淳くんの事件は避けては通れずも、克明に記す必要はなかった。なぜなら、重要なのは結果を辿る原因であり、結果を書いても原因は分らない。家庭のこと、友人・教師・周囲のことでページは埋められたのでは?

彼の犯罪は、女児4人だけでも人間性の欠片もない異常性が見える。特に彩花ちゃんを鈍器で強打した経緯は理解のしようがない。「手を洗える場所はないか」と尋ね、学校に案内させた後、「お礼を言いたいのでこっちを向いて」といい、振り返った彩花ちゃんを八角げんのうで殴りつけ逃走した。彩花ちゃんの愛くるしい笑顔を見るに、「なぜ?」である。

言い方は変かもしれぬが、少女に抱きつく、キスをしたり、服を脱がせる方が、変態とはいえ、本能の主旨からいってまともである。「お礼をいいたいのでこっちを向いて…」、それで少女を鈍器で強打する必然的理由は、少年A以外の誰に見当たるというのか。そのような彼をして、狂気性、異常性を彼自身が紐解く努力こそ公益である。最終審判要旨は以下記す。

「少年は、表面上、現在でも自己の非行を正当化していて、反省の言葉を述べない。しかし、恐ろしい夢を見たり、被害者の魂が少年の中に入り込んで来たと述べるなど、心の深層においては良心の芽生えが始まっているようにも思われる。少年は自己の生を無意味と思っており、また良心が目覚めてくれば自己の犯した非行の重大さ・残虐性に直面し、いつでも自殺のおそれがある。

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また、少年は、精神分裂病、重症の抑うつ等の重篤な精神障害に陥る可能性もある。少年を、当分の間、落ち着いた、静かな、一人になれる環境に置き、最初は一対一の人間関係の中で愛情をふんだんに与える必要があり、その後徐々に複数の他者との人間関係を持たせるようにして、人との交流の中で、認知や歪みや価値観の偏りを是正し、同世代の者との共通感覚を持たせるのがよい。」

として、医療少年送りの決定を下した。少年Aがなぜ淳くんを殺したのか、検事調書を読む限りで動機は不明である。淳くんは少年Aの家に出入りする顔見知りで、少年Aの末弟の遊び相手だった。少年Aは淳くんとは親しくしていないが、そんな淳くんを殺そうと思ったのは、5月24日昼過ぎ、道路を歩いていた淳くんを偶然見つけたときだと供述している。

少年Aは、殺害理由を「咄嗟」とした。淳くんに声をかけ、殺害場所のタンク山に連れて行く。咄嗟に殺そうと思った時点で、先に殺害場所をいろいろ思い巡らし、タンク山に決めてそこに殺害の目的で連れて行ったと供述した。殺害方法は絞殺で、理由は首を手で絞めて殺してみたかったとした。素手だと自分の指紋がつくので手袋をしたという。

殺す意図も目的も動機も供述にない。あるのは「咄嗟」という言葉。これは『罪と罰』のラスコーリニコフが高利貸しの老婆を殺した理由と同等の謎である。『罪と罰』関連では江川卓の『謎解き「罪と罰」』が秀逸で、この本は他の数冊とともに消えてしまった。本はなぜ行方不明になるのだろうか?まさか足が出て逃げていくわけではあるまい。

イメージ 5江川卓は元読売ジャイアンツの江川ではない。同姓同名だが、列記としたロシア文学者である。老婆殺しの理由が判然とせぬままに、江川の同著は難解であったが、虎の巻となる。高利貸しゆえに金はある。ラスコーリニコフは学費滞納で大学から除籍され、粗末なアパートに下宿している。有為な人物になるためには老婆を殺して学費を調達すべく…」
と、彼を犯行に駆り立てたのはそんな理由ではない。ニーチェの理論によれば、「有為な人物になるため」という理由は、ラスコーリニコフが自分の行為を自らに理解できるもの、自らを納得させるために後から付け足した創作に過ぎない。あり得る動機だが、あんな虫けら同然の老婆を殺してもいいのだ、という気持ちを抱かせた原因は他にある。

それは老婆への潜在的憎悪心。そういう憎悪が老婆を虫けら女とみなす情動になった。犯罪に限らず我々の行為は、一般的に無意識の情動に原因を持つものが多い。少年Aが身障者の淳くんを虫けら程度の無価値人間と思ったかどうかは想像の領域だが、自身を無価値とする少年Aが、自分以下の人間を無価値と切り刻むことで、自尊心を満たすのは想定できる。

類似事件かどうかはさて、、自分にはそのように思える「長崎女子高1生殺害事件」。こちらの加害者は、突然大声を出したり、泣き出す事があったという。感情の起伏が激しく、変人としてクラスで浮いていた。頭がとてもよく、勉強好きだった。医学書を読んだり、ネコを解剖するなどしていた。など、二人に共通点がある。特に「死」に対する好奇心は特筆だ。

いじめ加害者の自尊心、非行少年の自尊心は相対的に低い。いじめを行うことで得る達成感や快楽感・ストレス発散に加え、ヒーロー意識まで抱いてしまう。彼らは自尊心の低さに慣れ、自分より弱いものや無抵抗者の選別が日常的。だからか、「何でいじめをするのか?」と正せど、彼らはその生活の実態に慣れているので理解に及ばない。

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注意したり、指摘したりする人に対し、「何を(見当違いのこと)言ってるんだ?」程度の認識しかない。彼らにあるのは理論武装した自己正当化ではなく、すべてが生活の一部として内面化している。当たり前の意識というのはどうにもならない。人間は自分と違ったものには、「なぜ?」と思うが、自分の当たり前の日々の生活に、「なぜ?」はないのである。

体を売る女子中高生や不倫行為者に、「なぜそんなことをするのだろう?」としない人は言うが、行為者に「なぜ?」はない。ある種の疑問を抱いていたとしても、抑止には至らない程度の疑問だから、他人が納得させる言葉は見つからない。

少年A狂想曲

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狂想曲は、特定の出来事に対して人々が大騒ぎする様子を描写する際に用いられる言葉。書籍の題名として用いられたりもするが、多くの場合、本質を見失った議論になっていたことを皮肉って使われることが多い。とすれば、自分の「少年A狂想曲」というのは、本質を見失った議論がされているということか?いや、そうではない。そもそも「本質」が何かを自分は指摘できない。

「被害者遺族の心情無視で出版された」、「アメリカの法律『サムの息子( Son of Sam )に類似するアンモラルな出版である」、「(日本には法律はないが)印税は没収しろ」、「著者である元少年Aの意図、目的、動機は?」、「本人の意思より、商業ベース優先で執筆を依頼したのか?」など…、これらはいずれも議論の対象でいいし、本質を限定する前に国民的関心が優先だ。

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「狂想曲」という現象は世俗的であり、なまじ揶揄されるばかりと思わない。これによって多くの発言があれば真実に触れることもできる。自分は当初は、太田出版が元少年Aに手記を依頼したのではと感じていたが、元少年Aは、他の出版社に手記の出版を打診していたことが判明した。これは幻冬舎の見城徹社長(64)が、「週刊文春」誌の取材に答えてわかったこと。

見城氏によれば、2012年冬に、<元少年A(酒鬼薔薇聖斗)>名で封書が届き、翌年に対面したという。元少年Aは、「手記を書きたい」と訴え、執筆が始まったのだという。しかし、今年に入って見城氏は出版しないことを決断し、書いたものを無碍に出来ないと思ったのか、3月に太田出版を紹介した。見城氏は、「切なさと同時に安堵の気持ちがありました」と振り返った。

最初、太田出版と聞いたときに、「この出版社なら手記依頼をするだろう」との予断であったが、他の理由として元少年Aは贖罪し、更生したであろうとの思いもあった。もちろんこれらは手記を読まないで判断したことだが、手記の内容がネットから入ってくるにつれ、「ひょっとしたら元少年A側から主体的に…」という風に、自分の思いが変わっていった。

元少年Aが、いきなり太田出版をという事ならともかくも、他の出版社に打診もあり、それが判明すれば元少年Aの意思で書かれたことになる。見城氏の出版見合わせはいかなる仔細であるか、「切なさと同時に安堵の気持ちもあった」という言葉に表れている。言葉は二律背反的であり、「安堵の気持ち」というのが読みにくい。見城社長は何を安堵し、出版を取り止めたのか?

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実際に元少年Aと会い、さまざま会話をしたであろうその事で至った見城氏の心中を推し量るのは難しいが、社会の厳しさや生活苦に対する同情もあり、もし本が世に出れば彼にとってはそういった生活も癒えると思ったのだろう。出版のプロが元少年Aの手記に部数が見込めると判断したのは間違いない。が、それでも出版を取り止めたのは、「切なさ」という言葉に表れている。

「切なさ…」は、安堵より分りやすい。生活苦とはいえ、己の犯罪を題材に金儲けを企てる元少年Aに対する批判であろう。が、批判は心情との絡みで情緒的にならざるを得ない。「切ない」とは、やりきれない。やるせない思い。悲しさ恋しさで胸がしめつけられる感情である。「遺族の心情を踏み台にしてまで食べていかねばならないのか」、見城氏の気持ちを推し量る。

見城氏は企業人である前に人である。企業といえども法人なら、人格を失って存続は難しい。いや、人間性を失った企業などあってはならない。存続すべきではない。との論理に立てば太田出版の岡社長は、"血も涙もない、人間性もない極悪人か"そう考えるのは間違いではないが、正しくはない。自分も正否の正確な判断はできない。どちらに組するかであろう。

なぜなら、この手記は現実に多くの人が買って読んでいる訳だ。『絶歌』が出版される意義とする見解を太田出版が公式に表明したが、これは手前味噌な意見で読むに値しない。が、この手の問題はどこにあるというのだろうか?執筆者、出版社、販売書店、購入者と分散されるが、これらのどこに問題の核心があるのかを正確に指摘するのは難しい。自分には分らない。

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先に少女売春について言ったが、「売るものがいなければ買えないではないか」、「売るといっても買わなければ成立しないではないか」と、二つの考えがある。これについて自分は、「買うものが悪い」という立場を取る。「性は愛情から…」などと頭の硬い、あるいは純潔教育的なことではなく、時給800円で働くことと、時給30000円の効率性を比較した結論だ。

店長にガミガミ言われ、客に笑顔をふりまき、店の一員として信頼を失わぬよう心して仕事をする、感情を抑え辛抱も必要である。そういった時給800円のバイトに人間的に多く得るものがあるし、早い時期から楽してお金を得ようでは、普通のことがバカバカしくなるはずだ。自分たちの後進たる青少年に、こういう害悪ともいうべく教育に加担する買春者は断罪されるべき。

論理的に説明すればこういう事だ。端的にいえば、「少女によくないことをオヤジはするな」である。自分の娘に周囲がそういう教育(?)をされたいか?と問えばわかるはず。世の中には分っていてもする人間、分らないからとりあえずやっている人間がいる。反面、悪いと分っていることは絶対にしない人間もいる。「悪いこと」といっても、事の大小はあるが…。

『絶歌』の件に照らしていえば、元少年Aと出版社、こちらは悪い(問題アリ)と思いながら執筆、出版した。出版社も当初はそのように言いながら、時間を経て「意義」などと後出しじゃんけんをするが、これらは弁護士を始めとする親派らと頭を捻って考え出したことで、そうでなければ、「悪いと思うがやった」では済まされない。元少年Aは背に腹は変えられない情況。

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書店はどうか?事件のあった神戸市が発祥のジュンク堂書店は、店頭販売したが三宮店では入荷した約200冊全てが完売した。担当者は、「店で自主規制はしない。出版の是非はお客様に判断していただくのがポリシー」と説明する一方、「決して売りたい本ではない」と明かす。「なぜ売るのか」との抗議の電話も連日あるというし、書店はホンネとタテマエの板ばさみである。

売れるものは売って儲けたいがホンネであり、世論の冷ややかな反応や抗議電話に対してタテマエ論で対処するしかない。これが通用するのが日本の社会であろう。残るは購入者だが、悪いと思ってもそれをやる(買う)のが人間であるといった。ならば、購入者の中にはそういう人もいよう。売ってるものを買って何が悪いと、何ら罪悪感を抱かない購入者もいる。

少女を買う論理と何ら変わらない。悪いと思いながら買う人、悪びれず買う人、「本」でも「春」でも、どちらかに上下はあるのか?「ない!」という考えで自分は生きている。行為をすれば理屈などどうとでもいえるし、問題は行為であるから、「悪いと思いながらやってる」なんて言い方が好きになれない。そういう理屈は心の弱い、あるいは善人気質に手前勝手な自己救済論。

「よくないと思うんだけどね~、親バカなんだよね」というのと同じこと。世の中にはこれに類することは沢山ある。自分とて悪いこと、よくないことはやる。だからやる以上は「よくないことをやる」という意識に立ってやれというのが持論である。「お前はよくないと分っていてもやるのか?」などという奴がいる。斯くの奴は、「よくない事ならやらない」と返す。

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「お前は仙人か?神か?」と言って怒らせたことがあるが、どこの世界に悪いことをしない人間がいよう。もし、「悪いことをしない」と公言する人間は、陰でやるに決まっている。あるいは、自分の行為を、「悪くない」と正当化するか、本当に悪くないと思い込むか、そうでなければ善人では入れないはずだ。「言葉は考えを隠すために与えられた」という言葉が示している。

だから自称善人は始末が悪い。人に悪人などと言われたくないものだから、必死で自分を隠し、偽る。「本当はよくないんだけどね~、親バカなんで」などと長ったらしいことは言わんでよし。「親バカだから」でいい。ハッキリ生きた方がハッキリした人間になるし、ハッキリと世の中を見つめることにも寄与するだろう。ハッキリはいいにしろ、ハッキリ偽善はよくないが。

その前に「悪」の基準はないから、そんなに怖れることもなかろう。実際問題、太田出版が悪いといっても、「太田出版ありがとう」という人もいるし、そういう人は本を買っている。善悪の相対性に鑑みていえば、誰にも罪はなく、誰も罪人になっている。罪人になっているの意味は、本書いた人、刷った人、並べた書店、買った人を責めているという、これも善意な人には罪人となる。

著者も出版社も書店も、「どこまで悪い」と思っているかは分らないが、この中のどれが一番悪いと思ってるか、大差ないと思っている。元少年Aはくどい謝罪を述べてるらしいが、そんなのタテマエ、太田出版もタテマエ、販売してる書店もタテマエと思えば同じこと。ホンネとは幻冬舎の見城徹社長、扱わない書店、買わない人を言う。とりあえず、そのように見ていい。

イメージ 6本当は出版したかった幻冬舎、売りたかった書店、買いたかった人…、それがホンネかもしれない。人の気持ちは分らない前提なら行為で判断するのを「正」とすべきで、それでいい。人間だからいろんな感情はあろうし、あっていいが、「しない」というのは具体的な行為で、その論理からいえば「本当は書きたくなかった」、「本当は出版したくなかった」も同等にある。
が、書いた、刷った、売った、買ったは具体的な行為である。この件に対して乙武洋匡氏はツイッターで、「あれだけの批判が渦巻いても、フタを開けてみれば1位。批判を向けられるべきは、著者と出版社"だけ"でいいのか」とハッキリ問題提起をした。これは『絶歌』が、出版流通大手のトーハンが16日に発表した週間ベストセラーでは総合1位となったことを言ったもの。

乙武氏の「批判を向けられるべきは」は、暗に書店・消費者に向けられるものだろう。ところで自分が買わない最大の理由は、「読みたいくないから」、といったが、それは今でも変わらない。なぜ読みたくないかは、事件の全貌は検事調書を読んでいるし、社会に馴染めない、生きていくのが苦しいなどの羅列と知ったからだ。最初は太田出版の商売根性が頭に来たのが最大理由。

その事だけで「絶対に買うか」と思ったが、元少年Aの泣き言を聞くに、こんなことを本にしたためるようでは彼は更生していないと感じた。己が殺したお岩の霊に追い詰められ、発狂した民谷伊右衛門をあげたが、これは人を殺したことで受ける必然的仕打ちで、元少年Aがそうなったとして当然である。人を殺すとどうなるか知りたければ『四谷怪談』観るがよかろう。

太田出版は出版社としての社会的使命を有しているだけに、「批判を承知で出版した」では批判の矢面に立つだけ。よって、公式見解を出すなどの苦慮は明らかだが、「ご遺族にも出版の意義をご理解いただけるよう努力していくつもりです」と、こういう無神経な発言には苛立ちを覚える。「出来ないと分かってて言うな」と言いたい。遺族に対して見切り発車をした側のいうセリフか?

承諾を得ないで出版という、"だまし討ち"に対する遺族の怒りを、どうして消せると思っているのか?社交辞令もほどほどに物を言え。太田出版は被害遺族の頭を土足で踏みつけておいて、今さら、「私たちは、出版を継続し、本書の内容が多くの方に読まれることにより、少年犯罪発生の背景を理解することに役立つと確信しております」は、あまりに虫の良い杜撰な発言である。

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この事件はそこらに起こる少年事件とは同列に扱えないものであるのは、検事調書を一読すればわかる。元少年Aは自分の行為をあまりに淡々と語っているし、無機質というのか虚無を通り越して、こういう人間が本当に人間の心を取り戻す(幼い頃はそうであったと思うから)ことが可能なのかと、訝しく思われる。美しくも可憐な花を無造作にへし折るという情緒の無さどころではない。

淳くんを死に至らしめるのに相当の苦労をしているが、首を絞めても人はなかなか死なないものであるのが彼の供述から伝わる。ところが彼は、それほどに苦労した淳くんの殺人には満足感を持ったといい、ハンマーで殴った彩花ちゃんは瞬間的で呆気なかったので、彼女の死に満足はしていないという。そうした淳くんの殺害状況から、彼の満足は「いたぶり死」に思えた。

相手に苦痛や拷問を与えて興奮する人間のような性情である。淳くんも彩花ちゃんも抵抗しない子どもという用意周到な確信を得て、殺害対象と決めている。実際の供述は以下。「この女の子(彩花ちゃん)を見た時、僕が攻撃を実行する実験材料に適当な人間だと思いました。瞬間的に、この女の子ならば僕に反撃したり、逃げ出したりはしないだろうと分析したのです。」

淳くんの死体が彼に文句を言ってるという供述がある。「"よくも殺しやがって、苦しかったじゃないか"と文句をたれるので、"君があの時間にあそこにいたから悪いんじゃないか"と言い返しました。すると淳くんはさらに文句を言ってきました。(略)僕は遠くを見るような眠たそうな淳くんの目が気に入らなかったので持っていたナイフで淳くんの両目を突き刺しました。

イメージ 8目を突き刺した後、両方の瞼を切り裂き、更に淳くんの口の中にナイフを入れて口の方から両耳に向けて切り裂きました。このようにして淳くんの口などを切り裂いた後、更に淳くんの顔を鑑賞し続けましたが、その後は、淳くんは文句を言わなくなりました。(略)淳くんの首を鑑賞し、淳くんの口を切り裂いた後でしたが、僕は、淳くんの舌を切り取ろうと思いました。

なぜ舌を切り取ろうと思ったかというと、それは、"殺人をしているときの興奮を後で思い出すための記念品"として持って帰ろうと思ったからです。(略)以前、猫を殺した時に、やはり"殺した時の興奮を後で思い出すための記念品"として、猫の舌を切り取ったことがあり、確か、三枚の猫の舌を塩水に漬けて、瓶に入れ、僕の部屋においていました。」

無抵抗の者を選ぶ、小動物を虐待する、典型的な弱いものいじめ行為者である。とすれば、今回の遺族に対する仕打ちと言うのは、淳くんや彩花ちゃんの親を、彼自身が弱きものとして舐めているのだろう。もし、手記やマスコミで知り得る淳くんの父、彩花ちゃんの母親が、おっかなくて怖~いおじさん、おばさんであったなら、彼は大人しかったのでは?そんな想像を抱く。

少年A狂詩曲

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狂想曲を世俗用語で、「特定の出来事に対して人々が大騒ぎする様子を描写する際に用いられる言葉」と書いたが、音楽のジャンルでいう狂想曲はカプリッチョ(伊: capriccio)の訳で、現在は奇想曲という名を使う。以前は狂想という用語を使っていたが、すべて奇想曲に統一された。では日本語にいう「狂想」と「奇想」では、どう意味が違うのだろうか?

「狂想」⇒常識はずれでまとまりのない考え。また、 気まぐれな考え。「奇想」⇒奇抜な着想の略とすれば分りやすく、一般的には思いつかない変わった考え。という意味で、「奇想天外」などの言葉がある。が、音楽的に狂想も奇想もカプリッチョの訳ならカプリッチョとはどういう音学形式であろうか。カプリッチョというタイトルの楽曲を挙げてみる。

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有名なパガニーニ「24の奇想曲(24 Capricci)」作品1は、無伴奏によるバイオリン独奏作品で、重音奏法や左手ピチカートなど強烈な技巧が随所に盛り込まれ、視覚的にも演奏効果が高い作品となっている。演奏家にとっては難曲に挙げられており、リストは同曲の難度の高い演奏技巧の持つ音楽性に触発され、第1・5・6・9・17・24番をピアノ用に編曲している。

他にも管弦楽作品として、チャイコフスキー「イタリア奇想曲」、リムスキー=コルサコフ「スペイン奇想曲」、ピアノ曲ではブラームス「8つの小品 op.76」の第1・2・5・8番の4曲がカプリッチョであり、人気の高い小品でもあるゆえしばしば奏される。ブラームスは1863年、「パガニーニ変奏曲 op.35」を書いた後、この作品まで15年間もピアノ独奏曲を手がけなかった。

4曲のカプリッチョの中では2・8番がいい。スタッカートを特徴とした軽快な曲で、ジプシー的な雰囲気を持つ2番、作品の最後に相応しい、明るく技巧的で華麗な8番といったところか。表題から狂想曲・狂詩曲の解説となってしまったが、ついでに狂詩曲はラプソディー(英: rhapsody)の和訳で、自由奔放な形式を持ち、民族的または叙事的な内容を表現した楽曲をいう。

ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」、ラフマニノフの「パガニーニ・ラプソディ」、リストの「ハンガリー狂詩曲」などが有名。さて、本日の表題を「少年A狂詩曲」としたのは、昨日の「少年A狂想曲」との対比もあるが、無意識のこじつけだろうけれども…、自分の脳裏を横切ったのは、クイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』である。ラプソディは上記したが、ボヘミアンとは?


自由奔放な生活をする人間のことを言うが、"世間に背を向けた者"という文言も相応しい。元少年Aが、自由奔放かどうかは分らないが、定住はしていても定職はおぼつかないのかも。彼はいうまでもない、酒鬼薔薇聖斗の異名も、本名の東慎一郎も隠しているだろうし、中卒であることは隠せないにしろ、出身の神戸市立友が丘中学校であることは伏せるかも。

元少年Aの母校である友が丘中学校は、殺害した淳くんの首が校門で発見された学校。なんでわざわざ自分の通う学校の正門に首を置いたかについて、彼は2つの理由を挙げ、以下の供述している。「淳くんの頭部を放置する場所をどこにしようかと考えました。その結果、僕が通っている友が丘中学校が、警察にとっては一番盲点になるのではないかと思いました。

何故なら、まさか友が丘中学校の生徒が、自分が通っている学校に首を置くはずがないと思うだろうし、そうなれば、捜査の対象が僕から逸れると考えたからでした。更に、もう一つの理由としては、僕自身、小さい頃から親に、人に自分の罪をなすりつけては駄目だと言われて育ちました。それで淳くんを殺した僕自身に対して罪悪感があったので、何とか責任逃れをしたい気持ちもありました。

しかし、人に罪をなすりつける訳にはいかないので、学校が淳くんを殺しものであり、僕が殺した訳ではないと思いたかったのです。単に学校に責任をなすりつけるための理由で、実際に学校に対する怨みや学校の教育によって、こんな僕ができたと思っていた訳ではありません。」と、親のきつく言われて育ったことが、トラウマのように守ろうとされている。

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残念なのは、「自分の罪を他人に転嫁してはいけない」という教育は立派だが、元少年Aは人に転嫁ではなく、学校という物に転嫁するのである。まさか、「物にも転嫁するな」というところまで、躾の発想が浮かばない。盲点というより、彼が頭がいい(ズルい解釈ができる)のだろう。在校生が母校に首を置くか?という逆の発想も冷静というか、人をたぶらかす素質が見える。


「ボヘミアン・ラプソディ」(Bohemian Rhapsody

 Is this the real life?
 これは現実なのか
 Is this just fantasy?
 それともただの幻か
 Caught in a landslide
 まるで地滑りに遭ったようだ
 No escape from reality
 現実から逃れることは出来ない
 Open your eyes
 目を開いて
 Look up to the skies and see
 空を仰ぎ見るがいい
 I'm just a poor boy, I need no sympathy
 僕は哀れな男 だが同情は要らない
 Because I'm easy come, easy go
 いつでも気ままに流離(さすら)ってきたから
 A little high, little low
 いいこともあれば 悪いこともある
 Anyway the wind blows, doesn't really matter to me, to me
 どっちにしたって 風は吹くのさ僕にはたいしたことじゃない

 Mama, just killed a man
 Put a gun against his head
 Pulled my trigger, now he's dead
 Mama, life had just begun
 But now I've gone and thrown it all away
 Mama, ooo
 Didn't mean to make you cry
 If I'm not back again this time tomorrow
 Carry on, carry on, as if nothing really matters

 (訳) ママ たった今、人を殺してきた、あいつの頭に銃口を突きつけて
 引き金を引いたらやつは死んだよ、ママ人生は始まったばかりなのに
 僕はもう駄目にしてしまった、ママ、ああ…ママ
 ママを泣かせるつもりじゃなかったけど、明日の今頃になって僕が戻らなくても
 今のままで生きていって、まるで何事も無かったかのように


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この歌詞にあるように、人を殺して来て、「ママ、たった今ぼくは人を殺してきた」と打ち明けるであろうか?だとしたら、相当の信頼関係で結ばれた母子である。続く歌詞にも、"この若さで人生を終えてしまった。もし、自分が囚われの身になって家に戻らなくても、心配しないで欲しい”と、有り余る母への愛情が見れる。ここまでの信頼関係のある母子は羨ましいばかり。

実際の彼と母の会話は以下の様であった。検事調書の供述による。「家に帰ると、お母さんが、僕に、『淳くんがおらんようになったみたいよ。』と言いました。僕は、淳くんを殺して来た等と言えないので、お母さんには、『ふう~ん』と返事をしました」。彩花ちゃんが病院で亡くなった時の供述はこうだ。「今日の朝、目が覚めて階段を降りて下に行くと母が言いました。

『かわいそうに、通り魔に襲われた子がなくなったそうよ』。新聞を読んでみるに、死因は頭部の強打による頭蓋骨の陥没だったそうです。頭をハンマーで殴った方は死に、お腹を刺した方は順調に回復していったそうです。人間というのは壊れやすいのか壊れにくいのか分らなくなってきました。容疑も傷害から殺人と殺人未遂に変わりましたが、依然として捕まる気配はありません。」

検事:「鉄のハンマーの威力はどうだったのか?」

少年A:「この時は分かりませんねえ。後で新聞を見れば結果が分ると思いました。」

検事:「君は、君が殺した女の子に対して、どんな感情を持っているのか?」

少年A:「どんな感情も持っていません。」

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(殴って死んだ子の)鉄のハンマーは、ナイフと同じように、確か、僕が小学6年生の頃に、Lで万引きしていたものでした。僕は、当時、4、5人の友達と一緒に、よくLに行って万引きをしていたかもしれませんが、僕は、僕の欲しいもの、すなわち僕が魅力を感じていた、かなづち、ナイフ、斧、鉈(なた)、鎌などを万引きしたのです。

検事:「君が興味を持っているものは、何れも人を殺したり凶器となり得るものだが、それらは君が知りたいと欲望していた"人間の死"と関係しているのかね。」

少年A:「関係ありませんね。好きだから好きなんです。」

検事も仕事とはいえ、人(オトナ)を食ったような語り口に対しても、機嫌を損ねぬように言葉に気をつけたり、なだめたり。喋らせる(吐かせる)のが仕事とはいえ、自分の未来の何一つを見つめず、たぐり寄せようという気もなければ、向上心も自制心もない若者…、少年Aはそのように映る。サルトルの『嘔吐』はなぜに『嘔吐』というタイトルであるか。以下引用する。

「私はもう現在と未来とを区別できない。しかしながら現在が継続し未来がだんだん実現されて行く。老婆は人影のない街を進んで行く。履いている大きな男の靴を動かして行く。これこそ時間だ。まったく裸の時間である。それは徐々に存在を獲得する。未来は待たれている。そしてそれがやって来たとき、人びとは嘔気をもよおす。それがそこに、すでにずっと前からあったことに気づくからである。」

『絶歌』についていろいろな人間がいろいろな受け止め方をし、いろいろな風に言っていた。それを狂想曲とするなら、そろそろ集約した意見のまとめの時期か。短い詩にまとまれば狂詩曲。いちばん印象に残ったのは幻冬舎の見城社長である。見城氏の、「切なさと同時に安堵の気持ちがありました」は、元少年Aに実際に会っていろいろ話したことで得た感想だ。

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最初、見城氏は手記の出版を引き受けた。それを踏まえて元少年Aは書き始めた。目的がないと書けないだろうし、その意味で出版という目的が彼に手記を書かせた。見城社長の心変わりには、企業人として、人間としての葛藤であろう。部数が見込める酒鬼薔薇の手記は業界人なら垂涎である。それをあえて反故にした心底を「立派」と讃えるのは失礼というもの。

彼は立派なことをしたのではなく人間観に過ぎない。元少年Aに対し、「そんなものは書くべきではない」と言わなかったのも、境遇を理解したからであろうし、だから、「君が書いて出版したいなら書いたらいい」と書かせた。しかし、途中、手記の内容をみるうちに、公益性を見出せなかったのではないか。「これは単に彼の食い口をつなぐだけの内容…」と思ったかも知れない。

元少年Aの手記の善悪は、被害者遺族を傷つける点において間違っている。が、1620円を出して購入する人には、享楽を与える書物となる。傷つくものは極少、楽しむ者は多数、それに相当数の社会批判も頭を過ぎったろう。業界人であるならそれくらいの読みはなんでもない。思考の末に出版を止めた見城氏は、太田出版を紹介することで執筆の責任を取った。

他にも出版社はあるが、太田なら出版するであろうとの読みだ。見城氏は一連の行動で正義感づらをし、得意になるような、器狭き人間ではないし、ホンネは自分が止めたものが活字となって世に出ることを憂えたかも。見城氏が止めた理由は、手記が害悪と断じたからである。とはいえ、善悪は個々によって度合いは変わる。見城氏はそういう広い視野を持った人物だ。

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太田出版が止めるというなら、それも太田の判断。たまたま自分と同じであったということ。太田が刷るというなら、それも太田の判断。他人がとやかくいう筋合いではない。そういうフラットな思考と推察する。太田出版の岡社長は怯むことはなかった。何も見城氏が出版を止めたからと言って、重視すべきは己が判断である。公式見解にも「自己責任」の言葉が見える。

二人を並べて、自分の好きを言うなら見城氏である。彼は部下なり人間なり、「褒めて伸ばす」という、お行儀のよい作法が嫌いらしい。裏返せば、他人から褒められることも嫌いのようだ。その辺りは自分とよく似ている。「人に褒められただけで喜んでいるのはただのバカでしょう」、と見城氏は言う。自分が自分を褒められるようでなければ意味がないということだ。

酒鬼薔薇聖斗の手記という金のなる木を前に、それを反故にした彼の真意は、「自分が自分を誇れないことはやらない、やる意味がない」。どうやらこの言葉に隠されているようだ。批判するターゲットを作っておくのも自己向上の材料となるが、範とする人間を持つのも大切だ。真似るのは大変であるけれども…

少年Aエピローグ

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先日、書店でふと懐かしい女性の名を目にした。下重暁子である。彼女の著書が平積みされており、懐かしさもあって著書をぱらぱらめくってみた。書籍のタイトルは『家族という病』(幻冬舎新書)である。彼女が書き物をしているのは今日の今まで知らなかったが、後で検索するとかなりの数の著書がある。数は数えなかったがタイトルに「女」という字が目立った。

「女」のつく著作のみ数えてみたら32冊あった。その中でも数を占めていたのが「女性24歳」という文字。女でないから分らないが、「女性24歳」というのは何かあるのだろうか?心当たりといえば妻の結婚年齢が24歳であったくらいで、「女性24歳」に対する特別な思いや感慨はない。下は24歳関連のタイトルがつく下重の著作である。しかし、何で24歳なのだろう。

『ゆれる24歳 私に語ったOLたち』(サイマル出版会、1977年)
『女性24歳からのライフ学 女が上手に自立する方法』(大和出版、1978年)
『コーランの声が聞こえる 私のカイロ日記』(サイマル出版会、1978年)
『女性24歳からのライフ学』(大和出版 1978)
『女性24歳からのキャリア学』(大和出版 1979)
『女性24歳からのライフ学 女が上手に自立する方法』(大和出版 1986)
『二十四歳の心もよう』(講談社、1986年) 
『女性24歳からの自分学 “シングル感覚”でしなやかに生きる法』(大和出版、1987年)
『ゆれる24歳 女20代の生き方』(講談社+α文庫 1994)
『ゆれる24歳プラス5 in N.Y、』(講談社 1999)

ネットで「24歳・女性」で検索いれてみたら、「女性は24歳がいちばん可愛い」とあった。可愛いとは何がどうかわいいのかよくわからんが、こじつけっぽい気もする。「女性は24歳、27歳で悩む恋愛と結婚の関係」というのもある。興味もないので本分は読まなかったが、24歳ということでいろいろ調べてみたら、1970年の女性の初婚平均年齢が24.2歳であった。

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確かにその当時、25歳過ぎた女は行き遅れとまでは言わないにしろ、晩婚といわれていた。なるほど、下重暁子はその辺りをターゲットに「女性24歳」本が多いのだろう。ところで目に止まった『家族という病』は今に言われたことではない。酒鬼薔薇事件で少年Aが逮捕されたとき、休日には近くで家族全員がバトミントンするなど、少年Aの家族の仲のよさが報じられた。

同時に事件の重さ、大きさから「欺瞞家族」といわれたりもした。下重の『家族という病』は書店でめくった程度で何が書かれていたか分らない。「家族という病」についてなら、自分で考えるられる。酒鬼薔薇事件のときも、『積木くずし』のときも、家族っていったい何?などと考えた。家族という形態は夫婦がいて子どもがいて、いや、それ以外にもいろいろある。

夫婦のどちらかがいない家庭、兄弟・姉妹のいる家庭、一人っ子の家庭、祖父母が同居の家庭、親子だけの家庭、などに分類される。一言で家族といえども家庭の数だけさまざまな家族があるのだろうが、少年Aの供述調書を読むと、彼の家庭は自分に照らしてみて少し歪な感じがした。彼は中学一年から三年間卓球部に在籍したが、登校拒否の一ヶ月前から部活に行かなくなった。

検事:「君は、友達などに、学校に行かない理由として『先生から殴られた』とか、『先生が来なくていいと言ったから』等と話したことはないか?」

少年A:「そのような話をしたかどうかハッキリ覚えてません。仮に、話していたとしても、それは僕が学校に行かない理由付けを適当に話したにすぎず、本当の理由とは違います。

少年Aは5月15日から登校をしていない。部活は4月中旬から行かなくなったが、部活をサボっているのが親に知れると叱られるので、毎日タンク山に登って時間をつぶし、部活に行っていた同じ時間に家に帰るようにしていた。タンク山とは5月24日に淳くんを殺害した場所である。彼の家庭が歪といったのは、部活に行っていないのに、親には行ってるように思わせていた事。

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子どもは親に分かれば怒られるから言わないで黙っておく、あるいは隠すということをやるが、少年Aは母親を父親より怖れていたという。少年Aの家庭的背景を母親の手記などからおさらいしてみる。少年Aは、1983年に中流家庭の長男として生まれ、弟たちよりも厳しい躾を受けて育った。厳しく育てたのは母親である。父親は仕事熱心で、2-3週間家を空けることもあった。

休日出勤も珍しくなく、たまの休みにもゴルフに出かけることが多く、父子の関係は薄かったようだ。父親の欠如を埋めたのは母親である。母親は世話好きで教育熱心であった。少年Aが小学生だった頃から、地元の子供会の面倒をよくみて、皆が嫌がるPTA役員も積極的に引き受けた。弟たちの模範の兄になってもらおうと、母親は幼年期から彼を厳しく躾けをしたという。

小学校以前は午後5時までに自宅に帰らせ、その時刻を過ぎると家に入れないこともあった。少年Aは母親の愛を十分に受けているとは感じていず、これは、彼が生まれた翌年に次男が生まれたことと関係する。母親の手記によると、次男に授乳している時、少年Aはよく泣いたというが、両親の愛情が新しく生まれた次男に向かうことで、長男なら誰でも経験する嫉妬である。

少年Aは時に激しい嫉妬をみせたが、母親の愛情を受けられた期間が1年程度と短かく、これがその後の母親への憎悪につながった。少年Aに父の役割を果たしたのが母親、母の役割を果たしたのは祖母であった。祖母は、母親に叱られている少年Aをかばったりした。少年Aも祖母には甘え、祖母にねだって買ってもらった愛犬を「おばあちゃんの犬」と呼んでかわいがった。

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そして祖母の言うことには反抗せずに従った。少年Aが小学校5年生のとき、祖母が亡くなった。「おばあちゃんの犬」も、中学に入る頃に死んでいる。これによって、彼は、愛し愛される他者を失う。両親や学校は彼にとって抑圧であった。検事は記者会見で、「祖母の死をきっかけに、死とは何かについて強い関心を抱くようになった」という動機解明を述べた。

少年Aは、早い段階で暴力に目覚めていた。それを示す幼児期体験がある。彼は小学校入学前、近くに住む少し年上の小学生から奴隷のように扱われていた。幼い彼は、このガキ大将の命令で、友達に頭から砂をかけたり、女の子を道路の側溝に突き落としたり、をさせられ、従わないと暴力を振るわれた。少年Aが頭をはたかれ「すいません」と謝っているのを友人が目撃している。

マゾヒズムとサディズムは鏡像的反転関係にあり、どちらもエロチシズムの快楽に根ざしているとバタイユは指摘する。少年Aは、最初は暴力に脅されて暴力を振るっていたが、引越しでガキ大将と縁が切れた後も、弱いものいじめという苦痛に満ちた、同時にサディスティックな欲望行為を何度も繰り返す。彼の最初の暴力は、カエル、鳩や猫といった小動物に向けられる。

少年Aは、鑑定医の質問に対し、次のように答えている。「初めて勃起したのは小学5年生で、カエルを解剖した時です。中学一年では人間を解剖し、はらわたを貪り食う自分を想像して自慰をしました」。淳くんの事件が起きる2年前から、須磨ニュータウン近隣で、虐待された跡のある猫の死体が方々で発見されている。そのことについて彼は調書でこう述べている。

イメージ 5「僕自身、これまで何十匹という猫を殺して、首を切ったりしましたが、猫だとナイフ一本で簡単に切れるし、もっと大きなもの、しかも僕と同じ種族である人間を切って見たいと思いました。」淳くんの首は、彼の欲望によって実行され、首を切っているときのことをこう表現した。「僕は今、現実に人間首を切っているんだと思うと、エキサイティングな気分になりました。切り落とした淳くんの首を地面の上に置いて鑑賞しました。地面に置いた淳くんの首を正面から見ましたが、しばらくは、この不思議な映像は僕が作ったのだという満足感に浸りました」。少年Aは数枚の猫の舌を塩水に浸した小瓶をジーパンのポケットに入れて持ち歩き、「家の天井裏にあと十枚くらいあるから、欲しかったらあげるで」と友人に言ったりしていた。

ある同級生が少年Aの猫虐待の話を言いふらしたことで、この同級生は少年Aに殴られることになる。後に少年Aは、「学校の先生に殴られて学校に行かなくなった」と言ったようだが、これはどうやら、「同級生を殴ったので学校に行かなくなった」の置き換えのようである。友だちに猫の虐待や塩漬け舌のことをバラされ、教師や周囲の自分を見る目線が苦痛だったのだろう。

自分の秘密や汚点を言いふらされてバツが悪い、体裁が悪い感情は誰にもある普通の感情である。人と違った特異な、異様な感性を持った人間は珍しくはないが、それをじっと黙っている人間もいる。真面目で純朴そうに見えた男を彼氏にして、あるいは結婚して、いいようのない変態気質で別れた女もいた。「私はAV女優じゃないんで…」という言葉を男に投げている。

そのような性的刺激を煽るビデオなどが普及し、若いうちからそういう物をマニュアルとしてしまう男が増えても珍しくはないし、「女は誰でもあのようにされたいのだ」と思ったところで、過激なAVビデオが彼らの教科書なのだ。酒鬼薔薇事件を普通の少年犯罪とするのは正しくない。太田出版の見解にある「少年犯罪の発生の背景を理解…」など取ってつけた詭弁である。

酒鬼薔薇が中学生と判ると、メディアやマスコミは学校や家庭や地域社会に問題があるのではと疑ったが、事件発生当時、学校側に落ち度はないし、少年Aの母親はしつけは厳しいが、所謂「お受験ママ」ではなかった。神戸市には、灘など名門私立学校があり、中学受験競争も激しいが、少年Aは多くの同級生とは異なり進学塾にも行かず、また二人の弟が通った書道教室にも行かなかった。

イメージ 6勉強にはうるさくない母親だった。よって、この事件を説明するのに、「学校の管理教育による抑圧」、「受験競争による心の歪み」、「地域社会の崩壊」といった、現代社会を象徴する批判は当てはまらない。淳くん殺害時期には、自治会活動としてパトロールが行われるなど、コミュニティの連帯は健全であった。となると、少年Aの何が問題だったのか?先に、"弱いものいじめはエロチシズムの快楽"と言ったが、少年Aの生育環境で問題、あるいは児童に向けられた5件の犯行の要因は、幼児期に味わった、弱いものいじめによるエロチシズムの反復強迫ではないか。「女子高生コンクリート詰め殺人事件」にも言えることだが、無抵抗の少女を拷問・虐待することで快感に酔うのは人間のプリミティブな欲動である。

中世ヨーロッパの拷問道具や日本の拷問道具を見るに、人間の倒錯心理や幼児性が類推される。傲慢な権力者が倒錯心理に至る背景にあるのは人間の孤独感であろう。誰にも内在するものが少年Aにあって、誰もが抑制するものが少年Aになかった。情操とか情緒といわれる、いわゆる美しい景色、美しい音楽、可愛い赤ちゃん、可愛い少女、可愛いペット的小動物…。

美しい花を無残にへし折り、小動物を足蹴りにするなどの情操の無さは種々原因があろう。ある感慨や感情の収め方が、屈折した方向に行ったと考えられる。自分も母親に幼少時期に虐待され、思春期時期にもいわれなき仕打ちを受けたが、母親には徹底無視という交戦態度を遵守した。そして反抗の「論」を磨くことを自分に課した。力をつけるより、頭で勝負を挑んだ。

多くの子どもが親に反抗するのに、理屈を言う。特に男の子を持った母親は、女の子の情緒的な詭弁に比べて、男の子特有の論理性にやり込められる。母親の手記にあるように少年Aは、弟の見本になるようにとの懇願を軸に育てられた。その事が自身の衝動や欲動を押さえ込む要因となったろう。ストレスを解消できたのが祖母の存在だった。これは自分も同じであった。

お兄ちゃんはいい子でいなきゃダメ、いい子であるべき…!何のために?「弟のためにです」。という親の勝手な論理に、「冗談じゃないよ!」と、思うのが正直な人間であり、「はい、分かりました。その期待に添います。」と、いうのは偽善者である。もっとも、仕込まれた偽善は内面化されるから、本人には意識にない。あるいは、弟の見本というのを心地よいとする性格もある。

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たしかに「人の見本になるのが心地いい」という情動も存在する。どれも人間の情動だが、この中で屈折した性格になりやすいのは偽善的行為者であろう。偽善者というのは、人にいい顔をするが、心は忍耐ということだが、忍耐という我慢の箍が外れて憎悪に移行したりする。顔に出せない、言葉にも出せないという風に生きてきた偽善者の箍が外れると、これほど怖いものはない。

少年Aのことを分かって言っているのではなく、人の心を分析するのは難しいが、自分の体験や、様々な人的体験、社会経験から、人物像を特定すると、自分の思考エリアでは上記のようになる。人間なら誰にも発生する喜怒哀楽にあって、その中で怒りの収め方、あるいは生きていく上での矛盾から発生するストレスの処理の仕方、収拾方法はさまざまにある。

怒りの静め方も人に聞くといろいろであるのがわかる。ストレス解消もいわゆる「気晴らし」という言い方で、それこそさまざまにある。酒、女、博打、スポーツ、瞑想、宗教、読書、映画・演劇鑑賞、音楽鑑賞、楽器…、それらは無難というか一般的だが、いじめ、悪口、買春あるいは売春・それに類するエンコー、衝動買い、愉快犯罪、自傷、自殺…これらは「負」の解消法だ。

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のっけに「家族という病」について述べたが、自分の考える家族とは何か?家族という理念はあるのか?子の自由という権利に対して親はどうあるべきか?その前に、子に対する親の情を貫こうとするなら、親は子が「自由の権利を持つ」という事を否定しなければならない。「あなたの将来、未来を思って…」この詭弁が通用する子にはいいが、否定されたら、まさか殺すのか?

親の子殺しは支配者としての君臨に翳りがでたこと、あるいは絶望したことで起こり、子の親殺しは、「自由への渇望」、「自由の権利」が実現できないことへの仕打ちである。押さえつけられて反発しない着せ替え人形に育てられた奴が、"窮鼠猫を噛む"のことわざではないが、「50歳になってやっと親に反抗できるようになった」と、遅咲き自我を自慢していた。


少年Aエピローグ ②

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『家族という病』は買わなかったし、最近、書店にいっても「買いたい」、「買おうかな」という本が見つからない。それより、自分の中にある本をあれこれ引っ張り出す方が楽しいし、面白い。書く作業は客観的になれる。書くという行為は主観的だが、書きながら読む、書いたものを読む、というのは客観的な行動である。ピアニストの内田光子がこのように言っていた。

「なぜピアノを弾くかといえば、聴きたいから弾くんです。弾く行為は聴き手でもあるんです」。なるほど…。当たり前のことを言葉にされると、妙に感心してしまう。頭のいい人というのは、難しいことを言葉にし、説明するのではなく、当たり前のことを気づかせてくれる人だと思っている。自分の中には、自分が気づかないほどの多くの蔵書がつまっている。

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整理しておいてあるのか、バラバラにおいてあるのか、それも頭の良し悪しだろう。とにかく休眠状態の本も脳図書館から借りてやることだ。本棚は容量が決まっているし、人間の脳もそうらしい。となると、新しい知識を収納するするためには古いものを破棄しなければならない。それは意識でなされることではない。20歳過ぎたら1日に10万個の脳細胞が死んで行くというアレだ。

『家族という病』は刺激的なタイトルであり、本はタイトルによって売れ行きに影響するというが、一種の騙しであろう。「騙し」といえば御幣があるが、大げさなタイトルの割りにしょぼい内容も多く、それを騙しといえるかどうか?お土産品の上げ底・過剰包装と考えたら「騙し」と言える。が、過剰包装や上げ底は誰の目にも明らかだが、本の内容がしょぼいのは人によって変わる。

ある人は「しょぼい」、ある人は「面白い」、そういうものであるから一概に「騙し」とは言えない。つまり、ある人は「騙された」、ある人は「買ってよかった」となる。「ベストセラー」というのは出版業界で何万部と決められた定義はない。本のジャンルによって違うし、書店によっても違う。人影まばらな書店のオヤジが、100冊売れた本を「ベストセラー」と言ってもいい。

本の売れた量ではなく、「当店にとってのベストセラー」という意味だ。ジャンルで異なるのは確かに言えてる。クラシックのCDは1万枚売れればベストセラーといわれるように、例えば、人文書は1万部売れたらベストセラー、文芸書だと10万部前後でベストセラーと言われ、コミックなら100万部売れてもミリオンセラーなどと言わないことも業界の慣例であろう。

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「騙されちゃいけませんよ」というのは余計なことで、「ベストセラー」の文字で買う人は多く、それでよいのだ。つまり、20万部、50万部売れたといっても、その数だけ本の中身が分かって買ってる人はいないということ。AKBの新曲が常に100万枚売れるからといっても、名曲と言わないのと同じである。誰が名著といい、誰が名曲というのかは、買った人が決めるものだ。

ただし、自分という個人の枠と、世間という枠は違うという事も知っておかないとバカであることが気づいてないことになるから、そこは注意がいる。物事を自分中心に考えるしか出来ない人間への警鐘である。一例をあげると大学生の就活での面接で、「愛読書は?」と聞かれ、「ドラえもんです。コミックもCDも全巻持ってます」と、得意満面で言うのはバカの部類である。

自分はこのブログでどういう事を多く書いているか?と、自らに問えば、おそらく家庭のことではないだろうか。意識しないでもそちらの方向に筆が(キーが)向いてしまうのは、興味の度合いが大きいことを示す。家庭のこととは、家族のことであり、家族とは親と子のことで、その在り方について自身の体験も踏まえて書いている。科学者の経験はないが、親も子も両方体験している。

教職の経験はないが、教師はたくさん経験したし、それを被験者の視点でいう。被験者というがその対義語は何というのか?あまり聞かないし、いわない。「験者」ともいわないし、「実験者」というのも研究室勤務みたいだし、「経験者」、「体験者」が近い語句であろう。親子でいうなら、まずは「子」を先に経験する。この世に生を受けたときから「子」であった。

イメージ 3気づいたときから「子」であったから、親を眺める立場である。生まれて目の前にいて一緒に寝食を共にしないのが親でない場合もあろうが、自分は眼前にいるのが親だった。証拠はないがそうだと思っていた。そうである確信はだんだんとついてきた。自分の親の事はここで腐るほど書いたので、改めて一から書くこともないが、ハッキリいえるのはこの親にしてこの子アリ。つまり自分は親によって多くが作られたと思う。自分で自分を作ったと思う部分も多いが、無意識の部分を考慮すれば、多くは親の影響を受けていると思われる。何らかの遺伝子を引き継ぎ、環境にも左右され、反面教師としての行動、それら一切が親から得たものだ。子という立場は、親を前にしていえば虚しいと感じたものだ。子である利点もあったのだろうが、欠点ばかりが目立った。

おそらくこれも、人間の「業」なのであろう。自分に都合の言いことは当たり前、都合の悪いことに不満を抱く。「躾」といわれるものを拾い出してみると、最古の躾は祖母の背中で眠らされることだった。両親が遅くまで仕事をしていたので、祖母が子守り役であったというわけだ。祖父もいたが、祖父に背負われた記憶はない。祖母の背中は広く温かだった。

丹前(どてら)の綿の温かさもあったが、体温を今でも覚えている。祖母はいつも外で自分を寝かしつけた。祖母が歩くと電信柱や民家はどんどん後ろに消えていくが、お月さまがずっとついてくるのが不思議であった。そんな不思議な月を見ていたからか、小学校に上がって、天体のことに関心をもった。昼の長い休憩時間は外でも遊びたいが、図書館に行くのも多かった。

家に帰っていくらでも遊べるからと、謎の宝庫である図書館は家にはない。つとめて図書館に足を向ける回数が増える。そのおかげなのか本が好きになったが、本は知識の泉であったからだ。授業というやらされる勉強は面白くなく、自分が自分のスポードで読んだり、中身をとっかえたりが性にあっていた。そりゃそうだろう、人には人にあった感性がある。

学校は一学級が50人を下回らずで、6~7クラスあったから、1年から6年まで約2000人弱の子どもの集団であった。昨今ならマンモス校というのだろうが、学校の数が少なかっただけである。校庭も第一校庭、第二、第三校庭と呼ばれ、朝礼や運動会等が行なわれる、とてつもなく広い第一校庭は、高学年しか行ってはならない規則で、低学年の頃は広い第一校庭で遊ぶのが夢だった。

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学校を一言でいうと、共同体としての「善」を損なわないよう、規則でがんじがらめにするところである。例えば、学校に玩具を持ってくるのはダメで、学習に関係のない用品の持ちこみは上記の理由で積極的に禁止されている。共同体による規則重視の生活を強いられる学校に、独立した個人などは存在しないし、そういった文脈から離れた個人の権利なども存在しない。

後年、『自由の森学園』などといった、規則でがんじがらめの学校に意を唱える自由主義思想の篤志家が、新たな学校を開設したりもあった。斯くの自由主義者は、「善さ」の判断より、「正しさ」を優先すべきと主張するが、「共同体」という社会集団にあって、そこから離れた、つまり「共同体の善」から独立した、無条件の「正しさ」など、存在する余地はない。

個人の「善」よりも、共同体共通の「善」を優先させるべきであろう。集団主義を重視するよりも、「個の尊重」が大事と言われたが、集団の中で個を最大限尊重するなら、それを上手く管理・運用できる、卓越した人材が必要である。それがないままに、個人の自由を尊重していたら、集団としての利益は崩壊するだろう。その考えはスポーツなどの組織プレーに生かされる。

アリストテレスは、「全体は部分に先立つ」と言った。彼は、社会と個人の関係を「有機体」(たとえば人間の身体)とその部分(たとえば手・足)の関係と同じとした。これは、人間を孤立した存在としてではなく、社会という「全体」の中で意味をもつ存在とし、組織論の中核をなそ思考である。「自分はこの会社の中で、手となり、足となって貢献したい」などと言葉にする。

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その論点でいえば学校も家庭も共同体を志向する社会である。人間は一人は個人だが二人は社会となる。社会は個人に優先するという考え方が、国家が国民に優先するとの帝国主義思想に連なる。自由主義社会、民主国家は国民の上に国家があるとする。J・F・ケネディは大統領就任演説で、「国家が国民に何をしてくれるかではなく、国民が国家に対して何ができるか」と言った。

これを学校に当て嵌めると、「学校が生徒に何をしてくれるかではなく、生徒が学校に対して何ができるか」となる。これはおかしい。家庭に当て嵌めると、「親が子どもに何をしてくれるかではなく、子どもが親に対して何ができるか」となる。これもおかしい。「別におかしくない」と感じる人もいるだろうが、自分はおかしいと感じるので、その前提で書く。

学校は生徒になにかを期待するところではなく、共同体の規則を守らせるという社会教育を教えるところ。それと教師が生徒に対して知識の伝達を担わせるところ。これを勉強というが、主にその二つを育む使命を持つ。家庭の役割もさまざまな考えがあるが、①大人へと成長するための『モデル』を示す、②『しつけ』をする、③『心の港』をつくる、とこれは"お上"の提言である。

"お上”とは警視庁。『心の港』は抽象的な言葉だが、船の旅を思えばいい。安心して寄港し、心身を癒してくれるところ。幼い子どもであれ、幼稚園や学校に通うようになれば、友達とけんかをしたり、友達と比べて自分が劣っていることに不安を感じたり、いろいろなストレスを感じて家に帰ってくる。そういう時に子どものことを分かってくれる親が要るのは支えになる。

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家庭で子どもを追い詰めるなら、子どもは土管の中で寝起きしたくなるであろう。親としては当然に、あるいは普通に接しているつもりでも、子どもにとっては傷ついたり、ストレスを感じていることはある。以前、彼氏にふれれた女がこう言っていた。「私は一生懸命に尽くしてたし、何にも悪くないのに一方的にふられた」と、文句たらたら。誰も自分の欠点には気づかない。

話を聞いた自分も、彼女のことを知らない。だから、「出会いがしら交通事故と同じで100%相手が悪いことはないと思う」、「尽くしてるから相手は満足ともいえず、適度の距離感を保った方が新鮮かも…」など言うと、相手は怒り心頭で言う。「私だって自分がぜんぜん悪くないといってないし、距離感を保つよう努力したし、知らないのに分かったようなこといわないで」と憤慨した。

このように、一般論を自分のことと勝手に感じて腹を立てられると会話ができない。互いが知らない同士は一般論で対話するしかないが、強迫観念が強いとか、短絡的とか、自己妄想が強い女は、勝手に傷ついたという。傷つける意図が相手にあるかないかの見分けもできず、善意の言葉を悪意に取るならなすすべはない。こういう相手は、一応詫びて以後関わらないことだ。

国家は国民のためにあると同様に、学校は生徒のためにある。家庭は子どものためにある。そう考えてどこが問題であろうか?国民は国家のために存在するという政治家はいるのか?生徒は教師のためにあるという教師はいるのか?子どもは親のためにという親はいるのか?確かに、「国家は国民のためにある」という事にアレルギーを持つ人たちはいるだろう。

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が、そういう人たちは、"国民こそ国家のためにあるべき"との民族思考である。ホンネ半分、綺麗ごと半分であろう。国家のためなら銃も剣も持つ、とは潔いが、威勢のよい言葉と解釈する。「国家に命を捧げる」などと、こんにちの平和な時代でも口にできるが、実際、そういう場にならないと人のホンネは分らない。言うのは勝手だが、信じないのも自由である。世に美辞麗句を好む人は多い。

以下はヘーゲルの愛国心である。「愛国心というと、もっぱら異常な献身や行為をしようとする気持ちと解されるが、本質的には、愛国心は平時の日常や生活関係において、共同体を根本的な基礎及び目的と心得ることを、ならいとする心構えである。」国家生活それ自体に絶対的な価値を見るような心性としての「愛国心」こそ、国家と国民を結ぶ絆と彼は言う。ヘーゲルは家族について以下述べている。

「家族は精神の直接的実体性として、精神の感情的一体性、つまり愛を、己の規定としている(中略)。愛とは総じて、私と他者とが一体だとの意識である。だから私は、私だけで孤立しているのではない。私は、私の孤立した姿を放棄する働きとしてだけ、私の自己意識を獲得する。しかも私と他者の一体性、他者と私との一体性を知るという形で私を知ることによって、私の自意識を獲得するのである。」

イメージ 8自分の存在は家庭によって作られたなどの意識は誰にもないであろうが、おそらく自分も、多くの人もそうであろう。それほど家庭の果たす役割や影響は、物理的、精神的にも大きい。元少年Aが「家庭と自分の事件は関係ない」と言ったというが、それは彼の無意識かもしれないし、誰が考えても親、祖父母、兄弟・姉妹で構成される家族が有する家庭の与える影響は大きい。

「少年Aエピローグ」と表題はしたものの、前置きが長くなるのは、根本から家庭を見つめるべきと考えたからである。以前にも家族や家庭について書いているが、重複することはあろうとも、書いても書いても書きつくせない大きな問題を、家族や家庭は有している。

少年Aエピローグ ③

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イメージ 1少年Aに関心を持つのは、人間が社会的動物で、社会から影響を受け、また社会の中で育つことを考えると、社会の様々な問題を思考するのは、既婚・独身、あるいは老若男女の区別はない。独身者にとっては予習となり、既婚者や子を持つ親にとっては、子の年齢によっては予習にもなるし、復習にもなろう。思春期児童を持つ親は悩みの只中で学習となろう。社会は雑多である。家庭と言えども、家庭の数だけさまざまな家庭がある。他人の考えや意見も雑多である。人の数だけ考えがある。そういう中でさまざまな考えや意見に触れ、自分の考えをまとめて行くのが求められる。ファン信仰というのがある。○○のファンだから、すべてを信奉するという考え。気持ちはわかるが、宗教の教祖的な違和感を抱く。

何事も「是は是、非は非」とすることが思考の幅を広げ、ひいては人間の幅を広げると考える。宗教を否定はしないが、"最初から正しいものは一つ"、という考えは便利であるけれども安易であろう。神や仏などを信じる。ある宗教を信じ、 その教えをよりどころとする。宗祖(教祖)の言葉を信用・信頼する。 証拠がなくとも確信を持つ。これらを信仰という。

信仰とは何かを自分は上のような定義で見るが、キリスト教の使徒パウロは、「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」といっている。望むことを確信し、まだ見ぬ事実を確認できるのは、人間なら誰でもそうありたいものだ。それが信仰であるなら信仰に傾くであろう。しかし、確信や確認に疑義を抱くのは悪ではない。

信仰がないというだけで、非人間呼ばわりされたこともある。「人間は人間を信じないで神を信じる生き物なのか?」と、その時に皮肉を言ったのを覚えている。「人間は過ちを犯す動物だからです」と宗教者はいったが、人間の過ちを神の御名や慈悲で許すのが信仰なら、同じ人間として、人間の心で人間許すのが、無神論者の生き方であり、非人間などのいわれはない。

「神の力がないと何も出来ないんか?」、「神の言葉を借りないと話ができないんか?」とここまで言われて顔色が翳ったのが分かるように、普通はここまで言う必要がないのだが、あまりに信仰のない人間を(腹で)見下す言い方は、それが求道者なのかと灸を据えてやりたくなる。互いの存在を認め合い、共生するなら聖書の知識など自慢せずともよい。

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無神論者や信仰心のないものが、宗教や神のことに触れたり、話したりすると、神の知識を学習した者は腹で笑っている。それがあからさまであると、お返しに自分も笑ってやる。それが御相子というものだ。知識のある者がない者を笑うなら、学者が素人を笑うのと一緒。そういう学者は尊敬に値しないのと同様に、知識を振りかざす信仰者など屁でしかない。

「屁」とはすかした後に、風と共に消えるという意味だ。無学の者であっても、学者の領域について話していいし、無神論者であっても神のアレコレを話すのは自由であり、それを受け入れられない信仰者は、だから「屁」だという。プロ野球やプロサッカー選手でない者が野球やサッカーの薀蓄を語ってもいい。独身者が子育てについての薀蓄は大いに語っていい。

かつて、子どもの動向や在り方ついて話している時、30代後半のある独身女性が、「子どもを持ったことがないので分かりません」と言われ、ハタと気づいたことがある。自分は結婚していないときに、こういう夫でありたい、こういう夫婦でありたいと思っていたし、それをそのまま結婚生活に持ち込んだ。結婚前の思いと結婚してからの現実が違ったことはない。

ところが、「結婚する前と後ではまるで違った」などと言う人は結構多くて、なぜそうなるのかよく分らない。「蓋を開ければ○○」という言い方は、何事もやってみなければ分らないという意味であろうし、結婚生活もそういうことなのだろう。が、"何事もやってみなければわからない"という前に、そのようにやろうとするから、そうなるのではないか?

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つまり、"何事も蓋を開けて見なければわからない"というのは、自分がやろうと思ったようにやっていないのではないかと思うのだが。その原因として、"やろうと思ってもできない"という理由が考えられる。「思ったことと実際にやることは違う」という事をよく聞く。ありがちなことだと思う。が、自分は早い時期から、「知行合一」の考えを信奉していた。

「知行合一」とは吉田松陰が、自身の私塾「松下村塾」の掛け軸に掲げていた名言として知られているが、「知っていることと行うことは同じ」、「知って行わないのは知らないと同じ」という意味。松蔭の名言とされるが、実は、中国の明代の思想家、王陽明がおこした学問「陽明学」の命題のひとつである。陽明は、「知ると行うは、分離不可能」と説いた。

「行動を伴わない知識など、何の意味もない」というのは、ごく当たり前のことであり、よって当たり前に受け入れた。「思っているんだけど出来ない」という言い訳や、ましてや、「思うこととやることは違う」というような、ハナからそういう考え方は承服できなかった。それが、「思ったことは実現すべき、出来ない自分が悪い」という考えになった。

思考にあることを澱みなく行為するのは、確かに難しい側面もあるが、「思う」以上は「行為」を前提にしなければ、「思う」価値がないとの信念を軸に行動に邁進する。それで得たこともあれば、後悔もあった。おそらく後悔は、「思う」ことが幾分利己的であったのだろう。自分の「思う」が独善であれば、それによって他人が迷惑することはあろう。

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それが、行為の後に来る後悔である。『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフは、高利貸しの老婆を殺した。その行為の意図・目的・動機は、「強欲非道」の老婆を個人的に嫌悪したこと以上に、彼女を「庶民の敵」と昇華させ、毒害を撒き散らす人間は、この世から抹殺するのは当然のことと信じた。にも関わらず、なぜ彼は犯行後にあれほど苦しんだのか。

これが『罪と罰』という作品の命題である。人間は完璧にニヒリズムに徹することは出来ない。たとえば、自分の息子を惨殺された親が、「殺した相手を死刑にして欲しい、命を奪ったものは自らの命を奪われて当然の報いだ」と思うだろうが、刑死の場面を直視できるかというと避ける人もいる。「目には目を」が如く、「死には死を」の考えは不動という人がいる。

が、それは自身の道徳的価値基準に過ぎない。自ら下した道徳基準を正しいとし、それを信じようとする人間であっても、人間の生命という深さを思考すれば、それがニヒリズムに徹しきれない要因となる。ニヒリズムは非現実というよりも、現実を受け入れる寛容さの欠如から生まれた思想であろう。精神と肉体を持つ人間に「絶対」というものは存在しない。

自分は少年Aの調書を読み、彼に強烈なニヒリズムを感じた。『文藝春秋』5月号で、酒鬼薔薇事件に対する神戸家裁判決文の全文が公開された。そこでは、当時の彼の犯罪心理として、「母への愛憎」の可能性を指摘していた。《母は生後10か月で離乳を強行した。(中略)1才までの母子一体の関係の時期が少年に最低限の満足を与えていなかった疑いがある》(判決文より)

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「愛着障害」の可能性に触れ、さらに母は排尿、排便、食事、着替え、玩具の片付けに至るまで躾には極めて厳しく、後に少年Aの心を歪ませた疑いがあるとした。判決文に書かれている少年Aの生育歴を拾ってみる。少年Aにはいずれも年子の三人の弟がいた。家庭内では玩具の取り合い等で毎日のように弟二人と喧嘩をし、下が泣くと必然的に兄の少年Aが叱られる。

母親は少年Aに軽い体罰を施す。Aは親の叱責を恐れ、泣くことで親の怒りが収まるのを知ると、悲しい感情がないのに先回りして泣いて逃げる方法を会得した。Aは小3の時の作文で、「お母さんはえんまの大王でも手がだせない、まかいの大ま王(魔界の大魔王)です。」と書いている。こういった、"母との歪な関係"が、少年Aの凶行を生んだとメディアは指摘した。

母と祖母はしょっちゅうAの前で言い争いをした。Aは、泣くか、祖母の部屋に逃げ込むことで、母の叱責を回避していた。情緒が育ってない段階でありながらも母親自身は、「スパルタで育てました」と証言する。相談所では、「母の過干渉による軽いノイローゼ」と診断されたことで、その後母は、押しつけ的教育を改め、Aの意志を尊重しようと態度を改めた。

小学校卒業後、Aはナイフを万引きした。両親はそれまでAを、「素直で優しく、隠しごともせず、長男の自覚がある」と評価していたが、万引き事件で、「意志が弱い。表と裏がある」とショックを受けた。中学校1年のとき、小学生の自転車をわざとパンクさせたり、女子同級生上履きを隠したり、焼却炉で燃やしたなどで、再度児童相談所へ行くよう勧められた。

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母親はAを病院へ連れて行く。医師は母親に対し、発達障害の一種の注意欠陥(多動)症で認知能力に歪みがあり、コミュニケーションがうまく行っていないので、過度の干渉を止め、Aの自立性を尊重し、叱るよりも褒めた方が良いと指導した。母親が医師の指導に従った結果、Aは表面上は落ち着きが出て、学校からも、よく成長したと評価されている。

中学二年生のとき、母親がAに将来の希望を聞くも、「何もない。しんどい。」としか言わず、母親はAの気持ちが理解できなくなった。以上、主だった生育歴だが、『絶歌』の中で元少年Aはこれら一切を否定した。いわゆる、「他人が分かったようなことを言うんじゃない。当たってないし、俺の事は俺が一番わかってる」という、ありがちな反抗態度であろう。  

《母親を憎んだことなんて一度もなかった。母親は僕を本当に愛して、大事にしてくれた。僕の起こした事件と母親には何の因果関係もない》、《事件の最中、母親の顔がよぎったことなど一瞬たりともない》こう綴りながら、母との関係から事件を読み解いた報道の全てを事実誤認と断じた。神戸家裁でこの事件の審判をし、判決文を書いた元判事・井垣康弘氏が語る。

「Aが長年母親に愛されていないと感じており、厳しい躾を虐待と捉え、それらが自己肯定感を欠落させる原因になったことは、裁判時の精神鑑定からも明らかです。鑑別所に初めて面会に行った母親に対して、『帰れ豚野郎!』と怒鳴り、心底の憎しみをもって睨み付けたこともありました。Aは、手記の中で家族に関する部分だけは敢えて嘘をついたのでしょう。

この手記が、将来的に現れるかもしれない友人、恋人への"家族紹介"の役割を担っているからです。同時に、彼が家族に対して徐々にオープンになってきている証でもあります。母の存在が事件の伏線になっていることを隠し、良い思い出だけを選び抜いて書いたのだと思います。実際、父や弟を含め、家族のことについては一切悪いことを書いていませんからね。」

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意図的に嘘をついたか、無意識の虚実と気づかず本人的には真実としたのか、上に記したような自分にまつわる周囲の放言に対する苛立ち、腹立ちからの否定なのかは分らないが、自分にもよく分らないことを、さも関連づけてあれこれ言われると頭にくるものだし、この可能性が強いと自分は見る。ウザイ周辺よりも、自分の手記を「正」としたい心理も働いている。

人間は自分のことを自分でいうのが正しいと限らない。なぜなら、人間は自分が自分のことを一番分かっていないからだが、ましてこのように書籍に手記をしたためるとなると、素朴な日記に比べて必然的に修飾が多くなる。人間はどんな悪党でも、自分をよく見せたいものだ。元少年Aの文章には比喩表現も多いという。立花隆も柳美里の所感も交えてこのように言う。

「はっきり言って、これだけの文章(酒鬼薔薇の『懲役13年』)を書ける人間は、大学生でもそういない。この作文について芥川賞作家の柳美里さんはこう書いている。『私がこの事件に強い関心を持っているのはひとえに少年の文章力であると、"懲役13年"と題する作文を読んで確信した。不謹慎を承知で言うのだが、私は少年の文学的才能に魅了されている。(中略)

イメージ 8作文がニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』、ダンテの『神曲』から引用したものであっても、彼の文章力に対する評価は変わらない。(中略) 彼には信じられないほどの客観性、自己批判能力があると思うべきであり、この作文は自己の内面の葛藤を綴った告白文ではなく、精巧に構築されたフィクションであると言い切ってもいい。
自分のことを振り返っても、14歳の私には『懲役13年』のような文章を書く能力はなかった。(『新潮』97年11月号『絶対零度の狂気』) 私も彼女の意見に賛成である。この少年は大変な文学的才能を持っている。(後略)」 立花氏に限らず多くの人が元少年Aの文章力を賛美し、今回の手記はそうした部分に触発された要素もあるだろう。が、最大目的はお金であろう。

自分の欲求を叶えるためには、他人の迷惑など考えない。足蹴りにしても実行するという事なら、その目的が何であっても、彼に贖罪もなければ、更生もなされていないと見るのは当然であろう。「あれはあれ、これはこれ」という手前勝手な言い分けを認めない自分としては、元少年Aは、そうそう簡単には更生できないほど精神に「毒」があったと断じざるを得ない。

「さあゲームの始まりです。」に始まる酒鬼薔薇の挑発的なメッセージが思い出される。「所変われば品変わる」という言葉に添っていうなら、元少年Aの手記『絶歌』を出版した後も、酒鬼薔薇と同じ気分で社会の動向を眺めている、そんな薄気味悪さを覚える。そろそろ『絶歌』も下火になった向きもあるが、彼の世間を騒がせたい情動は、今後何かの形で露呈するであろう。

「自殺」について

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過去、たくさんの自殺に遭遇した。身近な自殺もあったが、遠い人の自殺が圧倒的に多かった。人は自分に近い人が死ぬと深い悲しみにおそわれるが、著名な人でもさほど縁もゆかりもない人の死にそれほどの悲しみは抱かない。「なぜ自殺をするのだろうか?」と、漠然と考えることはある。考えてみたところで、「死にたいから死ぬのだ」という答しか見当たらない。

ある奴は、「死にたくはないけど、自殺する奴もいるんじゃないか?」と言ったとき、言葉の意味は分かるけれども、現実に人が死にたくないのに死ぬだろうかという疑問はあった。「行きたくないけど行く」という人はいた。「自分が自分に逆らうんだよ」という。「したくないけど仕方なくやってる」と、これは多くの人が、仕事について言う言葉である。

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理由としてはよく理解できる。上位者が、「本当は言いたくないんだけど」と前置きして説教・注意をする。これはどういう意味でいってるのか?こういう前置きを好まないので自分は言わないが、そのように言いたい気持ちは分かる。「うるさいと思うだろうが、お前のためを思うから言うのだ」あるいは、「同じことを何度も言わせるなよ」などの皮肉交じり。

あまり小言をいったりして嫌われるのも嫌という弱い心の持ち主、後者の方は、「一度言ったら分かれよ、こんなバカとはやってられん」という気持ちも分からんでもない。が、言ったことをその都度忘れる人間に、「同じことを何度も言わせるなよ」は、言っても仕方がない。こういう人間は、言った後から忘れてるんだから、前に言われた記憶がないのだろうし…。

それでも言った側は覚えているからその言葉がでるのだろう。「言われたことを覚えているのに、コイツはやらないんだ」という思いも上位者にはあるのかも。人の真意はなかなか分らないように、ましてや死に行く者の真意などどうして理解できよう。「死にたいから死な」は分かるけれども、「死にたくないのに死ぬ」という心理は、可能性はあっても理解できない。

吉田拓郎の歌詞に、思ってることとやってることの、違うことへの苛立ちだったのか、というフレーズは、『まにあうかもしれない』という曲で、曲調も歌詞も結構好きだった。今まで自由に生き、自由に振舞ってきたと思っていたが、単にいきがっていただけで、本当はそうじゃない。そのことに気づいたなら、新しく作り変えよう、今なら間に合う。という内容。


拓郎全盛期にあって、いかにも拓郎節全開といえる軽快な曲。好きな歌詞は、「だからボクは自由さを取り戻そうと、自分を軽蔑して自分を追い込んで」と「大切なのは思いきること、大切なのは捨て去ること」のところは、ぞくぞくさせられた。作詞は拓郎自身ではなく岡本おさみで彼には、「襟裳岬」、「旅の宿」、「祭りのあと」、「りんご」、「落陽」などがある。

拓郎とのコンビでは他にも、「蒼い夏」、「歌ってよ夕陽の歌を」、「おきざりにした悲しみは」、「花嫁になる君に」、「ビートルズが教えてくれた」、「地下鉄にのって」、「ルーム・ライト」などがある。「歌ってよ夕陽の歌を」は森山良子、「地下鉄にのって」は猫、「ルーム・ライト」は由紀さおりがヒットさせているし、「襟裳岬」は森進一でレコード大賞受賞。

拓郎の方向付けは岡本によって決められたようだが、拓郎本人は「旅の宿」までは自分と合わないと感じていたという。「自殺」という表題だが、拓郎に『自殺の詩』というマイナーな曲がある。詞も曲もたいしたものではないが、物珍しさもあって、昔レパートリーの一曲であった。自殺の楽曲というなら、井上陽水の『傘がない』ののっけの歌詞には度肝抜かれた。

「都会では自殺する若者が増えている」と、Am⇒G⇒F⇒E7のコード進行で、おどろおどろしく歌うが、グランド・ファンク・レイルロードの『Heartbreaker』のパクリであった。1971年の伝説の後楽園球場コンサートでは打ちこわしの暴動が発生し、チケットを持たない多くの観客が球場内になだれ込んだが、自分もその一人だった。陽水の『傘がない』は72年に発売である。

陽水の非凡さは、どうでもいいようなこと、取るに足りないようなこと、などの泰然たる態度が歌詞に感じられる。あのあまりもバカバカしい歌詞が、彼の美しい声によって違和感のない歌となるところは一種のミスマッチであろう。拓郎はダミ声であり、彼の音楽性はメロディーよりも詞の負うところ多し。これもボブ・ディランの影響で、ディランに正調のメロディーはない。

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陽水の『傘がない』は実はパロディーではないのかと、近年彼の砕けた性格を知るにつけ、あんな歌詞をまともに書き、真摯に歌う陽水の一切が演技ではなかったか、と思うに至った。そもそも、都会で自殺する若者が多いと問題提起し、そんなことより問題なのは彼女に会いに行くための傘がないと。「何だと?傘くらい買えよ」現代人ならその様に思うだろう。

今なら200~300円も出せば傘が買える時代とちがい、傘は異常に高価であった。使い捨てなどととんでもないし、骨が折れても修理して使っていたし、傘の修理屋だけの職業も成り立つほど需要はあった。1970年当時、傘の値段は1000円弱であり、同じ頃、男の調髪料金が500円以下、ラーメンが100円だったのを見ても、如何に傘の値段が高かったかである。

つまり、こんにちラーメン一杯700円なら、傘の値段はその10倍の7000円という感覚である。陽水が、「彼女に会いに行くのに傘がない」と、べそをかいて叫びたくなる気持ちも分からなくもない。自分がパロディーとしたのは、政治問題や国内の深刻な問題と、デートに出かける傘がないを同列にしたこと。これは、一見、陽水のクソマジメさの裏に潜むギャグ性。

拓郎もラジオでアルフィーの坂崎とのコンビで結構笑わせるが、彼は面白いことを意識的に言おうとしているが、陽水はそれがなく、自然に振舞っている(かの如く)ところが面白いのであって、二人はまるで個性が違う。拓郎&坂崎のおフザケを「陽」とするなら、陽水&玉置は「陰」の滑稽さであろうか。陽水は本名だが、読みは陽水(あきみ)である。


実は『傘がない』という曲は、当時は学生運動が急速に終焉に向かっていた時節であり、そういう人たちはこの歌を、政治闘争に敗れた若者の「うつろな心情」を表現したものと解釈する人が多かった。あるいは、政治や社会的な問題に背を向ける「ミーイズム (自己中心主義)世代」の出現を最初に歌った曲、などと捉えていた人も少なからずいた。

情報がない時代の陽水のイメージは、レコードジャケットに見る異様な風貌からしても、拓郎などとはまったく違う異質な芸術家を気取ったシンガーに思えた。後年、彼の喋りを聞くに、「なんという平凡で当たり前のことしか話さないひとなのだろう」と、あまりのギャップである。この曲について陽水は、「自分の意図を超えてさまざまな解釈をされた」と言っていた。

「政治や社会問題に無関心の若者の虚無性を歌ったのでは?についても、「別にそんなふうに考えて作った歌ではないんですよ。ただ単に、周りが政治の季節であったというだけのことで…」という。1972年といえば、5月15日に沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権が、アメリカ合衆国から日本に返還された年である。沖縄返還は日本の法令用語では沖縄復帰という。

陽水のいうように、都会で若者の自殺が増えていたというよりも、若者は田舎を捨てて東京に出たことで、田舎に若者が少なくなったのである。「集団就職」、「金の卵」という言葉は死語であるが、義務教育のみしか卒業していない中卒者を送り出す側の事情として、特に1970年頃までの地方では、生計が苦しく高等学校などに進学させる余裕がない世帯が多かった。

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子どもを都会の企業に就職することで経済的にも自立することを期待し、都市部の企業に積極的に就職させようとする考えや動きが保護者にも学校側にあった。こうした状況の中、中学校も都市部の企業の求人を生徒に斡旋し、それを集団就職と呼んだ。チューリップの『心の旅』、『青春の影』、太田裕美の『木綿のハンカチーフ』はそれら少年の心情を歌っている。

集団就職といえば永山則夫が浮かぶ。北海道網走市呼人(よびと)番外地に、8人兄弟の7番目の子として生まれた彼は、博打好きの父の影響で家庭は崩壊状態。現在で言うところのネグレクトの犠牲者であった。1965年3月、逃げ帰った母親の実家、青森県板柳から東京に集団就職する。渋谷の高級果物店に就職した彼は、ひょんなことから不幸の道を辿ることとなる。

生きるか死ぬかの瀬戸際で、自らの生を選んだ彼は人を殺すことで生き延びた。生活苦から犯罪に手を染めた永山と、興味本位で人を殺したあげくに社会で生活苦とのたまう元少年Aとは同列にはおけない。元少年Aにとっての「苦しさ」なんぞは、我々の世代観では「甘え」と断罪するものだ。苦労を知らない者の苦労とは、冷や飯は食えないという我儘である。

犯罪を起こし更生して社会に復帰したのは自分だけだと、そんな思い上がりが見受けられる。いったいどれだけの数の刑余者が、社会という現実の中で苦しみ、喘ぎながら生活をしているかを知らない者の言い草であろう。こういう甘ったれた人間が手記を書いて被害遺族を傷つけ、詫びる言葉だけはイッチョ前に吐いて、生活費を得ようなどの魂胆に加勢はできない。

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被害遺族である山下彩花ちゃんの母親のいう、「日本社会の良識」とはこういう事を指す。「苦労は買ってでもさせよ」という言葉も、近年は死語になった。親が子に苦労をさせたくないという思いで育てると、実際に降りかかる苦労という火の子をどう払っていけるのだろう。「何もしなくていい、箸より重いものは持たなくていいから勉強だけしてて」こんな家庭は存在する。

逞しい子を願うなら、「苦労は買ってでもさせる」という親の意識の復活を望みたい。「自殺について」の表題は、このブログのテーマである死生観の範疇でもあるが、正直いって「自殺」はよく分らない。残された遺書や明快な動機から、自殺の意図を判断できるが、それでも分らない。実際に自殺した人間に登場いただいて、説明を聞きたいものだと常に思っている。

それくらいに分からぬ人間の動機の一つである。身近な自殺も経験したが、身近な自殺ほど分らないものだし、現に子を失った親、親を自殺で失った子どもの疎外意識は半端ではない。まさに、「なぜ?」とか、「どうして?」の言葉しか見当たらない。「なんで、相談してくれないのか?」の声もよく聞く。それほどに「死」というのは、個人的なものであろう。

人の「心」が分からなくて、人の「死」が分かる道理がない。人間が現実を認識するのは、人間的現実を形成するためであり、現実を現実として認識し、人間を人間として作り上げるためである。それが「死」であるのはどういうことか?それが現実というなら、人間は死ぬことが現実なのか?人間が死ぬのは現実だが、意思を持って死ぬ現実を現実と認定できない。

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それでも自死という現実がある以上、しかも、事物が、直接的にはその本質を示さないとするなら、認識のためには厳密な推論が必要となる。ユングによれば、意識の機能は「こころ」の総体にあり、個体に備わる四つの根底的な機能に基づく。すなわち、思考・直観・感情・感覚である。思考は、認識の力を借りて論理的推論をし、諸所与を理解し、適応しようとする。

感情は、思考と対照的に、世界の諸所与の理解や適応を、快・不快、受容・拒絶などの概念評価に基づく。また、思考は、真・偽の観点から認識力で評価され、感情は、快・不快の観点から情動によって評価される。人間は生まれつきの資質として上の四機能を所有するが、偏った傾向から性格が決められているし、「素養」や「知識」にもも大きく左右される。

「人は自分の知っていることを見る」と言ったのはゲーテだが、裏を返せば「人は自分の知らないことは見えない」となる。見える人と見えない人があることを判断する際に、だから言い合いや喧騒になる。正しいものは自分が知覚・認識するものだという考えでいうなら、バカにはバカの正解があるということ。バカを無知とし、無知を罪とするなら、バカ=罪となる。

それでは困るので、理知の条件としてバカを説得する技術が必要となる。これも賢いという能力の一つであろう。バカを説得できない自分が賢いとは言えないと、面倒でも人を説得する技術を磨くのが利口になるための方策だが、それでも無理と言えるバカも存在する。これが世に言う「バカは死ななきゃ直らない」といわれる類だが、世の常と諦めるしかない。

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時代はどんどん変わっている。硬い頭ではダメだ。かといって、柔らかい思考で解決できるほど世の中甘くない。世の中が変わるということは、現実が絶えず変動しているということだ。となると、現実を把握しようとする思考も、絶えず連動しなければならない。そのためには、いつも自分自身の限界を自覚し、自らを否定することによって、新しい自分をつくる。

これができなければ、「古臭~い人間」と烙印を押される。自分では押さないつもりでいても、烙印と言うのは周囲が押すものだ。残念ながら押されたら古臭いのだ。ただし、古いものでもイイモノはある、普遍的な価値を持つものもある。それらの見極めも現実認識という学習からもたらされる。人間は一生勉強するしかない。それが学歴信仰のくだらなさである。

今、賢い人が賢いのであって、昔賢かった人の軌跡、業績を問題にするのがオカシイ。昔は賢く、今はバカと言うのはいる。昔はバカでも、今は賢いのもいる。それが正しい現実認識である。「自殺」という現象を認識することは可能だが、その現象(現実)が意味するものが何かは分らない。一人の人間の死が葬式代を必要とするのは、分かるけれども…。

「自殺」について ②

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我々は、大人も子どもも、バカも利口も、貧者も富者も、死ぬという事においては平等であるが、死の年齢においては不平等である。生まれてすぐに死ぬ子もいれば、10歳で生を終える少年、20歳で命を落す青年、40歳で亡くなる壮年者、80歳で元気なお年寄りも、100歳まで生きるお年寄りもいるわけだ。これらの違いの原因を「運命」とすれば簡単にケリがつく。

「運命」という言葉は便利だとつくづく思う。上記を「運命」という言葉を使わずに説明できるか?できたとしてもそれは理屈もしくは屁理屈であろう。人の寿命の違いに真理があるとは思わないが、宗教をやれば「幸せになりますよ」あるいは、「長生きしますよ」と勧誘する人がいた。「バカかコイツは」と正直思ったが、何に限らず、勧誘とはそうしたもの。

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都合の悪いことを振り撒いて勧誘するなど聞いた事がない。宗教=幸福という論理は、人間の幸福を宗教に結論づけようとする焦燥ではないだろうか。真実を語るというより、直感というのでもない勝手な思い込みで、そのようなことをいう教祖は、強引に商品を売りつける営業マンと同等にタチが悪い。「オウム真理教」の教祖麻原彰晃に空中浮遊の写真がある。

こんなバカげた写真を撮る麻原もアホだが、それを真に受けた信者たちは何だったのか?オウムの大幹部の一人上佑史浩は後に、「あんなものがインチキだというのは、最初から分かっていました」と言っていたが、その言葉は如何にも後出しじゃんけんである。その時に疑念のある事、信じない事は、その時に言わなければ、すべては後出しじゃんけんと言われる。

「当時は信じていましたが、後になって嘘だとわかりました」の方が、人間的に信用がおける。人はいろいろ変わって行くものだし、変わるのは悪いことではない。認識の過程というのは終わりのない過程であり、その過程で獲得された真理は、部分真理、あるいは相対的真理に過ぎない。それらは高次の真理によって越えられる運命にあるものでしかない。

科学や技術の発展の歴史と同じであって、「これが最高!」は、どんどん超えられていく。一つの真理は無数の結びつきを持った全体を説明するに足りず、事実は常に多面的な顔を持つ。自分のブログはよく何が言いたいのか、書きたいのか分らない。焦点もボケているし、話があちこち牛若丸のように跳び過ぎといわれるが、これは批判というより事実である。

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書くことの真髄は、①言うべきことをもつ、②言うに価する、③適切に表現する能力をもつ、の3つが生きた文章になる。お前は、①が肥大し、③が欠如し、②の判断に迷っているのか?と問われると、一応、①言うべきことはあり、②言うに価するかは「?」だが、③は無くて未だ勉強中である。自身の感性の扉を叩いて、でてきたものを理性でまとめている。

ブログを書く作業の楽しみは、そういった自身を刺激することにある。"事実は常に多面的"と言ったように、あらゆることは関連の枠にあるというのが、世の中に対する自分の世界観で、それらを理性的にまとめることが書く娯楽である。何事も単純に見えるものは、その側面だけ見ているに過ぎず、事実はさまざまな内部矛盾を含んでいる複雑怪奇なもの。

単純化した論理はある種の普遍性をもちながら、狭隘さを免れないでいる。当面を説明し尽しながらも、欠落部分には目もくれぬという偏狭さに陥ることにもなる。自分はよく夢を見る。夢が醒めて思うのは、「何であんな夢を見たんだろう?」と、しばらくはその夢について考える。以前は目が醒めて、夢の記憶が消えないうちに夢の中の出来事を書いていた。

多くはあり得ない夢だが、見ているときはなぜか現実の只中にいる。となると、夢の中の自分は現実の中にいる。目が醒めて悔しい思いをすることもある。夢の中でしか語れない人と語り、会えない人と同じ席にいる。夢の中で死んだこともあるし、それが自殺の場合もあるが、死んだ自分を見る何がしかの自分がいる。でなければ、死んだ自分の後は覚えてないはずだ。

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「自分が死ぬ夢は運気が弱くなっているかと思いがちですが、事実は逆で強い運気の中にいます。死ぬ夢はむしろ成長をしたことを伝えています。もし自分が死ぬ夢を見ても怖がる必要はありません。死ぬ夢はむしろ成長をしたことを伝えています。」など書かれているが、怖がっちゃいないし、運気などもどうでもいいし、そんなの信じる気もさらさらない。

こんな風に書かれたことを信じて何が得するわけでもあるまいし、だから運勢・占いなど信じたことがない。ただただ、夢は自分が死ぬ経験ができていいな~とか、得した気持ちになる。夢だからこそ体験できることだ。若い頃は初恋の女や理想の女とやった夢を見たが、こんなの最大の得々気分であり、お金出すから続きを見させてくれなどと思ったものだ。

死んだ夢は夢の中では、「おれは死んだのか~、残念無念だ」と思っているわけで、シャレにならない切迫感を抱いたりする。やがて目が醒め、よかったな~夢で…と思ったりする。こんなだから、現実に死んだらやはり、損したと思うのではないか?「オラは死んじまっただ~」と悔いるのではないかと。死は体験できないが、それが死の現実ではないだろうか。

死んで得することなどない、と言う死に対する考えだから、自殺など考えられないし、他人の死でも、「自殺するなんてもったいないな~、後で悔いようにも悔いることさえできないだろに…」などと考えたりする。自殺した夢を見たときも、これと言った自殺の動機はないのに、なぜか夢では自殺をしてしまう。おそらく、自殺に対する懸念が自殺の夢を見させるのだろう。

イメージ 3荘子の話にこういうのがある。昼寝をしてる間に、夢を見た。夢の中では自分は蝶々だった。花から花へと飛ぶ。やがて目を覚ます。「あーあ、寝た寝た」と。「あーあ、夢を見た」と。「蝶々になった夢だったよ」と言う。しかし、まてよ。「今の方が夢かもしれない」などと思う。本当は、私は蝶々で、たまたま「人間になってる夢」を見てるのかもしれないのかも…。
吉田拓郎に「自殺の詩」があるといった。1971年、エレック時代の最後に出したアルバム『人間なんて』は、たいそう評判になったLPだった。なんといっても、拓郎は教祖的な存在感があったし、大ヒットした「結婚しようよ」は、あれがフォークといえるのかと、なぎら健壱はいうだろうが、日本のフォーク史上に残る名曲である。当時、人気作曲家だった筒美京平はこんなことを言っている。

「同時代の職業作曲家に怖れはなかったし、自分の自信が損なわれることはなかったが、彼(吉田拓郎)の出現には驚異を感じました」。「人間なんて」というタイトルでありながら、拓郎は人間が何かを説教臭く説明しない。♪人間なんてららーらららららーら、である。これは聴く者に想像させ、創造させるテクニック(売れるコツ)と言われ、ボブ・ディランが多用した。

小室等は拓郎が出てきたとき、「若僧のくせに説教臭いことを言ってる奴だな~、赤あげて、白あげないで赤さげない、みたいな…」などと正直な感想を持ったようだが、これは爺臭い(長老)意見の典型であろう。拓郎の驚異はフォーク界はおろか、隔たった歌謡界において驚異だったという。フォークは、生活臭のある"貧乏臭さ"が必須の時代、拓郎は哲学を持ち込んだ。

LP『人間なんて』には、多くのフォークファンや関係者が絶句した「結婚しようよ」。これには自分も絶句した。♪ボクの髪が肩まで伸びて、君と同じなったら、約束どおり、町の教会で結婚しようよ…このあり得ないというか、あまりの単純な結婚理由に絶句!これでいいのか?結婚が…、それでいいんだよ、と結婚をオシャレに主張した拓郎に影響受けた若者たち。


3フィンガーの名曲「花嫁になる君に」、叙情的な「ある雨の日の情景」、メロディラインの美しい「どうしてこんなに悲しいんだろう」、広島弁丸出しで彼の出身母体である広島フォーク村を歌った「わしらのフォーク村」、ロック調でブルージーな「川の流れの如く」など、キラ星のような曲に混じって、「自殺の詩」が、一風変わったニュアンスを醸している。以下はその歌詞。

 歩き疲れてしまいました
 しゃべり疲れてしまいました
 何もかもに疲れて今日が来ました
 けだるい午後の日ざしは
 花をしおらせて
 道行く 人の言葉も
 かすんでいました

あまり上等な詞曲ともいえないので一番だけ。まあ、こんな程度で自殺するのは夢自殺であろう。拓郎自身、この詞を深刻に受け止めてはいないし、自殺の心情とも思えない。歩き疲れ、喋り疲れ、何もかもに疲れて今日が来たと。「疲れた」、「忙しい」、「面倒くさい」の三語を自分は禁句にしているが、疲れたというのは仕事にしろ、何にしろ、気持ちの持ちようである。

「疲れる」は仕事のせいでもなければ、人間関係のせいでもない。これほど科学が発達してくると、人間は自分自身に拘り、自分の死さえも凝視しようとする。「発生」も謎であるが、「死」という終焉はさらに謎である。人は死ぬと何処へ行くのか、死後の世界は存在するのか、それらを理解線せんとし、確実な学問の対象として自己を捉えることを要求する時代である。

我々は生きているものを見ている。たまに死んだものも見るが、普段、生きてるものに慣れ親しんでいるからか、「生」はあまりに身近過ぎて見過ごされやすい。しかし、生命の謎は生命体の触れ合いにも及んでいる。確かに植物の種子は芽を出し、鳥は空を飛び、子どもの目はなぜあれほどに澄んでいるかも不思議だが、人と人の触れ合いのもたらすもの大きさ、影響。

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すべては生命として始まり、死をもって完結する。「死だけが唯一の締め切りである。生きている限り、学ぶべき事が未だある」という言葉がある。「こんなに辛い思いをするならいっそ死んだ方がいい。生きているより死は楽だ」と、自殺者は少なからずそういう気持ちになるのだろう。これが、自分の自殺者に対する想像力である。人間は苦痛を避けたい生き物だ。

戦争で負傷し、虫の息というのか呼吸もママならず、助かる見込みのない戦友を楽にするために撃つ。これはまさに生きているより死んだ方が楽と言う状況であろう。平和な社会で人間関係の喧騒の中で、「生より死を選ぶ人」、つまり自殺行為者が、どのくらいの苦しみを抱いていたかを知ることはできない。同様に、生きてはいるものの、死ぬ勇気がないからという人。

「やる事なすことすべてが空虚で、自分のすることに意味もなく、生きてる価値がない」という。そんな言い方をする人間に言ったことがある。「果たして、命を賭けてやるべき何かを持たなければ生きる価値がないものか?お前の言葉は一人でつぶやくとか、自己暗示として啓発させるならいいが、他人にそんなことをいうのは、一種のナルシシズムだよ。」

人前で「死ぬ」、「死にたい」と言って死んだものがいないと言う意味で、ナルシズム的甘えだろう。確かに、人間と世界の間には断絶のような何かがある。深いか浅いかは個々によって違うが、そういう中で人間の意識は虚無に向かう部分はある。あげく人間には「死」という絶対的な事実によって、あらゆるものが一瞬にして虚無の中に運び去られてしまう。

イメージ 6「死」とはそういうものだと考える。いや、考えなくても現実である。が、「死」を美化する人間は、「死」に何を期待するのだろう。「安息」なのであろうか。「死」に期待するものはなにもない。拠り所もない、憧れもない。そう考えるのが常人と思うが、スピリチュアルブームの中で、テレビ番組に触発され、「来世で幸せになりたい」と自殺した少年がいた。
それがテレビのスピリチュアル番組一掃の要因になった。少年は無知でおまけに感受性が高い。「人に何かしらの影響を与えないテレビ番組があると思うか?」という強者の論理もある。そうはいっても、人が一人、テレビの影響で自殺するというのは、潜在者の数を反映しているという予測もできる。番組に対する放送倫理は多元的な議論をすべきであろう。

「スピリチュアルな番組を見て自殺した少年がいたからあの番組はよくないと言いますが、自殺をしようと思う人は、何であれ自殺をしたいと思っている人です。霊感商法も、自分自身が正しくない生き方をし、欲にかられるとひっかかるのです。テレビの番組で人に悪影響を与えない番組が存在すると思われますか?100人いれば100通りの受け取り方があると思います。」

こういう事をいう人は木を見るが森は見ない人だろう。自分さえちゃんとしていれば、どんな番組やったところで感化もされない、影響もされないといっている。大人の論理ならともかく、自分が子ども時代だったことを忘れている。子どもはテレビだけに影響されるのではない。精神の脆弱な子は、親の教育や躾にも起因する。自殺した子は逃避したのかも知れない。

「あの世はいいですよ」、「現世がだめなら来世に期待しよう」という言葉が、現実逃避を企てる子どもにとって、どれだけ福音になるか…。テレビで言った言葉に動じない子は、テレビの言葉に左右云々よりも、家庭や環境に問題ある事も考えられる。どんな子どもが観ているか分らない以上、「来世で幸せになろう」みたいなことは絶対にいうべきではない。

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「自殺」について ③

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25日午前6時半頃、神奈川県横浜市青葉区の東急田園都市線「たまプラーザ駅」で、都内の私立中学3年生の女子生徒が電車にはねられ死亡した。女子生徒がホームから線路内に小走りで飛び込む様子が防犯カメラに映っていて、同様の目撃情報から自殺とみられている。女子生徒は制服姿で登校中とみられ、ホームには通学カバンが残されていた。母親は「普段と同じ時間に家を出た」と話している。

自殺の記事を書いている最中に、なんとも悲しい知らせである。彼女の親の気持ちは、それなりに理解はできるが、中3女生徒の気持ちはまったく分らない。何もなくて死ぬことはないだろうから、何かがあったのだろうが、その「何か」が今、わかったとしても何になるのだろう。親はその「何か」を知りたいだろうが、時すでに遅し、知ってみても気休めでしかない。

早朝の6時半に駅のホームということは、1時間前には起床するのだろうし、同様に親も子どものために早起きして準備をするわけだ。どちらも大変だが、親の方はそれもやりがいとなろう。親ならわかりだろうが、どんなに大変でも子どもを育てていることが「生き甲斐」という、それが親というものだ。そこを思うと、しんどい、疲れているのは子どもの側かも知れない。

一般的にというと変だが、親は子どもを近くの学校に通わせたいと思うのだが、遠くの私立中学に通わせる親を、一般的と言うのは違うだろうが、頑張る子もいるが、頑張れない子もいる。自殺の原因は学校にあるのか、家庭にあるのか、別の何かなのかは分らないが、少女はそんな日々の「何か」に頑張れなかったのだろう。勉強が頑張れない子も、部活が頑張れない子もいる。

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いじめや陰湿な人間関係を頑張れない子もいる。親との人間関係に疲弊する子もいる。「学校なんか大嫌い」、「親なんかいなくなればいい」、これらは子どもの心身を揺さぶる言葉としてしばしば耳にするが、それでも生きていかねばならないのか?と言われると、「それでも生きていかねばならない」と言うのは簡単だが、「なぜ?」と言われると正解は見つからない。

「生きていく」という事において、万人に共有の普遍的な正解があるのか?と自分は思うし、人それぞれに相応しい正解があると考える。誰かが誰かに、「あなたの正しい生き方はこうですよ」とは言えるのか。自分にあった、自分に相応しい正解は、誰あろう自分が見つけるものだから。人間の置かれた環境は(子どもの時期から)、一方的に与えられたものもある。

自分の意思とは無関係に、親の都合で従わされる場合がほとんどである。積極的にそれに従う、消極的に従う、積極的にそれに抗う、消極的に抗う、あきらめ気分で虚無的にやり過ごす、などの選択は子どもに委ねられる。親が王様で、子どもは奴隷ではないのだから、自分の意思を見せてもいいんだし。という前提で(つまり奴隷のように隷属させない親)上の選択を眺めてみる。

そして問う。「こどもの視点に立ってみて、どれが正しいと思うか、客観的な考えを述べよ」。「客観的に」としたのは、正しい判断をさせるためにである。でないと、親が現実に子どもに押し付けていること、望むことを「正しい」とする場合があるからで、それを自己正当化という。正当化とは、(正当でない)自分の言動などを、道理にかなっているように見せること。

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少し話を広げると、医師には「正当業務行為」というのが認められている。これは、読んで字の如しで、"正当な業務による行為"のこと。つまり、刑罰法規に触れる行為であっても、違法性がないものとみなされて罰せられないという特典だ。そうでなければ人の体を切り刻むという行為は、何が起こるか分らないという、予測し得ないリスクをも背負っている。

最低限、人体のメカニズムや知識は持っているが、持っているとはいっても、学んだ知識である。経験という知識を得るためには、とりあえず非経験の段階から、人の体にメスを入れるしかないのだ。医療ミスと一言でいうが、書類の整理ミスや、レジの打ち間違いミスと違って、人の生命に関わるミスというリスクを医師は負う。いちいち咎められたり収監では気の毒であろう。

「千人殺して一人前」という比喩はこういうことだ。学んだ知識は大事であるが、「習うよりは慣れろ」の世界である。親の子に対する欲というのは、「正しい」と正当化されるもので、間違ったことを子どもにやっていると実感するのは親も辛い。「自信」というのは、そういった「負」の要素を排除し、これがいいんだ、これでいいんだ、子どもの幸せのためなんだ、も自信となる。

かつて奴隷というのはある種の職業であったが、人が人をそのように無碍に、非人間的に扱う時代は過去の遺物である。「奴隷解放」の歴史が示している。日本では「女工哀史」や「姥捨て山」、「唐ゆきさん」の時代もあった。避妊具のない時代に子どもが多くなるのは自明の理、おまけに貧困で食うに困る状況であらば、口減らしのために娘を売る非道理も正当化された。

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そんな哀しい時代、歴史の積み重ねの上に我々は存在している。欲で贅沢しか見えない(興味ない)人間は、「温故知新」という学習法もある。「われらはいかにあるかを知るも、われらがいかになるかを知らず」と、これはシェークスピアの言葉。「すべて昨日という日は、阿呆どもが死んで土になりにいく道を照らしたものである」と、これはナポレオンの名言である。

自分が親として長女に課したことは、自己正当化をすれどもすれども、理性に阻まれた。結局、強引に何かをやらせるということは、自分が自分の憎しみを抱いた親と同じであるということであった。いかなる理屈も自己正当化でしかなかった。中学のある音楽教師が自分にこう言ったのを覚えている。「やりたくないピアノを押し付けられ、嫌でしかなかった。

でも、こうして音楽大学を出て教職に就いた今、親から無理強いされたことを感謝している。」その言葉を聞いたときにこう感じた。「彼のいうのも人の生き方であろう。一つの結果であって、普遍的なものではない。結果オーライというのは、結果が良かった場合にのみ成立する言葉」。世の中すべての親が、都合のいい結果を望み、自己正当化して子どもを育てている。

「こんなことは権威者の傲慢であって、許されない」という自分がリベラルな考えにあるのも、傲慢な母親に育てられたからである。同じことをやっているようでは、母親を批判する資格はない。何かを批判しながらそれをやる偽善者など腐るほどいるが、たとい乞食に落ちぶれてもそんな人間より心は汚れていない。「心が汚れて何が悪い」という人間はそう生きて構わない。

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書きながらふと我に返ることがある。どうも自分は「親」に対して批判的である。自分は今、紛れもない親であるが、母親は存命であるから「子」でもある。しかし、「子」という職業はとっくに放棄している。「子」を放棄することがこれほど自分を楽にするものであったか、その事を満喫している。親の呪縛に徒労する子は、さっさと意識を外せと進言したい。

存在することで精神を病むような親など百害と思っている。「親を大事に」という儒教的精神論は、親に大事にされた子の自然な発露であろう。福原愛がベソかきながら、卓球をやらされていた少女時代は、痛ましい思いで眺めていた。しかし、それも彼女の明るさがネガティブさを跳ね返したのであろう。バイオリニストの五嶋みどりの母親も傲慢極まりないと思っていた。

みどりは福原と違ってナイーブな性格から精神を患ったりもしたが、世界的なバイオリニストの肩書きは彼女にふさわしくないと自分は感じている。人には本当に自分の性格にあった生き方があるからだ。そんな福原の父が亡くなった時、【 福原愛「不肖の父」急逝でわかった「絶縁」までの親子修羅 】という見出しが誌面を躍った。彼女も親の被害者なのかと。

「2008年の終わり頃を最後に、一度も会っていない状態にありました」。福原の父武彦氏の死去が公表されたのは、都内で開かれた世界卓球選手権団体戦の記者会見後のこと。会見での福原は、卓球以外のことについては一切語らず、一方的にコメントを送っただけ。福原は10代前半の多感な時期から父親との関係に悩まされ、関係者にとっても親子関係についてはタブーであった。

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確かに福原の卓球選手としての成長は、武彦氏の存在抜きに語ることはできない。「福原の競技生活を支えたのが武彦さんでした。練習環境を整えるために仙台、大阪、青森などに拠点を移し、専用卓球場も所有。卓球王国である中国出身のコーチも招くなど、資金の捻出が容易でないことは想像がついた。借金報道があった時は『そういうことだったのか』と思いましたね」(アマチュアスポーツ担当記者)

福原は明石家さんまとの卓球勝負に負けて泣いてしまう、そんなけなげな姿が茶の間の人気を集め、一躍国民的アイドルに成長。CM出演料は卓球選手としては破格の1本3000万円とも言われていたが、「バラエティ番組に出すぎの感もありましたが、父親の借金という理由があったのでしょう」(前出・スポーツライター)。親子の確執は、当人以外には分るまい。

親と子は敵対するものではないが、「万年雪に閉ざされし古城」のように、雪解けしないでお別れする親子もいる。ただ、ハッキリ言えることはどちらにとっても不幸なことである。生を受けて寝食を共にした同士が、口を利かない状況になったその事が不幸である。嫌なもの同士がつくろって顔を突き合わすより、顔を見ない、口も利かない、そのことを憐れとは思わない。

神奈川の中3少女の電車飛び込みという死に方は何という無残であろう。無残でない自殺があるとは思わないが、轢死体の悲惨さは、駅員がポリバケツを片手に体の一部を集める行為を想像するだけで分かる。ネットには「勇気がある」というコメントがあるが、断崖から海面に落ちるのも、ビルの屋上から宙に踏み出すのも、列車に飛び込むのも、首を吊るのも、勇気なのか…

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原因が分からぬ自殺を家庭の要因と考えるのは、無知とか早計という以前に習性であろう。もし、我が子がいかなる原因で自殺したとしても、親の責任を感じないでいられない。いじめであって、失恋であっても、その他いかなる理由であっても、強い責任を感じるであろう。「そんな親のせいにしないで」と思う輩はいてもいいが、習性であり、自身の問題である。

つまるところ、親が責任を感じてもどうにもならない事なのだし、犯罪なら刑罰の問題もあろうから、原因を究明し、犯人探しをするのと訳が違う。昨日は2007年(平成19年)8月24日に『闇サイト殺人事件』と称された、「愛知女性拉致殺害事件」の主犯である神田司死刑囚の死刑が執行された。被害者の磯谷利恵さん(当時31)の人生を、金目的で奪った残りの2人は獄中にいる。

母娘2人のささやかな生活が一変、「娘は私の生き甲斐」と悔しさを社会にぶつけていた母親の磯谷富美子さんは、 「遺族にとっては刑が執行されることは大きい。事件のことを忘れたいと思うのが当たり前。そういう段階を終えたのかも知れません。私が(事件のことを)忘れたいのですから、利恵も忘れたいはず。だから利恵に一切、報告しません」と述べていた。

同じように社会に生息しながら、言われなき犯罪で肉親や拠り所を失う人を「不幸」、「不運」としか表現できないが、根拠のない行き当たりばったりの犯罪とは、まさしく交通事故のようなものである。事件でではないし、事故とも言いがたい天災の被害者も、同じように「不運」というしか言葉は見当たらない。我々は個々が、他人の不幸を痛ましく弔うことしかできない。


ネットなどで他人の不幸を嘲笑し、茶化すのも、人のいろいろ、それも社会である。中3少女の電車飛び込み自殺についても、「オレはハムスター飼ってるから、死ねない」、「迷惑駆けて死ぬなくそガキ」など言い合う、掛け合うのも社会である。愛知県大府市で2007年12月、徘徊症状がある認知症の男性(91)がJR東海の電車に はねられ死亡する事故が発生した。

一審の名古屋地裁の判決では、介護に携わった妻と長男にJR東海からの請求額通り、約720万円の支払いを命じていた控訴審の判決で、名古屋高裁は「長男には見守る義務はなかった」として、JR東海の請求を棄却、妻(91)のみに約360万円の支払いを命じた。長門裁判長は判決で、重度の認知症だった男性の配偶者として、妻に民法上の監督義務があったと認定。

外出を把握できる出入り口のセンサーの電源を切っていたことから、「徘徊の可能性がある男性への監督が十分でなかった」と判断した。一方、長男の妻が横浜市から転居し、共に在宅介護していた点を評価。JRが駅で十分に監視していれば事故を防止できる可能性があったとし、賠償責任を5割にとどめた。死亡した夫は「要介護4」、介護にあたっていた当時85歳の妻自身「要介護1」と認定されていた。

認知症高齢者らの電車事故が起きた場合、鉄道各社は通常、振り替え輸送の費用や人件費などを合わせた損害額を本人や家族側に請求している。ただし、家族らが支払いに応じるなどして和解することが多く、鉄道関係者は、「訴訟に至るケースは珍しい」と話したという。近畿日本鉄道(大阪)と、名古屋鉄道(名古屋)は、線路や駅ホームへの立ち入りによる死亡事故について。

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認知症などの病気に起因しているかどうかにかかわらず損害額の賠償を遺族らに請求の構えのようだ。JR東日本(東京)や小田急電鉄(東京)も、「事故の原因や状況などを総合的に判断し、必要であれば損害賠償を請求する」と説明する。自殺は不慮の事故と言えなくもないが、認知症患者についての司法判断は納得できない。認知症患者の実態を裁判官は全く理解していない。

JR東海の告訴は訴訟権によるものだが、こんな判例を出す前に、司法修習生に介護体験をさせるのも一考だ。家族で介護する大変さや、上記、認知症患者について、裁判官には実体の把握がなさ過ぎる。首に縄でも縛っておけというのだろうか?NHKによると、認知症やその疑いがあり、行方不明になる人は年間1万人近くに上り、うち約350人の死亡が確認されている。

「自殺」について ④

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さて、昨日6月26日は何の日であろうか?「何かの起こった日」というのは、ナゾナゾ的答え方のようだ。で、正解は「長女の誕生日」である。○○家限定のローカルなクイズだが、では、6月24日は何の日だ?ヒントは、誰かの死んだ日。これで分かる人は余程の知識人?というより、余程のファンであろう。第二ヒントは、1969年6月24日である。第三ヒントは、自殺である。

第4ヒントは、当時20歳の女子大生である。第5ヒントは、立命館大学である。第6ヒントは、彼女の出身は栃木県である。第7ヒントは、彼女のイニシャルは、E・Tである。第8ヒントは、学生運動に熱心であった。第9ヒントは、死後、彼女の日記が父親によって出版され、ベストセラーとなる。最終ヒントは、本のタイトルは『二十歳の原点』という。と、ここまで言えば…

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正解は高野悦子。彼女は鉄道自殺であった。神奈川の中3女子もだが、駅のホームから電車に飛び込むのを飛び込み自殺というが、高野は、深夜に真っ暗闇の軌道上を歩いていてひかれた。これは飛び込みとは言わないだろうが、分類的には飛び込み自殺である。なぜ、鉄道なのか?轢死を選択する者は、最もむごたらしい死にザマになるのを知らないのか?

それとも、死んだ後の自分がゴミであろうが細切れミンチであろうが、どうでもいいのか?それとも、電車への飛び込みは衝動的なものが多いといわれる。電車が速いスピードでやってきて、「あ、今なら死ねる」と、ふらっと電車の前に…、そういうことなのか?軌道上を歩いていた高野も死ぬためにそうしていた。痛いのは嫌だろうから、電車に轢かれるのは痛くなさそう。

今から死ぬとはいっても、やはり痛いのは嫌だろう。自殺手段をみると、もっとも多いのは首吊りである。なぜなのか?痛くないのか?苦しくないのか?実は、首吊りは苦痛を伴わないのを自分は知識として知っている。ふつう、首を絞められると、息ができなくて苦しいと、多くの人は思うだろうが、首吊り自殺は気道を塞がれ、酸欠で死ぬのではないのである。

柔道等の絞めワザや、男女のsex時の、"窒息プレイ"と称されるような、頚動脈の血液を脳にいかないようにすることでの気絶(あるいは失神状態)であるから、息苦しいなどはなく楽な死に方である。死刑刑罰における絞首刑はそれとは違って、落下という物理的な方法を用いて、頚椎を折る(骨折させる)ことにある。瞬間意識が跳ぶのでこちらの方が苦痛がない。

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とはいえ、首吊り遺体は惨たらしいくらいに汚くなる。涎や鼻水、ウンチもオシッコも垂れ流しになるというが、死んだ後の事は知ったことではないといわれると、羞恥心もクソもない。几帳面な人、あるいは「立つ鳥、後を濁さず」を頭に思い描く人は、出すものは出して、という事もないではないだろうが、なにぶん経験もないし、体験談を聞いたこともない。

確かに落下による頚椎骨折なら楽にしねるが、木の枝などに縄を吊るして、リンゴ箱の上に乗っかって箱を払うという首吊りは、そうそう楽ではないという説もある。アラブの国などでは衆目の面前で行われる首吊りもあり、動画サイトでみると結構、もだえ苦しんでいるようだ。結局、すぐに気を失うことはなく、3分間ていどは苦しむことになるのだろう。

痛くない死に方、苦しまない死に方は、なるべく生と死の時間感覚が短い方がよいし、それを「瞬間」ともお、即死と言っている。となると、高いところから飛び降りるのがいいのだろう。しかし、あまり高いと死に向かう時間が長くて、それは恐怖心なのだろうか?こういうことも経験的に聞けないので想像するしかない。あまりの恐怖で落下の際、失神するとも言う。

死ぬ予定はないから、どれが楽か、どれがキレイな死かはどうでもいいとして、高野悦子の『二十歳の原点』は、今でも売れているという。彼女の本がなぜにベストセラーになり、こんにちなお売れ続けている背景には、日記というプライベートな、それも思春期時期の少女の心の内を、という覗き見趣味的なものあろう。実は彼女の日記は父親によって加筆修整されている。

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それが娘の日記を世に出すという編集者としての父親の、最低限の愛情であり、配慮であったのだろう。これを世間に出すのを母親は反対であったらしい。男と女の感受性の違いであろう。そっとしておいてやりたいというのは紛れもない母親の心情であろうし、父親の意図(よくいえば公益性)は理解できる。これで一儲けをなどは、出版動機としては皆無であろう。

社会全体の大学進学率が高くない時代、ましてや女子の進学率などは一桁の時代に、彼女は栃木の有名女子高校から立命館大学の史学科に進学する。当時は「進学校」などという呼び名もなかった時代である。今で言う偏差値の高い高校であるから、受験勉強をした様子も、家庭教師を雇った形跡もない。向学心はあれど経済的余裕がない限り、そうそう大学には行けない。

高野のことは数度書いたが、「自殺」という主題で、同世代的に彼女の名、顔が浮かんでくる。だから、彼女について何を記そう、何を書きたいというのではなく、時々に浮かぶ彼女の何がしかを、思い出として復唱する。過ぎ去り日、永遠の二十歳の彼女に思いを寄せるものもいれば、「彼女が一体何をし、何を残したというのだ?」いうクソマジメな批判もある。


「彼女は『己を律せよ!』、『己自身に忠実であれ!』、『読書せよ!』など自らを叱咤激励するが、彼女がこれと言った勉強をしたあとは全く見られない。もっとも当時大学に行っても講義もゼミもほどんど行われていなかったので、アルバイトをしたり、タバコを吸ったり、伊達メガネをかけて背伸びをしたり、時々手首を切ったりするなどくだらないことばかりやっていた。」

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という批判もある。そういう奴が結構、AKBオタクだったりするように、くだらないものが人間には重要なのだという思考が欲しい。かの発言者はこう続ける。「学生運動が盛んで、しかも講義がないのならば、図書館に籠ってマルキシズムの本を片っ端から片づけていけばいいのに、彼女は史学科であるにもかかわらず唯物史観に関するまともな本を読んだ形跡は見られない。

そして彼女は心の空洞を埋めるべく男に救いを求め、失恋し、学生運動にも満足出来ず、自殺の道を選ぶ。こうして日記の要約を書いてみたが、なんだかちっとも面白くない。私が学生時代になんでこんな本がベスト・セラーになった(り、映画化もされたらしい)のか良く解らない。今の人にはもっと解らないであろう。」と、人は自分の脳に無いものは見えないのだ。

高野悦子を批判する人だからと言って、それは構わない。ものの見方はいろいろだからいいのだが、「くだらない」ものは、くだらないと思わない人には「くだらないもの」ではないし、普遍的で絶対的な「くだらないもの」がない以上、それは自由に思っていい。真理を見つけて批判する人などいない。人の多くは、自分の好き嫌いという価値基準で批判をしている。

したがって他人の価値基準にも耳を傾けるべきであろう。「大学は学問することだ。それもせず、心の空洞を埋めるべく男を求め、失恋し、学生運動にも満足出来ず、自殺の道を選ぶ。この程度のくだらない女ではないか」という批判は、批判者にとっては正しいのである。彼の意見を間違いとも思わないが、そんな教科書どおりに生きた奴なら本は出ないだろう。

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読む機会もないし、名すら知らない人間である。善悪正誤よりも、彼女は高野悦子的に生きたから、高野悦子として名を残している。それ以上でも以下でもなく、批判に晒されるなら無名のナナシゴンベでよかったと、この批判者は言ってよいのだ。ナナシゴンベなら批判の対象とはならない。この批判者は高野悦子が高野悦子的生き方を批判するのは、それは賛同と同じこと。

つまり、批判は賛同の裏返しである。自分にはそのように聞こえてくる。高野悦子の存在なくして、この批判者の批判は存在のしようがない。「私が学生時代になんでこんな本がベストセラーになったり…」というのは社会を見ていない、あるいは知らないのであろう。「何でAKBの曲が出す度に100万枚も売れるのか、さっぱりわからない」と言ってるのと同じこと。

ベストセラーは、良きものとは別だ。漱石や太宰の本を良いと思って読むのはイイことだが、漫画しかり、高野の日記をくだらんといっても、売れればベストセラーになる。AKBの歌がくだらんといっても、売れるからミリオンセラーなのだ。なぜそうであるか、そうなるかを知るのが、時代を知るということ。吠えてるだけでは負け犬である。AKBは聴かないが、売れる理由は理解できる。

同時代に生きる者として。この批判者は小心のようで、最後にこう結ぶ。「万一高野悦子さんのご遺族が読んで不快になられたら、私の描きたいのは「高野悦子」という一人の女子大生の精神病理ではなく、学生運動と失恋と自殺以外のことは何もしなかった女子大生をことさらに取り上げてベストセラーにする時代精神である、ということでご容赦願いたい。

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この時代に、これだけ恵まれた環境にいながら学問らしい学問をしなかった高野悦子という人は怠慢としか言いようがなく、その点では高い学費を支払った親御さんと見解の一致を見られるものと思う。また、彼女がもし今学生生活を送っていれば、もう少し有意義な生活を送れたという点でも多分意見が対立することはないことであろう。」

高野が今学生なら、「有意義」な生活を送れたというのは、学生運動のことをいっているのだろう。学生運動が過熱した時代に、それに沿って生きるのが有意義なのであった、歴史に「たら」をいうのは、ケネディがオープンカーを止めて、防弾ガラスのクルマの乗って手を振っていたら、などと言ってるようなもの。彼は自らがオープンカーを望んだのであった。

歴史の「たら」は後人の特権だからいいが、高野悦子の『二十歳の原点』を、大学で真面目に学問した者の批判の矛先になるならそれでいい。だから価値があるんだろうし…。読む側として苦しみを覚える部分は多く、以下の詩は彼女の排他的な性格に引き込まれる。

◎ 6月19日 雨 「ティファニー」にて
 一切の人間はもういらない 人間関係はいらない
 この言葉は私のものだ すべてのやつを忘却せよ
 どんな人間にも 私の深部に立ち入らせてはならない
 うすく表面だけの 付き合いをせよ
 一本の煙草と このコーヒーの熱い湯気だけが
 今の唯一の私の友 人間を信じてはならぬ
 己れ自身を唯一信じるものとせよ
 人間に対しては 沈黙あるのみ

 暗闇のなかで静に立っている私
 今日はじめて夜の暗さをいとしく感じる
 暗い夜は 私のただひとりの友になりました
 あたたかく私をつつんでくれます  
 夜は
 己のエゴを熾烈に燃やすこと!
 己のエゴの岩奨を人間どもにたたきつけ
 彼らを焼き殺せ!
 彼らに嘲笑の沈黙を与えよ1
 ちっぽけな つまらぬ人間が たった独りでいる。

威勢のいい言葉を吐くも、ふっとひ弱で孤独な自分に立ち返る。躁と鬱とが交互に襲い掛かる中で、3日後の22日、彼女は最後の日記を書き、その2日後に生涯を閉じた。22日の日記は、以下の出だしで書き始まっている。

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◎6月22日
また朝がやってきた。19日以来の、このどうしようもない感情、うさ晴らしに酔うだけ酔って、すべてを嘔吐し忘れた方がよかったかもしれない。死のうとする人は、その様子や前兆が日記や言葉に出ないままに死に急ぐようだ。最後の詩にある「笛」というツールが何かを意味するように唐突に出現するのだが、「笛」が何かは分らない。

 旅に出よう 
 テントとシュラフの入ったザックをしょい
 ポケットには一箱の煙草と笛をもち 旅に出よう

 衣服を脱ぎすて すべらじゃな肌をやみにつつみ
 左手に笛をもって 
 湖の水面を暗やみの中に漂いながら 笛をふこう
 小舟の幽かなるうつろいのざわめきの中
 中天より涼風を肌に流させながら
 静に眠ろう
 そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう
  

「自殺」について ⑤

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年功者が「今の若いもんは…」という言い方をするときは、大概において、批判や非難の場合である。同じことをしてしまって(言ってしまって)は、自分たちが若いときに感じた、"くそったれオヤジども"と、同じムジナになるので、つとめて言わないようにしている。言わない=思わないではないし、時代の移り変わりに伴う違いは、当然にあるわけだから、以下のように言う。

我々はもはや大人になったが、今の時代の若者と自分たち世代の若者は随分と違う印象だ。何故かといえば、時代の差というしかない。手漕ぎの舟で波のままに漂う楽しさを、今の若者は知っていないようだ。が、飄々としたその楽しさを若者から奪い取ったのが我々でもある。文明の進化は時代を便利に変えた。しかし、手漕ぎの舟ではないが、不便の中に良き世界はあった。

こずえを渡る風に耳をすませてみないか?のんびりと湖水に浸る安らぎを感じてみないか?そんなにいそいそと、あわただしく歩んで行かねばならないのか?若者が早く命を落すのは、大人の真似事なのだろうか?中壮年期の自殺はしばしば耳目にするが、少年たちがそんな大人たちの模倣をしているのか…。子どもの成育が親の責任なら、若者のことは旧人の責任であろう。

すべてのことを善か悪か、黒か白かの範疇に分けることが、決して現実の事態に当てはまるとは言えない。そうすることはむしろ困難なことであろう。が、本当のものを知ることはその困難に耐えることかも知れない。部分は決して全体ではないのだと。世代断絶が必然としてあるなら、それは対話で埋められるであろう。が、対話というのもまた難しい。

何かを語れば「対話」になるというものではない。互いがフラットに、真面目に、決して欠陥や弱点ばかりに目を向けず、数えたてることをしなければ、対話は実り豊かになるであろう。若者を愛さない大人は、若者に愛される事はないであろう。尊敬などはむようにして、大事なのは「愛着」であろうか。真剣な対話のなかで、両者が本質的なものに思いを抱けばいい。

「無知な、アホな、バカな…」は、『坊ちゃん』に出てくる悪態ににて凄まじい。一つだけ前提として持っておくべきは、どんなに多くの時間を割いたところで完璧なる全体像はつかめないということ。その限界を知っておくことで、互いがムキにならずに対話できる。親子で悲劇的と思うのは、子がいじめを受けても親に何の相談もないままに自殺をする。

親としては、「どうして苦しみを共有してくれないのか」と、やるせなくも諦めきれない気持ちであろう。子どもが己の苦悩をなぜ親に告白できないのか?なぜ、もっとも身近な親に相談できないのか?その理由はきっとあるはずだ。思いつくことはいろいろあるが、ハッキリとは提示できない。子どもの論理もあるだろうから…。それにしても…

Mama, just killed a man
Put a gun against his head
Pulled my trigger, now he's dead

この告白は凄い。凄すぎるとしか言いようがない。が、これが本当の、理想の親子ではないかなと。やったことは犯罪であるけれども、それほどの悪事でも告白できるという母子関係は、スゴスギルの一言…。親子といえども禁句はある。例えば娘に「お前はもうエッチしたんか?」と聞ける父親は少ないだろうが、それを内心は知りたくても聞けない「何か」があるんだろう。

その、「何か」というのは、"血肉を分けた自分の娘"という父親自身の「こだわり」であり、「わだかまり」である。よそ様の女の子には聞けることが(聞かないオヤジもいるが)、他人にできて我が娘にできないこだわりは変といえば変。当然と思う親には当然。自分は思索の上、後者を排除した。何でもないことを、「こだわり」とか「わだかまり」が関係をイビツにしている。

自分からは率先して言わぬことでも、聞けばいうであろう。自分の父親は寡黙な人であったが、寡黙というのは何かを隠すために寡黙であったのではない。自分が高校生のある日、自分の家で近所のスケベなおっさんたちが集まって8mmフィルムの映写会が催されるとき、それが何かを自分は知っていた。一般的な大人なら、「どこか外に出て遊んでろ」というはずである。

何でそんな言葉をいうのかは、大人の身勝手な論理であり、都合である。父はそんなことは言わなかった。「お前も見るか?」と腹を砕いてみせた。おそらく…、としか言えないが父に葛藤はあったろう。あったけれどもそこは父子というより男同士、分かり合えるところは分かり合えるし、であるなら、「分かり合ったほうがいい」、そういう気持ちであったと推察する。

自分は驚いたけれども、大人の秘密の時間に加えられるということが嬉しかった。ブルー・フィルムの存在や、内容よりも、肩を叩いてくれた父は、「お前は今日、元服だな」と言ってるようであった。後に自分は、こんな親子っているかな?と、自らの親子に合点した。ざっくばらんで気さくな性格の親なら、特段珍しい行為とは思わぬが、真面目で寡黙な父である。

いや、真面目で寡黙なのは本質ではなく、外ではスケベなエロオヤジなのかも知れない。しかし、それを隠して真面目で崇高な父親として息子に尊敬されていることが、許せない人だったのだろう。これは自分の推論である。それを証拠に、自分もそういう親でいるのは自分自身に許しがたいことであった。3人の娘を持ったが、その中でもっとも会話のなかったのが三女である。

彼女が中学に入るときから自分は家にいなかった。つまり、中高は母子家庭同然に育った。そうして外国に5年出向いていた際も、一度もメールや電話をした事もない。肉親でありながらもっとも疎遠、であるがゆえに新鮮であった。親としてぐだぐだいったのは彼女が小学生までで、父親のいない寂寥感を抱いて育ったと後年に述べ、「私がこうなったのはお父さんの責任」と怯まない。

「こうなったって、どうなってるんだ?」とわざと聞いてみるが、怖いものがいなかったことで、「神」気分に育ったといいたいらしい。互いが歯に衣きせぬ言い合い、詰りあいもするし、手に負えないところはあるが、それでも一歩退いているところは感じる。やはり親としてみているのだろう。自分は長女や長男、次女よりは遠慮がないし、肉親意識を感じないところが新鮮である。

長男は男だからそこは遠慮がないが、長女、次女には異性としての遠慮があった。アダルトの過大請求が十万ほど来たと長男が、「help!」と言ってきたとき、「そんなもんビビらず、無視していればいいよ」と諭し、無料のサイトをいくつか教えてやった。父子は誰よりも親密でなければ意味がない。そこらの友人よりも知識もあるし、利用価値は高いということだ。

Papa, just killed a man」と言ってきたところで驚かない。驚いている場合ではない。冷静に対処と贖罪を指示する。だからあの『太郎物語』を読んで感動した曽野綾子が、「もし、息子が罪を犯したとき、世間がなんと言おうと、あたしは、絶対息子がいいと言おうと思っている。子どもが困ったとき、支持できるのは母親だけ。盲目的に支持していい人が、他にいないでしょ。

父親だって、ちょっと困る。母親が一番愚かしく、盲目的になってもいい……。親というものは子どもにとって辱しい困りものにちがいないでしょ。親は困りものであっていいんじゃないかしら。あたしは、息子に対して親というものは不法な、理屈の通らぬものなんだから、覚悟しろっといった構えでいる。」この言葉に我が目を疑った。『太郎物語』は間違いなく教育書である。

その著者がこんな法外な、いや無法な、盲目的母性愛を肯定しているのに驚いた。「母性愛」は法をも凌駕するものなのか?これで一変に彼女を嫌いになった。嫌いになった理由は、人間として「範」としたるものが一気に崩れ去ったからである。彼女は息子の犯罪を、「盲目的に支持」するという。違うだろう?息子が犯罪を起こしたなら、「理性的に指示」すべきである。

この隔たりが男と女の差であるか否かは分らないが、男だ、女だという以前に人間であるべきだ。もし曽野が、酒鬼薔薇聖斗の母親だったらどうであっただろうか?少年Aの母は『「少年A」この子を生んで」という手記で社会に詫びたが、曽野が母であったら、『我が息子「酒鬼薔薇聖斗」を讃える』という本でも書くんだろう。彼女の発言はまさにそのように受け取れる。

父親は子どもに対し、どれだけ冷静に理性的でいれるかの任を負う存在である。母親の任は何?それが分らないところが、自分が男である所以だ。そうはいっても、男と女がツガイとなり、共同で生活していくよう定められている。何かを決める際に船頭二人いては決まらない。「船頭多くして船山に登る」というが、昔の人は面白いことをいったものだ。

「船進まず」なら浮かぶが、「船山に登る」という言い方に感心する。それくらい誤った方向に行ってしまうとの比喩である。男と女、夫と妻、どちらかの力加減で物事が決まるのが現実であろう。が、特に子どもの育て方や方向性にはなぜか女(妻)の意思が優先されていないか?実際、そういう家庭が多いのを耳にする。とかく子どもに関しては女が正しいのか?

そういえば、「だったら、男が正しいとでもいうの?」と、こういう非論理的な言い方が、いかにも女らしいが、さてどちらが正しいのか?思いの強さで決めるなら、腹を傷めて生んだという女の方に軍配があがろう。が、思いの強さ=正しいとはならない。女が思いの強さで発言するなら、男は負けずに思いの強さなどで対抗すべきではないし、それは理性的ではない。

男だ、女だで判断するのではなく、人間的な正否で判断すべきである。「何が人間的な判断なの?」と聞く女もいるだろう。だったら上の曽野の発言をどう思うか聞いてみたらいい。あれを人間的に正しいという女がいたら、巷で問題になるモンスターペアレントと同じである。モンスターペアレントというのは父親もはいるが、冗談コクでね。誰がそんな親になるか。

モンスターマザーはいても、「我が子命」という父親は存在する価値なし。ここでも度々いうが、父親は社会である。父親が社会の目をもたないからモンスターペアレントといわれるのだ。そりゃ中には立派に社会の目をもった母親もいる。そんな母親から見たらモンスターペアレントは許せないはず。が、往々にして子どもに近視眼になるのが母親の役割という。

それを父親が修整できないという力関係が、「モンスターペアレント」という言葉を生んでいる。夫が、「自分は決して息子に自己中ではない、あれは妻が勝手に…」というのはありがちな言い分け。それを共犯というのであって、止めさせられない夫はヘタレである。いてもいなくても一緒という意味でヘタレ。間違った方向付けに意を唱え、修整する力がない。

こういう社会現状はかつて無かった。女が地位を上げ力を持つのはいいが、最終的な判断は、人間としての正否で決めることだ。女だの男だの、妻だの夫だの、母だの父だのという肩書きで覇権を争う場合ではない。曽野の発言は人間的に非道であるが、それを肯定する女は危険である。そう問題提起をし、危険な人間が舵を取ってはならないとお危機感を持つ。

でないと、いい家庭はできないだろう。妻が力をもってもいいが、人間的かつ合理的、理性的判断でなされるなら何も問題はない。合理的とは、理性だけで生きることでは決してない。○×式思考法からもたらされるような、「理性か、感情か」の単純な二価値的判断でもない。あくまで、「状況全体に対する、明晰で、十分な意識が是認する方法」で生きること。

「最高のことは、一切の事実はすでに理論であるということを理解すべき」と、ゲーテは『格言と反省』の中で述べている。人間はその人個々の命運(学問や学習や素養など)によって、獲得された概念的ともいえる様々な関連が、おのずから「理論」を導き出す根源であろう。「私は何も考えないで生きている」あるいは「生きてきた」を標榜する女がどういう理論を持っている?

すべての感性的行為が正解なら「理論」など要らない。それが正しいかどうかを、客観判断をするための「理論」である。直観は正しいというなら、間違った時に、「もう少し考えればよかった」という言い訳をしてはダメだろう。「理論」とは、そういう言い訳をしないためにある。それでも人間は間違うものだ。しかし、考えて出た結論なら悔いはない。

「高野山の決戦」として歴史に名を残している、第7期名人挑戦者決定三番勝負の第三局において、勝勢であったが手拍子の大悪手を指して、頓死を食らい、「錯覚いけない、よく見るよろし」という有名な言葉を残した升田幸三。人間は第一人者といえども感情に左右される動物だ。理性とはそれを戒めるためでもある。自殺も高ぶりではないかと察する。

断崖から、ビルの最上階から、人は理性的に飛び降りることができるのか?手足が逆に折れ曲がり、頭骸骨が砕け、脳があたりに飛び散るような凄惨な状況を、人は理性で最後の姿にしたいものか?自殺者の心情は精神錯乱で、夢遊病が如きとも言われるが、そうでなくて、地を蹴って人は空に舞うことができるのか?ユーミンの『ひこうき雲』のエピソードがある。

自著『ルージュの伝言』の一節。「私が高校三年ぐらいのときに、うちの近くのすごい高い団地で高校生同士の飛び降り心中があったの。それがけっこう新聞をにぎわしててさ。若いときの死というのをすごく感じたのね。(中略) だけど、自分でやるって思ったことは一度もないよ。でもするとしたら、ガスでもないし、睡眠薬でもないし、飛び降りだなって思ってるわけ。

 実は死についての歌が今までに、「ひこうき雲」入れて四つぐらいあるの。この飛び降りの事件がパッと耳に入ったときに、思い出したことがあるのよ。小学校のときの同級生の男の子に、筋ジストロフィーの男の子がいたわけ。(後略)その子が高校一年のときに死んだの。お葬式に呼ばれて行ったら、写真が、もう知らない写真になってるわけよ。(後略)

それでそのことがけっこうインパクトがあってつくった歌が、『ひこうき雲』って歌。高校の終わりか大学の頭に作ったのよ。話はちょっと変わって、飛び降り自殺なんだけどさ。(後略)」


「自殺」について ⑥

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"人を殺すのはよくない"理由の中に、"人を殺すのは自分を殺すことになるから"というのがあった。酒鬼薔薇こと元少年Aも「(人を殺すのが)どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるのです」といっている。実際に人を殺した人間として説得力がある?

「ある」と答えた人に驚いた。元少年Aの答を「説得力がある」と思った人間は、彼の言葉を評価したことになる。「人を殺さないでください。もしやったらあなたが苦しむから」と、この言い方をだ…『元少年Aこと酒鬼薔薇は、学童を5人も人体実験と称して殺傷した奴ではないか?そんな罪人の言ってる事なんかくだらない!』そういった差別主義批判ではない。

「自分が苦しむから人を殺すなって」、こんな言い方ってあるか?「人の物を取ったら自分が苦しむから止めなさい」とどう違う?「万引きしたら苦しむよ」と、言っている。他人の物を取ったり、盗んだりで苦しむことはないが、命だと苦しむ。これのどこが素敵な言葉なのか?あまりに自分中心的な考えである。ではいうが、ISIL(イスラム国)の奴らを見よ。

彼らは人を殺してな~んも苦しまない。ということは、人を殺して苦しむこと限らないのだ。元少年Aは「苦しんだ」というが、謝罪(贖罪)の本質は言葉ではない、態度(行動)と自分はみる。とにかく、自分が苦しむから人を殺すなというのは、納得できない。苦しまなければ殺っていいのか?自分が苦しむ、苦しまないに関わらず人を殺してはいけないんだよ。

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他人を思う(いたわる・配慮する・思いやる)、そういった心を人間は育んでいかなければならないが、人を殺すのに、自分の都合(理由)など関係ない。という情緒を持たない人間なのだろう、元少年は。それは単に彼の性格か?この言葉に賛同・賛美する人間は、基本的に自己中な気がする。人を殺してはいけない理由は、自分の都合より、相手の都合考えることだ。

「悪事をしてはならない。それは他人のためか、自分のためにか?」という設問について考えればいい。人は子どもの頃に親から「他人に迷惑がかからぬように…」といわれる。なぜそのように躾をするかといえば、自分は自分のことしか分らないからである。自分の欲、自分の喜び、自分の快楽は分かるが、他人のそれはまったく分らない。理由は他人だからである。

他人の心と自分の心はつながっていないからである。それでも、人間が社会で生きていく以上(二人も社会)、相手の心や気持ちを思う、洞察する、そういった想像力を働かさなければならない。親はそれを躾けようとするのだ。自分勝手では生きていけない、他人に迷惑をかけては生きられない。その大切さを教えるのだが、なかなか自分以外の事に目を向けられない。

そのために規則を設けるのである。「法」は、規則の中でもっとも重いものだ。それで暗黙に縛っておかないと、人間は自分の「欲」に負けてしまう。理性と感情のぶつかり合いの中で、感情が勝ってしまう。「悪を行為するのは、他人のためではなく自分のためにである」というのは、言葉だけで見ると崇高に思える。「勉強は人のためにするのではない、自分のため」。

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「他人への親切は他人のためするのでなく、自分のためにする」。こういう主体的な「生」は素晴らしく、自己向上心の賜である。善い事はそれでいい。人のためにとか、人が見ているから善い事をする人間などたかが知れているが、悪事は違うようだ。悪事をしないのは自分のため、という自制心より、他人のためにしないと考えるのがよいと思うのだ。

他人に「善」を施すのは自身の快感となるなら素晴らしいが、他人に「悪」を施すのは自身の快感であってはならない。しかし、他人への「悪」は快感で行われる。悪いと思っても「定め」に負けてしまう。自分の都合(欲望)に負けてしまう。悪を行為するかしないかの際、普通心が葛藤するであろう。その時に利他を優先させたら、悪は行為されないであろう。

悪を抑止するためには利己より利他が勝る。他人のために悪事をしないという心を育むべきでないか。万引きするかしないかを葛藤の上、行為する人間。葛藤などまったくしないで、簡単に行為する人間。葛藤の末にやらない人間。この中でどれが善いであろうか?道徳の授業で奨励されるのは最後の、「葛藤の末にやらない」であろう。が、更に上回るものがある。

それは、「葛藤もなにもない上、万引き等絶対にやらない」、この態度である。「何の葛藤もなく悪をする」の対極。これはお金を出さないで物を得たいという欲がない上に、善悪の倫理観が備わっている人。理由もヘチマもない。葛藤などもあり得ない。この情動を「観念」という。つまり、人を殺す理由などあり得ない。観念的に「悪」だと思っている人は最強であろう。

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そういう観念を植付けるために躾をするのである。「約束には遅れない」、「借りたお金は返す」。前者は時間の観念、後者は金銭の観念を教え、身につけさせるためにうるさくいう。善悪の基準を個々に委ねるではなく、普遍的な観念として位置づける。これで人間は最強になる。最強の意味は、悪の行為に悩まない、葛藤しない。自分は絶対的な道徳としてそれらを持っている。

人の物を取るのなど理由抜きに悪。借りたものは返す。約束の時間には遅れない。人を殺すのも理由抜きに悪。自殺も自分が自分に行う殺人であり、理由抜きに悪。これらは、いちいち理由を考えていると、都合のいい方向に向いてしまうからだ。人間は弱い、だから観念で封じ込めておく。が、人間には矛盾がつきもので、その辺りを処理する思考は必要である。

「人を殺す=悪」を観念とするなら、「お前はお前を殺そうと向かってくる相手に、黙って首を差し出すのか?」、「国家に戦争に借り出されて、人殺しは悪だからと一回も引き金を引かないのか?」、「死刑は殺人ではないのか?」などが矛盾として沸き起こる。果たしてこれらに答を持っておく方が、自分の行動に説得力をもてるであろう。キーワードは「人」である。

同じ人でも、「自分を友と迎える人」と、「自分を殺しに向かってくる人」の「人」は別である。人はいろいろに変化する。つまり、同じ人間でも自分を殺そうとする人を普通の人ではない。戦争も人は敵と変化する。変化するものに対し、こちらも変化をしなければ、その人はバカである。親も人、他人も人なら、他人には言えるが、親に言えないことはあろう。

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人によって言葉使いを変えるのも、人に対する変化であろう。様々な人に対してそれぞれの人に対して適切な言葉使いができない人間はバカであろう。やんわり無能といってもいいが…。すべての人間に友だち言葉で会話する人間は、適応性、対応力がないという意味で無能である。社会で生きて行くなら、身につけなければならないことは多い。

元少年Aの「なぜ、人を殺してはいけない」の答に思考を割いたが、彼が自己中人間であるのが、言葉から読める。自殺者の一般的な心理を「自己中者」とあるのを多くネットでみるが、自分はそうは思えない。むしろ逆ではないかと思っている。最近の二人のエリートの自殺といえば、長崎高一殺害事件の少女の父親、STAP細胞関連における理研の笹井氏である。

責任感と周囲の視線に耐えかねての自殺と思うが、周囲の目線と自尊心の崩壊後も逞しく生きる佐村河内氏に自殺の二字はない。上記の二名はエリートの脆弱さなのであろう。元少年Aも自殺などあり得ないタイプに思える。理由は人を踏みつけても、自分の「生」を実行できるからであろう。コイツは死んだ方がマシと思う人間はいないが、それに近い思いを抱く者はいる。

元少年Aは被害者遺族に許されてこそ贖罪である。ところが彼はそれらを裏切るかのような手記を出した。そのような事でお金稼ぎをせずとも、被害者遺族との雪解けに向かって、彼の人生は新しく作られつつあると思っていた。だから手記に驚き、中を読む以前に行為に怒り心頭であった。そんな彼の一字一句など、読む気も起こらなかったのは、さすがに憤慨である。

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読んではいないが、謝罪の言葉は用意され、実際にくどいくらい本分には謝罪の言葉があったという。謝罪をしながら盗みをするような奴はいる。裏返せば、物を盗んでも謝れば許されるという人間であろう。そういう人間は、許しを乞うと態度自体がそもそも偽善である。自分勝手な偽善を平気で行えるのは、許しを乞い、相手に自分を認めてもらいたいからであろう。

詫びたり、謝ったりは自分のためである。決して相手のためではなく、自分の存在を認めてもらいたい行動である。だいたい、憤慨・立腹した人間は、そういう対象の存在を認めないし、無視するという感じであろう。罪の意識を強く感じているなら、むやみに謝れないと思うし、それが相手に対する誠実ではないの?「謝ったらどうなんだ?」と謝罪を求める相手もいる。

であるなら、相手の指示に従うべきである。その場における形だけの謝罪であれ、相手側が要求するなら答えるべきだ。相手の要求もないのにやたら謝罪する人間のズルさ、心の弱さとはいえまいか。自身の犯した悪(罪)に対する制裁は、相手が自分を憎み殺そうという怒りを受け入れることである。そういう強い心で自分の罪に向き合い、相手の怒りに向き合うことだ。

ところが詫びることで、相手が自分を抹殺したいという怒りをくじき、そのことで許され、自分の存在を認めてもらおうとするのは、弱者の偽善行為である。本来、心弱き善人が成すはずのない、人殺しという行為をしながら(はずみで死に至らしめた過失致死は別にしても)、手の平を返したような謝罪で自分を売り渡す。そういう人間が人を殺せるものなのか。

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自らの確たる意思で持って人を殺すような悪の権化ともいうべく「愛知・闇サイト事件」や「女子高生コンクリート殺人」、「山口・光市母子殺人事件」などの凄惨な事件の犯人をして、「まったく反省の態度がない」、「ふてぶてしい」、「人間というより鬼畜」などとマスコミは書くが、当然であろう。鬼畜・極悪人間が事件後すぐに、ちゃらちゃら謝るはずがない。

彼らは善人ぶった演技はしない。酒鬼薔薇も家裁による『処分決定要旨』の処遇理由で、「少年は、表面上、現在でも自己の非行を正当化していて、反省の言葉を述べない」とあるが、そういう人間であるからこそ起こす犯罪である。あれ程のことをし、「少年は自己の非行を悔い、被害者並びに被害遺族に対して、反省と強い謝罪の念をもって…」である方が理解に及ばない。

元少年Aの手記は、型どおり遺族に謝罪すれば何を書いてもいいだろうという自己本位な考えを彼は医療少年院で身につけた。社会にあっては、媚び諂うことで利益を得ることも現実である。贖罪や更生とは程遠いそのような元少年Aの社会観であろう。そういった偽善を行為する限り、彼は生の実在感を手にすることはできない。謝ることで何が変わるというのか?

相手に及ぼした迷惑が取り返せるはずもない。言葉にする「謝罪」とて無意味であるにも関わらず、被害遺族の心情をくじくような行為は言語道断である。酒鬼薔薇に限らず、他者に認められて生きる、このため我々はありとあらゆる偽善を犯して生きているのだ。善良で善意な顔の裏にある真意は、弱々しく相手に取り入って生きようとする、人間の腹黒さであろう。

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卑劣さと言っても過言でない人間もいる。いずれも本人は意図しているが、相手は気づいていないと思っている。確かに気づかぬ人間もいるが、気づく人間もいる。しかし、社会というのはそういう事を泳がせてくれるところでもある。つまり、社会自体が偽善で成り立っている。他人を偽善者というなかれ、あなたこそ偽善者である。もちろん、自分も偽善者である。

元少年Aを擁護する気はないが、彼は真に行動者であろう。人体実験と称して女児をハンマーで殴打し、人間の壊れ方を調べたいという、行動主義・実験主義者。想像力だけでは満たされないゆえに行動する。善悪の判断基準の欠如というより、善悪など考えない。万引き行為者は犯罪意識の欠如だが、人間の欲望と犯罪意識の自己格闘で、意識が上回れば犯罪はしない。

また、元少年は自らの犯罪の流れや過程を自身が楽しみたいという、それがマスコミに対する酒鬼薔薇によって起こされた挑戦的態度であろう。あのような人間がどういう理由で作られていくのか、心理学的な考察はなされるのか否かは分らない。特異な変種なのか、それも分らない。しかるに、更生プログラムが用意されてあって、医療行為として治癒するのか、それも分らない。

思い出すのは映画『真実の行方』で、エドワード・ノートン扮するマーロン。彼は人格障害を弁護士に告げる。弱々しくも善人気質な自分と、気性の荒いサディスティックな自分を見せたが、一切が罪を逃れるための演技であり、正常なマーロンはお硬くて頭のいい弁護士を騙して楽しんでいた。少年Aの医療少年院には、早熟で利発な彼に騙されない優秀な専門員がいたのか?

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かつて日本の少年法では、どんな犯罪を犯した少年でもあまりの凶悪犯罪を除き、更生の可能性があると保護処分となり更生施設に送られた。凶悪な犯罪を犯した少年達が更生する可能性はあるのだろうか?法務省『犯罪白書』に依れば、少年犯罪の方が成人の再犯率よりも低いようだが、それでも40~50%内外という。記憶にあるのは「三菱銀行人質立てこもり事件」の梅川昭美。

彼は15歳のときに殺人を犯し、少年院に入ったがわずか1年余りで出所している。 そうして30歳の時、彼の人生における2度目の犯罪が、あの凄まじい「三菱銀行人質事件」。少年事件で捕まったとき、梅川は精神鑑定にかけられ、「情緒性欠如の精神病質」と判断されていた。「病気」ではなく「異常」という判断である。なぜに1年で出れた?彼はマーロンを演じたのか?

「自殺」について ⑦

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人間が基本的に姑息なのは、親や教師が子どもや生徒を姑息になるように教育するからではないか?それを教育というのかは異論のあるところだが、教育が「教え」、「育む」を旨とするなら、「姑息」を教え、育んでいるのであろう。どんな子どもであれ、親にどう対処すれば、機嫌がよくなるかを知っている。生徒はどういう作文を書いたら教師が喜ぶか知っている。

子どもや生徒に暗黙にオトナの価値観を要求し、子どもたちがその要求に答えようとするのが「姑息」。「姑息」の正確な意味は、根本的に解決するのではなく、一時の間に合わせ。その場しのぎ。とある。自分の意味は相手に"おもねる"という時に、「姑息」を使う。相手におもね、媚びへつらう人間を「姑息な人間」と称しているが、意味は多少違っている。

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相手におもね、姑息になるかどうかは性格にも起因するし、性格と言うのは後天的な要素も大きいが、素質や遺伝もあり、脳科学は、生まれ持った脳の働きの特性が人間の性格に大きく反映されると解明した。性格は「生まれながらのもの」と同時に「作られるもの」でもある。これが日本人、中国人、フランス人、ロシア人となると、「作られるもの」の要素が大きい。

「日本人は真に勤勉にして、昼夜なく働く。体面を重んじ、やや短期である。ただ、忙しく働き、忙しく去る。定住することはない」と、これは江戸時代、日本と交易を許されていたオランダ商館長のエレミアス・ファン・フリートの日本人観である。西欧人は聖書の創世記にあるように、労働を苦とみなしていたが、日本人が勤勉なのは、労働を神聖とみなしていたからである。

同様に日本人は姑息な民族である。物事を根本的解決しようとせず、一時の間に合わせ、その場しのぎが好きである。アイマイミーと英語の初期に習うが、アイマイ好きは日本人。集団志向が強く、集団意見と異なる発言をして、「外」の人間になることを恐れる。全体の意見が決まるまで、たとえ発言したとしても、曖昧な表現で自分の考えをはっきり伝えないでおく。

日本人の好きなところもあり、嫌いなところもある。好きなところは温存したいが、嫌いなところは変革したい。が、日本人の総体が変革しようとしなければ、変革で浮いてしまう。集団主義の日本人は浮くのを恐れるが、「そんなこと恐れていられるか!」という自分のような人間は、物事を曖昧にしたり、言葉を濁して誤魔化すようなことを嫌がり、それをやらない。

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近年はそういう若者が増えてきているようだ。何を考えているか分らない人間より、自分に合う、合わないも含めてはっきりスタンスが示される方が付き合いやすい。大事なことは、「意が同じ」ではなく、「相手の考えが分かること」である。相手の考えが分かったとしても、互いが「分かり合える」か否かは別。分かり合えるとは、違いを許容しあうことであろう。

違いを寄せ付けない人間もいる。同じ考えの人間の集団を、「仲良しグループ」といい、それも典型的な日本人気質かもしれない。自分は人に媚びず、人におもねない性格で、是は是、非は非を行動原理にするから、親密になるまでは距離感を保つ。でないと、仲良しと思われた相手を批判したりで、その際、相手は裏切られたような気に陥る場面にしばしば遭遇した。

「仲良し同士は合わせなければならない」などはまったく思わないし、考えや価値観が違っても仲良しはあり得る。日本語の「仲良し」という言葉が、人によって受け取り方が違うようだ。神を信じる者と、信じない者は仲良しになれないのだろうか?信じる根拠と信じない根拠を対等に、話しあうことも仲良しと思うが、どれだけ話し合っても結論は得られない。

だから、最初から神の「有無」の結論を求める話はしないこと。神を信じるものはそれを前提に、信じない者はそれを前提に話し合い、難しい問題が生じれば、さらに突っ込んだ話をすればいいのである。価値観が違っても仲良くできないことはない。自分の考えを押し付けない限り…。考えの異なる同士が共存、共栄するのが社会である。人は人、自分は自分である。

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自分の価値や思考を持つならいいが、それすら持たずのパラサイト人間であり、近年は、そういう姑息な若者が増えていると感じる。学歴信仰が崩壊か存続かの過渡期であることもその要因か?受験勉強はするが、基礎的な学力低下が起こっているのは、勉強して偉くなって何か得するのか?という疑問が生じているからか?戦後の高度成長期は頑張って勉強して大学へ…

そうすればよい会社に就職できる。そうすれば幸福になれる。などという人生の方定式が存在した。仮に、高校に行けず、大学にも行けずとも、「勉強でがんばる」ことはなんらかの報酬に直結するような価値があり、これが若者の全体の学力を高めていた。高校3年のときに、クラスで一番だった女子は、早い時期から、家庭の事情で進学をしないと決めていた子。

彼女は高校卒業と同時にJA支所(かつての農協)に就職したが、当時やりとりした彼女の手紙には、親族・友人に対する預金勧誘ノルマがキツクて苦しいとこぼしていた。成績がトップであっても、勉強と営業能力は無関係であり、できないこと、苦手なことを要求される非情さが社会の現実であるのを自分は知った。そういった社会の現実は、今も昔も同じであろう。

勉強がよくできることと実社会の現実はリンクしない事が多い。昔と違って昨今は、少々勉強が出来たくらいで就職はできないし、勉強で頑張ったからって報酬をたくさんもらえることはない。それでも勉強を頑張るやつとまったく勉強しないやつの、二極化が生じている。前者は医師、弁護士、公認会計士、MBAといった、報われる可能性の高い資格や職業を目指す輩である。

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本人が自分の将来を見据え、目的を持って勉強するのはいいが、2つの親殺し事件は、いかにも日本的である。1980年11月に起こった「神奈川金属バット殺人事件」は、東大経済学部を卒業し一流企業に勤務する父親が、2人の息子たちにも一流大学、一流企業へ進むことを期待し、意欲を持ち努力しさえすれば、一流大学に合格できるはず、というのが父親の人生哲学である。

母親は夫を尊敬し、夫の方針に従って子供の躾、教育に当たってきた。長男は両親の期待通りに一流大学に進学し、一流企業に就職する。しかし、2歳下の次男は有名大学の付属高校の入学試験に失敗したあたりから成績が振るわなくなり、次第に父親の期待から逸れていく。2度の大学受験に失敗し、もう1年浪人させて欲しいと父親に懇願し、浪人生活2年目に入る。

予備校に通うと毎朝家を出るが、予備校には行かず時間とお金を浪費する。ある夜、父親の定期入れからキャッシュカードを盗んだことがばれる。身に覚えのない現金盗難を疑われ、父親から「家に泥棒を置くわけにはいかない。出て行け!」と激しく叱責される。こんな場面ではいつも父親を宥め、次男を戒め、支援してくれていた母親も、この夜ばかりは違っていた。

次男は2階の自室でウイスキーを呷り、やるせない気持ちを紛らわしていたその時、父親が部屋に入ってくる。酒を飲んでいる次男を見て、さらに怒りを爆発させ、「大学に行くのを止めて、明日、出て行け!」と足蹴りする。次男は追いつめられて逆上、ウイスキーをさらに飲み犯行を決意する。もう一件は、2006年6月に起こった、「奈良自宅放火母子3人殺人事件」である。

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奈良の高校生が自宅に放火し、母と弟妹二人を焼死させた事件で、高校1年生の長男は調べに対し、「父親から成績のことで再三叱られたことが嫌になり、すべてをなくし、リセットしたかった」と供述。医師の父親は長男にも医学部に進学することを期待し、ICUと呼ぶ勉強部屋で勉強を見るなどしていたが、時には熱心さのあまり、長男に暴力を振るっていた。

これらの事件は外国では例外はあれ、一般的に起こり得ないのではないか。子供が親に暴力を振るうなどは、キリスト教の倫理観が存在する社会では起こり得ない日本独特の問題である。個人の能力や個性を尊重する西洋諸国では、親が子供の将来像を描き、それに沿って無理やりレールを敷き、時に叱咤激励、時にプレッシャーをかけてレールの上を進ませるなどあり得ない。

他のアジア諸国でも儒教的精神、あるいは仏教が日常生活の中に生き、血縁的繋がりが強く、子供が親に暴力を振るうことなどもない。親に暴力で抗する、言葉で抗する、これらは反抗期という自我の芽生えで必然的におこるが、それができなくて自我と悶絶したあげくに自殺を選択する子も少なくない。自殺は思考の結果というより、思考停止ということであろう。

親への反抗は殺す、暴力、言葉、自殺、それ以外にも選択肢はある。たとえば家出もその一つであろう。原因不明の家出には連れ去られなどもあるが、親や家庭が嫌だから家出する子どもはいる。これらの中で自殺を選択する子は、デリケートな性格であろう。親との問題に限らず、危機に際してすぐに上手く行かなければ死ぬしかないという思考の持ち主は傷つきやすい子だ。

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いじめや親との問題に限らず、大人にあっても不況の進行に伴う自殺の増加をみるに、日本人はデリケートな人種である。ストレスに弱く、危機に及んですぐに思考停止になりやすく、「もう死ぬしかない」という心境に追いやられる。戦時中の「特攻」や「万歳攻撃」、「玉砕」の数々は、日本人のそうした情動の典型といわれる。同じ敗戦国のドイツと比べてみるといい。

ナチス・ドイツは敗北濃厚にも関わらず、本土決戦を行い、ヒトラーが自殺するまでベルリンで市街戦を敢行したが、特攻や万歳攻撃などは皆無であった。前線に駐留するドイツ軍の各部隊は、敗北が決定的と判断した時点で連合軍に降伏した。「生きて虜囚の辱めを受けず」という日本軍軍紀が、ドイツ軍との違いによるものだが、こうした軍紀そのものが思考停止である。

戦時であれ、平和な時代であれ、日本人は追い詰められるとすぐに自殺をする。キリスト教圏は自殺を禁ずる教義があったからともいえるが、危機に瀕してじたばたしない潔さという価値観を美学体系として日本人が持っていたのは事実であろう。自殺は人間に普遍的に見られる行動だが、自殺の美化、切腹、男女の心中(あるいは親子心中)は、日本人の伝統である。

日本人の文化意識「もののあはれ」は、日本人が情緒的人間である事を示す一面であるが、自殺という行為も日本人の情緒的意識ではないかと思いたくもなる。ハラキリは日本を代表する文化であるが、これは自殺を美化したものであり、このような様式美と名誉が与えられた自殺方法ないし自殺刑は、日本以外に存在しない。三島由紀夫もこの事に自覚的だった人物である。

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ハラキリなどというマゾヒズムは、突きつめると何のことかさっぱり分らない。外国人があんなバカげたことをして一体何になるのかと思うのも道理である。が、論理的に物事を突きつめず、ある時点で思考を停止させることで、「文化的意味だ」といわれれば、それ以上はないのだ。人間がオカシイと感じることに意味があるというのは、その時点で思考を停止させたものであろう。

だから「意味があるのだ」という言葉が生きてくるのであって、突きつめて考えると、特攻も、心中も、ハラキリも論理的意味はもたない。日本人がプリンシプルを嫌い、何事も情緒的判断を好むなか、プリンシプルに生きたカッコいい日本人と言われたのが白洲次郎である。彼はまた、「日本人がプリンシプルを持たない限り、永遠に敗戦と戦後を終えられない」と見ていた。

日本人に自殺が多いのは、日本人が情緒的な民族であるからという考えは間違っているのか?確かに、「情緒不安定だから自殺をしたのでは?」という言い方がなされる。情緒が不安定で自殺というなら、情緒が安定すれば自殺はないとの論理に受け取れる。民族の分類としての「情緒的」と、人間個別の精神的・情緒的の「情緒」とは「木を見て森を見ず」の木と森の違いがある。

自殺は、人の生き死ににかかわる極めて個人的な問題であると同時に、生活苦や過重労働、介護疲れやいじめ、それらと通底する社会的な問題である。そういった極めて今日的な社会の課題が、自殺の問題に凝縮されているともいえる。だから自殺は情緒的な問題ではないといえなくもない。であるなら、自殺を「情緒的な問題」と考える自分が、情緒的なのか?

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と、自己問答しながら、少し意味の取り違いに気づく。自殺は想像でいうなら、思考停止状態でなされるのではないのか。また自殺は、死に行く我が身をある種美化する情緒性もあるのではないか?死に行く我が身は汚れているなどと思うより、美しい行為であると思うのではないのか?自分が死ねば、きっと周囲の誰かが悲しんでくれる、同情してくれるという思い。

そういうものが自殺者にあるなら、自殺は間違いなく情緒的であろう。遺書の多くは実に美しく情緒的に書かれている。もし、自殺を醜いもの、汚いもの、バカげたもの、アホのすること、間違ったもの、正しくないもの、損なことなどなど、考えたらできないのではないか?いや、それでも死ねるものなのか?わからない…。自殺はワカラン。記事はこれくらいにしとく。

やはり、ワカランことは分かりたい

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自殺はワカランといいながらも、新幹線車内で焼身自殺という、前代未聞の、特異な、信じ難い、自殺について脳が反応する。多くの人が「自殺の理由」、「他殺の理由」を述べている。人の主張もイロイロあるように、考えればそれなりに自己の考えも少なからずまとまるかも知れない。誰がこんな自体、こんな自殺を想像できるだろう?が、現実に起こった。

「オカシなことをするもんだな…」と結論すれば、どんなにオカシなこともそれで済ませられる。「何であんなことするのか?ワカラン…」で、済ませる人もいる。「何であんなことをするのか解りたい」という人もいる。分らないことを分かりたいも人間の欲求だ。ある人は、「考えても仕方ないこと」と言う。「自分のこと以外、興味ない」という人も、結構多かったりする。

「情けは人のためならず」という言葉がある。この意味を間違って解釈していたのに気づいたのは高1であった。誰だったかに用法の間違いを指摘され、正しい意味を知っただけでいたく感動したのを忘れない。知らないことを知ったとき、間違いを間違いと気づいたとき、人は向上する。成長するというのはオーバーかも知れぬが、目くそ程度でも成長だ。

学童期に毎年5~6cm程度身長は伸びるという。が、気づいたことはない。誰だったか、「夜中に身長が伸びる音を聞いたことがある」と言っていた。何の音だか、骨の音だという。バキバキはオーバーだが、表現できない音だという。そんなバカな、身長なんて、あるときふと「背が伸びたな」と感じるものだろう。と思いきや、ある女優がテレビで同じ発言をしていた。

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元バレーボール選手の三屋裕子だったか、真面目でネタを振るような選手ではなく、「夜中に自分の膝の関節がバキバキと音がした」という。バキバキ音はオーバーではなかったようだ。ネットには14歳で15cm、15歳で10cm伸びの体験者が、あちこちの関節がきしむように痛いので、整形外科に行ったところ、「関節や骨に異常はありません、成長痛です。」と言われたという。

人はいろいろな体験をするものだ。デブになる音というのは聞いた事はないが、アレは骨ではない、肉がつくから無音だろう。少しそれるが、時代劇映画で人を斬ったときの「バシっ」とも「ズサっ」とも、表現しにくい効果音を「斬殺音」という。日本映画で初めて刀の斬殺音を入れたのは黒澤明監督の『用心棒』であるが、斬殺音についての逸話が残っている。

従来、東映作品に象徴されるような時代劇の殺陣は、舞台殺陣の延長のいわゆるチャンバラであった。黒澤は、そうした現実の格闘ではあり得ない舞踊的表現を排除したリアルな殺陣の表現を探り、それが『用心棒』でひとつの完成形を見、当時の人々を驚かせた。本作の殺陣の特徴は、主人公の桑畑三十郎は相手を斬る際、必ず1人につき二度斬っている。

これは、黒澤と三船の、「1度斬ったぐらいでは、すぐには死なないだろう」との考えにより完成した殺陣である。また、「逆手不意打ち斬り」という殺陣も話題になったが、この意表をつく殺陣だけでは満足できない黒澤は、人を斬った時に出る斬殺音を加えようとした。そこで音響効果担当の三縄一郎に相談を持ちかけた。三縄は黒澤が最も信頼するスタッフである。

イメージ 3「黒澤さんと食堂の前で会った時、立ち話で言われたんですよ。『人を斬ると音がするだろう。あの音をつけてくれないか。考えといてよ』って。その発想に驚きました。斬り合った時、チャリンていう刃合わせの音はよくやりますが、自分で人を斬った時の音をつけるのは初めてです。最初、牛や豚でやったんですが、柔らかすぎて音にならないんです。

いろいろ試してみたんですが結局、羽をむしった鶏を丸ごと使い、そこに割り箸を何本も差して、そいつを斬ったんです。それだと乾いた音なんで、水を含ませた雑巾を叩き、その音をダブらせたんです。首を斬ったり、腹を斬ったり、腕を斬ったり、いろんな種類の音を用意したんです。」と、三縄一郎は「斬殺音」作成にかかわる苦労話を語っている。

『用心棒』(61年)の続編ともいうべき『椿三十郎』(62年)では、リアル効果がさらに増し、映画のラストで三船と仲代の決闘シーンで、ポンプを使う手法で斬られた仲代の身体から血が噴き出すという特殊効果が用いられた。この手法自体はすでに『用心棒』で使われていたが、夜間シーンで画面が暗いことと出血の量が少なかったために目立たなかった。

ピーカン(映画用語で快晴)で撮られた『椿三十郎』の印象が強すぎたため、この手法はこの映画が最初と思われた。この血飛沫は公開後、「はたしてあそこまで血が噴出するものか?」と、観客の間で医者まで巻き込む大論争となった。役者の土屋嘉男もこの場面については、「ちょっと、血が出過ぎたみたい…」と著書で感想を述べている。(『クロサワさ~ん!』)

欧州の新聞も映画祭のルポで、「日本の時代劇のヘモグロビンの噴射は、もうたくさんだ!」などと悪口を書きたて、この種の時代劇作品が、「ヘモグロビン噴射剤」などと皮肉を込めて呼ばれることとなる。黒澤は強い罪悪感ならびに自己嫌悪感を抱き、「人を斬る音と、血の噴出を日本の時代劇で流行させてしまった本家本元は、自分だ」と悔いいる言葉を吐く。

本作『椿三十郎』の後、黒澤は派手な殺陣をみせる斬り合い作品を作らなくなってしまった。『赤ひげ』での乱闘は武道を使った素手によるもので、これは黒澤の反省の表れである。天皇と呼ばれた黒澤も、思いの他周囲の反応を気にする性質であり、彼が追い求めたリアリズムが、結果的に映画を娯楽からグロに変えてしまった後悔はかなりのものだった。


「エロ・グロ・ナンセンス」という言葉を思い出す。扇情的で猟奇的、かつバカバカしいことを意味し、日本でも大正末期・昭和初期に流行した低俗な風潮をさす語句であるが、サブカルチャーとして残っている。下の画像は、女性の全裸はエロティック、身体を向日葵の茎が突き抜けている残酷趣味が窺えるが、よくよく見れば、これはフェイクであり作り物である。

つまり、これで「エロ・グロ・ナンセンス」が三拍子そろい、『HARA KIRI』 とかの表紙になっている。ちなみに、芸術運動としてのシュルレアリスムのはじまりは、「シュルレアリスム」宣言が発せられた1924年で、日本では大正13年である。シュルレアリスム(フランス語: Surréalisme, シュレアリスム)は、芸術の形態、主張の一つ。日本語で超現実主義と訳されている。

「シュレアリスム」のことは知らなくとも、「シュール」という言葉を使う女性は多い。男が使うのはあまり聞かないが、それは「シュール」という言葉が"ぼかす"という点で女性にむいているのであろう。実際、「シュール」の意味を正しく説明できる人は少ない。「シュールなギャグというが、どういう意味だい?」と聞くと、女性は困惑するから聞かないけれど。

「非現実的」というのがもっとも近いようだが、別にそんなことでもないのに、「シュールなギャグね」という。いう側が意味を理解していってない以上、この言葉をあまり深く考えないで、聞きのがす方が正解かも。エロは好きだが、グロは嫌いというのは多い。では、ナンセンスは?これも言葉の理解がおぼつかないから、近年は死語気味である。

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谷岡ヤスジに代表されるギャグの多くはナンセンスの根幹と書いたが、そもそもイヌが背中にバターを背負って歩いているという、その事自体があり得ないが、非常に現実志向的なイヌで面白い。つまり、ナンセンスというのは、現実を志向するけれども、行動・動作的にあり得ない、行わないであろうというあれこそが「シュール」に相応しい作品と言える。

谷岡マンガはナンセンス(意味が無いこと・馬鹿げていること。また、そのさま。」 というが正しくない。「シュール」というべきであろう。彼の存命の時代、そういう言葉がなかっただけで、堂々シュレアリスムの代表マンガである。友人が、「あれを見て笑えない奴とは友だちになりたくない」と言ったが、それは言えてる。あの面白さが分らない人間を自分は理解できない。

「理解できな~い!」とはね付けるのではなく、「頼むから理解してくれ!」という懇願である。もっとも、女に理解されたことは、かつて一度もなかったが、別にそれはいいし、どうも思わない。異性だから違っていい。「ちょっと面白いから読んでみないか?」などと貸し出しする気にもならない。が、貸し出した男に、「何が面白いの?」と言われたら悲しいぜ。

別のある谷岡ファンの友人は、「これを面白いと思う自分が異常なのだろうか?」と嘆いて見せた。「そんなことはない、別に異常でもなんでもない」という見え透いたエールや応援歌の類を好まぬ自分は、「いいんじゃないか?異常なら異常で」という。これも一種のエールであろうが、「人に分かってもらわなきゃいけないは、すべてにそうでなくていい」ということ。

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逆もまた真。人のすべてを理解できるはずもない。好きな歌に「あなたのすべてを」というのがある。作曲は佐々木勉で、榊原郁恵の「夏のお嬢さん」も佐々木の曲だが、「星に祈りを」(ザ・ブロード・サイド・フォー)や、「いつまでも いつまでも」(ザ・サベージ)を作った佐々木と、「夏のお嬢さん」は到底結びつかない。そんな彼は47歳で他界した。

♪おしえて欲しい あなたのすべてを、という歌詞が1番から3番まで入って、ここがサビの部分となっている。「おしえられるわけないだろう?人は人のすべてを」と思いながら歌う奴はいないだろうし、"すべてをおしえて"は言葉のあや、歌詞というあやである。歌の歌詞には「あなたのすべてを知りたい」だの、「見せて」だの、「欲しい」だのが結構多い。

詞は詩であるから、何を言ってもいいし、取り付く必要もない。それこそ「シュール」な世界である。好きな作詞家に松本隆がいる。なかにし礼もいいが、松本の詞は腹が立つくらいにシュールである。これ見よがしの"お涙ちょうだい"ではなく、健康的な哀愁、惜別の歌詞もいい。松本の代表作といっていい、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」(1975年)という曲。

あの曲は筒美京平マジックとでもいうのか、「私の特徴は地声がファルセットに変わるところだけど、京平先生はそこのところを上手く作ってくださってる」と裕美は言う。松本の詞についてはこのようにいう。「なんでこんなに女の子の気持ちがわかるのだろう。そんな心を見透かされてるような気持ちでした」。この曲を初めて聴いたときの身震いを自分は忘れない。

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「恋人と別れて、東へと向かう列車」、「華やいだ街でいきがって生きる自分」、「新しい恋人ができて田舎の恋人とお別れしたときの、彼女の涙の文字」まるで、自分のことが歌われている気になった。同じ思いを持った団塊の世代はおそらく多いだろう。また、松本の歌詞の特徴は意味を提示するより、「空気」、「情景」、「雰囲気」などの物語性を歌われる。

寺尾聡の「ルビーの指輪」にある独特の心理描写は特筆であり、松田聖子の「赤いスイートピー」は、当時スイートピーの品種に赤は存在せず、それを、"心の岸辺に咲かせる”とシュールに表現する。「風立ちぬ」では、「すみれ・ひまわり・フリージア」という夏の花を、彼との楽しい思い出とし、SAYONARA SAYONARA SAYONARAと、秋の別れの歌に花咲かせている。

その手紙は高原のテラスで、風のインクのよって書かれたのだ。よくもこんな表現ができるものかと、松本は才能という言葉では言い表せない。彼の綴る瞬間の「絵」や「ポエム」はなんと素敵であろう。彼の描く言葉に意味などない。桑名の「セクシャルバイオレットNo1」という詞の意味が解るものなどこの世にいない。ついでにCCBの「ロマンティックが止まらない」って「?」

というところで、今日は一体何を書いているのか?書きたいことは何もなく、書いてあることが、書かれてある事だ。何か奇異な行動した人間がいたとする。マスコミやメディアが、「何であんな行動したんですか?」と聞かれて、「そんな事、わかるわけないだろ」というのが、実はホンネかも知れない。現実に、今日書いたことを、書いた10分後に聞かれたとする。

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「何であんな記事書いたんですか?」と。「分かるわけないだろ、そんなこと」。10分後に分らないことが1時間後、数日後に分かりはずがない。世間も誰しも意味を持たせたがるが、それは松本隆に「何であんな歌詞を書いたのか?」と同じこと。彼は物事すべてを斜めから見る、超現実主義(いわゆるシュール)な人間である。だから非凡な才に溢れている。

そんな彼の作詞デビュー曲は、アグネス・チャンである。元ロックのドラマーがアグネスの詞を依頼されたときの困惑があったと述懐している。そんな松本がアグネスの「ポケットいっぱいの秘密」の中に自らの秘密を込めた。彼はシャイな人間であり、そういうオチャメでもなくば、アグネスに曲を書いたことの周囲への自我が耐えられなかったのだろう。↓ 太字四文字…

なた草の上 っすり眠ってた
がおやさしくて 「きよ」ってささやいたの


ワカランことを、分かったところで…

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走行中の新幹線の車内で灯油を頭からかぶり、焼身自殺を計るという、なんとも不可解極まりない事件があった。30日、JR東海道新幹線「のぞみ」車内での焼身自殺事件は、2人が死亡、26人が重軽傷を負った。午前11時半。「危ないから出て行け」。この事件で死亡した林崎春生容疑者(71)は、はこう叫ぶと手にした白のポリ容器の油のようなものを肩から胸に流した。

「やめなさい」。女性客は制止したが、林崎容疑者は「あなたも逃げなさい」と逆警告。直後、林崎容疑者はライターで火を付け火だるまに。男性会社員の座席に置いていたジャケットも燃えた。16両編成の新幹線には約830人の乗客がおり、パニックに陥った。「おじさんが焼身自殺した」、「逃げろ」。1号車にいた乗客は後方の車両に助けを求めて避難。

2号車にいた男性(72)は、「1号車から逃げてきた男性は髪の毛が焼け、顔がすすで真っ黒になっていた。幼い子供も表情をなくしていた」。遺体の近くには同容疑者のものとみられる焼け焦げたリュックが残されており、県警は当初から焼身自殺を計画してタンクを車内に持ち込んだとみて、駅の防犯カメラ映像を解析し足取りなど、状況を調べる。

林崎春生容疑者(71)は、東京都杉並区の住宅街にある木造2階建てのアパートの一室に住んでいた。早朝、普段着姿で歩いて職場に向かう林崎容疑者の姿を何度か見かけていたという、近所に住む男性(75)は、4、5日前に林崎容疑者から「仕事を辞めた」と、聞いていたといい、「(仕事は)解体関係だと聞いた記憶があり、おとなしく、普通の人」と話している。

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「優しい人だったのに…」と、林崎容疑者を知る人は驚きを隠さない。「仕事は辞めた。年金が少なく、ほとんど残らない。生活できない」。と、2カ月毎に支払われる年金額24万円について不満をもらしていたといい、彼を知る銭湯の常連客は、「実家に月9万の仕送りをしている」と話していたという。彼は国家に対し、死をもって自己を主張したのだろう。自分の命をどう切り刻もうが、それは各自の自由だが、「立つ鳥後を濁さず」という。

この諺を不思議に思ったことがある。なぜ鳥はそういう考えで飛び立つのか、そこにはどういう意味があるのか、しかも、なぜ鳥なのか?この疑問は解決した。「立つ鳥後を濁さず」の鳥は、「飛ぶ鳥」ではなく実は、「水鳥」のことである。カモなど水鳥が水面から飛び立った後は、水は濁るし羽は飛び散るで、あまりきれいとは言えない状況であるらしい。

彼らはむしろ、「立つ鳥、跡を気にせず」のようだ。それを見ていたどこかの賢人が、この諺を思いついたのであろう。ホテルでも旅館でも、レストランでも、利用した際は、部屋もベッドもきれいにして去りたい、そういう心構えは、ないよりあった方がいい。普段から濁して生活しているのが、横着さという人間の性であろうけれども…。ラブホテルのベッドを整える女がいた。

「別にいいじゃないか、戦の跡みたいで…」と言ったが、「いやなの」という女である。彼女の何がいやなのかは彼女の問題だが、その「いや」が他人に快く届くのは、大体においてよい事であろう。暗黙に、「教わる」何かであったりする。「夏草や兵どもが夢の跡」と芭蕉は詠んでいる。意味はまるで違うが、なぜか、その句が彼女の所作から導かれ出た。

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見知らぬ旅人なら、咎めを受けることもないし、受けたところでどうということはない。「後は野となれ山となれ」とか、「旅の恥は掻き捨て」などが実情である。が、誰に強制されることのない「心構え」が、その人の「品格」であろう。「品格など要らん」という人もいるが、「人に見せたい」、「品ある人と思われたい」などの品格は欺瞞であろう。

本当の「品格」とは、自身のためにするものかと。朝起きて、ベッドの布団をそのままにして出かけても、自分のことと思えば許せる範疇であるが、ホンの1分もあればキレイに整えることはできる。整えることによって、自分の何がどのようになるか、よい方に転換するかを知っているひとは、そうするであろうが、部屋が汚れて平気な人にはあり得ない所作である。

一人で寝起きの生活なら好きにすればいいが、自分の許容は他人の許容ではないことは知っておこう。自分が許せることは、他人も許すべきであるという人間は、確実に相手に不満を増長させていく。なぜ自分のことしか考えられないか?他人のことなど考えなくてもいいように育てられたからである。そのように育っても、社会の教育力で気づく人なら救いがある。

品格=自らを汚さない意思、といえばわかり易い。いうまでもない、人が見ている、見ていないにかかわらずである。「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」というように、人は自らに苦吟する。自身が生活していく中で起こる様々なことがらのなかでよくない事は直していくのが基本だが、それがないと人間はどんどんパンツを履いたブタになって行く。

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気づいても、横着さ、面倒臭さが優先するとダメだ。まさにこれ、「心中の賊を破るは難し」である。自分ひとりの生活はやがて他人との生活に移行し、斯くの生活の中で自分の汚点に気づき、自らを省りみ、鍛えあげなければならない。人に言われてやるようでは、経年で横着さが増してきた折、相手の指摘がウザイと感じるようになる。こういう女はとどのつまり一人に戻るしかない。

部屋の片づけもできないぐーたら女が離婚するなど、珍しくないし、そんなくだらないことで結婚が崩壊するほど、人間は他人と自分は違うということだ。自分の「良い」が相手の「良くない」であった時に、その事を察知して修整していくのが、他人との生活である。こんな簡単なことが分らない人間、分かってもできない人間は、男も女も一人になるしかない。

「品格」が高尚な言葉なら、別の言葉でもなんでもいい。大事にすべき理性は大事にしていくべきであろう。離婚の多さには、こんなくだらない原因があるし、それを離婚して気づく女もいるが、覆水は盆に返らない。悔いは凶ではない。悔いて修整すれば「吉」に赴くはずだ。カーライルもこう言っている。「あらゆる行為の中で、後悔が人にとって最も神聖である」。

自分を厳しく見つめ、自分の行いを客観的に眺め、反省し、修整していく生活こそ、人が共に携わっていけることになる。生きるという事は、今、この時、この場所で、このことに、取り組んでいるという事である。何事も先延ばしするクセ(というか、素直でないというか、横着とでもいうのか)の甚だしき人間は、決して好感をもたれない。相手をイラつかせる場合もある。

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今、与えられた生活条件に「イエス」か「ノウ」かが大事なのである。人は皆そういう態度取り組んでいるはずだ。新幹線焼身自殺の林崎容疑者は、自身のその生活に肯定的に取り組めないからあのような突飛な、自己崩壊なことをするのであろう。彼は月12万円の年金から9万円を実家に送金していたというが、そのことだけを考えると神妙なる心がけである。

12万-9万=3万円。小学生でもできる引き算だが、これが身の破綻につながることをどうして読めないのか?9万が無理なら4万、5万に減額すればいいのに、それをできないのは彼のヒトのよさではないかと推測する。ヒトのよい人間は、無理をしてまでヒトのよさを継続しようとするが、それが自分にとって無理であってもである。「5万にしてくれ」が言えない人間である。

アレも言えない、コレも言えない、そういった八方塞がり状態になり、とんでもないことをしでかすのが、"ヒトのいい人"といわれる本質であろう。そういう人間を何人も見た。たった一言いえば済むこと、それができないから自暴自棄になる。そこまでしていいヒトをやろうとする人間の澱んだ苦しみであろう。ときにヒトは悪い人間にならなければダメだ。

無理な愛情の継続は人間にとって破滅の道となる。八方が塞がれた。出口はない、そう思った時に、それでもなお生きて行けというのか、9万が無理なら減額すればいいものを、これでは来月から1銭も送れない。お金がない人間でも、見栄を張って自暴自棄になる人間もいる。運命にもてあそばれ、疲れ果て、気が狂いそうになっても、不幸が軽減されるわけではない。

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人間は、自分にとって大切なものが手に入ると思えばこそ努力するが、大切なものなど一切入らないと分かっていながら、それでも生きる努力をせよ、などという道徳がこの世に存在していいものだろうか。自らの体にガソリンをかけて焼き殺すという行為は、その熱さ以上の耐えがたき苦しみを背負っているのであろう。そのように推察する。熱さを凌駕する苦しみ…。

そういうモノが焼身自殺者には存在しているのであろう。自傷行為者が、その苦痛によって自らの苦しみの度合いを測っているように、焼身自殺はまぎれもない自傷行為である。死ぬに関して人は、なるべく苦しみの少ない方法を選ぼうとすることを考えると、自らに火を放っても、おそらく熱くないだろうという、想像力が苦しさに支えられている。

なんというおぞましい光景は、社会の責任でもある。人は皆が皆、頭脳明晰で、頭がいい人ばかりとは限らない。様々なことを思考し、調整・調節して穏やかに生きていける人ばかりではない。国家はその辺りのことも考えた政策を講じなければならない。バカは斬り捨てるでは、国民の大半はバカであろうから、政治家が「賢い」を自負するなら考えたらいいのだ。

 「なんということだ。一体何が彼をこんな極端な行動に走らせたのだろう?何かに対する抗議だろうか?」

 「自殺率の高い日本では、銃なしで自殺する独創的な方法を考え付くのだろう」

 「恐ろしいことだ。ただ恐ろしい」

 「自殺ではなく、日本政府に対する抗議だ」

 「落ち込んだ社会だ」

 「現代の乗り物や建物は窓が開かないつくりになっているのは、大きな問題だと思う。まともなコンセプトじゃない」

これらは英国のネットユーザーのコメント。他人を巻き沿いにした自殺に触れるたびに、「旅は道連れ」という諺が浮かぶし、。「旅一人ではなく、誰かと一緒に行けば、互いに助け合ったりで安心して旅ができると」との意味だが、単純に死への旅路も一人だと虚しさがつのるという人間もいる。林崎容疑者の状況を報道で知るに、そんな悠長なものでないと理解した。

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追い詰められた人間が求める自由とは、それこそ一切のものを解放する真の自由であるのだろう。林崎容疑者の自由とは、あの日、自由になるために行為した自由な選択以外のなにものでもなかったと感じる。瞬間ではない死、熱く、苦痛にもだえる死を選んだ人間の自己主張とは、「苦しみ」の言葉の体現である。最後に及んで、他者からの同情も得たかったのかも。

多大なる迷惑の甚だしき行為であるのはいうまでもないが、一切の不幸な事件のうちにも、慈悲の鞭は含まれていいが、死ねば人に耳はない。「年金が少なくて苦しい、死んでやる」というのは、見近な展望であり、それを今日的な行為で決定するのは、もっとも力弱い人間である。人の物を盗んで生きて行こうとする罪人の方が、強い心をもっている。

林崎容疑者には望めないことだった。善人はとどのつまり、死ぬしか選択はないのだろう。「二度ある事は三度ある」というのは、「一度あったことは二度ある」という前提であろう。このような前代未聞の事件に際し、鉄道会社は緊急招集をかけ、今後の対策を協議しているようだが、顧客の安全ということからして当然である。二度目は予期の範疇にあろう。

前代未聞の新幹線焼身自殺について思考したが、何かが判ったところで解決も対策もない。先立たれた息子の柩の前で、「もっとお前のことを理解してやればよかった…」とうなだれる親。しかし、先立つ理由を分かったところで何も解決はない。進展もない。我が子、もしくは見知らぬ他人の自殺の理由を知ることの意義は、その意味において、「ない!」

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信じれるもの、信じないもの

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13日午前8時50分ごろ、岐阜県恵那市長島町正家の阿木川ダムで、乳児が湖面に浮いているのを、釣りをしていた男性が見つけて110番した。恵那署が死亡を確認した。14日に司法解剖し、詳しい死因を調べる。乳児は同県中津川市の男性会社員(33)の生後4カ月の長女。目立った外傷はなく、服を着た状態だった。ダムから約800メートル南にある公園で、母親(24)の乗用車が見つかった。

無理心中の可能性があるとみて、母親の行方を捜している。車内には、「ごめんなさい」との趣旨が書かれたメモが残されていた。争った形跡はなかったという。父親が最後に2人の姿を見たのは、12日朝の出勤前で、仕事から帰ってきたときには妻と女児は自宅にいなかったと話している。遺体発見現場はJR恵那駅から南東に約4キロの、阿木川と岩村川が流れ込むダム湖。

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28日午前1時15分ごろ、秋田県北秋田市脇神の民家で住人の無職千葉友紀子さん(41)が倒れているのを弟が見つけ、110番した。友紀子さんはひも状のもので首を絞められたような痕があり、現場で死亡が確認された。県警北秋田署は殺人事件の可能性が高いとみて、手首を切って搬送された60代の母親の回復を待って事情を聴く。

同署によると、友紀子さんは母親の順子さん、弟夫婦とその長女の5人暮らし。28日未明、母親から外出していた友紀子さんの弟夫妻に、「娘を殺した。死のうと思っている」という趣旨の電話があった。帰宅した弟が、1階の浴室で服を着た状態であおむけに倒れている友紀子さんを発見した。母親は両手首を切った状態で同市内で見つかり、病院に搬送された。

命に別条ないとのことだが、近所の人の話では、友紀子さんはダウン症で、養護学校を卒業している。約15年前に夫をがんで亡くした順子さん、数年前に同居を始めた弟家族の献身的な介護の下、穏やかに暮らしていたという。同署は、順子さんの回復を待って事情を聴くとしているが、障害者を子に持つ親の苦悩…。竹中直人主演の『くちづけ』が頭を過ぎった。

実際に持ってみなければ分らないのか?そうはいっても、障害者をもつ親であれ、キチンと育てている例は多いわけだから、となると親の思いの違いということだ。知的障害のある子を在宅でみていて、障害者本人が40代~50代、親が60代~80代と年齢が高く、父親不在で母親一人が主たる介護者の場合、子を残して自分だけ先に逝けないといった理由での殺害はある。

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その是非も親の意識の問題である。是非とは、殺すかどうかの是非ではなく、高齢介護者が、障害者である子どもの先行きをどのように考えるかとの意味で、実際に介護に携わらない人間が、「介護者の気持ちは分かる」とか、「障害児だからと言え命は尊い」などの軽々な言葉はあまり感心できないので避ける。この問題はなかなか同化できにくい部分はある。

医師であったり東大卒であったりの親が、子どもに無理やり勉強を強制するのとは違う。ただ、前日の27日に北海道で同じようなケースがあった。以下は記事。「自閉症の娘を殺害したとして、北海道警は28日、札幌市西区無職佐藤和子容疑者(64)を殺人の疑いで逮捕した。佐藤容疑者は「自分が死んだら自閉症の娘が1人になるのが不憫だった」と供述しているという。

道警によると、佐藤容疑者は27日午前11時ごろ、自宅で娘の由紀子さん(42)の首を刃物で刺して殺害した疑いがある。由紀子さんは首に複数の傷があり、部屋のベッドで血を流して倒れていたという。佐藤容疑者は犯行後、妹に電話で、「娘を殺した」と連絡。その後、行方がわからなくなっていたが、同日夕方、北海道石狩市内で捜査員に発見された。

佐藤容疑者の首には刃物で切ったような傷があり、道警は、無理心中を図った可能性もある。由紀子さんは北海道江別市内の障害者支援施設に入所。平日はこの施設で暮らし、週末に自宅に戻る生活だった。16日に帰宅して以降、施設に戻っていなかったという。秋田の犯行は翌日であるところから、北海道の事件の触発された可能性はあるのかも知れない。

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一点違うのは、秋田は自宅介護、北海道は施設に入所である。他人が軽々に発言するようなことではないと思うが、どちらも40年育てた結果が子殺しという犯罪者になってしまったのはいたわしい。執行猶予の是非の問題もあろうが、それならちゃんと育てている親もいる訳だし。障害者年金や福祉制度で、障害者が生きていくのは可能だと思うのだが。

不憫に思うのは、それらとは違う思うもあろうと推察する。穿った見方をすれば、「娘が不憫で…」というのは実は口実で、介護疲れの自分を憐れに思うこともあり得る。確かに介護はされる側の負担より、する側の心労ばかりが問題にされる。それは事実であろうが、障害をもって生まれた子には、何の罪も咎もないとの思いが、大きく寄与するように思う。

「自閉症」とあるが、施設に入所するくらいだから、カナー症候群と推察する。アスペルガー症候群と違ってカナーは知的障害を伴い、通常自閉症といったら、重度の知的障害を伴ったカナー症候群を指すことが多い。秋田も北海道も、いずれも殺害した母親は自殺を計るも死にきれなかった。秋田の母は手首を、北海道の母は首を切ったというが、軽症である。

無理心中を図ったが、相手を刺し殺して自分は死ぬのが怖くなったというのも無責任であり、まあ、本気で死ぬなら手首よりも首を切るし、首を切った母親も本当に死ぬ気なら一気に深く切るであろう。死ねなかった場合は、罪人として収監され、囚人暮らしをすることくらいは頭に浮かぶだろうが、死ぬくらいなら監獄で暮らす方がいいと相成り、逮捕されたと見る。

イメージ 4「生きて虜囚の辱めを受けず」というのは『戦陣訓』であり、「死して罪過の汚名を残すこと勿(なか)れ」と続く。これは、昭和16年に当時陸軍大臣だった東條英機が示達したもので、「恥を知るものは強し。常に郷党家門のの面目を思い、愈々(いよいよ)奮励して其の期待に答うべし。生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ。」とある。

「死すべき時に死なずして、生き残って捕虜としての恥辱を受けてはならぬ。又、死後に罪人の汚れた名を残してはならぬ。」という意味だが、「罪禍」とは何をいうのか?捕らえられて拷問に遭い、秘密を明かすようなことになれば、死後にも汚名を残すことになるので、そうならぬうちに死ぬことだ。と戒めている。兵士は拷問の厳しさ等が頭を過ぎったことだろう。

潔く自決というより、死より拷問を怖れたのではないかと察する。死より怖いものが死を選んだとの言い方は、臆病者に聞こえるが、人間は当然にして臆病だから、怖がれば死ねる。すべては想像の範疇であるが、娘を殺して死なない母は、臆病者というよりしたたか者と見る。責任感という理性すらもない。本当に不憫に思ったなら、命を奪った責任を取れといいたい。

それができず、だから「不憫」は口実で我が身かわいさという理解は、自分的には必然の思考だ。自分が可愛いのに、何かと人のせいにしたり、口実をいう人間の言葉は信用できない。人を一人殺しても自分の命を取られることはないという考えが、人を安易に殺す理由になっている部分はあろう。死刑廃止論者は、死刑という極刑が犯罪の抑止なっていないとデータをあげる。

確かに飲酒運転の罰則(罰金)強化をしたところで、飲酒運転はなくならないが、確実に減っているのは事実であろう。「飲酒運転で捕まったら、罰金が高額だよ」と言ったところで相手はトラだ。「てやんでー、ばかやろう。ポリが怖くて酒が飲めるか」というのはいる。威勢のいいのとバカにはどんな罰則も意味はないが、「罰金高いからやめとこ」という理性者はいる。

「飲んだら乗るな!」というスローガンはあれど、「飲酒運転」というが、「酒酔い運転」、「酒気帯び運転」などど区分されている。確かに一升飲んでも酔わないで運転に支障のないものと、コップ一杯のビールで酔う人間とは違うけれども、「飲酒運転」の目的があくまで、"運転に支障のないこと"であるなら、酒を飲んで運転するのは御法度にはならない。

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同じように、人の命を奪ったものは「死刑」としたなら、「一人殺したくらいでは大丈夫」という安易さも消滅する。が、人を殺したとしても、「故意」と「過失」を同等に扱えないとするのも正しい。そこに動機が加わると、「情状酌量」ということも考えなければならない。が、問題なのはこれらの温情を特典として、利用する人間もいる。それが殺人を減らさない。

特に「15歳以下なら何をしても犯罪にならない、刑に服することなどない」とタカをくくった少年たちがいた。永山則夫の時代はそういった情報化社会ではなかったし、彼には生い立ちなどの生育環境は、酒鬼薔薇などとは比較にならない荒んであったが、「永山基準」などと言われて、死刑の判断基準とされたのだ。基準がないと裁判官もやってられん、ということか。

日本は比較的殺人に寛容なお国であり、日本の裁判官は執行猶予が大好きであるからか、一人二人が死んだくらいでは、裁判官もなかなか極刑を言い渡さない。裁判官の判断が決して正しいのではなく、裁判官は自らに正しいと思われる判断をするに過ぎない。だから世間知らずのおバカ裁判官による、おバカな判決というのがいくつも出されるということ。

「道徳」や「倫理」は、普遍的で客観的で絶対的なものではない以上、絶対的な「善」も「正義」も存在しない。だから人間は神を頼ってしまう。「神は間違わない」、「神のお告げは正しい」と、ありもしない「お告げ」を模索する。神を信じる者、信じない者、それら共通の思いは、「もし、神がいるなら、なぜ、不幸はなくならないのか」という疑問であろう。

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正直な善人が損をし、早死にし、神を信じる宣教師が投獄され悲惨な死をとげる。戦争、飢餓、自殺、犯罪は増え続けている。クリスチャン作家遠藤周作の『沈黙』は、徳川幕府により、キリシタンの村が焼き払われてたのを見た宣教師がいう。「あなたは何故、すべてを放っておかれたのですか…、我々があなたのために作った村でさえ、あなたは焼かれるまま放っておいたのか。

人々が追い払われる時も、あなたは彼らに勇気を与えず、この闇のようにただ黙っておられたのですか。なぜ。そのなぜかという理由だけでも教えてください」。スウェーデンの映画監督イングマール・ベルイマンは、1950年から1960年代にかけて活躍、世界的名声を博した巨匠で、彼にも『沈黙』という作品がある。これは、「神の沈黙」三部作の最後の作品である。

第一作は、『鏡の中にある如く』(1961年)、第二作が、『冬の光』(1962年)、そして第三作が、『沈黙』(1963年)である。自分は『沈黙』だけを観たが、キューブリックに負けず劣らぬ難解な作品である。一言でいうなら、「光と闇」の拮抗する欧州人の苦悩、キリスト教が個人の精神世界を支配し、侵食した、そんな風土の地に生きる人たちの葛藤のドラマである。

キリスト教文化圏に生きる人々にとっては、まぎれもない「神の沈黙」映画であろう。無神論者にすれば神などいないから沈黙もへちまもない。お戯れ好きな神が、人間を苦しめ、もて遊んでて面白がっている、そんな感慨だ。『沈黙』はキリスト教批判の問題作と言われている。ベルイマンは、「神の沈黙」三部作の前年、こちらも問題作、『処女の泉』を公開している。

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舞台は土着信仰とキリスト教が混在する中世のスウェーデン。裕福な地主テーレとその妻メレータと一人娘のカリン。一家は敬虔なクリスチャンだが、一家の養女であるインゲリは、密かに異教の神オーディンを信奉し、苦労知らずに育ったカリンを呪詛している。ある日、穢れを知らぬカリンがレイプされ命を奪われる。テーレは娘の死と彼自身の冷酷な復讐を看過した神を糾弾する。

神の無慈悲に絶望しながらも、それでもなお神の救済を求めるテーレは、娘の遺体の側に罪滅ぼしのために教会を建設することを約束する。というものだが、どんなに敬虔な信者でも神は容赦ない。信仰は一方的に捧げるもので、ご利益を求めるものでないのは分かるが、あえて不幸に突き落とされるのが理解にそぐわない。神はまさに沈黙である。


何があろうとも、声を発しない。「声を聴かせよ!」というのが人間の傲慢なのだろう。何があろうとも、得たいの知れないものを信じるのが信仰であるなら、沈黙すべきは信者である。「沈黙」とは、「沈思黙考」の略語なら、沈思黙考とは、"黙って深く考えろ"の意である。ならば信仰とは、何があろうと、いかなることがあろうとも、揺るがぬものであろう。

使徒パウロは、「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」と教えている(ヘブル 11:1)。アルマも同じようなことを言っている。「もし信仰があれば、あなたがたはまだ見ていない真実のことを待ち望むのである。」(アルマ 32:21)。まだ見ぬ事実がどんなものであれ、それを待ち望み、確信するのが信仰であるらしい。

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我に信仰心は露ほどもないが、まだ見ぬことを待ち望み、まだ見ぬ事実を当たり前に受け入れよって、普通はそうじゃないのか?広島カープは昨日に引き続いて今日も勝ってくれるはずだ。もちろん、負けてもその事実は受け入れるが、これって信仰なのか?よく分かりませんね~。宗教も、信仰も…。こちらの方は、自殺や心中ほどにあんまり分かりたいと思わない。

現象というより、自己への問いであろうから、分かるとか分らないとかの問題ではなかろう。では聞くが、さりとて自らに信じれるものって何だろう?何か、こう、カッコよく「○○を信じてる」というものは、ちょっと考えて見たが浮かばない。それでは示しがつかないから、「信じるものは、約束を守った人。信じないのは、約束を守らなかった人。」とでも言っておこう。

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